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1969-02-05 第61回国会 衆議院 予算委員会 第4号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十四年二月五日(水曜日)     午前十時三分開議  出席委員    委員長 荒舩清十郎君    理事 櫻内 義雄君 理事 田中 龍夫君    理事 塚原 俊郎君 理事 中野 四郎君    理事 八木 徹雄君 理事 大原  亨君    理事 中澤 茂一君 理事 小平  忠君    理事 広沢 直樹君       足立 篤郎君    相川 勝六君       赤澤 正道君    植木庚子郎君       臼井 莊一君    江崎 真澄君       上林山榮吉君    仮谷 忠男君       川崎 秀二君    倉成  正君       小坂善太郎君    重政 誠之君       田中伊三次君    竹内 黎一君       灘尾 弘吉君    西村 直己君       野田 卯一君    野原 正勝君       橋本龍太郎君    福家 俊一君       福田  一君    松浦周太郎君       松野 頼三君    角屋堅次郎君       川崎 寛治君    北山 愛郎君       久保 三郎君    阪上安太郎君       田中 武夫君    高田 富之君       楯 兼次郎君    楢崎弥之助君       畑   和君    山内  広君       山中 吾郎君    麻生 良方君       塚本 三郎君    伊藤惣助丸君       矢野 絢也君    林  百郎君  出席国務大臣         内閣総理大臣  佐藤 榮作君         法 務 大 臣 西郷吉之助君         外 務 大 臣 愛知 揆一君         大 蔵 大 臣 福田 赳夫君         文 部 大 臣 坂田 道太君         厚 生 大 臣 斎藤  昇君         農 林 大 臣 長谷川四郎君         通商産業大臣  大平 正芳君         運 輸 大 臣 原田  憲君         郵 政 大 臣 河本 敏夫君         労 働 大 臣 原 健三郎君         建 設 大 臣 坪川 信三君         自 治 大 臣         北海道開発庁長         官       野田 武夫君         国 務 大 臣         (内閣官房長         官)      保利  茂君         国 務 大 臣         (総理府総務長         官)      床次 徳二君         国 務 大 臣         (国家公安委員         会委員長)         (行政管理庁長         官)      荒木萬壽夫君         国 務 大 臣         (防衛庁長官) 有田 喜一君         国 務 大 臣         (経済企画庁長         官)      菅野和太郎君         国 務 大 臣         (科学技術庁長         官)      木内 四郎君  出席政府委員         内閣法制局長官 高辻 正巳君         内閣法制次長  吉國 一郎君         防衛庁長官官房         長       島田  豊君         防衛庁防衛局長 宍戸 基男君         防衛庁人事教育         局長      麻生  茂君         防衛庁経理局長 佐々木達夫君         防衛庁装備局長 蒲谷 友芳君         経済企画庁調整         局長      赤澤 璋一君         経済企画庁国民         生活局長    入塚 陽介君         経済企画庁総合         開発局長    宮崎  仁君         科学技術庁研究         調整局長    石川 晃夫君         科学技術庁原子         力局長     梅澤 邦臣君         外務省アジア局         長       須之部量三君         外務省アメリカ         局長      東郷 文彦君         外務省経済局長 鶴見 清彦君         外務省条約局長 佐藤 正二君         大蔵省主計局長 鳩山威一郎君         文部大臣官房長 安嶋  彌君         文部大臣官房会         計課長     安養寺重夫君         文部省初等中等         教育局長    宮地  茂君         文部省大学学術         局長      村山 松雄君         文部省体育局長 木田  宏君         文部省管理局長 岩間英太郎君         厚生省医務局長 松尾 正雄君         厚生省児童家庭         局長      渥美 節夫君         厚生省年金局長 伊部 英男君         農林大臣官房長 大和田啓気君         農林省農林経済         局長      亀長 友義君         農林省農政局長 池田 俊也君         農林省農地局長 中野 和仁君         農林省蚕糸園芸         局長      小暮 光美君         食糧庁長官   檜垣徳太郎君         水産庁長官   森本  修君         通商産業省通商         局長      宮沢 鉄蔵君         通商産業省貿易         振興局長    原田  明君         通商産業省鉱山         保安局長    橋本 徳男君         海上保安庁長官 河毛 一郎君         労働大臣官房長 岡部 實夫君         労働省職業安定         局長      村上 茂利君         建設省計画局長 川島  博君         建設省都市局長 竹内 藤男君  委員外出席者         専  門  員 大沢  実君     ————————————— 二月五日  委員船田中君及び春日一幸君辞任につき、その  補欠として西村直己君及び塚本三郎君が議長の  指名で委員に選任された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  参考人出頭要求に関する件  昭和四十四年度一般会計予算  昭和四十四年度特別会計予算  昭和四十四年度政府関係機関予算      ————◇—————
  2. 荒舩清十郎

    ○荒舩委員長 これより会議を開きます。  昭和四十四年度一般会計予算昭和四十四年度特別会計予算昭和四十四年度政府関係機関予算、以上三案を一括して議題とし、総括質疑を行ないます。山中吾郎君。
  3. 山中吾郎

    山中(吾)委員 私は、大学問題を含む国民人間形成の問題にしぼって、総理大臣並びに関係大臣にお聞きいたしたいと思うのでありますが、今日、重大な政治課題になっておるものは、沖繩問題物価の問題と大学問題であろうと思うのであります。これはまことに困難ではあるけれども政治としては避けることのできない問題であって、いかなる困難を克服しても解決をしなければならぬ問題であると思います。同時に私は、この問題は、すでに全部人間形成の問題にかかわってきておるのではないかと思うので、その立場でお聞きいたしたいと思うのであります。沖繩問題にしましても、これを日本国民意思どおりに返還されるかされないかということは、民族自主独立精神形成に大きい影響を及ぼすものだ。安保条約の問題についても、私が一番おそれるのは、外国の軍隊が国内におるということの中から、民族独立精神がだんだんと弱化して、そういう体制の中で一番おそるべきことは、精神植民地化である。その意味において、私は教育政策立場で最も遺憾な体制であると思っておるのであります。物価の問題にしましても、すでに経済問題を越えて、不労所得が保護されるような姿の中で、国民は勤勉の風をなくしていく。もっとずるいやり方を考えて、やはり精神の退廃の原因になっておる。人間形成の問題にきておるのじゃないか。大学問題はそういう中で起こっておるのでありまして、私は一番重要な民族の問題になっておると思います。  そこで、佐藤総理大臣総裁に三選をされたときに、身命を賭してこれから事に当たるということを、総裁就任直後に新聞紙上を通じて談話を発表いたしておりますが、国民はまたかと思って、どういうことを考えておるかということについて期待をしながら、まゆにつばをつけて見ておると思うのです。  そこで、私、お聞きいたしたいことは、今度の内閣顔ぶれを見ますと、まず文教政策のエキスパートの坂田文部大臣、元、前文部大臣がずらっと並んでおられて、元文部大臣愛知さんが外務大臣、元文部大臣有田さんが防衛庁長官、元文部大臣荒木さんが公安委員長、元文教委員会委員長床次さんが沖繩担当総務長官、元文教委員長大平さんが通産大臣、この顔ぶれの中で、総理大臣は何を考えておられるのだろうか。教育問題を中心としてあらゆる問題を、佐藤さんがいつもおっしゃる人間形成の問題として、生命を賭しても解決をしようという立場文教内閣をつくられたのか、あるいは、元文部大臣公安委員長に、防衛庁長官に、外務大臣にされて、文教問題を治安問題に持っていこうという意図なのか。私は、これは国民からいいますれば、いままでのいろいろの問題の中で、一応こういう顔ぶれを前提として、総理大臣のこれからの政治方向をお示し願う必要がある。まずそういう意味において、総理大臣に、今度の施政演説の中においても、新しい精神文明を説かれ、新しい倫理観も説いておられる、そういう意味において、その方向をまずお聞きいたしたいと思います。
  4. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 山中君のいま、現代の政治課題、これが沖繩であり、物価であり、大学問題である、お説のとおりだと思っております。私も、この三大重大政治課題を賢明に解決することができたら、国民はたいへんしあわせだと思っております。その意味において、山中君と同じように政治課題指摘することができます。そして、ことにそのいずれもが単純なものでない、複雑多岐にわたっておる。民族独立精神からだけで解決のできない問題もあって、たいへん複雑多岐にわたっておる、かように思います。  そこで、御指摘のように、何といっても人間形成、そういうことが抜かってきた、戦後の教育のあり方からそういうことが抜かってきた、そのために、あらゆる面にいろんな問題が起きた。たとえば、安全保障の問題についても、国を守るの気概を欠くとか、あるいは物価の問題についても、それぞれの立場においてそれぞれの利益は主張するが、総合的にだれも考えない。米価などは一番はっきりしたことです。米をつくるほうからいえば上げてくれろ、消費者のほうからは安くしろ、たいへん国家的な総合的なかかわり合いのある問題があって、それぞれの立場においてそれぞれのものを主張しておる。まことに私残念に思います。私は、こういう事柄がないようにと思って、そうしてことしのこの国会の施政方針演説は、やや異例であったかわかりませんが、冒頭には、新しい時代におくれないような、時代に沿った倫理観のもとに、ひとつりっぱな社会をつくろう、こういうことを申したのであります。しかし、同じ社会党を代表して質問されるほうからも、佐藤政治家じゃないか、修身の教師じゃないはずだ、何を言っているんだと、実はおしかりを受けた。ただいま社会党を代表して、この取り扱い方については賛成だという御意見山中君から聞かされて、私は、やっぱり私ども方向はよかったんじゃないか、社会党の方にもやっぱり賛成される方がある、これは私のかってかしりませんが、さようにも実は聞いたのであります。この方向は、それぞれの立場において、それぞれの方が考えるものであります。文教は、申すまでもなく人間形成の場でなければならない、また、科学技術の進歩のために役立つものでなければならない。これが万一にも文教警察権の行使の場であるというような方向に行けば、これはたいへんなことだと思います。それこそ憲法精神——憲法違反でもあるし、憲法精神を乱るものだ。そこで、やっぱり私どもはどこまでも憲法精神に基づいて、そうして学問の自由を尊重し、その良心は尊重していく。同時にまた、学園の自治はこれも尊重していく、こういうことで、新しい大学国民のための大学をつくろう、こういうようないま立ち上がりをしておるわけであります。しかし、これも御指摘になりましたように、与党だけが、また自民党だけでこの問題が解決するとは思いません。私は、ほんとうに超党派的な立場に立って、それこそりっぱな次の世代をになう青年を教育できるような、そういう場をひとつつくろうじゃありませんか。私は、そういう意味で、ただいまお尋ねになりました点は、まことに重大な意味を持つものだ、かように思っておる次第であります。
  5. 山中吾郎

    山中(吾)委員 私は、未来に責任を持つのが総理大臣の一番重大な政治的姿勢だと思うので、当然にそういう意味において、国民人間形成というものを中心政策を考えるべきだ、そういう信念でお尋ねしておるのでありますが、そうしますと、安保条約についても、堅持をするという姿勢からは、国民精神自主独立精神に持っていけないので、できるだけ早く外国の基地を外に出すんだという姿勢があって、そのあとに、見解の相違で当分やむを得ないというならば、私は、外交政策が同時に人間形成立場から論ずるものになると思うのですが、ことごとくいつも、安保堅持する、堅持する、私は、そこに間違いがあるんじゃないか。明治初年における安政条約に対しても、これを不平等条約を解除するのに半世紀かかっておるが、どの政治家も、早く解除しよう、しようとして、大隈さんが足を取られ、いろいろなことの中で来ておるのですが、そういう同じ条約堅持するという総理大臣の中からは、精神は振興できないのだ。何か姿勢に間違いがあるのではないか。私たち即時解除を言っておる。与党のほうにおいては、それはできなければできないということは訴えていいと思いますが、堅持するというのは、独立国家としての総理大臣姿勢ではないんじゃないか、それはいかがでしょうか。
  6. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 安全保障条約堅持するということがたいへん気にさわったようでございますが、私は、自分の国は自分の力で守る、国民の力で守る、国を守るの気概を持てということを国民に呼びかけております。私は、そのもとで、やっぱり日本の国の安全は確保される、それが根幹だと思います。しかし今日の国際情勢のもとにおいて、恒久平和が来ておるわけじゃありませんし、世界各国とも同じような平和を希望しながらも、強力な軍備を持っておる国もあるわけです。そこで、私どもの力でわが国を守るとするその気概はあっても、機能を十分発揮することができない、そういう場合に、残念ながら、補完的な意味で、日米安全保障条約堅持せざるを得ない。ここを国民もよく理解していただく。中心は一体どこなのか、中心はわれわれの力なんだ、国民の力だ、しかしそれで不十分だ、それを補完するものが必要だ、そういう意味で、その立場に立とう、こういうのであります。
  7. 山中吾郎

    山中(吾)委員 私は、そうでなくて、こういう不平等条約を解除して、あとで、この国を守るのに、与党のほうは軍備が必要だ、われわれは、総国力で全国民防衛体制で守るんだという非武装武装の論争を国民に訴えたらいいのじゃないですか。安保堅持をするということが国民に訴える姿勢ではおかしいのだ。武装が必要なら武装、われわれは非武装でいくというのですから、堂々とこの条約を解除する姿勢の中で、どうして訴えないか。そうして国民武装を必要というなら、与党に投票するのじゃないですか。私は、それを申し上げておるので、まだ大東亜戦争の負け犬の尾がついておるのだ。そうして、国を守る気概国民に持ちなさいという教育的表現をしても、国民は高い理想によってエネルギーをそれに投じるようなものは出ていない。そこに大学問題の一つの大きい問題もある、若い世代エネルギーが浪費されておるゆえんもあると私は思うので、この例を申し上げたのであります。これはやはり、私は、その出発点に、どこかに敗戦国総理大臣という心理がつきまとっておるのではないかと思うので、ぼちぼちその辺はお変えになったほうがいいのじゃないかと思うので、申し上げたのであります。  こういう論議はいつまでもしておると本論に入らないので、総理大臣の、もう少し自主独立立場に立って、安保条約に対して早く解消したいという姿勢を当然おとりにならなければ、教育にならぬと思う。  大学問題に直ちに入ってお聞きしたいと思うのですが、単刀直入に、私はまず東大入試中止の問題について、総理大臣文部大臣にお聞きいたしたいと思います。きのうも春日委員からいろいろと質問があり、文部大臣が答えられておるようでありますが、この中止については、加藤代行合意の上に中止をされたのか、あるいは、意見が合わないので、政府の処理としてされたのか、どちらですか。
  8. 坂田道太

    坂田国務大臣 入試を実施するか中止するかという課題は、東大当局文部当局協議の上できめるということを確認し合いまして、そうして十二月の時点におきましては、中止と決定いたした次第でございます。しかるところ、東大当局としては、もしストライキが解除され、封鎖が解除され、そして教育正常化が行なわれた暁に、入試実施ができるような事態が出るとするならば、そのときはひとつ考えてほしい、その時期は一月十五日ごろだと考えておるということでございまして、そのことについては、一月十五日ごろの時点で考えようということでまいりました。十七日に再協議をいたしまして、三日ばかり延ばそうじゃないかということは、双方からこれまた合意によってきまりまして、そして二十日の段階におきまして、先方は、東大当局は、もう不十分ながら条件は満たされたものである、こういうふうに考えるから、復活をいたしたい。私どものほうは、どうも不十分ながら条件が満たされたというふうには、どうしても客観的には思えない、またそのあかしが立っておるとは思えない、文教責任者といたしましては、そういう教育正常化が行なわれておらないところに新たな学生を迎え入れるということは、どうしても自信が持てないということで、事実上、意見が分かれたわけでございますが、その根底には、東大当局とわれわれ文部当局との間におきまして、自動的に、事実上、中止というふうにきまったわけでございます。
  9. 山中吾郎

    山中(吾)委員 私のお聞きいたしましたのは、そのあと加藤代行から文書をもって抗議を出しておる。そこを見ると、決裂をして、そして文部大臣入試中止したと見るほかないので、その辺はどうかということなんです。
  10. 坂田道太

    坂田国務大臣 お答えいたします。  先方から、確かに二十日の段階におきましても、抗議ということばが出ております。そしてまた、翌日の新聞等におきましても、抗議内容が示されておるわけでございますが、加藤代行が申しました意味は、自分は、とにかく入試実施という意味合いは、まず教育正常化をやった暁に、そして授業再開をして、そして入試実施というところにこぎつけたいと考えておるんだ。そういう意味合いにおいて教育正常化というものができたと思うのだけれども文部大臣のほうでは、客観的にはそれは認められないじゃないかという気持ち、そのことについて自分抗議という内容は、むしろ自主的に東大当局があらゆる努力をして、そして教育正常化をはかり、そしてまた授業再開をやって、そして現在おる一万五、六千人の学生の留年を最小限度にとどめ、かつ進級すべき者は進級させ、卒業できる者は卒業させるということが最大の当面の課題である、そして三月ごろ、そのあかし社会に示したときこそ、それこそ文部大臣に対する抗議である、このような意味の発言を見たわけでございまして、抗議内容というものは、そういう意味だと私は解しておるわけでございます。
  11. 山中吾郎

    山中(吾)委員 何かあいまいで、裏と表があるようですが、それは追及いたしません。ただ一応これだけは明確にしておきたいと思うのですが、学校教育法施行規則の第六十七条には、学生入学は「教授会の議を経て、学長が、これを定める。」そうして慣行としては、入学者決定方法、すなわち入試方法については、行政上の指導として、大学当局文部当局協議をして定める。したがって、数学を試験科目に入れるとか筆記試験だけでやるとか、そういう方法については協議事項であるけれども入学については、これは大学学長権限であることは、法律上明確になっている。したがって、中止ということは協議事項ではない。協議事項ではないでしょう。その入学をするについての入試方法については、文部大臣協議をするんだ。中止するかしないかということは、文部大臣権限ではない。これは総理大臣答弁には、間違いがずいぶんあったような答弁をしておるようですが、それは明確にしておかなければいけない。  そこで私は、もう少し知恵をお出しになるべきではなかったのか。入試方法筆記試験その他をやれば、なるほどあの状況では入試ほど妨害しやすいものはないと思うのです。入試試験場に百名の学生がおって、一人の学生が入って、一人の受験生の答案を破れば妨害はできるのです、三人も四人も行かなくて。したがってそういうことはできない。現在、きょうの新聞を見ましても、外語大学もそうなんです。一時間の試験を三十分に縮めてというようなことで、試験はできるはずはない。そういうならば、なぜ、いま入試の弊害を説いておるときに、出身高等学校内申書できめるという方法協議をされないのか。法律を無視してまでおやりになる……。知恵がないのではないかということを私は申し上げている。
  12. 坂田道太

    坂田国務大臣 山中さん非常に御理解が深いと思うのでございますが、まずもって、やはり入学を実施するあるいは中止するという法的根拠は、昨日春日委員にお答えいたしましたとおりに、明文はございません。しかしながら平常の場合においては、山中さんがお述べになりましたとおりだと私は実は考えておるわけでございます。ですけれども、今日の非常の場合、また東大の歴史始まって以来の状況におきまして、従来のその慣行だけでやれるかどうかということ、これは十二月に、やはり私は、もし中止になった場合に、その志願者の方々に早くこの態度をきめるということのほうがむしろいいんじゃないか。できる、できるといいながら、そして二月ごろまでになって、そして中止となった場合に、その志願者人たちにさらに迷惑をかけるということのほうが、私としては、これは非常な影響を与えるというふうに考えたわけでございます。そういう意味合いにおきまして、やはりこの定員の問題、予算問題等については、われわれ文部当局権限があるわけでございますから、やはりその点については協議事項にするということを、双方の了解のもとにやったことを、まずもって申し上げておきたいと思います。  それから、実際、ほんとうに仰せのとおりで、入学試験というものは、一人の人がもし妨害をするならば、全部がこれはだめになってしまうというおそれのある問題であるわけでございまして、そういう意味合いにおきまして、内申書による選考等方法はないか、その知恵はないか。私もその知恵一つは持っておるわけでございますが、早急にそういうことを実施することを大学当局自身がお考えになっておるかどうかというところにつきましては、大学当局としてはやはりきめかねておるというのが実情かと思うのでございまして、その知恵にいたしましても、私の知恵大学当局に押しつけるということはいかがか。やはり東大当局自身入学試験選考等について長年御検討になっているようでございますけれども、まだその結論を得ておらない。そういうようなことを考えました場合、また東大当局からそういうような内申書による選考というような方法について、われわれに協議を求められたことはございません。そのような実情にありまして、ああいうようなことになったわけでございます。
  13. 山中吾郎

    山中(吾)委員 答弁を簡潔にお願いしたいと思うのですが、入学教育を継続するのは、本来の大学学長、教授の教育者としての最高の責任なので、入学教育を継続するという意思に対して文部大臣は干渉できないのだ、中止に干渉された、入試方法についてなぜ助言されないかと私は言うので、したがって、加藤代行内申書において入学せしめるということに着意がないときに、それを助言するのが文部大臣ではないのですか。中止を助言するのは越権の行為ですよ。それを言うので、たとえば九月から入学を実際にやるにしても、四年間に百二十四単位の計画を三年半に縮めることは十分にできる。夏休みでも加えて卒業さすことは、四年間の計画を立てれば、八月を入れても十分できる。  そこで、入試問題についてもう少し検討されて、大学を尊重しながら、しかも助言されるならば、もっと研究される必要がある。それは文部大臣の監督をされておるところの国立教育研究所である。入試の弊害というものを痛切に感じておるので、自民党の文教調査会の会長の櫻内さんがここにおりますが、入試制度の改善をあの試案に出している。そういうときなんです。そういうときに、あなたのほうで、付属機関であるところの国立教育研究所の数年かかっての入学試験の報告には、こういう報告が来ておる。高等学校在学中の成績は大学の成績に非常に相関関係があるが、入学試験の成績は関係ない、非常に少ないということが、ここにるる出ておるのである。高等学校において成績優秀な者は、大学においてもすぐれた成績を示しておる。高等学校における成績が特に劣っておる者は、入学試験においていい成績をとっておっても、大学においては成績は劣る。したがって、現在の入試というものはほとんど能力に関係ない。そこに問題があることが、こういう国民の税金をかけて正式に発表されておる。そのときに、なぜそれを、大学制度を改善する方向で、法律に従って入試方法を勧告されないのか。中止はあなたの権限ではないのですよ。規則に明文があるのです。慣行じゃないのです。それから、学長入学を停止するということは、自分教育責任を放棄するのだから、辞表を出すべきだ。そういう重大問題であると思う。ところが、どこかにそういう政治的偏見があるので、確認書の出たあと、あの確認書はどうも許されないという一方の政党の一つのなにがあって、そして文部大臣の正しく助言するという知恵がどこかに吹っ飛んでしまって、こういうことをしているのじゃないか。まことに遺憾である。そのところを簡単に、あなたのほんとうの心境をお述べください。
  14. 坂田道太

    坂田国務大臣 ただいま申し述べられました国立教育研究所の報告というものは、実は私も承知をいたしております。したがいまして、そういう現在行なわれております入学試験そのもの、制度につきまして改善すべきものだというふうに私は考えております。しかしながら、そういうものも含めまして、私はやはり、行政の責任者といたしましては中央教育審議会等の議を経ましてやるべき事柄ではないかというふうに思いますし、同時に、確かに仰せのとおり能研の研究でございますね、あの結果も踏まえまして、いま国立教育研究所でお述べになりました報告が盛られておるわけでございまして、学校長の三年間のいわば能力、それから将来どのようにその能力が伸びていくかということをむしろ信用するほうが、追跡調査の結果は正しいのだということも科学的には一応出ておるわけでございます。それを短期間にマル・バツ式のやり方の入学試験ということでやることは、むしろいい学生大学に入れるゆえんじゃないのだということは客観的に一応認められておるわけでございまして、私は、こういう方向東大当局をはじめとして、あるいは私立大学でもこれを御採用になるべきものではないか、あるいは実験的にやってみられる必要があるのじゃないかというふうに思っております。おそらく山中さんも御承知のとおりに、慶応大学におきましては、たしか工学部だったと思いますが、この三年間のいわゆる学校長の内申書というものを重視し、そのAクラスの者を採用し、そして結果としてはそれはいいということも私は直接聞いておるわけでございまして、これは非常に高く評価さるべきものであって、これからやはり入学試験の改善の場合の一つの重要な参考資料というふうに考えております。私は、そのことについては山中さんと同感でございます。
  15. 山中吾郎

    山中(吾)委員 非常時だから、権限のない募集停止というのですか、入学を停止さすぐらいの非常時であるのだから、答申を待ってではなくて、この東大の非常時に対して、入試方法だけ国立研究所の報告にも妥当性を言っておるところの出身高等学校内申書でやるという知恵をなぜお出しにならないのか。法律を破って中止を言うくらいなら、法律の指導行政にまかされておる試験方法について、非常時で、この限りにおいては出身高等学校の内申によるのだということをお出しになるのが正しいのではないか。これからでもおそくない。私は政策を進めるために論議しているので、ちょっとお待ちください。  総理大臣にひとつお聞き願いたいと思うのですが、これは国立研究所の数年かかっての報告の中に、「大学在学中の学業成績との相関は「入学試験成績」よりも「高校学業成績」のほうが高いことが多かった。そして、との「高校学業成績」のほうが相関が高いという傾向は、特定の大学の場合だけでなく、一般的に認められた。現在は、多くの大学が高等学校からの調査書をほとんど用いずに「入学試験成績」によって入学者を選抜しているが、この結果をみると、大学で優れた学業成績を示す者を選抜するためには高等学校時代の学業成績などをもっと活用すべきである」、これは来ている。こういうことを、この東大というものの教育を継続せしめる重大な責任があって中止するなら、直ちに代行はやめる、教授全部がやめるべきだ、評議会の構成員の教授はやめるべきだという重大問題であるのに、その試験方法を変えさせて、もう一度教育を継続しながら大学を改革するということが一番正しいのではないかと思うのですが、いかがでしょう。
  16. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 政府は、先ほどのように入試中止した、これは責任をもって中止したわけです。大体東大の現況において、新入生を受け入れるような資格はございません。あの状態で新入生を受け入れたらたいへんなことになる。問題は、やはりいまいる大学生、これらの者が一応軌道に乗るということが先決であります。そういう状態でとったのであります。  それからまた、ただいまお読みになりました報告書、これには私はある程度の抵抗を感ぜざるを得ない。大器晩成型の者は一体どうして救われるのだ、そういうことを考えて、その程度ではその報告にどうしても私は抵抗を感じます。
  17. 山中吾郎

    山中(吾)委員 それはピントがはずれておるんじゃないか。大器晩成の人には、むしろまだほかに資格試験制度もあれば、二年後だって出身の高等学校の成績というものは生きるのですから、それはピントがはずれておるでしょう。完全にはずれておる。よけいなことを言わないほうがいいと思う。これはごく簡単に入試中止をお考えになっておりますけれども、ことし入試中止しますと、来年は二学年がいないのだ。再来年は三学年がいない。四年目は卒業生がいない。東大教育大、教師を供給するところの重要な二つの大学で三千九百名、四千名の定員を持っておるわけですから、四年後には社会に、この国税によって膨大な大学をつくって年々四千名の優秀な者を社会に送り出すのを、これは停止をすることなんです。  そこで、東大の一年の予算が二百十四億ですか、それは付属機関を入れればさらに多いと思うのですが、それを一年間募集停止をすることは、そのうちの四分の一の五十億円の金を遊ばすことになる。そういう財政的に見ても重要な入試中止の問題なので、そう簡単におきめになる問題ではないと思うのです。  私は、そういう意味において、この入試を決定されるときには、大学の改造というビジョンを持ち得ない限りにおいてはそういう重大な決定はできないと思うのですが、その点総理大臣は、東大教育大の改革について決意を持っておられるのですか。
  18. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 これはたびたび申し上げましたように、中教審の答申を待って改革をする、これが私どもの考え方であります。ただいま御指摘になりましたように、たとえば教師は足らない、技術者も足らない、ことに医者は足らない、こういうのがいまの社会的な要請であります。そういう際に入試中止する、そして一学年だけそういう者が出てこない、これはたいへんなことです。政府もそのくらいのことは知っております。そういうことも考慮に入れて、そうして入試中止した、それだけの決意はございました。でありますから、入試をなぜやめたか。この教育環境が不適当だからやめたのです。これはもう私がとやかく申さなくても、山中君も御存じだと思います。入試方法あるいは試験方法を変えたというだけで片のつくような問題ではございません。そういうことを糊塗するような時代じゃないのだ。だからひとつ皆さんとりっぱなものをつくろうじゃないかといって、いま呼びかけておる。また皆さんのほうからも超党派でひとつやろうじゃないか、こう言っておられるのもそこにあるのです。これは、一年やめるということはたいへんなことです。
  19. 山中吾郎

    山中(吾)委員 その決意を明らかにされておるならば、東大教育大は、問題が解決してまたもとどおりの大学の形態では、おさまらないのだという意味に解釈してよろしいですね。  それで施政演説の中に、中教審の答申を待って教育制度の改革を決意したと、これは演説になって言われておる。しかし、私は、中教審は文部大臣の諮問機関であると思う。大学問題を含んだこの教育制度の改革は、そんな簡単な一つの行政庁の諮問機関の答申で決定するような軽い問題ではなくて、各党がそれなら一緒になってやろうというふうな民族の将来に大きい影響を与える大問題なので、総理大臣施政演説に、自分の諮問機関でない、総理大臣直属の諮問機関でない、文部大臣の諮問機関の答申を待ってというのは、これは佐藤文部大臣施政演説なら別ですが、総理大臣としてはおかしいのではないか。だから大学問題についてもう少し重要な問題として考えられるべきであると思うので、私はあの施政演説を聞いておるときに、佐藤文部大臣答弁のように聞こえるのです。あれは文部大臣の諮問機関ですよ。そうして、おととい江田三郎委員からの質問の中にも、平均五十六歳以上の、会長は七十何歳ですか、そういう人々の集まったところで——古典的なエリート大学の新しい大学を創造するという一方の方針を立てておるのに、そういう人々を集めた、しかも一介の文部大臣——坂田君に申しわけないが、一介の文部大臣の諮問機関の答申を待って総理大臣教育制度を改革するというのは、大学問題、教育問題に認識が浅いということを証明しておると思うが、いかがでしょう。
  20. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 佐藤内閣といたしましては、さようには考えておりません。それぞれ専門部門で大臣の管掌事務があるわけであります。私は、大学問題が特にやかましいからといって、文部大臣からその仕事だけ取り上げて文部大臣の管掌でないようにする、それこそ内閣制度を乱るものであって、その点はそういうことはございません。これはもう文部大臣の諮問機関だろうが、とにかくりっぱな案をいただいて、そうして内閣としてこれを決定する、これが本来の考え方であります。
  21. 山中吾郎

    山中(吾)委員 私は、その考えがおかしいと言うのであって、この問題は、教育制度審議会という新しい審議会をつくって——これは国民合意を必要とするのですから、やはり内閣の直属の審議会というものをつくって、そして各委員を網羅して、国会の承認する委員をもってきまったものは、挙党、全部が一致してささえていくというようなものでない限りは、いまでも政党が、ある意味においては大学をこわしているのです。そういうときに、あそこで決意を表明されるのに、文部大臣の諮問機関の答申を待ったというふうな簡単なお考えではなくて、そこまで決意をされるならば、新しく総理大臣の直属の審議機関を置いて、その結果をもってこの問題を処理するという考えを持つのでなければ、私は成功しない、そういうお考えをお持ちになるべきではないかということです。
  22. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 足らないところは後ほど文部大臣から説明させますが、しかし、私はその必要はないと思っております。また、この法制上設けられた機関の手続を経てやはり所要の行政措置を講ずるというのは、これは当然のことであります。しかし、私はそればかりでなく、実は総理大臣大学問題についての相談相手も別に持っておりまして、そしてそれらの会合もしばしば開いたのであります。そのことで、これはもちろん文部大臣は出ておりますが、その結論も、また文部大臣の持つところのものもこれから具体的に出てくるだろう、かように私は期待しております。したがって、ただいませっかく御提案でございますが、それらのものが必要なのかどうかと考えると、私は、ただいまのところはその必要はない、かような結論を得ております。と申しますのは、いわゆる法制的なものではありませんが、私自身が、いろいろ相談相手になっている懇談会をしている、そのメンバーで事足りてはいないか、かように思っております。
  23. 坂田道太

    坂田国務大臣 先ほど山中委員おっしゃったとおりに、東大の新しいビジョンとか新しい大学とか、あるいはまた、教育大学をすぐ新しい大学に、いまこの紛争の中において考えろというようなお話だったと思います。あるいは間違っておるかもしれませんが、そういうお話に聞いたわけですが、そのお話と、そのいまの中教審やあるいはまた総理直属の審議会で慎重に時間をかけてやるべきだという御主張とは少し理論的につながらないのじゃないかという気がしてならないのであって、こういう紛争の中において新しき大学像というものを打ち出すというようなことは、むしろ慎重であるべきではないか。むしろ各党におきましても、との大きい変革、大学の量的、質的な変貌、それに対して社会の要請にこたえておらない大学というものについて慎重にお考えをいただき、また同時に、国民の間においてもこれを考え、そしてまた、いま機関といたしましては中央教育審議会というものがございますし、せっかく第二十四特別委員会という中において、たとえば学生の地位の問題、それからまた一般教育の問題、それからまた管理運営の問題、そしてまたこういうような紛争があちこちの大学に起こっておるという紛争処理の問題等について、いま非常に一生懸命にやっております。いままで一週間のうちに一回であったものを、一週間のうちに二回もやっておる、こういうわけであります。  また、中央教育審議会の森戸先生は、御承知のように高齢ではございますけれども、しかしこの方は実にりっぱな方でございまして、大学問題というものを、大きく時代の変遷に応じたような考え方を持っておられる方だと私は信じておるわけでございますし、またそのやり方等につきましても、たとえば会長招待懇談会というもので、永井道雄君や、永井陽之助君や、平井啓之君や、三浦朱門君や、山崎正和君というような若々しい人たち社会にこたえるようなこういうような人たちもヒヤリングとして数回開くことによって、中央教育審議会というものの運営を新たにいたそうというふうに考えておるわけでございまして、むしろ、いま後段にお述べになりました山中さんのお気持ちにこたえながらわれわれは行政運営をやっておるということをひとつ御了承いただきたいと思います。
  24. 山中吾郎

