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八木一男君(統) 定足の欠け
ている間の部分はもとに戻ります。
平和民主憲法である
日本国憲法には、主権在民、戦争放棄、基本的人権等、非常に重要なことが
規定されてあるわけでございますが、その
規定の中で、現在、通常何々
政策、何々対策といわれ
ている具体的
政策について
規定をされ
ているのは、この憲法第二十五条第二項と憲法第二十六条第二項の義務教育無償とであり、しかも、向上及び改善という表現で前進の方向が明示をされておりますのはこの条文のみであることは、本院
委員会における法制局長官の
答弁によっても明らかになっております。そして、社会福祉と公衆衛生は、すでに社会保障制度
審議会等において広義の社会保障並びに社会保障関連制度として
規定されており、
政府の予算書においても、それらの費用は社会保障関係費として処理され
ていることは、同僚各位の御承知のとおりであります。
したがって、これらも含めて社会保障ということばで論を進めてまいりたいと存じますが、この憲法で明記をされ
ている社会保障という具体的
政策は、他の、憲法に明記されておらない具体的
政策よりもはるかに優先されなくてはならないということが明らかであり、
財政硬直対策とか資本蓄積のための大企業に対する租税
特別措置対策とかはもとより、その他の
政策を進めるために、社会保障の向上、改善の進度がおくらされるようなことが絶対にあってはならないのであります。しかるに現状はどうか。社会保障のために道を譲らなければならない諸
政策、特に大資本擁護の
政策が横行し、ことに、憲法で明らかに禁止をされ
ている防衛費の支出というような言語道断なことが行なわれ
ている中で、社会保障
政策の進展が停とんし、その改悪まで行なわれ
ていることは、断じて許すことができないところでございます。この社会保障
政策の向上、改善、具体的には社会保障費の前進がにぶることは、
佐藤内閣の大きな
責任でありますが、社会保障
政策の主要部分、大部分を主管する
厚生大臣の
責任は、ことに重大であるといわざるを得ないのであります。
従来、私の知るところでは、この
日本国憲法第二十五条第二項からくる社会保障
政策優先論は、
国会においてもあまり論議をされておらなかったかと存じますが、本
国会においてはしばしば論議が行なわれております。現に、私自身、昨年十二月十九日、
斎藤厚生大臣に、衆
議院社会労働委員一会においてこの問題を取り上げ、社会保障の主たる担当
大臣である
斎藤君に、
日本国憲法の精神に従って、断じて憲法無視の論議には負けないで社会保障の前進を実現すべき旨を主張し、
斎藤君より、この憲法の
規定による社会保障優先論の立場に立って全力を尽くして努力するとの
答弁を得
ているわけであり、それだけに、そのことの認識がいまだなかった以前の
厚生大臣よりその
責任は格段に重いわけであります。事、
日本国憲法に関して明確な認識をした上での怠慢は、
日本国憲法無視ということにつながり、断じて許すことができないところでございます。
以下、私は具体的に、
斎藤厚生大臣が社会保障向上、改善にどんなに不熱心であったか、したがって、憲法の条章の尊重の義務をいかに怠っ
ていたかということについて論及をいたしたいと存じます。
わが国の社会保障費に対する国庫支出の対総予算比率は、本年度一四・一%であります。西欧諸国などで例をとれば、西欧は三三・八%である。それに比して非常に少なく、まことに恥ずべき
状態にございます。しかも、その傾向が直っ
ていくような徴候もないのであります。すなわち、
昭和四十年、四十一年には、前年度に比較しての社会保障費の伸び率はおのおの二〇%前後でありましたのに、本年度の伸び率はわずかに一六・一であります。ちなみに、本年度の総予算伸び率は一五・八%であり、社会保障費の伸び率とほとんど同じであることは、
佐藤内閣の人間尊重、社会開発の表看板が羊頭狗肉であるということの明らかな証拠であると存じます。社会保障制度
審議会から
昭和三十七年八月に出されました社会保障に関する答申・勧告、その中の試算表では、
昭和四十五年度に、少なくとも租税総収入の二七%の社会保障に対する国庫支出をすべきであると書かれ
ているのであります。欧米諸国の
昭和三十六年度の社会保障の基準に十年おくれて到達すべしとして、遠慮に遠慮を重ねて書かれたこの答申の示すところが、国庫
負担の総予算に対する比率が少なくとも二七%であるということを示し
ているのに、本年度予算はわずかに一四・一%であり、その伸び率まで鈍化をし
ているありさまでは話にならないのであります。
昭和四十五年に二七%に段階的に達するとすれば、本年度は、少なくともその比率は二〇%をこえ
