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1969-02-03 第61回国会 衆議院 予算委員会 第2号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十四年二月三日(月曜日)     午前十時八分開議  出席委員    委員長 荒舩清十郎君    理事 櫻内 義雄君 理事 田中 龍夫君    理事 塚原 俊郎君 理事 中野 四郎君    理事 八木 徹雄君 理事 大原  亨君    理事 中澤 茂一君 理事 小平  忠君    理事 広沢 直樹君       足立 篤郎君    相川 勝六君       赤澤 正道君    植木庚子郎君       臼井 莊一君    上林山榮吉君       仮谷 忠男君    川崎 秀二君       倉成  正君   小宮山重四郎君       重政 誠之君    田中伊三次君       竹内 黎一君    西村 直己君       野田 卯一君    野原 正勝君       福家 俊一君    福田  一君       船田  中君    松浦周太郎君       松野 頼三君    江田 三郎君       角屋堅次郎君    川崎 寛治君       北山 愛郎君    久保 三郎君       阪上安太郎君    田中 武夫君       高田 富之君    楯 兼次郎君       楢崎弥之助君    畑   和君       山内  広君    山中 吾郎君       麻生 良方君    小沢 貞孝君       伊藤惣助丸君    石田幸四郎君       田中 昭二君    矢野 絢也君       林  百郎君  出席国務大臣         内閣総理大臣  佐藤 榮作君         法 務 大 臣 西郷吉之助君         外 務 大 臣 愛知 揆一君         大 蔵 大 臣 福田 赳夫君         文 部 大 臣 坂田 道太君         厚 生 大 臣 斎藤  昇君         農 林 大 臣 長谷川四郎君         通商産業大臣  大平 正芳君         運 輸 大 臣 原田  憲君         郵 政 大 臣 河本 敏夫君         労 働 大 臣 原 健三郎君         建 設 大 臣 坪川 信三君         自 治 大 臣         北海道開発庁長         官       野田 武夫君         国 務 大 臣         (内閣官房長官)保利  茂君         国 務 大 臣         (総理府総務長         官)      床次 徳二君         国 務 大 臣         (国家公安委員         会委員長)         (行政管理庁長         官)      荒木萬壽夫君         国 務 大 臣         (防衛庁長官) 有田 喜一君         国 務 大 臣         (経済企画庁長         官)      菅野和太郎君         国 務 大 臣         (科学技術庁長         官)      木内 四郎君  出席政府委員         内閣法制局長官 高辻 正巳君         内閣法制次長  吉國 一郎君         警察庁長官官房         長       浅沼清太郎君         警察庁警備局長 川島 広守君         防衛庁長官官房         長       島田  豊君         経済企画庁国民         生活局長    八塚 陽介君         経済企画庁総合         計画局長    鹿野 義夫君         外務省アジア局         長       須之部量三君         外務省アメリカ         局長      東郷 文彦君         外務省条約局長 佐藤 正二君         外務省国際連合         局長      重光  晶君         大蔵省主計局長 鳩山威一郎君         大蔵省主税局長 吉國 二郎君         大蔵省理財局長 青山  俊君         大蔵省銀行局長 澄田  智君         厚生省援護局長 実本 博次君         労働大臣官房長 岡部 實夫君         労働省労働基準         局長      和田 勝美君         自治省財政局長 細郷 道一君  委員外出席者         専  門  員 大沢  実君     ————————————— 二月三日  委員内田常雄君、小坂善太郎君、橋本龍太郎君、  久保三郎君、塚本三郎君、石田幸四郎君及び矢  野絢也君辞任につき、その補欠として西村直己  君、臼井莊一君小宮山重四郎君、江田三郎君、  小沢貞孝君、田中昭二君及び伊藤惣助丸君が議  長の指名委員に選任された。 同日  委員小宮山重四郎君、江田三郎君、伊藤惣助丸  君及び田中昭二君辞任につき、その補欠として  橋本龍太郎君、久保三郎君、矢野絢也君及び石  田幸四郎君が議長指名委員に選任された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  昭和四十四年度一般会計予算  昭和四十四年度特別会計予算  昭和四十四年度政府関係機関予算      ————◇—————
  2. 荒舩清十郎

    ○荒舩委員長 これより会議を開きます。昭和四十四年度一般会計予算昭和四十四年度年度特別会計予算昭和四十四年度政府関係機関予算、以上三案を一括して議題とし、総括質疑を行ないます。江田三郎君。
  3. 江田三郎

    江田委員 私は日本社会党を代表して、佐藤内閣施政全般にわたって総理に御質問申します。  質問に先立って、一言言っておきたいことは、総理が一月二十一日自民党青年部婦人部全国大会における演説の中で、東大問題に触れながら、私はいま無責任時代にきていると思うと述べられたと報道されております。  また同じ新聞の報道によりますと、翌日、自民党財界人懇談会におけるあいさつの中でも、総理は、大学問題に象徴されるような今日の無責任時代にどう対処するかが政治の根本問題になっていると話されたと出ておりますが、これは間違い、こざいませんか。念のために、あったかないかだけお聞きいたします。
  4. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 そういうことを話したようです。
  5. 江田三郎

    江田委員 無責任時代というような、まるで人ごとのようなことばを繰り返されたのでありますが、もし日本がそういう状態になっておるとしましたならば、その最大の責任歴代自民党政府、そして佐藤総理自身にあるのであって、他人を責める前に、まず自分が深く反省をされるところがなければならぬと思います。  佐藤総理自民党の一部の人々は、一部の学生暴力をいたけだかに非難する、あるいはそれを治安警察強化の口実に利用さえされております。われわれは暴力を排撃いたします。暴力は問題を荒舩するものではなく、特に東大における一部学生の行動は絶対に容認できません。しかし、お互い政治家として考えてみなければならないことは、大学改革が多年にわたる問題でありながら、このような激しい形で問題を突きつけられるまでは、大学当局もあるいは政治家もその問題の深刻さに気づかず、いわんやその荒舩策に取り組んでこなかったという事実であります。ひとり大学問題だけでなく、現代の日本の社会において根本的な改革が必要とされている幾多の課題についても、政治が真剣に取り組んでいないのではないか。その結果が暴力を引き起こし、政治不信を拡大しておるのではないのか。もしそうだとしますというと、まさに議会制民主主義の敗北にほかならないのであります。暴力を非難し、これに他の物理的な力をもって対抗することに没頭するよりも、われわれはまず議会形骸化を反省し、その克服に全力を尽くさなければなりません。  私は、これからの質問において、国民の多数が疑問に思っていること、ぜひとも政府考えをただしてみなければならぬと思っていることを、庶民の常識と願望に立ってお尋ねするつもりでおります。したがって、総理も官僚の用意した想定問答集や耳打ちの助けによらないで、あるいは修辞句ばかり多くて、一見懇切なような、中身のないようなことをおっしゃらないで、率直に自分信念でものを言ってもらいたいと思います。責任ある政治家としての答えをお願いしておきます。  そこで、まず第一にお伺いしますことは、総理施政演説において、世界の平和は両陣営がそれぞれ集団安全保障体制のもとに共存し、その間の力の関係によって保たれたと述べられましたが、その見方は一方的だと思います。非常に単純な一面的な考え方だと思います。第一に、総理は、二大陣営のいわゆる力の関係なるものが、実は核を持った両大国間の恐怖均衡にほかならない、そのような均衡の上に立つ平和なるものは、人類が共滅の、あるいは全滅の破局に絶えず脅かされているところのやいばの上の平和であるということを認識しておられるかどうか。さらに、軍備はそれ自体の法則によりまして、恐怖均衡には均衡をこわそうとする力、つまり相手より少しでも優越の立場を手に入れようとする衝動が動く結果、軍備拡充競争際限のない悪循環を生じ、恐怖の水準というものをますますつり上げていくという、そういう事実をお認めになっておるかどうか、その点をまずお尋ねします。
  6. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 私は、いわゆる国際の平和が力の関係で保たれている、かようには申しました。いわゆる力の均衡によって保たれている、かように私は申したつもりはございません。力の関係自由主義陣営が——いわゆるわれわれの守る自由主義陣営、そのほうが力においてすぐれておる、これが平和勢力なんだ、そこで戦争が起こらないのだ、こういうことを申したつもりです。  ただいま言われるような恐怖均衡、これもございます。もちろんそういうものも戦争をやらない。しかし、そのもとはただいま申したように、力の関係、その関係の優劣、それが戦争を起こしておらないのだ、こういうことであります。したがいまして、一部は私の言ったことを理解しておられるが、根本的において違っておる、この点を申し上げておきます。
  7. 江田三郎

    江田委員 力の均衡ではなしに力の関係だ、自由陣営のほうが力が強いのだ。いずれにしろ、これは力と力との問題のとらえ方をしておるわけでありますが、そういうような問題のとらえ方でいくというと、結局は際限のない軍備拡大競争におちいっていき、世界人類は絶えずその破局におびえていなければならぬということになるのでありまして、私は、そういう力という関係でものを将来も処理していかなければならぬという考え方を容認することができないのであります。  たとえばダイナマイト発明者でありました、あのノーベル賞創始者でもありますアルフレッド・ノーベルが、ダイナマイトを初めてつくって、これで究極的な兵器ができたのだ、これでもう戦争はなくなったと彼は信じたわけです。だが、ダイナマイト戦争をなくすることはできなかったし、戦争の勃発を防止することもできなかったのであります。つまり、どんな兵器もあるいはどんな力も、力それ自体が平和を保障するということは決してあり得ないことだと思います。冷戦の対決の中で、これまでかろうじて世界破局を防いできたものは、恐怖兵器それ自体でもなければ、核保有大国の率いる軍事ブロックの存在でもなくて、恐怖均衡にひそむ危険と不安定を認識して、そこから抜け出すことを求めてやまなかった世界国民の理性と良識にほかならなかったのではないのか。  たとえば例をあげましょう。朝鮮戦争のときにマッカーサーは、満州国境原爆を落として放射能による無人地帯をつくることを考えました。あるいはディエンビエンフーのフランス軍を救うために、ダレス国務長官ラドフォード統合幕僚会議議長は、小型原爆使用を真剣に検討いたしました。これはいずれも信頼すべき歴史の文献にしるされております。どちらも実施に至らなかったのは、アメリカが相手方の報復をおそれたんではなくて、原爆使用世界の民衆の間に起こすところの反応同盟国や友好国の政府国民が示すであろう反応をおそれたからであり、問題は兵器次元軍備次元ではなくて、政治次元にあるということを示している例だと思います。われわれは、戦争を防げたのは、まさにそういう人類良識というものが、あるいは平和を愛好する熱情というものが、これを防いできたんだと思うわけですが、その点どうでしょう。
  8. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 私も先ほどお答えいたしましたように、いわゆる恐怖均衡とでもいいますか、核兵器人類破滅におとしいれるものだ、それだけこわい、強い力を持っているんだ、こういうことも米ソお互いに理解した、そういう点もあります。そういう点もありますが、同時に、先ほど申したような力の関係、その二つなんです。  そこで、いま江田君が主張なさる恐怖均衡、こういう面、それがそのままどんどん行って、軍拡の方向に行くのかというと、両国ともこの強大なる、強力な兵器、その力というものを十分認識しておるから、これがジュネーブにおける軍縮会議になっておる。これが同時に、核をふやさないような努力をしようじゃないかという、そういう方向への努力にもなっておる、かように私は理解しております。  したがいまして、いわゆる平和勢力とか、あるいは破滅均衡、そういうものをおそれない状況のもとにおける力の均衡とは申しません。しかし、その後、どんどん進んできておりますから、たとえば、ケネディ大統領時分に核の力は七対一であったといわれたものが、最近はそうではなくなっているとか、そういうところにもだんだん私の言う力の関係は変わりつつある。しかし同時に、そのことが核兵器の持つ、人類破滅におとしいれるおそるべきものだという、そういう意味の理解もあるから、これは米ソ両国とも、こういう兵器にたよらない、逆に今度は軍縮会議を開く、全面会議、これこそ人類の良知、良心じゃないだろうか、かように私どもは思っております。  したがって、ただいまの関係を律するにしても、一面だけではいかぬ、そういう意味で私は江田君から、力の関係だけで言う、それはけしからぬとおっしゃるならそのとおりです。しかし同時に、そのことは、いま言われる恐怖均衡、それだけでもない。やはりいろんなものがからみ合って、ただいまの平和が維持されておる。われわれはやはりそういう方向でこの平和を進めていくのがわれわれの責務だ、かように私は思っております。
  9. 江田三郎

    江田委員 いろいろ総理は言われましたが、根本的には力の関係というものが平和の保障という認識に立っておられるようでありますが、そういうことになりますというと、日本の場合、この力の均衡といいますか、力の関係といいますか、アメリカ側のはかりにかかる日本比重をこれまでより重くするということをお考えになるわけですか。  私は、最近の新しい国際関係を簡単に特徴づけるとしますと、軍事面における米ソ核大国間の相互抑止状態は、いまのところ基本的な変化はないままに、それにもかかわらず、二大軍事ブロックそれぞれの内部に、恐怖均衡のもたらす危険な軍事的緊張や不毛な政治的対立、人為的な経済的障害から抜け出して、自国の運命は、所属する軍事ブロックやその元締めの大国の利害や都合からではなく、もっと自国の利益や信念に即して、自分たち自身の手で決定したいとする動きが強くなっているということが大きな特徴だと思います。総理は、そういう認識はなさらないのか。  また、日本国際的比重は、一方の軍事ブロック強化に奉仕する方向にかけるべきではなくて、むしろ緊張の解消に向かうべきだというお考えにはならないのか、その点をお尋ねします。
  10. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 いまお尋ねになりましたことは、幾つかの問題を持っておるようですが、一つずつお答えをしてみたいと思います。  私どもは、いまアメリカ自由主義陣営という立場においてアメリカ協力をしております。これはただ日米安全保障条約だけではありません。その他の面におきまして協力関係はあります。それが、いわゆる、いわれるごとき二大ブロック対立、その片一方の強化というものにあたっているのか、こういうお尋ねかと思いますが、私は、われわれと同じような自由主義陣営に立っておる、その立場においてアメリカ協力しておることは、そのまま認めてしかるべきじゃないだろうかと思います。しかし、軍事的に私どもアメリカ協力するとか、こういうようなことは、わが国は憲法がございますから、また自衛隊法もございますから、限度はございますし、その点ではそう御心配になることはないと思います。  また、この二大ブロック関係、これから見まして、だんだん国際多極化方向へ行っているのじゃないか、こういうのがただいまのお尋ねの第二じゃないかと思っておりますが、もちろんそれぞれの陣営において、大国の思うがままにそれぞれは動いておらない。たとえばチェコスロバキアも、ソビエト陣営だと申しましても、これはソビエトの言いなりになかなかならない。これは一つ多極化だ。また、自由主義陣営でも、フランス自身は、これはやはり自分たちは拘束は受けない、自由な活動をする、かようにも申しておりますから、これも見方によってはいわゆる多極化と思います。あるいは中ソの関係におきましても、中共ソ連との密接な関係がいままでいわれましたが、これまた最近はお互いに批判し合っておる。そこにも多極化というものがあるかもわかりません。しかし、結果的に見て、現状自身それでは中ソ同盟条約が破棄されたかどうか。これは、お互いに憎しみ合ったような言い方だけれどもソ連も、中共も、攻守同盟はどちらからもこわしてはおりません。また、フランス自身も、みずからは自由な国際活動をとるといいながらも、NATOにおけるその責任と義務は果たしつつあります。私は、多極化というものを以上のような点から見ると、そう強く取り上げるべき筋のものじゃないのではないか。ことに、ただいまの国際平和の中心、まあ武力というものの中心が核にある、核兵器にあるというように考えますと、ただいまのところはどうもやはり二大ブロック対立、こういうように見えるのが筋じゃないだろうかと思います。  しかし、平和を一面に人類が希望しておること、そういうような意味からも、ただ核兵器だけの制限でなくて、他の一般兵器についてもひとつ軍縮をやろうじゃないかというのが、ジュネーブ会議じゃないだろうかと思います。私どもただいまそれに入っておりませんけれども、これはやはりわれわれも入って、そして平和への協力努力をするのが私ども責務だとも思います。  私は、日本がこういうような際にどういうようなことをやるか、もう軍事的にどうこうするような考え方はもちろんございませんが、いま申し上げるような意味における日本の果たす役割り、それはいままでもありましたが、これからもあるのじゃないだろうか、かように私は考えております。
  11. 江田三郎

    江田委員 総理は、均衡の、あるいは力関係アメリカのはかりにだけ乗るんでなしに、その他多面的にいろいろなことを考えておられる、努力しておられる、こう言われましたが、私は必ずしもそういう方向へ行っておられるとは思いませんが、これは抽象論で議論してもしかたがないことですから、これから具体的な問題について一つ一つお尋ねしましょう。  まず第一は沖繩の問題であります。総理はこれまで沖繩問題について白紙状態を続けてこられましたが、今回の施政方針演説で、沖繩の基地が日本と極東の安全保障に果たしている役割り認識すると言われ、さらにその後の本会議あるいは委員会答弁などを聞いておりますと、いまもう白紙に黒々と筆をおろされたのじゃないかと、われわれは印象を受けるのであります。  下田駐米大使が先般帰国をされまして、またしてもいろいろ問題を起こされましたが、その記者会見の中で、現在の世界がバランス・オブ・パワーによって保たれておる限り、沖繩戦略上重要な地位にあり、この客観的事実を、好むと好まざるとにかかわらず、日本国民が理解しなければ、沖繩問題解決はできないと述べたと新聞に出ておりますが、総理施政演説で述べたことも、結局同じ趣旨ではないかと解されるのでありますが、この点はどうでしょう。
  12. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 私が総理として施政演説で述べたものも、このとおりである、下田君の言っているのも、私の説を十分理解しておるのだと、かように私は思っております。ただ、表現のしかたによりまして、ただいまも、白紙にもうすでに墨黒々と筆をおろしたのじゃないかという表現がございましたが、まだおろしてはおりません。その点は正直に申し上げて、これからどんなにおろそうかという、それを言っておるのでございます。この点は、まだおろしておりませんから、それだけははっきり申し上げておきます。  ただ、下田君がいままでに申した事柄、これは私は、下田自身の個人的なものもあるだろうと思います。と申しますのは、下田君はアメリカに行っておる日本大使であります。したがいまして、アメリカ政府あるいは国民の一部の方等考え方、それを十分把握して帰ってきたのであります。私はそれらの話を聞きまして、もちろん参考になる意見だ、かように私は思っておりますが、これが直ちに、いま言われる白紙の上に黒々と書きおろしたその筋書きだと、かように言われることは、まだちょっと行き過ぎるようですから、それはひとつそう思わないでください。
  13. 江田三郎

    江田委員 下田大使アメリカに行っており、アメリカ政府並びに国民意見日本にも伝えるような役割りをしたと言われますが、しかしその伝え方というものは、国民の多くが、どこの大使かわからぬ伝え方をしたという批評をしておるのであります。それはともかくといたしまして、とにもかくにも、佐藤総理は、沖繩問題考えるのに、戦略上の重要性ということ、これをまず第一に考えておられるということが、いまの御答弁ではっきりいたしました。  そこで、下田大使は、さらに同じ記者会見におきまして、本土並みという日本の希望と、現状維持というアメリカの主張のまん中に歩み寄ることが妥当な解決だとしておられますが、この点も、先ほどのお答えからいきますと、下田大使はあなたと同じ立場で、総理の意を体しての発言をしたのだ、こう解釈してよろしいか。
  14. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 それはちょっと行き過ぎでございます。それは下田君のかってな考え方でございます。
  15. 江田三郎

    江田委員 そういう総理の意に反することを下田大使発言することは、ほっておいていいことかどうかということになってまいりますが、しかし私は、その後沖繩問題について総理が本会議答弁をされ、あるいは委員会答弁をされるその内容を冷静に見ておりますと、この下田大使の言っていることと表現は違うけれども、どうやら中身は非常によく似ているという印象を受けるのであります。どうも私どもは、沖繩問題については、あたかも下田大使方針を決定して国民にPRして、佐藤総理大臣下田訓令の執行に努力しているような印象を受けるのであります。総理が今国会の施政演説においてほのめかし始められましたことは、せんじ詰めれば、ちょうど二年前に、つまり昭和四十二年の二月二日の各新聞に、外務省高官筋の談話として大きく報道された下田次官答弁と、根本において軌を一にしている点を見ますというと、下田発言には佐藤内閣のもとでは相当の権威があると解釈されますが、それでよろしいか。
  16. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 私は下田君を信頼しておりますから、アメリカ駐在大使に任命しておるのです。しかし一々その言動について、下田君にかくかくしろ、私かような指令もまだ出しておりません。しかして、その下田君から私が指揮を受けるような筋ではないことは、これはもう良識で御承知だと思います。こういうことにあまりこだわる筋はないように思います。私は下田君の考え方一つあるだろうと思う。それがアメリカの一部の意見を代表しておることを——代表というのはおかしいですが、代弁というか、あるいはその説をそのまま伝えておるというか、そういうことは、(「そういうことがおかしいんだよ」と呼ぶ者あり)まあ代表、代弁がおかしい、そのとおりです。その意見日本に伝えてきている、アメリカにこういう意見があるということを、やはり日本政府が決定するについて、持ってきている、こういうことはございます。それでありますから、私は先ほど、その話は参考になることだということを申したのであります。  私がいままで非常に心配しておりますことは、これはもう御承知のことだと思いますが、安全保障条約を賛成しておると賛成してないと、そこに根本のものの見方の相違があります。しかも安全保障条約を認めないその立場でも、非武装中立と、ただ単なる中立論、武装中立との間ではよほどまだ違っておる。それほど日本国民の国論というものは分かれておる。これがまず第一、私ども一番心配なことなんです。私が話をいたしておりますのは、安全保障条約を認めておる側においても、本会議で申したように、意見に二つの見方が大別してあるのだ、こういうことを私は申したのでございます。でありますから、まず同じ土俵の上にのぼらないと、これはどうしても食い違った議論になり、あるいはまた、それを多いとか少ないとかいうような話にもなるのじゃないだろうかと思います。  私ども、とにかく自衛隊を認め、そうして自衛力を持ち、それを補完する意味日米安全保障条約を結んでおる。だけれども、自衛隊も憲法違反だ、あるいは安全保障条約はもちろん賛成できない、非武装中立の立場において議論するんだ、これじゃちょっと話はできないように私は思います。私は憲法第九条、これを、いまの自衛隊自身りっぱなものだと思っておりますし、私どもは攻撃的な態度、いわゆる戦争を放棄する、国際紛争を戦争によって解決しないという、そういう立場に立って憲法を考えておる。でありますから、やはりいろいろお話を聞くにいたしましても、あるいは下田発言を云々されるにいたしましても、ただいま申し上げるような点も勘案されて、しかる上で結論を出していただきたい。  私はいままでしばしば、沖繩が祖国に復帰した後の基地の態様、それについてはまだまだ十分考えなければならないので、まだ白紙でございますということを繰り返しております。先ほど来、まだ墨黒々とそれに書きおろしておらないということを申しておるのですよ。とにかく前提がよほど食い違った立場から——しかし、政府考え方を裏からもあるいは表からも、縦からも横からも検討されることは当然だと思いますから、その基本的立場が相違しておるということ、それを私は理解の上で、また皆さんもその立場でいらっしゃるんだ。もしそれが違っておれば、この機会に違っておるんだ、かように言っていただくと、私はたいへんしあわせだと思います。   〔「すりかえじゃないか」と呼ぶ者あり〕
  17. 江田三郎

    江田委員 いますりかえ答弁だという不規則発言がありますが、大体そうです。私の聞いていることにはあまりお答えにならぬで、ほかのことをお述べになりましたが、私が言っているのは、沖繩問題考えるのに、これは戦略上重要な地位にある、役割りを果たしているということをまず考えていかなければならぬのだ、そういう下田発言については、総理も同意の見解の発表がいまあった。そこで、下田発言は、アメリカ側の主張とこちら側の主張とどこか適当なところで妥協する以外に道はないんだということを言っておるのだが、その点についても総理は、本会議並びに委員会における答弁を聞いていると、やはり同じようなことになる。その点はそうでしょう。  そこで、そういうようなことを聞いておりますと、二年前に下田外務次官が述べたことが、いまちょうどそのとおりに行なわれつつあるんじゃないのか。その点からいえば、私は、下田大使というものは、佐藤内閣のもとにおいてはなかなか重要な役割りを果たしているんだということを考えざるを得ないということを言ったわけであります。  そこでお聞きいたしますが、下田大使総理に、メースBミサイルなどの戦略核兵器の地上固定基地は撤去するが、戦術核兵器の配備やポラリス潜水艦の寄港を含めて基地の広範な自由使用アメリカに認める、この線で交渉に臨めば三年ないし五年後には返還を実現できる見込みがある、というようなことを骨子とした下田私案を総理に提示したとか、あるいは同趣旨の示唆がアメリカ政府筋から最近日本政府にあったなどの報道が、新聞紙上しばしば伝えられておりますが、これは事実か。
  18. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 いまの沖繩が持つ戦略上の意義、これは私も、アメリカ自身が評価しておると同じように、日本侵攻の経路だ。かつて小笠原についてもそういうことを申しましたが、そういう意味で重大なる意義のあるところだ、価値のあるところだ、かように思います。  また、外交は何といいましても相手のあることでありますから、当方の立場だけというわけにもいかないものがある、こういうこともやはり考えなければならない、かように私は思います。しかし、われわれが、幾ら相手があるからといって、相手にただ屈従するというわけにはまいりません。一国を代表しての外交、しかもこの沖繩問題と取り組むにつきましては、私どももやはり不動の一つの姿勢、そういうものを持っておるのであります。したがいまして、その立場に立って相手と交渉する。そういう場合に、どういうことがあるか、考えれば、後世から見ても、あのときによくそういう措置をとれた、かような評価がされるだろうか、最も賢明な選択をしなければならない。私がこの問題について慎重であるのも、そういう意味であります。  私は、先ほど来申しておりますように、まだ筆をおろしておりません。したがって、そういう意味で、いろいろの御意見があれば、私は他党であろうが、それを十分間くつもりでございます。  そこで、それじゃいま、下田大使からこれこれのことが新聞その他でいわれているが、そういうことが事実あったかどうかという、事実のお尋ねであります。私は、遺憾ながらさような事実はないということを申し上げて、お答えをいたします。
  19. 江田三郎

