○米内山委員 漁村の近代化と申しましても、この資金の
対象になるものは主として
生産手段、船とかそういういろいろな装置が
対象になるのでありますが、今日漁村の問題は、単に船を近代化するというだけでは近代化にならないのであります。非常な資本主義の発展といいますか、今日の経済情勢と対比した場合に、一世紀以上の立ちおくれがあるというのが今日の漁村の実態であります。しかもその状態は、山村部よりもさらに漁村の場合は立ちおくれが著しい。それが、今日結果となって実はあらわれておるわけでございます。
十年ほど前に、日教組が生徒にアンケートをとりました際、おとうさんの職業をいやだという子供の数が漁村に一番多かったのであります。それが今日、一昨日も白書の際重要な
問題点として申し上げたのでありますが、白書に書いてあるところによると、
沿岸漁業に従事している人の中で、二十歳未満の若年層というものは実に四%を下るということであります。こういうふうなことであれば、すでに漁村の若い人はあと継ぎになる意思がなくなっている。これをこのまま推移していきますと、あとでは、金を貸すといっても借りる人もなくなる、魚がおってもとる人もなくなる、これははっきりしているわけであります。今日突如としてこういう現象があらわれたのではなく、長く
漁業政策というものを投げやりにした結果が、こういうふうなことになってあらわれているのであります。
しかも、いま
政府は新国土総合開発というものを発表しておるのでありますが、これによりますと、鉱工業の
生産を中心にわが国民の所得は将来三倍になる、こういうふうなことがいわれているのでありますが、漁村に住んで働いている人から見ると、こういうことは夢にも思われないことであります。同じ
国内にそういう成長をするものがあるとすれば、若い人がいなくなるのがこれは当然であります。しかも、この新
国土総合開発計画の中においては、その
段階になると農業の人口は現在の半分になるが、残った人の所得は年二百万になるだろう、こうは書いてあるが、漁村の問題は何も融れていない。こういうところにも、今日の政治、経済というものは、漁村、
沿岸漁業というものを全く無視しているのであります。無視されている人々はどう対処すればいいか、全く虚無主義にならざるを得ないでありましょう。
そういうことから、
技術的な発展も全く停滞しているし、ある者は、将来はどうあろうともいまさえよければいいというようなことから、みずからの資源を破壊する乱獲、
漁場破壊が行なわれるようになっているのであります。
大臣は、海の再開墾をやる、
土地改良をやるとおっしゃいますが、それもやらないよりはましでありましょうが、国が
かなりな努力をしても、海を相手にして大型魚礁を入れてみたところで、全体から見るとなかなかはかどらぬ。それよりも、東京湾にしても、伊勢湾にしても、あるいは瀬戸内海にしましても、それよりも大きな力と大きい速度で
漁場が破壊されている。二十万トンの船を入れる程度の掘り込み港湾というものは、何億円かでできるかもしれないが、東京湾をつくる、瀬戸内海をつくるといったって、これは金ではできないのであります。しかも、すでに諏訪湖のワカサギが油くさくて食われなくなった。あの大きい霞ケ浦でさえ、ワカサギがとれてもくさくて商品価値を失している。反面にこういう対策を講じないで手放しでおきながら、わずかな改良をもって今後の
漁業政策だといっても、
漁民はこれを信用できないのです。これに期待をかけて今日の困難な漁村でふんばる力は出ません。出ないのが当然でありましょう。
したがいまして、私
どもは強く
政府に要望したいのは、
漁業の未来性というもの、
ビジョンというものを早く明確にして、そうして、いま崩壊に瀕している漁村民にまず力を与えてもらいたい。それが先決問題です。しかる上に資源の問題をもっと重要視しなければならぬ。札があればそれは外国の魚も買えるでありましょうが、すでに
生産の総量においては、わが国はペルーの下になっております。これは量の問題でありますが、その質、国民生活の
関係から見ると、わが国は今日もまた将来も、依然として世界一の水産国にならなければならない地理的な
条件がある、
歴史的な
条件がある。こういうことを軽視して、そうしてやらないよりもましだというような
漁業政策で当面を糊塗するならば、問題は解決しないどころか、その結果として人間が漁村にいなくなる。漁村でなければ食えないというのはじいさん、ばあさんだけで、若い人
たちがいなくなるのは当然です。ですから、事をやるならば、問題の解決のために前進するのでなければ意味がないのです。子供にせがまれて、とうちゃん、あの星をとってくれと言われて、屋根へ上がってほうきを振り回すおとうさんの話がある。星には近くなるかもしれないが、これは問題の解決にはならぬのです。
こういうふうな状態を今日までやってきたから、資源の問題も解決せないばかりか、ますます悪化している。そうして、国民の
需要はますます増大するが、これにこたえることが、できない。魚価が上がる。現にけさのテレビでも、瀬戸内海で大きいタイが一キロ二千円だということを私は見た。一キロ二千円の魚は、それはたん白質であっても、もはや魚類じゃないのです。つけものにするキュウリは農産物ではあるが、さしみのつまになる小指大のものに花のついたものは、あれは農産物とはいえない。物が不足になると、こういう質的な変化が生じてきて、多少金では上がっても、国民の要求にこたえられないわけです。しかもわが国では、この不足な水産資源を陸上で解決しようったって、非常に
技術的にも困難だし、経済的にも損なことであります。
私は、そういうことから、今後この漁村の近代化というものは、単に
生産手段の近代化だけではなく、
技術をも含め、生活
環境も含めて、それに対して国が積極的な資金対策なり
技術対策なり、あるいは資源破壊に対して厳重な
措置を講ずるというような、総合的な対策をもって
漁業の近代化をはからなければならぬと思うのです。この点において、今日まで長い間
政府は欠くるところが非常に多過ぎたと私は思っておるのでありますが、御見解を承りたいのです。