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1969-07-24 第61回国会 衆議院 文教委員会 第35号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十四年七月二十四日(木曜日)     午前十時四十三分開議  出席委員    委員長 大坪 保雄君    理事 久保田円次君 理事 河野 洋平君    理事 高見 三郎君 理事 谷川 和穗君    理事 西岡 武夫君 理事 唐橋  東君    理事 長谷川正三君 理事 鈴木  一君       稻葉  修君    臼井 莊一君       加藤 六月君    坂本三十次君       櫻内 義雄君    周東 英雄君       中村庸一郎君    広川シズエ君       藤波 孝生君    増田甲子七君       松澤 雄藏君    箕輪  登君       八木 徹雄君    井上 普方君       川崎 寛治君    川村 継義君       小林 信一君    斉藤 正男君       帆足  計君    山中 吾郎君       岡沢 完治君    有島 重武君       石田幸四郎君  出席国務大臣         文 部 大 臣 坂田 道太君  出席政府委員         内閣法制局長官 高辻 正巳君         内閣法制局第三         部長      荒井  勇君         人事院総裁   佐藤 達夫君         人事院事務総局         任用局長    岡田 勝二君         人事院事務総局         給与局長    尾崎 朝夷君         警察庁刑事局長 内海  倫君         文部政務次官  久保田藤麿君         文部大臣官房長 安嶋  彌君         文部省大学学術         局長      村山 松雄君         厚生省医務局長 松尾 正雄君  委員外出席者         警察庁警備局外         事課長     中島 二郎君         法務省刑事局公         安課長     豊島英次郎君         専  門  員 田中  彰君     ————————————— 七月二十四日  委員稻葉修君及び中村庸一郎辞任につき、そ  の補欠として箕輪登君及び加藤六月君が議長の  指名委員に選任された。 同日  委員加藤六月君及び箕輪登辞任につき、その  補欠として中村庸一郎君及び稻葉修君が議長の  指名委員に選任された。     ————————————— 七月二十三日  大学運営に関する臨時措置法案の反対に関す  る請願木原実紹介)(第一〇九七四号)  同(山田耻目君紹介)(第一〇九七五号)  同(安宅常彦紹介)(第一一〇六三号)  同(井岡大治紹介)(第一一〇六四号)  同(井上泉紹介)(第一一〇六五号)  同(猪俣浩三紹介)(第一一〇六六号)  同(伊賀定盛紹介)(第一一〇六七号)  同(石橋政嗣君紹介)(第一一〇六八号)  同(石野久男紹介)(第一一〇六九号)  同(板川正吾紹介)(第一一〇七〇号)  同(稻村隆一君紹介)(第一一〇七一号)  同外一件(江田三郎紹介)(第一一〇七二号)  同(枝村要作紹介)(第一一〇七三号)  同(大柴滋夫紹介)(第一一〇七四号)  同(加藤勘十君紹介)(第一一〇七五号)  同(勝澤芳雄紹介)(第一一〇七六号)  同(金丸徳重紹介)(第一一〇七七号)  同外一件(木原実紹介)(第一一〇七八号)  同外一件(久保三郎紹介)(第一一〇七九号)  同(栗林三郎紹介)(第一一〇八〇号)  同(兒玉末男紹介)(第一一〇八一号)  同(佐野憲治紹介)(第一一〇八二号)  同(佐野進紹介)(第一一〇八三号)  同(斉藤正男紹介)(第一一〇八四号)  同(阪上安太郎紹介)(第一一〇八五号)  同(實川清之紹介)(第一一〇八六号)  同(田中武夫紹介)(第一一〇八七号)  同(多賀谷真稔紹介)(第一一〇八八号)  同(武部文紹介)(第一一〇八九号)  同(只松祐治紹介)(第一一〇九〇号)  同(内藤良平紹介)(第一一〇九一号)  同(中嶋英夫紹介)(第一一〇九二号)  同(中村重光紹介)(第一一〇九三号)  同外一件(楢崎弥之助紹介)(第一一〇九四号)  同(野間千代三君紹介)(第一一〇九五号)  同外三件(長谷川正三紹介)(第一一〇九六号)  同(畑和紹介)(第一一〇九七号)  同(華山親義紹介)(第一一〇九八号)  同(平林剛紹介)(第一一〇九九号)  同外一件(広沢賢一紹介)(第一一一〇〇号)  同(広瀬秀吉紹介)(第一一一〇一号)  同(帆足計紹介)(第一一一〇二号)  同(細谷治嘉紹介)(第一一一〇三号)  同(堀昌雄紹介)(第一一一〇四号)  同外一件(松本七郎紹介)(第一一一〇五号)  同(三木喜夫紹介)(第一一一〇六号)  同(武藤山治紹介)(第一一一〇七号)  同(村山喜一紹介)(第一一一〇八号)  同(森義視紹介)(第一一一〇九号)  同(森本靖紹介)(第一一一一〇号)  同外一件(安井吉典紹介)(第一一一一一号)  同(柳田秀一紹介)(第一一一一二号)  同(山内広紹介)(第一一一一三号)  同(山口鶴男紹介)(第一一一一四号)  同(山本幸一紹介)(第一一一一五号)  同(依田圭五君紹介)(第一一一一六号)  同(米内山義一郎紹介)(第一一一一七号)  同外一件(渡辺芳男紹介)(第一一一一八号)  信州大学繊維学部蚕糸教育課程存続強化に関  する請願外二件(菅波茂紹介)(第一一〇六一  号)  同(中曽根康弘紹介)(第一一〇六二号) は本委員会に付託された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  大学運営に関する臨時措置法案内閣提出第  一一一号)      ————◇—————
  2. 大坪保雄

    大坪委員長 これより会議を開きます。
  3. 有島重武

    有島委員 議事進行。昨日から当文教委員会け正常な審議に入っておるわけでございますが、けさの新聞を見ますと一斉に「きょう強行採決か」、そういった報道が出ております。一例を申し上げますと、「衆議院文教委員会が定、例日以外の二十四日、与野党の話し合いで、大学運営臨時措置法案審議を続行するが、自民党としては同日中に、同法案採決強行、二十五日の衆議院会議に上程する意向を固めている。」、これは一例でございますが、このように各紙に伝えられております。私どもとしては、こういうことがあってはならない、当然そう思うわけでございます。そういうことがもしあるならば、きょうの審議は非常に不安定なものになり、審議に入ることはむずかしいのではないか、こういうふうに思うわけでございますが、委員長から、このようなことは絶対ない、そういうおことばをいただいてそして審議に入るのが至当ではないか、こういうふうに思うわけでございます。
  4. 大坪保雄

    大坪委員長 お答えいたします。  新聞記事については私は責任は持てません。これは新聞記者諸君が、各方面に働いて得た情報ないし想像であろうと思います。委員会がどうなるかは、これから委員会を進めてまいって、その進行状態によらなければならぬ。私は委員会の多数の人の意見によって運営をするだけでございます。
  5. 有島重武

    有島委員 ただいま委員長は、新聞報道については私は責任が持てない、そして強行採決をするかしないかはきょうの審議の過程によるのである、ということは、伝えられておるとおり強行採決もあり得る、そういうふうにおっしゃっておるように受け取ってよろしいですか。
  6. 大坪保雄

    大坪委員長 御解釈は御自由でございます。私は、委員会運営を平静に進めてまいる所存でございます。
  7. 有島重武

    有島委員 平静に進めるということは、強行採決は絶対しない、——強行採決は平静ですか。
  8. 大坪保雄

    大坪委員長 強行ということば意味はよくわかりませんけれども、とにかく委員会を平常の状態に進めてまいりたいと思います。  大学運営に関する臨時措置法案を議題といたします。     〔「姿勢をはっきりしなさい」と呼び、その他発言する者、離席する者あり〕
  9. 大坪保雄

    大坪委員長 静粛に願います。席に帰ってください。  委員長が一々そういうことについてあらかじめ約束をするということは適当でございませんから、いたしません。
  10. 有島重武

    有島委員 議長約束なさっておるのだから、委員長約束なさってもいいのじゃないですか。
  11. 大坪保雄

    大坪委員長 お答えをいたします。  委員会の多数の意見によって、委員長の独善的にやることではないのでございますから、委員会法律上許された処置権限によってやるだけでございます。あらかじめ私がああするこうするという私の恣意に基づく約束はできません。
  12. 有島重武

    有島委員 委員長の独断でもってああするこうするということはできないとおっしゃいましたけれども、先ほど読み上げましたように、自民党は同日中に同法案採決強行、そのような記事がある。これは委員長にお伺いすれば、各方面からの情報であろう、このように言われましたけれども、いま多数の御意見によって動くのであるということになりますと、われわれとしてはこれは非常に不安に思うのは当然ではないかと思うのです。でありますから委員長が、多数の御意見にもかかわらず、議長が言明されましたように、きょうは強行採決しないというふうに、この場で言っていただくのが至当であると私は確信するものでございます。
  13. 大坪保雄

    大坪委員長 有島君に重ねて申し上げますが、委員長としては法規典例にのっとって処理をしていくだけでございます。あらかじめ約束をするということは、委員長個人恣意に基づくことになりますから、そういうようなことはいたしません。(発言する者あり)  質疑の通告がありますのでこれを許します。山中吾郎君。     〔発言する者あり〕
  14. 大坪保雄

    大坪委員長 静粛に願います。
  15. 山中吾郎

    山中(吾)委員 昨日私の質疑の中で、ただいま提案になっております大学運営に関する臨時措置法案の中で、第八条に関しまして、文部大臣の一方的措置による大学停止措置に基づいて、その結果一括大学の教職員休職になるという規定がございまして、これについて非常に深い疑義がありました。それで、特に人事院総裁おいで願いまして、この疑義を解明していく必要がある。また、公務員制度審議会にかけるべき根幹の問題であると私たちは考えておるので、それについて——総理府長官来ていないのですか、意見も聞かなければならぬというので、委員長を通じておいで願っておるわけであります。さらに、この法案に関連をいたしまして、重要な影響を与える文部大臣形式的任命権が、最近実質的任命権解釈をだんだんと近づけつつある非常に危険な政府解釈があるので、これも法制局長官と、正確精密なる論議をしなければならぬ、それでおいで願ったのでありますから、疑義のないように御意見をお聞きしたいと思うのであります。人事院総裁は都合によって座を離れるようでありますけれども、ただ一通り御意見を聞いただけで納得するようなことでなく、これは今後の公務員分限に関する重大問題でありますので、人事院総裁はまた舞い戻ってきていただかなければ困る、よほど重要なほかの問題でない限りは。実質的にはここは文教委員会でありますけれども、その事項についてはまことに重要な問題でありますので、総裁に特にお願いをしておきたいと思うのであります。  そこで、人事院総裁にお聞きをいたしますが、この第八条の措置につきまして、まず第一に、この休職制度というのは、現行国家公務員法その他の法文をすみずみまで調べてみましたけれども現行法では予想できない休職であると思うのですが、それはいかがでしょう。
  16. 佐藤達夫

    佐藤(達)政府委員 お示しのとおり、現行法には出ておらない制度でございます。
  17. 山中吾郎

    山中(吾)委員 国家公務員法関係からいいますと、この第八条の休職措置については——この法案をお読み願っておりますか、総裁、目を通しておられますか。——第八条の五号の「第一号の規定による休職は、この条に別段の定めがある場合を除き、他の法令の規定の適用については、国家公務員法第七十九条の規定による休職とみなす。」ここにある「国家公務員法第七十九条の規定による休職」というのはどういう休職でございますか。
  18. 佐藤達夫

    佐藤(達)政府委員 七十九条は、「本人の意に反する休職の場合」というものを掲げております。一つ心身故障長期休養関係、二つ、刑事事件に関する起訴関係、それからここに本文にありますように、「又は人事院規則で定めるその他の場合」とありますから、人事院規則で定める場合というのも法律は予想しておるということになります。
  19. 山中吾郎

    山中(吾)委員 そうしますと、この大学立法に基づく休職は、この法案規定の中で、本人意思によらない、本人意思に反する休職とみなしておる、これは間違いございませんか。
  20. 佐藤達夫

    佐藤(達)政府委員 おっしゃるとおりでございます。
  21. 山中吾郎

    山中(吾)委員 そうしますと、七十九条を見ますと、これは憲法二十七条の精神の延長線として生まれてきておる国家公務員法でありますから、その精神を体して、七十九条は、厳格に本人意思に反する不利益処分としての休職のきびしい制限列挙規定であると思うのです。しかもこれを見ますと、「心身故障のため、長期休養を要す場合」、これは本人意思に反するけれども本人の健康を守るという保護の意味を含んでおる、そういうものであり、一方、二は、「刑事事件に関し起訴された場合」、犯罪の疑いを受けて刑事事件に関し起訴された者、そういう者に対して、初めて休職制度がこの国家公務員法にはある。  ところが、この法律によるところの休職は、大学が現在の制度おい大学の自治を認められて、しかも、そのうちの人事権については、大学自主性にまかすという法制のもとにあり、大学学長が、いわゆる大学管理機関の申し出に基づいて大臣が任命し、形式的任命権だけを規定をしておる現行法制のもとにおいて、文部大臣が一方的に停止措置をし、停止措置に直結する法的効力として休職制度をとり、しかも、この法律おい給与減額をしておる。七十九条の精神からいえばはなはだしく隔たりがあると思うのです。にもかかわらず、この法案が、この五号において、「国家公務員法第七十九条の規定による休職とみなす。」という言語道断の規定であると思うのです。いかがですか。
  22. 佐藤達夫

    佐藤(達)政府委員 この法案の意図しております、ただいまおことばにありましたように、文部大臣の第七条による停止権を認めることが適当であるかどうかという問題は、遺憾ながらこれは明白に文部省所管でありまして、人事院所管ではございませんから、これは国会が御批判いただくところだと思いますけれども、さて、その前提のもとに休職制度を考える場合について、いまのおことばによりますと、七十九条の一号、二号という関係に触れての御意見でございました。ごもっともとは思いますけれども、先ほど触れましたように、七十九条では、さらに人事院規則でいろいろな場合をきめ得ることを法律自身がまかしておるわけです。若干の休職の場合を実は今日も人事院規則で設けておるものがあるわけでございますからして、七十九条のその法形式の問題から申しますと、その辺のところはわれわれとしてはあまり疑問を持っておりません。
  23. 山中吾郎

    山中(吾)委員 現実に、人事院規則で定めておる本人意思に反する休職制度は、どういうのでありますか。
  24. 佐藤達夫

    佐藤(達)政府委員 一々申し上げるのもあれでございますけれども、たとえば学校研究所その他の公共施設おいて、職員自分の本来の職務関係あると認められる調査、研究、指導に従事する場合、あるいは外国政府またはこれに準ずる公共的機関の招きによって向こうに出かけて、先方の機関の業務に従事する場合というようなことが四つばかりあげられております。
  25. 山中吾郎

