○久保説明員 交通事故は車と人と道路、この三つの要素で成り立っております。その競合でございます。また、別の言い方から言いますと、いわゆる三Eということで、教育の
関係、それから技術の
関係、それから執行、これは
警察関係でございます。そういう三Eの要素から成り立っているということもいわれます。また、アメリカの安全教育に関する
資料によりますと、交通事故の原因の五%は車、五%は道路、残り九〇%は人であるというふうにいわれております。大体、人は石垣人は城といわれますが、人が基本的な原因になることは申すまでもないと思います。
しかしながら、まずわれわれが要望したいことは、車と人の分離が道路環境において非常に行なわれておらないということに
一つの大きな原因がある。現在までの歩道の整備状況が、御
承知のように市街地で国道で五〇%、都道府県道で二〇%弱といったような状況でございます。また、舗装率が非常に低い。たとえば、イギリスでは一〇〇%舗装ができておりまするのに、わが国はわずかに九%であるというようなことで、道路環境が非常に悪いこと、さらには都市構造の
関係が交通に便でない。また、事故を起こしやすいような状況になっておるということは、諸外国と比較するまでもなくわかるところであります。そういった道路環境なり都市構造に
一つの大きな原因があることは言うまでもないところでございまして、私
どもはいろいろな機会に
関係省庁のほうに御要望するわけでありますが、当然また議会でも再々そういった点は要望が行なわれておることで、私から申し上げるまでもございません。
それから、車の問題につきましては、若干欠陥車両というような問題もありましたが、より大きな問題は、保安基準ということであります。これも運輸省のほうで鋭意御研究になりまして、逐次保安基準の追加が行なわれておりますが、われわれの
立場からしましても、事故の分析を行ないまして、その中から保安基準につけ加えるべきものをつけていくということが非常に重要であろうと考えます。
また、たとえば自転車による事故が外国に比べまして非常に多いのであります。全死亡事故の中で十数%に達すると思いますが、この自転車に関しましての行政が実はどの役所にもないということで、私
どもは事実上の指導といたしまして、自転車の乗り方あるいは自転車についての保安基準の問題、これを考えてまいりたいというふうに考えております。
なお、道路のところで申し落としましたが、歩道以外に安全施設、これは建設省、道路管理者の
関係と公安
委員会の
関係がございますが、御
承知のように第二次の三カ年計画によりまして
相当の整備が進められております。ちなみに申し上げますと、たとえば五・五メートル幅の道路の交差点、全国で約十万カ所といわれておりますが、それの四分の一ぐらいはこの三カ年計画の
最後にはでき上がるというふうに見ております。そういった安全施設というような面での
政府の施策が大いに進められなければならない。
それから、
警察の中にもずいぶんございます。われわれは交通の安全対策につきましてやるべきことが非常に多いということにむしろ勇気づけられているところでありますが、その幾つかの例を申し上げますると、まず事故の原因が何であるかということ。これは従来
警察の統計なり
警察の交通事故の分析は、やはりどういう違反があったか、違反者にあるいは事故を起こした者に刑事上の責任があるかないかという、いわば
警察的
立場からの事故分析が中心をなすわけであります。それ以外の分野も入っておりますけれ
ども、重点がどうしてもそちらへまいります。そこで、そういったものを、サンプル
調査でもよろしいからもう少し範囲を広げて、
警察的視野のみならず、
関係省庁あるいは一般の組織
団体が安全教育に役立てるような事故分析を行なうべきではないかということで、これをいま始めようといたしております。さらにまた、それに基づいた統計も同じことでありまして、統計も
警察のための統計というのがどうしても私
どもでは集めやすいわけでありますけれ
ども、この統計をいろいろな分野の方々あるいは
関係官庁の方々が利用し得るといったように持ってまいりたい。これもそのように進みつつあります。
それからまた、運転者の教育ということが非常に重要でありますが、これは指定自動車教習所の教習課程の問題、あるいは免許更新の場合における講習のあり方の問題、これらの教材のあり方、教え方の問題、そういったような問題を逐次進めております。
行政側からすることは非常にたくさんあるわけでありますが、しかし私は、いろいろなことを考えた結果、一番
最後に到達するのはやはり人の教育である。人と申しますのは、運転者であり、歩行者である。そこで、現在多くの運転者というものは、交通のルールは知っておるけれ
ども、その知っておることを守らない、実行しないところに非常に大きな問題があるわけで、言うなれば人間性の改造ということになりましょうか、人を改造することはきわめて不遜ともいうべき非常にむずかしいことだと考えますけれ
ども、しかしそれを行なわなければどうしてもだめである。たとえばアメリカでは、非常に道路は広いし、歩行者と車の分離が行なわれておる。中央分離帯も十分に整備されておる。立体交差も行なわれておる。安全施設も非常にたくさんある。そういった道路環境が十分に整備されておるアメリカにおいてすら、昨年の交通事故による死者は五万三千名であります。ベトナム戦争全期間を通ずる死亡者よりもはるかに多い死者が一年間に出ておるわけでありまして、私
どもは、
政府側の施策というものは、あらゆる重点を講じてやらなければなりませんが、しかしそれで事故が減るとか横ばいになるとかというものではなくて、やはり人の心に訴えるということで一般の人たちに対する安全教育なりあるいは国民的視野における安全運動というものが基本的に重要であるというふうに考えるわけであります。ただし、この安全運動というものは、中央官庁でいえば総理府が主になりまするし、地方でいえば県あるいは市
町村が中心になるべきでありまするけれ
ども、私
どもの
立場から、平生事故を取り扱っておりまして、こういうふうに持っていってほしいというような要望を現在
検討しておりまするけれ
ども、その要望を
関係のところに向けて、共同で安全運動を進めてまいりたい、かように考えておる次第であります。