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藤田参考人 私は
小笠原復帰協会の常任
理事をしております
藤田でございます。
私は、
小笠原旧
島民の立場に立ちましていろいろ申し上げてみたいと思うのでありますが、
小笠原諸島が
返還されてからもうすでに一年を経過いたしました。
返還された
小笠原諸島は、われわれがいままで考えておったようなものではなくて、非常に荒廃しておりまして、復興の容易ならぬというこ
ともよく存じております。また、旧
島民が帰りましてそこに定着するというこ
とも簡単なものではないというこ
とも、十分私
どもも考えておるのでございます。しかし、
小笠原諸島が、
島民の側に立ってみますと、とにかく二十余年も待ちこがれて、とにかく帰島の悲願をかけて帰ってきた島でございますので、
返還されればすぐにでも帰島ができるものだ、こういうふうに思い込んでおった者が決して少なくなかったのであります。気の早い者は、帰島するために
土地も家屋も、内地に持っているものは売ろうとしたという者、また離職までして帰島の態勢を整えるといったようなものも数々あったのでございます。しかし、帰島という問題はそう簡単なものではないということが最近わかりまして、一応は旧
島民の心も落ちついてはおりますが、その心情は実にこんとんとしておりまして、一年もたったのに一体何をしておるのかという声と、また当局の施策、具体的な案を発表されていないために、もう帰島の意欲を失っておる者、また年をとりまして、もはや
小笠原へ行っても働くことができないから、いっそ
土地を売ってしまいたいといったような考えを持っておる者、あるいは売っておる者もあると思います。実に楽観を許さない
状態になっておるのは、
先ほどいろいろお話もございましたように、
島民の立場に立ちますと、非常に
心配ごとが多くなっておるようなわけでございます。
帰島の希望者はどのくらいあるかということをいままで聞くのでございますが、現在のような実情から申しますと、帰島者が少なくなるというのはおそらく当然のことではないかというふうに考えられるのであります。ことにまた、
先ほどもお話がありましたが、硫黄島のごとき、遺骨の収集とか不発弾の処理とかといったものは全く見通しがついておらないという
状態であります。また
返還後暫定
措置法ができまして、島に渡っても小屋がけ
一つもできない。また自分の
土地であっても、そこに苗木一本も植えることができないというような
状態でございます。こういうことは、
復興法ができますれば復興審議会ができるのでございますから、審議会においていろいろ決定されると思いますけれ
ども、
島民の一部からは、一体
小笠原協会あたりも何をしておるのだという声が非常にありまして、私
どもも実に困っておるような
状態でございます。したがいまして、私
どもはいま御審議を願っておるこの
復興法が一日も早く国会で
成立するように、まずすべてはこの
復興法待ちである、こういうふうに考えておる次第でございます。しかしこの
復興法が
成立いたしますと、この
復興法の実施の
段階におきまして、いろいろ
先ほどの御
意見も伺いましたが、いろいろ問題があるのではないか、またわれわれの要望したい点も多々あるのでございます。
まず、それにつきまして二、三申し上げますと、第一の問題は、
小笠原の
産業開発の問題でございます。最近いろいろ御
調査が行なわれまして、
小笠原の
産業はどうもあまり見込みがない。内地における
農業技術の進歩とか、あるいは害虫が蔓延しておって、何をつくってもだめだ。それから農耕地は荒れほうだいに荒れておって、これもまた耕すのにたいへんだ。また水が不足であってどうにもならないじゃないか。したがって、
小笠原の
農業はあまり見込みがない。また
水産業におきましても悲観的な要素がいっぱいであって、見込みのあるのは
観光だけではないかというようなこ
ともいわれております。
このようなことは、私
どもの考えから申しますと、全くこれはまだ
調査が行き届いておらないというふうに、私はこの
一言に尽きるのではないかと思っております。時間がないのであまり詳しいことは申し上げられませんが、
小笠原の農産物は何が適作であるか、こういう点につきましても、まだ詳細な
調査もできておらないようであります。いま美濃部さんからのお話で、
大内教授の一行が参られまして、それで何か結論を出すというような御尽力をなさっておるようでございますが、
小笠原の
農業、これはただ一例をあげますと、戦前の
小笠原の
農業などというのは、いまは考える必要はない、だめだというようなことを言っています。けれ
ども、
小笠原の戦前の
農業のまず大きな産物として出しておりましたものにカボチャがございますが、いまカボチャは大体大阪が非常に大きな消費地でありまして、二月から四月の価格が一キロ当たり百八十円から二百二十円しております。平均価格が二百十円でありまして、
小笠原のカボチャの適期が十二月から四月でありますから、かりに十アール、一反歩当たりの収量を二千キロとしまして、ごく内輪に見積もっても千八百キロでございまして、この反収三十七万八千円ということになります。運賃諸がかりを全部差し引いても二十五万円の手取りになるというふうに
小笠原の
人たちは考えているようでございます。需要の面では、大阪の業者一人でもって、千トンだけは私が引き受けてもいい、また金を出してもいいというぐらいまで激励してくれている方もございます。これは単なるカボチャだけの問題でございますけれ
