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美濃委員 そこら辺をもうちょっと調べておいてください。
それからその次の問題点は、先ほど、この
計画に向かって
農業の
基本政策を貫くと言われたのでありますから、
農業生産を
考える場合、特に
振興地域法をつくるのでありますから、この場合、
農業生産というものには選択的拡大と
計画的に
生産するという、やはりこの
生産を貫いていく上に二つの
方法が私は必要だと思うのです。選択的に拡大してもいいもの、たとえば、農産物の中で一例をあげるならば、大豆なんかは、
政策を伴い
生産条件が伴って、つくろうと思えば、とにかくいま八%しか供給力がないのですから、何ぼつくっても、またやめてしまっても、農民にもたいした影響もないし、国益にもたいした影響がないまでに沈んでしまっておる。だからこの大豆あたりは、やはり選択的拡大できるような
生産条件なり価格
条件なりで何ぼつくっても、これは需給上たいした問題は起きてこぬでしょう。あるいはてん菜等についても、いまのところ選択的拡大でいいのじゃないかと思います。
そういうふうに選択的に拡大さしていいものと、たとえば豚肉のように、選択的拡大で
生産をやらしても、農民はわからぬですし、県でもわからぬ。全国の需要に大体均衡する
生産なんかということは県段階でもやれませんから、これは国がやらなければならぬ。そこでおととしですか、四十二年に非常に豚肉が安くて、七十万頭からの枝肉を
事業団が買い入れて、二十億の赤字を出してそして予算で始末しておるでしょう。そしてあの四十二年の安値にこりて、去年急激に
生産が減ってしまった。えさ代しかとれなかった。そこで去年は豚肉が暴騰した。現在でも
生産が低下して、豚肉は支持価格を上回っておるでしょう。こういう上回りが二年も続くと、また
生産意欲が起きてきて飼うわけですね。子豚を飼う。そうして
生産意欲がついてくると、また過剰
生産になって
事業団が買い入れをしなければならぬということになってくる。これを見ておると、私としては、二十億といえ
どもいたずらに国民の税金をむだづかいして、どうしてこういうことをやらすのか疑問に思う。さっき言った豚肉あたりは、海外供給に仰いでなくなってもいいのじゃないかと
考えておる品目ですか。まさか私はそうじゃないと思う。
そうすると、ここにやはり
計画生産が必要になってくる。こういう
振興地域法に伴って、たとえば、豚肉の需要量はちゃんと測定はできておるのでありますから、その需要に向かって、豚肉の
生産に一番適合している地帯を選んでいく。一例をあげますならば、たとえば、北海道は畜産地帯といえ
ども、北海道の道北地帯はもう酪農
生産一本でいきなさい、小動物を入れなくてもいいんですから、酪農主
生産地帯でいいから、そのかわり酪農
政策に力を入れてやる。牧野もつくってやる。北海道の道北
関係は全部酪農一本で、それに力を入れて、ややこしい小さい動物なんか力を入れなくてもいい。しかし、
地域によっては、小動物を入れることがそこの
条件に一番合うのだから、豚はどこそこどこそこと、やはり主産地として
計画的に、そこでおおよそどのくらいの
生産をさせるかきめて、それをこえると非常に
生産過剰になってしまうから、それでそれらを
指導する。こういう
計画を立てて、それに基づいて県なりあるいは農協なり農民団体なり、それらのものが
計画生産に対する
指導を受け入れる。それはやはり農民自体もやらなければならぬ。むだなものをつくって
事業団に買わして、税金でしりぬぐいをしておってもそれはいいことではない。その中で農民がよくなっておればいいですけれ
ども、どうも農民自体も安値にこりて
生産が減退する。そして暴騰したときには、農民は豚は飼っていないわけですね、一部の人は飼っておるけれ
ども。こういうことが繰り返されるわけですね。
そうすると、
農業生産というものは選択的拡大じゃだめだと私は思うのです。やはりこういう
法律をつくる以上は、需要量に限度のあるものは
計画性を示すべきですよ。それを選択的拡大だといってほうっておけば、その限度量を上回れば国益にもならないし、農民のためにもならない。これでは農民の
生産意欲が減退してしまって、それで暴騰して消費者は高い肉を食わなければならない。こういうことが起きる原因は、やはりこの
農業政策に筋金が入っていないからこういうことが起きるのだと私は思うのです。それが現実に起きておるのですから、やはり
農業生産というものは、需要に限度があるものは
生産目標を、せっかくこの
法律をつくるのですから、こういう
法律をつくる以上は、適応する
地域に最も
生産性に合致した農産物を、
地域特産体制を高める必要がある。
昔のように百姓百品などといって、
農業というのは何でも総合的にいろいろなものをつくって、安全性を保つという
農業のやり方は、昔の集約手労働時代だと私は思うのです。もちろん二品目なり三品目なり——一品目一辺倒というわけにはいかぬけれ
ども、これからの近代的
農業というものは、できるだけ作目の数は減らすべきだと思うのです。減らすことによって
生産性が向上するし、コストは下がるわけです。百姓百品などといって品目を多くつくればつくるほど、
農業のコストは高くなるわけです。
〔
委員長退席、安倍
委員長代理着席〕
ですから、やはり可能な限度において品目を制限して、
地域特産性における
農業の作目、そしてそれには需要にマッチした
生産に
計画性を持たすのだ。どうですか、それは全然この
法律にはないですね。それでやらぬのだったら、ただこういう
法律をつくって選択的拡大でいくのでは、まことに不親切であると思う。その選択的拡大というものは、国益に大きく損害を起こしておる。場合によっては、そういう過剰
生産による処理によって大きく財政負担もしておる。それをできるだけ縮小するには、やはり
地域特産性を高めて、そして
計画的な
生産体制に持っていくという体制が必要だと思うのです。
もちろん、選択的拡大でいいものは選択的拡大でいいと私は思うのです。需要量に限度がなくて、一定限度のいわゆる価格支持
政策なら支持
政策によって、あとは何ぼつくっても需給上の問題が起きないという農産物は、選択的拡大でいいと私は思うのですけれ
ども、選択的拡大でやらした場合には、国の財政損失も加わるし、農民のためにもならなければ消費者のためにもならぬ。いたずらに二十億でも三十億でも国の財政支出を伴っておる。そのことが、二十億か三十億か現実に農民の
農業振興につながっておる財政支出なら私はいいと思うのですけれ
ども、それは過剰
生産で農民もその中で苦しんでおる、国も損しておる、こんなばかげたことはないと思うのですね。どうですか、そういう
考え方は。