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東畑四郎君 日本の農政は、御
承知のように
農業、
農村、
農民、これを同質的なもの、一体的なものとしてつかまえまして、中央から画一的な農政を展開してまいりましたことは御
承知のとおりであります。したがいまして、農政の根幹となります諸
制度も、おおむね中央画一的な同質的なものとしてこれを展開してきたことは御
承知のとおりであります。
ことに
農地法は、
農地改革が敗戦後の当時急激に上から行なわれましたために、旧
地主制というものが急激に、平和裏に
耕作者
中心の新しい秩序に変わった。したがって、いつ
地主制がまた復活するかもしれない。それを防衛するだけの
農民の自主的な力が育成されてないという
一つの懸念、これは真実でございますから、中央における行
政府の介入というものが非常に強うございました。したがって
農地法は、今日
政府の権力といいますか、干渉といいますか、介入が非常に強く打ち立てられまして、そうして
耕作者
中心の秩序をいつまでも維持していきたい、こういう法制の仕組みになっておると私は考えるのでございます。
ところが、
昭和三十五年以後、われわれの想像以上に日本の経済の成長力が急激に伸びましたために、これが
農村あるいは
農民の生活、
経営に非常に大きな変革を与えた。今日こそ
農業を産業として考えろとか、
農業を職業として考えろとかいうことがいわれますけれ
ども、この
農地法制定当時は、観念としてそういうことがございましたけれ
ども、
現実は
農業は生活であり、常態である、こういうようにいえる段階であったと思います。
ところが、三十五年以後あまりにも急激な
わが国の高度
経済成長が押し寄せまして、一番大きく影響をいたしましたのが、やはり雇用機会の増大ということでございます。私、農林省におったのでございますが、私が農林省におりました当時は、
農業の
労働力人口というものは一定不変である、
農地面積も、若干の増減はしましたけれ
ども一定不変である、こういう
前提のもとに農政は展開してきたのでございますが、
農業労働力人口というものが外国に例を見ないような急激な減少をしたということが、
農民の意識というものを非常に変えていったということがございます。
同時に、地価というものが高度
経済成長下において非常に上がった。これを、
農地法があるから地価が上がったんだということが一時いわれましたけれ
ども、私はそう思わない。これは
農地法以外の、日本全体の経済構造のもたらした
一つの悪い面が
農業に押し寄せて、地価を非常に、不当に高くした。これは
価格じゃなくて、値打ちを上げたと言うほうが正確だと思います。
したがいまして、本来
農民が持っております資産保有者的な性格、
経営者的な性格、あるいは勤労者的な性格のうちで、資産保有者としての性格というものが非常に強く出てまいった地帯がございます。これは都市近郊の
農村地帯、ここの
農家というものは、資産保有者的な意欲というものが非常に強くなってきて、どちらかといえば、
農民の勤労者的な意欲というものが減ってきたのは当然の
一つの
方向だと思います。こういう
一つの条件が急激に出てまいりましたというようなことは、
農地法制定当時はもちろん、
農業基本法制定当時ですら、こんなに地価が急激に上がるというのは想像もしなかった事態である。
そういう
一つの日本の
経済成長のもたらしました客観的条件の
変化と、また
農村の
変化というものと、今日の
農地法というものと考えますると、そこに非常に大きな矛盾がある。
農地法自体は、御
承知のように、日本の
農地改革を実行したものを維持していくという非常に大きな
意味のある
制度であるし、私は、やはり農政上の非常にりっぱな根幹であると思いますけれ
ども、これを今日の条件に照らしてどう修正をし、適応していくかということを、非常にむずかしい問題でありますけれ
ども、われわれは考えなければならぬし、中央集権的な画一的な
政策からもっと地方分権的な、
農民自体の生産力を
農民の
組織で伸ばしていくというような、そういう過程の中における
農地法という問題と、真剣に取り組むべき段階に来たのではないか、私はこういうように考えるのでございます。
その中で、一番むずかしい地価問題というものはどうするか、あるいはこれをどういう形で、いわゆる最近いわれる
規模拡大の
方向と調整していくかという問題は、残念ながら今回の
農地法改正ではほとんど触れていない。そこで、
規模拡大をしたいという
一つの
方向から考えるのが、いまの
農地法改正に盛られている
一つの新しい芽であろうと私は思う。
それで、先ほ
どもお話がございましたが、
賃借権という
一つのむずかしい問題をつかまえますると、
農地改革あるいは
農地法の
精神というものは
耕作者
