○生越
公述人 和光
大学の生越でございます。
お二人の
公述人の申されましたことの中には、私が共感する点がたくさんございます。それで両
公述人が申されなかったことを、別の観点からいろいろと申し上げてみたいと思います。
まず、私は本席におきまして六つの点について私の見解を申し上げたいと思います。
まず第一点は、本日の午前中に私と同じく
社会党の推薦としていろいろ
意見を申されました
東京大学の
加藤学長とどこが違うか。いろいろと表現は似ているかもしれませんけれ
ども、
加藤学長と私の
考えとの間には千里の隔たりがございますので、その点をまず明らかにしておきたいと思います。二番目には、現在の
大学闘争、あるいは
大学紛争、これをどうとらえるかという点についての私の見解を申し上げます。三番目に、この
法案がいかに実行性のないものであるかという点につきまして、私の見解を申し上げます。四番目には、先ほどお二人の両
公述人がこの
法案の不当性をいろいろと述べられましたけれ
ども、私なりにこの
法案の不当性を
一つだけ、特に私が感じました点を申し上げたいと思います。五番目には、
大学紛争、これを根本的に
解決するためには、
学生の真剣な問いかけに対して、
大学人は真剣にこたえるべきである、その点を申し上げたいと思います。第六番目、本
委員会への要望を最後に申し上げまして、私の見解をまとめたいと思います。
まず、第一点でございますけれ
ども、現在の多くの
大学教授たちは、閉鎖的な象牙の塔的な
大学社会の中におきまして、権威の座に安住しているといわれております。私はそれは事実であると思います。それで私は何もそういう
大学教授たちのカッコつきの
学問の自由、あるいはカッコつきの
大学の自治、そういうものを守るためにこの
法案に
反対しているのではございません。私は、現在の
大学にはほんとうの意味での自治はないと思っております。それから
学問の自由も存在していないと思っております。
学問の自由、あるいは
大学の自治、そういうものはこれから私
たちの
努力によって新しくつくっていかなければならないものであると思っております。そのためには、
大学人、それから
大学を取り巻いている
社会のいろいろな
人たち、そういう
人たちが、それぞれさまざまな
努力をする必要があると思いますけれ
ども、そういう多くの
人たちの
努力によって新しい
大学づくりを進めていく上に、こういう
立法、いわゆる
大学立法という、こういう
法案が出てまいりますと、そういう運動が阻害されます。そういう観点から私はこの
法案に
反対するものでございます。したがいまして、現在曲がりなりにも日本の
大学には自治がある、それから
学問の自由がある、そういうことを前提といたしまして、
大学の自治あるいは
学問の自由に対する
政府の介入を招くおそれがあるから、したがって、この
法案には
反対なのだという
加藤学長の見解と私の見解とは、全く異なるということをまず申し上げておきたいと思います。
次に、
大学紛争をどうとらえるかという点でございますが、最近の
大学紛争は、世界の先進工業国で一斉に起こっているものでございます。いわば先進国における現代
社会のさまざまな矛盾を反映したものであるということでございます。四月三十日に出ました中教審の答申でさえもその第一章でこのように書いてございます。「
もとより、今日の
事態は、その背後に個々の
大学を越えて既存の
社会秩序の変革をめざす運動があり、単に
大学問題としてとらえるだけではふじゅうぶんであるが、」こういうふうに書いてございます。さらにそのあとで、「
大学紛争が学内の問題にとどまらず
政治的、
社会的な問題と密接に関連していることは、
わが国は
もとより殴米諸国でも共通に見られる現象である。」こういうふうに書いてございます。「しかもそのことが、経済的には高い水準にあり高等
教育についても長い伝統と高い普及率をもつ国々で顕著になってきたことは、注目に値する。このことは、今日の世界における
大学紛争が現代という時代の特有な性格に基因していることを示している。たとえば、既成のいろいろな
政治的・
社会的体制への不信、経済的には豊かな
社会における精神的な空白、高度に技術化された
社会における人間疎外など、さまざまな要因が多くの論者によって指摘されている。」と述べられております。私はこの指摘は正しいと思います。
大学紛争は、こういう現代
社会の矛盾を背景として、個別
大学におけるさまざまな矛盾や不合理な点、そういうものが原因となって起こってまいりました。
それで、初めは個別
大学の
内部のいろいろな矛盾、それから不合理な点、それを是正するということで始められた闘争が
全国的な規模に拡大するに至ったのは、やはり日本の
