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1969-07-02 第61回国会 衆議院 地方行政委員会 第47号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十四年七月二日(水曜日)     午前十時二分開議  出席委員    委員長 鹿野 彦吉君    理事 大石 八治君 理事 塩川正十郎君    理事 古屋  亨君 理事 細田 吉藏君    理事 保岡 武久君 理事 山口 鶴男君    理事 山本弥之助君 理事 折小野良一君       青木 正久君    桂木 鉄夫君       亀山 孝一君    吉川 久衛君       渡海元三郎君    水野  清君       山村新治郎君    井岡 大治君       太田 一夫君    細谷 治嘉君       依田 圭五君    門司  亮君       小濱 新次君    林  百郎君  出席政府委員         自治政務次官  砂田 重民君         自治大臣官房長 宮澤  弘君         自治省行政局長 長野 士郎君  委員外出席者         参  考  人         (東京都議会議         員)      久保田幸平君         参  考  人         (東京総務局         行政部長)   佐藤 八次君         参  考  人         (財団法人小笠         原協会常任理         事)      藤田 鳳全君         参  考  人         (東京都知事) 美濃部亮吉君     ————————————— 七月二日  委員小川新一郎君辞任につき、その補欠として  大野潔君が議長の指名で委員に選任された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  小笠原諸島復興特別措置法案内閣提出第五六  号)      ————◇—————
  2. 鹿野彦吉

    鹿野委員長 これより会議を開きます。  小笠原諸島復興特別措置法案を議題といたします。  本日は、本法案について、参考人として、東京都議会議員久保田幸平君、東京総務局行政部長佐藤八次君、財団法人小笠原協会常任理事藤田鳳全君、東京都知事美濃部亮吉君、以上の四名の方々が御出席されております。  この際、参考人各位一言ごあいさつを申し上げます。参考人各位には、御多用中のところ、当委員会に御出席をいただきまして、まことにありがとうございました。本法案につきまして、それぞれの立場から何とぞ忌憚のない御意見をお述べ願いたいと存じます。  なお、議事の順序でございますが、初めに、御意見をそれぞれ約十分程度にとりまとめてお述べいただき、次に、委員諸君からの質疑に対してお答えをお願いいたしたいと存じます。  美濃部参考人には、所用のため午前十時二十五分御退席になりますので、まず美濃部参考人に御意見をお述べいただき、委員からの質疑に対してお答えをお願いいたします。  なお、美濃部参考人が退席された後の東京都当局に対する質疑は、佐藤参考人お答えをお願いいたします。  それでは美濃部参考人にお願いいたします。  美濃部参考人
  3. 美濃部亮吉

    美濃部参考人 御承知のとおり、小笠原返還されまして二年目に入ったわけでございますが、最初の一年目は、私といたしましては、最大小笠原対策中心を、できるだけ円滑に返還が進むように心がけてまいったつもりでございます。返還前に、昨年の六月の初めに、まだ米軍占領下時代に一度参りまして、島民とも話し合いましたが、彼らの最大の不安は、一つは、返還された後の島民生活がどうなるであろうかということと、子供たちが、いままでは英語でアメリカ的な教育を受けていたのが、返還後その教育がどうなるだろうか、この二つの不安が最大のものであったように思われます。そこで、返還後の島民生活子供教育を、できるだけ円滑に日本式教育に変える、そのことに努力を集中してまいりました。それで、まずまずその二つは、もちろん若干の不満は持っておりますけれども、それほど大きい不満なしに今日に至っておると思います。  島民の現在持っております要請と申しましょうか、不満は、最大のものは、いま住んでいる土地、これは占領時代米軍が、詳しいことは私存じませんけれども、建てさせたところに家を建てているわけでございますが、返還後は旧所有者に返るわけであって、三年の猶予期間はありますものの、地代がどのくらいになるだろうか、立ちのきを命ぜられたときにどうなるであろうと、そういう不安と申しますか、不満最大のものであるようでございます。  それからもう一つは、前の旧小笠原島民帰還した場合に、現島民との間にいろいろな問題が起こる。どういう問題が起こってくるのであろうか、二十年すっかり離れている旧島民が帰って、その人たちとうまくやっていけるだろうか、そういう二つの不安が相当強いように見受けられました。  それはさておきまして、いよいよ二年目に入りまして、二年目にいよいよ小笠原開発を進める順序になりますが、そのときの準備あるいは調査その他を一年目にできるだけ進めておきたい、そういうふうに考えておりまして、相当に道路もできましたし、水も現在はまだ不足がちでございますが、水の資源の拡張の計画も立っておりますし、若干の開発計画を推進する基盤的なものは一年目につくり上げたつもりでございます。しかしながら、そこで最大の問題は、小笠原をどう開発していくかという問題で、あるいは終局的な小笠原の姿はどういうものであるべきかというビジョンをまず立てなければいけないと思います。それで、それについては東大教授大内力君を団長として、五月に調査をしてもらい、いまその結論が出るのを待っているところでございますが、私の考えますところは、開発産業としての開発は、何といっても水産業農業と、それから何と申しましょうか、観光事業と、その三つであると思います。しかし、その三つともに非常に困難であるということを考えております。漁業はすでに始まっておりますけれども、現在のところは赤字を出しておりまして、現在の漁獲高をいまの約倍にしないと収支償わない、倍にふやすことが最小限度であるというふうに感じておりまして、どうしたら漁獲高を倍近くふやせるかということを考えねばならないと思っております。  それから農業を発達させますためには、第一には小笠原諸島農業を営み、そこから農産物を生産するわけでありますが、どういう生産物が一番適当であるかということをまず農事試験場中心としてきめなければならないと思います。それから第二に、土地問題がたいへんな障害になっておりまして、登記面と実際の土地所有の境界とがごちゃごちゃになっておりまして、ことし法務省が計測いたしましたけれども、いまの状態でまいりますと父島母島全部をあれするには約十年かかるということでございまして、何しろ土地所有関係が明確にならなければならないということと、それから御承知のようにここにはアフリカマイマイとミカンコミバエという農作物の大敵がおりまして、これをどういうふうに駆除するかという第三の問題がございます。それから水に欠乏しているところでございますので、かんがいの水をどういうふうにして入手できるかという水の問題がございます。大体そういう問題が解決いたしませんと、農業はやり始めても失敗するおそれが十分ございます。  それからレジャー産業につきましても、これは金が島に住んでいる人たちのふところに入るようにするためには、伊豆諸島の夏に行なわれますように、テントを持って学生が遊びに行くというような形では金が落ちません。したがって、ホテルにとまるくらいの余裕のある人たちを引きつけなければなるまいと思います。そうするとどこにどうホテルを建てるのかという問題、それからもっと大きい問題は、輸送機関をどうするか、少なくとも飛行機の発着が必要なのでございますが、父島には適当な場所がございません。母島にはあるにはありますけれども、造成するのに非常に金がかかります。さらに母島に来て父島に行くのに三時間船でかかりますので、ヘリコプターで運ぶというふうなたいへんな問題がございます。  それで、こういうふうに漁業農業もそれからレジャー産業も、発達させるための前提条件を整えてから計画的に進めませんと、非常な失敗におちいるおそれがある。そこで私は国ともよく御相談をして、早急に小笠原の終局的にあるべき姿をきめて、そしてそこまでに到達するための長期計画あるいは中期計画をきめて、さらにもう予算の決定も迫っておりますので、できるだけ急いでそういう計画の中において来年何をするかということを早急にきめるべきではないか、そう考えております。  非常に簡単でございますが、小笠原について私の考えておりますことを若干述べさしていただきまして、あとは御質問がありましたらばそれにお答えいたしたいと思います。     —————————————
  4. 鹿野彦吉

    鹿野委員長 美濃部参考人に対して質疑の申し出がありますので、これを許します。細田吉藏君。
  5. 細田吉藏

    細田委員 美濃部知事に、時間もあまりございませんので、ごく簡単に御質問申し上げます。  いま非常にとりまとめて小笠原のいろいろな問題についてお話がございました。私どもも一々ごもりともな点が多いと考えておるわけでございます。他の野党の皆さんの御質問もございますので、まとめて端的にお答えいただきたい。知事として現在の時点政府に最も強く望まれるもの、たくさんあると思いますけれども、ひとつこれを率直におっしゃっていただきたい。これは今日の状態では困るんだというような点をひとつ端的に、網羅的でなくてようございますから、おっしゃっていただきたいと思います。  それから、実は私は観光仕事輸送仕事を長くやっておったものでありますから、いまの御説明の中で若干ひっかかることがあります。ということは、何か観光レジャーというものはキャンプというものが来てもどうかという御発言がございましたが、そういうものも来るようでなければ観光地というものは成り立たないので、私は、そういうものも大いに来てもらうということで、それから、もちろんそれだけではいけないというようなおっしゃり方をしていただきたいと思うわけでございまして、大いにキャンプも、学生諸君というものはまっ先にパイオニア的に行っていただくということが観光地として育てていくのには適切だ、もちろんそれだけでは十分でありませんが、そういうふうに私は思っております。何といいましても私は交通機関が大切だと思うのでありますが、これについては、この法案がかかりましてからいろいろ審議の過程で出ておりますけれども、この間私ども行って見てまいりましたが、何としても空港の問題と港湾の問題、従って航路の問題とは早急に解決しないと、将来の問題は別にしましても、現在ただいま開発を進めていく上にたいへん困難があるという点もあるわけでございます。そこで、ただいま空港などにつきましてもやや断定——断定なすっておるわけではないと思いますけれども、私は技術の専門家ではありませんが、まだまだその余地があるのではないか。ことに空港につきましては、私は開発の一番拠点になるところに空港をつくってもらう必要がある。これは場合によりましては金がかかっても、多少不完全であっても、あぶない飛行場では困るわけでありますけれども、大型のジェットが必ずしも着かなくても、一番中心になるところに飛行場をつくりませんと、そこからのヘリコプター輸送だとか船でまた運ぶとかいうことは、これは言うべくして、長い間にわたってたいへんな損失だと思う。そういう例も私どもたくさん見ておるわけでございますので、私行ってまいりまして、どうしても父島中心なら父島に、母島中心に今後開発していくというなら母島でありましょうが、私が見たところではやはり父島に万難を排して飛行場をつくるほうがいいのじゃないか。もっとも専門家が見てどうしてもだめだというものはだめなんでありましょうが、港湾の問題、空港の問題、これにつきましては特にひとつ政府との間に緊密な連絡をとって、将来を考えた計画をぜひお願いしたい、かように思っておるわけでございます。どうも意を尽くしませんが、時間がありませんので、他の党の皆さんもございますから、以上二点だけお答えいただきたいと思います。
  6. 美濃部亮吉

    美濃部参考人 最初政府に何を一番望むかと申しますと、率直に申しまして、先ほど申しました土地権利関係をできるだけ早く調査してほしい。いまのように十年かかるのでは、やはりどうにもならぬ。そのことにつきまして、これはやはり政府に望む一つになるのでございますが、全部の小笠原農業が営め得る条件を備えてから帰島させるのでは非常に長くかかる。そこで、たとえば父島では扇浦のあそこにまず条件を備える、母島では評議平にまずやる、そういうふうにして、地域別に帰島を順次させていくほかないと思うのでございますが、それをできるような措置を講じていただきたい、そう存じます。  それから次に、学生キャンプの話でございますが、私は全く御意見と同じで、それをシャットアウトするのではない。ただ産業としてのレジャー産業は、学生キャンプでは成り立たない。それだから、産業としてのレジャー産業をするためには、やはりわりあいに大衆的なホテルと、やや上級と、そしてある場合においてはデラックスと、そういう三段階なり四段階ホテルを建設しなければならぬ。そこで、先ほど申し上げませんでしたけれども最大の悩みは、その場合も水だろうと思います。  それから交通関係についても、全く御意見と同じで、その開発しようとする島に空港がなければだめだ。それですから、私、母島に置くというのにはあまり賛成でございません。ところが父島には、どうしても場所がないのでございますね。そこで先ほどは、やや私の一人合点で、言うのを控えたのですけれども飛行艇が使えないだろうか。いま日本は、世界で最優秀の飛行艇がつくられていて、いまは自衛隊からの注文でいっぱいで、すぐにはできないとかいう話でございますけれども飛行艇を使うということを考えるべきではないだろうか、そう考えております。
  7. 鹿野彦吉