ども、
小笠原農業の適作物としましては、
観葉植物がいいことはこれはもう問題がありません。またプリンスメロン、ハネジューメロン、スイカ、こういったものが非常に有望でありまして、反収百万円はとれるだろうというような計算もできておるのでございます。害虫がふえたために、また農地が荒廃しておるために、また水がないために
小笠原の農
産業がだめだというような考え方は、非常にこれは当を得ておらぬ、こういうふうに私
どもは考えておるのであります。
害虫の問題につきましては、
小笠原のような大陸と離れた
場所であれば、駆除をするのにこれは決して問題ではない。やる気さえあればこれはもう必ずできるものと思っております。戦前私
ども引き揚げる当時も、若干のミカンコミバエとかアフリカマイマイとかおりましたけれ
ども、別に農作物がこれによって被害を受けたというようなことはありませんでした。二十余年も放置されましたためにふえたのでございますから、これは当然金をかけてもこういうものは退治していただきたい。
また
農業用水の問題でございますが、戦前水不足で作物が枯死したというようなことは例がほとんどありません。また戦前にダム
一つなかった
小笠原のことを思いますと、適所に小型のダムをつくる、あるいは地下水を利用すれば、水の
心配などというものは全くないというのが
小笠原島民の一致した考え方でございます。
また
漁業におきましても、魚が少なくなった、そういうことはないのでありまして、
漁業を行なうための諸
条件の不備、これが原因しておるのでありまして、悪口を言いますならば、
行政指導が誤っておった、こういうふうに私
どもには考えられる節が非常に多いのでございます。
小笠原の戦前の
漁業は
相当の成績をあげておりまして、そのことを考えますと、
小笠原の
漁業は決してだめというようなことは私は断じてないと思うのであります。
このように考えてみますと、
小笠原の
開発は、まず
農業と
漁業を基幹
農業として、これに重点を置いて
開発を始めていただきたい。
観光事業の適切なことはすでに論ずるまでもございませんが、八丈島とか大島というものはいま
観光、
観光で盛んに騒いでおりますが、これは実際言うと、私
どもの
調査では
島民から遊離しておりまして、ただいまお話もございましたが、一部の業者の利益の対象となっておるようなものでございまして、
観光開発を行なうといたしましても、
島民の
生活と密着した
開発を行なっていただかないことには、
島民はこれによって利益することがほとんどない、こういうふうに一般
島民は考えておるようでございます。したがいまして、
小笠原の
開発はまず
産業に超重点を置いて
開発を考えていただきたいというふうに私
どもは考えておるのでございます。
第二の問題は、
小笠原の
開発は各島同時に
開発に着手していただきたい。御
承知のように、この一カ年の
小笠原にかけた費用が六億ですか十億ですか、けれ
ども、これは
父島の旧大村の環境づくりにほとんど全部かかっておりまして、その他の
母島のごときは大体その費用の五%程度ではないかと思っております。
母島を例にしますと、船着き場の修理ができたこと、また百坪ほどの建物が一戸共用住宅としてできたこと、そして沖村と北村間の道路の一部が伐開された程度でございます。また硫黄島のごときは、厚生省が、
先ほどのお話もありましたように、ほんのわずかな遺骨を一回か二回かそこら収集したにすぎないのでありまして、この硫黄島を一体どういうふうにするかということについてはまだ何らの策もないように私
どもは考えるのでございます。したがいまして、私
どもは、
産業に重点を置いて
小笠原を
開発していただくということならば、まず
母島である。
母島はとにかく
産業の
中心地である。また
父島におきましては扇村が
産業の
中心でございまして、
母島の
開発と扇村の
農業の
開発を十分今後検討していただきたいというふうに考えておる次第でございます。また硫黄島の問題も、これは
産業という面ではなく
とも、硫黄島の
島民を一体どう扱うのかというふうに、ひとつ積極的に硫黄島問題も取り組んでいただきたいと思うのでございます。
第三の問題は、宅地の造成と住宅問題であります。旧
島民が帰島する場合、最も関心を持っているのはまず
父島の問題ではないかと思うのでありますが、現在
父島のグリーンベルト地帯、あの地帯はもと
父島の心臓部でございまして、市街地でありました。いまはすべて公園となっておりますが、
父島に
観光を将来発展させるためには、ああいう地帯を残すということは必要ではないかと私は思うのであります。けれ
ども、一体それではあれを取り上げるならばどの地点に住居を置くのか、市街地をどこにつくるのかというような問題、またこの
土地を何か国や都は非常に二束三文で買い上げる
計画を立てておるというようなうわさも流れまして、非常に
島民もこんとんとしておるような
状態でございます。
現地の住民に対しては暫定
措置法で十カ年の借地権が約束されておりますけれ
ども、これから帰ろうとする
人たちにとってはまだ何の
措置も考えておらないというのが現状ではないかと思うのであります。このように考えまして、私
どもはこの
父島の現在グリーンベルトになっておる
土地の取り扱い方等につきましては、十分これは復興審議会で決定されるものと思いますけれ
ども、ただ公共の用に供するというようなことだけの理由をもって旧