    江田委員 遺憾じゃありませんよ。それならけっこうなことなんです。あなたがアメリカから示唆など受けられないで見識を持った責任ある政治家として、自主的に進んでいかれるなら、それでよろしいが、しかしあなたの先般来の発言を聞いておりますと、非常に波がある。しかし、その波を描きながらも、だんだんと一つ方向へ、墨黒々と筆をおろしてはいないけれども、腹の中ではおろしているのじゃないのか。そういう印象を私ども強く受けるわけで、これは私だけじゃないと思う。国民がみな、何を言っているのかわからぬと受け取っておると思うのであります。  そこで、総理は、沖繩基地の戦争抑止機能の確保を返還問題の前提条件として考えておられるわけでありますが、そのワクの中で国民の納得のいく解決をはかりたいと言われまして、このワクを受け入れるのか、それとも早期返還をあきらめるのかという、このことを二者択一として、沖繩県民と本土の国民に押しつけておられることは、私は間違いないと思う。あなたはある日には押しつけたように言い、そのあくる日にはまた少し発言を変えていますが、客観的に見れば、そういう選択をあなたは迫っておられるわけであります。  そこで、総理の言われる戦争抑止機能の中身の問題でありますが、一体ベトナム戦争に果たした沖繩基地の役割りは、総理戦争抑止機能と評価しておられるのかどうか。総理は、昭和四十年八月二日の衆議院本会議で、当時の社会党の佐々木委員長質問に対して、B52の沖繩からの渡洋爆撃には当惑している、私としては、今後このような事態が起こらないことを期待していると答えておられます。北爆機の発進をも含めて、沖繩基地の抑止機能が、日本の安全及び極東の平和に不可欠と認められておるならば、総理は一体どうして当惑されたのです。なぜ当惑されたのですか。そのお気持ちを聞かしていただきたい。
  20. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 私が当惑したのは、沖繩というものはアメリカの施政権下にはございます。しかし、わが国に最も近いところにあるアメリカの施政権下にある土地でございます。そういう場所におきまして直接戦争に介入する、こういうことが実は非常に私が当惑したことなんです。また、そういう意味において沖繩県民がいろいろ心配される、そういうことで私は心配した、これはもう率直に申し上げる。
  21. 江田三郎

    江田委員 沖繩基地の戦争抑止機能というものを認めてこれを肯定していかれる立場からすれば、あそこが防御基地に使われようと攻撃基地に使われようと、当惑ということばは出ないはずでしょう。そういうことには当惑ということばが出てくる。しかし、ある問題、違う質問に対してはまた違う答えが出てくる。国民をあまりも愚弄するものと思います。  ジョンソン駐日前大使が、昭和四十二年三月三日、那覇市のハーバービュー・クラブにおける昼食会で次のような演説をしております。ベトナム戦争の結果は日本の将来に決定的な影響を与えずにはおかない、もしベトナムの侵略が成功すれば、どこで侵略がやむとだれが言えるだろう、中共が破壊活動と間接侵略を頼みにしていることに対して、また最後には核兵器を使って中共の意図を隣国に押しつけるだろうとの脅威に対して、何らの防衛体制もなければ日本はどうして安全でいられるだろう、ということを演説の中で言っておるのであります。  ここに、いわゆる戦争抑止機能なるものの根本観念が映し出されておると私は思います。つまりアジアの平和を乱すのは中共であり、その破壊活動と間接侵略であるから、圧倒的に優勢な軍事力で中共を包囲し、封じ込めておくことが、アジアの平和維持に不可欠の前提だという考え方、また、一カ所でも共産主義の侵略が成功すれば次々に波及するという、いわゆる将棋倒し論がアメリカのいう抑止戦略を貫く思想であります。つまり、抑止戦略政治的基盤あるいは背景は共産主義封じ込めの冷戦哲学であって、中国封じ込めの軍事的側面が、中国を包囲するいわゆる抑止力の体系であります。総理のいわれるところの戦争抑止機能とは、したがってアメリカによる中国封じ込め作戦の軍事的中枢機能を沖繩基地が果たしているということでありまして、沖繩アメリカ戦略体制において太平洋のかなめといわれる意味もそこにあります。そういう政治的背景を無視して、単に抑止力といった軍事技術上の観念のみによって沖繩の問題を考えておるのは、そういう考え方をすることは、軍人ならいざ知らず、政治指導者としてはいささか私は短見だと思います。  抑止力の観念によれば、アメリカの要路者がしばしば述べ、また下田大使記者会見で述べたように、沖繩に強力な基地が内在するということそれ自体戦争を抑止するということになるわけでしょう。しかも、アメリカの当局者がこれまで繰り返し述べたように、沖繩基地の何ものにもかえがたい価値は、その戦略的地位、及びその基地がいかなる障害も制約もなしにアメリカの全く思うままに使用できるというところにあるとされております。そうすると、総理のごとくアメリカのいわゆる抑止機能の観念を受け入れて、沖繩に課せられた抑止機能なるものを受け入れる以上は、結局基地の自由使用を認めることが必然の論理的帰結となるのじゃありませんか。あるいはそういうことが暫定措置といったところで、そういう暫定という意味は、半永久的に続くということにならざるを得ないと考えますが、それはどうでしょう。
  22. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 結論から申しますと、自由使用を認めるという結論をまだ出しておりません。それだけははっきり申し上げておきます。これは先ほど来からいろいろ議論したところでございます。まだ結論が出ていない。  ところで、ただいまいろいろお述べになりました点について、私と見方も違っておろう。いわゆるジョンソン次官が当時大使としての演説を引用されました。そのときはドミノ理論というか、とにかく将棋倒し理論がたいへん盛んなときであります。したがってそれは、一部いわゆる攻撃あるいは侵略勢力に対して、さような意味の注意が喚起されたものだろうと思います。  ところで、軍備というものを一体どう見るのか。これはもう外務大臣の施政演説にもありましたように、戦争に勝つための軍備、そういう意味に昔はみんな思っていた。しかし、そうではなくて、いま使われるのは、江田君も使われたように、戦争抑止力のための軍備なんだ、戦争が起こらないためなんだ、これをやっておればだれも戦争方向へ行かないんだ、そういう意味軍備が変わりつつある。これは先ほど一番最初に引き出された力の関係、そういう点にもございます。でありますから、ただいまの点を、ひとつまず私と江田君との間の意見の統一をはかってもらって——軍備見方をどういうように見るか、これは戦争にならないような方向軍備をする。しかし、もちろん戦争が起きたら勝つためにも働くだろうと思いますけれども、そこで力の関係が優位であれば、さような戦争は起こらない。自由主義陣営、それこそは平和勢力ですから絶対に戦争は起こらない、こういうことにもなるのであります。  そこで、もう一つその次の問題は、沖繩の打つ軍事的意義、これはなかなか強力なものです。私どもにとりましても、すぐそばに強力なる軍事基地があるということ。しかし、これはそれだけが独立してあるわけじゃありません。南洋の米国領土、さらにハワイあるいは本土、またアメリカが他の世界各国各地において持つ軍事力、その一部をなすものがやはり沖繩だ、かように私は実は考えております。そういう意味アメリカ戦争抑止力というものが強いんだ、こういうことであります。  したがって、それならばそれだけ強い沖繩の軍事力、それは温存するのじゃないのか、こういうお尋ねかと思いますが、先ほど来申すように、まだその点については私は結論を出しておらない。また、それはなぜ出しておらないか。これは現実に返ってくる時期がまだきまらないのです。これがきょうにも返ってくるとか、あすにも返ってくるとかいうならば、との基地の態様についても、はっきりしたものを出さなければならない。しかし、私はこれから秋にアメリカに出かけて相談しようという場合に、それは三年になるか五年になるか、そこらのところわかりませんが、とにかく早い時期にこちらへ返してもらう、そういう間に情勢も変わってくるじゃありませんか、科学技術の進歩もあろうじゃありませんか。そういうことを考えると、いまそれらについての議論をすることはいかがか、かように私は思っております。
  23. 江田三郎

    江田委員 いま結論を出すべきではないということでありますが、私が言っているのは、沖繩戦争抑止機能というものを重要視していく以上、アメリカとしてはこの基地というものを、もちろんアメリカの自由に使いたいという考え方をとるのは当然であり、その立場からすれば、結局はあなたが戦争抑止機能としての沖繩役割りを認める以上は、これは半永久的にアメリカの自由にさすという結論になってしまうじゃないかということを言っておるのであります。  ところで、いま一体、世界じゅうで百万人もの住民が異民族支配のもとに置かれて、政治上基本的権利を否認されている例が、沖繩以外に世界じゅうにどこかありますか。
  24. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 私も知りません。
  25. 江田三郎

    江田委員 そういう例はあり得ないことなのでしょう。一体百万の日本人が置かれているこの許すべからざる異常な状態は、まさに軍事的植民地という以外に呼びようがございません。この状態に終止符を打つのか、それともアメリカの、先ほど来私が触れましたところの共産主義封じ込め戦略の便宜のために、住民に対していわれない犠牲をしい続けるつもりなのか、問題はこの二者択一なんであります。政府の、あるいは総理の示される二者択一は、本質を取り違えておると思うのであります。アメリカにとって沖繩基地の比類なき価値の一つは、それが、先ほど申しましたように、何の制約もなしに、もっぱら軍事的目的と都合のみによって使える点にあるわけで、この点は、アメリカの軍事当局の議会における証言などを見ても明らかであります。そのことを裏返せば、住民の人権や政治的権利をできるだけ制限しておいて、また、本土国民の世論や動きから住民をできるだけ隔離しておくということが望ましいことになってくるわけであります。  アメリカ政府が一月十一日に公布した総合労働布令の内容は、沖繩の軍事植民地的内容が露骨にあらわれており、軍事上の利益の前には住民の基本的人権も考慮しないしという沖繩支配のあり方を如実に示しております。基地機能の確保を大前提としてかりに施政権が返還された場合でも、問題は解決しないことを示しているものではないでしょうか。アメリカのかわりに、今度は結局日本政府が、同じような住民の権利侵害的な措置をとるようアメリカから要求されることになりはしませんか。あなたのような前提に立つ限りはそういうことにならないのか。アメリカの施政権下にあれば今度の布令のような形になる。しかし、あの基地をアメリカの思うままに使わそうということになれば、日本政府がかわって、アメリカがいま押しつけようとする役割りを引き受けなければならぬということにはならないのか。そういう観点から、この布令の撤廃をアメリカに要求するお考えはないのか。
  26. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 いまの自由使用すれば一することになったかのようなお話をしておりますが、まだ自由使用ということをきめたわけじゃございません。この基地の態様について、いろいろ私が頭をひねっておるのはそこにあるのです。まだきまっておらないのです。それをきめたような言い方をされるけれども、きまっておらない。  なぜ私はそれをきめておらないのか。それはただいま江田君の言われるような、沖繩県民百万の同胞の心中を思えばこそ、どうしたら一番賢明な方法かということでございます。いま言われる、アメリカがこれを占領し、施政権を持てば自由に使用される、だからその点をアメリカ考えているんじゃないのか。やはりアメリカを相手にしての交渉に——それはそういうこともありましょう。アメリカにもそういうことがあるかもわからない。しかし、私は、アメリカはそういうような考えをしておりますと、ここまで断言できるほどアメリカを確かめておりません。それは私自身が出かけて大統領と話をしてはっきりきめることでありまして、まだそこまできめておりません。そうして、ただいま言われましたような沖繩がなぜ占領されておるのか、そのことをやはり考えてみなければならない。  さかのぼれば、やはりサンフランシスコ条約です。サンフランシスコ条約で沖繩を占領された。私どもも、さきの戦争で無条件に降伏した。そこで、これはわれわれが失った領土です。しかし、潜在主権は認めてくれておる。そこに私どもはわが領土だ、かように主張している。これは潜在主権を認めてくれたからであります。だからこそ、小笠原はすでに返ってきたじゃありませんか。その小笠原の例にならって、今度は沖繩について私どもは交渉しようという。小笠原についても、事的意義、軍事的価値というものは、ずいぶん返還前には議論されました。しかしながら、たいした議論なしにこれが終わったじゃありませんか。ただいまの沖繩についても、ここは何といっても百万の人口、同胞がいるんだ、小笠原と比べものにならない、確かにそういうこともございます。そうして、しかもこの沖繩の持つ軍事的価値、これはおそらく小笠原以上のものがあろうと思います。また、施設等もずいぶんしておるようであります。したがって、そういう意味では私どもは、やはりこれに根本的な交渉をするにあたっては十分その事実も認識し、しかる上に話をしていかなければならない、かように私は思うのであります。  ましてや、私ども日米安全保障条約を結んでおる。日米安全保障条約のねらい、これはわが国の安全を確保し、同時に極東に問題が起こらないようにするというのが、日米安全保障条約の目的であります。だからこの目的を考えながら、また今後も私は日米安全保障条約を続けていく、かように言って国民に安堵を与えておりますが、安心されるその国民の皆さんにも、沖繩が返ってくる、そういう場合に一体どうしたら一番みんなが安心のできることになるのか、社会党のいわれるような戦争に巻き込まれる危険なしにわが国の安全を確保する方法、それには一体どう考えるのか、ここに問題があるのであります。  でありますから、私は、ただいま申しますように、もう自由使用がきまったかのような立場においてお尋ねになりましても、それはやや行き過ぎであります。だから、その点だけはっきり申し上げておきます。(「労働布令はどうしたんだ」と呼ぶ者あり)  労働布令についての……。
  27. 江田三郎

    江田委員 いいです。もう一ぺん質問してから答えてもらいたい。  総理は、秋に渡米されるということを表明されたわけです。そのときに、一体基地の態様についてはきめるのかきめないのか。返還の時期だけであって、その基地の態様に触れないで、時期だけきめるということができるとお考えになっているのか。私は、そういうことから言うと、総理の言うように、基地の態様は何年も先というような状態ではないと思うのであります。  そこで、私は論理的に言って、あの基地の戦争抑止機能というものを重視する以上は、あそこにおってアメリカが、これを何の障害も受けずに自由に使いたいということが当然出てくる。それが今日までのアメリカ沖繩支配の実態であったし、そうしてこれだけ沖繩における諸問題がやかましくなっているのに、またしてもこういう布令を出してくるということは、このことを、いよいよ私の言うことを裏づけることになっているのじゃないのか。  そこで、総理は、先の問題だと、こう言われます。先の問題なら先の問題でもよろしいが、この布令に対して何ら撤廃の要求はできない、抗議ができないというようなことであるならば、結局はいまアメリカが要求していることを、今度は日本政府沖繩の住民に対して押しつけなきゃならぬことになるのじゃないかということを言っておるわけです。姿勢を言っているわけです。  特に、総理も御承知のように、二月四日に予定されました沖繩のゼネストは中止になったようでありますが、しかし事態はなかなか複雑であります。まかり間違えば何が起こるかわかりません。あすです。これには布令の問題も一つある。もう一つはB52の問題がある。屋良主席は、B52は六月には帰るという政府の説明に信頼を持って、沖繩の住民を、あるいは労働運動の指導者たちを説得されたのじゃないかと、新聞の報道を見るとそ                       −ういうことが出ております。一体この布令と同時にB52についてどういう措置をとられるのか、どういう見通しがあるのか。これは沖繩の諸君がこのテレビを現地で聞いていると思うので、あすの事態を平和のうちに解決をつけるためにも非常に重要なことになると思うので、お答え願いたい。
  28. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 沖繩の県民がテレビを通じて聞いておるのは、江田君の質問ばかりじゃありません。私の答弁も聞いておる。したがって、私もそういう意味ではっきり申し上げます。  何だか、沖繩が返ってきても沖繩と本土と違う憲法下に置かれるようなお尋ねがありましたが、さようなことはございません。沖繩、これを本土と別に労働布令その他で取り扱うような考えはございません。アメリカ側が労働布令を出した、だからそれは——憲法はそんな二途になりません。施政権が返るということは日本の憲法がそのまま行なわれることでありますから、その点はこれはもう御存じのとおりでございます。だから別な扱い方をするわけは絶対にありません。  そこで、この労働布令について私どもはその中身を十分検討し、そうしてその軍労働者の福祉に関して、それが進んでいくならばたいへんけっこうだという意味から、この労働布令についての改正意見を申し出ております。十分意見を通じております。  また、B52に対しまして、ただいまそのうちに帰るとかいうことは申しましたけれども、何月というような話はしておりません。これははっきり申し上げておきます。屋良主席は私に対して、どうもこのスト回避のためにこれの説得力が足らない、もっとはっきりしたことが言えないか、それはどうも自分は知らないから言うわけにいかない。しかし、これは十分たびたびアメリカにも申していることだが、B52の恒久基地にはしない、そういうことは再三にわたって確認はしておる。しかし、いついかなるときに帰る、こういうことはまだ聞いてない、そこまでの話はできない。だからそこで正直に言わなければたいへんな問題ですから、私が知っておるだけの知識はそのまま話したわけだ。それと同時に、この問題はもう本会議をはじめ、各党からもいろいろ出ておりますから、その事情は詳細に米国大使館も知っておりましょうが、政府としてもこの国会における論議を通じて、再三にわたってこれらのことについての再考を促しておる、こういうことでございます。これが実情でございます。
  29. 江田三郎

    江田委員 私がこの委員会に入った後、沖繩においてはスト決行ときまったということをいま連絡を受けまして、どういう事態が起こるか予測を許さぬものがあります。一体、B52の問題についてなぜもっとはっきりした態度を示すことができないのか。かつてB52はグアム島から台風を避難するという名目でやってきたんでしょう。それが居すわった。そのときにプエブロ事件が問題じゃないかといわれたが、これは解決がついた。ベトナム戦争の北爆は終わったんです。紆余曲折はあっても、パリ会議は話し合いが成功するだろうという見通しをだれもが持っているわけです。何のためにあのB52がおらなければならぬのか。(発言する者あり)そちらからも言っているように、そのぐらいのことがアメリカに対し強力に要求できないようなことで、一体百万の沖繩県民の福祉を守るような解決が期待できるとだれが考えますか。先の問題だ、先の問題だというけれども、問題はあなたの決意の問題ではありませんか。沖繩問題について、日によっていろいろ答弁を変えてみたり、アメリカに対して何も言えないような、そういう弱腰で何の解決ができるかということなんであります。あす不測の事態が起きたときの責任は、私は佐藤総理にあるといわなければならぬ。その責任を感じますか。
  30. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 もしゼネストが行なわれるといえば、政治スト、これはたいへんなことだと思います。私は屋良君に説明したのも、こういう際にアメリカと祖国復帰を話し合おう、私どもはいわゆる相互の理解と協力によって祖国復帰を実現するのが最も最短の距離だ、かように実は思って、アメリカの理解と協力によってこの問題を片づけようとしております。  ただいま、ゼネストがあした行なわれるというお話でありますが、それはどういうところからおとりになりましたか。私のほうでは、ゼネストは延期だ、また一部はストはやるだろう、かような情報は入っております。いまの話は、現地に直ちにそれが伝わっておると思いますから、県民はどういうようにそれを聞いておりますか。私ども聞いておるのは、ゼネストは延期、一部のストは行なわれるだろう、かような情報でございます。とにかくゼネストだけは何としても回避してほしい、これは私どもの心からの願いであります。また沖繩の同胞も、私どものような相互の理解と協力によって祖国復帰を実現しようとするそのものにとって、非常に不利益をかもすような事態は何とかして避けていただきたい。これは私は県民に対するお願いでもあります。
  31. 江田三郎

    江田委員 いま私が申しましたスト決行というのは、これはNHKのニュースであります。あなたはそういうことが起きないことを望むというだけであって、あなた自身が何をするかということの表明はないではありませんか。   〔「B52の撤去ぐらいさせる約束をとればいいじゃないか」と呼び、その他発言する者あり〕
  32. 荒舩清十郎

    ○荒舩委員長 御静粛に願います。
  33. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 私は、先ほど来たびたび、労働布令並びにB52については、すでに私どもがとってきておる態度は説明をいたしましたから、重ねて申さなかっただけであります。私どもも、この労働布令が改正されることを心から願っておりますし、またそういう意味努力をいたしますし、またただいまのB52についても、早く他に移ることを心から願っておりますので、そういう意味のことは重ねて交渉いたします。
  34. 江田三郎

    江田委員 私たちはこれがどういうことになるのか予想できませんが、あるいは一部の者が基地へ突入するというような事態がないとも言えない。何が起きるかわかりません。私はそういう事態を考えるときに、せめて総理がきょうはっきりと、B52の問題について、布令の問題について、沖繩県民に訴えるアピールでも出される考え方はないのかということなんです。わけのわかったようなわからぬような答弁をされたところで、しかたがないと思う。  さらに私がお尋ねしたいのは、総理は、沖繩に核基地があるから本土における非核三原則が成り立つのだと受け取れる発言をされました。もしそういうことになると、沖繩復帰の暁にはもはやわが国において非核三原則というものはないということになるのか、成り立たないということになるのか、あるいは、ことばをかえて言えば、本土の沖繩化ということになるのか。つまり国民の悲願であった非核三原則も、いまあなたによって捨て去られようとすることになるのか、これも重大な問題であります。先ほどのこととあわせて答弁願いたい。
  35. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 まず第一、私が申し上げるまでもなく、アメリカはただいま沖繩に施政権を持っております。その施政権下において問題を取り扱うだろうと思います。事前において外交的な交渉は万遺漏なきを期して、すでにやっております。  次に、第二の問題についてお答えをいたします。  非核三原則、これは申すまでもなく国民的な悲願であります。同時にまた、沖繩に基地があるから、本土におきましては私どもが比較的容易にこれをきめることができた、かように思っております。しかし、沖繩が返った暁においてこれをどうするのか、かように申した場合に、先ほど申したように、沖繩には日本の憲法がそのまま使われ、施行されるのであります。現行憲法下において間違いのないような処置をとることが、これは当然の責務であります。その点では御心配は要らないと思います。  日本の憲法は、私が申し上げるまでもなく、攻撃的な兵器、これは持つことができないというのがいまのたてまえであります。しかし、おそらく核兵器そのものもこれからはどんなに変わっていくか、あるいは攻撃的なものでない防御的なものもできるかもわかりません。しかし、そんなことはともかくとして、国民の悲願でありますから、そういうことで私は核は使わない、これだけははっきり申し上げておきます。
  36. 江田三郎

    江田委員 あなたの言われることは説得性がないのです。沖繩戦争抑止機能というものを重要視していく以上、そうしてあなたが答弁で言われたように、沖繩アメリカの核基地があるから本土において非核三原則が成り立ったのだというような意味のことを言われる以上、復帰後においては、国民の悲願である非核三原則というものは捨て去られてしまうという当然の論理の帰結になるじゃありませんか。これははっきりしているわけです。  時間がありませんから、私はそれ以上あまり申しませんが、ただあすの事態に備えていま佐藤氏が言われた答弁というものは、おそらく本土の国民が聞いても、沖繩の諸君が聞いても、わけのわからぬということになるのじゃないのか。だから、この予算委員会の席上、答えができなければできなくてよろしいから、政府としてどうするのかということを、予算委員会のあとでもゆっくりと相談して、答弁していただきたい。これはいまのような形だったら何が出てくるか予想できないものがあります。  そこで、一体沖繩の問題をどうするかということは、先般の主席公選によって沖繩県民の意思というものははっきり出ておるわけであります。あるいはB52の基地化に反対することについても、一昨年の二月十日に琉球立法院が満場一致決定していることなんであります。あるいは自民党の中にも、前尾君、三木君、藤山君のような意見のあることも事実でしょう。私は、もう大体沖繩をどうするかということの多数意見ははっきりしていると思う。あなたの考え方下田大使考え方や、それが決して多数意見でも何でもありはしないということははっきりしていると田ふう。あなた方のような行き方をするならば、沖繩県民の願いというものは結局は実現されない。私が願いというのは、ほんとうに日本国民として、同じように、同じ条件のもとに置かれたいという願いは実現されないで、いつまでもアメリカの言うがままになるということになるのであります。  繰り返して申しますけれども、われわれが考えていかなければならぬのは、沖繩県民百万のいわれなき屈辱と苦痛、第二は、沖繩が攻撃基地であるがために、かえって日本の安全に危険なことが起きてくるのではないかという点、第三には、結局沖繩基地というものが極東の緊張緩和にとって障害になるのではないかという点なのでありまして、この問題についてはこれ以上答えを求めたところで、あなたのほうは明確な答えはお出しにならぬと思うから、先へ進んでいきたいと思うのであります。  総理施政方針演説で、東西間の力の関係によって世界の平和が維持されるという冷厳な現実を見失ってはならないと述べたのに続いて、このような国際環境のもと、資源の乏しいわが国の生存と繁栄を確保するためには、わが国周辺の平和と安全が保たれることがきわめて肝要であるということを言っておられるのであります。そのすぐあとで、すぐ続いて安全保障問題に言及しておられるのであります。この前後の続きからいきますと、総理が、日本周辺の平和と安全という問題を軍事上の手だてとして考えているということは、私は論理の立て方からして明らかだと思うのであります。一体、総理は、アジア極東地域の平和と安全を、資源確保の必要上、軍事的手段によって維持しようとしておられるのか。もしそうであれば、日本は永久にアメリカの軍事力に依存して、アメリカの極東政策に依存し続けるか、あるいは憲法を改正して軍事同盟と海外派兵の道を進む以外にはないと思うのでありますが、一体この点、総理考え方はどうなんです。
  37. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 先を急ぐから三点だけ答弁は要らぬということでしたが、これは私は言わなければ気が済まない。  申すまでもなく、さきの戦争に負けて、そして沖繩が占領された、その結果が今日まで続いておるのです。沖繩県民のいわれなき苦痛、かように言われますが、いわれなき苦痛ではなくて、ただいま申すように、さきの戦争に負けた結果こういうことになった。そこに私どもは同胞としての心からの同情を禁じ得ないから、一日も早く祖国復帰を実現したい、これは私の念願であります。そういう意味で私もわざわざ沖繩に出かけて、そうしていろいろ話をしてきたのであります。この点が残念ながら社会党さんとわれわれの考え方は基本的に相違がある、そこらに問題があります。第一はそうです。そうして第二に、これは攻撃基地だと、かように言われますが、攻撃基地ではございません。はっきり申し上げます。防御的な基地でございます。第三、それが極東の緊張緩和に——攻撃的な基地だと、かように考えるから、極東の緊張に一そう油を注いでいるんだと、こういうことになるのであります。私どものような見方から申せば、これは防御的な基地、戦争抑止力、その一つだ、かように考えるから、これこそ緊張緩和をしておるゆえんであります。いままで議論したところの、いわゆる戦争になってから勝つとか負けるとかいうことでなくて、戦争を起こさないように、その軍備であります。  そこで最後に、いよいよ本格的なお尋ねでありますが、私の施政演説が、実は御指摘のように、たいへんこの点をどこへ入れればいいかというので苦労したのであります。いまのような誤解を生じやすいんじゃないのか、何だか資源の乏しいというものをまず出して、その次に安保体制を出すと、いかにもそれとの結びつけで誤解を受けはしないかと実はたいへん苦心をいたしましたが、どうも適当な方法がなくて、あそこへ実は入れたのです。私は、よもや佐藤内閣が憲法違反や自衛隊法違反をさようにしていると、また、そういうことを考えておると、かようにはお考えにならないだろうと思いますが、私も憲法改正の意見もいま持っておりませんし、自衛隊法でもちゃんとその自衛隊の目的とするものが規定されております。したがいまして、との施政演説の出方がどうも悪いから、これは軍事的なものと結びつけたんだと、かように結論を出されないで、とにかく資源に乏しい日本の国、それこそは、やはり隣国諸国が平和であり繁栄である、ことに東南アジア諸国もそういうことであってほしい、そこにやはり日本の平和と繁栄への道があるんだと、かようにそのままをひとつとっていただきたい、これは重ねて申し上げます。誤解を受けましたことは私どもの作文が悪かったと、かように思っております。
  38. 江田三郎

