○
参考人(
萩野昇君)
萩野でございます。一番最後の証人でございます。若干重複する点もございますが、私が今日まで
対馬、
安中における
患者の
発生状態、その
地区の
カドミウムの
汚染状況との因果
関係、こういうことについて御説明申し上げたいと思います。
今日までに
対馬に一回、
安中に二回出かけまして、その
地区の
患者をつぶさに
調査したのでございます。
富山の
イタイイタイ病の
原因が
カドミウムであり、その排出源が神岡鉱業所であるのでございますから、他の
地区の同種
鉱山の川下には当然同種
患者が
発生しても不思議じゃないのでございます。まず
結論から御説明したいと思います。お手元に配付いたしました附表第一、
患者の状態でございますが、
富山は重症でございます。現在、
富山県の認定では重症だけを
イタイイタイ病と認定しておられるようでございます。
対馬は中等症、
安中はまあ軽症と申しますか、そのようでございます。
鉱山のキャリアから申しますと、
富山の
イタイイタイ病の
カドミウムの
発生源である
神岡鉱山のキャリアは九十年でございます。
対馬の対州鉱業所は二十年プラスアルファ、
安中は二十年ぐらいでございます。
カドミウムによる
汚染の
方向は、
富山は水質汚濁でございます。
対馬も水質汚濁、それに若干大気
汚染がまじっております。
安中は大気
汚染が
主体でございまして、水質汚濁もまじっております。
カドミウムのおもなる侵入経路は、
富山は消化器から入っております。
対馬もやはり消化器を通して入っております。
安中は呼吸器からも相当量入っているようでございます。
カドミウムのおもなる侵入方法でございますが、
富山は水と米、
対馬は水と米、そのほかにイモとか、ハクサイとか、野菜が相当
原因をなしています。
安中はオカボである麦、野菜、そのほか米、水が最後にきているようでございます。先ほど、前
参考人もお話しになりましたが、食べものの中で何が一番
関係があるかと申しますと、
イカやバイなど、これは副食でございます。相当量でございましても、毎日食うものじゃございません。米は、その土地の百姓が保有米にとりまして、朝から晩まで三百六十五日食っております。ここに私は、米とほかの副
食物との、
原因物質を含む
含有量、その他食生活で大きな問題があるのじゃないか、こういうふうに思っておりますが、
富山の場合には一ないし一・二
PPMでございます。対照は〇・〇七
PPM。〇・四四
PPMから三・三六
PPMの間にあるようでございます。
対馬は平均〇・七一
PPM。〇・三三
PPMから一・五七
PPMの間にあるようでございます。
安中は〇・四九
PPM、これは平均値でございます。最高は〇・九八
PPMでございます。
このような状態でございます。これから詳細にひとつこれを御説明申し上げたいと思っております。
対馬のほうへは、
昭和三十九年の九月に、ここに御同席の
小林教授のお供をいたしまして私は参ったのでございます。
対馬の東邦亜鉛の対州鉱業所のすぐ横、下流にあります樫根部落に一宮アサさんという
患者がいたのでございます。私は
小林教授と一緒にこの一宮アサさんをおたずねをいたしまして、詳しくからだを見せていただきましたが、その臨床症状は
富山の
イタイイタイ病と全くそっくりでございました。そこで、見たけれ
ども、
イタイイタイ病であったというのじゃ、どなたも御信用いただけないと思いましたから、この
患者をリヤカーに乗せまして、そうして対州鉱業所の診療所まで運びまして、ここで
レントゲン写真をとっていただき、その他の検査をしたのでございますが、この一宮アサさんは、まことにりっぱな
イタイイタイ病でございました。しかし、
富山の
イタイイタイ病よりは軽症でございます。これが若干話題になったようでございます。
この一宮アサさんが私
たちに言いますには、私の部落のすぐそばの永瀬トヨさんが昨年の五月十三日になくなったのだけれ
ども、私と全く症状が一緒だった。そうすれば、永瀬トヨさんもやっぱり
イタイイタイ病だったのじゃないだろうかということを言いましたので、その永瀬トヨさんはどこにかかっていたかと聞きますと、厳原町の協立医院にかかっていた、こういう答えがありましたから、私
たちはさっそくその協立医院に出かけまして、永瀬トヨさんの
レントゲン写真があるかないか確かめましたところが、あるというので出していただいたのでございます。これは宝の山でございました。見たところ、やっぱり
イタイイタイ病の
所見がございました。すなわち、われわれは、その時点において生きている一人のりっぱな
イタイイタイ病患者、すでに死亡はしておりますけれ
ども、
イタイイタイ病患者の症状を残しておる