    山中(吾)委員 いまお聞きしておりますと、外国に留学をする、自分研究のために学校勤務を一時中止をして行くという御本人自身意思を含んで、しかし、御本人自身は、勉強すると同時に休職にしてもらいたくない。やはり職務に関連した勉強だから休職は望ましくない。そういうときに、本人意思も、希望を半分は達してやるという意味をもって、人事院規則おいては思いやりのある、本人意思によらない休職ということが、いまお述べになったときに共通した精神であると私は思いました。間違いないですね。
  26. 佐藤達夫

    佐藤(達)政府委員 ただいま申し述べましたことは、法律的には先ほどの七十九条の本人の意に反してということをかぶせた上での規則でございますから、意に反した場合にやり得るということにたてまえはなっております。ただし、実際の運用は、いまおことばにありましたように、本人意向はどうだいと一応たたいた上で処置しているのが普通の場合であろうと思います。
  27. 山中吾郎

    山中(吾)委員 人事院総裁は、国家公務員法労働条件勤務条件分限を守るというような重要な任務を帯びておる総裁でありますから、したがって、現在の憲法精神を身に深くおさめながら、現行法体制精神を全体見ながらこの七十九条を評価され、また七十九条に規定しておる人事院規則の中身については、そういう精神で一貫をしてきめられておるので、いまのような内容の人事院規則による休職というものが出ておると思うのであります。そういう職務立場からいいまして、七十九条の休職とみなすと書いておる。いま提案になっております、いわゆる本来実質的任命権を持たない法制のもとにある文部大臣が、いわゆる指揮権を発動して、その大学研究教育停止を命じて、その結果、教員を一括休職にするという、意思に反して休職という精神は、七十九条と月とスッポンほどの差がある。総裁は、そういう自分職務立場おいて、一応七十九条との関係おいて、この休職というものについてしかるべく評価されていいのではないか。これは文部省関係でありますからというような一それはそのとおりであります。しかし、各省のいろいろの立場からいろいろな法案が出てきたときに、人事院総裁立場で評価をして、それに是非を加えて、いわゆる勧告権を持っておられるのでありますから、この国会の席上において、人事院識見を披瀝されるのは職責一つであろうと私は思うのです。その意味おいて御意見を承りたいと思います。
  28. 佐藤達夫

    佐藤(達)政府委員 先ほど申しましたように、この制度の基本になっております文部大臣権限行使が適当であるかいなかについては、これはもう私どもとしては触れるべき立場ではない、こういうふうにこれは信じております。  ただ、いまの場合に、これは一般の休職制度のたてまえからいってどうだろうかということになりますと、これはもう当然われわれが責任を持って判断すべきでありまして、前回御披露申し上げたかと思いますけれども文部大臣からの照会に対しては、われわれは、われわれの責任をもって十分に検討した上でお答えをしておるわけであります。したがいまして、その面について言わしていただきますならば、たとえば国家公務員法の場合に、役所が廃止されてしまった、廃庁ですね。それからそれに伴ってその官職そのものがなくなってしまった場合、あるいは定員の縮小によってよけいなはみ出した人員が出た場合、これは免職をすることができる。非常にきびしい条文でございますけれども、そういう条文現行国家公務員法にあるわけであります。したがって、文部大臣の今度の場合で申しますと、その停止処分というが妥当だと国会でお認めになって、そういう法律ができますなら、学校機能停止した場合に、そこの先生たちに対する身分扱いをどうするか。もちろん首にするのは残酷だ、休職にしたらよかろう、全額のお金をやって休職にするか、三割引きにするか、五割引きにするかといういろいろな段階があるわけです。今回の案では大体三割引き——卑近な表現をいたしますけれども、三割引きの給料で休職扱いをするということになっておるわけであります。したがって、学校停止によって機能が全面的に停止された場合におけるそこの職員扱いとしては、いま提案されております休職制度というのもやむを得ないのじゃないかという意味で、進んで賛成したという態度ではありませんけれども、やむを得ないものとしてこれに反対すべき根拠はないというのがわれわれの立場でございます。
  29. 山中吾郎

    山中(吾)委員 やむを得ないから賛成をしたという次元の非常に低い識見をはっきりとお話しになりましたが、この法案の構成の中に、大学学長自身おいて九カ月間研究及び教育休止する権限が付与されておる。その場合は、研究教育休止されておるけれども休職処置はないのです。大学学長は実質的に任命権者なんです。そして管理者なんです。その御本人が、教育研究休止した。それはあなたのおことばによれば、やはり事実上の過員が出ておるはずである。それは休職処分はない。ところが、本来権限のない文部大臣が、逆にわれわれが不当であると考えておる指揮権を発動してやったらとたんに休職になる。何らの手続を経ないで全部休職になる。これほど不合理なことはないじゃないか。そういう不合理なやり方の中で、七十九条の精神国家公務員法第一条の精神からいって、ほど遠い新しい休職制度をこの法案でいま出そうとしている。できておるのじゃないのです。出そうとしておる段階おいて、人事院総裁があなたの職責に応じた識見に基づいて、これは不当である、あるいははなはだしくおかしいじゃないか。いま私が申し上げましたように、いま総裁が説明された中には、教育研究休止になっているが、事実上過員のような状態であるので、まあ望ましくないけれども、やむを得ないというような表現をされた。それなら九カ月学長がそうした場合、休職になっていないのはどういうわけですか。おかしくないですか。
  30. 佐藤達夫

    佐藤(達)政府委員 それは筋論としては、正規の授業がその間行なわれていない場合が多いでしょうから、その間を休職にして、三割引きか、二割引きか、一割引きかというようなことを考えることも、これは一応空想的には考えられることだと私は思いますけれども、しかし、ものごと扱いとしては、いまのいわゆる七条の文部大臣停止命令が出た場合と、その前段階とでは、事情に相当違いがある。すなわち、その前段階おいては、職員がみんなこぞって学校の秩序の回復に努力をしている。全然何もやっていないという段階ではないのじゃないかということで、これはそのまま身分を持たす。在職者と同じような形で身分を持たすほうが適当じゃないか、私どもはそういうふうに考えております。
  31. 山中吾郎

    山中(吾)委員 大学学長休止、その段階を経てあと文部大臣がやるのではないのです、この法案は。別々なんです。大学学長休止をしなくても、文部大臣が自己の認定で、その前段階手続を経てやるのではなくて、文部大臣認定を下して、そうして停止をすることができるのですから、前段は停止をするための前提条件ではないのですよ。それから休止をしておるときには、要するに学長処置によって教育研究休止をしておる。しかし、自分大学ですから、何とかしようとして一生懸命努力しておるでしょう。努力をさすためにこの法案ができておると、何回でも文部大臣が言っておる。閉鎖するのじゃないんだ。減俸して、休職して、月給を削っておいて、しかも扶養家族まで削っておいて、努力せいというようなことができますか、そんな懲罰的な休職をさせておいて。いま総裁がそういうことを言われたのですから、あなたのおっしゃることは非常に矛盾だと思う。懲罰的な休職をさせておいて、そうして扶養家族まで減額をしておいて、そして一人一人の事由によらない一括不利益処分をして、それで大学に協力をせいという虫のいい説明なんです。そんなことできますか。
  32. 佐藤達夫

    佐藤(達)政府委員 ただいま私が申しましたところに、前後の何か関係があるように述べたと思いますが、これは御指摘のとおり、いま文部大臣に確かめてみましたところが、必ずしも前後関係はないという話でありますから、それはわかりました。しかし、そういう停止なり休止なりの措置を、二段階あるいは二色つくって、そして内容をどういうふうにすべきかということは、これはもう最初に申し上げましたように、私どもの判断するところではないのでありまして、これは国会の御判定にまつほかはない。しかし、七条関係に書かれてありますところから見まして、それに対する教職員身分扱い方としては、いまの休職制度もやむを得ないだろというのが先ほど申し上げました趣旨でございます。
  33. 山中吾郎

    山中(吾)委員 どうも人事院総裁は、私が質問しておることについて十分御理解ないと思うのですが、いわゆる二段階でなくて、学長教育研究休止と、文部大臣権限による停止との二段階でなくて、二とおりの規定をしておる。そこで学長自身が教育研究休止をしたときには休職にならない。それから文部大臣がやれば休職になるということなんです。だから、いわゆる国家公務員法に基づいて保護を受け、そして職務について同一の立場にある者が、受けるほうからいったら同一状況なんです。ただ措置するものが違っているだけなんです。一方は給与減額される、一方はされない。そんな不合理な、そんな不公平な制度が一体ありますか。そんな不公平な労働条件の差別待遇がありますか。受けるほうは同じですよ。だから、人事院総裁立場おいて純粋にお考えになれば、こういう文部大臣停止によろうが、大学休止によろうが、これは一括不利益処分だから、給与はそのままにして現職のままにおい努力をさすか、どちらも休職をさすか、それならまた別である。同じ受けるほうからは完全に同一条件なんです。なぜ差別の制度をつくることに、やむを得ずか知らぬけれども、しかも国家公務員法七十九条の精神からいい、そんなに不当な制度になるのに、やむを得ず御賛成になる理由がわからぬ。
  34. 佐藤達夫

    佐藤(達)政府委員 学長が自主的におやりになります場合と、文部大臣権限を発動される場合には、おそらく事柄の性質上相当事態に差異があるということを前提にしてのことだと思います。したがいまして、大学の部内で紛争の収拾に皆さん一生懸命やっておられるところに、どかっと文部大臣停止命令をお出しになるなんということは、私はこの法律の予想しておるところでないだろうというふうに思います。事柄の性格上、運用はそうなるに違いないから、その二つの場合についてそれぞれ扱い方を別にするのも筋が通るのではないかというわけです。学長限りのときも、それは休職にしてもいいじゃないかという論も立ちますけれども、そこまではちょっと行き過ぎじゃないかという気持ちがいたします。
  35. 山中吾郎

    山中(吾)委員 私は佐藤文部大臣にお聞きしておるのではなくて、人事院総裁にお聞きしておるのです。文部大臣の発動した行政処分と学長の行なった行政処分は、行政的性格が違うかどうかというのは、そういうことなら私は文部大臣にお聞きをいたします。あなたは公務員分限を守る、公平に労働条件を守っていく責務を持った人事院総裁でありますから、受けるほうの教職員というものの立場で不当かどうかをお聞きしておるのです。同じ条件ではないのですか。これは大学の正常化に努力しておるかいないかということで、えり好んで休職にしておるのではないのです。一括体職にするのです。だから受けるほうの大学の教授、国家公務員法のもとにコントロールされており、同時に、教育職員として特質を認めて、教育公務員特例法のもとにあるこの一人一人の公務員を守る立場おいて、あなたは不公平に思わないのか、それをお聞きしておるのですよ。この行政性格はどうだというのは、いま佐藤文部大臣の答弁ならわかる。それなら別に論争しますが、人事院総裁にわざわざ来てもらって、公務員を守る立場職務を遂行するいろいろの規制において、独自の判断でいろいろの制度をお考えになる立場のあなたに私はお聞きしておるのです。
  36. 佐藤達夫

    佐藤(達)政府委員 文部大臣ではありませんからこそ、先ほど二段階と間違ったお答えをしたわけですが、二色あるということでこれはなるほどそうだと思います。その二色あるということは、学長がおやりになる場合と、文部大臣がおやりになる場合と、その当該学校の先生の立場というのは、同じか違うかということです。それが完全に同じだというならば、それは学長限りで休止をされたときも休職になってもらおうじゃないかという話が当然出てくる。そこに扱い方を差別するというのはおかしいじゃないかというお話も出てくると思いますけれども、私どもは、この法案を拝見しまして、そこにやはり事態に違いがあるということで、したがって、学長のおやりになった場面においては、まだ教職員の方が収拾に努力していらっしゃる。手をこまねいていらっしゃるわけではない。したがって、これを休職にするというのは行き過ぎじゃないか。それこそ個々の教職員身分の保護からいって、これは行き過ぎだろう。したがって、その点は原案もそういうことになっておりませんから、よかろうということになるわけです。  ところが、文部大臣が発動するときは、これはたいへんな場合で、もうよくよくの場合というふうにこの法案からは受け取れるものですから、その場合において教職員の方々にある形の休職制度を設けても、これは行き過ぎとはいえないだろうという意味で、私どもは反対はしなかったということになるわけでございます。
  37. 山中吾郎

    山中(吾)委員 そうしたら、学長休止文部大臣停止の場合の違いを教えてください、あなた違うとおっしゃったから。——いや、人事院総裁がこの法律研究されて違うとおっしゃっておるから、人事院総裁に聞いておるのです。
  38. 佐藤達夫

    佐藤(達)政府委員 私が了解いたしましたところは、要するに学長段階は、いつでも学長認定するところに従って発動いたしますけれども文部大臣権限を発動される場合には、制限が設けられておる。そう自由に発動はできない。たとえば九カ月たってからというようなことがありますので、ははあ、なるほどその辺にやはり事態の違いはあるなというような気持ちを抱いたわけです。これが間違っておれば、またその根本について、文部大臣にひとつお尋ねいただきたいと思います。
  39. 山中吾郎

    山中(吾)委員 中身も調べないで、文部大臣が言ったら、ははあそうかといってそして認めた。これは一人一人の人権の問題なんですよ。しかも、現行制度にない、ちょっと想像つかない休職制度なんです。だから、深刻に論議しなければならぬと私は思って総裁に来ていただいた。だから、文部省に聞くとどうも違いそうだ、ああそうか、ははあといってやむを得ず認めた。これではあまりにも無責任な答弁じゃないですか。  大学紛争について二条に定義が入っているのです。「この法律おいて「大学紛争」とは、大学の管理に属する施設の占処又は封鎖、授業放棄その他の学生による正常でない行為」、これがこの第二条に規定しておる大学紛争の規定なんです。きのう私は論議をいたしましたが、これは客観的規定で、その原因いかんは少しも問うていないのです。だから非常に画一的にこれを適用する場合には、非常に不公平な問題が出てくる。きのうも私は一例を取り上げて論議をしたのです。しかもそのときに、学生による行為なんだ、教授による行為は少しもここにないのです。教授は一生懸命に努力をしておるけれども、うまくいかぬ場合もあるでしょう。教授のことは何もないのです。この「学生による」というところにも——きのう論議をいたしましたが、この定義のもとにおいて、これを受けていろいろの処置が出ておるのであります。そうして、七条において「紛争大学学長は、大学紛争を収拾するため必要があると認めるときは、」「教育及び研究に関する機能の全部又は一部を、六月以内の期間、休止することができる。」これだけなんです。それから、文部大臣のときは一定の期間を置いておるだけなんです。「紛争大学の学部等におい大学紛争が生じた後九月以上を経過した場合」だけなんだ。これは学長休止をしたあと、その次という二段階ではないのですよ。関係ない。大学学長がそういうことをやるやらぬにかかわらず、紛争が生じて九カ月たったらやるんだというだけなんです。その実態のいかんに関係ないのです。だから大学学長は、紛争が起こって九カ月後にその休止処理をするかもしれない、一年以上たってするかもしれない。東大は一年たってもこの法の適用を受けないし、やっていない。文部大臣は、この法案ができたあとは、一律にどこの大学でも九カ月を過ぎれば停止処分ができるとなっておる。そして休職になるんだ、個々の教員の審査なしに。九カ月たったときに文部大臣文部大臣の認識によって停止をした場合、学長が紛争が起こって一年後に休止した場合に、片一方は休職なんです、片一方はそのままなんです。そんな不合理なことがありますか。それをお調べになって、研究されて、御意見述べられたのですか。
  40. 佐藤達夫