  8. 依田圭五

    依田委員 それでは、たいへん時間がないので、急いで簡単に御質問いたします。  美濃部知事さんは、従来平和な島をつくられるということを非常に念願になさっておったのですが、暫定法もでき、またこの法律、五カ年法も成立をすると思います。そのときに、昨年の六月に防衛庁相当土地をすでに告示をなさっておられるわけです。それらの問題とも関連をさせて、知事さん年来の理想の実現に、非常に知事さんのお力を頼む段階にきましたから、都の取り組みの決意のほどをまず第一に聞きたい。  それから第二に、帰島計画復興計画関連でございますが、復興計画は、知事さんのイニシアチブでつくられることになっております。この法律で。それについて、大内さんあたりを派遣されて、その総合的な報告が出ました暁において、具体的なビジョン知事さんは発表なされるでありましょうけれども、できれば、どのような角度から、法律成立の暁には復興計画の起案をなさろうといたしますか。  その次に、主たる産業観光関係について聞きたいのですが、農業中心にしたいような御意見先ほど私は聞いたと思うのですが、すでに母島で、法務省の調べでは、二十万坪近い所有権移転が行なわれているように聞いております。非常に重要な、平らのところが、まだ無人島で、人が行っておらない段階で、法律上の所有権売買移転が行なわれているというような実情もありますし、それから、ことしの農林省の予算は、わずかに人件費の増で四百万円足らずであります。私の試算でも五十億くらいの金がかかる、病虫害の防除だけでも。こういうような情勢の中で、知事さんは、観光農業、主たる産業は何で、一体どうして帰島者を食わしていくか、そういったようなことについての包括的な御意見を簡単に聞きたい。  それから、都と国の関係が常にこの委員会で議論になるわけでありますが、それについての御意見がありますれば、この機会にお聞きしておきたいと思います。  あと、いろいろありますが、最後に、この時点で国に対する具体的な御注文一言でもいいからお聞かせいただければ参考になると思います。
  9. 美濃部亮吉

    美濃部参考人 都といたしましては、いまの特別措置法によりますと、四十六年六月から帰島が自由になる。そこで目前の問題としては、法律がそのとおりに施行されるとして、四十六年六月から帰島が再開されたときのとにかく準備をすることが何よりも大切である。そこで先ほども申し上げましたが、国のほうに対する御要望として、ことに皆さん方にお願いするのは、四十六年六月から無秩序に帰られてはどうにもならない。私たちのほうが困るだけではなく、帰った方々が非常に困難を感ずる。そこで、それを計画的に農業なら農業漁業なら漁業が成り立ち得るようにしたその範囲内で土地分離統合をしたり何かをして、順次帰らせるようにしていかないと大混乱が起きる。そこで、それをぜひそういうふうにできるように規制していただきたい。何かの法的措置を講じていただきたいというのが最大の希望でございます。  それから、ちょっと前後いたしますけれども土地売買が確かに相当に行なわれております。私の調べた限りにおいては、売買では、父島返還後ことしの六月までに登記の変更のあったのが七十七件、それから母島が百八十二件というふうに、たいへんな数にのぼっております。それで、これがまだ幸いにしてコマーシャルベースの大企業ではないようでございますが、非常に心配になりますけれども土地売買は何ともしょうがないので、手をこまねいて見ているよりほかしかたがないので、これを規制することは憲法違反になるおそれもございますが、何かの措置を講じないと非常に投機的な——浅草てんぷら屋が広大な土地を買ったという話も聞きますので、あそこがレジャー産業中心になって、そのときに浅草てんぷら屋てんぷらをつくって売ろうという計画なのかもしれませんけれども、その点非常に心配になりますので、都としては、これに対しては全く何もできませんので、国で何かの措置をお願いしたいと思います。  それで四十六年六月帰島が自由になりますので、その準備をするとしても、それは小笠原のあるべき姿と、そのあるべき姿に到達する計画とができて、その中で再来年のことを考えなければいけないので、私のほうの都といたしましては、国とも協力をいたしまして、早急にこの計画を立てる委員会をつくって、計画を立てて、そして四十六年の帰還が一応自由になるということを前提として、どうしたらいいかということをきめたいと思います。  それから観光農業の問題でございますが、飛行機輸送先ほど申しましたとおりで、いま調査方々が行っておりますが、できるだけ早く国立公園にしていただきたい。そうすると土地売買はあっても上ものは規制できまずから、これもひとつできるだけ早く国立公園に、その値打ちは十分あると思いますので、それを急いでいただきたい。  それから農業は、先ほども申しましたように旧島民のお年寄りの方々はやや、夢よもう一度という考えが強くて、いまでもカボチャ、キュウリ、ナス、そういうものの早期搬出農業は成り立つというふうに考えられて、ぼくにもそう申されますが、どうもそういうものではもうビニール栽培がこれだけ発達した現在、とても競争できないのじゃないか。そうするとパパイヤとかグレープフルーツとかあるいは観葉植物とか、そういうものが中心にならざるを得ない。そうすると次に問題は、それが東京に持ってきて商品として競争力を十分持ち得るかという問題があるので、それはやはり観光用中心にならざるを得ないのじゃないかとも思われますし、また十分に内地に持ってきて競争力を持ち得るとも思われますし、そこは十分に調査をして学問的に詰めていかなければいけない、そう思っております。  それから都と国の関係でございますが、現地においては非常にうまくいっております。一つ建物の中で、国のほうから行っておられる総合事務所長も非常に協力的でございますし、いまのところは行政関係において国と都との間で意見が食い違って非常に困るという問題は一つも起こっておりません。ただ、来年はできるだけ予算をたくさんつけていただきたい。ことしのように削られますと、来年はもう帰還を前に控えて相当いろいろなことをしないといけない年でございますので、予算措置には特に御配慮をお願いしたい、そう考えております。
  10. 鹿野彦吉

    鹿野委員長 なお残余の質疑者については、美濃部参考人は非常に時間がないそうでございますから、それを御承知の上………。  なお、美濃部参考人にお願いしたいのは、あなたのお時間は非常に少ないということを承知いたしておりますが、これから三人の方が質疑いたしますけれども、御答弁のほうも簡潔にひとつお願いを申し上げます。  山口鶴男君。
  11. 山口鶴男

    山口(鶴)委員 非常に、ごく簡単に三点お尋ねをいたします。  昨年の六月二十六日に、父島につきましては約四十九万平米防衛庁告示をいたしました。また南鳥島あるいは硫黄島においても同様でありますが、これにつきましてはどういう形で都に連絡があり、都としてはどういう意思表示をされましたか、お尋ねをいたします。  それから次の問題は、この復興法の中で指揮監督という条項がございまして、関係地方公共団体の長またはその機関自治大臣指揮監督するという条項がございます。これは自治法のたてまえからいいますとたいへん異例な規定でありますが、こういうことに対するお考え方はいかがか。  次は、奄美の場合は補助対象並びに補助につきましては法律でこれを規定いたしております。しかるに今回はこれを政令にゆだねておるわけでございます。そういう意味では私どもたいへんいかがかと思っておるわけでございますが、奄美復興法等との関係におきまして、都と国との間でこの問題につきましてはいろいろ御意見もあったのではないかと思います。ひとつ率直な都としての御意見をお聞かせいただければありがたいと思います。  以上であります。
  12. 美濃部亮吉

    美濃部参考人 一番先の自衛隊その他のあれについては、全然連絡ございません。つまり、いま自衛隊米軍のおりました一番いい土地をとっております。そしてわれわれの計画においては、そこは住宅地として最適であると思うのですが、それがどういうふうにして彼らが占拠するようになったのか、私のほうではそのいきさつが全然わからないわけでございます。おそらくあそこは国有地ですから、(山口(鶴)委員「三分の二が国有地です」と呼ぶ)それですから、大部分が国有地であるということに基づいて政府側で決定したのではございましょうけれども、私のほうには連絡ございません。  それから自治大臣指揮監督権の問題につきましては、いまのところ事実上それほど両方が競合するとか、あるいは意見が食い違って困るとかいうことは起こっておりません。しかし将来そういうことが起こるおそれは十分ございますけれども、できるだけ事前に協議をしてやっていきたいと思います。ただ権限が分かれておりまして、島民が国のほうに行くと都だ、都に行くと国だ、窓口が分かれているので、一体どこに訴えていいかわからないという不平不満は非常にたくさんあるようでございます。これはいけないから何とかして窓口を一本にしようと、先ほど行ったときに指示してまいりました。  それから法律政令かという問題は、もちろん言うまでもなく奄美大島のように法律によって規定していただきたいということを私のほうでは強く希望いたします。
  13. 鹿野彦吉

  14. 折小野良一

    折小野委員 一言だけお尋ねをいたします。  当面問題になっております土地権利関係にいたしましても、現地島民方々それからこちらにおいでになっております旧島民方々、この間のいろいろな調整というのが今後いろいろな面で出てくるのではなかろうかというふうに考えております。その調整を具体的にやっていただくのはやはり村の役場、現在は少なくもこれは都の方でございます。そういう意味で、こういう面の調整という面について都としていかにお考えになっておりますか、一言
  15. 美濃部亮吉

    美濃部参考人 その点はこれからの問題で一番頭が痛い問題であろう。問題は非常に複雑で、いざこざが起こる、そうして都と国との権限がきわめてあいまいである、そこで土地に関する紛争が起こったときに、お話しのように事実上は都があっせんしなければいくまい。しかしながら都の独断では何にもできないということになるので、この点も何とかしていただきたい。そこで国有地を使うこと、いま、これからどんどん復興いたします過程においていろいろな建物を建てたい場合がありますので、それが国有地に食い込むことがあるのでございますけれども、その国有地の使用がたいへんに厳格でむずかしくて、なかなからちがあかない。そこで国有地の利用をもう少し簡便に利用させていただけるように、一つの特殊の事例でございますから、内地のほうとは若干例外的な措置を行なっていただけないものだろうかということも、私のほうの希望としては、相当強く持っているのでございます。
  16. 鹿野彦吉

    鹿野委員長 小濱新次君。
  17. 小濱新次

    ○小濱委員 知事さんに一点だけお尋ねしたいのですが、政府に要望される事項といたしまして、たくさんおありになると思います。いま出てまいりませんでしたけれども、玉砕された硫黄島の遺骨収集と不発弾処理、この問題については、復興計画ともにやはり人道上の問題からも、国民、都民感情の上からも、どうしてもすみやかなる対策を講じていただかなければならないであろう、こう考えます。その問題について知事さんはどう政府に要望され、対処されるお考えなのか、ひとつお伺いしたいと思います。
  18. 美濃部亮吉

    美濃部参考人 私も最初に参りましたときに硫黄島に参りまして、不発弾の処理と遺骨の収集はたいへんな難事業だということをつくづく感じました。それで、私たちのほうとしては、戦死された中には都民の方もたくさんございますし、何とかして御協力できることは、できるだけ御協力いたしたいと思っておりますが、いままでのところは、私のほうに何にも連絡なしに厚生省独自でやっておられますので、こちらから無理に割り込むことは差し控えておりますけれども、都としてできることは、できるだけ御援助いたしたいし、御協力をいたしたい。今後ともその点については厚生省とよく連絡して、都でできることはやりたい、そう考えております。
  19. 小濱新次

    ○小濱委員 ありがとうございました。
  20. 鹿野彦吉

    鹿野委員長 美濃部参考人には貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。厚く御礼を申し上げます。     —————————————
  21. 鹿野彦吉