レントゲン写真を
発見したのであります。この樫根部落の井戸水の中から、
小林教授は大量の
カドミウムを検出されたのでございます。この井戸水を毎日
飲料水として使用していました一宮アサさんは
イタイイタイ病になったのでございます。また、永瀬トヨさんもその井戸水を使用していたのでございます。これらの井戸水は、私
たちが帰りましてから、どういう意味か知りませんが、対州鉱業所からの指示によって、工場からコンクリートの支給をされて閉鎖させております。しかし、水はもちろん、米、野菜、イモ、それらの植物は一切現在でも
汚染されているのでございます。
安中には二回
調査に参っております。第一回は四十年の三月、第二回は四十四年の三月、実は先月でございます。第一回のときは、地理不案内でございまして、事前
調査も不十分のために、
患者見みることもできないで、要領を得ないまま帰えらざるを得なかったのでございます。第二回の先月は、
安中市の碓氷病院で、ここに御同席の
高柳先生の御協力を得て、私は多数の
患者をつぶさに拝見したのでございます。そのデータは目下整理中でございますので、軽々しくいまここでその成績を申し上げるわけにはまいらないのでございます。しかし、現在の状態から、このまま放置すれば、遠からず重症である
イタイイタイ病患者が
発生する危険があるということを、二十数
年間イタイイタイ病と取っ組んでまいりました私が御報告できることは事実でございます。
しからば、
カドミウムなどの
公害病は一体どのように
発生してくるのか、これを簡単に御説明いたしたいと思いますが、第一、
原因物質が直接に呼吸器を通して体内に入る。この代表例は四日市
公害でございます。大気
汚染によりまして、植物も人間もともにおかされるのでございます。しかし、
公害が悪臭のために予期されますので、生命の危険に陥るということは比較的少ないのでございます。二、
原因物質が中間宿主を介して腸管を通して
人体内に入る。この代表例は水俣病でございます。工場排水によりまして、水質が
汚染、汚濁され、有機水銀は中間宿主である魚や貝類の体内に入り、それを通して
人体内に入ってまいりますが、味覚を減ずることがございませんので、知らず知らずのうちにこれをたくさん食べ、重症となってまいります。三、
原因物質が直接に、また間接に中間宿主を介して
人体内に入る混合型。これが
イタイイタイ病でございます。
カドミウムが水から直接に、また米を介しまして間接に体内に入りますから、慢性的経過をたどり、
原因が非常にわかりにくく、死亡者も多いのでございます。四、
原因物質が呼吸器を通して直接に、また腸管を通って間接に
人体内に入る。これが
安中の
公害でございます。
ここで
イタイイタイ病の御説明を申し上げますが、
イタイイタイ病という病気は、
カドミウムに
汚染された土地に住み、この土地の水を飲み、この土地の米を食べ、この土地でとれた魚を食い、この土地でお産をいたしまして、この土地に三十年のキャリアを有する婦人が主としておかされて
発病する病気でございます。
それなら、
イタイイタイ病をどういうふうに分類すればいいのかと申しますと、
発病から死亡までの経過、まだこれが
イタイイタイ病であるかどうか判断がつかないような軽い状態、全身の骨が七十二ヵ所もぼきぼき折れて、痛い痛と言って死んでいく、これまでの経過を五期に分けております。この第四期までは海外文献にもあるのでございますが、私は一期つけ加えまして、私の分類といたしまして、五期に分けております。第一期、潜伏期。農繁期や過労のあと、腰や足の痛みが起こり、入浴や休養により軽快する。特に
所見はない。ごく初期でございます。第二期は警戒期。疼痛は著明になってまいりまして、歯頸部に黄色の
カドミウム・リングがあらわれる。尿の
たん白はプラス、プラス・マイナス、マイナス等がモールスの符号のように出没してまいります。第三期は疼痛期。全身に疼痛が著明になってまいりまして、特に恥骨部落痛が特徴としてあらわれてまいります。全身の骨の萎縮、脱灰が著名となり、貧血が出てまいります。つまり、疼痛と骨の萎縮脱灰と貧血、これを私は
イタイイタイ病のトリアスと申しております。特有の歩行、すなわちバッチルガング
——アヒルがおしりを振って歩くようなかっこうを示してまいります。
レントゲン写真を見ますと、骨粗鬆症となっております。尿
たん白は常に
陽性となってきて、尿糖もあらわれてき、プラス・マイナスもあらわれてまいります。第四期は骨格変形期。この時期になりますと、疼痛はますます激烈になってまいりまして、歩くこともできなくなる。脊椎の圧迫のために身長は短縮してまいりまして、三十センチぐらい縮んでまいります。レントゲンで見ますと、ミルクマン症候群、骨の湾曲、骨改変層、ハート型骨盤というような、りっぱな条件がそろってまいりまして、これを