社会全体にいろいろな矛盾があるということ、それから、その
社会の中にある
大学のこれまでの制度自身の中にも根本的な矛盾、それから不合理な点があるということ、それから、明治以来の長年にわたってつちかわれてまいりました日本の
大学の古い体質が、依然として改められていない、そういうことがあると思います。
さらには、日本の
大学のよって立つ基盤に
根源的な問題があるんだ、あるいは日本の
大学並びに
大学人に見られる共通的、
一般的、普遍的な姿勢、
あり方、その中にやはり根本的に問われる問題があるということ、あるいはさらに、日本の
大学並びに
大学人は、一体何のために、だれのために
研究や
教育をしておるのか、そういう
研究や
教育がだれのために寄与しておるのかということについて、多くの
学生たちが疑問を抱いている。こういうことが、個別
大学に起こりました
学園紛争が
全国的な規模に拡大するに至った
理由であると思います。
特に最後に申し上げましたことは、たとえば
東大についていいますならば、医
学部であるとか、工
学部の都市工学科であるとか、現代
社会に住んでおりますわれわれの人間の生活にとりまして、一番密接な関係を有する
学部あるいは学科の中で、非常に激しい闘争が起こっておるということからも立証されるのではないかと思います。
そういうことから、
政府の
大学政策を含めた文教政策、そういうものと全面的に対決する、あるいは
大学を取り巻いている
社会の矛盾を是正するという、そういう闘争を起こすことなしには、個別
大学の問題さえも根本的には
解決できない。こういうふうに多くの
学生が
考えるに至りましたがゆえに、
全国の
大学に
紛争のあらしが吹きまくっておるのである、こういうふうに私は思います。
三番目、この
法案がいかに実効性のないものであるかということでございますが、このように
考えますれば、現在各地の
大学に発生している
紛争を、
一つの
法律で画一的に
規制するということ、そういうことをいかにいたしましても、実効があがるわけがございませんでしょう。そればかりか、そのような
法律で
紛争を
解決しようとするそういう
考え方、あるいは姿勢こそ、
国家権力による
大学の全一的な支配を正当化する
考え方でございます。そして闘争あるいは
紛争を場当たり的に
収拾させるだけで、問題の所在を隠蔽し、問題の
解決をさらにあとに持ち越させてしまう結果になるだけであると思います。そして、このような
法律がもし成立いたしますならば、
大学の
現状を改革しようとしているまじめな
学生、まじめな
教職員たちを萎縮させ、学外へ排除させられる結果をもたらすでありましょう。そして
大学の中には、いわばもの言わぬ
教職員、もの言わぬ
学生、そういう
人たちだけを
大学の中に残すことになって、
大学の中から現在の
大学の矛盾を是正する、あるいは
大学を取り巻いている
社会を改革していく、そういう運動の根を完全に圧殺してくることになると思います。そういうことは、将来到達すべき
大学の姿、あるいは本来の
大学の姿、そういうものとはおよそかけ離れた
大学ならぬ
大学に現在の多くの
大学をしてしまう結果になる、そういうふうに思うわけでございます。
四番目、現在
紛争が起こっております
大学は、百をこえておるといわれておりますけれ
ども、
紛争大学のうちの少なからぬものは、
大学の管理当局者による
大学の独裁的
運営が
紛争の原因になっていることは、皆さまの御承知のとおりであると思います。したがって、
紛争を防ぐためには、
もとより先ほど申しましたような
社会の矛盾の是正、あるいは
社会の改革が必要であるにいたしましても、さしあたっては
大学の
運営制度の抜本的な改革をはかること、また
大学人——これは
学生も含めてでございますけれ
ども、
大学人の
学問あるいは
研究、
教育に対する姿勢を正す、このことが大事であると思います。特に管理
運営制度の抜本的改革のためには、管理当局者に集中されておる強大な
権限を末端に分散する、このことが大事であると思います。私立
大学で申しますならば、
理事者、教員、事務職員、
学生、それぞれの固有の自立的な
権限を認める、そして
理事者の独裁を防ぐ、あるいは
学長の独裁を防ぐ、あるいは
教授会による独裁を防ぐ、このことが
紛争が未然に防止される最も大事なことでございます。
しかるにこの
法案では、
紛争解決のためということで、
権限を上部へ上部へと集中
強化させております。最終的には
文部大臣が絶対的な
権限をふるえることになっております。
権限が上部に集中していることが原因となって起こっている
紛争を、
権限をさらに上部に集中させることによって、何で
紛争の
解決ができるでございましょうか。これでは一時的に
紛争が
