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坂田国務大臣 当事者の
大学の
先生方が非常に御苦労になっておることもわかりますし、あるいは一面において心配をされておることもわかるわけでございます。しかしながら、今度は
大学を取り巻いておりまする一般
国民、大多数の
国民というものの
意見はどうかというならば、一体
大学の
先生は何をしておるのだ、一年間授業もしないであの
学生の
暴力の横行を許したままで、自主
解決、自主
解決、
大学の自治、
大学の自治とおっしゃるが、はたしてそれじゃ何も処置しないで一体
大学紛争は終結できるんだろうかということは、むしろ
皆さん方もそれはよくおわかりになるのじゃないかと思うのです。そしてまたそのことが、それに対して有効適切な対策も持ち合わせておらないというところに、
学生自身がいま問いかけておるのじゃないかと思うのです。その場合に、政治家として、あるいは
文教行政に当たる者といたしましては、単に当事者の
人たちが、病人がこういう薬は苦いからいやだとか、手術はいやだとか、いやだいやだと言っているからそういう手術はしないでいいかといったら、やはり手術はしてあげて、そして健康体に回復さしてあげなければいかぬのじゃないか。多少の
反対があったって、御病人のおっしゃることはわからぬわけではないけれども、われわれは
国民の
一つの立場に立って、この
国立大学の
学生、
教官のあり方、あるいはそういうものに対してものを申すということは当然なことであって、いかにもある領域についての学問分野については確かにノーベル賞をもらわれる人もございます。また今後ノーベル賞をもらうような学者がたくさんいまの
大学の
先生の中にあると私は思うのです。しかし、その方が必ずしも
学長として非常に有能な人であるかどうか、あるいは管理能力を持っておるかどうかということは、また別なことであって、
国民の側から見るならば、こういうようなお金のむだ使いをして、と思うのが当然じゃないかと私は思うのです。その場合何もしないで自主
解決、自主
解決といって、
大学の自治だからといっていまの
国立大学の
先生方にまかせておいて、はたしてこの
大学問題の収拾というものは一体あり得るだろうかというふうに
考えました場合に、この程度の最小限度の
立法というものは必要である。しかし、この
立法だけがすべてを
解決するかぎりではない。それと同時に、鈴木さんの御指摘のように
指導、助言を通じまして、あるいは
国民世論の
背景のもとに、
大学側の協力を求めつつ最終的な
大学の収拾に当たらなければならぬのじゃないか。また同時に、私は、これから先は
国民のためのあるべき姿の
大学というものもお互いが模索し、またそれを示し、あるいは各
大学もお
考えになって、そういうようなことが相まってはじめてこの
紛争解決への道が開けてくるのではなかろうかというふうに
考えるわけでございまして、この
法案だけですべてが
解決するというような、そういうようには私は
考えておらないので、鈴木さんの御指摘の点も私は十分わかるわけで、できますならば法律によらずして
指導、助言のみによって、あるいは
暴力の排除はいわば現行法を十分発揮いたしまして、そして
暴力排除に対しては断固たる措置をとるというようなことだけでいけそうなものだとかつては思ったわけでございますけれども、ただいまのところは、むしろそれだけではもはや収拾はつかないのじゃないか、それにあわせて必要最小限度のこの程度の
立法はむしろプラスになるだろうというのが、私のいまの心境なのでございます。