○米内山
委員 検討といえば検討だが、それじゃいずれその検討の結果が明らかになったらまた議論も質問も展開するだろうと思うから、その点はそれまでにとどめておきま
しょう。
そこで、こういう日本農政の重大な段階に際会して、日本の農民は全く肝をつぶすような気持ちでいるのです。それに対するあなた方のお答えというものは、まるで千年一日のごとく検討中とかなんとかと言う。長谷川大臣は、農民とはだの触れ合う農政をと言うけれ
ども、あなた方官僚の態度というものは、農民から見るとまことに不信にたえない。人間味というものを感じない、感じないばかりか非常に気にかかることがある。人間味を感じないというと、まるでわれわれは電子計算機と論議をしているような感じしかしないのです。どこにはだの触れ合う——しかも、日本の農業の運命を変えていく総合農政の答申直後のいまのわれわれ国民を代表する者の質問に対して、態度が変わらなければいかぬとわれわれは期待するわけだが、依然として変わらない。非常に気にかかるのです。農民の心情というものをあなた方はどう理解しているか。あなた方は、それは経済合理主義とかなんとかに立脚した、近ごろはやりの官僚かもしれない、か、そんなものじゃない。あなた方は農業を知っているかもしれないが、農民というものと農村の暮らしというものはまるきり無視なんです。電子計算機と話をしているようなものです。心の通うものは一つもない。この国会の論議を通して、何かしら農民にあたたか
いもの、希望を持てるもの、ほのぼのとしたものをあなた方は解説する任務があるはずなんです。われわれの若いころ、赤坂小梅という芸者が歌った歌がありましたが、「あなたにもらったハンカチのだるまの模様がちょいと気にかかる」これも赤坂に行って、小梅さんに会って聞けば色気も感ずるし、ウイットもあるんだよ。日本の農民は、特にいま矢面に立たされている、攻撃の正面に立っている。米作農民は、いままでどうしてきたか。戦後のインフレを押えるときは強権発動を背景にして、何の物価とも比較にならない値段で取り上げたで
しょう。ドル不足のときは増産のためにしりをたたかれたで
しょう。高度成長段階になって初めて、
昭和三十年の後期から
生産費と所得が補償されるという段階に至ったんだ。この段階から日本の稲作が発展したのだ。それもっかの間で
しょう。日本人が食い余すほど米をつくることに成功した農民が、今日農業だけでめし食えない。出かせぎしている。次三男だけじゃないのだ。
経営主から
あととりむすこからだ。
あとに残っている仕事というものを、重い苦しい仕事は年寄りと主婦の肩にかかっている。出かせぎ先では事故、大けが、命を失っている。農村へ献血のために県庁の衛生課の車が行くんだ。健康に自信のあるというおかあちゃん
たちが——けがした人、病人のために自分の血をあげようというのは健康に自信のあるおかあちゃんだ。血をとってみると十人のうち七人までが血が薄いんだよ。栄養だけの問題じゃないのだ。過労の問題なんだ。これが農民の
実態なんだよ。
あなた方はこういうことを考えたことがあるか。しかも金をくれれば
あとついてくるだろうという奨励金や、貧乏させれば出ていくだろうという残酷な農政というものは成立するものじゃないですよ。日本の農民は数百年、数千年の風雪に耐えてどんな残忍な政治にも耐えてきたんだ。こういう本質を持っている。諸君がほんとうに国家のために総合的に——農民だけよければいいという農政なんというのはあり得ないのだよ。同時に資本家だけよければいいという政治もあり得ないのだよ。ほんとうに総合的な農政があるなら農民は命をかけても協力するだろう。確かに表面から見る農村というのは必ずしも一体に見えないけれ
ども、あの一つの小さい開けない村に出たなら、狭い道路に稲を積んで歩くいまの農村の
状態を見なさい。お互いによけ合わないとどの車も通れないからよけて通るのだよ、東京のように、都市のように、開けた
地域のように、ダンプが人を押しのけていくようなものじゃないのだ。完全な生活優先なんだ。人間優先の生活をしているのだ。決してものと金が優先していない。そういう
意味で農民の心情というものを——あなた方と違うんだよ。はだ触れ合う政治を求めているのです。電子計算機と話をするようなことには納得できない。一つの生活共同体ですよ、農村というものは。同時に村人の暮らしというものは、小学校を一緒に終えて墓場も一緒なんだよ。運命共同体なんだよ。この村の
実態というものを知らず、単に経済合理主義からだけ、世界の大勢はこうだとか、日本の経済は重化学工業の輸出でいかなければならぬという題目だけでは、今後の農政は進展するものじゃない。
したがって、農政というものは人を
対象にしなさい。人間には生きる権利がある。もはやここまで、表向きは所得がふえたといってみたところで、兼業所得で
農家がやっと生きているんだよ。そうして民族の苗しろというべき農村の出生率の低下を、君
たちは国家の将来のためにどう思うのか。田植えのときは出産は困る、除草時期も出産は困る、稲刈りのときは困るといったら、正月の近所しか出産の機会がないじゃないか。子供をつくる自由もないじゃないか。ここまでおとしいれてさんざん苦労してころばして、そしてあきたらぽんと投げるなんという赤坂小梅の歌のような農政ではだめなんだよ。公約というものを誠実に守りなさい。去年の参議院選挙のとき、佐藤総理は秋田で何と演説した。食管
制度を守ると言ったけれ
ども、その次の日からこれをくずすための工作をやってきておる。それは
政府を代表する政務次官、これはやはり総理以下閣僚によく伝えなさい。総合農政というものは今後日本の国政上の非常な問題なんだ。これは農民の心情なんだよ。これを無視して諸君の農政というものは一歩も半歩も前進するものじゃない。農民というものは反応はおそい。いまはやりの鉄砲のように引き金を引けばすぐ雷管へいってばんとはねるようなものじゃないんだよ。火縄銃を撃つようなものだ。必ず抵抗が爆発する時期がくる。それはもう歴史的なものなんだ。こういうふうに農業というものを農村というものを農民というものを歴史的に考えながら電子計算機から出た
結論を合理的に進めれば、総合農政というものにあるいは農民も信頼を寄せ成功の可能性もあるかもしれないが、
部分的な議論だけでこの問題は片づかないと思う。
政府を代表する政務次官のこのことに対する感想をひとつお聞きしたい。