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国務大臣(
愛知揆一君) 去る三日から五日までバンコクにおきまして第四回の東南アジア開発閣僚会議が開催せられまして、私、それに出席いたしてまいりました。概略を御
報告申し上げたいと存じます。
形式ばった御
報告を申し上げますよりも、私の受けました印象を中心にしてお話を申し上げることのほうがよろしいかと思いますので、お許しをいただいて、さように運ばせていただきます。
この会議は第四回目になりましたが、最初は、そもそもが
日本の発意でこの会議が持たれるようになったわけでございます。で、初めは「ゆかたがけ」ということばが
日本語で使われたようでございますが、ゆかたがけの気持ちで、参加国が隔意のないいろいろの意見を交換し合おうということで始まったようでございますが、まあ二回、三回ともなれば、一面、会議としての性格もだんだん明らかになってくるし、また、参加国が熱心であればあるほど、やはり、ゆかたがけでは済まなくなってきておるように、私は第四回の会議を前にして、さような感じを持ってまいりましたが、さような感じが当たっておったような気もいたします。一口に申しまして、非常に真摯であり、また建設的であり、また、各国の持ち出す意見や提案というものが、ゆかたがけなんということではなくて、もっと非常に真剣である。ゆかたがけが真剣でないという意味ではございませんが、私の率直な感じではそういうふうな感じを受けたわけでございます。
政治的に申しますと、今回の会議にカンボジアが参加したということは、私は一つの大きな意義ではないか。ことにタイ国のバンコクにおいてタイ国が主催者として行ないましたこの第四回の会議にカンボジアが、オブザーバーという形ではありますけれども、積極的に参加をいたしまして、シアヌーク殿下の右腕といわれるような人が積極的に参加をして仲間入りをし、かつ、一人の仲間として大いにひとつ努力を新たにいたしましょうという態度を示しましたことは、特に意義のあったことかと思います。
全般的に申しますと、まず、
日本の立場でございますけれども、
日本といたしましては、前にも当委員会でも私申しましたように、対外援助協力というようなことが、従来はいわば賠償というようなものが本体になって経過してまいりましたが、賠償はまあいわば
一般落した。そういう意味でも一つの転機を迎えておるわけであります。同時に、
日本といたしましては、よくいわれるように、国民総生産ということから言えば世界の非常に優位に位するようになりました。もし最近数年間のような成長を続けてまいりますならば、一九八〇年にはもう六千数百億ドルというようなGNPになるという大蔵省等の試算があるくらいでございます。これは参ります前に
関係大臣にもいろいろ意見を聞いたわけでございますけれども、まあ、控え目に見ても、一九八〇年ごろになれば五千億ドルぐらいのところには、
日本のGNPは、いまの調子でいけばいくであろうというのが大体の
関係閣僚の見通しでございますから、これを前提にして
考えてみることができるほど
日本としても伸びてきたので——現状ははるかにそれに及んでおりませんけれども——一九七〇年代には、ひとつ
日本も建設的に新しい
考え方に立って、アジア全体の再建といいますか、民生の向上のために努力をする用意があるという姿勢で参ったわけでございます。しかし、これは同時に、とらえようによっては非常にむずかしい微妙な問題でございます。私としては、そうした
経済協力とかあるいは援助というようなものは、受けるほうが、また同時に、まず第一に平和的な目的でなければならない、合理的な計画でなければならない、効果的でなければならない。しかも、できるならば、アジアといいますか、今度の場合は東南アジアでありますけれども、東南アジアの地域協力ということで、地域を総合した全体が共存共栄できるような、できるならば一つの構想というものが協力の上に盛り上がって、いわば適地適業、国によって、この国はこういう点で発展をする、こういう国はこういうことでやる。どこの国も同じような
経済発展計画を持つのでは、いわば効果的でもないし、合理的でもない。総合的な力を発揮しながら総合的に発展をしていくということの、何かそういうムードを盛り上げ、かつ、具体的にそういう道を歩けるようにしたいものだというような
考え方を
関係国の
人たちに訴えたいという気持ちで参ったわけでございます。あまり一人よがりにいいことばかりを申し上げるようにお聞き取りになるかもしれませんが、私から言えば、幸いにして各国がそれぞれ
日本に対して、おれんとこはこれをこうやってくれ、おれんとこには、こうやってくれというようなことが予想したようには出てまいりませんで、確かに地域協力、地域総合計画ということが第一であるという
考え方、あるいは連帯的な
考え方というものがかなり強まってきたというふうに私には見取れました。たとえば、その具体的なあらわれとしては、今度の会議を通じまして、まあ冗談めいたことを申し上げて恐縮なんでございますが、一番もてたのはアジア開発銀行、いわゆるアジ銀であり、その総裁である渡辺君が一番もてたと申し上げても間違いないと思います。それは、この参加各国の間にはこういう気持ちがあるわけです。四回目の会議になったけれども、その中で一つの大きな成果は、われわれの要望によって、あるいはわれわれの手によってアジ銀というものができた。なるほど、これには
アメリカの出資もあるが、