    山中(吾)委員 大学懇話会というような私的なものでなくて、私はやはり公的なもの、あるいは各党の代表が構成するぐらいの規模のものでないとこの問題は、とうてい新しい大学の創造というものはできないんじゃないか。これはお考えになるべきものではないかと思うのです。それで文部大臣の諮問機関の中でこの大学問題を取り上げるための大学特別委員会をつくったのですが、その顔ぶれも、麻生磯次という主査の学習院の学長も八十歳の人です。高坂正顕さんも六十九歳、同じなんです。ところが古い憲法から新しい憲法に移行して、価値観が転換をする過渡期の中でこの大学問題が混乱をしておるのですから、少なくとも新憲法で育った学者が入るならば、三十代の者が一人か二人いなければとてもだめだ、こういうふうな旧憲法で思想体系ができた人だけでは。私はやはりこの新しい大学に対する結論は、みんなの、国民合意の上に立たなければ出ないのじゃないか、文部大臣の諮問機関でおさめるような問題ではなくて、やはり内閣の中に持つべき問題であると思うのです。それは御検討なさるべき問題ではないでしょうか。いかがですか。いま一度お聞きします。
  25. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 これは他の場所におきましても、そういう具体的な御提案については十分検討する、こういう結論を申しております。これはもうすでにお聞き取りだと思いますので、その答えを変えるつもりはございませんから、十分検討はします。しかし先ほど来申しましたように、私どももただ一片の形式論だけをやっておるわけじゃないと、それだけをひとつ御了承いただきたいと思います。
  26. 山中吾郎

    山中(吾)委員 検討されるという御答弁でありますから期待をいたして、真剣に日本大学問題の新しい制度を出していただきたいと思うのであります。私たち責任をもって大学中心とした制度のビジョンを出します。  次に確認書の問題でありますが、この問題についても、まことに政治的な複雑な問題であって、まことに遺憾に思うのでありますけれども、けさの朝日新聞にも、社説に「政治的すぎる自民党の大学報告書」という見出しで、一つの評論があります。これによりますと、「(一)東大入試中止は当然である。(二)東大確認書は容認できぬ。(三)学園紛争の当面の解決策は暴力、政治活動の徹底的排除である。(四)大学改革のビジョンは大学大学中心大学創設にある、」大体四つの柱を出しておる。一読した印象では、この報告書が大学紛争をすべて政治的な、もしくは治安的な観点から割り切っていることであるという評論が出ておるのであって、これは半分ぐらいはやはり真相をうがっておるのではないかと思う。  総理大臣は、初期の、昨年あたりは理解のある表現をしながら、だんだんとこの確認書に対してきつい表現があちらこちらに出ておる。だいぶ変わってきたようである。教育問題についての考え方が変わってきたように思うのですが、この確認書も、純粋に苦心をして東大の中でこの問題を処理するために出てきた確認書であるので、確認書を破棄する立場ではなくて出発点として、確認書が合理的なものになるような大学制度を考えてやるというのが私は正しいのではないかと思うのですが、こういう非常に政治的な方向にのみ動きつつあるので、その点はもう一度、大学制度の改革の姿勢としてこの確認書というものをどういうふうに評価されておるのか、お聞きしておきたいと思うのです。
  27. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 確認書をめぐっていろいろな議論が出ております。私は、まず確認書の項目一からずっと十項目についてそれぞれ意見を持っておりますが、そういうことにいま触れないで、一体確認書ができたあの状態は、平静の間にやられたものかどうなのか、私は力の関係でできた確認書だと思っておる。こういうことは大学の将来を縛る、それが力の関係できめられる、そういうことは異常なものじゃないか。私はその意味から、まず第一にその点を十分考えなければならぬのじゃないかと思う。そこらに問題があります。したがいまして、確認書は、もちろんあれだけででき上がったものじゃなくて、教授側においてはそれぞれの教授会、評議会の決もとらなければならない。さらにまた、学生側は学生側でやはり全学の承認をとるという手続もある、そういうように手続が残されている。そうしていきなりそれをやられたという、こういうところにどうも私は納得いかないものがあるのですね。私も過去におきまして、終戦直後ではあるが、労働問題でいろいろ団交その他をしたことがある。やはり平静なうちにこういうことはきめないと、いわゆる力の関係できめるとどうも誤る、かように思います。   〔委員長退席、中野(四)委員長代理着席〕 したがって、私はどうも確認書をスタートにしてと言われることについて、これはどういう意味なのかよくわからないが、確認書をスタートにして大学のあり方をきめるというのはちょっと無理じゃないかと思っております。
  28. 山中吾郎

    山中(吾)委員 それではもう少し私の考えを申し上げたいと思うのですが、確認書の中でおそらく問題になるのは、学生の参加権の問題、学校運営についてですね。それから警察導入の問題文章は別にしまして、それが中心です。  そこで現在の大学においては、もうすでに全国の十三校が、間接的にか直接的であっても、大学のカリキュラムの編成とか、あるいは学長の人事については参加をすることがもう一つ慣行としてできておる時代なんです。そういうことを前提として考えたときに、そのいきさつはいろいろの力関係にあったかしれないけれども、あの中身の方向大学の改革を考えてやること以外に——東大教育大の混乱をさらに深めるだけなので、いきさつはいきさつとして、中身が生きる方向で改革をされるということですね。そのためには、政治の側においては政治で、制度についてそれに適応するような大学制度を考えるべきではないか。破棄をして出発するのでなくて、一方に教育制度の改革試案を党で出しておられるじゃないですか。たとえば、いまの大学については、教養課程があって旧制高等学校の内容のものが二カ年入っている。未成年の十八歳、十九歳が入っている。大学進学年齢を戦前の大学のように成人年齢と一致させれば、やはり刑法、民法上にも責任能力を持った学生なのであるから、おとなの大学としていろいろな問題に参加するという、この確認書というものは合理性を帯びてくると思うのです。そういう制度の中でこの確認書を生かすという立場こそ、大学の自主性を保ちながら日本の若いエネルギーを育てるという立場で、政治的に解決する立場である。ところが、最初に政治的な立場をとって確認書を否定する立場で入ることは、やはり大学に対する権力の干渉でしかない。そうじゃないでしょうか。  私は提案をしたいと思うのです。現在の大学で一番問題になっておるのは、戦前のいろいろの高等教育の中で、旧制帝大から旧制専門学校、それから旧制高等学校、府県の師範学校まで入れて圧縮して単純な大学ができた。みそもくそも一緒にできた。その中に、高等学校が大学教育内容に入ってしまった。高等学校はまだ人生を決定してない青年で、人生とは何ぞ、恋愛は何ぞという論議をするロマンチシズムそのものも大学に入ってできておるので、私は非常に混乱があると思う。そして未成年の十八歳、十九歳が大学の構成に入った。人生を決定していない者も入っている。私は大学というものは、おとなの、人生を決定した学徒の社会であろうと思うのです。教授も学生も一緒になって真理を探究していく。だから教育と研究の大学社会といわれておるのだと思うのです。もしそのうちに、未成年の十八歳、十九歳の、人生を決定しない旧制高等学校コースのものを分離すれば、私は確認書を前提として大学制度の改革を考えていくのが政治立場ではないかと思うのです。そういう考え方を持たない限りは、大学制度を政党が寄ってたかってつぶしていくことになる。提案を含んで申し上げるので、御意見をお聞きしたいと思います。
  29. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 どうも少し話が何か食い違っているようですが、この確認書自身が問題を提供しておることは私も認めます。だからそういう意味で、その確認書を一つの問題として提供するとおっしゃるなら、これはわかります。しかし確認書をスタートにして出ていくということは、どうも私はそれを承認して、それを基礎にして、その中で考えていけというように聞けるのであります。私は確認書は一つの問題もあると思うが、それだけのものじゃない。(「そんなに単純じゃない」と呼ぶ者あり)しかし単純に聞けるから、いまそれで話をしているわけなんです。あなたと討論しているのじゃないので、山中君と私、話をしているのです。  そこで山中君は、おとなの大学ということを言われますが、そうじゃないのです。旧制の大学でもやはり十九(山中(吾)委員「二十ですよ」と呼ぶ)いや十九です。ぼくは現に大学に入ってから徴兵検査を受けたのです。だから、そういうのがいる。自分で経験がありますから、そう、そういうことにとらわれることはないのですね。  ただ私は、いまの学問の自由と大学管理というものはどうもごっちゃになっていはしないか、また研究部門とこういうものがごっちゃになっているのではないかと思う。だから教授のうちに、あの暴力学生を激励するような教官まで出てくる。管理面から見たらそういうようなことはないはずなんですね。学問の自由は幾らあっても、管理の面から見たら、管理者というものはきちんといて、そういうものは許さないものだろうと思う。そういうところに問題があるのですね。それは幾つも問題があちらにもこちらにもある。そういうことを考えなければならない。  だから、確認書そのものが問題を提供しておることは、私もそのとおり認めますよ。いま学生の参加ということが問題になっている。学生の参加はどの程度にあるべきかという、これは一つの問題なんでしょう。しかし学生の参加そのものが、あの確認書の第一条に書かれているように、教授の任免にまである。これはとにかく学生でも古い経験者ならば、教授が適当か不適当かわかるだろうが、入ったばかりの者が適当、不適当に断を下すという、それあたりは問題だと思うのですね。だから確認書そのものの項目は、最初の第一項からもうすでに問題を提供している。そういうことをよく考えてやるべきだ。私はそういう意味で、この確認書というものは問題になっておると思います。全部を否定するという意味で——いまの、令状を持ってきても否定するとか、一切の捜査には協力しないとか、こういうことは言語道断ですから、いわゆる治外法権じゃないのですから、そういうことは問題ございませんけれども、第一条からすでに問題じゃないかと私は思うのですよ。  第一、ああいう環境のもとできめられたもの、それはもう加藤君が法律の大家であっても、やはり自由意思でそういうものをきめたとはいえないだろうし、また学長代行だという限りにおいては、一応権限は委任されたとはいいながら、こういう重大な将来にわたっての学校のあり方をきめる取りきめを評議会、教授会、それらにもかけないで二、三の諸君とだけできめるという、そういう意味においては、これをスタートにするという、そういう材料じゃないと私は思っておる。提供されておる問題は、私はそれぞれ否定するわけじゃありません。いわゆる参加問題はこれから考えたらいいと思う。しかしあれをスタートにするというのはちょっと違う。
  30. 山中吾郎

    山中(吾)委員 そこに私は総理大臣の間違いがあるのではないかと思うのですよ。憲法でも、占領下につくった憲法だからといつも論議をされるのですね。一番大事なのは内容で論議をすべきである。そこで、自民党の諸君のほうでは、内容について異議があるといってやっているわけです。あれは紛争の中で苦心に苦心をして、解決するためにできたものであるから、そのいきさつというものは解決したときには私はもうなくなってしまうと思うのです。一番大事なことは、新しい大学をどうするかということが中心で、やはり内容で論議すべきだ。憲法否定の思想と同じなんです、いまの論議は。いつもそういう答弁をされておるのです。私の前のときも答弁をされた。私はその内容についてこの問題を——指導、助言は必要ですよ。指導、助言は必要であるけれども、確認書というものは、あの苦心のある確認書を前提として、そして指導、助言をしなければ、あれを否定してかかったら、これはまた混乱が続くだけなんです。その考えを変えて私は論議しなければならぬと思う。それはいかがでしょう。簡単に言ってくださいよ。
  31. 坂田道太

    坂田国務大臣 ただいま総理大臣がお答えになったとおりでございまして、紛争中に長期的な問題をも含むような問題を出発点とするわけには私はまいらぬと思うわけでございます。御案内のとおりにあの全学集会じゃなくて七学部集会、しかもそれも学内じゃなくて学外の秩父宮ラグビー場において、しかも警察官に守られて、これがきめられたといういきさつもひとつ考えなければいかぬということでございます。しかも、これはいわば紛争解決の手段として、加藤代行個人の見解としてこれを発表し、提起をし、そして確認書をつくられたわけでございます。しかも、それはまだ学生自身も承認していない部分もあるわけです。そういうようなこと。それからまた評議会や教授会においてもまだ承認をされておらぬ。そこで、とり方によりまするといろいろ違法の部門も出てくる。加藤君の説明書を読むと、それを違法というわけにはいかないというような、そういう実にあいまいなもの、それを出発点とするわけにはまいらぬというふうに私は思うわけでございます。  したがいまして、私、責任者といたしまして一応法制局にお願いをいたしまして、その法制局の見解というものを出していただいて、これを実は東大当局においでをいただきましてそしてお手渡しを申し上げたわけでございます。その際におきましても、去る十二月二十九日に協議をいたしましたときに、大学というところは、とにかく教育と学問の自由と研究というものを踏まえた大学自治というものを考えておるところであるから、そういうような大学ということをよくお考えをいただいて、将来に禍根を残すようなことはひとつお考えをいただきたい。それからまた、他の大学にもきわめて影響を大きくするような問題についてもお考えいただきたいということを繰り返し申し上げまして、それは必ず加藤代行にも伝えますということになりまして、またこの加藤代行の説明書につきましても多少まだ問題がございますから、その点につきましてもお互い協議しましょうということになっておるわけでございます。おそらく協議が続けられることだと思うのでありまして、法的に違法であるかどうかという問題と、それから私、文部大臣といたしましては、この確認書のとり方次第では、当不当である、教育的にいいか悪いかというような問題も考えなければならないということで、ただいま私たちのほうでも、加藤代行の真意をよくつかんだ上において、一応文部省の見解というものをまとめたい、こういうふうに考えておるような次第でございます。
  32. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 いま詳しく説明しましたが、詳しく説明したこととダブるつもりはございません。山中君の御指摘になりましたように、東大の紛争、あれだけエキサイトしたものが、あれがきっかけになって一応正常化方向へいったのじゃないか、こういう御指摘、これは私もそのとおり認めていいと思います。しかし、それだからといって、この十項目をスタートにしてとは私は考えないというのであります。私は、一応あれが、紛争、あの激化のものが、八千人も集まって一応方向がちょっと変わった、こういうことについては私も評価しております。したがって、その中身について問題を提供しておることは認めるが、しかしあのものを認めるわけにいかぬというのが私の主張であります。これは誤解のないように願います。
  33. 山中吾郎

    山中(吾)委員 こういう論議をすると解釈論議だけで前進をしないので、私の提案をして総理大臣の御意見を聞いて、これからの政策大学をよくする、改革するための前進の基地にしてもらいたいと思うのです。  この確認書の中でいろいろ論議をしても、実体は、学生の固有の権利として、大学に関係するところのいわゆる参加権ですか、そういうのを認めるか認めないかということが大学の本質にかかわるということが一つあると思うのです、論議をしている内容は。私は、新しい制度ができれば、これをきっかけにするかしないかが問題でなくて、内容だと思うのです。総理大臣大学制度の改革を決意されておるのですから。  そこで、現在の大学というものは、やはり人生の方向を決定した専門を勉強する学徒が入るところだと思うのです。だから教養コースというものは大学から切り離して、六・三・三の中で再編成をしていくべきである。戦前の旧制高等学校のよさもその中で解決したらどうか。大学は現在非常に質が低下をしておるのでありますから、残っておる学部の三年と四年の専門課程と修士課程の一年、二年を合わした、修士課程水準の大学に引き上げる方向で、大学を改革する方向で検討してはどうか。そういう方向にいきますと、大学学生諸君は、おとなの人生の方向を決定した者で、みずから学ぶ精神を持った学生になると思うのです。教授は研究しながら、研究の結果を報告をして、大学学生というものはその先生の研究を盗み取るような、みずから学ぶ意欲を持って初めて大学というものは成り立つので、教える教わる関係は高等学校以下だと思うのです。教授は研究をして、研究の結果を伝達することが教育の限界である。学生はみずからの人生を決定して、おとなの学徒であって、それを盗み取るぐらいの学習意欲を持った人。そこで私は、教える教わるじゃなくて、一定の方向に向かっておるものだ。それは旧制大学もそうだと思うのです。旧制高等学校を卒業して、人生をいろいろ悩みに悩んだあとで、おとなになって大学に入ってくる。いま旧制高等学校のものも一緒になっておるでしょう。だから参加権であるか何かが問題になるのだと思うのです。  だから私は、われわれが政治の側において大学のビジョンを新しく持ったならば、この確認書というものが生きる方向出発点で考えていける。それが大学の自治を生かすことでもあり、またいろいろの欠点をそのことによって解決できるのではないか。学問不在の現在の大学を高める方向で改革をすることにもなり、あるいは旧制高等学校のよさというものも生かす六・三制の検討もできるし、初めて大学らしい大学というものが出るし、確認書も解決できるのだ、こういう考えで出発をしてもらわないと、おそらく混乱に混乱を重ねてくるのではないか。きょうの新聞の社説のように、あまりにも政治的なる報告書という評論が出ると思うのです。その点、大学の改革の方向に、総理大臣一つの識見とか抱負とか、何かお持ちにならないから、そういう解釈論だけで行ったり来たりして、全部非能率的な、解決のしないものに持っていくのではないか。それはいかがですか。文部大臣答弁が長くていかぬのだ。時間がないのですから、総理大臣あと総理大臣と話してください。いいです。私はもういい。
  34. 坂田道太

    坂田国務大臣 現在の学生が自立的人間形成ができておらぬ。おっしゃるおとなになっておらぬという面がある。精神的なアンバランスがある。参加というものは求めるけれども、しかし参加に伴う責任というものをちっとも身につけておらぬということは、お説のとおりだと私は思うのです。したがいまして、そういうことを踏まえたおとなの大学にしなければいかぬのじゃないかということは、あなたのヒロソフィーというものは私も賛成なんでございます。  それからまた、修士大学までの一つ大学を普通の大学にしたらどうかという御意見も、御意見として貴重な御意見だというふうに考えておりますが、こういうような問題はやはり中教審等におきましてよく検討しなければならない、かように考えておるわけでございます。
  35. 山中吾郎

    山中(吾)委員 能率的でなくてまことに遺憾なんですが、坂田文部大臣が私案として大学大学を発表されたことがある。これは学部のない大学で、大学院だけの大学ならば大学院で、大学大学じゃないのです。したがって私は、現在の学部の二カ年と修士課程を含んで、新しい大学構想であらゆるものを解決するビジョンを出しなさい、考えなさいと言っておるので、総理大臣はひとつ検討願いたいと思うのですよ。もういいです、時間がないのだから。
  36. 坂田道太

    坂田国務大臣 私は大学大学というものを申し上げたわけではございません。大学院を中心とした大学、つまり学部のある大学ということも一つの考えであるし、従来、たとえば三十八年の答申にありまする大学大学という構想もあるが、これは二つともやはりもう少し中教審で練り直していただきたいというような気持ちを持って、あの私の調査会時代に出したのはそういうことでございますから、念のために申し上げておきます。
  37. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 私、ただいま具体的に御提案になりましたが、私の私見を言うのはまだ早い。だから、お説まことにありがとうございましたというのが普通の答弁でございますが、せっかくのお尋ねだから私も一、二意見を言ってみたいと思います。  教養学部についての改正意見、これは私はしごくもっともだと思います。ただ、それから上の修士課程について、先生のやることはこの範囲だというのは、どうも教官の研究をちょっと縛っておられるのじゃないかと思う。修士課程では、教官の研究したものを盗み得るようなおとなの学生さえつくればいいのだという、これはあまり学生本位ではないかと思う。研究部門と授業部門、そういう部門がやっぱり大学にはある。その双方に教官はかかっておる。ここにむずかしさがあるのですが、研究は一定期間研究を続けていかないと成果があがらない。授業も同時に並行してそれができるか、あるいは一定期間授業をしてまた研究に入っていく、またその結果を授業に移すとか、こういうような交代方法が考えられるか、あるいはまた教官の任命そのものが終身その身分を保障するのでなくて、あるいは一定の期間、契約的な方向で研究してもらう、そうして授業してもらうとか、等々の研究方法もあるのじゃないだろうかと思います。これは私見でございますし、あるいは当たっておらないかわかりません。またそういうようなことをも含めて、皆さん方の御意見も聞くし、またそれぞれの機関から答申があるものだ、かように私思っております。
  38. 山中吾郎

    山中(吾)委員 時間がないので、次に大蔵大臣にお聞きしたいと思うのです。  現在の大学の紛糾の原因はさまざまございますが、その一つは、戦後、先ほど申し上げましたように、府県の師範学校まで含んで単一の大学制度にした。そうして旧制大学程度に学力水準を引き上げる理想を持ってやったところが、引き下げる作用しかなかった。そうして現在非常に低い大学ができた。そこで学生が魅力を感じない、欲求不満もあり、いろいろなことがまざって現在の紛争が出ておるわけです。いわゆる旧制帝大と府県の師範学校を圧縮してできた単一大学であるから、自然にしておけば下がるはずですね。そこで、出発点において、日本の財政当局において、新しい大学を高い大学に保持するためのいわゆる教授養成計画がなかったこと、大学財政計画なしで出発したということが二十年積み重なってここに来ておるわけです。  そうしてみますと、日本の財政における責任があるのじゃないか。おそまきであるけれども、二十年前にやるべきものを二十年あとで、下がるけれども、この大学をいわゆる大学らしい大学にして、学生が欲求不満を持たないで学問の研究に資するためには、二十年前にやるべき教授養成計画、財政からいったいろいろな設備、研究の充実計画というものを補うということがなければ、その経過からいってもこの大学制度は絶対解決しない。そこで大蔵大臣は、この大学問題で、新しい制度が一方に出てくると同時に、責任をもってそれだけの、気風を直すお考えをお持ちになるべきだと思うのですが、それをお聞きしておきたいと思います。
  39. 福田赳夫

    福田国務大臣 私は大蔵大臣というか、国務大臣という立場において広く教育問題を考える、そういう際にいつも思うのですが、わが日本の国の国づくりですね。これは経済のほうは一応軌道に乗ったような感じがする。一番取り残されておるのが教育問題、この教育界の混迷の問題である、こういうふうに思うのであります。ただ、財政当局として教育に金をつぎ込んでいる程度が足りないかというと、これはかなりつぎ込んでおるわけでありまして、あらゆる角度からいいまして、わが国の教育水準、これは世界でも決して遜色のない程度にいっておるのですが、何ぶんにもいまの教育制度というものが、占領中、非常な大急ぎででき上がった制度であり、そこにいろいろな欠陥もあり、反省しなければならぬ面もある。その反省期にいま来ているのじゃないか、かように考えますが、大学の問題につきましては、やはり私は、量の問題にこの二十余年間あまりとらわれ過ぎた。質的な問題、そこに目を転ずべきじゃないか、そんな感じがいたしておるのであります。
  40. 山中吾郎

    山中(吾)委員 大蔵大臣とこれ以上問答をするなにはないのですが、認識が非常に不足であるのでこれだけは申し上げておきたいと思うのです。  大学なら大学に対して、財政的に十分に対応しているかどうかということは、総額でなくて、学生一人当たりにどれだけの教育費を出しておるかどうかということが大学の質を決定するものであるはずです。これは政府から資料を提出してもらったものなんですが、外国における学生一人当たりの教育費は、アメリカが日本円に換算して平均百三十九万、イギリスは百三十一万、ドイツが六十五万。一学生に対してこれだけ国家が税金を投じて学生を養成しているわけです。日本においては四十一年で平均四十六万です。四十六万なんです。昭和三十七年の二十四万からは少しはふえておりますけれども、そのヨーロッパ水準からいいますと大体半分なんです。そこで、優秀な学生社会に送り出すという、いわゆる大学に対する予算面において大蔵大臣が十分やっていると言うのは認識不足なんです。これは生徒児童全体を見ても、いわゆる生徒一人当たりの教育費というのは、ヨーロッパの水準からは非常に低いのです。だから総額で、いわゆる総予算の何%ということ、それによって教育を重視しているということは、これは内容のない一つの表現であって、一人当たりどれだけの教育費をつぎ込んでおるかということが、その国における教育に対する熱意のバロメーターでありますから、その点は間違いないように、その意味においてはまだまだ、こういう人口が多くて資源が少なくて、人間の質を向上する以外に日本の発展はないのですから、この方向にさらに倍加して、財政的にも考慮すべき実態なんだということを忘れないようにしていただきたい。申し上げておきます。  時間がないので、次に医学教育について総理大臣に、これも解釈論議をするのは時間がもったいないので、私は大胆に提案をしながら総理大臣意見を聞きたいと思うのです。  東大の紛争の最初の原因は、医学部の問題から来ておる。それでその内容は、優秀な学生がいわゆる六カ年の学部を卒業して、なお無給で頭脳労働に従事をする、いわゆる医局の制度ですね。これは一種の奴隷頭脳労働だと思うのです。医局の問題ですね、無給医局。さらにまた博士号というふうなものがえさになって、教授がその人の一生を支配するような徒弟的な関係にあるという、極限に達したそういう非人間的なものが爆発をして、そうして徹底した闘争に入り、こういうことになったことは御承知のとおりだと思うのです。したがって、東大の問題、日本大学問題も含んで解決するのには、医学教育を改造しなければこれは解決はないのだ、いわゆる改造がなくしては今度は問題の解決はないと考えなければならぬと思います。  それでこれをひとつ率直に総理大臣に聞いてもらって、参考にしてもらいたいと思いますが、命を守る仕事でありますから、しかも非常に高次な専門職である。したがって、大体学位を持つ程度の医者でないと、命を守る仕事というものについて責任を持つだけの知識にはならないんだということが一つ。それから、診断を受ける者からいえば、百姓であろうが総理大臣であろうが、これは医者に差別があってはならないんだ。総理大臣を見るのには優秀な、学位を持った者、いなかの百姓はそうでなくていいんだということは、あってはならない。そういうことを考えてみますと、医者の養成というのは全部大学大学一本で養成するんだ。医者になるような者は学位を持つ、博士を持った者でなければ医者の免状を与えないんだという考えに入って、博士コース大学というものを卒業した者に学位もやり、医師免状をやり、それで完結をする。報告医とか研修医なんという制度をとってしまえ。坂田文部大臣が努力して報告医に月二万幾らに大蔵大臣に折衝してつくったって、これは解決しない。もう無条件に、大学大学において完結をする、大学大学一本にするという構想で解決をすべきだと思うのですが、その点はいかがでしょう。報告医、研修医というものを捨てる。そうでないと医局の解消もできないし、立身出世主義の肩書きの博士号であらゆる弊害をつくるし、解決はしないと思う。医者の養成は大学大学一本だ、そこでもう教育は完結するんだ。しかし、医学の知識はどんどん進歩するのは別途に医者の再教育制度をとればいい。こういう方向解決をしなければ、いまどろ沼に入った東大問題も全部解決しないのではないか。文部大臣でけっこうです。
  41. 坂田道太

    坂田国務大臣 山中さんのお話も聞くべきところがあると思います。ですけれども、やはりこれは医学だけでなくて大学全体を考えないと、新しい国民のための大学というものをせっかくいま考えておるところでございますから、十分時間をかけて、慎重に取り上げなけりゃならない問題だと考えております。
  42. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 医学部だけについてのお尋ねでございました。そこで、医者の——博士免状を取ったのが必ず臨床的にりっぱな医者だと断定されるところに少し無理がありはしないか、かように私は思います。基礎医学あるいは臨床医学、やっぱり二つに分けて、それぞれの立場において医学の進歩にまた携わっておるのですから、そこら、どうも、学位にとらわれると、ちょうどいままで大学偏重といいますか、そういうことがありましたが、もうこれからはそうではなくて、やはり実力主義でいくのが世の中じゃないかと思うから、その辺はちょっと賛成しかねる。  しかし、いままでの医局生をああいう扱い方をしているところには、これは政府責任もある。そういう意味でその改善をはかったけれども、おそきに失した。また医局内における封建性、いわゆる徒弟制度式な行き方、これなどは至急改善をしなければならない問題だ、かように思います。
  43. 山中吾郎

    山中(吾)委員 私は、博士と言ったのは逆説的表現で言ったので、全部の医者はいわゆる博士水準の知識を持った者でなければならぬので、大学大学一本で教育をするということなので、博士、学士号というものは、理想としてはとるべきだということでありますが、その教育でとにかく医者養成は完結する。厚生省と文部省が分け合いするような過程の中でこういう問題が出ておるので、一本にすべきだという提案を申し上げたのです。その点は御検討願いたいと思います。  それで、時間がないので、最後に総理大臣中心に、なお現代の政治における文教政策の位置づけについてお聞きいたしたいと思います。  私は、佐藤総理大臣がこの間の施政演説の中で、「物質的な豊かさが心の豊かさに結びつく新たな精神文明を確立しなければならぬ」という、文明論が少し出ておる。そういう意味において、この文明論の立場でもう一度政治における文教政策の位置づけを私は考え直すべきだと考えておるのです。  それは第一に、文明社会というものを考えるときに、文明というのは社会の遺産として残る、積み重なっていくと思うのです。それで二十世紀のこういう文明が生まれておる。しかし、この文明の中に生まれる個人は、文明は遺伝をしないので、白紙で生まれてくるので、そういう文明水準まで引き上げる教育というものがないと、文明と人間の格差が無限に拡大して、これは破壊をされる。文明が進めば進むほど、教育政策というものをもっと重視をしていかなければ、その共同社会は発展をしない。そういういわゆる文明論から文教政策の位置づけをまず考えるのがいまの政治ではないかと思うのですが、いかがでしょう。
  44. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 賛成です。
  45. 山中吾郎

    山中(吾)委員 そういう立場からは、十五歳の義務教育というのは私は非常に不足ではないのか、高等学校の後期中等教育まで、やはり国民の全部が教育を受ける機会が与えられて、そうして原子力文明の時代でありますから、そこまで国が責任を持って教育をしていくべきではないかと思うのです。ところが現代の文教政策を見ましても、たとえば中学校、小学校の学校校舎の建設補助でも、中学は二分の一を補助して小学校は三分の一でいいという思想が牢固としてあって、文部省において毎年、せめて同じように義務教育の施設であるから、二分の一の補助制度を言っても、三分の一で拒否をしておる。私はそういう時代はもう過ぎておるのではないか、高等学校までを、満十七、八歳までを義務教育にして、初めて現代の文明水準まで人間を持っていくことができる。そういう意味においては、教育政策に対して歴代の大蔵大臣以下、非常に不認識ではないかと思うのです。大蔵大臣いかがです。
  46. 福田赳夫

    福田国務大臣 先ほども申し上げたのですが、わが国は結果において総合的に教育水準は非常に高い、そういうふうに見ております。どうも低い低いとおっしゃいますが、大学生一人当たりの費用なんかをごらんになって低い、低いとおっしゃられるようでありますが、その一人当たりという計算をされるのをちょっと伺っておりますと、イギリスやアメリカあたりの私学のずいぶん金のかかる学校の一人当たりの経費をごらんになっておるようですが、私どもの調べではそうはなっておりません。とにかく国民所得に対する教育費の割合にいたしましても、あるいは国家総予算の中における教育費の割合にいたしましても、国が教育に投入している費用はほんとうに世界でも一、二という地位にあるわけであり、結果においてわが国民は非常に高い教育水準を持っておる。これはもう内外において認められておる、かような認識を持っております。  しかし教育制度全般、反省期でありまするから、内閣全体といたしましてこの教育制度全体の反省をして、教育については政治中心課題として重きを置かなければならぬ、大蔵大臣としてもさように考えております。
  47. 山中吾郎

