○青木一男君 先日の私の
質問の中で、私はまだ十分納得できない点があるわけです。それは、
審判所が、争いとなっておる課税原因に基づく課税
金額でなしに、全然新しい課税原因に基づく
納税義務ありと認めた場合に、不利益に変更の制約を受けない範囲においては、
納税義務ありとして
審査請求を棄却することは私は違法である、できないものだという前提で
質問したのでありますが、あるいは私の聞き違いかもしれないが、大蔵当日はそういうことができるという
趣旨の答弁をされたやに記憶しておる。これはたいへんなことなんです。この問題は、いまお読みになった
衆議院附帯決議の二の(2)の「
質問検査権の行使に当たっては、
権利救済の
趣旨に反しないよう十分配意すること。特に、
国税不服審判所の職員は、その
調査が新たな脱税事実の発見のためではないことを厳に銘記の上、
納税者の正当な
権利救済の実現に努めること。」と、これと関連するのであって、この附帯決議は運用上の心得を説いておる。ところが、私は、同じ問題でも、
法律の
解釈からそういうことはできないはずだという
趣旨で
質問しておるのであります。この問題は、私は、今度の
法律の書き方でいいと思う。
法律の書き方はこれでよろしい。ただ、その
解釈につきましてどうも理解ができない。いずれもこの法の
解釈ですから、
審判所は
自分の
判断で裁決するでしょう。さらに、裁判所では、裁判所の信ずるところで法の
解釈をするでしょう。しかし、立法府である国会の審議において、議員の中からこういう
意見が出たということは、
審判所あるいは裁判所の
判断の場合に有力な資料をなすものであります。これは当然であります。そういう
意味で、私は、少しくどいけれども私の見るところを述べて、そうして最終的に政府の所見を聞きたい。この問題は、
審判制度の職務権限の範囲の問題ですから、根幹に触れる問題なんです。また、
納税者の救済を主眼とするという今度の改正法の主眼に触れる問題なんです。そういうことでありますから、十分御検討の上、あらためて御答弁をいただきたい。
私の
質問の
趣旨をもう少しはっきり申し上げます。私は、この点を明らかにするために、わが国の
審査制度の沿革をごく簡単に述べる必要があると思うんです。戦前の
審査制度は覆審である。つまり、
審査の
段階で課税処分をやり直すという
制度であったんです。でありますから、
審査の
段階でかえって更生
決定よりも税金がふえるということがあった。それでありますから、
納税者はそういうことがおそろしいから、
審査請求をやめておこうというような傾向が非常にあったわけです。
行政裁判所の判例でもそれを認めておった。ところが、昭和二十四年でありますが、私が弁護士登録をして一番初めの事件、これは富士産業の戦補税事件で、このとき東京
国税庁の
審査決定に
不服で会社が訴訟を起こしたのですが、私はそのときの代理人なんです。私は、その訴状において、どうも大蔵省の
やり方は
審査請求の本質を間違えておる、
審査というものは
納税者の救済手段でなくちゃならないのに、それを課税のやり直しのようなつもりで
税務署の
決定よりも
金額をふやすなんていうことは本質を間違えておるじゃないかと、こういうことを私は主張した。しかも、法文の
解釈としては、もとの戦前の租税法では、「
審査ノ
請求アリタルトキハ之ヲ
決定ス」と書いてあった。これを
決定するというのは、
審査請求の正当かどうかを
決定する
意味に読むほかないんじゃないかと私はそのとき主張したんです。そうすると、そのときの池田
大蔵大臣と平田主税局長が私の訴状を読みまして、これは確かにこのとおりだ、従来の大蔵省の
やり方は間違っておるということを
大蔵大臣と主税局長が認めまして、それで、これから通達も変えるけれども、しかし永久に大蔵省が再び同じような間違いを起こさないために
法律を改正するといって改正した法案が、昭和二十五年のあの税法の改正なんです。このときに
審査の
決定はどういう形をとるかというと、ちょうど今度の
法律と
内容は同じなんです。
審査の
請求が
理由がないときは棄却する、
理由があるときは原処分を全部または一部を取り消しまたは変更する、もうそれ以外にやりようのないように
法律を改正した。その後、この
規定は、税法からはずれて
行政不服審査法のほうへ移ったようですが、今度またこれを税法に取り上げられる。私は、もちろん、これが正しいのであり、そのたてまえに
異議があるはずはない、そういうことを主張した発頭人の一人ですから、賛成なんです。ことに、今度は
審判所という名前がついた。いままで
国税局長がやる場合にも、私どもは、覆審でなく
審判でなくちゃいかぬということをその当時から主張している。今度はもう
審判所と名前まで変わっちゃったのでありますから、今度の
審判所というものは第二の
税務署であっちゃならない、
税務署系統の官庁と全く離れた立場の
行政庁でなくちゃならぬ、これが第一です。
それからさらに、私は、法の