    鹿野委員長 次に、久保田参考人にお願いいたします。
  22. 久保田幸平

    ○久保田参考人 私は、都議会議員の立場から一応この法案について意見を申し上げたい、こう考えております。  私は、東京都議会の小笠原対策特別委員長といたしまして、昨年の五月、父島母島、硫黄島等を視察してまいりましたが、さらにその後、都議会の小笠原対策特別委員会といたしまして、自治省の原案に対して三つの要望を出しておきました。  そのうち、申し上げますと、最初復興計画の策定については、自治大臣がきめるというようなことを逆にいたしまして、基本方針を含めた計画案を都知事がきめて、それを自治大臣が復興審議会の議を経るというふうに、この案のとおりこれは変えていただきました。  さらに第二の問題点は、復興審議会委員の人選でございますが、これにつきましては、当初は、この地方公共団体の議決機関の代表が入っておらない、こういうことで、これを要望しまして、とりあえずは、たとえば東京都議会の議会を代表する者が入れるということになりましたことは、たいへん喜ばしいと思っております。ただ、この審議会委員の人選ですが、これらの問題について、私は十分今後の運営の中で配慮をしていただきたい。とかく利害関係の強い者というような者が入ると、どうも復興計画の中でおもしろくない結果が生ずるのじゃないか。新鮮な人を選んでほしい。これらは従来の小笠原関係漁業株式会社の問題や、あるいは先般の漁業協同組合が発足して出かける中で、私たちはいろいろ問題点を指摘しながら是正できるものは是正させた、こういう経過がございますので、そういう点についてはぜひ配慮をしていただきたい。  それから三番目につきましては、いわゆる、先ほども御質問がありましたが、自治大臣指揮監督権及び総合事務所長への権限の委任、これについては、東京都議会のほうではぜひ削除してほしい、こういう意見を申し述べております。ということはどういう理由かと申し上げますと、自治大臣指揮監督権というのは、地方自治法第百五十条にはっきりと一般的にきめられております。「普通地方公共団体の長が国の機関として処理する行政事務については、普通地方公共団体の長は、都道府県にあっては主務大臣、」「の指揮監督を受ける。」、こういうふうになっております。ということは、「国の機関として処理する行政事務について」ということは、地方自治法の第百四十八条の「法律又はこれに基く政令によりその権限に属する国、」「の事務」、いわゆる機関委任の国の事務があるわけであります。ですから、機関委任の国の事務でない復興計画について、自治大臣東京都知事に対して指揮監督権を発動し、あるいは総合事務所長にその権限の一部を委任するということは、少なくとも私は地方自治権の侵害ではないか、こう思うわけです。さらにいまの行政局長の長野士郎さんの地方自治法の逐条解説の中にこういうことがあります。「機関委任の国の事務の処理についてのみ、普通地方公共団体の長は、包括的な国の指揮監督に服するわけである。」、「普通地方公共団体の長を、当該団体の事務の処理についてまで包括的な国の監督に服せしめることは、地方公共団体の自主自律性を侵すもので到底認められるべきことではない」、これは長野士郎さんの解説の四百七十八ページにちゃんと書いてある。こういうことがありながら、国の機関委任の事務でないものにまで自治大臣指揮監督するということは、これは地方自治法のたてまえからいって、私は容認するわけにはまいらない、こういう立場で、私ども東京都議会としては、自治大臣指揮監督権並びにそれらの一部を総合事務所長に委任するということについては納得できない。こういう立場で、ぜひこれについては十分な御考慮を願いたい。まあこれらを勘ぐってみると、いろいろ言うことがあろうかと思いますが、それらは控えますけれども、まあそういうことを考えます。  それからさらに、今度は奄美群島の特別復興——あるいは現在は奄美群島の振興特別法ですか、これらとの比較を見ましても、財政援助について、小笠原諸島については国庫補助については政令で規定する。しかし奄美群島については法律で、別表で補助率をはっきり事項別に決定しておる。それからまた、帰島資金の貸し付けについても、この復興法案には、事業資金について適切に配慮する、こういうふうにしかなっておりませんけれども奄美大島関係では、水産業、製糖事業等、資金貸し付け対象事業を法律で規定して、国が資金を貸し付けております。これがすでに九千三百六十九万余円を貸し付けておる。あるいは奄美群島振興信用基金を設けて、すでに三億九千五百余万円を貸し付けておる、こういうふうにはっきり出ておるにもかかわらず、今回の小笠原諸島の復興特別措置法案には、こういう規定は、ただ政令にゆだねるとか、あるいは適切に配慮する、こういうことしかございません。そういうことで、私たちはぜひこの点は、少なくとも奄美群島のこの方式にまで広げていただきたいということを考えるものであります。  それからさらに、全般的な要望として特に申し上げたいことは、今後の復興計画その他についてでございますが、これはまず基本的に考えなければならないことは、小笠原諸島の問題は、国の戦争責任の結果である、このことを十分まず基本的に私は認識していただきたいと思うのです。そういう中で、都の関係予算と国の予算を比較してみますと、なかなか違いがあるようでございます。東京都のほうでは四十四年度の小笠原関係の諸費は十四億六千百七十七万余円になっておりますけれども、国のほうでは——まあ都負担もありますけれども、十億二千四百六十二万余円が国の予算、そしてそれに対して三分の二とかあるいは二分の一というような補助率で、六億二千四百九十二万五千円となっておりますけれども、実際には、東京都の予算あるいは村の予算、全部を含めますと、十四億六千余万円になる、こういうことになりますと、これは一方的な、従来の地方に対する国の財政措置というようなものが、よく地方自治体で問題になっております超過負担の問題と同じような関係があるのじゃないか。ですから、あれも削り、これも削り、全部すっかり裸にして、正味骨のところだけの二分の一とか三分の一とか、こういうような実際には執行不可能な基準で、それから補助率を算定して出すというようなことでありますから、少なくとも実際に現実に見合った額に基づいてそれぞれ補助基準を出してほしい、こういうことをまず申し上げたいと思います。  それから次には、先ほどもお話しがございましたように、農地法の適用がまだ適用されておらない、あるいは土地権利関係がない、しかも国有地は八〇%もある、これらについて、在来住んでおった島民土地の問題、あるいは民有地あるいは国有地その他に住んでおるわけでありますが、それらの問題をどう解決するかということは非常に困難な問題になっております。ですからそういう点で、すみやかに土地権利関係をはっきりさせていただきたい。  それから次に、計画全体についての立場で私は希望を申し上げるとすれば、まず第一に基本的な考え方は、小笠原の過去の経験からいっても、これは少なくとも平和の島としての復興をさせなければならない、これが基本であろうと思うのです。私自身も硫黄島をつぶさに自分の足で歩いてまいりました。しかも当時はまだ占領下でございますから、道路以外は立ち入り禁止だ。私たちと同行した一部の者が、摺鉢山からあの東海岸から西海岸を全部歩いてきた、その中で、中のトーチカ、ざんごうあるいは火薬庫のあとというようなところに大砲の薬きょうや、あるいはその他たくさんの機関銃弾、小銃弾、拳銃というような薬きょうがそのまま散らばっている。しかも私たちがその近くを司令官と一緒に案内されて通ったときに、ちょっととめろと言ったけれども、ここはあぶなくて、まごまごしているとぽかんとくるからだめだと言ってとめさせなかった、こういうふうな現実もあります。こういうことを考えますと、とにかく復興計画が硫黄島についてはあまり論議されておらないのじゃないか、復興法案の中では一体硫黄島をどうするのだということなんです。ということは、立ち入り禁止にはなっておりますけれども、司令官が私に見せてくれた写真では、ちょうど米軍の五千何百人が戦死した墓地は、全部十字架を立てて、遠くから、山の上から全部写しておるのが久留米がすりの模様になっておるわけです。そういうものは全部米本国に持っていったはずですから、そこらは危険はないはずですが、そういうところまで従来立ち入り禁止にしておった。いまロラン基地やかまぼこ兵舎のところに自衛隊が何人か行っているようですが、これを一体どうするか、それから沈船の問題、これは遠くから見ればまっ白に見えるからきれいですが、鉄筋コンクリートのタヌキのどろ舟のようなあの船を一体どうするかという問題もまず考えなければならぬというような問題が一つあるのじゃないかと思います。しかも防衛庁が、先ほど来のお話のように、父島に広大な土地を一方的に告示してしまって、権利問題やなんかよりも先にそっちの防衛を優先したというような姿は、私はまことに残念だと思います。  それから次に、計画の重点については、言うまでもなく交通と産業観光の問題があろうと思います。そういう面で航路の定期便を早く確保することが必要ではないだろうか、あるいは産業についても、農業漁業の問題については知事から話がありましたが、この中で魚資源の確保をどうするかというような問題、あるいは漁業協同組合の問題は今後の復興の中で、当初あわを食って出発はしましたけれども、なかなか予定どおりいかなかった、これらの問題をどう——とりあえず東京都があとからしりぬぐいをしたような形で漁業協同組合を発足させましたけれども、なかなか思うようにいっておらないという現実を今後どうするかという問題が一つ残されております。  それから観光事業については、私は特に小笠原というものは、あの戦争当時帰された者あるいは残された者、これらを含めて、この人たちのまず基本的な立場で小笠原開発をしなければならぬ。そうなりますと、やれレジャーだというので、投機的な大資本がどんどん進出する、そうすると、結局旧島民は自分たち生活が何ら潤いようがなく、非常な不安を感ずる、こういうようなことで、投機的なものを押える。たとえば、それに対して都なり国なり、こういうものが助成をして、一つ仕事をその人たちにさせる、大資本がどんどん出ていくということを何らかの形で抑制できるような方法を講じていただきたい、こういうようなことを申し上げたいと思います。  時間がありませんから、大体大ざっぱに申し上げまして私の意見としたいと思います。どうもありがとうございました。(拍手)
  23. 鹿野彦吉