    山中(吾)委員 大蔵大臣、私立学校をどんどんと認可をしておるために、日本の場合については、ヨーロッパ水準のように私立学校に補助を出さないのだ、だから平均すれば、やはり学生一人当たり非常に低いのですよ。これは官立の学生であろうが、私立の学生であろうが、日本国民ですよ、優秀な。それに対する教育費の単価は低い。そういうことを言っている。大蔵大臣また間違っているのです。東大は百二十何万と文部大臣が言っておるとおり。平均をすれば大学の一学生に対する教育投資は低いのですよ。  そこで、日本の実際の立地条件を見て、資源が乏しく領土が少ない、この中で発展をはかるという場合については、この一人当たりの教育を基準に置いてもっと充実をしなければならぬという考えを持たないと、絶えずそれでつぶしていく。義務教育の小学校の施設でも三分の一を二分の一にしないのだ、営利事業にはどんどん補助をするが、教育事業に対して補助をするのは間違いだという人がまだあるでしょう。それはもってのほかです。出し渋る傾向があることは間違いない。その点はあらゆる統計を見ると明らかになると思うのです。  時間がないので、次に第二の柱を今度は総理大臣にお聞きしたいと思うのです。  やはり文明論からいって、科学技術文明というのは私は方向がないと思うのです。科学技術文明には両刃のやいばであって、その文明が破壊に利用されるか、福祉に利用されるか、戦争に利用されるか、平和に利用されるかということは、これは人間がきめることである。人間の思想がきめるのだ。少なくともこういう原子力兵器が出ておる時代であるから、義務教育国民教育の中で、やはり人命尊重の思想を基礎にした平和思想と人権思想形成というものを徹底してやらない限りにおいては、文明は破壊の方向に進んでいく。そういう意味において、私は国民教育の理念をこの平和憲法に持っていくというのは非常に大事であると思うのです。ところが一方に、憲法軽視の風潮を自民党の政府はつくっているのじゃないか。そうでなくて、人権と平和思想形成というものをこういう時代には徹底して、義務教育の中で人間性教育をすべきであると思うのですが、その点はいかがでしょう。
  48. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 いまのお尋ねと前のお尋ねと一諸にしてお答えいたします。  前のお尋ねで、先ほどは大学をひとつおとなの大学にしろ、いわゆる成人以上の大学にしろ、今度はもっと政府が関与する範囲を拡大して高等学校にまでしろ、こういう御提案のようでした。私がいま研究しておるところは、大学が成年以上の者が入るところというのは必ずしも適当でない。もっと幼稚園から学校へ行くような、就学年齢を引き下げること、そのほうがもっと子供の知恵の伸び方から見て適当なんじゃないか、これは新説かしりませんが、私はそういうように思う。そうしてやはり大学の就学率がふえるようにしてやる、国民大学、そういうものを文部省が考えておるが、それは望ましいと思います。そのときに私は、やはり誤解のないように願いたいのは、日本大学入学率といいますか就学率といいますか、これは世界にも比べものにならないほど高い。世界で二番目だとかあるいは三番目だとかいっておりますが、いまに日本は一位になるだろう、教育が開放されてそういう時代に来ているのだ、こういうことをいつか私は言ったことがありますが、それに対していまなお学閥を考えておるけしからぬ総理だというので、そういう意味の投書も受けました。私はやはり学問は普及すること、国民に開放されること、これがまず第一であり、その意味において私は大学入学率を実は指摘しただけなんです。そういう意味において、専門教育だけが大学だ、こうも言えないのではないか。一般教育の場でもあるのじゃないか、私はかように思っております。   〔中野(四)委員長代理退席、委員長着席〕 したがって、日本教育の制度、いま予算の出し方が少ないとか多いとかいう議論がありますが、私はそういう意味で、全体から見ましてもよく文教は金を使っておる、予算を使っておると思います。これは日本人特有の教育が国のもとだという、そういう意味の考え方から、やはりこれは大事なことに考えておる。国を富ますのには木を植えろ、木を植えるよりも教育教育こそ真の国ができるゆえんだ、こういう人間形成、それに力を入れた教育が世の中を支配している。その結果が今日のような進歩をしたと思います。  そこでその結果が第二の質問になり、科学技術の問題になる。科学技術の問題は、お説のとおりもろ刃のやいばだ、だからこそそれぞれの必要な方法日本でもある。原子力基本法などはもうはっきり原子力の使い方を日本ではちゃんと指定している。兵器のほうに使用しちゃいかぬぞ、これは平和利用だけ許されるのだ、こういうことを言っておりますね。私はそれでいいのだと思うのです。特にいままで人権が尊重され、人命が尊重されなければならぬという、そういう意味教育がやや一部においてどうも、その教育が真の民主主義の上に立っての主張であるならばたいへんけっこうだと思いますが、個人の権利尊重についてのみその説が述べられ、そういう意味において最近はとかく連帯責任を欠くようになっている。——時間を気にしておられるようですが、それはもう時間は特別に見てちっとも差しつかえないから、大事なことですから申し上げておきますが、私は、これはやはり人間形成という意味において教育者が取り組んでほしいことなんだ、とにかく曲がった解釈だけはしてもらいたくない、平和憲法は平和憲法のままやはり尊重する、そういう形でやってもらいたい、かように私は思います。  私は、ただいま御指摘になりましたことは、確かに十分われわれも考えなければならない点がありますけれども、平和憲法を説くにしても、片寄った説き方だけはしてもらいたくない、りっぱな国をつくる、こういう立場に立ってひとつやってもらいたい、かように私は思います。
  49. 山中吾郎

    山中(吾)委員 一番最初に言われた年齢のことですが、私は教育制度の年齢は、全体を引き下げることは賛成なんですよ。しかし、大学という学術の研究をする場合ならば、十八歳から入学するなら十八歳を成人年齢に民法、刑法を改正すべきだと思うのです。そういう思想なんです。未成年で保護する、人格を認めない、能力を認めないままに、大学において、子供であるからというので、そうしていまのような一方的なものをきめても混乱をするのです。優秀な生徒であり、一つの人生を決定したもので、あらゆる制度を総合的に検討して、大学は十八歳で入れるというなら、十八歳を成人年齢にする。思想的、政治的思想表現も完全に認めて、選挙権も被選挙権も与える。それは同時に、政党は大学の中に政治組織をつくることは自粛すべきである。学生は外に対して政治的表現を完全に認めるが、外から権力で大学を支配することも、中に組織をつくって権力で学問の自由を拘束することもいけないんだ。大学の自治は、外からの権力を防ぐことと、中の権力をやはり学問のために防ぐことが必要である。そのかわり学生には選挙権も被選挙権も与えて——政治に意思表示をするのは選挙行使しかないですから、選挙権も与え、民法、刑法も能力を与えて、そうしてあらゆる政党は大学の自由を守る立場にいくべきではないか、こういうことなんです。だから、二十歳というものに成人年齢を固定しておるのを、十八歳に下げればいいのです。四歳から教育してもいいでしょう。  ついでに申し上げますけれども、外から政党がいろいろのことで大学を支配してはならぬので、こういう確認書についても、あまりおせっかいをすべきではないのだ。それに応ずる制度を考えてやるべきだということが一つ。また、学内に政党の支部をつくるということもいけないのだ。これは政党の大学に対する自制の義務であると私は思うのです。そういうことを総理大臣が各党の党首を集めて虚心たんかいに論議をするような態勢でなければ、大学制度の改革はできないじゃないか。だから、代々木派、反代々木派という問題が、いつの間にか純粋な学生の問題から政党的なものになってしまっている。私はそういう意味において申し上げておるのですから、そういうことを総理大臣が提唱していくことのためには、自民党の立場も、あまりに確認書におせっかいをする立場を自制して、そうして論議をすべきできないか、こういうことを申し上げておるのであります。  年齢の問題はそういうことでありまして、同時に幼児教育の問題は、私は、いまの大学の諸君は、目的は間違っておっても、純粋に考えておる。しかし、手段を選択する能力、意思能力が非常に欠かけておるのだ。幼児教育の中で性格教育というものを行なっていないので、私はむしろ幼児教育というものと大学の問題とは関係があると思うのです。  そういうことも含んで全体の教育制度を論議をするのには、よほど大きい機構を持って、先ほど申し上げたような、総理大臣が先頭を切って審議会をもってやるようなものでなければできないのじゃないかということを、私は申し上げておるのです。  次に、私は第三の柱を立ててお聞きしたいと思うのですが、文明の利器が発達をしてくれば、人間の機能が後退をしてくる。自動車が発達すれば、歩く必要がないので身体的機能がだんだん弱化をしていく。そういうときに、いわゆる健康教育、体育というものがますます重要なものになってくると思うのです。いまは見るスポーツばかりできて、やるスポーツがほとんど行なわれていない。子供の遊び場から運動場の施設その他について非常に無関心で、運動場に対する補助施設その他も非常に消極的である。こういうことを考えて、もっと文明の社会における体育の振興ということは重点的に力を入れるべきだと思うのですが、その点はいかがでしょう。
  50. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 体育に力を入れろ、しごく私は賛成でございます。  ただ、先ほどの問題で、もとへ返るようでたいへん恐縮ですが、大学教育の場であって、ここは破壊、政治活動の場ではない。それだけははっきりしよう。したがいまして、私は、各党が大学についての意見を率直に述べることはちょっとも差しつかえないのだ、しかし、みずから行動、手をおろして政治的な破壊活動をする、それだけはひとつやらないように願いたい、これを申しておきます。
  51. 山中吾郎

    山中(吾)委員 私は、そういう意味においては政治家自身も私学の中に入り過ぎていると思うのです。大体裏口入学の実態は、国会の中にも相当ある。裏口入学が表入学になってしまっている。そうして日大が平然としてあのまましておるのも、ある意味においては政治が擁護しておるからあのままにしておるのではないか。大学というものに対してはもう少し政治のほうで自粛すべきものがあって、お互いに党の立場からああだこうだと言うのでなくて、大学の自由を守る立場でまじめにやるべきだ。それは自民党が先にやるべきだと思うのです。  そこで、私は確認書の取り扱いについても、もっとハト派といわれることを名誉に考えるような人があらなければいかぬ。その点は坂田文部大臣はいいようですが、もう少しこういう問題についていまのような行き方は自制してもらって、確認書についてももっとすなおに、一応ここから出発をしていくのだ、そして制度で考えていくことを要望しておきたいと思うのです。  次に、文明の関係から私はなお総理大臣の御意見を聞いておきたいと思うのですが、電子計算機というふうなものが出てきまして、人間はもう計算能力は要らなくなってくる。あるいはアメリカのティーチングマシンというふうなものが入ってきて、機械と遊びながら語学を覚えたり、そして寝ておりながら語学を覚えたりするような、非常に便利な聴視覚教材というものが出てきておる。各学校で採用してきておるのです。そうしてきますと、ものを考えるところの思考過程の努力は、だんだん要らなくなってくる。意思の訓練をする機会がない。努力のない人間が生まれてくる。これはもう現実に出てきている。ところが、それを助長するような文教政策——文教政策のほうで、文部省でマル・バツ式テストだとか、そういうものを奨励をして、テスト主義の教育を進めてきた。学力テスト、一斉テストをわれわれずいぶん反対したけれども、強行して失敗をしておる。私は、そういう意味において教育法の革命を真剣に考えなければ、努力のない——判断力はできる、結果だけを求めて、その思考過程における努力抜きの人間がいまできつつある。テレビを見て、ダイヤルを三回まわして一度に映画を三つ見ることのできる人間が出ているのですよ。われわれ一つしか見られない。テレビをかえながら、出ておる三つの映画が同時に頭に入る子供が出ておる。空間的視覚だけが発達してきておる。そういう時代において、われわれがもう少し人間形成というものを総理大臣も勉強してもらって、この教育問題について真剣に取り組んでもらう必要があるのだ。いまの大学学生も、判断はある。搾取のない社会、こういう社会をつくったほうがいいということは、私は正しいと思う。しかし、その判断に手段の選択というものがない。選択能力がないし、努力の過程は抜きになる。だから、ああいう現象が出ておるので、これは先ほど総理大臣が言われたように、幼児教育からの積み重ねの結果であるということは言えると思うのです。だから、六三制全体の再編成の中で大学問題も考えるべきであると思いますが、そういう意味において身体的機能を後退ささないところの体育問題と、どこか新しい文教政策というものでこの人間の意思の訓練をすることを財政的にも考えてやる必要があるのだ。精神が退廃をしてしまう。現代政治姿勢としては過保護政治であって、それが過保護教育に当たり、あらゆるものが、経済は繁栄しても精神は後退しておる。私は思想とかいう問題でなくて、そういう教育方法その他について日本政治家が非常に不認識だ、そういうところからきておると思うのです。そういうことも含んで検討する段階にきておるので、教育の革命期というのはそういうことなので、それを十分に認識をしてこの問題に取り組んでもらわなければならぬ。それを最後に総理大臣に申し上げておきたいと思うのです。よろしいですか。
  52. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 御提案は、私も事柄が事柄だけに拝聴いたしました。ありがとうございました。
  53. 山中吾郎

    山中(吾)委員 私は、次に総理大臣に最も大事なことをお聞きしておきたいと思うのですが、いま大学問題について総理大臣として一番考えなければならない立場は、十八歳から二十四、五歳までの日本民族の一番すぐれた素質を持った若い世代が、エネルギーの浪費をしていることだと思うのです。教授が悪い、学生が悪い、思想が悪い、何が悪いでなくて、一番すぐれた若い世代が、国の理想のために建設的にエネルギーを使わないで、ああいうエネルギーの浪費をしておる。それに対して一番責任を感ずるのが総理大臣の正当なる考えだと思うのですが、それはいかがでしょう。
  54. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 私は、いま一部の十八から二十四までの最も国のために使うべきエネルギーを浪費しておる、これは一部の者がいること、これは私も認めざるを得ない、まことに残念だが、さように思います。しかし、大多数の者は健全な者だと思います。やはり民主主義の世の中ですから、一部の落後者にも類するような、こういう浪費者もいるだろうと思います。それにもやっぱり救いの手は差し伸べなければならない。そうしてりっぱな建設的努力をしている人たち、これらの意気を阻喪さすことなく、この浪費者をも、ともども救い、一緒になって建設的な方向にこのエネルギーを使うべきだ、かように思います。私は、さように考えると、学生学生としてとにかく大事なこの青年時、それを自己の人格形成の場として勉強し、科学技術の進歩をはかるのですから、その方向でもっと努力してほしい、かように思います。
  55. 山中吾郎

    山中(吾)委員 それは認識不足だと思うので、一部の学生エネルギーを浪費しておるのでなくて、むしろ全部の学生がストを望んでおるから——一部の者が笛を吹いてなぜ踊っておるかということなんですよ。うちへ帰っても、下宿はただ四畳半で、そこでおってもおもしろくないから、ストのほうがいいんだ。遊んでおるほうがいいんだ。図書館もない。それでマージャンをする。一体いまの学生は、大学において設備もない。行けば講義においてすわるところもない。講義というのは、魅力のある講義はない。そうして全部が浪費しておると思うのです。その一般の学生、動かされておる学生中心に考えないで、一部の学生をイデオロギー的にお考えになるところに、大きな認識不足があると思うのです。そこに全部あやまちがあるので、そうでなくて、全部日本国民ですよ。私はそういう意味において、この若いエネルギーを浪費をささないという立場でこの問題に処するのが、総理大臣立場であろうと思う。そういう哲学をお持ちになっていないと、現実政治ということの中で、未来に対する展望が私はなくなっていくと思うのです。明治時代においても、国の理想と個人の教育目標というものが一致をしているからエネルギーが活用されておるので、あとではそれは政治が間違って失敗をしたでしょうが、少なくとも国と国民のかけ橋であるこの憲法というものに対する確信を総理大臣が持って、国民合意に基づいた理想というものをやはり明示をしていくということでないと、それは自分の個人主義の享楽に走るか、破壊的になるか、それは青年はロマンチシズムは持たないでしょう。  そういうことを考えて、この大学問題に対する基本的な考えを持って、いわゆる教授がどうだ、学生がどうだという立場でなくて、そういう立場解決をする出発点を持ってもらいたい。確認書というものを解釈で論議をするとか、そういう非常に小さいおせっかいをしないでやることを、私は切望いたしたいと思うのです。憲法に基づいた明確なる国家観というものを堂々と総理大臣が出して、そして国民の理想というものを掲げて、若い人々がそれに魂をゆるがし、生きがいを感ずるものを出さぬ限りは、こういう問題は解決できないと思うので、それを政治と結びつけてやることを私は切望いたしたいと思うのです。大学制度の問題についても、われわれの側においては、そういう制度的に解決するのであって、是非の解釈でおせっかいをするという態度をやめて、この問題を解決することを切望いたしまして、私の質疑は終わりたいと思います。(拍手)
  56. 荒舩清十郎

    ○荒舩委員長 これにて山中君の質疑は終了いたしました。      ————◇—————
  57. 荒舩清十郎

    ○荒舩委員長 この際、参考人出頭要求の件についておはかりをいたします。  昭和四十四年度総予算の審議に関し、明六日午後四時に日本銀行総裁宇佐美洵君及び全国銀行協会の代表者に参考人として出席を求め、意見を聴取いたしたいと存じますが、御異議ありませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  58. 荒舩清十郎

    ○荒舩委員長 御異議なしと認め、さよう決定いたします。  午後の会議は午後一時から再開することといたし、この際暫時休憩いたします。    午後雰時七分休憩      ————◇—————    午後一時八分開議
  59. 荒舩清十郎

    ○荒舩委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  質疑を続行いたします。矢野絢也君
  60. 矢野絢也

    ○矢野委員 公明党を代表いたしまして、総理あるいは外務大臣、あるいは防衛庁長官その他関係大臣に質問したいと思います。  私の主として伺いたいことは、沖繩あるいは安保問題あるいは防衛問題について伺いたいと思っております。  最初に、私の意見を申し上げたいのでありますが、安保条約は、日本の安全のためのみならず、極東の安全のためという、第六条のいわゆる極東条項がございます。これはアメリカ軍の極東における軍事行動のために日本からの発進を可能ならしめておるものであると私たちは考えております。もちろん事前協議、そういった制度はございますが、今日はこれは無意味になってしまっておる、形骸化されておるわけであります。そこで、この安保条約が必要であるとする政府の考え、これはわが国の周辺に脅威がある。この脅威からわが国を守るためには、アメリカの軍事力によって脅威と対抗する必要がある。つまり、力の均衡論、これが自民党政府の考えのようでございます。しかし、周辺諸国のわが国に対する脅威、具体的に言えば中国だと思いますが、この中国の脅威に対するアメリカの軍事抑止力、これがいかにバランスがとれましたといいましても、それは必ずしも日本の安全を意味するものではない、このように私たちは考えておる。  その理由の一つは、アメリカの極東における軍事的冒険主義、まあ私たちから言いますと、かってな軍事行動、これに常にわが国は共同責任を持たされておる。つまり、予測しないアメリカの判断による戦争行為、これに日本国民は巻き込まれてしまう危険性がある。これは大国間の力の均衡の谷間にある小国といっては何でありますが、わが国の宿命的な安保条約のもとにおける条件だ、このように思います。  しかも二番目の問題は、この力の均衡というものは、大国間の軍事的エスカレートを常に招いていく。あちらが軍事力を拡大すればこちらもするというようなことで、均衡論に立つ限りエスカレーションが不可避のようになってくるというわけであります。それはますます日本の安全性をそこなっていく。このような立場でアメリカの軍事抑止力の陰に日本の安全を保っていこうという考え方、これは危険である、私たちはこのように考えておりますが、総理のお考えを承りたい。
  61. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 安全保障条約は、日本の安全、存在、そのために絶対必要なものだ、かように考えております。その意味において、これは米国のものじゃなくて日本のものだ。しかも、この日本の安全を確保するために前提になる一つの問題、それはやはり極東の安全が確保されなければならない。そういう意味で極東条項がございます。  ただいま極東の軍事情勢について、その脅威を与えるものは中共ではないか、こういうお話がありました。それに対立するものがアメリカだと言われておる。私はさようには考えておらないのです。日本の安全を確保するために、憲法九条が認めるわが国の自衛力、これは持ち得ることだ。これをも憲法違反とはおそらく公明党も言われぬだろうと思います。その意味で自衛力を持っている。ところが、この自衛力、自衛隊、これだけでは不十分であります。近くには強力なる、強大なるソ連がまずいる。さらにまた、最近は中共自身、これが核兵器の開発をやっておる。これが将来わが国に脅威とならない、こういうような保証はいまのところない。私どもは、そういう問題をも含めて、わが国の存在、存立並びに安全はわれわれの手で守るという国民の意思、これを中心にし、主軸にし、その足らざる点を日米安保条約で補っていこう、これがわが国の考え方であります。  したがいまして、いま力の均衡論というお話が出ましたが、私も社会党の方にお答えいたしましたように、私の言っているのは力の均衡じゃないんだ。自由主義陣営、いわゆる平和陣営が強力であれば戦争にはならないのだ。その意味において、自由主義陣営が、ケネディ時代には核の問題についてもソ連と比べて七対一だ、こういうことがいわれております。最近はそれがだんだん近づいたという。そういう意味で、米国の国内におきましてもその点を特に指摘をして、米国民の協力、奮起を促しておるような次第であります。私は、バランス・オブ・パワー、これは時に危険をはらむものだ、かように考えておりますので、そこで、いまのような軍縮、そこから見れば、当然エスカレートして軍備拡大競争、そのほうにいくだろうという、さような御指摘であります。しかし、私は、核兵器の持つ破壊力、それがほんとうに人類を破滅に導く、こういうところの脅威、それを持っておりますから、米ソともその点に十分注意は払って、そこで戦争も回避されている、かように私は思っております。だが、そういう際に、核兵器自身を開発しておる国、それが近くにあるという、そういうことは私どもとしてやはり考えなきゃならないことだ。これはもうすでに私どもが、核兵器は製造しない、持たない、持ち込ませない、こういうことを考えておりますから、これもいわゆるアメリカの核の抑止力、それにたよらざるを得ないというのが現状でございます。
  62. 矢野絢也

    ○矢野委員 今回ニクソン新政権の大統領特別補佐官になられたキッシンジャー氏、この方はブルッキングズ報告の中でこのように言っておられる。——世界は軍事的に二極化しておる。政治的には多極化してきた。勢力均衡に関する伝統的な観念も変わり、核兵器時代の軍事力とは、あるいは勢力均衡とは何を意味するか、これは早急に分析する必要がある、というようなことを言っております。つまり、重ねてこの論文は、アメリカにおいて次の新しい外交原理を模索しなければならないと言っておるわけであります。総理も御存じのとおり、キッシンジャー氏は外交、軍事面におけるニクソン氏のブレーンであります。影響力がきわめて大きい。  私が伺いたいことは、アメリカが今日まで、これはケネディ大統領あるいはジョンソン大統領、いろいろと考え方はございましたが、いずれも核兵器による抑止力あるいは軍事力による抑止、そういった面を主力にして世界政策を考えておる。しかし、軍事的には確かに二極化しておるけれども政治的には多極化してきておるのだ。つまり、小国の意見も単に軍事的な力で押えつけることはもうできないという意味だと思います。そこで、新しい外交原理というものを新しく模索しなくちゃならぬ、こう言っておるわけでありますが、日本政府として、これのあとで申し上げますが、イタリアの中国承認問題、あるいは七〇年を目前に控えまして、いわゆる七〇年代というのは、わが国の新しい外交原理を模索しなくてはならないときではないか、このように私は思います。その点についての総理の御意見を伺いたいと思います。
  63. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 七〇年を待つまでもなく、政府としては絶えず国際情勢の変化に対応することができる、そういうことでなきやならぬと思います。ただいまおあげになりましたキッシンジャーの発言、国際関係は多極化しておる、これは確かにそのとおりだと思います。そのはなはだしいものが、自由主義陣営の大きいところでも、フランスなどはみずからの道を歩んでおる。その行動は縛られない、かようにいっておる。あるいはまた中ソ、ソ連と中共との間においても、お互いに批判し合い、憎しみ合っておる。これは最も極端な例。さらにまた、チェコスロバキアの問題等、とにかく多極化しておることは事実であります。しかしながら、その自由主義陣営のフランスも、依然としてNATOに対しては忠実にその義務を果たしつつある。また、中ソの関係でも、中ソ相互防衛同盟条約といいますか、それを破棄することはそのいずれからもしておりません。そういうようなことを考えると、いわゆる国際間は確かに御指摘のとおり多極化はしておる、しかし、東西両陣営の主軸になるもの、二つの強力なる力、それは依然としていまも変わらないのじゃないか、かように私は思っております。  しかし、こういう状態がいつまでも続くことは事実困るのでございますし、また軍拡になっては困る。お互いに戦争は避けるし、また軍備は縮小の方向へ行ってほしい、ジュネーブで軍縮会議が開かれ、そういう方向も両強大国が感じ取っておるわけです。ここらにやはり、社会党からも質問を受けましたが、いわゆる恐怖の均衡と社会党では言われましたが、そういうものもあるだろうと思う。だから、いま多極化、それにも目を離せないが、同時に、いま主流をなしておるもの、その二大強国の対立、それもやっぱり目が離せない状況じゃないか、かように思います。
  64. 矢野絢也

    ○矢野委員 ここで私たちが考えなくてはならぬことは、大国の力の均衡よりも、私たち日本は、どのようにしてエスカレートしていく大国の軍事力、これを少なくしていくか、あるいは大国間の緊張というものを緩和していくかということは、やはり地理的にも米中の間にはさまれたわが国の立場といたしましても、考えていくべきではないかと思うわけです。公明党が沖繩の基地の撤去あるいは安保段階的解消、こういったことを主張いたしますのも、いたずらに特定の国を刺激したり挑発したりするような、そういうことではなくして、お互いがデスカレートしていく、緩和していく、こういう方向日本も努力すべきじゃないか、こういう立場で言っておるわけです。したがって、総理もいま言っておられたけれども、わが国はアジアにおける平和的な環境をつくる、これが安保堅持するよりも、自衛力を増強するよりも、平和環境の樹立、これはやはり国家の大方針として第一義でなくてはならぬ、このように思います。  ところが、はなはだ残念なことでありますけれども、自民党政府のやっておられる外交姿勢、これはいたずらに力の対決——そう言うと、また総理はそうじゃないと言うかもわからないけれども、そういうような、安保堅持するんだとか、自衛力をふやすんだとかいうことは、声が大きく聞こえてまいりますけれども、アジアの緊張緩和のためにこのようにするんだということは、残念ながらまだ私たちは記憶がない。私は、総理はそれほど切実にはお考えになっておるとは思えない。  そういう立場で私は聞きたいのでありますが、日中国交正常化、こういうような努力は、わが国にとっては避けることのできない大きな問題だと思います。そこで、アジアの緊張緩和のための努力はいろいろございますが、日中の国交正常化は大きな柱だと私は思う。安保がなくなったら他国の脅威が襲いかかるかもしれないので心配だなんということを、本会議でも言っておられましたけれども、いたずらに安保堅持したり、沖繩の基地の態様を現状か、本土並みか——その点このあとで伺いますけれども、少なくとも安全保障上の機能を認めておられる。こういう立場でお考えになっておる限り、あなたが心配している脅威というものを、かえってこちらで刺激して大きくしているのじゃないか、このようにも考えるわけであります。中国に平和的な態度、こういうのが出てくるのを期待するということばもありました。そんな中途はんぱなことじゃなくして、変わらせるという決意が必要だと私は思うのでありますが、沖繩のアジア最大の軍事基地、これを否定しないで中国に平和的態度を期待する、これをちょっと調子がよすぎるのじゃないかと私は思うのです。まあ日中国交正常化、これは単に日本と中国だけの問題じゃない、アジア全体の問題である。あるいは米中の和解という大きな歴史課題、これに対する大きな意味合いもある。  総理に伺いたいことは、極東の緊張緩和のため、あるいは米中の和解のために、日本がそのかけ橋になっていく、そういうお気持ちはございませんか。
  65. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 私どもの持つ軍事力、これはもう先ほど申したように自衛権それだけのもの、それに基づく自衛力だ、かように私は解釈しておりますし、ことに俗に平和憲法という表現をされております日本憲法、この精神をふえんし、これを極東の各国に理解していただくこと、この日本の真の姿が、憲法を守ることによって、また憲法の条章に明らかになっておると思います。したがいまして、われわれのなすべき努力、これはやはりわれわれが憲法の条章に徹することであり、また、その範囲においてみずからの力でみずからの国を守る、また、足らざるところをアメリカの協力を得て守っていく、こういうことにあるのだと思います。  いま、中国の態度の変化を期待する、こういった態度は消極的でけしからぬ、なぜもっと積極的に中国の態度を変わらせることをやらないか。これはとんでもない話です。私は中国の内政に干渉するつもりはございません。変わらせるというそのことばには、どこかに干渉的な意味があると思います。もしそれがないならば、たいへんしあわせです。だから、私はそういうことはするつもりはない。お互いに独立を尊重し、お互いに干渉しない、そういう態度で、しかも平和勢力として共存していくことを心から願う。その方向であるなら、いまのような、中共と他国との交渉がとだえるようなことはないと思います。やはり中共自身も、そういう意味の平和勢力であることをはっきりさすことですね。これはおそらく共存するという考え方だろうと思います。しかし、別に私、批判するわけではありませんが、共存政策を表に打ち出したということをまだ聞いておりません。中ソ間においてはそういうものの共存を打ち出しておりますが、その他のところでは打ち出しておらない。こういうところに私は問題があるのだと思います。私は、アメリカに対しましても、アメリカの態度を変わらせよう云々というようなことはできるわけじゃありません。しかし、私どもの国家的な使命、これはもう憲法が命ずるところ、これを忠実に守ること、その考え方でものごとを処理する。それに当たっていくことだ、かように実は考えております。これが米中間に役立つならそれもたいへんけっこうですが、まず日本立場を十分理解してもらって、しかる上でないと、ただいまのような問題、そういう大それた大役を買って出るというところまでなかなかいかない、かように思っております。  幸いに、とだえていたワルソー会談が最近また米中間に再開される、こういう状況でありますから、今後の推移に極東の緊張が緩和される方向であれば、たいへんけっこうなことだと思っておる。そういう場合に、われわれはそういう関係をさらに助長していく、そういう意味において協力を惜しむものではありません。その点は誤解のないように願います。
  66. 矢野絢也

    ○矢野委員 聞き捨てならぬお話がございまして、中国の態度を平和的に変えさせるということばの意味を、内政干渉かというような、そういうわざと意味を曲げた説明をされたわけでありますけれども、これは昔のイソップ物語にもありますけれども、旅人がおって、この旅人の外套を脱がせる話がある。北風と太陽が相談をして、どちらがあの旅人のオーバーを脱がせるか。そこで、北風が冷たい風をびゅんびゅん送ってオーバーを吹き飛ばそうとした。しかし、寒いからますますオーバーをしっかりからだにつける。太陽がぽかぽかとあたたかい日ざしを送ると、あたたかくなってオーバーを脱いだという話がございます。総理も御存じだと思う。私は、中国の平和的な態度を期待する、それだけじゃなくして、平和的な態度をとれるような、そういう方向へ誘導してはどうかということを申し上げておるのであって、内政干渉をやれなんて言っているのではない。これはもう常識の問題です。  最近イタリアが中国の承認に踏み切ったといわれておる。あるいはカナダにもその動きがある。あるいはベルギーやオランダにもそのような動きがあると聞いております。   〔委員長退席、塚原委員長代理着席〕 フィリピンのマルコス大統領は、外電の伝えるところによれば、こう言っておる。——われわれは中国に対して態度を変えなくてはならぬ。そのことを検討しなくてはならぬ。前後にいろいろな文章はございましたけれども、いずれにしても、いままでのような中国に対する姿勢ではいけないだろうということを言っておる。そういういわゆる自由主義諸国といわれておる国々においても、中国に国際社会の仲間入りをさせる——それはなかなかしないかもしれません。私は決して甘く考えて言っておるわけではありません。しかし、いたずらにしかたがないのだ——総理のいまのお話だと、まるで月世界の総理大臣日本のできごとを語っているような感じがする。日本海を隔てて一番近いところに日本はある。したがって、そういう意味の積極的な中国外交の展開——今回、各種の門戸を開放するなんというお話がありましたけれども、その後いろいろと聞いてみますと、やはり政経分離であるというお話である。  そこで、私は一点だけ簡単にお答え願いたいのでありますが、各種の門戸を、折衝の門戸を開放させるというのは、政治折衝も含むのであるかどうか、このことをひとつお答えを願いたい、簡単にお答えを願いたいと思います。
  67. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 現に政治折衝も、わが国の同胞がいまつかまっておりますから、この釈放について、各地で二、三個所で接触を求めておりますが、それが十分実を結んでおりません。私ども、当方もそういう意味政治的折衝にかからなければならない段階にもなっておる。これはどうしても片づけなければならない問題です。日本政府としては当然のことです。こういうこともございますから、全然政治折衝をしないと、こういうものじゃありません。御了承いただきます。
  68. 矢野絢也

    ○矢野委員 わが国が中国に対してとるべき態度は、いままで民間の経済ベースのいろいろな話し合いがありましたが、いわゆる積み上げ方式というような形ではなくして、まず両国の基本的な政治関係というものを——にわかには取りきめはできないかもわかりませんが、しかし、アメリカと中国だって、ワルシャワで話し合いをしようとしておるのです。これはいままで百数十回もやってきておる。だから、日本政府としても、そういう基本的な政治関係についての話し合いを始めるべきである、このように私は思います。  この問題については、私は意見を述べるにとどめまして、次の問題に移りたいと思っておりますが、いままでの私の質問は、これは総理のお考えももちろん聞きたい、しかし私の考えも聞いていただきたいという意味で申し上げたわけであります。これからの質問は、むしろ簡単に私は質問をしていきたいと思いますので、あまりまわりくどい話はひとつ御省略願いたい。いろいろお話になったようだけれども、よく考えてみると、肝心なことは何にもしゃべってないというようなことがしばしばございまして、これは時間の浪費というものでございますから、ぜひひとつ簡潔にお願いしたいと思います。  総理は、一日でございましたか、自民党の内田委員の質問に答えられて、このように言っておられる。沖繩自身が日本に返ってくれば、特別な処置をとらない限り、当然ただいまの日米安全保障条約はそのまま適用される、日本憲法はそのまま適用される、したがって、沖繩日本の本土であるから、それを基地にして攻撃的な処置をとる、そういうことは憲法は許さないはずである、また、日米安全保障条約も、特別な変更その他を加えない限りそのまま適用になるということである、という意味のことをお答えになっておるわけであります。その後、若干の補足説明もしておられることは、私は承知しております。  そこで、私は聞きたいことは、攻撃的な処置でございますね、これは憲法は許さないはずであるという御答弁です。沖繩の基地の問題でありますよ。これはどういう意味で言われたか、このことばのとおり受け取ってよろしいですか。その点について伺いたいと思います。
  69. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 わが国の領土、これはわが国の憲法が施行される。したがって、そのところから、わが国の軍隊——軍隊ということばは不適当ですけれども、自衛隊が、空陸海自衛隊が侵略的な行動はしない、それをしてはならない、かように考えております。
  70. 矢野絢也

    ○矢野委員 いまは、このわが国の自衛隊のお話がございました。現在沖繩には自衛隊はおらないのでありまして、米軍がおるわけであります。沖繩の問題として私は伺っておるわけでございまして、沖繩の米軍が攻撃的な措置をとった場合——これは自衛隊の問題はわかったのですが、沖繩の米軍が攻撃的な措置をとった場合には、これは憲法に違反するかどうか、これをひとつ伺いたい。
  71. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 沖繩日本に返ってきたら、これはいわゆる日本の本土と特別に区別するところはないはずでございます。日本国内における米軍自身が、これがもう沖繩におる米軍も同じような行動をとる。それは何ができるのか。いわゆる国連憲章の精神によって、かつ動くこと、これは可能だと思いますね。その他のことについては、必要ならば事前協議の対象になる、こういうことです。
  72. 矢野絢也

