運営者 Bitlet 姉妹サービス
使い方 FAQ このサイトについて | login

1969-02-07 第61回国会 衆議院 予算委員会 第6号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十四年二月七日(金曜日)     午前十時七分開議  出席委員    委員長 荒舩清十郎君    理事 櫻内 義雄君 理事 田中 龍夫君    理事 塚原 俊郎君 理事 中野 四郎君    理事 八木 徹雄君 理事 大原  亨君    理事 中澤 茂一君 理事 小平  忠君    理事 広沢 直樹君       足立 篤郎君    相川 勝六君       赤澤 正道君    植木庚子郎君       臼井 莊一君    江崎 真澄君       上林山榮吉君    仮谷 忠男君       川崎 秀二君    倉成  正君       小坂善太郎君    重政 誠之君       田中伊三次君    竹内 黎一君       永田 亮一君    灘尾 弘吉君       西村 直己君    野原 正勝君       橋本龍太郎君    福田  一君       船田  中君    松浦周太郎君       松野 頼三君    角屋堅次郎君       川崎 寛治君    北山 愛郎君       久保 三郎君    阪上安太郎君       田中 武夫君    高田 富之君       楯 兼次郎君    楢崎弥之助君       畑   和君    山内  広君       山中 吾郎君    永末 英一君       石田幸四郎君    鈴切 康雄君       林  百郎君  出席国務大臣         内閣総理大臣  佐藤 榮作君         法 務 大 臣 西郷吉之助君         外 務 大 臣 愛知 揆一君         大 蔵 大 臣 福田 赳夫君         文 部 大 臣 坂田 道太君         厚 生 大 臣 斎藤  昇君         農 林 大 臣 長谷川四郎君         通商産業大臣  大平 正芳君         運 輸 大 臣 原田  憲君         郵 政 大 臣 河本 敏夫君         労 働 大 臣 原 健三郎君         建 設 大 臣 坪川 信三君         自 治 大 臣         北海道開発庁長         官       野田 武夫君         国 務 大 臣         (内閣官房長         官)      保利  茂君         国 務 大 臣         (総理府総務長         官)      床次 徳二君         国 務 大 臣         (国家公安委員         会委員長)         (行政管理庁長         官)      荒木萬壽夫君         国 務 大 臣         (防衛庁長官) 有田 喜一君         国 務 大 臣         (経済企画庁長         官)      菅野和太郎君         国 務 大 臣         (科学技術庁長         官)      木内 四郎君  出席政府委員         内閣法制局長官 高辻 正巳君         内閣法制次長  吉國 一郎君         内閣法制局第一         部長      真田 秀夫君         人事院総裁   佐藤 達夫君         人事院事務総局         給与局長    尾崎 朝夷君         内閣総理大臣官         房陸上交通安全         調査室長    宮崎 清文君         警察庁交通局長 鈴木 光一君         警察庁警備局長 川島 広守君         行政管理庁行政         管理局長    河合 三良君         防衛庁装備局長 蒲谷 友芳君         防衛施設庁長官 山上 信重君         防衛施設庁総務         部長      鐘江 士郎君         防衛施設庁総務         部会計課長   高橋 定夫君         防衛施設庁施設         部長      鶴崎  敏君         経済企画庁国民         生活局長    八塚 陽介君         経済企画庁総合         計画局長    鹿野 義夫君         経済企画庁総合         開発局長    宮崎  仁君         大蔵省主計局長 鳩山威一郎君         大蔵省主税局長 吉國 二郎君         大蔵省銀行局長 澄田  智君         国税庁長官   亀徳 正之君         文部大臣官房会         計課長     安養寺重夫君         文部省大学学術         局長      村山 松雄君         文部省社会教育         局長      福原 匡彦君         文部省管理局長 岩間英太郎君         農林大臣官房長 大和田啓気君         農林省農林経済         局長      亀長 友義君         食糧庁長官   檜垣徳太郎君         林野庁長官   片山 正英君         水産庁長官   森本  修君         通商産業省企業         局長      大慈彌嘉久君         通商産業省公益         事業局長    本田 早苗君         運輸省海運局長 澤  雄次君         運輸省船舶局長 佐藤美津雄君         運輸省港湾局長 宮崎 茂一君         運輸省鉄道監督         局長      町田  直君         運輸省自動車局         長       黒住 忠行君         運輸省航空局長 手塚 良成君         気象庁長官   柴田 淑次君         労働大臣官房長 岡部 實夫君         労働省労政局長 松永 正男君         労働省労働基準         局長      和田 勝美君         労働省職業安定         局長      村上 茂利君         建設省計画局長 川島  博君         建設省都市局長 竹内 藤男君         建設省道路局長 蓑輪健二郎君         建設省住宅局長 大津留 温君         自治省行政局長 長野 士郎君         自治省財政局長 細郷 道一君         自治省税務局長 松島 五郎君  委員外出席者         日本国有鉄道総         裁       石田 禮助君         日本国有鉄道副         総裁      磯崎  叡君         日本開発銀行総         裁       石原 周夫君         専  門  員 大沢  実君     ————————————— 二月七日  委員野田卯一君、塚本二郎君及び矢野絢也君辞  任につき、その補欠として永田亮一君、永末英  一君及び鈴切康雄君が議長指名委員に選任  された。 同日  委員永田亮一君辞任につき、その補欠として野  田卯一君が議長指名委員に選任された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  昭和四十四年度一般会計予算  昭和四十四年度特別会計予算  昭和四十四年度政府関係機関予算      ————◇—————
  2. 荒舩清十郎

    ○荒舩委員長 これより会議を開きます。  昭和四十四年度一般会計予算昭和四十四年度特別会計予算昭和四十四年度政府関係機関予算、以上三案を一括して議題とし、総括質疑を行ないます。阪上安太郎君。
  3. 阪上安太郎

    阪上委員 きょう私は、社会党を代表いたしまして、主として国内問題に焦点をしぼって御質問申し上げます。  総理の過般の施政方針演説で、次のようなことを総理は言っておられます。  その一つは、「すでにわれわれは、都市問題、農村人口流出、大学問題など、急激な社会の変化に直面しています。」それからまた、「所得税中心に、国税、地方税を通じ平年度約二千六百億円の減税を行なうとともに、住宅及び土地関係税制改善合理化をはかることといたしました。」さらに、「交通事故による死傷者の増加、住宅問題などは、急速な経済発展都市化の進行の過程で生じた人間疎外の要因であります。」それからさらに、「過密過疎問題は、いまや国土全体にまたがる総合的な視野から解決への方向を見出すべきであります。全国にわたって新しい交通通信情報網を整備し、各地域の特性に応じた開発事業を進め、魅力ある広域生活圏を展望する新総合開発計画を策定し、均衡のとれた国土開発をはかってまいります。」こういうふうに言っておられます。  そこで、私、最初にお伺いいたしたいのは、過密過疎一般にいわれておりますけれども、その概念が明確になっておりません。一体過密とは何か、過疎とは何か、きわめて初歩的な問題でありますけれども、これにつきましてひとつ御見解を伺いたい、かように思っております。そこで、まことに失礼ではありますけれども一体過密とは何か、過疎とは何か、これについてお伺いいたします。
  4. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 最近の経済発展昭和三十年代とかように申してもいいですが、この年代における経済の急激な発展があった。そうしてその経済発展をささえているもの、それはやはり片一方で都市化という、そういう形であらわれておる。その都市化があらわれるが、同時にまた、その都市化を形成するためのそのもとは一体何か。これは、地方から出ていく、そこでいわゆる過密過疎、こういう現象が生じてくる。国内の現象でありますが、いまのようないわゆる経済の急激な発展、その結果招来した現象ではないか、かように私は見ております。
  5. 阪上安太郎

    阪上委員 御答弁いただいたのでありますけれども、どうもはっきりつかんでおられないように思う。過密過疎化等現象というものがいかにいま国民生活をゆさぶっておるかというようなことから考えてまいりますると、いま少しく深い御理解があってもいいのじゃなかろうか、こういうふうに考えるわけでありまして、何か都市化することが過密現象であり、過疎現象であり、それを引き起こしているのだ、こういうようなふうにもとれるわけでありますが、一体都市化は善なんですか、悪なんですか。私は、必ずしも都市化過密過疎を起こしている、こういうようには考えないのでありまして、そこのところをもう少し明確に言ってもらいたい。
  6. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 私の説明したのはその原因でございます。  そこで、それじゃいまの出ている過密過疎対策というものは、それぞれの施策がこれに伴っておれば、都市化が悪いというわけじゃなくて、むしろその利点だけは大きく取り上げるべきだ、かように思いますが、しかし、それに対する対策が、急激な現象であっただけにとても対応ができておらない。中には基本的な問題もありますが、また、根本的にいままでのような考え方でなしにこの対策と取り組まないと、都市化現象過密化現象、これが非常にわれわれに不幸を与えておる、いわゆる人間疎外になっている、こういうことがあるだろうと思います。  でありますから、原因と現状とこれからの対策と、三つに分けてそれぞれのお尋ねがあるだろうと思って、実はその一つだけお答えしたので、たいへん御不満のようですが、私のつかんでいるのは、そういうふうに思います。したがって、すべての対策がうまくいっておれば、たいへんけっこうな世の中にもなる、かように思います。
  7. 阪上安太郎

    阪上委員 多少ここで私の意見も入れてみたいと思いますが、私は、過密過疎が起こってきたのは、都市化だけではない。都市化だけでは、なるほど人口とか産業とかいうものがある地域に過度に集中する、あるいは農村人口が減る、これは当然でありましょうけれども、問題はその都市化にあるのじゃなくして、やはり都市化を進めながら、それに対していま総理がおっしゃったように都市化から出てくる弊害、要するに農村人口が減り過ぎる、都市人口がふえ過ぎる、この過ぎるところに過密過疎の問題が起こってくるのだ、こういうように私は考えるのであります。したがって問題は、社会経済発展に伴い、あるいは高度経済成長に伴って、人口があるところへ集中する、あるところはまばらになる、そのこと自体が過密現象でもなければ過疎現象でもない。発生の原因は、どうしてもやはりそこに政策の不足があったのじゃないか、これを防止していく政策というものが欠除しておった。そこに、私は、やはり過密現象が起こり過疎現象が起こった、こういうふうに考えておるわけです。  そこで、過密現象でありますけれども、これはやはり、ことばをかえて言うならば、対策としては、これは都市問題じゃないか。それから過疎現象でありますけれども、これはやはり農村対策の問題じゃなかろうか、こういうふうに考えるわけであります。  で、都市問題とは一体何かということになってまいりますると、これはやはり都市における都市機能が麻痺していく、これが過密現象である。人口産業がただ都市に集まる、集中するから、だから都市問題が起こるのじゃなくして、過度に集中するから起こるんだ、こういうことでなかろうかと思うのであります。農村の場合も同様に過度に減少していくから農村生活機能というものが麻痺していく、ここにやはり過疎現象というものが起こっておるのである、これがやはり問題である、こういうふうに考えなければいけないので、私といたしましては、問題は、過密過疎に対処する、もっと的確に言いますと、都市化に対処する政策というものが欠けておったために今日の過密現象過疎現象は起こっておるのだ、こういうように理解すべきだと思うのであります。  いままで長い間、こういった都市化というものを必然的なものと認めておりながら、高度経済成長政策を進めていく限りにおいては当然起こってくる問題なのでありますから、どうしていままでこれを放置されておったか、この点について私は、政府に責任があるのじゃないか、こういうように思いますが、どうでしょうか。
  8. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 ただいま私、まあ非常に簡単に申し上げましたが、急激なそういう都市化現象がある、したがって諸施策がそれに対応していくことができなかった、こういうところに欠陥があるんだ、触れたつもりでございます。  申すまでもなく、予算にはこれはもうちゃんと限度があるというか、その中でどんどんそれに対応するいわゆる交通問題あるいは住宅問題、あるいは公害問題等々を処理していかなければならないのですから、そういうところに無理がきている。それかといって、それじゃ都市化現象を押えるような、差し控えるような政策を別途とるということは、これはむしろ逆行する方向でもありますから、むしろその現象方向にいくものだ、それでもそれに対する対策を十分とらなければならぬが、いま申し上げるように限度があるんだ、かように私は理解しております。別にそれぞれのものがこの問題を等閑に付したわけではない。国会におきましてもしばしばこれに対する対策が述べられ、また、政府の所信もその都度聞かれており、政府からもそれについては懇切に答えてきた、かように私は思います。ただ、現実の問題とつかんでいること、これは一応納得がいくだろうと思いますが、対策に十分な点がなかった、これは御指摘のとおりであります。
  9. 阪上安太郎

    阪上委員 年々歳々公共事業その他でもって、都市対策とかあるいは農村対策についてある程度のことはやってきた、私もそれは認めますよ。したがって、なおざりにしておったのではない。それも私は認めましょう。  しかし、問題はそれじゃなくして、私はウエートの問題だと思うのであります。端的にいいますと、高度経済成長政策、いわゆる経済中心産業政策、これに力点が置かれておって、そうしていま今日、過疎過密といわれておる問題であるところの農村に住む人間生活問題であるとか、都市に住む人間生活問題、こういった社会開発方向というものを忘れておったところに問題があった、こういうふうに総理、考えていただかぬと、ただ単に施政方針演説でうたってあるじゃないかとか、予算で多少組んであるじゃないかとか、こういうものの言い方では私はこの問題は解決しないと思う。  私は特に強調したいのは、高度経済成長政策を推進するために産業政策本位でやってきた、これは実際問題として事実でしょう。あなたが、やはり強く要望されておる社会資本の充実という問題は、それは結局はスローガンだけに終わってしまっておる。全然やってないとは言いませんよ。全然やってないとは言いませんけれども力点の置き方が違っておったのじゃないかということを私は言っておるのです。ここのところをもう一ぺん御答弁願いたい。
  10. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 力点の置き方が違ったのじゃないかと言われるが、私が社会開発をいち早く指標にして努力していることは御承知のとおりであります。とにかく、わが国の力というか経済成長の力というのは、これはすばらしいものだ、私どもの考えるより以上のすばらしいものがあるから、だれにしても今日のような急激な都市化現象が行なわれるとは思わないだろうし、また、年々歳々あれだけの高度の経済成長が続くとはなかなか考えないだろう、かように思います。しかし同時に、経済成長の陰に幾多のひずみを生じている、そのことも指摘済みであります。そのひずみを是正するというのがやはりわれわれの政治的課題でもある。  そういうふうに考えますと、いまの力点は十分認識し、それに力を置きながらも、どうも思うにまかせないものがある。そこらに、これはいまのただ単に予算ばかりじゃありません、これは基本的にはずいぶん関係するところの範囲も広いのです。いままで地域住民、そういう立場から地方団体の長もやられた方ですからよく御承知のことだと思いますが、最近起こっておるような、たとえば公害問題だとかあるいは住宅問題だとかあるいは通勤関係だとか、これなどは現制度のこの狭い範囲ではなかなか片づかない。そういう意味では、新しい観点に立ってやはり制度も改善していかなければならないが、それなどはおくれておる。やはりそういうことも念頭に置きながら、ただいま対策を立てておるわけです。いわゆる新しい広域生活圏というのはそういうことのように私は理解しておるのです。お互いに何か制度まで変えていかなくとも、話し合いでそこらのものがうまくいかないか。これがいままでの、たとえば首都圏構想であるとかあるいは近畿圏、あるいは名古屋を中心にしての中部圏というような、一つ広域生活圏経済活動圏、そういうものを考えてきているのも、その方向へひとつ変えていきたいということだと思います。  また、われわれが日日やっておる仕事のしぶりにおきましても、もう少し変えていかないればならないときにもう来ている。いたずらに官庁ばかりふやして、官にばかりたよるようなこの形も困るのです。やはり民間にまかすべき筋のものも非常にある。私はまた、国自身がやるよりも地方公共団体がやるほうが適切な場合が多いのじゃないだろうか、こういうことも感ぜられるわけであります。  したがって、新しいこの事態に対応するものが、いままでのような考え方だけではいけないのだ、もうちょっと発想の転換、これが必要になってきているのじゃないか、かように私は思います。あるいはお尋ねになる点に直接答えてないかわかりませんが、とにかくいまのこの過密過疎対策はいままでのような考え方だけでは解決しない、非常にこれに真剣に取り組み、そうして広範囲にものごとの考え方まで変えていかないと、制度的にもこれに対応する、さようにまでできておらない、このことを私は指摘するわけであります。
  11. 阪上安太郎

    阪上委員 どうも最近の予算委員会の質問が外交、防衛、そういったことに集中されておりますし、また大切なことでありますが、その点については総理は十分勉強されておりますようでありますけれども、どうもこういった過密過疎なんという問題については何かばく然としかつかんでおられない、こういう感じがいたします。  そこで伺いますが、あなたが過疎と考えておられる現象ですが、どんな現象過疎なんですか。
  12. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 過疎現象人口が減っているというだけ、その結果一体国民生活にどういう影響を与えているか、教育問題あるいは医療施設あらゆる面に、都市地方とその間に非常な格差が出ている。この格差はたいへんなものだと思います。狭い国土日本海と太平洋との間だって、飛行機で飛べばわずか三十分で行けるような状態だ、そういうことから、交通を整備すればいまの過疎現象地方開発にも適当に対応できるのじゃないか、かようにも考えております。また、通信網が整備されればもっと楽な方向にいくのじゃないのか。これはしばしばいままでも農村有線放送が役立っておること、その経験をもっと国内的、全国的な立場について考えればいいことでありますし、もう一つは、やはり新しい情報産業時代になっている、かように思いますので、交通通信情報網の整備、こういうことを言っているわけです。  私は、この過密過疎——過疎対策としても、在来の、ただ単に山村振興だとかあるいは離島対策だとか、こういうものだけでは、それはどうも十分とは言えない。これも今日までの状態について役立ってきたと思います。しかし、それだけではいけないし、やはり新しい時代になり、日本国土全体に、近代文明というか、そのもとにおいて生活のできるようにくふうすれば、いまならできるのですね。コンピューターの時代だといわれているが、私はもっとよくなるのじゃないだろうか、かように思います。そういうことをも含めて対策を立てていくというのが——いままでは地方に何とかして新しい産業を興すのだとか、また、その地方残存産業をどうして育成強化するかとか、こういうことばかり考えていましたが、そうでなくて、やはりいなかも都会もこれは一緒にしてものごとを考え得るような、そういう時期に来ているのじゃないか、そういうくふうをすべきじゃないか、かように実は思っておる。これは新しい方向への私どもの努力だ、かように思っております。
  13. 阪上安太郎

    阪上委員 私の問い方もまずかったと思うのですが、過疎とは何かというような問い方は、これは非常に通俗的でありまして、やはり過密過疎一体のものとしてとらまえていくという考え方であるべきであると思います。そこで、過疎問題は過密問題であり、過密問題は過疎問題であるということは、これは言えると思います。したがって、過密過疎問題というのは都市農村格差の問題であるという考え方、これはやはり本質をつかんでおるのじゃないかと私は思います。そういう答えがほしかった。  そこで、実態からいいますと、農業と工業商業所得格差というのが一つやはり問題になってくる。昭和三十五年の就業一人当たりの年間所得というものをちょっとにらんでみますと、農林水産業で十三万二千四百円、工業で三十八万八千五百円、商業で二十七万三千三百円、こういうような統計が出ております。四十一年でこれを見ますと、農林水産で二十一万三千円、工業で五十一万一千二百円、商業で五十一万四百円というような統計が出ております。これを見ますと、非常に大きな格差があります。だから、交通通信情報、こういったものを完備したからといって、ここらのところに着意がないと、交通通信情報を強化することによりまして、かえってむしろ大都市人口の集中を助長する経過が出てくる。これはあとで伺いますけれども、新総合開発計画、練り直されたものでありますけれども、これを見ましても、やはりそういう主軸型のものを構想されておるのでありますけれども、これは、持って行き方によりましては、いま言ったような基本的な問題を頭に置いておかないと、これは大都市集中をさらに助長するという結果が起こってくるわけであります。  それから、都市農村の消費水準というようなものを見ましても、昭和三十五年には、都市では、金額にいたしまして、一世帯当たりでありますが、大体二十九万、農村で十九万、非常に消費水準は低いわけであります。四十年をとりますと、さらにその開きが出てくる、こういうことになっております。問題は、やはりこういったものを根本的に考え直していく必要があるのじゃないか。  それから、県民所得の格差から見ましても、非常に大きな開きが出てきております。全国を何ブロックかに分けて考えてみましても、たとえば北海道では、昭和四十年、県民一人当りの所得が二十万九千、それから東北では十八万八千、関東では、臨海部門におきましては三十万五千という高いところにきております。それから近畿におきましても、臨海では三十万二千、一方、中国あたりでもってこれを見ますると、山陽でもって二十一万くらい、山陰のほうへまいりますと十六万ちょっとしか県民一人当たりの分配所得がない、こういうことになっております。九州は最もひどくて、南九州におきましては十六万五千、これは全国平均いたしますと二十五万二千になっておるのに、こういった非常に大きな所得格差がある。  こういった所得格差をなくそうと思って、在来から政府としてもいろいろな施策を進められてこられたことは私も知っております。新産業都市建設促進法であるとか、低開発地域工業開発促進法であるとか、あるいは絶対過疎でありますところの農山村の振興であるとかというところへ非常に力を入れておられますけれども、一向にこれは効果があがっていないのですよ。そしていま言ったように、やはり依然として所得の格差は、政策をやっておるといいながらも、だんだんだんだんと開いてきておる。一体、この原因は何だとお思いになるのですか。施策は進めておるんだ、手は打っておるんだ、打っておるけれども格差は依然として開いてくるんだ、これはどうにもしかたがない、お手あげだと、こういうことですか。その原因一体何かということを私は聞きたいのです。どういうふうに考えておられるか。
  14. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 これはいろいろ原因がございますね。いままでいわれておるような適地産業とでもいうか、こういうことはなかなか十分に考えられない。また、無理やりに人をそこへとめておる、それに対応する経済的効果が十分あがってない、そういう問題もあろうかと思います。簡単なものじゃないですね。だから、いまのような小さな行政区画、それがはたしてこの事情に合っているのかどうか、もっとそこらにも根本的なものがありはしないか、かように思います。阪上君は自治体の長もしておられたから、その辺のことはよく御存じだと思いますが、これは都市とその近郊、その間の格差だけだって相当私はあると思うし、それがもっと、この日本のように三大、あるいは四つか、あるいは五つか程度の大都市圏を中心にして、そして人口がまかなわれておる。そういうことを考えてみると、だんだん遠隔の地になればなるほど非常な不便があり、また収入の減があり、たいへんな格差を生じておると思います。こういうような、いままでのような見方がいいのか悪いのか、私はどうもちょっと疑問に思っております。ここらに問題点を一つ提供するだけにとどめます。
  15. 阪上安太郎

    阪上委員 なるほど、経済産業政策以外に過密過疎をなくしていく、あるいは解消していく一つのきめ手として、地方制度というようなものについて、一ぺん新しい発想で考え直す必要がある。これは総理が、過般の十三回の地方制度調査会の発足にあたって意見を述べておられました。私もよく知っております。それも一つありますが、私がいま伺っておるのは、そういうところの欠陥は一つあった。これは確かに認めます。しかしながら、在来からの方針として、新産業都市建設促進法だとか、低開発地域工業開発促進法だとか、離島振興だとか、あるいはまた僻地に対するところの、公共事業に対するところの補助率のかさ上げであるとかいうようなことについて非常に努力してきたが、やはり依然として格差は広がっていくのだ。これはもう言うまでもないと私は思うのです。そういう措置をとりながらも、やはりそこにほんとうの、何といいますか、きめ手というものをつかんでその政策が行なわれていなかったというところにあるのじゃない。だれが今日考えても、新産業都市建設促進が成功したということはどうも言えないのじゃないか。私も成功してほしかった。しかし、これはやはりそうは言えない。低開発のごときに至りましては、ほとんどこれはあるかなしかだ。それから一番大切な国土総合開発、これは昭和二十五年の法律でありますけれども開発計画ももちろんつくられておりますけれども、開店休業でもって、開店休業しながら今日また練り直しをしなければならぬというような状態に入っておる。  私は、根本的に言いたいのは、あなたがいつも言っておられる人間尊重とか、そういったことは、社会開発というものをやはり無視しておったところにこの問題がある。依然としてそういう政策を掲げておりながら、過密過疎対策を進めておりながら、成功しなかったというところには、やはり産業政策本位——もちろん、産業政策は不要なものとは私は言いません。しかし、それに非常に力点を置かれておったところに、いま言ったような施策を及ぼしながらその意図に反して過密過疎が起こっておる、こういうことになっているのじゃないか、こういうように思うわけであります。この点は、いままで何回も言ってきたことでありまするので、ひとつ率直に総理としてもお考えいただきたいと思うのです。いつまでも言い抜けみたいなことを言わずに、大胆不敵にやはりその点は取り組んでいかなければならぬ問題でありますから、認めてもらわなければ困ると私は思うのです。こんなことをやっておったら、何年たったって過密過疎問題は解消しない、このように思うわけであります。そこをひとつもう一ぺん伺っておきたい。
  16. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 いまの点について、もちろん私どもすでに指摘しておる、問題を取り上げておりますから、その方向で進まなければならないが、人間疎外の現実がどんどん出ているじゃないか、社会開発がおくれているじゃないか、かようにおしかりを受けましても、これは現状がそのとおりでございますから、これより以上申し上げません。  それに対して一体どうするのだ。いわゆる国土開発計画というものをいま持っておる、どうもその国土開発計画も十分目的を達しておらない、そこでやはり新国土開発計画、そういうものを立てざるを得ないのだ、そういうことでただいま取り組んでおる状況であります。まだその全貌について、もう政府がこれにきめましたという状態ではありませんから、そこまでは申し上げかねますが、私ども、基本的には全国を一体として、そうして国土総合開発を進めていく新しい構想に立たざるを得ないのではないか、こういうことで、ただいま検討中でございます。検討しているその状況については、ただいま菅野企画庁長官からひとつ答えさせたいと思いますが、ただいま準備していること、その方向どもひとつ御理解いただいて、そうしてあわせて御批判を承りたいと思います。
  17. 阪上安太郎

    阪上委員 今度出された、いま第三次試案が出ておる国土総合開発計画、私もざっと目を通してみたのであります。あるいは企画庁を呼んで聞いてみたのであります。なるほど新しい発想が若干出ておりますが、やっぱりその中心をなしておるのは、自民党の新産業政策以外の何ものでもない、こういう実は印象を受けております。いま、そういう点について企画庁長官に聞け、こう言われておりますが、これはあとで伺いましょう。  そこで総理、こういった過密過疎現象が起こった、その結果何が起こっているか、もう少し深く考えてみる必要が私はあると思います。ただ単に人口が減ったために、いろいろと地方交通というものが、軌道というようなものが撤去されるとか、あるいはいろいろな問題が起こっておりますけれども、根本的に何が起こっているか。先ほど総理がおっしゃったように、それは人間疎外現象が起こっているのだ、そのとおりだと私は思うのです。農村農村なりに農村に住む人間の疎外が出てきておる、都市都市に住む人間なりにその疎外が出てきている、こういうことは言えると思います。私は、この人間疎外現象というものは非常におそろしいものだ、こういうふうに思うわけであります。  私は、これはこういうことじゃないかと思うんですよ。たとえば、大都市に住んでいる人の生活環境が非常に悪くなり、交通災害、あるいは住宅不足、あるいは公害、そのほか教育施設の問題等も出てまいります。あるいは保育所の問題、幼稚園の問題、これは不足の問題であります。足らない問題であります。いろいろと起こってまいります。そうして、そういった自分の生活環境、これを改めてもらいたいというので、それぞれ地方自治体なりあるいは国へいろいろと要求をする、政策を要求してくる。ところが、それが一向に聞き届けられない。これではしかたがない、自分のことは自分でやる以外に手がないじゃないか、こういうふうなところへ考え方を持っていく。非常に孤独なんですよ。アパートに住んでおる人々をとってみましても、隣近所とほとんど顔見知りがないというような、そういう環境の中で、いま言ったようないろいろな自分たちの生活を脅かす貧困の問題が出てくる。幾らこれを政治に訴えてみたとしてもやってくれない。やってくれないから疎外感というものがここに出てくる。農村についてもその逆の現象で、同じことが私は言えると思うのであります。この人間疎外感というものは非常におそろしいものであります。こうなってまいりますると、いわゆる行き過ぎにマイホーム主義に入ってしまう。何を言ってもいうことを聞いてくれないんだ、いわゆる社会連帯性というものがここから消えてしまう。極端な個人主義に入ってしまう。これはもうたいへんなことであります。そして市民精神、こういったものがもう全くなくなってしまうわけであります。  東京近辺に例をとってみましても、たとえば、東京の周辺にドーナツ型に人口産業が過度集中する。川崎あたりでもって、あるいは埼玉県の川口あたり、こういったところに住んでいる人々の考え方というものは、全く川口市民でありあるいは川崎市民であるというようなものの考え方ではなくなってしまった。そして気になるのは、東京へ通勤する交通料金の値上がりであるとか、東京都内におけるところのバスの値上がりであるとか、そういったものにむしろ身近なものを感じ、そして市民精神というものがなくなって、おれは市民であるというような感覚がなくなってしまっておる。非常におそろしい現象が私は出てきておると思うのであります。少し大げさに言いますると、地域社会、コミュニティー、これが未形成である、形成されない、こういうことになってきておるのでありまして、そこへ持ってきて政党というものが政党らしい政党の動きをしていない、こういうことに私はなってきているのじゃないかと思います。  私は、いまの政治を見ますると、どうもこの間うちから政治不信、政治不信といわれておりますけれども、政治不信なんというようなつかまえ方では、これはもう実態をつかんでいない。政党政治に対する不信でしょう。これは自民党ばかり責めませんよ。われわれだって考えなくちゃならぬ、こういうふうに思っておりますよ。政党政治に対する不信というものはどこからくるかというと、先ほど言いましたように、もう地域社会というものは崩壊してしまって、市民精神というものはなくなってしまった。なくならした原因政策不在でありますよ。官僚というものは一向に市民との間に対話がない。自分たちで考えたところの、頭のいい官僚が考えたところのものを対話なしに持ってきて、どんどんどんどんと市民に押しつけてくる。こういう官僚独善政治、これを押えていくのが政党政治じゃないんですか。  今日、フランスで起こった内乱あるいはアメリカに起こったところの黒人騒動、その原因を政治的に追及していくならば、やはりそこに政党政治の不信というものが出てきておる。私は日本の学生問題、これについて、やはりあの行動に対してはわれわれは決してこれを肯定するものじゃありませんし、よくないと考えておるけれども、しかし、彼らのそういった行動の中に、官僚独善に対するところの非常な不満があるのじゃないか。しかも、官僚の卵といわれておる東大の学生が官僚征伐のために立ち上がっておる。ここらのところを考えてやらなければいけないと私は思うのであります。  そこで、過密過疎対策、ことばをかえていうならば都市対策農村問題に対処するところの対策、これが欠除しておった。欠除さしたところの原因は、やはり高度経済成長産業政策、そういったものにのみ夢中になって、本来手段であるべきものを目的化して、そうして社会開発を忘れておったところにこういう問題が出てきたのだ、その結果が人間疎外を起こしているのだ。そして、起こしたその人間疎外というものはきわめておそろしいものであって、いま申し上げましたような言い方をするならば、これを引き延ばして地方自治に及ぼしていくならば、おそらくわが国の民主政治の根幹をゆさぶるところの問題になってきておる、こういうふうに考えるわけであります。  そういった場合に必要なのは、政党が姿勢を正すことである。私は、官僚が一生懸命に勉強をして、狭い範囲のものを一生懸命に追求していく、この姿はとうといものであります。それがなければ社会は進歩しないでしょう。しかし、それを調整していかなければいかぬ。それは政党の役目でしょう。労働が細分化されていく、けっこうであります。そうしなければ伸びないでしょう。しかし、企業を経営している人々はやはりそこに調整を加えていく、うまくあんばいしていく、そういう役割りを果たしているのでありますが、その役割りを政治の部門で果たすのは、やはり私は政党政治だと思う。  明治百年というようなことをよくいわれますけれども、政治的にこれをながめていくなら、この百年の歴史というものは、初めは薩長土肥あたりの藩閥政治であり、太政官政治に入り、それから憲法発布以後におきましても、内閣ができましたけれども、やはり御承知のように枢密院があり、元老がこれを支配しておった。ようやく大正七年の原敬内閣、それから昭和七年の犬養内閣に終わっておるのでありますけれども、この間わずかに政党政治というものはちょっぴり芽を出しておった。そうして、それが終わったならば軍閥政治に入り、数々の戦争を引き起こし、ようやく終わったと思ったならば、ここで新しい民主政治であるところの政党政治がぐんぐん伸びるであろうとこう考えておったところが、この政党政治というものが非常に弱く、そうして依然として官僚独善政治というものをここにまた引き起こしてきている。言いなりほうだいじゃありませんか。この間あたりの下田大使の発言なんかも、官僚独善の思い上がりもはなはだしいじゃありませんか。  それからまた、いま問題となっております都市問題についても、自民党ではだれか——田中角榮さんがキャップになって、そうしてこの問題と取り組んでやってきた。そうしてこの場合、自民党も相当まとまった新しい方向都市問題に取り組む姿が出てきておるのです、あの政策の中に。われわれ社会党だってこれを打ち出しております。公明、民社、それから共産、それぞれ皆出してきておる。これは政党の政策です。この政党の政策が内閣の中におろされてきたときに、各行政官庁は一体どんな態度をとったんですか。政党の政策は全く無視されて、そうしてことごとに反発を加えて、一向に政党の政策というものを尊重しようとしないじゃありませんか。こういう官僚独善の政治、これを押えつけていき——押えつけるということばは必ずしも正しくないかもしれません。これを調整していく、これが政党政治じゃないのですか。それを、戦後は特にはなはだしく官僚独善に走って、これに追随して政党が動いている。自民党ばかりじゃないと私は思う。大いに反省しなければならぬ点でありまして、そういったものが相まって、今日わが国の中に人間疎外現象というものが、農村に、都市に起こっておる。非常におそろしいことだと思うのであります。  私たちはこれを何とかしなければならぬ。ただ、何とかしなければならぬというようなことを言っておってはいけないのでありまして、何とかしなければならぬ場所はどこかということなんであります。私は、それはやはり過密過疎対策であり、都市農村対策というものにいま言ったような観点に立って考えていく。ただ単に、交通の悪化がある、あるいは住宅の不足がある、水不足が出てくる、あるいは公害が至るところに発生して、これはもう耐えられないような状態になっておる、そういう現象だけが私は今日の都市問題であり、農村問題であるとは思いません。都市問題なんというものは、いろいろな形でこれから次から次へと出てくるでありましょう。いまあらわれている現象は、いま言ったようなところのものであります。だからしたがって、この都市問題というものをただ単に——都市といえば農村も含まれたものの考え方であります。アメリカあたりでは人口二千ぐらいのところまで都市と呼んでおります。この問題に真剣に取り組むことが、わが国の民主政治の根底をつちかうことになるのであって、いまそれが崩壊の危機に瀕しているという事実について、総理はどこまでその認識をしておられるか、一ぺん決意のほどを伺いたい、これは。
  18. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 阪上君の論旨をいま聞いておりまして、私も同感な点もあります。また、ずいぶん論理を発展させられるものだ、そこまで発展させられて、どうも私もついていけない、こう思う点もあります。  そこで私は、これはおそらく基本的には同じような考え方だと思いますが、形而上の問題ばかりを議論してもいけないのだ、形而下の問題、それに触れなければこの問題は解決できないのだと言われる。ただいまは、私どもが守らなければならないものは民主政治なんだ、やはりその民主政治のもとにおいて、これらのすべてのものを解決していこうという、このことは私も同感であり、またそれで私が政党の総裁なんです。私か官僚の大将だ、かように考えられることはございません。私もりっぱな政党の総裁です。でありますから、いま政治はやはり民主政治、それが議会政治といわれ、それを行なうのは政党政治だといわれておる。そうすると、やはり政党がいま言われるように、その国民の期待するような職務を果たしていく、そういうことでなければならないと思う。私は、官僚がどうしたの、こうしたのという、それは行政の面においてはなるほどそういう人たちの努力がなければならないと思いますが、しかし、いやしくも政治という限りにおいてはわれわれの領分だ、もっと見識があってしかるべきだ、かように私も思います。  また、いろいろの現象がここに胚胎しているのだという御指摘も、これも私は納得ができます。しかしながら、それだからといって、いま行なわれておるようないろいろの、各種の現象をそのまま是認するわけにはいかない。私は民主主義を守るためにもいまのような暴力行為は排撃しなければいけないと思う。またいまのような個人主義的な、社会連帯感を忘れたような行き方、これはひとつ直していただきたい。これはやはり民主政治が大事であればこそさように言えるのでありまして、私は基本的にはその点は賛成であります。  どうもお話を聞いておると、どんどん発展していって、そうして個人主義的な、社会連帯感のないのもこれは当然だ、あるいは学生の行動はこれを排撃するとは言いながらも、一部許すかのような誤解を受けることばもある。そういうところは私はよくないと思う。  だから問題は、御指摘になりましたとおり、本来の姿、民主政治に徹するという、これが行き方だと思う。その意味において、こういう議会政治というものがあり、そうして与野党相互の間においてこれが対話の形においてそれぞれの意見が交換される、こういうことは私はたいへんけっこうなことだと思う。もともと、もしもう何事もこれが対決の場だというなら、最初からいろいろな議論をする必要もなくなる、そういうことでは政治家のその職務を果たせない、かように私は思いますので、ただいまのようなお話をしているわけです。  だから、さすがに地域団体の長をやられた経験から、いま言うように、私はいま過密過疎対策等について、やはり一番地域住民を代表しておるものは地方自治団体の長ではないかと思う。国の施策、もちろん関係なしとは言いません。大いにある。しかし、国の施策に対して大きくそのみずからの意見を述べるものはやはり地方団体の長ではないか。ここらに、地方自治体というものがあり、しかもそれが地域住民の選挙によって長がきまるという、そういうところに意義もあるのではないかと思う。要は民主政治に徹することであろう、かように思います。そうしてそのもとにおいていろいろ起こってくる現象に対して、悪をなくするようにわれわれは最善を尽くすことだ、かように思っております。
  19. 阪上安太郎