島民の権利と利益をそこなわないように、ぜひ
ともお願い申し上げたいと思うのであります。
第四の問題は、水の問題であります。いろいろ水の問題では
小笠原のたいへん大きな問題となっておるようでございますが、
先ほども申し述べましたけれ
ども、
小笠原に水がないというのは、これは実際において
調査がよく行なわれておらぬ。水がないというのか、また水がなくなっておるというのか、こういう問題が問題ではないかと思うのでありますが、今後
小笠原の
産業を振興するためにも、
観光事業をするためにも、水がないのであっては
計画はおぼつかない。したがってこの水の問題というものは
小笠原の死命を制する重大問題である。しかし戦時中に
父島に約二万人の軍隊がおった。あるいは二万人に多少欠けたかもしれませんが、それくらいの軍隊がおったことはわれわれもよく知っております。その場合でも、小さなダムと地下水で事足りておりました。また
母島にも
相当大きな部隊が駐留しておりました。これはほとんど地下水で事足りておりました。水が不足しておるという問題は、とにかく二十余年も放置されておりましたので、河床が全部荒れて、山くずれとがけくずれのために川が全部とまってしまった。そしてその水がよそへ漏れておるのではないか。水がないのではなくて、水がどこかへ逃げておる、こういうのが一般に考えられる真相でございます。よって、こういう問題は、たとえば口だけをのぞくのではなくて、奥まで行きまして、十分の
調査をされて、そして小さい小型のダムでも建設されるならば、この問題は
たちどころに解決できるのではないか、私
どもはこのように考えております。
第五の問題は、
空港の問題であります。
小笠原に
空港を建設することは、多額の費用がかかる問題でありまして、難点があるというような問題、また
小笠原を
観光の島とするならば、
空港設置は絶対的
条件でありますが、今日では
空港のない、洋上の一千キロも離れておる島に、ただ荒波を渡って船だけでもって行くというようなことでは、これは
観光としてはおそらく成り立つものではないのではないか、このように考えておるのでございます。この場合、
父島でなくてはいかぬ、
父島が
中心であるから
父島に
空港をつくるのが当然だ、私
どもはこれは当然のように思っておりますが、
母島も決して見捨てた
場所ではありません。
空港をつくる
条件としては、むしろ
母島のほうがいいというように、私
どもは運輸省からいろいろな資料もいただいてよくわかっております。
父島でなくては
空港の価値がないというような考え方は、これは私はひとつどうかと思うのでございまして、とにかく立地
条件のよろしいところに
空港をつくっていただきたい。
父島と
母島は全く指呼の間に位しておりまして、とにかく船足の速い船ですと、いままでの記録では一時間十五分で
父島、
母島を結んでおります。またその他の船でもわりあいと速く結ぶことができるのでありまして、四十時間もかかりまして荒海を渡って行くというようなことを考えますと、
母島であっても
父島であっても
小笠原に
空港をつくる、こういう
一つの問題が解決されるならばどちらでもよい。また
父島の
人たちは、あの狭い島の頭の上にじゃんじゃん
飛行機がくるのでは困るから、
飛行場は別の島につくってほしいというようなことを言っておるが、
父島の
島民の問題でございますので……。ただ
小笠原というものはあれだけの
場所に点在しておりますけれ
ども、
父島であっても
母島であっても、どの島であってもいいから、ひとつ
空港だけはつくっていただきたいというのが
小笠原島民の一致したお願いでございます。
第六の問題は、
小笠原に一日も早く自治制をしいてもらいたい。
小笠原の
開発、復興は、旧
島民の権利や要望に関する問題が非常に多いばかりではなく、これからの
調整に関しましても、住民の協力に待たねばならぬものが非常に多いのでございまして、
現地の方からも、早く自治制をしくようにおまえ
たちは運動してくれというような声もたびたび聞いておるような
状態でございますので、自治制をいかにして早くしくかということについても御検討願いたいのでございます。
第七の問題は、これは私
どもの日ごろの念願でございますが、帰島者の援護の問題。
小笠原諸島の住民は、御
承知でもありますように、戦時中手荷物三個を持っただけで引き掲げてまいりました。以来二十余年にわたって帰島もできない、財産権の行使もできない、こういうことは
奄美大島とか、それから沖繩の住民とは全く異った立場に置かれてまいったのでございます。引き揚げ後の苦労につきましては、これは一々申し上げませんけれ
ども、親子心中をする者、一家心中をする者、こういった者も数々ございまして、また硫黄島のごときは、残留させられた青壮年は全部
現地において玉砕しました。柱を失った硫黄島の引き揚げ民というものは、引き揚げられてきてから、非常に苦労されておったのでございます。このたび二十余年の悲願が達成されまして、いざ帰島という
段階になりまして、これは実際現在の
状態では終戦処理の
段階にまだあるのではないか、こういうふうに私
どもも考えておるような次第でございまして、したがいまして、
小笠原島民が帰島する場合、ひとつ広範な面にわたって特段の援護
措置をお願いしたい。
最後に、私
どもは、この
復興法が一日も早く審議を終わって
成立するようお願いいたしまして、私のお話といたします。ありがとうございました。(拍手)