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井上(普)
委員 それでは、いまの
厚生大臣並びに
医務局長の御発言を私は善意に
解釈いたしまして、法案の成立当時の
議事録をよくお読みになって、どういう立法の趣旨であったかということを十分お知りになっていただいて、今後の行政
指導をやる際に差別のないようにしていただくことを心から念願いたしまして、
厚生大臣と
医務局長に対する質問を打ち切りたいと思います。
そこで文部
大臣、実はこのように非常に問題を含み、かつまた、
研修医制度が成立してからもう十カ月たっておる現在におきましてもこのような
実態であります。それで
学生諸君がおこるのはあたりまえというのは私一人ではございますまい。しかも、この
研修指定病院に動いて
指導的役割りを果たした連中はだれかといえば、先ほどお見えになっておった
上田教授、懸田教授及び豊川教授であったわけであります。すなわち、このような
方々が
全国の
医学部の
病院長あるいは学部長に対しまして圧力をかけて成立したのがあの
医師法の改正であったわけであります。当時これらの
方々は新聞社の論説
委員を回って、論説にこの
研修医制度の早期成立を書けというようなことまで説得し、与野党の幹部の
方々のところにまでこれを訴えて実に政治的に動いてまいったわけであります。といいますのは、ここに政治といわゆる純粋なる学者の言動というものが食い違ってきておる。こういうところに私は今日の特に
医学部の
紛争の大きい
原因があることを指摘いたしたいのであります。
ところが、昨年の三月二十八日に当時の
大学局長であった宮地
局長に対しまして――二月の例の十七名にのぼるところの処分を東大
医学部がやったことは御
承知のとおりであります。そしてこの処分をめぐりまして
医学部は大きくゆれ動いたことも御
承知のとおりであります。ところが、私はその当時におきまして、
大学の自治という立場において実はこのことにつきましては質問をすることをはばかったのでありますが、当時の宮地
局長は、岡本議員に対しまして、あの処分は正当である、これは妥当なものだという発言を
大学局長としてなさったのであります。私は三月二十八日に質問いたしました際には、当時粒良なる
学生があそこにはいなかった、九州へ行っておったという新聞記事を拝見して、誤認に基づくものではなかろうか、どうなんだといって
伺いますと、これは
大学から申してきたので正しい、こういう
答弁をされたのであります。しかし、御
承知のように高橋晄正、原講師によるところのあの文書が発表せられた。発表はしたけれ
ども何ら
大学教授がこれに反応を示さない。反応を示さないどころか、むしろ逆に圧迫を加えている。こういうことからして
学生諸君ももはやかんにん袋の緒を切らしたという形で卒業式のストップをやり、また入学式のストップをやらざるを得なかった。これに対してもまだ東大の大河内総長は反省の色を見せず、当時
医学部長、
病院長、これらは四十二年十一月以来
学生と一切交渉を断ってホテル住まいをしながら電話連絡で外部との交渉をやっておった。当時私の知っておるある教授のごときは、徳島からわざわざやってきまして東大のそこに電話いたしますと、あなたはほんとに三好
先生でございますか、ならあなたの解剖の教授はどなたであります、病理の教授はどなたでございますという人定までしながら、実はきょうの八時にあなたの
先生のところの電話番号を知らしてほしい、きょうの何時ごろ電話いたしますからそこへお集まり願いたいというように、秘密会談によって実は全部糊塗してまいったのであります。
学生とは全然会おうとしない。すなわち、
教育的な人間的な接触というものが全然ない。こういうところに
一つはこのたびの
紛争の大きい
原因があるし、しびれを切らして六月十五日の安田講堂の突入となり、六月十七日の大河内総長の機動隊導入となり、全学的なストライキになった。あわてて六月二十八日には、粒良君がひとつ文書で申し出るならばあの処分は撤回してもよろしいというようなことを申し始めた。それでますます
学生諸君がおこったがために、ついに全学のストライキにまで突入し、八月十日の例の告示となったのであります。そして夏休み中もテントを張り、九月にいってようやく赤旗があの
大学の中にひるがえり始めたという
実態を
考えるときに、私はどうも
大学教授、特に
上田、豊川両氏の
責任たるや重大である。また、大河内総長の
責任も重大である。
教育的
配慮が全然なされずに、人間的な接触もなかったがためにあのような事態におちいったと私は断ぜざるを得ないのであります。こういうようなことを
考えてみると、この
大学紛争の一連の流れをながめてくるときに、いわゆる
大学当局なるものが一体
教授会にあるのか、評議員会にあるのか、総長にあるのか、これはまことに疑わしい、どこにあるのかわかりませんが、しかし、ともかく文部省は一役を買って、当時の宮地
大学学術
局長は、この処分は妥当なものであるといって国会において発言せられておるのでございます。宮地さんはお見えになっておられますか。――あなたの御発言は、あの当時においておっしゃられましたが、その後まことに不穏当であったといま御反省になっておられますか、どうでございます。