○石田幸四郎君 私は、公明党を代表して、ただいま
趣旨の
説明のありました
大学の
運営に関する
臨時措置法案について、総理並びに関係閣僚に対し、若干の
質疑を行ない、
国民の疑念を晴らさんとするものでございます。
政府が
提案した本
法案は、重大な
社会問題と化した
大学紛争を、可及的すみやかに
収拾するという
目的で仇案したと述べておりますが、その
本質は、権力による
大学自治への介入が明らかであり、断じて認めがたいといわざるを得ないのであります。私は、
政府の意図するところについて、はなはだ疑問を抱かざるを得ません。
その第一点は、今日の
大学問題に対する
政府の認識についてであります。
すなわち、
大学紛争が、一部
学生の手によって、
大学の内包するいろいろな矛盾点の指摘から反
体制の政治
運動へと展開されていったことに対し、
政府は終始一貫、民主主義
社会における
暴力は許されないと、問題点をすりかえ、その
対策のみに腐心して、
大学問題の
本質解明には全く手を触れてこなかったのであります。もとより、
暴力は否定されなければなりません。わが公明党は、
暴力を否定するゆえに、いかなる
暴力事件が発生したときも、
現行法できびしく対処すべきことを
政府に訴えてまいりました。しかし、諸問題への解明も同時に行なわれなければ、行政的に片手落ちの感を免れず、
暴力否定の実効は全く期待できないのであります。すなわち、講座制にまつわる徒弟的封建性、警官導入、
大学移転、
学長選挙を含む人事、カリキュラム、
学生生活、不正入試、授業料等々の諸問題、さらにその根底にひそむ
研究偏重、
人間不在の
教育、企業従属の
研究体制、
紛争の要因たるこれら諸問題に対し、反省がなされ、是正策が講ぜられてきたでありましょうか。これらの問題にメスを加えずして、単に
暴力という
現象面にとらわれた取り締まり方式だけでは、
大学や
学生を納得させることは絶対にできないのであります。(
拍手)
また、この
大学立法には、
学生に対する不信感、
大学教官の
自治能力への強い不信感が見受けられるのであります。
教育は信頼を基本といたします。
教育行政を進める
政府が、不信感を基調とする対立的な態度をあらわにして、どうして
大学問題の
解決がありましょうか。今日の
大学紛争について、何が
大学当局の責任であり、何が
社会全体、なかんずく政治の責任と
考えておられるのか、総理並びに
文部大臣の明快な御答弁を願いたいのであります。(
拍手)
また、業界に多くを依存している
研究費問題、頭脳流出問題、多額の入学金を必要とする
私学経営の問題等、
大学の財政的援助を望む声は、
社会の
発展、
大学の大衆化とともに、年を追って大きくなっております。私は、国家財政と
高等教育予算との関係、
国民総生産高と
高等教育予算との関係について再検討し、
高等教育に対する新たな財政的理論づけが必要な段階に立ち至っていると思うのでありますが、大蔵大臣はいかなるお
考えを持っているか、所信を承りたい。
また、ゲバルト
対策に腐心しておられる国家公安
委員長は、ゲバルトの起こってきた
原因はどうお
考えなのか、伺いたいのであります。
また、
学生処分のための議員立法の声がありますが、法務大臣は、
現行諸法との関連において、その必要性をお認めになるのか、あるいは否定されるのか、御答弁を願いたいのであります。
第二点は、
紛争が九カ月を
経過すれば、
紛争処理は
大学の手を離れ、一年を
経過すれば、
大学の存在に関する生殺与奪の権は
文部大臣の手に握られてしまう点についてであります。
紛争が起これば
大学自治は終わりなのか、何ゆえ九カ月で
大学自治は終えんを告げなければならないのか、だれが
考えても理解に苦しむ論理であり、これは
大学自治に対する明らかな権力介入であります。
大学自治が尊重されるに至った歴史的
経過を