    鹿野委員長 次に藤田参考人にお願いいたします。
  24. 藤田鳳全

    藤田参考人 私は小笠原復帰協会の常任理事をしております藤田でございます。  私は、小笠原島民の立場に立ちましていろいろ申し上げてみたいと思うのでありますが、小笠原諸島返還されてからもうすでに一年を経過いたしました。返還された小笠原諸島は、われわれがいままで考えておったようなものではなくて、非常に荒廃しておりまして、復興の容易ならぬということもよく存じております。また、旧島民が帰りましてそこに定着するということも簡単なものではないということも、十分私どもも考えておるのでございます。しかし、小笠原諸島が、島民の側に立ってみますと、とにかく二十余年も待ちこがれて、とにかく帰島の悲願をかけて帰ってきた島でございますので、返還されればすぐにでも帰島ができるものだ、こういうふうに思い込んでおった者が決して少なくなかったのであります。気の早い者は、帰島するために土地も家屋も、内地に持っているものは売ろうとしたという者、また離職までして帰島の態勢を整えるといったようなものも数々あったのでございます。しかし、帰島という問題はそう簡単なものではないということが最近わかりまして、一応は旧島民の心も落ちついてはおりますが、その心情は実にこんとんとしておりまして、一年もたったのに一体何をしておるのかという声と、また当局の施策、具体的な案を発表されていないために、もう帰島の意欲を失っておる者、また年をとりまして、もはや小笠原へ行っても働くことができないから、いっそ土地を売ってしまいたいといったような考えを持っておる者、あるいは売っておる者もあると思います。実に楽観を許さない状態になっておるのは、先ほどいろいろお話もございましたように、島民の立場に立ちますと、非常に心配ごとが多くなっておるようなわけでございます。  帰島の希望者はどのくらいあるかということをいままで聞くのでございますが、現在のような実情から申しますと、帰島者が少なくなるというのはおそらく当然のことではないかというふうに考えられるのであります。ことにまた、先ほどもお話がありましたが、硫黄島のごとき、遺骨の収集とか不発弾の処理とかといったものは全く見通しがついておらないという状態であります。また返還後暫定措置法ができまして、島に渡っても小屋がけ一つもできない。また自分の土地であっても、そこに苗木一本も植えることができないというような状態でございます。こういうことは、復興法ができますれば復興審議会ができるのでございますから、審議会においていろいろ決定されると思いますけれども島民の一部からは、一体小笠原協会あたりも何をしておるのだという声が非常にありまして、私どもも実に困っておるような状態でございます。したがいまして、私どもはいま御審議を願っておるこの復興法が一日も早く国会で成立するように、まずすべてはこの復興法待ちである、こういうふうに考えておる次第でございます。しかしこの復興法成立いたしますと、この復興法の実施の段階におきまして、いろいろ先ほどの御意見も伺いましたが、いろいろ問題があるのではないか、またわれわれの要望したい点も多々あるのでございます。  まず、それにつきまして二、三申し上げますと、第一の問題は、小笠原産業開発の問題でございます。最近いろいろ御調査が行なわれまして、小笠原産業はどうもあまり見込みがない。内地における農業技術の進歩とか、あるいは害虫が蔓延しておって、何をつくってもだめだ。それから農耕地は荒れほうだいに荒れておって、これもまた耕すのにたいへんだ。また水が不足であってどうにもならないじゃないか。したがって、小笠原農業はあまり見込みがない。また水産業におきましても悲観的な要素がいっぱいであって、見込みのあるのは観光だけではないかというようなこともいわれております。  このようなことは、私どもの考えから申しますと、全くこれはまだ調査が行き届いておらないというふうに、私はこの一言に尽きるのではないかと思っております。時間がないのであまり詳しいことは申し上げられませんが、小笠原の農産物は何が適作であるか、こういう点につきましても、まだ詳細な調査もできておらないようであります。いま美濃部さんからのお話で、大内教授の一行が参られまして、それで何か結論を出すというような御尽力をなさっておるようでございますが、小笠原農業、これはただ一例をあげますと、戦前の小笠原農業などというのは、いまは考える必要はない、だめだというようなことを言っています。けれども小笠原の戦前の農業のまず大きな産物として出しておりましたものにカボチャがございますが、いまカボチャは大体大阪が非常に大きな消費地でありまして、二月から四月の価格が一キロ当たり百八十円から二百二十円しております。平均価格が二百十円でありまして、小笠原のカボチャの適期が十二月から四月でありますから、かりに十アール、一反歩当たりの収量を二千キロとしまして、ごく内輪に見積もっても千八百キロでございまして、この反収三十七万八千円ということになります。運賃諸がかりを全部差し引いても二十五万円の手取りになるというふうに小笠原人たちは考えているようでございます。需要の面では、大阪の業者一人でもって、千トンだけは私が引き受けてもいい、また金を出してもいいというぐらいまで激励してくれている方もございます。これは単なるカボチャだけの問題でございますけれども小笠原農業の適作物としましては、観葉植物がいいことはこれはもう問題がありません。またプリンスメロン、ハネジューメロン、スイカ、こういったものが非常に有望でありまして、反収百万円はとれるだろうというような計算もできておるのでございます。害虫がふえたために、また農地が荒廃しておるために、また水がないために小笠原の農産業がだめだというような考え方は、非常にこれは当を得ておらぬ、こういうふうに私どもは考えておるのであります。  害虫の問題につきましては、小笠原のような大陸と離れた場所であれば、駆除をするのにこれは決して問題ではない。やる気さえあればこれはもう必ずできるものと思っております。戦前私ども引き揚げる当時も、若干のミカンコミバエとかアフリカマイマイとかおりましたけれども、別に農作物がこれによって被害を受けたというようなことはありませんでした。二十余年も放置されましたためにふえたのでございますから、これは当然金をかけてもこういうものは退治していただきたい。  また農業用水の問題でございますが、戦前水不足で作物が枯死したというようなことは例がほとんどありません。また戦前にダム一つなかった小笠原のことを思いますと、適所に小型のダムをつくる、あるいは地下水を利用すれば、水の心配などというものは全くないというのが小笠原島民の一致した考え方でございます。  また漁業におきましても、魚が少なくなった、そういうことはないのでありまして、漁業を行なうための諸条件の不備、これが原因しておるのでありまして、悪口を言いますならば、行政指導が誤っておった、こういうふうに私どもには考えられる節が非常に多いのでございます。小笠原の戦前の漁業相当の成績をあげておりまして、そのことを考えますと、小笠原漁業は決してだめというようなことは私は断じてないと思うのであります。  このように考えてみますと、小笠原開発は、まず農業漁業を基幹農業として、これに重点を置いて開発を始めていただきたい。観光事業の適切なことはすでに論ずるまでもございませんが、八丈島とか大島というものはいま観光観光で盛んに騒いでおりますが、これは実際言うと、私ども調査では島民から遊離しておりまして、ただいまお話もございましたが、一部の業者の利益の対象となっておるようなものでございまして、観光開発を行なうといたしましても、島民生活と密着した開発を行なっていただかないことには、島民はこれによって利益することがほとんどない、こういうふうに一般島民は考えておるようでございます。したがいまして、小笠原開発はまず産業に超重点を置いて開発を考えていただきたいというふうに私どもは考えておるのでございます。  第二の問題は、小笠原開発は各島同時に開発に着手していただきたい。御承知のように、この一カ年の小笠原にかけた費用が六億ですか十億ですか、けれども、これは父島の旧大村の環境づくりにほとんど全部かかっておりまして、その他の母島のごときは大体その費用の五%程度ではないかと思っております。母島を例にしますと、船着き場の修理ができたこと、また百坪ほどの建物が一戸共用住宅としてできたこと、そして沖村と北村間の道路の一部が伐開された程度でございます。また硫黄島のごときは、厚生省が、先ほどのお話もありましたように、ほんのわずかな遺骨を一回か二回かそこら収集したにすぎないのでありまして、この硫黄島を一体どういうふうにするかということについてはまだ何らの策もないように私どもは考えるのでございます。したがいまして、私どもは、産業に重点を置いて小笠原開発していただくということならば、まず母島である。母島はとにかく産業中心地である。また父島におきましては扇村が産業中心でございまして、母島開発と扇村の農業開発を十分今後検討していただきたいというふうに考えておる次第でございます。また硫黄島の問題も、これは産業という面ではなくとも、硫黄島の島民を一体どう扱うのかというふうに、ひとつ積極的に硫黄島問題も取り組んでいただきたいと思うのでございます。  第三の問題は、宅地の造成と住宅問題であります。旧島民が帰島する場合、最も関心を持っているのはまず父島の問題ではないかと思うのでありますが、現在父島のグリーンベルト地帯、あの地帯はもと父島の心臓部でございまして、市街地でありました。いまはすべて公園となっておりますが、父島観光を将来発展させるためには、ああいう地帯を残すということは必要ではないかと私は思うのであります。けれども、一体それではあれを取り上げるならばどの地点に住居を置くのか、市街地をどこにつくるのかというような問題、またこの土地を何か国や都は非常に二束三文で買い上げる計画を立てておるというようなうわさも流れまして、非常に島民もこんとんとしておるような状態でございます。現地の住民に対しては暫定措置法で十カ年の借地権が約束されておりますけれども、これから帰ろうとする人たちにとってはまだ何の措置も考えておらないというのが現状ではないかと思うのであります。このように考えまして、私どもはこの父島の現在グリーンベルトになっておる土地の取り扱い方等につきましては、十分これは復興審議会で決定されるものと思いますけれども、ただ公共の用に供するというようなことだけの理由をもって旧島民の権利と利益をそこなわないように、ぜひともお願い申し上げたいと思うのであります。  第四の問題は、水の問題であります。いろいろ水の問題では小笠原のたいへん大きな問題となっておるようでございますが、先ほども申し述べましたけれども小笠原に水がないというのは、これは実際において調査がよく行なわれておらぬ。水がないというのか、また水がなくなっておるというのか、こういう問題が問題ではないかと思うのでありますが、今後小笠原産業を振興するためにも、観光事業をするためにも、水がないのであっては計画はおぼつかない。したがってこの水の問題というものは小笠原の死命を制する重大問題である。しかし戦時中に父島に約二万人の軍隊がおった。あるいは二万人に多少欠けたかもしれませんが、それくらいの軍隊がおったことはわれわれもよく知っております。その場合でも、小さなダムと地下水で事足りておりました。また母島にも相当大きな部隊が駐留しておりました。これはほとんど地下水で事足りておりました。水が不足しておるという問題は、とにかく二十余年も放置されておりましたので、河床が全部荒れて、山くずれとがけくずれのために川が全部とまってしまった。そしてその水がよそへ漏れておるのではないか。水がないのではなくて、水がどこかへ逃げておる、こういうのが一般に考えられる真相でございます。よって、こういう問題は、たとえば口だけをのぞくのではなくて、奥まで行きまして、十分の調査をされて、そして小さい小型のダムでも建設されるならば、この問題はたちどころに解決できるのではないか、私どもはこのように考えております。  第五の問題は、空港の問題であります。小笠原空港を建設することは、多額の費用がかかる問題でありまして、難点があるというような問題、また小笠原観光の島とするならば、空港設置は絶対的条件でありますが、今日では空港のない、洋上の一千キロも離れておる島に、ただ荒波を渡って船だけでもって行くというようなことでは、これは観光としてはおそらく成り立つものではないのではないか、このように考えておるのでございます。この場合、父島でなくてはいかぬ、父島中心であるから父島空港をつくるのが当然だ、私どもはこれは当然のように思っておりますが、母島も決して見捨てた場所ではありません。空港をつくる条件としては、むしろ母島のほうがいいというように、私どもは運輸省からいろいろな資料もいただいてよくわかっております。父島でなくては空港の価値がないというような考え方は、これは私はひとつどうかと思うのでございまして、とにかく立地条件のよろしいところに空港をつくっていただきたい。父島母島は全く指呼の間に位しておりまして、とにかく船足の速い船ですと、いままでの記録では一時間十五分で父島母島を結んでおります。またその他の船でもわりあいと速く結ぶことができるのでありまして、四十時間もかかりまして荒海を渡って行くというようなことを考えますと、母島であっても父島であっても小笠原空港をつくる、こういう一つの問題が解決されるならばどちらでもよい。また父島人たちは、あの狭い島の頭の上にじゃんじゃん飛行機がくるのでは困るから、飛行場は別の島につくってほしいというようなことを言っておるが、父島島民の問題でございますので……。ただ小笠原というものはあれだけの場所に点在しておりますけれども父島であっても母島であっても、どの島であってもいいから、ひとつ空港だけはつくっていただきたいというのが小笠原島民の一致したお願いでございます。  第六の問題は、小笠原に一日も早く自治制をしいてもらいたい。小笠原開発、復興は、旧島民の権利や要望に関する問題が非常に多いばかりではなく、これからの調整に関しましても、住民の協力に待たねばならぬものが非常に多いのでございまして、現地の方からも、早く自治制をしくようにおまえたちは運動してくれというような声もたびたび聞いておるような状態でございますので、自治制をいかにして早くしくかということについても御検討願いたいのでございます。  第七の問題は、これは私どもの日ごろの念願でございますが、帰島者の援護の問題。小笠原諸島の住民は、御承知でもありますように、戦時中手荷物三個を持っただけで引き掲げてまいりました。以来二十余年にわたって帰島もできない、財産権の行使もできない、こういうことは奄美大島とか、それから沖繩の住民とは全く異った立場に置かれてまいったのでございます。引き揚げ後の苦労につきましては、これは一々申し上げませんけれども、親子心中をする者、一家心中をする者、こういった者も数々ございまして、また硫黄島のごときは、残留させられた青壮年は全部現地において玉砕しました。柱を失った硫黄島の引き揚げ民というものは、引き揚げられてきてから、非常に苦労されておったのでございます。このたび二十余年の悲願が達成されまして、いざ帰島という段階になりまして、これは実際現在の状態では終戦処理の段階にまだあるのではないか、こういうふうに私どもも考えておるような次第でございまして、したがいまして、小笠原島民が帰島する場合、ひとつ広範な面にわたって特段の援護措置をお願いしたい。  最後に、私どもは、この復興法が一日も早く審議を終わって成立するようお願いいたしまして、私のお話といたします。ありがとうございました。(拍手)
  25. 鹿野彦吉

    鹿野委員長 これにて参考人方々からの御意見の御開陳は終わりました。     —————————————
  26. 鹿野彦吉

    鹿野委員長 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。  なお、質疑の際は、参考人の御氏名をまずお示し願います。太田一夫君。
  27. 太田一夫

    ○太田委員 それでは久保田参考人お尋ねをいたしますが、復興計画の策定については、都が中心となってやるべきであるという御意見だったと思うのです。私どもそういうふうに思いますし、法のたてまえはああいう表現はしてありますけれども、あくまでも計画をつくるのは都でありますから、この法案成立しますと、都においてすみやかにこの策定を行なわなければなりませんが、素案というものは、骨組みはできておるんでありましょうか。あるいはこの法案が早々に通ったといたしまして、いつごろまでに都の案はできるのでございましょうか。
  28. 久保田幸平

    ○久保田参考人 復興計画の策定ということは、私は執行機関でございませんので、これは執行機関のほうから御答弁願いたい、こう思います。
  29. 佐藤八次

    佐藤参考人 お答えいたします。  復興計画の骨組み等につきましては、いろんな角度から事務的な段階では自治省当局とも十二分の連絡をしながら、骨格的な方向づけは一応持っておりますが、一番基本になりますのは、先ほど知事も申し上げましたように、基本的な小笠原産業は一体何だろうか、そういう産業が吸収し得る人口、あるいは土地利用計画等々を現在学術調査団等に調査を依頼してございますので、その結論を得まして、自治省とも打ち合わせの結果、つくってまいりたい、このように存じております。
  30. 太田一夫

