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大谷参考人 本日、
過疎地域の振興の問題につきまして、国会の諸
先生方に格別の御理解をいただいておりますことを、
衷心より厚く
お礼申し上げたいと思っております。
過疎といえばまず
島根県、
島根県の中でも匹見町というほどに、
過疎では匹見は全国にうれしくない名前をはせておりますことを、まことに恥ずかしく思っておるわけでございますけれ
ども、しかしながら山村の問題で、死角になっておる、政治、
行政の日の当たらないところに、このような問題が大きく、あたたかい日を当てていただくというような時節になりましたことも、
都市問題がやかましくなっておるその対極の問題であるというところにあろうかと思います。いろいろ人の話を聞きますと、高度成長経済における一卵性双性児である、
一つの卵から出たふたごであるというふうなことをいわれておるし、あるいは高度成長経済の恥部であるということもいわれておりますけれ
ども、いずれにしましても国民総生産五十一兆円という世界第二位の実績をあげたことは、私は日本の山村におけるこうしたような問題が起きておる若年労働力の流出のおかげであるということを、山村
町村として声を高らかに胸を張って言える問題であろう、私はそのように解釈をしておる者の一人でございます。特に私のところの場合だけを中心に申し上げますけれ
ども、四十年度の
国勢調査におきまして二六・九%の
人口減少率を見たのでございます。あわてまして、きっそくどういうところに原因があるかということを追跡をいたしますと、三十八年豪雪においてはなはだしいところで半年、もっと便利のいいところにおいても数カ月というもの豪雪の中に閉じ込められて、働く意欲を持っていても、それだけの体力、精神力を持っていても働くことができ得なかったという問題。さらに三十八年豪雪というものが無防備の中に来て、そのまま根雪になって、五月のときまで雪があったというふうに、非常にショックを与えたこと、さらに引き続いて四十年あるいは四十一年の連続災害、こういうようなものが起きましたので、このような天災の連続するような
地域よりは、中国山脈を越えた山陽側におけるいわゆる太平洋メガロポリス
地帯における高度成長経済の姿を見ましたり、あるいはテレビというようなマスコミを通して、自分の生活と
都市における繁栄の姿あるいは働いている所得の
数字等を見ますと、やはり何か自分の生まれ故郷を越えていくことのほうに——現在の若い人たちあるいは若い人たちを中心にした、挙家離村もそうでございますが、そういうふうな、近いところにそういうところがあったということでございます。そのことが要するに
山陰型の挙家離村を伴う
過疎現象であろうかと思うわけでございます。先ほど出ました
東北の出かせぎの問題は、自分の農業経営が規模が大きいという問題、家族関係とかあるいは地縁の関係、歴史的な問題等ございまして、何かその中に自然にどっしりとした農村という
一つの重みを持っておりますけれ
ども、
山陰型といいますか、つい山を
一つ越えればもう高度成長の繁栄がかいま見えるというような
状態で、そういう
山陰型の
過疎現象あるいは
東北型の
過疎現象という違いが出ておることであろうと思います。
私たちのところで申し上げますと、先ほ
ども出かせぎの率が出ましたけれ
ども、
東北では二ないし三%であるけれ
ども、
島根は〇・七であるということでございました。しかしながら出かせぎによって入ってくる金は、いろいろマスコミを通しますと、第四
産業といわれるほどの、米作収入に匹敵するだけの所得が入ってくるわけでございます。われわれのところはそうでないし、また同じ出かせぎに伴います六カ月の失業保険の
適用の問題についても、
東北にはかなりゆるやかなる
適用が認められておるのにかかわらず、われわれのところでは、村の中で、町営で林業をやっておりますが、その失業保険の
適用の問題でも、かなり県の担当の課長さんと論議をしなければ失業保険の
適用がいただけないというような、そのような
状態でございますので、一がいに言えない。やはり
過疎現象というものは、その原因あるいは地理的な条件によっていろいろ複雑な様相をなしておるということが言えると思うわけでございます。
特にわれわれが心配でたまらないことは、出かせぎをしておるのでなくして、挙家離村に出ましたところの
過疎現象の
あとに残された耕地が、全く残された農家の人たちの経営拡大の中に結びつかないわけでございます。それは挙家離村した者は必ずしも成功者だけではございません。土地を離れた者の弱さというものは身にしみるので、その残存耕地というものは、まず自分が出ておりますのでつくらない、その次には人に貸さない、売らない。私はそのことを寝てかかると言っておりますけれ
ども、全く寝てかかった