政府はどのように理解されておられるのか。過ぐる第二次大戦においては、国益追求の大義名分のもとに
大学自治が侵され、
学問の自由、
思想の自由までが国家権力によって奪われてしまったではありませんか。その結果、多くの学徒を戦争という死のふちに追い込み、また、有能な
思想家、政治家をも牢獄に追いやった事実を、いまこそわれわれは思い起こすべきであります。(
拍手)平和
憲法のもと、
学問、
思想の自由が確保されている今日、そのような心配は全くの杞憂にすぎないと言われるかもしれませんが、すでに
憲法改定論も胎動していることを
考えれば、どうして杞憂にすぎないと言うことができましょうか。もし、この
大学立法が権力介入にあらずと否定されるのであれば、その明確な
理由を
国民の前にお示しいただきたいのであります。
第三には、この特別立法のもたらす総体的な
効果についてお伺いいたします。
政府は、本
法案によって
紛争解決の道を探っておられるのでありましょうが、
大学紛争は、
政府案が発表されて以来、
紛争解決への期待とは逆に、日増しに立法化
反対の
運動が激増しております。結果的に見れば、本
法案は反
体制を目ざす一部
学生に好個の目標を与え、
大学教官、一般
学生をも立法化
反対運動に追いやり、新たな
紛争を引き起こしてしまっているといえるのであります。
新聞発表によれば、現在全
大学三百七十九校中百九校と、実に
紛争校は二八・八%に達し、また、この百九校中、立法化
反対は八十一校、しかも、本
法案のために新たに
紛争に入った
大学は十六校にも及び、ますますこの
傾向は
拡大されつつあるのであります。
大学紛争解決を目ざす本
法案が、その意図とは全く逆に、
紛争拡大の
原因になっていることについて、総理はどのようなお
考えなのか、所見を承りたいのであります。(
拍手)
また、
文部大臣は、この
法案だけで今日の
大学紛争が
解決するとは思わない、このように新聞紙上にも言っておられるようでございますが、
紛争解決に役立たぬ
法案をなぜ
提出しなければならないのか。総理は本
法案によって
大学紛争は必ず
解決可能と確信しておられるのか、お伺いをいたしたいのであります。
もし、この特別立法によって
紛争解決の
効果なしとされるのであれば、国会
提出の意味はないのでありますから、撤回すべきであります。また、
効果ありとするならば、
大学立法の意図について閣内不統一といわざるを得ないのでありますが、総理の明確な答弁を願いたいのであります。(
拍手)
第四には、
紛争解決に対する
政府の基本的な態度についてお伺いいたします。
政府は、本
法案作成にあたって、
大学問題は各政党の
意見も十分に聞き、
国民的合意を得たいとして党首会談を持たれたのであります。わが党も、
社会問題と化した
大学問題について、単に
大学の責任を問うだけではなく、真剣にその
解決への
努力を展開してきております。しかるに、でき上がった本
法案を見ますれば、公明党が提唱した
大学自治機能の回復を目標とする
学生参加、行政
指導を原則とする学園民主協議会方式はどこにも見当たらないのであります。それとも、
法案の中にはないけれども、行政
指導をもって、この
提案した学園民主協議会の
設置を推進しようとしておられるのか、お伺いをいたしたいと思います。
そうでないならば、これでは党首会談は
国民向けの
政府の責任回避、野党への責任転嫁のための党首会談にすぎなかったと非難されてもいたし方ないではございませんか。
政府は、
解決のためにもつと謙虚な姿勢をもって、各野党はじめ各界、各
大学教官の
意見を取り入れるべきであると思いますが、総理の所信と決意のほどを承りたいのであります。
政府の
提出した特別立法第七条によりますれば、九カ月を
経過して自主的
解決ができず、
紛争から一年を
経過した場合、
文部大臣に廃校、改組の
権限が与えられるとしております。しかし、この廃校、改組問題は、