    ○太田委員 一問一答の形になってはなはだ恐縮でありますが、お許しをいただきたいと思うのです。いまの佐藤さんのお話から聞きますと、大内さん等の調査団の御答申を待っておつくりになるような話ですが、実はこれは国のそれぞれの機関、たとえばそれは農業ならば農林省、漁業も農林省、あるいは航空の関係は運輸省、道路関係に建設省ありというようなぐあいで、観光の問題も運輸省でありましょうし、そういう各省との緊密な意思の疎通をはかっておいて、その各省が調査しました諸条件、諸項目を踏まえて原案を作成するということにならないといけないような気がするのですが、あなたのほうの原案作成に対して寄与されておる分があるのでしょうか、各省のいままでの調査団が。それはどうなんですか。
  31. 佐藤八次

    佐藤参考人 当然のことでございまして、各省からいろんな立場でいろんな項目について調査をいただいておるわけでございますが、その調査の内容等については、自治省を窓口にいたしまして、あるいは東京都のその専門の局等が直接連絡をするというような形で、常にその項目についての情報は交換すると同時に、先ほど申しました学術調査団等につきましても、その調査の大綱、内容、調査報告書等は提出いたしてございまして、常にそういうことを関連づけた形で計画をお練りいただく、こういう配慮をいたしておる状況でございます。
  32. 太田一夫

    ○太田委員 そうしますと、その各種調査のいろいろな結果というのは全部あなたのところに集約されていて、本法案が通りますればすみやかに復興原案ができるものだ、こういうふうにわれわれは理解をいたします。その際に、先ほどからいろいろ話がある、たとえば美濃部さんは父島のほうに飛行場というような考え方がどうも頭の中から去らないし、母島ちょっと遠いじゃないかという御意見、それから藤田さんのほうから見るというと、母島でも何でもいい、小笠原に間違いないんだから、小笠原の中ならいいよ、こういう御意見等がありますね。そういう問題も相当に早く煮詰めておきませんと、飛行場の位置決定にじんぜんとして日をむなしゅうするということになれば復興がおくれますからね。相当急いで意見の根固めはやっておかれる必要があると私は思う。そのことはできておるというふうに承っておきます。  それから、これは同じく久保田参考人お尋ねするより方法はないかと思いますが、現島民が、十年間の法定賃借権によっていま私有地等に家を建てていらっしゃる。これはお調べになったとおりですが、その借地契約というのが、個人のものは、いわゆる私有地についてはいまだにできておらない。何とかあっせんをするなり、意思疎通ができないから何とかひとつ取り計ってもらえないだろうかという不安を述べていらっしゃるというお話でありますが、そういう借地契約につきましては、その借地料を含めましてすみやかに措置され得るであろうかどうか。またそれについて、あなたのほうではできないから、どこか何か新たな措置を必要とするとお考えでございましょうか。その点はどうなんでしょう。
  33. 久保田幸平

    ○久保田参考人 現島民がアメリカの軍政下の中でそれぞれああいう計画をつくって、これがだれの土地であろうと、そういうことでやっておりますので、一番基本の問題は、結局土地登記というようなものがはっきりしておらないということが問題じゃないか。いろいろ境界その他の権利関係というものが明らかでないということが多いんじゃないかと私思いますので、そういう点を早急にやらなければならぬ。ということは、私の前から聞いておることは、登記謄本が、戦時中京橋の出張所が焼けてしまって、それで登記簿の原簿がない。ただ東京都が持っていた課税台帳か何かがあって、所有権関係はそれにたよる以外ないという話も聞いておりますので、そういう点、こまかい事務的なことは私存じませんが、そういうものを早く明らかにして、そうしてやらない限りは、これはいつまでたっても解決はつかないじゃないか、こう思っております。
  34. 太田一夫

    ○太田委員 佐藤さんのほうはどうですか。
  35. 佐藤八次

    佐藤参考人 お答えいたします。  ただいまのお話は、旧島民が賃借契約等をいたすにしましても、基準がなかなかむずかしいのだ。村長のほうとも、その話を早く詰めないと、返還時に遡及して払うというようなことは財政的にも非常に負担になるので、早くしてほしいという要望もわれわれのほうに参っております。われわれのほうは、その価格の基準をどうしてきめるかというような問題が一番大きい問題になっておりまして、国有地等の価格の基準を、関東財務局等を中心にいたしまして、自治省とも連絡して、早くそのものさしをおきめいただく。そのものさしに基づいて行政を執行し、契約等の運びにして民心を安定するようにいたしたい、このように思って現在交渉中でございます。
  36. 太田一夫

    ○太田委員 あと久保田、藤田参考人に一問ずつお尋ねしておきますが、久保田参考人には、先ほど国の助成の問題につきまして、本年度暫定予算として組まれたもの六億二千四百万しか十億二千四百万に対しての国の負担がないという点について、いわば超過負担をしているものだというようなお考え方の御意見発表がありました。したがって、これは美濃部さんもおっしゃったように、初年度十億の事業費であって、その中の六億二千四百万円の国庫負担だといたしましても、二年度以降相当大幅な予算を組み、かつまた相当思い切った国庫負担をしない限り、この五カ年計画というものは有終の美をおさめることができないだろうと思うわけです。何かそれについて、美濃部さんと同じように、二年度以降この程度の国庫負担では、いわば十億に対して六億という割合では、国庫負担の率が少ないということをあなたはお考えになっていらっしゃると思うのですが、さらにその国庫負担の割合というものについて、およそどれぐらい——十分の十を希望するとおっしゃられれば一番なんでしょうが、そういうわけにもいかぬだろうと思うのですが、十分の十に近いお考え方を持っていらっしゃるのじゃなかろうか。その点について、感じをひとつお話をいただきたい。十分の十がいいということをこの際はっきりおっしゃっておいていただきたいと思います。  それから藤田さんにお尋ねしたいことは、害虫の駆除の話でございますが、先ほどのカボチャの話から農業有望説、私ども見てきまして、農業も有望なら漁業も有望、あわせて観光も有望だと思うのです。ところが観光は幾らどう考えてみても、よほど気をつけませんというと、本土の資本が進出するのを防ぐなんということは不可能だという気がするのです。私有地、民有地があるのですから、その人たちがどのような資本と提携するかわからない。しかし島民の利益を守るという一線だけはあくまでも確保しておかなければいけないと思いまして、運輸省並びに通産省あたりに私ども意見を申しておるわけです。しかし農業漁業とは、どっちみち島民によって行なわれることは間違いないと思う。そこで害虫のことでお尋ねしますが、実はアフリカマイマイなどというのはジャングルの中の枝という枝、木という木に全部密生しておりまして、何とも足の踏み場もないほど道や畑等に残骸があるわけです。というような点から、ごらんになった皆さんは、あのままの形でも、何とかこのジャングルを開いて農業のできるように、土地造成ができればすぐに収益のある農業がほんとうにできるというお見通しでございましょうか、いかがなものでしょう。この点をお尋ねをいたします。
  37. 久保田幸平

    ○久保田参考人 それは多ければ多いほどいいわけですが、基本的に考えていただきたいことは、最初申し上げましたように、この問題は戦争の結果こうなったのだ。だからその戦争の反省の上に立って、新しい方向で平和な島にするということになれば、当然いまの憲法上からいっても、そういう理念から、本来なら国が全責任を持ってこれはやるべき仕事である、こういう基本的な立場に立って私はものを申し上げておるわけでありますが、それと同時に、奄美復興法あるいは振興法との関連を見ましても、小笠原の場合、港湾整備が今年度は十分の十と係留が四分の三になりましたけれども奄美の場合はほとんどが十分の十でやってきておる。そういうような例を見まして、少なくとも最低奄美方式はとってもらいたいということは、これは全般的な問題になりますけれども東京都は財政規模が大きいから富裕団体だ。年じゅうこれは政府のほうから締めつけられておる。財政規模が大きいから必ずしも富裕団体ではなくて、それだけにもっと大きくやらなければならない仕事がたくさんあるわけです。そういう面で、当然東京都は財政規模が大きいから東京都にまかして全部やらせばいいということでは、国の責任というものはどこへいくのだろうか。こういり点を一つ申し上げたいと同時に、たとえば今年度四十四年度、政府のほうでは、医療整備の費用を見ましても、東京都のほうでは村と両方合わせて三千八百三十万余を組んでおるわけですが、国のほうでの積算の基礎は二千百九十一万八千円だ。そうしてそれに対する補助一千九十六万円だ、こういうような形で出しておるわけです。そういうものは、あるいはまた現在定期航路がありませんから、東京都で船をチャーターしてやっております。これらについても、それは船賃をとればいいとかなんとかといういろいろなことがあるらしいんですけれども、しかし現実にそれだけの船をチャーターして行かなければならないというのを全部削ってしまって、料金をとったらこれこれになるというような基礎で、わずかに千四百六十九万ですか。基礎は、国のほうの考え方は千九百九十五万一千円に対して千四百六十何万、こういうふうになって、たいへん率はいいようですが、実際に東京都の予算は五千二百四十二万八千円を予定している。それに対して一千四百万ですから三分の一にも満たない。こういう見方に対して、現実に見合う計算をしてほしい、こういうことを申し上げておったわけであります。
  38. 藤田鳳全

    藤田参考人 ただいま害虫の御質問がございましたが、害虫の問題は、これはまあ農林省、東京都の問題でございましょうけれども、戦前には害虫というものはほとんどたいした問題ではなかったようでございます。先ほどのお話で、木の上にアフリカマイマイがしだれかかってなっておるというようなお話でございますが、母島には、この間の調査団の報告によりますと、全部村地を歩きましてもたった二個見つかっただけで、一つもなくなった。これはアフリカマイマイを食う天敵の虫がありまして、これがみんな食ってしまったというような話も聞いておりますし、アフリカマイマイの問題は、これはミカンコミバエと違いましてたいした問題ではないのではないかと思っておりますが、とにかく害虫さえ駆除できれば小笠原農業というものは完全に成り立つ。したがいまして、ことしの御予算では四百万かそこらの調査費しか計上されていないんじゃないかと思っておりますが、とにかく害虫というものは、これは相当大きな金を出していただいて根本的に駆除していただければ、小笠原農業としては完全に成り立つ、こういうふうに私どもすべて農業関係している者はみな思っているわけでございます。ですから、ひとつ何をさておいてもまず小笠原の害虫駆除を御検討願いたい、こう思うのであります。
  39. 鹿野彦吉

  40. 折小野良一

    折小野委員 二、三お伺いします。  まず藤田さんにお伺いをいたしたいと思います。  先ほど質問の中にもございました、もうすでに小笠原土地相当多くの件数売ってしまっておる、こういう方々があるようでございます。もちろんこれは自分の財産を自分で処分するのですから自由であるということは一応いえますが、しかし将来の小笠原の復興ということを考えますと、おそらくはそういうことがある面で相当大きな復興の障害になるんじゃなかろうか。その人はいいにしましても、小笠原全体のため、あるいはほかの帰島する人のために非常に大きな障害になるんじゃなかろうかと思われるのですが、そういうような面につきまして旧島民方々あるいは旧地主の方々、そういうような方々をこの協会あたりでいろいろお話し合い、調整その他をなすっていただいて、将来の島の発展のためにある程度個人の権利の行使を、相談で何とかしていただく、こういうようなことはできないものであろうかということであります。  それから第二は、小笠原産業という問題がいろいろ出てまいりましたし、ただいまの御答弁でも、農業は成り立つんだ、有利なんだ、こういうふうな御意見でございます。しかし、かつての小笠原と現在の小笠原というものがそっくりそのままだというふうにはいえないんじゃないかと思っておりますし、やはりこれからやろうという人は現在の小笠原の実態というものを十分見ていただく。そしてみずからその上でやっていけるんだという納得ずくでやっていきませんと、やった、あと失敗したということじゃいけないんじゃなかろうかと思っております。そういう面で、おそらく今日まで関係方々小笠原においでになるということがあったろうと思いますけれども、特に農業関係あたりにつきましてはその関係者が直接現地を見てみる、こういうことは非常に大切なことじゃなかろうかというふうに考えておりますが、協会としてそういう面のいろいろな御配慮があっておりますかどうかということ。  それからもう一つ、帰島の希望者がたくさんあるようでございます。しかし将来の小笠原ということを考えますと、やはり若い方々が帰っていただく、これが一番望ましいことだと考えます。現在、帰島の希望者の中で、将来の小笠原をになって立つような若い方々がどの程度おいでになるのか。実はこの前政府お尋ねしたのですけれども、そういう数字的なものをつかんでおられなかった。もし協会のほうでそういう面がおわかりでございましたら、判断の資料になるようなものがありましたらお知らせをいただきたいと思います。  それからもう一つは、今度は佐藤さんにちょっとお伺いをいたします。小笠原復興の計画をこれから具体的につくっておいでにならなければならない。おそらく案をつくる段階にあると思いますし、あるいは骨格についてはもうすでに大体のめどもついておるというふうにお伺いするわけなんですが、その案をつくる段階におきまして旧島民方々——おそらく今後の小笠原の復興あるいは振興のほんとうの中心になるのは、やはり帰っていく旧島民方々であろうと思うのでございます。そういう旧島民方々計画の中に入れていく、意見をいろいろ聞いていくということは大切なことじゃなかろうかと思っておりますが、東京都におきましては、復興計画の原案をつくるにあたってそういうような御配慮がなされておりますかどうか、お伺いをいたしたいと思います。  以上でございます。
  41. 藤田鳳全