状態でございます。これでは山村の耕地がスプロール現象を起こしまして、日本の国土が荒廃をするということでもございますので、本年度は挙家離村をした農家を追跡をいたしまして、少なくとも町がその管理をするようにしようという考え方を持っております。それがよくマスコミやその他に出てきますように、ススキのかなたの中に廃屋が並んでいるような写真が出て、われわれの町民から、そっとする風景が出るので、あのようなことに協力してはならないといっていろいろしかられておりますけれ
ども、事実があるのでこれもやむを得ないと思っております。
このような
状態の中におります私といたしましては、四十二年度に匹見町の町政振興基本計画という五カ年計画を立てまして、それで何とかこの対策をとろうという考え方で、町が責任を持てる対策、あるいは農林団体、
産業団体等が責任を持つところのいわゆる誘導
施策の問題、こういう二つに分けてその対策をとってまいりましたけれ
ども、それはやはり国や県の恩恵を受けない自主独立の、自分だけの力によるところのものでございますので、大きな力にはなっておりませんけれ
ども、しかしながらいま匹見町におきましての町政振興の基本的な原則は、やはり匹見町が立てました四十二年度におきまする基本計画でございます。ここに資料がございますので、
あとに残して帰りたいと思っております。
さらにまた山村振興法が出ましたので、山村振興法第二次の年に
適用を受けまして、いま三年目でございます。しかしながらこの山村振興法もようやく四年目を迎えておりますけれ
ども、
適用町村の多い関係上、いろいろな国の御援助の道が、当初の計画より減少しております。当初は一
町村建設省関係については五千万円、農林省の関係については三千万円といわれておりますけれ
ども、私らのところで四千六百万円
程度がいずれもいただけることになっておりますけれ
ども、それが実際手続をとりますと建設省関係が一年八百万円そこらしかいただけないということになると、四千六百万円もらうのが四カ年で三千四、五百万円、現在指定を受けておる
町村に至ってはもっとはなはだしい金額ではないかというほどになっておるのでございます。したがって山村振興法によって山村が振興するということは、われわれの考え方としてはいききか困難性があるやに思っております。
いずれにいたしましても、町といたしましては、国の援助
措置のある山村振興計画と町が自前で立てました振興基本計画との二つを車の両輪のごとくにして振興をはかっていこうという形で、いまどろんこになって町政を運営しておるわけでございます。その中で、やはり資金がないから困るというような面から、私は緑の工場といって、造林事業を行なっております。
島根県におきましては一
町村一工場というようなキャッチフレーズのもとに、いわゆる縫製工場その他の小さい企業の誘致をなされておりましたけれ
ども、担当の課長と県に出向いて相談をしたところが、おまえのところは国道が一ミリも通っておらぬ、鉄道が一センチも通っておらない、そのような山の中でもって、しかもでこぼこの県道では、企業誘致をしたところで行くものはおりやしないというようなことでございましたので、むべなるかなと思って、現在は造林事業を中心にしております。一千二百ヘクタールという実行面積を行なっておりまして、昨年度におきましては、森林開発公団の全国一位という成績で表彰も受けましたけれ
ども、これすらも将来の資金造成といいますか、財産造成の意味でやっておることではなくして、町民にただで金を配るわけにはいきませんし、また製炭者その他が職業がないというような場合について、町の公有林が二千九百ヘクタールございますが、この二千九百ヘクタールの造林事業と、また働く人たちはおるけれ
ども町有林がないときについては、部落の部落有林あるいは山林所有者の方々の了解をいただいて、三者契約によるところの造林事業を行なって、町有林を含めて一千二百ヘクタールの実行面積を行なっておるわけでございます。そうして百人ばかりの常用をいたしております。
また、将来の分収金はかなりな巨額な金額が入ります。おそらく二十五億以上の金が町の中に入ってきますけれ
ども、われわれは四十年先、四十五年先にはもうこの世の中におりませんし、いまの子弟がわれわれの恩恵を受けて、喜んでわれわれの意思を受け継ぐというほど私は期待もかけておりません。
しかしながら働いておる人たち、あるいは山林労務者がおるから山が美しくなっていくんだというような意味からして、働く人たちの企業年金制度を行なっております。このことはある生命保険会社と組みまして、企業年金制度で一人月額千円で、一万二千円の年額でございます。その半額を町費で助成して、五十万円ばかりの計上をしている。いま一番年の若いのが、十八歳の青年が労務者になっておりますが、これが六十五歳の定年のときには月に三万五千七百円の年金が十年間もらえることにしております。そうすると、国の年金がそのころは少なくて二万円ぐらいになるといえば、匹見町という山の中で六十五歳になったときの青年は、五万五千円をもって左うちわでやっていけるんじゃないかというふうな意味で、非常に喜んでいただいておりますと同時に、また青年帰郷のUターン現象すらも出ておる現状でございます。そのことは、造林事業というような息の長い問題と取り組んでおるものにつきましても、何かこの辺について、現在農林金融債とかその他等ございますけれ
