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大和田政府委員 昭和三十六年に
農業基本法ができまして、そこで取り上げましたいわば新しい問題は、
農業生産の
選択的拡大と
農業構造の
改善という問題であったと思います。自後、名方面にわたる
政策の結果、私
どもは、
農業基本法が想定した
成果というのは、ある程度まで実現したという
考えを持っております。
たとえば、
農業の
生産性向上の点にいたしましても、
昭和三十五年と四十二年とを比較しますと、総
生産は約二割五分の増大でございます。これに対しまして、
農業労働力は二割二分ほどの減少でございます。したがいまして、一人当たりの物的
生産性は六割ほどの増でございます。同じ期間の製造業の物的
生産性は約九割の増でございますから、製造業における九割の増、
農業における六割増というのは、私は世界の各国の水準で見ましても、それほど低いものではないというふうに
考えるわけでございます。
さらに、
農業所得の増もございます。また農外所得の増もございまして、
基本法で
農家の生活水準と他産業の従事者の生活水準をできるだけ均衡させるということで、大きな目標にいたしたわけでございますけれ
ども、
昭和四十二年における事実は、
農業白書でも詳しく御説明いたしてございますけれ
ども、
農家一人当たりの生活費は、町村在住の他産業従事者の一人当たりの生活費に比べて、むしろ五%アップでございます。
農家平均の一人当たりの生活費と、町村在住の勤労者の一人当たりの生活費とを比較いたしますれば、
農家が勤労者の水準より五%アップしたということでございます。全国を総合いたしまして、東京、大阪等の勤労者を含めましても、もうそれほどの遜色はございません。
農家の生活水準に関する限り、私は相当程度格差の是正ということは行なわれたというふうに思います。
また、
農業構造改善という点について申し上げますと、
農業で生活することのできる
農家、これを私
ども自立経営と呼んでおりますけれ
ども、大体
昭和三十四、五年当時、
基本法制定以前ではどちらかといえば、そういうしっかりした
農家が農村にあるというよりは、農村にあったことも事実でございますけれ
ども、いわば頭の中の所産というと言い過ぎでございますけれ
ども、なかなか農村に定着をいたしかねる状況でございましたし、また、当時の低い生活水準からいいましても、町村在住の勤労者とひとしいだけの生活所得を
農業であげる、いわゆる
自立経営農家というのは、
農家経済調査におきまして大体九%でございましたけれ
ども、
昭和四十二年においてそれは十三%にふえておる。さらに
協業経営といいますか、単なる稲作あるいは果樹作等々の作業の共同化ということではございませんで、全面的な
協業経営、あるいは養畜、養蚕、酪農等々の部門的な
協業経営を含めまして、さいふを
一つにする完全な共同経営もすでに五千をこえておる状況でございます。また、私
どもが近ごろ力を入れてやっておりますところの
集団的生産組織も、稲作において二万四千というふうに数えられておるわけでございます。構造
改善の面についても、私
どもは、
基本法の
農政の
成果は相当あがったというふうに
考えます。
しかし、いまここで私
どもは
基本法の
成果が大いにあがったということを特に申し上げるつもりはないので、
農業内外の情勢から見て、構造
改善のテンポももっともっと進める必要がございましょうし、
農家の生活水準も農村の生活環境ということを頭に入れて
考えますと、まだまだ都市と農村との格差は残っておるわけでございますし、
農家の所得がふえたといいましても、当然兼業所得が五割を若干こえるような情勢でございますから、今後におきましてもこれらの
政策をますます強力に進めて、もっともっとよい
農家あるいはもっともっとよい農村をつくることに
努力すべきであると
考えるわけでございます。