ていなくてはならないわけであり、したがって、本年度予算より約四千億程度の予算を増額し、実額一兆三千億程度になっ
ていなければ、この段階的な目標達成もできないわけであります。その重要な到達年度を前にして、予算を増加することを十二分にしなかった
内閣の
責任は重かつ大でございまするが、その中心の
責任を持つ
斎藤君の
責任は、まさに解任に値するわけであります。厚生省予算の中で一例をあげると、ガンの研究費がわずかに前年度に比べて八%しかふえておりません。ガンに悩む
患者、その家族の身をすり減らすような苦痛、心痛の中で、治療法の完成を、祈りを込めて待ちわび
ている多くの同胞のことを考えるときに、それを完成させるべき研究費の伸びがわずかに八%とは、何たることでありましょう。これは何倍、何十倍にしてもよいことであるのに、そのようなことを実現できない怠慢、弱腰は、川で流れる幼女を見殺しにする非人間的な態度といってもあえて過言ではないと信じます。
第二に、厚生省関係
提出法案について、その怠慢、無
責任をきびしく指摘しなければなりません。
政府・
自民党は、その社会保障の不十分さを指摘されると、きまって最後に、
生活保護がありますからということで、防貧的社会保障を前進すべき
責任を救貧的社会保障論で逃げようといたします。それにもかかわらず、その
生活保護法の
改正案がこの十数年間提案をされておらないのであります。
社会保障制度
審議会の答申・勧告には、
昭和四十五年度において、少なくとも
昭和三十六年の
生活保護基準の実質三倍にしなければならないといたしております。そしてまた、
生活保護制度の個人単位への移行、地域差の緩和等、その改善の方向を示し
ているわけであります。本年度は、
昭和四十五年の前年度であるのに、その
生活保護費の金額は、
昭和三十六年に対し、物価値上がりを換算して実質にしますと一・九二倍にしかなっておらないのであります。来年に目標を達成するには、少なくとも、本年度の一千八百億円の
生活保護費予算を三千億円以上にしなければならないわけであります。そのために、階段的には、少なくとも本年度の
生活保護費はさらに五百億円くらい増額をしなければならないのであります。いままでのような冷ややかな、当てずっぽうの予算で
生活保護基準をつくり、被保護
国民の一食当たり飲食料費が平均して四十円、一番少ないところの人で一食当たり三十円というような、犬の一食分にも当たらないような食事で押える、このようなことを改めるためにも、基準の決定方式を含めた
生活保護法の
改正案の
提出を即時しなければならない
責任を全く放棄し
ていることは、許すことのできないところであります。
児童手当法の
提出もまたまたなまけて一年ずらしました。
国民年金法では、拠出
年金額の引き上げに踏み切ったことはよいといたしましても、いわゆる所得比例というものを社会保障の方向とは逆な
やり方で取り入れ、いますぐ
年金を待ち望んでいる人
たちの福祉
年金については、改善という名に値しない内容の
法案を
提出し、厚生
年金保険では、
年金の引き上げは当然といたしましても、積み立て金を六分五厘で運用し
ているのに、保険料の計算では五分五厘の計算をする、国庫
負担の増率をなまけ、使用主と
労働者の
負担区分を五・五から七・三とか八・二に直すようなこともなまけて、
労働者の
負担を大きく上げようと考えて悪
法案を出しておるわけであります。日雇
労働者健康保険法では、わずか年間二十数億の改善で、初年度においては年間八十七億、一年半の後においては年間百二十億の保険料の引き上げを策するなど、
提出すべき
法律は
提出せず、
提出法案も改悪
法案か、あるいはまことに不十分な改善しか実施しない
法案ばかりであります。その
責任は大いに追及されなければならないと信じます。
特に、
政府が再三の公約である医療保険及び医療制度の
抜本改正案の
提出を怠り、
国民を圧迫する
健康保険法及び
船員保険法の
臨時特例に関する
法律等の一部を改正する
法律案の
提出のごときは、最も許しがたいところであります。
抜本改正案を
提出しないことは、明らかな公約違反であります。八月三十一日になれば
特例法が失効になることも明白な約束ごとでございます。自分のかってで
抜本改正案を
提出しない、なまけて
提出をしない、そして、約束ごとである八月三十一日の失効を延ばそうというのは言語道断であります。
抜本改正案提出までの期間、
特例法が失効して、いかなる
赤字が出ようとも、それは
政府の
責任をもって解決すべきものであります。しかも、現在の
特例法の期間で、国庫
負担はわずかに年間二百二十五億円であります。
昭和四十年の九月、社会保障制度
審議会のこの問題に関する答申では、抜本改正までの期間、
赤字対策をもしとるとしても、
国民負担をはるかに上回る国の
負担をしなければならないとし
ているのでありまして……