骨軟化症といっております。尿の蛋白や糖は常に
陽性となっております。第五期、骨折期。この時期が実に悲惨になってまいります。骨の萎縮、脱灰は高度となり、あたかもボール紙を巻いたようになって、自然骨折を起こしてまいります。自動車事故、スキー、がけから落ちて骨が折れるのではございません。便所に行くときに、畳のへりにつまずいて足の骨を折るのでございます。
このような状態でございますが、いま私がこの三
地区を調べてみますと、
富山は、四期、五期の重症がこれに当たっております。
対馬は二期、三期の状態でございます。
安中は一期、二期に当たるのではないだろうか。と申しますと、
鉱山のキャリア、住む人のキャリア、三十年のキャリアといいますと、四期、五期が三十年のキャリアになってまいります。二期、三期でございますと二十年のキャリア。その他の状況で、一期、二期の状態でまだ進行中であるというように私考えたい。
しからば、これらの一期、二期、三期、四期、五期の相違はどこからくるか。これを
研究するためには、
カドミウムの
発生源である
関係鉱業所の歴史も調べてみる必要があるのでございます。
富山の場合は、上流の神岡鉱業所のキャリアは九十年と申しましたけれ
ども、神岡鉱業所の歴史は養老
年間から七百二十年でございます。以来非常に長いのでございまして、明治七年に三井財閥の一環となってからは年々隆盛をきわめ、大東亜戦争の間は軍管理工場として軍の監督を受け、増産を続けてまいりました。つまり明治七年から数えまして九十年くらいのキャリアになるわけでございます。
対馬の東邦亜鉛対州鉱業所は、キャリアは二十年プラスアルファといたしましたが、千三百年の昔から、藤原時代の昔から産銀
鉱山として栄えたのでございます。大正
年間はスイス人のC・ファーブルが経営して、ベルギーに送鉱していたようであります。
昭和十四年になりましてから
日本亜鉛がこれを買収いたしまして、
昭和十六年に東邦亜鉛と改名しております。
昭和十八年に浮遊選鉱となったのでございますが、大東亜戦争で重油配給がないために休山いたしました。戦後再開いたしますが、二十二年に製錬所を全焼し、二十三年に再建いたしております。しかし、その規模は
神岡鉱山よりも
はるかに小さく、戦争中に重油配給さえもらえなかった。そうして
汚染地区もまた小範囲なのでございます。
昭和二十三年以来のキャリアは二十年でございますけれ
ども、戦争で休山したその昔の実績を加えますと、二十年プラスアルファとなるのでございます。
安中は、この東邦亜鉛の製錬所がございますが、これはキャリア二十年。
昭和十二年に
日本亜鉛株式会社製錬所として設立をしまして、
最初はベルギーから原料を輸入いたしますが、間もなく中止し、次いでオーストラリアから
鉱石を輸入、電気亜鉛の製錬をしておりました。
昭和十六年に東邦亜鉛と改名されましたが、十七年には戦争のため
鉱石輸入が途絶し、しようがございませんので、廃品回収のしんちゅうから銅をとってこれを製錬しておりました。
昭和二十三年の九月に対州
鉱山から出たところの原料を運んでまいりまして、電気亜鉛と
カドミウムの製錬を開始しております。現在では、カナダ、南米から原料を三万トン、
対馬からは二千トン、これらで仕事を進めておりますので、
昭和二十三年から考えるべきであって、キャリアを二十年といたしております。このキャリアが、先ほど御説明しましたように、
患者発生に寄与しておるようでございます。つまり、三十年のキャリアがない、だからまだ
患者発生には至らない、しかし、
患者を
発生させつつあるというこの事実でございます
で
安中の場合は、工場の排煙が大きな
原因となっております。
安中工場は、御存じのように、神岡鉱業所とは異なりまして、乾燥様式をとって、水蒸気で盛んに水分を蒸発さしており、工場排水よりも工場排煙の影響が大きいのではないだろうか。工場排水による場合は、その排水によって、かんがいされる水穂の根から水を通して
カドミウムが吸収されるのでございますが、オカボである麦や野菜には比較的
カドミウムが入りにくいのでございます。これに反しまして、排煙からの大気
汚染によります
安中では、米の中の
カドミウムは比較的少なく、麦、野菜、桑の葉などが
カドミウムを多く吸収して全滅しているようでございます。そういう
関係から、
専門家による検査対象は、
神通川の前例をならうことなく、米でなくて、麦や野菜や桑の葉などを
調査していただかなければならないんじゃないかと思っております。その理由は、工場排水の影響の全く考えられない製錬所の裏の小高い丘陵地、野殿