    ○矢野委員 国連憲章の問題では、事前協議の問題は、これは後ほど伺いたいと思っておるのでありまして、私が聞いておるのは、憲法との問題はどうか、沖繩日本に返った施政権が返った、しかも米軍はなおかつ残っておる、その米軍が攻撃措置をとった場合には——国連憲章とか事前協議の問題はあとで聞くのです。——憲法との関係はどうだということを聞いておるんです。簡潔にひとつ答えてもらいたい。
  73. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 日本憲法日本に適用がある。だから、そのまま米軍に適用があるわけではございません。しかし、おそらく日本憲法精神、これを米軍に対しても要求する、こういう筋のものだ、かように御理解いただきたいと思います。
  74. 矢野絢也

    ○矢野委員 この憲法の問題は、今日きわめて重大な問題であろうと私は思っておるわけです。事前協議も、これは後ほど申し上げますが、形骸化されてきておる。あるいは非核三原則につきましても、持たない、つくらないまではよろしいけれども、持ち込むという問題については、憲法上の問題はないのだという御答弁もあったようであります。私がこう言うと、被害妄想と言われるかもわからないけれども沖繩の返還をめぐって極東の緊張がますますエスカレートするのではないかという心配もしておる。そういうときにあたって、今日日本の平和を守る歯どめというものは、もはや事前協議でもないし、非核三原則でもない。憲法の第九条だけしかない。そういう立場で伺っておるわけであります。したがいまして、この憲法問題については、ごまかさないでひとつ答弁してもらいたい。  そこで、伺いますけれども、アメリカの軍隊、つまり外国の軍隊だから、日本憲法に直接関係ないのだというような御答弁がありました。それでは、そのような行動を可能にする取りきめ、条約、これをわが国が外国と結ぶこと、これについては憲法上の疑義がある、このように思いますが、その点どうですか。   〔「だめだよ、あんたが出てくるとちっともわからないんだから」と呼び、その他発言する者あり〕
  75. 高辻正巳

    ○高辻政府委員 おわかりいただけるようにお話をいたしますが、前に、御存じだと思いますけれども、毎度お引き合いに出して恐縮でございますが、砂川事件判決というのがございました。これは戦力に関する問題でございますけれども、この駐留米軍がわが国の憲法が否定しておる戦力に当たるかどうか、これが第一点。それからまた、その駐留を許すような安保条約そのものが憲法に違反することにならないかという問題がございました。ちょうどいま仰せになっておる問題として言えば、そういう条約を締結することが憲法上どうかという点で、実は理論的に非常に類似の点があるわけでございます。それにつきましては、確かに一つの争点でございましたが、最高裁判所の判決につきまして、憲法がいう戦力を保持しないという主体は、わが国がこれに管理権、支配権を持つべきものについていうのであって、その他のものについていうわけではない、したがって、駐留米軍が日本に駐留すること、それについての条約を締結すること、それは日本憲法の九条のらち外の問題であるという判決があったことは御承知のとおりだと思います。その同じ理屈がいま御指摘の問題についても当てはまるものだと私どもは考えております。
  76. 矢野絢也

    ○矢野委員 まあ伊達判決、これは安保について憲法違反であるという判決を下した。これは、政府の行為によって外国軍隊を国内に入れる、こういう条約憲法違反だ、こういう判決でありました。確かにあなたのおっしゃったとおり最高裁の判決で、日本の陸海空軍じゃないのだ、外国の軍隊だという意味においてこれをひっくり返した。私はここで判決の論争をしてもしかたがないと思っておりますが、一言言っておきたいことは、はなはだ国民感情を無視したあなたの話だということ、これだけ申し上げておきたい。さらに私が申し上げたいことは、いま引用された最高裁の判決、これは、日本に来る軍隊は直接日本に関係のない外国の軍隊だから、こういう条約は違反でないという説明でありましたけれども、これはたとえばの話になります。もしも、明らかに攻撃的である、外国に対して攻撃的な能力を持っておる、このようにみなされる軍隊が、しかも核兵器を含む軍隊が——あなたのおっしゃるとおりこれは外国の軍隊です。——それが日本の領域内におる。これに関する取りきめ、この最高裁の判決じゃなくして、新しいケースを私は申し上げておるのです。明らかに攻撃的だ、明らかに核がある、こういった場合も、あなたのおっしゃるとおり、攻撃的であろうが防御的であろうが、外国の軍隊だからこれは憲法に関係ないのだという論理が当てはまるかどうか、この点もう一度答えていただきたい。
  77. 高辻正巳

    ○高辻政府委員 お答え申し上げますが、私は政策論は別といたしまして、その意味ではきわめて冷ややかな理論上の問題を申し上げておるわけでございます。  ただいまの駐留の問題に関しましても、確かに最高裁の判決は不当であるというような批判はむろんあり得るかと思います。これは人によってはむろんあり得てふしぎはございませんが、まあきわめて理論上の問題に限って申し上げれば、これは一つのわが国における最高裁の判決としてやはり申し上げてしかるべきものであろうと思います。  そこで、いま仰せになりましたような点でございますが、これもいまの理屈を考えてみれば、やはり同じような論理が成り立つように思いますけれども、ただ、特に御指摘のように、きわめて侵略的というようなことになりますれば、確かに憲法の平和主義の上からいえばこれは一つの問題になり得ると思います。ただ先ほどから、具体の問題としては米国の問題になるわけでございまして、アメリカ合衆国はとにもかくにもわが国と同じように国連憲章の中に入っておりまして、これは固有の自衛権あるいは集団的自衛権のワク内で行動をするということになっておりますので、国連憲章を守る限り、いま仰せのようなことが、国連憲章に入っているアメリカについて考えられるということはないのではないかというふうに考えるわけでございます。
  78. 矢野絢也

    ○矢野委員 侵略的なものあるいは攻撃的なものについては、たとえ外国のものであっても問題がある、このように了解してよろしゅうございますか。これはどうですか。そこで答えてください。いまあなたはそうおっしゃったのですよ。
  79. 高辻正巳

    ○高辻政府委員 法律上の問題として、いま仰せになったような点が全く平和主義の憲法を持つ日本憲法のもとで問題にならない、断じて、どこのだれも問題にし得ないものであるというふうには申し上げておりません。ただ憲法で——結論だけを申し上げるとよく通じないと思いますので、先ほど申し上げたような憲法九条の戦力問題をめぐる理論からいえば、それは憲法の条章のどれかにそれでは該当するか、該当して違反になるかということになりますと、憲法の各規定の中に、それに先ほどの最高裁の理論をもってする限り、特にどこに違反するという規定はございません。
  80. 矢野絢也

    ○矢野委員 何だかわかったようなわからないような話ですね。憲法上問題があると言ってみたり、ないと言ってみたり、この問題についてはあとでまた関連しますから、次に進みます。  総理に伺いたいのでありますが、沖繩の核兵器、まあ御存じだと思いますが、メースBというのがありますね。これはあなたがいつもアメリカの軍事抑止力、特に核のかさ、核の抑止力を高く評価しておられるようでありますが、沖繩のメースBというものは、あなたの言う核の抑止力を構成しておる部分であるかどうか、このことについて、これは端的にお答えを願いたい。
  81. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 何度も申し上げましたように、アメリカの持つ軍事力、その中には沖繩も含めておる、かように御理解願いたい。
  82. 矢野絢也

    ○矢野委員 核の問題だけ、メースB……。
  83. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 核の問題についても同様でございます。
  84. 矢野絢也

    ○矢野委員 いやいや、それはお答えになっておりません。私の伺っておるのは、メースBというものは射程は中国大陸まで入っちゃう。旧式だといわれておるけれども、相当な足の長さがあるのですね。これはあなたの言っておる核の抑止力の一つの構成分子になっておるのか。これは核抑止力じゃない、メースBは核抑止力じゃないのだ、あるいは核抑止力なのか、どっちかと聞いておるのです。
  85. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 核抑止力だと、かように考えております。
  86. 矢野絢也

    ○矢野委員 抑止力というものは——ここで総理に抑止理論の講義をしなくても、攻撃性能があるからやはり抑止力になっておるわけです。もしもやったらやられるぞという——これはやらないかもわかりません。あなたは、とてもとても使わないとおっしゃるかもわからないけれども、能力的に見れば、もしもやったらやられるぞという含みがあるから抑止力になるのです。だからメースBだって相当な長い射程距離を持っておるわけですね。  私は先ほどから、憲法問題につきまして二つの論点があると思うのです。  一つは、日本が持つ核兵器であるか、外国の核が、外国が引き金を握ったまま日本に持ってきた、つまり日本であるか、外国であるかという問題、これが一つあります。先ほどの御答弁では、日本の核についてはこれは憲法上の問題があろうけれども、しかし外国の核については日本には関係ないのだ、憲法の適用外だ、こう言われた。  もう一つの論点は、この核兵器も防御的なもの、あるいは攻撃的なもの、政府がどう考えておられるかわかりませんが、こういうものがもしあるとすれば、防御的なものは憲法で許されるのか、攻撃的なものも憲法で問題はないのか。こういう攻撃、防御という立場でもう一ぺん憲法問題を総理にお答えを願いたいと思うのです。攻撃性、防御性という立場からの憲法の問題であります。
  87. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 侵略性がありやいなや、あるいは攻撃的なものか、あるいはいまの防御的なものかというような点は、やはり法律論ですから、法制局長官をして答えさせます。
  88. 矢野絢也

    ○矢野委員 いやいや、総理答えてください、憲法問題ですからね。
  89. 高辻正巳

    ○高辻政府委員 この問題は実はいままでに何べんか申し上げておりますことでございますので、あらためてお答えをすることになります。  そこで、ただいま攻撃的、防御的というお話がございましたが、そういうことばを使ったこともあるかと思いますけれども、これは御疑問が出るのはごもっともだと思っております。実際攻撃的、防御的と申しておりましたとすれば、その意味はこういうことであるということをあらためて申し上げたいと思います。  現行憲法の解釈といたしまして、わが国が国権を発現してする武力の行使は、他国からの急迫不正の侵害があり、わが国に武力攻撃が加えられ、わが国民の生存と安全が危うくされる場合における自国の防衛の正当な目的を達成する限度にとどまるものでなければ、これは憲法の許容するところではない、憲法に違反する。しかしその限度にとどまるものであれば憲法が許容しないいわれはないというのが従来の考え方であったわけでございます。そこで、それが基本になりまして、わが国が保有する兵器につきましても、それが核兵器であろうとなかろうと、通常兵器であろうと何であろうと、いま申した基準に照らして判断されるべきものであるというのが基本的な考え方でございます。純粋の法理として申し上げるわけでございますが、わが国の生存、国民の生存と安全を保持するという正当な目的を達成する限度をこえる兵器は、わが憲法がその保持を禁止するものと考えるべきであるし、これが攻撃的というようなことばで出ておったものと私は思いますが、わが国民の生存と安全を保持するという正当な目的を達成する限度をこえることがない兵器は、わが憲法がその保持を禁止するものとは考えられないというのが、純粋の理論上の問題としてあらためて申し上げれば、それがほんとうの考え方である。その場合に、一方のものを攻撃的といい、一方のものを防御的というような表現を使ったことがあるかもしれませんが、その本旨はいま申したとおりでございます。
  90. 矢野絢也

    ○矢野委員 そこで、いまのお話はおそらくわが国が保有するという武器の問題だと思いますね。外国の問題については、あなたの言われた意味の攻撃的であろうが防御的であろうが、それは一切関係ないというふうに理解してよろしゅうございますか。
  91. 高辻正巳

    ○高辻政府委員 それが、いわゆる核兵器の三原則でいえば、持ち込みを許さないという部面についてのお話だと思いますが、これは先ほども触れたものでございますけれども、米国軍隊によるわが国への核兵器の持ち込みが具体的な問題になりますが、これはわが国がみずからこれを保有するわけではございませんので、たびたび引用して恐縮でございますが、わが国が主体となって指揮権、管理権を行使するものでなければ憲法九条二項の戦力に該当しないとした最高裁の判決から見ても明らかでありますように、憲法の九条とは関係がないという考え方でございます。
  92. 矢野絢也

    ○矢野委員 総理に伺いますが、いまの御説明を聞いておりましても、要するに攻撃的であろうが防御的であろうが、わが国が管理しない、つまり外国の核兵器については何ら憲法上の問題はないというふうに理解していいか、悪いか。これは総理大臣の見解を承りたい。
  93. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 いまお話がありましたように、憲法上の問題ではない、政策上の問題であると、これははっきり言える。  もう一つつけ加えさせてください。これはもう御承知のことだと思いますが、原子力基本法というものがあります。わが国はその意味においては、原子力基本法では、原子力は平和のためにのみ開発また利用する、こういう規定がございます。だから、憲法のほうからいま攻撃的、あるいは侵略的、あるいは防御的という観点からのみこれが考えられないで、やはり原子力基本法の制約も受ける、かように考えますので、この点はつけ加えさしていただきます。
  94. 矢野絢也

    ○矢野委員 要するに、もう一度、くどいようですけれども、もう一ぺん伺いますよ。沖繩のメースBというものがもし——これは仮定の問題でございます。そのままの形で沖繩が返ってきた、これは憲法上、問題があるかないか、これだけ簡単に答えてください。
  95. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 憲法だけの問題なら、先ほど申すように、問題はございません。
  96. 矢野絢也

    ○矢野委員 総理も先日むきになって言っておられましたけれども、総理はこう言っておられた。私は核つき早期か、核ぬきゆっくりか、変なことばでありますけれども、そういう二者択一を国民に迫っておるわけではないんだという意味のことをるる説明しておられました。私は何も二者択一だときめつけて伺っている、そういうつもりではございません。ですから、総理のお考えというものをいろんな角度から伺いたいと思って聞いているわけでありますけれども、少なくとも憲法上の問題からいきますと、メースBというものは憲法上は抵触しないというお考えのようですね。昨日の御答弁を聞いておりますと、この非核三原則——わが国は核兵器をつくらない、持たない、これについては憲法上疑義がある。これはおそらく違憲性の疑いがあるという意味だと私は思います。そういう意味でおっしゃったんだと。しかし、持ち込まずという問題につきましては、これは憲法問題じゃなくして、これはいまの御答弁を聞いておりますと、この持ち込む核兵器が攻撃的であろうが防御的であろうが、他国に脅威を与えるものであろうがどうであろうが、要するに持ち込むという問題については憲法問題ではなくて、これは政策的な判断の問題だ、こういうお話であります。  そこで私は、この政策的な判断ということが沖繩の場合非常に問題になってくると思うのです。少なくとも憲法上の保障は、一つの歯どめはもうなくなった、こう思います。あとに残ったのは事前協議という歯どめです。この問題について総理は、この持ち込むということ、核兵器を沖繩に置くということ、これは憲法上は問題はないが、事前協議の上では問題にされるおつもりかどうか、この点を伺いたいと思います。
  97. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 いままで一貫して申し上げておるのは、返還されるときの基地の態様、これは一つの問題なんだ、また国民感情もあるのだ、国際的な情勢の変化もあるだろうし、また科学技術の問題もあるのだ、こういうことをしばしば申し上げて、私は白紙だということを申し上げた。ただいまも私は、むしろそういう点で、これは私にお尋ねになるよりも、おれのほうはこういうように思う、こういうようにやれよ、こういうように政府に対してのなにを教えていただきたい。これが私のいわゆる白紙という——これは別に逃げた意味ではございません。逃げた意味ではないが、私はこの問題を、真剣に取り組めば取り組むだけ、各界の意見もうんと聞きたいのです。そういう意味で御意見を率直に言ってもらう、これをひとつお願いします。
  98. 矢野絢也

    ○矢野委員 何か、いかにもこちらが責任がないようなことをおっしゃいますけれども、わが党は、沖繩の核につきましては、これは撤去すべきであると、はっきりした主張をしております。こちらが何の意見もなしに質問しているような言い方をおっしゃいますけれども、これは私は失礼だと思うのです。それはそれとして、いかにも無責任な感じだ。  そこで、次に伺いますけれども、要するに事前協議を——沖繩の核の持ち込み、これはあなたの言い方によれば白紙だとおっしゃる。これは核を残すか残さないか、基地の態様をどうするか、どうしないかという問題について白紙だとあなたは言っておられるわけですよ。私はそんなあなたの腹を聞いているのではないのです。事前協議制度というものを——これは答えは聞かなくてもわかっている。これは明らかに核の持ち込みは禁止されているはずです。今日までの説明を聞けば、これは重大な装備の変更ですね。その原則で、厳格な意味の事前協議というものを沖繩に当てはめるかどうか、これを聞いているのです。
  99. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 御承知のように憲法も適用される、また安全保障条約、これも特別の地域として特別に除外すると、こういうことがない限りそのまま適用される。そういう特別な取りきめがない限り、これは安全保障条約は本土と同じように適用される。  なおつけ加えて申せば、そういうことをも考えながらこの沖繩の基地のあり方、これについて私は白紙だ、かように思っております。
  100. 矢野絢也

    ○矢野委員 特別な措置をとらない限り、これは日本の本土並みの安全保障条約の事前協議が適用される。これはあたりまえの話で、いまさらここで聞かなくてもわかっていることだ。しかし特別な措置を沖繩についておとりになるのかどうか、これを私は聞いているのです。  私は官房長官にちょっと伺いますけれども、よく聞いてくださいよ。官房長官はかつて事前協議の問題についてこういう発言をしておられるのですよ。「沖繩が返還されれば当然安保条約の全面適用区域になる。」これはまあいいですね。「返還される沖繩のために安保条約の改定は考えていない。返還された沖繩には事前協議の条項が働いてくるだろう。」私はいろいろな新聞を調べましたが、最大公約数、こういう意味の発言をしておられるわけですね。意味するところは、返還された沖繩には事前協議の条項が働いてくるだろう、このように官房長官が政府のスポークスマンという立場で語っておられる。この意味は、総理のお話は、もしも本土並みに事前協議が適用されたらこれは問題ないけれども、例外措置をとるかどうかは保留しておられるわけですが、あなたのお話では、事前協議の条項が働いてくるだろうと言っておられる。その点、官房長官、どういう御真意で言われたか説明をしてもらいたい。
  101. 保利茂

    ○保利国務大臣 私はスポークスマンとして積極的に発言をいたしておるわけじゃございません。いろいろ問い詰められて、ああだこうだと言われまして、こういう場合はどうか、ああいう場合はどうか。それは総理がおきめになっておられないからわからない。しかし、沖繩が返還されれば、憲法安保条約ももちろんそのまま適用になるでありましょう。統治権は日本の統治権の中に入るわけでございます。その場合に、それじゃ安保条約がそのまま適用されるとすれば事前協議の事項になるかということでございましたから、私は当然そういうことは考えられることだと思う。しかし、総理はそこにさらにつけ加えられて、特別の措置をしない限りは事前協議は当然働らくと、こういうことをおっしゃっておるのだと思います。
  102. 矢野絢也

    ○矢野委員 きょうの朝刊を私、読みまして、佐藤総理は院内で官房長官あるいは外務大臣あるいは法制局長官、こういった方々と憲法の問題、事前協議問題等について協議をされたという記事が載っておるのですね。  そこで私、伺いたいと思うのでありますけれども、ここに書いてある「非核三原則の一つである核持ち込みは、かりに認めてもこれは憲法上の問題にならない」これはいまお聞きして、わかりました。それから「米軍の行動についても、国連憲章と日米安保条約の範囲内のものであれば、問題にならない」、これは要するに米軍が攻撃的な体制を持っておろうとどうであろうと、要するに憲法上問題にならぬという先ほどのお話と符合しております。  そこで、これは補足説明をしてこのように述べておる。「基地の態様は、将来実質的にも“本土並み”にすることを前提に、当面は日米安保条約の事前協議条項を弾力的に運用し、一定範囲内での核持込み、米軍の行動を認める余地を残すことによって、結局、核抑止力の心理的効果を確保する考えのようである。」正確に申し上げておきますが「ようである。」これは観測記事として書いておられるのだと思う。この考え、この観測が正しいのかどうか、総理のお考えを承っておきたい。要するに、事前協議条項というものを弾力的に運用するというこの考え方が当たっておるのかどうか、これをひとつ聞かせてもらいたい。
  103. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 新聞の観測記事、それについてとやかく私は申し上げません。
  104. 矢野絢也

    ○矢野委員 私の質問として答えてください。
  105. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 質問ではございますが、観測記事を基礎にしてのお尋ねでございますから、それはお答えしません。
  106. 矢野絢也

    ○矢野委員 非常に態度が、えらい木で鼻をくくったようなお答えになってまいりましたけれども、これは国民がすべて関心を持っておる問題なんですよ。  先ほど申し上げたとおり、現在平和憲法については国民合意の、憲法を守っていこうという合意があります。まあ安保条約については、これは意見が分かれておる。しかし憲法については合意があるんだ。あるいは事前協議についてもいろいろな問題がある。意見が分かれておる。だから私は、この問題は、国民がひとしく、沖繩には本土並みの事前協議というものを適用して——そしてあなたも御存じのとおり、あなたのおにいさんである岸さんが、六〇年安保のときにこの事前協議をどう説明されたか、極東条項に対して野党が、このままほっておけば戦争に巻き込まれてしまう、米軍が日本の安全のためのみならず、極東における軍事作戦行動を日本の基地からとっていくんだ、これでは日本がいやおうなしに戦争に巻き込まれてしまうという野党の心配、国民の心配に対して、岸総理大臣は、事前協議という歯どめがあるから戦争に絶対巻き込まれることはないんですよというふうに  安保は確かにそういう極東条項という危険性はあっても、事前協議があるから安心なんだ、強力な歯どめなんだということを説明された。これはいまから八年前、九年前だ。  しかし、それ以来、この事前協議の解釈についてはいろいろな弾力的な解釈が行なわれてきました。それはここでは申し上げません。しかし、沖繩に対してこの事前協議が適用されるかどうかは、八年前のこの説明に立ち戻って、戦争の歯どめなんだという岸総理のこの説明に立ち戻って総理もお答えしなくてはならぬ。単にことばの上、論理の上だけではない。日本憲法に対しては、戦争は絶対いやだという国民の悲願がある。少なくとも核の持ち込みについては、その憲法のワクというものをあなたははずした。であるならば、事前協議という、しかも自民党が説明したこの歯どめ、これはきくのかきかないのかということは、国民にとっては重大な関心のあることなのだ。だから私は伺っておるのであって、単に新聞記事を引用しただけの問題じゃない。あなたもおそらく読んでいるだろうと思って、あなたの御理解を助けようと思って私は引用したのです。いいですか。ですから、事前協議を弾力的に運用するのか、がっちりこれを当てはめるのか、あなたの決意のほどを聞かせてもらいたいのです。これでは国民は安心しません。
  107. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 どうも私が引っかかっておるのは、事前協議を弾力的に運用するという、そういうことばであります。この沖繩日本に復帰する、沖繩が本土に返ってからですよ。返ってきたら、先ほど来申すように、日本憲法が当然そこに施行されるし、また特別な規定を設けない限り、約束をしない限り安全保障条約はそのまま適用される、かように申しておりますので、そこに疑問はないはずなのです。だから事前協議の問題も、必要なものは事前協議をする、こういうことだと思う。そこに弾力的な運用をするという、それがちょっと私引っかかっているんですよ。だから記事自身をそういう意味に私はしないで、いまのように矢野君の率直なお尋ねに対しては率直にお答えする。
  108. 矢野絢也

    ○矢野委員 了解しました。  弾力的な運用ということばがどうも引っかかっていらっしゃるようでありますから、もう一ぺん念のために伺います。  必要なものは事前協議の対象として考えなくてはいかぬと、いまあなたもおっしゃいましたけれども、事前協議というものには三つの原則があります。戦闘作戦行動の問題、重要な装備の問題、まあいろいろございますが、この装備の問題、これは私たち通俗的には核の持ち込みはこれに引っかかるのだろうと思っております。そういう意味で具体的に伺います。  核持ち込みについては憲法上問題ないとあなたはおっしゃったけれども、事前協議のこの重大な装備の変更という条項にかけてこの問題を将来処理していきたい、こういうように考えておられるかどうか。これはあなたのきらいな弾力的な運用ということばではございませんから、お答えを願いたいと思います。
  109. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 もちろん事前協議の対象になります。
  110. 矢野絢也

    ○矢野委員 重ねて伺いますが、沖繩の核についてですよ。もう一ぺん念を押します。
  111. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 沖繩の核基地、これをこれからどうこうするというような問題になれば、もちろん問題はございます。しかして、ただいまある核、これを一体どうするか、これが先ほど来申し上げておるようにまだ私は白紙でございますと、こういうことであります。これがとにかく重大なる戦力の変更、当然それは事前協議の対象になる、かように御理解いただきたい。
  112. 矢野絢也

    ○矢野委員 事前協議を核持ち込みに当てはめるかどうかはまだ白紙であると、この沖繩の核基地について判断してよろしゅうございますか。沖繩に核を持ち込むことに対して事前協議の重大な装備の変更という項目を当てはめるかどうかは、まだ白紙だと受け取ってよろしゅうございますか。
  113. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 これはいま言われますように、基地の態様はどうあるかという、それを白紙でございますと……。
  114. 矢野絢也

    ○矢野委員 まあ要するに、話がもとへ戻りますけれども国民が、総理のお話がいわゆる二者択一だ、核つき早期だ、あるいは核を抜いてゆっくりだというように受け取ったのも、やはりこれは根拠があるのですよ、総理。憲法沖繩の核持ち込みにはこれは抵触しないんだ、事前協議の条項に——これは戦争の歯どめであると自民党が説明されたこの事前協議の歯どめも、沖繩の核持ち込みについては白紙だ、こうおっしゃっているんです。これでは、あなたが絶対核は持ち込みませんと断言する以外、どういう言い方をされようと信用できない。ですから、絶対核を持ち込まないのか、持ち込むのか、これだけひとつ簡単に答えてもらいたい。白紙なら白紙でいいのです。
  115. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 ただいまは白紙でございます。これは何度も申しました。
  116. 矢野絢也

    ○矢野委員 白紙だけれども、そのための必要な布石は着々と打っておられると、このように感じますね。核の持ち込みについては白紙だけれども憲法解釈という歯どめははずし、事前協議という問題についても、いままで本土の核持ち込みについては明確にこれは言っておられたのだ。しかし、沖繩についてはこれまた白紙であると一歩後退をしておる。その布石をしておられる。これはこのように私は思わざるを得ません。はなはだ残念であります。私は、何もあなたをとっちめようと思って言っているのではないのです。国民が聞きたいだろうと思って、私は聞いているのです。あまりあいまいな態度はやらないでください。  それから次に移りますが、総理はことしの秋にアメリカへ行かれて、ニクソン大統領と沖繩問題について会談をされる。これは私たち承知しておるわけであります。しかし、アメリカを訪問されるまでに、それまでの時点に、いまはどうも白紙だ白紙だと言っておられるけれども——本会議での答弁が、あまり白紙でも実はなかったんですよ。あれからだいぶ考え直しをされたように私はそんたくをしますけれども、いまの時点ではとにかく白紙だ。しかし、秋にアメリカに行かれるときまでには、態様をおきめになるかどうか、これも白紙で行かれるつもりか、もしくは何とかそれまでにはきめたいということなのか、ちょっとその点聞かしてもらいたい。   〔発言する者あり〕
  117. 塚原俊郎

    ○塚原委員長代理 御静粛に願います。
  118. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 どうもそう簡単にいつまでも白紙だというわけにいきません。私はしばしば申しますように、返還、祖国復帰、それと基地の態様、これを切り離してものは考えられない。もうすでに私のアメリカ訪問も一応日程をつくりつつあるといいますか、日本側のほうの日程はできている。向こう側で了承するかどうか、そういうことになっておりますから、いま早期返還を実現しようとする私が、いつまでも白紙の状態でおるわけにいかない、これはもうそのとおりです。まあこれはずいぶんむずかしい問題でもありますので、皆さん方の御意見も聞く。公明党の考え方は先ほどはっきりこの席で申されたから、これはもう私伺っておるから、もうそれより以上伺おうとは思いませんが、けっこうです。しかしながら、国民の皆さんは一体どうするかという、いろいろの考え方がある。とにかくこれは非常に簡単な問題じゃないんです。非常な日本的な立場において考えていけば、日本憲法上は一体どうかとか、あるいは国民全体が戦争に巻き込まれるような危険はないかとか、あるいは極東の国際情勢は一体どうなるのか、また他の諸国はそういう事柄についてはどんな感じを持っておるかとか等々、いろいろの問題があります。そういうものもいろいろ考えつつ、私は最も賢明な方法、どうすれば国益に合致するかとか、国民が納得いく方法がどこにあるのだとか、多数の意見もやっぱりつかんで、そして出かけるというのが、ただいまの心境でございます。私が白紙であるということで問題をそらしておるようにとられてはたいへんでございますから、私は、問題が問題であるだけに慎重の上にも慎重にやっているんだ、かように御了承いただきたい。
  119. 矢野絢也

    ○矢野委員 総理は、予算委員会で代表質問された自民党の内田さんの御質問に答えられて、これから考えるのだけれども、その考えるいろいろな条件というものをるる説明をされました。国際情勢の変化というものがこれからいろいろある。それから科学技術も進歩するであろうということも言っておられる。さらに国民世論の動向も見ていかなくてはならぬ。こういった説明をしておられましたが、現在はとにかく白紙であって、早くきめなくてはならぬ。きめるにあたって、国際情勢であるとか、科学技術の進歩、こういった条件を勘案しつつということだと思いますけれども、私ちょっと伺いたいのだけれども国際情勢というものがにわかに変わるわけがないと思うんですね。それこそまあ突発的なことがあれば、これはまた急激に雪解けになるということがあるかもわかりませんけれども、おそらく自民党政府としてはそんなに急激に変わるという期待もしておられないようです。だからこそ安保堅持だと言っておられる。さらにまた科学技術については、これは進歩しておる。これはわかります。私が聞きたいことは、先ほども言いましたように、訪米のときに何とかきめていきたいのだというふうに理解してよろしゅうございますか。
  120. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 御承知のように、いま国際情勢で一番極東の問題に問題を投げかけておるのは、ベトナム戦争です。これは沖繩自身がその渦中であり、そういう意味からB52がしばしばそこから立っておる、こういうことで、県民のこれも祖国復帰を促進する理由にもなっておる、かように私は思っております。幸いにしてベトナム問題は解決方向に向かっておる、かような状況でございます。新しい事態が起こらない限り、アジアの問題は、そのほうで固まるだろう、かように思います。科学技術の問題はこれから先の問題だ、日進月歩する。こういう状況でございますから、案外沖繩になくともいいというような結論が出るかもわかりませんね。また、そういうことを私どもは期待します。核兵器というものがそんな身近にないほうがいい、こういうようにも私ども期待します。そこで、私が出かける前に、事前交渉等もございますから、そういうところでだんだん話が煮詰まってきて、そうしていよいよ本番になる、かように考えます。  私またもう一つ、いま非常に急がなくてもというのは、これはことし返るとか来年返る、こういうものでは実はないと思います。やっぱり返るまでに少なくとも三年くらいの経過はどんなにしても必要だろう。それから先それを最短のものとして適当な、どんなところできまるかという祖国返還の時期の考え方によっても、一つあると思います。しかし、これが非常に長ければ、一体何を交渉してきたんだ、こういうような話にもなろうかと思いますので、それらの点もやっぱり考えなければならぬ、かように思います。そのためには、やっぱり交渉によってだんだん話が詰まる、こういうことを実は期待しておるわけです。
  121. 矢野絢也

    ○矢野委員 この問題につきましては、これでおいておきましょう。  先ほど事前協議の問題、少しばかり核の問題で伺いましたけれども、いわゆるB52というものは、最初は緊急避難ということだったけれども、結局現在は常駐になってしまったわけですね。これはあとにも関連があるのでありますが、要するに事前協議をこれに適用するかどうか。これについてはあいまいな御返事であったけれども、緊急発進という、こういう事態もやはり考えられるわけですね。これは事前協議の問題とは直接切り離してもらってもいいです。たとえば朝鮮半島で問題があった、緊急に発進しなくてはならぬ、これが沖繩基地の重大な機能であります。この点を私は伺いたいと思っておるわけでありますが、事前協議の場合、緊急発進という特例をこれは認めるんだというようなことは、よもお考えになっていないだろうと私は思いますが、これについても念のため伺っておきたい。
  122. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 いま言われる緊急発進、ちょっと私わからないのですが、たとえば本土の基地、北海道あるいは青森にある基地にいたしましても、これは緊急発進というようなことはございます。それが普通の状況なら、これはただ当方だけの考え、領空の範囲内でこちらから出かけておる。しかし、さらにそれがもっとその行動範囲が拡大するといえば、これはもう明らかに事前協議の問題になってくる。だから、そういうことが場合によって——むしろいまお尋ねになっているのは沖繩についてのみ自由使用というようなことでも考えておるのか、こういうようなお尋ねじゃないかと思いますが、いまの事前協議の問題については、先ほど来申したとおりでございますから、誤解のないようにお願いいたします。
  123. 矢野絢也

    ○矢野委員 もうこの問題につきましてはこの辺でやめておきます。次の機会にさらにこまかく伺いたいと思います。  話を変えますが、これは防衛庁長官に伺いたいと思います。最近この一年間に防石たてであるとか、あるいは催涙剤、こういったものをかなり大量に調達しておられる、このように私たちは伺っておるわけでありますが、きのうもこの点について御通知を申し上げてございます。この一年間の防石たて、催涙剤、あるいはヘルメット、この数量と金額について御報告を願いたいと思います。
  124. 有田喜一