ども、もっと長期で低利な融資の道を開いていただいて、特に山林が荒廃をしておりまする現在において、やはり山村の振興といものは造林という
産業を中心にしていくことが日本の国土を緑に返す、豊かな空間をつくることこそが大切な使命であると考えますので、そういう面で、そういうような事業ができるように格段に御
配慮をいただきたいと思っております。
何ぶんにも匹見町は三百平方キロという広い面積でございますので、山村振興法の
適用を受けまするときにはっきり割り切って、私はいわゆるへそ地区をつくろうという提唱をしておるわけでございます。そのことは、三カ村集まった村でございますので、旧村の役場所在地を中心にして半径二キロの円を開いて、それがへそであるということで、その三つのへそをじゅず状に近接の
都市につないでいって振興をはかろうということで、その他の、いまのへその地区からはずれたところは後背地として農林業の振興に助成をいたしましょう、公共投資その他のような形における施設投資は一切へその中に行ないますよということで、現在そのようなことで了解を得てやっております。その中でも特に、現在役場の所在地がございますところに、先般、豪雪山村開発
総合センターというものがりっぱにできたわけでございますが、それすらも近接のある
町村役場の職員が、豪雪センターとは農民が冬ごもりをするところか、あるいはじゅうたんの上を農民は恐縮しておそるおそる歩いているというふうな皮肉なことも新聞に出たとか出ないとかいうふうなことでございますけれ
ども、百姓の人たちが、町民が、じゅうたんの上を歩けないほどの卑屈感は持っておりませんし、また冬ごもりをするようなところではなくして、先般も農家の年寄りの方たちにも来ていただいて、泣いて喜んでいただいておるというのが実情でございます。
そういたしますと、
過疎地域の振興の問題についても、やはり拠点を与えてやって、その拠点の開発に資するところの、その拠点と隣接の
都市との間の道路整備をしてやることが大切であろう。現在いわれております広域
市町村圏の問題あるいは生活圏の構想の問題等、みなそういうふうな考え方であろうかと思いますけれ
ども、いずれにいたしましても、へそ地区とか、あるいは核
集落であろうが核地区であろうが、名前はともかくといたしましても、その村の中心になる、開発の拠点になるようなところをつくっていかなければ
過疎対策も山村振興もならないものだというふうに私は思っております。
人口の減少とか、そういうことについては申し上げません。
ただ、現在どういう面が困っているかということを申し上げますと、第一点は交通、道路の問題でございます。都会へ行くほど道路は整備をきれておって、住民にかかるところの負担は非常に軽いわけでございます。山へ行くほど道路は悪くして、またその負担率が非常に高い。われわれといたしましては、銀座であれほどの地価が上がるんなら、銀座のところをしっかりと地元負担金をかけるべきであるのに、銀座には
一つも道路整備に対する地元負担金はかけられない。山のようなところについては地元負担金がかなりかかるというようなことはあまりにも——私はたまには上京したときは銀座を歩きますけれ
ども、その辺のいわゆる地元負担、受益者負担についていききか公平が欠けたような感じを持つのも、山村
町村である私のひがみかもわかりませんが、そういうふうな
状態でございます。
さらにもう
一つの問題は、道路とは、ウサギが通る道路とかあるいはそろばん道路だとか、でこぼこ道路だとか砂漠道路とか、いろいろなことをいわれておりますけれ
ども、私はやはりアスファルトをされた道路こそがほんとうの道路であろうかと思います。そういたしますと、やはり隣接の
都市とその村の中心であるへそとかあるいは核
集落とか、そういうふうなところには少なくとも国の御援助によって、まず優先的にその間の舗装道路を一本だけつけておくということが必要であろう。今度の
措置法等を見ますと、幹線道路の指定を受ければ
知事さんが責任を持って事業をおやりになるというふうなことでございますが、それはその
地域内のことでございますので、
地域の中の中心の
集落と隣接の
都市とがそういうような形で結ばれるように、その辺に格段の御
配慮をいただきたいと思うわけでございます。道路はやはり住民生活の庭であり、生産の動脈であり、生活や文化における必要欠くべからざるところの