地区の桑の木がすっかり枯れて、これを食べた蚕は糸を吐かなくなって死んだようでございます。
さらに、詳細に
安中工場へ入って検査いたしますと、あの危険な第一次鉱滓が野積みにされておる。雨ざらしになっておるのでございます。正門を入りまして左手の小高いところに、あふれ落ちんばかりの第一次鉱滓が野ざらしになっておる。雨が降ればどうなる。もし台風が来たら一体どうなる。この鉱滓は流れ出して工場排水となります。つまり、そこに含まれておる
カドミウムが流れ出るのでございます。工場排水は延長放流をしてあるとはいうものの、先ほどの御説明のように、その途中でこの汚水は地下に漏れて、そしてほかの水に入ってきておる、こういうデータが出ているようでございます。
次に、私
たちの行ないました
安中の
検診におきましては、一部ではございますが、肺のある部分に、結核とも思われない、けい肺とも思われないような、ふしぎな陰影を私は見たのでございます。言わしていただけば、「
カドミウム肺」であるのじゃないか。もちろん、この推定の
証明は、その
患者の死亡後、死体解剖によりまして、詳しく肺を上中下それぞれ別個に調べまして、その部分に
カドミウムが特に多いというようなことを定量
分析しなければ断定できないのでございます。また、骨盤大腿部の
写真をとってみますと、ちょうど
富山の
イタイイタイ病患者の初期の場合に出るウンバウツオーネのごく始まりじゃないかと思われるような
所見が認められるのでございます。しかし、もちろん今後の精査を要するのでございます。
で、一方、
群馬県で実施されました
安中地区の
検診では、右の上腕肩甲部の
レントゲン写真をとっておるようでございますけれ
ども、一番大事な骨盤大腿部の
写真はとってないようでございます。もし、こういうことでございますと、確実な診断を下すことはできないのでございます。また先ほど申しましたように、
カドミウムの米の中の定量は十分してあるようでございますが、一番必要な野菜や桑の葉、こういうような定量はしてしないようでございます。
公害病は、近代医学におきましても一番新しい未開発な疾患でございます。御存じのように、産業の発展とともに
発生してきた疾患でございます。
カドミウムが水に溶けて直接に、また、食べものを通して間接に
人体内に入り、腸管を通して体内に入り、各部、各臓器をおかすのでございます。特に骨を著しくおかして、あのような悲惨な
イタイイタイ病になるのでございます。このことは世界においても初めてのことでございます。このアブノーマルな事実が
日本で初めて起こり、
富山で初めて
発見されたのでございます。
カドミウムの粉末が気管、肺を通して
人体内に入り、中毒を起こしたという例は、
日本以外の他の国でも報告されておりますが、その
患者数はごく少数でございまして、一例報告の範囲を出ないのでございます。そういう事情でございますから、まだまだこういう疾患の
研究は不十分な点が多いのでございます。
私、先ほどからここでも出ておりましたが、三月二十七日の、
厚生省より
発表されました
カドミウム汚染についての
見解を拝見いたしましたが、若干その
調査方法において、本日私がここで指摘しましたような
調査不十分な点があるのではないであろうか。もしそのようなことがあるとすれば、そのようなデータで
結論をお下しいただいては危険があるのではないか。私
たちは、
イタイイタイ病の
研究に二十数年を費やしております。
小林教授の御尽力によりまして、動かすべからざるデータを学会に
発表し、そうして冨山の
イタイイタイ病は
公害病と認定になったのでございます。もし、いまこれと同じような不幸なことが
日本の国の他の
地区で起こったら、これはたいへんなことだと心配いたしております。
時間がございませんから、
結論を申し上げたいと思います。
対馬も
安中も
カドミウムに
汚染されております。そうして、この
汚染された
地区に
患者が
発生しつつあります。
富山のように、手足の骨が七十二ヵ所もポキポキ折れるあの悲惨な末期の重症
イタイイタイ病患者が出てしまってからでは、時期はすでにおそきに失するのでございます。いたずらに
住民に不安を与えないという政治的配慮はまことにけっこうなことでございまして、私も全く同感でございます。しかし、そのために正しい学問が少しでもゆがめられることのないようにお願いしたいのでございます。予防医学は、
患者発生防止にあらゆる手段を尽くしていただきたいと思います。政治は、国民の健康を守るために、
公害の防止にき然たる態度をとっていただかなければならないと思っております。
終わらしていただきます。