    有田国務大臣 御知承のとおり、わが自衛隊は国土の防衛に当たることはもちろんでございまするが、治安出動の任務も持っておるわけです。したがいまして、平素そういう備えとしまして訓練をやっておることは事実でございますが、最近の学生騒動といいますか、ああいう事態を見ますと、石を投げたり、いままでと相当様子の変わったやり方をやっておりますから、したがいまして、私たちの訓練も、いま直ちにそんな出動なんということは考えておりませんけれども、平素の備えとしまして、いまお尋ねの防石たてとか、そういうような備えをやっておることは事実でございますが、その数量と金額につきましては、政府委員をして答弁をさせます。
  125. 佐々木達夫

    ○佐々木(達)政府委員 御説明申し上げます。  最近一年間の防石たての購入状況は一万八百九十八個、八百六十三万四千円でございます。それから催涙剤につきましては、この一年に三・二九トン、二千三百十三万円です。それから木銃につきましては、従来の補充といたしまして千七百七十五個、二百二十万三千円でございます。ヘルメット、これも全員にわたっておるわけでございますが、毎年更新用としまして一万四千七百十個、一千五十九万一千円という数字でございます。
  126. 矢野絢也

    ○矢野委員 長官に伺いますが、治安出動ということを予想して購入しておるんだというお話でございましたね。あらかじめ私は申し上げておきますが、昨年もわが党の正木委員が質問をいたしまして、行動教範があるのかないのかということについて質問をいたしました。それは頭から治安行動、治安出動をやるべきでないという立場で申し上げたのではなかった。するならするで、国民の前に行動教範というものを明らかにして、その行動の上限と下限というものを国民に御理解をいただく。それでこそ自衛隊が国民の間に定着していくんだという意味で申し上げた。これは御記憶であろうと思います。  私も今回この質問をいたしますについては、何も治安行動がだめだという意味で申し上げておるのではない。しかし、いま聞きますと、催涙剤三トンだなんて、これは薄めるのですからね、膨大なものです。あるいは防石たて一万八百九十八個、これだって容易ならない数字ですね。機動隊が三千名出動したって、たいへんなことなんだ。ヘルメットだって一万五千個。どのような治安出動を想定しておられるのか、もう一度御答弁を願いたいと思います。
  127. 有田喜一

    有田国務大臣 あくまでも私のほうは訓練でございまして、それで非常に多いような場合も想定して訓練はやっておかなくちゃいかぬということでございます。しかし、二十五万人の自衛隊の中からいえば、一万何千というのはそう大きなものではない、かように考えておるのです。  なお、さっきの御質問で、教範の話がありました。実はその教範につきましても、かねがね検討しておったことは事実でございます。ところが、増田前長官のときに教範を取りやめて、指揮官心得というものをいま検討中でございますが、その教範を変えて指揮官心得にしたのは、治安出動のときに、御承知のとおり自衛隊は武器を持つことができますね、武器を持って、それを使用することはもちろん指揮官の命令にまたなくちゃならない。ところが、一般の隊員にまでその武器を持ってかくかくということを教範で知らすこともどうかと思いまして、隊員は指揮官の命令によって動く。しかも治安出動のときは、いろいろ事情によって違いますから、指揮官に十分そういうことを心得させて、指揮官の指揮によって、あまり国民に不安を与えないような円滑な出動をやりたい、こういう意味から指揮官心得ということに変えまして、目下着々検討中で、近く成案を得るつもりであります。
  128. 矢野絢也

    ○矢野委員 この問題は、私は簡単に伺っておくつもりだったんだけれども、ちょっとよけいなことをおっしゃるものだから……。  二十五万人全部に治安出動をさせるわけじゃないんだ、二十五分の一だというような発想は、これは長官、危険ですよ、そういう考えは。二十五万も出動してたまりますか。冗談じゃないですよ。これは機動隊の数字と比べたらわかりますよ。三千名出動した、五千名出動したって、これはたいへんなんですよ。それを、たてを一万一千個も持っておる。二十五万人から見たらわずかなことだ、この考えは改められたほうがいいと思います。  もう一つは、指揮官心得を着々検討しておるということであります。いままではあまり着々ではなかったのでありますけれども、あなたの代になって着々ということになった。非常にけっこうなことだと思うけれども、これはまだできておらないという意味でございますね。
  129. 有田喜一

    有田国務大臣 指揮官心得は、先ほど言いましたように、近く成案を得るつもりでいま検討中でございまして、まだできていないことは事実でございます。  なお、二十五万のうちの一割ということは多いように思いますけれども、もちろんそんなものはいつときに出動するわけじゃございませんけれども、全国どこでどういうことが起こるかわかりませんので、訓練ですから、各部隊においてそういうことをやっておる、こういうことでございますから、御了承を願います。
  130. 矢野絢也

    ○矢野委員 その問題はそれでいいでしょう。  ただ、私は要求しておきたいことは、指揮官心得であろうとも行動教範であろうとも、いたずらに批判をおそれて、まるではれものにさわるように、つくらないんだ、ないんだという態度は改めたほうがよい。つくったらつくったで、国会の審議を求めるべきであります。それについて、もし行き過ぎであれば、私たちはそれに対して意見を述べるでありましょう。ただひた隠しに、そんなことはないんだ、ないんだ、これだけではいけないのです。自衛隊が出動すれば、これはなかなか腕っぷしも強い。したがって、明確な行動教範なり行動規則というものがなければ、これは暴発をしてしまう危険性がある。銃を持っておる。強力な火器を持っておる。だから、いままでのように、そんなものはつくらないんだ、これは裏を返せば、そういう規則正しい訓練をしないのだということであります。いざというときには、わっと出て行くのだという意味になってしまう。これでは危険だから、教範というものを国民の批判を受けろということを申し上げているのでありますから、その方向でこれからやっていただきたい。だから、要望にとどめておきます。  次に伺いますが、今度は空の問題であります。私は、飛行機という問題につきましては正直言ってしろうとでありますので、初歩的なことから教えてもらいたいと思います。私は、アメリカ空軍が北ベトナムを爆撃するそのときに、ハノイとかハイフォンというところにはかなり強力なミサイル網というか、ミサイル基地があって、だいぶアメリカ空軍も強力な打撃を受けておる、こういうことを聞きます。だから、しかたがないから低空で、低い高度で、したがって低ければ山の凹凸がありますから、もちろんスピードも落ちます。低空で低速で侵入をする。そうすると、この北ベトナムの、極端な例をいえば、婦人兵の人々が機関銃やそんなんで世界最高水準だといわれているファントムをたたき落とすということがあるやに聞いておるわけでありますけれども、近代空戦といいますか、空の守り、近代的な空の守りというのは、そういう意味で皮肉なものだと思います。  そこで、私は長官に伺っておきたいのでありますが、空の守りというのは、一体どのようにして構成されているものであるかということですね。特に航空自衛隊の場合ですね、どういうような構想によって空の守りを考えておられるのか、それをわかりやすく、しかも簡潔に答えていただきたい。
  131. 有田喜一

    有田国務大臣 あくまでもわが自衛隊は守りの立場におります。したがいまして、今回新戦闘機を整備することに考えておるのですが、その目的はやはり防空の要撃能力ですね、来るやつを撃つという、その要撃能力の向上をはかる、こういうことを目的としております。すなわち、わが国に対する空からの進攻、攻めてくることがあった場合に、その進攻をよく防止したい、またこれを排除する能力の向上をはかりたいということにあるのでございますが、最近、御承知のとおり、軍事科学技術というのは相当進んでおりますから、空からの進攻方法もいろいろ複雑になっております。これらに対する防空方法を、わがほうとしましても考えていかなくてはいかぬ。そこで今後の防空体制としましては、先ほどもおっしゃるように、まず相手から攻めてくる飛行機を、早くこれを探知する必要があるのですね。そうしてどういう飛行機か、敵、味方、どこの国の飛行機かということを識別する。そうして同時に、日本におりますところのわがほうの航空隊の行動を管理するために、レーダーサイトの機能を充実したい。これが第一でございます。そうして、いまのファントムとかその他の要撃戦闘機を充実しまして、進攻機を排除する手段としてやっていきたい。同時にまた、陸上におけるナイキとかホークなどの防空ミサイル、その三つの均衡をはかって、そうして日本の防空の整備をはかりたい、かような考えでおります。
  132. 矢野絢也

    ○矢野委員 要するにホークであるとかナイキであるとか、こういうミサイル、あるいは敵を探知するレーダー網、あるいは航空機、こういったコンビネーションといいますか、かみ合いによって空の防空を固めるという御答弁のようであります。  そこでFX、つまり次の主力戦闘機、これがファントムにきまったようであります。これは国防会議の検討、これは機種の決定についてはもう省略されたといういきさつがありますが、それはそれとしても、あわてふためいて決定をしたという印象はぬぐい切れません。元来このファントムは、今日の最高水準の戦闘爆撃機である。これはよくわかっております。爆撃能力もある、あるいは足も長いという点において、元来自民党の憲法見解によれば、いわゆる自衛のための戦力、これを自民党はとっておられるようでありますが、これを足が長いとか爆撃能力があるという点で、従来からもこの点は追及をしてきておるわけであります。そこで、どういう説明があろうとも、あなたがどう説明しようと、他国はこれによって脅威を受けるということは、これは事実であります。これは決して脅威を与えるものではないとあなたが言っても、あなたが言っているだけであって、他国は脅威を受けるのはあたりまえです。  そこで私は伺いたいのでありますけれども昭和五十二年、この時点でファントムを百四機整備される。要するに勢ぞろいをさせる、こういう考えのようでありますけれども、この百四機というのは、いかなる理由できまったか、この点を聞かせてもらいたい。簡単にひとつお答えを願いたいと思います。
  133. 有田喜一

    有田国務大臣 御承知でしょうが、いま日本の航空隊としましては、F104Jですか、これが主力部隊になっておるわけです。もう一つF86Fというのがあるのですが、これがだんだんおくれたものになりまして、五十二年ごろにはほとんどこれがなくなるわけです。また主力部隊であるF104Jもだんだん飛行隊の数が減りまして、私たちの新戦闘機、すなわちファントムが完成するときは四個飛行隊、一個飛行隊は十八機が一つの編成でございますが、四個飛行隊、そうしていまの主力部隊であるF104Jがおそらくそのころには、いま七飛行隊くらいありますが、だんだん減りまして四ないし五飛行隊、こういうことになりまして、この二つが主力戦闘機となってくる、こういうように予定しております。
  134. 矢野絢也

    ○矢野委員 ファントムの問題は、昭和五十二年百四機そろう。つまり、本国会において予算審議をするにあたりまして、これはことし一年だけの問題ではない。つまり五十二年までのわが国の空の守りということについてのきわめて長期的な問題であります。今回この国会で通過いたしますと、この原則は、これは五十二年まで防空について拘束する長期的な問題だということは、これはもう長官も御承知のとおりであります。  そこで私は、先ほど空の守りということについて伺ったところ、きわめて丁寧なお話を伺った。ミサイルあるいは高射砲——最初は飛行機で迎え撃つのだ。それからミサイルでこれを迎え撃つのだ。さらに高射砲だ。それを総括しているのが、いわゆるレーダーサイトであり、電子計算機、バッジというのですか、そういうものだということを、簡単なお話でありましたが、伺いました。私は、この百四機を決定された——予算は二千億であると伺っておる。これは二千円とか二千万円ではない、二千億、こういう巨額の、しかも百四機の決定をするにあたって、この五十二年、つまり百四機が勢ぞろいをする、この時点における空の守りの、一口に言えば防空構想といいますか、総合的、有機的な防空構想というものが、その際慎重に検討され、策定された上で、こういうコンビネーションで、ミサイルはこうで、高射砲はこうで、レーダーはこうなんだ。そういうコンビネーションの中でファントムという飛行機の性能が必要とされる、あるいはまた百四機必要とされるというような防空構想がきまってくる、私はそのように、これは常識的に思うわけであります。この防空構想はきまっておるのですか、どうですか。その点ひとつ伺いたい。五十二年の時点であります。
  135. 有田喜一

    有田国務大臣 御承知のとおり、国防会議がございまして、いま第三次防整備計画が進んでおるわけですが、そこでいま五十二年度までの考えを申しましたけれども、現在予算をかけて債務負担行為で進んでおるものは、そのうちの三次防計画の三十四機分をいまお願いしておるわけでございまして、国防会議がありまして、そこでいろいろな総合的の計画を立てて、その計画にのっとっていまの防空対策を考えておる。さようなことでございます。
  136. 矢野絢也

    ○矢野委員 あなた、五十二年まできめてないとおっしゃるけれども、うそをついたらいけませんよ。一月十日の国防会議ではっきりきまっておるじゃありませんか。合計百四機を五十二年度末までに国内生産する、これが一点。そして平均単価は十九億八千万だ。全機の調達経費は約二千億円だ。しかも機数変更の必要がある場合は五十一年においてあらためて検討する。こういうことまで国防会議できめておるじゃありませんか。うそ言ったらいけません。
  137. 有田喜一

    有田国務大臣 説明が少し足らなかったかと思いますが、その百四機ということは国防会議できまっておるのですが、いま国会で予算にお願いしておるものは、そのうちの三十四機分の問題を出しておる、こういうことでございます。
  138. 矢野絢也

    ○矢野委員 問題は今回だけの問題じゃないということは先ほど私が申し上げたとおりですよ。将来にわたって拘束する、長期にわたって拘束する問題だということは、あなたも御承知のとおりだ。したがって、五十二年の時点における防空構想というものがあるのかないのかということを私は聞いたのです。あるかないかだけ答えてください。
  139. 有田喜一

    有田国務大臣 私のほうで、防衛庁としてそういうことは考えておるわけです。五十二年——一年ですか、百四機ということは考えて、そういう計画でされておるわけです。それで御了解願いたい。  防空構想というものは、さっき言いましたように、三つの組み合わせですね。そうしてそのころにはF86とかいうものがだんだんなくなってくるわけですね。それからいまF104が主力隊でありますけれども、それがだんだん減りまして、それはいま七飛行隊あるものが四ないし五つ、こういうことになって、こちらが四編隊、こういうことになるわけですね。
  140. 矢野絢也

    ○矢野委員 長官、これは大事な話なんですよ。あなたはすぐ、飛行機が老朽化するから取りかえなくちゃならぬとか、あるいは飛行機を近代的なものにしなくちゃならないとか、そういう性能の立場でおっしゃいます。これは言っちゃ悪いけれども、軍人の立場で考えれば、ライフル銃よりも機関銃がいいのはきまっているのだ。これはあたりまえのことなんです。性能の話だけじゃなくして、日本は平和憲法という制約があるんです。しかも、国民負担の軽減という制約もある。そういう制約のもとにおいて、私たちはあなた方のこの予算に対して審議をしておるわけでありますから、性能がいいとか悪いとかそういうことじゃなくして、その時点においてあなたはどういう総合的なコンビネーションを考えておるのだ、もっとわかりやすく言えば、空の守りというのはこの二千億だけなのかということなんです。ほかにミサイルというものも買うのか買わないのか、あるいはレーダーサイトでも、もっと充実するのかどうかという全体のワクを教えてもらわなければ、二千億要るんだから審議してもらいたいといっても、——それは今回はその二千億全体でないことはわかっております。全体のワクがなければ、これはいいとも悪いとも言いようがないですよ。あなた、おわかりになるでしょう、私の言っている意味が。そういう意味で、しかもあなたの先ほどの説明では、防空構想がどの場合にもあるのだ、現在の航空自衛隊にもそういう構想があるのだという意味のことを説明しておらぬ。  私は具体的に伺いますよ。一体五十二年の時点において脅威というものはどういうものを想定しているのかということ。もう一つは、その脅威が具体化して攻撃が加えられてきた、その攻撃に対してわがほうはどのような対処のしかたを考えておるのだ。さらに、その場合の空軍の持つ任務限界はどういうことを考えておるのだということもやはり教えてもらいたい。特に私が教えてもらいたいことは、その時点において——ファントム百四機はわかりました。これはあなたの御決定なんだ。しかし、ミサイルというものは何台持つのだ、どのような配置をするのだ、レーダーというものはどうなるのだという五十二年の時点における、ミサイルとレーダー、さらにまたこの空軍の飛行機の編成、配置、こういったことについて説明をしてもらいたい。さらに、そのときの大体の防空予算というものはどれくらいを考えておるのだ、そのうちの二千億なんだ、こういう説明をしてもらいたい。でなければ、これは審議のしようがないじゃありませんか。
  141. 有田喜一

    有田国務大臣 いま申しました飛行機のほうの編隊は、大体申したとおりですが、高射群といいますか、ナイキ、ホークですね、それは大体いま二大隊あるのですが、それを四大隊ふやす、そうしてあともう一大隊、大体五大隊をつくりたい、こういう考えであります。なお、ミサイルとかその他いろいろな防空の費用がありますが、そのことにつきましては政府委員から答弁させたいと思います。
  142. 宍戸基男

    ○宍戸政府委員 お答えいたします。  ファントム百四機のもとになりました防空構想についてのお尋ねでございますけれども、構想でございますので、ファントム以外のことはきまったものではないという前提でお聞き取り願いたいと思います。  時期としましては、三次防が四十六年に終わりますので、次のことはきまっておりませんけれども、一応いままでの例として五年程度というふうにいたしますと、五十一年末が次の四次防末になります。一応そこを時期的に想定をいたしました。  脅威はどうかということでございますが、もちろんわが国は仮想敵国を持っておるわけではございませんけれども日本及びアメリカ以外の国々の航空機等の進展の度合いというふうなものを一応想定をいたしました。  それからわがほうは、いま大臣からもお話しになりましたように、この際は有人機を中心に考えましたけれども、その背後としまして有人機以外の各種のミサイルあるいはレーダー網等の組み合わせを当然考えたわけでございます。現在レーダーサイトが全国に二十四基ございます。間もなくこれがバッジ化しようとしております。数年先でございますので、そういうことがさらに完備するであろう。さらにその中身としまして、実はいま三次元のレーダーというのを開発しまして、間もなくそれが実用化しようとしております。そういうように機能がよくなる、あるいはレーダーの目が遠くまで届くというようなことも一応想定をいたしました。  さらに、ミサイル部隊につきましては、ナイキ、ホークと二種類ございますが、三次防中にそれが、現在二個隊ずつありますのが、四個隊完成し、さらに一個隊を準備することになっておりますが、その程度では全体の防空能力としては少し不足のような感じがわれわれにはいたしますので、もう若干数ふやしたもの——これはきまっておりませんけれども、想定としましては若干ふやしたものがいただけるのではなかろうかという程度で、その前提を少しふやしております。  さらに有人機でございますけれども、現在F104というのが主力戦闘機でございます。これが約二百機ございます。七個隊ございますけれども、現在がちょうどその一番活動時期でございますが、だんだん減耗してまいります。いま申し上げました時期には若干減るであろう、しかしまだ相当働いてくれるであろう。またF86Fという戦闘機もございますが、これが約三百機ございますが、これはもう相当古くなりまして、減退期にあります。申し上げました時期につきましてはほとんど使えないであろうというふうなことを想定をいたしました。そのほか、たとえば早期警戒機というふうなものも開発があるいはそのころには可能であろうかと、非常に目なり耳なりが遠くに届くというふうなことも想定をいたしました。  そういうふうな組み合わせによりまして、実はそういう性能を全部電子計算機、コンピューターに覚え込ませまして、計算機の中でウォーゲーム、模擬戦闘をやらしてみたわけです。で、いろいろな性能、、ミサイルが何発ある、どういうふうなスピードでいけばどういうふうに撃てる、何万フィートのところでどの程度の活躍ができるというふうなことを候補機種各種について全部計算機に覚えさしまして、そしてミサイルをこの程度持つ、かりにこれが北海道でこういう組み合わせになればどういう戦闘が行なわれるであろうか、九州方面であればどういう戦闘が行なわれるであろうかというふうなことを全部計算機に覚え込ませまして、計算機の中で戦闘をさせました。そして、ミラージュであればこういうふうな効果がある、ファントムであればこういうふうな効果が上がるというふうなことをやりまして、一番効果的な数字を示したのがファントムでありましたので、それをきめていただいた。いま申し上げましたような構想で、いま申し上げましたような手順できめていただいた、こういうことでございます。
  143. 矢野絢也

    ○矢野委員 日本とアメリカ以外——これは日本とアメリカは、日本はもちろん敵にならぬであろう、アメリカは敵に考えていない。それ以外の諸国、これを一応いろいろな場合を想定してやったというお話でありました。あるいはまた、そのときのミサイルの配置とか飛行機の能力その他もいろいろ計算機に入れて計算したのだ、こういうお話でありましたが、先ほどから私が申し上げておるように、全体の予算というものの大づかみな線はやはり私たちは知りたい。そのうちの二千億なんだ。しかもこれは飛行機だけで空が守れるわけじゃない。ミサイルだとかいろいろなものがあるのだ。だから、どういうふうなコンビネーションでどういう防空構想をおやりになったかということは、私たちはぜひ知りたいのであります。そういう意味で先ほどから伺っておるわけです。いまいろいろ御説明がありましたが、私が要求した問題についてはあまり的確なお答えがございません。  そこで、これは長官に念を押しておきたいのでありますが、私が申し上げたような意味の防空構想の資料を後ほど資料としていただくことができるか。いいですか、全体の予算であるとか、五十一年、五十二年の時点におけるコンビネーション、ミサイルは一体どこにどういうふうに配置するのだ、飛行機は編隊をどういうふうに配置するのだというような、そういう意味の防空構想を資料としていただくことができるかどうか、そのときの大体の予算はこれくらいなんだという資料もいただくことができるか。このことを長官、いま説明してもらわなくてもいい、いただけるかどうかだけひとつ聞かしていただきたい。でなければ、先ほどから何べんも大きな声を出しておるように、単に性能がよろしいからこれを買いたいんだ、これだけじゃ二千億のお金はあまりにも膨大過ぎます。お答え願いたい。
  144. 有田喜一

    有田国務大臣 ひとつ資料の点は検討さしていただきたいと思います。いますぐとかいうわけにちょっとまいりませんので……。それは相当時日がかかりますから、ひとつ検討さしていただきたいと思います。
  145. 矢野絢也

    ○矢野委員 私は、こういうことであまりからんでいるようなそういう言い方をしたくありません。これは防衛庁もまじめに考えてやっておられるんだと私は信じたい。ですから、私もまじめに伺っているわけです。しかし、検討したいということでありますけれども、これは場合によったら出さぬかもわからぬという含みがあるわけですね。空の守りについては防衛庁だけがわかっておればいいのだというものではないのです。いいですね。元来、この飛行機をきめられたのは、国防会議を飛ばして総理と御相談された。増田さんですかね、あのときは。そういうことらしいですけれども、これは確かに総理もシビリアンです。長官もシビリアンです。しかし、その二方だけがわかっておればいいということじゃない。主権在民の世の中ですから、国民がやはり知る権利もあるし、知るべきです。その上で、なるほどそうか、それはこういうことで、こういう効果があるならこの二千億はやむを得ないとか、これは高過ぎるとか、いろいろな議論が出てくる。ただ流しておけだけじゃいかぬのです。そういう意味で、ほんとうのシビリアンコントロールというのは、国民の代表である国会に資料を提出して、そして検討してもらう、こういう姿勢が私は必要だと思うのですよ。  そういうことを前提にして、これはひとつ委員長にもお願いしておきたいのだけれども、この資料の提出については後ほどひとつ理事会等で御検討願いたい、このように思いますが、これはよろしゅうございますか。
  146. 塚原俊郎

    ○塚原委員長代理 矢野委員に申し上げます。  ただいま御提起の問題につきましては、理事会において御相談いたします。
  147. 矢野絢也

    ○矢野委員 それではこの問題は次にいきましょう。  次に伺いたいことは、オペレーションリサーチをやられた、電子計算機でやられたということであります。まあ、いやな言い方になりますけれども、伝え聞く話では、元来この飛行機はもう最初からファントムにきまっておったんだというお話を聞きます。しかし、それじゃいささかぐあいが悪い。国民に対してちょっとかっこうがつかない。だから調査団も派遣しよう、あるいは電子計算機、まあ悪く言えばこけおどしのようなものを使って計算をして、いかにも客観的、合理的、科学的に機種の選定をしたんだというポーズをとっておられるのだというようなことを言う人もおる。これは私は真偽のほどはわかりません。  念のため伺いたいのでありますが、ファントムにきまったということは、ドル防衛というような立場からおきめになったというようなことはないでしょうか。
  148. 有田喜一

    有田国務大臣 決してドル防衛なんということは考えておりません。だから、御承知のとおりにライセンス国産でいくようなことにきめておるわけですから、決してドル防衛などは考えておりません。
  149. 矢野絢也

    ○矢野委員 そういうことは考えてない……。しかし、ある人に言わせると、日米共同作戦ということも当然この考慮に入っておるのだということも言っております。  そこで簡単に伺いたいのでありますけれども、この機種の選定については、合理的に、科学的におやりになったと私たちは信じてよろしいですか、これを伺いたい。
  150. 有田喜一

    有田国務大臣 防衛庁といたしましては、あくまで防衛的、技術的見地に立って慎重に検討の結果、F4Eというようにきめたようなわけです。
  151. 矢野絢也

    ○矢野委員 オペレーションリサーチで計算をされた、計算の何といいますか投入されたデータ、これは数字はいいですよ。どういう種類の数字を投入されたか。数字の数はいいです、またこれは防衛庁の秘密だ、なんだとおっしゃるだろうから。どういう種類のデータか、こういうことを私は伺いたい。  さらに、当然電子計算機から出てきたこの結果というものは、いろいろな分野があると思うのです。たとえば、費用効率という問題があると思う、あるいは国産化率の問題、これは波及効果その他を考えてプラスかマイナスか、そういう分野のデータがあるだろうと思う。あるいは作戦運用面ですね、これが非常にメリットがある、これは効果的なんだという、そういう部面の結論もあるだろうと思う。あるいは性能の上でやはりこれがいいのだという、そういうデータがあると思います。インプットした、投入したデータの種類は、これはあとで私はまた資料としてお願いをしたいと思っておりますけれども、インプットした結果、結論が出た、その結論の採点基準、これについてはどれぐらいの評価をしたのかという、その分野についてのお話をひとつしていただきたい。
  152. 有田喜一

    有田国務大臣 私、詳しい資料を手元に持っておりませんから、政府委員をして答弁させます。
  153. 宍戸基男

    ○宍戸政府委員 電子計算機にインプットしました種類は、候補機種の飛行能性、それから各種の武装等の資料でございます。さらに、先ほども申し上げましたけれども、わがほうの104とかいうその他の有人機、それから各種のミサイル、レーダーの機能、それから飛行場、そういったものの各種の性能、機能の数字をインプットして、それで先ほど申し上げましたような模擬戦闘を行なった。それから、候補機種の単体ごとの実際の性能はさらに実際にパイロットが乗りまして比較をした、こういうことでございます。
  154. 矢野絢也

    ○矢野委員 第二次調査団が調査に行かれた。実際に乗ってテストをされたと思うのです。ファントムとミラージュ、それからCL1010、この三機種について何機を使ったか、何回乗ったかという回数、長官でなくていい、あなたにお願いします。何機か、それから何回飛んだか。
  155. 宍戸基男

    ○宍戸政府委員 ファントムにつきましては三十回でございます。
  156. 矢野絢也

    ○矢野委員 何機使ったか。
  157. 宍戸基男

    ○宍戸政府委員 幾数はちょっと……。機数は後ほど申し上げます。回数は、ファントムにつきまして三十回、ミラージュにつきまして八回、CL1010につきまして十回でございます。  それから、ファントムにつきましては二機、それからCL1010と申し上げましたが、候補機種がCL1010で、実際に乗りましたのは104Sというイタリアが採用しようとしている機種でございますが、これがCL1010と類似のものでございますので、これに乗りました。これは一機でございます。ミラージュにつきましては、これも実機がありませんでしたので、二種の類似機二機でございます。
  158. 矢野絢也

    ○矢野委員 私は、ちょっとした、英語で書いてある資料で、一々について申し上げることはできませんが、これは空幕からロッキード社あるいはファントムの会社その他に出された、今回調査団が行くから、こういう点について調べたいという、そういう要請をしておられる書類をたまたま見ることができました。それによりますと、少なくとも、飛行機は同時に二機飛ばなくてはならない、こう書いてあります。そして一機はターゲット、標的として用いられなくてはならない、これは、ねばならないと書いてある。いまCL1010、104Sだと思いますが、この飛行機については一機でテストをされたとなっておりますけれども、空幕のほうで要求しておるのは二機です。標的として一機使うのだと言っておられるのですけれども、これは一機でも調査は十分にできたのですか。
  159. 宍戸基男

    ○宍戸政府委員 候補機種の中のCL1010といいますのは、御指摘のようにイタリアの104Sなんでございますけれども、類似機がそうなんでございます。それで、それは会社でイタリア向けのものを二機持っておりましたが、イタリアのほうでテストをしておりましたので、わがほうに使わしてくれるものが一機しかございませんでした。したがって、さっき申し上げたように一機でテストをしたわけでございます。
  160. 矢野絢也

    ○矢野委員 調査の任務が完ぺきに行なわれたかと聞いている。
  161. 宍戸基男

    ○宍戸政府委員 その104Sといいますのは、またCL1010といいますのは、現在わが国が使っております主力戦闘機である104Jの類似機でございます。発達型でございます。非常に似ております。それで資料も相当ございます。また編隊飛行等、もちろんそのほんとうのものでやるのが一番いいのでございますけれども、そういう事情で実際のテストは一機でしかできませんでしたけれども、編隊飛行その他のは現在持っておりますので、われわれも十分知識を持っておりますので、十回程度、一機のもので、ファントムと比較し得る資料はできたもの、こういうように思っております。
  162. 矢野絢也

    ○矢野委員 子供に言うような言い方をしては困る。それは昔の飛行機なら類似しておれば、大体類似機で類推がつくということでしょう。しかしいまは超音速の時代ですよ。飛行機が違えば全然性能も違う。いろいろなデータが違ってくるのです。単に類推した、これだけでは十分な調査じゃないです。私、聞きますけれども、この要求書の質問によれば、二つの飛行機が空中戦をやらなくてはならぬ、こう書いてある。空中戦が一機でできますか。空中戦をやる項目が非常に多いのですよ、これは。三十回飛ばなくてはならぬ。この三十回の飛行回数の中で、空中戦をやらなくてはならぬというのが非常に多いです。これが類似の飛行機で類推ができるのですか。
  163. 宍戸基男

    ○宍戸政府委員 お答えいたしますが……   〔発言する者あり〕
  164. 塚原俊郎

    ○塚原委員長代理 御静粛に願います。
  165. 宍戸基男

    ○宍戸政府委員 104Sは一機しか使いませんでしたけれども、御指摘のように空中戦闘の戦技をやるほうがよりいいことは確かでございます。一般的には、先ほど申し上げたような理由がございますが、十回のうち一回は、104Sそのものではございませんが、こちらは104Sに乗りまして、F86Hというのを借りまして対戦闘機テストも実行しております。そのほか全般的に先ほど申し上げましたような理由で相当な資料は得たもの、こういうふうに考えたわけでございます。
  166. 矢野絢也

    ○矢野委員 私が聞いておる範囲では、この二機が同時に記録をとりながら両方が遭遇したときに急上昇するとか、旋回するとか、そういうことについてのいろいろな操縦法ですね、両方が記録をとって相関関係で機能を調べていく、こういうふうに聞いておりますけれども、そういうふうなやり方じゃ十分な調査じゃないじゃないですか。しかも、少なくとも二機は必要なんだ、ねばならないと書いてあるのですよ、あなたのほうの要求書では。よそでつくった資料と違う。空幕が二機でなくては十分な調査はできないんだと言っておるんだ。それを現地で一機だけでテストしてきました、完全でした、オペレーションリサーチをやりました。冗談じゃないです。幾らりっぱな電子計算機でも、投入したデータが中途はんぱでは結論だってわかっているじゃありませんか。先ほどから私は客観的に公平におやりになったのですか、そのように伺いましたら、客観的だ、公平だとおっしゃった。少しも公平じゃないです、これは。初めからデータがアンバランスだ。十分にテストをやっておらない。だから、私は先ほど最初からファントムにきまっておったのと違うのですか、こういうふうに聞いたのです。そうじゃございません、ドル防衛のためではない、ましてや日米共同作戦というようなことでファントムを買うのではない、客観的に、科学的に——オペレーションリサーチなんてこけおどしなことを言いまして、科学的にきめたんだとおっしゃる。入れたデータがアンバランスじゃありませんか。テストをやっていないじゃありませんか。どうなんですか、長官。   〔塚原委員長代理退席、委員長着席〕
  167. 有田喜一

    有田国務大臣 先ほど政府委員から説明いたしましたように、あくまでも防衛的、技術的見地に立ってやったのでございますけれども、実はその該当すべき飛行機が先方にはなかったわけですね。それでそういう結果になったのでございますが、これはあくまで事務的にやったこと、そういう報告を私は受けております。
  168. 矢野絢也

    ○矢野委員 これについては私は資料を要求したいと思います。少なくともそれぞれの項目については問題になる点がたくさんございます。  一つだけ伺いましょう。もう一つ念のため。いかに問題があるかということを。前防衛庁長官である増田さんは、爆撃装置はつけない、絶対つけない、こういうふうに言われましたですね。あなたもそのお考えだと思います。このファントムをきめられた過程において、先ほどのオペレーションリサーチ、つまりこの飛行機を選考する計算過程のデータとして、この爆撃性能のデータは考慮されたのかどうか、関係なかったのか、関係あったのか、それを聞かしてもらいたい。いいかげんなことは言わないでくださいよ。これはわかっているんですから。
  169. 宍戸基男

    ○宍戸政府委員 コンピューターで計算しましたときには、先ほど申し上げましたように、わが国の要撃能力を計算いたしましたので、爆撃のほうは計算機に入れておりません。爆撃のほうは計算いたしておりません。
  170. 矢野絢也