中心の
制度でございますから、どちらかといえば
耕作権の保護、
賃借権の保護というものを非常に強く打ち出しておる。
農業自体でございますから、
耕作権というものはやはり保護し、これを安定させるということは、いかなる時代においても重要な
制度である。よく請負、請負ということがいわれますけれ
ども、請負というものは、およそ
農地制度の中の
制度にはならないのではないか。請負というものは非常に不安定な
耕作権であるし、あるいはゼロの
耕作権かもしれない。そういうゼロの
耕作権をもって、
土地の生産力を上げたり
経営の安定をはかるということは、私は過渡期の存在で、いまの
農地制度の矛盾というものを破る
一つの過渡的な、やみといいますか、そういう形でこれが行なわれておるのであって、これを
制度として根幹にするということは誤りである。
賃借権というものはあくまでこれは安定をし、
耕作権というものは保護をしていくというのが、日本のみならず世界共通の
一つの原理原則である。
ところが、これがあまりにも強うございますと、
所有者というものがその
土地を賃借させて、
耕作者
中心のためにこれを貸したいということがあっても、あまりにも強い
賃借権でございますと、やはり
土地は本気で耕さなくても、これを所有したほうが安全であるという形にならざるを得ない。今日の日本の
農地法は、まさしくそういう点に若干の欠陥があるのではないか。要するに、あまりにも
耕作権が強過ぎるために、その
土地を貸して
農業からリタイアしたい人までも、資産的価値というものを強くさせるために手放しできない、こういう面があると思います。したがいまして、そういうむずかしい問題について、今回の
農地法が
賃借権の更新であるとか、解除であるとか、あるいは
小作料という問題に思い切った
政策転換をやったことは、私は賛成であります。
これは、
耕作者自身の条件というものが非常に変わったということではないかと思います。要するに、職業選択の自由というか、他の面に雇用の規模が拡大してきておるという条件で、
土地にしがみついて、
農民同士が競争をして
小作料の値上げをしたり、解除を求められたときに、頭を下げてでもたのんで
土地を耕すというような過去の条件と、今日の条件とは、およそ変わってきたのではないか。むしろ
耕作者が強くて、
所有者のほうがなるたけ放さないのを、この条件をある程度緩和すれば、むしろ若干は賃借に出させるという可能性も、私は
地域と場所によっては大いにあるのではないかと思う。そういう面からいいますと、今回の
賃借権の緩和というようなことは、これはやっても、決して昔の
地主制が復活するとか、そういう危険は全然ないのではないか。条件が変わったのではないか。この際踏み切ってそこまでやるのが、私は非常に時宜に適するのではないかというように考えるのであります。
小作料の問題につきましては、ただ既得権という問題がございます。この既得権というものは、いかなる場合にも守る必要があるのではないか。過去における
小作料、
小作地というものと、これからの
小作料、
小作地というものに違う面がございましても、やはりその人たちが生命をその
土地に持って、既得権を守っておるという人については、これは別個に保護してやる必要がある。しかし、新しい
流動化をはかるための
小作料等につきましてはこれを自由にして、問題を新しく展開していくという時期に来たのではないか。
農業委員会等が
標準小作料をこしらえたり、これを勧告するという
制度ができたのでありますが、こういうことにつきましても、なるべくは国家介入を避ける、ほんとうに
農民同士がその
地域におって話し合いをして、そこで相互に話がついてできた、いわゆる
農民的、合理的な
小作料というものを全体として守っていくというような
制度、これをどういう形で守るかということについては、ある面において私は強制が要るのではないかと思う。物の販売についても、ある規格をつくって、ある技術を公開してつくった商品というものを共同で売る、もしその共同販売について違反をする
農民があった場合はこれを排除してしまう、いわゆる三分の二強制といいますか、そういう強制をして同じ品質、同じ規格のものを売ることによって、全
農民が流通
改善をできるんだ、こういう
制度が最近諸外国で行なわれておると同じ
意味において、
小作料等についても、すべて国が介入をして、一筆一筆のたんぼの
小作料を
統制するというようなことはやめて、これからは
農民自体の
組織によって、みずからが合理的なものをもたらす、それを
農民同士の強制によってこれを強化して、国家はなるたけ介入を避けていく、こういうむしろ地方分権的な
考え方を導入するのが、私は前向きの
方向ではないかというように考える。そういう点について、今回の
農地法改正案は、従来の中央集権的な
考え方からいえば、非常に思い切った面を