    佐藤(達)政府委員 もちろん十分研究の上でわれわれが結論を得、またここでお答えしておるわけでございますけれども、先ほどの学長の場合と、それから文部大臣の場合とが、二つに書き分けてあるということです。たとえば、同じであるならば、もう七条のところで、「紛争大学学長は、」というところに「及び文部大臣は、」とやるか、あるいは「又は文部大臣は、」とやって、一項、二項を書き分ける必要はないじゃないかという一つの技術論が出てくるわけです。それは書き分けてあるから、そこに違うものがなければ書き分けられるはずはないということもいえるわけです。したがいまして、先ほどから申しましたようなことが私ども前提となって、そうして文部大臣のおやりになる場合は、これは休職やむを得ず、学長限りの場合は、休職をするのは行き過ぎだという考え方でおるわけであります。
  41. 山中吾郎

    山中(吾)委員 法律専門家としての佐藤総裁らしくない御答弁で、まことに遺憾です。法律文言の域からいって、大学学長の場合は、この程度の紛争のときには学長休止を命ずるんだ、この程度以上になったときには文部大臣は、——どこにもないじゃないですか。そんな総裁の無責任な御答弁で、この法案の成立——成立していない過程において、適当にオーケーというようなことは、総裁、私はとても認めるわけにいかない。  いま、理事のほうから、次の場所でお呼びになっておるようですから、行ってください。終わったら帰ってください。真剣に論議をしなければならぬと思います。  どうも私の質問には、途中で切れる悪い習慣がついたので、まことに遺憾でございますが、法制局長官にわざわざおいで願ったので、法制局長官の専門的立場からお聞きいたしたいと思います。  お聞きすることは、大学の自治の立場における大学人事権と、文部大臣形式的任命権についての最近の解釈が動揺して、終戦来の文部省の権威的解釈その他についても相当変遷がある。その変遷は、決していい方向の変遷ではない。それを私が、長期的に日本の未来を考えた大学の自治ということを考えて非常に心配をするので、一昨日この法案に関連をして論議をしたのです。そこで法制局長官にお聞きをしなければならぬと思うのですから、法律的にこうであるというふうなことを、よくわかるように、いまの総裁のようにそういう感じだというふうなことでなしにお答え願いたいと思うのであります。  私が深刻にこの法案に密着した問題としてお聞きするのは、この法案は、第一条に、大学における自主的解決ということを主眼とするということを明確に書いておる。法制局長官は、十分研究されて、間違いなくお読みになっているでしょうね。そうして、三条以下、大学学長の協力義務だとか、あるいは報告義務だとか、あるいは文部大臣のほうからは報告を求める権利であるとか、あるいは勧告権とか、現行文部省設置法の指導、助言ということばを使って、それに限定しておることからいったらばみ出ておる勧告権を入れたりしておるわけです。これは、私がちょっと見ると訓示的規定のごとく、新しく学長に義務づけたごとく、これもあいまいでわからない。しかし、それをずっと見ていったときに、私は、現在の文部大臣学長に対する任命権が、いわゆる形式化された任命権である、いわゆる実質的任命権はないのだという解釈前提としたときに、学長の、この法案規定しておる諸種の訓示的な義務づけですか、そういうものは大学の自治を侵す。頭から侵すとは私は強調はしません。しかし、一方の解釈に、この法案の周辺にあるところの行政解釈に、文部大臣の任命権が実質的な任命権を含んでおるというふうなことにだんだんとこの周辺の解釈を下しておいて、そしてそれを前提として法案を読んだときには、これは大学の自治はなくなる。一つ勧告権というものがあれば、そして勧告を尊重する義務を規定している。その義務を守らないときには、文部大臣の任命権は実質的任命権があるのだから、おまえは任命しない、おまえはだめだと言うことができるという制度になってきて、勧告は勧告でなく、法的拘束力を持つことになり、単なる報告する義務自身も、実質的に学長自主性というものが、大学の自治の要請に基づいた立場が完全になくなるのだ、そういうことから、私からいえば、この法案審議に対して重要なる資料なんです。  そこで、法制局長官にお聞きをいたしたいので、特に委員長にお願いして来てもらったのです。まず、法制局における、最近の大学における自治について、文部大臣の任命権等の関係について、法制局長官のほうでどういう解釈をされておるのかお聞きいたしたいと思うのです。
  42. 高辻正巳

    ○高辻政府委員 お答えを申し上げます。  ただいまの法案に関連して、かなり重要な視点からのお尋ねでございましたが、この問題につきましては、あるいはもうすでに文部当局からお話があったかもしれませんけれども、実は政府当局が初めて見解を示しましたのは、私の記憶では昭和三十八年の衆議院文教委員会であったと思います。これに先立って、これも記憶によればその前年の三十七年だったと思いますが、文部省も、その点については大いにどういうことであろうかというようなことで、私どものほうに質問といいますか、照会がありまして、それでそのときに一緒に討議をし、そして到達をした結論がございます。いま申し上げましたように法制局で検討いたしましたのは三十七年であり、その線に沿って昭和三十八年に衆議院文教委員会でそれが吐露をされ、その後も断続的にではありますが、私あるいは文部大臣等から、これについての同じ線に乗ったお答えをしているはずでございます。したがって、われわれからいたしますれば、その中身についてぐらぐらしているとか、あるいは変更になったとかということはございませんので、それをあらかじめ申し上げておきたいと思います。  それから、その中身でございますが、大学の自治、これはむろん言うまでもなくきわめて重要な問題でありますが、ただいま御指摘になりましたように形式的な任命権あるいは実質的な任命権というようなことばで言いますと、非常に一義的に形式的任命権ならもう手も足も出ないのじゃないか、実質的任命権なら何んでもできるではないかというふうになりがちでございますが、そういう意味では私どもはいずれも誤りであると思っております。要するに、大学の自治はそれ自身を憲法が直接に保障しているわけではございませんが、これも判例——有名なポポロ判決にありましたように、学問の自由にゆかりのあるものとしてこれを尊重しなければならぬことは言うまでもございませんが、他方、私どもがどうしても忘れてはならない規定、これがやはり憲法にございまして、憲法十五条一項というのもわれわれはこれを無視することができない。十五条第一項はあらためてここで申し上げませんが、「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。」これが、この規定に明らかにされているところの公務員の終局的任命権が国民にあるという国民主権の原理、これをまた同時に、全然無視して考えるわけにいかないと思うわけであります。国立大学学長公務員である以上は、終局的には国民の任命権に基づいて任命されている。文部大臣自身も、また国民の任命権に基づいて任命されているわけでありますが、その文部大臣が、学長の任命にあたりまして、たとえいかなる場合であっても、何らの発言権も持ち得ないと解することは、その結果として国会に対しても責任を負い得ない。ということは、国民主権の原理に一顧も与えないことになって、正当ではないのではないか。その意味で、この問題はやはり大学の自治と、それから国民主権とのいずれか一方に偏した見地において考究すべきではなくて、その調整的見地、つまり片方だけに偏してもむろんいけないわけでありますが、その調整的見地において考究すべきではないか。そのような大学の自治と、国民主権の原理との調整的見地において考えてみますと、単に、申し出がありました者が、何らかの理由で主観的に政府当局の気に食わないというようなことではなくて、そういうことで任命しないというのはむろん違法であると思いますが、そうではなくて、申し出があった者を任命することが、明らかに法の定める大学の目的に照らして不適当と認められる、任命権の終局的帰属者である国民、ひいては国会に対して責任を果たすゆえんではないと認められる場合には、文部大臣が、申し出のあった者を学長に任命しないことも——理論上の問題として私はお答えするわけでありますが、理論上の問題としてできないわけではないと解されるというのが当時の考え方でございます。この考え方は、われわれの考えとして、今日変える必要があろうとは少しも思っておりません。したがって、その線に即して、昭和三十八年に衆議院文教委員会で申し上げたことを、その後も御質疑に応じてお答えを申し上げておる次第でございます。
  43. 山中吾郎

    山中(吾)委員 いま法制局長官に御説明願ったその論拠に、憲法十五条「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。」これはそのとおりだと思います。同時に、大学の自治という立場おいて、その根拠として、新憲法ができるときに、どこの国にもない明確な一つ表現として、憲法二十三条に「学問の自由は、これを保障する。」日本独特の憲法の明示がある。これは大学の自治という制度を保障するものであるということは、憲法学者も例外のない学説ですね。したがって、この憲法二十三条の規定と、それから十五条の国民の固有の権利というもの、この二つの憲法のコードの中から、大学の人事については、実質的には大学管理機関の選考によって学長を定める、しかし十五条に置いてあるから形式化した任命権を文部大臣に置くという現法制ができておると私は解釈しておるのですが、いかがでしょう。
  44. 高辻正巳

    ○高辻政府委員 先ほどもその点に触れたつもりでございますが、ただいまの御質疑でも憲法十五条一項の精神といいますか、趣旨といいますか、それをやはり念頭に置かれて御質疑をいただいておるように思います。すなわち十五条一項というのは、やはり公務員の終局的任命権者である国民との関連というものを、私どもは離れることはできないのではないか。そういうことを背景にして任命権を持つことによって、また国会に対して責任を負うという立場に立つべきではないか、そういうことが抜きにされた場合に、これは一体だれが——通常、憲法にありますように行政権は内閣に属するというわけで、すべての場合とは限りませんが、たとえば公取みたいなものは別でありますけれども、行政権の中で、少なくも人事権的なものは内閣か、あるいは行政権が握って、それによって国会に対してその点の責任を負うという仕組みになっておるのが大体の筋でございます。そこで十五条一項との関係おいては、やはり任命権が文部大臣にある必要があるであろうということを前提にされつつ、それは形式的任命権であればいいのであるということが御説のようでありますけれども、やはり私どもも、さっきも触れましたように、何でもかんでも文部大臣はかって次第に任命権を行使していいとまではむろん思いません。先ほども触れましたが、思いませんが、そうかといっていかなる場合にでも、国会に対してあるいは国民に対して責任を負い得ないというような場合にまでも形式的な任命権である、そして何ら責任を負わないというのは、やはり憲法の趣旨に即して適当ではないのではないか。やはり学問の自由と、この十五条一項に示されておる公務員の任命権、これを調整的な見地において考えていくのが最も妥当なところではないか。したがって、気に食わないというようなことではむろん任命を拒否することはできない。しかし、いまも申しましたことですが、繰り返しになって恐縮でございますが、明らかに大学の目的に照らして不適当だと認められる、それを任命することは国民に対して責任を果たすゆえんではないというような、これはもうきわめてまれなことであろうと私は思いますが、そういう場合にまで任命をしなければならぬわけではない。そういう場合にはやはり十五条一項がものをいうべきであろうというのが私ども解釈であるし、私は今日なおそれは妥当な解釈であろうと思っております。
  45. 山中吾郎

    山中(吾)委員 法制局長官の御説明はどうもあいまいで、明確に私頭に入らない。あなたがおっしゃっている根拠は、十五条だけを言っておる。二十三条の学問の自由と二つを持っておる憲法構成の中で、この大学人事権をどうするかということを現行法規定しているのだ。そういう二つのことをうまく解決するために、国民の代表であるところの国会おいて、国会がつくった法律によって、実質的な選考権というものは、これは大学に一任をする。     〔委員長退席、谷川委員長代理着席〕 形式的任命権だけを文部大臣に、これは国民の代表の国会がきめた法律なんです。それをよけいに解釈をして−文部大臣は一介の行政長官じゃないですか。法律によって学長にどういう権限を持たすかという、国民の固有の権利と学問の自由という憲法的要請に基づいて、だれに実質的任命権を与えるかどうかということは、国民の代表の国会がきめることなんです。国会がきめたんです。それになぜ疑問を持たなければならぬのですか。形式化したところの任命権は、一応国立であるから、管轄庁であり、助言、指導という——監督指揮権はない、助言、指導だけはできると文部省設置法におい文部大臣権限大学関係規定し、そして監督庁と書いてない。国立大学については管轄庁なんです。そういう点があるので、形式的に任命権を残すということでつじつまを合わしているのです。それでずばりでいいじゃないですか。
  46. 高辻正巳

    ○高辻政府委員 ただいまも仰せになりましたが、私もまた二十三条と十五条一項との関連においてこの問題を考えるべきであるということを実は最初から申しておるわけです。特に二十三条の問題というのは当然出てまいりますが、十五条一項の規定というものは忘れがちであるために、特にそれを同時に考えあわさなければいかぬというのはむしろ私が強調したいところで、御質疑を伺っておればその基盤は全然変わりがないように私は思います。  そこで、先生の御主張は、この法律によって、何といいますか、学長に対して実は任命権を与えているのであって、文部大臣には形式的権限を与えているのだということを御主張になっている。それが法律なんだとおっしゃるわけでありますが、実は法律学長の申し出に基づいて文部大臣が任命するとあるものですから、お尋ねのような疑問といいますか、解釈の余地が出てまいるわけです。したがって私も、法律がもしも、教授その他の大学の要員について大学学長が任命するということであれば、これは憲法上の問題が残ると思いますけれども、少なくも法の中身はどういうことを注文しているのかということはわかるわけでありますが、ただいまの規定は、申し出に基づいて文部大臣が任命するとあるものですから、そこに解釈の余地が出てまいる。そして私が申し上げる解釈、これは全くの形式的な任命権と言ってしまうのはどうであろうか。しかし、かといって実質的な任命権があるとすれば、もうこれをどうしようとかって次第であるというお考えだとは決して思わないけれども、先生の言われるような、任命権は文部大臣が持っているというのが、ないのと同じであるかのように解することはどうであろうかということを申し上げているわけで、やはりその基盤として、学問の自由の憲法規定と、それから公務員の任命権の十五条一項の規定と、それの両方を踏まえてこの問題を考えるべきであるという基本的な基盤は、実は先生と全く同じでございます。その点だけ重ねて申し上げたいと思います。
  47. 山中吾郎

