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政府委員(
長野士郎君) この
資料の八ページを見ていただきますと、
昭和三十年からここでは四十年に至りますところの
産業別の就業人口の推移表が出ておりますが、こういうもので見てまいりますというと、
昭和三十年におけるところの第一次
産業に従事しておりました人口は七万四千人で、構成比は七六・五%になっておりますが、
昭和四十年におきましては三万五千四百六十四人、構成比は四六・二%、第二次
産業におきましては三十年が六千四百八十六人で、四十年が二万二千九十人、三十年の構成比は六・六%でございますが、四十年は二八・八%、第三次
産業におきましても同様な傾向があらわれておりまして、パーセンテージは二四・九%、第三次
産業も四十年は三十年に比しましてたいへん増加をしておる、そういうことで、それでもなお第一次
産業の
産業別の就業人口が半分くらいになるわけでございます。そういう意味では確かに典型的な後進
地域的な
産業別の人口構成比になっておると思いますが、三十年から四十年に至りまして著しく伸びましたのは、構成が変化しております一番大きなものは、第二次
産業におきますところの製造業でございます。それからその次に目立ちますものは第二次
産業の中の建設業等が相当伸びておるということが目立つわけでございます。この製造業の
内容は何かといいますと、やはりこれは
奄美大島の
特産物でありますところのつむぎ、それから製糖
工場等におけるところの就業人口が非常にふえておる。それから建設業におきます就業人口のふえたのは、
復興事業開始以来、いわゆる公共投資を
中心にいたしました建設
事業がだんだんと進みまして、現地におきましても当初は現地には一切資材もなければ技術もないような
状況でございましたのが、最近では現地で資材も調達できますし、技術もそういうものがだんだんと定着をしてきておるというような
状況になっておるわけでございます。
そこで、むしろ農業でいいますと、
キビを
中心にして近代化をはかっていきたいということで考えておりますが、農業の一人
当たりの
生産規模を拡大してまいりますと、むしろ農業の就業人口の割合というものは減っていかざるを得ない。
合理化すればするほど減っていくということがむしろ言えるわけでございます。そういう意味でも、つむぎなり、今度は農業と申しましても
キビは特に現地で加工その他をいたすわけでございます。そういうところへ就業人口の転換をはかっていく。それからもう一つは、
サトウキビは、まあ私
ども聞いておりますところでは、非常に土地をやせさせるそうでございますが、ただ、この
キビの葉っぱが牛の飼料として非常に適当なものだというふうに聞いております。そこで、
計画では、最近
肉用牛が非常に品薄といいますか、品がすれになっておりますが、
肉用牛の飼育を非常に奨励をいたしたい。それと
キビの葉っぱと結びつきまして、そうしてまたその堆肥その他が
キビ畑に還元されていくという輪環といいますか、循環する形をぜひともとりたい、そういう次第で、就業人口、就業の機会を多くつくりたいということでございます。
それからもう一つは、林業でございます。林業につきましては、なお人工林と申しますか、林業の栽培をいたしますが、その前には現在原始的にはえておりますもの、いわゆるパルプ用の原料、チップと申すのでございますが、チップ用材として切りまして、払い下げをいたしております。公有林も非常に多くございますが、そういうところには琉球松という松を植えまして、そして非常に育成の早い用材になる優良な林種だというふうに聞いておりますが、そういうことでまた
所得も上げながら就業の機会を多くつくっていきたいというふうに考えておるわけでございます。しかしながら、いわゆる省力化、機械化、近代化、経営規模の拡大ということをどうしても農業全体としては進めていかなければなりませんので、そういう意味での就業人口比が転換をしていくということは、これはどうしても避けられない。そういう意味ではある
程度人口の流出と申しますか、そういうことで出ていくこともこれは避けられないと思いますけれ
ども、なるべく地元に雇用の機会がありさえすれば雇用をいたしまして、年寄りばかり残らないところをつくるようにどうしてもしなければならぬと考えております。農業につきましては、そういう意味で後継者養成というようなことも
振興事業の中でも一つの
重点として、そういう後継者を養成し、自立
農家を経営していくに足るところのものをつくっていくということも、一つの大きな
事業の中に取り入れて考えていこうと思っております。