一つ持っておるということについて、私は敬意を表しておるのでございます。
それからもう
一つ、これは皆さん方がお触れにならなかったのでありますが、未墾地の利用権の設定、
賃借権の設定というような問題を今回は取り上げておる。これも
一つの非常に重要なことであるし、私権というものについて、ある場合においては強制的に
賃借権を設定するというようなことは、これはたいへんなことでございます。こういうようなことについても、非常に慎重な考慮がなされておる。公共団体、あるいは
農業協同組合、あるいは目的を畜産というように非常に限定をし、しかも、未墾地買収を予定されておる
地域にこれを限定をして、しぼって、そこに強い利用権の設定をやる、あるいは入り会い権等についてもこれは設定できる、こういうことは、畜産の
発展という将来から見まして
一つの進歩であるし、この
制度は今後大いに
活用をすべきではないかというように考えるのであります。
なおもう
一つ、
農地制度研究会等で
議論をしなかった問題で、今回新しく入れられた非常に重要な
制度があるように思います。それは、
農地保有合理化の公的機関をつくってもいいのだという
制度であります。この
実態が一体どういうものであるか、
法案を読みましてもなかなかわかりにくいし、また、どういう
方向でこれを運用するかも、どうも私、不勉強で読み取れないのでありますけれ
ども、
考え方としては非常におもしろいのではないか。従来の農政というものは、いつでも中央集権的であり、中央画一的であって、
農地管
理事業団またしかりであったのでありますけれ
ども、これを、あるいは
市町村、府県、そういう
地域の
実態に即した形において、公的機関の介入というものを考えてもいいんだというようなことは、従来の農政になかった
一つの新しい行き方である。残念ながらこの
内容というものはどうもはっきりいたしませんけれ
ども、そういう
一つの
考え方によって、これからほんとうに下からの、
農民からの
組織、また
農民からの
要望による公的機関というものが育成されるようなことは、今後の農政の
一つの指針となって、おもしろいのではないかというような気がいたします。
ただ、一番初めに申し上げましたように、地価問題という問題に全然触れていない。そのこと
自体が、この
農地法改正によって
農業構造の改革が思い切ってできるかということについて、
桑原先生もお述べになりましたが、私も、これは一歩前進であって、二歩の前進ではないと思うのです。
そこで、一番むずかしい地価問題をどうするかということは、私自身にもなかなか考える案がございませんが、これは全くの思いつきでございますけれ
ども、たとえば
農村で、
農家が離農をしたい、引退をしたい、しかし資産として
土地を持っておりたいんだ、こういう
一つの
考え方、これはあり得る。その資産として
土地を持っておりたい人に、その
土地にかわる金というものを渡す仕組みというものを考えられないかどうか。これを財政で持てば、率直にいうと、これは地価の二重
価格ということになる。
農民の
経営として必要な地価というものと、資産的価値としての地価というものとはおよそ違う。それを、資産的価値として
土地を手放した人にはそれで渡して、
経営者には安い
農地を渡すということになりますと、これはものすごい二重
価格になり、その二重
価格による財政負担というのはたいへんであるけれ
ども、これをいろいろな年金
制度によって、経済
政策としての年金
制度で考えられないかどうか。要するに、
農地証券あるいは公債というようなものを——元本まで返さなくてもいい場合もある。国の財政が豊かなときに返したらいいのであって、国の財政の困難なときは利子だけ返せばいいのではないか。こういう
一つの何か新しい
考え方で、
土地は資産的価値としてこれは大事なものなんだ、しかし、その
土地を最も効率的に、有効的に利用するということがより大事なんだという、
一つの哲学といいますか、
考え方というものを、私はもっと日本においては植えつける必要があるのではないか。そういう
一つの植えつけ方と同時に、それに対する経済保障というものをある程度めんどうを見てやるんだ、そして
土地を持っているのと、そういう
一つの国家の債券を持っているのとは同じことではないか、こういう何か仕組みというものを、ひとつわれわれも皆さんとともに考えて、この資産的価値がだんだん高くなって、資産として
土地を持っておって
経営の対象にしないという、こういう
一つの矛盾というものを解決することが、次の
農地法の大きな問題である。
賃借権の安定というものと
流動化というものとの妥協をはかった
農地法に、もう
一つそれに触れて養老年金
制度、社会保障的な年金
制度、これもいろいろ考えておられますけれ
ども、経済
政策としての年金