    山中(吾)委員 いま例に出されました教特法の十条ですね、「大学学長、教員及び部局長の任用、免職、休職、復職、退職及び懲戒処分は、大学管理機関の申出に基いて、任命権者が行う。」これについて各関係者から幾多の解釈が出ております。これは任命権者が行なうということがこの十条の規定の主眼でなくて、大学管理機関の申し出に基づくということが、この十条の規定の主たる立法趣旨であり、他の大学以外については、したがって、任命権者がだれだという規定がみなある。申し出に基いてというところが十条の大学自治を守るところの骨として特に規定をしているのだ。申し出に基づくということは、四条から七条、九条にわたりまして大学の自治権についてのことがずっと書いてあって、総括として十条が出ておるのでありますけれども、これに基づいて申し出があれば任命をしなければならないのだ、申し出がなければ任命はできないのだということを明確にして、憲法の二十三条と十五条をうまくここに文部大臣の任命権を形式化することによって、このものが出て、拒否権はないと書いておるのがずっといままでどの本を見ても大体そうなんです。最近、法制局はおかしくなってきた。どうも政治的影響があって——これは憲法が設定されて、ずっと教特法の解釈が通して私たちの頭には、文部大臣は拒否権がないということが常識になるほど、私が触れた限りの書物にある。そこの根拠をもう一度、法制局長官ですから政策論でなくて、厳密な法律論でお教えを願いたいと思うのですが、教育基本法の十条の「教育行政」の規定に、「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである。」と書いて、次に、「教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない。」と規定をしております。十条の第一項によりまして——これは教育基本法の前文に、「日本国憲法精神に則り、」と明示しております。教育はそのときどきの権力に支配されるということは望ましくないために、特に十条の教育行政の定義が下されて、教育に限っては教育の直接担当者は、国民全体に直接に責任を負うという規定をわざわざしておる。その中に行政庁の意思の介在はないほうがいいのだ、教育機関というのは直接国民に責任を持つという規定がある。ことに現代は政党内閣でありますから、どの政党が政権を取っても、行政庁の長官はその政党の領袖なんです。その人がりっぱであるかいなかは事実の問題。そういうたてまえのもとに、教育に関する限りについては「直接に責任を負って行われる」と書き、その反対の、保障する立場で、教育行政というものは教育内容に入るのではなくて、諸条件の整備確立であるという限定を下しておる。これは憲法の延長線に密着しておる教育基本法の規定なんです。こういう規定も含んで、大学の学問の自由を何としても保障しなければならない、民族の進歩の窓として、権力から離れて、時の体制に左右されないで学問を研究する任務を帯びているところの大学の場合には、憲法の十五条、二十三条、教育基本法の十条、この三つの柱を考えたときに、やはり大学人事権だけは、大学教育機関自身が直接国民に責任を持つ体制にすることが妥当な法体制であるというので国会できめたのが、教特法の四条から十条までであると私は思うのです。最もすなおな、偏見を持たない解釈だと私は思うのでありますが、いかがでしょうか。
  48. 高辻正巳

    ○高辻政府委員 非常に御熱心な御議論を伺っておりまして、それには全く敬意を表する次第でございますが、私もまた何か政府の圧迫といいますか、そういうことで、わざわざ無理に言っているのではないかというようなお気持ちがあるとすれば、それはそういうことはございません。先ほどから申し上げておりますように、昭和三十八年——これは先生に対する答弁のようです。荒木文部大臣山中委員お答えしているのをいま実は承知したわけでございますが、そのときにも、その前年に実は検討したということを申し上げましたが、その線に即しておっしゃっております。「国民的立場おいて万に一つもノーと言わねばならないケースがあった場合にはノーと言うことがあり得るという概念を、文部大臣に与えられました任免権の中に当然含まないならば、いわば国民の基本的人権の暢達される窓口がふさがれることになるであろう。」というようなことを答弁しておられますが、趣旨は大体同じであると思います。  ところで、いまも御指摘になりました、確かにこの問題を考える場合には、憲法の二十三条と十五条一項を同時に考えなければいけない。いまは教育基本法の十条をさらにおっしゃいましたけれども、これも必要があればお答えを申し上げますけれども、とにかく教育基本法は法律段階でございますが、憲法段階でいえばこの二つの柱を考えなければいけないというのは、委員との間でも全く同じでございます。十五条一項を考えればこそ、すべての場合全く形式的というのはどうだろうかというわけなので、委員の場合には十五条一項があるとはおっしゃいますけれども、これは全然ものをいわないんだというふうにおとりになっているように聞こえるわけでございますが、誤解があれば私またその誤解を解消させていただきますけれども、十五条一項を持ち出す以上は、やはり国民が終局的任命権を持つ。その国民の立場あるいは国民に対する責任の遂行の立場、そういうものを荒木文部大臣は万が一にでもとおっしゃいましたが、私も全くそうだと思います。教育公務員特例法の学長の申し出に基づきというのは、非常に私は比重があると思っております。思っておりますが、さればといって、それでは任命権が文部大臣にあるというのは、全然形式的であって、これは全然ないのと同じであるというふうにはとっておらない。そこだけがいささか違うところでございます。逆にいって、この任命権を文部大臣が持つから、その主観的意図に十分沿わない者は、何でもどうにでもできるというのではさらさらないわけでございます点をひとつおくみ取り願いたいと思います。  それから教育基本法の十条についてお触れになりました。確かに「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである。」と定めておりまして、それからしますと、何かいま御指摘のようなことが出てくるようにも見えますけれども、私どもは、この規定から教育行政に関する政府責任が排除されるとは考えられないと思っております。この条項は、いまの規定からも明らかでありますように、教育が一部の「不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである。」という、教育における民主主義の原則をうたっているのだろうと思っておりますが、教育そのもののあり方としての中立性を非常に強調していることは疑いを入れないと思います。これとは別に、十条の二項を見ますと、「教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標」とする教育行政が必要であることをうたっておりますが、こういう教育行政は、一般の行政と同じく、国会が御制定になる法律によって規律され、その行使についてはそれこそ内閣が国会及びひいては国民に対して責任を負うものといわなければならないと考えております。したがって、せっかくの御引用ではありますが、事、教育行政に関しては、やはり政府なり文部当局の責任は免れないということを申し上げたいと思います。
  49. 山中吾郎

    山中(吾)委員 法制局長官のお話がまだわからないのです。私が拒否権はないと言っておることは、明白に形式的違法性の場合には、文部大臣にあることはもう論議をする必要はない。前科があって公務員になる資格のない者を学長に選考して持ってきたような場合、明白なる形式的違法性の場合については、われわれはこんなことをわざわざ論議する必要はない。だからこそ、私がいま申し上げた憲法二十三条、十五条、教育基本法十条——これは教育行政の定長ですよ。そういう三つの憲法的柱の上に立って、教特法の四条から十条の規定を見ますと、実質的任命権文部大臣にないのである。そういうときに拒否権がないというのが正しいのであって、あるがごとく言っておって、だんだんと実質的任命権に侵食していく事実もあらわれておるから、法制局の解釈はそういうすきを与える解釈をずっと下しておる、あなたの答弁の中にそれがあるから、それを私は言っておる。それは私と意見同じですか。
  50. 高辻正巳

    ○高辻政府委員 先生のおっしゃることはよくわかっておるつもりでございます。私のいま申し上げている意見というのは、再々繰り返しますが、昭和三十七年のことでございますので、私はまだ実は法制局長官としての私の責任のもとに立てた意見ではございません。ございませんが、私自身も当時無関係ではございませんでしたし、私はやはりその意見は正しいものだと思っております。ただ、いま御指摘のように、その意見をもとにして、だんだんその意見そのものを拡大していくおそれはないかという御懸念がございました。私どもは、法律解釈自身もそうでありますけれども、やはり拡大される解釈というのは、合理性を持った範囲内にむろん限られるべきであって、それ以上のものに及んでいいとは毛頭思っておりません。やはり私がいま申し上げておりますような、きわめて狭い、任命権と申しましても、拒否権が、いつでもノーとは絶対言えないのだということではないというきわめて——あまり広い拒否権ではないわけでありますが、しかし、その拒否権が閉じられるわけではない。法理論的に閉じられていいわけではない。場合によってはこの拒否権を行使する場合も、憲法規定に照らし合わせてみれば当然出てくるものであるということを申し上げているわけでありますが、それがかって気ままな拒否権といいますか、任命権が、基づいてなんということは実質的に全く無視されて、文部大臣にあるのだということを申しておるわけではさらさらないのでありまして、そのようなふうに運用されるということはむしろ違法である。また、そういうことはあることはないであろうと私は確信を持っておりますが、私のいま申し上げる解釈というのも、そのように厳密なものとしてお受け取りを願いたいと思います。
  51. 山中吾郎

    山中(吾)委員 いま一度お聞きします。  文部大臣形式的任命権は、明白なる形式的違法の場合以外は拒否権はない。私はそれが最もすなおな正しい解釈と見ているのですが、間違いありませんか。あなたの御意見と違いますか。
  52. 高辻正巳

    ○高辻政府委員 学長の申し出手続に違法の形があるという場合に、これは拒否できる。これはおそらく両説ともに一致すると思います。しかし、私はかねがねから申し上げておりますのは、その場合だけにはやはり限られないであろう。大学の目的に照らして明らかに不適当である、公務員の終局的任命権者である国民に対して責任を負い得ない、——その責任国会に対してまさに任命権者文部大臣が負うべきものでありますが、その責任を免れるわけにいかない以上は、やはりそういうきわめて限定的な場合には、拒否をすることもあり得るというふうに私は考えております。したがって、その場面においては、山中委員のお話よりも、私の見解のほうが少し幅が広くなってくることは確かでございます。  ついでに申し上げますが、この問題についてはいささか、学問の自由の憲法上の祖国といわれる西独、ドイツ系の国のこれは特色ある規定でございますが、その辺の考え方も幾らか調べてみました。実際上、一番手ごろに参考になりますのは判例でございますが、その判例をドイツあたりで見ますと、制度の基本が必ずしも同じとは言えませんから、そこには幾らかの条件が入る余地もあろうかと思いますけれども、やはり学問の自由の規定を保障した西独基本法の解釈としては、両方の意思の合致によって任命されるという判例を少なくとも二つ発見することができたわけでございます。それは事のついででございますので詳しくは申し上げません。そういう勉強もいたしたことだけをお伝えしておきます。
  53. 山中吾郎

    山中(吾)委員 諸外国は諸外国憲法があって、そのもとにいろいろ法律ができておると思いますので、これは参考にはなると思いますが、私は日本の政治家でありますので、日本の憲法というものを原典として論議をしなければならない。そうして諸外国憲法と比較しますと、二十三条の「学問の自由」ということばですね。「思想の自由」ということばはみなあります。「学問の自由」という独特の人権の保障というものは、私は日本の憲法の特質だと思っておるので、そうして戦前の日本の大学の実情というものから考えまして、私はやはり形式的要請外においては拒否権がないという解釈が教特法の十条の最もすなおな解釈である。それはもう法制局長官なら常識かと思ったら、いや、それよりは少し幅がある、——幅があるというのはくせものなんです。どこまで幅になるかわからぬ。それで、これがあると、この法案の評価は、完全に各条文というものが、文部大臣がこの法律に基づいて学長に報告の義務、協力の義務、勧告尊重の義務を与えておいて、その義務に従わなかったからといって、義務違反だといって拒否権を発動することさえできる。形式的要請というふうなものを限定して拒否権が初めて行なわれる。実質的にそういうものはないという法解釈前提としなければ、この法律自体の性格が完全に変わってくると私は思うので、この問題を私が法制局長官と論議をしておるのは、この法案をいかに評価するかで根本的な差異が出る。それで私は深刻に論議をさしてもらっておるのです。形式的要請の場合には拒否できるというなら私は心配ない。いま私より少し幅がありますという答弁をされて、その幅というものは、法律的に一体どういう根拠を持って言われるかわからないのですが、そういうことが日本のいまの紛争大学では望ましくない。これは何とか解決しなければならぬことではあるが、われわれは大学問題は長期的に未来に責任を持つ立場で処理しなければならないと思うのだ。あなたのような解釈が現代の政治の常識の中に入ってまいりますと、これはたいへんなことになる。もう一度長官の御意見をお聞きしたいと思うのです。
  54. 高辻正巳

    ○高辻政府委員 お答え申し上げます。  教特法の十条の規定について、再三御指摘もありましたし私も申し上げましたが、学長の「申出に基いて、」というのがございます。基づく手続に違法の形があるかあるいは瑕疵がある、これは実はもう「基いて」というふうにいえないのと同じでございますから、全く山中委員が仰せになりますような結論が出てくるのは、これはもう自然に出てくるのだと思います。ということは、「基いて」というところに非常に意味がある。むしろ徹底的にそれに拘束されるのだというお考えだろうと私は思いますが、「基いて」というところに、法律用語としてもそうでありますけれども、教特法十条の非常な特色があり、比重が非常にそこにかかっておるということも私はこれを認めるものでございます。しかし、もう全く万が一にもということを前の答弁で荒木大臣は仰せになっておりますが、単なる手続の瑕疵ではなくて、終局的な任命権者である国民に対して責任を負えないというようなものが、もしかりにありました場合にも、なおこれは学校が申し出たものを形式的に任命しなければならないのだということになりますと、それが国民が公務員に対して終局的任命権を持っておるということを、実は全く無視されると同じようなことになるのではないか。やはりそれには、国会を通じて指名に基づいて総理大臣が天皇によって任命されます。その内閣総理大臣によって任命された文部大臣が、公務員とのつながりにおいてその任命をどうするかということを考える。むろん「基いて」というのは憲法二十三条にある学問の自由との関連で出てきておることは、私もこれを肯定するにやぶさかではないわけでありまして、そういうことからその「基いて」というのをきわめて重要に考えるべきであるということも、全く同感でございます。しかし、だからといって、全然それに拘束されるというのは問題ではないか。多くの場合はそれでよろしゅうございましょうが、どんな場合でもそれに拘束されるのでは、十五条一項の趣旨が生きないではないか。それを実は申しておるつもりでございます。やはり先生も御承知のように、憲法の二十三条と十五条一項をあわせて考えるべきである。その調整的見地において考えるべきであるという点は、私も強調し、先生もそれを否定はなさらぬわけでございますが、そうであれば、十五条一項の生きるよすがといいますか、それを全然封殺するのはどういうものであろうかというのが私の考えでございます。  それから、先ほど西独のことをちょっと言いました。よけいなことを申し上げて恐縮でございます。ただ、私がそれを言いたかったのは、私どもの三十七年の考え方というものが独断に走っていてはいかぬというようなことで、やはり学問の自由の生まれた故郷であるフランクフルト憲法でございますが、フランクフルト憲法のゆかりを継いで持っている西独あたりの学問の自由というものは、現在やはり憲法規定がございますので、そこでは一体どういうように考えているだろうかということをちょっと勉強したことを、ちょっと触れて申し上げただけでございまして、別に他意があるわけではございません。
  55. 山中吾郎

