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参考人(
守屋治君) お呼びをいただきまして
北海道からはせ参じました
北海道領土復帰北方漁業対策本部長の
守屋でございます。
諸先生におかれましては、国政いよいよ御多端のおりからますます御健勝に国務に御精励を賜わりまして、特に
北方領土問題
審議のために本
特別委員会を御設置いただきまして、さらには、本日、
沖繩及び
北方問題に関する
特別委員会が開催されるにあたりまして、現地
北海道の意見を申し上げる機会をお与えくださいましたことに対しまして、五百万道民心から厚くお礼を申し上げる次第でございます。
さて、このたび
北海道民多年の懸案であり、御要望申し上げてまいりました
北方領土問題解決促進のための特殊法人を設立し、
北方領土の早期復帰の実現をはかるとともに、
北方領土問題未解決に伴う
北方問題の解決の御推進を賜わりますことは、これはひとり引き揚げ島民ばかりでなく
北海道民が二十数年間にわたりまして叫び続けてまいりました心からの願いに対しにわかに光明が点ぜられたような思いがいたしまして、感激おくあたわないところでございます。
北方領土問題に関しましては、せっかくの機会でございますので申し上げたい点が非常に多うございますが、時間の制約等もございますので、二、三の点にしぼって申し上げさしていただきたい、このように存ずるわけでございます。
私はこれからの陳述に先立ちまして、ごく最近の事例の一、二を申し上げまして御
参考に供したいと、このように存ずるわけでございます。
昨年七月十一日のことでございます。根室市汐見町天満谷光雄、四十五才が
色丹島穴潤の病院で自殺をした件でございます。天満谷はカニ漁船第七永運丸に通信士として乗船をしておった乗組員でございますが、六月七日に拿捕されまして、後七月九日に盲腸炎のために手術をいたしたわけでございますが、七月十一日の夕方のことでございます。当時盲腸の状況は非常によい状態になって、ほとんど回復の状態になっておったということでございますが、夕方、一緒に入っておりましたソ連の兵隊が三名外出をしておるほんの数分の間に縊死
——首つりをして自殺をしたということでございます。越えてちょうど二週間くらいたちましてから、七月二十五日に巡視船「ゆうばり」でその遺体の引き取りをしたわけでございますが、この遺体が道から腹のところにかけて解剖したあとがあって、それを包帯で厳重に包んであったそうでございますが、この遺体を迎えましたところの妻は、私の夫は決して自殺をするような人ではありません。あんなに子供の成長を楽しみにしていたのにと、岸壁で泣きくずれました。二十歳になるところの長女は、首や体に
生活反応が出ているからといってどうして総死したということが言えるでしょうか、首を絞めても
生活反応は出るんではないでしょうかと、こうしたような疑問がいま根室の浜辺には満ちあふれております。
また、あるいは御承知かとも思いますが、数年前に、病院で自殺をしたという漁夫が一年たったあとにミイラとなって引き取られたといったようなこともございます。また、昨年の十二月十一日のことでございますが
——ちょっと長くなりますので、異質の例を申し上げます。
次に、暮れも押し詰まった十二月十九日のことでございますが、
色丹島で釈放されました第五幸宝丸の事件でございます。これは山下一郎という五十八歳になる船長の乗っておった船でございますが、そのほか一名の者が帰ってきましたが、甲板員である金子喜一郎、四十四歳は抑留されたままで帰ってまいりませんでした。そのいきさつは、実は船長が、自分は老齢だし、しかも自分たちがそういうような責任者であるということがわかったら抑留されるので、君がかわって抑留されてくれないかと、こう口説き落とされまして、本人は向こうの地に残ったわけでございます。他の者は釈放されて、家族が迎えましたが、妻は、私や大きい子供たちは納得いたしましたが、しかし、小さい子供、六つの子供がおりますが、この子供は、お父さん、いつ帰ってくるのか、お正月には一緒に楽しくお正月をしようとあんなに言っていたのにと、こういったような状態で、家族じゅうが泣きくれているといったようなこともございます。