一つの導入路でございます。しかも、道路を整備することによって
都市からはずれたところの距離を縮こめることはできないけれ
ども、道路整備によって経済的な時間距離の短縮はできるわけでございます。
私
どものところで現在自動車を持っておるものが、昨年の春に調べましたところが、農家が五・一戸で一台の自動車を持ったわけでございます。ところが、先般御存じのように石見交通という
バス会社がございますが、それが連続三日のストライキを繰り返しをされたというような関係で、ちょうど上京するまでに調べたところが、二・六七戸で一台の自動車の普及の
状態になっておるのでございます。そのことは、いなかの
過疎地帯における
バス企業というものは成り立たないということでございます。成り立たないからといってストでいろいろ迷惑をかけると、住民は金があるとかないとかでなく、自衛手段として、自分の生活は自分で守るよりしかたがないということで、山を少し奮発をして売って、その金で自動車を買うということになるわけでございます。したがって、自動車を持たせること、あるいは自動車を持っていただければまず挙家離村はしないというふうにわれわれは考えておるわけで、台がきれいになって、自動車が入れば、あそこの家は挙家離村はしないのだというふうに解釈をするほどに、自動車の普及ということが山村住民をそこに定着きせるところの
一つの生活上の必要欠くべからざるところの用具になっておるわけでございます。したがって、いまそういうような人たちの利便をはかる上におきましても、やはり道路の整備ということ、いわゆる舗装道路による整備というものは必要であろうかと思います。一番遠くへ行ったのを調べてみますと、南に向けて鹿児島に行ったのがございます。東へ向けては名古屋まで行っております。匹見町という山の中での自動車を持った行動半径というものはそれほど広い広がりを持っていることからいたしましても、山村における道路という問題は簡単でない、非常にウエートの高い、喜ばれるものであるということを御認識いただきたいと思うわけでございます。
さらにもう
一つは教育の問題でございますけれ
ども、現在若年労働力が出ております関係上、子供を生産する能力の薄い者ばかりがおります関係上、学校に非常に難儀な問題が出ております。中学校が三つ、四つありまして、そうしてそこで寄宿舎を持っておりますけれ
ども、その寄宿舎の維持費につきましても純町費を五百万円ばかり超過負担として継ぎ足しをしなければならない。小学校が十三ございますけれ
ども、三百平方キロの中にございますので、はなはだしいところは生徒が四名で一校というのもございます。六名で先生一人の分校場もございます。それなら統合すればいいじゃないかという問題でございますが、統合することは簡単でありますけれ
ども、統合することによってその
集落を崩壊に追い込むということは、やはりがんばっている住民の心理の上からいきましても、力ずくでやるべきではないというふうな意味で、われわれはそのように考えております。
教育の問題については、私はほかの新聞にも出しましたけれ
ども、いなかの町長はちょうどチャボみたいなもので、卵をふ化することが上手であるから、しっかりふ化をしろ、戦争中はああしたような、兵隊さんにしっかり出し、あるいは戦後において労働力を全部出したわけでございますけれ
ども、しかしせっかくふ化したものが、出てみればみんなヘビであって、都会という池の中からなかなかいなかのチャボの巣の中に帰ってこないというような意味からしますれば、私は何も山村の
町村長はふ化能力のいいチャボではないわけでございまするし、また農山村がふ卵器であってはならないと思うわけでございます。
そういうような意味からいたしましても、やはり人間尊重ということばが叫ばれる限りは、やはり
都市と同じような豊かな恩恵を受けられるように山村
地域の開発ということが行なわるべきであろうと思っておりますし、あるいは教育の問題につきましても住民とひざを交えて、納得したところで教育の統合、学校校舎の統合というようなものを行なうことにいたしております。あるいは保育所等も行なっておりますが、保育所には六百三十万円出しております。教育の小中学校の関係と保育所だけで一千百万円という超過負担を行なっておるわけでございます。
さらにまた国民健康保険の運営にいたしましては、直営診療所を二つ持っておりますけれ
ども、
一つは無医地区でございます。それすらも直覚診療所の赤字が六百万円ばかりございます。これらの問題も、健康保険については関係ございませんけれ
ども、国民健康保険は健保をはずれた方々で、要するに成人病という長い、一挙にはなおらないような病気の方々がみんな国保の対象者になられるということで、今後、将来における国民健康保険の運営というものは非常に悩みの種でございます。
それから農林業の振興の問題等につきましては、別な
