○受田
委員 執拗に繰り返していくということで決意のほどうかがうことができるわけですが、ここでひとつ
外務省設置法、
外務省の基本的な
法律の
審議にあたって、私としては前から私自身が
提案し、また
政府も熱意を持って
答弁をしていただいておる問題で、そろそろ解決をはかっていただきたい時期が来ておると思うことがあるわけです。
それは、ソビエト社会主義共和
国連邦と、それから中華人民共和国との間で結ばれたいわゆる中ソ友好同盟条約、これは一九五〇年二月
モスクワにおいて、つまり朝鮮事変が起こるその四カ月前に結ばれた条約がある。その条約の第一条には、「両締約国は、
日本国又は直接に若しくは間接に侵略行為について
日本国と連合する他の国の侵略の繰り返し及び平和の破壊を防止するため、両国のなしうるすべての必要な
措置を共同して執ることを約束する。」そして「締約国の一方が
日本国又はこれと同盟している他の国から攻撃を受け、戦争状態に陥った場合には、他方の締約国は、直ちに執ることができるすべての手段をもって軍事的及び他の援助を与える。」こういうことがここに書いてあるのでございますが、これははなはだ不愉快な条約で、明らかに
日本国を仮想敵国として明記した条約、しかもその目的は、
日本国とそれから
日本国と同盟を結んでおる国との間の侵略に対処するためにこの条約を結ぶ。特定の目的のため、すなわち
日本国の侵略行為に対する配慮、目的のためにできた条約である。こういうのが現にあるわけです。こういう特定の
日本国を直接の目的とした軍事同盟条約というのがいま現に存在しておる。この条約と同じようなものが今度はそれから引き続いて中国と朝鮮民主主義人民共和国との間においても結ばれた。朝鮮民主主義人民共和国とソビエト社会主義共和
国連邦との間においてもまた結ばれておる。いずれも
日本に対処する目的であります。すでに
国連憲章のもとに全世界の平和を希求する数多くの、いま参加国百二十幾つになりましたが、その国々が共通の目的のために世界永久の平和を希求して正義と秩序のある国際社会をつくろうとしておるときに、こういう条約が、しかも
国連加盟国の間において結ばれておる。これは
日本国民としてもはなはだ不愉快である。その前提になるものが
国連憲章五十一条に基き集団安全保障を認めるというような形と同じように、
国連憲章五十三条に「第二次世界戦争中にこの憲章のいずれかの署名国の敵国であった国に適用される」——敵国という語を使って、こう書いてある。こういうのが
国連憲章の中にいま生きておるのですね。敵国ということばが依然として
国連憲章に生きておる。これはさびしい話です。すべての国が敵国なんということばを
国連憲章から抹殺しなければいかぬ、われわれにそういう野心がないことははっきりわかっておるのですから、わが国がソビエトや中国に侵略を加えていくというような危険がないこともわかっておる。
日本国民の姿の上ではそういうことになっておる。そういうときにこういう条約が生きておる。
国連憲章五十三条の削除。必要ならば、重要事項指定方式に取り上げて敵国ということばを抹殺するだけでも、
国連憲章のできた意義、国際連合の使命というものがはるかに高いところへ引き上げられると私は思うのです。
日本外交として、この敵国ということばが
国連憲章の中に生きておるということを削除するために、もし必要ならば重要事項指定方式にこれを取り上げて
日本が提唱するということを、なぜいままでぼやぼやしておるか。原拠になったのは五十三条であろうし、また、それに基づいてこういう条約が、いま
日本を相手にする条約が三つほど極東の国々の中に、中ソ、ソ北鮮及び中北鮮と結ばれておる、こういう現状の中に
国連憲章の存在意義がはたしてどこにあるか、私は理解に苦しむ。
国連憲章の中で唯一の被爆国として、全世界の平和を希求してやまないわが
日本外交として、なぜ勇敢に
国連憲章を変えるために
国連を動かすことができないのか。そして、それに基づきこの条文の敵国を削除する、こういう交渉をなぜなし得ないのか。この点については、国の最も基本に関する問題である。これは国会論議でもあまりされていない。この問題を私はきょうは
外務省の基本法である設置法、
外務省という役所の根っこをどうするかという
法律を審査するときにあたって、賢明な
愛知外務大臣に、
国連に行かれたときにはこの問題を提唱され、また
国連大使に強く要求をされるとか、あらゆる方法で御努力をしていただかなければならぬ問題だと思うのです。
日本外交の眠れるさびしさをしみじみと感ずる一幕がここに生きていることを私は残念に思い、決意のほどを伺いたいと思うのです。