また、ごく最近のことでございますが、
択捉島にいました蘂取の村長の岩田末吉という人のことでございますが、岩田末吉さんは大正十二年五月に島に渡ったわけでございますが、その後岩田さんは
昭和二十二年の十月二日に強制引き揚げによって帰ってまいりました。このとき岩田さんは自分の兄の遺骨を胸に抱き、背中に村民の戸籍台帳だけを背負って帰ってまいりました。私どもが訪れましたときにも、岩田さんは、自分たちの村民を無国籍、無籍者にはしたくはなかったんだ。だから財産
一つも特たずに帰ってきました。そう言ってことばがとぎれるほどの状態でございました。この岩田さんが二月の初旬になくなったんですが、なくなるときのことばに、早く村民を島に帰したいな、こう言って息を引き取ったということを私どもお聞きしまして、何か、引き揚げの島民の方たちが墓標をかついで
生活をしている、こういったような感に迫られているわけでございます。
こうしたことは実は
北海道や
北方の海域におきましては、非常に多くの人道的事件が発生しているわけでございますが、おそらくこういったようなことは全国的にも報道されませんし、また、諸先生方のお耳にも達していないところではなかろうかと、このように思うわけでございますが、日本の
領土が、そして
北海道の一部が分断されているために、こうしたような事象が次々と起こっているわけでございます。これらの問題を背景にいたしまして、
北方領土問題の解決についてどうぞ先生方の御
審議をよろしくお願い申し上げたいと思うわけでございます。
そこで私は
最初に、
北方地域に対する統治権と国内
行政措置に対する統一見解について特に申し上げたいと存ずるわけでございます。
わが国の
領土であるところの
歯舞、
色丹、
国後、
択捉につきましては、
わが国の統治権はあるが、事実上ソ連が占拠していることによりまして行政権の行使が妨げられている
地域でございます。
昭和四十三年一月一日、根室市が
歯舞群島の地番を
改正するにあたりまして
政府の見解に示されましたように、
わが国の主権が及んでいるので地番の
改正は合法である。また、本年度から国土地理院発行の地図表記上の明示や、都道府県市区町村別面積調べに取り上げられ、また、
北海道の面積に算入されるということになったわけでございますが、こうして国内の
行政措置がそれぞれお進めいただいていることにつきましては、
北海道民ひとしく感謝を申し上げている点でございます。しかし、
昭和四十二年八月二十八日から三十一日まで、ちょうど戦後二十二年目でございますが、参議院
沖繩等
特別委員会から初めて第一回の
調査団が派遣されたわけでございます。
北海道五百万道民は、まず諸先生方においでいただく、このことに非常に感激をしたわけでございます。さらに諸懸案
事項の解決を促進することと、挙党一致をもって復帰運動を進めるということについてのかたいお約束を実はその当時いただいたわけでございます。当時、新聞紙上にこのことが一斉に掲げられまして、
北方領土問題の解決が非常に早く進むんだという大きな期待に
北海道民は胸をふくらませたわけでございます。また、八月三十日に、巡視船「ゆうばり」によりまして
北方海域の視察をされたわけでございますが、先生方の目前で
わが国の漁船がソ連監視船のために臨検にあうといったような事態が起こったわけでございます。また、続いておいでいただきました
衆議院の
調査団の諸先生方の
北方海域御視察中に、巡視船上空をソ連の飛行機が飛行するという事態がございまして、
北方領土問題のきびしさを身をもって御体験されたわけでございます。それからすでに二年たちました。国内の
行政措置に対する方針は、私ども
北海道側から見ますと、まことに恐縮な言い分でございますが、どうもまちまちではないか、このように
一つは思うわけでございます。統一されていないばかりでなくて、基本的な方針に一貫性を欠くうらみがあると、このように思うわけでございます。すなわち、一、二の例をあげますならば、かねて島民から強い要望があり、さきに根室市花咲小泉秀吉外から提出されました
色丹島への転籍届に対しまして、「
色丹、
国後、
択捉島への転籍届は
受理すべきではない」との法務省回答が寄せられたのでございます。もしこれが、「