    山中(吾)委員 学問の自由がその憲法にあったとすれば、私も不勉強で、それをお教えいただいたのでありがたく思います。  なお、やはり法制局長官解釈にどうも私は疑義を抱くのですが、この教特法の四条「学長及び部局長の採用」ということばを使っておるのですよ。第四条には、「学長及び部局長の採用並びに教員の採用及び昇任は、選考によるものとし、その選考は、大学管理機関が行う。)とある。文部大臣が選考するのではなくて、採用です。採用するのは大学管理機関が行なう。したがって、第五条「転任」に関して、六条「降任及び免職」に関し、七条の「休職の期間」に至るまで「大学管理機関が定める」と書いてある。そしてそのあとに、十条に大学の「任命権者」を書いておるのです。したがって、この全体の法意からいえば、すなおに見れば、やはり日本の場合の大学自治を守るというこの立法精神に徹底するために文部大臣の任命を形式化するという十条の規定が出ておる。どう読んでも、縦に読み、横に読んでも、そう解釈せざるを得ない。そうしてそれの反対解釈として考えられるのは、第十三条に、大学以外の国立関係校長の採用については文部大臣が選考すると書いてある。大学だけが「大学管理機関」と書いてある。それで、大学を最初するときには、大学管理機関というものを、しっかりとしたものをつくる予定であったものが、政府の怠慢でつくらない。管理法案提案のときに野党も反対して、いろいろ経過はあるけれども、この法制そのものは、実質的任命権はやはり大学に持たすという法意があるために、確固たる大学管理機関をつくるはずであった。二十数年つくらないで、二十五条の読みかえで、「当分の間」として「教授会の議に基き学長」とカッコして書いてある。「教授会の議に基き学長」という一つの文章に書きながら、管理機関をつくるのをずっとしてないでしょう。そうしますと、日本の大学制度というものは、任命権その他の実施は完全に大学に渡して、大学管理機関をつくり、そして文部大臣を形式化するということを前提としてこの法律国会審議されたことはまず間違いないのではないか。だからいま問題になっておるところの六・三制を含んだ大学制度改革の場合にも、国立に対しても法人格を与えるというふうな民社のいま出ておる法案にもあるそういう方向で、私は正しい日本の大学制度の確立があると思う、私立と国立のいまの差別待遇をなくするという要請も含んで。だから文部大臣の任命は、形式的要請のときだけだということが、やはりどう見ても正しいんだ。そういう法体系になっている。法制局長官は日本の法解釈を正しく指導する職責を持っておる。あなたとしては、深層心理学的にいえば、何か目に見えない糸に動かされて、法解釈を、自分はそうでないつもりであるけれども、間違った解釈というものがどこかにつきまとっておるんじゃないか。私は偏見は一つもありません。もし私の論議においてやはり研究すべきであるならば、検討しますとお答えできますか。
  56. 高辻正巳

    ○高辻政府委員 いろいろ教育公務員特例法第四条等をあげてのお話もございましたが、それを一々申し上げるのもどうかと思います。ただ四条は、確かに「採用」はとございますが、「選考によるものとし」というそのやり方の方式といいますか、それを規定しているわけで、必ずしも先生のおっしゃっているようにこれがあるからこうがということにはならぬと思います。  それから、それよりもむしろ、検討をする余地があるかということを、あるというふうに言えとでもいう御注文かと思いますけれども、その前にもう一つ、何か見えざる糸によってだいぶ曲げられているんではないかということをたいへん御心配いただいておりますが、前から申し上げておりますように、この検討をいたしましたのは昭和三十七年のことでございまして、その当時は別に、私も当時のことは必ずしもよく覚えておりませんけれども、こういうような熾烈なことで、何か曲げなければならぬような事情があって法制局が曲げるわけではございませんけれども、そういうこともなかったと思います。やはり全く平板に検討することができたときの意見をそのままに、実は先ほど申し上げたように、私の責任の、当時の法制局長官としての立場におけるときではございませんでしたけれども、私はその考えは正しいものだというふうに思っております。それはちょうど先生の御理解もわりにいただけるのではないかと思いますのは、よく教育公務員の任命権の基礎は国民にある、また同時にその任命に自主的にタッチしてこそ国会に対して責任を負えるというような事柄、特に十五条一項の関係について関心をお示しいただいておりますが、そういう関心をお示しいただいているといたしますならば、それを無視するような結論を出すことはむしろどうかという気が私にはいたします。勉強はいたしますが、検討するということをいまお約束するのはごかんべん願いたいと思います。
  57. 山中吾郎

    山中(吾)委員 私は、大学管理機関が直接国会責任を持つ法体系ではないかと言っているのです。この法律の体制全般を読みますと、十五条の国民の固有の権利という、そういう限定の上に立って文部大臣国会責任を持つ機関もあるでしょう。いろいろある。しかし、大学については、いま論議をした全体の中に、直接大学管理機関国会責任を持つ法体系になっているんではないか。しかし、一方に設置者という関係文部省の現在の指導、助言という、監督庁ではないがそういう関係があるので、形式的任命権という形だけは文部大臣に残すべきではないかという、そういう思想がいま第四条から第十条にわたる大学管理機関に基づいた人事権という法設定があると私は解釈している。それはすなおに検討されるべき問題ではないでしょうか。法制局長官、私の所説、論議をしておることはどこか間違いがありますか。そこは間違っておる、おまえの言うことは間違っておるというなら言ってください。あるいは大体肯定するというなら検討してみたらどうです。
  58. 高辻正巳

    ○高辻政府委員 憲法二十三条との関連において、教育公務員特例法の十条の「申出に基いて」というのが非常に比重を置かれているものであるということ、つまり方向は私はそう思うわけで、これは質疑の中の御意見と、方向においては実は変わりはないわけです。ただ違うところは、委員は、全く形式的な任命権である、つまり極端にいえばあってもなくても同じことであるということになるかと思うのです。というのは、違法な手続があれば、それに基づいたとはいえないという意味おいて、そこで片づいてしまうような問題でございますから、文部大臣が任命するというこの法律ことば、それを実質的には無視をするという考え方と、基づいてというところに非常に重点は置くけれども憲法十五条一項というものがある以上は、それを全然無視はできないであろうという、簡単な言い方をすればそういうこと出になると思います。これはあまり考え方の基本線において変わりはないと思います。ただ、十五条一項をどこまで見ていくか、ほとんどこれを無視しておられるわけではないでございましょうが、そういうふうに近いほうで見るのか、あるいはもう少しそれに実質を持たせて見るのかという点が、幾らか違う点があるかと思います。     〔谷川委員長代理退席、委員長着席〕 しかし、先生のような御意見が世間には見られないというふうには私は思っておりません。そういうお考えはむろん考えとしてあって、それを頭から抹殺しようとは思いませんが、しかし、私どもの考え方、意見としては、先ほど来申し上げておるような意見を持っており、それもまた、急に最近においてそういう考え方をとったわけではなくて、もうずいぶん前に立てた意見、それをいま振り返ってみても誤りがないと思うということを申しているわけで、いろいろさっきも触れましたような、日本のいろいろな考え方、外国におけるいろいろな考え方等も含めまして勉強はいたして、なお、いろいろそういう意味研究といいますか、諸外国における取り扱い方等についてを含めた勉強はいたしますが、いまの私の考え方を改めるような意味合いにおける検討は、私はお約束ができません。
  59. 山中吾郎

    山中(吾)委員 私の言うことは、ごくまれなるとは何です。これは大体文部省の終戦後ずっと権威的——ほとんど全部が拒否権はないと書いてあるのですよ。最近変わってきた。ごくまれなる、あなたのような考え方に。何ですか、ごくまれなるとは。取り消しなさい。
  60. 高辻正巳

    ○高辻政府委員 しゃべっていますとだんだんいろんなことばが出てまいりまして、不穏当なことばがありましたとすれば、これはつつしんで取り消さしていただきます。私はいま、ただいま御指摘になったような意味で申し上げたつもりは毛頭ございません。要するに、そういう考え方が世の中にないとは思わないということを申したかったわけでございます。
  61. 山中吾郎

    山中(吾)委員 法制局長官、現実にあなたの所説がもし常識化していけばどういう危険があるか。これは私はきのう読んだのですが、九州大学井上学長代行の問題に関連して閣議が開かれて、その閣議の席上において、佐藤総理大臣文部大臣に対して、学長任命問題で、文相がどんな場合に拒否できるかを法律的に十分検討をしたらどうか、これを高辻内閣法制局長官に指示したと書いてある。長官、あなたに関係しているからもう一度読みますよ。「佐藤首相は二十五日の閣議で「警察は敵」と発言した井上正治九大法学部長の学長代行就任上申に関連して」学長任命問題で、「「文相がどんな場合に拒否できるかを法律的に十分検討するよう」高辻内閣法制局長官に指示した。」こんなことを指示したときに拒否権があるとあなたが答えるならば、いろいろの思想その他の者はみな拒否の事由になるでしょう。私はそれが現実の問題だからあなたに盛んに法律論として言っているのです。その終わりのほうの記事に「内閣法制局としては「教育公務員特例法第十条は、学長を文相の職権で任命することは否定しているが、大学から申し出があったものについて任命を拒否できることを否定していない」」。否定しておるような、していないようなことをどこかで表現したのです。新聞記事にある。政治のまっただ中にある法制局長官が、そういうあいまいな雰囲気で、あいつはなまいきだから、あいつの言動はよろしくないから、思想がよくないから、どうも現在の政府に不都合なやつだから、反体制の思想を持っておるから、そういうふうなことが閣議の話題になり、そのときに、文部大臣の任命権に拒否権があるかどうかということが話題になったときに、形式的要請以外に拒否権はないという一つの従来の通説であるところのものが確立しておれば、私はそういうことに対して大学の自治を侵すような心配はないけれども、その他の助言、指導というものによって解決はあるけれども、権力としての拒否権というものを解釈して、こういう論議をしておるのははなはだ危険である。その中に高辻法制局長官が一役買っているじゃないですか。一つの幅はあるんだというような言い方は、どれだけ危険な政治的情勢をつくるかということを、あなたはわかっておるはずなんです。それをだんだんと拡大していって、一時的に一つのものが便宜的にうまくいっても、長期的に見れば日本の進歩に対してたいへんな損害を与える問題になる。私はそれを問題にしているのですよ。明確にお答えください。
  62. 高辻正巳

    ○高辻政府委員 閣議でのお話の御指摘がございましたが、閣議での話を私申し上げる資格はございませんから、これは除きますが、私が申し上げております——きょうお尋ねがあったからお答えしているわけでございますが、それは、実は昭知三十八年に衆議院文教委員会で表明した政府の見解、私のほうでいえば昭和三十七年に検討した結果、これを申し上げておるわけで、これは文部大臣からも、たしか参議院の予算委員会でしたか、お話がございました。それが政府の見解でございまして、それと別に、いま御指摘がございました、閣議で別の見解を立てろというふうなことでなかったことは明白に申し上げられます。  それからもう一つ井上教授等の処置について、私に対していかにすべきであるか考えろと言われたこともございませんし、私はそれについての意見を申し上げるつもりもございません。私はまた、それが法制局の職責だとも思っておりません。私どもは、政府部内において、法律のわれわれなりに正しいと思う解釈を立て、そして政府の行政が誤りなきを期することでございまして、その線に即していかに行政を実施していくかは行政各省の責任おいてやられるべき問題であると思っております。
  63. 山中吾郎

    山中(吾)委員 三十八年の文教委員会のお話をよくされるが、私は、もちろん私が質問をし、荒木文部大臣は拒否権はあるということを言ったので、大学学長、総長が認証官になったとき、閣議決定になれば、閣僚一人でも反対すれば拒否権ということになったら重大問題だ。そういうことから、私は拒否権というものがあるという常識があってはたいへんだというので質疑した。そのときに、確かに政府は拒否権を否定しなかった。だからこそ私は、それに賛成した覚えはない。だから、それは間違いだという論争をしてきている。ところが、いまこういう法案が出てきたために、心配したことがたいへんな問題になってくるので、あらためて法制局長官も、この時代の変遷の中で、また大学問題が出たときに心を新たにして、間違いのないような解釈をあらためて下す立場が出ておるのではないかというので論争しておるのです。もうそのことはそれ以上聞きません。  なお心配なことは、これは七月の二十二日の毎日新聞でありますが、神戸大医学部長の選出について、学生がその選出に参加をしたということに疑義があって、文部省おいてはその学部長の任命申し出に対して、それを発令することを引き延ばしておるという記事が中心で、そこでまた文部大臣の拒否権の問題がここに出てきておる。いま大学制度を改革しようとしておるときに、学生の参加、これは好むと好まざるとにかかわらず、日本の大学制度を定着をするときに、重大な、一番大事な制度をいかに定着せしめるかということが課題になっている。そういう渦中で、紛争の中で、各大学が自主的な紛争の悩みの中で、いろいろのかっこうで大学のあり方について学生が参加する、間接、直接、いろいろなやり方で苦心をして自主的解決の方式が生まれつつある。そのときに文部大臣が、参加のやり方がどうもよろしくないから、いわゆる形式任命権を乱用し、活用し、悪用することによって、それを拒否している。九州大学学長代行のときは少し肩透かしをした論理を出しておった。しかし、その他北海道大学教育学部長もそうである。この新聞記事を見ますと、「学長事務取扱や学部長任命問題は大学の自治と文相任命権をめぐる大学文部省の深刻な対立の原因になるケースがことしになって続発、九大学長事務取扱問題では文相の任命を得られないまま「辞任」した井上正治教授が国を相手取って訴訟している。北大教育学部長選でも二月、学生参加の方式で選ばれた砂沢喜代治学部長事務取扱が五カ月たったいまも発令されていない。こんどの神戸大方式は阪大医学部の学部長、付属病院長選の方法を一歩進めたかたちだが、その阪大方式についても同省は三月、公式に回答を要求して発令までにかなりの曲折があった。なお、神戸大では十二日、学部長選と同じ方法で岩井誠三教授が選ばれたが、岩井病院長の任命上申はまだ同省にきていない。」こういうことが続発してきておる。  この具体的な事例を前提として、あなたは法制局長官として文部大臣に拒否権があるかないか、明確にお答え願いたい。
  64. 高辻正巳