    阪上委員 いま御答弁いただいのでありますが、必ずしも意見は対立しているわけでも何でもないと私は思うのであります。ただ、総理大臣が官僚出身だから、したがってあなたがおやりになっている政治が官僚独善政治、私はこうは言ってない。官僚は、官僚を離れたら官僚ではないのですよ。ですから、私はむしろあなたが政党政治をやろうとしておられること、そんなことはわかっておるのです。そのことはそれでいいのでありまして、あなたを私は、官僚出身だからいつまでたっても官僚だ、何もそんなことは考えておりませんよ。座を離れられたらみんなりっぱな——りっぱなと言うと少し失礼でありますけれども、みんな政治家でありますから、そんなものにわずらわされる必要は私はないと思います。でありますから、どうぞこの際ひとつ離陸していただいて、私たちも離陸しますよ、社会党だってそういう面がないとは言えない、私に言わせれば。党内でもそういう批判が出ておりますよ。お互いにひとつこの点は、ただ単に、いま政治不信だ、政治不信だというようなことばで逃げたり、言いわけをしたりすることはやめましょうや、お互いに。先ほどおっしゃったように、民主政治に徹するんだ。しかし、民主政治は議会制民主主義です。議会制民主主義は実際の運営にあたっては政党政治にある。これも私は否定できないんじゃないかと思う。やはり政党不信である、政党政治に対する不信だ。官僚のいいところは伸ばさにゃいかぬけれども、言いなりほうだいになって、ばらばらの政治をやっておるから政党政治の不信が出ているんだと、こういうようにわれわれ理解して、反省してやっていきましょうよ、この点については、思い切って、こういう点については、き然たる態度でやはり進めなければいけない、こういうふうに思うのであります。  そこで、次にお伺いしたいと思いますのは、いま、くしくも地方自治の問題に触れられてまいりました。当然でありましょう。コミュニティーを考えていく場合に、地方自治というものを考えなければならない。人によりますと、日本にはいわゆるコミュニティーというものはないんだ、自治体そのものがコミュニティーだという考え方も実は日本にあるわけであります。  ところが、最近の地方政治の姿を見ておりますと、これはどうも方向が誤っておる。ことに都市問題に対処する方向というものは誤っておるんじゃないかという考えが強い。いたずらに広域行政ばかりに頭を使いまして、これほど都市が連帯して、手を伸ばせば隣の都市のふところまで手が伸びるというような状態に達しておるときに、ただ都市発展さすのが広域行政である、そうして広域政策をどんどん進めていけばそれでいいんだ、人口産業をどんどんかかえ込んで、そうしてそれを拡大していけば、それでもって都市政策というものが行なわれ、十分である、あるいは都市政策というものはそういうものであるということで、広域行政主義に入ってしまっておる、広域開発に入ってしまっておる。  ところが、先ほど言った都市問題の根底にある、あるいは農村問題の根底にあるものは何かというと、やはりコミュニティーがくずれておるということなんです。一方において、外へ外へと伸ばしていこうとする、拡大していこうというこの都市政策と、一方において地域社会というものはくずれていくというこの姿と、この二つを考え合わしたときに——広域行政を進めていくことはけっこうであります。やりましょうよ。が、同時に人口十万、二十万、三十万、五十万とふえていくこういった地方自治体、そして市役所に集まろうとした住民が、集まって、そうして政治に参加しようとしても、もう参加するような場所というものはなくなってしまっておる。  昔はそうでなかった。ヨーロッパの中世紀あたりの都市を見ましても、市民はみんな市役所に集まってきたんであります。そうして、そこが市民のコミュニケーションの場所になっておった。そうしてお互いにそこで顔を合わして、あるいは市役所の下の買いもの店で買いものをしながら、あるいは市役所の中に地下にしつらえられたところの食堂あたりでめしを食いながら、お茶を飲みながら、——そういった市役所、そして前には広場があって、事があればそこに集まっていろんな催しもやっていくというような形で、市役所中心のコミュニティーというものがその当時はできたのであります。  いま人口がどんどんふえまして、ことに高密度の日本において、そういうことはできない。また市役所の態様を見ましても、ただ何か近代的なビルを建てておるというだけのことであります。中身を見ましたならば、そこは市役所の役人が仕事をとる、事務をとる場所になっておる。いわゆる市民ホールとかいうような形のものではもうなくなってしまっておる。地域コミュニティーというものが、どんどんそのために崩壊されていく。したがって、都市の再建とか、再開発とか、いろいろなことをいわれておりますけれども、それがただ単に漫然と広がっていくような方向の広域行政ばかり頭に置いている。こんなことではたしていいかどうか。  問題はやはり、再開発をやる場合において、広域行政制度を進めれば進めるほど、一方において細分化されたコミュニティーの形成ということが必要になってくる。市役所に一本に集めていくというような、あるいは市役所を中心としたようなところに一切のものを集めていくというようなことであってはいけないのであって、これを分散して、やはり人口一万ないし五、六千の単位の、ワンセットのそういった地域社会というものの再建を、いまやり直さなければならない段階にきている。地域開発というよりも、都市開発というものが、ただ単に、たとえば東京の場合、三十六階のビルを建てて、そうしてそのまわりにだんだんと高層ビルを建てていく、そういうような間抜けたものの考え方でもって都市政策をやってもらっては困るし、都市の再開発をやってもらっては困る。もっともっとやはり突き進んだ、今日人間疎外が起こっているこの現象というものは重大な問題であるという認識の上に立って、都市開発といえども、そういったコミュニティーの形成に向かっていかなければならない段階にある。再開発をやるなら、そういうやり直しをやるべきだと思うのであります。  このことは私から言うまでもないと思いますけれども、ヨーロッパ諸国におきましても、近隣住区のものの考え方でもって都市の再開発をやっている。ソ連あたりにおきましても、ヨーロッパのいいところを取り入れるといって彼らはやっているのでありますが、ミクロライオンというようなものの形で、いまどんどんとばく大な金をかけて、既成市街地の再開発をやっております。その方向は何かというと、ワンセットでもって五千ないし一万ぐらいの単位の生活圏というもの、それをつくろうとする、いわゆるコミュニティーの再編成をやっているという段階であります。わが国におきましても、そういった方向へやはりやっていかなければいかぬ。  ここで考えていただきたいのは、地方公共団体は、依然としていまそういった広がる方向へばかりものを考えておって、細分化の方向というものは考えていない。国のこれに対応するところの政策というものを考えてみましても、建設省あたりはこれを指導しているのでありましょうけれども、やはり広域行政ばかり頭に置いておって、人間本位の、人間生活本位の、都市に住む人間生活本位のそういう町づくりをやろうとする考え方がない。この点を強く私は指導すべきだろうと思うし、またあらゆる都市政策というものは、そこから出てこなければならぬと思うのであります。どうでしょうか、総理
  20. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 いまの阪上君のお説にも私は首肯するものがあります。過日も、これは懇談会でありますので、目くじら立てて議論するところでもございませんが、その際に、各県によりましてそれぞれの立場から、自分たちのところも同様にひとつ扱ってもらいたい、そういう観点で見れば、大都市あるいは大府県というか、そういうところに、公共投資にしても、社会投資にしても、そこに集まっておるのではないのか、そういうところのものをむしろ減らして、そうして限られた予算ならばもっと地方に分けたらどうだ、こういう話まで出ております。私は確かにそうだと思う。  いま都市、ことに人が集まっておる。この都市中心にしてつぎ込んでおる国家予算、これは巨額のものです。そうして、十分そこらにも満足のできるような施設はできておらない。そこで、いまのような人間疎外だという。大都市においても不平があるという。しかし、あの金を、もし地方都市に適当なものを考えて、そういうところに投資すれば、おそらく住みいい地方都市もできるのではないだろうか、かようにも考えられるわけです。これは一つの構想だと思う。  しかし、現実の問題で、いま人が集まっておる。それに対する対策をほうって、そうして、これから開発しようという方向に金をつぎ込むというほど私どもも寛大でもあり得ないのですね。いま集まっておる人たちは、今日今日にとにかく困っておる。それは不都合だからもっとこれをよくしてくれろ、その要望に沿うためには、不十分でもいまの予算をやはりそういうところを中心にしてつぎ込まざるを得ない。つぎ込んだ結果はどうなるか、大都市のほうが地方よりも住みいい。上下水道は整備されている、物資も豊富だ、何にしたって、ある程度の不便はありながらも都会のほうが住みいい、そういうことになる。  私は若いときにしばしば聞いたことですが、恩給生活者になったら、年をとって仕事を持たなくなったらいなかへ帰るんだ、これは私どもが育ってきた環境です。しかし、いまそういうことがあるのか。そうじゃない。年をとってもやはり都会に住んでいる。そればかりじゃない。死んでもやはり都会に住むというのがいまの世の中のように思えます。なかなか先祖の墓にまで入らない。これは笑いごとではない。それほどの実は世の中になっておる。そういうことを考えると、私はいまのこれからの方向、いわゆる新国土総合開発計画というものは、そういう意味で実は考えなきゃならなくなっている。これは一つの写真にすぎないとか、青写真にすぎないとかいわれますが、現状はほうっておけないのだ。これからの行く方向というものをひとつやはり計画を持つということ。そこで初めてわれわれがこれからどうなるだろうかということについてもひとつ考えられるんです。  いま言われましたこと、私も、確かに地方に適当な都市を考え、そしてそういうところにりっぱな安定した生活ができる、あるいは経済活動ができるようにしたらどうだ、こういう御提案はもっともだと思う。それがいわゆる新総合開発一つのねらいでもあります。これは必ずしも都市集中、その方向に行く、これが趨勢だから、そのほうにだけ金をつぎ込んでやる、これが私どもの考えでもございません。
  21. 阪上安太郎

    阪上委員 それですから、私は先ほどから言っているように、都市化そのものは悪じゃない、都市化は好ましいのだ。政策過密過疎にならぬような都市化対応政策を打ち出さなければならないのだと言っておるのであって、それでいて、いまおっしゃったように、都市に住みたいという文化的な方面の追求というのは非常に強いのでありますから、それならそれなりに農村都市化していく、そして生活水準というものを都市並みに高めていく、そういうことでなくちゃいかぬと思うのであります。それは勢い、それではどう対応するか、まず基本的な問題として総合開発計画というものがなくちゃならぬと、こう総理はおっしゃった、そのとおりだと私は思う。  そこで、私は総合開発計画について若干お伺いしておきたいと思います。  経済企画庁長官の経済演説の中で「社会資本の充実、過密過疎、公害対策の強化等を通じ社会開発の促進をはかることといたしております。」というようなことを言っておられます。そこで今度の一これは第三次試案でありますので決定的ではないと思いますけれども、私は、この実態は依然として、いまの行き方では新産業政策ではないか。札幌と仙台、それから東京と名古屋でありますとか、岡山でありますとか、広島でありますとか、福岡というような線を結んだ主軸型の総合開発計画、こういうことになっておると思うのです。これにさらに肋骨が横に入りますればそれでいいのでありますが、究極のねらいは私はそうだと思うのです。しかしながら、いままでのわが国のそういった開発の速度というものを考えてまいりますと、とかく非常に渋滞する。そして一番最初に手をつけたところのものだけがある程度完成されていく。あとはほったらかしになってしまう。こういうことで、やはり開店休業だといつも悪口をいわれている国土総合開発計画に終わってしまう、こういうことであります。この点について、ほんとうに最後までやり遂げる政策であるのかどうかということであります。  それから、これの内容になっております、計画の基礎になっております年度でありますけれども、大体二十年くらいを計量されておるようであります。この世紀末における大きな変化を控えながら、二十年ぐらいを目標にしておられることがいいのかどうか。少なくとも今世紀末あたりを目標にしておかれるということが必要であると私は思います。何がために二十年というようなところでとめられておるか。  それから今度の計画の中で、どうも総花的であるというふうに一般にいわれております。府県計画をそのまま全部織り込んでおる、そんなことで、はたして実現の可能性があるのかどうかというような点につきまして。  それから最後に、これをやるためにどのくらいの金が要るのか、この点をひとつ明らかにしていただきたいと思います。
  22. 菅野和太郎

    ○菅野国務大臣 ただいま阪上委員から都市農村の問題、過密過疎の問題についていろいろ詳しいお話があったのでありますが、お話しのとおり、都市農村は同時に過密過疎の問題でありますので、そこで先ほど述べられたとおり産業における格差がありますし、それから地域における格差があります。東京と鹿児島との所得の格差があります。それから一人当たりの生活水準にも格差があります。こういうものをすべてなくするという目標で、この国土開発計画を立てなければならぬという考えをいたしておるのであります。しかし、いままでになっておらぬじゃないかというおしかりをこうむったのでありますが、それは私もいままでのやり方では、今日までの政策ではその目的を達成していないことは事実であります。これは私は否定いたしません。   〔委員長退席、中野(四)委員長代理着席〕 が、しかし、この際特に阪上委員に申し上げておきたいことは、わずか二十二、三年の間に日本経済がこんなに伸展したということについては、そこに多少無理が起こってきたといいますか、いわゆるひずみが起こってきたということは、これは否定しがたいことでありまして、そこで御承知のとおり、終戦直後の日本人の生活というものは、国民総生産で申し上げれば戦前の六分の一でありますからして、食糧も困るし衣料も困る、住宅も困るというような状態でありましたから、まず食糧を何とかしなければならぬというようなことで、政府もこの点においては一生懸命努力されて、御承知のとおり今日では米が余るというようなことになってきたのでありまして、これはやはり私からいえば農業政策がよろしきを得たというように思うのであります。同時に、日本の特性といたしましては、人口は多いが資源がないというところ、これがどうしても工業を興さなければならぬというところで、工業発展というところにやはり経済政策が主力を注いだと私は思います。そのおかげで日本の今日の国民総生産というものが世界で二番、三番という状態になってきたと思うのであります。  そこで、工業の隆盛をはかるということになれば、おのずから都市化というものが起こってくるということ、これはもう必然的な結果になると思うのでありまして、そういう意味におきまして過密という問題が今日起こってきておるのであります。  したがいまして、公害の問題あるいは住居の問題、あるいは交通地獄というような問題が起こってきて、今日では、先ほど総理から言われたとおり、都市生活では十分な生活をエンジョイすることができないというような状態になってきた。そこで何とかしなければならぬという過密の問題、同時に工業都市に集中したという結果によって農村人口都市に集中する、で、おのずから農村産業というものが衰えてくるというような問題で、いわゆる過疎の問題が起こってきたのでありますからして、そこでその過疎の問題に対しましては、いままで離島の振興あるいは山村の対策というようなことをやってきました。あるいはまた地方開発の問題東北開発の問題というようなことをやってまいりましたが、しかし、私はもう地域的な対策では間に合わぬ、これは国全体としてこの対策を講じなければならぬということで、国土総合開発計画という計画を立ててやってきたのであります。  そこで、いま新国土総合開発をやっておりますが、また三次の案ができておりますが、これは私は完全なものとは思っておりません。できるだけ多くの英知を集めて、だれが見てもこれならば納得のできるというもの、そういうものを仕上げたいという念願で着手いたしておるのでありまして、これで全国的にひとつこの国土開発をやって、そこで過密過疎というような問題も起こらないように、所得の格差も起こらないようにひとつやっていきたい。そういうことでやっておりますからして、各方面の知識を集めたい、英知を集めたいということを考えております。幸い阪上委員はそういう点においては非常に造詣の深い方でありますから、どうかひとつわれわれに教えていただいて、完全な計画ができるようにひとつ御指導を賜わらんことを特にお願い申し上げたいと思います。  なお、この財政的な問題でありますが、まだ計画ができ上がっておりませんからして、どれだけ金が要るかということはまだ決定ができがたいのであります。でありますからして、計画ができ上がったのちに今後の財政的な支出、これはもちろん金が要りますからして、財政的な支出も考えていかなければならぬというように考えておる次第であります。
  23. 阪上安太郎

    阪上委員 教えてくれと言われるから少し教えてみたいと思いますが、二十年の計量というのが一般にあらゆるこの種の委員会、審議会等で出しておるのでありますけれども、先ほどもあなたが直接言われたように、非常に経済発展の速度が速いのだ、予想外に速いのだ、だから経済社会発展計画もそごを来たしておる、こういうようなところから新国土総合開発をつくって練り直すんだ、こういうように言っておられる。それならばやはり、この際三十年くらいを目途として計量してごらんなさい。まだ第三次試案の段階でありますから、そこくらい見なさいよ。それから、府県計画を、やたらに全部喜ばすなんというような、まるで選挙対策みたいに何もかも全部そのままうのみにしている。そんなことをやったらばく大な金が要るじゃありませんか。できやしません。肝心かなめの金のほうは全然計量してないというのでありますが、そんなことを言うから国土総合開発というものが幾ら出てきたって、役に立たない。計画は、実現に移すことのできるような計画を出しなさいよ。そのために、もっとくふうをすべきだと私は思うのであります。宮澤さんが前の企画庁長官であったのですが、その当時言っておることばの中で、やはり五百兆円くらいは要るだろう、こういうように言っております。それは私も要るだろうと思います。そのくらいのものを計量して府県計画等をやはり考えながら、要するに実現可能な計画、こういうものをひとつ、つくっていただきたい、こういうように思うわけであります。これだけ教えておきます。  それから次に一つ言いたいのは、いまの経済企画庁の何といいますか、組織ではだめじゃないか、率直に言いまして。これは建設省その他を含めた新しいものをつくらなければいけない。これはあとで触れたいと思いますが、役に立たぬだろうと私は思います。調整費をわずかばかり握ってやっておっても、これは役に立たぬ、こういうように私は思うのであります。それらの点もやはり総理大臣も一緒に考えていただきたいと思います。  そこで、先に進めまして、都市農村再建に関する、五十八国会でいろいろと総理も公約されております。いろんなことを言われておりますが、これらの点について若干伺っておきたいと思います。  まず最初に、土地利用計画であります。どうしてもやらなければいかぬ。それから各審議会等におきましても、まず土地利用計画基本というものを明らかにすべきだ。なるほど建設省におきまして、一部分であるところの新都市計画法の中で若干の土地利用に対するところの措置はとられておりますけれども、そんなものではいけない。日本列島全体を網羅したところのそういう都市計画基本、土地利用基本というものを明らかにしていかなければならぬ。端的に言いますと、土地利用計画基本法というものをこの際出すべきじゃないかと私は思う。  その内容といたしまして、一つは地価抑制対策、これは今度も地価公示制というものを出そうといたしておりますが、私はけっこうだと思う。しかし、こんなものを出したからといって、それだけでもって地価の安定なんかを期するわけにいかない。へたをすると、この地価公示というやつが、これが最低の地価に据えられてしまって、むしろ地価を高騰さす原因になるのじゃないかというような考え方も実は出てくるわけであります。  そこで、土地利用計画基本法というものを出すかまえがあるかどうか。社会党としてはぜひひとつ今国会でこれを出してみたい、こういうふうに思っておりますが、お出しになる意図があるのかどうかということを総理に伺っておきたいと思います。あなた、何回もこのことについて言及されておりますから……。
  24. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 土地利用基本法、そういうものを出すまでにただいま政府はなっておりません。
  25. 阪上安太郎

    阪上委員 これはなかなかむずかしい問題でありますし、ことに土地に対する私有権あるいは公益優先の問題があります。だからそう簡単には踏み切れないと思いますが、もうこの辺で踏み切らないと、全く時期を失してしまうのじゃないか、こういう考えでありますので、ぜひこれはひとつもう一ぺん考え直してもらいたい、このように思うわけであります。  それから、私どもは、土地税制につきましてこの際手をつけろということを言いました。若干これは手をつけたようでありますが、きわめてこれはびほう的なものでありまして、たいして役に立たない。例の空閑地税であるとか、未利用地税であるとかいう毛のに対しても思い切って手をつける必要があるのじゃないかというようなことを考えるわけであります。  それから、同時に土地の公的保有ということをぜひともやらなければならぬ。これは政府のほうでも了解されておるわけであります。そこで、土地の公的利用をやるためには、どうしてもいろんな利用制限というものをやっていかなければならぬということを言っておるのでありますが、それよりもまず大切なことは、地方公共団体等が土地を先行取得することだということであります。その先行取得するためには金が要る。そこで都市計画の一部をこの前修正いたしました。御案内のように土地基金制度というものを設けることになったわけであります。  ところが、今度の予算を見ますると、あの肝心なところが抜けてしまって、土地基金というものが大蔵省の反対でもって全然取り上げられなかった。こんなことでは一体どうするのかと私は言いたいと思うのであります。大蔵大臣、なぜこの土地基金を全然予算化しなかったか、この点についてひとつ説明を伺いたいと思います。
  26. 福田赳夫

    福田国務大臣 阪上さんのおっしゃるのは、おそらく中央土地基金のことじゃないですか。
  27. 阪上安太郎

    阪上委員 そうです。
  28. 福田赳夫

    福田国務大臣 そういたしますと、地方団体にある土地基金と重複する、重複した機能を持つことになる。そういうものはどうも必要ないのじゃないか、そういう判断でございます。
  29. 阪上安太郎

    阪上委員 理由はそれだけですか。非常に単純な議論だと思います。重複していいのじゃないですか。あなたは大蔵大臣をやっておられて、そんなおかしな答弁はないと思うのです。地方の土地基金に対して原資はどこから供給してあるのですか。やはり中央は中央でもってプールして原資を供給してやるくらいの考え方を持たなければいけないと思うのですが、どうですか。
  30. 福田赳夫

    福田国務大臣 土地の先行取得、これは非常に重大な問題だと思うのです。私は、これを助成しなければならぬ、これについては阪上さんと少しも考えは変わりません。しかし、その方法は、たとえばことし四十四年度でいえば、先行取得債、これを大幅にふやしておる。これは御承知のとおりだと思いますが、どうも重複したような制度ばかり積み重ねましても、必ずしも実効をあげ得ないと思うのです。あるいは土地税制ですね。これはあまり効果がないというようなお話ですが、これは私は画期的な制度の改正だと思う。とにかくこまかいことでも、いろいろと積み上げてこの問題を解決しなければならぬ。  それからさらに土地問題につきましては、あるいは空閑地税の問題あるいは未利用地税の問題、私も考え方においてはこれは賛成なんです。しかし、何が未利用地であり、何が空閑地であるかというような問題は、これは土地問題の根本に入っていかなければならぬ問題である。この根本に入る入り方が、あなたもお考えになっておられるようでありまするが、なかなかこれがむずかしい問題で、そう簡単にはいかない。そこで、そういう方向に向かっていろんな準備をしておる。これが今日の段階なのであります。さよう御了承願います。
  31. 阪上安太郎

    阪上委員 政府では、都市開発資金融通特別会計というものを持っておられますね。いまそのことを言われたのじゃないかと私は思うのです。ああいう制度を中央のほうで持っておられるんじゃないですか。ですから、土地の基金の場合も、中央でそういう制度を持たれたって、二重になったって何も差しつかえない。こういうものは二重、三重になるほうがいいのじゃないか、私はむしろそういうふうに思っております。これはもう一ぺん考え直してもらいたいと私は思うのであります。  それから土地税制の中でも、特に開発利益の還元の問題が一つあると思うのです。だから、未利用地とか空閑地というものに対して税を課すとか課さぬとかの問題。これはおっしゃるとおり、へたにかけますと、何が未利用地であり、何が空閑地であるかということよりも、せっかく緑地なり何なりの形で残されておるところを、またわれわれが将来の都市の再開発で残したいと考えておるようなところ、あるいはまた現在の建物を整理して緑地等の生活空間を高層建築によってつくり上げていきたいと考えておる段階において、むしろそこに言いわけ的な施設をつくって、かえって整斉たる空閑地を残すことができないというような結果にもなりますので、十分注意しなければならぬ。しかし、開発利益を還元する方向の税なり賦課金なりというものは、考えていいのじゃないかと私は思うのであります。この点どうでしょうか。
  32. 福田赳夫

    福田国務大臣 考え方につきましては、私は賛成です。しかし、その開発利益が、どこまでが開発利益であるという、そういう判定が非常にむずかしい。むずかしいので、やってみたいと考えながら、実行には至っていないというのが現状なんです。またひとつ、繰り返すわけではございませんけれども、阪上さんもその方面の権威者でございますから、いろいろと御教示のほどをお願い申し上げます。
  33. 阪上安太郎

    阪上委員 どこで何が開発利益であるか、測定がむずかしいと言われておるが、それは大してむずかしくないと私は思うのであります。ある年度の地価なら地価というものをお考えになったら、わかると思うのであります。ある年度をそこにきめられたならば、それによって基準は出てくる、測定の基礎は出てくると私は思うのでありまして、そうむずかしいものではないと私は思う。これをぜひひとつ考えてもらいたいと思います。  次に、住宅建設について、あるいは都市開発に関連した公共事業につきまして、建設大臣に伺っておきます。  住宅建設五カ年計画、これは目標どおり昭和四十五年に一世帯一住宅を与えることができるでありましょうか、その点の見通しについて伺っておきたい。
  34. 坪川信三

    ○坪川国務大臣 お答えいたします。  政府といたしましては、住宅対策につきましては、最も重大な問題といたしまして取り組んでおり、御案内のごとく、六百七十万戸の五カ年計画をめどに置きまして、ことしは四年度を迎えているようなわけでございます。したがいまして、公的資金によるところの住宅建設は二百七十万戸でございまして、ことしはそのうち五十七万三千戸を建てることに相なっておりますので、この計画どおりいきますと、四年度で大体百九十四万戸の建設を見るというようなわけでございます。また、民間自力住宅につきましては、めどを四百万戸に置きまして、本年度百万戸をめどに置きますので、これによりますと、大体三百三十五万戸の自己資金による住宅が建設されるということになりますので、公的資金だけの進捗率を申し上げますならば七一・八%でございますが、民間自力住宅の進捗を加えますと、大体八〇%に達しますので、残りの一年度におきましては、ぜひとも目標どおりの六百七十万戸を建設する予定に相なっておる次第であります。  以上、お答えいたします。
  35. 阪上安太郎

