○浜田
委員 たいへん残念ですが、
荒木長官、いまいみじくもあなたが
人員の数くらいは官報によってみんな
国民は知ってもらえるのだ。これが一番最初に私が官房
長官と議論した、このガンを除かなければならない点なんですよ。官報で出たときには、農林省は五万六千八百二十七名ときまって出すのでしょう。だから
法律ができて、
国民があの
法律はいいか悪いか、これと同じことになるのですよ。そういう思想がずっと流れてきておる。だから私たちは心配するのですよ。口では
国民のための
行政、
国民に向けての
行政だ、こう言われる。したがって、そういう
行政規模なりそういう
人員配置をするのだ、こう言われるけれ
ども、思想としてはいわゆる知らしむべからずよらしむべしである。もっとえげつないことばでいえば問答無用だ、こういうことになる。だから一般に心配されるのです。少なくともそういう官報で員数だけを知らすというのではなくして、やはり
国会のこの場で
審議するということは、たとえばいま国立の病院には確かに看護婦さんは足らぬ。人命を扱うところの病院が、看護婦さんは四分の一くらいしか
配置がないというたりしておる。いいところは二分の一くらいかもしれない。ところが、それでは
政令——
政令はけしからぬのですよ。だけれ
ども、ほんとうに違法だ、こういう
状態になってもやらなければならぬとするなら、そういう人の命を守るところへはむしろ勇気を持ってやられても
国民は納得するのですよ。それはやっておられないのだ。だから
設置法によってそういう数をこの
国会で
審議することによって、
国民は、
国会あるいは
内閣は、真にわれわれ
国民の命を守るためにこういうようにやってくれておるのだな、こう理解するわけですよ。その理解が
行政あるいは政治に対して信頼されるゆえんだ。だから
国会を通じてやったらどうでしょうか。一、二の
質問からくるとそこに落ちつくわけですよ。それを見解の相違だと言われるのですが、そういたしますと、実際いままでは
設置法でやりました。そして今度は
定員法でやっていく、首は切らない一これはあとからまた議論しますが、強制
配置転換をしないと言われるが、そうするとどこが異なるのです。ただ自然退職したのをプールして持っておって、あっちこっち人の要るところへ補えるのだ、機動性を持たせると言う。私たちは社会党といえ
ども、ほんとうに要らない組織があったり機構があったりすると、そういうものに対してこれは絶対置くべきであるというような反
国民的なことは決して言いませんよ。ほんとうによく
検討してみて、これはなくしたほうがいい、だからいろいろ
政府にも注文をつけておりますね。だから、そういうところをなくした分は、直ちに
審議を通じて
設置法を変えて必要なところへ持っていくこともできるわけです。ところが五十八
国会から、皆さんは
設置法でやればいとも簡単にできることをやらずして、
政令を発動さして、それで
政令の期間がきてどうにもなりません、だから
国会はけしからぬのだ、こう持っていこうとしておる。逆なんですよ。これもまた
国会審議を冒涜するものだと私は思う。当然
設置法で出してきてやっておって、まだゆっくり
審議してもいいのだ、それをやってからじゃないのだ、それはきのうやおとといのことじゃないのですから。そういう意味で、
設置法と
総定員法とどれだけ具体的に効果があるのだ。さらに実際そういう機動性を持ってやるのだ、
行政の消長に伴ってと言われるが、それらはだれがどういうところで判定するのですか。いまですらも
各省の把握もできぬ、いろいろな点があるから。さっきも聞いておりますと、答弁は矛盾だらけです。昨年やりました
労働省の
安全衛生局のごときは、これだけの労働災害を防がなければ経済的には何兆、何千億の損害です、だからこれは要るのですということであったが、それが一年足らずで
廃止するのだと言う。ほんとうに必要ならば、そういうものを残して、そこに
人員をやっていくというのがほんとうに
定員法のねらいではないか。ところが、一律に一局
削減によって、ほんとうに必要だからといってつくったものをぽかっとやめてしまった。ほんとうに
国民のための
行政がここにはどうしても必要なんだということはどこでだれが把握しておるのか、そういう点について。