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美濃委員 さっき
政務次官は、
農協の販売体制を
強化して流通改善の役割りの一助にしたいという趣旨の話があったのですが、ここでそういうふうにほんとうにお
考えになっておりますか。私は、たとえば米の問題を
一つ取り上げてみたいと思いますが、これはいま次官が言っておることと全然違うのではないかと思うのです。需給事情が緩和されるのだということが前提になって、ここで私はあえてやみ米という
表現はいたしませんけれ
ども、すでに流通米がどんどん出回っておるでしょう。
政府が警察当局に指示しているのかどうか、もうそれを取り締まり対象とはしませんね。オープンで出ておる。食管法は現実にはくずれてしまっておるということですね。取り締まり対象とは
考えていないわけですから、大っぴらに売ったって警察は何も言わぬのです。
法律的にはいまの場合は違法なはずなんですけれ
ども、何も言わなくなってしまった。もう言うなと
政府が警察庁に指示しておるのだと私は思うのですよ。あれは取り締まれと指示したら取り締まると思うのですね。どうですか。
まあ取り締まる、取り締まらぬという論争は別といたしまして、片や、過般全国農民大会を開いたら、自民党の政調会長ですか、
農協が賛成したから自主流通米をやるのだということを、大会の代表者との会見で言ったそうですが、
しかし、
農協はそれに対して
条件をつけておりますね。一元流通にしてくれということです。
そこで、私は一元流通の問題をちょっとここで申し上げておきたいと思います。そして御意見を承りたいと思いますが、たとえば自主流通の問題は、前々から申し上げたように
法律上の疑義も生じ、
しかもこれを自主流通にすることによって——先ほど
局長が言うておるように、小売り業者が多過ぎる。また、農民は
零細農耕だと
法律の前段でもきめつけている。小売り業者は少ない物資を扱って生計を立てるのですから、膨大なマージンになるということは
局長も言っておるのですよ。これも何かの
法律でもつくって、零細流通
企業ときめつけたらどうですか。農民だけは
零細農耕だ。
農業問題を論じる
農林省自体が、どういう意図をもってこういうことを言っておるのですかと
最初に私が聞いたように、一面零細性だと言い、一面
生産面では重大な危機をはらんでおるなどと言って、こんな
法律をつくる
政策の意図の中で、農民だけは全く人でないようなことを言うのですね。農民は何か悪いことをしておるような、ろくでなしのような
表現を使っているわけですね。
片や、今度自主流通でどれだけ消費までに
労働がくっついていくのですか。これを、たとえば一元的にきちっとやるとしたら、こうやかましく言わぬでもいいと思うのです。たとえば米の集荷を、
農協が要求しておるように、
政策的にそういうことをやらすのだと
政務次官は言うのだから、これを全部米は
政府が買うという
考え方で一元でやらして、
政府経費を減らすために、たとえば
農協から直に、
政府の買い上げを省略して、酒米はすぐ渡しなさい、酒米を受け取りなさい、あるいは一部これこれのものについては、
政府経由をしない前に集荷団体から直に渡しなさい、こういうようなことにした場合には、同じことを行なっても、自主流通とかなんとかという問題は起きてこない。
同時に、自主流通がもう始まっておるのですが、いま東京では大体十キロ千八百円ないし二千円といっている。配給米よりものすごい高いですね。片や
政府の払い下げは古米だという。ここに、いま実際に都会の生活者の台所に入ってみると、いわゆる心理的な貧困というのが起きておるわけです。子供たちは、隣の家では自主流通米の新米のうまいのを食べておる、かあさん、私のうちではどうして古米を食べなければならぬのだ、こう言うのです。そこには心理的な貧困が起きる。あるいは
国家公務員の
賃金なんかを人事院が勧告する場合でも、国は
政府払い下げの古米で生活のエンゲル係数のそろばんをはじくでしょう。
しかし要求する
労働者は、自主流通米の価格で生活のエンゲル係数をはじくという矛盾が起きてくるわけです。貧乏人は古米を食え、おまえらのあれは古米でいいのだ、それ以上の
賃金は保障しませんよ。
しかし、現実には心理的な貧困が起きて、そこにはいろいろな問題が出てくるわけですね。
私は、
政策というものはできるだけ国民に格差のない、心理的な貧困を起こさないという経済
政策が正しい
政策だと思うのです。これは
資本主張社会で全部起こさぬというわけにはいきませんが、心理的な貧困が起きるような
政策は私は愚だと思うのですね。できるだけそれを避けることが、消費流通の賢明な
政策だと思うのです。いたずらに毎日の主食に国民に多くの心理的貧困が起きるような制度に持っていったということは、これは愚劣な
政策です。そうしなくたって、どうですか、これを一元的にやるというのだったら一元的にきちっと扱わして、そして
政府経由をしないで直に渡せということにしたら、自主流通などという大きな騒ぎを起こさなくていいのですね。そういう流通
体系にしたら心理的貧困は起きませんよ。そうすれば消費者に二重米価、そして高い米と安い米と出てきませんから、消費者米価は一本にして、
政府経由をはずして直に渡す方法ができたっていいのじゃないですか。
これは自主流通と全然変わってくると思うのですが、なぜそういう
政策をとらぬか。口ではそう言うのですね。販売事業も、もう少し
農協の体制を高めていくと言う。それならどうして米をそうやらないのです。私はそういう手段があると思うのです。それは私は自主流通ということとはかなり違うと思うのです。一元的に集めさして、その中で
政府を経由しないで経費を節約するために直渡しをやっていく。これは自主流通とは違うと思うのです。自主流通のように高い米と安い米とがそこには出てきませんから、国民階層の中に米の消費価格をめぐって、いわゆる心理的な貧困というものは生じない。こういうりっぱなことが私はやれると思うのですがね。どうですか
政務次官、そういうことをやろうと思うのかどうか、やるならやるようにもっと
考えてくださいよ、こんな愚劣なことばかりやらぬで。
口だけでは
農協法を改善する、
農協の販売体制を
強化して、その中で流通の改善の役割りを果たしたい。そう言うなら米こそやったらどうです。そうやれば、私は全然流通
体系という問題は変わってくると思うのです。
政府が意図している経費の圧縮もできるでありましょう。きわめてりっぱなことができると思うのです。どうしてそういうことをやらぬのですか。