国立学校設置法と不可分の関係にあり、この
国立学校設置法の一部
改正をしなければ、すなわち、国会の承認を得なければ廃校、改組はできないはずであります。この点について
政府の見解を承りたい。
公明党は、これらの
措置には特別立法の必要はない、
現行法で十分である旨をしばしば言明してまいりました。すなわち、
学校教育法第十三条には、六カ月以上授業を行なわない場合は廃校できる旨が明記されております。
学校教育法第十三条に廃校問題が明記されているにもかかわらず、重ねて立法化しなければならない
理由について、明快な答弁を求めるものでございます。
次に、
教育及び
研究の停止の問題についてお伺いをいたします。
紛争問題に対処する一部の
教職員を除き、また、日常のやむを得ざる管理業務に従事する者を除き、休職とし、給料を三〇%以上カットするということでございますが、
大学紛争に対して小さな責任しか負っていない
職員等に対しても減俸処分にしなければならない
理由は一体どこにあるのか。もし老齢、病気等で
紛争に直接タッチできない場合、給料カットは生活権を奪う結果を招くのでありますが、何ゆえかかる過酷な
措置を講じなければならないのか、お答えをいただきたい。
紛争に責任を持てという意味はわかるといたしましても、四面楚歌の状態の中で、かかる威圧的処置を受けて
大学教官が反発もせず唯々諾々としてこれに従うでありましょうか。希望を失い、かえって
大学を去ってしまう教官が続出するおそれはないのか、この
効果にはなはだ疑問を抱かざるを得ないのであります。まして、
暴力的な一部
学生のために、まじめな
学生までが奨学金を打ち切られ、犠牲をしいられる
理由はどこにあるでしょうか。一体、
政府は全
大学生を敵にしようとするのでございましょうか。かかる
措置は、善良な
学生までも立法化
反対運動に追いやる結果を招くことは必定であります。この危険性がないと
政府は言われるのか、これに対する明快な答弁をいただきたいと思います。
以上、何点かについてお尋ねをしたのでございますが、さらに私は、次のことを付言しておきたいと思います。
大学紛争をこのまま放置することは、いたずらに
大学を廃墟に追い込むばかりでなく、一国の
文化の興廃につながるゆゆしき問題であります。われわれは、やがてこの
日本を、
世界を受け継ぐべき青年に対し、現
社会の矛盾をでき得る限り
解決し、かつ正常なものにして次代に譲る義務があると
考えます。
大学を、いまこそ本来の姿に立ち返らせる
努力が必要なのであります。
大学は、それ自体、究極的には
人間をつくる場所であり、現在及び未来の
社会が切実に求めているのも、ほかならぬ
人間のあり方に対する明確な教示でありましょう。
教育は、次代の
人間と
文化を創造する厳粛な事業であります。したがって、時の政治権力によって左右されることのない確固たる自主性を確立する必要があります。
私は、この機会に、これまでの立法、司法、行政の三権に、新たに
教育を加えた四権分立について検討することを訴えるものであります。
かつて十八世紀のフランスの
思想家モンテスキューは、その著「法の精神」の中で、司法、立法、行政の三権分立を唱え、この
思想がルソーに受け継がれ、フランス革命を経て、今日民主主義
運営の基本条件となっているのであります。
時代は移り、やがて迎える二十一世紀は、物質
文明のひずみを正す
人間教育の
時代、生命の世紀ともいわれております。ここに、四権分立は
時代の必然であり、絶対の
要請であると確信をするものであります。(
拍手)
よろしく
政府は、今日の
大学紛争が新しい
大学の建設、ひいては
教育再建の陣痛であることに思いをいたし、一方的な権力による
解決策を排除し、国家百年の大計から賢慮をめぐらすべきであることを訴えて、私の
質疑を終わります。(
拍手)
〔内閣総理大臣佐藤榮作君
登壇〕