    藤田参考人 ただいまの御質問に対してお答え申し上げます。  私も、先ほど美濃部さんからのお話その他でわかりましたけれども、非常に多くの土地所有権移転が行なわれているということを伺いまして、ちょっとびっくりしたようなわけでございますが、小笠原に帰る人は、最初から土地売買とかいうことを考えた者はほとんどなかったと思います。しかし最近におきましては、いつ帰島ができるのか、それから帰ってから何をするのかといいったような、いわゆる帰島に関する青写真というものがまだ一つも示されておらぬ。ただ悲観的なことばかりである。もう一つは、土地所有権者はだんだん年をとっていっている。そういうような関係でもって、土地を手放してまず老後を送りたいというような人もけっこうあるようでございます。あるいは、いままで農業中心になっておった人たちが死亡しまして、今度はその承継者というものがあやふやになっておるとか、あるいは承継者がもうすでに本土で生活の基盤を得てしまってあそこに帰れない、二束三文で取り上げられるならば売ったほうがいいといったような話もいろいろ聞いております。こういったような問題につきましては、これは今後の小笠原の復興にかなり支障がある、仰せのとおりだと思いますので、これは国なり都なりが何かそれに対する措置をとってもらう、そしてもう一つは、小笠原の旧島民の帰島に対する青写真を一日も早くはっきり示してもらう、そういうことでもって、まず根本的な一つの対策を立てていただきたい。私ども小笠原協会としましては、できる限りそういうような措置をとりたいと思っております。  それから第二の問題の、現在の小笠原と過去の小笠原と、これは仰せのとおりでございまして、昔の小笠原は実に平和な島民の島でありました。今後開発される小笠原は元の島であってはいかぬ。これは小笠原島民の島ではなくて国の島である。全国民のレジャーの地としてもこれは発展させなければならぬ。そういう機運にもいまなっておりまして、また昔のようなカボチャやトマトばかりつくっていたのではあの島はもったいない、もっともっと利用価値があるのじゃないかというようなお考えも当然のことであります。私どもは、今度返ってきた小笠原というものは、ほんとうに太平洋のパラダイスとしてもいい島でございまして、そういう面から産業面におきましても、まずレジャー産業、そして農耕する場合におきましても魚をとる場合におきましても、あるいは魚の場合におきましては漁業関係、あるいは農業におきましては観光産業といったぐあいに考えていくことも大切ではないかと思います。  ただ問題は、仰せのように島民と遊離した一部資本家の観光であっては困る。たとえば八丈とか奄美大島におきましては一つの会社が、みやげものの販売とかホテル、そういうものまで全部一つの業者が手におさめてしまって島民とはほとんど関係がない、こういったような観光の島にしたくない、何らかの形でこれは島民生活と結びついた観光を国なり都なりが指導していただきたい、こういうふうに私ども思っておる次第であります。これは決して夢を抱いて昔のような小笠原にするのではなくて、ただ今後は昔の産業も役立つものは非常にある、こういうふうに申し上げたいのであります。  第三の問題は若い者、私ども小笠原島民、一般の国民もこれを心配しておったのは、小笠原のよさと小笠原の事情を知っておる者は壮年から老齢者であって、若い人たち子供のころから本土に引き揚げてまいりましたので、小笠原の姿というものをほとんど認識しておらない、そういう方々小笠原に対する愛着心というものはきわめて薄いというようにみんないわれてきておる。最近はどのようになったか存じませんが、こういった面の意識調査は当然必要ではないか。私どもの協会におきましても、予算が許せばそういったような調査も行ない、これは国でも都でもまだそういう調査はなさっておらぬようでございますが、確かに小笠原をしょって立つ者は青年でございまして、年寄りはもう先が非常に短い、どうしてもこれから若い者、青壮年層が小笠原をしょって立っていかなければならぬのでございまして、この青壮年層が小笠原に対する愛着心がないということになりますと、これはきわめて大きな問題でございますので、そういう点も私どもはいろいろ考えておる次第でございますので、ぜひ国会におきましてもそういう点をひとつ御指導を願いたいと思っております。
  42. 佐藤八次

    佐藤参考人 小笠原復興計画の作成に際しまして、旧島民方々の意欲あるいはお考えを積極的に取り入れるという立場に東京都は基本的に立っております。現に、たとえば小笠原協会の農業部門とか漁業、商業あるいは建設部門のそれぞれの、たとえて申しますと果実、野菜あるいは観葉植物というような関係者の代表の方々においでいただきまして、復興計画に対するお考えでございますとかあるいは帰島に対するお考え等お述べいただくとか、あるいは小笠原青年連盟の方々ともそういう機会を今後持つとか、あるいはいま話が出ましたが、農業関係等につきましては詳細な意向調査等も個人面接という形で行なうというような形で今後もやってまいりたい、このように思っております。  以上でございます。
  43. 折小野良一

    折小野委員 佐藤さんに一つお願いいたします。  先ほど藤田さんに御質問申し上げた土地の処分の問題なんですが、さっき美濃部さんは、困ったことだ、しかししかたない、こういうような御意見でございました。しかしこの問題は将来の小笠原にとって非常に大切な問題でございますので、できるだけ関係方々連絡をとって——それはもうお年ですから、もう帰るめどがないから売ろうという方々、これはあろうと思います。しかし、どうせお売りになるならせめて小笠原に帰島する人に売っていただきたいとか、その辺の御相談とか調整とか、いろいろなことができるのではないか、そうすることによって、いろいろ処分されますが、その幾分がやはりこれからの小笠原の復興に役立つのではないかと思いますが、そういうような面、やはり小笠原協会のほうとも連絡いただいて、都あたりでいろいろあっせんしていただくことが必要なことではなかろうかと思うのでありますが、いかがお考えですか。
  44. 佐藤八次

    佐藤参考人 お説のとおりだと思います。現に漁業関係者が、母島の沖村付近約三万坪を一億円の担保にいたしまして、特定の会社から金を借りて出発した事例がございます。昨年九月三十日が一応の期限になっておったわけでございますが、母島の沖村等開発中心的な拠点と思われる地域が特定の資本の中で権利が移っていくというような形については、今後の開発計画等に支障があろう。同時に島民方々開発に対する資金的な裏打ちというような面で、東京都が一億何がしを肩がわりしたというような実績があるわけで、今後とも御教示いただきました方向でやってまいりたいと思うわけでございますが、その資金等については格段の御配慮を特にお願いしたい、そのように思います。
  45. 折小野良一

    折小野委員 終わります。
  46. 鹿野彦吉

  47. 山口鶴男

    山口(鶴)委員 まず第一は、久保田参考人からお話のございました自治大臣指揮監督権に関する自治法百四十八条ないしは百五十条の問題でありますが、久保田参考人の御見解に私ども全く賛成であります。ただ、ここで久保田参考人お尋ねいたしますよりは、この席には自治法の逐条解説をお書きになった長野行政局長がおられますから、これはまたしかるべき機会にむしろ行政局長に対してその点をただしたほうがいいのではないかと思いますから、その点はお考え方には私ども全面的に賛同しておるということだけ申し上げておきたいと思います。  そこでお尋ねしたいと思いますのは、先ほど美濃部知事に対しまして、今回の復興法奄美大島復興法と違って補助対象ないしは補助率というものが法律で規定されておらない、政令にゆだねられておるということを指摘をいたしまして、美濃部知事からも、できれば奄美復興法と同じように法律でこれらの問題を規定していただきたいという御見解も述べられました。そこで、問題は補助単価だと思うのですが、とにかくあれだけ内地から離れまして、一千キロないし一千二百キロでありますから、資材を運ぶという場合の輸送コストが非常に高いだろうと思います。すでに都におきましては高等学校の建築なりあるいは住宅、道路あるいは港湾の整備等で仕事をしておられると思うのでありますが、補助率がかりに十分の八なりあるいは三分の二なりというような形で政令でかりにきめられたといたしましても、その率が通常の補助率よりも相当高率だったといたしましても、単価が実情に合わなければ都の超過負担というものが非常に大きくなるだろうと思うのですが、現実、高等学校なり住宅なり道路なり、そういった事業をいたしました場合に、通常の都で実施しております場合の単価、それから小笠原で同じ仕事をいたしました場合の単価の違いがどの程度ありますのか、これは久保田参考人あるいは佐藤参考人いずれでもけっこうでありますからお聞かせをいただきたいと思う次第であります。  次にお尋ねいたしたいのは、何と申しましてもどの程度帰島希望者があるのかということが明確でなければ集落の計画も立たない、しかもまた集落計画を立てる場合には土地権利関係がたいへん複雑であるということが問題だということが指摘をされました。  藤田参考人お尋ねしたいと思うのでありますが、昭和十九年には父島列島で四千三百四十八人、母島列島で二千百九人、火山列島で千二百五十四人、南鳥島でゼロ、合計七千七百十一人の方が居住しておられるということであります。その後おなくなりになった方もありましょうし、新たにお生まれになった方もあろうと思います、もちろん内地に参りまして。これらの方々、およそ小笠原協会で把握をしておられます帰島希望の方はどのくらいございましょうか。先ほど折小野委員から御指摘がありました若い方等の帰島ということも重要だと思いますが、ある程度年齢構成その他で調査いたしましたデータがあればお聞かせをいただきたいと思います。もし都のほうでもそういうものを握っておれば、あわせて佐藤参考人からもお聞かせをいただきたいと思います。  それから、集落計画をつくります場合、たまたま問題になります例の大村地区、防衛庁が押えている、あそこが住宅の適地であるということは現地皆さんも言っておられました。そういう意味で、集落計画をつくります場合に、住宅の適地としては一体どのようなところを考えておられますか、あわせて、どなたでもけっこうでありますからお聞かせをいただきたいと思います。  それから、久保田参考人お尋ねしたいと思うのですが、たしかアメリカが旧島民の方に対して、八百万ドルだったと思いますが、補償と申しますか、そういう形で日本政府を通じまして島民皆さんに補償をいたした、また都がこれとは別個に補償をいたした、その場合、アメリカから来ました八百万ドルと、すでに国が措置いたしましたものを差し引いてどうこうしたというようなことがあの協会の中で非常に問題になったことを聞いております。この点は藤田参考人にもお聞かせいただきたいと思うのですが、米軍ないしは国、都、これが補償いたしましたことに対しまして、特に協会の皆さんとしてはまだ御不満があるのかないのか、この点はひとつお聞かせいただきたいと思います。  同時に、久保田参考人には、聞くところによりますと、この補償で小笠原漁業株式会社等を設置をいたしまして船を買った、ところがその船をある造舶会社に売ってしまったというようなことでトラブルがあったということも聞いておるわけでありますが、そういうことでは問題であると私は思いますので、特に都議会等でこの補償に関係いたしまして議論した経過がございますならば、ひとつお聞かせをいただきたいと思う次第であります。  最後に、かつては七つ村があったようでありますが、いまは小笠原一つであります。藤田参考人のお話を聞きますと、父島ばかりを復興しないで、やはり母島も硫黄島も一緒に復興していただけないかというお話がございました。まさにそうだろうと思います。そこで、都の佐藤参考人にお伺いしたいと思うのですが、現在は小笠原一つですが、近い将来母島と硫黄島それから父島、せめて三村くらいを設置することのほうが、むしろ私は各地域を復興していくにはいいんじゃないかという気がいたしますが、現在の小笠原一つでよろしいのか、できるだけ早い機会に、せめてこの三村くらいを設置をするほうがいいとお考えであるか、この点を最後にお聞かせをいただきたいと思っております。
  48. 久保田幸平

