○麻生政府
委員 ただいま先生から、どういう学校に何人ぐらい志願しておったかという御質問ございましたが、その点につきましては、いま調査をいたしておりまして、具体的にどの学校にどのぐらい志願しておったかという資料を実はいま持ち合わせておりませんので、具体的に入学拒否の問題が起きました事案について、御
説明いたしたいと思います。
まず第一は、都立大学関係でございます。都立大学につきましては、東という三等陸曹と皆川という一等陸士と西田という二等陸士が、いずれも東京都立大学の工学部、夜間でございますが、これを受験するため、二月の上旬ごろ入学願書を大学に
提出しておりました。これに対しまして、東三等陸曹と皆川一等陸士につきましては、二月十四日付で大学当局から、受験は自分の意思によるのかどうか、それから通学等に要する費用はだれが
負担するのか、それから勤務と通学の関係はどうなのか、要するに通学することは勤務上差しつかえないのか、こういう文書照会を受けたわけでございます。これに対しましては、勤務上差しつかえないという上司の証明を受けまして、自分の意思により、自己の
負担で受験をし、かつ通学する旨を、それぞれ回答いたしたわけでございます。それから西田二等陸士につきましては、二月二十五日同趣旨の電話照会がありましたので、上司から同趣旨の回答を行なっておるわけでございます。
ところが、東三等陸曹と皆川一等陸士に対しましては、二月の二十八日同大学の入試管理
委員長の岡本哲治教授から、自衛官受験反対の運動が学内で行なわれており、形勢は非常に不穏である。小生としては、あなたの受験をあくまで支持するが、受験時あるいは入学後きわめて不愉快な雰囲気が心配されるので、その点よく
承知の上でおいでください、という趣旨の二月二十七日付の文書を受け取ってございます。
なお、西田二等陸士は、同じ文書がやはり送られたのでございますが、実際には事案が発生しました翌日の三月四日にこの文書を受け取っております。
ところで、入試の日の前日、すなわち三月二日の十九時、夜の七時ごろに岡本教授が十条の駐とん地を訪れて、西田二等陸士及び皆川一等陸士の両名に面会を求めました。警衛司令は、西田二等陸士は外出中であるので不在である、皆川一等陸士は横浜のほうに転属になっておることを伝えましたところ、都立大学はスト中で、強硬派の学生もいるので、自衛官の入試は辞退してほしいという旨を伝言して帰ったのであります。
それから、西田二等陸士は、たまたま
試験場下見のため外出しておりましたが、帰隊して上司からその旨を知らされ、翌三日の朝の七時ごろ、当直司令に依頼いたしまして、電話で岡本教授に確かめたわけでございます。その際、岡本教授から確かめましたことは、教授としてはできるだけ受験できるようつとめたが、評議会が自衛官の受験を認めないということになったので、どうにもしようがないんだという趣旨の返事であったわけでございます。これに対して、これは教育の機会均等に反しておかしいのではないかということを当直司令から質問したのでございますが、いずれにしても、もう評議会としてきまっていることで、自分としてはどうにもしようがないんだ、こういう返事でございました。なお、
試験を受けるにあたっては受験票を持っていけばよいので、せびろでいけばだれが自衛官であるかわからないではないかと言うたのでございますが、公開してしまったのでそういうわけにいかない、という趣旨の返事があったわけでございます。
したがいまして、こうした
事情を聞いた西田二等陸士は、それまでは、多少の反対運動があっても、私服で行こうという気持ちがあったようでございますが、いずれにいたしましても、評議会で自衛官の受験を認めないということをきめた、それから受験票の問題に関連しても公開してしまったということでは、これはどうにもしようがないからということで、受験を取りやめたということでございます。
それから皆川一等陸士は、十条駐とん地から連絡を受けましたけれ
ども、大学の真意をはかりかねましたので、翌三日、すなわち受験日の八時五十分ごろ入試に
出頭いたしまして、岡本教授に面会を求めまして
説明を求めましたところ、三人のために八千人の受験生に混乱が生じては困るのでやめてほしいということを涙を流して頼まれた、こういうことでございます。そこで、いろいろビラも張り、立て看板等も立て、四囲の状況から見てなかなかむずかしい、こう考えて、受験しないで帰ったということであります。
それからもう一人の東三等陸曹に関連いたしましては、三月二日の十九時三十分ごろ、すなわち夜の七時三十分ごろ、岡本教授が朝霞駐とん地を訪れまして、入試を辞退してほしいという旨の申し入れを涙を流して頼まれたということでございます。そこで、同三等陸曹は、防衛大学に合格しているのでよろしいです、こう答えて受験しなかった。
これが、都立大学関係に関連しまして、われわれが