    ○高辻政府委員 教育公務員特例法の十条と関連しての法律解釈を先ほど来申し上げておるわけでありますが、ただいま詳しく仰せになりましたけれども、やはり個々のケースについてなれるのかなれないのかということにつきましては、法制局としてはこれをみずからの責任おいて断定すべきではないと思っております。また同時に、そういう意味での研究も一切いたしておりません。したがって、そういう具体的な問題について、ここで軽々しく結論を申し上げることはどうかと思います。やはりその基本になりますのは、さっき申し上げた解釈法律上の考え方、それが基本でございますので、それがもし必要があれば、間違っているかどうかについて必要があればさらに御議論をしていただきたいと思いますけれども、私は実は申し上げることは全部申し上げたつもりでございますので、その具体的なケースについての答弁は差し控えさせていただきます。
  65. 山中吾郎

    山中(吾)委員 それでは、具体的な問題はたなに置きましょう。思想、言動、あるいは政府の批判をするような表現があったとか。そういうことが文部大臣が拒否する理由になるかならぬか、これは一般論です。いかがでしょう。
  66. 高辻正巳

    ○高辻政府委員 さっきからの考え方の際にも、何べんも申し上げたと思いますけれども政府当局の主観的な意図において、これは気に食わないというようなことで拒否ができるというものではないということははっきりと申し上げております。十条の「申出に基いて」というこの申し出に基づくということは、非常に比重の重いものである。あるいは比重の高いものである。ですから、全く大学の目的に照らして明らかに不適当だと認められるような、つまり国民の任命権、これを私どもはやや委員よりも重視するような結果になりますが、そういうものに照らして責任を負い得ないというようなことである場合にだけ、きわめて限定された場合にもできないというわけではないという程度のことでありまして、全く主観的に、気に食わないというようなことでそれを拒否できるわけでは絶対にございません。
  67. 山中吾郎

    山中(吾)委員 主観的な理由で拒否できない、そんなことはあたりまえのことじゃないですか。赤ちゃんと問答しているのではないですよ。客観的事実として、政府に対して御都合の悪い言動をしたとか、その人の思想はいわゆる資本主義批判の思想であるとか、そういうことは主観じゃなくて、著書その他で客観的にわかる。そういう客観的な、いわゆる形式的任命権がもう実質的任命権になるようなことは、大学自治の上から、現行法解釈としては否定されるのかどうか、これは当然のことじゃないですか、否定するかどうかをお聞きしているのですよ。主観的なことは何も言っていない。主観的なことをいう、そんなばかなことはありませんよ。
  68. 高辻正巳

    ○高辻政府委員 私の言い方がまずかったかもしれませんが、主観的にというのは、拒否するものの側において気に食わないとかなんとかいうような、全く主観的な判定からこれを気に食わないから拒否するというようなことではなくて、もう少し客観的に、明らかに国民の任命権に対して責任を負い得ない。大学の目的に照らして不適当である。したがって、国民に対して責任を負えないというような場合であるということを申しておるつもりでございまして、その著書が主観的なものであるというふうに申したことではございません。拒否するほうの側における主観的意図、好悪によってそれを左右できるものではないということを申し上げているつもりでございます。
  69. 山中吾郎

    山中(吾)委員 ずいぶん臆病な答弁をされるので、法制局長官との問答にならない。政治家の答弁みたいなものです。いまの法制局の解釈は、日本の大学問題のときに非常に大事な影響をぼくは与えると思うのです。だから、いま学生の参加、そのことも、文部大臣が実際は申し出に対して直ちに発令するかどうかを押えているとをいう事実あるんだから、しかもこの制度の中に、中教審だって、学生の参加をもう大体織り込んできている時代です。そんなときに逆行するような影響力を与えておるような法制局の解釈などというものは、改めなければならぬ。いまのようなひきょうな答弁は、法制局長官の答弁じゃないですよ。  私はだから最後に、具体的にこの法案審議をしているのですから、ずばりお聞きしたいのですが、この五条に、文部大臣学長に「必要な勧告をすることができる。」各論的に論議をすれば、勧告そのものに問題があります、私はまだ少しも触れておりませんが。それを受けて三項に、「第一項の勧告を受けた紛争大学学長及び当該大学のその他の機関は、その勧告を尊重」しなければならぬ。どんな義務か知らぬが、勧告尊重義務がある。文部省の答弁では、勧告には法的拘束力はない。しかし、この裏に、勧告を尊重しなければならぬという勧告尊重義務、訓示的規定のような、しからざるような、ちょっと私想像がつかぬところの勧告尊重義務がある。このときに一方に、この法案審議の中で文部省も、法制局長官は少しは違った内容を持っているか知らないが、拒否権はあると答えている。この勧告をし、勧告義務にそむいた者に対して、拒否権を発動することができるかできないか、これは法案大学の自治を全面的に破壊するかどうかということのかなめになると私は見ておるのです。そして勧告というのは、上下の関係でなくて、より以上に専門的知識を持った者が、その専門的知識で、その人に専門的助言をするという場合、立場が違う場合に、対等の立場で勧告をするというのが勧告だということは、大体みんなの解釈である。ところが、拒否権を持ち、実質的任命権を持つような解釈前提としながらこういう法案が出たときには、勧告が勧告でなくなってくる。これは命令と同じだ。そういうことが審議の主要になるのでありますので、法制局長官に、この第五条の規定に即して、この義務に違反をする者に対して、文部大臣は、この拒否権を発動する条件になるかならぬか、お聞きをいたします。
  70. 高辻正巳

    ○高辻政府委員 だいぶ具体的なケースに入る場合があり得ると思いますが、第五条の勧告をする、これは国立大学学長に対し勧告をするというわけで、勧告を受けた学長が、これを尊重しなければならないということになっておりますが、現に学長であるわけでございますから、あまり切実な問題も出てまいらないのかと思いますけれども、私、この際申し上げたいことは、何か任命権者の個人的好悪によって左右されることがあるのではないかということを非常に心配なさっておられますが、私もそれであれば非常に問題だと思います。私が申し上げているのは、任命権者の、何というか、主観的と言って、さっき私からいえばそのことばは誤解されましたが、任命権者の主観的な立場における好悪、気に入るとか気に入らぬとかいうようなことで拒否ができるというわけでは、決してあってはならない。あり得ない。それを許しているわけではない。もっと高い視野において、やはり憲法十五条一項を通じて規定されておる国民の任命権に対して、その責任を果たすゆえんではないというようなふうに思われるときのことでございまして、全く文部大臣が、どうも単純にけしからぬというようなことでやれるものではないということを、特に重ねて申し上げたいと思います。せっかくの御指摘の場合でありますけれども、これが一体どういう場合にどうなってくるのか、これを概括的に申し上げるわけにはいきませんでしょうが、大体の場合において、この勧告というようなことでもう拒否ができるというふうになることは、そうあるものではない、普通には考えられない、こう申し上げていいと思います。
  71. 山中吾郎

    山中(吾)委員 法理的答弁という感がしないでもないのですが、非常にあいまいでありますが、一応こういう場合はないと思われるということであります。まことに私は不満足であって、法制局長官に対しては法律専門家として、政治から自由に、純粋に解釈させる立場という点については、ちょっと疑義を持ったのでありますが、次にいろいろの機会にまたあなたと論争をしなければならぬと思う。法制局長官でありますから、やはり法解釈を正当に、日本の憲法と民主主義が発展する方向で深めていただきたいと思います。非常に不明解なために、この法案は非常に危険なものであるという感じが私はますます深まってきておるのでありまして、この点については、この審議の過程でさらに皆さんとともに検討すべきであると思いますので、宿題に残したいと思います。法制局長官への私の質疑はこれで終わります。  人事院総裁はまだですか。——おいでになるまで私は保留いたします。
  72. 大坪保雄

  73. 帆足計

    帆足委員 公聴会をいたしていろいろ公述人の意見を聞きまして、その後最初の私は質問でございますが、この問題に対処いたします方法につきまして、いろいろ勉強もいたしましたが、私どもは、皆さまの御意見も同じであったかと思いますが、このたびの学校紛争はその寄るところ遠くかつ深いものがある。したがいまして、私どもは時代の苦悩を敏感に反映する学生、学問、教育等の場の苦悩を通じまして学校並びに学校教育制度、学生自治、学校自治、それから大学自治のあり方等、自主的にその自治をはぐくむという方向に沿うて、苦悩の中から新しい芽を育てよう、そのような方法を皆さんとともにさがし求めよう、このように考えておる次第でございますが、しかし同時に、公述人の一、二の方の御意見では、紛争をただ端的に遺憾に思いまして、それが頭に来まして力でもいいから、また干渉してでももっと強力な指導をしてでも、これに規制を与える必要がある。また、ある大学学長さんで、自然科学のお医者さまの方は、このたびの紛争について非常なショックを受けられたということについての感銘深いお話がありました。しかし、医学者でありますから、社会科学のほうのことは存じないことをよく肯定されまして、しかし、平素政治に全然無関心な医学部の学生たちが、最後に決起したときは実にすさまじかったということを述懐されまして、私は問題の本質の一部が、平素政治と関係の薄い医学部の学生諸君までが決起して、それが一番ショックであったということばの中にも、事の真相があらわれているように思うのでございます。したがいまして、この問題の解決には、啓蒙的、教育的方法によって問題に接近せねばならぬ、こう思うのでございますが、人はとかく時流に流されがちでございまして、ただ外からの権力、指導、規制を強化すればよいというような安易な道を選びがちなことがあること、すなわち、その時の潮流に流されがちであること、これは過ぐる太平洋戦争のときにも私どもが非常に体験したことでございます。社会科学者として私どもがこのたびの法案を歴史的に見まするならば、この学校規制に対する、大学規制に対する法案の中に、大学治安維持法への一歩前進というような危険な要素を含むということを憂慮いたすものでございます。それにつきまして思い出しますことは、戦争中荒木陸軍大将が文部大臣になられたことでございます。彼には当時十九歳になるむすこがおりまして、この愛らしいむすこが、当時禁止されておりました髪をふさふさと長くいたしまして、油をつけまして、髪を分けておることがこの謹厳な老将軍に気に食わないで、何とかしてまる坊主にさせたいと日夜思っておりました。朝な朝なおみをつけをすするたびごとに、いつ子供にきつく言ってやろうか、ちょいちょい言うのですけれども、とても聞きそうにありませんので、深夜ひそかにむすこのベッドを襲いまして、はさみをもって、強力をもってまる坊主にしようと思って刈ろうといたしましたところが、十九歳といえばむすこは知らぬ間にみごとに成長しておりまして、この老将軍、老文部大臣を逆に手をねじ上げまして、彼のカイゼルひげをぴしゃりと切ろうといたしました。このひげがなかったならば、この将軍の頭の中は全くからっぽな将軍でございますから、ひげによってのみ生きておるこの老将軍に対して、これはもう命にもかえがたきものでございます。その尊厳の中核を切られてはならぬのでございますから、ついに果たさずしてすごすごとわが部屋に戻った。これは文藝春秋に出ておりましたエピソードでございまして、私は当時興味深く読んだのでございます。  今日、私どもとこの法案を可とする方々との意見の差には、ややこれを拡大してカリカチュア風に考えますると、このような問題への近づき方の方法論につきまして、その人生観と哲学につきまして、このような開きがあるのでなかろうかと思うのでございます。  そこでまず第一にお尋ねいたしたいことは、私ども事務局を持っておりませんので、すなわち官庁という大きな行政機関を直接持っておりませんから、調査に事欠くのでございますが、紛争の生じております学校全部の数、及び紛争のきわめて常識的なおよその題目、それから現在の解決状況、それから未解決の学校の状況、その学部、それからおよその問題点、その一覧表をいただきたいのでございますが、もちろん、文部省当局は専門の行政官庁でありますから、平素用意しておられることと思いますので、この審議の途中においてそれを御提出願いたいと思います。ちょっと大学局長から御用意があるかどうか。
  74. 村山松雄

    村山(松)政府委員 紛争の状況は、時々変わっておりますので、現時点におきます紛争の現況といたしましては、約六十九校がこの法案でいいますところの紛争の定義に当たりますような授業放棄、施設の占拠、封鎖などをやっておるわけであります。概況につきましては、審議資料として提出してございますが、現時点の数字は若干変わっておりますので、現時点のものにつきましては早急に調製して御配付申し上げたいと思います。
  75. 帆足計

    帆足委員 それでは資料をいただきますことといたしまして、第二には、紛争の拡大いたしました原因の主たるものが学生の暴力にあるというふうにも伝えられております。私もそれが一つの原因であるということは、認むるにやぶさかでありませんけれども、しかし、同時に各大学学長、諸教授が指摘いたしましたように、そのよるところ深くかつ遠く、それは千年一日のような大学の教授方法、試験制度学校制度、それから学生の頭脳に反映しております今日の社会の矛盾、深刻な政治の矛盾、国際情勢の矛盾等、あたかもペルリ来訪の幕末のごとき内外の世相、それが非常な衝撃を学生諸君に与えておる、こういう点が指摘されました。私はそのとおりであろうと思います。特に、人間疎外ということも強く指摘されました。今日ほどではありませんでしたけれども、三十年前のわれらの痛ましき青春時代を思いましても、私は文学者の高見順君の二クラスぐらい下であったと思いますけれども、それはちょうど恐慌と戦争の時代でありました。また結核と思想弾圧の時代でもありました。世界的にはファシズムのあらしが来ようとする時代でもありました。このときのことを思い出してみましても、今日の学生諸君の心の痛みがわかるような気がするのでございます。そこで、単にこれを暴力の問題と、そこにのみ重点を置いて見ることは、木を見て森を見ぬという感もいたします。女子大学の状況を見ますると、東京女子大学、日本女子大学その他でも紛争が起こっておるようでございます。女子大学関係で紛争の起こっておる学校は幾つぐらいございますか、ちょっとお示し願いたい。
  76. 村山松雄

    村山(松)政府委員 女子大学といたしまして占拠、封鎖等行なっておりますものは、東京女子大学及び日本女子大学がおもなものでございます。なおそのほかにも若干ございますが、たとえばお茶の水女子大学につきましても、これはごく小規模でございますけれども、紛争があるようでございます。
  77. 帆足計