    阪上委員 二十七万戸の調整、これを入れまして七一・八%の進捗状況である、こういうことでありますね。私はこういう速度では、とてものことに、いままでの予算の計上のしかたから見ましても、なかなかこれは実現が困難じゃなかろうか、こういうように思うわけであります。  それから同町に、昨年も問題になっておったのでありますが、持ち家かあるいは賃貸住宅か、この問題であります。これにつきましては、国民感情があるので、これを簡単に一本に賃貸住宅にまとめてしまうというわけにはいかないというような論もありまして、なかなか解決しないのでありますが、しかし、それだからといって、やはり今日公営住宅中心で、しかも賃貸住宅に重点を置くということは、当然やらなければならぬことだ、こういうふうにいわれておるのであります。  そこで、時間がありませんから簡単に伺いますが、二十七万戸の調整戸数を思い切って今後公営賃貸住宅に持っていくという考え方はありませんか、この点が一点。  それからいま一つは、大体長期計画というものは、その年度の終わりで処理するのじゃなくして、事前の、たとえば今度の住宅建設計画では四十四年、ここで調整を加えていかなければならぬ段階である。そうして四十五年、六年以降、住宅政策というものはさらに引き続き進められるので、四十四年でダブッてくるわけであります。この四十四年でほんとうは次の計画に入っていかなければならぬ。それを四十五年の満度まで計画どおり進めておいて、それから次の年度に入っていくんだ、新しく次の計画に入っていくんだ、こういう考え方は間違いであります。諸外国の例を見ましても、全部やはり事前の一年のところでダブッてくる。そこで調整を加えながら次の年度に入っていくんだ、次の次の年度に入っていくんだ、こういうやり方をするのであります。  そこで伺いたいのは、四十六年度以降一体どうするか。おそらく六百七十万戸というところの基礎になる数字というものは、十分にこれは実情に合っていないだろうと私は思うのであります。したがって、この四十四年度でそういう措置をしなければならぬ。とりあえずここでやらなければならぬ措置としては、二十七万戸の調整戸数、これを思い切って公共賃貸に持っていくということの考え方があるかどうか、この点を伺っておきたいと思います。
  36. 坪川信三

    ○坪川国務大臣 最初御指摘になりました、いわゆる持ち家かというこの二つの問題でございますが、いま国民は、ただ住宅をほしい、住宅を望んでおるという悲願に燃えておることを考えますときに、私といたしましては、両方の立場に立って、これに供給する体制を持っていきたい、こういうようなことでございますので、大体持ち家につきましては計画の五〇%、また借家につきましては四〇%、それからいわゆる給与住宅が一〇%というような計画で、六行七十万戸の計画を立てておるような次第でございますが、現在までの実行の内容を検討いたしますと、大体いわゆる持ち家が四五%、それから賃貸のほうが三八%というような状況であることを御報告いたし、私といたしましては、そういうような立場に立って、両方の立場を尊重いたしながらひとつこの対策を講じてまいりたいと思いますとともに、おかげさまで一応のめどもつきつつありますので、いままではもう数をふやすということのみに専念といいますか、考究検討いたしておりましたが、われわれといたしましては、やはりしあわせな、あたたかい住宅建設をいたすという立場から、規模、質あるいは日照その他を考えましての住宅政策を、たとえば御案内のごとく、いわゆる非常ベルの設置なども、私この間江東地区の住宅を見てまいりますと、ほんとうに背の高い人が何か持ってきて押さなければ押せない、信号ができないというようなところなどを考えてみますと、子供さんたちでもすぐ押して非常ベルが鳴らし得るというようなこと、あるいは公営住宅のいわゆるふろの問題等も考えまして、私、ひとつあたたかい住宅政策を……。
  37. 阪上安太郎

    阪上委員 二十七万戸をどうするか……。
  38. 坪川信三

    ○坪川国務大臣 二十七万戸の調整戸数につきましては、私は公営住宅中心にいたしましてそれぞれ配分をいたしてまいりたい。  それから最後に御指摘になりましたいわゆる五カ年計画達成後の日本住宅対策ということは、これはほんとうに重大なことでありますとともに、大体昭和六十年度までにおけるところの建設需要というものを考えてみますと、大体二千七百万戸を必要とするというような状況を思うときに、私はこの五カ年計画の達成と並行いたしながら、いよいよ次年度からの計画を目下ひとつ検討いたして、そしてそれに対応したい、こういうようなことで、鋭意建設省としてはその計画の検討をいたしておるというような状態でございます。
  39. 阪上安太郎

    阪上委員 持ち家住宅とそれから賃貸住宅の現在の比率、これでもってものを考えられてはいけないということを、私は警告しておきたいと思う。それは賃貸住宅が伸びておる。伸び率が、賃貸住宅が非常に大きく伸びておるという点に着目されなければ、いままでの持ち家住宅と賃貸住宅の比率がこうであるというようなことでもって、したがって両方の顔を立てるのだというような考え方ではいけないということを私は指摘しておきたいと思います。  それから、いま一つ伺いたいのは、地代、家賃の問題であります。地代は東京、大阪で問題になっておりますが、その他ではあまり大きく問題にならない。家賃はもう至るところで問題になっておる。今日、都市に住んでいる人間状態を見ますると、四七、八%は、やはり賃貸住宅に入っておる。家賃が問題になる。家を建てることもけっこうでありますが、同時にこの問題を解決しなければならぬ、こういうように思うのであります。  ところが、地代家賃統制令というやつがありますけれども、これは昭和二十五年以前に建設されたもの、契約されたものに適用されておる。それ以後のものについては、全く野放しになっておる、こういう状態であります。そしてこの状態を見ますと、やれ敷金であるとか——敷金はやむを得ないとしても、やれ礼金であるとか、あるいは手数料であるとか、何だかんだという形で金を取られておる。だから、賃貸住宅に入るためにもたいへんな金を準備しなければ入れないというような状態になって、非常に困っておる。しかし、貸し家のほうからいえば、それ相応の理屈も私は成り立つと思う。だから、双方の理屈が成り立つような、そういう借地借家法の改正をやるべきじゃないか、こういうように思うわけでありますが、この点についてやる気があるかどうか——こまかいことはどうでもいいです、やる気があるかどうか、これはあわせて内閣総理大臣からも伺いたい。地代、家賃の統制——統制をやたらに加えることは好ましくないかもしれぬけれども、この際、やはりやらなければならぬのは家賃の統制であると私は思うのです。これはひとつやる気があるかどうか、明確にお答え願いたいと思う。
  40. 坪川信三

    ○坪川国務大臣 地代、家賃につきましては、低所得者の各位の立場から考え、また勤労者の立場から考えましても、非常に重大な問題でもあり、それらにつきましても、土地対策、税制対策等を通じまして、総合的な計画の毛とにおいての対策を講じたい、こう考えておりますので、いまの地代家賃統制令にならって、これらの適用をさらに強化するというよりも、私といたしましては、総合的なる税の面からも、あるいはその他の面からも計画を立てまして、そしてこれらの一つのひずみを是正してまいりたい、こう考えておる次第であります。
  41. 阪上安太郎

    阪上委員 いま言っていられるようななまぬるい政策では、とてもこの問題は解決できないと思います。時間がありませんから、きょうはこれはこの程度にとどめますが、ぜひひとつ思い切った——やはり地代、家賃の統制を強化し、これを全面的に適用する。そのかわりに、その内容についてはやはり借家を建てて引き合うような内容というものを考えてやらなければいかぬ、こう思うのであります。いまのような野放しのやり方ではこれはいけない。こんなことでは政治も何もあったものではない。この点については、ひとつ特段に御検討を願いたいと思う。  それから、次にお伺いいたしたいと思いますのは、先ほど総理とのやりとりの中で、結局過密過疎対策というものは、新総合開発計画、ここへ持っていくんだ。ところが、先ほども指摘いたしましたように、これがなかなか実現性がないのだということであります。そこで、こういった開発を担当するところの省を設ける必要があるのではないか。いままでのような企画庁は企画庁、計画だけはそこで立てる。あとはもういろいろ各省でもって、セクトでもっていろいろなことを言っておる、こういうことであります。こういうことでは、いつまでたってもこの問題は解決しません。  そこでお伺いしたいのは、まずその行政制度として、前々からわれわれ言っておるのでありますけれども国土総合開発省というようなものを設ける考え方があるかどうか。これはぜひ設けてもらいたいと私は思うのです。それとも、英国やアメリカでもって端的にこの問題を処理する機関として、その責任の省として、住宅都市開発省というようなものがどこでも軒並みにできております。ニクソンも今度はこの問題について非常に力を入れておるようでありますが、こういったものをつくって取り組むということが必要であろう、こう思うのでありますが、この点についてどうでありましょうか。
  42. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 先ほど触れました新国土総合開発計画、この中身につきまして、私もいろいろ報告を受け、説明も聴取いたしました。なかなかこれはむずかしい問題で、非常に正確なデータがないと、二十年後の予測、これはなかなか立つものではありません。さらにまた阪上君は、二十年は短い、三十年後だ、こういうことを言われておりますが、そうなってくると、なおむずかしいことだと思います。おそらく計画を立てるのに終始して、それだけで終わるというようなことであってはならないと思うのです。  そこで、いま役所をふやすこともけっこうですが、官僚にばかり力をかさないで、やはり具体的な指導が大事でないかと思っております。そこで、いまの私が報告を受けたところから見まして、さらにこれをわれわれが適当に指導することによってりっぱな計画ができる。内閣の基本的な計画ができれば、各省がその実現に総合的に力を発揮するのは、これは当然であります。したがいまして、私は、いまの段階で他の新しい省をつくる、こういうことは考えておりません。  いま、もう一つ別なことで、住宅が特に大事だ、土地の問題とあわせてひとつそういう専門のものをつくったらどうだ、これは新しい提案でございます。またそれについては、各国でもいろいろ住宅の必要性から、土地の問題を含めてこれと取り組んでいる役所のあることも承知しております。これらの点についても、もちろん考えてはまいりますが、いまの建設省で事足りるいまの状況ではないかと思っております。ただ、この住宅問題が、家をつくるというだけではありませんし、厚生省の関係もあるし、さらに通勤通学等を考えると文部省や、また運輸省、それらの所管省も非常に多岐多様にわたっております。また、土地を獲得するについても、農林省とも協議しなければならないとか、これも非常にむずかしい問題でありますが、そのためだけに問題を抽出して一つ役所をつくる、そこまでは私ただいま考えておりませんが、関係各省の連絡を緊密にすることは、ただいま要求し、またそういう方向で目的を達するように、ただいましている次第でございます。
  43. 阪上安太郎

    阪上委員 まあ毎年同じ御答弁で、したがって、また質問も同じことを繰り返しているわけであります。どうもほんとうに過密過疎対策に取り組む姿勢が、いま言われたようなことであっては出てこないのではないか、非常になまぬるい、私はこのように思います。  たとえば、これはあとで質問をいたしますけれども、いま言ったような中央におけるところの過密過疎対策をやっていくところの機関としての住宅都市開発省とか、あるいは国土総合開発省というもの、これをつくらないでも、現在、計画は計画で別にやっておって、それをおろせば各省でもって連絡をとってやっていくんだ、こういうことであります。  ところが、たとえば中央におけるところのこういった問題に対処する地方の機関として、府県制の問題その他といろいろ関連して新しい発想が出てきておる。私は、これは非常にいいことだと思う。その場合におきましても、自治省は自治省でもって広域都市圏の発想を持っておる。あるいは建設省は建設省で何か生活中心都市建設というような考え方を持っておる。あるいは企画庁では企画庁で、やはり別の広域圏という構想を持っておる、生活圏という構想を持っておる。あるいは一方において、学者あたりでは大都市圏というような発想もある。科学技術庁のほうからでも、これはやはり考え方を打ち出しておるというふうなことで、やはりばらばらなんですよ。こんなことを幾らやって——それは総理がいま、各省がよく連絡をとって、連絡を密にしてやっていくのだ、こう言われたって、これはできっこない。もっと真剣に取り組むためには、こういった中央の組織というものを私は新たに考え直す必要があるのじゃないか、こういうふうに思っております。意見がだいぶ違いますので、なかなかこれはやっておっても時間がかかります。  そこで、自治大臣に伺いたいのですが、いま申し上げましたように、いろいろな広域都市圏の考え方であるとか、あるいは大都市圏の考え方であるとかいうようなものがいろいろ出てきておりますが、これは何とかひとつやはり総合する必要があるのじゃないか、調整する必要があるのじゃないか、こういうふうに思うわけであります。大体ニュアンスはそう違ってないと思うのです。だから、ぜひこれはひとつ早く総合調整される必要がある。そして明確な中央におけるところの都市対策あるいは農村対策に対処するところの、そういう中央制度というものを確立する必要があるのじゃないか、こういうふうに思うのです。こういった点についてひとつ伺っておきたい。  それから、そういった制度ができることによって、大体考え方としては、私は生活圏を中心としたものの考え方に入っていくということは正しいと思うのです。その場合に、府県制度について一体どう考えるか。幸いにして、いままでの間抜けたというか、陳腐な合併論というやつは消えてしまった。私は、非常にいいことだと思うのです。都市がどんどん連檐しておる、そういった実態をながめながら、都市発展の姿をにらみ合わせながら、新しい広域行政制度というものを考えていくということは、私は正しいと思う。その方向へ入ってくるだろうと思うのです。幸いにして、ばらばらでありますけれども各省から出ておりますものは、やはり生活圏構想という考え方で出てきておりますので、非常にその点はいいと思うのです。それならば府県との関係を一体どうするか、これをちょっとお答え願いたいと思います。
  44. 野田武夫

    野田国務大臣 ただいまの広域行政の問題ですが、これはいまお示しのとおり、御意見にもありましたが、やはり生活圏を中心とする考え方であります。もちろん、もう御承知のとおり、いまの過密都市というものは、やはり人口産業の集中、これをどうして地方に分散するか。しかし、地方分散の場合における基本的なことは、やはりその地域生活圏を中心とした考え方をしなくてはならぬ。そこで各省庁にいろいろの構想がありますが、やはりいまの御意見のとおり、自治省といたしましては、広域行政の基本的な考え方は、産業、文化、あらゆる地域住民生活圏を中心とした考え方を推進したい。  それから府県の問題に入りますが、これはただいたずらに府県合併というような指導ではなくて、自然的に発生した地域の、やはり府県によって、この府県の周囲、その地域住民生活圏、こういうものを基礎とする。要するに、いまの府県は、御承知のとおり、これは明治六年か七年かにできた府県制度であります。これでもって全体の地方行政がうまく運営されるということは——これはもうすでに大体すべての問題は様相が違っておりますから、どうしてもここで府県にいたしましても、市町村にいたしましても、やはり合併とか、またあるいは離散するとか、いろいろな集合離散が行なわれるべきものだと思っておる。そこで問題は、必ずしもただ府県合併という題目でもってわれわれはこの府県合併を指導しようと思っておりませんが、あくまでも自然発生的に、またいわゆる経済圏、生活圏を中心としてそこで合併を行なえるならば、これは府県合併をわれわれは進めてもいい、こう考えております。
  45. 阪上安太郎

    阪上委員 私が伺ったのは、府県をどうするかという問題でありますが、何か的確な考え方を持っておられないようであります。そういったものを考えないで、一方において生活圏構想を打ち出していく。非常に不見識だと私は思う。私は、当然府県の存廃論に発展すべきものではないか、そこからまず解決していかなければならぬのじゃないか、こういうように思うのであります。都市がこのようにメガロポリスの形をとって、そうして連檐しているような発展の過程をたどっておる、この段階において、新しい広域行政制度として、地方制度として考えられるのは、それを中心に考えなければいけない。したがって、市長会では府県廃止論を唱えておる。あるいは自民党の都市政策の中では、これに対しては抜本的な改正を加えるというような言い方をしております。  そこで、私は、府県を廃止するとかしないとかいう問題ではなくして、広域行政圏としてのいわゆる都市連合的なものを考えていった場合に、自然発生的に府県というものはなくなっていくのではないか、こういうことなんであります。これはもう少し、府県制度というものを頭におきながら、いま言ったような新しい地方の行政制度というものを確立していかなければいかぬ。これはもう少し研究して勉強していただきたい、こういうように思います。  それから最後に私が一つ伺っておきたいのは、財政問題であります。こういった都市政策あるいは農村政策に対処するための中央機構としては、開発庁のようなものをつくれ、こう言っております。総理はなかなかつくるとは言わない。そこでいま一つ問題になるのは、財政制度であります。これに対処する財政制度一体どうするか。  そこで伺いたいのでありますけれども、四十四年度の予算編成の過程において、毎年問題になりますところの例の交付税の税率の引き下げ問題、これが出てくるわけであります。交付税の税率を引き下げよという考え方は、大蔵省としては何かまるで執念のようにこれを主張されておる。しかし、これはたいへん大きな誤りをおかしておられると私は思うのであります。そこで、私が言いたいのは、ナシナョルミニマムというものをこの際確定する必要がある。憲法二十五条が保障しておるところの国民生活の保障、これについて悪法はほとんどすべてを法律に委任しております。したがって、憲法自体としてはこうしろああしろということは言っていない。けれども、健康にして文化的な最低の生活、これを保障する義務を持っておる、こういうことになっております。そこで、やはり日本列島全体に道川するところのナショナルミニマムというようなものを、ここで確定する必要がある。地方交付税の単位費用の中で、ある程度これが出ておるわけであります。これは非常に低いところで押えられておる。それから各省関係でもっていろいろとそういうミニマムが出ておるわけであります。しかし、これも大体非常に低いところで押えられておって、社会経済の進歩、発展に即応するような最低基準というものは、一つも出ていない。しかしながら、これを測定して、これを確立して、それに基づいて地方と国との税財源の配分をしていかないと、いつまでたったって、いや交付税の引き下げであるとか、補助金の打ち切りであるとか、いろいろな問題が出てくる、こういうことであります。  そこで、交付税制度について、昨年もことしも、この制度をこわして、そうして昨年は四百五十億国に貸す、ことしは六百九十億を国に貸す、こういうような形をなぜとられたか。御承知のように、地方財政は非常に好転しておるというようなことを、大蔵省は非常に啓蒙宣伝しておる。これはたいへん間違った考え方でありまして、私から言わせれば、極論すれば、地方自治を破壊する。要するにわが国の民主政治の基盤をぶっつぶすところのおそるべき考え方である、こういうように思うわけであります。ことしも地方自治体は、国が所得税減税をやると同じように、住民税の減税をやらなければならぬ。これに対して七、八百億円の金が要るじゃありませんか。いままではこれは国から特別の財源の補助をしておったわけであります。昨年からこれをやっておりません。ところが、この減税は、国の所得税減税に比べて、あるいは課税最低限などを例にとってみますと、三十万円からの開きがあるわけでありましょう。同じ所得でもって、国税は納めなくてもいいけれども地方税は納めなければならぬ、そんなばかなことがありますか。そこを均衡を保つためには、七百億円や八百億円の金では足りないのでありまして、思い切ってこれを三〇%引き上げるということになれば、どれだけの金が要りますか。地方財政は好転しているなんというようなことをいって盛んに宣伝しているが、好転どころか、実際にやるべき仕事をやっていないから、ただ単年度に黒字が若干出ておるという程度にとどまっておるわけであります。  それから、いま申し上げました新しい社会経済発展に伴なうところの地方財政制度というものを確立していくためには、何ぼ金があっても足りないくらいでありましょう。それを盛んに、地方財政は好転したというようなことをいって、そして宣伝しておる。そんなことではとてものことに、地方開発なり、あるいは都市問題なり、あるいは農村問題に取り組むところのかまえというものを、大蔵省は根底からくつがえしているじゃないですか。そういうことをやっていたのではできやしませんよ。こういう点を考えていったときに、なぜああいう行き方をなさるか。それはおそらく今度の予算編成の中で、大蔵省の人たちがやはり財源に困って、そして、ああいうことを去年もことしも二年連続でもってやってきた、こういうことだと思うのでありますが、私は非常にこれをおそれております。  今日、地方財政を無視してしまって、地方自治体というものの活動ができないようにしてしまうということは、どんな問題が起こるかということをあなた方はお考えになっておりますか。フランスにおけるところのあの暴動、結局は突き詰めたところ、そこにあるのじゃないですか。アメリカの黒人問題の底を突き詰めていけば、同じような問題がやはり出てくる。官僚独善という形におきまして、住民の声も聞かずに、そしてせっかく獲得したところのドルをフランスの場合は金にかえてしまう。そして、こういった地方自治体、都市問題、その他の取り組みのために一向にこの金を使っていかない。そういうところにああいう問題がやはり大きく発展したのではないかと私は思うのであります。日本も国際収支がいいからといって、ただ単にそれを喜んでおるというだけではなくして、これをそういった方向に使うという考え方がなくてはいけない、こう思うわけであります。   〔中野(四)委員長代理退席、委員長着席〕 ところが、一向にそういう考え方を持たぬで、ただ単に国の予算編成の財源が不足しておるからということだけでもって、六百九十億円という金を巻き上げてしまう。こういうやり方は私はよくないと思う。一体、交付税の本来の趣旨というのはそういうところにあると考えておられるのかどうか、この点について伺いたいと思います。大蔵大臣からと自治大臣から伺います。
  46. 福田赳夫

    福田国務大臣 私は、国民の生活は、いま中央財政、地方財政、これを車の両輪として動いておる、こういうふうに考えるのであります。中央財政がひとり立って地方財政が相立たずというのでもいかぬし、地方財政がひとり立って中央財政がどうもいかぬ、こういうことでも相ならぬ、かように考えるのです。でありまするから、この中央・地方の財政というものは、相互にそのときの状況に応じて相助け合わなければならぬ。現に四十年のあの大不況のときには、一千百億円中央財政は地方財政に対してサービスをしておるわけなのです。今度は、その後どういうふうになったかというと、地方財政は総体的には非常に改善をされてきております。これはもうあらゆる数字がその改善を示しておりますが、特に地方財政におきましては、当時借金に対する依存率七%だった、今日は四%まで下がっておる、こういうような状態でございます。  それで、ことし六百九十億円の交付税の減額措置をとったその理由は、いま御指摘のような中央財政からの問題もあるのです。中央財政におきましては、歳出が九千億円を増加した。それで三千億円を余して、それを半々に国債の減額と減税に振り当てる、そういう基本的措置をとったわけでありますが、さて、その九千億円の歳出の増加の中で、地方財政との関係を未調整でおきますると、実に三千百億円というものが交付税として地方にさかれる、こういうことになるわけでありまして、これは交付税とすると激増になる。中央財政とすると、それだけの負担になる。一般の財政を非常に圧迫をする、こういうことになりますので、これを三千百億円でなくて、それより六百九十億円を減額した額をもって本年度の地方交付税額とする。しかし、この額は、四十五年度以降においてこれを返還する。返還するというか、取りかえ戻しをして増額交付をするというふうにいたしたい、かような考え方をとったわけであって、一つの事情は中央財政にあるわけです。それはあなたのおっしゃるのに大体似ている考え方であります。  それからもう一つ考え方は、三千百億円地方交付税が一挙にふえるというようなことになりますると、地方財政の規模がそれだけふえるわけです。つまり激増するわけなんです。地方財政全体のあり方といたしまして、そういう状態は好ましくない。やはり中央財政において国債を減額する、そうしてその規模を節度をもって適度なものにとどめるという考え方をとっている以上、地方財政におきましても、そういうような考え方をとるのが当然である。それによって国の経済の円滑な成長発展を遂げさしめることができる、こういうふうに考えまして、また地方の財政を円滑になだらかに成長せしめるというためには、減額措置、これも必要であろう、かようなことでありまして、これはもう全く一方を犠牲にし、一方を助けるというのではなくて、常に車の両輪である、かような考えに立っていることを御了承願いたいのであります。
  47. 阪上安太郎

    阪上委員 時間がもうありませんので、結論に入りますが、いま大蔵大臣に御答弁いただいたのですが、全く納得できない。大蔵大臣は、聞くところによると、予算編成の過程で交付税減額論をあなた方の部下がやっているときに、あなたはむしろそれはいかぬというふうな理解ある態度をとったように私は伺っているのですが、いま伺ってみると、交付税制度というものについてあなたは全然考えていない。あなたは、何か国のほうで新たに九千億金が要るから、地方から余っているから取ってくるのだとか、こうおっしゃっている。  しかし、国のほうでも、やはり一兆二千億円に近いところの増税を見込んでいるでしょう、自然増を。交付税というものは国税三税にリンクしている。だから、交付税だけが伸びるんじゃないんですよ。国税が伸びるから交付税が伸びるんですよ。自然にビルトイン・スタビライザーの役割りを果たしているんじゃないですか。だから、国税が伸びるだけ地方税も伸びているということで、そこでもうすでにバランスがとれている。その根本的な交付税の精神というものを無視して、何か車の両輪論を出してくる。あなたの説でいうならば、両輪ではなくして、これはやはり一つの歯車で、何かシナ人が引いているような洋車みたいなものですよ、あなたの考え方は。  それからあなたは、その三千数百億円の金が地方自治体に入ってくるので、それでなくてもいま地方自治体というものは黒字であるから、それだけの金がいったらむだづかいをするだろうというくらいの気持ちしかない。それはおかしいじゃありませんか。先ほどからるる言っているじゃないですか。幾ら財源があっても足らないのだ。それにはそういう考え方を持たなければおかしいと思う。  しかもあなた、交付税法をごらんになったらおわかりでしょうが、そういった余剰金が出てくるというか、余裕が出てきた場合には、こうこうしろということを交付税法ではっきりと規定してある。たとえば災害のような不測の事態が発生した場合には、それに充当せいとか、それからまた、やむを得ぬ事情でもって土木工事その他建設事業を起こさなければならぬような場合には、それに持っていけとか、あるいは既往の地方債の繰り上げ償還にこれを使えとか、それからやはり積み立て金としてこれをある程度残しておけとか、その積み立て金の保管の場所としては国債を買ってもよろしいというようなところまで、ちゃんと規定してあるんですよ。  いずれにしても、交付税というものは、あなたが考えておられるようなものではなくして、必然的にこれは国の国税三税にリンクしているのであって、それ自体が調整しているのだ。大体、地方交付税というものは、国と地方の財政の調整をやる役割りなんて持っていないんですよ。勘違いしているんじゃないですか。交付税法の第一条をごらんなさい。明らかに地方の自主財源として、自由に使える金としてこれを渡すんだ。そして、それは何かというと、地方地方の間の財源の調整をやる、そういう機能を持っているんだ、そういう目的を持っているんだ。国と地方との財源調整のために使えということがどこに書いてありますか。非常に大きな誤謬をおかしている。  先ほど言いましたように、こんな問題が起こってくるのも、結局はナショナル・ミニマムというものが確定してない。国民生活に関連するところのいろいろ必要な公共事業、それに対するところの最低基準というものが不確定だから、こういう問題が起こってくる。もしこれが確定されておったならば、ここまでは国庫負担でもって、全額国庫負担するんだ、ここのところが明確になっていないから、あるべき行政水準はどうあるべきかということについて、各省とも考え方が違う。だから、そこに補助金問題が起こってくる、交付税問題が起こってくる。毎年毎年これを繰り返しているわけであります。  そこで、この制度につきましては、もう総理も、時の大蔵大臣も、自治大臣も、明確に答えている。これは四十三年度限りの措置であるということを言っているのです。あそこまで明確に言っておきながら、なぜことし、そういうわけのわからぬ、つじつまの合わぬ、全く交付税の本旨を無視したような借り入れ政策を続行されるのか。どうしても国が九千億に対して措置できないということであるならば、国が新たにやるべき仕事を手控えしたらいいじゃありませんか。それを警戒型の予算だと言いながらも、だんだんと拡張されたのは、一体だれなんですか。そうして金が要らぬからといって——しかもこの六百九十億円の根拠というものは明確じゃない。いろいろ予算編成をやってみたところが、金がこれだけ足りない、だからこれだけ貸してくれ、こういうことをやっておるということは、地方自治の無視であり、先ほど言いましたように、この際、いろいろな都市開発をやらなければ住民はもう納得しませんよ。へたするとあちこちで暴動が起こるかもしれぬ、こういう状態に入っておるときに、こういうような措置をされるということは、どうしても私は納得できない。ことに、どうしてもこれは四十三年度限りだ、またこれに伴うところの特例法におきましても、すべて頭に四十三年度限り、四十三年度限りということを明確にしております。公約違反じゃありませんか。これをどうするのですか。内閣総理大臣からひとつ承りたいと思います。
  48. 福田赳夫

    福田国務大臣 私は、地方交付税交付金につきまして、その性格を誤解はしてないつもりなんです。つまり、交付税交付金は地方の固有のものです。しかし、さらばといって、中央、地方が相助け合わなければならぬという必要がないとは言えないと思う。現に阪上さん非常によく御承知のとおり、四十年のごときは、中央から地方に非常に協力をしておるわけである。ですから、中央で必要とするときに、地方が中央に協力するという考え方ですね、これは、私は何ら支障なく受け入れていい考え方だと思います。しかのみならず、この六百九十億円というのは、別に何も中央が地方から取り上げてしまうというものではない。一時お預かりしましょうというだけの話なんでありまして、しかも、それで大体地方財政の運営はなだらかに支障なくやっていける、こういうのですから、そこに円満な共助態勢ができ上がって何ら支障はない、かように私は考えておるわけなんであります。  しかし、こういうやり方、毎年毎年、国会におきましても政府部内におきましても、これを蒸し返しておるというのは、私は適当ではないと思う。そこで、やはり交付税がうんと出た、それから地方財政がそのために非常に裕福だというような場合に、この交付税をどういうふうに処置するか。交付税率の上げ下げ、そういうふうなことでなくて、どういうふうにするかということにつきましては、私は、これはよく考えてみる必要があると思うのです。そのためにいろいろの提案も出ておるのです。そういうようなことをまた政府部内においても十分話し合って、この問題が円滑に支障なく動いていくようにということを念願をいたしております。
  49. 荒舩清十郎

    ○荒舩委員長 阪上君に申し上げますが、時間がすでに超過しておりますので……。
  50. 阪上安太郎

    阪上委員 いろいろ言い分もあるでしょう。しかし、四十年にめんどうを見た、こうおっしゃる。あなた人情論みたいなことを言われるけれども、それならば、子供のめんどうは親が見るのですよ。親のめんどうを子供が見るという、そこまであなたはまだ老いぼれていないでしょう。ですから、やはりそういうことは言わずに、ビルトイン・スタビライザーの役割りをしているところの交付税の本来の姿に戻ってもらうということです。  それから、何か四十五年以降続ける考え方はない、しかし、そのかわりに何か調整の方式を考えなければいかぬということを言っておられます。私は、問題はそこにあると思います。しかし、それにしても、そんなものは地方自治体の財源でありますので、地方自治体でもって調整する、そういう自主的な調整をやる方向に持っていかれることが必要だ、こういうふうに思います。  これだけのことを申し上げまして、質問を終わります。(拍手)
  51. 荒舩清十郎

    ○荒舩委員長 これにて阪上君の質疑は終了いたしました。  午後の会議は午後一時から再開し、久保三郎君、石田幸四郎君の質疑を行ないます。  この際、暫時休憩いたします。    午後零時十七分休憩      ————◇—————    午後一時十二分開議
  52. 荒舩清十郎

    ○荒舩委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  質疑を続行いたします。久保三郎君。
  53. 久保三郎

    ○久保委員 私は、現象としてあらわれているような、そういう当面の問題について主としてお尋ねをするわけでありまして、まず第一に、国鉄の経営の問題でお尋ねするわけであります。  内容に入る前に、昨日も大きな事故がありまして、東京の通勤がまる一日中断したということでありますが、理由はどうあろうとも、最近かかる事故があと断たないというのには、いろんな問題があろうと思うのでありますが、国民からすれば、理由のいかんを問わず、どうするんだということが先になると思うのであります。そういう意味で、国鉄はたいへんたくさんな職員をかかえ、たくさんな列車、電車を動かしているのでありますから、そうはたで見るほど簡単なものではないと十分承知しております。しかしながら、それはそれとして、千慮の一失ということばもあるとおり、千回のうちたった一ぺんあっても、やはりこの問題は追及されねばならない性格のものであると思うのであります。そこに経営の問題のつらさというか、責任があると思うのであります。私は、老総裁を前にして、そういう前提で、あなたはどうなされますかと一言お聞きしたいのであります。いかがでしょう。
  54. 石田禮助