    ○矢野委員 重ねて聞きますけれども、調査に行かれたときに、この爆撃性能のテストなり資料は求められましたか。
  171. 宍戸基男

    ○宍戸政府委員 爆撃装置についても調べました。ファントムには専用爆撃装置の三種類のうち二種類がある。ほかの機種にはないということが調査の結果判明いたしました。
  172. 矢野絢也

    ○矢野委員 ボミングコンピューター、爆撃用の計算機ですね、それはこの調査した飛行機にはついておったんですか。テストされた飛行機、それから現在あなた方が調査された飛行機には、ボミングコンピューターであるとか、あるいはブルパップであるとか、こういうようなものは装置されておりましたか。
  173. 宍戸基男

    ○宍戸政府委員 最初におっしゃったCL1010——ファントムですか。
  174. 矢野絢也

    ○矢野委員 CL1010です。
  175. 宍戸基男

    ○宍戸政府委員 最初におっしゃった104Sのほうはそういう爆撃装置はついてなかったはずでございます。
  176. 矢野絢也

    ○矢野委員 ついてなかった。ところが、ここにはこうあるんですよ。このCL01にもしボミングコンピューターをつけるとするならば——それはそうでしょう、ついてないんだから。——もしつけるとするならば、どういうような性能になるか、あるいは操縦方法になるか、あるいは装備になるか。このデータを出してもらいたい。このように空幕は要求しております。ついてない飛行機にもしつけるとすればどのようなことになるのか。爆撃計算機ですね。何のためにこういうことを聞いたんですか。  あるいは、もう一つ続けて聞きましょう。このブルパップですね。ブルパップといえば御存じのとおり空対地ミサイルです。このブルパップというものは、絶対つけないとおっしゃっておるものなんです。このつけないブルパップについて、もしこれをつけるとしたらどうなるか。そのためのこのブルパップの置かれる位置はどこにあるんだ。あるいはパイロン、これはおそらくぶら下げるものだと思います。あるいはランチャー、発射台。このブルパップをぶら下げたり、発射する、そのアダプターはどんなものが必要なんだ。あるいはそのサンプルはどういうことなんだ。あるいはコントロールボックスとかパネルはどうなっておるのだ、というふうな質問をしておられるのだ。何のためにこういうことを聞かれたのですか。
  177. 宍戸基男

    ○宍戸政府委員 空幕としては、各種の資料をできるだけ多くそろえまして、そうして候補機種を比較検討したいということで、そういう要望を出したわけでございます。
  178. 矢野絢也

    ○矢野委員 オペレーションリサーチに投入されないとあなたはおっしゃった。しかし十分な調査をこの爆撃装置についてはしておらないんだ。確かにこの装備をつけるかっけないかは実物ができてこなければわかりません。だから私は、つけるんだろうなんということは言いません。これは見なければわかりません。私が申し上げておるのは、この飛行機をきめる選考過程において、爆撃性能というのがやはり重視されておる。オペレーションリサーチの中において、ファントムだ、ミラージュだ、あるいはまたCL1010だ、この三機種の選定にあたって、爆撃性能というものがついてない飛行機にもしつけたらどうなんだという質問までして聞いておられる。つまり、簡単に言えば、出てくる答えに対してきわめて重要な、問題になる要素を加味しておられる。私はその結論が問題だというふうに申し上げておる。つくかっかぬかはできてみなければわからぬから私は言っておりません。もう一度それを答えてください。なぜこういうこと調べるんですか。
  179. 宍戸基男

    ○宍戸政府委員 コンピューターにどういうものをインプットしたかという点につきましては、先ほどお答えしましたように、防空要撃能力の比較をやりましたので、爆撃能力のほうは入れなかった、これは事実でございます。  それから、さらに御指摘のブルパップその他、爆撃能力、対地支援能力の要求もしたということは、それも事実でございますが、これは主としてコンピューターでやりましたけれども、それ以外にも、先ほど申しましたように、実際にパイロットが乗りまして、単体のいろいろの性能の比較をやったわけです。さらに全部の資料を集めて対地支援能力の比較もいたしました。またすべきであったと思うわけです。きまりましたファントムも主として要撃のために使いますが、現在86がやっておりますように、有事の際に対地支援が全然ゼロでは困る。しかし、外国に脅威を与えるようなことはしないというのは、政策でございますけれども、全然ゼロだというわけでもございません。そういうのを比較する必要がございます。で、CL1010につきましても、ミラージュにつきましても、対地支援能力はどの程度あるか、ファントムと比較してどうであるかということの比較をする必要のためにそういう要求をした、こういうことでございます。
  180. 矢野絢也

    ○矢野委員 対地支援能力というのはどういうことなんですか、具体的に説明してください。対地支援能力というものを比較検討したという意味でありますけれども、支援、これはおそらく空からの爆撃のことを意味しておるのだと思いますが、どういう装備を考えておられますか。
  181. 宍戸基男

    ○宍戸政府委員 仰せのとおり、空からの爆撃、また船に対する爆撃、かりに侵略国の船がある地点に来ましたら、海なりまた水ぎわ、陸なりで迎え撃つのが主でございますけれども、航空自衛隊も上のほうからそれを支援する、ある地点が、島なら島が侵略された場合には、わが国の別の地域からそれをたたきに行くということが必要でございますので、そういうのを対地支援あるいは対艦支援といっておるわけでございます。
  182. 矢野絢也

    ○矢野委員 その場合にはボミングコンピューター、あるいはまたブルパック、つまり高々度、高いところで超音速で飛んでおる飛行機であればこそそういう電子計算機であるとか誘導装置が必要なんですね。あなたのおっしゃっておる対地支援というのはそういうようなものを必要とする作戦なのかどうか。簡単に言えば爆撃用の計算機、あるいは誘導するレーダー、こういう高々度、超音速の爆撃のための装置は積まない、こういうことでしょう、先ほどから言っておられることは。ところが、なぜそういうものについてデータをとって比較検討されるのかということを私は聞いているのです。あなたはオペレーションリサーチには入れなかったけれども、計算機には入れなかったけれども、比較検討の材料としたということをいまおっしゃっています。なぜそういうものを検討する必要があるのですか。高々度の、超音速の、いわゆる電子計算機であるとか誘導装置であるとか、元来つけないと言っておったものについてなぜ比較検討する必要があるのですか。
  183. 宍戸基男

    ○宍戸政府委員 候補機種の比較の段階におきましては、できるだけ同じ種目のものを同じ条件で比較して優劣をきめるということが公平であろうかと思いまして、そういう資料はできるだけ整えた上で比較をいたしました。そういうことである機種がきまるわけですが、きまりまして、別の政策で爆撃装置の一部を改修することを別にきめたわけでございます。
  184. 矢野絢也

    ○矢野委員 この問題につきましては、私は実はいろいろな項目について具体的に伺いたいと思っております。いまのブルパップの問題、あるいはボミングコンピューターの問題、あるいは先ほどの一機二機の問題、あるいは三十回フライトされた、飛行のときのいろいろな条件が規定されておりますが、これがどういうふうな結果になったという問題、その他いろいろと問題があります。しかし時間があまりございません。一々についてお聞きすることはできません。  私は、最初からこのことについてはこのように申し上げた。このファントムというのは、あくまでも長期にわたって、五十二年時点におけるその守りを想定してあなたはいろいろとお考えになっておる。そうしてその結果百四機がいいのだ、だから買ってもらいたいということで予算要求をしておられる。ところが、防空構想について伺えば、どうもあいまいなお話である。データを出す出さぬは検討していただくということでありますが、これはぜひ出してもらいたい。さらに、客観的、合理的、科学的に調査された、このように自称しておられる調査のデータ、インプットしたデータが、先ほども長官お聞きのとおり、不可欠な条件であるこの二機は飛行試験をするにあたって不可欠だ。一ぺんあとでごらんください。空中戦をやるにあたってどうなるか、この場合、上昇すればどうなんだというようないろんな場合を想定して、三十回のフライト回数を要求しておられる。ところが、一機でしかやっていない。どんなデータが出てきて、どんな計算をされたのか、はなはだ私は理解に苦しむわけであります。しかも科学的だ、客観的だとおっしゃる。私はファントムが最初からきまっておったんじゃないかとも言いたくもなる。そこで私は、この調査団の報告、これを先ほど要求いたしました資料とあわせて提出願えるかどうか。  さらに、もう一つは、途中で伺っておりましたこのオペレーションのリサーチにインプットされたデータの種類、数字までは聞かぬでもよろしい。また防空の秘密だ何だとかむずかしいことおっしゃるだろうから……。どんな種類をインプットされたのか。たとえばいま私が聞いた爆撃性能というものをインプットしていないとおっしゃっているけれども、さっき私は確認した。私はこういうことをお尋ねしたのは、それだけの根拠を持って言っておる。そういうようなオペレーションリサーチに使われたデータ並びにその結果、やっぱりこれは通俗な言い方をすれば、英語が何点であったとか、体操が何点であったとか、あるいは国語が何点であったというような採点をされたと思う。性能がどうだ、費用効率はどうだ、あるいはまた作戦運用、防空構想の面から考えて、やっぱりファントムでなくてはならないというようないろんな点について採点をされたと思います。この採点の結果もやはりお示しを願わなくちゃ——ただファントムはいいんだ、性能がいいんだ……。あたりまえだ。お金をたくさん出せばいいのがあるのはあたりまえですよ。いい、いいなんて……。それだけでは審査の対象にならぬと最初から言っておる。先ほどから言っておるように、全体で何ぼかかるんだ、そのうちの飛行機は二千億なんだ、ミサイルは何ぼなんだ、全体の中でこの予算のワクを集計をしなければならぬということ、これは御理解をいただいたとおりであります。そういうような資料について御提出をいただけるかどうか。いまここで聞く時間がございませんから、提出してもらえるかどうか、もう一ぺん答えてもらいたい。
  185. 有田喜一

    有田国務大臣 調査団の報告の中には相当外国の機密の部分もあるわけです。そういうものを除きまして、結果的にどうなっておるというようなことはひとつ検討しまして、差しつかえのないものは出したいと思います。
  186. 矢野絢也

    ○矢野委員 要するに、外国に対して差しさわりのあるものは困るけれども、それ以外のものは出す、こういうふうに受け取っていいんですか。まあ検討するんですか。どちらですか。いいでしょう。いずれにしても、委員長、またこれは追って御相談を願いたいと思います。  私は実は、委員長にもあらかじめ御報告をいたしましたとおり、ファントムの問題につきましては、政界にからむ、いやな話でありますが、黒い霧の話も耳にしております。あるいは業者との問題についても私はいろんな根拠ある資料を持っております。こういった問題について私は伺いたいと思っておるわけであります。しかし、その他いろいろございますが、その前提条件として、先ほど申し上げました防空構想であるとか、オペレーションリサーチであるとか、調査団のリポートであるとか、これはぜひ見た上で、その上で私は聞きたい、こう思っておりました。これは後ほど聞きたいわけでありますけれども、これは委員長にお願いをしておきたい。私の発言時間ももうほとんど終わりでございます。したがって昨日も社会党の楢崎委員から、小委員会を設けてこの問題の検討をやろうということを提案しておられます。後ほど理事会でということになっております。私も先ほど要求いたしました資料を御提出願いたいということです。  もう一つは、この問題につきましては、将来の防空構想にもからむ重大な問題でありますから、小委員会を設けて、そして慎重な議論をやるべきである。私は頭から飛行機がだめだとかアレルギー的に申し上げておるのじゃない。これは御理解願いたい。ただ、言ったか言わないか知りませんけれども、おれは防衛庁なんだというような独善的な姿勢、記者会見をしたときに冗談半分に言われた。これはあなたの前任者だと思うけれども、おれにまかせておけ、これは科学的に技術的に防衛上の良心にかけてやったんだというような独善的な態度について、私は強い批判をせざるを得ない。私は、うしろの人がおこるかもわかりませんけれども、非武装なんて言っておるわけじゃない。そういうわけで、まじめな意味で私は伺っておるわけであります。ですから木で鼻をくくったような、とにかく防衛の問題はさわったら困るんだ、タブーなんだというようなひきょうな姿勢はもうこれからやめたほうがいい。私はそう思うんだ。そのかわり正々堂々と国民の批判を受けていくんだ。そして国民意見のとおり、あとう限り、平和憲法を守っていきたいという国民の声にこたえて、国民のための自衛能力というものを考えていくんだ、憲法の範囲の中において考えていくんだ、こういう姿勢を私は期待するわけであります。そういう意味委員長、私は小委員会というものをぜひおつくりを願いたい、こう思うのでありますけれども、これは委員長、御検討願えますか。
  187. 荒舩清十郎

    ○荒舩委員長 矢野絢也君に申し上げます。先ほどの資料の要求等につきましては、理事会においてよく検討をいたします。  なお、委員会の問題等につきましては、とにかく衆議院におきましては十六の常任委員会がございます。なおまた八つの特別委員会がございます。したがいまして、これらと競合しないような研究も必要であろうと思います。したがいまして、これらもひっくるめて、理事会で検討することにいたします。
  188. 矢野絢也

    ○矢野委員 そういうお取り計らいをされるということでありますから、ぜひやっていただきたいと思います。  それでは、私はもう二、三の質問をさしていただきたいと思います。これは福田大蔵大臣に伺いたいのでありますが、つなぎの練習機、これは何か大蔵省でこれからもう買わないんだという意味の一札を防衛庁からお取りになったということを聞いておるわけでありますけれども、練習機については大蔵省としてはどういうお考えでおられるか、それが一つ。  もう一つは、大蔵省では、国産するよりも輸入したほうがいいという意味意見もあった、こういうことでありますが、その二点について、あとの質問の関係もございますので私は最後に伺っておきたい。
  189. 福田赳夫

    福田国務大臣 国産よりは輸入したほうがいいというのは、輸入したほうが幾らか安くつくものがあるわけです。しかし、多少高くても、日本の技術を開発するという見地から、国産もまたやむを得ないというものもある。その辺、程度の問題なんですが、その程度を見て、著しく不利と思われるものは輸入する、かような考え方を示しております。  練習機につきましては事務当局からお答え申し上げます。
  190. 鳩山威一郎

    ○鳩山政府委員 いわゆるつなぎの意味の練習機というものは買わないということに、私どもでは防衛庁のほうと約束をかわしております。
  191. 矢野絢也

    ○矢野委員 ありがとうございました。これでけっこうでございます。質問を終わります。
  192. 荒舩清十郎

    ○荒舩委員長 これにて矢野君の質疑は終了いたしました。  次に、角屋堅次郎君の質疑を許します。角屋堅次郎君。
  193. 角屋堅次郎

    ○角屋委員 私は、日本社会党を代表いたしまして、当面の農政上の重要課題であります食管問題を中心に、政府の農政の基本的な姿勢、取り組み、こういうものを具体的にただしながら、あわせて今日社会的にも非常に大きな問題であります公害対策、あるいはこれからの国際的に重要な問題であります海洋開発、こういう問題にも言及をいたしまして、率直に政府の所信をお伺いいたしたいと思うのでございます。  冒頭に申し上げたいのでありますが、予算委員会の総括質問開始以来、外交、防衛沖繩問題、これは非常に重要な問題でありまして、本委員会を通じて大きく論議を呼んでおるわけであります。しかし、静かに考えてまいりますと、やはり日本の経済全体の中において、二重構造の底辺にあるといわれる農業の関係の問題、あるいは中小企業問題、あるいはこれらを中心としたいわゆる産業政策、経済政策問題、こういうふうな問題についても、きわめてじみな問題でありますけれども国民食糧の全体的な確保、あるいはまた国際的な視野からの国際競争力の付与、いろんな面で重要視しなければならぬと私は思うのでございます。  そこで、冒頭に佐藤総理にお伺いしたいのでありますが、今日非常に困難な条件にある日本の農政の状態において、一体これからの日本農政をどういうふうに持っていこうというのか、総理としての基本的な認識とこれからの方針、こういうものについてお伺いいたしたいと思うのであります。  佐藤総理は、今再開国会におきまして、本会議で、施政方針の中でこの問題に触れられ、「近年、国民の食生活における消費構造が変化し、米の生産が需要を大幅に上回る一方、畜産物、園芸作物、水産物は必ずしも増大する需要を満たすことができないため、農産物の需給の均衡をはかることが農政の当面の大きな課題となりました。政府は、需給動向に対応した総合農政を推進し、その基礎の上に農家の生活の安定と向上をはかってまいります。」こういうふうに述べておられるのでありますが、私は日本の農業、農村農民が、戦前の歴史的な長い苦難と試練に耐えてきた経過、戦後引き揚げ者の増大の中で、非常に苦しい生活環境の中で、日本の経済のささえをしてきたという経緯、そして、今日、開放経済体制の中で一体これから日本農業をどう持っていくかという点については、第一線の農民も重大な関心と、また一方においては不安を持っておるわけであります。したがいまして、こういう観点から、冒頭に総理から農政に対する基本的な考え方、こういうものについて率直にお伺いしたいと思います。
  194. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 私が申し上げるまでもなく、戦争敗戦後、当時はとにかく食糧不足から三百万人の餓死者を生ずるだろう、かようにまで実は指摘されたものなんです。その当時から、特に農家の方々に対しましても特別な努力をお願いし、また奮起をお願いする、こういう意味で食糧増産に意を用い、もちろん、その根底におきましては農家の方々の生活の向上、これをはかる。と同時に、国民に対して豊富、良質の食糧を提供する、こういうことを願ってきたと思います。今日までとられた農業基本法もその一つでありましょうし、また食糧管理法、これも一つでありますし、また米価審議会等もそうだと思うし、土地改良政策どもこういう観点から立ててきておる、かように思います。また、その要請は、今日米がたくさんできたという、余っているという、これは私はたいへん喜ばしい悲鳴だ、かように実は思っておるのです。  そういう意味から、しかしこの状態をそのままほうっておくわけにもいかない。そこでいまいろいろくふうし、農業基本法の線に沿って、やっぱり総合農政を展開すべきときではないだろうか。米中心の農政からそちらの方向にやはり力を入れるべく、目を向けるべく、農家の方の御協力も得たいというのが私の基本的な考え方であります。おそらくこの点は、角屋君も専門ですから、必ずしも反対ではない。その持っていき方によりましていろいろな御意見もあるだろうと思います。政府はいまそういう意味で総合農政に足を踏み出したばかりですから、そういう意味からまた御批判もいただき、また、こういうことをやれ、こういうような御注意もひとついただきたいと思います。
  195. 角屋堅次郎

    ○角屋委員 日本のこれからの農政を進めるにあたっては、やはり国際環境というものも十分判断をしてかかることが必要だと思います。そういう意味において一つの問題点は、一体これからの世界人口の増大と関連をいたしまして、あるいは経済の発展による生活の向上と関連をいたしまして、また、それぞれの国における生産的な条件と関連をいたしまして、世界の食糧の需給動向というものをどう判断をすべきか。やはりそういう問題も日本の農政を考えるにあたっては一つの判断の素材の点だと思います。  そういう点で、これは農林大臣から簡潔にお伺いしたいと思うのでありますが、今日国際的な食糧の需給動向というものをどういうふうに国際的な権威ある機関として見ておられるか、また、農林省としてどういう判断をしておられるかという点について簡潔にお伺いいたしたいと思います。
  196. 長谷川四郎

    ○長谷川国務大臣 お答え申し上げます。  世界の食糧の需給見通しというものは、いろいろ各国で出しておる各種の機関から判断をいたしますると、今後、それらの想定によると、需給の見通しというものは相当緩和してくるであろう、こういうような見通しがすべてであろうと考えております。したがいまして、現在私たちの考え方は、そのあらゆる機関の測定しておるそれらに対しまして、私たちもそのように考えておるのであります。  一つの例を申し上げますと、私はこの国会で伺ったのでございますけれども、かつて、いまから百年前の学者が、六億のときに、ネズミ算的に人類というものがこう生まれていったのでは、おそらく食糧危機によって人類は滅亡するであろうという論をあらわした学者があった。そのときに、いま三十四億になっても、人口というものに比例して人間は飢餓に死んでいくものはないのじゃないかというお話をこの本会議場で聞いたことがあります。したがって、今日食糧が高級化してまいるに従って人間の寿命も相当長生きをするようになっておるというような点から考えてみても、世界のあらゆる機関が発行しておる、今後の食糧の需要というものは緩和するであろうというような点についても、さもあらんかというように考えております。
  197. 角屋堅次郎

    ○角屋委員 農林大臣は私は本来理論家でも政策マンでもなくて、むしろ人情政治家だというふうに思っておりますので、そういう農林大臣に対しまして、あまり数字をもってとっちめるということは本意ではございません。しかし、私情を乗り越えまして——食糧の需給についてすべての機関を総合すると、緩和をしておる。これは今日米の過剰が伝えられ、農政の新しい転換をやろうとするそういう時期と関連をして、ことさらにそういうふうに言われる向きがあるのじゃないか、こういう感じがします。それは一つは国連の食糧農業機構、いわゆるFAOが、「世界食糧農業情勢」というものについて一九六八年の九月十二日に発表を行なっておることは御承知のとおりであります。これによりますと、「世界の食糧事情は、開発途上国の生産が増大の傾向になっており、いまや希望の持てる時期に入ってきたと述べることができる。」御承知のように、開発途上国は一九六五年、一九六六年は非常な不作でありました。一九六七年の段階で六%ばかり増加をしている。これは主として天候の関係であります。また、御記憶にもあろうと思いますが、ソ連のいわゆる食糧の不作とか、最近は韓国の問題とか、いろいろ国際的にもございます。こまかい数字については触れませんが、同時に、FAOの新事務局長のパーマという方が、「世界食糧農業情勢」の中で、一九六八年でありますけれども、こういうことを述べております。「世界の食糧事情はいまや過渡期にあり、希望の持てる段階にあるとしながらも、だが、これで一足飛びに世界の食糧問題は一時的にも永久的にも解決されるであろうという結論は誤りである。」こういうふうに警告をしながら、さらに最後のほうで、「放任された人口増加が依然続くならば、やはりそうした希望を粉砕する原因にもなる、したがって、人口増加を鈍化させる努力を倍加する必要があるであろう。」こういうふうにも述べておるわけであります。  農業は、御承知のように自然を相手にした産業であります。気象にも影響されます。また土地ににも影響されます。いろんな社会的制約もございます。また労働等の条件もございましょう。そういう中で各国における食糧生産がなされている。後進国の生産は非常に低位であります。最近は農機具の導入あるいは肥料の導入、そういうことにくふうをいたしまして、生産が伸びつつありますけれども、一ヘクタール当たりにすると一、二トン程度である。先進諸国においては四ないし六トン程度にまで上昇しておる。こういうふうな非常に極端なアンバランスがございます。しかもまた、飢餓状態の諸国民も相当数にのぼるわけであります。そういうものを考えてみると、簡単に食糧事情はあらゆる国際機関を通じて需給が緩和したのだと、農林大臣ともあろう者がそういう簡単な認識では誤りであるということについては、まず申し上げておきたいと思うのであります。農林大臣に見解があればお伺いしたいと思います。
  198. 長谷川四郎

    ○長谷川国務大臣 もう専門家の角屋さんの前でございますので、私は、ただそういう総合した機関が緩和をしていっておるという、こういう予測を示しておるということを申し上げただけでありまして、いずれにしても、そのほうの専門家の角屋さんの御意見を尊重することにいたします。
  199. 角屋堅次郎

    ○角屋委員 そこで、さらに、国際的な食糧需給動向につきましては、私は、絶えず慎重な検討をしながら国民食糧の安全性を確保する。これは外交、防衛上からの安全の問題の議論もありましょう。基本的にはやはり戦後のあの食糧の危機状態を考えてみましても、食糧の安全性を確保するというのは政治の至上の命題であります。したがって、そういう点から見て、いまのような安易な判断というのは、これは是正してもらわなければいかぬ。また、これは年とともに絶えず変化をしていくということも考えてもらわなければいかぬ。  いずれにしても、農林省は、農業基本法に基づきまして、昭和三十七年に食糧生産の需給の長期見通しというものを立てました。これは最近改定をされたわけであります。一体、これから農政の生産政策として、昭和五十二年の段階において、ポイントだけでよろしゅうございますけれども、どういう需要の判断をして生産指導をやろうとするのか、この基本的な考え方について、長期見通しと関連をして簡潔にお答えを願いたいと思います。
  200. 長谷川四郎

    ○長谷川国務大臣 五十二年までの見通しでございますので、現在、食糧のお米については、御承知のとおりの生産と需要の状態でありますし、したがって、その中に立って、消費者面から非常に必要とする面、また必要とはしないけれども過剰の面、こういう二つの面があらわれてきておるだろうと考えるのでありまして、したがって、そういう面に対しまして、たとえばお米ならお米のほうは、主食のほうは完全自給ができ、さらに余剰ができておる。不足している面は、それは畜産だとか果実だとかあるいは野菜等においても、まだまだ消費者を本位とするところのその要求におこたえできない面もありますので、それらを総合して今後の政策に当たっていかなければならぬ。反面また、非常に需要が多くなっているけれども、どうしても国内の生産が間に合わないという面があるわけでございます。そういう面は、すなわち、大豆だとかあるいは小麦、トウモロコシとか、こういうような面に対しましては、輸入にまたなければならない面がたくさん出てくるであろう、こういうふうに考えておるのでございます。
  201. 角屋堅次郎

    ○角屋委員 私は、国内の生産需給の見通しに関連する問題については、一応後ほど構造政策問題、あるいは米に関する食管問題等々と関連をして、さらに具体的にお答えを願いたいと思っております。  そこで、これからの日本農業を考える場合の国際的なもう一つの問題は、言うまでもなく、貿易自由化に関連する問題がございます。御承知のように、昨年の暮れにアメリカとの間で残存輸入品目の交渉がございました。これは農林大臣、日本の農業の実態から非常にがんばられたというふうに聞いております。同時に、この点では、外務大臣あるいは大蔵大臣あるいは通産大臣等の農林大臣に対する風当たりは非常に強かったということも報道されております。それは別として、とにかく百十二品目の非自由化品目の中で、農林水産関係については七十三にのぼる非自由化品目がある。アメリカが日本との交渉の中で、農業ばかりでありません、通産あるいはその他の問題も含めて、三十七の速急に自由化すべき問題についての強い要請があった、こういうふうに承っております。その中で、日本農業の立場からチューインガムをとりあえずというふうな話、あるいは小家畜のえさ程度のものというふうなことが伝えられておりますが、まず総理にお伺いしたいのでありますけれども、いわゆる貿易自由化に対して、施政方針でも総理も触れられておりますが、これからどういう対処のしかたをされようとするのか。これは農林水産関係ばかりではありません、全体的に。また、具体的プログラムについては、各省にどういう総合的な指導をやられようというのか。御承知のように、アメリカとの折衝が年が明けてからすでに始まっておると聞いております。また、これから夏場にかけましてヨーロッパ諸国との貿易交渉、これがなされるというふうにも承っております。ということでございますので、それぞれ相手国によっていろいろ条件の違った点もございましょう。これからの貿易自由化の問題に対して、総理としてどういう基本的なかまえでいかれるのか、これを冒頭にお伺いしたいと思います。
  202. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 貿易の自由化、これはいま大勢がその方向へ向いている、かように私は認識しております。また、そのことは、自由化は、長期的に見れば、結果的に必ず国益とも合致する、かように考えております。そういう意味で、長期的な観点に立って国益に合致する自由化、これはやはり進めていかなければならない、かように思います。しかしながら、これはただ抽象的に原則論を申しただけであります。産業それぞれが現段階において国際競争力があるかないか、これもよく考えなければならないし、ことに先ほどの農政について申せば、いまちょうど曲がり角にきている。これから総合農政を展開しようというそういうやさきに、そう大幅な自由化はできるとは思っておりません。私は、長期的観点にも立つが、同時にまた、現時点において、どういうことをすれば国民の皆さん方にしあせを与えるか、こういう観点に立って処理するつもりであります。
  203. 角屋堅次郎

    ○角屋委員 まあ総理の基本的な考え方は、いま申されましたように、開放経済体制の中において貿易の自由化は大勢である。したがって、日本条件を考えながらこれと取り組んでいかなきゃならぬ。施政方針演説によりますというと、貿易自由化問題には総理は真剣に取り組むというおことばでございますし、愛知外務大臣も、これはもう総理の御意思のとおりでございますから真剣に取り組む、こういうことばを使っておられますし、福田大蔵大臣は、貿易の自由化に対しては真正面から取り組む、こういうおことばを使っておる。菅野国務大臣も、触れませんけれども、自由化問題については、一そう自由化を進めるとともにと、それぞれニァンスは違いまするけれども、いずれにしても、貿易自由化問題については、これから日本条件を考えながら進めるという姿勢であると判断をいたします。私どもは、貿易自由化問題については、いわゆる封鎖経済のように、全部いかぬ、こういうふうに考えておるわけではございません。国際競争力のいわゆる力と十分見合って、日本の産業に急激な影響を与えないという立場から慎重に取り扱っていくということが必要であろう、こう思うわけでございます。  そこで、農林大臣に次にお伺いいたしのかございますが、百十二品目の中で、七十三品目にのぼる非自由化品目が御承知のようにございます。こういう問題について、特にアメリカとの交渉が再開をされておりますが、アメリカとの交渉の問題、あるいは全体的にこういう非自由化品目の自由化の問題、これらの問題について、今後基本的にはどう考え、具体的にはどういうプログラムで進めていこうとするのか。  その場合に、私は申し上げておきたいのでありますが、わが国の主要農林水産物の自由化の推移というものを見てまいりますと、昭和三十四年十月までに自由化済みのものから始まりまして、さらに御承知の特徴的なものといたしましては、昭和三十六年七月の大豆の自由化が行なわれておる。さらにまた三十七年の時点で生糸等に及び、三十八年の四月の時点でバナナに及び、さらに九月の時点で粗糖に及び、さらにまた三十九年の五月の時点でレモンに及んでおる。このほかにもたくさんございますけれども、一体、いま述べた大豆の自由化、あるいはバナナの自由化、あるいは砂糖の自由化、あるいはレモンの自由化が、その後日本の農業のそれぞれの部面にどういう影響を与えてきたかということについても、すでに経験済みのところでございます。したがって、これからの日本農業の国際的な置かれた条件あるいは国際競争力というものから見て、農林水産物の自由化については、基本的にこれは慎重でなければならぬし、速急にやり得るものは少ない、こういうふうに私どもは判断をしておりますけれども、先ほど申しましたように、農林大臣として、農政の責任者立場から、主要農林水産物の自由化、特にアメリカとの交渉の問題に対する態度、あるいはヨーロッパ等との貿易交渉における農林水産物の自由化の態度、こういうものについて明らかにしていただきたいと思います。
  204. 長谷川四郎

    ○長谷川国務大臣 冒頭に角屋さんがおっしゃったように、日本が今日の経済力を保つようになったその基本、これは一言に言うならば、日本の農民が今日の経済力のいしずえになったと言っても過言ではないだろう、こういうような立場に立って、現在農政というものを行なっておりますし、したがって、おことばにありましたように、総合農政というものを展開するという重要な時期にありますので、一部の品目を除いて、現時点では農林物資の自由化はきわめて困難であるとの基本的態度を私はとっておったのでございまして、これに対しましてアメリカ側からも強い不満の表明はございましたけれども、一応これらの点につきましては、総合農政との関連に十分配意をいたしまして、日本農業に不測の悪影響を及ぼさないように慎重な対処をいたしたつもりでございます。したがって、いますぐこれを制限を撤廃するというようなことは非常に困難なことであろう、こういうような観点に立って申し上げたわけであります。
  205. 角屋堅次郎

    ○角屋委員 長谷川農林大臣のそのあとのほうを、もう少し答弁があってしかるべきだと私は思うのであります。つまり、アメリカとこれから交渉するものに臨んでいく基本的な考え方、あるいはヨーロッパ諸国との交渉の中で農林水産物資についてはどう考えていくのか、あるいは具体的に、長谷川農林大臣も、衆議院の農林水産委員会では、両三年以内に可能なものについては——これは総理のおことばを常に各閣僚使われるようになりましたが、そういうことを言っておられたのですが、もう少しその辺のところをさらにふえんして簡潔に答弁を願いたいと思います。
  206. 長谷川四郎

    ○長谷川国務大臣 昨年の十二月に閣議決定によりまして、両三年中にでき得るだけ自由貿易のほうに向かっていかなければならない、こういうことの決定があります。したがって、私どもの考え方は総合農政という立場にあり、総合農政というものに対して農民自体がまだはっきりと把握しておりませんし、また、私たちのほうの指導性というものも、これに伴ってまたこれがはっきりとしておらない点もあるだろうと考えられます。したがって、これらを急速にはっきりしたものをつくり上げまして、もってそれらの問題に取り組んでまいりたい、こういうふうに考えておるわけでございます。
  207. 角屋堅次郎

    ○角屋委員 これは大蔵省関係、通産省関係それぞれ関係があるわけですが、——その他にもございますけれども、大蔵省関係について大蔵大臣どういう取り扱いをされるつもりですか。
  208. 福田赳夫

    福田国務大臣 大蔵省の関係では酒に関係したものですね。ブドウ酒ですとか、ブランデーだとか、あるいはリキュールだとか、ウイスキーとか、そういうものがまだ残っておるわけでありますが、これらのものにつきましては、ただいま農林大臣からもお話しがありましたが、閣議決定で前向きでやろうということをきめておるわけであります。その線に従ってやっていこう、かように考えております。
  209. 大平正芳

    大平国務大臣 十二月の閣議決定の線に沿いまして、いま御指摘の残存輸入制限品目、私の関係では四十二でございますか、ございますので、国内の業態の実態を見まして、技術の格差等が非常にありますとか、あるいは体質がまだどうしても自由化に持っていけないもの等を除きまして、鋭意自由化の方向に持っていくように努力してまいる所存です。
  210. 角屋堅次郎

    ○角屋委員 外務大臣にお伺いしたいのでありますが、アメリカとの交渉、あるいはことしに入ってからヨーロッパ諸国との交渉、こういう具体的なプログラムについて、少しく御報告を願いたいと思います。
  211. 愛知揆一