    帆足委員 このようなことを考えますると、怒るべきとき、に青年が怒るのは、まだ民族のエネルギーがあるともいえるのでありまして、からだの弱い子がはしかになりまして、そして十分な生活力がないと、顔色青ざめ、疱疹もできず、皮膚紅色にもならず、熱もひどくならない。そのときは非常に危険で、早く肺炎に転化しやすいと聞いております。そのとき賢明な親は、からだを冷やすのでなくてあたためて発汗せしめる、このように一般の医療は教えておりますが、これは問題に対する接近の方法を示唆したものであると思うのでございます。  青年たちが憤激する一つの要因として、政治の腐敗とか、先ほど国際情勢の深刻化とか多くのことを例示いたしましたが、たとえば先ほどの法律解釈にいたしましても、この国におきまして新憲法が厳格に守られていないということも、青年の潜在意識において、法を尊重しない精神そのものを政府か植えつけたのであるまいかという反省も私はさせられるのでございます。それはよいか悪いか、人によってその人生観、並びに今日の時代を原子力、ロケット、人工衛星の時代と考えるか、または過去における小銃、機関銃、大艦巨砲の時代と錯覚しておられるか、また日本の立地的条件をアジアの断崖の下の四つの島と考えて、日本からアメリカへの距離が五千キロあることに気がつかないかどうかであります。わが国の戦略家の多くは孫子の兵法すら読んでいないということを、私は外務委員会で確かめまして驚いたのでありますが、日本の食糧事情、立地条件その他から考えまして、ましてや原子科学のもとにおきまして、日本の防衛の方法自体でも、よほど冷静に広く考えねばならぬ問題があるのでございます。しかるにこの国では、憲法第九条があるにかかわらず、自衛隊では、これを軍隊ということを避けまして、戦車のことを特車といい、軍艦のことを船舶といっております。このようなことでは、もう小学校のときから子供たちに、憲法べつ視の思想を植えつけ、詐欺の入門書を教えるような結果になっておるのでありまして、これは形式論理と皆さんは言われるかもしれませんけれども、もし憲法を改正するなら改正なさって、しかる後軍備を持つべきであろう。と申しますのは、一つには原子力の時代という驚くべき時代にわれわれは生きておる。その原子力の真空の中から生まれた憲法でありますし、過去の常識では律することのできない情勢を目前に置いております。もう一つには、憲法の第九条に「国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」、陸海空軍を持たないと書いてありますのに、三軍ことごとく備わって、いま戦前の戦力より大きなエネルギーを持っておるということも御承知のとおりであります。  それのみか、これは文部大臣にお尋ねしたいと思うのですけれども公務員は、憲法を擁護する権利があるばかりでなく、これを守る義務があることを憲法に明記されております。しかるに憲法記念日そのものも、いつしかその行事をなくしてしまいまして、憲法第九条の精神などは、子供たちにあまり教えないことにしておると聞いております。文教精神の上から見まして、そして数百万の青年たちを犠牲にし、誤った伝統的神話とスリルの中からわれわれが新しい知性を学びとった、そのいわば理性と愛情と原爆の子ともいうべき憲法の設立の前後の事情等を深く考えることなく、軽率に、日本の憲法をあまり理想主義的であり過ぎる——理想主義的であり過ぎるどころか、今日のロケットが月世界に到着する時代と対照して考うるならば、まことにアポロの時代にふさわしい憲法であると私どもは思っておるわけでございます。少なくとも千数百万の投票を得ております社会党では、これについては一人も疑義を持っていない、そのように確信いたしております。その憲法に対しまして、文部省は一体どのようにお考えになっておられるか。少なくとも義務教育おいては憲法の初歩を教え、憲法記念日には適当な行事を行なうのが至当であると思っておりますが、そういう行事を、国の行事の中からも予算を削減してしまったのはどういうことでしょうか、文部大臣にお尋ねいたしたいと思う次第であります。
  78. 坂田道太

    ○坂田国務大臣 新憲法のもとにおきまして、国民一人一人がこの憲法を順守すべきことは申すまでもないことであります。また、公務員としてこれを守らなければならないということも、当然なことだと思うのでございます。また、学校教育等におきまして、子供たち憲法精神というものを教えるということは当然なことだと考えておるわけでごございます。
  79. 帆足計

    帆足委員 憲法の理解を深め憲法を大切にするための教育及び行事等に対して文部省が熱心でないのは、どういう理由でありましょう。
  80. 坂田道太

    ○坂田国務大臣 私はやはり、この憲法に基づきまして、教育基本法あるいは学校教育法あるいは社会教育法、いろいろの法律が出ておって、それを基準として今日の学校教育というものが行なわれておる、こういうふうに確信をいたしておる次第でございまして、憲法精神を曲げておるとか、あるいはそれを考えておらないとかいうことには当たらないと思っております。
  81. 帆足計

    帆足委員 私は、問題の背景にある哲学的、及び国民の心理的、また青年の頭脳に傷を与えておるその背景について、若干触れたくて申し上げるのですが、アルゼンチン大使をしておりました前特命全権大使が著書をあらわしまして、それが外務委員会で問題になりました。この書物に率直にこういうことが書いてあります。  日本国民はきわめて近代的な国民である。しかし同時にアジア的である。アジア的伝統として自然に仏教を信仰しておる人が多いけれども、といってお経の意味を知っているわけでもなし、およそお坊さんというものはお葬儀屋さんの一種のように大体考えておって、古代奈良朝時代のような深遠な思想として、これを哲学として理解していないかのごとくである。しかし法事や仏事のときには、足の痛くなるのもがまんしてきちんとしてすわって、そしてお坊さんにお渡しするお布施の料金もちゃんと計算に入っておる。しかし、といって仏教哲学やそのお経の意味というものについては全然無関心であるし、アブラゼミが鳴いておるくらいにしか考えていない。仏教を信じながら、同時に神仏混淆で神さまも信じておる。ついでに八幡さまも信じ、おいなりさんも信じておくほうが無難であるから信じておる。そして彼個人はどうであるかといえば、おおむね無神論者である。この点まことに不可解である。多くの貧しい大衆は荘厳な宗教から疎外されてしまっておるので、その道を新興宗教に求めておるようだ。その中で公明党という宗教が、庶民の心を求めて庶民の心をつかみつつあることは確実であって、これがどういう方向に向かうかということは、哲学者でもない自分のあえて批評はできないところであるけれども、事実としてそういうような状況に置かれておると。  私は、これは理解し得ることばであると思いました。このようなこんとんたる状況の中におきまして、新憲法の置かれております位置や、教育基本法や学校教育法等の位置が、ちょうど仏教と同じ取り扱いを受けておるのであるまいか。文部大臣は、教育基本法や児童憲章や、はなはだしきに至っては外務大臣が、国連憲章も尊敬しておる、こう言われるのですけれども、それはネコをかぶって言われておるのではあるまいか。少なくとも、保守的な方は別として、反動的な人たちが日本憲法が好きなはずもなく、それから国連憲章や人権憲章、ユネスコ憲章等が、彼らの口に味わい趣味に合うはずもなかろうと私は思うのでございます。趣味に合わないなら合わないとはっきり言えばよいものを、合っているかのごとく言って実はこれを全然無視しておること、まさに、今日仏さまを信ずるかのごとくうやうやしく頭を下げながら、お布施の金額をただ勘定しておるにとどまる。そして、腹の底では偏狭な利己主義者、無神論者である。こういう姿にわが親愛なる保守党の諸先輩はさも似たるところがありはしないか、そういう感想を持っている次第でございます。感想として私が持っているだけでなくて、青年たちがそういうような感じを受けておるのでなかろうか。これが過渡期の日本の苦しみでありまして、一天万乗の大君を慕い奉り、国体護持をもって命にかえてよいほどとうといことと錯覚し、学校が焼けても、御真影は持って逃げても、子供が一人や二人焼け死んでも、かわいそうだけれどもそれはやむを得ない。こういう教育をしていたこの国が、また、それを擁護する哲学を弁護していた日本の文部省が、一朝一夕にしてそれほど大きくジェファーソンやリンカーンの哲学に変わり得るものでもないことは、私は人として無理もないことであると思うのでございます。  したがいまして、互いにもし人が生きる道におきまして、特に教育の道におきまして、人間において今日最高のものは何であるかと聞かれるならば、人は五十万年前に火を発見しまして、その火の光に導かれて、長い間暗黒と無知と偏狭と貧乏と病気の中を歩いて今日にきました。しかし、いまや人間は、物質の最微粒子を分析する力まで持ち、地球を震駭させるほどのエネルギーをも持ち、月世界に到達するエネルギーも持ちました。ここで最大公約数として明らかになったことは、人間の所産の最大のものは大脳であり、理性であり、そして愛情である。これだけは、まず党派を越え、宗派を越えて間違いのない共通の人類の財産であると思うのでございます。それをよすがにして、国際連合が不十分ながらも動き、われわれは平和を求めるに至りました。  三十年前に、平和を求めることが教育の本源などと言ったならば、たちまちにしてやめさせられてしまったでしょう。紀元節の日に教育勅語の前に頭を下げて御真影を拝むことを、内村鑑三氏は、彼はプロテスタントなるがゆえに、勇敢に拒否いたしました。それだけで一局の校長さんをやめざるを得ませんでした。こんなことは日常茶飯のことでありまして、当時はだれも怪しまず、変わった先駆者がただ犠牲になったという程度のことしか考えませんでした。安倍能成、一高の校長さんは、カント哲学を奉じておりまして、なんじの意志の格率が他人の意志の格率と互いに矛盾しないように行動せよという哲学を奉じておりました。しかし、人民の意志の格率と天皇の意志の格率との間には、当時万里の長城の隔たりがありました。それを祝う天長節や紀元節の日に、やっぱり生徒たちに最敬礼をさせまして、カント哲学者が最敬礼をして、それを矛盾に感じないでワニの涙を流すほど、この国の民族の頭脳というものはフィーブル・マインドであったわけであります。  その点、そういう教育のもとに育てられた私どももまた薄志弱行でありまして、この国の社会運動におきましても、転向ということが非常に大きな問題になっておりますことは、皆さん御承知のとおりであります。日本では吉利支丹バテレンの激しい信仰の歴史がありますけれども、近代社会主義の歴史は、若難の道であると同時に、また転向の歴史でもありました。これは、日本の新興階級の歴史の中にもこういう脆弱点があるということを申し上げたのでありまして、いわんや、今日の日本の文部行政の中にどんなに多くの傷あとがあるかということは、もういまさらちょうちょうするまでもないことでございます。こういう矛盾の中から学生の心の動揺も生まれておるのでございますから、私は、反省すべきものは学生諸君であるのみでなくて、われわれおとなの側であるということを一そう深く痛感いたしております。  端的にただいま申し上げましたことと連関いたしまして、この文部省設置法の問題にいたしましても、「文部省の長は、文部大臣とする。」法律ではっきりこう書いてあります。国民の長を文部大臣とするとは書いてない。その文部大臣の職権はすなわち文部省の長官でございます。「文部省は、その権限の行使に当って、法律に別段の定がある場合を除いては、行政上及び運営上の監督を行わないものとする。」こう書いてあります。特別な定めのある場合を除いては大学に対して文部省は行政上及び運営上の監督を行なわないものとする、これほど明確に文部省設置法に書いてありますのに、まだ大学法案も通ってないときに、大学を監督とする責任または権限があるかのごとき錯覚に陥って、その錯覚をわれわれに強制しようとしておる。あるいは、大学の管理機関の議に基づいて大学の教授、学長を任命する、こう書いてあるけれども、先ほどの法制局長官からの牽強付会の弁でわれわれが聞いたとおりでございます。  この国では、万事お上のやることは何でもできるという弊風がありまして、したがいまして、その一例を申し上げますと、いま法制局長官がおられないことは残念ですけれども、部長がおられるようですからよく聞いておいてください。旅券法の問題がその一例です。旅券法という法律は国民の海外に行く権利を保障したものでございます。かつて私どもは、江戸から九州に参ったり、下関にフグを食べに参ったりすることは、自由でありませんでした。お伊勢参りだけが許されまして、お伊勢参りにかこつけてようやく夫婦一緒に旅行ができたものでございます。しかるに、明治の代が明けましてから、一応旧来の陋習を破り、自由の精神がこの国に取り上げられました。国内におきましては旅券なくして旅行ができるようになりました。旅券は、かつて刑法の罪を犯して一定以上の刑に処せられた者、あるいは直接かつ著しく国益を阻害するおそれある人物、その者だけを例外として無差別に与えられねばならぬということが旅券法に書いてあります。もしだれか、その人が直接著しく国益に害を与える人物というときは、法務省と外務省は協議して、その協議の結果これを当人に通告し、当人はこれに対して疎弁ずることができるし訴えることができるという手続も、それに備わっておるのでございます。しかるに、かつては国会議員に対してすら旅券をくれないことがちょいちょいありました。  それはこういうことでございます。政府は、持っていない権限を持っていると錯覚し、国会議員の大多数も、持っておる自分権限を持っていないものと錯覚して、この錯覚の上に約二十年間旅券法が運営されていた時代がございました。私はこの錯覚を見破りまして、最初に鉄のカーテンを越えましてモスクワに参り、スターリンに会いましたただ一人の人間ですが、そして捕虜の送還を協議し、中国と帰途六千万ポンドの協定を結んでまいりました。それは当時非常に珍しいことのようにされておりました。しかし、今日では、もうだれでも北京にもまたモスクワにも行ける時代になりまして、経済団体連合会のお歴々ですら、モスクワにも東欧諸国にも参っておるのでございます。一昨日、ワシントンもまた中国に対して旅券を支給するようになってまいりました。このようなことになってまいりまして、このたびの券旅法の改正のときにもこれが問題になりまして、政府はややもすれば自分にない権限をあるかのごとく錯覚するくせがある。現在、文部省の許可なくしては学校の先生は海外に出れないという錯覚を持っておりますし、文部省もまた、自分の許可なくしては海外に行くことができない、すなわち海外に行くことをとどめ得る権利があるかのごとく錯覚している向きもあります。それで先日は、青年たちが中国に参りますのに、百数十名でありましたか、去年も参りましたが、ことしは文部省がこれを阻害いたしました。それでまた、大学の教授が北京に参りますのに対しても、ただいまちょっとごたごたが起こっておるようでございます。こういうような権限は、原則として文部省にはないのでありまして、旅券法のどこにあるか、後ほどお尋ねしたいと思います。  話が横道にそれまして、本論をはずれて恐縮でございますが、こういうことがあるということを指摘いたしまして、本論に入りたいと思うのでございます。こういう前提条件を理解いたしませんと、今日の学校法の問題は、われわれのそれを心配しておる理由が理解できないと思うからでございます。  まず私は、この法案の中から、時間の関係もありますから重要な点だけを摘出いたしまして、重点的に質問いたしますことをお許し願いまして、会期末も迫っておりますから、質問のしかたも、これからは急スピードで質問するように注意いたしますから、委員長におかれても、突如として質疑終結などという、人食い人種でもしないような野蛮なことは、お口になさらないようにお願いしたいと思います。  まず、文部省の助言の問題でありますが、この問題一つを例にとりましても、助言、指導、勧告、いろいろの段階がありますが、この勧告はかえってガソリンに火を点ずるようなものであって、このまま入れることはちょっとむずかしい。学長がそのように思い、文部大臣はそのように思わない——人は意見の違う動物でありまして、人生は満場一致協会ではありませんから、そういうことは起こります。そういう場合に、文部省設置法やその他によりまして、従来の習慣——大学のことは大学が処理する、警官の導入もその他のことも、一応学長の了解を得てやってもらいたいということが習慣になっております。大学に対する文部大臣の勧告に対して、学長が、そのとおりではちょっとまずい、善意をもって参考にはいたすけれども、しかし、そのとおりにはいかないぞというふうに意見の食い違いが起こりましたときに、あえて文部大臣はこれを強制なさるお気持ちでしょうか、また強制する権利があると錯覚しておられるのでしょうか、まずそれを伺いたいと思います。
  82. 村山松雄