    石田説明員 お答えいたします。  国鉄は、事故の発生を防ぐべく最善の努力をしておるのでありまするが、どうも絶えぬ。ことに昨日のあの貨車の脱線のごとき、これがためにたくさんの人に迷惑をかけたということは、国鉄総裁としてまことに申しわけないことであります。私としては最善を尽くしておる。とにかく国鉄というものは、輸送の安全があって初めて輸送力なんだということでやっておるのでありますが、私の不徳のいたすところか、どうもうまくいかぬ。  しかし、この問題につきましては、今後とも十分に努力いたしまして、そういうことのないように、できるだけ少なくなるように努力するということでありまして、一応この件につきましては、私として陳謝せざるを得ないのであります。
  55. 久保三郎

    ○久保委員 私は、おことばを返すようでありますが、陳謝されることは当然かと思うのでありますが、そのことのためにお尋ねしているわけではないのです。  だから、具体的にいままでも、ついせんだって、去年の暮れのころでありますか、いろんな問題がありまして、それぞれの対策委員会等をやり、副総裁はじめ現場に出られて調査をしたそうでありますが、私はそういうことをしろと言っているんじゃないのであります。おのおのがその部署において責任が確立されるような体制というのを築くことが先決ではないかというふうに一つは考える。  それからもう一つは、事故の原因にはたくさんな原因があると思うのであります。だから、その問題はやはりあらゆる部署において、あらゆる個所において、あらゆる人間について、あらゆる組織について、この際、国鉄は点検をし直す必要がありはしないか。単に乗務員区におけるところの乗務員の点呼の時間が短いから、そこで事故が起きたという。それも一つあろうけれども、そういうものだけではなしに、また全体的にたるんでいるんだという批評もあるが、たるみだけの問題ではないと私は思うのですね。人間には四六時中緊張できない性質がございます。緊張もおそらく七分かそこらが最高だと聞いております。それ以上同じ問題で緊張していることはできないのでありますから、事故が起きれば、それはとりもなおさずたるみであるというふうにもとれるでしょう。だから、そういう問題を含めて、やはりあらゆる点においてこの際点検を一斉にしてみたらどうかということであります。それもおざなりでなくて、現場長が中心になってやらせることです。総裁や副総裁が現場に行って点検するなんというのは、お粗末しごくだと私は思っているのであります。責任のある個所はだれだということですよ。総責任は総裁であります。しかしながら、現場末端における責任まで総裁が負うようなシステムが、組織が、今日国鉄の経営を曲がらせてきたのではないかとも私は思うのであります。そういう意味で、どうでしょうか、私の意見に賛成でありますれば、即刻その手段、方法をとることがまず第一ではないかというふうに思います。  それからもう一つ、あとから御意見の中に出てくるかと思うのでありますが、労使の間に不信感はないのか。もしあるとするならば、その不信感を取り除くくふうを、まずこれまたしなければなりません。労使とも立場は違っておりますから、経営者がこれはいいと思っても、なかなかその軌道に乗らない場合もありましょう。あるいはけしからぬと思う場合もありましょう。しかしながら、それは自分の経営の中の人であります。でありますから、経営者としては、やはり大きな立場から、この不信感があるとするならば、対立だけは——対等の立場で対立すべきものではないと私は思うのであります。そういう意味で、もしもありとするならば、そういうものを払拭するくふうをこの際つけてみたらどうか、こういうふうに提言しますが、いかがでしょう。
  56. 石田禮助

    石田説明員 国鉄の人事管理の問題につきましては、これはどうしたって組合のほうが協力してくれなければいかんともすることができぬ。組合と国鉄の協力というものについては、私としては最大の努力をしておるのでありまするが、どうもなかなかうまくいかぬ。この点につきましては、今後とも十分に努力いたしまして、ただいま久保さんのおっしゃったような御意に沿いたいと存じております。そして組合の問題につきましては、実は私は、はなはだふえてなんです。全部副総裁に一任してやっておるのでありまして、副総裁としては全力を尽くしてやっておるのでありますからして、私は遠からず何か効果的なものが出てくるのじゃないかということに期待しておりまするが、いずれにいたしましても、今後とも最大の努力を尽くしまして、変なことのないようにいたしたいと存じておるのであります。
  57. 久保三郎

    ○久保委員 組合のお話ばかりで、総点検のほうの御返事はないのでありますが、それは経営者として当然考えられておることでありますから、時間もそうたくさんございませんから、きょうは先に進ませてもらいます。  そこで、国鉄経営の問題については、いろいろなところから経営再建というか、提言がなされております。大同小異のものもございます。しかしながら、この経営の悪化というものに対する、よって来たるところの原因というか、そういうものにはあまりお触れにならないのが多いのであります。それで、ただ単に出てきた問題をどう処理するか、それも言うなら受益者負担の原則、最近はやりになっておりますが、そういうものだけで解決しようというきらいが多いのは残念だと私は思っております。  まず第一に、国鉄経営の悪化してきた原因であります。これは言うまでもありませんが、一つには、戦後産業発展につれて、当然荒廃した施設を更新し、設備を拡充せねばならぬ国鉄が、低米価、低運賃というか、そういうものの中で、言うならば資産の食いつぶしで日本経済をささえてきたという前提をまず第一に考えなければいかぬと思うのであります。  ところが、三河島や鶴見の大事故がございまして、その前後からでありましたが、いわゆる古いものを取りかえるということを中心にやってきた。そこで、第一次五カ年計画は、そういう老朽施設の取りかえやあるいは安全対策というのを重点にやってきた。これも曲がりなりに二、三年やってまいりましたが、資金的にこれはつまづいてまいりました。もちろん、これは始まるときには運賃の値上げが中心でありました。あとは借り入れ金であります。  これが三年ぐらいたちましてから、御承知のように、昭和三十六年かと思うのでありますが、そのときに第二次五カ年計画というのを出発さした。これは第一次五カ年計画が規模が小さくなったということ、言うならば経済の伸展に追いつけない計画になってしまったというよりは、経済の伸展のほうが計画よりずっと上回ったということでありますね。もう一つは、その小さい計画ですら資金計画が思うようでない。運賃値上げをしたが、日ならずしてこれはとうていこれをささえる原資にはならなくなったということで、昭和三十六年に第二次五カ年計画を策定してまいりました。ところが、これまた御承知のように、昭和三十七、八年にまいりまして、一年か二年足らずにこれはけつまづきました。もちろん、第二次五カ年計画の中では、世紀の大事業といわれる、国鉄の将来に一つのビジョンを与えるような東海道新幹線は、これは完成された。その中にもいろいろ問題はあった。しかしながら、日本全体を負うところの国鉄全体の施設整備はどうかというと、新幹線はできたが、いわゆる一将功成り万骨枯るの形態をなしてきた。それが言うならば昭和三十八年の予算編成期で、年末であります。当時政府はどうやったかというと、思い出してください。政府と与党はいわゆる国鉄基本問題懇談会を設置して、その経営の基本問題と特に財政について責任を持つということで出発した。それで三十九年はごまかしたというわけではないでしょうが、まあがまんせいということで、石田総裁は涙をのんで引き下がったのはついこの間であります。  三十九年一ぱいかかって基本問題懇談会は結論を得たわけであります。その結論は、今日出されている国鉄財政再建推進会議の意見書と大同小異であります。その中で実行されたのは何かというと、第一次、第二次と何にも変わりのないいわゆる政府の無責任さでございます。そう言ったら極端かもしれませんが、やってきたのは運賃値上げ、それから借り入れ金のいわゆる増大ということであります。政府の出資は、第四年目であるところの昭和四十三年、昨年度において建設資金に対する一部の利子補給が出てきた程度でありまして、あとは財投であります。財投もいっぱしの利息を払わねばならぬ。こういうことできたのは事実であります。  それが一つと、もう一つは、御承知のように、国鉄は戦前のように陸上交通の独占機関ではなくなってしまった。道路交通の発達、当然でありますが、そこに輸送力の減退あるいは競争機関の出現によって、輸送分野は衰退してまいりました。そのほかに、昭和二十四年から公共企業体として独算制のワクをはめられた。結局その中で新しい任務を遂行せねばならぬというので今日までやってきたが、いま申し上げたとおりの推移をたどって、第三次長期計画は中途でこれは挫折であります。そこで、今回の再建ということ相なるわけであります。  私は、その一つ一つについてまず第一にお尋ねをするのでありますが、一つは、国家の政策として、たとえば学生定期の割引をしなければならぬ、あるいは農林水産物資の貨物運賃を割引する等々の問題について、これは否定しているものではございません。これは当然だと思うのであります。というのは、国鉄というのは、私鉄や私バスと違いまして、国有であるという以外に、全国を一体として運営する機能を持っているわけです。全国を一体として運営できる機能というのは、一つには輸送用役を再配分できる、国家政策をそれによって実行できるという機能があるから国鉄だと思うのであります。その政策を実行するのだが、独算制のワク、言うならばさっきもお話し申し上げたように、最近は赤字である。赤字であるというならば、これは財政において処理するか、運賃料金において処理するかの、二つのうちの一つであります。ところが、国家政策の実行でありますから、当然政策実行によって利益を得る者はこれは政府自体であります。だから、公共負担の方法の是非については別としても、現実にそういう政策を国鉄をして実行せしめているのでありますから、受益者負担の原則からするならば、八百億なりあるいは六百億といわれるところの公共負担の額は、国家においてこれを支出するのが当然ではないかと思うのであります。この点について、総理大臣は過去において鉄道に関係されまして、もうお忘れになったかもわかりませんが、おわかりだと思うので、いかがでしょう、その原則は。
  58. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 久保君から詳しく今日までの国鉄の経過についてお話がありました。もう一つつけ加えれば、もとはいわゆる国有鉄道だった。それが公社に変わった。私企業ではない。そこに国有鉄道であった当時から見まして、公社経営に移るそのときに処理すべき問題がまだあったと思います。それに手をかけないでそういうように変わっていき、しかも公社形態だとはいうが、一番最初に取り上げた公社形態であるし、戦後の形態でありますだけに、総裁はずいぶん苦労しておられるだろうと思う。これならもっと思い切って民間のほうがいいといわれるかもわからない、あるいは昔の国鉄のほうが徹底していいじゃないかというような議論も出ている。その点はともかくといたしまして、いまお尋ねになりました範囲で、言われるごとく、学生やあるいは農水産物について特別運賃を設けることについては、これまた自分も了承する、これが国鉄であるがゆえに了承する。国家的政策に協力するのは当然だ、こういうことを言われるが、私はこの点も大事だと思いますし、いま普通の民間会社だったら、こんな採算のとれないものは存続するはずはない、こういう結論も下せるだろうと思うのですね。  しかしながら、輸送機関として持つ国鉄自身の使命を考えると、これはどうしても存続させなければならない。ここにあらゆるくふうをして存続させなければならない、こういうところへ来ている。それが、たびたび計画された再建推進会議その他の民間の強力な御意見も聞きながら、この窮境から抜け出ていこう、こういうととろにあるのだと思います。  そのときに、いわゆる企業体自身が効率的な運用をすることについて払われる努力、これはもう当然だ。同時にまた、国鉄、国自身もそういう立場においてやはりこの再建を助けるということである。もう一つは、直接の利用者、これがやはり負担していくという、まあ三者の関係で問題を解決していくべきではないかと私は思います。  その前に、国鉄が経営上支払っているいわゆる公共負担というか、そういうものをどういうように扱うかという問題。だけれども、いま申すような三つの大きい柱から考えていくと、たとえば災害遺児に対する特別の割引をしたとか、盲人やその他について特別な割引をしているとか、ときには無賃輸送をしているとか、こういういわゆる公共負担、その金額は相当の額にのぼるとはいいながらも、基本的な三つの柱、その大柱から見ると、その中に吸収されるものじゃないかと思います。私は、国があるいは特別な資金援助をする、低金利、長期の融資をする、財政的な直接投資をする、こういうようなことなども、公共負担とにらみ合わしての考え方だと思う。  とにかく私は、この国鉄の輸送上果たしている使命が、国としてはどうしても遂行していただかなければならない。冒頭に事故について御発言がありましたが、安全のもとに迅速に正確に輸送機能を発揮する、そういう意味の方法はどうしたらいいかという、その意味の財政再建推進会議の答申でもある、かように思いますので、その方向において私どもは努力したい、かように思います。
  59. 久保三郎

    ○久保委員 お話の中には私の考えと同じところがあるのですが、一貫すると違いますので、一言申し上げておきたい。  国鉄の機能というのは、最終的には、冒頭総理がおっしゃるように、たとえば学生の定期の割引によって文教政策の一端をしょっていくとか、あるいは農林水産物資の割引をして農林水産政策の一端をしょっていくとかいうことは、当然これはやるべき筋合いだと思うのです。というのは、それでなかったら国有財産を動かす値打ちが半分ぐらいなくなってしまうんじゃないか、こういうふうにも思うわけです。それはしかし、独算制のワクの中ででき得る範囲でやらねばいかぬという国鉄サイドから見た考えで私はいいと思うのです。  しかし、いまは独算制のワクの中で実行し得られないままでこれを押しつければ、当然のごとくと言っては語弊があるが、これはいわゆる利用者負担ということで、国の政策は利用者である乗客や荷主の背中に乗って政策を実行するという理屈も成り立つわけであります。最後には、総理がおっしゃったように、公共負担の見合いにおいて国家がそれぞれ負担をということをおっしゃいました、これはそのとおりであります。ところが、その負担はあまりにも少ないということなんですよ。あまりにも少ないではございませんか。たとえば国鉄の計算では八百億というが、それは少し過大であるかどうかは別にして、話半分にしたら四百億でしょう。今度、いまやろうという予算の中で四百八億の利子のたな上げでございます。これはうしろ向きですよ、実際は。いままでの経営のあり方が政策実行のために、言うならば国の政策のあり方が悪かったと言っては語弊があるが、ぴったり合わなかったから——悪いと言ったら失礼ですから、悪いとは言わないほうがいいでしょう、ちょっとはほめておかねばいけませんが、ぴったりしなかったから今日二兆円の借金をしょって、毎年千五、六百億の利息も払わねばならぬということになったと思うのです。  だから国鉄の再建の方法は、やはりことばは悪いが、うしろ向き、前向きの二通りでこれは解決する以外にないと私は思うのです。だから、そういう意味で、公共負担に見合ったものはやはり前向きの姿勢でこれからのものは出していく。これまで食いつぶしにした資産は、その資産をそれぞれの乗客や荷主から取り返すというのは、これはどうも変だと私は思うのです。それはやはり国家全体の中からめんどう見ていくという、それが理屈だと思うのです。そういう意味で再建の方法を考えない限りは、いま提案なされようとし、あるいは予算では提案しておりますが、少しばかりの利子のたな上げや補給では、残念ながらいかないんではないかというふうに思います。  それからもう一つは改良費の調達であります。改良費調達一つ見ましても、いままで外部資金、これが大半でありました。第三次長期計画が出発するときにも、問題は改良工事に要するところの資金をどうするかという問題でありました。ところが、この改良工事に使うような金の出場所はどうかというと、運賃の値上げが一部あります。ところが、これは限界に達してきております。値上げをしましても、そのとおりは入ってこぬ実態があります。そこで、あとからも申し上げますが、国鉄はテキヤの商法で今日値上げをやっている。いわゆる逃げられないところだけを上げよう、逃げるところは上げられない、こういうことでしょう。これは真正な商法ではないと私は思うのであります。  で、話をもとに戻しますが、外部資金の調達、その中における政府の資金調達の関係はどうかというと、ごく最近の例からいきますと、三十七年にはいわゆる財投というか、政府の資金は全体の六六%、四十年度五八%、四十一年に参りまして、驚くなかれ一二%にがた落ちしたのです。結局国鉄は外部の利用債その他によって資金調達した。これは高利のものであります。償還期間も非常に短い。そういうものをやってきて、残念ながらことしの予算には——四百八億の問題もありまして比率は多少上向きになりましたが、本来ならば、せめてもの改良工事に使う資金ぐらいは政府資金全部でまかなうのが当然ではないかと私は思うのです。しかも、いまやっているのは利子補給にしても六分五厘まででしょう。海運その他はつい最近まで五分までやっておるのです。四分までやったためしもあるのですね。もちろん海運と国鉄の比較を一がいにはいたしませんけれども、国民全体というか大半に関係することであるならば、この際そういう資金のめんどうを見るべきではないかと私は思うのであります。こういうことでは、これからもそうでありますが、利子のたな上げを十年間やったにしても前進はできないと私は思うのであります。その点についていかがでしょうか。
  60. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 久保君はたいへん遠慮した言い分をしておられるようです。私は、先ほど申しましたところに返りますが、やはり国鉄から公社に移った際に解決すべきものもあったろうと思います。ことに、はっきり申し上げて、償却制度などはもっと完全なものがそれ以前から行なわれていたら、財政的な大きな破綻はなかったろうと思っております。これは歴代のいわゆる国鉄という形で、そういうものが抜かっていたのじゃないかと思います。しかし、最近はどの程度まで償却を見るようになっておりますか、私がいた当時、そのころようやくこの償却議論が出て、まあその辺から始まったくらいに考えておる。長崎次官の当時くらいだと思っております。私、そういうことを考えると、これはずいぶん問題があると思います。ただいま言われます点は、ことしの予算編成にあたって大蔵省がどういうような折衝をしたか、そういうところにきているようでありますし、また程度の問題についての議論があるようですが、一応政府自身もくふうはしたということでありますから、これはたいへん——私逃げるようなわけではありませんが、大蔵大臣からもひとつお聞き取りをいただきたいと思います。
  61. 福田赳夫

    福田国務大臣 国鉄の財政再建につきましては、大蔵省といたしましてはかなり思い切った措置をとっておる、こういうふうに自分のほうでは考えておるのです。申し上げるまでもありませんが、国鉄財政は容易ならざるところにきた、国鉄財政再建推進会議のほうから、三者というか、政府も、それから国鉄自身も、また利用者も、みんなして負担をしようじゃないか、ここで再建しようじゃないか、こういう意見具申があり、国鉄当局、また運輸省もこれでいこうというかたい腹を固めた。そういうことを受けまして、大蔵省といたしますと、これはもうこの際、いままでのような財政論をとっておる時期ではない。これはひとつ思い切って国鉄に協力しよう、こういう考え方で、国鉄、運輸省から要請のありました四百八億円のたな上げ措置、これは言われるような、これをたな上げをするためにその額を国庫から補給するという方式じゃございません。その四百八億円に相当する財政融資をいたしまして、その融資に対しまして利子補給をいたすという形をとったのですが、これは効果としては同じことなんです。国鉄当局の十カ年計画を見ますと、この方式でいきますると、十カ年で、従来の懸案である財政問題を解決し、赤字を解消し、国鉄は再スタートできる、こういう話でありますので、そういう思い切った措置をとったわけでございますが、ぜひともこの方式で国鉄が動いてまいりますようにと念願をいたしておる、かように存じます。
  62. 久保三郎

    ○久保委員 そういう方式で再建できるという確信をお持ちになったことはたいへん見上げたものだと思っておりまして、私も、それでできるならぜひ成功させたいものだなというふうに思っておりますが、私には自信がございません。三年も過ぎればまたこの席で同じ論議がかわされるのじゃなかろうかと思っております。  減価償却のお話が出ましたが、御承知のとおりであります。減価償却しなかったのは、過去において国が食ったということでありますから、食ったものは返してもらうというのが、乗客から見ても当然じゃないでしょうか。三兆円のいわゆる資産は乗客と荷主がつくったものでありまして、国家が九十億くらいしか出資しておりませんから、食ったものは返してくれと言われるのじゃなかろうかと私は心配しております。  次には、時間もありませんから、あれですが、国鉄諮問委員会が昨年九月に赤字線の、赤字ローカル線というか、そういうローカル線、あるいは小さい駅の廃止について国鉄総裁に答申をした。それから財政再建推進会議も、これと内容を同じくするものを先般答申し、国鉄はそれぞれの線区を発表したようであります。そこでわれわれは先般、現地を全部調査はできませんので、どういう実態であろうか、いろいろ調査して、ついきのうまで調査の一部にかかっておりますが、いろいろなケースがありまして、一様には申し上げられませんけれども、いま地方でどういうことが起きているか。赤字線の撤去を発表して以来今日まで約半年あります。その間地元では、いま就職の問題あるいは進学の問題、そういう問題が深刻な問題として、地方におけるところの関係住民の中で悩みが多くなってきていることは事実であります。それからもう一つは、せっかく開発しようとか発展させようということのプランが、中途で挫折したのもあります。極端な例は、嫁の縁談がこわれたという話もあります。これは冗談のようなほんとうの話でありまして、そういうものをじんぜん日を送って見ているわけにはわれわれ自身まいりません。なるほど八十三線、二千六百キロのうちには、当然のごとく廃止してバスに転換したほうがいいだろうというのも幾つかあるだろうと思う。二十人か三十人きり乗らないようなもので、どうにもならぬというのはあると思うのです。しかし、それはごくわずかだと私は思うのであります。  ただ、ここで気をつけていただきたいのは、諮問委員会や推進会議の基準にしたところの基準は、機械的な算術計算の基準でありまして、決して実態を把握したものではないということであります。ある一つの線区に行きますというと、通勤輸送はどのくらいかというと、千五、六百あるというのです。そんなものを廃止できますか。バスをそれだけ用意するだけ資本のむだであります。経営のサイドからだけ、赤字であるから、国鉄経営赤字だから——赤字の大半は赤字線である、線別計算すれば赤字線のほうが多いのであります。しかし静かに考えてみれば、赤字を生むところの赤字線の中にも二種類ある。一種類はいま撤去しようとするローカル線、もう一つは撤去できないところの幹線、亜幹線の赤字があります。だから積極的にこれから国鉄が残っていこうということならば、赤字であるところの幹線、亜幹線についてまず第一どうしたらいいかをくふうするのが当然だと思うのであります。ローカル線の一本や二本を撤去してみたところで、これは国鉄経営にプラスになるはずはありません。しかし地方に最もマッチした適切な輸送配置をするのだという観点から、その国鉄のローカル線をどうするかという観点から考えるならば、これはまた別であります。私どもはそういう観点からローカル線の処理は考えるべきであって、赤字の経営の中で、赤字線であるから撤去するんだという、そういう思想は私らはとりません。いずれにいたしましても、八十三線撤去するんだという発表をしたまま今日までいることについては、これは国民的な経済的に、精神的にたいへんなロスであります。  だから、これは国鉄にまず第一にお尋ねしたほうがいいでしょう。総裁、この八十三線についてはどういうけじめをいつのときにおつけになりますか。私どもはいま申し上げたような考えでおります。じんぜん日を送って、これはことし一年間かかってとかというふうにやられたんでは、問題の解決があとに延びることではけっこうかもしれませんが、当面地方生活、住民の生活には大なる影響が出てくるのです。深刻さを増すわけであります。いかがでしょう。どういうふうに措置されるか。
  63. 石田禮助

    石田説明員 お答えいたします。国鉄のいわゆる赤字線の問題でありまするが、いま久保さんがおっしゃったとおりのいわゆるローカル線、御承知のとおりこの赤字線なるものは、大正十年、十一年ごろに、地方開発のために輸送具を提供しなければいかぬ。ところがその時分の輸送具とは何かといえば、国鉄だ。それで、輸送需要に対して鉄道というものは非常なアンバランスな大きなものであるということはわかっておったのですけれども、ほかには輸送具というものはない。そこで、これはもうしかたないということで鉄道を敷いたんでありますが、しかもその時分の国鉄というものは独占の上にあぐらをかいておって、収支の状況、状態、きわめて良好なときであったのでありますからして、損というようなことは全然もう眼中にない。そこでローカル線というものをずいぶん勇敢につくったのでありまするが、その後道路の発達、自動車の発達というようなことでもって、せっかくつくったローカル線というものも、これまで利用しておった人も利用することが少なくなった。何のためにつくったか意味をなさぬ。それで結局アンバランスがさらにひどくなった。それで国鉄といたしましては、現在の輸送需要に適応した輸送具にかえるということが、これが赤字線の解決でありまして、何も足を全部取っちゃうというわけじゃないのだ。そのために、あるいは鉄道にかわるのにバスをもってするとか自動車をもってするとかということで、要するにバランスのとれた輸送具と、こういうふうになるんで、地方の人たちのためにはかえってこのほうがハンディでいいんじゃないか。いわゆる国民経済的に見てもあまりにこの犠牲が多いのだ。それで地方の人の、つまり足をテークケアすることは十分にある、最も経済的なものにするということで、これは国民経済的に見ても当然私はやらにやならぬことだと思う。  ことに国鉄の立場から申しますと、せっかくつくったその鉄道というものも、最近はバスだとかトラックだとかマイカーの発達によりまして、地方の人たちというものはだんだんだんだん利用しなくなっちゃった。その結果収入は減る、しかも一方に経費というものが非常に増大するために、国鉄の負担というものは非常に大きくなった。それで国鉄というものは御承知のとおり独立採算のもとに経営しなきゃならないので、バランスのとれた輸送具をもってしてひとつ解決しようじゃないかということであります。さらに私は申し上げたいことは、そうしてみれば、地方の人からいえば、鉄道のような大きな、そのために一日五往復か六往復しかやってないところが、バスのために三十往復も四十往復もやる。それから停車場の数もふえるというようなことで、ある点においてはマイナスかもしれぬ、ある点においてはプラスになる。差し引き勘定は私はプラスになるんじゃないか、こういうように考える。  これはさらに久保さんに申しておきますが、たとえば雪の降るところやなんかでもって、鉄道以外には足をテークケアするものがないということであれば、これは何も国鉄はそんなところから鉄道を取るとかいうようなことは絶対にしやせぬということで、さらにこの問題につきましては今後とも十分に検討に検討をして決定いたしますが、その前に、最後の段階においてはその地方地方へ参りまして、地方の人たちとひざをまじえてひとつお話をして、御納得を得たところで初めて断行するということでありまして、へきれき一声、雷さんがおっこちるようなことは決してやらぬのでありますからして、この点はひとつ御安心を願いたいと存ずるのであります。
  64. 久保三郎

    ○久保委員 御高説を拝聴しました。時間がないものですから、もっとたくさんお話を伺わなければいけぬと思うのですが、一番最後のお話で、十分地元と話し合ってきめるんだ、これは当然だと思うのです。  それから、あなたのおっしゃる、だれも乗らない鉄道など置く必要はないのでありますから、それは問題ないかと思うのであります。それからもっと便利になること、これも当然なことでありまして、そういう点で御検討いただくというのだが、それはいつのことか。十分に慎重に——慎重といっても、一年も二年も縁談がきまらぬようなことになったならば、総裁、あなた責任持てますか。入試の問題でもそうなんですよ。最近は就職の問題でも、御案内のとおり、東京へ出かせぎということばかりにはまいりません。そこで汽車で通勤ができる程度のところにというのが、最近の雇用の一つの変わり方にございます。そういうのが今度は雇用ができない。いわゆる労働力の政策というか、そういう面からいっても、これは大きな問題になっています。だから私が申し上げたいのは、いつの時期にこういうものにけじめをつけるのですかと聞いているのです。  これは運輸大臣、あなたが最終的に判を押すのですか。あなたはいつのころと思っていらっしゃるか、お尋ねしましょう。簡単に結論だけでけっこうです。
  65. 原田憲

    ○原田国務大臣 いま総裁が答弁をいたしましたように、慎重な態度で臨んでいきたいと存じております。
  66. 久保三郎

    ○久保委員 運輸大臣は、総裁が言ったとおり慎重にという、慎重にはわかったが、いつまで慎重なのかと聞いているのです。これは先ほど申し上げたような現象が地元で起きてこなければいいのですよ。最終的には地元と御相談してというのでありますからして、それはそれでいいのです。私が言っているのは、慎重にはけっこうだが、いつまで慎重にやるのかと聞いている。これは早いところけじめをつけたほうがいいというふうに私は申し上げたいのです。時間もありませんし、それ以上答弁ができないかもしれませんが、副総裁どうですか。
  67. 磯崎叡

    ○磯崎説明員 お答えいたします、ただいま総裁並びに運輸大臣から申されたとおり、私のほうも事務的に、一線一線慎重に検討いたしております。しかも、まわりの客観情勢はどんどん変わっております、道路にいたしましても、産業配置にいたしましても、住宅配置にいたしましても。したがいまして、ある時点で要るとか要らないとかということを最終的にきめることは、これはできないことだと思います。したがいまして、そのときそのときに応じた調査を慎重に続けていくということに変わりないのであります。
  68. 久保三郎

    ○久保委員 いままでの御三人の答弁を聞いておりますと、いまだ白紙であるという結論になりますね。白紙です。そうとってよろしいですね。これはまだ白紙である。そうでなければおかしいのですね。地元と十分協議の上やっていくし、いまの副総裁のお話では、時間の進展につれて変わってまいりますという。そのとおりです、これは。この発表をしただけで、いわゆる急速度に過疎になりつつある地点もあります、これは冗談でなく。政府過疎を奨励しているのかどうかわかりませんけれども、そういうふうにもとれるものがある。だから私はそういう意味で、早急にこれはけじめをつけるのがいいのではないかということを申し上げているわけであります。いずれにしても、時間もございませんから一応意見だけ申し上げます。  次には、運賃の問題であります。経済企画庁長官にまずもってお尋ねいたします。あなたは国民生活の問題、そういうものを中心に担当されているのでありますから、最後まで国鉄の運賃値上げに反対されたというのは当然のことだと思うし、職責に忠実でその時点まではあったと思うのですが、最後にはこれはおりたようでありますが、この値上げに反対されたのは、何ですか。どういう意味ですか。どういう観点から反対なさったか。簡単にお答えいただけばいいのです。
  69. 菅野和太郎

    ○菅野国務大臣 簡単にお答えしますが、消費者物価を上げないために値上げに反対したのであります。
  70. 久保三郎

    ○久保委員 そうしますと長官、今度上げるということになりますれば、消費者物価が上がるということですね。
  71. 菅野和太郎

    ○菅野国務大臣 もちろん、鉄道料金を値上げすることによって消費者物価の値上げを促すことはもちろんであります。しかし値上げをすることに決定したにつきましては、それにいろいろ条件があるのでありまして、国鉄を値上げすれば、またこれに便乗値上げということを必ず要求してまいります。その便乗値上げはしないという条件で、そうして一般消費者物価を押えようという方針をとったわけです。
  72. 久保三郎

    ○久保委員 わかりました。物価が上がる、それからもう一つは、便乗値上げを、そういうことだから、これ以上上げられないからやめる。便乗値上げというのはどういうものが便乗ですか。
  73. 菅野和太郎

    ○菅野国務大臣 便乗値上げと申しますと公共料金一般をやはり意味するのでありますが、しかし公共料金といいますと、これはずいぶんたくさんあるのでありまして、問題はやはり国鉄の料金の値上げに応じて大手私鉄の運賃値上げということが大きな問題かと存じます。そこで、この大手私鉄の値上げを抑えるということによって一般物価に影響を及ぼさぬというようにしたい、こう考えておるのでありまして、国鉄を上げる、大手私鉄を上げるということになりますと、同時に一般消費者物価を上げるといういわゆるムードを生じることを私どもでは心配いたしまして、どうしてもこの物価上昇のムードを押えたいということで便乗値上げを押えたい、こう考えた次第です。
  74. 久保三郎

    ○久保委員 運輸大臣にお尋ねしますが、いま企画庁長官から便乗値上げの定義はお話しになりました。それで、今度値上げをいたしますれば、特に大手私鉄とおっしゃったようでありますが、私鉄の並行区間では運賃に格段の相違が出てくるものが多くなります。たとえば品川−横浜間ですね、これは国鉄と京浜急行が通っております。この京浜急行が通っているその中で、たとえば、通勤一カ月の定期、国鉄は値上げになりまして二千六百四十円、京浜急行は千六百三十円であります。これは一つの例であります。それから普通運賃でもそういうのがたくさん出てまいります。たとえば、東京−新宿間に例をとりますと、国鉄はいま五十円でありますが、これが六十円になる。営団地下鉄は現在四十円であります。こういう差が出てまいります。そうなりますと、やはり運賃の安いほうに乗客が片寄るのはこれは理の当然であります。そこで、これらの国鉄と並行している路線はいずれも通勤、普通の場合でもそう乗客の少ない線区ではありません。国鉄の運賃値上げによりましてそういう相違が格段に出てくるわけであります。そうなった場合に輸送はどうなるか。当然のごとく輸送は今度はさらに私鉄のほうに加重されるわけであります。加重されれば設備改良ということでやらなければならぬ。そのための資金が必要ですという、そういう問題が出てくると思う。その資金までは、きなくても、言うならばそういう現象が出てきていて、しかもいま大手私鉄はここ当分上げてもらっていない。だから経営は苦しいからという理由一本で値上げを申請してまいります。押えがききますか。私は運賃値上げにちっとも賛成はしておりません。しかし、そういう現象が出てきたときに、あなたらは、はっきりこれを断わっていけるかどうか、運輸大臣、どうですか。
  75. 原田憲