    江田委員 沖繩が攻撃基地でないと言われたって、だれもそんなことは肯定しませんよ。なぜ一体ベトナムへ爆撃機を飛ばす基地、これが攻撃基地でないのか、あなたのおっしゃることは非常に独断がありますよ。  そこで私は、問題を進めていきたいと思いますが、先ほど申しましたように、乏しい日本の資源、そのあとへすぐ安全保障の問題、ああいう文章の出し方を読むと、どうしたところで私が言うような受け取り方をする以外になくなってくるわけであります。これは文章の書き方が悪いというのでありますからそれでよろしいが、「安全保障問題をもっぱら軍事問題とのみ考え、軍事問題といえば兵器体系の問題だけと考える抜きがたい傾向が依然としてわれわれの間に見られる」というのは、これはだれのことばか御存じですか。これは一九六六年五月十八日に、当時アメリカの国防長官であったマクナマラが、カナダのモントリオールで行なった演説の中にあることばなんであります。一体ベトナムの苦い経験にぶつかったマクナマラ自身が反省したことばだったかもしれないし、あるいはマクナマラの合理主義に対して抵抗するアメリカの将軍たちに対する嘆きであったかもしれないが、いずれにいたしましても、世界で最大、史上最高の軍事機構、戦争機械の最高責任者が戦争のさなかにこういう述懐をしなければならなかったという深刻な意味と背景を、国を守る気概を力説し、アメリカの軍事力による保護を礼賛する前に、佐藤総理はもっと冷静に考えるべきだと思います。  繰り返して申します。「安全保障問題をもっぱら軍事問題とのみ考え、軍事問題といえば兵器体系の問題だけと考える抜きがたい傾向が依然としてわれわれの間に見られる」というこのことばをよく考えていただきたいのであります。マクナマラの言をまつまでもなく、武力や軍事同盟の中に日本の真の安全があり得ないことを、私は、日本国民ははっきり認識していると思います。それが憲法の平和主義をささえてきたのであります。そのことはこの数年来の世論調査の結果ではっきりいたします。あらゆる世論調査が、政府自身による調査も含めて、継続的に一つの一致した結果、すなわち、国民の間にある中立志向の根強さということ、この点を、この政治意味総理はどうお考えになるのか。中立志向の定着は、自衛隊を必要と認める者の大多数も、もっぱら災害に備える役割りに重点を置いておる事実と相まちまして、私は、日本国民が、安全保障の手だてとして特定国との同盟政策や軍備強化などの軍事的手段以外のものを求め、かつ、その求めるところのものが実際に達成可能だと信じていることの何よりの証拠ではないかと思うのであります。政府の言うところの国民的合意なるものは、この世論調査ではっきり出ていると思うのであります。この国民の中立志向の強さというものを総理はどう受け取ろうとするのか。
  39. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 各紙でいろいろの世論調査をしております。しかし、必ずしも江田君の言われるとおりじゃないのじゃなかろうかと私は思っております。と申しますのは、中立論と一口には申しましても、武装中立があるし、非武装中立があります。   〔委員長退席、中野(四)委員長代理着席〕 あるいはまた、自衛力を持つこと、さらにプラス安全保障条約、それによって国を守ろうと、いろいろの分け方があるので、あまり都合のいいようにだけあの表を読まれると、どうも間違ってくるのじゃないかと思います。私は、そういう意味で、都合のいいような読み方をしないで、やはりこういうことは謙虚に実はその表を見て、そうして対策を立てておるような次第であります。  私は、やはり先ほど来からお話がありますが、マクナマラの言を引っぱってこられるけれども、やはりいわゆる国を守る気概だけはどうしても国民に持ってほしいと思います。やはりその気概があってこそ、はじめてその能力、機能の問題、装備の問題等もいろいろあろうと思います。装備だけで安全だと、こういうものでないことはマクナマラの言をまつまでもなく、私もよく承知しております。でありますから、そういう点はもっとお互いに話し合えばわかることだろうと思います。いまの中立論自身も、いわゆる非武装中立、それが圧倒的に多いとは私は思っておりません。
  40. 江田三郎

    江田委員 非武装中立だけのことを言っているのではない。中立志向というものがどの世論調査においても半数をはるかにオーバーしているということをあなたはどうお認めになるかということを言っておるわけであります。これをお認めになることはあなたの方向を大きく転換しなければならぬことになるから、いろいろ理屈をつけて認められぬという方向にいくでしょう。しかし、現実は現実ではっきり出ているわけなんであります。数字で事実が出ているわけなんであります。  そこで、わが国の安全保障の核心というものは、アメリカ世界政策にほかならぬ軍事中心の勢力均衡や共産主義の封じ込め、その軍事的表現としての抑止戦略への追随から脱却することにあるということを私は先ほど来言っておるわけであります。その一環として、日中間の不自然な状態を正常化し、かつ、国際社会における正当な地位を中国が確保する上に日本が率先寄与することが、日本の安全、極東の平和を確保する上において現下最大の課題ではないかという点であります。この努力をおいて国の安全を語り、極東の平和を云々することはできないと思うのであります。総理が施政方針において「今後、中共が広く国際社会の一員として迎えられるようになる事態は、わが国としてこれを歓迎する」と述べておられますが、日本はただそういう事態が来ることを待っておるというだけか。そうでないというならば、一体日本はどういうやり方でこの歓迎すべき事態の到来を早からしめんとするのか、その具体策を聞かせていただきたいと思う。
  41. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 抽象的な議論としてのことは、隣国である中国、ことに古くから交渉のある中国のことでありますから、これはもう重ねて申し上げる必要はないと思います。  不幸にして、ただいま民間貿易を続けておりますが、それにしても長期契約はできていない、これが短期なものになっている、こういうことがまず私ども残念に思う一つであります。また、私どもの同胞、これがスパイ容疑といわれておりますが、十三人も——十一人でしたか、これがやはり抑留されておる。こういうような事態を何とか解きほぐす方法にないだろうか、かように思って私ども努力しておりますが、ただいままだそれが解きほぐせられない状況であります。  こういう点をお互いに積み重ねを行なって、それで初めて両国間の関係を取り戻すのじゃないだろうか、かように思っておりますので、私ども、まあ本来の本筋じゃないかもしれませんが、できるだけ現実の問題をそれぞれ着々と一つ一つ片づけていく、そういうことで積み重ね方式で両国間の関係をほぐしていく。その基本的な問題では、北京政府並びに中華民国というその二つの政権のあること、しかもその二つが同じように中国は一つだと言っている。そうして日本はこの台湾における中華民国とサンフランシスコ条約を結び、そうして国際的な権利義務を持っておる、そういうところに問題も一つあります。  とにかく、そういうことを考えながら、現実には一つ一つをほぐしていく、それによって両国の間が密接になるのじゃないか、かように思います。
  42. 江田三郎

    江田委員 総理は、昭和四十年一月訪米されて、ジョンソン大統領との間に共同声明を出されましたが、中国問題に関しては、その際、総理と大統領はそれぞれ意見を並べて書かれたわけであります。このことについては、同年二月一日の本委員会において横路節雄委員が、異見を並記されたことは総理アメリカ側の見解に同意したのではないという意味と解してよいのかという質問に対しまして、総理は、同意したことではない、意見は一致しなかったのです、と議事録に書いてありますが、これはそうでしょう。——これはそのとおりならばそれでいいのです。
  43. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 そのとおりです。
  44. 江田三郎

    江田委員 一体共同声明のその部分で、ジョンソン大統領は、中華民国に対するアメリカの確固たる支持、もう一つは、隣国に対する中共の好戦的政策及び膨張的圧力がアジアの、平和を脅かしていることについての憂慮を声明している、この二つのことを言っておるのでありますが、意見が一致しなかったのはこの二つのことについてなのか、そのうちの一つなのか、その点はどうです。
  45. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 主として前のほう、いわゆる中華民国と北京政府との関係、そうしてしかも中国は一つだという、こういう立場で私ども考えておりますが、アメリカは中華民国に対する責任がある、こういうことでこれを特に強く言っている、かように御理解いただきたい。
  46. 江田三郎

    江田委員 ちょっとおかしいんじゃありませんか。中華民国に対するアメリカの確固たる支持、それについて意見が違うというのであれば、一体台湾に対するあなたの政策はどうなんです。アメリカと違うというのですか。
  47. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 そこで、私どもは中華民国と国際条約を結んでおるが、中国大陸とは現実の交際をする、いわゆる政経分離でつき合うのだ、こういうことを言っておるわけであります。ところが、アメリカは中国に中華民国だけを認めて、あとの北京政府、政権というものを認めない、政経分離の考え方にはない、これが非常にはっきりした相違であります。
  48. 江田三郎

    江田委員 そうすると、第二の中共の好戦的政策及び膨張的圧力がアジアの平和を脅かしているということについての憂慮、この点については意見は一致したということですか。
  49. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 意見が一致したと、かようには申しませんが、やや私どもアメリカとでは、感じ方が強い、アメリカはその点を非常に強く主張しておりますが、私どもはそう強く考えていないからこそ、政経分離で中国本土と交渉をしておるわけであります。その点が違うわけです。
  50. 江田三郎

    江田委員 そうだとおかしくなる。なぜおかしくなるかというと、その年の八月二日の衆議院本会議における社会党の佐々木前委員長の代表質問答えて、私は米中戦争世界戦争はあり得ないと思っている、それは中国も米国も平和を愛好する国だからだ、こう言っているわけであります。そうすると、あなたは共同声明の場合には、中国の侵略の危機についてジョンソン大統領と意見が一致し、今度は国内へ帰って、この衆議院の本会議答弁においては中国は平和愛好国だと言う。どっちがほんとうなんです。
  51. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 中国——私は中華民国は平和愛好国だと、かように思っております。北京政府については、これがはっきり干渉しないのか、お互いにその主権を尊重するとか、いままで不干渉政策というものを明示したことはございません。そういう点に私どもがいろいろ疑問を持つのであります。これはやはりお出かけになって社会党の方もよく御承知でしょう。これはやはり相手の国の主権を尊重する、不干渉主義、あるいはそれに対して親善友好関係を樹立する、こういうところが明確でないとやはり疑わざるを得ないのであります。
  52. 江田三郎

    江田委員 いいかげんのことを言われては困りますよ。中華民国は平和愛好国だということではない。あなたがこの答弁で言っているのは、それは中共も米国も平和を愛好する国だと、こう言っているのでしょう。中共と中華民国と一緒にする人はいないでしょう。あなたはここで中共は平和愛好国だと、こう言っている。共同声明ではそうじゃない、侵略の危険性を持った国だと言ったと、こう言う。アメリカへ行って言われることと国内へ帰って言うことは、いつも違うのですか。
  53. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 日本で申しましたことは皆さん方のことばをかりて言っている。皆さん方は中共も平和愛好国だ、かように言われた。それに対して私は答えた。
  54. 江田三郎

    江田委員 全然答弁にならぬですよ。それじゃ一体中国がどういうわけで平和愛好国でないという論拠があるのか。
  55. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 先ほど申すように、平和愛好国ならば、積極的に独立を尊重するとか、不干渉主義を明確にするとか、これは必要じゃございませんか。あるいは中ソ同盟条約を結んで、日本を仮想敵国にするとか、こういうことは私どもが心が許せないことであります。そこらもやはりお考え願いたい。
  56. 江田三郎

    江田委員 中ソ同盟条約があるから中国が平和愛好国でないというなら、その片っ方のソ連も平和愛好国じゃない、日本に対して侵略の可能性を持っている、こういうことになるのか。外務大臣の演説では、あるいは総理演説だったか、ソ連との親善関係を進めると、こうあるじゃありませんか。支離滅裂になるじゃありませんか。
  57. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 ソ連との関係は、今度の書き方はだいぶん変わってきております。在来の書き方ならば、北方領土だけについて、そうして北方領土を早く解決しようという施政演説でありましたが、今度は特に、その他の面においては私どもは親善関係を深める、現にそういうことが現実に行なわれておる、しかしながら、基本的な問題で領土問題について依然としてその考え方を異にしておる、これはまことに残念だ、そういう意味でわれわれは忍耐強く交渉し、そして国民世論にこたえる、こういうことを申しておるわけであります。
  58. 江田三郎

    江田委員 あなたの答弁答弁にならぬ。そういうあいまいな答弁を相手にして議論を進めたところで時間の浪費でありますから、私はさらに進めますが、いずれそういうようなことについては、同僚議員の後ほどの質問の中で追及を深めていきたいと思います。  私は次にお尋ねしたいのは、国連というものが平和維持の真の権威と機能を備えた世界的機関となるための不可欠の前提条件は、国連の組織が特定のイデオロギーに左右されない世界的普遍性の原則に立脚することが必要ではないのか、この点どうです。
  59. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 世界な普遍性に立脚すること、私もちろん必要だと思います。それと同時に、国連が平和機構としての機能をやはり充実することも必要だ。やはり二つがその国連の平和機構としての使命を果たすゆえんではないか、かように思います。
  60. 江田三郎

    江田委員 普遍性の原理というものが必要だということであるならば、いま中国の代表権問題の現状は、これは普遍性の原理に反した扱いを受けておるのではないのか。このことが国連の権威と機能を著しくそこねているとはお考えにならないか。
  61. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 この問題は、普遍性という観点から見れば、中国をなぜ除外したかということだと思いますが、そこでいろいろの問題があり、いわゆる重要事項指定方式、まずそれを取り上げて、一体どういうようにこれを扱うかということが各国の問題になっておる。国連もやはり国連を形成している各国の意見に従う、これはもう当然だと思います。
  62. 江田三郎

    江田委員 だから、普遍性の原理というものを認めるということになるならば、総理は、北京政府が中国人民の大部分を代表し、中国の領土と人民の大部分に有効な支配を及ぼしているという事実、これをお認めになるのか。
  63. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 中国大陸を支配している、これはもう私もちゃんと認めております。同時にまた、七億あるいは七億五千万の人口を擁している、これはたいへんな大国です。
  64. 江田三郎

    江田委員 そこで総理お尋ねしたいのは、一九五〇年三月八日に、時の国連のリー事務総長、この人が「国連における代表権問題の法律面」と題するメモを公表いたしました。これは、安保理事国との非公式の話し合いのための、事務総長が事務当局につくらせたメモでありますが、その内容は御存じですか。——おわかりにならなければ申します。そうこまかいことまで知られぬかもわかりませんから。リー事務総長のメモランダムというのは、「妥当な原則は憲章第四条の類推から導き出されると考える。同条によれば、加入申請国は加盟国の義務履行の意思と能力を持たなければならない。その義務は実際にそれを履行する力を持つ政府によってのみ履行され得る。革命政府が既存の政府に対抗して国を代表するとの主張を行なう場合、」この次が大事なんですよ。「問題は、両政府のうちいずれが実際に加盟国としての義務を履行するためその国の資源と人民を指図し得る立場にあるかということである。これは要するに、新政府がその国の領土内で有効な支配を及ぼし、かつ人民の大部分が十分これに服従しているかどうかを調べることを意味するものである。もしその調査の結果がしかりとすれば、国連諸機関は、その集団的行為によって新政府に国連で同国を代表する権限を与えることが妥当であると考えられる。個々の加盟国が、それぞれの政策上の理由によって同政府に正統政府としての承認を与えることを拒否し、かつ拒否し続けようとも、それは別問題である。」こう言っておるのであります。  そこで、このメモは、代表権が問題になっておる政府を承認する加盟国の数が多いか少ないかということで決定することはいけないのだ、そうではなしに、代表権問題を考えるための妥当な原則は国連憲章第四条の類推から導き出すことが必要だ、こう述べておるのでありますが、この見解を支持されますか。されないとすればその根拠をおっしゃってください。
  65. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 私まだそこまで研究しておりませんので、ちょっとこの場ですぐは私答えられません。これはひとつ外務大臣……。
  66. 江田三郎

    江田委員 外務大臣の問題じゃない。これは一国の総理大臣としてはっきりした見解を持つべきことなのであって、第四条からいけば当然そうなってくるわけなんでありますが、そのことについて、まだそこを考えたことはない。そういうことを考えたことはないと言う人が、なぜ一体中国の国連加盟について重要事項指定国の先頭に立ったりするのでありますか。第四条を知らないでそういうことができますか。
  67. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 公式論で第四条云々は、私、知らないから知らないと言ったのですが、なお検討しろというなら検討してお答えいたしますけれども、やはりそれとは別に中国の問題、これは、中国は一つだ、御承知のように中華民国も北京政府もはっきりそれを言っておる。確かに中国は一つだろうと思います。私どもは、その一つである中国、それを代表しておる中華民国と国際上の条約を結んでおる。条約を結ぶんだということは、その当時の状況では、これは当然のことだったと思いますが、しかし、もうそのときから問題はあったに違いない。これは一つの中国だというものを結んだ。これは国際上の義務もあるし、権利もあるということであります。したがって、いま御指摘になりましたような点がいつも問題になっておるのだと思うが、しからば一体どちらが中国なんだ、こういうことは、私の結論では、二つの中国じゃないのだから一つの中国、これは一つの国内問題じゃないか、かように私は思っております。国内問題、かように私は思っております。そして、ただいまの状況のもとにおいては、日本は中華民国に対して国際上の権利義務がある、かように考えております。
  68. 江田三郎

    江田委員 先ほど申しましたリー事務総長のメモでいくというと、一つの国が国連に加盟されるかどうかということは、イデオロギーの問題や、あるいはこれに賛成する国が多いとか少ないとかということではなくて、その国が実際領土と人民と、あるいは資源というものを十分に支配するだけの力があって、国連の義務を履行する条件があるかどうかということが問題だ、こういうことなんです。第四条の趣旨はそうなんです。  そこで、あなたは先ほど私の質問に対して、国連の普遍的原則というものは認めると、こうおっしゃった。中国があの広大な地域において多くの人民に支配力を持っておる、資源を動員する力を持っておる、これもお認めになった。そのことからいけば、中国の国連加盟ということは当然の帰結になるのじゃありませんか。そうでないと言われるならば、四条を解釈したリー事務総長のあの解釈は間違っているというのか。間違っているというなら、答えを出してくださいというのです。
  69. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 私がいまお答えいたしましたように、国連事務総長のそのメモがどうだろうと、ただいま言うように、二つの中国じゃないんだ。一つなんだ。そういう観点からわれわれが中華民国と国際的な条約を結んでおる、その立場において権利と義務があるのだ。私どもの認める中国は中華民国です。これがはっきりしている現実です。このことは、私どもは現状をそのまま認めておる、さように考えます。
  70. 江田三郎

    江田委員 あなた、中国は一つだと言う。中国は一つだと言われるのでしょう。一つの中国で、一体その中国の人民なり資源なり領土なりの大部分を支配しておるのは、どちらなんですか。中華民国がその支配力を持っておるのですか。あなたが先ほど私が聞いた原則を肯定される以上は、中華民国が国連加盟の条件を持っており、北京の中国が持っていないということにならないじゃありませんか。論理の矛盾があるじゃありませんか。
  71. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 私は別に論理の矛盾を感じないのですが……。と申しますのは、ただいま申すように、中共か台北の問題か、こういうことになると、それは国内問題だ、かように申しておるのです。でありますから、これは、国内問題としてただいまの二つの政権、その実力を見ている、こういうことでございます。
  72. 江田三郎

    江田委員 そういうような薄弱な論理で重要事項指定方式の先頭に立たれるというようなことは、こっけいな話じゃありませんか。しかも私が最初に申しましたように、アジアの安定、日本の平和ということから考えれば、中国問題をどう処理するかということを抜きにしては、この問題は解決つかぬじゃありませんか。沖繩問題もそうじゃありませんか。そういうことについてはっきりとした考え方なしに、ただいいかげんなことを言われるこのやり方に対しまして、私は非常に不満を覚えるわけであります。  この日中関係の改善にブレーキをかけているもう一つの問題に、吉田書簡の問題があります。これはもう御承知のとおりであります。そこで、この問題については、総理は昨年二月六日、この委員会におけるわが党山本幸一君の質問答えて、「しばしば問題になる吉田書簡というものは、申すまでもなく政府がどうこうしたものではございません。したがって、吉田書簡がいまどういうことになっている、こういう議論をすることは、あまり実益のないことのように思っております。」また続けて、「吉田書簡をいまさら取り上げることになると、これはたいへんだと思います。これを取り上げないところに味がある、」こう答えておられるのでありますが、「これはたいへんだ」というのは一体何ですか、「味がある」というのは何ですか、これをはっきりしてもらいたい。
  73. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 これは、こういうものはいわゆる政府の声明じゃないんだから、政府の手紙でないものを、政府考え方でない——考え方でないかどうか、それはまた別ですが、政府責任を持たないもの、そういう文章、そういうものが一々問題になると、これはたいへんだろうと思うのです。これはたいへんな大きな問題で、何でもかんでもみな問題になると思う。この吉田書簡というものは、もう私が申し上げるまでもなく、吉田さんが当時の池田内閣のもとで国民政府に出されたものでございます。したがって、その中にどう書かれておろうと、これが有効だとか無効だとか、この中身を変更するとか変更しないとか、そういう筋のものじゃ実はないのだ、かように思っております。したがって、私が山本君に最初に申したのは、そういう意味の話であります。その次の問題になってきて、こういういわゆる政府関係しないものを一々問題にすることは、それはたいへんじゃないか、かような意味です。
  74. 江田三郎

    江田委員 池田内閣のもとで吉田さんがやられた、池田内閣のもとでというのは、池田内閣と連絡をとってと、こういう意味なのかどうか。
  75. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 池田内閣のもとでというようなことばが不適当で、あるいは誤解を受けるかわかりませんが、池田内閣の当時、こういうように明確に申し上げておきます。そうして、いまのような連絡があったかなかったか、こういうことは私の知らないことです。
  76. 江田三郎

    江田委員 当時の外務大臣はおるんじゃないかな。  いずれにしろ政府としては、これは政府のやった行為ではない、個人吉田茂氏がやった行為だ、池田内閣のもとでというのは、池田内閣の時代にと、こういうことだ、こういうのですか。そういうような個人のやったことが、なぜこれほど日中間の障害になっておるのかわからぬじゃありませんか。ただ個人吉田茂氏が手紙を出したということが、なぜこうひっかかりになるのか。そうじゃないんじゃないのか、もっと政府がタッチしているんじゃないのか、その点はどうです。
  77. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 私は、さようにどの程度タッチしていたか、そういうことは知らないと、はっきり先ほど申したとおりであります。
  78. 江田三郎

    江田委員 あなたはそういう答弁をされますが、一体台湾の中華民国自体はこの問題を公式のものと考えておるのか、ただ吉田さんがプライベートに出したものと考えておるのか、それはどういうことになっているのですか。
  79. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 これは吉田さんの持つインフルエンスといいますか、そういうものをやはり中華民国は期待しているだろう、かように思います。吉田さん、これは元総理だし、池田首相にしても、また私にしても、吉田さんのもとでいろいろ訓育を受けた、そういう状態ですから、おそらくそういう意味の期待は当然あるだろう、かように思います。
  80. 江田三郎

    江田委員 そうすると、もう吉田さんもなくなったことなんだし、もともと個人の文書なんだから、政府としてはこれに対しては何の拘束も感じない、そういう立場に立っておられるのですか。
  81. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 いま申すような、中華民国政府の期待はございますから、そういうこともやはり善隣外交、そういう立場から、そんなことは全然無視して考慮しないとか、こういうのはどうかと思います。けれども、中華民国に対して吉田書簡が出た、その当時のような考え方中共とつき合っている、かように私は思っておりません。そのときの一番の問題は、輸銀資金を使うか使わないかという問題であったと思いますが、しかし、プラント輸出その他についても、ケース・バイ・ケースということを今日は申しておりますし、だから、いわゆる期待は期待、ただいまは当時の状況とは変わっている、かように私は思っております。
  82. 江田三郎

    江田委員 輸銀資金だけのことなのか、なぜいままでこの吉田書簡というものを発表なさらないのか。これほど障害になっているものを、正確にはどういうものかということをわれわれ国会議員が知らぬということは、何と考えたっておかしいわけです。ただ輸銀資金だけのことならば、そういう文書ならば、なぜ発表しないのですか。
  83. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 どうもちょっと無理なんですが、発表するというような筋のものじゃございませんね。御承知のように、吉田書簡は向こうへ行っているわけです。そんなちゃんと写しがあるとかいうようなものではないと私は思います。したがって、向こうへ出ているものを発表のしようがない、かように私は思っております。
  84. 江田三郎

