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山中(吾)
委員 一番最初に言われた年齢のことですが、私は
教育制度の年齢は、全体を引き下げることは賛成なんですよ。しかし、
大学という学術の研究をする場合ならば、十八歳から
入学するなら十八歳を成人年齢に民法、刑法を改正すべきだと思うのです。そういう思想なんです。未成年で保護する、人格を認めない、能力を認めないままに、
大学において、子供であるからというので、そうしていまのような一方的なものをきめても混乱をするのです。優秀な生徒であり、
一つの人生を決定したもので、あらゆる制度を総合的に検討して、
大学は十八歳で入れるというなら、十八歳を成人年齢にする。思想的、
政治的思想表現も完全に認めて、選挙権も被選挙権も与える。それは同時に、政党は
大学の中に
政治組織をつくることは自粛すべきである。
学生は外に対して
政治的表現を完全に認めるが、外から権力で
大学を支配することも、中に組織をつくって権力で学問の自由を拘束することもいけないんだ。
大学の自治は、外からの権力を防ぐことと、中の権力をやはり学問のために防ぐことが必要である。そのかわり
学生には選挙権も被選挙権も与えて——
政治に意思表示をするのは選挙行使しかないですから、選挙権も与え、民法、刑法も能力を与えて、そうしてあらゆる政党は
大学の自由を守る
立場にいくべきではないか、こういうことなんです。だから、二十歳というものに成人年齢を固定しておるのを、十八歳に下げればいいのです。四歳から
教育してもいいでしょう。
ついでに申し上げますけれ
ども、外から政党がいろいろのことで
大学を支配してはならぬので、こういう確認書についても、あまりおせっかいをすべきではないのだ。それに応ずる制度を考えてやるべきだということが
一つ。また、学内に政党の支部をつくるということもいけないのだ。これは政党の
大学に対する自制の義務であると私は思うのです。そういうことを
総理大臣が各党の党首を集めて虚心たんかいに論議をするような態勢でなければ、
大学制度の改革はできないじゃないか。だから、代々木派、反代々木派という問題が、いつの間にか純粋な
学生の問題から政党的なものになってしまっている。私はそういう
意味において申し上げておるのですから、そういうことを
総理大臣が提唱していくことのためには、自民党の
立場も、あまりに確認書におせっかいをする
立場を自制して、そうして論議をすべきできないか、こういうことを申し上げておるのであります。
年齢の問題はそういうことでありまして、同時に幼児
教育の問題は、私は、いまの
大学の諸君は、目的は間違っておっても、純粋に考えておる。しかし、手段を選択する能力、意思能力が非常に欠かけておるのだ。幼児
教育の中で性格
教育というものを行なっていないので、私はむしろ幼児
教育というものと
大学の問題とは関係があると思うのです。
そういうことも含んで全体の
教育制度を論議をするのには、よほど大きい機構を持って、先ほど申し上げたような、
総理大臣が先頭を切って審議会をもってやるようなものでなければできないのじゃないかということを、私は申し上げておるのです。
次に、私は第三の柱を立ててお聞きしたいと思うのですが、文明の利器が発達をしてくれば、人間の機能が後退をしてくる。自動車が発達すれば、歩く必要がないので身体的機能がだんだん弱化をしていく。そういうときに、いわゆる健康
教育、体育というものがますます重要なものになってくると思うのです。いまは見るスポーツばかりできて、やるスポーツがほとんど行なわれていない。子供の遊び場から運動場の施設その他について非常に無関心で、運動場に対する補助施設その他も非常に消極的である。こういうことを考えて、もっと文明の
社会における体育の振興ということは重点的に力を入れるべきだと思うのですが、その点はいかがでしょう。