日本も同様の出資をしている。あるいは今後も先進国がわれわれのやり方いかんによってはもっと出資もしてくれるだろう。われわれのつくったこの組織によってわれわれの発展の道が期待できる。そこで、いまの総合的な計画というようなことも、ひとつ今後アジ銀に期待することは、融資とか投資とかいう本来の職分のほかに、場合によっては、われわれのコンサルタントになってほしい。また、地域を総合した
経済計画の立案というようなことにもひとつ積極的な働きを期待したい。もちろんエカフェとかそのほかの従来の機構もたくさんございますが、そことコーオディネートするにしても、われわれが一国一国でそういうことを求めるよりも、こういうふうなわれわれのつくった——と彼らは言っているわけですが、——このアジア開銀というようなものにそういう場合の働き手にひとつなってもらいたい。これは長い長いコミュニケが出たわけでございますが、その中にも随所にその思想があらわれております。また、具体的にアジ銀に対するそういった意味の期待ということもあります。そうして、閣僚会議自身としても、一年に一回でございますから、その間において一九〇〇年代のビジョンづくりというか、計画性のあるようなものについて、あるいは諮問委員会とか、ワーキング・グループだとか、そういうものを働かせて、そういうところと協調
関係に立ちたいというようなことが随所にあらわれておると思うわけでございます。
それからもう一つ申し上げたいと思いますのは、これは国会の中の御議論にもよくあらわれるわけでございますけれども、
日本の立場として非常に大事なことは、もう具体的にずばりと申し上げますが、
アメリカがいままでアジアの
経済建設に相当の力を入れてきた。しかし、オーバーコミットメントで、これを今後は減らすと、そこで
日本を肩がわりに使う。
アメリカがそういうふうに
日本を使う。
日本はやむを得ずそれに従ってアジアの建設に乗り出したのだと、こういうふうな発想は私はとりたくないと思うのです。先ほど申しましたように、
日本とアジアの
関係から申しましても、いままでは賠償ということが中心になっておった。それから一つの転機に来ている。そうして、同時に、
日本としての
経済の繁栄というものも、もちろん国内には幾多の問題を残してはおりますけれども、やはりGNPが相当な
程度になっているということは客観的な事実であります。それから、
日本は平和憲法によって軍事力による協力というようなことは
考えられない。
考えてはいけない。そういう点から言えば、
日本が、主体的な立場からいっても、この新しい世代に対して、私はアジアの建設に対して相応の協力、あるいは相応の犠牲を払うことは当然過ぎるくらい当然じゃなかろうかと。私は、主体的に
日本の立場でそういうものの
考え方をしていきたいし、それがまた非援助国にも私は理解してもらえる環境じゃないだろうかと、かように
考えるわけであります。したがって、先ほども申しましたように、
日本が、二国間の
経済協力ということはもちろん必要でありますし、やらなければなりませんが、同時に、たとえば一つの、アジ銀だけを言うわけではございませんが、そういうものを通して中立化させ、そこから協力してできる計画の上に、みんなの合意のもとに金を使ってもらうというような方式をだんだんに
考えていくのが望ましいのではないか、こういうふうな
考え方でございます。たまたま、国連におきましても一九七〇年代というものは発展途上国の時代であるという
趣旨のことが、いろいろの委員会の中でも出ておりますから、これに照応することからいいましても、
日本のとるべき態度じゃなかろうかと思います。まあ、そういったような
考え方は、ある
程度の私は共感を受けたように思います。そうしてまた、具体的にも、メコン川下流地域のメコンデルタの開発というようなことは、国境を越えて東南アジアの国の
人たちから支持を受けているわけでありますし、また、
漁業の問題などにいたしましても、
漁業センターというものは、すでにこの会議の結果において、農業特別基金とともにすでに発足した組織でございます。
それから、今後におきましては、少し範囲が広くなりますけれども、人口問題というものがやはり東南アジア地域で大きな問題になっております。また、医学的な教育とか訓練を含むところの医学の分野での協力、経験の交換というようなことも、やはり総合的な組織力によってこそ
ほんとうの効果を発揮できるのではなかろうか。この面については、新しくこれからお互いに作業グループをつくって、そこで今後の行き方を
考えるということになっております。
まあ、きわめて大ざっぱで、かつ、書類につくってお話しするような
報告から離れまして、率直な感じあるいはてまえみそのことを申し上げて恐縮でございますが、大体そういうふうな感じでございましたが、そこで、やっぱりこれからは私もますます
日本としても責任が大きいと思うのでありますけれども、いま申しましたようなばく然たる空気とか抽象的な
考え方だけではなくて、ひとつ外務省におきまして、これから一九七〇年代に処する、
日本の大きく言えば
経済外交のあり方、もう少し具体的に言えば、いわゆる
経済協力のやり方についての
考え方というものをできるだけ早急に取りまとめて、そして
関係各省の協力を求め、また、国会等にも御
報告をして御支持を得、御批判をいただけるようにいたしたい、かように
考えておりますが、よろしくまたその節はお願いをいたしたいと思います。
以上で、まことにざっぱくでございますけれども、御
報告を終わります。