    江田委員 吉田さんがなくなったのだから、いまさら発表のしようがない、こういうのならば、それほどのものならば関係になるはずはないではありませんか。そうして、いま佐藤さんが言われるような、輸銀資金の問題だけだ、それに限られておるのだというならば、なぜそういうものが問題になるのか。問題になり方が大きいと思うのですよ。  私は、この問題についていいかげんなことをいつまでも言い続けることはやめてもらいたいと思うのであります。吉田書簡というものは、日華平和条約の補充文書なのではありませんか。外務大臣もよく聞いておいてください。  昨年六月の八日に蒋介石総統が、台湾訪問の日本新聞編集の幹部一行と会見をされた。そのときの談話が、六月十一日に東京の国府大使館の新聞、これです、中華週報、六月二十四日付、これに出ておるのであります。その中華週報によりますというと、「当局から全文次のように発表された。」として、この大使館の新聞処が出しているわけです。責任ある出所がきちんとしておるわけです。それに何と書いてあるかというと、特にその中で吉田書簡に関係ある部分を読んでみますというと、「日本の親共分子はややもすると中共承認を主張し、中共の国連進入を主張し、吉田書簡の廃棄をも主張しているが、このような幻覚は事実上決してそう簡単なものではない。吉田書簡は中日平和条約と相互関連の関係がある。私は吉田先生と当時互いに了解し、吉田書簡は実に中日平和条約の補充文書である。これは当時、吉田先生が日本政府を代表し、私が指導する中華民国政府と交わしたものである。中日平和条約が締結されてのち双方が互いに不充分を感じていたからこそ、この書簡が生まれ出たのである。こんにちこの吉田書簡を廃棄すれば、それはすなわち中日平和条約の廃棄に等しいものとなる。」こう書いてある。これをどう受け取られます。   〔中野(四)委員長代理退席、委員長着席〕 一体、こういう重大なことを、蒋総統の談話としてこの新聞に出ているわけなんです。この新聞がかってに書いたんじゃない。「当局から全文次のように発表された。」。としてこれを出しているわけでしょう。もしこの事実のとおりだったら、この蒋介石総統の主張のとおりであったとすれば、吉田書簡というもののウエートというものは非常に大きなものになるわけであります。総理がいままで言われたことは相当違ってくるじゃありませんか。条約の補充文書ともいうようなものだというのならば、それならば、当然国会へこの内容を発表してもらわなければならぬことになるじゃありませんか。どう考えられますか。
  85. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 条約を補充する文書だと、こう言われますけれども、その補充文書が、そういう形で出されることはないのじゃないですか。だから、普通の常識から見まして、それはどういう表現をされたか知らないが、条約の補充的な文書なら、それは両国政府で覚え書き交換をするとか、あるいは解釈について覚え書きが取りかわされるとか、そういうものじゃないだろうか。(「相手がそう言っているよ」と呼ぶ者あり)相手がそう言っていると言われるが、当方はさような意味のことは考えておらない。だから、あまり常識に反した事柄——それはそのとき、発表されたときに、よく記者の諸君がその点を尋ねられれば、条約を補充するようなものにそういうような形式があるのか、これはよく考えていただきたい。私はそういう意味で、ただいまのようにそこまで心配される筋じゃないのじゃないだろうか。どこかに問題があるかと思います。
  86. 江田三郎

    江田委員 誤解のないように聞いてください。その日、蒋介石総統が行なった談話を国府当局から全文発表があった、こういうことでここへ取り上げておるわけなんです。しかも、この中華週報は中華民国の駐日大使館の新聞なんです。行った新聞の代表がこう聞きましたということじゃない。中華民国政府が、蒋介石の公式のことばはこうだったということを出しておるわけなんだ。そこで、そういうことは向こうのかってだ、それじゃ済まぬと思う。こういうことがある以上、これは日本政府の見解と異なるというなら、なぜ取り消しの措置を求めないのか。取り消しの措置を求めないということは、これを肯定することになるじゃありませんか。その点どうです。
  87. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 材料は江田君が持っているだけでございますから、私、ここでそれをただいま申し上げるわけにいかぬですが、よく私のほうでも取り調べてみます。しかる上で、私どものとるべき処置はとりたい、かように考えております。
  88. 江田三郎

    江田委員 冗談ではありませんよ。私が何も秘密文書を持っているわけではないのです。中華民国大使館の公式の文書じゃありませんか。外務省には幾らでもいっているでしょう。外務省の役人というのは何をしているのです。こういうものが出ても、それに気がつかぬほどぼんくらばっかりそろっておるのか。問題にしたら困るから問題にしないのか。総理、そういう答えでは答えになりませんよ。私が、もしこれをどこかの秘密文書として出したなら、そういうことでもいいでしょう。そうじゃないではありませんか。われわれは、いままで政府の吉田書簡に対する扱い方がどうもふに落ちない。なぜあれを、政府のいうとおりであれば、そんなに重大なものでないことになぜとらわれるのか、われわれはわからなかったが、これを読んでみるとはっきりわかるわけなんです。これをあなた方が、政府がすぐに取り消しの措置をとらなかった、申し入れなかったということは、蒋介石総統の談話なんだから、それに対して取り消しの措置をとらなかったということは、あなた方自身がこれを認めていることじゃありませんか。認めているなら認めているでよろしいから、その内容は、ここに書いてあるように、条約の補充文書にも当たるものだというような内容のものならば、ここも発表してもらいたい。当然のことじゃありませんか。
  89. 愛知揆一

    ○愛知国務大臣 ただいまのお話は承っておりますが……(「あなたの答弁は求めていない」と呼ぶ者あり)いや、私はいまそれは初めて伺いました。
  90. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 先ほど申しましたように、条約の補充的なものなら、いままでの形式が特別のものだと思いますが、そういうものはない。この吉田書簡がいままで問題になっておりますが、一貫して政府は、この吉田書簡、これは池田内閣当時吉田個人が出した手紙だ、かように考えておる。そうしてその手紙に対しては、蒋総統をはじめ中華民国は、吉田さんの持つ政治的なインフルエンスを大きく評価しておる、したがって、そういう期待はあるでしょうと先ほど来申した。しかし、これが法律的な責任があるというものでないことは、個人の書簡であるから、そういう意味においてこれははっきりしておる。これは江田君にはおわかりだと思いますが、ただいま申すように個人的なものですから、いわゆる法律的な責任はない、かように私は思います。
  91. 江田三郎

    江田委員 あなたがどういう見解を持たれようと、蒋介石総統は、吉田先生が日本政府を代表し、私が指導する中華民国政府とかわしたものだ、こう言っているわけなんです。そうして、中日平和条約が締結されて後、双方が互いに不十分を感じていたからこそこの書簡が生まれたんだ、これを廃棄するようなことがあれば、中日平和条約の廃棄にひとしいということを言っているわけなんです。相手国の代表者がこう言っているわけなんです。それが違いますというのならば、なぜその取り消しの外交措置をとらないのか。これは私は外交の常識だと思う。相手の責任者がこう言っているのに、私のほうの考え方は違うということで済むわけがないじゃありませんか。
  92. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 どうも私自身そういう週報を読んでおらなかったということは、まことに申しわけございませんが、これはよく知らない。したがって、それをよく調べた上で私はお答えしたいと思いますが、その骨子は、先ほど来申したように、新聞でどう書こうと、これは法律的な拘束があるとはいえない、私はかように思います。それはもちろん蒋総統も、そういう点は十分了承しておる、かように私は思っております。いずれ調べた上でお答えすることにいたします。   〔発言する者あり〕
  93. 荒舩清十郎

    ○荒舩委員長 関連で、大原亨君。
  94. 大原亨

    ○大原委員 ただいまの質疑応答を聞いておりますと、吉田書簡は条約とかあるいは協定に相当するような拘束力を持つものである、それを、台湾政府のほうの蒋介石主席がはっきりした見解を示している以上は、この問題について、その見解の内容とその形式について、政府は確かめて、吉田書簡に対するはっきりした統一見解を本委員会に示してもらうことが、この委員会の権威のために絶対必要であると私は思う。だから、そういう事実とそれに対する考え方に対する統一見解を、はっきり佐藤総理のほうから示してもらうということが一つと、そしてそれにつけ加えて、吉田書簡の内容を公表してもらいたい、全文を公表してもらいたい、こういうことを議事進行といたしまして要求いたします。
  95. 愛知揆一

    ○愛知国務大臣 私は、先ほど申しましたように、ここで、そういう発表が中国政府側から発表されたということは初めて承知いたしました。しかし、一般的に申しまして、一国の政府がある文書についてそういう発表をいたしました場合も、事前に他の国に対して通報なり相談がなかったものについては、一般論として、他の国としてこれに対してコメントを私はすべきものではないと思います。  それから、吉田書簡というものは、先ほど来総理が御答弁申し上げているとおりでございますから、私は、外務省としてもそれは承知しない。したがって、私どもの手から発表すべきものではない。一般論並びに具体的に、私はさような見解を持っております。
  96. 大原亨

    ○大原委員 ただいまの外務大臣の御答弁は納得できない。なぜかといいますと、向う側の蒋介石総統は、これは平和条約に匹敵すべき、つまり補充文書であり、正式に権威を持ったものだ、こういうことを言っているのです。向こう側がそういう発表をしているのですから、あなたはそうでない、こちら側でそうでないと一方的に言ったってだめですから、そういう事実について確かめた上で、しどろもどろでなしに、政府の統一見解をはっきりしてもらう、こういうことが私は当然だと思う。だから、あなたの答弁を聞いたってしようがないから、私は、委員長に対しましてこういう議事進行の動議を出しておりますから、政府が統一の見解をはっきり出してもらう、そういう点を私は議事進行上要求いたします。   〔発言する者多し〕
  97. 荒舩清十郎

    ○荒舩委員長 静粛に願います。——静粛に願います。
  98. 愛知揆一

    ○愛知国務大臣 ただいまも申しましたように、ある文書なり書類なりに対して、友好関係のあるところの他方の政府がどういうような発表をいたしておりましても、友好関係のある他の一国が、これに対してコメントすべきものではない、これは私は正しい態度であると思います。
  99. 荒舩清十郎

    ○荒舩委員長 質問ありますか。——政府答弁をしておりますから、もし疑義がありましたら重ねて御質問願います。質問がなければ質問がないといたしまして、これで質問を打ち切りますが、質問はございませんか。
  100. 江田三郎

    江田委員 ある。   〔発言する者多し〕
  101. 荒舩清十郎

    ○荒舩委員長 静粛に願います。——静粛に願います。野党第一党の書記長が質問しておりますから、どうぞ権威をもって、皆さん御静粛に願います。  ただいまの質問に対しまして、政府から確固たる答弁を願います。
  102. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 先ほど外務大臣がお答えしたとおりであります。一国から、他国に関係のあるような問題を出す場合には、必ず当方にも連絡があるはずであります。そういう問題じゃない限り、私どもがその問題について云々することは差し控えたい。先ほどの外務大臣の答えのとおりであります。
  103. 荒舩清十郎

    ○荒舩委員長 いいですか。——御静粛に願います。——政府答弁をしております。質問者が質問をして、政府答弁をしております。動議よりこのほうが優先しておりますから、どうぞ御質疑がございましたら遠慮なく、時間までは許しますから、質問を願います。
  104. 大原亨

    ○大原委員 いま、こういうことを申し上げておるわけです。愛知外務大臣の御答弁がありましたが、しかし、明らかに台湾のほうの蒋介石主席は、正式に、吉田書簡に対しましては、これは公文書である、条約や協定に匹敵するようなそういう文書であるということを、はっきり言っておるわけですよ。そういう見解をはっきりと表明いたしておるのに、それに対しまして、こちら側の見解は非常に不明確であって、内容も言えないというようなことでは、これは日本国民に対しまして、条約上あるいは協定上、一方的な義務を押しつけるものではないか。そういう疑義もあるし、とにかくこれに対する責任ある見解を、さらに突っ込んだ統一見解として事実を確かめた上で発表してもらいたい。そのために私は、一時委員会を中断してやってもらいたいという議事進行の動議を出したわけです。ですから、委員長はしかるべくこれを取り扱ってもらいたい。
  105. 愛知揆一

    ○愛知国務大臣 ただいまその事実を私は知りました。ただいま知りましたから、それに対する政府の解釈を申し上げたのです。   〔発言する者多し〕
  106. 荒舩清十郎

    ○荒舩委員長 静粛に願います。質問江田三郎君に申し上げます。政府答弁をしておりますから、どうぞ疑義がございましたら、幾たびで毛質問をお願いいたします。(「動議が出ているじゃないか」と呼ぶ者あり)動議はどういう動議ですか。議事進行は、具体的にいうとどういう動議ですか。質問者があって、質問答弁をして、その答弁をしている最中に何の動議がありますか。議事法にはそういうことはございませんから、どうぞお願いいたします。質問がございませんか。もし疑義がございますれば、答弁もしておりますから、どうぞその最中に理事の方々が適当に御相談を願います。いままでそういう動議はございません。(「休憩の動議だ」と呼ぶ者あり)休憩の動議はありません。質問があれば質問をどうぞしてください。休憩はいたしません。(「動議の採決をしろ」と呼ぶ者あり)採決をする必要はありません。質問者が質問し、答弁者が答弁しておりますから、疑義がございましたら、どうぞ重ねて質問を願います。(「動議を出しているんですよ」と呼ぶ者あり)何の動議ですか。(「休憩の動議を出しているじゃないか」と呼ぶ者あり)理事会で江田三郎君の質問は一時までということにきまっておりますから、何らそこに疑義はございません。質問者がおりまして、質問をした以上、答弁をしておりますから、ひとつ何度でも質問願います。どうぞ質問をお願いいたします。
  107. 江田三郎

    江田委員 先ほど外務大臣から、政府の統一見解なるものが発表されましたけれども、何のことかよくわからない。これは繰り返して申しますように、総理は、日本政府としては、この吉田書簡というものは私のものであって、内容を知らない、ただ輸銀の問題が書いてあるくらいのことだろうと、こう言われますけれども、しかしこれは、なぜいままでたびたび長い間問題になり続けたのか、その点私たちも理解ができなかった。しかし、このただいま読み上げましたところの蒋介石総統の談話を読むというと、なるほどそういうものかということをわれわれは知るわけです。これがもし廃棄されるということは、中日平和条約の廃棄にひとしいものだということまで言っておるわけなんです。そうして蒋介石総統は、吉田先生が日本政府を代表して、とこう言っているわけなんです。台湾の何がしが言ったということばじゃない。蒋総統がそう言っておるわけなんです。それが、そうではないのだというながら、蒋総統のことばは誤っておる。誤っておるというなら誤っておるということを、はっきり言ってもらいたい。これは蒋総統の一方的解釈であって、違うのだというならば、この国会の席ではっきり言ってもらいたい。あるいはそのことが言えないということになるならば、私はこれを肯定したものと認めなければならぬことになるじゃありませんか。これをはっきりしなかったならば、次の質問ができないじゃありませんか。  いずれにしろ、なぜこれが発表できないのか。吉田さんはすでになくなったのだといったところで、外務省にこういう文書がないことはないでしょう。なぜ発表できないのか。こういうような大きなウエートを持つようなものを、一体外務省の——外務大臣はそのころ外務大臣でなかったからしかたがないとしても、外務省の連中がいままで、総理もあるいは外務大臣も知らぬような形にほうっておくというこの無責任さは一体どうするのだと言いたい。そういうことについて、これをはっきり、蒋介石のことばは違う、これはあくまで吉田茂プライベートの手紙にすぎないということで、蒋介石のことばは違うんだということを、はっきり、明確にするならしてください。
  108. 愛知揆一

    ○愛知国務大臣 コメントすべきものでないということは、先ほど申し上げたとおりであります。
  109. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 この吉田書簡の性格は、たびたび議論になりました。政府は一貫して、これは吉田個人の書簡だということをいままで申してきております。今日もまた変更する問題ではございません。しかし、ただいま言われましたように、この中身について、これは一体変更ができるものか、あるいは拡張ができる、あるいは縮小できるものかというと、政府のものならそういうことはできます。あるいは変更したり、あるいはここの解釈をこういうように変えたとか、こういうことはできますが、そういうものじゃないのです。これは個人の書簡であります。その個人の書簡について——これはまあ普通の人が書いたのとは違って、吉田さんですから、吉田さんの政治的インフルエンスというものは高く評価されている。これは私は、そういうことはあるだろうと思うのです。それで、その問題については、それをめぐっていろんな議論がある。しかし、その点については、いままでたびたび吉田書簡の廃止だとか、あるいはその解釈をどうこうするとか、こういうようなものでないということ、これはたびたび申し上げてきたのであります。  そこへもってきて今度は新しい事実が出てきた。その新聞、これは中華新報でしたか、それにこういう記事が載っているが一体どうだ、こういうことをいま言われた。それの取り扱い方、これは先ほど来外務大臣が申しておりますように、この種の取り扱い方、これは政府はそういうものについての批判はいたしませんとはっきり実は申し上げておる。これは幾ら御要望がありましても、そういうようなことをする筋のものでない。これだけははっきり申し上げたいのです。先ほどの外務大臣の答え答弁を、そのまま私が申し上げておきます。もし、なお具体的に詳細に聞きたかったら外務大臣から答えさせます。
  110. 江田三郎

    江田委員 これはいまの総理答弁では、答弁に私は非常に不満を覚える。いまの総理答弁を延長していくと、蒋介石総統ともあろう者が、事実を曲げてとんでもないことを言っておるということになるわけなんです。だから、そのことをよく相談されて、はっきりとした見解を出してもらいたい。蒋介石のことばは違うんだということをはっきりしてもらう。さらにこの内容を、書簡がいつ出されたのか、どういう経緯で出されたか、その内容はどうなのか。これだけ問題になるものを、いつまでもプライベートのものだといってほうっておける筋のものじゃないと思うから、この扱い方についてやはり明確な答えを出してもらいたい。ただ、私はこの問題については、他の質問者にいずれ継続してやってもらうことにしまして、質問を続けていきたいのであります。  総理発言下田発言、あるいは政府の実際の外交姿勢などに見られる大国外交あるいは威信外交への傾斜というものは、私はもう時代錯誤だと思っておるのであります。いま吉田書簡のことだけ言っているのではない。全般の外交姿勢の問題なんでありますが、私は国際的な威信とか発言権について、新しい考え方がいま世界に生まれつつあると思うのであります。そのことを認識した外交の新しいあり方を目ざす出発点は、アジアにおけるアメリカのあやまちと失敗を直視して、自主的な進路を見出すところにあると思います。アメリカのあやまちと失敗の源は、中国やベトナムの例に明らかなように、アジアの諸国の植民地支配からの解放と、民族独立達成の過程に発生した内部の紛争や内戦に介入して、その結果、アジアの民族主義、独立と自決への正当な要求を敵に回したところにあるのであります。ベトナム戦争で、世界最強の軍事国家がなぜ勝たなかったのか。それはサイゴン政権が、アメリカのあと押しがなければ数時間ももつかどうかといわれるほどのかいらいである一方、解放戦線側が、民族独立と社会革命へのやむにやまれぬ要求と願望を代表したからであります。沖繩基地の果たしている役割り認識すること、沖繩基地の果たしている軍事的な役割りを重視することを返還実現への前提と考えたり、日米安保条約の堅持を外交の基調とするがごとき、また日中正常化に対する熱意のない他人次第の態度のごとき、佐藤総理の外交の方向は、ベトナム戦争の深刻な教訓をほとんど学んでいないといっていいと思うのであります。  国際関係は依然権力政治の場であり、力がものをいうという状態が残念ながら今日の現実であります。しかし、そういう状態にも意味の深い変化が起こっているということもまた今日の現実であります。アメリカがあれだけの武力、あれだけの富をもってしても、ベトナム人民にアメリカの意思を押しつけることができない。戦争はかえってアメリカの国内問題に火をつけてしまった。ドゴールはばく大な費用を核開発に注ぎ込んでみたけれども、フランス人の栄光を取り戻すことはできなかった。ソ連のタンクが一瞬のうちにチェコをじゅうりんしても、チェコ人の心をつかむことはできなかった。ここに私は、力とか国際的威信というものについての新しい考え方の芽が出ておると思うのであります。  この変革の世紀に、一つ一つの国家や社会が、それぞれあるいは人類共通の問題として直面している現代の難問題に、どれだけ正しく、あるいは賢明に取り組んでいるか。進んで必要な改革人類に提起し、かつなし遂げていく。パイオニア精神をどれだけ発揮するか。そうした新しいものさしが、権力の論理が最もむき出しにあらわれているところの国際政治の場にすら登場しているということを総理は洞察なさらないのか。憲法第九条の包蔵する可能性を切り開くべくあらゆる努力を傾注することが、そうした新しい世界への探求に沿う誇り高い道であると私たちは思う。  スウェーデンが昨年の暮れ国連総会に、世界が核戦争による絶滅を避けることができたとしても、公害によって同じような破滅的な脅威を受けるという立場で、大気や水の汚染、騒音その他の公害に対して国際的行動を組織することをしようではないかという問題提起をしたことは、私は高く評価さるべきだと思うのであります。スウェーデンは、地震探知綱の完備によって、地下核実験の禁止を妨げる障害を克服する試みにも国際的なイニシアをとりました。ハノイ政府を率先して承認するという、ベトナム和平の推進にも役割りを果たしてまいりました。公害に対する世界的な戦いの提唱のごときは、まさに平和主義の憲法を持つ日本国際活動として最もふさわしい仕事の一つではないのかということなんであります。国の威信、力というようなことのほかに、こういう考え方を持つべきじゃないのか。だが、そのために、国際的なイニシアを発揮するにふさわしい国内的な実績がなければ、ものは言えないということなんであります。国内でろくなことをやっていないで、世界の先頭に立つと言ってみたところで、これは私はナンセンスであると思う。  総理は、施政演説の初めにおいて、「人間の尊厳と自由が守られ、国民のすべてが繁栄する社会を実現」とか、あるいは「進歩する社会にふさわしい倫理観の上に強い社会連帯の意識を育ててまいりたい」ということを述べておられますが、総理は修身の先生じゃないのです。政治家なんです。倫理的な価値観のようなものは総理は胸にしまっておいて、その実現のための手段というものを自分の本来の仕事にしてもらわなければ困る。総理の言うそういう社会を実現するために、何を経済政策の中心に据えなければならぬと考えておられるのか、そのことをお聞きしたい。
  111. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 ずいぶんいろんな御意見をいま述べられました、わずかな時間ではあったが。  まず第一に、私どもが、大国主義あるいは威信的な政治をしている、かような御指摘でありますが、私は、別に大国主義あるいは国際的威信を高めるとか、そういうような意味を持つものではありません。その点では誤解のないように願います。いわゆる大国主義、威信を持つとか、こういうことではございません。  また、アメリカ政府のやり方についていろいろのお話がございました。これは御批判は御批判として伺っておきます。私どもはそれについて答えることはございません。ドゴール、またしかりであります。  私どもは、何と申しましても、やはり平和憲法のもとで、ただいまは国際紛争は軍事的に解決しない。しかし、自由と繁栄、それをひとつ求めようじゃないか。また同時に、それを各国に与えようじゃないか、これが私どもの念願であります。そういう意味で、戦後の日本と戦前の日本は非常に変貌しております。もう根底から変わっている。ただいまようやく東南アジア諸国からも日本が信頼されるようなその地位にまでなってきた。これから私どもの経済協力だとかあるいは技術協力だとか、こういうようなことで、ただいま東南アジア諸国に対しましても、お互いに平和とそして繁栄の道をたどろう、こうしておるのであります。  また、私の施政演説について、どうも総理は修身の先生みたいなお題目を並べている、修身の先生じゃないはずで政治家だという、そのとおりです。私は政治家なんです。しかし、私が政治家だからといって、修身的な話はしちゃならぬというものじゃない。それは、当然そういうことをしていいのです。しばしば、先ほども御議論がありました、いわゆる無責任時代が来た。そういう意味で、私は、無責任時代が来たといって、政府はただそれだけ指摘しているだけじゃだめじゃないか。なぜ無責任時代、それを解消するだけのことをしないか。私はそのつもりで実はいるのです。それを解消するわけなんです。そういう意味から、やはり一つの倫理観を打ち立てないと、これはりっぱにはできないんじゃないかと思う。また、そういうことが国内でできない限りにおいて、国際的な発言をしてもだめだ。そこで、スウェーデンが公害について国際的な申し合わせを提起した。これはたいへんけっこうだ。この国内の公害問題と積極的に取り組め、こういうことが最後の私に対するお尋ねだったかと思います。意見を交えてのお尋ねでありましたので、私も意見を交えてただいまお答えしたとおりであります。  今回この公害問題について、これは本会議でもお尋ねがあったと思いますが、これをこれから、今度の予算では相当多額の予算を実は立てたつもりでございます。そうして公害基本法ができて二年目で、今度は三年目、そういうような状態でありますが、それにしてはよく予算を盛ることができた。しかし、まだずいぶん解決のできないものが幾つもございます。最近のテレビを見ましても、カドミウムに対してはまだ何にもできていないじゃないか、あるいは大気汚染、何にもできていないじゃないか、こういうような幾つもの問題がございます。それらのことを一応手がけていることだけ申し上げておきます。
  112. 江田三郎

    江田委員 私は、修身の先生のようなことを言っては悪いというのじゃない。しかし、政治家というものは、そういうお説教をする前に、実際この政治をほんとうに理想の社会に持っていくのにどういう手だてで持っていくのかということと取り組んでもらいたい、こう言った。そうして、あなたが掲げたような理想の社会をつくるために、経済政策の中心として何を考えておられるかということを尋ねた。ところが、それに対しては、公害の問題だと言われましたが、あなたがいままでやってこられたことは社会開発じゃなかったのですか。池田内閣の成長政策に対して、あなたが社会開発に政治生命をかけるといって、さっそうとして登場されたはずなんであります。そのことが頭に浮かばぬということは、もはやそのことを忘れられているということじゃないのか、それはどうなんです。
  113. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 言われて思い出したわけじゃありません。経済の基本は、何と申しましても科学技術を進歩さすことにある。そうしてそれがやはり全体的な繁栄をもたらす。その場合に各人がしあわせでなければならない。そこに人格あるいは人命が尊重されなければならない。そういうところから、どうも最近の経済発展、これは物質的な文明はずいぶん進歩したが、しかし、なかなかそれに相応するような社会的な開発が行なわれておらない。そういうものがあるいは住宅問題、あるいは道路問題あるいは公害問題、あるいは過密過疎の問題等々として実現してきている。これから社会開発がますます特に力を入れなければならないもの、かように私は考えております。別に忘れたわけじゃありません。また、予算を組みました場合も、そういう意味におきまして、社会保障をも含めて社会開発、こういうものにはずいぶん力を入れたつもりであります。
  114. 江田三郎