    愛知国務大臣 ただいままでの段階は、いま関係大臣から御答弁申し上げたとおりでございまして、内閣全体で協力して国益を守りながら、また自由化のほうに前進をしたいという姿勢でやっておりますが、お尋ねのアメリカとの関係では、昨年の暮れに東京で折衝をいたしましたここは御承知のとおりでございますが、そこでは両方が合意するような結果は出ませんでした。そこで先方も、その後、いわゆる通常の外交チャンネルでもってさらに話を進めたいという希望がございまして、若干の向こうの意見はわかっておりますが、これに対していま申しましたような基本的な考え方で話し合いを進めてまいりたいと思っております。それから、これは御指摘のように、アメリカだけの実は関係でございませんで、昨年十月にもジュネーブで会議もございましたし、他の国でもいわゆる関心品目というものを相当持っておるわけでございますが、それらにつきましても、やはり基本方針としては、先ほど来述べましたような基本的な方針で随時協議をいたしてまいりたい、こういうふうに思っておりますが、確たる日取り等を申し上げるような進め方は、いまのところやっておりません。
  212. 角屋堅次郎

    ○角屋委員 御承知のアメリカとの関係のこれからの折衝の場合にも、特に農林水産関係についてだけ見てまいりますと、パイナップルのかん詰め問題、これは、外交防衛上から沖繩の問題が議論されておりますが、御承知の沖繩産糖あるいは沖繩のパインというのは、沖繩の経済の死命を制する問題だというふうに私どもは判断をいたしております。したがって、そういう沖繩との関連の問題がアメリカとの交渉の中に一つ入ってきておる。また、農林大臣は、すでに昨年の十二月十七日に、衆議院農林水産委員会において、まあ自県にも関係あるので実態を十分承知しておられるということもありましょうが、トマト加工品については絶対やらない、こういうふうに委員会でも御答弁がございましたが、そういうこれからの成長作物といわれるトマト加工品の問題もございましょう。また、北海道にすれば雑豆等の問題もございましょう。さらに、これからの成長財として、米とともに畜産、果樹あるいはまた園芸、こういう基幹物資の配置をいたしました場合に、重要な畜産関係については、アメリカとの間で牛肉及びくず肉等の輸入自由化も強く要請されておるということに相なってまいりまするから、これはよほど腹をすえてかからないと、総理がさっき農政は曲がり角にきておると言うが、この曲がり角のかじのとり方については、われわれいろいろ判断と問題がございますけれども、そういうものを進めるにあたって、先ほどの長期見通しの中では、米の生産を押える、そうして畜産、果樹の需要の増大にこたえる生産の拡大をはかる、そういうものにきわめて甚大な影響を持つ要請がまずアメリカから来ておる。さらにはその他の国からも来るであろう。こういうことでございまするから、再度農林大臣から、農林水産物の自由化に対する基本的な腹がまえというものについてどう考えておられるのか、重ねてお伺いしておきます。
  213. 長谷川四郎

    ○長谷川国務大臣 沖繩産のパイナップルの問題に対しましても、現在まだ国際的競争力の域までは達しておらない、こういうような観点に立ちまして、今回はっきりとお断わりを申し上げたわけでございます。  さらにまた、トマトにおきましても、牛肉におきましても、まさにおっしゃるとおりでございまして、総合農政を行なって転換をしなければならない。転換しようというそのやさきでもあり、また、転換させなければならない品目についての自由化が現在行なわれるということになりますると、おのずから生産意欲の減退もあり、そればかりじゃなくて、日本農民全体に不安を与えるということにもなりますので、これらの問題は慎重に取り扱わなければならないし、一日も早く競争力をりっぱに保つだけのものにしていかなければならない。それまでの間は、どうしても自由化をするということには私は賛成するわけにはまいらない、こういうことで今回はお断わり申し上げたわけでございます。
  214. 角屋堅次郎

    ○角屋委員 これからの日本経済を、政府が政局を担当してやっていかれる場合には、経済社会発展計画、これが全体的な指針として、いま改定期に迫られておるということを承知しております。同時にまた、国土総合開発計画の問題については、新全国総合開発計画というものが第三次案まで進んでおるということを承知しております。そういう経済社会発展計画の改定、あるいはまた新全国総合開発計画の策定というものの基本的なバックボーンというものは、何に置かれて総理としては考えておられるのか。  まず、総理が御答弁になる前に、話の礼儀として、これは経済企画庁が全体的に取り扱っておられますので、全国総合開発については、従来考えてきた昭和三十七年以来の全国総合開発は、実態から見てどこに問題点があったのか。これからやろうとする新全国総合開発案では、基本的にはどういう構想でやろうとしておるのか。もちろん、最近の会議において、公害問題をもっと真剣に取り上げる必要がある。過疎問題にも真剣に取り組む必要がある。あるいは都市問題についても十分それをどうするのかを織り込んでいく必要がある。いろいろな注文があると聞いております。これは当然であります。が、いずれにしても、今日までの全国総合開発計画の批判と検討の上に立って、これからの新しい全国総合開発計画を基本的にはどういうふうに進めようと考えておるか。さらに、経済社会発展計画の改定問題、これはそれぞれいつごろまでに決定を見るのかということも含めてお話しを願いたいと思います。
  215. 菅野和太郎

    ○菅野国務大臣 まず、全国総合開発計画のことについてお答えしたいと思いますが、御承知のとおり、最近の経済の急激な発展に伴いまして、都市化の発展もまた急激になってまいりました。そういうことで、過密、過疎というような問題が一そう深刻化してまいりましたので、そこで、この全国総合開発計画というものを考えてきたのであります。初めは、主として工業というものを中心として考えておったのでありますが、しかし、その後におきましては、自然の環境の保護あるいは生活環境の整備等についても、十分これを検討しなければならぬというようなことでありまして、特に生活圏の広域化及び国民的な標準としての生活環境の確保というような観点からして、この総合開発計画を立て直す、検討する必要があるじゃないかというようなことを考えてまいりましたし、ことに最近におきましては、公害という問題がやかましい問題になりましたからして、その公害というような問題も考えてまいりまして、いま第三次の計画案をつくっておりますが、しかし、これでもこと足りるとは思っておりません。ひとつ各方面の知識を集めまして、そして完全な全国的な国土開発の計画を立てたいということを考えておる次第であります。  それから、経済社会発展計画について、これは御承知のとおり、四十二年に策定したものでありますが、その後、策定したそのときの計画と実勢とは非常に違ってきております。その違っておる根本の理由は、昭和四十年度の不景気な数字を基礎として計画を立てたからして違ってきておるのでありまして、したがいまして、今日では、その後における経済の実勢を基礎としてこの経済社会発展計画を補正したいということで、これから補正しようということを計画しておりまして、まだ具体的にそれに着手したわけではありません。これからやろうということで人員を整えてまいったのでありまして、そういうことで、今度はあらゆる方面の知識を集めて完全なものをつくって、そしてこの計画によって各省の経済政策をやるし、また同時に、一般国民の経済活動の指標にしたいということで、完全を期したい、こう考えておる次第でございます。
  216. 角屋堅次郎

    ○角屋委員 この国土総合開発の関係の問題については、総理も特に施政方針で触れられて、「過密、過疎問題は、いまや国土全体にまたがる総合的な視野から解決への方向を見出すべきであります。全国にわたって新しい交通、通信、情報網を整備し、各地域の特性に応じた開発事業を進め、魅力ある広域生活圏を展望する新総合開発計画を策定し、均衡のとれた国土開発をはかってまいります。」これは菅野経済企画庁長官も全国総合開発に触れられた点では、同じように、「魅力ある広域生活圏」の確立、こういう新しいことばを使われておるのでありますが、私は、特に時間の関係もありますので、総理に、今日、経済の高度成長の中で取り残されていく農山村の特に山村地帯、絶対過疎並びに過疎地帯といわれているところ、こういうところについては、さすがに政府自民党の中でも、そういう関係地域の実態を知っておる議員の方々から、これはやはり山村振興法等もあるけれども、それは十分これからの要請にこたえ得ない、そういう過疎問題に対する抜本的な立法措置を積極的に進めなければならぬという声が出、全国知事会からも出ております。市町村からも出ておりますし、またそういう地帯の全体的な要望であります。こういう問題について、与党内にそういう問題が起きてきておる。社会党でも、この点についても特別委員会をつくって真剣に検討しておる。総理としては、そういう問題も踏まえて、特に過疎問題等については、単にこれは全国総合開発の問題、経済社会発展計画の問題というのではなしに、どういうかまえで考えておられるのかということも含めて、総理の見解をお聞かせ願いたいと思います。
  217. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 日本国民全体がとにかく最近の経済発展の利益を受ける、こういう政治にならなければいけない。まずそういう場合に一番先に考えられるのは、交通を整備することだ。でありますから、ただいまいわれるようなコミュニケーションを整備する。交通、通信——最近はただ道路をつくったり、鉄道をつくったり、電話を引くというだけではなくて、コンピューターの時代だ。そういう意味で、情報産業というか、情報というのを特にそこに加えたつもりでございます。そこで、この三つの柱のもとでいまの過疎対策、これまた可能ではないだろうか。この情報産業の利用のいかんによっては、急患——病人ですね、急患等も、やはり医者がいなくてもうまい処置がとれるようなことにまでなり得るのだ、かように実は考えておりますが、とにかくそういういまの情報産業をも加えて、過密過疎対策にひとつ取り組んでいく、あの施政方針演説に言ったとおりでございます。ただ情報という二字のことばだけのものですから、この点を角屋君は十分理解してくだすったと思いますが、見のがしやすいので、特にその点に説明を加えた次第であります。  言いかえるなら、私は社会開発ということばを使ってまいりましたけれども、いまの近代的な経済発展の利益を各自にみんなが受けるということは、これは社会開発という表現で事足りるのだと思います。そういう意味で、いろいろの公共投資も進めていけば、さらにまた公害とも取り組むし、住宅とも取り組むし、いろいろの方面で文明の世の中にしたい、かように考えております。そのほうの点に特に力を入れて経済発展を進めていく、こういうことでございます。
  218. 角屋堅次郎

    ○角屋委員 農林大臣にお伺いしたいのでありますが、総合農政をこれから展開をする。農業基本法制定当時のいわゆる主穀農業から、成長財といわれる畜産、果樹への選択的拡大をやる、自立農家の育成、協業の助長、こういうものを構造政策としてやる。しかし、これはその後の経過を見るというと、完全に破綻をしたという実態になっておることは御承知のとおりであります。したがって、総合農政をこれから進める、その場合に、日本の農村、農民の置かれておる条件、こういうものをどういうふうに見るかということが一つやはり必要であると思います。米が余った、したがってこれを畜産、果樹、園芸に切りかえる、いわば物を中心にした農業の政策というものであってはいけない。従来の農林省の農政というものは、別に霞カ関から望遠鏡でのぞいておるわけではありませんけれども、しかし霞カ関農政ということがいわれておる。生産対策というものにはもちろん力を入れてきたというふうに考えておられるでありましょうけれども、生産と同時に価格、流通、消費、そういうものの一貫した総合政策というものには私は率直に言って欠けておったと思うのであります。同時に、生産をするのは農民であります。北海道の果てから九州の鹿児島まで、地域は広いのでありますけれども、したがって地域農政ということばもございますが、やはり日本の農業、農村、農民の置かれた条件というものをきめこまかく判断をして、そして生産対策、あるいは価格対策、あるいは流通、消費対策というものを総合的に進めていく必要があると思います。一体日本の今日の農業従事者の実態をどう考えておられるか、あるいは農業と他産業との生産性の格差をどういうふうに見ておられるか、あるいは農村の生活環境というものをどういうふうに考えておられるか、いわゆる都市と農村との産業、地域、こういうものの格差の拡大傾向について、そういうものの是正を踏まえながら生産政策というものも進められなければ、農民の協力の上に立った政策というものはできない。これらの問題について、それぞれの点に簡潔に触れながら、総合農政を進めるにあたっての基本的なかまえというものについてお述べいただきたいと思います。
  219. 長谷川四郎

    ○長谷川国務大臣 ただいまお触れになったように、たとえば総合開発というような点につきましても、農業の持つ面といいましょうか、きわめて大きいものがありまして、こういう面もあわせた上に立った総合農政というものが行なわれていかなければなりません。したがいまして、いままでのように——いままで基本法というようなものがありまして、いずれも、基本法そのものも総合農政ではございました。しかしながら、総合農政ではありましたけれども、やはり米というものに重点が置かれておったということはいなめないところの事実だろうと考えるのでございまして、そういう結果になってまいりましたので、これらをいかに総合的に是正をしていくか。もっと一言に言うならば、消費者の要求をどうして満たすように持っていかなければならないか、こういう点から考えてみて、いままでの基本法そのものもしかりでありますけれども、これを畜産とか、あるいは果樹、野菜のほうというようなものに均てんし、そして適地適産ということばもございますけれども、そういうような上に立った指導を行ない、その生産に当たらしめていきたい、それにはやはり何といっても思い切った施策を加えていかなければ、なかなか現在の農民にはこれを行なうことができないだろう、こういうような観点に立ちまして、本年度は特にこれらの面に対するところの予算というものを見たわけでございます。したがって、今後におきましても、まず第一歩を踏み出したばかりで、なかなかこれがそのまますぐ実行に移されるというわけにもまいりませんので、多くの皆さん方の御意見を十分尊重しながら、これらの計画によった方途を切り開いてまいりたい、このように考えておる次第でございます。
  220. 角屋堅次郎

    ○角屋委員 長谷川さんは人がいいものだから、尋ねたことにあまり具体的に触れていただかないのですけれども、時間の関係もありますから……。  たとえば今日、昭和三十年代から、御承知のように農業従事者は大体一千六百万人台から一千万人を割るという状態で、六百万人近いいわば民族的大移動ともいうべき、そういう移動が農業従事者自身には起こっております。炭労の問題ということになれば、これは非常に産業的な問題であり、また労働者自身の生活の問題であるということで、非常にこれまで真剣に取り組まれてまいりました。これはけっこうなことであります。また不十分な点はさらに強化しなければならぬ。しかし、現実に戦後の二十数年の間に農民が、特に最近の三十年代以降の経済の高度成長の過程で、農業労働力を産業が必要とする部面に、あるいは弱年労働力の流出を通じ、あるいは中高年齢層の季節的な労働力の供給を通じ、今日非常な悪条件下に置かれておる。しかも年齢構成を見てみると、一千万人近い農業従事者の中で、三分の二近くは四十歳以上である。さらに六十歳以上の者が二〇%にわたるという状態である。そういう中で五十二年の時点では、長期見通しによれば、農家戸数は百万戸を減らそう、あるいは農業従事者についてはこの一千万の者を六百万人に持っていこう。一体農林省には中間項が少ないのです。具体的にどういうプロセスを通じてそういうところに持っていこうというのか。需要はこれだけある、生産をそれだけしなければならぬ、したがって乳牛はこれだけ、あるいは肉牛はこれだけ、そういう実態にどう持っていくという中間項がなくて、二倍半近い飼育頭数の増大を計画としてあげておる。それをささえる農業従事者自身についてはさらに四百万近い流出を考えておる。しかもそれはおそらく老齢的な構成のものを相当部分含むだろう。そういう中で貿易自由化問題のあらしも受けようという。  一体今日、米の過剰問題あるいは食管問題、これは財界といわずマスコミといわず、非常に集中的な批判と攻撃を加えておるように私どもは率直に思う。一体戦前、戦後を通じて日本の農村、農業、農民がどういう試練と苦難に耐えてきたのか、また戦後をとってみても、いかに苦労して——いかに苦労して、敗戦の廃墟の中から、今日自由主義国で世界で第二番目と政府・自民党が呼号するいわゆる経済の成長をもたらしたのか。こういうことに対しての国民全体としての認識というものが欠けているのじゃないか。しかも米の生産が過剰といって非難をする。御承知のように米の生産問題、これは私は詳細な点には触れません。触れませんが、いわゆる一昨年が千四百四十五万トン、あるいは昨年が千四百四十三万トン、これは確かに国民の需要よりは上回っておる。これは事実であります。しかし、その数年前の状態の中では膨大な輸入が行なわれておったことは御承知のとおりでしょう。手持ち米についても、わずかに数万トンにすぎないという状態であった。政府も増産を地方に鞭撻をし、地方自治体もまた一俵増産運動に呼応してこれにこたえようとした。そういう中で今日千四百四十五万トンの生産にまできたのである。これに口先だけは感謝したことばを言っているけれども、実際にそういう農民の労に報いるのに、不安と動揺の中で農政転換をやろうとすることは、私どもは断じて許せないと思う。やはり今日、米の過剰というものは決して非難さるべきことではない。政府の要請に応じ、地方自治体の要請に応じて真剣に農民が悪条件の中で取り組んできた血と汗の結晶である、こういう認識は私は立つべきものだと思うのであります。一体私のいま申しました点について、総理として、これからの農政問題を考える基本的な、農民に説得のできるかまえというものをどういうふうに考えておられるのか、これを私はお聞かせ願いたいと思う。
  221. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 冒頭に実は私もいま角屋君の言われるような意味の点に触れたつもりであります。御承知のように戦後、米は足らない、敗戦直後三百万人の餓死者が出ようという、しかし農家の皆さん方のおかげでそういうこともなしにとにかくその時期を越すことができた、これは私はたいへんしあわせなことだったと思います。また政府自身も、そういうような事態ではいかぬという、やはり食生活にとにかく安心を与えること、生産者にもがんばってください、だが、同時に消費者にもひとつ安堵させてください、そのもとの政策であったと思います。おかげで、そういう意味では米の量はふえた。ただ私、その点につきまして、これが価格政策に非常に片寄っていた、かように思います。そこでいろいろの問題を引き起こしている。でありますから、これは必ずしも農家のためにも幸いであったとは思いません。また消費者の面から見ると、あの奨励方策は必ずしも本来の正しい方向ではなかったのじゃないか、もう少し方向もあったのではないだろうか、かように私今日思うのであります。だからそういう点も考えないと、これはやはり国民の負担ですから、農家の方の負担も含めて、私が言っておるのは国民全体の負担だ、こういう意味であります。  でありますから、今日米ができた、それが国際価格の倍にもなっている、これはやはりお互いに考えなければならないことじゃないかと思う。ましてや今日のようにたくさんできるとすれば、これは国家財政としても考えざるを得ない。しかし生産者に不安を与えることは、これは私どもも避けなければならない。一番不安を与える原因は一体何なのか。米が多くなった、食糧管理制度を変更さす、こういうことが一番の基本的心配な点じゃないだろうかと思うのです。私は生産者の農家の方々が努力を払われたことに敬意を表し、感謝の意を持てばこそ、不安を与えないように、しばしば申すように、食管制度の根幹はこれを維持する、かように申している。そうしてただいま総合農政を展開し、そうして国民の総需要に対する対策に対応していく、そうして問題であるいわゆる物価問題とも取り組んでいる、これが政府の姿であります。私はここに立って非常に簡単な数言で、ただいまの困難な、また複雑な農政問題を説明しておりますが、私の言うような簡単なものではないと思います。まだまだもっともっと深刻な問題が幾つもあるだろうと思う。しかし要は、ただいま申すような点に尽きるのであります。私は生産者の方にも不安を与えない、また消費者も新しい米の制度のもとにおいて不安なく、しあわせを受ける。また食生活の変わり方、ことに牛乳が米にかわるような立場に消費されております。牛乳自身の一つの問題を取り上げましても、これはたいへんな問題だと思う。肉の問題ばかりではございません。そういうことをいろいろ考えながらやはりこれを考えていく。その場合に一番問題は、いままで米中心のいろいろの政策が行なわれてきた。総合農政を展開するにあたっては、米づくりほどの手厚い諸施策はできないにいたしましても、やはり生産者が魅力を持てるように、他の面へ安心してかわり得るような、そういうことを農林省、政府として考えなければならぬのだ、実は私はさように考えております。  あるいはお尋ねになったことと少し違うかわかりませんけれども、私の考えておる点を申し上げると、くれぐれも申しますが、生産者の農家の方々のたいへんな苦痛と御努力に対しましては心から感謝する。ただ口先の感謝ではございません。いま角屋君が詰まられたけれども、私もそんな気持ちで農家の方々の御努力に敬意を表し、心から感謝の意をささげるものであります。
  222. 角屋堅次郎

    ○角屋委員 私は、構造政策を進めるにあたって、去年ヨーロッパの農業事情調査に行ってまいりましたが、ヨーロッパの先進農業国、これをたずねてまいりました。農業というものは、各国によって置かれた条件が違います。また価格政策にいたしましても、あるいは社会保障政策にいたしましても、それぞれやはりそれぞれの国に応じた条件に適合して真剣にやっておられる。いわば大企業経営ともいわれるようなアメリカにおいても、やはり農業問題は苦悩の中でも、これはもう産業の重要な柱として真剣に取り組んでおる。これは価格面でもそうでありましょう。そういうことはやはりお互いに踏まえていかなければならぬ。  そこで私は、社会保障政策としてこれから政府自身も取り上げようとしておる農民年金問題、これはすでに一昨年の総選挙で佐藤総理自身がいわば公約された問題であります。そして大蔵大臣はことし農民年金の問題については、厚生省と農林省にそれぞれ一千万円の調査費を予算としてつけられた。そしてまた今日までの見解を見ますと、四十五年の実施を目途にこれに真剣に取り組む、こういうふうにも言っておられるわけであります。  まず担当の農林大臣にお伺いしたいのでありますが、いま申しました前提のもとで、来年度実施を目途に最善の努力をこれから払われるという体制にあるのかどうか、この点、簡潔にお考えを願いたいと思います。
  223. 長谷川四郎

    ○長谷川国務大臣 農業者年金制度につきましては、ただいま厚生省において現在の国民年金の改善を検討をしており、これの関連を考慮しつつ、昭和四十五年度実施を目途に、せっかく調査、検討を進めておるわけでございまして、本年度四十四年度に予算案が提出できればぜひこれを本年度に提出したいし、できなければ来年四十五年度には必ず提出する。四十五年度実施は必ずやることにいたしております。
  224. 角屋堅次郎

    ○角屋委員 私は現実の問題として独立の農民年金の想定、あるいは現在きわめて不十分な形ですべり出しておる国民年金との関係をどうするかというふうなものは、技術的にはあるのだろうと思います。たとえば北欧三国のように非常に社会保障の進んだ国では、特に農民年金という姿は御承知のようにとっておりません。しかし、イギリスにいたしましてもフランス、ドイツ等にいたしましても、オランダ、ベルギーもそうでありますが、いわゆる離農的性格のものもあれば、あるいは老後保障の性格のものもあれば、あるいは経営移譲型のものも、それぞれその国の条件によって違いまするけれども、独自の農業者年金というものを持っておる。日本の場合も、私どもの判断をしておるところでは、国民年金は六十五歳から始まっている。後継者確保、経営移譲型の性格というものを導入するためには、それ以前の段階をどうするかということが一つの検討である。そして六十五歳以降の問題について、重ねるのか重ねないのか、あるいは全体を通じて、独自にしていくのかというのは、今後さらに検討されるであろうというふうな判断を私どもとしては持っておるわけでありますが、それは政府自身の考え方としてです。  農林大臣は、農民の立場に立って来年度必ず実施をする、こういうふうにお話がございましたが、総理としても、公約でもあり、来年度の実施を目ざして必ず来年度は実現をする、こういうお考えであろうと思いますが、いかがでございますか。
  225. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 この機会に重ねて申し上げますが、先ほどの農林大臣のお答えは政府の態度であります。したがいまして、来年度の実施を目ざして最善を尽くして私どもが計画を進める。四十五年を目ざしてです。
  226. 角屋堅次郎

    ○角屋委員 マラソン競争みたいですね。
  227. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 いや、そんなことはありません。
  228. 角屋堅次郎

    ○角屋委員 大蔵大臣、おそらく大蔵大臣でまだ財政担当ということになりましょうが、これは非常に熱心に、米価大会に行っても、だれよりもだれよりも農民を愛する、こう言っておられますが、財政の立場から制約はないでしょうね。必ず来年は財政的にも予算を出す、こういうことであろうかと思いますが、いかがでございますか。
  229. 福田赳夫

    福田国務大臣 ただいま総理から申し上げましたとおり、四十五年度には実施をいたしたい、かように考えております。
  230. 角屋堅次郎

    ○角屋委員 私は農林大臣にちょっとお伺いしておきたいのでありますが、これは、ちょっとというのには基本的な問題なんですけれども、つまり総合農政を進めるにあたって、ヨーロッパでもよくいわれる構造政策と価格政策、これの関連、あるいはどちらに力点を置くのかというふうな点を日本の農業の場合にどう考えるのか。いわば、日本の農業の場合には構造改善事業というものをやってきた。四十五年から第二次構造改善事業をやろうという、これは構造改善事業であって、構造政策とは必ずしもいえない。これが実態であろうと思う。  それはともかくとして、価格政策あるいは構造政策、こういうものの相互関連と調和というものをどう考えるのか。私はEECに参りました際に、EECの構造改善局長がこういうことを言っておりました。「世上ややもいたしますと、価格政策は金がかかる、構造政策は安上がりにいく、これは基本的に間違いである。価格政策は即効的な効果を持つ。構造政策は長期にわたって投資をしながら長い目で見て効果を持つ。しかし真剣に構造政策をやろうとすれば、価格政策以上の金がかかることを覚悟しなければならないが、これがやはり本来の構造政策である。」こういうふうに構造改善の局長が述べておったのでありますが、私は今日、日本の構造政策というものが、自立農家の育成の問題にしろ、協業の助長の問題にしろ、なるべく安上がりいこう、しかも構造改善事業そのものは決して構造政策ではない、こういう基本的な問題を含んでおると思う。同時に、価格政策の問題についてもこれからお尋ねをしていくわけでありますけれども、米についてはこれから抑制をしようという。畜産、果樹等についても、あるいはその他の農畜産物についても、従来ある畜産物価格安定法、繭糸価格安定法、あるいは農産物価格安定法等のざる法について、さらに価格政策を強化しながらそういうものへの誘導に応じる体制というものを真剣に考えておるのかどうか。こういう問題が相呼応しなければ、政府は構造政策、総合農政を通じて米から他の成長作物への転換をいっているけれども、これは農民自身が応じない。現実に日本の農業の中では、米は少なくとも安心のできる作物で、畜産果樹は笛や太鼓でいわれて実際に着手したけれども、卵価は数年前の暴落を経験した。乳価は必ずしも思うように生産費を補償しない。こういうふうな形の中で苦悩して今日きておるのである。真に政府・自民党が総合政策を通じて米から他の成長作物へ——われわれ自身も米、畜産、果樹、園芸、こういうものを四つの柱として総合的な農業政策というものを進めるという前提について考えておるわけでありますから、それが現実に農民自身の自主的な判断によっていくような、そういう政策、裏づけというものをやらずして、強権的にやることはもちろん不可能であります。  一体、構造政策、価格政策というもので、私どもの判断では、価格政策はこれを軽視をして、構造政策の名のもとにおいて離農を増大し、農業労働力の農業人口をさらに減少した姿で農業経営を考えていこう、こういう底意があるのではないかと思いますが、農政を進められる農林大臣として、基本的に総合農政のバックボーンをどう考えているか、これをお伺いしたい。
  231. 長谷川四郎

    ○長谷川国務大臣 価格政策も構造政策というものも、あわせて調和をとった方向でなければ行ない得るものではない、このように考えております。したがいまして、構造政策を行なうのには、やはり価格政策というものは並行して考えて、この政策の実施に当たっていきたい、このように考えております。
  232. 角屋堅次郎

    ○角屋委員 こちらが説明をして農林大臣がこれをトレースするというのでは、これはちょっと困るのです。私は時間の関係もありますので、食管問題に入りたいと思います。  まず農林大臣、米審の構成を始めなければならぬという問題にいまきております。それから米価審議会の開催をいつやるかという問題がございます。総理は、去年の予算委員会の質疑を通じて、たしか北山委員の御質問に対してだったと思いますが、あるいは参議院における秋山委員の質問に対してだったかと思いますが、来年度は米価については植えつけ期前、できれば植えつけの作業過程を通じて早目に来年度は米価を示したい、こういうふうにも記録を通じて私どもは読み取っておるわけでありますが、それはともかくといたしまして、農林大臣は、新しい米審の構成というものについては、いつまでにやられるつもりか。また、新しい米審の構成については、私は、昨年の三月四日の本予算委員会におきまして——いわゆる倉石元農林大臣が一方的に任命した、われわれから言えば御用米審といっておりますが、中立米審、この生産者、消費者、さらに国会議員まで除外した御用米審の構成をやり、これが国会の一年間の過程を通じてずいぶん政治問題にもなった。当時長谷川さんは国対委員長でありまして、これらの問題については、当時幹事長であった福田大蔵大臣、これは両方ともそれぞれ責任者であったわけでありますが、来年度は考えたい。善処する、こういうことでこられた経緯もございまして、米審構成問題についてわれわれが要請をした点も踏まえていつごろまでにやられるのか、また米審の開催についてはいつごろをめどに考えておられるのか、この点お伺いしたいと思います。
  233. 長谷川四郎

    ○長谷川国務大臣 米審の構成につきましては、昨年の経緯もございますので、それらを十分念頭に置きまして、今後の運営に当たっていきたいと考えておりますが、これに関連をいたしまして、これらに対しましては、慎重に検討をしているところであります。なるべく御期待に沿うように、早目にこれらを指名してまいりたいと考えております。したがって、米審の構成が終わって、その米価の決定もなるべく早目に発表をしていきたいと、こういうふうに考えております。それはなぜなれば、やはり生産を——たとえばお米で申し上げると、田植えをする前にことしの米価というものは大体この程度だということをはっきり御認識の上に立って植えつけをするほうが親切なやり方ではないだろうかというようにも反面考えておるのでございまして、御期待に沿うようになるべく早目にこれらの諸問題を処置してまいりたい、このように考えております。
  234. 角屋堅次郎

    ○角屋委員 農林大臣、そういう抽象的な答弁だけでは、私も次に進むわけにはいかない。  ことしの米審構成としては、生産者、消費者代表というのは必ず含む、そういうことで新米審の任命をやりたい、また、私が去年問題にいたしました兼職問題について、閣議では四以上は兼職をやらせない、こういうふうなことを閣議決定をしておったのに対して、兼職問題に触れました。それ等も本委員会でもだいぶ時間をとって恐縮でありましたけれども、そういう点も含めて、米審構成については、少なくとも冒頭に言いました生産者代表、消費者代表を含めて新米審は構成をする、こういう考え方については明らかにしてもらいたい。
  235. 長谷川四郎

    ○長谷川国務大臣 昨年の体験を生かしまして、十分その意を尊重しながらその構成をやっていきたい、こう申し上げたわけでございます。
  236. 角屋堅次郎

    ○角屋委員 これは昨年の経緯は、国対委員長責任にありまして——私も四党の国対委員長会談に、米審の関係もありまして出席をいたしましたが、本国政府からおもちゃ一つくれないと言って非常に嘆いておった時期もございました。しかし、今度は農林大臣自身が任命をするんですからね。今度は任命の構成が間違っておったら許しませんよ。だから国対委員長として、この前は党の使い走りと言っては何ですが、国対委員長——重要な職にありましたが、だいぶ嘆いておられた。今度はみずからできる権限を持っておる。したがって生産者、消費者の代表については、従来のわれわれの意向も十分判断をして善処してもらいたい。このことを注文をつけておきます。  ことしの食管問題では、一つは生産者米価、消費者米価据え置きの方針、これはやはり一つの重大な変更を加えた問題であります。それからもう一つの点は、自由流通米を導入するという問題であります。この二つの問題につきまして私は触れてまいりたいと思います。  まず冒頭に、農林大臣、米審を開きます際には、従来私も米審を二年経験いたしましたが、政府の生産者米価についての試算というものを出された。ことしも当然出されるのだろうと思いますが、それは出されるわけですか。
  237. 長谷川四郎

    ○長谷川国務大臣 大体例年のようにやって、そして審議を行なっていただきたいと考えております。
  238. 角屋堅次郎

    ○角屋委員 この米価審議会に生産者米価の試算を出すということにいたしますと、農政を預かっておる農林省、あるいは特にこれを担当する食糧庁としては、総理が据え置きの方針だ、農林大臣も泣き泣きでそういう方針に従わなければいかぬ。方針としてはそういう気持ちじゃないか、泣き泣きで。しかし、数字は、これは現実に出てくる。一体、その場合に、据え置きの方針であるといっても、生産費及び所得補償方式に基づいて労働賃金というものはどうなる、あるいは農業用生産資材はどうなる、地代はどうするんだ、資本利子はどうするんだ、あるいは生産性向上のリミットをどうするんだというふうないろいろな問題について、昨年どおりの大半の要素と若干の修正をやるという気持ちがあるのかもしれませんけれども、それにしても非良心的なことはできない。だとすると、ここで出発点で、試算で矛盾が起こるのじゃないか。矛盾が起こらぬようにやるとすれば、方針から逆算をして、説明のつかない試算を出す以外にない。試算はやはり良心的にぴちっと出されるつもりですか。
  239. 長谷川四郎

    ○長谷川国務大臣 政府の大体の方針だけは申し上げましたけれども、いずれにしても、米価の正式な決定は、今後食糧管理法に基づきまして米価審議会にはかった上にこれを行なうことになっておりますので、政府のただ方針だけを申し上げたわけでございます。
  240. 角屋堅次郎

