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和田静夫君 とにかく警職法第七条第一項、第二項に該当するのだという論拠というものには、私はその肯定の
立場に立ち得ませんが、とにかくガス銃の使用にあたって明らかにやはり
考えてみなければならないのは、人に危害を与えてはいけない。あなたもさっき、なるべくうしろのほうに落とすというようなことを言われたわけですけれども、私は、とにかく指揮者の指示いかんを問わず——とにかく後ほど
調査してもらうんですが、顔をねらって撃つというようなこと、こういうようなことというのは、警職法の七条に正に違反をしているのだ。これはもう
調査をした結果の論議になりますが。したがって、そういう形のものというのは明確に処罰されなければならない、こういうふうに思います。まして、私がこういう問題にしたのは、抵抗力のなくなった
学生を連行していくときに、
暴力をふるってけがをさせる。これは供述に基づくものですから、後ほど裁判所における争いの中で明らかになることでありましょうが、私の手元にある資料によれば、一月十九日、
学生が講堂から退出させられる際に、第四
機動隊の十名ほどが
学生百名ぐらいを演壇に整列させて、先頭から一人おきに鉄パイプ、角材、警棒で殴打をしています。供述の中で明らかになっています。また、残りの
学生は石で頭や顔をなぐられています。そういうことをした
機動隊員の氏名、所属もいま除々に判明をしてきていますから、それがはっきりした段階では、私はやはり前段の段階と一緒に処罰も当然行なうべきだと
考えます。特に、私は、
国家というような名前で、
秩序という名前でこういうような暴行、
暴力がまかり通るということは私は許されない、そういうふうに
考えます。
さっき国際法の話をしたのでありますが、国際法では戦争に使うたまでさえその物質を御存じのとおり制限をしています。ということは、戦争でたまが体内に入り戦力でなくなったときの個人を私は
考えているからだと思うのであります。また、わが国の
憲法も、その第十三条に「すべて
国民は、個人として尊重される。」とうたって、個人に神秘的、倫理的価値を認めています。あらゆる政治現象の評価基準を
国民個人の幸福の実現の程度に求める個人主義を宣言をしているわけです。そして、それに続いて「生命、自由及び幸福追求に対する
国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」という規定は、第十二条の
国民の側における
基本的人権保持
義務、乱用禁止条項に対応し、政府の側における
基本的人権尊重
義務を定めたものであって、そこでは公共の福祉という政策的配慮によって
基本的人権も制限できるということを一般的にいっているのではないかと実は思うのであります。公共の福祉という政策的配慮によって
基本的人権も制限できるかできないかは各個別の
基本的人権保障規定の中に定めているわけですけれども、それはたとえば
憲法三十七条三項と二十三条一項とを対比してみれば明確なことだろうと思うのです。先に述べた非人道的ガス液の使用などに象徴される最近の
警察行政は、国際法や
憲法に保障された個人の尊厳ということを全く忘れ去ってしまっているかのような感を与えます。
警察行政にこそ、私は個人の尊厳を認め、新
憲法的感覚が必要であるにもかかわらず、
警察行政には、先ほど
国家公安委員長の御答弁ではありますが、最も
行政能率のみを重んずる
戦前的発想が根強く残っているように
考えられます。それが、私の
見解で言えば、戦時国際法でさえ禁じている毒ガス液を使わせるようになったり、あるいは数々のデッチ上げ事件を生んだりというようなことになっているのではないか、こういうふうに思うのです。そうしたような
事態というのは一体どこから来ているのだろうかということを
考えてみると、私は、三月十八日の本
委員会において、
自治省幹部職員の府県への天下りについて触れ、その面からも地方
自治が危機に瀕していることを
指摘したのでありますが、
警察行政における
特権官僚グループの横行はさらに一そう目に余るものがあります。
警察庁長官新井裕氏は
昭和十二年紀です。次長の後藤田正晴氏は十四年紀、そして官房長は十七年紀、
警察局長十六年組、刑事局長十六年組、警備局長十七年組、
警察大学校長は十六年組といった状況であります。また、
警察庁の管区
警察局長のポストは九州を除いて全部が
特権組で占められております。このようにわが国の
警察行政は、治安グループといいますか、旧内務省でも中枢だった
戦前警察グループの手に実は握られているわけであります。これでは
民主警察もくそもあったものではない、こういうふうに私は
考えざるを得ないのであります。したがって、時間がなくなりましたからあれでありますが、私はさきの
地方行政委員会において過去十年間の幹部職員名簿の提出を求めましたが、
警察を調べてみてこういう
状態であるということがわかりましたので、とても戦後の
調査だけでは間に合いません。
戦前旧内務省時代からの名簿を私は御提出をしていただいて、そして私は、私が議員である限り継続してこの問題を取り上げて、毎年こうした幹部職員の
異動の状況を確認をしながら、
国民の前にその実態を明らかにしていく所存であります。
警察教養ということに触れて、ピストルの暴発事件についてお聞きをしておきます。去る二月十七日、派出所の巡査が取り落としたピストルを拾おうとしたときそれが暴発して民間人一人がなくなるという事件がまた起きました。こうしたピストルの暴発事件は、三十九年に六件、四十年十五件、四十一年に八件、四十二年に八件、四十三年に九件起こっておりますが、
警察教養の高揚にもかかわらず、どうしてこうした事件があとを断たないのですか。三十九年以降相次いで起こった暴発事故の八割は米軍が朝鮮戦争のころまで使っていたSW口径四五のセコハンピストルで、安全な国産ニューナンブ回転式ピストルへの切りかえがおくれているのは、
機動隊の経費に食われたとのことでありますが、落としただけで暴発しやすいピストルが日常市民と接触している警官の腰に締められているということは危険きわまりないと思うのですが、いかがですか。