    江田委員 一月二十四日の経済審議会総会に、企画庁が計画と実勢との食い違いを出されておる。これを見るというと、民間の設備投資は予想をはるかに越えた伸展をしておるのに、公共投資部門が依然として大きなおくれを来たしておるわけであります。この計画の出発にあたって総理が閣議でおきめになった内容には、民間の設備投資の上昇については、これは間接的なリードなんだ、しかし、政府の公共設備投資あるいは国家資本の問題については、これはどこまでも責任を持ってやるのだ、こういうことを言われたわけなんです。ところが、その後の実績というものは、民間のほうはたいへんな伸び率を示したのに、政府責任を持つ部門はおくれてしまっておるわけであります。今日お互いの市民生活というものは、ただ賃金が幾らということで明るい生活が営めるものではない。社会資本がどれだけ充実しているかということがすぐに響く問題なんであります。そのことについて、この計画と実績とは大きな食い違いがきているのでありますが、そのつじつまをどこでつけようとしておられるのか。私は、いつか行政機構改革について委員会責任者の佐藤喜一郎さんが新聞へ書いたものを読んだことがある。行政機構改革について総理にいろいろ注文すると、いま何やらが忙しい、何やらが忙しい、これが終わったら本気にやりますという答弁で、いつまでたってもやってくれぬということを佐藤喜一郎さんは言っていた。いまのあなた方のやり方を見るというと、やれ沖繩に忙しい、大学に忙しいからというので、依然として社会資本の充実ということはあと回しになっているのじゃないか。あと回しになっていないというならば、このいよいよもってアンバランスが激しくなった状態をどこでどうつじつまを合わせていくのか、この答弁をいただきたい。
  115. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 経済発展計画これは、当時四十年がたいへん不景気な時代でした。したがって、あるいはどうも成長率を低目に見たということもあるかわからない。その後の経過を見ておると、実績は、いま御指摘になりましたようにたいへんすばらしい成長率をあげている。その場合に、一体政府の財政的な機能、これが一般景気にどういうような影響を与えるかということを実は考えなければいかぬと思います。民間にもそういう問題がある。やはり民間の力と国の力と合わせて上昇する景気、そういうものを持続していくということが一つの問題だと思います。したがって、それが片寄るということがむずかしい問題を起こしやすいのですが、しかし、民間がどんどん伸びていくこと、これはそれとして、私は喜ぶべき方向じゃないかと思っておる。ただ、民間だけにまかせて、政府のほうがあまり手をかさないということになれば、いま言われるような社会資本の充実、そのほうに事を欠く、そこにアンバランスができてくる、これは問題なんだと思います。したがいまして、いま計画自身も適当にこれを修正していきますが、同時に財政、金融両面からいまの景気をやはり適当なところで押えて持続さしていく。政府としては継続的な景気、それを実は望んでおるわけであります。そういう意味から、ただいまの社会資本は、非常に成長率が高いときには押えざるを得ないのじゃないのか。また、それが低いような場合に、景気が非常に不安定な状態、そういうような場合だと政府自身が力をかす、公債まで発行してそうして力を与えて景気を維持していく。しかしながら、一たん景気が動き出して適当なところへいけば、公債はやはり減らしていくとか、いろいろあるのでございます。ただいまこれがなかなか——最近の状態から見れば、コンピューター時代にもなりましたから、いまのようなそう大きな狂いはささなくても景気を持続させることができようかと思いますが、私どもの取り組んでおる姿勢、それだけを申し上げて、詳細については大蔵大臣その他に答えさせたいと思います。
  116. 江田三郎

    江田委員 私が質問していることは、あなたは池田内閣の成長政策に反対して社会開発ということを旗じるしにして登場されたわけなんです。ところが、結果はどうかといえば、経済成長になっちゃったんじゃないの。このほうは予定以上にいったんでしょう。そうして社会開発のほうは計画よりはるかにおくれてしまっている。このアンバランスはますますひどくなりつつあるわけなんです。いま国民の不満というものはどこにあるのか。私は、やはりこの社会資本の不十分さ、社会保障の低さということにあることはだれでも肯定できると思う。このバランスをとるということがなければ、いかに資本主義社会における工業生産力が、GNPが二番目になったとかなんとか言ったって意味がないのじゃないのか。あなたのいまの答弁は、依然として景気の持続であるとかなんとか、このGNPのことばかりに頭が向いている。しかし、その中でどんなにむなしい思いをしている国民がふえてきたかということなんです。あなたが施政方針で言ったところの、新しい倫理観に基づく社会連帯であるとか、あるいはその他の美しいことばというものは、いまのあなたのことばからは答えが出てこぬわけなんだ。あまりにも社会開発がおくれ過ぎているんじゃないのか、社会資本が乏し過ぎるんじゃないのか。これを充足していかぬ限りは、そこに人間疎外ということがいよいよ激しくなるのじゃないのか。そういうことを抜きにしているから大学問題でもこういうことになるわけなんです。もと、根本を忘れているということなんだ。自分の金看板をこちらから言うまで思い出さぬような、そういうことではあまりにも情けないと思うのであります。  そこで私は、さらに国民生活の諸問題あるいは税金の問題、社会保障の具体的な問題、そういうことについてもお尋ねするつもりでありましたけれども、与えられた時間がありませんから、そういう問題はいずれ委員会における同僚議員の質問に譲ることにいたしますが、ただ最後に、公害の問題と、それから大学の問題についてだけ簡単に御質問しておきたいと思うのであります。  公害問題に対する政府の取り組み方は、問題の深刻さと緊急性に対して完全に立ちおくれておると思います。予算を幾らふやしたとかいうようなことをさっき言われましたけれども、根本問題の第一は、公害問題の中心を占める産業公害について、発生源である企業責任を明確にすることであります。つまり、企業はその社会的費用を支払わなければならぬという原則を確立して、公害対策の基本を国民の健康、命ということに置くべきじゃないのか。社会資本を、社会的費用を払わないで世界第二位の工業水準だなんということは私はあまりにもおこがましいと思うのであります。政府は、企業がこの負担に耐えられない結果産業開発が阻害られるという議論に対してどういう考え方を持っておられるのか。総理も、あまりきびし過ぎては産業開発がおくれると考えておられるのか。一体健康本位の環境基準を守ろうとして、そのために要する費用は当該企業の投資総額の何%くらいになると考えておられるのか。その認識お尋ねしたい。
  117. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 産業公害に対して、人命尊重の観点からこれと積極的に取り組め、政府の態度がなまぬるいとおしかりをいただきました。公害基本法は、そういう観点に立って企業者と国と地方と三者でこういう問題の費用を負担する、いまこういう形で進んでおります。産業、企業の場合に投資が公害に対して何%そういう方向に使えばいいのか、こういうような点は実は私いままで考えたことがありませんから、私自身でなしにそのほうの企業関係のほうに答弁を移させていただきたい。  ただ、三つにおいて責任を分担するという、そのことは私考えております。また、今日まで企業負担が非常に重いから企業が成り立たないとか、あるいは特別な場合に公害基準が非常に重い、こういうような話も聞かないではありません。しかし、これは外国の例もございますから、適当なる公害基準というものはできるだろうと思うし、そういう意味で皆さんのお知恵も拝借していきたい、かように思っております。
  118. 江田三郎

    江田委員 専門的な答えはよろしい。私が言いたいことは、そういう社会的費用に耐えられないような企業ならつぶれたらよろしいという、そこまでの明確な態度を持たなければ公害問題の処理はできないということなんです。それも大きな費用じゃない。それをいまでも経団連あたりがぐずぐず言う。そうすると、政府方針がまたゆがんでしまう。何回これを繰り返すのか、もっとき然たる姿勢をとってくれということをまず第一に言うのであります。  第二の問題は、公害対策が国と自治体の両方によって行なわれて、その間、二重行政によるところの非能率と混乱が見られることを改めるということであります。公害発生は地域性を持っているのでありますから、国の役割りは強力な技術指導と財政援助を主として、公害規制実施の第一次的な権限と責任は自治体に与えるべきじゃないかということであります。アメリカでは自治体に公害防止の裁量権が完全に与えられておりますし、また、イギリスや西ドイツでも限定された裁量権が与えられておる。これが先進工業国の行き方ではないのか。日本の場合を見ても、最近の東京の美濃部方式とか、いろんなものが出てくるが、やはり自治体というものにもつと権限を与えていかなければ、ほんとうの公害は防止ができぬのじゃないかということは、どうお考えになりますか。
  119. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 大体の方向として、私いいだろうと思います。
  120. 江田三郎

    江田委員 根本問題の第三は、公害対策を公衆衛生、都市計画産業政策、農漁業の保護など、関連するあらゆる立場から総合的に推進し得る行政組織を確立し、また、公害規則の具体的実施にあたって関係官庁間の密接な連絡が確保されるようにすることではないかと思いますが、そのためにも、やはり基本的に、最初に申しました社会的費用を払わぬものは存立の資格はないんだということをきちんと腹の中に持ってもらわなければ、こういうことはできるものじゃないと思う。  さらにつけ加えたいのは、先ほど第二の問題でも触れましたけれども、何としても強力な研究機関が必要だということであります。厚生省公害課の人員要求わずか七名が認められなかったということは、政府はどうお考えになるのか。ある新聞によると、警察官五千名、自衛隊六千名、それに対して七名が認められない。公害課には専門技術者はあまりにも少な過ぎるじゃありませんか。いわゆる一九七〇年問題というものに頭を奪われた結果そういうことに配慮が至らぬのかもしらぬが、そういうことをほうっておくことが社会不安をいよいよ大きなものにするということなんであります。  さらに私はもう一つ聞いておきたいが、これから深刻になる問題は、企業の産業廃棄物の処理の問題なんであります。企画庁長官、大阪ですからよく御存じでしょう。大阪市の調査によると、普通の家庭のごみの四倍以上の企業廃棄物が出る。瓦れきや鉄ならば土の中に埋めても済みますけれども、合成樹脂の切りくずであるとか廃油なんというようなものは、焼けば有毒ガスが出たり、悪臭が出る。海の中へ捨てても問題になる。土の中へ埋めても問題になる。いまこういうものを土の中へ埋めたり、業者を雇ってそとに捨てさしておるのだけれども、こういうことについて、もはや捨ておきがたいような事態が幾らでも出てくるということなんであります。それに対して一体どういう研究機関を持っているか。大蔵大臣、七名も認められないようなそういう考え方で、あなたのGNPのほうはいいのかもしらぬけれども、二十一番目の国民の生活のほうはどうなるのかということをもっと考えたらどうかということなんであります。こういうことをどうお考えになるか。  あるいは、自動車の排気ガスが深刻になったということは、きのうの都心の調査でもはっきりしている。アメリカに輸出する日本の自動車が、有毒ガスの防除装置をつけて輸出するのに、なぜ日本でそれができないのか、私は佐藤総理に思い起こしてもらいたい。最近アメリカの司法省は、この自動車の有毒ガスの除去装置について振興を怠ったというので、フォードやシボレーなどの四大メーカーと自動車製造業者協会ですか、これを独禁法違反で告発しているじゃありませんか。アメリカに見習うべき点があればこういう点を見習ってもらいたいと思うのであります。そういう姿勢で今後公害と取り組むのかどうかということをお尋ねしたい。
  121. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 公害対策は、御指摘のとおり、総合的な対策を立てない限り十分の効果があがらない。総合的対策、これは同時に行政的の面からも、またまちまちでは困る。政府自身がやっぱり総合的に一体となっての対策を立てなければいけない、これは御指摘のとおりであります。また産業自体におきましても、産業の社会的責任を十分果たすというその決意がないと、やはりその事業、それが存在はだんだんむずかしくなる、これも御指摘のとおりであります。また、これから問題になるのは廃棄物の処理じゃないかという、これもたいへん時節柄、当を得た御意見だと思っております。私ども、これはたいへんなものだ、家庭から出てくるものの四倍あるいは五倍にもなるかわからない。しかも、そういうものはなかなか焼却だけはできないとか、焼くというようなことができない。ただ埋めるというわけにもいかない。たいへんな問題だと実は思っております。  そこでまた最後に、これは具体的な問題ですが、自動車の問題について、輸出の自動車には排気ガスについての規制を置いている、国内は一体どうなのか。最近のような状態だと、いまのままではほうっておけない、これだけははっきり申し上げておきます。
  122. 江田三郎

    江田委員 私は、時間がありませんから、いずれそういう問題については同僚議員がそれぞれ専門的にまた御質問すると思いますから、最後に大学問題について一言聞いておきたい。  政府大学の自治を尊重するといっておりますけれども、しかし、たとえばあの問題になりました東大の十項目の確認書などの扱い方を見ると、どうも大学の自治というものを尊重しようとしていないのではないかという感じを受けるのであります。法制局の見解が発表されましたが、まことに意地の悪いやり方だと思います。まあ、言ってみれば、しゅうとの嫁いびりのようなものであります。重箱のすみをつついたような問題を出して、そうして、しかも最終的には、違法であるとも言えるし、違法でないとも言える、違法であるとも言えない、違法でないとも言えない。ああいう問題の出し方というものは、ほんとうに国民に対して親切な出し方かどうかということであります。すべてに問題があるような出し方をしている。私は、今度一月二十八日に「七学部代表団との確認書について」という加藤代行のこの見解が出ていますが、少なくともこういうものが出てから時間をかけて検討したらいいと思う。それを一片の文書だけ出して、部分的な筋書きだけを見てあわてて結論を出すというようなことはやめてもらいたいと思う。大学というものはそれぞれが自主性を持ってやればいい。全国の大学が一色になる必要はない。それの自主性を尊重していくということが一番の肝心なことだと思うのでありますが、文部大臣はこの本は読まれたかどうか、これでもまだ問題があるというのかどうか。まあ、答えはあとでもらえばいい。私に対する答えは要らない。  さらに総理は、大学問題については中教審の答申を待ってということを盛んに言われますけれども、一体いまの中教審のメンバーというものを妥当なメンバーと考えておられるかどうか。会長八十歳、副会長七十九歳、全員明治生まれ、平均年齢六十七歳——私は、年をとったからだめだとは言いません。しかしながら、ほんとうに日本大学をどうしようということを考えるならば、こういう人だけでいいのかどうかということは、もっと考えるべきじゃないかと思う。副会長の七十九歳の人は元文化財保護委員会委員長だ。全部文化財ですよ、これは。こういうものを一体このメンバーにまかしていいのかどうか。ここにあげられるような人々がつくった大学がいま価値を問われているのじゃありませんか。いまの大学はあまりにも古過ぎるということは、だれでも認めることなんでしょう。それを依然としてこういう連中にやらすということで済むのかどうかということなんであります。  さらに私は、大学問題というのが、いまはただ紛争という治安的な側面だけがクローズアップされておりますけれども、実は、大学問題というのはもっともっと広範な問題じゃないのか。そのことをもっと積極的に手をつけなかったら問題の解決はできぬということを申したいのであります。  たとえば講座一つとってもそうでしょう。いまのこの都市をどうするかという都市工学の講座なんていうものは、どういう内容を持っているか、総理もあとでよく聞いてみていただきたい。とても実情には沿わない。  さらに、私学と国立との差の問題があります。学生の七二%が私学に集まっている。その人々が払う授業料、入学金。これと国立とで、この違いを一体どうするのか。これで教育の機会均等と言えるかどうかということなんであります。  昭和十年の授業料をもとにして現在の授業料を見ると、国立は百倍上がりました。ところが私立は五百五十倍になっておるのであります。そうして、今度の予算を見ても、国立に対する予算は一二%伸びておりますが、私学に対しては八%しか伸びていない。ところが佐藤総理、勤労学生のことを考えてごらんなさい。いま四年制の大学に十二万六千名の勤労学生が夜間通っておるのでありますが、その中で国立大学が受け持っている部分は幾らかというと、わずかに四・二%であります。恵まれないこの勤労学生が行っている学校はほとんど私立じゃないか。その私学というものを真剣に考えているのかどうかということなんです。教育の改革というものは、確認書がどうとかこうとかいうことだけじゃない、こういうところにあるということをもっと考えてもらいたい。  たとえば奨学金の問題なんかはどうです。わずか六%しかふえてはいないじゃありませんか。全体の予算規模を大蔵大臣考えてごらんなさい。六%の伸びでいいのか。しかも私はこっけいだと思うのは、育英会の事務補助金は一一%伸びておるのであります。育英会の事務補助金は一一%伸びても、肝心の育英資金は六%しか伸びない。育英会というのは何のためにあるのかと言いたいのであります。  われわれはこういうようなことを考えるときに、大学の問題についていままでやってきた、その人たちがやったことが価値が問われている古いメンバーの中教審だけにまかしておいて解決がつくかどうか、そこのところを総理答えていただきたい。
  123. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 いま中央教育審議会においていろいろ案を、基本的なものを出して検討してもらっております。これは昨年の初め時分に相談をしたのだと思っております。それがただいま言われるように、委員が不適当だ、こういう御批判であります。私もまた今回の問題が起きてから後、そういう点はないだろうか。また、他の党からも同じような意味発言がありまして、どうもいままでの中教審だけではメンバーとして不足じゃないか、また不適当じゃないか、かような御批判をいただいております。そういう意味でこの問題とも取り組みますが、同時にまた、とにかく早く中教審でどういう結論が出ますか、結論の出る方向、これもひとつ早くというような気がいたしておるのであります。ただ、先ほど中教審についての御意見は御意見としてただ聞くだけでなしに、私も共感を覚える面が多分にあります。  ただ、しかし、一番最初の切り出しの、十項目の確認書についての政府の態度は自治を無視するものだといって、頭からしかりつけられましたが、私は、これは当たらないのじゃないだろうか。私のほうはいままで何もしないといってずいぶんしかられたものなんです。何にもしない、何ごとだ、国費を使いながら政府は何を考えておるのだ、こういう意味のおしかりを受けておる。しかし私は、学問の自由を尊重し、また自治は尊重する、かような立場で今日まできておりますし、この異常な事態についての態度が、政府が何ら発言しない、さようなものであってはならないと思うのです。私は、東大の事件は普通の事態において平常の問題だ、かようには思っておりません。これこそほんとうに異常な事態と思っております。そういう際にこそ政府政府責任を果たすべきじゃないか。しかも、その果たし方と申しますか、私ども頭から、この十項目、これは不適当だ、かように申して一方的に取りきめたわけじゃありません。御承知のように、大学に対して適当なる方法だ、かように考えるがゆえに、適当なる助言をした、かような問題であります。助言すらけしからぬ、かように言われては、政府は一体どうすればいいのですか。ただ予算だけ注ぎ込めばいいのですか。そういうわけにはいかぬでしょう。また、政府がこういう点に触れれば、修身の先生だ、一体どういうことです。私は間違っておるというんだ。こういう点は別に私やかましくそれを言うわけじゃありません。また、これが一校だけでなくても、全部が一つの形式、型にはめるという、そういう考え方ではございません。しかし私、どうもものの見方が片寄ってはいないか、かように思います。私自身は片寄らないつもりでおります。  また、ことに御指摘になりました私学、私学に対する考え方、これをもっと徹底しろ、これは私ほんとうに共感を覚えております。勤労青年に対して、もっとわれわれが思いやりがなくてはいかぬだろう、こういうことを考えると、まだまだ教育の問題としては積極的に各党の協力を得て、ほんとうの国民の学校、国民大学をつくる、そういう時期にきておるだろう、私はかように思いますので、この点は、とにかく悪いことは悪いといっておしかりを受けますが、私どもそんなに立ち入ってどうこうするつもりはありません。しかし、ほうってはおけない状況だ、かように思っております。どうか各党ともそういう意味で建設的な御意見をお願いをしたいと思います。
  124. 江田三郎

    江田委員 最後に一言だけ申しておきますが、なかなか私が考えている質問というものも満足な答弁は得られないし、時間の関係もありまして、しり切れになった点もあるわけでありますが、私はいま時代は大きな変革期にあると思うのであります。この変革の時代に処する政治責任というものは、基本的にどういうものかということ。  まず第一は、科学文明、技術文明の発達に由来するところの人間の生存と人間性に対する脅威や危険を防止し、あるいは取り除くということをまっ先に考えなければならぬと思います。つまり、核兵器であるとかあるいは種々の兵器の脅威、各種の公害、あるいは化学物質使用によるところの環境の悪化、こういうことをまずいつも念頭に置かなければならぬと思うのであります。  第二は、科学技術の発達や経済発展の最高の成果が、すべての国民にひとしく役立つようなことをいつも考えていかなければならないと思う。心臓外科が発達して、総理は心臓は強いけれども総理の心臓が痛んだときには最高の病院に入れても、それは庶民にとってはただ夢だということでは困るということなんであります。  第三には、たとえば学校の先生とか科学研究者とか、僻地のお医者さんとか看護婦さんとか、あるいは福祉施設の働き手というように、社会の必要がますます高くなり、かつそれに従事する当人も社会のために役立ちたいと考えている仕事がありながら、そういう仕事というものが、いつも職場が置き忘れられておるということ、これを改めなければならぬというのであります。人々の社会に奉仕したいというこの理想と、そうして社会がこのことを求めている必要とがうまく結合するような政治をやっていかなければならぬという点であります。特に私は最近の看護婦さんの問題などを見て、切実にそのことを思うのであります。  看護婦さんのストライキが方々で出だした。一般の家庭からいうと、完全看護の病院へ入っても、なかなか看護婦さんが回らぬからということになると、一日二千円の付添婦を雇わなければならぬ。それでは長く入院しておれないという問題がある。その看護婦さんが一体どういう状態なのか。いま新聞にも出ていますけれども、一月のうち十三日も夜勤をしなければならぬ。夜勤のときには五十人を一人で担当しなければならぬ。多くの看護婦さんがやめたいと考えることが多いということ、九〇%の人がそういうことを言っている。こういうことをほっちらかしておいてはいけないということなんです。あるいは個人の病院におる看護婦さんは、お医者さんの女中のように使われてはならぬということなんです。もっと世の中が必要としておる職場、この職業のランキングを上げることを考えなければいかぬと思う。私は変革の時代に新しい職業のランキングがあっていいと思う。世の中がほんとうに必要としているこういう人々が、社会的にも尊敬され、また経済的にも恵まれるような、そういう政治お互い考えたいと思うのであります。  これで私の、いまのことは答弁は要りません。意見を申し述べて終わります。(拍手)
  125. 中澤茂一

    ○中澤委員 先ほどこの委員会で、江田書記長の質問の中で重大な問題が提起されておる。吉田書簡というものの疑義が一つも解明されていない。いまやイタリアやカナダ等、世界の中国に対する歴史は大きく変動しようとしておる。そのとき、この吉田書簡なるものが明快にならないと、日本の対中国政策というものの前進はあり得ない。  こういう立場から、本問題は重大でありますから、理事会で協議をされ、本委員会にその結果を委員長より報告されるよう取り計らわれんことを望みます。
  126. 荒舩清十郎

    ○荒舩委員長 これにて江田三郎君の質疑は終了いたしました。  午後の会議は午後二時十分より再開することといたします。  この際、暫時休憩いたします。    午後一時三十五分休憩      ————◇—————    午後二時二十一分開議
  127. 荒舩清十郎

    ○荒舩委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  これより質疑を続行いたします。北山愛郎君。
  128. 北山愛郎

    ○北山委員 私は、日本社会党を代表いたしまして、予算案、財政金融政策並びに税制の基本問題について、若干の質疑をいたしたいと存じます。  まずその前に、実は肝心の予算審議をやる上に重要な参考資料、これがきょう配付されまして、ただいまあのボックスに入っているという報告であります。この問題については、実は昨年も御注意を申し上げたわけでありますが、そういう資料を見ないで予算の審議をするということは、これは無理というものだと思います。少なくとも予算委員会でありますから、予算の審議に必要な資料というものはその前に、実はもう数日前に配付をして、それに基づいた審議をしなければならないと思うのであります。ところが、残念ながら、ことしも同じような結果になっておる。これはわれわれ国会をむしろ軽視しておるんじゃないか。注意をされても改められない。国会をまあ、ばかにしているという感じもするわけであります。こういう点について、政府責任者から一言見解を承りたいのであります。
  129. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 お答えいたします。  ただいまのお話、昨年も注意を受けたのですけれども、ことしもぜひともということで、ずいぶん努力はいたしましたけれども、いまようやくお手元へいったような次第で、これは何とも申しわけございません。おわびしておきます。
  130. 北山愛郎