    ○原田国務大臣 運賃の問題について、私は、やはり国民経済の中で運賃だけが押えられておったならばアンバランスを経済に生じてきて、それが逆に国民生活に響いてくる、こういう面があると思います。先ほどから久保さんがおっしゃっておる議論の中にそれが十分述べられておると私は聞いておるのであります。しかし、定着しておる現在の現況を一度に激変さすことは、消費者物価に影響を与えるという問題と直面するわけであります。したがいまして、経済企画庁長官が、その面で国鉄運賃あるいは大手私鉄の運賃議論を、消費者物価が上がるから押えたいと思っておるのだ、こうおっしゃる面もあるわけでございます。  しかしながら、いまおっしゃっておりますように、あくまでバランスというものが必要ではないかという御意見は、私はそのとおりであろうと思うのでございます。しかしながら、公共料金という面を考え、物価に及ぼす影響を考えて慎重な態度で臨まなければならぬ、こう現在は考えておる次第でございます。
  76. 久保三郎

    ○久保委員 そうしますと、いまの企画庁長官のお話からいった便乗値上げというのをあなたは認めるという方向ですか、簡単に言うならば。いかがでしょう。
  77. 原田憲

    ○原田国務大臣 政府が申しておる極力抑制につとめるという態度で、慎重な態度で臨んでいきたいと考えております。
  78. 久保三郎

    ○久保委員 結局、この便乗値上げというのは、運輸大臣の側から見れば始末に負えぬから極力押えるという方針の中で針の穴を通す、こういうことのようであります。そういうことでしょう。大体歯切れが悪いですよ、この間の本会議以来ずっと。経済全業庁長官は多少歯切れがいいようだけれども総理大臣はじめいまの運輸大臣の御答弁のように極力抑制する、極力抑制するというのは上げる場合もあるということでありましょう。  結局上げないとするならば、これは公正ですか。同じ区間を、別な輸送機関だが走る時間もあまり違いがないものが走っておる。そういう場合に片方が安くて片方を高くするというのは、これは公正妥当なものと思いますか。企画庁長官でなくて、運輸大臣がいいでしょう。これは公正妥当ですか。
  79. 原田憲

    ○原田国務大臣 一がいに公正でないということは言えないと思いますが、やはり同じところを動いておるものの値段が違うということは、一物一価ということから考えるとバランスは失しておるではないかという先ほどの御議論のほうが近いのではないか、このように思います。
  80. 久保三郎

    ○久保委員 それからもう一つお伺いしますが、今度の運賃値上げは実収一〇%をねらった、実収一〇%というのは原価には関係なしですね。原価には関係がない、政策運賃である、言うなら。政策運賃というのがいいのかどうかわかりませんが、腰だめ運賃の値上げ、腰だめ運賃、そう言っていいと思うのですね。しかし、実収一〇%をねらったのだが、先ほどお話し申し上げたように貨物は上げられない。貨物は上げられないという理由は、先般の御答弁を聞いておりますと、貨物を上げるというとトラックのほうに逃げてしまうから上げられない。だから結局その分を旅客運賃の値上げに乗せるという、それで平均一五%値上げだというのだが、これは原価には少しも関係がないが、そのとおりでありますか。
  81. 磯崎叡

    ○磯崎説明員 個別の、ただいまの御質問の原価と運賃の問題でございますが、運賃法の第一条第二項第二号に運賃は原価を償うものであるという規則がございます。それで原価の中にも旅客運賃、貨物運賃、あるいは先ほどお話しの幹線、ローカル線というようないろいろな原価の見方がございますが、現時点におきましてはあの法律第一条第二項第二号は総括原価である、全体として国鉄の収入で支払をカバーするというたてまえでございます。それからいまの一〇%、約九百十億になりますが、この一〇%は償却を計上いたしますとやはり六百数億の赤でございますので、原価をカバーいたしておりません。若干まだ原価に不足しておる、こういうふうに了解いたしております。
  82. 久保三郎

    ○久保委員 副総裁の答弁をそのまま受け取っておきましょう。総括原価主義であるから、しかし九百何十億は言うならば原価にはほど遠い、四百八億を補給してもらっておるからということであります。しかしながら、その中でも厳密に旅客、貨物の原価を計算していく場合、従来からの常識的なものになっておりますが、旅客は黒字だが貨物は赤字であるということだ。しかも、今回は貨物を上げるべきなんだが上げられない、だから旅客がしょうんだということは、これは厳密に言えば原価に近いものではない。総括原価でありますから、おことばのとおりであるが、内容を割っていけば、より原価に近いものをとるのが妥当ではないかと私は思うのであります。  そういうことからいきますれば、今回の運賃の値上げはまさに腰だめ値上げでありまして、何も根拠が——三方一両損というが、これは三方でなく一方三両損の形ではないか、こういうふうにも思うわけです。いずれにしても、先ほど副総裁からお話があったように、今回の運賃の値上げ、これは遠からず運賃値上げのための改正法案が出てくるのでありましょうが、運輸大臣、今度は運賃法全体、国有鉄道運賃法全体の改正をお出しになるのでありますか。
  83. 原田憲

    ○原田国務大臣 きょう提出いたしまして、いま私、資料を持ってきておりませんので、鉄監局長から答えさせます。
  84. 久保三郎

    ○久保委員 いいです、大体わかりますから。結局いままでのしきたりどおり、運賃法の中身のキロ当たりのいわゆる料率というか賃率ですね、この改正の部分だけだろうと私は見ております。  先ほどお話し申し上げたように、国有鉄道運賃法第一条第二項にいうところの運賃を決定する原則というものが四つあるわけであります。これはすでに御承知のように、一つは、運賃は公正妥当なものでなくてはならない。さらに、運賃は原価を償うものでなければならない。さらにもう一つは、産業の発達に資するものでなくちゃならない。四つ目には、賃金及び物価の安定に寄与するものでなくてはならないと書いてある。これは正しい定義だと思うのですね。これはもちろん一つ一つでなくて、全体をくるんでこれが通るのが正しいだろうという考えでありましょうが、いずれにしても、いままでこの四つの点からお尋ねしてきたのでありますが、いずれもこれに当てはまらないですな。  だから、改正案をお出しになるならば、まず第一に第一条第二項の一号から四号までをかくのとおり直してお出しになるのがいいんではなかろうかと思うのであります。運賃決定の原則は、一つ、公正妥当なものではないこと、二番、運賃は原価を償ってはいけない、三番、産業の発達に資さないでいい、四番、賃金及び物価の安定に寄与しないもの、というふうに改正案はお出しになってくるのが当然かと思うのでありますが、総理、いかがでしょう。
  85. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 特に名ざしだからお答えいたしますが、そう皮肉な見方をしないで、久保君も事情はよく御存じですから……。私どもは法律の趣旨を尊重して、そうして今回の運賃改正を行なうつもりでございます。どうか、そういう意味で、あまり皮肉にとられないで、ひとつ御審議を願います。
  86. 久保三郎

    ○久保委員 とりようによっては、皮肉ですね。これはたいへん一国の総理大臣に対して失礼かもしれません。反省しましょう。しかし、反省する前に、人もなげに法律違反を犯してきて運賃を上げるということはどうなのかと開き直らざるを得ないのですね。法律にちゃんと書いてあって、これはもう、小学校といったらおかしいが、六年生ぐらいになればみんなわかりますよ。そういうわかり切ったことをそのままにして、てんとして省みずして賃率を上げてくる。上げ方もそういうこと。便乗値上げも極力抑制するというし、片方はそれは押えます、とこう言うし、言うならば、意見は統一していないのじゃないのですか。これは運賃法が出てきたときにあらためて審議はし直しますけれども、私はこれは決して単なる運賃法のこの原則からのみ反対ではありません。しかし法律違反だから違反とこう申し上げて、わかりやすく皮肉を交えて申し上げたので、皮肉のほうは取っておきます。  しかし、もう一つ申し上げておきたい。貨物運賃が上げられない、そういう国鉄の姿は真正であるかどうか。貨物運賃の賃率というか運賃制度を変えられないというのは、国鉄の姿として、将来に生き残るための国鉄としてこれは真正の姿であるかどうか。真正というのはわからないというから、これはこれでほんとうの姿かどうか、運輸大臣。
  87. 原田憲

    ○原田国務大臣 いまおっしゃっておることは、私は一つの議論であると思います。本来の貨物運賃を取るならば、それにふさわしい施設設備をして、そして運賃を取ったらいい、こういうことであろうと私は思うのであります。いまおっしゃっているように、近代的な貨物輸送ならば、コンテナとかフレートライナーとかそういうものにして、それにふさわしい運賃というものを取るのが国鉄というものじゃないか、こうおっしゃっておるのだと思います。そのとおりであろうと思いますが、そこへ持っていく前に、まさに本体がつぶれかけておる、こういうことで、これを再建しなければおっしゃっておることが実現をしない、こういうところで今度の国鉄再建の策を立てておるということを御了解賜わりたいのでございます。
  88. 久保三郎

    ○久保委員 この運賃値上げは、さっきも申し上げましたように、言うなら、腰だめと言ったらたいへん失礼かもしれないが、まあほかの理由で、というのは三方一両損、そういうものの、大蔵大臣はたくさん出して苦心したと言うが、なるほど孫利子なんという方法は、これは大蔵省でないとちょっと見当がつかない、うまいぐあいのやつを出してきたと私は思いますけれども、そういう意味では上手だと思います。苦心したろうと思います。しかしながら、財源をまっとうから、真正面から取り組んで出したとは私は思えない。  それからもう一つは、いまの運輸大臣のお話でありますが、そのとおりなんですよ、これは。私はもう一つ、そういう意味ばかりではなくてもっと言いたいのは、国鉄の運賃制度、それを真正面から正しく取り上げられるような国鉄にするということ、それは国鉄がこの国におけるところの陸上交通機関として、総合交通政策の中で正しい分野をきちんと与えられることが必要ですね。それから再建会議やその他で、まあおおよそ都市間の旅客輸送、あるいは大量中長距離貨物、あるいは通勤輸送、そういうものが中心として国鉄が分担すべき分野であるということになろうかと思うのです。しかし、これは法律にも制度的にもまだ確立しておりません。しかし、まあそういうところだと思うんですね。しかしながら、いまそれじゃそういう分野を担当するに十分かというと、十分でない。十分でないところにゆがんだ形の運賃値上げをすれば、残念ながら交通政策の中でもゆがんでくる、総合交通政策の中でも。手っとり早く言うならかたわの——かたわというのはおかしいが、ちょっとけがをしていま腕にギプスを当てておる人がおる。それに着物を着せて、これで将来と本やっていってもらおうということでありまして、これでは腕が伸びたときにどうするのか、これは伸びようがないですね、そでをこんなにしてしまうのですから。だから、そういう運賃の上げ方は、まず第一に交通政策からいっても、国鉄再建の方向からいっても正しくない、こういうふうに私は思うのです。これは時間もありませんから、私のほうの意見を申し上げておくだけにしましょう。いずれ再建法案その他が出てまいりますけれども、私はそういうことを考えてやるべきだ。そのためには、いま言った真正な姿に対して、この際は政府も積極的なめんどうを見るべきだろう。うしろ向きのたな上げだけで、はたして前進できるのか。運賃で九百億なんかとてもかせげません。しかもさっき言ったように、値切れないところだけ押えようというのでありますから、積極的ないわゆる吸収というか、たとえば総合交通政策からいえばおかしいのでありますが、道路の上には長距離の重量貨物が運搬され、交通事故の一因にもなっている、ところが国鉄には乗ってこないのですね。乗ってこぬからこれはどうにもならぬ、かせぎもできないということだと思うのです。いずれにしても、そういうかたわのままの運賃制度をやっていくべきではないと私は思うのです。これは理解してほしいと思う。そういう意味からも、物価問題ばかりや運賃法に違反しているとかいうような問題からばかりじゃなくて、そういう問題から運賃を考えてもらわぬと、国鉄は一ぺんこっきりで、これできまるわけじゃありません。だからそういうものを念頭に置いて再建策を考えてもらわなければならぬし、運賃についても考慮をしてもらう必要があるということを申し上げて、これは終わりにします。  次に、国鉄の管理体制でありますが、御案内のとおり、国鉄の管理機構は膨大なものがあります。もっとも、全体の機構が大きいのでありますから、これは当然かもしれません。しかし、それにしても管理者といわれる方々の数はかなり多い。   〔委員長退席、塚原委員長代理着席〕 だから、この管理者といわれる人の機構、合理化ならば、まず第一にそういう機構を減らしていくというのがほんとうだろうと思うのであります。たしか、何%かわかりませんが、ほかの会社、企業では持っていないほどの管理者がおります。機構にしても、国鉄本社、支社それから鉄道管理局あるいはその他現場ということでありますから、現場の駅・区長等を入れればかなりの数が管理者としているわけであります。これでどうしてもうかるか——もうかるというとおかしいが、企業的な経営ができるのかということであります。もちろん集中的な仕事でありますから、本社は本社でコントロールをしなければならぬ仕事でもありましょうから、そういう機構は会社、企業にはないのでありますから、多少はふえるのはあたりまえかと思うのであります。  しかしそれにしても、終戦直後公共企業体になったときにはたしか支社制度はなかったはずであります。ところがいつの間にか支社制度が出てきた。これは合理化といっていままで何万人かの合理化もやってまいました。これはたいへんな仕事だと思います。これからもこの合理化をやろうとしております。しかし、まず第一にやるべきは管理機構を縮小し、能率的にすることが先決ではないか、こういうふうに思うわけであります。  そこで、今度はごく最近の話では、御承知かもわかりませんが、東京鉄道管理局は三つにするというのであります。南と北と西でありますか、東があればマージャンでありますが、次には東もつけるのじゃなかろうかと私は思うのです。三つに分割するというのであります。私は、すなおに受け取ってこれは反対だ、こう言っているのです。いろいろ御事情もありましょう。しかしながら、過去においてわれわれは、若いころ経験しております。いま三つに分けようというのは、たしか昔の新橋運輸事務所、あるいは上野運輸事務所、あるいは八王子運輸事務所というか、そういうところであります。列車一本扱うにしても、東海道と東北線、これを結ぶところの、いわゆるまん中にあるのは秋葉原、そこがたしか当時の上野と新橋の境目かと思います。そこでもって、本来ならば上野の高架へ着いた列車は、でき得べくんばそのまままっすぐ品川なら品川へ持っていくとか、東京まで乗り入れるとか、東京まで来たのは上野まで来るとか尾久へ引き入れるとかいうような作業が順当であろうと私は思うのであります。ところがそれを一本ふやそうと思ってもなかなかできなかった経験を私は持っています。自分のほうの作業がつらいから断わりますよ。ところが、いま東京鉄道管理局になって、これはうまくいっているのではなかろうかと私は思う。ところがいま聞くというと、山手線は三つに分割される。そういう理由は何かと聞いたら、五万人か六万人の従業員がおりましてコントロールがきかぬというような話であります。コントロールは局長が直接するのじゃなくて、これは現場長というのがそのためにあるわけであります。ところが現場長はそれができない。現場長はできないから管理局を三つにしてやろうという。話の筋が違うと思うのですね。もしコントロールがきかぬというならば、現場長がだめだというならば、東京駅の中に東京駅長を十人くらいつくったらどうかと思うのです。それなら理屈はわかります。全体の経営がうまくいかぬというなら、鉄道は九分割じゃなくて十二、三に分割したらどうかという極端な話も出てまいります。しかし、これはあまりにも話だけの話でありますが、いずれにしてもそういう時期ではないだろうと私は思うのであります。もう少し検討を加えたらどうかというのでありますが、三月からおやりになるそうでありますから、これは経営の問題でありますから、どう判断されるかは当局の仕事であります。  しかし、奇怪なことには、ここに一つ問題が出てまいりました。さる日に山梨県から三分割について、いままで不便であったから、山梨県は三つの局にまたがっているから、今回はもしやるならば山梨県だけは一つにしてくれ、こういうような陳情で知事以下関係の皆さんがおいでになったんだそうであります。ところが、その席へ出席していた常務理事は七〇年対策のためにもというお話をしたそうであります。国鉄の三分割まで七〇年対策を考えて、片方では運賃値上げもしなければならぬというのに、これではあまりにも筋が通らぬ話ではないかというふうに私は思うのであります。総裁もその陳情をお聞きになったそうでありますが、私どもの同僚も、たしかきょうこの席に来ておりますが、聞いたそうであります。取り消しにはなったそうでありますが、冗談にしてもそういう話が出ているのでは、経営の方針としてわれわれは一ぺん正しく聞いておかなければならぬと思うのであります。総裁からその間の事情をお答えいただきたい。
  89. 磯崎叡

    ○磯崎説明員 企業の経営の合理化につきましては、まず管理部門を縮小すべしという久保先生の御意見には全く私も同感でございまして、実は私のほうも昨年以来五万人の合理化問題と関連いたしまして、現在本社、支社、管理局、現場という四段階になっているうちの支社をなるべく風通しよくするという意味で約半減いたしました。これもこの次の時点にはもう少し減らすつもりでありますが、とりあえず半減いたしました。そして管理局につきましては、いろいろな問題がございまして、三十七年に三河島事故が不幸にして発生いたしましたときにも、やはり東京鉄道管理局が実に五万人の職員を持っている、そして全国の旅客輸送の約半分、貨物輸送でも約三割という膨大な輸送を一人の責任者でやることは無理だというふうなことで、三十七年、国会におかれましてもいろいろこの問題も出たわけでございますが、そのときは何とか現在機構でやっていこうということで、局の次長をふやしたり、あるいは部長をふやしたりして、過ぎてきたわけであります。  その後非常に業務量がふえ、また今後も武蔵野線とか根岸線とか、いろいろ新しい通勤関係の線がふえてまいります。そうすると、いまの管理機構ではとてもやっていけないということがはっきりいたしております。したがいまして、私どもといたしましては、ここで思い切って線別の管理機構、すなわち東海道新幹線をつくりましたときにも、この管理機構をどうするかずいぶん議論いたしまして、結局東海道新幹線は東京で、東京から大阪まで一本で見るという新しい制度にしたわけでございますが、この際東京付近を東海道と中央線と東北線、この三つのブロックに分けて管理する。と申しますことは、現在のように輸送密度が高くなりますと、たとえば九州で事故が起こると、すぐ翌日東京の通勤輸送に響く。あるいは青函航路が雪でとまれば、すぐ東京付近の市場に響く。こういうふうに非常に敏感な線別の輸送になっておりますので、現在の非常に膨大な東京鉄道管理局を三つに分けまして方面別に管理する。こういうことはもっぱら輸送のたてまえでございまして、私もその新聞を見まして驚きまして、実はその担当の井上を呼びましていろいろ聞きただしましたところが、何かのことばの間違いと申しますか、その七〇年の問題というものはいまの日本人の頭にあるかどうかというふうな話も出たそうでございまして、そういう点でことばが足りなくてそういう誤解の記事が出たことは、本人もたいへん反省いたしておりますが、私どもといたしましても、あくまでも輸送プロ。八一と申しますか、国鉄業務の遂行の純粋な立場から今度の機構改正をやってまいりたいということをはっきり申し上げておきます。
  90. 久保三郎

    ○久保委員 副総裁、あなたの答弁の前段はまあいいですよ。あとの段で、井上常務の発言ですが、それはTBSの話でして、私はその問題を言っているわけではありません。証人がきょう来ておりますが、証人が来ているといってはおかしいが、その現場におられた方がちゃんと来ているのであります。だから、そういうことをお出しになること自体が私はおかしいのじゃないかという考えをしているのです。これはことばの端に出たのじゃないのです。同席された山梨県知事から、ここには社会党の先生もいらっしゃるからといって、あわててとめられたそうであります。気のきいた知事でありますから、とめたのでしょうね。ところが、駟馬も及ばずといって、口から出てしまったから取り返しがつかないというので、同席された総裁がお取り消しになったそうでありますが、私は、もしもそうだとするならば、これはたいへんなことだと思うのですね。副総裁、もう一ぺん恐縮ですが、あなたのいまの答弁は、TBSの記者とのやり取りの話ではないですか。私が持っている新聞は山梨県知事への回答で云々ですよ。これはほんとうは総裁から御回答いただくのがいいのですが、副総裁手をあげていらっしゃるから、副総裁でいいですよ。
  91. 磯崎叡

    ○磯崎説明員 私自身その新聞を拝見いたしております。そうして関係のその担当の井上を呼びまして実際の事情を聞きました。確かにことばが足りなくて、そういうふうにとられたような点もあるかもしれないけれども、これは自分としても非常に反省しているというふうに申しております。また、私が先ほど申しましたとおり、今回の機構改正は決してそういう一時的な問題でなしに、先ほど先生のおっしゃいました国鉄の将来の輸送体系に対処するためにどういう管理形態がいいかということのみを頭に置いてやっていることでございまして、決して一時的な問題に対する対策としてやったことではない。しかもこの問題は、三十七年のあの忌まわしい三河島事故のあと以来、実は私の頭にずっとこびりついていた問題でございまして、決して突然この問題を取り上げたわけではございませんし、具体案としては、すでに一年以上前から実は関係者にいろいろ研究させておった次第でございまして、その点そういう誤解を招いたことはたいへん遺憾でございますが、私どもの本心は、絶対そうでなしに、この境目にある鉄道業務の運営に一番いい組織形態を考えている、こういうふうに重ねて申し上げさせていただきます。
  92. 久保三郎

    ○久保委員 いずれこの問題は担当の委員会、一般質問でまたやらしていただきますが、間違ったにしても、そういうことばが出るほど、そういう七〇年対策というものを考えているようでは、残念ながら経営自体そのものずばりの経営にはなかなか身が入らぬのではなかろうかと私は思うのであります。これは国鉄の守備範囲じゃございません。これは、もしやるにしても、国鉄の守備範囲じゃない、私はそう申し上げたいのですね。  それから、もう一つは合理化ということでありますが、合理化といえば人員整理がそうであります。これはあなたのほうというか、国鉄のPR雑誌に載っていた対談の記事から、なかなかいい考えですからちょっと切り抜いて持ってきたのであります。こういう考えでやってもらえば問題はないのじゃないかと私は思うのであります。これは秋山さんという女の評論家の人とあなたのほうの常務の対談であります。運賃値上げに関しての対談の中に出てきている。この人、運賃の値上げには疑問を持っておるようであります。しかし、その問題は別として、この秋山さんという評論家が「それから、企業の合理化というとすぐ人員整理が問題になりますが、私はいつかソニーの厚木工場長さんから伺った話を大変おもしろいと思っております。企業の合理化はオートメ化とか人員整理なんかではなくて、働く意欲のある人間をどうして確保するかということだ、とおっしゃるんですね。」とこう言っておられます。なるほどりっぱな経営者の言だと思うのですね。何かいままでおやりになっている合理化というか、そういうものを見てまいりますと、これとはちょっと違って、労働の意欲を失うような、あるいは労働力がロスになるような合理化も中には散見することを私は遺憾に思っています。これは、いまここの評論家が言うとおり、労働意欲があるような人をどうしたら確保できるかという観点からやっていただきたい。官僚主義におちいった画一的な人員整理なぞをやるべきではない、私はこういうふうに思うのです。どうか、そういう点でひとつ、もしも同感でございますれば即刻取り入れてほしい、こういうふうに思います。  時間がありませんから先へ参ります。  そこで、幾つか重要な問題が残っておりますが、あまり時間がありませんので、一応きのうもこの席で民社の麻生委員からお話のついでに出ました水戸の射爆場の返還撤去の問題であります。この問題は、最近でこそ多少政府でもやや話に乗ってきているようでありますが、これは歴史は古いのであります。終戦直後から水戸は米軍の射爆場として原子力研究所のわきの一帯が使われている。そこでつい最近までの事故は驚くなかれ三百六十六件ございました。米軍によるところの事故は三百六十六件。そこで死亡事故は二十件あります。ことしに入りまして誤投下の事件が二件あるのであります。一月中に二件。人間が二十人死んでいるのです。ある者は子供でありました。幼児であります。軒下にがんぜなく遊んでいるときに、米軍の飛行機から補助タンクが突如落下してきて、この子供はせんべいのようにぺちゃんこになって死んでいった。ある老婆は、せがれの自転車の荷台に乗って公道を通過中に飛行機の尾翼でひっかけられて死んでいきました。ある者は海岸で海水浴中に機関銃の誤射によって死んでいった。そういう事故が今日まで二十件ある。全部では三百六十六件。しかもついこの間、一月二十四日には、村の鎮守のカシの木というか、木に模擬爆弾が投下された。従来から政府が約束してからもう三年になります。何らの進展なくて今日に至っている。地元ではこう言っています。「私たちには安保なんか関係ない。」こう言うのです。今日ただいまの命をどう守るかが問題だと言う。人間が殺されるという環境に置かれたときの心情をお互いは一ぺん考えてみたことがあるかどうか。死なねばならぬかもしらぬという環境、これはまさに戦場にいると同じであります。いつ何どきやられるかわからぬ。しかもたび重なる誤投下、誤射、これがあるたびに、原因の調査、そのために一週間ぐらいは爆撃を中止すると、こう言う。何べんも同じことをやってきている。そこで、地元ではもはやがまんがならぬというので、市長はじめ一般住民がこぞって実力行使に入ろうという。  私は、ここで時間もありませんから申し上げますが、これはじんぜん日を送っている場合ではないと思うのであります。われわれは、地元の一県民としても申し上げたいのは、この撤去ができるまでは、基地はあるのはしかたがないが、演習は一切停止をしてもらいたい。委員長席におられる塚原理事もそのとおり、同じ場所におります。安保の是非の問題じゃない。命の問題なんです。いかがでしょう。これは撤去されるまでの間、一切の演習は中止してもらいたい。そういう交渉をしてもらいたいが、いかがでしょう。
  93. 有田喜一

    ○有田国務大臣 仰せのとおり、水戸射爆場の問題は、ずいぶん長い間の問題です。私も東海村の原子力研究所をつくるときから、その問題は知っておるわけでございまして、しばしば科学技術特別委員会におきましても移転の決議が行なわれた、これもよく知っております。  そこで、防衛庁といたしましては、何とかこれを移転しなくちゃならぬというので、御存じでございまし、ようが、米軍と話し合いをしまして、そしてそれにかわる施設を新島にかくかくでやってくれるならばひとつ行こう、こういうことになりました。そこで新島の問題となってくるのですが、残念なるかな、新島の地元ではこれに反対されるし、またあそこは非常に漁業の盛んなところでありまして、漁業団体の反対もございます。また国際航空路にもなっております。  そういういろんな関係がありますが、政府の間におきましても、ことに私は先般も関係閣僚に要請いたしまして、何とかいろんな問題を調整しようじゃないか、ぜひお願いしたい、そして地元にひとつ納得してもらう話し合いの機会をつくろうじゃないか、こういう考えを持っておりますが、御承知のとおり水戸におきましては、最近のいろんな問題が起こっておりまして、そこでじっとしておれぬものですから、実はきのうもわがほうの政務次官を現場に派遣いたしまして、そしてかりに新島に移転ができたとしても、その間に相当の時間がかかりますから、演習をすぐやめるというわけにはいかぬが、何とか地元の方々の不安を緩和する方法につきまして、いろいろときのう米軍の人も現場に来まして、そういうような話し合いをして、ひとつ具体的方法を考えて何とか緩和する方法をしよう、こういうふうな考えでいまおるわけです。
  94. 久保三郎

    ○久保委員 いまの答弁では、いまただいまでも、これからいつ何どき殺されるかわからぬという人に対する回答とは、とてもじゃないが受け取れない。これは返します。  まあ有田長官はそういう危険にいま全然ありません。この国会もいまないです。しかし地元は今日ただいまでもあるのです。そういうものに対する回答になりますか。きわどいところで、二十人でいまとまっているのです。ある者は、誤射された機関銃のたまが落ちてくる寸前に、こたつに寝ていて起き上がって、その枕を銃撃されたためしもあるのですよ。そういう人に対する回答ではもはやないんです。三年前からの話で、われわれ地元のものは、移転であろうが何であろうがどうでもいい、とにかく取っ払ってもらいたいということであります。しかも、どれだけ米軍の機能に影響するのかわかりませんけれども日本の国民の命にはかえがたい。しかし、日本の国民の命を守るのは、だれが最終的に守るのですか。だれが守るんです。この責任をもしとるとするならば、これは政府自体ではありませんか。政府が、ちょっと待ってください、演習をいまやめろと言うわけにはまいりません——なるほど政務次官の努力も私は買います。買いますが、回答にはならぬということなんです。  だからここで、最小限譲っても、明日から、とにかく水戸射爆場が将来どうなるかの決定があるまでは演習は一切やめてもらいたい。そういう線で交渉を開始してもらわなければ、私はこの質問をやめるわけにはまいりません。いろいろ御都合もありましょうけれども、われわれはそんな安全条約の問題じゃない。いま、その声にこたえることが政治じゃないですか。いかがでしょう。これは総理にお聞きしたほうがいいんじゃないですかね。総理、いかがですか。いまただいまでもやられてしまうかしらぬというところに生活している者に対する適切な回答をしてもらいたい。演習は一切やめるということで交渉してほしいのです。君、そんなこと言ったって、常識でだめだ——これは常識じゃないのです。ぜひそういう方針で交渉してもらいたいのですが、どうですか。
  95. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 水戸射爆場の問題について、その地元の久保君、またその前には、いま委員長席にいる塚原君から、たいへん強い要望を実は受けております。私がかつて科学技術庁長官時分にこの問題がだんだん表面化してきて、そして他に移るということで候補地をさがしたはずであります。ようやくその候補地が見つかった。しかし、それが延び延びになっている。その結果、演習は続けられる。そこで、だんだん地域の方々からその措置について不満が述べられる。しかも、ただいまのような非常に強い不満がある。これはもう茨城県会におきましてもさような決議をしておるはずであります。そのこともよくわかって、私は承知しておる。その承知の上で米軍といろいろ交渉をし、また、ただいまも防衛庁を督励して、その移転などについていろいろ協議を進めておるわけであります。  しかし、いまのところ、必ず新島が引き受けてくれる、こういうところまでまだいっておらないこと、まことに残念であります。(「中止させなさい」と呼ぶ者あり)そこで、いま中止させろというお話がございますが、私はそのお話もよく伺いますが、しかし事柄が事柄でございますので、簡単に私は、ただ胸をたたいて、よろしいと、こうも言えないのです。いままでとられておるように、どうかそういう誤射、誤投下、そういうことのないように最善の注意を払ってくれろ、こういうことはしばしば申し込んでおります。これはその地域を避けて演習ができるはずだから、そういうような間違いが再び起こらないようにしてくれろ、ことに生命に関する問題だ、いまも言われるように、死傷者を出しているじゃないか、自分の知らないうちに撃たれておるじゃないか、そういう危険な状態ですから、この点を強く申し入れております。  しかし、ただいまの日米安全保障条約に基づいて施設、基地の使用を許可しておる、こういうのがいまの条約の状態であります。私はいまの点、特にこの委員会においてこれだけ強い御意見が出ておりますから、その意見の出ておることをも踏まえ、これは政府への鞭撻を受けた、かように思っておりますので、米軍に対しましてもさらにさらに強い交渉々しまして、そしてあやまちの再び起こらないように可及的な努力をしてもらうように対策を講じたいと思います。もちろん、その対策がないというわけではないと私は思っておりますので、そういう点について最善をはかってもらう、かように思います。
  96. 久保三郎