北方地域については、日本
領土とされているが日本の統治権が及んでいない」との御見解に基づくものでありますならば、
わが国の主張をみずから放棄するものとなり、問題視されなければならないのではなかろうか、こう思うものであります。
また、この
地域における不動産登記
事務の再開にあたりましても、立ち入りの
調査であるとか、あるいは分筆であるとか、現在の台張の保存状態、あるいは戸籍簿との関連におけるところの相続権者など、困難を伴うところの問題はあるにいたしましても、解決策の明示を早急にすべきであり、戦後二十五年になんなんとして放置せらるべきものではないと、私どもはこのように考えるわけでございます。
地図につきましても、地図上に国境線を明示することを避けるとの回答でございますが、これは領海問題などのためにそのような
措置をとられるということでございますけれども、地図上に国境線を明示したからといいまして、領海上不利益な結果を招来するものとは私どもは思わないわけでございます。また、むしろ国益上これを明示することが各国におけるところの実情ではないかと思いますし、
学校の教育やあるいはまた国民理解の上からも急を要する問題ではなかろうかと、このように思うわけでございます。
さらに、
歯舞群島の呼称等につきましても、従来、水路国であるとかあるいは海国などでは、
歯舞諸島、水晶諸島とも呼びまして、土地の人は珸瑶瑁諸島などと呼んでおったわけでございます。あるいは、ときとしましては
色丹島とともに
色丹列島とも呼ばれたこともございます。しかし、
昭和二十一年
——一九四六年一月二十九日の連合国最高司令部覚書によりまして政治上、行政上、日本
本土から分離されるにあたりまして「
歯舞群島」の呼称が用いられ、自来この呼称を用いておるわけでございます。また、
北方地域に関係するところの現行
法令は約四十ございますが、これらはすべて「
歯舞群島」の名称を使っているわけでございます。しかしながら、国土地理院発行の地図上の表記におきましては「
歯舞諸島」とされているわけでございます。したがって、文部省の検定済み教科書やあるいは地理附図等におきましても「
歯舞諸島」としているわけでございます。このことは、上記
法令はもちろんでございますが、同じく文部省所管にかかわるところの関係
法令であります文部省組織令、教育職員
免許法、教育職員
免許法施行規則には「
歯舞群島」と用いているわけでございます。すなわち、
学校教育と社会教育、児童生徒の学習指導と教育職員関係
法令等との矛盾が指摘されるわけでございます。
そこで、結論を申し上げますならば、
わが国の
領土であり、
わが国の統治権を主張する以上、日本国
領土としての主張を施政
対象の面から見ても明確にすることが必要であると、かように思うわけでございます。したがって、検疫、出入国、関税など、国内の秩序やあるいは防疫など、何らかの規制を要するものにつきましては別でございますが、これらを除きまして、国内
行政措置として
実施可能なものはすべて国内法を及ぼし整備するとの基本的見解をぜひおとりいただきますことを強く要望するものでございます。これらのことは、内政面における国内
行政措置として一貫した整備がなされるばかりでなく、日本
領土としての対外的対抗
措置として国益を守る最大の要件であると、かように思うわけでございます。
次に、
北方領土復帰に対する国民世論の統一という点について申し述べさしていただきたいと思います。
申すまでもなく、日ソ間における
北方領土問題解決のためには、統一された国民世論の高揚を背景とする強力なる
政府の外交交渉にまつほかはないと、私どもかたく信じておるものでございます。
従来、
北方領土につきましては、南方に比し国民の関心がきわめて低調であり、その運動もローカルな
北海道的範囲を脱し得なかったものでございます。それと申しますのも、従来、
北方領土に関しましては国民に周知されてないといったようなことでございます。そのため、その範囲や問題点などにつきましても理解、認識が浅く、また、運動する団体も、引き揚げ島民や
北海道にある
領土復帰団体
並びに
北海道庁や根室市など、主として民間団体や地方自治体の善意と努力にゆだねられていたわけでございます。