    ○北山委員 このように資料がおくれるということには、やはり原因があると思うのであります。というのは、財政法によって、予算案というものは十二月、年末に出すというのが常例であるときめてありますが、予算の決定が一月の半ばにおくれてしまっておる。それから印刷にかかるわけでありますから、資料がおくれる結果になっておる。私は、現在毎年行なわれておりますような政府の予算編成のやり方自体にも問題があるのではないか。これを国民の側から見るというと、各省の要求が大蔵省に集まって、大蔵省の原案が十二月の末ごろに大体まとまる。その時期に政府の予算編成方針がきまるというのであります。ですから、予算編成方針というものが、大蔵省の原案をつくる。積み上げる段階においては反映されておらない。そうして、その後は、これは皆さん御承知のように、予算のぶんどり合戦であります。まあ、よく言えば復活折衝というのでございましょうが、各省あるいは圧力団体が入り乱れて予算のぶんどり合戦を、これは毎年やっておる。その上で予算ができ上がるという、この経過になっておるわけであります。こういうことでいいのか。私は、むしろ政府自身が不在の予算ではないかとすら思われるわけであります。大蔵省その他官僚主導型の予算であり、政府の基本方針というものが予算案の中に入っておらない。いわんや国民不在であります。一部の圧力団体の声しか通っておらない。こういうような予算編成でいいのかどうか。私は、むしろ政府が予算編成の方針というものを十月なり十一月のころに出して、大まかな方針でもいいのでありますから出して、それを中心にして、国会で各方面の代表、産業界や、あるいは労働界、あるいは農民団体、あるいは青年、婦人、各方面の団体の人たちに、どんどん自由になるべくたくさんの人に意見を述べさせて、それをわれわれが聞いて、政府も聞いて、その意見を予算案に反映する、こういうことでなければ、私は、民主主義国会における、あるいは現在の議会制民主主義のほんとうの姿ではないと思うのです。私どもは、古い大学の制度というものを批判しておりますが、もしも国会が、あるいはいまの予算案の編成というものが、こういう古い旧態依然たる型であるならば、おそらく議会制民主主義というものの重大な危機になるかもしれぬ。非常に私は大事なことだと思うのでありまして、こういう点は、もちろん国会の審議それ自体にも問題はあるけれども政府の側においても考えていただかなければならぬと思うのであります。この点につきましては、すでに昨年この委員会に社会党の具体的な提案をしております。各委員のところに配付されております。各党の意見も出していただいて、そうして国会は国会なりに、あるいは政府政府なりに、いまの予算の編成とその審議のあり方というものの根本的な改革、これが必要だと思いますので、与党の総裁として、政府責任者としての佐藤総理から重ねて見解を承りたいのであります。
  131. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 ただいまのお話、ことしは特に異例な予算編成だったということ、これをひとつ御了承おき願いたいと思うのであります。先ほど冒頭にお答えいたしましたのはたいへん簡単でありましたが、なぜ異例かと申しますと、総裁選挙が十二月に行なわれた。   〔委員長退席、機内委員長代理着席〕 それから組閣した。そんなことでたいへんおくれました。少なくとも、幾らおくれても予算編成は年内に終えないと、ただいまのような資料作成の上からも、また御審議を願う面からも、これはたいへんな問題があるのであります。したがいまして、ことしの予算編成、これはまあ定例型でないんだ、異例のものだ、かように御了承いただきたいと思います。  そこで、今度は、野党の諸君からも予算編成について十分協力したい、そういう意味で、予算に対する主張も、各党の主張をひとつ取り入れるような余裕のある組み方をしてくれ、こういうお話であります。これもしごくもっともな話で、私ども、事柄を各党共同して、これだけはぜひとも何とかしようじゃないか、かように過去において取り扱ったこともあります。しかし、なかなか全部が全部そういうわけにもいかない。と申しますのは、基本的にそれぞれの党には基本的な主張があります。たとえば、私どもは自衛隊の道を一応認めておりますが、これについても、党によっては、違憲だ、それは認められない、非武装中立だ、こういうような考え方で予算と取り組む。こうなりますと、これはもう根本的に主張が違いますので、なかなか小手先だけであちらこちらを直すというわけにもいかない場合もあります。  しかしながら、私は、共通して、とにかく老人対策、もう少し力を入れようじゃないか、こういう問題は、ただいまの総ワクの変更、これはしなくても、十分皆さん方と話し合いのできることだ。ことしなどは、予算編成もおくれましたが、そういう意味の申し出もあり、私ども適当だと思うから、そういう点を取り上げたわけであります。それにはやはり前提として、それぞれの党の主張はあるが、しかし、やはり是は是とし、否は否とするという、そういう態度で、建設的な意見で予算と取り組む、こういうことが望ましいのじゃないだろうか。あえて、いませっかくの御提案があり、そうして各党とも国民に対する責めを果たしたい、そういう意味政府考えろという、こういうお話でありますので、私も率直に申し上げて、できることはそうしたいものだ、またそのためにはもっと時間を与える、そういう点を余裕のある組み方をすべきだ、そういうように私も考えます。  ただ、政府自身考え方ばかりじゃございません。各党にもそれぞれの主張があると思いますし、国会ばかりが国政審議の場でもございませんので、またあらゆる場合にいろいろの希望、期待、そういうものを述べていただけば、政府としてもそういうものと取り組むことができる、かように思います。  一応お答えしておきます。
  132. 北山愛郎

    ○北山委員 私の願っているところは、国会というものがもっと生きたものにならなければならぬじゃないか。各党が非常に硬直した姿勢でもって、われわれ野党なら政府の案はぜひつぶそうというようなふうに硬直化した形では、ことに複雑な経済の問題などは、むしろかたわになってしまう、あるいは国民と血の通わないようなものになってしまうというふうなおそれがある。したがって、いまの国会の活動は、単にこの委員会だけではなくて、常に国民意見をあらゆる形で取り入れるというくふうが必要じゃないか、こういう気持ちで私は申し上げておるわけであります。  ことに、この委員会でもそうでありますが、与党の議員の方を私は気の毒だと思うのであります。もう予算がきまってしまえば、あとは政府の案を押し通すというか、賛成をするというだけで、われわれの意見をがまんして聞いていなければならぬ。こういうことじゃなくて、やはり一年に一回ぐらいは自由に討議ができるような、そういう場があってもいいのじゃないか。あるいは衆参両院で経済問題についての合同委員会を開いて、そうして各界の人たちを招いて意見を聞く。何も与党、野党というふうな対立の中でなくたってできるじゃないか。そういう形で私は国会というものをもっと生き生きとしなければ、第二の大学制度問題が起こると思うのであります。そういう点で、私の気持ちがそこにあるものでありますから、ことに具体案についてはすでに提案をしておりますから、委員長におかれましても、その案を中心にして検討を願いたいということを私はまず冒頭に申し上げておきます。  それから、次に予算の問題に入りますが、最初にお尋ねをしたいことは、本年度の補正予算であります。これはもう大蔵大臣は補正予算を出すように気持ちを固めておられるというふうにいろいろ伺っておりますが、その補正予算の内容等につきまして御説明をいただきたいのであります。
  133. 福田赳夫

    福田国務大臣 臨時国会でも申し上げたのですが、補正予算の審議をお願いしなければならぬ、かように考えております。  補正予算の性格でございますが、これは総合予算主義のたてまえから、私どもといたしましては、増ワク補正、ワクを増額するという補正は極力避けたい、かように考え昭和四十三年度中に行政執行上変動を生じた諸経費を予備費及び既定経費の差し繰りによってまかなうという、そういう組みかえの補正ということを考えて今日まで至っているわけであります。ただ、臨時国会においても申し上げたのですが、異常または非常の事態が生じた場合には増ワク補正もあり得る、こういうふうに御了承願っておるわけでありますが、その後の推移を見ますと、ただ一つ問題が出てきておる。それは米の問題なんです。当予算編成当初におきましては、八百五万トンと予定しておりました米の政府収買量が千万トンになる。そこで、三、四百億円どうしても食管会計のほうに赤字が出る、こういうことになるのでありまして、そんな多額なものが既定経費の組みかえで処置できるかということが問題になるわけでありまするが、ただいまできる限りこれを既定経費でやってみたいという努力はしておりまするけれども、どうもまだ自信が出てまいりません。もしその既定経費からの組みかえができないということになりますれば、組みかえ補正にプラスいたしまして増ワク補正もやむを得ない、かように考えておるのであります。  なお、本年度は自然増収が二千四百億もあるわけでありまして、その大部分が三税であります。したがいまして、地方交付税交付金として地方に交付すべき額が七百三、四十億円に相なる。補正をする機会がありますれば、これも補正いたすことが適当であろうかと、ただいまさように考えておる次第でございます。
  134. 北山愛郎

    ○北山委員 地方交付税は、これは自治大臣と大蔵大臣のほうでいろいろお話があるようであります。したがいまして、まあそういうことがなくても、当然原則としては、その年度で出すべきものは出すということが原則だと思うのであります。そうなれば、当然これは増ワク補正にならざるを得ないのじゃないか。  私は、いまに至って総合予算主義にこだわっているのはおかしいじゃないかと思うのであります。この前の国会で申し上げましたが、現在の財政法自体が総合予算主義なわけです。総合予算主義というのは、ある場合の追加補正あるいはその他の補正というものをしないという意味じゃないので、むしろ、例外的ではあるが、必要があればするというのが総合予算主義だと思うのであります。ですから、すなおに財政法のとおりやっていけばいいのであって、ことに現在のように経済が変動して見通しが狂ってくる。政府の経済見通しも年度当初から大幅に狂ったでしょう。したがって、いま言ったように、二千四百億も税金の自然増が出てくる。自然増、税収のほう、歳入のほうはどんどん遠慮なくいただいて、歳出のほうはもう当初予算以外には出せぬ、これはおかしいじゃないかと私は思うのであります。まあ、これが常態で、経済の変動があまりないという事態においてはそういうことも可能であるかもしれませんが、いまのように経済が変わってくるという中で、当初予算で予算全体を硬直化して固定するということがいかに非現実的であるかということは、もう今年度でわかったと思うのであります。ですから、その総合予算主義なるものにあまりこだわる必要はないのじゃないか。  ことにつけ加えて申し上げたいことは、国債を千五百億も減額するといわれております。当然これは補正の中に入るべきものと私は考えている。また事実、四十二年度予算では補正予算でもって税収に振りかえましたね、六百九十億国債減額をして。そういう前例もあるのでありますから、私は、公債を千億なり千五百億減額をして税収に回すという場合においては、当然理論上も、実際上補正予算も出るわけですから、その際には国債の振りかえは補正の中に入ってくる、こうあるべきだと思うのでありますが、大蔵大臣どうですか。
  135. 福田赳夫

    福田国務大臣 さように考えております。
  136. 北山愛郎

    ○北山委員 それでは、問題はたくさんありますけれども、次に移りたいと思いますが、今年度もいま言ったように税収二千四百億も自然増になる。それから明年度四十四年度において毛約一兆二千億自然増になるということにいたしますと、私の計算では、昭和四十一年度末の事態のまま、そのままに四十四年度まで引き延ばしますと、総体の自然増収というものは五兆円ぐらいになるのじゃないかと思うのであります。これに対して四十二、四十三、四十四の三年度を通じた減税というものは、積み重ねましても五千億にしかならない。これは重層的になりますからそうなるわけです。そうすると、五兆円の自然増に対して、減税は五千億ということでは、佐藤内閣になってから、まあ四十一年度は別でありますけれども、四十二年度以来は、税の伸びはどんどんふえるにかかわらず、減税についてはまことにしみったれだというような感じがいたします。これは四十三年度の自然増がそうふえるから、なおさらそう思うのであります。どうでしょうか、その点は、大蔵大臣。
  137. 福田赳夫

    福田国務大臣 経済が、私どもが数年前に予想しておったよりはかなり高い高さで成長しておるわけであります。つまり、四十一年から四十二年、四十三年と、この三年度ですね、一三%、一二%、一二%、そういう高い成長を続けておる。しかもまた、本年度も、それには及ばないにいたしましても、まあ一〇%程度の実質成長をしようとしておる。ですから、税制が変わらなければ、どうしてもいま累進税率下の所得税体系におきましては税収がかなり伸びていくということは当然なんでありますが、それをいま北山さんは減税の形で国民に還元すべしというようなお気持ちのようでありまするが、一方経済が伸長発展すると同時に、政府の需要も実にまたふえておるわけでありまして、ことに社会保障費、また先ほどは社会党の書記長からお話がありましたように、社会資本の立ちおくれに対する処置、各般の需要がふえておるわけであります。四十四年度において一兆二千億円の自然増収が見込まれるのでございまするけれども、一方において歳出では従来からの当然増加要請にかかわる経費が約七千億もある。新規政策費二千億円を使うと、あと残りは三千億円くらいしかない、こういうことになるのでありまして、しかも御承知願いたいのは、いまそれでも公債を出しているという事態であります。四千九百億円の公債を出し、それで財政をまかなう、そういう状態のもとにおきまして、なかなか減税というものがむずかしい。そういうむずかしい中でありますけれども、所得税につきましては、最近の所得税の状態を見まして、これは減税を行なうがよかろうというので、千五百億円を初年度とする減税を行なうこととした。そういう状態で、減税減税とおっしゃいまするが、なかなかそう簡単な問題ではないということもまた御了知願いたいのであります。
  138. 北山愛郎

    ○北山委員 もちろん、一方において財政需要もふえてくることは私もよくわかるのですが、しかし、いま申し上げたように、五兆円、重ねて計算すると五兆円も税が伸びるのに、減税のほうはその十分の一だということは、何としてもこれが国民、ことに給与所得者、労働者階級の生活を圧迫しているのじゃないか、こういう点で私はこの問題を指摘したわけであります。  そこで、先へ進みますけれども、四十四年度予算は経済成長を抑制するという気持ちで組んであるというのが政府の施政方針であります。その方法、手段としては、財政規模の問題がある。財政規模も一五・八%ですか、というのは、経済成長と見てあまり高くなっておらないし、特に政府が民間から買い入れる物資とサービスの量からいえば一二・三%しか伸びておらないから、経済成長の率よりも低いから、この予算は景気刺激型ではないといって、その方法、手段、一つの柱として公債の発行も減らすのだ、こう言われておる。四千九百億ですか、しかし、ことし四千九百億になるのじゃないですか、実際の発行は、千五百億減らしますと。ですから、ことしの補正で千五百億の公債発行を縮減しますと、ことしと同じということになる。まあそれは別としまして、一体、その公債発行のワクを減らすということが景気抑制になるのかどうかという点について御説明をいただきたい。
  139. 福田赳夫

    福田国務大臣 公債発行を減らしますということは、まず第一に、それだけ歳出の規模を縮小するということになりますので、それだけ政府財政から経済界に及ぼす影響が減殺される、かようなことになるわけであります。  それからさらに、公債の発行額が減るということに並行いたしまして、金融財政政策、こちらのほうの運営というものが機動的、弾力的にできる、こういうようなことで、金融政策運営上楽になる。かような立場になるわけでありまして、私は、この予算の量ということもさることながら、予算を組んだ後におきまして、財政の運営、またこれと並んで金融政策の運営、それが経済のかじとりとしては特に重要ではないか、こういうふうに考えておりますが、さようなことで、公債を減らしたということは、私は、今後たいへん経済運営上いいことだと思います。  それからもう一つは、これは非常に基本的な問題になりますが、公債政策というものは、これはなかなか運営に細心の注意を払わなければならぬ。つまり、民間の景気がいいときには公債を減らす、それから民間の景気が悪いときには公債をふやす、そうして民間の経済活動と、それから政府の経済活動との総和、つまり、国民総需要がバランスをとりながら伸びていくという形、これをやっていく上において公債の多寡というものが非常にものをいうわけでありますが、四十四年度はとにかく一〇%は割りますけれども、九・八%という高い経済成長を見通しておる。そういう際におきましては、公債の額をこの際減じて、公債政策の節度というものをこの際打ち立てておきたい、こういうところに大きな意味を持たせておるのであります。
  140. 北山愛郎

    ○北山委員 長期的に見れば、国債の発行というものは、景気を刺激することは言うまでもございません。しかし、ことしの、四十四年度の経済に対する影響ということからすれば、国債を千五百億減らしても、それは市中資金にそれだけ余裕を与えることになって、かえってこれは産業資金を刺激する、そうじゃないですか。そして逆に、すでに発行した国債が市中にたまっておるわけですが、それがどんどん日銀の買いオペによって日銀に買い上げられる、それだけお札がふえていくということになりまして、そういう両面の作用がことしも、また四十四年度もこれは働いておる。そういう点からすれば、四十四年の経済、これの景気を刺激しないように抑制するという意味では、国債を減らしたということは直接にはさっぱり役に立たない。ですから、これは決して悪いことだとは言いませんよ。悪いことだとは言いませんけれども、予算を景気刺激型にしないで、抑制型にしているという理由には非常に弱いものではないか、私はそう思うのであります。もしそれについて政府の見解があれば、大蔵大臣の見解があれば述べていただきたい。  しかもいまは、福田さんが前大蔵大臣として公債というものを導入をされた、そのあと始末に四苦八苦しているわけです。一応は市中消化でもって、市中に金融機関にも出した。ところが、その市中に滞留した相当ばく大な——いままで二兆円ばかり出しておるでしょう、二兆八百三十七億、それが一部はすでに日銀の保有になっている。あと一兆円くらいが残っておるのではないかと思うのであります。その一兆円をこれから日銀が買い上げるでしょう。そうすると、結局過去に発行した国債がいまインフレの原因をなしている、金融緩和に役立っておる。しかも、ことしの国債を減らせば、それだけ市中資金を緩和する、そういうことになるのではないですか。  私が聞きたいのは、昭和四十年以来発行した国債の中で、日銀の保有になっているものは一体幾らあるか、市中にどれだけ残っているのか、その数字をひとつ明らかにしていただきたい。
  141. 青山俊

    ○青山政府委員 お答え申し上げます。  ことしの一月二十日現在で申し上げます。市中の金融機関として引き受けましたものが一兆八千四百五十億でございまして、日銀の買いオペの累計が八千六百八十七億でございます。したがいまして、率といたしますと四七%、こういう状況になっております。
  142. 北山愛郎

    ○北山委員 いま言われましたとおりです。日銀引き受けではいけないと言うけれども、一年たってしまえば、いままで発行したものが一年たてば、どんどん今度は日銀が買いオペで買っていく。それだけ通貨がふくらんでいくわけです。そういうふうないわゆる公債発行というものを導入した結果がいまの景気にそのような影響を与えているということなのであって、そこで私は、大蔵大臣の演説にもありますように、景気を抑制するために国債発行を減らしたんだなどと言って自慢するようなことはないのだ。私はそう思うのです。どうですか。
  143. 福田赳夫

    福田国務大臣 私は公債政策、これは採用してから四年目になりますが、これはかなり順調に行なわれている、こういうふうに見ておるのであります。つまり民間が経済活動が非常に調子が低いという際に、政府が財政を拡大し、そして需要を喚起する。そして民間と政府との総和が落ち込まないということでありますれば、景気は少しも変動はないわけなのであります。さようなことを考えまするときに、公債で民間の需要と見合いながら財政を調節してまいる。これがうまくいきさえすれば非常に日本経済の状態というものはよく動く、こういうふうに見ておるわけであります。現に四十一年、二年、三年とたいへんうまくいってる、かように見ておるのです。  いま、公債発行したのが一兆八千億になる。それの約半分くらい日銀のほうに回っておるという理財局からの話でございますが、そのとおりであります。しかし、それは通貨供給の方式をいままで日銀貸し出しという方式でやったものを公債によるオペレーションという形式に変えただけの話でありまして、公債発行形式をとりましたこの数年間において、通貨の発行量がふえてまいっておるかというと決してふえてまいっておりません。成長に見合うだけの通貨しかふえておらぬ、こういう状態でありますので、何らの不安を感じておらない。公債は、その節度さえ守ってまいりますれば、わが国財政運営上きわめて有効な働きをなす、かように考えております。
  144. 北山愛郎

    ○北山委員 通貨の問題はあとでお尋ねをしますが、経済は順調に推移しているというけれども、順調じゃないのですね。政府の見通しよりもずっと上回って毎年毎年一七%も伸びるということは、伸びることはけっこうなようだけれども、しかし先へいってどうなるかわからぬのです。ですから、経済社会発展計画が長期に安定した成長を続けるためには、やはり成長というものを八%くらいにとどめるべきであり、そして物価は三%にそれでなり得るということが安定計画だったんです。計画のとおりにいかないで、経済は超高度の成長の型になっている。これはいまはまだ出ておりませんが、これから先、来年あたりこのような超高度成長の持続ができると考えているのかどうか、私は非常に危険だと思うのでありますが、もしもこの点について経済企画庁長官の御見解があればお伺いをしたいと思うのです。
  145. 菅野和太郎

    ○菅野国務大臣 今日までは経済成長が非常に高度の成長を遂げておったことは事実であります。そこで、今後このような成長が続けられるかどうかという問題でありますが、なるほど先進国と比較いたしますと、先進国のほうが経済成長率は低いです。しかし、いまは先進国はそれ相当のすでに資本の蓄財がありますからして、したがって日本の経済といたしましては、今後ますますまだ伸ばすべき余裕が私はあると思っております。  たとえば労働力について申し上げれば、今日、西ドイツと日本との国民総生産は、日本が今日では西ドイツを追い越しましたけれども、しかし人口数から申しますと、日本の人口数は西ドイツの人口数の倍まではいきませんが、倍近くあるということでありますからして、人口が倍であって、そして同じような成長を遂げておるということであれば、すなわちまだ日本の労働力というものはもう少し活用できるということになると思います。私はこの労働力の活用と労働体制の改善ということは、今後ますます日本の経済にとっては重要なことと考えておりますから、そういう点から考えてまいりますと、私は、日本の経済というものはまだまだ伸びる余裕があると思っておるのであります。したがいまして、外国が成長が七、八%だ、だからそれくらいでとめたがいいというようなお気持ちがおありかと思いますが、私は、先進国よりももっと多く成長することによって日本が先進国に追いつくことができる、こう考えておりますので、できるだけ伸びる成長力は伸ばすようにしてあげるということが肝心ではないか、こう考えております。
  146. 北山愛郎

    ○北山委員 これは経済社会発展計画と現在の経済の動向との関連になりますが、非常に時間も要るので、私は先に進みたいと思いますけれども、しかし肝心の経企長官が、そのような野放図もない、多ければ多いほどいいというようなことで、一体経済の計画的な運営といいますか、これが安定的に成長さしていけるものかどうか、私は非常に心細いと思うのであります。やはりそれだけの理由があって、経済社会発展計画はあのような計画を立てたに違いない。それが実態に合わなくなってきた。合わなくなった原因はどこにあるのかということを十分検討してやることが企画庁の仕事であって、多ければ多いほどいい、長ければ長いほどいい、そんなようなことではまことに心細いような感じがいたします。  そこで私は、今度の四十四年度の予算の性格についていろいろな角度から申し上げたいのでありますが、また同僚議員の人たちもまだいろいろな点について質問をするだろうと思いますので、私は、ただ、もう一つの性格であるこの予算の、いわゆる安保予算と私どもは言っておりますが、防衛力、自衛隊あるいは警察力、いわゆる治安、防衛の部分について相当な増額がなされ、配慮がなされておる、そういう性格を一つ持っておると思うのであります。  防衛費については、予算面においてはそれほどの増額のように見えておりませんが、これが去年も問題になったように、国庫債務負担行為という名前で、あるいは継続費というような名前でもって、予算外の来年、再来年の予算を先取りしている。そういうものがことしもまた相当ふえておるのでありますが、本年度は継続費において百五十五億、国庫債務負担行為において千六百十億、合わせて千七百六十五億であります。これに、いままでにもうすでに債務負担が決定した分が積み重なるわけでありますから、相当膨大になっておると思うのですが、四十四年度以降防衛関係において国庫債務負担行為あるいは継続費等において、将来支出を要する金額の総額は幾らになるのか、この数字をひとつ、総体の数字でいいのでありますから、説明をしていただきたい。
  147. 有田喜一

    ○有田国務大臣 来年度は防衛予算が多いというお話でございますが、来年度総予算のうちに占めておる防衛費の割合は、わずか七分一厘八毛程度なんですよ。前年度は七分二厘五毛だったが、総体からいえば、割合は減っておるような実情なんです。  それから、先ほどお話のありました、防衛庁の予算において国庫債務負担行為あるいは継続費が非常に多いということでございますが、なるほど御指摘のとおりでありますが、この防衛費につきましては、三次防によりまして、すでに五カ年間の一応のワクが設定されております。そればかりじゃなくて、防衛装備は性格的に調達取得に相当の期間を要するものが多い。また、計画的な生産を必要とするものもありますので、こういう国庫債務負担行為とか継続費があるのはやむを得ない実情にあるわけです。たとえば艦艇の建造とか航空機の取得等につきましては、御承知のとおり相当の日月を必要とするものでありまして、こういうような種類のものが相当ございますので、後年度負担の発生は、防衛庁の予算として、これやむを得ない不可欠なものであることをひとつ御了承を願いたい。  ただ、明年度四十四年度の予算編成にあたっては、できるだけ硬直化抑制をしなくちゃならぬというような考えをもちまして、継続費のごときは前年度に比べて減っておるような状態であります。一々の具体的の数字なり内容につきましては、政府委員より詳細に説明いたさせたいと思いますが、この点を御了承願いたい。
  148. 北山愛郎

    ○北山委員 私の聞いておるのは金額でございました。しかし、長官のお話は、私は実はさっぱりわからないんですよ、そういう説明は。私の計算では、継続費において四十五年度以降三百二十八億、四十五年度以降債務負担行為が二千四百二十八億もあるんじゃないかと思うのです。両方合わせますと、二千八百億くらいをすでにことしまで、四十四年度までに決定をして四十五年度以降の支出を約束しておるわけですね。そうなりますと、これは当然その中には、例の問題のF4Eファントムも入っておる。その頭が入っておるわけです。三十四機分しか入っておらぬ。そういうことになれば、この部分だけがさらに一般会計の予算以外に、いろいろ注文もするだろうし、契約もするだろうし、その注文をされた会社は設備投資もするだろうし、そういう波及的な景気刺激の効果が出ると思うのであります。それ以外に、今度の予算の中で、宇宙開発であるとか海洋開発であるとか、あるいは原子力の動力炉核燃料開発事業団であるとか、原子力発電といったような、予算のただ数字だけじゃなくて、質的に景気を刺激する、あるいは投資、そういうものを刺激する要素が入っておる。そういう点まで見て、私どもは今年度の予算というのは景気を刺激する予算だと思うのであります。ことにその一部がいまの安保予算の中にもある、防衛費の中にもあるということを一言指摘を申し上げたわけですが、私ちょっとわからないのは、財政法上は継続費というものもある、一方では国庫債務負担行為というものがある。一体どのように違うのですか。防衛庁の予算を見ると、大部分継続費は艦船であります。船であります。ところが、国庫債務負担行為のほうにも船がないわけじゃない。やっぱり船を国庫債務負担行為でやっている。一体どういう基準で継続費にしたり、国庫債務負担行為にしたりするんですか。どうなんですか。
  149. 鳩山威一郎