    ○久保田参考人 最初の費用の積算の問題ですが、これはまず復帰当時から米軍に雇われていた人たちの賃金の問題があります。たとえば学校の教員の場合はたしか二十何万円に当たる。現在の東京都の教員をその額でやるにはとても困難だというような問題がございました。そういうような関係で、いま、聞くところによると大体労務賃は内地の倍額くらい要るんじゃないか。あるいはあそこで、私、先般行ったとき聞きましたが、コンクリートの骨材、要するに砂利にするもの、こういうものはあそこの島の石では全然だめだ。結局米軍なんかは遠くグアムのほうを経由してどこか遠くから骨材の石なんかを持ってきている。あの硫黄島の骨材、戦時中に使ったトーチカやその他つくってありますが、ああいうものは自然にぼろぼろにくずれてしまう。そういうことを考えると、もしそういうもので鉄筋コンクリートのようなものをつくる場合には、さらにコスト高になるんじゃないか、こう考えております。  それからあとの問題では、大村地区の防衛庁のあれですが、同時に、硫黄島の問題はあまり論議されておりませんが、いつでですから私の意見を申し上げますと、昨年米軍がおるときに、航空部隊とロラン基地の沿岸警備隊とおるわけですが、沿岸警備隊のほうには、どのくらいですか、百メートル四方くらいの雨水をとるのがありまして、そこからずっとタンクやパイプで流しておるのですが、あそこにおる人たちはその水で雨水をとっても沿岸警備隊の連中は足りない。それで航空隊のほうのあの三千メートル近い骨走路から雨水をとっている。そっちのほうは十分余裕があるので、ときどきそっちの水を借りているというふうなことを言っておりました。ですから硫黄島については地下水はどうなのか、こういう点は相当困難な問題があるのじゃないかと思います。特に硫黄島の海岸の沈船の陰で私たちの船が、はしけも座礁するような状態でみんな海の中に入りましたが、大体あの海の水が四十五度ぐらいでお湯になってわいておりますから、これは将来一つ観光として砂温泉ですか、そういうものになれるかなれないか、まっ黒な砂利ですから。とにかく浅いところの水は四十五度ぐらいにわいておりますが、そういうようなことは私承知しております。ただ、水が硫黄島には非常に少ないということはいえるのじゃないだろうか。  それから当時の米軍の補償たしか六百万ドルは、これは一世帯当たりそれぞれ分配しておったと思います。その分についても利子の問題で、利息がどうだとかこうだとか、二億とか三億は云々という問題は相当論議になりました。それからさらにそのほかに、東京都を通じて、あれは一世帯六万円ずつを渡すことになっておりまして、その金で当時、個々に渡してもたしか二回に分けてこれは支給するということになっておりましたが、それを各人の出資にして小笠原漁業株式会社をつくり、第一小笠原丸から最終的には第五小笠原丸までつくって、清水に本社があったようであります。しかしこれは漁業株式会社がそれぞれの経理でやっておりましたが、うわさでは相当船は豊漁であったという話を聞いておりましたが、最近では、清水の何鉄工でしたか、そこに最後に船を売ってしまったために船がなくなって、結局漁業権がなくなるというような状態で、背任罪とかなんとかいうことで告訴をされておる。一方で告訴したり告訴されたり、いろいろ問題が現在起きている。こういう問題は民事の関係になろうかと思うので、直接いろいろの論議の対象にはなっておりますけれども、これらはしかし少なくともはっきりすべきである。そういうようなことから、さらに先ほど佐藤部長から話もありましたが、昨年、早く漁業協同組合をつくって船をつくっていきたいというようなことから、ある会社から一億一千八百万程度ですか、一億ですか、とにかく金を借りてまず船をつくる、そうしていきましたがそれが九月末で期限が来ている。そうすると母島土地の三万坪、二人の人がたしか自分の土地を担保に入れている。まごまごすると、漁業協同組合は正式に発足できない、そうして船はできるというようなことでいると、一銭も一匹も魚獲をしないうちに期限が来る、これでは土地をただそのまま取られてしまう危険があるというようなことで、東京都議会の中あるいは都の執行部ともいろいろ話し合いまして、これを都が補償して、肩がわりして会社のほうからは縁を切らした。ですからそのときには、私どもから見ればこれは当然十分な行政指導と申しますか、そういう計画がなくて、一方的に旧島民の方が早く帰りたいという一念で仕事を進めたために、そういう点で、そういうことを都があとから処置してやらなければその方々に非常に迷惑がかかるというようなことで処置いたしました。そして漁業協同組合を島の方、それからこっちにおられる方、こういう方々で向こうに移る方と一緒になってつくらしてやっておるけれども、実績は、先ほど知事もお話があったように、少なくとも採算のとれる半分くらいしかいっていない、こういうような状態を大体私存じております。  以上です。
  49. 藤田鳳全

    藤田参考人 ただいまの御質問の問題につきまして久保田先生がいろいろお話しされておるようでありますので、帰島希望者のデータの問題でございます。  これは昨年の春、総理府でもって意識調査をやりまして、そのときの帰島希望者というのが四千二百五十名ございました。引き揚げた者は七千七百十一名でございまして、仰せのとおりでございます。その後いろいろふえたり何かしまして、大体一万の小笠原島民というものが存在しているわけでございまして、現在の状態といたしましては、まだ私どもは年齢層の調査まで実はやっておらないのでございますが、今後はどうしてもそういう問題、そしてもう一つは帰島希望者の現在の意識調査というものを当然国なり都なりの御指導を受けて私どももやりたい、そういうふうに存じておるわけでございます。  それからアメリカの見舞金の問題につきましては、ただいまもお話がございましたが、これは八百万ドルでなくて六百万ドルでございます。邦貨にしまして二十一億六千万円。ただ、国が昭和三十年と三十一年の二カ年にわたりまして一億三千九百万円というものを見舞金として小笠原島民に出していただきました。しかし、これは閣議決定がついておりまして、アメリカから取った場合は、補償金であれ見舞金であれ、その中から国庫にその金は返還するのだぞ、こういうことになっておりましたので、私どもは正直にそのとおりに一億三千九百万円というものは、六百万ドルのアメリカからの見舞金が出たときに国庫に返還いたしたようなわけでございます。  それから、その配分の問題でございますが、配分の時点におきましては非常に問題がございました。この金は一体どういう性格のものであるか、これは土地に出た金であるか、あるいは全島民に対する公平な見舞金であるか、こういう問題で非常に島民間に争いがございまして、一つ小笠原帰郷促進連盟というものが三つにも四つにも分裂した。それぞれの利害関係の者が集まりまして意見の相違がございましたが、現在ではそういう問題は一応解決がつきまして、そして財団法人小笠原協会というものができまして、結局小笠原の問題は見舞金だけの問題ではない、今後やはり島民が一丸となってアメリカに対して領土の返還を求めなくちゃならぬ、そういう場合に島民が金のことでもってとやかく争っているのは非常に間違いだ、だから一本になろうじゃないかということでもって、学識経験者にも参加を願って昭和四十年に財団法人小笠原協会というものをつくりまして、以来とやかくという問題はございません。また、この配分に対する不満というものも、一応これは国が配分することになっておりまして、島民の意思も十分参考にされて、多少の不満はあったにせよ、現在ではそういう問題は幸いになくなっているというのが現状でございます。  それから漁船の問題、それから東京都からいただいた問題、東京都からは三千五百万という金をいただきまして、これを基本としまして小笠原漁業というものができたのでありますが、最初の経営は非常にうまくいったのでありますが、経理が非常にずさんである、また、島民根性というものがその間に介在しまして、内輪でものを経営するということは、とにかく遠慮がない、そういう関係からどうも経営がまずくなりまして、まことに申しわけない状態になりました。いまいろいろ何かそれを再建するようなことで一部の人たちが、漁業関係者が努力しておるようでございますが、この点はまことにどうも遺憾に存じておるような次第でございます。  国からもらった金は、昭和二十九年に平和条約発効前の見舞金としまして千七百六十五万円、これが国からいただいた金です。これは引き揚げ者に対して公平に分配いたしました。国からもらった金は千七百六十五万円、あとのアメリカからもらった金は私ども中心となりまして、国を介してアメリカに陳情しました。これがうまくいって、一時はこの金のために施政権の返還も帰島もだめになるのではないかというようなお話もかれこれございましたが、私どもはそれに対して、これは見舞金である、これによって領土のとやかくという問題はない、それから財産権をアメリカに移転するものでもない、そういうはっきりした条件をつけておりまして、その後いろいろ運動しまして、幸いに施政権が返還されたような状態になりまして喜んでおるわけでございますが、いまの段階におきましては、とやかくの問題というものはおかげさまでなくなっておるというのが現状でございます。  大体そのようなことではないかと思います。
  50. 佐藤八次

    佐藤参考人 開発の手順と村との関係でございますが、父島母島等につきましては、御意見のとおりに開発を同時にやってまいりたいという一応の構想を持っておりますが、硫黄島等につきましては、先ほどから問題になっております遺骨あるいは不発弾等の処理を前提といたしませんと、なかなか具体的な開発計画が立てにくい段階でございます。  それから、そういう開発計画と村との関係でございますが、戦前はそれぞれの島に二ないし三くらいの村があったわけでございますが、戦後の自治省等の指導によります公共団体の基礎的位置づけ等の関係でございますとか、あるいは特に硫黄島等につきましては支庁の直轄であったというような歴史的な関係、それからできるだけ自立的な開発の意欲をそこにおられる方々が持って、みずからの経営と責任でやられるということについては、前向きで検討いたしたいと思っておるわけでございますが、公共的な投資の関係その他いろいろな問題が山積いたしておるわけでございますので、その辺につきましては、具体的な開発の手順あるいは現実を踏んまえながら、自治省とも相談しながら御意見に沿ってやってまいりたい、このように思っております。
  51. 鹿野彦吉