制度、これをもっとわれわれは農政として考える必要があるのではないかという点が一点であります。
もう一点は、家族自作農主義という
一つの主義というものと、これから起こる非
農業面の急激な高度
経済成長に基づく巨大なる産業
組織というものとが、どうもなかなかバランスが合いにくいのではないか。
農業対非
農業の所得均衡という問題が盛んにいわれておりますけれ
ども、実はこれからがいよいよ
農業対非
農業の所得不均衡が本格的に来るのではなかろうか。いままでそういうものがあったのは、
一つは兼業所得という兼業化の問題で、
農家所得の増大という問題が
一つ。
もう
一つは、何といいましても農産物に対する不足といいますか、米価があらわすような
一つの不足、こういう
一つの形が各所得
政策によって
農業の所得をふやしていったのでございますけれ
ども、これからの
農業というものは、どうも肉以外はだんだんと過剰の
方向にいくのではないか。そうなりますと、
農業対非
農業の所得が均衡するということは、これはまことに容易ではない。したがって、
構造政策というものを進めなければいかぬということがいわれますけれ
ども、先進国における生産
構造政策というものは、もうすでに
現実に存在しているものをいかに拡大し、またいかに整理するかという、そういう問題が生産
構造政策であるのでございますけれ
ども、わが日本では、残念ながら
構造政策といわれ、
経営改革といわれ、
農業革命といわれるその
実態というものは、これからつくり出さなければいかぬ。新しくつくり出してそれを保護していく。ところが、これがなかなか
農業外の人に説得力がない。
現実にあるものというものは、若干の芽はあっても、
一つの完結したものとしてはないということ、そこに他の部門の説得力の要る非常にむずかしい問題がある。
そこで、これは個々の
農民及びその
組織、あるいは国の役割り、こういうようなものを一体として
経営の改革をやっていく必要があるのではないか。例をあげますと、たとえば酪農についても、ある
農家がその酪農
経営を一人で全部完結をするのだという、西欧における、あるいはアメリカにおけるような酪農
経営というものはなかなかむずかしいのではないか。育牛部門は山でやる。山でやる主体は、一体国がやるのか、県がやるのか、
農業団体がやるのか。その育牛部門と、それから肥育部門あるいは搾乳部門は、これをどういう
組織でやって、全体として日本独特の酪農
経営があって、その
土地というものは一体国の場合はどうする、私有権の場合はどうする、こういうような全体を考えて
組織化をはかる。米についても大いに機械化をしてやるが、収穫をしこれを精米する過程においては相当の投資も要るし、相当の面積も踏まえなければならない。そういう
一つの流通面と
農民の個々の
経営というものをどう
組織化して結びつけていくか、その中における
農地制度はどうあるべきかというような
関係において、他の部門の非常に急激な、巨大な、また世界一のような会社ができてくる、そういう
一つの
組織というものと
農業の
組織というものとを、どうしてバランスを合わせていくかということについては、従来のような家族自作農主義、協業化というような抽象論じゃなくて、個々の
経営についてもっと掘り下げて
組織化をはかるべきである。これを
地域により作目により考えるべきではないか。その間においての国の役割り、県の役割り、
農業団体の役割り、個々の
農民の役割り、それが総合的一体となってりっぱな酪農
経営が伸びたり、肉牛
経営が伸びたり、水田が伸びていく、こういうようなことを考える必要があるのではないか。
そういう
一つの線に沿って今日の
農地法を見ますると、これはまことに積極性がないということがいえると思います。
農地法について、これは改革したってもうおそい、これは安楽死を待つほかないのだ、こういう説もちらほらと聞く。あるいはもう完全にこんなものは撤廃してしまって、全く自由の風に当てたほうがもっと合理的なものができるのではないかという説も実はございますけれ
ども、私はそういう飛び離れた
議論は、日本
農業の今日の構造を
現実から見るとなかなか取り得ない。やはり少なくとも一歩一歩前進をしていく以外にはないのだ。今日の
政府案であれば、積極性というものは非常に欠けておりますけれ
ども、この
農地法ですらなかなか変わらないのだということは、これはやはり
構造政策を前向きに持っていこうということについての非常にネックになる。どうかそういう
意味において、はなはだ積極味はない
農地法の
改正案でありますけれ
ども、せめてこれだけくらいはスタートとして切って、その上で、私が先ほど言いましたいろいろな問題を大きくつかまえて、他の産業部門とのバランスをいかに合わすかということを、ほんとうに農政としては考えなければいかぬというのが私の
意見でございます。
御清聴ありがとうございました。(拍手)