    ○久保委員 総理のお話でありますが、総理、どうでしょう。お話もわからないわけじゃありませんけれども、地元の住民にとれば、そのお話ではどうも納得しがたい。それで実力行使までかまえても、政府がどうにもだめなら、おのれ自身はおのれで守ろうかということで、実は危険を顧みず実力行使に入ろうとしているんです。だから私は、なるほど相手のあることでありますから、ここで確たる、胸をたたいてという返事はできないということでありますから、そのとおりでありましょう。しかし、当面、基本方針は、地元の実態やその声を聞いて、演習中止、その線で交渉する。いままでの新島移転という問題は地元には関係ないのですよ。演習はとにかくやめてほしい。基地まで直ちに撤去しろといっても、これは無理であります。演習は交渉のしようではやめられるんじゃありませんか。だから、ここでやめさせるという回答はあなたにできないかもしれない。しかし、やめさせるというか、中止させる方向で交渉をし直す、これからやり直すという御回答をいただきたいと思うのです。いかがでしょう。
  97. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 いま地元の地域住民の声、これを代表して久保君も言っておられる。私がまた先ほど、過日塚原君からもこの話を受け、私のいまお話ししたようなことを塚原君にも申しました。塚原君は、それではどうも地域住民の諸君の気持ちをやわらげるわけにいかない、またそれにこたえるゆえんでもない、こう言って塚原君も、わが党の人で非常に強く反対しております。(「超党派だよ」と呼ぶ者あり)これはいま久保君のお話を、そういう意味からも私お話の筋を理解するわけであります。  そこで、いま超党派だということを言われますが、基本的な問題から申せば、そう簡単なものではございません。日米安全保障条約のもとにおいて私どもはその施設を提供する、そういう義務を負っている。そこで、ただいまの問題が起こらないように、再発しないようにと、こういう最善の注意を払うようにそれを交渉することは当然であります。先ほど私の答弁が不満だといって重ねてのお話でございますが、私が米軍に交渉することは、今日この場における皆さんと私とのこの意見、これの交換、この状態を十分伝えて、そうしてなおいまの、中止しなければ実力行使にも入るのだという、こういうお話まで披露してよく最善を尽くすことをひとつ話し合ってみたい、かように実は申しておるのです。これは総理として当然の責務だ、かように思いますので、そういう意味でひとつ御了承いただきたいと思います。
  98. 久保三郎

    ○久保委員 いまの総理の答弁を私なりに理解をこういうふうにします。いまの私の発言を十分取り入れてそれで交渉をするというふうに考えます。これ以上申し上げてもどうかと思うのです。  ただ、ここで一言申し上げたいのは、もうさっきも申し上げたように、安保条約があるので米軍には施設区域の提供は義務づけられているんだ。もちろんそうでありましょう、安保条約でありますから。しかしながら、それは何でもかんでも一方的なものじゃなくて、最終的な場合には、わがほうとしての意見を言えないはずはないわけであります。だから、いままでは移転で妥協してまいりましたでしょう。しかし、それはそれなりにまだ問題を今後に残しておりましょうが、当面地元の者としては、いままで申し上げたとおりの線であらためて交渉をしてほしいということであります。有田長官も十分総理のただいまの答弁を理解されたと思うし、特に、外務大臣おられますがね、外務省はどうもアメリカに弱いという風評であります。(「出先だよ」と呼ぶ者あり)出先ですか。それじゃこちらのほうは強いでしょうから、ぜひ日本立場というか、この問題は十分いま申し上げたような立場であらためて交渉を始めていただくよう要望して、この問題は終わりにします。  それじゃ、もう時間もたくさんございませんが、二、三残っておりますのでお尋ねしたい。  それは、給与担当の大臣である床次大臣にまずお伺いしたいのでありますが、来年度予算がいま提案されておりますが、人事院勧告、いわゆる公務員の給与に関する勧告の扱いについては、昨年暮れ関係閣僚会議で一応の方針を出し、その後国会の意向をくんで四十三年度分は処理をされたわけでありますが、あの当時から今日まで、しかも閣議決定にその後なっているようでありますが、人事院勧告はこれを完全実施する、そういう方向で四十四年も予算編成に臨んだかどうか。いかがでしょう。
  99. 床次徳二

    ○床次国務大臣 公務員給与に関する人事院勧告の実施に関しましては、今日におきましても政府は、これを完全実施するということを基本方針といたしまして努力をしておる次第であります。
  100. 久保三郎

    ○久保委員 その方針であるとするならば、いま提案されている四十四年度予算案にはどういうふうに盛られておりますか。
  101. 床次徳二

    ○床次国務大臣 四十四年度予算におきましても、政府はただいまの方針を引き続き堅持しておりまして、したがって給与費におきまして一定額、五%に相当する金額を計上するとともに、なお予備費に計上いたしまして、そうして勧告のありました際におきましてはこれを完全実施すべく心がまえておる次第であります。
  102. 久保三郎

    ○久保委員 大蔵大臣にお尋ねします。  いま床次大臣から一応の答弁がございましたが、言い回しは少し違うようでありますが、これは完全実施ですね。給与費は五%組んである、足りない分は予備費でまかなう。同じような質問で同じような答弁になるのじゃなかろうかという心配をしているのでありますが、予備費でまかなうのでありますから、足りるかどうか人事院勧告が出ないとわかりません。足りなければどうするのかと聞いたら、そのときにならなければわかりませんと、こういう答弁になるのだろうと思うのだが、そういういわゆることばの問題じゃなくて、政府の姿勢は完全実施でありますか。特に大蔵大臣としては財政を握っておりますから、お尋ねします。
  103. 福田赳夫

    福田国務大臣 政府の姿勢といたしましては、できる限り早く完全実施をいたしたい、かような考えで臨んでおります。
  104. 久保三郎

    ○久保委員 早くというのは、四十四年からがこれは一番早くですね。それはどうなんですか。
  105. 福田赳夫

    福田国務大臣 四十四年度は七月から五%分の給与、それからあとは人事院勧告を見て具体的な決定をしたい。予備費がありますのでそれを使っていきたい。他の諸経費とのバランスを見まして、予備費を幾ばく充当するか、それは勘案してきめたい、かように考えております。
  106. 久保三郎

    ○久保委員 そうしますと、五%、七月からというのは、予算の積算基礎であるべき人事院勧告はまだ出てこぬから、一応四十三年度は七月から始めたから、大体そういうものを積算基礎にして一応見積もった、こういうふうに了解してよろしいですか。
  107. 福田赳夫

    福田国務大臣 まだ人事院勧告が出ておるわけじゃございません。したがって、一応四十三年度が七月でありますものですから、四十四年度も七月だ、かような考えです。
  108. 久保三郎

    ○久保委員 いま最後のほう、ちょっとよくわからなかったのですが、四十三年度は七月からということであったから、予算を調理する場合積算基礎が何かなければならないから、しかし、積算基礎であるべき人事院勧告はいまだに出てこぬから、去年の実績をあげただけである、こういうふうに了解してよろしいですか。
  109. 福田赳夫

    福田国務大臣 そのとおりであります。
  110. 久保三郎

    ○久保委員 そうしますと、人事院勧告が出た場合には、当然完全実施ということでそれに乗っていくわけでありますね。
  111. 福田赳夫

    福田国務大臣 先ほど申し上げましたとおり、なるべく早く完全実施をしたいというのが基本方針であります。しかし、給与といえども国費の一部分であります。全体の費用のバランスを見まして、また予備費の状況を見まして、何月から何%実施するというのが具体的にきまる、かように御了承願います。
  112. 久保三郎

    ○久保委員 これはいまのお話ではどうも毎年やっているような質問と答弁になってしまいました。こういうことでいいのか悪いのか、いまさら私から申し上げる必要はないと思うのですね。時間はむだだし、ものの考え方もそんなに違ってはいないのに、何でこうだろうか、これがやっぱり人間関係不信を招く原因だと私は思うのですね。やっぱり率直さが必要だと思うのですね、だれにもわかることばで。先ほど形而上の話が多過ぎてというのもあったようだが、私は形而上の話はあまり好きじゃないのですが、金の問題は形而下の尤たるものであります。しかし、やっぱり形而上の問題がつきまとわざるを得ないのは残念だと思うのですね、心がまえなんというのは。やっぱりドライに、ちゃんと勧告があって完全実施だというのなら、完全実施という考えです、それだけでいいんじゃないですか、それだけで。どうして言えないのでしょうね。別に穴をつくって、そこの落とし穴へ落とそうなんてそんなものじゃありません、これは。私らが月給もらうんじゃありませんから。ただ、制度としてストライキ権、団体交渉権というか、そういうものを奪っておきながら、代償としてこういうものができているのでありますから、それはすなおに答えていくべきじゃないかと私は思うのですね。二、三年前までは、財源がないからということでこれは予算をちびった。去年からは、いわゆるただいま大蔵大臣が諸施策のバランスを考えてというふうに、わけのわかったようなわからぬような文句をつけて、七月に−まあ七月は国会のほうから要求があったので直した。それは多少いままでよりはすなおでありますが、しかし、それは諸施策のバランスでありますから、そんなつかみどころのない話では、それをけ飛ばす理由は何もありません。  だからこの際、どうでしょう、これは佐藤総理にやっぱり一言だけ聞いたがいいですね。これは私に答弁するというより、何十万かの公務員ですね、早くいえばあなたの部下だ、それに対してやっぱり等えていただきたいと思うのです。あまりむずかしいことは私は申し上げません。どうですか。    〔塚原委員長代理退席、委員長着席〕
  113. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 この人事院勧告に対する政府の態度、これはもう一貫して変わっておりません。尊重するといつも言っていると思う。尊重ならばそれを形の上で出せ、これが皆さん方の御要望であります。この人事院勧告について政府が完全実施へのあらゆる努力をして、そうして尊重ということを具体的に示そうという、今回の予算編成にあたっては、そういう措置を一応とったと思っております。いま具体的な問題について、どうも歯切れが悪い、どうしてはっきり言わないか、こういったおしかりでございます。確かに歯切れが悪い。だが、この人事院勧告が出たら、十分他の財政支出ともにらみ合わせて、そうしてさらにさらに前進し、完全実施への努力をしたいという、これが政府考え方であります。私は、先ほど大蔵大臣がお答えしたのが最も正直な言い方である、かように思っております。こういう問題は正直であることが必要で、ただいままだ出てこない人事院勧告、それについて全部引き受けよう、こうはなかなか言えない状況であります。そとはひとつ御了承をいただきたい。  私どもも、できれば何としても完全実施をしたい。ことにいままでいわれておる時期の問題から見て一番問題になるのは、六月の月というのは、給与と定期賞与と二つありますね。そういうことをも考えながら完全実施への努力をしょう、こういうこともすでに一応考え済みといいますか、研究済み、こういうような状況でございます。この点は必ず引き受けた、かように私は申しません。というのは、人事院勧告がまだ出ておりませんから、どうかそういう点で御了承いただきます。
  114. 久保三郎

    ○久保委員 ことばの中からお気持ちを推測すれば、完全実施、それは考えているというお話であります。どうも質問していると、大蔵大臣はじめ何かしっぽでもつかまれて、それを言質にとられてのっぴきならぬことになっちゃ困るというようなことで、何か回りくどい答弁をされるんじゃなかろうかと思うのでありますが、そういうのは、さっきも申し上げたように非常にむだだと私は思うのですね。それはお互いに信頼していないからだろうと思うのですよ。しかし、少なくともこういう問題に対しては率直に御意見をお述べになることが一番いいし、また、われわれ自身もそんなお述べになったことについて言質をとってどうのこうのという筋合いのものではないと思っているわけでありますから、どうぞそういう方向でおやりになっていただくと同時に、人事院総裁おいでになっていますか。いままでお聞きのとおりでありますが、来年度予算案は御案内のとおりの編成にいまなっております。しかし、これは当然人事院勧告に、言うならガイディングライトをともすものではないと私は思うのでありますが、従来どおり完全実施の方向で勧告をされるのでありましょうと思いますが、いかがでしょう、念のためにお尋ねします。
  115. 佐藤達夫

    佐藤(達)政府委員 お答えいたします。  本年の勧告はこれから作業を始めるわけでございますが、これは従来どおり正確かつ客観的なデータに基づきまして、公正なる勧告をするつもりでおります。  しこうして、その勧告につきましては、これはぜひとも完全に実施していただかなければ、勧告制度の本旨にももとることになりはしないか。お金が足りなければ補正でも何でも組んでいただいて、ぜひ完全に実施していただきたい、これが私どもの念願でございます。
  116. 久保三郎

    ○久保委員 まあ佐藤総理の裏づけを佐藤人事院総裁がいたしたというふうにとりまして、本問題は善処を要望して前へ進みます。  時間もありませんが、最後に、一言総括的に佐藤総理に、あるいはお並びになっている閣僚各位に申し上げたいのであります。  これは世評でありますから、必ずしも私がそう思っているととられても困るのでありますが、佐藤内閣というか、今日までの政治の中には、一番大事なものをいつでも忘れがちだといわれております。それはどういうことかと聞いたらば、やっぱり一番大事なのは人間の命ですよといまさらのごとくいわれている。ところが、、現在の政治は命に対しては非常に軽くなっている。予算一つ見ても、そういう問題が各所にごろごろしているというふうに、今度の予算案に対しても批判している人がいます。大蔵大臣は首を振っておられますが、しかし、今度の予算は何でもあるという予算でありますよ。何でもある。これはデパートです。デパートでありますが、品物は専門化しておりませんから、特に薄いのは、粗悪品、命を守るそういうものが粗末な品であるというふうに思われがちであります。いや別に総理、そう首をかしげなくてもいいのですよ。一つ一つ申し上げる時間がないのでありますが、時間があれば一つ一つまないたに載せて申し上げたい。  たとえば道路の原単位一つ見ましても、あるいは交通事故一つ見ましても、史上最大であります。陸上交通事故。陸上ばかりかというと、漁船も貨物船も沈没していくのですね。結局、道路交通では八十四、五万の死傷者が出て、史上最高。道路の原単位はどうかというと、昭和二十九年からの数字をいただきましたが、昭和二十九年は原単位一七八であります。自動車一台当たりのいわゆる道路資産ですね。ところが四十四年、予算をもとにしてでありましょうが、三七であります。自動車はふえるが、道路はそのわりにはふえないどころか、減っていくというかっこうですね。減っていくといってはおかしいが、まあふえるのでありますが、これが日本経済成長の姿である。これはとりもなおさず交通事故は史上最大、道路原単位三七で最高、道路原単位が来年はもっと下がってくるでしょう。そうしたらば、まだ史上最高の死傷事故ができるのじゃなかろうかと思うのであります。  それじゃ、これに対する対策はどうか。交通安全施設等の整備事業一つとりましても、道路は六兆五千億でありますが、これをやっている。ところが、交通安全の施設等についてはその約二%ぐらいなんですね。二%という数は、言うなら九牛の一毛といったらいいでしょうね。そういう投資しかしてない。  それから自賠責、自動車損害賠償保障法、これに基づくところの死傷事故に対する補償の限度の問題もそのとおりであります。これはお門違いかもしりませんが、前の運輸大臣は、去年の通常国会の終わりに公式の席で私の質問に答えて、来秤までには五、六百万円に引き上げたい。私は六百万にすべきではないかと見ている、飛行機が六百万だから。そうしたら五、六百万にする。ところが、最近の事情を聞いていると、きょうの新聞でもいうとおり、損保界が料率の値上げをいってきた。いまのままでも二・五倍にしてもらわなければやっていけない、こういうのですね。この際私は言いたいのは、なるほど三百万から六百万なり五百万に引き上げるのでありますから、これは多少の料率の引き上げはやむを得ぬと思うのであります。しかしながら、損保界がいうとおり赤字であるならば、いわゆる六割が国の再保険でありますから、この際は損保界にはお願いしないで、国民の最低の命を守る仕事は国で全部やる直営方式にしたらどうですか。それからもう一つは、損保界は、六百万や五百万では人間の命はなかなか評価できません。そうだとするならば、任意保険の上積みについて精力的に積極的にこれは努力してほしい。これが損保界の任務ではなかろうかと思うのであります。そういう意味でこの改善を要求すると同時に、閣僚各位が乗っておられる自動車は自賠責の中には入っておりません。何かの死傷事故が、できないことを望みますが、できた場合には、あなたらは御存じないが、あなたらのお役所、最後には法務省で民事訴訟を引き受けます。それは残念ながら国の費用を出さないために国は訴訟をやるわけであります。被害者は残念ながら資力その他はございませんから、国の一方的なものに屈服せざるを得なくなってくる。これが適用除外であります。適用除外の車であります。  さらにもう一つは、自家保障と称して、たくさんな車を持っておる会社は、これは自分で保障しておるからいいというのです。これまた事故係というのがいて、被害者は取りつく島もないほど、ここでこてんぱんにやられる。訴訟に持っていく費用もない。向こうは資力にまかせて訴訟には勝っていくということになる。こういう不公平がいままで取り除かれておらない。隗より始めよというが、隗より始めるじゃなくて、隗が一番あとだ。そういう不公平をこの際直すことが先決じゃないか。  われわれは、国会にこの改正の法案を先般来提案しております。野党の提案でありますから、与党の諸君も賛成しかねるでありましょうが、われわれは即刻いつでもこれは引っ込めます。どうかそういう命を守ることにもう少し真剣になってほしい、こういうふうに思います。時間でありますからやめますが、その他幾多あります。だから、この自賠責一つ取ってもそのとおり。そういう命を守るというか、そういう観点からいくならたくさんある。  たとえば労働力の問題にしても、これは労働大臣から御答弁いただかなければなりませんが、時間がありませんからよしますが、たとえば中高年齢層やパートタイマーを積極的に職業紹介の事業としてやっていかなければ、いまの労働力不足に応じられないということで、去年は政策をお立てになった。ところが、実際は中高年齢層やパートタイマーの実態は何であるか。特にパートタイマーは主婦であります。それが健康を害するような職場にもどんどん雇用されておる。ところが、雇用の条件は安定しておりません。社会保障のないのが七〇%、社会保険がないのが七〇%ですよ。不安定、いわゆるこれは低賃金雇用層になるのです。そういうことについて何らの対策が今日ない。ないままに、今度は基準行政は、どういうつもりかわかりませんが、足して二で割る方式で、地方の基準局を県庁に入れてやっていくというのですよ。基準監督行政というのは独立した機関でやらなければいけないはずだ。しかも、これは事業所が多くて、人間が少ないのでございますから、なかなかそう思うように監査ができないというか、ほとんどできない。やれば、たとえば自動車運転手の実態をとりましても、御承知かもしれませんが、七〇何%は労働時間を十時間以上超過しておるのですね。そして、全事業所やったのかというと、たった二七%サンプルとして監査したらば、七〇%以上のものがいわゆる労働時間を超過して超過労働に服している。これで交通事故ができないはずはないじゃないですか。  だから、そういうものをぜひ皆さんのいままで持ってきた予算の中で、形式的にただ単にこれだけ取りましたというだけじゃなくして、そういうものに焦点を当てて予算の運用なり何なりをやるべきじゃないでしょうか。最後に一言総理からお答えをいただきまして終わりますが、命を大事にする方向をどうか一ぺん考え直してほしい。いかがですか。
  117. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 お説のとおりであります。ことに、私いまいろいろ首をひねっていたということでありましたが、一番私も心配しておるのは道路交通事故死傷者であります。いわゆる自動車を中心にしての関係者の事故、(「戦争である」と呼ぶ者あり)いまの戦争だということばを使われておりまするが、しばしば交通戦争といっております。これに適正に取り組まない限り問題を解決するわけにはいかない。いまこれについてはあらゆる面に問題が実はあるように思います。  一つは行政機構の問題もあるし、またいまの賠償責任、同時にその金額、その処理の方法等々、いろいろあると思います。しかし、これらについて、自動車賠償責任の額については、大蔵省で適正価額をいろいろ検討しております。また、民間会社でやることのほうが私はいいように思っております。国で直営しろというお話が出ておりますが、やはり何といっても民間でそれは経験を持っておるし、またこういう問題の扱い方が容易なように思います。したがって、今回の趣旨を徹底さしたらやはり民間でもそれはいいだろう。さらにまた、自由契約の面においても、そういうくふうもできましょうし、ひとり交通事故についてのみ申せばそういうような点があります。  また、交通事故等についての安全、これはもうたびたび国会においても決議等も与野党一緒になってやられておりますので、政府はそういう意味でもこの安全確保について最善を尽くす責任がある、かように思って、基本法等とも取り組んでおる、かように私聞いておりますが、さらにさらに、こういう問題については一そう力をいたさなければならない、かように思います。
  118. 荒舩清十郎

    ○荒舩委員長 これにて久保三郎君の質疑は終了いたしました。  次に石田幸四郎君。
  119. 石田幸四郎

    石田(幸)委員 私は、公明党を代表いたしまして、大学問題、物価に関する問題に関しまして、総理並びに関係各大臣に所信をお伺いいたしたいと思います。  大学問題は、今日のわが国社会の重要問題であるのみならず、世界各国共通の問題として、戦後二十数年間の教育がきびしく批判されている問題でございます。また、この紛争に対し、治安対策をもってのみ臨むならば、メキシコのような学生銃殺事件、もしくはスペインのような戒厳令下における言論の自由に対する極端な圧迫、あるいは結社の自由まで剥奪されるという、まことにゆゆしい問題に発展をしている事例がございます。こういう事例をよく見きわめながらこの大学問題は考えていかなければならないと思うのであります。  今日の大学が、単なる学園紛争から入試問題など社会的な問題に発展したことは、まことに遺憾と言わざるを得ないのでございますが、この大学紛争が単なる一部学生の暴力、現社会体制粉砕の革命理論によってのみ引き起こされたものではない、こう私は考えるのであります。紛争を引き起こした出発点は、やはり制度的な欠陥その他の問題であり、それが大学の体制の中にあまりにも多く存在していたからだ、こう判断をするのであります。たとえば急激な増加を示す大学志望者の問題、あるいはこれに対応できなかった教育施設の問題、あるいはまた受験本位の中等教育、急騰する授業料、入学金の問題、あるいは教官の待遇問題、あるいはまた研究偏在、教育不在の高等教育等、列挙すれば数限りはないと私は思うのであります。これらの問題が大学制度の底流にあるがゆえに、一般の学生の間に不満がうっせきし、一部学生の扇動的な行為を黙認したり、あるいは容認をしたりという結果を生んでいるのではないか、このように今日の大学問題を見るべきではなかろうかと思うのでございますが、これについて総理大臣のお考えを承っておきたいと思います。
  120. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 石田君の見方も、それはりっぱな見方だと思いますが、やや私は見方を異にしております。いま言われますように、各大学にそれぞれ紛争のもと、原因はあった。しかし、その紛争が最初の原因どおりで終始しているかというと、そのうちそれが変貌してきて、そうして反対制運動にまで展開し、それがただ学園、教育問題とは見られないような反体制、そうして過激な暴力行為、破壊的な政治活動、ここまでに変わってきている、かように私は思っております。したがいまして、問題が教育問題である限りにおいては、これは教育問題として扱わなければならない。しかしながら、教育問題の域を出まして、そうしてそれが治安の問題になっている。かようになると、やはり治安対策としてもこれを扱わなければならない。  しかし、事柄はどこまでも、起こりは学問の自由、学園の自治、この尊重にスタートしてわれわれは行動していかなければならない、かように思います。他の諸国における経験をも参考にして、私どもは間違いのない道をぜひとって、そうしてりっぱな教育の場に学園をし、そうしてわが国の発展に寄与するようにぜひともしたいものだ、かように実は考えております。この点が間違っておるというような点を指摘するわけではございませんが、私はさように見ているということだけを申し上げておきます。
  121. 石田幸四郎

    石田(幸)委員 いまの総理大臣の答弁をお伺いをいたしますと、今日の大学問題が治安対策としても考えられなければならない、この点については私も異存はないわけでございますが、これからの新しい大学をつくるためには、やはりこの制度的な問題あるいは教育環境の問題、こういう問題は現在の治安対策とは別個に考えてしかるべき問題ではなかろうか、こう思うわけであります。  それで、私は総理にお伺いをしたいのでございますが、このように明確に分離をしていくならば、いわゆる今日のそういった大学の諸問題に対して大きな不満を持っている一般の学生諸君、こういった学生諸君に対する手厚い教育制度もしくは環境の整備ということは、むしろ暴力学生とその行動を分離させるところの根本的な問題でなかろうか。いわゆる一部暴力学生とそういった一般の学生の行動とだんだん遊離さしていくためには、むしろこういった面に力を入れていくべきではなかろうか、こう考えているのでございますが、総理はいかがお考えでしょうか。
  122. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 石田君のお尋ねは、問題に巻き込まれてない一般学生、そういう者といわゆる反体制暴力学生、こういう者を分離する方向であるべきだ、こういうようなお尋ねかと思いますが、私は、とにかくわれわれの一番大事なのは、きょうも朝のうちに他の方にもお答えしたのですが、民主主義を守ることにあるのだと思っております。その民主主義にスタートして、そうしてもろもろの現象を判断していき、是は是、非は非、悪は悪、正すべきは正す、こういうことでなければならないと思っております。そこで、いわゆる一部の暴力学生、一部の政治活動をする学生、これの中も実は単純でないのです。これは一様に、一つにきまっているなら扱い方も楽だと思いますが、この一部の暴力学生というものの中が幾派にも分かれておる。しかもそれらの連中がお互いに戦いつつ、リーダーシップをとりたいという、そういう立場から争いながらも、一般学生がこれを傍観しておる、こういうようなところに問題があると思いますね。  また、学生の面からだけではなく、教官の面から見ましても、管理運営という点で一貫したものがない。だれが責任をもって管理運営しているのか、こういう点にも問題があると思います。学問の自由、教官がどういうような思想のもとで、どういうような研究をされようと、これは御自由だろうと思います。しかし、大学の管理ということになると、そういうものもやはり一本でないと、これはできないだろうと思います。そこらにも問題があるように思う。  また政府自身は、御指摘になりましたように、教育問題は教育問題として見ろ、また治安問題、これは別にする。しかし、その治安問題は別ではございますが、これから改正されるものもまた同じような治安問題を起こし得るような環境ではいかない。こういうことで、どこまでも学園の自治を尊重し、学問の自由を確保する、こういう立場から関係者一同、ひとつどうしたらいいのか、政府も学校当局もまた学生諸君も、そういうような見方で取り組んでもらいたい、かように思っております。少し先を急いでよけいなことを申し上げるようですが、政府がいま中教審、中央教育審議会に、答申をまってこの処置をとるということを申しておるのも、そういうゆえんであります。政府がいわゆる独善におちいって、そうして政府案を押しつけようとするのではありません。中教審の各委員の方々も非常に御多忙にかかわらず、いまたいへん早く結論を出したいといって一週に二回も会合を持ち、その間にはまた、委員会だけで結論を出しては非常に片寄ったという非難もあるから、やはり適当に懇談会等を設けて一般の方の意見も聴取するようにし、中教審の委員諸君みずからも勉強しながらこの問題と取り組んでおられます。したがって、私ども、あまり先ばしったことをしないで、この中教審の答申をまって、そうして対策を講じたい、かように思っております。
  123. 石田幸四郎

    石田(幸)委員 この問題については、またいろいろな問題点をあげて、さらに論点をはっきりしてまいりたいと思いますので、先へ進みます。  文部大臣にお伺いをいたしますが、問題は東大の入試中止の問題でございます。政府が中止を決定した理由は、学園の施設が破壊され、また精神的にも荒廃してしまって、入学生を受け入れるべき状態ではない、こういう判断であったと思うのであります。一体政府は、施設の荒廃に重きを置いて中止に踏み切ったのか、あるいはまた精神的な荒廃という問題に重きを置いて中止の判断をしたのか、この間の事情をもう少し伺いたいと思います。
  124. 坂田道太

    ○坂田国務大臣 私、二十日の朝、東大を総理とともに視察をいたしまして、あの荒廃したところに立ちましていろいろ考えたわけでございますが、物理的な荒廃もさることながら、一体なぜ学生たちはこのように憎しみ合わなければならないのか、そしてまた、教官に対してなぜこのように不信の気持ちを持っておるのかということを感じたわけでございます。また一体、この状況において八千名の警官が、それこそ命がけで、二日間かかって、そうして安田講堂の暴力排除をやった。その後においてなおかつ、もし警察官が去った場合において、はたして教育の正常化というものがあり得るだろうか。共闘会議の人たちがまた襲いかかってくる可能性もある。現にやっております。昨日も駒場で起こっております。そういうようなことを考えまして、まず第一に大学当局として考えなければならないことは、現在おる学生たちに対して、早く教育の正常化をはかり、そしてまた授業再開をし、そして進級させるべき者は進級をさせ、卒業させるべき者は卒業させる。また、教授、学院生、あるいは学生たちの学問の研究というものに取りついていただかなければならない。これが私は大学としての国民に対する最大の責任ではないか。また私もさように考えましたがゆえに、先方が、つまり東大当局が申しましたところの、不十分ながら入学実施への条件は満たされたものであるというその主観的なお気持ちと今日までの御努力に対して、私は最大の敬意を払うものではございますけれども、私は客観的に教育の正常化が満たされたものではないという形で、私は、文部大臣といたしましては、その意思を申し上げ、そして両者の間にこの協議がととのわず、事実上中止になったということでございます。
  125. 石田幸四郎

    石田(幸)委員 私が今回の東大入試中止の原因としまして環境の問題、いわゆる施設環境の問題、あるいは精神的な環境の問題どちらに重点を置いて入試中止を決定なされたのか、それを聞いている背景は、大学が教育の場であるということを出々えるならば、また学問の自由あるいは大学の自治を守るためには暴力に屈しない、そういう姿勢が私は一番大事ではなかったかと思うのであります。管理機構の不備あるいは管理能力の問題、いろいろございましょうけれども、機動隊の導入によって一応暴力も排除することができたわけでございます。そういう状態でなおかつ入試中止を決定したということは、結果論としまして、教育が暴力に屈したことを端的にあらわした証拠ではないか、こう私は危惧を抱くわけでございます。  なおまた申し上げますと、本日の新聞の報道によりますと、関西学院大学は、紛争解決のめどがつかないままに、機動隊の擁護のもとで入試実施をする、こういう方針を伺っております。こういった姿勢と比べてみて、いささか私は、現在のあの暴力学生の暴力に屈してしまった、そういうような感を持っておるのでございますが、これに対する文部大臣の御意見をお伺いします。
  126. 坂田道太

    ○坂田国務大臣 現在、加藤執行部が警察導入をあえていたしまして、そして暴力学生の立てこもっておる安田講堂を排除し、そして教育の正常化をはかっておる。このことは、私は加藤執行部というものがむしろ暴力排除、そして学問の自由と、そして大学の自治を守ろうとしておるあらわれであるというふうに考えておるわけでございまして、望むならば、むしろ一年間も教育の正常化がこれらの学生において荒らされておった、あの昨年の事態において、早くこういうような措置をとらなかったのはどうしてだろうかということを思いますけれども、今日の段階ではむしろ暴力排除に勇敢に取り組み、そして教育の正常化、そして学問の自由と大学の自治を守ろうとしておられる、かように私は思っておる次第でございます。
  127. 石田幸四郎

    石田(幸)委員 それでは先へ進めますが、今回東大の入試が中止されたのでございますけれども、文部省は中止の条件としまして、各国立大学の定員の振り分けをすることを一般受験生にお約束をされていたはずでございます。ところが、その後新聞を見ますと、定員の振り分けを拒否する大学が非常に多く出てきているのでございます。はたして国立大学の中で、この文部省の意向を受諾する意思を表明した大学は何校あるのか、あるいはまた拒否した大学は何校あるのか。また拒否した大学について、一体それは東大あるいは教育大の定員の何名分に相当するのか。この辺のところをもう少し明らかにしていただきたいと思います。
  128. 坂田道太