沖繩につきましては、戦後二十三年目
——昨年初めて主席公選の実現を見たのでありますが、これに対しましても、きわめておそきに失したとの声を聞くわけでございます。さらに、
沖繩に対しましては歴代の
外務大臣あるいは
総務長官の恒例の視察がございました。さらには総理の視察が行なわれたわけでございます。しかし、
北方領土については実態はいかになっておったでございましょうか。同じく二十三年目の昨年、初めて
総務長官の御視察をいただいたわけでございます。このことに対しまして、島民はもちろん、
北海道民はあげて感激をしたのであります。あまりにも私は格差があると、このように考えるわけでございます。また、昨年来、要路の方々は「
沖縄の次は
北方領土」という発言をしばしばされるわけであります。私ども、こうした発想に対しましては、悲しみよりもむしろ憤りの心を表明せざるを得ないわけでございます。
沖繩も竹島も
北方領土も、失地の回復は同列であるべきだと、このように考えているわけでございます。どの指も切れば血が出てひとしく痛むはずではございませんか。私ども、
北方領土の地位は
沖繩よりもむしろ高いものであるという理解をしているものでございます。したがって、方法、時期など、
技術的な関係は別といたしまして、「
沖繩とともに」という発想でお取り上げをいただくように切にお願いを申し上げる次第でございます。
領土は民族の母胎といわれております。
領土を軽んじた民族の衰亡は世界歴史の明らかにするところでございます。たとえ一片の岩石、一個の土くれでありましても、
領土はその民族生成の歴史の象徴として、国家遺産として守らなければならないと考えるものでございます。まして
北方領土は日本離島のうち至近の距離にあり、貝殻島はわずかに三千七百メートルでございます。水晶島が七キロメートル、
国後島におきましてもわずかに十六キロよりございません。これほど近い島々は国内いずれの
地域にもないことでございます。また、その広ぼうは日本五大離島のうち第一位と第二位とを占めているのでございます。さらに資源の豊富なことは、千百二十三キロメートルという長大なる海岸線の延長とともに、随一の
地域であることはすでに周知されているところでございます。
このたびの特殊法人の設置は、国民世論の結集の成否を断ずるものと私どもはかたく信じ、せっかく御設置をいただく本
協会がその責務を完全に果たし、
北方領土復帰の早期実現を期することが最も必要であり、かつ、急を要する統一された国民世論の結集への国内体制の整備が必要であると、このように思うわけでございます。そのために何よりも強く要請されますことは、
北方領土復帰に対する範囲や
返還要求の方法など、各政党間の意思統一をぜひ早急にお願いしたいというのが
北海道民の切望でございます。国民世論を代表し、国民の師表と仰がれ、最高的指導地位にあられる諸先生方の意思の統一がなくして、どうして国民にその最大公約数を求めることができましょうか。
領土の問題につきましては、政党の政策から願わくは超党派的な国策へと止揚されまして、小異を捨てて大同につき、国民の向かうべき方向をお示しいただくことが、日本歴史に断層をつくらないためにきわめて重要かつ決定的要素であると信じまして、
北海道民あげて切望しておりますことをここに申し上げて、あえて率直にお願いを申すわけでございます。たまたま本年秋には、第二回日ソ定期協議にグロムイコ・ソ連外相の来日が予定されております。また、いたずらに国論の分裂から、外侮りを受けてはならないと私どもは思うわけでございます。さらに、日ソ共同宣言から十三年たち、最近の
漁業交渉等に見るごとく、
領土問題の未解決がネックになっていると思われるような日ソ間の懸案を抜本的に解決することが必要ではなかろうかと、こう思うわけでございます。申すまでもなく、国際民主主義の時代におきましては民族の世論は武力にもまさるといわれているのであります。もう時間は私は急を要求していると、このように思うわけでございます。本
法案をスタートさせるにあたりまして、諸先生方の御英知が国の運命を左右することに思いをいたされまして、ぜひ本
特別委員会の御決断をお願いいたすものであります。
以上私の意見を申し上げまして、御拝聴を心から感謝申し上げます。