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岡田(春)
分科員 わかりました。それじゃ、
人員を含めて
修正をせざるを得ないという御
答弁であったと
理解いたします。
時間がたいへん制限されておりますので、実はもっと伺いたいのですけれども、続いて次に入ります。
これはたいへん重要な問題ですけれども、警察庁並びに外務省、来ていましょうか。——来ていますか。
これは
防衛庁長官にもぜひお聞きをいただきたい問題ですが、立川基地の周辺で、発煙筒とピストルの発射事件がこの間、起こっている。これはもうたいへん重大な問題なんで、かつてジラード事件というのもありましただけに、人命を殺傷する危険性がある。幸いにして今度の場合にはけが人も出ておりませんけれども、こういう重大問題でございますので、ぜひお聞きをいただきたいと思います。
実はここに証拠書類も持ってきております。
あとで地図でごらんに入れますけれども、事件の概略を先に申し上げます。
起こった場所は、立川の基地のちょうど北の端、滑走路のちょうど正面のところの基地のさくの外側、基地のさくの外から十メートルばかりのところで、場所は青木良一さんという人が持っておられる農地の中に起こった事件です。この農地の中に現在、
一般に称して砂川反戦ざんごうという半地下式の
建造物がある。この
建造物並びにその付近に事件が発生をしたわけであります。
事件に至る経過を簡単に申し上げますと、去る二月の二日に——今月の二日ですね。「立川から基地をなくす市民の会」という会ほか、その他の基地反対の各団体が参加をいたしまして、この砂川反戦塹壕と基地のさくとの間に実は数本の旗を立てました。この旗に対して連続的に妨害が行なわれている。どうもこの妨害というのが調べてみたところ、
アメリカ側のしわざらしい。そういう理由は、旗を掲揚して以来、再三
アメリカの軍用機が故意にいろんなじゃまをする。こういうことが行なわれているだけではなくて、夜になるとガソリンをかけて旗をおろして焼いてしまったりする。また
自衛隊のYS11がわざわざこれを上から航空写真で写したりしている。まあ日米共同で妨害行動をやっているというような動きが実はありまして、こういう点についてはこの
関係者のほうから立川署に再三これを訴えております。しかし、立川署としてはこれに対してどの
程度調べたものかわかりませんが、誠意ある取り調べが行なわれておりません。ところが、二月九日の午後九時三十分ごろ、その基地の中におりました
アメリカ兵の運転する自動車から突然に砂川反戦ざんごうに向けて発煙筒二個が投げられた。ちょうどそのときざんごうから外に出て用を足しておりました「立川から基地をなくす市民の会」の事務
局長森田邦守君が見ておりまして、直ちに火をとめましたものですから、これは大事に至りませんでした。その事件が起こりましてからわずか七、八分
あとに立川署のパトカーが参りまして、火事があったんですかといってたずねてまいりました。七、八分後でたいへん手回しがいいので、どうしてわかったのだと聞いたら、立川の本署から連絡があった、こういうように言ってきたそうですが、立川の本署には、実はこのざんごうのほうからは何らの連絡はいたしておらなかったのに、突然こういうようにあらわれた。パトカーの中には五名の立川署員が乗っておって、その署員の一人は伊藤衛という巡査、外四名でありました。そういうような事件があって、
あとでまた現場で御
説明いたしますが、こういう事件があった。
その次が第二の事件として、二月十八日の午後八時四十分ごろ、同じくざんごうのうしろでこの森田邦守君が、旗が盗まれるものだから、夜見張りに立っておった。ところが、滑走路前を往復している
アメリカの大型車から、この行き帰りに突然ピストルのようなもので二発の発射を受けた。一発はこのざんごうの屋根に当たった。もう一発は同君の右耳をかすめて通った。こういうような事件がありました。この大型車には四名の
アメリカの兵隊が乗っておって、この滑走路からの光線の
関係で四名の米兵の動きがよくわかるのだそうでありますが、一人の男が腰を浮かしてねらいを定めて撃つ
状態がよく見えたのであります。こういうことからいって、明らかに
アメリカの兵隊が基地内からこういうようにピストルを発射したという事実は、これは明らかに本人からいっても確認ができるわけなんです。こういう点は、実はきわめて重大な問題なので、市民の会としては立川署に訴えるとともに、立川基地の
米軍の六一〇〇空軍憲兵中隊にこれを抗議したけれども、いまだにどちらからも誠意ある取り調べの回答がない、こういう
状態であります。
これは地図も持ってまいりましたが、簡単に申し上げると——
長官、ごらんいただきたい。ちょっとどなたか端を持ってください。滑走路がこれで、基地のさくがこうです。委員の方に見えないけれども、かんべんしてください。ざんごうがここにあるわけです。旗をこういうように立てましたね。最初のこれは発煙筒のときですが、九時三十分ごろこちらのほうから来て、最初はここへぶつけた。それから第二回目はここへぶつけた。これはこの下の枯れ草が火事になった。
あとでごらんに入れます。これが実は二月の九日の事件です。
十八日の事件は、同じように、ざんごうはこうあって、車が八時三十分ごろこう来まして、ここでピストルを撃っているわけです。これが屋根に当たったわけです。そしてここに先ほど申し上げた森田君という人が立っておりましたら、この車がこう行って、ここでUターンをして戻りがけにまた一発撃って、右の耳のふちを通ったというような事件が実は起こっているわけです。
これは、そういう事実がないというようなことを実は立川の基地の
米軍の
関係は言っておりますけれども、これは証拠をごらんに入れるとおわかりいただけるのですが、ちょっとあぶないのだそうです。まだ入っている。
これが発煙筒の最初のほうで、これは焼けて燃えてしまったやつ。これが不発に終わって、こっちがあぶないのだそうです。これは不発でまだ粉がぼろぼろこぼれますが、これは明らかに、発煙筒の中にAN−M8SMOKE・HC、それから下のほうに数字で1021・32・18、こういう番号が入っておって、これはアリメカの発煙筒であることは間違いないわけです。
そのために、これをどうも証拠物として取られては困ると思ったらしくて、この最初の事件の起こった日には再三これをアリメカの兵隊もさがしておったようですし、警察側も再三これをさがしておったようです。たとえば、二月十日の午前二時に、基地内からはアリメカの自動車でずっとさがすと同時に、それに並行して立川の署員だと思われる
日本の警察署員が、基地のさく外のところを三名で懐中電燈を照らしながらこうやってさがして歩いたのを、そのざんごうの中にいる見張りの人がうしろからつけて、あなた何しているのだと言ったら、たいへんてれくさそうな顔をして、いや何もしているわけではないと言ってごまかしたような事実があがっているわけです。
こういうような事実もはっきりしておりますので、私はまずここで伺いたいのは、この点について警察側はいかなる調査を行なったのか。この点からひとつ伺ってまいりたいと思います。