承知しているところでございます。
それからもう
一つ起きましたのは、これは
先ほど申しましたのは夜間大学に対しまして、自衛官が昼間自衛隊の勤務に服しながら、向学心に燃えて勉学のため通うという問題でございまするが、もう
一つ起きました熊本大学の問題は、これは大学院の入学の問題であります。この問題につきまして、私
ども受験のため
出頭しました本人に確かめて知っておりまするところでは、現在の時点では次のようなことでございます。
三月十四日、熊本大学の大学院工学研究科の第二次募集の
試験を受けるため、岩淵という三等陸尉と竹崎という、これは技本の技官でありますが、この両人が、それぞれ熊本大学の
試験場におもむきました。竹崎技官は、学校内の掲示板の案内によりまして教務係に
出頭いたしましたところ、募集要領によりますと、九時から学力
試験が始まることになっておるわけでありますが、九時に工学
部長室に行くようにという、こういう指示をされたわけであります。また前日の十三日の掲示でも、学力
試験の始まるのは九時である、こう掲示があったようであります。いずれにしましても、学力
試験が始まる時刻の九時に、工学部の
部長室に行けという指示をされました。それから岩淵三等陸尉は、掲示板には気がつかずに、直接
試験場のほうに直行いたしまして、そして八時五十分ごろに
試験場前の廊下で工学
部長代理の福井教授その他に呼びとめられまして、工学
部長室に同行を求められたわけであります。そこで九時から工学
部長室で、梶原、奥田というそれぞれの主任教授が立ち会いの上で、福井教授から、工学
部長代理として申し入れるが、
試験当日になってこのようなことを言い出すのは気がひけるが、もし合格されても勉学、研究できる環境ではなく、あなた方の受験は受理したけれ
ども、こういう環境であるので、あなたたちも入学後たいへんだろうから、受験を見合わしてもらえないだろうか、こういう受験取りやめの
要求をされたということであります。それから奥田教授からは、君たちが合格した時点で防衛庁を退職するという誓約書をここで書くのなら受験させてもよろしい、こう言われたということでございます。それで岩淵三等陸尉は、これは命令で受験に来ておるので、役所のほうに連絡した上で回答したいからと言って、若干の時間の猶予を求めまして退席をしたわけであります。それから竹崎技官も、同様に退席をいたしました。
そこで岩淵三等陸尉は、この大学受験について世話をしました防衛大学のほうに電話をいたしたわけであります。ところが、連絡しようと思った先生が不在で、おりません。事務のほうから、陸幕のほうに連絡せいということでありました。そこで多少また先生に時間の猶予を与えてもらいまして、陸のほうに連絡をしたわけであります。
それから竹崎君は、たまたま長距離電話をかける時間もなかったということで、おとうさんが同じ大学につとめておられるわけですが、そちらのほうに相談に行き、それから知り合いの某講師のところをたずねようと思ったが、不在で会えなかった。それで大体九時三十五分ごろ工学
部長室に入って、また話をしたということでございます。
その前に、
最初に会いましたとき、
試験は九時半から
——岩淵君は土木でございますが、土木は九時半、それから竹崎技官は電気のほうでありますが、電気のほうは午後一時からに
試験の時刻を調整してあるから、こう言われておるわけであります。ちょうど両名が工学
部長室に入ったのは、九時三十五分ごろのようでございます。その際、岩淵三等陸尉から、さらに受験を希望する旨を申し入れました。そのときさらに、これは自衛官だから拒否するのか、技官も含めて防衛庁職員全体を拒否するのか、という質問をしておるわけでございます。もし自衛官であるということであるならば、あるいは自分はやむを得ないが、技官である竹崎君だけでも受験さしてもらえないのか、こういうことを聞いております。それから、これは今回だけ拒否するのか、今後も拒否するのか。こういうことにつきましては、今回は拒否するということで、今後も拒否するかどうかということについては、どうも明確な回答が得られなかったようでございます。
それから竹崎技官が、合否にかかわらず、せっかく来たのだから受験だけはさしてくれないか、こういうことを言ったのでありますが、これに対しても同意を得られなかったということのように聞いておるわけであります。
いずれにしましても、九時半ということを前に聞いておるわけでございます、岩淵君につきましては。したがって、事実上受験ができないと判断いたしました両名は、それでは受験させないという旨の文書を私にもそれから役所のほうにも書いてもらえないか、こういうことを頼んだわけでございますが、大学側は、それはいいでしょう、こういうことで、したがって受験を断念して退席をしたというのが、私
どもの現在判明しておるところの状況でございます。