    ○鳩山政府委員 継続費と国庫債務負担行為と、どういうふうに区別しておるかという点でございますが、艦船につきましては、護衛艦以上のものにつきまして継続費で計上いたしております。それから護衛艦よりもっと小さい敷設艦のようなものは債務負担行為のほうでやっておりますが、これは、継続費のほうは各年度——三カ年あるいは四カ年にわたりまして各年度ごとの支出額を計上してあるわけでありますが、これは艦船になりますと、やはり部品等が相当複雑になってまいりますので、各年度において追加してそのワク内で契約するということが非常に多いので、そういうふうにいたしておるということでございます。性質的には非常に大きな点の違いがあるとは私ども考えておりません。大体において、後年度の負担という意味では全く同様の性質を持っておると思っております。
  150. 北山愛郎

    ○北山委員 政府は、財政法上の継続費とそれから国庫債務負担行為と、性格上というか、区別があるのです。区別があるものを、混同して適当に便宜で運用しておるきらいがあると私は思うのであります。似てはおるけれども違っておるのです。しかし、その論争をここでしますと時間がたちますから、先に行きます。  次に、今度の予算の中で、いわゆる治安関係予算、警察官、機動隊その他を——機動隊三千五百人ですか、合わせて五千人ぐらいの警察官をふやすわけですが、すでに警察官はこの四十三年度までに毎年六千人ずつふやしておる。一万八千人三カ年計画でふやしたわけですね。さらにことし五千人もふやす。合わせて大体この数年で二万人も警察官がふえる。自衛隊は六千人もふえる。一方では公務員が多過ぎるから整理をするといって縮減、合理化を進めておきながら、自衛隊と警官だけはじゃんじゃんふやしていくということでは、これは福祉国家に進む道じゃなくて、警察、軍事、軍国主義の国家に進む道ではないかと私は懸念をするわけです。その機動隊も——一体機動隊というのは何なんですか、法律上は。どこに明文があって、どこが普通の警官と違うのか、どこできまるのですか。国家公安委員長、お尋ねします。
  151. 荒木萬壽夫

    ○荒木国務大臣 お答え申し上げます。  五千人の警察官増員に関連する予算を要求しておることは御指摘のとおりであります。そのうち機動隊は二千五百人、千五百人は外勤警察官、他の一千人が警備、捜査員、全国的な対象としてそういたしておるのであります。  申すまでもございませんが、別に警察国家をつくるなどという考えがあろうはずもございません。警察はあくまでも消極的な行政で、無法まかり通る不法事案、そういうものは許さないという憲法ないしは警察法の趣旨に基づきまして、不法事案があるならば出動しなければならない。また、不法事案がだんだん多くなる可能性が考えられますならば、全国民のためにそれに応じた措置をする責任がある。その立場に立って要求しておるわけでございます。  機動隊は、昭和二十九年の警察法改正当時から設置されたものでございまして、法律の明文に従って機動隊というものが規定されているわけではむろんございません。集団的な暴力事犯、あるいは一斉捜査等々の、警察の責任を果たす上にどうしても一つの具体的なものでもって応じませんと処理できませんので、その必要性から警察法に基づいて総定員を定め、また警察法に基づいての総定員は各都道府県の条例で定め、その具体的内容は地方の都道府県の公安委員会規則で定めるという順序を経まして、いま申し上げましたような趣旨に従った機動隊が創設され今日に至っておる、こういう状況でございます。
  152. 北山愛郎

    ○北山委員 そうしますと、法律上警察法を見ても機動隊というものはないわけですね。警察官の定員がある。定員の基準については政令できめる。しかし、実際の警察官の定数というものはそれぞれの都道府県において条例できめるということにたてまえはなっておるわけです。したがって、何名を機動隊にするのか、そういうようなことは一いまの都道府県警察というのは自治体警察ですから、やはり現在の警察も、私ども現行の警察法の審議にあたって、ちょうどその当時の国警長官はそこにおられる斎藤さんでございましたが、明らかに現在の府県警察というのは自治体警察なんです。ですから、定数は条例できめるのですから、何名を機動隊にするとか、そういうふうなことは、都道府県自治体警察の自主的にきめるべき問題じゃないか、私はそう思うのですが、どうでしょうか、たてまえは。
  153. 荒木萬壽夫

    ○荒木国務大臣 お答え申し上げます。  先ほど申し上げましたように、警察法に基づきまして総定員がきまるわけでございまして、それを受けまして警察庁が主管いたしまして、政令によってその総定員の各都道府県ごとの基準をきめる。その基準に基づきまして、基準を尊重して先ほど申し上げた条例で定員を定め、その定員の具体的な内訳につきましては公安委員会の規則で定める。その場合に、基準そのものは、むろん自治体警察でございますけれども、その当該都道府県の人口その他の実情に応じて基準を定める。それは、とりもなおさず、全国的にそれぞれの地方自治体においての適切な配置が望まれる。同時に、全国的な視野に立ちましての相互協力という制度は、警察法にも御承知のとおりあるわけでございまして、さようなことを勘案しながら定員についての基準が定まり、基準を尊重しつつ条例に移り、条例のさらに具体的内容が公安委員会の規則で定まる。そういうことでございまして、機動隊そのものは法律の規定によって設置されてはおりませんけれども、その機動隊に関する装備その他の経費は国費をもってまかなうということに相なっておりまして、その国費と対応しますことを、いま申し上げました警察庁が要請します基準と見合いながら警察機動隊の規模、内容が定まる、そういう仕組みに相なっておるわけであります。
  154. 北山愛郎

    ○北山委員 とにかく定数というものは、自治体警察である限りは、基準は示されるでしょうが、最終的にはこれは都道府県が条例で議会にはかって決定すべきものである、こういう趣旨なのでありますから、私は国はやはりその自治体警察としての本旨を尊重してかからなければならぬのじゃないか、こういうふうに考えるわけです。  なお、何か新聞によりますと、機動隊が出動しますと一回三百円ずつの危険手当とかを出すようになっておるそうであります。(「安いな」と呼ぶ者あり)三百円の危険手当ですから、これを聞いた人は、ずいぶん安いじゃないかと、いま話もありましたが、とにかくそういうものを出しておるそうでありますが、これはどういうところから、国費で出しているのですか。
  155. 荒木萬壽夫

    ○荒木国務大臣 お答え申し上げます。  先ほど概括的には申し上げたつもりでございますが、警察法の施行令でもって機動隊について国費で負担すべき負担区分が具体的に定められておるわけであります。それに基づいて国の予算としては機動隊に関する経費を計上する、こういうことで要求いたしておるわけであります。
  156. 北山愛郎

    ○北山委員 いま私の聞いているのは危険手当のことなんです。そういうものを去年からか支給しておるように聞いておりますが、どうですか。
  157. 荒木萬壽夫

    ○荒木国務大臣 お答え申し上げます。  特殊勤務手当と称しておりますものは、むろん交付税で見まして、地方公共団体の予算として計上されて使用される、そういうことに相なっております。
  158. 北山愛郎

    ○北山委員 それは超勤手当とは違うでしょう。私の言っているのは、何か危険手当といわれているいわゆる三百円ずつやるというやつです。それをことしの予算でも要求してあるはずです。昨年も一億数千万か要求してあるはずです。そのことを言っているのです。支給しているのでしょう。
  159. 荒木萬壽夫

    ○荒木国務大臣 お答え申し上げます。  ただいまの御質問に対しましては、正確を期するために政府委員からお答え申し上げます。
  160. 川島広守

    ○川島(広)政府委員 お答え申し上げます。  機動隊が特に危険な現場へおもむきます場合に、おおむね一人当たり三百円程度の報償金という名目で国費から支弁をいたしております。
  161. 北山愛郎

    ○北山委員 その危険なところに行くときに三百円とは、ちょっとおかしいのですが、私はふやせとは言いませんよ。問題は、警察官も地方公務員なわけです。地方公務員に対する手当というのは、法律にないものは出せないはずなんです。これは地方自治法のたてまえで国会でも何べんも問題になったことがある。法律に基づかない手当は出せないことになっているはずですが、これは自治大臣どうですか。
  162. 野田武夫

    野田国務大臣 ただいまの特別手当というようなことですが、これは大体地方公共団体で自主的にやっているのでありまして、自治省として特別な指導はいたしておりません。
  163. 北山愛郎

    ○北山委員 私の聞いているのは、地方自治法の第二百何条ですが、その中にあるのです。公務員に出す手当というのは、ちゃんと法律で個別的に書いてある。それ以外のものは出せないと書いてある。そういう以外のものを出したためにおこられた地方自治体がたくさんあるのです。それほど厳密な法律を出しておきながら、政府自体がそれによらないで手当を出すとはおかしいのではないかと私は聞いておるのであります。
  164. 荒木萬壽夫

    ○荒木国務大臣 お答え申し上げます。  もう一ぺん同じことを申し上げますが、正確を期するために政府委員をして答弁させていただきます。
  165. 川島広守

    ○川島(広)政府委員 俗称を危険手当と申しておりますけれども、その内容はいわゆる報償費でございまして、特に危険な場所へ行きました場合あるいはけがをした等の場合に、賞与金として三百円を報償費から支出をしておるということでございます。
  166. 北山愛郎

    ○北山委員 報償費なんというものは、外部の人に出すものなんですよ。たとえば警察に協力してくれたとか、危険なことをやってくれた、人命救助をしてくれたというような人たちに、外部に報償するのであって、公務員が働いたからそれに報償費を出すとは何事ですか。これは成規の法律改正なり何なりをやって、そうしてそういう特別な手当というものを出すことができることにして出すのがほんとうである。しかも、それは人件費であり給与であるから、府県警察であれば府県の自治体の財政をくぐるのがあたりまえだ、それを無視して、そういう給与に類するものを国費から直接支弁している。おかしいじゃないですか。国が法律違反をやっているんだ。そんなものが一体報償費といえますか。
  167. 荒木萬壽夫

    ○荒木国務大臣 お答え申し上げます。  実は、きょう会計の担当官を呼ぶことをつい怠っておりまして恐縮に存じますが、お許しをいただきます。  繰り返し申し上げますが、私の承知しております限りにおいては、むろん自治体警察ではございますけれども、機動隊に対しまして警察法の施行令の規定に基づいて、ある特殊のものにつきましては、国が補助金を出すことができることに相なっておると承知しておりまして、それ自体をもっと詳しく申し上げる頭が私にいまないものでございますから、はなはだ申しわけないのでございますけれども、適当な機会に正確にお答え申し上げることで御了承をいただきたいとお願い申し上げます。
  168. 北山愛郎

    ○北山委員 これは、国家公安委員長はもちろんですが、政府委員答えられないというような——政府委員答えられますか、こんなことは何も小さな陰の問題じゃないんです。国会でも問題になったし、新聞にも書いてあるんですよ。危険手当三百円ずつ出すということを書いてある。ぼくらも新聞で見ている。しかし、法的にいえば、警察法第三十七条ですか、その中で警察の、たとえば人件費のようなものは、都道府県が自分の財政から払うんだ、こういうものは都道府県に対して国が補助金として出すんだ、もう一つ国が直接支弁するという異例なものは、警察法にあるんです。三十七条で規定されているし、これは問題になっておるところだから知ってなきゃならぬ。一体その報償費なんというのはおかしいじゃないですか。何かしら国が公安維持のために地方自治体の警察の警察官を借りるからこれに報償費を出すような感じがする。一体そんなばかなことやっていいんですか。やはり給与ですから、出動手当であろうが、そういう危険手当であろうが、必要ならばちゃんと自治法の改正をやって出すべきなんです。やみの手当を出しているんですよ。警察がやみ手当を出しているんです。そういうことになるんじゃないですか。総理大臣、これを聞いていてどう思いますか。
  169. 荒木萬壽夫

    ○荒木国務大臣 お答え申し上げます。  ただいまとしましては、先刻申し上げた以上にちょっと御説明困難でございますが、ちょっと時間をかしていただきまして、後ほど正確なことをお答え申し上げさせていただきたいと思います。
  170. 北山愛郎

    ○北山委員 私は、これは明らかにすべき問題だと思いますので、よく相談をして、もうちょっと時間を差し上げますので、あとで答えていただきたいと思うのです。  今度の予算の中で私、気がついたことは、佐藤内閣というものは、労働者に対してまことに不親切だということなんであります。労働省の予算というものは、佐藤内閣になってからさっぱりふえないのです。いま三千数百万の労働者が日本の経済をささえておる。これに対して約一千億の労働省の予算なんですが、その大半の八百何十億は失対の費用です。あとは労働行政の事務費ですよ。しかも、昭和三十五年から三十九年まで、前の池田内閣の当時においては、労働省の予算は、その期間に九四%ふえておる。佐藤さんの時代になってから、労働省予算というのは、四十年から四十三年まで比べますとたった一七%しかふえていないのですよ。総予算は五五%もふえておるのに、労働者に対する対策予算というのはたった一七%しかふえていない。池田内閣当時は、ともかくも総予算が八〇%ふえたときに、労働省の予算は九四%を上回るだけふえておるのに、佐藤内閣になったら、とたんに、労働省の予算は、減らしはしませんけれども、こういうふうに伸び悩みをしておるということは、私は、総体から見て労働者というものを非常に軽く見ておるのではないかというような感じがするのです。今日三千万の労働者の中には、特に恵まれない未組織の労働者というのは三分の二あるわけなんです。住宅の問題にしても、教育訓練の問題にしても、レクリエーションにしても、あるいは保育所の問題にしても、この労働者に対するいろいろな福祉対策支出というものをやらなければならぬ。それなのに一体何たることですか。労働省の予算は、ほんとうは労働対策費というのが重要項目でなければならぬはずなんですが、予算の重要項目にない。予算の内容はこうだ。これでは労働者軽視、特に佐藤内閣になってから労働省軽視ではないかと思うのでありますが、一体労働大臣はこれについてどう考えておるか、あるいは総理大臣はどう思っておるのか、これを聞きたいのであります。
  171. 原健三郎

    ○原国務大臣 お答え申し上げます。  労働省の予算でございますが、逐次ふえておりまして、本年度どのくらいありますか調べてみましたら、一般会計のほかに、労働者災害補償保険特別会計、失業保険特別会計及び石炭対策——これは一部でございますが、四十四年度のこれらの総予算を合計いたしますと五千四百億二千万円でございます。これを前年度に比較いたしてみますと六百八十八億五千七百万円の増加となって、その伸び率はおよそ一四・六%となっております。  それで、どういうことをやっておるかというお尋ねでございますが、労働省といたしましては、これらの予算を効率的に使いたいと思いまして、人手不足のおりでございますから、中高年齢者あるいは婦人などの労働力の有効発揮を積極的にやるなど進めております。また現行職業訓練法、これを全面的に改正をいたしたい考えでございます。あるいは企業内職業訓練所の振興をはかる、技能検定体制の整備を行なう、それから本年度から特に力を入れましたのは勤労青少年、婦人などの福祉対策を——これは非常に伸びがございます。その他新たに家内労働法という法律を制定いたしまして、家内労働者およそ百万人くらいの福祉の増進をいたしたい、こう思っております。その他労働保険制度、これも今国会に改正案を出したい。身体障害者の推進等々、重点施策としてまず十分ではございませんが、まずまずやっていける、こう思っておりますので、よろしくお願いいたします。
  172. 北山愛郎

    ○北山委員 それは、労働関係の社会保険費だとか何とかかき集めると膨大になるかもしれぬ。しかし、私の言っているのは、一般会計の中での費用というのはほとんど労働行政費が中心で、労働基準監督あるいは職安、そういうものが主体になっている。それでいいのか。それ以外の労働者の福祉とかそういうものは、特に中小企業では、企業の力では何ともできないものがたくさんありますので、ことに労働者が三千万以上もふえてきている中ではまことに貧弱ではないか。一般会計の中ではじり貧になっているのではないか。私は鞭撻の意味もあって申し上げたのであって、現在これもやっております、あれもやっておりますで満足しているようなお考えでは、私はいけないじゃないかと思うのであります。  それから先へ進みますが、とにかく今度の四十四年度予算というのは、質的に見てもやはり景気を刺激する性格もある、あるいは内容的に見ればいま申し上げたように安保治安予算だと言われても弁解の余地がないのじゃないかというふうに思うのでありますが、それらの個別的な問題については同僚の人たちからいろいろとこまかくお尋ねをするはずであります。  私、次に移りまして、経済見通しといまの経済ですね、一七%以上も三年間高度成長を続けているという経済成長、その実態というものについて伺いたいのであります。  先ほど大蔵大臣は経済が順調にいっていると言うけれども、順調じゃないのです。どだい物価が上がっておるでしょう。この物価高というものが非常に深刻な事態になってきている。そういうときにこの物価上昇の原因というものについていままで政府は、いわゆる構造的要因だ、生産性の高いものと低いものとある、そのアンバランスがあるから、そこで生産性の低いほうの賃金の値上がりから結果として物価高になってしまうのだ、だからそういう低生産性の農業なり中小企業、そういう部門を近代化するということを今度の施政方針でも言っておるわけであります。しかし、数日前に、政府の物価安定推進会議が、それ以外にいわゆる総需要、一般の購買力、有効需要というものがふくれ上がってくる、この問題を取り上げなければならぬ、したがって財政金融政策の角度から物価値上がりという問題、インフレの問題を考えなければならぬ、こういうふうな提言をされたはずであります。  私は、そういう角度から大蔵大臣と経企長官の施政演説を見てまいりますと、大蔵大臣のほうにはたった一行ではあるけれども、総需要がふえないように抑制しなければならぬということが書いてある。経済企画庁長官のほうには一言も書いてない。その辺に私は認識の相違が若干あるのじゃないかと思うのでありますが、問題は先ほどの通貨のことであります。  通貨が経済活動の伸びに比例して伸びておるというのですが、これは事実に反するのです。通貨——預金通貨を含んだ通貨の伸びというのは、昭和三十一年から四十二年まで長期に見るというと、通貨のほうは十四・八倍もふえているのにGNP、すなわち国民経済のほうはたしか四・三倍しかふえていないわけですね。実に国民の経済活動の三倍以上のスピードで通貨がふえている。数字を言いますと、昭和三十一年には通貨は一兆円ばかりでありましたが、それが四十三年の三月には十四兆九千二百九十二億と、これは日銀の資料であります。ですから、十四・八倍にふえている。国民総生産は四・三倍にしかなっておらない。それから、佐藤内閣になってからの四十年から四十二年度まで比べましても、やはり通貨の伸びのほうが経済活動よりも大幅に伸びておる。通貨のほうがよけいふえている。そういうこともやはり政府としては考えなければならぬと思うのでありますが、この点について、通貨の伸びと経済活動は、これは並行して順調にやっているのだというようなお話ですが、それでいいのですか、大蔵大臣。
  173. 福田赳夫

    福田国務大臣 それでよろしいのです。大体国民総生産と発行通貨の残高ですね、この割合は六%前後でずっと安定して今日に至っておるわけです。ただいま御指摘がありましたが、昭和三十年には国民総生産と通貨残高の割合が六・〇四%というふうになっております。それから三十一年、三十二年、三十三年、三十四年、三十五年、三十六年と、引き続いてこれは六%を割る状態になりましたが、三十七年からまた六%をこえる状態になり、三十七年は六・〇一%です。三十八年に六・〇六%、三十九年に六・〇二%、四十年に六・一五%、四十一年六・〇三%、下がってきておるわけですね。そして四十二年、一昨年におきましては五・九九%となり、昨年、四十三年になりますると、さらに下がりまして五・九二%というふうになるので、きわめて落ちついた推移を示していると、かように見ております。
  174. 北山愛郎

    ○北山委員 大蔵大臣の言うのは現金通貨のことですか。
  175. 福田赳夫

    福田国務大臣 そうです。
  176. 北山愛郎

    ○北山委員 これは当然預金通貨を含まなければ、実際のいわゆるこういう意味における、金融の意味における現金通貨だけじゃないのですから、経済活動に使っておるのは、これは当座預金その他の短期性の預金ですね、預金通貨というやつ、これをプラスして通貨と称しているわけなんで、私は日銀の資料によりますと、四十年から四十二年度までにGNPのほうは一・三六倍になり、いま言った通貨のほうが丁四四倍になっておる。これは長期に見れば、先ほど申し上げたとおり大幅に違うのですね。このことは同時に金融資産、負債——通貨だけじゃなくて、預貯金とか、あるいは有価証券、株券等、あるいは銀行の貸し出し、いわゆる金融資産、負債というものがものすごく伸びているということにもまた反映をしている。これは昨年の三月の現在で国内のいま申し上げた通貨あるいは銀行その他の預貯金、有価証券、貸し出し、それで金融資産の計が百六十五兆円にも及んでいるのですよ。ものすごい勢いで紙きれと帳簿づらの資産、負債関係がふえている。GNPのいわゆる実質の、実物の経済、実際の価値の生産に比べまして紙きれの財産あるいは借金、そういうものが大幅にふくれ上がっているということは一体どういうことなのか。これについて大蔵大臣なり経企長官、経企庁ではどういう検討をされているのか、これをお聞きしたいのであります。
  177. 福田赳夫

    福田国務大臣 銀行局長から説明いたさせます。
  178. 澄田智

    ○澄田政府委員 ただいまお示しの預金通貨の問題でございますが、申すまでもなく預金通貨とは預金のうちに支払い手段として利用することができるような預金、すなわち要求払い預金、日本では当座預金のほかに普通預金とかあるいは通知預金、別段預金というようなものもあわせて預金通貨として統計上計算いたしておるわけでございます。これらのものはその性算上、ある程度貯蓄性のものも含まれておりますが、しかし、支払い手段として小切手その他、あるいは預金の間の振りかえであるとか、そういった形で通貨としても用いることができる。したがってこの場合に、これが現実に通貨になってどれだけ使用されているかということは、なかなか統計上直ちに把握できないわけでございます。そういう場合に問題になりますのは、預金通貨の回転率ということでございまして、これがどのくらい回転をするかということをあわせて見ませんと、それが直ちに通貨がふえているということにならないという性格を持っておることは御承知のことだと存じます。したがいまして、そういう点で見ますると、近ごろずっと企業の手元の流動性等も高くなっておりますし、したがって、金融機関に預金としてとまっている金額はふえておるわけでありますが、しかしこれは、企業としてはそれだけ余裕を持っているというような場合においては回転しない形になっておりまして、回転率を見ますると逐年下がってまいっております。たとえば、三十六年のころには二・〇四でございますが、四十二年は一・五九というところまで下がっております。したがいまして、預金通貨にその回転率をかけたものが、回転率と一諸に見た場合にそれが通貨としての機能を持つということになりますので、お示しのように、預金通貨がふえているということをもって直ちにそれだけ通貨が増発をしている、こういうことにはならないわけで、戦前等におきましては預金通貨は現金通貨に比べて高が非常に多かったわけでありますが、回転率は非常に低かったわけでございます。現在そういうふうな正常な状態に戻りつつあるという状態でございます。  以上、お答えいたします。
  179. 北山愛郎

    ○北山委員 そんなことを聞いているのじゃないのです。私はそこまで調べているわけじゃないのです。ただ日銀なら日銀の統計の中で、通貨として現金通貨と預金通貨、それを合わせたもの、そういう日銀の統計資料を基礎にして預金通貨と言っているんです。そんな内容を言っているのじゃない。しかもいま聞いているのは、そういう通貨全体、あるいは預貯金あるいは有価証券、貸し出し、企業間の信用、そういうものを含めて、金融資産、負債、そういうものを日銀の統計によって見るというと、昭和四十年の十二月には百十七兆、それが四十三年の三月には百六十五兆、どんどんどんどんふえておるということ、経済の実体的な成長、生産活動、経済活動の大きさよりもこういう紙きれ、帳簿上の資産、負債というものがふくれ上がっておるというのはどういうわけなのか。私はよくわからないから、聞いておる。これは重大な問題なんです。いろいろな本を調べている日銀の人の意見によれば、それは土地の売買が多かったりあるいは消費者信用がふえたせいではなかろうか、こう言っておる。大蔵省の調査によれば、このままで金融資産、負債がふえ続けると、昭和五十年には四百二十何兆になるといっている。そういう調査をしておるはずなんです。これは重大な経済的な意味を持っておるから私は聞いておる。政府で検討しておらぬというならおらぬでよろしいです。
  180. 澄田智

    ○澄田政府委員 お答え申し上げます。  ただいまの、将来の金融資産の増加額の見通しにつきましては、いま手元に数字を持っておりません。(北山委員「そんなこと聞いていない」と呼ぶ)  先ほど御質問のそういう金融資産がふえているということにつきましては預金通貨の例でお答え申し上げましたが、預金通貨がどういう機能をしておるかという場合に、やはり回転率を一緒に見なければならない、こういうことを申し上げた次第でございます。  それから、金融資産全体につきましてでございますが、これは貯蓄をすれば預金という形になりますし、そのほか信用経済の拡大によりまして金融資産というものは、これは当然にふえていく性格のものでございます。金融資産がふえていくからそれで経済がインフレになるとかあるいは物価が上がるとか、こういう形に直接なるものではないわけでありまして、それは経済の機能にどういうふうに機能していくか、こういうこともあわせてごらんになっていただかなければならない、かように申し上げる例として預金通貨のことを申し上げた次第でございます。
  181. 北山愛郎

    ○北山委員 局長は先回りをして、人の聞かないことまで自分でしゃべっている。私は、いろいろな経済活動の結果として金融資産、負債というものがふえているのであって、その部分的なわけを聞いているのじゃないのです。そういう中で、それなら内容的に聞きますと、問題なのはいろんな形における国民の預貯金というものが昭和四十三年の三月で三十四兆七千億ばかりある。ところが市中金融機関の貸し出しは五十二兆三千二百六十八億というふうに、貯蓄よりも借し出しが大幅にふえているから問題なのです。そうしてそれが預金として、一部はいわゆる預金通貨、当座預金になって通貨と同じ役割りをしておる。そのからくりがこの中にあらわれておる。そういう形でこの問題を政府としては検討しなければならぬじゃないか。検討していないならしていないでいいですよ、いまのような説明で。私は重大だと思う。実体のGNPの伸びよりも金融資産の伸びというものが、ちょっとやそっとじゃなくて大幅にふえているということは、これでいいのかということなんです。  要するに、実際に経済活動に働いており、そうして物資やサービスの生産に役立っておる資本と、それ以外にただ生産されたものの分け前に参加をして利子、配当だけをもらうような資本と、そのあとのほうがふくれ上がっておるということは、これは重大な問題ではないか、こういう意味から聞いておるので、こんなことは問題じゃないというならそれでいいでしょう。
  182. 澄田智

