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木村禧八郎君 いや、そうなると、
特別会計に直接繰り入れないという論拠は非常に薄くなってくると思うですね。それはまあ
あとで御
質問しますが、もう一つだけ、先ほどの
松井委員の
質問に対して
大蔵大臣がお
答えになったのですが、そのお
答えについて私は疑問があるんですがね。と申しますのは、この
交付税制度はシャウプ税制改正から出てきたわけですね。それで、御
承知のように、
地方財政平衡交付金がその前身ですわね。ところが、
平衡交付金は、理論的に言えば、基準
財政需要に対して基準
財政収入が足りない場合に、これを国がめんどう見るというたてまえですよね。それで、いわゆる
財政民主主義のたてまえから、貧困県についても、富裕県と、たとえば教育なんかについては同じ行政水準を保障してやる。富裕県の児童も貧困県の児童も同じ義務教育を受けさせなければいわゆる民主主義の原則に反するというので、経済力の乏しい貧困県には先ほど
相沢さんが言われました配分をするわけですね。それがたてまえでしょう。ですから、理論的に言えば、
平衡交付金制度を持っていけば
地方財政の赤字なんか
ほんとうは出るはずがない。
しかし、実際には政府が
平衡交付金というものを
予算できめちゃって、
あとそれに右へならえしてやりましたから、むしろ逆に非常に赤字が出まして、当時、私は、
平衡交付金を
交付税に切りかえるときに、私は
地方行政委員ではございませんでしたから、
予算委員会でいろいろ
委員の
質問を聞き、
大臣の
答弁を聞いておったのですが、そのときはいまと非常に事情が違いまして、最近ではものすごい好景気になりましたね。神武景気、イザナギ景気で好景気になりますから、三税の
収入が非常にふえる。その三二%だから、
交付税はどんどんふえるわけですよ。
交付金に切りかえた当時は、そういうような状況じゃなかったですね。理論的に言えば、
地方がこの赤字に対して国が見るべきだということを主張してまいりますれば、あの
平衡交付金制度のたてまえからいって、あるいは積み上げで要求してくれば、国が
交付税を
地方の赤字を解消するためにどんどんふやさなきゃならぬわけですね。あの当時は、
地方のいわゆる民主的要求というものは非常に強く出てきたんですよ。それで、むしろそれを押える
意味でいわゆるあてがいぶちと言ったものですよ。あのころそういう
議論があったですよ、あてがいぶちだと。それで、もう三税の何%に限ると、それ以上
地方自治体がおやりになりたいのなら
地方自治体
自身の
財源でおやりなさい、国はもう三税の何%で打ち切るというんです。もちろん、必要なる場合は
交付税率を改正してよろしいという
法律にはなっておりますけれ
どもね。
ですから、そういう経過から見まして、むしろ国庫補助金のように使途が特定してないという
意味では、いわゆる一般
財源と言いますね、普通。
自主財源と言うのは私は当たっていないと思います。一般
財源とは言います。それは、国庫補助金は使途がきまっていますね。ところが、
交付税は使途がきまっていない。
地方自治体にこれを交付したときにはそれこそ自主的に使えると、こういう
意味では一般
財源と呼んでいるんですね。
自主財源となると、やっぱり国の
法律によっていわゆる制限されるんですから。そこで、正しい
意味での
自主財源ということにはいかないわけですね。そこのところが少し違うんですよ。
大蔵大臣と
考え方がね。だから、補助金と
交付税と違うという
意味では、それは自主性がありますよ、
交付税のほうは。
しかし、そうだからといって、
地方税ですね、あるいは
地方自治体の手数料とかその他の
収入、そういうものとは違いますわな、
交付税は。そういう
意味では、
ほんとうの
意味の
自主財源ではない、われわれそういうふうに解釈しているんですがね。ですから、たとえば
地方自治体の
地方財政の自主性がどの程度に確保されたかされないかを判定する場合の基礎としては、われわれは一応
交付税は除くんですよ、一般
財源としてはこれは入れますが。それから起債も除きますよ。ですから
地方税と、それから
地方自治体の手数料とかその他の雑
収入、そういうものは
自主財源になりますけれ
ども、その点は少し違うようですね。
どうなんです。景気がいいから、いままでふえているから、あまり問題にされなかったと思うんですけれ
ども、
平衡交付金が
交付税に切りかえられたときの経過を
考えますと、むしろ押えようという意図があったんじゃないですか。その後景気がよかったから、ふえたから、問題はあまりなかったが、その経緯はどうなっているんですか。