機会に私は申し上げたこともあるわけでございますけれ
ども、現在の農協と森林組合が別々でございます。役員はほとんど同じでございます。農協はいわゆる流通の中にあぐらをかくとか、あるいは森林組合は睡眠組合だとか、いろいろな悪口も出ておりますが、いずれにいたしましてもそれらの団体が、
地域によれる
産業団体が
地域の
産業の振興の上に役立つようにするためには、ああいうようなこだわりを持たずして、農協と森林組合が共通の役員の中に、
一つの考え方の上に立って村の振興をするということになれば、もっとよりよく合理的に効果のあがるような運営ができるのではないかというふうに私は思っております。しかしながらこれらも法の関係上なかなかできませんけれ
ども、私をして言わしめれば、金融機関を持っておる右の看板は農協で、左の看板は森林組合を掲げておいて、組合長は農協の組合長、常務は森林組合長というふうな形でもでき得るものでございます。そのでき得ることができ得ないような
状態の中にあることを非常に残念に思っております。いずれにいたしましても、山村の狭い中におけるそうしたような
総合運営ができるように、またそういうような
配慮の道もあけていただきたいと思うわけでございます。
ただ、問題は、先ほど
長野の
知事さんもおっしゃいましたように、要はそのところにおる住民の意欲といいますか、意識いかんがやはりほんとうの
過疎地域の振興、あるいは山村の振興につながる問題だと思っております。とかく山の中におる者は、パール・バックの「大地」の農民心理ではございませんけれ
ども、どうも自立心よりは依頼心が強いし、人を信頼するよりは疑心暗鬼のほうに傾きやすいわけでございます。したがって、義務の履行の問題よりは権利の主張が先になるというようなことはいなめない事実でございます。
私もこの間から町内のいろいろな会合をのぞきます場合に、
過疎現象を起こしておるところの人たちに、皆さん方が一番悪いことをひとつこれからやめていただきたいということを訴えて、そのととは、まず住む気がない、自分の村の中に、匹見町の中に住む気がない、住む気を起こしなさい、もう
一つは学ぶ気がない、もっと世間のことを学んで、井戸のカワズであってはいけないから学びましょう。そうして住む気を持ち、学ぶ気を持ったならば、立ち上がってひとつやる気を起こしましょう。——要するにこれを三種のせぬ気といいますが、三種の神器ならいただけるけれ
ども、三種のせぬ気はいただけないから、どうかひとつそういうことのないように、新しい三種の新気でひとつやりましょう、する気でいきましょうということで、大いにやろうということで、たまたま豪雪センターもできましたので、いろいろな会合を通してそういうふうに住民意識の高揚をはかっておりますけれ
ども、たまたまそういうような声にこたえていただいているような現状であるわけでございます。
いずれにいたしましても、山村における特に
過疎問題という難儀な問題は一挙に解決できる問題ではございません。あるいはその対策はばんそうこうのこう薬ばりであるとか、あるいはびほう策であるとか対症療法であるとかいわれておりますけれ
ども、それなら根本的な解決がすぐない限り、あるいは現在の問題は解決が不可能である、非常に困難な問題だからといって山村をこのままに放置しておいていいという問題ではなかろうかと私は思うわけでございます。二十一世紀の繁栄というものは、都会だけのものではなくて日本国民全体の者が受けるべきものであろうかというふうに思っております。豊かさへの挑戦というようなことばがこのごろ出ておりますけれ
ども、ほんとうの豊かさへの挑戦ということは、
過疎問題を挙党あげて各会派の
皆さま方がいろいろな感情を越えられて取り組み合っていただいて、ほんとうにわれわれ山村の者がその意欲にこたえて存分に足をふんばって、
過疎対策ができるように
過疎立法を実現していただくことこそがきわめて大切であるというふうに思っておるわけでございます。
まことにぶしつけなことばかりを申し上げて失礼でございますけれ
ども、豪雪センターをこしらえましたその銘の中に、どんなに見ても聞いてもしゃべっても、それはしたことにはならない、したことだけがしたことになるということばを私は入れたわけでございます。どんなに見たり聞いたりしゃべっても、したことにはならない、したことだけがしたことになる。私たちは
過疎の問題についてどろんこになって真剣に立ち上がっていこうと、また全国の中の七百七十六の
町村の中で私は最右翼のりっぱな
過疎の村づくりをしてみせるという意欲に燃えている者の一人でございます。どうかそのひなびた山村におります私の心を裏切らないように、われわれのその勇気を、われわれのその気持ちを生かしていただくように、
過疎立法がぜひ実現いたしますように
皆さま方の格別の御尽力を
お願いを申し上げて
意見を終わりたいと思います。(
拍手)