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加瀬完君 いまね、金をいままで出してきて、赤字がそれでも出てきて金が出し切れないんだという御
説明なら一応うなずけるのです。公社にまかせっぱなしでおいて、どのように赤字が出ても国がさっぱりめんどうを見なかったということがそれでよろしいかと、公共性などといったって、公共性はさっぱり重視されておらないじゃないか。
国鉄の
説明でも、国のやるべき公共投資を
国鉄がかぶったために赤字が出ているということを言っておる。あなたは明治時代は黒字であったから金がかからなかったと言うけれども、明治三十九年十月一日から明治四十年九月三十日までに、大体その当時の国の予算は四億二、三千万でした。ところがいわゆる
日本国有鉄道を買収するために国が出した金は四億三千万、一年の予算にも匹敵するような、一年の財政規模にも匹敵するような金を出して民営を国営に買収しているのですよ。そういうようにもう破天荒な金を出しているのです。ですから、私は公社にしたのが悪いとかいいとか言っているのではない。しかし、公社にして企業性というものを重視して、あなたのおっしゃるように能率化や合理化というのをやってみて、いまの
国鉄総裁のように熱心な方がやってみても赤字が出る。だから、それだけで解決がつかないのだから、これはもとの官営主義のもう体質をそのまま遺伝しているわけだから、これは国のほうでめんどう見なければ
国鉄にまかしてもどうにもならないものだという性格をはっきりと把握しない限り、赤字の解消というものはできませんよ。その認識がないと言うんですよ。いままでもうかったからという、
あとで言いますけれども、いままでもうかったからと言うけれども、三十九年ごろからは必ずしももうかっておらないでしょう。そのときに一つも手当てをしないで、赤字が重なってどうにもにっちもさっちもいかなくなって十年計画といっても、この前の手当ての責任というものをのがれるわけにはまいりませんよ。それを私は申し上げておるわけです。いまの大臣や政務次官は、私のときは一生懸命やりましたからと言う。これから実現をすれば、この
法案が通れば幾らかそういう言い分は通るでしょう。いままで何をやったかということを聞いても、赤字はきのうやきょう出たわけじゃない。いままでの赤字を政府が手当てをすれば何とかなった場面も多々あるのに、それを見のがしてきたのはどういうことか、責任をのがれるわけにはいかない。だから、歴代の
内閣の
運輸行政というものはゼロだと言われたってやむを得ないだろう。明治の人のほうがはるかに出し惜しまず
国鉄の社会性というものを認めておる。公社に肩がわりをさして、責任だけをかぶせておいて、何も手当てをしないということが、
国鉄の赤字の最大の原因ですよ、と私は申し上げておるわけです。十二分に
国鉄に対していままでの
運輸行政が責任を果たしましたと言い切れますか。果たさなかったから、これから一生懸命やっていきますと言うことはわかりますが、いままではどうです、いままで。あなたがどうこうじゃなくて、いままでどうです。これは大臣に答えてもらおう。