    ○角屋委員 長谷川さんにあまり専門的なことでお尋ねするのは、少々お気の毒と言ってはなんですが、恐縮ですけれども、昨年のたとえば〇・一シグマ問題というのは、私も宮澤さんのような理論家とも議論をいたしました。ところが昨年、たとえば需給を勘案するということで〇・一シグマというのを引く。つまり計算上は、〇・九シグマというものをとった。これをもってしても政府試算では、四十二年度米価の一万九千五百二十一円に対して、四十三年度の〇・一シグマを除いたものは二万百五円、これは生産性向上のリミットから、あるいは小作料から、いろいろなものについて若干マイナスの要因を加えて、なおかつ五百八十四円の増だったのですね。だから逆算をするということになったら、〇・一シグマ問題も出たが、さらに〇・二シグマか、そんなことをやったのでは、これは理論的にも問題にならぬ、現実的にも合わないという問題にぶつかる。私は、やはり試算は従来の生産費及び所得補償方式に基づいて良心的に出されるべきものだと思う。農林大臣はことしの米価にあたって、従来から農林省が堅持してきた米価算定は、生産費及び所得補償方式に基づいて良心的にやっていく、こういう方針には変わりはないと思うのですが、どうですか。
  241. 長谷川四郎

    ○長谷川国務大臣 そのお話も承りました。一シグマがどうのこうのという話も承りましたけれども、どうもなかなか頭が悪くて覚えていられませんので、食糧庁長官が来ておりますから、その点についての御報告を申し上げますが、よろしゅうございますか。
  242. 角屋堅次郎

    ○角屋委員 いいです。  つまり、限界反収を平均反収に近づけるという問題は、言うまでもなく、生産農家がどれだけカバーをされるのか、あるいはカバーをされる生産農家の生産量全体として見て、全生産量からのカバー率がどれだけかということが、理論的に調査の結果と関連をして出てくるわけであります。つまり、米を生産する農家の中でどれだけのものをカバーしようというのか、あるいは生産量全体の中でどれだけのカバー率をやろうとするのかということになるわけでありまして、これは去年の〇・一シグマについてもカバー率がございますし、へたに逆算をして、〇・二シグマさらにやるとか、〇・二五シグマやるというようなことになると、これはもうカバー率問題その他いろいろな問題とも関連して、理論的に非常に論議を呼ぶということになろうと思うのです。  そこで、この米価問題で過剰論というのが盛んに言われる、この過剰論について若干簡単に私は触れてお尋ねをしたいと思うのです。  私は米の生産について昭和一年度から昭和四十三年度までの統計全体を持っております。昭和一年度のときには水陸稲計の作付面積が三百十三万二千ヘクタール、そして水稲については二百九十九万六千ヘクタール、そのときに十アール当たりの玄米の収量というのが二百七十二キロでありました。これが、農民の努力によっていわゆる土地生産性が非常に増大をしてまいりまして、二百七十二キロが四百キロをこえ、さらに一昨年、昨年は四百五十キロ台にきておるわけであります。一体今日の米の過剰論、こういう問題について開田を抑制するという、そういうことをやろうとしておる。しかし水田面積の増大はどれだけかと考えてまいりますと、一昨年は二万ヘクタールである。これで反収で計算してみてもせいぜい九万トン程度である。あるいは昨年も二万ヘクタール少しまでふえております。それでこれも約九万トン。それが千三百万トン台の数字から千四百四十五万トン、千四百四十三万トンというような数字にきたのは、作付面積という要因ももちろん若干はあるでしょうけれども、むしろ反収の増加であることは明らかであります。昭和一年の二百七十二キロから昭和四十二年では四百五十三キロというふうにきておる。四百キロをこえておるのは、昭和三十五年、昭和三十七年、昭和三十八年、昭和四十一年、昭和四十二年、これも四百キロそこそこであって、四十二年、四十二年が十アール当たりの反収が非常に増大したのである。これは先ほど冒頭に言いましたような、食糧が非常に不足をする、外国から六十万トン、八十万トン、百万トン入れなければならぬ。いわゆる増産運動を国も指導し、そして地方自治体もそれに呼応し、農業団体、農民もそれに呼応してやった。限られた耕作面積の中で反収を上げなければ米の需要にこたえることができないという当時の政治情勢だった。それで非常に増大をしてきた。  今日食管に攻撃を加え、生産者米価の抑制を通じて攻撃をかけていく。そういう場合に、十年先についても水田の作付面積については三十六万ヘクタールも減少させようと考えておる。それでもってなおかつ米の需要に応じていくという、そのときの十アール当たりの反収は四百五十キロを予定しておる。私は、米の過剰論を盛んに喧伝をしておるが、今日の米の過剰の歴史的な経過というものももちろんあるけれども、数字そのもので見てみても、面積、収量、こういうものにやはり慎重な検討を加えなければ、過剰を声にして水田面積をどんどん減らしていくということで、一体国民食糧の今後の長期展望に立った確保ができるのかどうか。農林省の指導というのはいままでも行き当たりばったりで、従来から見通しをしばしば誤ったという歴史的な教訓もある。私は米の過剰ということをいたずらに言うのはやめてもらいたい。過剰は過剰として、現実的に冷静にとらまえる必要がある。しかし今後の問題として過剰の生産的条件はどうであったのか。これからのいろいろな施策を講じていく場合に、それが科学的にどういうふうに変化をすると見たらいいのか。こういうことまで語らずして、出てきた千四百四十五万トン、千四百四十三万トン、したがってこれを減らすのには、面積にすれば三十六万ヘクタール今後減らしていけば、反収もそれでことしの統計が平年作になってというような、そういうことで簡単に考えておると、やはり非常なミスをおかす危険性がある。こういうふうに思うのですが、農林大臣、やはり米の今日の生産が二年にわたって非常に上昇した。やはり天候に恵まれたという点もありましょう。これをどう見ておるか、簡単にお答え願いたい。
  243. 長谷川四郎

    ○長谷川国務大臣 ただ本年の現象だけを見て申し上げているのでもないようでございます。私もいろいろその点について注意深く質問をいたしたのでございますけれども、ただその現象だけによってどうするのだという話を、私もそれと同じような御質問をいたしました。結局農業の生産手段というものが、このごろは非常に変わってきておる。したがってそういう点においての生産というものは、反収におきましても、これより少なくなるようなことはないであろうという点から考えていくと、もうどうしても新たなる開田というものはある程度抑制をしなければならないのではないだろうか。しかし、これが永久にもうあくまでも維持するという意味ではなくて、反面これに沿った総合農政の上に立ったつまり構造改善事業というものをあわせて行なっていかなければならない。それはつまり都市周辺等につぶれる田園もある。こういうような面もあわせ考えた上において総合的なものを考えていくべきである。こういうような点からいろいろ施策を講じた結果、本年度どうしてもある程度の開田の抑制を一応やってみて、その上に立った新たなる構想を打ち立てていくべきではないだろうか、こういうようにも考えて申し上げたわけであります。
  244. 角屋堅次郎

    ○角屋委員 私は生産者米価計算の前提条件として、この際労働大臣から、労働賃金の上昇というものについて、最近の数字で民間産業の賃金、これをお示し願いたい。  それから、通産大臣のほうは、農業用資材の価格問題という点で簡潔に数字的な点をお答え願いたい。
  245. 原健三郎

    ○原国務大臣 角屋さんにお答え申し上げます。  これは製造業について、毎月勤労統計調査によったものでございます。それはおおむね次のとおり賃金がなっております。まず戦後のインフレ期には異常な伸びも見られましたが、昭和三十年代に入りますと、三十年から三十五年にかけましては、年率としては六・一%増と次第に落ちついてまいりました。その後労働力需給の逼迫などを背景としまして賃金の上昇は強まってまいりまして、昭和三十五年から四十年にかけましては年率にして一〇・一%増になっております。また昨年、昭和四十三年におきましては、前年に比して一五・七%の増となっております。
  246. 大平正芳

    大平国務大臣 突然のお尋ねでございますので、いま手元に数字がございませんで、取り寄せて御返事申し上げます。
  247. 角屋堅次郎

    ○角屋委員 大平さん、きのうもたしかそうだったと思いますけれども、大物のわりには、わりあいに準備不十分というか、あとで取り寄せてが多いのですけれども、それぞれ私は農政、公害をやるということで、もう十分私の力の評価も踏まえてあえてやらなければいかぬ。準備は十分にしていただきたいと思います。  長谷川さんが人のいい人だけに、あまり理論的なことを攻めにくい。これは私、農村向きの人というのは、先ほども農林大臣に言ったのですけれども、長谷川さんと大平さんと保利官房長官、この三人は農村向きにできておると思うのです。その中でもやはり長谷川さんは顔から見れば農林大臣にふさわしいと思うのです。しかし、具体的に農林大臣にふさわしい、さすがに農林大臣だというのはこれからですよ。そこで、私は生産者米価、消費者米価の抑制というのは、これは物価対策上から方針としてやりたい。政府としてはそういうことだろうと思うのです。しかし、そうは言っても、食糧管理法の第三条の二項あるいは食糧管理法の第四条の二項、こういうものによって生産者米価、消費者米価というものを米価審議会の議を経てきめていかなければいかぬという立法のルールになっておる。したがって、先ほど私は簡単に試算だけについて言いましたけれども、単なる逆算でもって据え置きに合わせるなんということは、これは学問的にも政策的にも批判にたえ得ない。したがって、私は、米審の構成をどうやるか、米価審議会に政府がどういう考え方として試算を出すのかということを十分注目しなければなりません。  総理大臣にお伺いしますけれども、生産者米価についても消費者米価についてもそうでありますが、両米価の据え置きというのは方針である、しかしこれからの、先ほど申したルールに基づいて審議をされ、そしてそこで答申が出てくる、農林大臣が判断をしなければならぬ時期が来るということを踏まえてやらないと、あくまでもこれは物価対策上あるいは財政上というふうなことで高飛車にきめることは、私は断じて許されないと思うのですが、こういう方針のこれからの取り扱いについて、総理としてはどういう御見解で臨まれようとしておるのか。
  248. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 全くそのとおりでございます。食管法に基づいてやはりきめていかなければならない、米価審議会の議を経てきめる、これは当然であります。
  249. 角屋堅次郎

    ○角屋委員 それは当然方針として据え置きを考えておりましても、これからの米価審議会の議論等を通じて、今後の状況によって弾力的にやはり考えていくという余地は残っておる、こういうふうに考えていいわけですか。
  250. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 両米価据え置きの方針のもとにただいまのような法の規定に従って処置していく、こういうことであります。
  251. 角屋堅次郎

    ○角屋委員 生産者米価の問題について、近く東北六県の農協米対協から総理を相手どって、生産者米価の据え置きについて、これは生産者米価、消費者両米価を含めて、両米価の据え置きを総理が去る二十七日の一般施政方針演説の中で言ったことは、食管法の第三条の二項、食管法の第四条の二項というものに法律的に違反をするという立場から行政訴訟に訴えるという強い反発の姿勢を示しておるということを私どもは承知しております。しかも、後ほど若干触れますが、自主流通の問題についても、これは明らかに食糧管理法の根幹をゆるがす、基本的にはこれをのむことはできない、こういう強い姿勢を農業団体、農民の団体も持っておるわけであります。  ただ、農業団体というのはそこが弱いので、いろいろ説得をされてくると、そういう原則を踏まえながらも自主流通米に対しての準備をしているというのが今日の情勢だと私は見ている。いずれもこの問題の取り扱いいかんというのは、第一線の生産農民に与える影響は大きい、そういう動きも踏まえて総理としてもやってもらわなければならぬと思うのですが、いかがです。
  252. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 総理大臣から法律違反をしたら、これはたいへんだと思います。その辺は誤解のないようにお願いをしておきます。しかし政府の方針は方針でございます。
  253. 角屋堅次郎

    ○角屋委員 それは方針ですね。したがって、生産者米価については値上げ、これも従来どおり計算をすれば当然出てくる。それを無視することはできない。  私は総理にさらにお伺いしたいのですが、今日いわゆる倉庫に過剰米ということをいっておりまするけれども、それの問題と関連をして韓国の訪日使節団の張基栄団長とたしか一月の二十日に総理自身お会いになりまして、韓国に対して米三十万トンを貸与しよう、こういうふうな御相談をされたと聞いておりますが、これはそういうことで決定をしたというふうに受け取っていいわけですか。   〔委員長退席、塚原委員長代理着席〕
  254. 愛知揆一

    愛知国務大臣 大体そういう方向で話はまとまりつつございます。
  255. 角屋堅次郎

    ○角屋委員 伝えられるところによっては、この貸与条件というのは、三十万トンを十年間据え置いて二十年間に返還をする、こういうことで韓国に貸し付けるということで一致をしたと伝えられますが、いまの話のまとまりつつあるのは大体そういう内容でございましょうか。
  256. 愛知揆一

    愛知国務大臣 私もこまかいその後の事務的の折衝や相談の経過は詳しく聞いておりませんけれども、大体の線はそういう方向で進んでおると承知しております。
  257. 角屋堅次郎

    ○角屋委員 大蔵大臣にこの点お伺いしたいのですが、食糧はこれは国有財産として非常に貴重なものである。韓国なら韓国に米三十万トンを貸与するという場合に、御承知の財政法の第九条、つまり「国の財産は、法律に基く場合を除く外、これを交換しその他支払手段として使用し、又は適正な対価なくしてこれを譲渡し若しくは貸し付けてはならない。」この第一項がございます。こういう問題の関連と、いま進められようとする米三十万トンの韓国の貸与問題というものについてはどういう取り扱いの見解でございますか。
  258. 福田赳夫

    福田国務大臣 この点は法制局長官がよく研究しておりますから、法制局長官よりお答え申し上げます。
  259. 高辻正巳

    ○高辻政府委員 お答えを申し上げます。  ただいまの点につきましては、政府部内で非常に慎重な検討をいたしました。仰せのように、食管法に食糧の貸し付けまたは交付という規定がありますのと、また御指摘のように財政法には貸し付けは適正な対価によらなければならぬという規定がございます。問題は、実はその財政法九条の規定と、食管法のただいま申し上げた七条一項との関係の問題でございますが、食管法七条一項は特に条文をあげるまでもございませんが、貸し付けまたは交付をすることができるということがございますので、食管法上はその道があることは明瞭でございまして、その場合の交付という点につきましてはこれは無償交付が含まれないとは絶対に解されない。無償交付があり得る。それと相伴って貸し付けがあるわけでございますので、貸し付けについても無償貸し付けというこの法律上の解釈というものが十分に成り立ち得る。したがって、これは政策上の問題にはなりますけれども法律解釈としてはそれでよろしいということになったわけであります。ただし、財政法の九条にあります一般的な規定、つまり国有財産の運用は効率的に行なわなければならぬという規定は、これは一般にかぶっておりますけれども、九条一項については、ただいま申し上げた貸し付けまたは交付ということが、九条のいわゆる法律の定める場合を除いてはというその法律に該当するであろうというのが結論でございます。
  260. 角屋堅次郎

    ○角屋委員 大体もう高辻法制局長官は、裁判でいえば社会党から忌避されておると思う。どうもいまの解釈の問題でも、食管法第七条の第一項の問題に関連をして、さらに省令関係のこの部分を見てまいりますと、省令関係では、もう詳細述べませんけれども、主要食糧試験研究の用に供する場合というようなことで交付の問題についても触れております。私は後ほど自主流通米の点に触れなければなりませんから、これらの問題で最後までがんばっておるというわけにいきませんけれども、いやしくも貴重な国有財産であります。私の基本的な考え方は、いま、日本の生産者の血と汗の結晶で米が生産をされ、それが需給関係で少し余っておる。量について、少しというにしては量はもう少し余ったということを言うかもしれません。それは別にして余った。これはケネディラウンドでの食糧援助問題もある。あるいは学校給食に、こういう米にゆとりのあるときは、なるほど従来のようにパンを食い牛乳をやるというそういう食生活の改善の方向のことも従来やってきた趣旨もありましょうけれども、こういう時代のときには、生産地においては、学校給食に米も導入して、できるだけ消費をはかる。夜間学生に対する食事を出しておる、ああいう問題もございましょう。そういう点で古米がことしの十月には古々米になるという状態が出てまいりますと、大切な国有財産を、なるべく価値を減少しないような対策をもちろんやらなければなりませんが、消費拡大についても、時節柄こういう時期であればあるほど、新しいことについても考えていかなければならぬ。あるいは従来やっておることについても、それを強化するということも考えなければいかぬ。ただ余る余るという宣言があるときなので、ここは政策転換のためにもいろいろ考えられる点についてはできるだけやらぬでおこうというサボタージュがあっては断じていけない。臨時のときには臨時の手を打たなければいかぬと思います。そういうふうなことをくふうしながらやらなければならぬ時期でございますから、私は国に好ききらいがあってはならぬと思うのでございまして、韓国から、資金があって米がほしい、アメリカに要請をしておるわけでございますけれども日本からもほしいということであれば、その量が適正であるかとか、あるいはどういう条件かということには議論はありましても、韓国に米を出していくということ自身に何も反対する理由は私はございません。ただ、やるからには法律があるわけですから、法律が、国民のだれから見ても、ことに生産者米価について抑制しようという方針のときに、財政法第九条から見て、あるいはそういうことに抵触する部分は食管法の第七条第一項というふうなことで、何とか説明をつけてくぐり抜けようというようなことは断じてあってはいかぬ。もしやるなら、正々堂々と、疑義があれば法律の改正その他を通じてきちっとやるというのが本来の政治のあり方だ。私はこのことを注文として申し上げておきたいと思います。今後の取り扱いの問題については、そういうことでぜひ話し合いの経過と関連をして善処してもらいたいと思いますが、総理どうですか。   〔発言する者あり〕
  261. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 別にでたらめではございません。これは十分検討した上で政府が処置しておるのであります。しかし、ただいまいろいろの御注意もございます。適正な、また法に従って、それぞれが行なわれなければならぬことはもちろんでありますけれども、そういう意味政府は十分検討した上でいまの方針を貫いてまいる、これを申し上げておきます。
  262. 角屋堅次郎

    ○角屋委員 いまそういうふうに総理が答弁されますと、これはたいへん問題だと思います。それは食管法の第七条第一項でいけるというのは私は承服できませんね。私は法科を出た法律の専門家ではありませんから、三百代言式にいろいろ逃げられるあなたと論争してやるというのではないのですよ。しかし、いまの食管法の第七条第一項でやろうというのは、私ども農政については専門のあれでございますが、これは承服できませんね。
  263. 高辻正巳

    ○高辻政府委員 突然の御質疑でありましたので、先ほど申し上げたのは、あるいは御理解がむずかしかったのかとも思いますが……   〔発言する者あり〕
  264. 塚原俊郎

    ○塚原委員長代理 御静粛に願います。
  265. 高辻正巳

    ○高辻政府委員 むろん、とにかく法律論でございますから、ひとつ十分にお聞きを願って、また、もし怪しいところがあれば御指摘を願いたいと思います。  食糧管理法の第七条によって「主要食糧ノ貸付又ハ交付ヲ為スコトヲ得」という、こういう規定以外に、こういう規定に基づかずして、食糧管理制度上の食糧を貸し付けるということはできないわけでございます。したがって、食糧管理法の第七条には、「主要食糧ノ貸付又ハ交付ヲ為スコトヲ得」という規定がありますので、この規定にまず従う。そこで問題は、御指摘の財政法九条との関連の問題、適正な対価を通常の場合は要るということでございますが、第九条を念のために読んでみます。「国の財産は、法律に基く場合を除く外、これを交換しその他支払手段として使用し、又は適正な対価なくしてこれを譲渡し若しくは貸し付けてはならない。」この「法律に基づく場合」というのは、第七条がそれに当たるというふうに検討の結果相なったわけでございます。したがって、条文を抜きにして申し上げているわけでは決してございません。そのことだけ私が申し上げるのが足りなかったと思いますので、補足して申し上げます。
  266. 角屋堅次郎

    ○角屋委員 これは私は政治的に韓国だからというので問題としているのじゃないのです。法律の取り扱いとして私としてはこれは了解できませんね。いまいろいろわがほうの委員から話が出ていますけれども、これはおかしいじゃないですか。   〔発言する者あり〕
  267. 塚原俊郎

    ○塚原委員長代理 静粛に願います。
  268. 角屋堅次郎

    ○角屋委員 しかも食管法と財政法の関係で、食管法は昭和十七年にできた。財政法は戦後の問題であった。立法的にはそういう点からもいろいろ議論される人もありますけれども、私は詳細の点は別にして、食管法の第七条第一項の点は、こちらからもいろいろ話が出ておるように、やはりできた趣旨と経過というものがございます。韓国に対してこの法律で——これはやはりもっと韓国に出す場合には、立法的にどういうふうに、われわれもなるほどそういう筋道をとるのかということでやってもらわないと、私は承服できませんし、こちらからも声がありますように、ぜひさらに政府としても検討願いたいというふうに注文しておきます。したがって、私はこの点については保留をいたします。  次に、自主流通米に入りたいと思います。  農林大臣にお伺いします。自主流通米が食管法に抵触しなくてできるという理由は、説明としてどうなるのか。また、自主流通米は、これは食糧が余ったということの過渡的な措置として出てきたのか。あるいは、食糧にゆとりのあるというこの時期を通じて自由米を導入をし、あるいは流通米を導入をし、これを拡大をし、そして実質的に間接統制の道を開こうという、いわば突破口として自主流通米を考えておるのか。いわゆる自主流通米というのは、法的な解釈ではどういうふうに説明をされるのか。さらに、これからの自主流通米の政策的な問題としては、これは過渡的な問題として考えておられるのか。恒久的な問題として考えておられるのか。これらの二点について御説明を願いたい。
  269. 長谷川四郎

    ○長谷川国務大臣 なかなか議論のあったところでございまして、私どもも十分この点についてはいろいろ省内の議論を承り、また、いろいろこれに対しての質疑応答をやった結果でございますが、米穀の一部の自主流通の考え方は、米の全く自由な流通を認めようとするものではないので、米穀の需給事情に即応した食糧管理制度の根幹もまた必ず維持しなければならぬ、こういう上に立って直接管理の長所だけを生かして、米穀の品質問題とかいろいろな問題もその中に織り込みまして、自由の長所をあわせて実現しようと考えたわけでございます。たとえば、消費者から、今日ではもっとおいしい米があるじゃないかというような要求がたくさん出てきております。こういう点について、いままでのように、ただつくればいいんだというようなことではなくて、何らかこのほうにすみやかに転換をしていく方法はないだろうかというような点も、この中に加わっておったと思うのでございます。いずれにしても、この点については食糧庁長官が来ておりますから、この点についての御答弁をさせたいと思います。
  270. 角屋堅次郎

    ○角屋委員 高辻法制局長官は、私、説明としてはあまり好意を持たないのですけれども、しかし、法制局長官として、食管の根幹に関連をして、しばしばいままで議論がされてきましたね。その中であなたの答弁は——私は尋ねることに関連する部分を述べます。「国民食糧の確保と国民経済の安定をはかるという目的を達成するための食糧の管理にどうしても必要な米穀の数量、これは、法律が売り渡し義務を課しておる数量であり、そういうふうな米穀数量をこえる数量というものがだんだんできてくるということになれば、その数量の買い入れ制限については、これは全然できないという法律上の根拠はございません。」一体こういう答弁、あるいは檜垣食糧庁長官等の答弁も、ずっと西村前農林大臣から綿密に検討しました。大体必要な量について買う、必要をこえる部分まで買う義務は付されてない。従来の法律昭和十七年にできた、あの当時の井野農林大臣の本会議における提案理由の説明、あるいは委員会における議論、あるいは三十年の予約米のときの食糧庁長官の質疑に対する答弁とか、いろいろな歴史的な経過についてはもう十分議論済みでありますけれども、そういう上に立って、これは全量買い上げという形できているのだ。しかも、それは附則、食管の政令の第五条とか第六条とかいうところでいっているのじゃなしに、法そのものがそういう精神でできておるのだという議論をしてまいりました。そういう議論はその議論として基本的に残ります。  ここで聞きたいのは、あなたの答弁の中から出てきておる、必要の量については第一条の目的からしてこれは確保するんだ、必要をこえる部分についてはこれは買い入れを別に義務づけられておるわけではない。一体、今日生まれてきておる自主流通米というのは、これのいずれに含まれるというふうに見ておられるのか。必要の中に含まれておる、あるいは必要をこえる部分には含まれておる、そのいずれに解釈をしておられるのか。   〔「答弁は全部インチキだ」と呼び、その他発言する者多し〕
  271. 高辻正巳

    ○高辻政府委員 どうも不徳のいたすところで、あまり信用を置いていただけないのはまことに残念でございますが、私は誠心誠意申し上げておるつもりでございますので、一応お聞き取り願いたいと思います。  ただいまの御引用になりました答弁、私は何かどこかの委員会で申したと思います。(角屋委員「四十三年八月八日衆議院農林水産委員会です」と呼ぶ)確かにそうだと思います。それは私は全く法理論上の見地から申して、いまもなお説明せよというお話がありますれば、私は申し上げたいと思いますが、ただいま現在問題になっております自由米というものがそのどちらに入るのかというのは、これはどうも私には実際わかりかねるわけでございます。実際の政策上どう処理していこうかという問題を存じないものとして、それがいずれに入るかということを断定するわけにはまいりませんので、その点の御説明はごかんべんを願いたいと思います。
  272. 角屋堅次郎

    ○角屋委員 あなたは、専門的に自主流通なんかでこれについてはどちらに当たるのかと言われると、はたとまいっちゃう。そして、こちらが先ほどのあれになると、とうとうと述べる。しかし、この自主流通ということが、食管法の第一条あるいは第三条の第一項、こういうふうな問題から見て法律違反であるかどうかという、そういう問題の解釈として必要な量あるいは必要をこえる分というふうにあなたが具体的に用語をもって説明しながら、自主流通についてはどちらのほうに入ると見ておるのかという点については答えれないということでは、具体的な自主流通という問題についての法律解釈ができないということであれば、これは法律違反になるかどうかという議論ができないのではないですか。  農林大臣、これは食糧庁長官も答えているのですけれども、必要の分について確保する、必要をこえる部分については政府がこれを買う義務まで要請されていないというふうに答えたのですが、檜垣長官は長々と答えるから、簡潔にその点について答えてください。
  273. 塚原俊郎

    ○塚原委員長代理 簡潔に願います。
  274. 檜垣徳太郎

    ○檜垣政府委員 お答えを申し上げます。  食糧管理法第三条の規定は、前回も御説明を申し上げましたように、米の政府による強制買い上げの規定でございまして、これが政府がおよそ米穀の総量を買い入れる義務があるという規定ではないということは、私は今日もそのとおり思っております。そこで、政府がそれではどういうような義務を負うかということになれば、第一条の目的を達成するために政府が直接管理をする必要のある量は、これはやはり政府に買い入れの義務があるというふうに私は考えておるのであります。   〔塚原委員長代理退席、委員長着席〕  そこで、今度考えております自主流通米というのは、第三条の強制買い上げの対象ではないということだけは明瞭でございます。ただし、食糧管理法が米の需給、価格の調整について政府権限を与えておりますので、その権限を発動いたしまして一定の規制を加えるという点に関しましては、食糧管理法の対象食糧であるということは申し上げられると思います。
  275. 角屋堅次郎

    ○角屋委員 ぼくの言うた質問に対しては、どんずばり答えていない。あなたの答弁を見ると、第一条の目的に合致した必要な量は政府が買って管理をする、必要をこえる分を買うという義務までは与えられていない。今日新しくすべり出そうという自主流通米は、その説明からいった場合には、必要な量に入るのか、必要をこえる部分に入るのかという点になると、高辻法制局長官もこれを逃げる。そして食糧庁長官も、そのことばを使いながらなおかつ逃げる。一体これはどういうことなんです。(高辻政府委員委員長」と呼ぶ)いや、もうあなたはいいです。このいずれに当たるのかという点については、あなたは説明されない。これは説明できないのでございますということなんですか。
  276. 檜垣徳太郎

    ○檜垣政府委員 お答えをいたします。  今回、構想を持っております自主流通米というものは、第三条でいう政府が直接管理をする必要のある量の内側ではないということでございます。
  277. 角屋堅次郎

    ○角屋委員 その意味からいくと、食管法第一条の目的で必要な量という、その必要の量をこえる——まさにいまの答弁を裏返しに言うと必要をこえる部分である、こういうふうに答弁から引き出せるわけですか。
  278. 檜垣徳太郎

    ○檜垣政府委員 自主流通米が国民食糧として必要なものであるかどうかということになれば、これは必要があって流通するものでございますから、国民食糧としては必要なものであります。しかしながら、政府が全体としての国民食糧の確保なり、あるいは国民経済の安定をはかるために食糧を管理して、需給及び価格の調整をはかる、そのために政府権限として与えられております強制買い上げの対象とするものではない、そういうことでございます。
  279. 角屋堅次郎

    ○角屋委員 したがって、いまの答弁からいくと、法制局長官も食糧庁長官西村前農林大臣も答えてきた、食糧管理法の第一条でいう、政府が必要とする量、必要という部分には入る。しかし政府が買い上げて直接管理をするという、そこには自主流通という形で別になるというふうにもとれるわけですが、どうもいままでは、少なくとも現行法令は完全直接統制、これできておることは間違いない。その完全直接統制に対して今度自主流通米が入るということは、必要量、必要をこえる量の議論ももちろん今後に残りますけれども、これは少なくとも政府の手を離れるということは間違いない。いわゆる完全直接全量買い上げ統制の形というのが変わる、これは間違いない。変わる場合に、政府政治的な理由等もあるのだと思いますが、できれば食管法の改正を避けたい、政省令でお茶を濁したい、基本的にこれも問題がある。同時に、この自主流通米の問題に関連をして、今度は物価統制令をはずそうという考え方も出てきておる。農林大臣は、物統令の廃止問題については結論が出ておるのか、あるいはまだ検討の過程にあるのか、この点はっきりしてもらいたい。
  280. 檜垣徳太郎

    ○檜垣政府委員 お答えを申し上げます。  自主流通米の構想は、簡単に申し上げますと、価格との関係では、消費者の選好に応じて供給せられ、かつ、そういう需給関係から価格形成を品質に応じて形成させようという趣旨でございますので、物価統制令の趣旨に沿わないものであるということでございますから、物価統制令の適用を廃止いたしたいということで目下検討中でございます。
  281. 荒舩清十郎

    ○荒舩委員長 角屋君に申し上げますが、ちょうど時間となりました。どうぞ結論をお出しください。   〔「浪花節のせりふじゃ」と呼ぶ者あり〕
  282. 荒舩清十郎

    ○荒舩委員長 浪花節じゃありません。ちょうど時間となりました。
  283. 角屋堅次郎

    ○角屋委員 私、途中で絶句したために時間をとったわけでありますが、いよいよ本論という段階で時間が来たわけであります。私は委員会の正常な運営の関係もありますからこれに協力をいたします。問題の保留した分は保留した分、十分検討のできない面は今後の一般質問、分科会、あるいは総括質問を通じてさらに十分検討してもらうということで、時間の来たることについては了承をいたします。  そこで私は、最後に御注文を申し上げておきたい。数年来、閣内でも宮澤経済企画庁長官の発言とか、あるいは水田大蔵大臣の発言とか、いろいろございました。あるいは大蔵大臣の諮問機関だと思いますが、財政制度審議会あるいは物価安定推進会議、いろいろなところを通じて、今日までの戦前戦後の日本の農業の持ってきた非常な試練と苦難、その中で戦後経済復興に果たしてきた歴史的な偉大な役割り、そして今日ようやく農業と他産業との所得格差についても近づく、あるいは地域開発等を通じて、農村にも日の当たらないところに光を当てようという、そういうところに期待をしているときに、農政の重大な柱である米問題については、価格は押える、あるいは食糧管理制度については、根幹を揺がす危険を将来に包蔵する自主流通米が出てくる。しかも開放経済体制で貿易自由化は大勢だということの名のもとにおいて、畜産、果樹、園芸等、今後の重大な戦略物質についても自由化の荒波が早晩押し寄せようという予測も立ってくる。こういうきびしい情勢下において、政府自身が考えなければならぬことは、なくなった池田総理は、農村は民族の苗しろであると言った。私はこのことばは好きでない。いわゆる苗しろというのは、そこで苗をつくって実りはよそに取られることなんです。これはまさにそういう意味からいうと現実をあらわしておると思う。池田さんはそういう意味で言われたんじゃないんですね。しかし、いずれにしてもこれからの日本経済、日本政治、あるいは将来の国際経済社会に処する日本のこれからの使命という点から見て、日本の農山村を忘れては私は政治はないと思う。また、これまでの労苦に報いるためにも、政府は、財界のいろいろなきびしい意見や批判があるが、これを排して、ほんとう日本の農村、農民に明るい希望を与えてもらいたい。また、当面の問題についても、そういう姿勢から血の通った対策を講じてもらいたい。このことを私は強く要請をいたしまして質問を終わります。
  284. 荒舩清十郎

    ○荒舩委員長 角屋君に申し上げます。  先ほど通商産業大臣に対しましてあなたの御質疑、これを保留されておりますので、この際発言を許します。
  285. 大平正芳

    大平国務大臣 先ほどはたいへん御審議に御不便をかけまして恐縮でございます。  農業関係の私ども所管の代表的な物資の最近の物価指数でございますが、昭和四十年を一〇〇といたしまして、農業機械は四十一年が一〇一・二、四十二年が一〇三・二、四十三年が一〇四になっております。化学肥料でございますが、四十一年が九八・五、四十二年が九一・九、四十三年が八九・三と相なっております。その他、衣料はここ三年間二・八ないし四・八%ずつの値上がりになっておりますが、光熱、燃料等には大きな変化はございません。
  286. 荒舩清十郎

    ○荒舩委員長 よろしゅうございますか。
  287. 角屋堅次郎

    ○角屋委員 資料の点は、今後の同僚委員の審議の中で生かしてもらいたいと思います。ありがとうございました。
  288. 荒舩清十郎

    ○荒舩委員長 これにて角屋堅次郎君の質疑は終了いたしました。  明日は午前十時より委員会を開会し、麻生良方君、川崎寛治君、田中武夫君の総括質疑を行なうことといたします。  本日はこれにて散会いたします。    午後五時三十七分散会