解釈上、私の言うとおりになるということを申し上げてみたいんですが、私どもが納税
申告する場合には、ただばく然と百万円の所得がありましたといって
申告はしません。あの大蔵省の示したような課税原因の種類によって、たとえば事業所得、営業所得、配当所得、あるいは不動産の譲渡所得とか、山林所得とか、そういうふうなように種類ごとにこの項目では幾らの所得がありました、合計幾らありましたから、幾ら税金を納めますというのがわれわれの納税
申告の
内容なんです。それで、
税務署がこれを
更正する場合があるとすれば、
更正する場合もただばく然としてトータルの
金額を
更正するのじゃない。おまえの
申告の中で、この種類のこの所得
申告はこう間違っておる、こういうのが
税務署の
更正決定であることは、これは私が言うまでもない。でありますから、
申告納税にしても、
更正あるいは
決定にいたしましても、所得の種類ごとに
申告し、あるいは
決定し、そしてトータルの納税額というものはただ計算の結果にすぎない、これはお認めでしょう。それで、今度の新しい税法を見ましても、第八十七条には
審査請求にあたっては「
審査請求の
趣旨及び
理由」を提出するとなっておりますから、
自分は営業所得でこれこれしか所得がないのに、
税務署はこれだけ多くの所得がありとして
更正をしたから
不服である、こういうのが
審査請求の
趣旨及び
理由である。それから第九十三条には、
税務当局は
審判所のほうへ
審査請求に対する答弁書を出さなくちゃいけない。その
法律の
規定によると、「答弁書には、
審査請求の
趣旨及び
理由に対応して、原処分庁の主張を記載しなければならない。」と、こう書いてある。だから、
審査請求が営業所得の見積もりが多過ぎたと、こういうことで
請求書が出ておれば、その営業所得の評価は間違っていないと、こういうことを出すのが
審査請求の
趣旨及び
理由に対応しての原処分庁の主張でなくてはならない。そこで
審判所における論戦の土俵がきまるのです。その土俵の中で
審判所は行司の役目をして、どちらの主張が正しいかということを
判断するのが裁決である。これがすなわち
審判である。土俵にのぼっていないところの課税原因を取り上げて、そうしてトータルの納税額においてはやっぱりおまえはこれだけの税金の納める義務かあったというようなことを言うのは、
審査請求人の主張にも処分庁の答弁書にもない問題を取り上げて勝負をするのであるから、土俵の外で勝負したことになってしまう。私は、こういうことは、
法律のたてまえ上、あり得ざることだと思うんです。もし、こういうことが認められて、
審判所で新しい証拠によって他の課税原因による
納税義務があるということを
判断し、これによって
請求人の
請求を棄却して原処分を維持したということになりますと、たとえば営業所得でなしに不動産譲渡所得があったという
理由で
審判所が原処分を維持したとなると、不動産譲渡所得の課税原因については
納税者は
異議の
申し立ても
審査の
請求もできない。この
異議申し立て、
審査請求という二段の手続において弁護し防御するということができないままに裁決されることになるのである。まあその次に裁判はありますけれども、かように
法律がりっぱに認めた二
段階の救済手段というものを奪い取って、その
段階の救済をすることができずに一足飛びに裁判に行くというようなことは、これはもちろん
法律の精神を逸脱するものである、こういうふうに私は思うのです。それから大蔵省としても、たとえば営業所得で、
納税者は五十万円の所得だ、
税務署は石万円の所得だといって争った。ところが、不動産譲渡所得が二百万円あったという場合です。そうすると、もし不動産護渡所得を
審判所でとり上げて、そうして不利益変更にならない限りでその
納税義務を認めたならば、不動産譲渡所得の利益はごく一部しか税金は取れない。こんなばかげたことはないと思う。
審判所としては、堂々と営業所得のあるかないか、どちらの主張が正しいかによって
決定を下して、大蔵省は、だれがどの
段階で発見しようと、新しい脱税事実を発見したら、あらためて
決定をすればよろしい。納税は一事不再理ではないから、何度でもできるのです。何を好んで当然取れる
金額を一部まけなくちゃならないような徴税をするのですか。私は、この点は、
衆議院の附帯決議の二の(2)は、
審判所の運用の心がまえ、方針として期待している。これは
法律解釈ととしていまのような場合にはできない、こういうことが私の
意見であります。これは非常にあり得ることなんです、実は。二十五年の法改正後においてなお大蔵省が間違えた例があるんです。私はそのことを知っているから、今度もまたこれだけの
法律改正をしてもなおかつ大蔵省は伝統のあれにとらわれて間違いをおかすことがありはしないかと思うから、こういう
質問をするのです。これは非常に大きな問題でありますから、ひとつ大蔵省、
国税庁はよく研究された上、あらためて適当な時期に御答弁いただきたい。