    ○坂田国務大臣 お答えをいたします。  十二月二十九日に東京大学、三十日に東京教育大学と協議をいたしまして、中止と決定をいたしました。しこういたしまして、行政責任者といたしまして、この三千九百人のぼる志願者の方々に対しましては、何とかひとつ国立大学の他の大学に増員方をお願いしてまいって今日に至っておるわけでございます。ただいまのところ、約千二百名程度は受け入れていただくというようなことになっております。また同時に、国立の新規増員分がございますので、これが千二十人、合わせまして約二千二百二十名ぐらいは何とか受け入れていただくわけでございますが、さらに公私立の増員予定が本年度は八千五百七十五人でございますので、この公私立関係においては何とか受け入れていただくわけでございます。  しかしながら、何と申しましても、国立大学には経済状態が不如実な家庭の方が非常に多いわけでございまして、この方々の子弟の門戸が閉ざされたということに対しましては、文部大臣といたしまして、まことに実は遺憾でありますし、おわびを申し上げなければならないというふうに思っておるわけでございます。しかし、現在は千二百人でございますけれども、なお今後あらゆる努力をいたしまして各大学にお願いをいたしまして、一人でも多く増員をしていただきますようにお願いをしようと考えておる次第でございます。  しかも、これをいろいろ、さなぎだに学生の紛争というものが政治的問題がございますものでございますから、単に学内問題だけじゃなくて、政治的な主張を暴力によって大学を拠点としようという一部の集団がございますから、そういうような増員そのものがまたさらに大学紛争を起こす、あるいはそれをエスカレートするということがございまして、大学、大学のそれぞれの事情等もございますから、私といたしましては、無理にこれをおとりなさいというようなことは、これはよくないではないか。しかしながら、大学当局としても、ぜひこういうような国民の声にこたえ、志願者の気持ちにこたえ、また貧困者の家庭の子供にこたえて、ひとつできるだけ一人でも多くとっていただきたいというふうに努力をしておるわけでございます。どこの大学が拒否したとかなんとかということは、あるいは大学局長のところではわかっておるとは思いますけれども、むしろそのことを発表いたしますことが——現実に結果としてはこれだけふえたのだということを考えますと、これをあまり発表しないほうがいいのではないかというような気持ちもいたしまして、その最後の努力をひとつ続けたいと考えておる次第でございます。
  129. 石田幸四郎

    石田(幸)委員 文部大臣の御答弁によりますと、遺憾の意を表明せられ、さらにまた各国立大学への依頼を真剣にやる、こういうようなお話でございますので、この問題はこれ以上追及いたしません。  今日、大学紛争というものは連日新聞をにぎわしておりますけれども、だんだんエスカレートしているような、そういう状態でございます。現在紛争を起こしている大学は一体全部で何校あるのか、あるいはまた完全に機能麻痺を起こしている大学はどのぐらいあるのか、こういった問題を実はお伺いしたいのであります。これはなぜならば、入学時期を迎えまして、これらの機能麻痺を起こしている大学がさらに入試中止をきめるような場合になりますと、これは一般受験生に対してだけではなくて、さらにまた大きな社会問題に発展をするのではなかろうかと私は憂慮をしているわけでございます。そういう意味からお尋ねをするわけでございますが、文部大臣に答弁をお願いいたします。
  130. 坂田道太

    ○坂田国務大臣 正確な数字をただいま私ここに持っておりませんので、大学局長から御説明を申し上げたいと思います。
  131. 村山松雄

    ○村山(松)政府委員 紛争と申しましても程度がいろいろございまして、ささいなものは除きまして、かなり著しいものということで申し上げますと、現在国立大学二十校、それから公立大学一校、それから私立学校入校、計二十九校がかなり問題の紛争をやっております。  紛争の種類もいろいろございますが、紛争の形として大別いたしまして、授業放棄をやっておるものが十九校、それから施設を占拠しておるものが二十一校、合わせますと四十校になりまして二十九校よりふえますが、これは両方ダブってやっているものがございますので、重複いたすわけであります。  概要、以上のとおりであります。
  132. 石田幸四郎

    石田(幸)委員 新聞等の発表とはいささか数字が違うのでございますけれども、一応いま申し述べられた学校の数は五十校であります。紛争が非常に激化しているものと見なければならないのでございますが、もしこれらの学校が入試中止を要請してきた場合に、文部当局はこれをお認めになりますか。
  133. 坂田道太

    ○坂田国務大臣 やはりいろいろの問題がございますので、これは私立大学の関係もございますから、私立大学は私立大学としての取り扱いがあるかと思いますけれども、国立大学の場合におきましては、やはり協議をいたしたほうがいいのではないかというふうに考えております。詳しくは、大学局長からお答えを申し上げることを御了承いただきたいと思います。
  134. 村山松雄

    ○村山(松)政府委員 御説明申し上げます。  大学の入試の実施は、原則といたしまして大学の学長が行なうわけでありまして、文部省といたしましては、大まかな方針を関係者で協議いたしまして、これを大学入学者選抜実施要項という形で指導通達を出しております。たとえば入試実施の科目を何教科にしてどういう出題範囲にするとか、あるいは入試の期日、方法等がその内容でありますが、こういう通達を出しまして、大体その範囲で大学の責任においてやっていただくということにいたしております。  なお、通達によりがたい場合には協議していただくということでやっておりまして、まず私学につきましては、大体大学が自主的におやりになっております。したがいまして、入試実施をするかどうかということにつきましても、まず慣例といたしまして、文部省に特に協議されることもございませんし、現段階におきましても大学の責任において善処されることと思っております。  国立学校につきましては、入試実施に先立ちまして定員の問題、予算の問題、その他行政措置もありますので、協議を受けて、両者の合意によって重大な場合には変更措置をやるということでやっておりますが、現在までのところ、すでに中止を決定いたしました東京大学及び東京教育大学のほかは、問題がありましても、大学としては万難を排してぜひ入試をやりたいという方向の意思表示がなされておりまして、入試実施を中止する方向での協議はございません。
  135. 石田幸四郎

    石田(幸)委員 各大学とも、入試中止に対して断固としてこれを排除するということは当然の立場であろうかと思います。しかし今日、受験生の立場に立って考えてみますと、こういった中止問題は非常に大きな問題だと思います。さらに、いま東京教育大学の話が出ましたけれども、私は確認の意味でお伺いするのですが、現在東京教育大学の中には、ストがこのまま強行されるならば廃校になるのではないかというようなうわさが学生間に非常に流れております。そしてまた、結果論として廃校したほうが筑波移転が容易に可能である、こういうような論議も一部出ているために、学生諸君の不安はますます増大をしているのであります。もしこれがこのように計画されている、そういう意図があるとするならば、私は非常に学生諸君が気の毒である、このように思います。また、こういったスト問題からついに学校を廃校しなければならないなどという問題は、先ほども議論として申し上げたのでございますけれども、まさに暴力が教育を圧迫した姿になってしまう。そういう意味から、この問題についてそういう可能性があるかないか、絶対に廃校はしないのか、こういった問題を御答弁願いたいと思います。
  136. 坂田道太

    ○坂田国務大臣 教育大学もずいぶん長い間紛争を続けておるわけでございますが、ただ体育学部だけは入試を実施するということで、現在も正常な教育を行なっておるように聞いておるわけでございますが、一日も早く教育を正常化いたされまして、そうしてこの教育の正常化、そして現在おられますところの学生たちが、教育と研究を十分に果たして、進学すべきものは進学するし、また卒業すべきものは卒業するというような体制をまずとっていただくということが先決ではないかというふうに考えておるわけでございまして、廃校とかなんとかということを私は考えておりません。
  137. 石田幸四郎

    石田(幸)委員 それでは確認書の問題に移ってまいりたいと思います。  東大における確認書の問題は、次のような推移で今日に至っております。一つは、与党内において、文部大臣と加藤代行の話し合いに違反をする、さらにまた、確認書は絶対に容認できない、あるいは確認書にはとらわれない、こういうような議論から、内閣法制局にその検討がまかされまして、その検討の結果が出てまいりました。そしてその結論は、確認書の性格や表現から見て、全体としては違法ではない、しかしながら、警察官の導入などの問題で、運用いかんでは違法にもなる、こういうような意見であります。さらにまた、この前の予算委員会では、総理は、確認書を出発点とはしない、こういうような否定的な態度をとっていらっしゃるわけであります。  私は、この確認書は、東大側におきましても、実際の運用ということになりますれば、さらに細部の問題についていろいろ明確に規定をしなければなかなかその実施はむずかしいのではなかろうかと思います。しかしながら、こういった議論が起こっているのでございますので、私はその基本的な問題について幾つか総理にも伺ってみたいと思うのであります。特に、総理自身がこの確認書に対して問題とされた点は何なのか。警察力導入問題か、あるいは捜査協力の問題か、あるいはまた学生処分の問題か、あるいは大学自治なのか、どこにウエートを置いて問題とされているのか、この点の御意見を承りたいと思います。
  138. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 いろいろ具体的な内容について問題があるようですが、私は、それらについては法制局長官が一応検討しておりますから、それには触れません。  私がまず第一に疑問に思うというか、どうも納得がいかないのは、ああいう雰囲気、秩父宮ラグビー場において締結というか確認された十項目というもの、これは平穏また平静のうちに、どうも自由意思で問題が書き出されたとは考えられない。確認書の問題は、申すまでもなく大学の今後に重大なる影響を与える一つの基本方針ともいうべきもので、これをきめるのにしては、あの雰囲気は適当でないと私は考えております。私は、そういう意味から、どうもこれは気に食わないが、よくひとつ検討してみてくれないか、こういうことを法制局に申したような次第です。これが平穏無事にやられたとはどうも考えられない。
  139. 石田幸四郎

    石田(幸)委員 私は、その総理の御所見とはちょっと意見が異なるのでございますけれども、たとえば、今回中教審におきまして大学制度は考えられております。おそらくこの提出というものは、早く提出をすべきであるというふうになってくると思うのでございますけれども、現在の大学紛争の分析の問題からいきまして、必ずしも時間的に十分じゃない、こう私は思います。  さらにまた、こういった確認書をつくられるにあたって、大学の基本的な運営方針でございますが、いままでこの大学の改革案につきましては、各政党全部その意見を出しております。そういう状態を見ましても、私は、そういった異常な雰囲気というものを十分に考察した結果、どうしても早くやらなければならない、こういうような意味で各党ともそういった対案を出されておるのではないかと思うのです。そういった意味で、加藤代行も、何とかして現在の学生紛争を収拾しなければならぬ、そういう意味でおそらく急がれたと思います。ですから、そこにいろいろな問題点が発生をしておるのだと思いますけれども、やはり基本的な問題としまして、大学自治を守りたい、大学の運営を正常化したいというその熱意は十分に買ってやらなければならないじゃないか、このように私は感ずるわけでございます。  さらに、法制局で指摘されておりますように、いろいろ問題点はございます。ですけれども、これはまだその可否がはっきりと限定されたわけではございませんので、ひとつ前向きの姿勢で応援をする、そういう立場に立たれてこの確認書をごらんになるべきじゃないか、こう思うのでございますが、もう一度総理の御所見をお願いいたします。
  140. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 いま一応申したとおりでございますが、いま中教審も急いでおるのではないか、こんなのは一体どうだ、こういう中教審の答申と比べてのお話でありますが、いま石田君も言われたように、加藤代行が急いでああいうものをきめたという、それだけは、もう急いだことは確かなんだ。中教審は問題が起きてからこれをひとつやっておるわけじゃない。これはもう最近は回数は多くなっておりますが、もちろん急いでやるべきだ、かように実は思っておる。私も加藤代行のやられたことを全部否定するものじゃありません。加藤代行は、何とかして早く話をつけたい、かように急がれただろうと思う。それは管理者として当然のことだ。これはあの時期でなくて、もっと早くやられてもけっこうじゃなかったかと思うくらい、加藤代行の努力されたことは高く評価していいと思います。それだからといって、ああいう状況のもとできめられた確認書が全部いいとは言えないと思う。やはり加藤代行の努力の方向、また努力されたこと、これは高く評価してしかるべきだ。しかし、それと確認書を取り上げるか取り上げないかは別の問題でございますから、これはもう頭脳明晰な石田君にもよくおわかりのことだと私は思っておる。それを一緒にはしない。私も、加藤代行がいま一生懸命にやっておられることをほんとうに高く評価しておりますよ。先ほど文部大臣が言っておられるように、これは管理者として当然のことですけれども、一日も早く大学を正常化しなければこれはたいへんなことになる、こういうことでたいへん心配しておられると思います。私が現場を視察したときも、加藤代行自身が私を案内された。そうして、あれだけの問題のあったその翌日ということでありますから、そのあと始末は一切手はついておらないが、そういうところで、現状を私はよく見ることができたと思いますが、同時にあの状況を全部だ、かように私どもは判断はしておりません。その後はだんだん正常化されつつあると思います。しかし、なお一部政治的な破壊活動を扇動をしたり、またみずから先頭に立ってそういうことをしている学徒のいることもこれも忘れてはならない。そういう点についてなお力としては十分まだ学内を平静化することはできない、かように私は思っております。
  141. 荒木萬壽夫

    ○荒木国務大臣 補足させていただきます。  先ほど来総理大臣が仰せになりましたこと、そのとおりだと私も存じます。ただ、いささか懸念されることがございますから補足させていただきます。  あの確認書は、大学当局としましては、評議会の議に付して最終的な大学側の意思を決定する。さらに学生側はそれぞれの学部集会等をいたしまして、二十数項目に分析されますところについて賛否を明らかにしながら問題意識を確定する、こういう順序のようであります。そうして近く評議会と学生代表との間に、あるいは大衆団交の場において大学当局と学生側との合意をする、そういうことであの確認書が大学としては定着する、そういうコースをたどっておると思うのであります。  私は、毎度申し上げますが、大学というのは本来治安当局とは関係のない存在だ、かように思います。ところが実際はいろいろな派閥に分かれまして、暴力まかり通る状態が東大をはじめ学内にございますこともすでに御指摘のとおりでございます。   〔委員長退席、中野(四)委員長代理着席〕 その関係において初めて治安当局としても無関心ではあり得ない。すなわち、議会制民主主義とは秩序を維持する、法を無視しない、無法は許さないということが根底であると思います。大学といえどもむろん例外でございませんので、その意味においての関心事たらざるを得ない、こういう意味合いにおいて懸念さるべき点を治安当局だけの立場に関する意味合いにおいて申し上げたいと思います。三つございます。  第一には、一義的には教育課題だと存じますけれども、あの確認書の中のほとんど全部の確認をした、学生側も承諾したといわれるものの中に、去年の一月以降の各種の刑法事犯をはじめとしますところのもろもろの課題につきましても処分はしないというたてまえであると承知をいたしております。このことは教育的立場の学則に照らして処分をしないということですから、そのことそれ自体は治安当局としてかれこれ申し上ぐべき課題ではないと思います。ですけれども、たとえば、文学部の林文学部長を八日間も軟禁をし、自由を拘束した事案をはじめ、暴力ざた、あるいは公務執行妨害罪、あるいは不退去罪、あるいは器物損壊罪、あるいは建造物損壊罪等もろもろの刑法事犯に触れる容疑者があるわけであります。それらも提案ないしは確認書を通じて察知し得ますことは、それらの者といえども学則に照らした処分はしないというたてまえのようであります。極端なことを申せば、刑法事犯に係属をいたしまして一年なら一年の実刑を科せられたとしましても、それは学則に照らして処分しないわけですから、刑務所から出てさましたら、完全に学生として復帰できるということも意味するほどの処分をしないという内容は、このことが定着しまするならば、不法行為を犯しましても、学則に照らしては不問に付せられる。いわば無法まかり通ることを大学が公に認めるということを意味する。これが東大をはじめ国立大学ないしは全国の大学に風を望んでそういうふうな処置が定着するとしますれば、治安の立場から見ましても容易ならざる議会制民主主義の敵がそこに培養されるということを意味すると感じとられるのでありまして、懸念にたえません。それが第一点でございます。  第二点は、裁判官が発付いたしました令状に基づいて捜査ないしは逮捕することもございましょうが、そういうときといえども、確認書の趣旨に従えば、大学当局が自主的にその当否を判断し、そうして警察にそのことを要請し、そういう考えで将来やることをきめておるくだりがあると承知いたしております。このことは明らかに刑事訴訟法の警察に命じております、すなわち不法事案がありましたならば、令状を発付してもらって、その不法事案の捜査、排除に当たるべき責任が果たせないことがあることをおそれられる。またそういう場合に協力しないと申しますけれども、令状を持って公務所に警察が出かけました場合は、公務所の責任者は、あるいはその代理人はその捜査に協力する、立ち会わねばならないという制度であると承知いたしております。この立ち会いは立ち会い責任、立ち会いの義務というよりも、政府の確定解釈によりまするならば、管理者としての公務所、すなわち国立大学の管理当局としての学問の自由ないしは大学の自治のたてまえから、都合の悪いものを証拠物件として押収されることが適当でないならば、そのことを明示して、その現場に置きながら場所を変えて押収しないということも要請する責任がある、大学管理者としての責任がある。いわば立ち会う権利というものを制度上は与えたものであって、それに協力しないという意味は、公務所の責任者として責任放棄を意味する。責任放棄をした場合には令状の執行ができないかというならば、できる。その公務所の責任者にあらざる信憑すべき人を立ち会い人に頼みまして執行することは当然であるという法律上の要請に対しまして、非協力態度を表明しておる意味合いも含んでおる意味において、いやしくも国立大学の管理責任者として、国民に対して不法状態の排除のための権限ある令状執行の警察行動に対しまして、これを妨害すると言われてもいたし方がない態度が確認書の中に入っておると思われることが、懸念さるべき第二点であります。  さらに、学生自治活動について警察官の捜査をすることを拒否する。さらに原則としてその捜査に協力しないというくだりがあります。このことも刑事訴訟法上、あるいは警察法ないしは警察官職務執行法上の立場から申し上げまして、現行犯の場合は、学外から学内に入ろうと、学内において現行犯がありましょうとも、そのことが確認される限りにおいては令状なしにこれを捜査し、逮捕することが当然の責務といたされております。さような場合にすらも、なおかつこれを拒否する、協力しないという態度が、その考えが国立大学においてもし定着するとしまするならば、容易ならざる法律無視の、法秩序を維持することに非協力であるという非難は免れないという不届きな内容を含んでおるということを私はおそれるわけであります。  そのほか、本来の教育的立場でいろいろと問題はあるとは思いますが、私の守備範囲外でありますから申し上げません。  以上、三つの事柄を、懸念にたえませんので、御参考までに申し添えさしていただきます。
  142. 石田幸四郎

    石田(幸)委員 いまあげられた三点について、全部ここで言及をすることはできませんので、私はその一つの問題点としまして、学生処分の問題についていささか、さらにもう一歩突っ込んだ議論をお願いしたいと思うわけでございます。  と申しますのは、この学生処分の問題は、いわゆる刑法に抵触をするかしないかという問題と、さらにまた学内における教育上の処分問題、いわゆる善導を主体とする教育の問題と、これは明確に分離しなければならない問題だと思うのです。器物破損あるいは不法占拠、いろいろな問題がございましょう。これを刑法上で検挙をする、こういうような問題について私は何ら否定しているわけではない。しかし、これは文部大臣にお伺いしたいのでございますけれども、教育、善導を根本とすべき大学が、実際問題として善導、処分の二者択一を迫られたときに、実際の運用は私はきわめてむずかしかろうと思うのです。そういった意味におきまして、大学の管理者それ自身の判断にまかす以外に実際の問題としてはないのではなかろうか、こう私は思うのです。そういった意味におきまして、この学生処分の問題はいまも申し上げましたようにこの二つの点は明らかに分離して考えるべき問題だ、こう思うのでございますが、いかがですか。
  143. 坂田道太

    ○坂田国務大臣 東大の確認書の問題は、大学制度の根幹に触れる問題を含んでおります。これはやはり十分論議を尽くされなければならない問題だと考えております。またそれに適切に対処しなければならないと考えております。  仰せの、学生の処分につきましては学長の権限でございますが、暴力事犯についてまでも処分を行なわない。これは、その裁量の範囲を越えておる。越える疑いなしとしない、かように考えております。大学の自治は、申すまでもなく、学問の自由を保障するために認められておるものでございますし、政府といたしましても、その意味におきまして大学の自治を尊重するものでございますが、近ごろ学生の暴力によって学問の自由が侵されているにもかかわらず、大学自治の名のもとに大学当局がこれを放置するがごとき事態が間々見受けられることはきわめて遺憾であった。大学は仰せのとおり理性と良識の府でございますし、いやしくも政治運動の拠点になるがごときことは断じて許すべきものではないというふうに考えます。この点について、大学当局もき然たる態度をもって大学の管理運営に当たってもらいたいと強く期待をするものでございます。
  144. 石田幸四郎

    石田(幸)委員 総理にお伺いいたしますけれども、私はいま申し上げました論点から、極端に言えば、同一の事件でありましても、大学の処分と警察の判断が一致する場合もあると思います。あるいはまた大学の処分と警察のそういった検挙というもの、あるいは判断というものが明確に異なる場合、すなわち起訴された場合でも大学が処分を行なわない場合、そういうこともあり得ると思うんですが、いかがでしょうか。
  145. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 いま極端なことを言えばという、そういう条件をつけられました。私は、良識の府でありますからその良識の府、その大学はやはり国の基本法、刑法、これは尊重するだろうと思いますね。刑法違反をやった者、それを処分しないというようなことはまさかあろうとは私は思いません。さように申し上げておきます。
  146. 石田幸四郎

    石田(幸)委員 問題をたくさんかかえておりますので、先に進みたいと思います。  国家公安委員長にお伺いいたしますが、二月二日のテレビニュースによりますと、日大の郡山工学部におきましては、一部学生の暴力によって火炎びんが投入された、そうして一部に火災を発生さした、このように報道をされております。さらにまた、スト反対派の実力行使によってバリケードなどが撤去されたのでございますけれども、この中で十一名の学生がけがをしております。  一体、自主防衛ならばゲバルトが許されるのか、あるいは処分の対象とはならないのか、こういった点はいままできわめて不明確にされておったわけでございますが、この問題についてどうお考えになるか、所見を承りたいと思います。
  147. 荒木萬壽夫

    ○荒木国務大臣 お答えを申し上げます。  ただいま御指摘の犯罪とおぼしき事案につきましては捜査中でございます。  ただ御指摘の、正当防衛という理屈をつけましょうとも、暴力は暴力であります。暴力に対して正当防衛、刑法第三十六条が規定しておりますように「急迫不正ノ侵害」に対してやむことを得ずに、ほかに方法がないからきんたまをけ上げた、握りこぶしでやっつけた、その結果相手が死んだ、重傷を負ったというふうな場合ならばいざ知らず、これとても裁判所で判断さるべき課題ではございますが、一一〇番すれば二分間以内で飛んでいくという手段がありながら、暴力に対して計画的に暴力で立ち向かうことはけんかであります。正当防衛にあらずしてけんかでありますから、昔からいっておりますようにけんか両成敗、両方とも刑法にいうところの暴力犯罪でございます。  繰り返し申し上げます。御指摘の具体的事案につきましては、目下捜査中でございます。
  148. 石田幸四郎

    石田(幸)委員 それでは、京都大学におきましても同様な暴力事件が発生をしております。全学共闘派とまた民青を中心とする一般学生との間に、現実にゲバルトをふるっている、そういう状況写真が新聞にもニュースにも至るところに出てまいりますが、これは両方とも捜査をなされているのですか、その点を明確に御答弁を願います。
  149. 荒木萬壽夫

    ○荒木国務大臣 お答え申し上げます。  京都大学の、新聞に出ております写真の事案そのもの、それがそうであるかどうかは直ちに明確にお答えはできませんけれども、推察いたしまするに、新聞によれば正当防衛手段としてゲバ棒どもに対して一般学生、教官が一緒になってこれに立ち向かっておる状態であると報道しておったと記憶します。そうであります限りは、先ほどお答えいたしましたと同様、けんか両成敗、両方とも捜査すべき課題でございます。
  150. 石田幸四郎

    石田(幸)委員 それでは、時間がだいぶ経過いたしましたので先へ進みたいと思います。  中教審の問題についてお伺いをしたいと思うのでございますが、この中教審の答申はいつ出るか、文部大臣、簡単に御答弁をお願いいたします。
  151. 坂田道太

    ○坂田国務大臣 お答えをいたしたいと思います。  いま中教審は、先ほど総理からお答えがございましたように、せっかく検討を急いでおられるわけでございます。特に、第二十四特別委員会においてそうでございますが、いままで一週間に一回であったものを二回やりまして、集中的にやっておられます。おそらく二月の末ごろあるいは三月の初旬ごろまでには何らかの御答申があるものと期待をいたしておる次第でございます。
  152. 石田幸四郎

    石田(幸)委員 私は、この中教審の問題について、現在政府が諮問をしている内容について具体的に項目をひとつ伺ってみたいと思うのですが、私の要求しますのは、この中教審に対しまして、佐藤総理は、教育制度全体に対して改革を断行したい、こういうふうに言っております。そういう意味におきまして、はたして六・三・三制の問題まで含まれているものか、あるいは大学制度の中のどれとどれとどの問題についてのみ答申を求めているのか、この項目を明らかにしていただきたいのであります。
  153. 坂田道太

    ○坂田国務大臣 私からお答えを申し上げたいと思います。  さきに本答申として諮問いたしましたものは、これは小学校から大学までの制度の問題でございますから、六・三制度も含まれておるわけでございます。  しかるところ、第二十四特別委員会が新たに設けられまして、この委員会におきましては特に一般教育の問題、第二番目には学生の地位の問題、第三番目は大学の管理運営の問題、それから第四番目には緊急紛争処理の問題、この四つの項目になっておるわけでございます。ただ、いま私がお答え申し上げましたのは、この第二十四特別委員会の、あるいは分離答申ということもあるかと思いますが、とにかく大学の地位あるいは学生参加を含めまして、あるいはまた管理運営等については二月の下旬から三月の初めに御答申になるものと期待をいたしておるわけでございます。
  154. 石田幸四郎

    石田(幸)委員 私はこの中教審の答申について基本的な態度をお伺いしたいのでございますけれども、現在の大学紛争の原因が各大学ごとにかなり複雑でございます。そういった現状から考えまして、東大を含む国立大学の問題、あるいはまた公立大学の問題、あるいは私学等に対しても、この大学制度というものは当然改革案が考えられなければならないと思うのでございますが、ただ中教審だけの答申でありましては、多分に学生諸君の反感を買うおそれなしとしません。そういった意味から、広く意見を聴取するためにも、東大やあるいは私立の代表からもこういうような答申を十分求むべきではなかろうか、そういう意見を聴取する必要があるのじゃないか、こういうふうに思うわけでございます。中教審がそういった事情については十分聴取している、こういうふうにおっしゃるかもしれませんけれども、しかしながら、中教審の答申を得て政府が改革案を出しますと、私は、今日の大学紛争の形が、大学当局と学生というような対立ではなくて、今度は政府と学生の対立、こういう問題に発展しかねないと思うわけでございます。そういった点らかも広く事情を聴取され、また意見を聞かるべきではないか、こう思うのでございます。  私、いろいろいままで勉強してまいりましたけれども、東大の中におきましても、この制度の改革問題につきましてはかなりの資料が集まっております。それで、そういう問題についても意見をお互いに交換しているようでございますので申し上げたわけでございますが、いかがでございましょうか。
  155. 坂田道太

    ○坂田国務大臣 石田さんのお話、私もまた全く同感なんでございます。したがいまして、大学問題というものは、各党の方から御質問がございましたように、単に学生だけの問題じゃない、またこれを受けとめておる大学当局だけの問題ではない。広く二十年間の民主主義社会の欠陥がここにあらわれてきた。場合によっては母親、父親にも責任がある、こうまでいわれておるわけでございまして、非常に根の深い問題である。そういう立場から考えますならば、時間をかけて、しかも広く意見を聞いて、そうして処置すべき問題である、新しい大学像というものをつくり上げなければならない、かように考えるわけでございまして、各党間において、石田さんの公明党さんにおきましても、いろいろと御検討になっておることも承知をいたしておりますし、それも私は読ませていただいておるわけでございます。社会党さんもしかりでございます。共産党さんもしかりでございます。民社党さんもしかりでございます。そうしてまた各大学においても、この紛争を機会に、新たな、自分たちの大学はどうあるべきか、国民のための大学はどうあるべきかということを御検討になっておるわけでございます。  また同時に、行政機関といたしまして、中央教育審議会においても、ただいま申し上げましたように、一生懸命にこの検討をいたされておるわけでございますが、森戸先生を中心としました中央教育審議会委員の中には、いろいろ御批判もございますけれども、森戸さんは何と申しましても大学問題については権威者のお一人でございますし、たとえば私立大学の学習院大学の麻生さんとか、あるいは上智大学の大泉さんとか、あるいは慶応大学の高村さんとか、あるいは若いところでは、今度の二十四特別委員会におきましては滝川さんであるとか、これは四十歳代だと思います。それから中央大学の教授橋本さんも四十歳の方でございまして、こういう方々を臨時委員、あるいは専門委員、あるいは懇談会といたしましていろいろなヒヤリング等を聞き、学生たちの意見も聞き、あるいは助教授や助手や、そういう人たちの意見も聞こうという意欲を十分に持ってこの中央教育審議会の使命を果たしたい、かように考えて、いませっかく御努力になっておるわけでございまして、石田さんの御意見はまことにありがたい話でございまして、むしろ激励を受けたというような気持ちで聞いておるわけでございます。またそれを踏まえまして、私は今後ともこの行政に当たってまいりたいと考えておる次第でございます。
  156. 石田幸四郎

    石田(幸)委員 中教審の問題についてはいろいろお話を承ったわけでございますが、大学制度全般に対します考えというものは、非常に基本的な考えを煮詰めていかなければならないと思うわけでございます。  しかしながら、今回の東大の確認書等を見ますと、政府当局とそれから東大当局の間には、非常に意見の大きなギャップがございます。今後の大学問題を考えていく上において、管理側とまたそういった政府との間にこれだけのギャップがあったのでは、なかなか私はいい改革案はできがたいのではないか。もう少し基本的な理念につきまして話し合ってみる必要があるのじゃないか。また大学問題が、十年、二十年、三十年、もしくは百年の国家、社会の将来を決するような大事な問題でございますので、総理御自身が加藤代行等とお会いになって意見を聴取するとか、あるいはまた御自身の意見が正しいとするならば、これは説得なさるようなお考えはないか、このように思うのでございますが、総理御自身の御見解を承りたい。
  157. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 私は、こういうことは政治色を抜きにして、中正、公正な判断が最も必要だと思います。私には私の考え方がないわけじゃありません。また、必要があれば加藤代行と会わないじゃない。いっそ進んで会う、かように私は考えております。しかし、ただいまのところは、何といいましても、私の個人的意見よりも、中教審の答申を得ることがまず第一だと思っております。  そういう意味で、中教審の方がせっかく勉強しておられますので、中教審の構成についていろいろの御意見等も聞きました。しかし、私は、中教審の方々は、人選上もりっぱな有経験者というか、その経験を生かさなければいけないし、さらにまた、これの協力機関としての、いま名前をあげましたように、若い方も十分協力して中教審の答申をつくろうとせっかくしておられる際でありますから、政治家、総理自身が、先頭に立ってとやかく言わないほうがいいのじゃないか、問題を片づける上から見ましても、中立なこの機関、その意見を聞くことがまず第一、かように私は考えておる次第です。しかし、必要ならば決して会うことを拒否するものじゃありません。
  158. 石田幸四郎

    石田(幸)委員 そのほかに、まだ芝浦工大の学生の拒否権をめぐる問題等いろいろございますけれども、先へ進みたいと思います。  私は、先ほど来ずっとお話しを申し上げておりますように、確かに今日の大学の紛争は、暴力学生によって問題が提起され、また引き起こされている問題だと思いますけれども一般の大学生も非常に多くの問題をかかえておると思います。制度的な問題、あるいは教育環境等の問題、いろいろございます。そういった問題に対しまして、私たちは十分な理解と強い愛情がなければならない。社会の将来を託する青年たちでございますので、そういった態度がなければならないと私は思うのでございます。私たちいわゆるおとなが、われ一人とうとしというような態度であったのでは、十分な学制改革の実はあがらないのじゃないか、こういうふうに思うわけでございます。そういう意味におきまして、まず制度問題を私は考えてみたいと思うわけでございます。  今日の大学卒業者に対する社会の価値づけというものは、その勉強の内容、あるいは識見への評価というよりは、むしろ学歴偏重、出身大学による格づけの風潮が広く一般に行なわれているようであります。そのために、大学志望者にとっても、あるいはその家族にとっても、大学さえ出れば、こういうような安易な考えが流れていると思うのでございます。こういうような高等教育のあり方というものは、私はきわめて不自然であろうと思うのでございます。大学の入試がきびしく、卒業あるいは進学はきわめて容易であるということは、こういった高等教育本来の姿ではない、このように私は申し上げたいのでございます。このような学歴偏重、あるいは出身大学による格づけ等の問題をきびしく検討しなければならない段階にきたのではないか、こういうふうに思うのでございますが、文部大臣の所見を承りたいと思います。
  159. 坂田道太