収拾されることはございましても、根本的な
紛争の
解決はとうてい望み得ないでございましょう。そのようにしてかりに一時的に
紛争が
収拾されたといたしましても、場合によっては機動隊が常駐する、あるいは機動隊が有事駐留する、そういう
大学になってしまって、
大学という名の営造物はございましても、そこでは
大学という
教育機関、あるいは
研究機関に値する
教育あるいは
研究は、一切できなくなってしまうと思います。
五番目に、
紛争の抜本的な
解決策は、
学生が問いかけている問題に対しておとなが真剣に
答えるべきである、そのことについて若干私の
考えを申し述べたいと思います。
もしこの
法案が成立いたしまして、
大学の
紛争が治安対策的に
処理されるようなことになったら、一体どういう
事態が訪れるでございましょうか。このことについて
学生は真剣に心配いたしております。彼らは、すなわち
学生たちは、
大学はどうなるかということとあわせて、日本がどうなるかということを心配しております。
一つの見解を持っている
学生は、このように
考えております。日本の資本主義は一九六五年ごろから急速に変貌した、いまや帝国主義的段階に到達してきた、高度経済成長の矛盾、破綻を、海外の市場競争に乗り出すことによって
解決しようとしておる。そのために
政府は、
大学を含めた全
教育制度の改編に乗り出そうとしている。そうした改編をやりやすくするために、
大学紛争を利用して
大学立法を出してきたのだ、こういうふうに
考えております。
こういう
考え方を裏づけるかのように、たとえば岡潔といったような
先生方がどういうことを言っておられるか。たとえば、日本民族はいまや絶滅のがけのふちに立っておる、貿易の自由化によって、日本は激しい国際競争の舞台に乗り出そうとしている、これは容易ならぬ難関である。こういう難関を切り抜けるためには、大多数の人を幾ら
教育させても何にもならない。すぐれた天分を持っている少数者を選び出して、その
人たちに徹底した英才
教育をやるほかはこの難関を切り抜ける道はないのだ、こういったような
考え方を述べておられます。こういう
考え方に基づいて、いわゆる少数の特定のエリートに対する徹底した英才
教育の必要性を強調する。それによって、現在ですらございますところの
東大を頂点とした
大学のピラミッド型の
秩序体系、これをより近代的に補強する、こういうことの必要性を説いておられます。
やはり、こういう
考え方に基づいて日本が現在大きく変わろうとしておる、この問題について
学生はやはり心配しておるわけでございます。かつて日本が歩んできた道を再び歩むのではないか、そういうことに対して、
大学当局者はもちろん、
政府・与党は少しも
答えておりません。野党も十分に
答えておりません。したがって、
学生は孤立する、あせる、現在の
政治に失望する、議会民主主義さえも否定してしまう、そういう風潮をもたらしております。
学生のいわゆる
暴力を非難しておる人は多いわけでございますけれ
ども、そういう
学生の行動を生み出しているのは、ほかならぬおとなの姿勢ではないのか、私はこういうふうに
考えます。もちろん私は、いかなる
理由がございましても、
暴力は一切否定する
立場に立つものでございます。しかし、現在の
学生の行動を、おとなの反省なしに、ただ一方的に非難するだけでは
学生の
暴力は
解決できません。幾ら力で押えたところで問題は全然
解決いたさないと思います。
第六番目、最後でございますが、私は、本席に、
大学の
運営に関する
臨時措置法案の
審査の
参考に資するためという
理由で発言の機会を与えられました。したがって、私を含めた八人の
公述人の
意見を十分
参考にされまして、これまでの
審査に加えて、さらに
審査を慎重に重ねていただきたいと思います。いままでの
審議だけで
政府・与党が強行採決の腹をすでにきめ、ただ、かっこうをつけるためだけにわれわれ
公述人を呼んだとかりにいたしますならば、それは私
たち公述人に対する大きな侮辱であると思います。それこそ議会制民主主義の空洞化、形骸化を示す以外の何ものでもございません。新聞紙上によりますと、
公聴会の終了後に、早ければ本日中にも文教
委員会での強行採決もあり得るかもしれぬということが書いてございますけれ
ども、万々一にもそういうことのないようにお願いいたしたいと思います。私
どもの述べました
意見を
参考にされて、さらに慎重な
審議を重ねていただく、これが議会制民主主義を守る唯一の道であるかと思います。万一そういうことがなくて、強行採決のようなことが行なわれるようなことがございましたら、議会制民主主義は、これを
一つのきっかけとして、音を立ててくずれるだろうということを私は心配しております。
以上でございます。(拍手)