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佐々委員 長官はそれに固執しておるのですが、固執するところに矛盾があるんですよ。
漁民としては同じだというなら、あの準用
規定というものを
組合員というふうに
解釈する、少なくともそれに近い
解釈をして、
漁民を保護するというのが当然だと私は思うのです。あなたはもう県の立場に立っておられる、私はそう思う。
そこで、私は
漁業法の八条の、
組合員の
漁業を営む
権利という問題について少し申してみたいことがあります。第八条の一項には、
漁業協同組合の
組合員または当該
漁業協同組合を
会員とする
漁業協同組合連合会が、その有する
共同漁業権ごとに制定する
漁業権行使規則で
規定する資格に該当する者は、当該
漁業協同組合または
漁業協同組合連合会の有する
共同漁業権の範囲内において
漁業を営む
権利を有すると、非常にややっこしいようですが、一口に言えば、
連合会が持っておる場合もあるいは
単協が持っておる場合も、
漁民は
漁業を営む
権利を持っておるのだということを
規定しておるのです。
そしてこの問題について、
水産庁企画室編集の「新
漁業法の解説」という中で、その六七ページから六八%にかけて、こういうような説明をしております。これは
連合会有の場合を含んでおるので、
単協有の場合だけを言うておるのじゃないのです。お聞きください、あなたのほうから出した本です。「この
規定により、
組合管理
漁業権の
権利の内容は、
漁業権者または入漁権者たる
漁協または
連合会は単に
形式的
権利者であって、
権利の具体的行使を団体的に規制するという単なる管理権能を有する状態におかれ、
実質的な
漁業を営む
権利は一定の資格を有する
組合員が各自行使するという形で分有するという内容のものであることが法定されているわけである。」
組合員に
漁協が
漁業権を貸し付けているのではない、だから貸し付け禁止の
規定には違反しない。さらにまたこうも書いてあります。「
組合員のこの
権利は、
漁業権または入漁権そのものではないが、それと不可分の、その具体化された形態である。そうして、この
権利は
漁業権および入漁権が物権とみなされ、物権として扱われているのに応じ、物権的性格を有し、」ここは全くの
漁業を営む
権利ですよ。「物権的性格を有し、妨害排除請求権等の物権的請求権を発生せしめる
権利と考えてよいであろう。」こういうふうにあなたのほうで出した本が解説をしておるのです。
こういうような解説は私は正しいと思います。これは要するに、
単協有であろうともあるいは
連合会有であろうとも、そこで
漁業をしておる
漁民の
権利を物権的な
権利として認めておるのです。それをあなたは、
連合会の場合は別だというような
解釈をせられるが、その本質に着目したならば、あなたの
解釈が非常に
形式論理だということはだれしもわかる。三歳の童子でもわかる。妨害排除請求権等の物権的請求権を持っておるのですよ。いまそれが侵されているわけだ。
権利を行使して、その妨害を排除していいんじゃないですか。そこまで強い
権利なんです。それを、
連合会有の場合は違うんだと言って、赤子の手をねじ上げるようにその
漁業する
権利、
漁業権を剥奪をしても、あなたは差しつかえないというのですか。私はそういう
理論はあり得ないと思うのです。
もともとこの
共同漁業権というのは、これはあなた方が専門ですから、私は釈迦に説法だと思いますけれ
ども、徳川時代からその部落の
漁民が、そこで
漁業するところの
権利を持っておったのです。昔の、この
漁業法の前の
漁業法の時代は、これはいわゆる入り会い
漁業、陸上における入り会い地と同じような入り会い
漁業で、いわゆるゲルマン法にいうところの総有、すべて有するという観念の
権利なんですね。それは明らかでしょう。それは、
連合会有の場合でもあるいはまた
単協有の場合でも同じ
権利なんです。そのことをあなた方の本では認めているのですけれ
ども、そういうような
権利を気軽に取り上げるというようなことができるとすれば、その
規定そのものが私は憲法違反だと思うのです。新憲法が認めた基本的人権とか
生活権、こういうようなものは奪うことができません。基本的な
権利です。
法律の
規定がどういうふうに
規定してあろうが、それ自身が憲法違反です。
あなたは、それなら
漁民の立場になって考えてごらんなさい。おやじの代から、おじいさんの代から朝晩そこで、自分のうちの前の
漁場で漁をして
生活してきたのですよ。それを自分が知らぬ間に、
組合長の一存でその
漁場がなくなってしまったら、あなたはどう思いますか。こんなことは常識ですよ。そういうことがないように、新憲法はこの
権利を保障しておるはずです。どうお考えになるか、
お答えをいただきたい。