    ○坂田国務大臣 お答えをいたしたいと思います。  石田さんのおっしゃっておりまする学歴偏重、学閥重視の風潮、そのことに対しまして、いろいろ教育の機会均等を大学自体としてもくふうすべきじゃないか、あるいはまた国立大学と私立大学との間、あるいは同じ大学の学部の間においても聴講制等を認むべきじゃないかというような意味のことだと実は承知をいたしておるわけでございますが、こういう問題は非常に貴重な御意見だと私は思いますけれども、しかしやはりこういう問題を含めまして、中教審等においてもお考えをいただきたいというふうに考えておるわけでございます。
  160. 石田幸四郎

    石田(幸)委員 公明党が大学問題に対していろいろな提案を行ないましたけれども、私は、ここで、この提案に対しまして——アメリカに現在行かれておる日浦謙一さんという方から、との大学問題に対する提言の感想を寄せられたわけでございます。この方は、入試問題につきましては、入試中止は妥当である、こういうような判断に立っていらっしゃる方でございますけれども、この方から幾つか現代のアメリカにおける制度を、こういうふうにすべきじゃないか、これを日本に適用できるのではないか、こういうような意見が寄せられております。私も非常にけっこうだと思いますので、率直にお伺いするのでございます。  まず一つは、国立、公立、私立大学の自由な交流というものが行なわなければならない、こういうふうにこの方は提案をしております。これは大学の民主化の根本をなすものだ、そして大学間の没交渉や閉鎖性をなくしてしまう、そういう意味からも非常に大事ではないか、こう言われております。で、アメリカの大学における教授は、その能力に応じて大学間の移動は全く自由である、東大やあるいは京大のように、国立大学でありながら、その大学出身者でなければ教授になれないというような、そういうおかしな慣行はない、こういうふうに言われておるのでございます。こういうような考え方も私は存在すると思います。現に、今日の大学の制度をいろいろ考えてみますと、いわゆるワンセット教育といいますか、そういうようなものが非常に横行しているわけでございます。ある学部に入りますと、そこにきめられたカリキュラムをそのまま四年まで修得して、そうして卒業していく、こういうような状態になっております。しかし、今後の学問のあり方というものはそういうものであってはならない、こう私は思います。将来政治家を志す者が政治の勉強をしたとしましても、政治の根底は経済にあるように、政治と経済というものを並行して勉強したい、そういうふうに考える学生もあるでしょうし、あるいはまた、政治の根底には、いわゆる倫理哲学というものがなければならない、こういう問題も十分に勉強しながら政治というものを学んでいきたい、こういうふうに考える学生もたくさんおるのではなかろうかと私は思うわけでございます。こういった点も大いに今後の大学制度の中に取り入れていくべき問題じゃないか、こう考えるのでございますが、いかがでしょうか。
  161. 坂田道太

    ○坂田国務大臣 非常に有益な御意見かと思います。拝聴いたしまして、参考にいたしたいと思いますが、これからはやはり学歴偏重だけではなくて、年齢に応じ、それから能力に応じ、そしてまた適性に応じた教育をやっていくということが二十一世紀に向かう教育のあり方ではなかろうかというふうに考えます。  それから、現在、高等教育機関に学ぶ学生数というものが、とにかく当該年齢人口の二〇%に達しておるわけでございますが、この傾向はさらに私は強まっていくものだと考えます。  同時に、生涯教育と申しますか、人間は一生勉強する。そしてまた、現在の社会の変動というものは、大学を出たからといって、すぐに次々に社会が変動してまいりまするから、もう一ぺん大学に入らなければ、技術の面についても、あるいは管理の面についても、あるいは教養の度合いについても、ついていけないという時代に立ち至っていく。そういうために大学というものがやはり国民のために開放されなければならない。こういう形になってくると思うのでございまして、そういう意味から申しまして、たとえば大阪大学で昨年九月から十二月にわたりまして行ないました開放講座、全学的意味における開放講座、この主要テーマは機械文明の中の人間という問題について、たとえば医学者、あるいはまた教育学的立場、心理学的立場あるいは社会学的立場、あるいは法制上の立場、いろいろの各学部の障壁を打破いたしまして、全学的教授たちが集まりまして、カリキュラムをこさえて、そうしてやりました。しかも受講者数は千五百名で、非常に熱心であって、そのうち二十二講座以上出席した者は七百九十五名にのぼっておって、そうしてこの修了証書を持ち得た。こういうような大阪大学のこの画期的な考え方というものは、学部間の閉鎖性というものを打破する意味合いもありますし、そうして、全学的意思を大学自体が持ち得るという一つの効能もございますし、また、千五百名というものを一つの講堂に集めまして、そうしていろいろの視聴覚の、今日の発達したものを駆使するならば、そうしてその講義をしまする内容を選び、すばらしい先生がこれに当たるならば、千五百人の大量聴講というものが十分有意義に行なえるという証明をしたという意味合いにおいても、これは非常に画期的なものであるというふうに私は思いますし、さらに将来、生涯教育というものにつながり、市民のために、あるいは国民のために学ぼうとする人たちに対して、大学が開放されるということはきわめて意義あるものであるし、われわれが考えておりまする国民のための大学の一つ方向を示すものと私は考えておる次第でございまして、石田さんのお話を非常に高く評価いたしますし、それを参考にしていきたいというふうに考える次第でございます。
  162. 石田幸四郎

    石田(幸)委員 制度的な問題につきましては、かなり詳しく文部大臣がお述べになりましたので、これ以上追及はいたしません。  私は、さらにこの教育問題につきましては、環境を整備することが非常に大事じゃないかと思います。そうして今日の一般家庭における教育費の実情を見ますと、非常に大幅な物価高騰と、それから教育費自身の高騰によりまして家計が圧迫されております。これは私は、どうしても政治の力によって援助をしていかなければならない、こういうふうに考えるわけでございます。  まず奨学金の問題でございますけれども、現在の奨学金の原則は、一般大学生に対して三千円、大学院生に対して八千円、このようになっておるのでございます。しかしながら、これだけでは現実は全く足りません。したがって、アルバイトに従事している学生だけでも実に四十六万人のうち五三%に達するといわれております。またアルバイトを希望する学生は二十九万人で、全体の二三%に達している、このようにいわれておるのであります。しかも現在の各国の例を見ますと、イギリス等は、学生数二十二万一千人の九〇%が全額給付制を受けております。またアメリカにおきましては、大学生が約六百万人といわれておりますが、その半数近くが何らかの育英制度の恩典を受けております。わが国の育英資金の状況を見ますと、はなはだお寒い状態なのでございますけれども、こういった問題に対しまして積極的に応援をする意思はないかどうか、この点は大蔵大臣に特に伺っておきたいと思います。
  163. 福田赳夫

    福田国務大臣 育英制度は、教育の機会均等ということを目ざしまして創設されたものですが、毎年毎年その量も、その質も進んできておるわけであります。しかし、これが青少年の教育に尽くしておる役割りを考えますと、ますますこれを充実させる必要があろうかと思います。今後とも努力いたします。
  164. 石田幸四郎

    石田(幸)委員 私はさらに大蔵大臣にお伺いしたいのでございますけれども、各国の様子を見ますと、この奨学金制度というのはいろいろ形があるわけでございます。ところが、わが国においては、いわゆる奨学金という形だけしかないように思うわけです。  たとえばアメリカなんかにおきましては、全額銀行から借り入れをする、四年間の学費について借り入れをする、その場合の利子補給をする、こういうような育英制度もあるようでございます。あるいはまた、全額給付制にいたしましても、入学をした時点においては、必要経費を含めまして全額給付を受けるけれども、一年間経過して成績が悪くなってしまった場合に、その給付は半分に下がってしまう、さらにまた、なまけてしまったらさらに下がってしまうというような、きわめて教育とのバランスを考えた制度も行なわれておるわけです。  こういうような多角的な金融措置というものを講ずべきではないかと思うのでございますが、いかがでございましょうか。
  165. 福田赳夫

    福田国務大臣 育英資金でも、たとえば大学院の学生とかそういう人には高い額が支給される、あるいは成績きわめて優秀な人には高い額が支給されるとか、バラエティーがいろいろあるのです。それからさらに、育英資金のみならず、一般でも最近はいわゆる消費者金融というか、その部門に属しましょうか、入学のためのローンでありますとか、いろいろな教育にからんだ融資なんか始まってきておるわけでありまして、盛んにこれが行なわれている、こういうのが現状です。しかし、教育というものは非常に大事ですから、ますますそういうものが助長されることを私は期待しております。
  166. 石田幸四郎

    石田(幸)委員 いま、そういった消費者ローンなどが盛んに行なわれてきたと、こう大臣はおっしゃるわけでございますけれども、こういった教育費ローンというものは、私、全部調べてみました。ところが、現在は協和銀行におきまして一つ行なわれている程度でございまして、実際は行なわれていないわけです。  私はついでに、この入学金の問題について、ローン制度を実施できないかどうか、こういう角度で実施できるものかどうか、見解を承りたいのでございますけれども、現在入学金の問題を考えてみますと、私立大学は入学金、授業料あるいは施設費等を含みまして、実に平均二十一万五千七百六十六円という状態でございます。短大においてすら十六万九千四百九十円、こういう状態になっております。私の大入学に要する準備金というのは非常に大きな家庭の負担になるわけでございますね。最高額は、ある大学の歯学部でございますけれども、入学金実に九十九万円というのが去年の例でございます。あるいは短期大学にいたしましても、最高は四十五万五千円という、一般庶民にはとうてい手の届きかねるような入学金が現在実施されておるわけでございます。これを各家庭において調達するということになりますとたいへんじゃないかと思います。  しかし、いま大蔵大臣がおっしゃったように、現在の市中金融機関というものは、いわゆる企業金融から一般の大衆金融へとだんだんとその制度が拡大されてきております。そういう意味において、この入学金に対しも銀行ローンを適用するならば、私は非常に大ぜいの入学者がこれによって助かるんじゃないか、このように思うわけでございます。私、この制度をいろいろ研究しておりますので、各銀行にも当たってみました。当たってはみましたけれども、おそらくこれは無担保保証であろうから、その損失に対する保証が非常にむずかしい。たとえば保証人を立てたとしても、なお死亡あるいはその他の問題で事故が出てくるだろう、これに対する保証がむずかしいので、なかなか踏み切れないのである、こういうようなことを一、二の銀行の企画室では言っております。こういった教育費ローンには物的保証制度はとりにくいということでございます。  そこで私は、かりに本年度の推定入学者四十五万人と仮定をしまして、その五〇%が融資を希望した場合、これをいろいろ想定してみました。現在無担保保証につきましては、いわゆる信用保証協会制度がございまして、これに対する五十万円までの融資あるいは三百万円までの融資が行なわれております。その損失の補てん状況をずっと調べてみますと、非常にわずかな金額であるわけでございます。試みに発表された資料を見ますと、その損失率というのは、初年度、二年度、三年度、この三年間にわたって五十万円までの保証がわずかに三・六%であります。あるいは三百万円までの保証を見ますと、さらにその損失率というものは下がっておりまして、三年間で二・一%、こういうような状態になっているわけでございます。そういう状態からこの入学ローンという問題を推察してみますと、おそらく二十億前後でこれらの人たちが入学金を——たとえばおそらくこの数字でまいりますと五百億以上になるかと思いますけれども、それに対する補てんが二十二億前後でこの制度が実施できるのじゃないか、このように数字として出てくるわけでございます。そうすると、現在の育英資金の中から見ましてもそう膨大な数ではない。それによって二十万あるいは二十五万人の人が入学金問題で悩まなくてもいいようになるのでございますけれども、こういった制度は考えられないでしょうか。現在の奨学金制度の返済状況を見ましても、返済率というものは非常に上昇しておるわけでございます。そう心配はないと思うのでございますが、いかがでございましょうか。
  167. 福田赳夫

    福田国務大臣 お話しのような融資制度がかなり行なわれておるのです。ことに信用金庫では百二十金庫においてそのような融資を行なっておるという状況です。銀行では神戸銀行、協和銀行など少ないのですが、信用金庫では非常に多い。それで、やはりこれは国で利子補給をいたしますとか保証をいたしますとか、そういうことになりますと、ちょっとバランスの問題がなかなかむずかしいことになろうかと思うのです。しかし、子供の入学というようなものを目ざして貯蓄をする、これは親といたしましても楽しみでもありましょうし、そういうサービスを行なう銀行がふえてまいりますれば、それに期待をする、これでかなりやっていけるのじゃないか、さように思います。  ただ、育英資金に国家が関与する問題、これにつきましてはそのバラエティーを、なるべくサービスをよくするという方向で検討してみたらよかろうか、かように考えます。
  168. 石田幸四郎

    石田(幸)委員 銀行でも神戸銀行等が行なっているという話でございますけれども、実際やってないのです。それはともかくとしまして、こういった問題で引っかかっていたらいけませんので、さらに先へ進みます。  さらに私は、家庭の教育環境という問題から考えたいのでございますけれども、現在サラリーマン減税ということが非常に強く要望されております。私は、その問題点は、一つは教育費。一つ住宅ではなかろうか、こう思うのでございます。実際、高校生あるいは大学生の教育費を見てみますと、現在在学中の子供さん方にとっては、高校の場合は五万円ぐらいかかっておる、私立大学の場合は七万円ぐらい、このように数字は示しておるわけでございますけれども、現実問題としまして教育費だけではございません。入学のときには洋服等もつくらなければなりませんでしょうし、あらゆるものが大きな負担になっておるわけでございます。この間の文部省からの数字によりますと、現在自宅通学をしている場合でも、国立大学に通っている学生は約十万円以上かかっております。私立大学では十七万八千円も一年間にかかっておる、家計にこのような負担が出ておる、こういうふうにいうわけでございます。さらにまた、地方等から上京して下宿をしておりますと、おそらくこれに十万円ないし十五万円のアップになるだろうと私たちは考えますが、この教育費の問題、特に高等教育における教育というものは非常に生活を圧迫しておりましても、各家庭においては、何とか自分よりもりっぱな人間になってもらいたい、こういうような願望から、かなり無理をして高等教育を受けさせよう、こういうような状態になっておると思うのでございます。  ここで数字をあげてみますと、家庭の所得別に現在の学生のパーセントが出されております。これを見ますと、年収五十四万円以下の家庭——いわゆる全学生の一五・五%、一割五分というものは年収五十四万円以下の家庭である、こういうふうにいわれておるのでございます。これは文部省で出した数字でございますから、私は事実であろうと思います。さらに年収百二万円以下の家庭、これまで含めて考えますと実に五七・二%になる、六割近い家庭が非常な無理をして高等教育を受けさせておる、こう私はこの数字は物語っているだろうと思うのでございます。もちろんこれは国立、公立、私立全部含まれております。  こういうような状態でございますので、私は教育費というものが現在の家庭の収入の中から税金の対象から控除されてしかるべきではなかろうか、こういうふうに思うわけでございます。もし私大に自宅から通学している家庭を例にとってみますと、年収百二万円以下の家庭におきましては私大生の約半分、四八・一%が——これは私大でございます。約半分が年収百万円以下の家庭である、こういうふうになっているわけでございます。これが年間に十七万八千円の教育費がかかるといたしますと、実際問題としまして収入の一七・八%くらいになります。そうしますと、二人目が大学に進学をするような状態になりますと、家計の中の三分の一も教育費が占めるようなことになってしまいますので、これは下の子供を大学に進学させるのを断念せざるを得ない、こういうような問題にも私は発展してくるのではないかと思うのでございます。  こういうような実例を私もずいぶん聞きました。ここでその実例を一々申し上げませんけれども、したがって、私はある限界を設けてこの教育費を税金の対象からはずす、いわゆる教育費控除をすべきではなかろうか、こう思っているわけでございます。カナダでも現に教育費控除が行なわれておるという話でございます。この点について大蔵大臣はいかがお考えになるでしょうか。
  169. 福田赳夫

    福田国務大臣 ただいまの御所見のような話をずいぶん伺うのであります。そこで、私どももちょっと考えますと、教育費控除制度、これを取り入れたらどうかなというような感じを持つのです。そこで大蔵省としては、税制調査会に意見を聞くということまでやってみた。そうしますと、税制調査会の意見は、どうも教育を受ける人、受けない人の間のアンバランス、こういうことが問題になる。そして特定のそういう立場にある人にのみ免税をするということは、所得税のたてまえから疑問であると、非常に消極的な意見を示されるわけです。私ども考えてみましても、そういうふうに思われるわけです。  いま私どもは、石田さんが設例として所得五十万円の家庭、所得百万円の家庭というようなお話をされましたが、そういう低額所得につきましては課税最低限の引き上げを行なう、そうして、いやしくも所得税は免除されるようにする、これを進めておるのです。ですから、お話しのような場合は、教育費だなんだという問題はないので、全部免税になる、こういうことを考えておるわけです。そのほうがむしろ公平である、また徹底をする、こういう考えなんです。ちょっと考えるとお話しのような問題が考えられるのですが、いろいろ考えますると、難点も多々ある、かように御了承を願いたい。
  170. 石田幸四郎

    石田(幸)委員 税制の面からの問題が確かにあるのでございますけれども、しかし、現在高校生にしましても、その適齢者から見ますと、八〇%は高校へ行っておる。当然ここ四、五年先にはこれらの人たちが大学に入ってくるわけです。だんだんその大学生の比率というものは、同年代に比較しましてパーセントはふえてまいります。  さらに、先ほど数字をあげなかったのでございますけれども、実際に各家庭の実情を見ますと、年収百万円以下といいますけれども、それ以外の家庭におきましても、非常にむずかしい状態になっております。たとえをあげてみますと、ある家庭の状況でございますが、母親は五十五歳で病弱。長男は教師として給料を約三万八千円もらっておる。また次女が給料を学校の教師として三万円もらっておる。そのほかに次男坊がアルバイトで七千円働いておりますので、実に月額七万五千円。こういうような収入のある家庭でも、実際問題としましてはなかなか容易じゃない。そうして、とうとうこの娘さんは、弟が大学を卒業するまでは結婚しないといって、がんばっておるわけです。そういうような悲しい状態を見ますと、やはり私はこういった教育費の問題については、ある程度政府としても考えてしかるべきじゃないか。その教育控除はだめであるというのであれば、これはまた別の方法を講じなければなりませんけれども、現実問題としまして、現在の百万円以下の無税が間もなく実現をするわけでございますけれども、それだけで十分だというふうには考えられないと思うのですよ。重ねて申しわけありませんけれども、この点についてお伺いいたします。
  171. 福田赳夫

    福田国務大臣 どこがむずかしいかというと、所得税の中である特殊な行ないをしようとする家庭だけが免除される、これが所得税のたてまえとして問題だろう、こういうふうに思うのです。でありますから、私はなるべくこの教育費が少なくなるように、教育の国家予算を国立大学に対し、あるいは私学に対し増強するとか、あるいは特別に恵まれない家庭の子弟に対しまして育英資金が行き渡るようにするとか、そういう方面を充実をするという施策が私は適切であるというふうに考えます。  また、進学等の場合につきましては、先ほどお話しのようなああいういろんなローン、これを奨励する、こういうことも一案かと、かように考えます。
  172. 石田幸四郎

    石田(幸)委員 まだ教育問題につきましてはたくさんございますけれども、時間がなくなりましたので、最後に、物価に関連して、電気の問題についてひとつお伺いしたいと思います。  施政演説におきまして、経企庁長官は、物価対策の一環としまして、生産性が向上している部門では、その成果の一部を価格引き下げに回すような環境をつくっていきたいと、物価安定政策にとって当然といえるような発言をしていらっしゃいますが、この生産性が向上している品目というものは、何と何をさすのか、この中に電気は入るのか入らないのか、この点からお伺いをしてまいりたいと思います。経企庁長官、お願いします。
  173. 菅野和太郎

    ○菅野国務大臣 電気、ガスは、私から見れば、生産性が向上している工業であると考えております。
  174. 石田幸四郎

    石田(幸)委員 それでは、具体的にどのようにして価格引き下げの環境をつくるのか、その具体的な方途を示していただきたいのです。
  175. 大平正芳

    ○大平国務大臣 事実いま御指摘の電力業界でございますが、新鋭の大型の火力発電の建設でございますとか、燃料の熱効率を上げるとかいう革新的な技術の開発、それから部内の経営の合理化等によりまして、今日まで……。
  176. 石田幸四郎

    石田(幸)委員 電力だけでなくて、各項目をあげていただきたい。
  177. 大平正芳

    ○大平国務大臣 ちょっとお待ちください。——昭和三十二年から昭和四十二年までの十年間におきまして価格の引き下げに成功している項目をあげますと、セメント、電気がま、ラジオ、テレビ、電気洗たく機、電気冷蔵庫、螢光灯、食卓、それからガス、灯油、プロパンガス、それから婦人の長くつ下、それからシャンプー、石けん、歯みがき、ヘヤートニック、口紅、防虫剤、カメラ、フィルム、ビニール製ボール、そういったものが、この十年間に価格の下落を生産性の向上によって記録いたしておる項目でございます。
  178. 石田幸四郎

    石田(幸)委員 これらの品目について、どのような環境をつくっていくのか。価格引き下げの環境づくりをしたいと経企庁長官は言っていらっしゃいますけれども、その価格引き下げの環境づくりとは何をさすのか、これをひとつ明確に御答弁を願います。
  179. 大平正芳

    ○大平国務大臣 それはかねがね政府が物価政策について申し上げておりますとおり、企業内部の合理化、技術の向上はもとよりでございますが、業界ぐるみあるいは町ぐるみの体制の整備、あるいは輸入政策の展開によりまして国内の生産性の向上を刺激する、そういった政策を実態に即して組み合わせながら実効をあげてまいりましたし、今後もそういう方向にやってまいらなければならぬと考えます。
  180. 石田幸四郎

    石田(幸)委員 あまり御明確な御答弁をいただけなかったのでございますが、時間がありませんので、電気の問題に入ってまいりたいと思います。  御存じのとおり、電気はいろいろな措置を講じられて、非常に現在はコストが安くなっているわけでございます。その例をあげますと、熱効力が著しく上昇したとか、あるいは送電線の損失率というものが非常に低下した。二十六年当時から見れば、いまは三分の一に下がっておる。たとえば現在の販売端で、これは四十年度の数字でございますが、千四百三十七億キロワット時のうち二百三十億キロワット時が送電線ロスの節約によってまかなわれておる。こういう点から考えますと、現在の火力電力というのは非常に原価が下がっておるということがうかがわれると思うのでございます。そのほかに、火力キロワット当たりの建設費が非常に降下しておる、あるいは燃料費が安くなっておる。あるいはまた電力会社に働いておる人たちの賃金の割合を見ますと、その分配率というものも非常に下がっております。このような状態から、当然電気料が下げられるのではないか、こういうような私は想定ができると思うのです。さらに非常に大きな問題になるのは、減価償却の問題だと思うのです。在来問題になっておりましたように、減価償却費の中で、修繕費が計上されておりますけれども、その修繕費一つ取り上げてみましても、九電力で九百億計上されております。これは減価償却の中の五四%に当たります。ところが、こういった修繕費の計上を全産業の平均に比較してみますと、全産業のほうはわずかに二五%、あまりにも修繕費が膨大に計上され過ぎておるわけですね。しかも東京電力あるいは関西電力、中国電力、こういうものと東北、北海道、北陸等を比較してみますと、水力の多いそういう電力会社のほうが修繕費が少なくなっておる。こういった点も、きわめて私はこの減価償却の中に不明朗な数字があるんじゃないか、こういうことを感ずるわけでございます。  大蔵大臣にお伺いいたしますが、現在電力会社には定率法、定額法の両方が認められておるようでございます。これについて、昭和二十九年当時は九電力は定額のほうでやっておったわけでございますが、その後変更になっております。いつからどういう事情でこの減価償却の方法が定率法になったのか、もし御存じでありましたら、御答弁を願いたいと思います。
  181. 福田赳夫

    福田国務大臣 減価償却は——税のたてまえですね、税のたてまえの減価償却は、法律できまっておりまして、これは定率でございます。定額ということはありません。
  182. 石田幸四郎

    石田(幸)委員 法律できまっておるとおっしゃいますけれども、私が調べた内容によりますと、定率法、定額法ともに用いられてよいと、こういうように規定されているのでございますが、この点いかがでしょうか。
  183. 福田赳夫

    福田国務大臣 私の申し上げたことに多少間違いがあるようです。国税庁長官が御説明します。
  184. 亀徳正之

    ○亀徳政府委員 お答え申し上げます。   〔中野(四)委員長代理退席、委員長着席〕  税法におきまして、減価償却のほうは定額法と定率法がきめられておりまして、納税者の方がいずれかを選択する。極力、一度選択されますと、変更していただかないでそのまま引き継いで計算していただくという考え方になっております。(石田(幸)委員「簡単でけっこうです」と呼ぶ)電力会社に関しましては、東京電力をはじめ各社とも、昭和二十六年電気事業再編成令によって発足して以来、各社とも税務の計算上は一貫して定率法を採用いたしております。
  185. 石田幸四郎

    石田(幸)委員 電源開発は、いずれの方法を用いられておりますか。
  186. 大平正芳

    ○大平国務大臣 いま国税庁長官から説明がございましたのは税法上の原則でございまして、現実に電気料金の算定にあたりまして、電気料金制度調査会というのが三十三年にございました。それから電気事業審議会というのが三十八年にありまして、その答申におきまして、電気料金を長期に安定させるためには内部資金の充実が必要であり、減価償却は定率法を採用することが望ましいが、電気料金の値上げにつきまして認可を行なうに際しましては、料金面への影響を考慮して当分の間料金の算定について定額法によることもやむを得ない、ということにされたのでございます。その後、私どもといたしましては、当分の間定額法をも適用して減価償却をすることもやむを得ないという行政上の措置を講じておるのでございます。  したがいまして、いま御指摘の電源開発につきましては、定額法によることも可能であるというたてまえでおるわけでございます。(石田(幸)委員「定額法をやっておるのですよ」と呼ぶ)定額法でやっておりますが、だんだんと経理の内容が充実してまいりまして、定率法に近い償却がただいま各社ともできつつある状況でございます。
  187. 石田幸四郎

    石田(幸)委員 あまり御明確な御答弁ではないと思いますが、この九電力合計の減価償却をもし定率法でやるとすれば、千八百八十億の償却になるわけであります。定額法によりますれば千三百十五億、この差額五百六十五億というふうになるわけでございますが、ここに私は国民の方々の大きな疑問点がわいてくるのではないかと思うのでございます。いま、電力関係におきましては、向こう十年間は料金を上げない、こういうようなことを言っておりますけれども、上げないどころか、下げてもらわねばならないのが電力料金ではないかと思うのでございます。しかもこの電力料金は、公益事業でありますから、一般の国民の利益が保護さるべき料金でなければならない。新規事業をやるために多くの資金が必要であることは、私たちもそれはわかります。しかし、公益事業であるならば、国民の利益を第一義として考えていかなければならない。さらにまた、この電力料金が引き下げることができるならば、私は全家庭は言うに及ばず、全企業に対する影響もきわめて大きいし、それによって各企業の製品のコストダウンも行なわれてくる。こういった意味において、非常に、物価対策一つとしましては、これは真剣に取り組んでいかなければならない問題ではないか、このように思うわけでございます。  さらにまた、日本開発銀行の融資の内容等をここでひとつ御披露願いたいと思うのでございますけれども、どれだけこういった低利の資金がこの九電力に流れているか、この点についてもここで明確にしておきたいと思うのでございますが、開発銀行の総裁がお見えになっておると思うのですが……。
  188. 石原周夫

    ○石原説明員 お答えを申し上げます。  日本開発銀行の四十三年九月末現在におきまする九電力その他共同火力などの電力関係の融資の残高が、三千七百三十七億であります。そのうち九電力につきましては、三千四百二十九億に相なっております。
  189. 石田幸四郎

    石田(幸)委員 現在の残高だけを見ましても三千四百二十九億、実に大きな資金がここに導入されておるのでございます。しかも、その資金導入の内容を見ましても、非常に納得のいかない点もたくさんございます。  たとえば東京電力の例をあげますと、株式に五十五億投資していらっしゃいます。こういうような問題、あるいはその他の長期投資の問題、これに八十一億投資しておられますけれども、その内容をしさいに検討してみますと、たとえば観光会社、広告会社、あるいは電力会社と関係のないへリコプター等の会社にも投資をしております。あるいはその他コンデンサーの会社であるとか、水力機であるとか、確かに電力と関係はございますけれども、全部これは私的事業ではございませんか。そういうものに対しても多額の投資をしていらっしゃる。さらにこの内容をいろいろ検討してみますと、全く電力会社と関係のないゴルフ場あるいはホテル、こういうものにまでも投資をしておるということは、これは国民の公共の利益を守る立場からいっても、まことにまずいのじゃないか。一体、大蔵省はこういった問題に対して十分な監督をしていらっしゃるのか、こう私は申し上げたいのでございます。——まあ時間がございませんからけっこうでございます。   〔大平国務大臣「ちょっと弁明しておかないと   いかぬから……。」と呼ぶ〕
  190. 石田幸四郎

    石田(幸)委員 いや、一言だけ最後にお伺いいいたしますから……。  以上の状況を申し上げまして、確かにコストというものは下がっている、こういうことが言えると思います。  私は、政府に要望いたすのでございますけれども、この電力料金というものは、ちょうど空気と同じようなものでございまして、今日の生活、いわゆる文化生活を営もうとするならば、電気というものは絶対に必要欠くべからざるものである、こういうふうに考えます。何でもかんでも低廉でなければならない、そういう議論を申し上げているのではありません。この与える影響を考えられて、そして電力料金の引き下げをぜひとも行なっていただきたい。いわゆる生産性の低い部門は、どうしてもこれは価格の上昇は避けられない、こう思います。そういう意味で、生産性の高い電力というものをもっと下げていただきたい、このように御要望を申し上げるわけでございます。通産大臣からの御答弁があるようでございますが、最後に総理から一言だけお願いいたします。
  191. 大平正芳

    ○大平国務大臣 あなたの御指摘になりました償却が、定率法と定額法で六百億も違うじゃないかという御指摘は、そのとおりでございます。しかし、電力会社は、御承知のように、全資産のうち固定資産が九割も占めておる産業でございまして、これが健全な運営をはかって安定供給を確保いたしますためには、できるならば定率償却が望ましいわけでございますが、そういたしますと急激に電気料金が上がります関係で、暫定的に定額法によらざるを得なかった事情は、御了解をいただきたいと思います。  それから第二点として、電力会社が各方面に投資いたしておる、中には十分吟味しなければならないアイテムもございますけれども、多くは関連事業、部品の製造業、あるいは工事資材の運搬、あるいは工事サイトの調査その他に関連した事業部門であることも十分御案内のことと思いますけれども、念のために申し添えておきます。
  192. 石田幸四郎

    石田(幸)委員 当然そういうような弁明が出てくるだろうと思っておりましたが、もう一点指摘をしたいのは、その利潤の率、いわゆる全産業の総利潤率というものがはじき出されております。その状態を見ますと、三十五年においては七・七%であったのが三十九年は六・四%と下がっておるわけです。それに比べて電力のほうは、三十五年が五・四%であったのが三十九年度は八・一%、この利潤率を見ましても、非常に大きな増大を示しているわけでございます。あるいはまた自己資本率を見ましても、現在の四十年度ですか、全産業の自己資本率というのは二四%、それに対して、九電力の三二%、どういう数字を見ましても、現在の電力会社が非常に大きな利益をあげておるということは、これはもう周知の事実ではないかと思うのです。そういう意味において、今後の政策上どう物価に反映をしていくのか、最後に総理の御答弁をお願いいたします。
  193. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 電気、これはもう各家庭ともただいま使っておるものです。したがいまして、豊富低廉な電気供給があることが望ましい、かような意味におきまして、私どもも御指摘になりましたような点を考えつつ、この問題と取り組んでいきたいと思います。
  194. 石田幸四郎

    石田(幸)委員 以上で終わります。
  195. 荒舩清十郎

    ○荒舩委員長 これにて石田幸四郎君の質疑は終了いたしました。  明日は、午前十時より委員会を開会し、山内広君、畑和君、小澤貞孝君の総括質疑を行なうことといたします。  本日は、これにて散会いたします。    午後五時二十五分散会