    ○澄田政府委員 お答え申し上げます。  ただいま御指摘のような金融資産の状況、ことにどういう金融資産がふえているかというようなことは、そのときの金融情勢等とともに十分検討しなければならない問題でございます。預金通貨もことに回転等が非常に早くなりますと、これはやはりそれだけ経済活動が非常に過熱ぎみになっているというようなことを示す場合もあるわけでございます。そのほからの証券類等の価額、これは株価をはじめとして経済指標として非常に大きな意味を持っておるわけであります。したがいまして、そういった金融資産の状況等につきましては、これは当然に今後とも十分そのときの経済情勢に応じて慎重に検討いたさなければならない、かような問題であると存じております。
  183. 北山愛郎

    ○北山委員 いまの答弁は少しも答えになっておらないのです。私の言っておるのは、現実にこれは企画庁もやっておると思うのだが、日銀のいわゆるマネーフローの調査の中で、資料統計の中でいまのような問題が出て、それで金融資産がふくれ上がっている。実体の経済と金の経済とが跛行しているわけです。要するに長期の貯蓄よりも銀行の貸し出しがふくれ上がっているということなんです。そういうことが端的にこの残高の中にあらわれてきておる。これは常識でしょう。いまはいわゆるオーバーローンですよ。銀行がどんどん企業に金を貸すのです。貯蓄よりもよけい貸す、そういうところに問題があるし、それがいまの数字となって出てきているから、これは財政金融政策として、政府として当然検討し、問題にしなければならぬじゃないかということを私聞いている。そんなことはまだ検討しておりません、考えておりませんというなら、それでいいですよ。ただそういう裏には、私は、企業に対して銀行がどんどん貸し出しをふやすという裏には、やはり地価の問題があると思うのであります。   〔機内委員長代理退席、委員長着席〕 会社、法人の持っておる土地、それが非常な値上がりをして、いわゆる含み資産というものをどの会社も大幅に持っている。だから銀行はどんどん企業に金を貸すんじゃないか、こういうふうに私は考えてきておる。たとえば大きな会社でいえば、富士製鉄は五百七十四万坪を持っておる。帳簿づらでは坪当たり五百六十七円に評価されておる。これは、時価でやりますと七百八十億ぐらいになるといわれておる。あるいは問題になった日本通運、日通は二百万坪ばかり持っております。帳簿価格は八千五百九十五円の平均であるが、これを時価に計算し直すと三千七百億といわれておる。三井不動産は千七百四十三億の含み資産を持っておるといわれておる。八幡製鉄、これが五百三十一万坪で、坪当たり二千円ぐらいの見当の評価であります。帳簿面の価格でありますが、これを時価に直しますと二千五百億にもなるといっておる。これがいわゆる含み資産として、そして会社がじゃんじゃん土地を持っておる。大蔵省の財政金融統計、法人の企業統計を見ましても、昭和三十五年から四十二年までの間に土地が七千億から三兆七千億ぐらいに、五倍にふえているのですね。どんどん企業が土地も買っているし、そういう含み資産を持っているから、これに対して銀行がじゃんじゃん金を貸す。そういうところからオーバーローンが起こり、インフレが起こる、そうじゃないかと思うのですが、そういう角度からものを聞いているのですよ。だから、インフレというのは単に構造的な要因だけではなくて、そういう財政金融上の問題、金融面の穴があいているから、そこで物価は毎年毎年上がってくる、こういうことになるのじゃないか、私はそういうサイドを聞いているのです。どうでしょう大蔵大臣、あるいは企画庁長官でもいいが、私の考えが間違っておりますか。
  184. 菅野和太郎

    ○菅野国務大臣 いま北山委員の述べられた土地の問題ですが、なるほどこの物価の騰貴と地価の騰貴とが関連を持っておることは事実であります。また、地価が騰貴することによって、それだけの、いわゆる銀行やその他が持っておる土地の含み財産というものが非常にふえております。それによって銀行の貸し出しもふえておるということは事実だと思いますが、そこで、この地価をどうして安定さすかということは、今後の大きな問題だと思うのでありまして、政府も昨年の十一月に地価対策閣僚協議会を開きまして、この地価をどうして安定さすかということについていろいろ対策を講じておりますが、今日といたしましては、この地価の問題を、まずこれの対策を講じなければならぬということで、物価安定の推進委員会におきましてもこの土地の問題を取り上げておるのであります。そうして、この地価の問題に対しまして、お話しのとおり、これをいかにして押えるかということによって物価を安定せしめ、同時にその他諸物価の安定、その他いろいろの問題に貢献したいと思っておるのでありますが、御承知のとおり経済の成長があまりにも急激であり、工場の設置その他の関係、あるいは住宅の関係、土地に対する需要が非常に多いのでありまするからして、そこで土地収用法の改正とかあるいは新都市計画法の制定とかいうようなことで、さしあたりこれが対策を講じておる次第であります。
  185. 北山愛郎

    ○北山委員 地価の問題はあとでお伺いしたいと思っておりますが、実は菅野さんには、もう十年ぐらい前ですか、前に企画庁長官のときに、この席で地価の問題をお尋ねをした。菅野さんは、これを検討すると言いました。その当時から政府がほんとうに真剣になって地価問題に取り組んでおれば、今日のような事態にならなかった。十年ぐらいたったけれども、今日といえども適切な地価対策がない、これが現状だと思うのであります。  そこで私は、いま申し上げたように、いまの経済、先ほど来指摘した金融資産、負債、銀行の貸し出しが実際の国民の貯蓄よりもずっと上回ってどんどん金が貸されておる。それが設備投資その他に回っていく。そしていわゆる恒常的なインフレになっていく。そのいわゆるメカニズムといいますか、そういうところに根本の原因があるということを私は強調するわけなんです。そういうことになって、単に紙きれの債券であるとかあるいは預金だとか、そういうものはみんな利子とか配当を要求する資本ですよ。自分ではものをつくりもしない。サービスも生まない。ただその資産をもって利子や配当だけを受け取るような、そういうものがどんどん実際の経済の活動よりもよけいふくれ上がったらどうなりますか。大きな負担になって、実際に価値を生産する産業あるいはそこに働く労働者を圧迫するに違いないのです。そういう、ただ金だけの動き、そのインフレ的な動きというものが何かしら経済が高度成長したように、実体の経済の大きさよりも、もっとよけい何か経済が成長したように水ぶくれして見られているのが、私は、現在の日本経済の危険な姿ではないか、こういうふうに考えるわけであります。経済は確かに成長はしておるけれども、しかし、その陰に大きなひずみが幾つかできてきておる。  一つは、いま申し上げた物価であります。物価が恒常的に五%以上も上がる、ずっと引き続き上がるという事態は、これは異常な事態だと思うのです。毎日毎日の家計を圧迫するというだけではなしに、ここから起こってくる経済的な影響というものは何かということです。佐藤さんが総理大臣になってから、消費者物価は一七%以上上がったでしょう。そうしますと、いま申し上げた国民の貯蓄ですね。いろんな形における預金や貯金やあるいは恩給、保険、年金積み立て金、そういうものは現在はもう四十数兆円あるでしょうが、四十年当時は三十兆です。三十兆のそういう国民の財産は、現在五兆円ぐらいこの二、三年の間に減ってきておる。盗まれておるのです。五兆円以上になります、一七%以上の物価の値上がりでありますから。貨幣価値がそれだけ下がっておる。百万円の保険に入った人は、今日はそれだけ減ってきておるわけです、実際の金の値打ちは。額面だけは同じに書いてあるけれども、金の値打ちがそれだけ下がっていることは、それだけ溶けて流れていっているということであり、だれかが盗んでおる、いわゆるインフレ犯人というものが盗んでおるということなんです。五兆円の大どろぼうですよ。府中のどろぼうはたった三億円ですが、とても三億円どころじゃない。足元にも及ばないようなこのインフレ、恒常的物価高によって、国民のそういう財産が絶えず、寝ても起きている間も忍び足にみんなの財産を減らしているという、そういう結果になっておる。これはもうだれも否定することができない。私は佐藤さんがその犯人だとは言いませんよ。だけれども、もしもだれかがこのインフレの真犯人のモンタージュ写真をつくるならば、ある人に言わせるというと、佐藤さんの顔と日銀総裁の顔と経団連の会長ぐらいの顔を重ねて焼けば、インフレ真犯人のモンタージュ写真ができるのじゃないかと言っている人がありますが、この国民の資産がそれだけ、五兆円もこの数年間で減っているという事実、これに対して一体佐藤さんはどのようにお考えになり、どういうようにしようと考えておるのですか。三億円どころじゃないですよ。
  186. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 いろいろ予算編成から始まって、金融全般にわたっての結論として、インフレ型の予算だ、こういう結論を出され、政府はどうするのか、こういうように結論を結んでおられます。  まず、北山君のような見方もあると思いますが、しかし、一昨日の質問にもありましたように、イギリスのフィナンシャル・タイムズ紙は何といっているか。昨年、四十三年において一番りっぱな成績をあげたのは日本だといっている。経済成長も、またその物価の上がりも、少しは物価の上がりが気になるけれども、やはり軌道に乗った健全成長をやっておる、こういう評価もあるのであります。私は、評価の一つをお示ししただけなんです。  そこで、いま私どもが一番問題しておるのは、ただいまの物価はどういうようにしたら抑制できるか、あるいは社会資本はどうしたら充実できるか、あるいはまた社会開発はどういうように進めるべきか等々の問題があります。先ほど大蔵大臣がお答えしたように、いまの景気、これはとにかく長期にわたって好景気を続けていきたいというのが一つの念願であります。過去におきまして、大体三年くらいまでは好景気が続いたことがあるが、四年目になると、とにかく問題が起こっておる。私どものこの景気はもうすでにその時代にいま来ている。そこでたいへんむずかしい問題に必ずぶつかるのだ、高度成長——一体幾らが高度成長といわれるか、日本の経済の成長からいって、なるべく一〇%程度におさめたい、かようには考えております。しかし、実際はやはり経済の持つ力から一二、三%、ともするとそれを上回るようになる。これはたいへんなことだと思うのです。できるだけ一〇%程度にとどめる、そのために予算を編成した後でも、その運用において十分注意することだ、ことに金融政策と一体となって、その金融の運用といいますか、それによって対策を立てていく、これが主眼点であります。私は、そういう意味で先ほどの大蔵大臣の説明をぜひ了としていただきたいし、今回の予算編成、これだけでも事足りるのだ、かように私は申しているわけじゃないのです。  なお、この実施にあたって適切な措置がどうしても必要なんだ。ことに、ただいま御指摘になりましたようにオーバーローン、そういう形において信用が拡大されておる、膨張しておる、その結果設備投資がどんどんふえる、そういうようなことになったらたいへんじゃないか、かような御指摘もあったと思います。そういうことで、過度にならないように、やはり財政、金融両面から適正な運用をはかっていく、これが私どもの基本的態度であります。  ただいま御指摘になりましたように、予算そのものは、あるいは見方によりまして過大という非難があるかわかりません。しかし適正な経済成長を続けていくためには、この財政計画、この金融政策、これは私当然のことじゃないかと思います。これは物価が上がるからといってドイツ型の、景気を沈滞させてまでやらなければならないような、そういう状態ではないと思っております。したがって、この規模を一応考え、さらにその上で実施の途中におきましても運用の適正を期そう、かように考えるのでありまして、これは御指摘の点も十分考えられておる。私はむしろ先ほど来のお尋ねは御意見として、政府自身が安閑としているのじゃないか、こういうようなおしかりも受けたと思いますが、私どもはその方向でこの運用に気をつけていくつもりであります。そのためにまた日銀をはじめ金融機関の協力も求めておるような次第であります。
  187. 北山愛郎

    ○北山委員 まあ問題は、私の質問答えてくれないわけなんですね。私の言いますのは、むしろ財政の規模とかそういうことよりも、政府がやっておる税制なり金融政策というものが、いまのようなオーバーローンなり投資を刺激するなり、そういうことに都合のいいような税制なり、そういう金融政策をとっているのじゃないか。時間がないから私は先を急ぎますけれども、たとえば税制の上でも、法人あるいは利子配当所得者、あるいは有価証券、株を持っておる者、こういう者を極度に優遇しておるのですね。資産家階級を優遇しておるのです。給与所得者、労働者の税金は、これは天引き、重税ですよ。そうしておいて、利子配当所得者、いわゆる金融資産を持って、働かないで生活している者を優遇しているのです。ですから、いまのような金融の事態になっていくことはむしろ誘導しているのが政府の税制政策であり、あるいは金融政策だということを私は言いたいのであります。  時間がないから思うように言えませんが、ただ一つ、私は大蔵大臣にこの際そういう観点からぜひ言っておかなければならぬのは、毎年国会で問題になります例の配当所得者に対する配当控除等の結果として、配当金だけで生活している者が、四十三年度でいえば五人世帯で二百三十六万三千八百六十六円——二百三十六万円の配当金がありましても、所得税は一文もかからない。これが給与所得者あるいは事業所得者であれば、四十万、六十万の税金がかかる。こういう不公平な税制は一刻も早くやめてもらいたいということがこの前の国会でも問題になったわけです。今度、ことしはその配当所得の非課税の最低限は一体幾らになりますか。
  188. 福田赳夫

    福田国務大臣 たぶん二百四十二、三万円になるのじゃないかと思います。
  189. 北山愛郎

    ○北山委員 私が聞いているところでは二百八十二万七千二百円になると聞いておりますが、それでいいですか。
  190. 福田赳夫

    福田国務大臣 私の記憶違いで、お話しのとおりだそうであります。
  191. 北山愛郎

    ○北山委員 そうすると、今度の税制改正で一番恵まれたのはやはり配当所得者だ。去年は最低限が二百三十六万、それが一挙に五十万も最低限が上がって、二百八十二万七千二百円まで配当金があっても所得税は一文も取らない。働く者は税金を取られ、働かないで財産の上にあぐらをかいておる者が所得税は取られぬ。こんなことが一体許されていいのかどうかです。私は、大蔵省で出しておりますあの月報の中で、前主税局長の塩崎君の税の公平ということについて書いたものを見たのですが、もし同じ百万円の所得がある者が、一方には十万円の税金、他方には二十万円というような不公平なことをしたなら革命が起こるというのです。こんなことをやっておったら革命的な騒ぎを起こすであろう、フランス革命がその例であると書いてある。こういうような不公平な税金を許していけば、そういう点の危険性も私はあると思う。国民の大多数の人がそういう現実を知らないから、これはしかたがないと思っているのですが、こういう不公平な税制はいけないと思うのです。憲法第十四条の、法のもとに日本国民は平等だという趣旨からいってもですね、あるいは憲法二十七条に、すべての国民は勤労の権利と義務を有すると書いてあるのですね、ですから、これはその精神です。精神規定ですが、やはりすべての国民は動くようにすすめられているということなんです。不労所得の上にあぐらをかいている者を優遇するという趣旨ではないのです、憲法の趣旨は。ですから、そういう憲法の精神からいっても、一体働く者から重税、しかも天引き重税を取って、二百八十万も配当金がある、これはもう何千万円という大株主ですね、そういう者には所得税をかけぬという、そんなばかな話はないと思う。これは断じて許すことはできない、同じ資本主義の制度のもとであろうとも。やはり現在の社会をささえているのは労働者ですよ。きょうこの席におる人たちも、みんな大部分は労働者です。働く人です。そういう人たちからはよけい税金を取る、こんな政治でいいですか。これはもう即刻にやめてもらわなければならなぬと思う。大蔵大臣のお考えを聞きたい。
  192. 福田赳夫

    福田国務大臣 これは北山さんもよく御存じと思うのですが、法人につきましては、法人税で一度取っているのです。ですから、配当の段階でこれを二重取りをしない、こういうたてまえからああいう税法になっているわけなんです。ただし、来年の三月にはこの特例措置の期限が参りまするから、検討したいと思いますが、そのときには、もしあなたのおっしゃるような疑問を解消せんとすれば、これは法人税自体の、もとにまでさかのぼらなければならぬ問題があるということだけは、御承知おき願いたいのであります。
  193. 北山愛郎

    ○北山委員 いわゆる法人擬制説なるものは、世界的にも破綻しているのですね。しかも日本の税制自体が、ほんとうの意味の法人擬制説をとっておらない。あるときには法人擬制説の都合のよいところをとり、そうでないときには法人も個人も別個だという課税のしかたをして、いずれにしても法人やそういう大きな株主、財産の上にあぐらをかいている者、そういう者に都合のいいような税制をやっているのが日本の税制ですよ。法人擬制説なんかをいまごろ取り上げることはない。イギリスだって、もうすでに法人利潤税ということで税制を変えておるのですね。私はそんなことは詭弁だと思うのです。一番大事なことは、アダム・スミス以来いわれているところの税の公平ですよ、税負担の公平ですよ。高い低いの問題もあるけれども、やはり公平な税でなければならぬというのが税の大原則なんです。日本の税法の中には、その原則を一つも書いてない。国税徴収法、国税通則法を見たって、ただ税金を取る原則だけが書いてある。国民から税金を取るというその原則ですね、昔からの原則。これは憲法の精神でもあり、社会の道理ですよ。こんなことは許しておけないし、こんなことをやっておれば、ゲバ棒が国会に来るかもしれぬですよ。ですから、私どもは、こういうふうな人間社会の道理に合わぬようなことは、同じ資本主義の社会のもとでも断じて許してはならない、こんなばかばかしい不公平なことは。ですから、来年の三月を待たずして、ほんとうをいえば、この国会でも改正すべきだと私は思うのです。  これは総理大臣にお伺いしますが、少なくともこのような配当所得者を優遇し、そして勤労者からは重税を取るというような制度は、来年の三月以降なくすというはっきりとした意思表示をしてもらいたい。どうですか、総理大臣。
  194. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 租税負担の公平論、これは私もそのとおりだと思います。しかしながら、しばしばいろいろな税に対する特別措置、これがいろいろございます。またそれもそれぞれがみんな目的があって、いわゆる金持ちだけに便利なものというわけのものでもない。ただ、いま言われたような利子、配当所得とか、こういうようなものについては、先ほど大蔵大臣が申しましたように、来年の三月まで法律でちゃんと定められておりますから、これは期限が来年くる、そのときに十分検討しよう、かように申しております。これはひとりそれだけの問題じゃなくて、おそらくお説から申せばその他にも特別措置として不適当なものがある、こういうことも御指摘があるんだろうと思いますが、そういうことを通じましても十分検討したい、かように思います。
  195. 北山愛郎

    ○北山委員 時間が足りないのでまことに残念ですけれども、私はいまのような利子所得、配当所得だけじゃなくて、日本の税制、特に悪名高い租税特別措置を中心とした不公平税制というのがあると思う。それは金持ち連中にはもう至れり尽くせりですよ。しかも大企業にはまことに有利ですよ。そういう制度をやはり根本から改革をしなければならないと思うのです。そうでなかったら、民主主義というものは、特にこの議会を基礎にした民主主義というものは、滅びていくという危険性があると私は思うのです。やはり大衆の考えている、持っている道理というものに従って政治をやらなければならぬ。ことに税制においてはしかりです。そういう点について、まことに残念ですけれども、税制問題その他いろいろありますが、この辺で終わりますが、先ほどのいわゆる機動隊の危険手当ですか、その問題の結果はどうなったか、この機会にお答えを願いたい。
  196. 荒木萬壽夫

    ○荒木国務大臣 先ほどの御質問に対しまして、明確を欠いておりました。恐縮に存じます。あらためて御答弁申し上げます。  従来から警察活動によって重傷を負った警察職員に対して警察庁長官より報償費として見舞い金を出しておりましたが、近時暴力集団による暴力行為によって負傷する例が著しく多くなったため、石、角材、火炎びん等の凶器を多数所持する暴力集団に対する規制を行なった場合など、明らかに負傷することが予見されるような事案に出動した場合におきまして、また負傷をした者を中心にこれらの者に対しても見舞い金を出そうとするものでありまして、地方自治法第二百四条にいう手当ではございません。  なお、このような長官の見舞い金等の報償費は、永年勤続者その他の功労者で長官の表彰を受けた者及び殉職者等に対しても出しております。  御参考までにつけ加えさしていただきますと、長官報償費は、昭和四十三年度予算額におきましては四千九十九万九千円、昭和四十四年度要求額として御審議を願っております予算案につきましては、約一億三千二百万円見当でございます。  以上、お答え申し上げます。
  197. 北山愛郎

    ○北山委員 そうしますと、出動をしてけがをしたとか病気になったというときに出すのが報償費ですか。それが、そういういろいろな危険があるから、それに出動していただくのでまあ三百円というものを一律に出すというのですか。どっちですか。
  198. 荒木萬壽夫

    ○荒木国務大臣 お答え申し上げます。  先ほど申し上げましたように、これは平均的な見積もり額でございまして、負傷をした者だけというわけではむろんございません。なお、これは直接報償費として支給するのでございまして、地方公共団体の予算の中に含むものではございません。
  199. 北山愛郎

    ○北山委員 そういう一定の勤務が危険なり何なりを伴うという場合の手当というものは、やはり国家公務員でも地方公務員でもあると思うのです。そういう基準に照らして出すべきものであって、地方公務員に対して国の予算の中から危険が起こるだろうというので一律に出すというのは、これはおかしいじゃないですか。そういうものは手当として、やはり危険なら危険手当、そういうものとして基準をきめてやるべきもの、これが法のたてまえじゃないですか。
  200. 荒木萬壽夫

    ○荒木国務大臣 お答え申し上げます。  先ほど申し上げましたように、これはひとり負傷の場合のみならず、従来永年勤続その他に対しまして長官報償費として出しておる例に従ったものでございます。
  201. 北山愛郎

    ○北山委員 それはこれからやるんじゃなくてすでにやっておることですから、いいかげんな答弁をしてもらっちゃ困るのですよ。実際に一律に手当のように出しているなら出していると言えばいい。私はたてまえとして、一体こういうふうなある——超過勤務もそうですが、超過勤務はこれは都道府県から出す。そしてまたこのような特別な場合の何か出動手当みたいなものを国から足し前をしてやるというような、そういうこれは経理のやり方からいっても、そんなことをやっていいかどうか。やはり人件費は都道府県から出すなら、都道府県警察であり、地方公務員であるから、だからこれは都なりあるいは都道府県の予算で組んで正規にやればいい。それを国庫支弁金と称して、何か金一封みたいにしてやるというふうな考え方、そういうやり方ですね、そんなことで一体法律のたてまえはそれでいいのか。法律の違反ですよ。これは非常にやかましく——ある地方団体でもって法律に、いわゆる地方自治法の第二百四条ですか、それに書いてないような手当を出したために、これは自治省にとっちめられましたよ。しかし、警察庁ならやってもいいのですか。国はやってもいいのですか。それにしても、こういう給与の問題なんだから、給与の問題は都なり道府県の条例に基づき、しかも法律に基づいた条例に基づいて給与するというのが当然なんじゃないですか。
  202. 荒木萬壽夫

    ○荒木国務大臣 お答え申し上げます。  いままで会計法上の取り扱いとしまして、先刻も申し上げましたように、たとえば重傷を負いました者には五万円、あるいは軽傷、傷害の程度に応じて二万円とか一万円とかいうものを長官報償費として支出して今日に至っておるものでございます。このことのために特別の立法があるわけでもございませんけれども、会計法上そういう取り扱いで今日に至っておる、その例にならったわけでございます。
  203. 北山愛郎

    ○北山委員 そういうような身分に関する、給与に関するそういう問題は、やっぱり自治体警察なんだから、都道府県がやることなんです。条例でやることなんです。報償金にしてもしかりですよ。危険手当もそうですよ。そして正規な筋を通して、三百円などというような、だれが聞いたっておかしいような金額じゃなくて、堂々とやるならやったらいい。いまのような変則なことで、国のほうから機動隊に対して金を出すなんというようなことを——おそらくよその費用もそんなことをしているのじゃないかと思うのですけれども、いわゆる公安警備の金をどのように使っているか。いまのような機動隊に危険手当を出すなんということを、違法なことをやっている。私はそのことを指摘するのです。だから、その点については私は納得しませんよ。納得しません。ですから、あとでまた同僚の議員も質問するだろうし、その点は十分政府としても検討していただきたい。これは法律的にいえば法制局長官もあるだろうし、自治大臣もあるでしょうが、よくわかってないわけですよ。ですから、いま聞いたってしようがないから、私はあとで理事会なりあるいはよその委員質問に譲ることにいたしますが、これはだれが聞いたって納得しませんよ。そういう点で、この点はまたあとの機会に譲りたいと思います。  まことに不十分な質疑でございましたけれども、時間がきましたので、私はこの程度で終わりますけれども、一番最初に申し上げたように、この予算案そのもの、予算案のつくり方、あるいはその内容、それから財政金融の政策にしても、もう少し経済の実態に即したものを十分検討してもらいたいということ、しかもその際には、政府だけでいろいろ調査機関などの意見だけを聞かないで、やはり広く国民の各界、各代表の人たち、一般市民の人たちの意見も取り入れて、もっと生き生きとした国会にしてもらいたい、生き生きとした国の政治にしなければならぬじゃないか、こういうことが大事じゃないかというような気持ちを貫いて申し上げたわけであります。  以上をもって私の質問を終わります。(拍手)
  204. 荒舩清十郎

    ○荒舩委員長 これにて北山愛郎君の質疑は終了いたしました。  この際、西郷法務大臣より、一昨日の内田常雄君の質疑に対する答弁に関して発言を求められておりますので、この際、これを許します。法務大臣西郷吉之助君。
  205. 西郷吉之助

    ○西郷国務大臣 去る二月一日に当予算委員会におきまして、内田常雄議員の御質疑に対し、私の答弁中、━━━━━━━━━の字句は適当と存じませんので、これを取り消したいと存じます。よろしくお願いいたします。
  206. 荒舩清十郎

    ○荒舩委員長 明日は、午前十時より委員会を開き、楢崎弥之助君、春日幸一君、高田富之君の総括質疑を行なうことといたします。  本日は、これにて散会いたします。   午後四時二十九分散会