    村山(松)政府委員 法案の五条の問題と思いがます、文部大臣の勧告は紛争収拾に資するような方角でなされるという限定がついておりまして、この勧告を受けました学長はこれを尊重することになっております。相互に意見が異なる場合、これは観念的にはあり得ますので、そのような場合には、両者でよく話し合って食い違いの調整につとめて、紛争収拾という目的は同じでございますので、意見の一致が見られるものと思っておりますが、不幸にしてどうしても意見の一致が見られない場合、法律的に申しますと、この勧告は尊重義務があるわけでございますが、義務違反に対する措置ということはきめられておりませんので、その場合には、勧告が尊重されない場合であっても、それに対する報復措置ということはなされないというぐあいに解釈しております。
  83. 帆足計

    帆足委員 報復的措置などというのは、それはかたき討ちということで、かたき討ちは今日の憲法では許されておりません。それは当然のことですけれども、かたき討ちでなくて、尊重しないでわが道を行く。民主主義の精神に従って、みずから信ずるところを学長自分責任おいてやるということは、寛容の精神をもって文部大臣はお認めになることに、法のたてまえから解釈してよろしゅうございますか。それともけんけん服膺せねばなりませんか。
  84. 坂田道太

    ○坂田国務大臣 ただいま村山局長お答えを申し上げたことで尽きると思います。おわかりのことだと思います。
  85. 帆足計

    帆足委員 私は平均的日本人でございますから、ただいまの御答弁ではよくわかりません。すなわち、夫婦の間でも意見の相違があります。そのときには離婚する自由がありまして、姦通罪というのはなくなりました。このことをよく御承知ですか。姦夫姦婦を二つにしてまな板に載せて切るというのは野蛮の弊風でありまして、たとえ結婚しておっても愛情にはかえられません。そのときは、よき夫であったならば、私のほうが反省しよう。反省しても、あなたはいやよ、こう言われたならば、これは負けたのですから、じゃ過去の労苦に報いて生活の安定のためにも努力してあげるから、二人は気持ちよく別れよう。まあイプセンが「人形の家」、ノラを書いたのは、いまから九十年前のことでございます。九十年前のことを言ってもしょうがありません。それは後進国という証拠でございましょう、こういうことが議題にのぼるということ自体が。すなわち、夫婦に離婚の自由がありますように、文部大臣よさようなら、バイバイ、こう大学学長は言うてよろしいかどうか、それをお尋ねしたわけです。
  86. 坂田道太

    ○坂田国務大臣 この勧告は、やはり指導、助言の少し強いものでございます。したがいまして、その限りにおきまして、紛争収拾のために尊重しなければならないということは当然なことだと思うわけでございますけれども、しかし、どうしてもそういうことを聞き得ないという場合はあり得るというふうに御了解を願いたいと思います。
  87. 帆足計

    帆足委員 そうすると、そういうことは人生にあり得る。人生は満場一致協会ではないということはすでに申しました。夫婦間でも離婚することがあり得る。今度会うときにかたき討ちをするかどうかということを聞きたいわけです。すなわち、それに対する報復措置をするかどうか、いやがらせをするかどうか、その他等々です。
  88. 坂田道太

    ○坂田国務大臣 そういうことは毛頭考えておりません。一にその大学の紛争収拾ということについて文部大臣も考えておるわけでございます。そのための勧告でございます。また同時に、学長といたしましても、何とかして紛争を収拾しようという、そういう真剣な努力をやっておるわけでございますから、その点は私は十分理解を持って当たりたいというふうに考えております。
  89. 帆足計

    帆足委員 おか目八目ということばもありますくらいですから、他人の言を聞くということは確かに参考になります。いわんや、文部大臣の御意見ですから、参考になることはこれは確実です。しかし、いまの解釈によりますと、最も重要な参考にする。いやしくも見識を持って大学学長に選ばれた以上、坂田さんの言われることなら、私がかりに東大の学長であれば、まず八割方聞くと思います。しかしこれが、ホッテントットということばを使ってはこれは懲罰になりますから、そういう下品なことばを使いませんけれども、人食い人種ということばもちょっと使いません。しかし、いわば従来の正当な表現を使えば、軍国主義者などが文部大臣になることもあり得るのです。こういう人たちのように、理性をもって説いてもどうにもならぬ人が文部大臣になりまして、過去の例で言えば、東條さんのような方が文部大臣になった。東條さんが再び生きて出るはずはないではないかといいますけれども、この道はいつか来た道などと警告する歴史学者、哲学者もおる時代でありますから、いっそういう爬虫類があらわれないとも限りません。さような爬虫類が誤って選出されまして——大衆は常に目が開いておるとは限りません。大衆は、ときとしては羊のようにおとなしく、ときとしては非常に人がよく、だまされやすいものでございます。ときとしては烈火のごとく燃ゆるものでもございましょう。したがいまして、そういう方が文部大臣になったときは別な解釈をする。そこで私は法制局長官に問いたいと言ったのはそれです。  実は、旅券法のことで私はさんざん苦労をいたしまして、政府を告発いたしました。もちろん私が勝ちましたのはもとよりのことでありますけれども、君は鉄のカーテンを破って最初の日本人としてなぞの国ソ連を見てきて報告した、このことが日本の外交にどれほど大きな貢献をしたか、それははかり知れないものがある、わが党の委員長からそう言ってほめられました。しかし、そのあとわが党の長老の一人が、だけれども君は法律を破ったのだからやはり謙遜しなければいけないよと言いました。わが党にしてもなおかつ人の自由と人権についての法律の知識はこの程度のものでございます。いわんや、保守党自民党の諸君においておやでございますから、私は別に皆さんをとがめようとしないのでございます。と申しましたのは、私が政府を告発したのに、私が禁を犯して、君は吉田松陰みたいな男だ、勇敢だな——私は吉田松陰のように獄門刑に処せられることはまっぴらごめんです。平凡な憶病な人間です。法律に従ってこれは正当に許されたことであるから旅行してきました。しかるに政府はじゃまをしました。悪いやつに対しては征伐せいとかねて父親から言われておりましたから、征伐するために訴訟を起こしました。そして勝ちました。政府は、私のからだを保護するために、生命、財産を保護するために無条約のソ連にやらない、こう言うのです、理由は。そこで私は妻を呼びまして、そしてそれはほんとうであるか。というのは、私の命を一番心配しているのは妻でありまして、外務省でありません。肺炎で死にかかったほどの病気をしましたときに、外務省は私に花束一つ持ってきませんでした。それが突然私の生命、財産を心配し始めまして、慎重考慮の結果モスクワに行ってはならぬと言うわけです。それならばアポロで行くことなど思いも及ばぬ。北極探険すら、ヒマラヤに行くことも、谷川岳に行くこともできないでしょう。しかし私の可憐な妻は、私の健康のことを心配いたしまして、あなたはときどき新宿裏ではしご酒をなさるくせがある、あのほうがずっとあぶない。しかし、モスクワの世界経済会議に出席なさるならば、健康のためにもいいでしょうから、ぜひ行っていらっしゃい。娘もそう言うのです。この証言をもって私は裁判に訴えましたところ、裁判長は急にふき出しまして、それは外務省の言うことは無理だよ、これはとってつけた理屈である、君を行かせたくないという政治的目的があって、あとで法の解釈を拡大解釈したのであるから、これは外務省の負けである、こういうことになったのでございます。  この愉快にしてしかも痛切な記憶をたどりますと、私はやはり大学法案に対する解釈というものを正確にしていただかなければいかぬ。先ほどの山中さんの質問は、私は、議員としてまことに恥ずかしからぬ質問である。これはもう満場一致、本委員会おいては山中さんを名質問として表彰するように、ぜひともこの理事会で議題に付していただきたい。これは野党から表彰の発言が出ましたら我田引水でありますから、むしろ与党から出れば、やはり後世の歴史に残る御発言になろうと思うのでございます。時間が参りましたから失礼いたしますが、そのようなことで法制局に最後にお尋ねします。法の解釈につきまして、どの機関解釈が最高の解釈ですか。
  90. 荒井勇

    ○荒井政府委員 法律解釈につきましては、それがその権利をめぐる争いであるということになる限りにおきましては、訴訟ということになりまして、裁判所が下す判決、それも、最高裁判所の下す判決というものが、国の法律解釈としての最終的なものであるということは申し上げられます。その以前の段階で、行政府内でどのように法律解釈し運用するかという問題になりましたときに、一次的には所管の行政庁が解釈する。それは、国会審議をされましたいろいろな経過、あるいはその立法趣旨というようなものを十分読んで解釈するということでございます。それについて疑問があるとか、あるいは行政庁の間で解釈について紛争がある、紛議があるというようなことになりました場合には、内閣法制局が、その法律解釈について閣議を補佐するという立場から意見を述べるということに現行法制はなっております。
  91. 帆足計

    帆足委員 もう一つ提案側の立場に立つ当時の主管大臣の、その法の解釈についての速記録における説明ですね。それは法の解釈について有効なものでありますか。法理的に有効なものでありますか。これは非常に重要なことです。坂田さんがいま言われましたような解釈ならば、われわれの気持ちもだいぶなごやかになるわけであります。しかし、これが有効でなくて、ただその場限りのものであるとするならば、これはたいした参考資料になりません。法制局のほうから御答弁を願います。
  92. 荒井勇

    ○荒井政府委員 ただいま御答弁申し上げましたように、その法律の立法の趣旨、あるいは国会審議されましたときのやりとりといいますか、立法機関としての国会がどのような意思で決定なさったかというようなことを、今後その法律の執行の責めに当たりますところの省庁というような行政機関といたしまして、十分それを考えて解釈をすべきであるというふうに考えます。
  93. 帆足計

    帆足委員 これは参考にするというだけですか。それとも法的効果があるかということをお尋ねしたわけです。その法の解釈につきまして、坂田さんが言われた、いまのようなアドバイス、勧告につきまして——こういう勧告ということばは、すすめ告げるのでは何のことだかわかりません。何をすすめ告げるやらわかりません。ですから、その解釈はこういうことであるとか、しかも文部大臣が言われたことは法的な基礎があるか、法的効果があるかということを聞いたわけです。なるべく簡単に答えてください。
  94. 荒井勇

    ○荒井政府委員 そういう点につきまして、十分それを参酌して解釈を下すべきであるということでございまして、それが法的拘束力というところまでなるかというお尋ねがポイントでございますが、それがその提案者としての考えを率直に述べたものであって、条文に即してのそのような説明がされることはまさに正当なものであるというようなものが、もちろんその法の解釈あるいはその法律の執行というものについての根本的なものになるという点は、お尋ねで述べられておるところと私は考えが一致するものでございます。
  95. 帆足計

    帆足委員 簡単に言ってくださいと言ったのはそのためです。この解釈法律的な効果があるか。この前、旅券法において、著しくかつ直接に国益を阻害するおそれある者となっておったのです。そのおそれあるものとは、ギャング、アヘン密売者、婦女誘拐者、国際的大どろぼう、こういう例をあげまして、たとえば思想の相違によって、アナーキスト、コミュニスト、マルキスト、または特定のフイフイ教、または仏教、そういう思想信条の相違によって差別だけはしないという例示まであげて説明したのです。ところが、その解釈は全部外務省によってじゅうりんされてしまっているし、第一、外務大臣は読まないのです。閣僚会議などというものはそういうものを読みません。自分の持っていない権能をあるかのごとく錯覚してふるまっているというのが今日の日本の政府である。各省において権能なきものを権能あるかのごとく錯覚して行なっている例。権能を持っているものが、人民が、自分に権能なきかのごとく錯覚して、泣く子と地頭にかなわぬといって頭を下げている事例。この事例の一覧表を内閣に要求しなければならないと思っておりますが、そういう例が多いのです。泣く子と地頭にはかなわぬ。泣く子にはキャラメルを与えろ、地頭はぶんなぐれ、私はこう思いますが、なぐることは禁止されておりますから、地頭は直ちに告発せよ、長いものは適当な長さに切って整理整とんすればよろしい、さらにもっと短ければかば焼きにして食べろ、こういういかにも日本人らしい哲学から見まして、いまの文部大臣の勧告ということばに対する説明が、強制力のある法的基礎があるかどうか、それとも一参考資料にすぎないか。
  96. 荒井勇

    ○荒井政府委員 いまの文部大臣でありますとかその提案者の説明というものは、国会提案した趣旨を述べたものである、それが唯一の立法機関としての国会の御意思もまさにそこにあるというふうに認められたものでありましたならば、その立法機関の御意思として私ども法律解釈をし執行をしなければならないというふうに考えるわけでございます。
  97. 帆足計

    帆足委員 これでは腹が減ってとてもやりきれませんし、それからただいまの御答弁は、これはやまとことばではありません。これは法律用語でございますから、いずれ食事を済ませて、皆さんと一緒に、ただいまのことをやまとことばで、すなわち平易な国民のことばで御説明を願って、それからあとは私はそう長くは質問いたしません。重要な点を拾いまして、そうして皆さんとともに事態の真相を明らかにしてまいりたい。与党の方がこの法案に賛成なさいましても、野党の者たちの言うことには、一理も二理も十理もある、その点を明らかにしてくれたのはよかった、こういうような意思表示があっていいと思います。また、こういう点は、そういう前向きの修正ならばわれわれもそれを多といたしますから、どうかそのような意味をもちまして審議続行をお願いいたします。
  98. 大坪保雄

    大坪委員長 この際、御報告いたします。  去る十一日、本案に対し久保田円次君外六名から修正案が提出されましたが、本二十四日、提出者全員より撤回の申し出がありましたので、御報告いたします。  この際、暫時休憩いたします。     午後一時四十八分休憩      ————◇—————     午後七時四十五分開議
  99. 大坪保雄

    大坪委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  大学運営に関する臨時措置法案を議題といたします。
  100. 藤波孝生

    ○藤波委員 ……(発言する者多く、聴取不能)
  101. 大坪保雄

    大坪委員長 ……(発言する者多く、聴取不能)     〔「賛成、賛成」「委員長委員長」と呼び、その他発言する者多し〕
  102. 大坪保雄

    大坪委員長 ……(発言する者多く、聴取不能)     〔「賛成、賛成」と呼び、その他発言する者多し、拍手〕     〔大坪委員長退場〕     午後七時四十七分      ————◇—————