    鹿野委員長 小濱新次君。
  52. 小濱新次

    ○小濱委員 久保田参考人お尋ねしたいのですが、硫黄島の不発弾処理と白骨の収集については、先ほど美濃部知事は、国に全面的にまかしておって都としては別に何ら考えを持っていない、こういうことでございました。いうならば対策なしという現状のように久保田参考人のお話の中からも私は感じ取った。いわゆる上陸してみれば道路以外には歩けない、墓場にも入れなかった。しかもまた事例をあげてのお話でございましたので、よく様子はわかるのですが、あなたは現地に行かれていろいろと意見も聞いたでしょう。また御自分なりのお考えもお持ちになったかと思いますが、この問題に対する考え方をお持ちになっておったらお聞かせいただきたいと思います。  それから藤田参考人お尋ねしたい。あなたは現地にお住まいになったことがあるそうでありまして、お尋ねするのですが、先ほどのお話ですと、硫黄島にも二万の人たちが住んでおったし、また父島にも何万という人が住んでおった、そういう過去のお話もございました。そこで問題になるのは水ですが、水は不自由はない、現在では水脈というかそれがつかめないでおるけれども、過去にそういう実績があるから心配はないのだ、こういうことでございました。それで私どももこれからの復興事業を進めるにあたっては、何といってもこの水の問題が大きく浮かんでまいります。処置がないというのか、全然水脈がないというのか、私どもも島に上陸して歩きながらそれとなく関心を持って見ておったわけですが、あそこの父島に上がりましたら、隊道を何カ所か私どもは車で走ってみましたところが、日本のトンネル、いわゆる隊道なんかではどこへ行っても水滴がぼたぼた落ちているですね。あそこは全然落ちておりません。水滴もない。こういうことで、これは天水もあるし井戸水もあるし、あるいは淡水化方式も将来考えられなくちゃならぬし、いろいろ方法はあるかと思いますけれども、ああいう熱帯地のことでありますから何か水脈がないように、水滴がないところからそういうふうに判断されるわけですが、この点についてもう少しお聞かせ願いたいと思います。  それからもう一点は、漁業協同組合の漁船が二トン、三トンぐらいの小さい船で、聞きましたところが、もう硫黄島のほうまで出漁しているようですね。そうすると、父島にはお住まいがありまして、その家によくワイヤのバンドが巻いてありました。これは台風対策なんだ、こういうふうに聞かされましたけれども、非常に台風の多い地域です。こうなるとあの二トン、三トンの漁船が百、二百キロも沖へ行って、遠くへ出漁に出かけていくということになると、こういう台風なんか起こったときには、まあいまそういう通信施設も非常に発達しておりますから早くキャッチはできるんでしょうけれども、この漁船はどこへ避難するのであろうか。硫黄島の場合あるいは父島の場合、母島の場合、ほかに避難する場所があるのであろうか。過去に何か二見港には三百何隻かの避難船が入った例があるそうですけれども、そういう過去に何か実例がございましょうか。そういうことについてひとつお聞かせいただきたいのであります。  それからもう一点、藤田さんにお尋ねしたいんですが、先ほどあなたは、空港建設に母島が、まあ言わしていただくならば第一の条件のところだ、こういうふうにおっしゃったように聞いておりましたけれども、私どもは遠くから母島を見せてもらって、あの辺が予定地なんだ、こうなりますと、あの南崎ですか、右のほうからぐっと平地になったあそこへ二千メートルぐらいの滑走路をつくったとすると、一番いろいろ農耕地として適当な地域がとられるんじゃないか。そうするとこれからの農業という問題についても大きく支障が起こってくるように私は見てきたわけです。父島にも夜明山ですか、三百メートル以上高い地域に岩盤をくずしてつくる計画もあるようであります。これはまあ千五百メートルくらいしか長さはできないそうですね。こういうことですから、私はもしか硫黄島のこの整備ができ上がれば、あそこには私のほうのあれには三千と書いてあるのですが、きのうのお話ですと二千六百メートルくらいの飛行場になる。こういうところが整備が完成していけば、将来相当大きな飛行機が緊急時には不時着もできるような、そういう施設もほしい。母島父島ではちょっと距離がなさ過ぎる。硫黄島ならば何とか着陸ができる、こういうふうな考え方も浮かんでくるわけでありますが、いろいろと協会のほうでお話し合いが出ているかと思います。そういう皆さん方の御意見の中から、この問題についてひとつお聞かせをいただければ幸いである、こういうように思います。よろしくお願いします。
  53. 久保田幸平

    ○久保田参考人 硫黄島の関係の遺骨収集の問題あるいは不発弾の処理の問題ですが、知事が申し上げたのは、おそらく東京都としてそういう仕事は固有事務でない、こういうことで都が直接手を下すわけにはいかない、こういうことだろうと思います。しかしこれにつきましては、私この前、昨年の五月に行く際にも、旧島民あるいは現在おる島民、これらの人たち生活をどう守るか、と同時に、一番大切なことはやはり硫黄島が、当時、復興をこれからやる場合には五百億かかるというような話がある。そうすると五百億の巨費を投じてやるのについても、あそこに二万余名の玉砕した人たちの遺骨がある。これをそのままほっておくことはいけないんじゃないか。少なくとも開発と同時に遺骨収集を積極的に政府がやらない限りは、国民感情としてもこれは受け入れられるものでない。どうしても復興計画をほんとうに進めるには、遺骨収集ということをまっ先にやらなければいかぬのじゃないか、並行してやるべきであるという意見を私は申し述べたし、また調査団から帰ってきて都議会の中でも報告しておきました。ですけれども政府のほうが、いうなればたいへん遺骨収集等について、いままではともかくとして、非常に積極的でないというとしかられるかもしれませんけれども、そういう態度が見られるのじゃないか。ということは、先般私のところに、ダバオで生まれて、ようやく昨年民間で初めて二十三回忌に親の死んだところに行った。ダバオの自分の生まれ故郷に行った。それに対して何回政府にかけ合っても、政府のほうは、やれフィリピンの対日感情が悪いとかなんとかいってやってくれない。ついに民間団体で八十名の人を編成して昨年の八月十五日に行った。ことしもまた行くのだと言っておりますが、そういう中で、向こうの許可がないから遺骨収集もできない。それで新聞記者たち政府にも呼びかけて、ようやく政府が昨年の暮れになってダバオのほうに遺骨収集に若干申しわけ的に行ったということを聞いております。そういうような手紙が私どものところにきております。そういうことを考えても、硫黄島の遺骨収集は確かにむずかしいと思います。地下十八キロにあるという地下壕は一体どこに穴があるのか。しかもちょうどあのこんもりした小高いところに、日本の旧飛行場があったところとは別に、約九千フィートといっておりますけれども相当幅の広い、しかしアメリカのほうは返すのだからあまり舗装その他はしておらないようでだいぶいたんでおりますけれども、そういうところでどれだけ戦死しておるのか。あるいは前に高野組か何かが行って、そしてアメリカ軍の下で仕事をやった。昨年われわれが行ったときに三十数体の収容した遺骨、これは厚生省の係官が収容してまいりましたが、これは立ち入り禁止のジャングル、まあジャングルというかギンネム以外にたいして大きい木もありませんが、そこに旧高野組の人たちが当時作業をやったときに集めたのを、石を積んでそこに置いた。それをだんだん伝え聞いて、最後の自衛隊で行ったのが、あそこにあるという話を聞いておった。そこで厚生省の係官を連れて行って、推定三十体の遺体ということで、われわれ一緒に帰ってきましたが、そういうような状態で、一体その当時どの程度日本の戦死者が散らばっておったのか、アメリカ軍が整理した場合どうしたのか、飛行場の滑走路をつくったときにはたしてそれがあったのかなかったのか、こういうことは全然データがないらしいのです。それで米軍のほうだけは全部一人一人十字架を立てて広大な土地に埋葬して、それからあとで持ち帰ったようです。ですから、まだ当時許可がなくて、反対の方向を二人でずっと摺鉢山を四時間かかって歩いた人の話を聞けば、その辺に遺骨はほとんど見えなかった。トーチカの中も通ってきたし、あるいは直撃弾を受けたトーチカもあったし、いろいろなところに行ってみたけれども、ただ大腿骨のようなものが一つしか見つからなかったということを言っておりました。ですから、戦後二十五年近くになることですから、外にあるものはおそらく風化されているし、米軍のいたところはどうなっておるかということもあるわけですが、私はそういうことは、結局都独自では直接遺骨収集はできませんけれども、これは世論として、とにかく自衛隊が行って早く不発弾の処理をしてほしい、これをやはりしなければならぬと思うのです。あそこの旧島民の墓地の横にも追撃砲弾の不発弾が落ちていました。さわるのはあぶないからよせというので置いてきましたが、旧島民の墓地の近くにもそういう不発の迫撃砲弾があった。ですから、これは都でやる直接の仕事ではありませんけれども、当然これは都も、あるいは一般の世論も大きく盛り上げて、一刻も早くその処置をしていただきたいというのが私の気持ちでございます。
  54. 藤田鳳全

    藤田参考人 水の問題でございますが、硫黄島の場合は大体戦前千三、四百名の住民が住んでおったと思います。それで当時は硫黄島には、御承知のように地下水が全然ございませんので、みなそれぞれ家庭、家庭に大きな天水タンクを持っておりまして、そのタンクを利用しておりましたが、干ばつの場合水に支障を来たす。ふろに入る場合もちょっと考えなくちゃならぬというようなこともございましたが、作物は、硫黄島としましてはあまり水の要らぬ薬草デリス根とか、そういいったものをおもにつくっておりましたので、それほどの問題もなかったようでございます。最近、私はことしの一月硫黄島へ行きまして、硫黄島の水の問題はどうかと言いましたら、米軍がつくった天水タンク、大体これは飛行場の滑走路を利用したタンクでございまして、一万五千トンの水が年じゅうあるので、硫黄島においてはまず水の心配というものは何もなくなっておる、こういう回答を得たわけでございます。  それから父島の問題、これは約二万名の軍隊が駐留しておりましたが、これはまあ小さいダム一つと、あとは水を地下水でもってまかなっていたようでございます。現在のように水洗便所を使うというようなことはありませんので、多少水を節約した点があるかもしれませんが、水がないためにどうのこうのというようなことはございません。  小笠原は御承知のように地下水が相当ございますので、地下水を利用するということも相当考えられます。また小笠原島の川は尾根と尾根の間を流れておる小川でございます。したがいまして、その尾根と尾根との間を食いとめておきますと、その小川の水と、それから非常に大きな雨も降りますので、この雨水がそこへ貯水されますので、小川、小川ごとに小さなダムをつくれば水の問題は十分解決できるというふうにみんないわれているようでございますので、その点もひとつ十分検討される必要があるのではないか、こう思っております。  母島は、やはり水で困ったということは母島ではいままではございませんでした。これは陸軍が二個大隊ぐらいおりましたか、それから海軍が相当おりましたけれども、これはほとんど地下水でもってまかなっておりまして、あそこも水は豊富な地域でございまして、この点も、やはり尾根の間をせきとめて水をとれば水には不自由ないというのが小笠原島民の一致した考え方のようでございます。  それから船の問題でございますが、なるほど今度帰った小笠原の漁民、六十数名帰りました小笠原漁業協同組合の船というのは三トン半でしたか、これを十隻つくって行ったようであります。ところが人手不足のためやいろいろな支障がありまして、五隻しか使っておりません。五隻の船は行った早々おかへあげてしまって、ほとんど現在使用もされておらない。それで、ああいう小さな船でもって硫黄島あたりまで漁業に出かける。これは、なるほど考えてみますとずいぶん冒険のようでございますが、私は母島にも十年ほどおりましたけれども小笠原で船が遭難した——みんな小舟でありました。大きな船でせいぜい二十トン、これはカツオなんかとる船でございますが、みんなそういう小舟でございますけれども、遭難したということはほとんどなくて、漁民は全部常に天候をながめておりまして、暴風の来るようなときはほとんど出なかった。そして台風が来るというようなときは父島まで行きまして、ちょっとした船は父島の二見港に避難した、そういう点がありまして、漁師が遭難したというようなことは内地に比べますとほとんどないといって差しつかえないのでございまして、小笠原の近海で、硫黄島まで行けば別ですけれども、近海ではほとんど小舟でたくさんであったというような状態であります。大きな船をつくればそれにこしたことはないと思いますが、そういうような考え方から、やはり小舟でもって近海の魚をとろうというのがこの人たちの考え方であったと思うのでございます。  今度小笠原返還されれば、小笠原の二見港というものは非常にりっぱな港でございまして、内地の各漁船の避難港としてはもう申し分のないところでございますので、そういう点が遠洋漁業の基地としてあるいは避難港としまして将来活用されるのではないかと私は思っております。  それから空港の問題でございますが、これは父島空港ができればそれにこしたことはないのでございます。またこういうことも私聞いたことがあります。陸地だけを相手にしないで洋上に空港を建設するということも、そういう意見も聞きました。あるいはそういうことができるとするならば、洋上に二千メートルくらいの滑走路をつくって、そこを空港とする。問題は、経費の問題や立地条件の問題じゃないかと思いますけれども、そういうことも考えられますが、母島と申しましたのは、これは母島の中の平から南崎にわたってほとんど国有地であります。民有地というものは、一番母島のいいところは評議平でございまして、評議平の部分はほんの少しかかる程度であって、中の平の一部とそれからあとは全部官有地でございまして、農業に支障を来たすというほどのことはないというふうにみんないわれておるようでありますので、私ども父島であっても母島であってもいい。しかしどうしても小笠原飛行場はつくっていただきたい、そういう考え方から、母島でもいいじゃないか。三十五キロから四十キロしか離れておらぬので、快速艦をもって、この間聞きましたら一時間十五分でもって父島母島をつないだ、そういうことも聞きましたので、どちらでもいいからまず立地条件のいいところに飛行場をつくってもらいたい。そういうことから申し上げましたような次第です。硫黄島は、滑走路は三千メートルだと思いましたが、実にりっぱな空港でございまして、これはどんな大型機でも硫黄島には着陸できる。ただし、残念ながら港がないので、硫黄島へ一ぺん飛行機で参りますと、硫黄島からまた父島母島飛行機で渡らなくちゃならぬ、そういう欠点がございますので、やはり硫黄島は硫黄島、それから小笠原小笠原というぐあいに空港は考えておく必要があるのではないか、こういうふうに考えるわけでございます。
  55. 鹿野彦吉

    鹿野委員長 大石八治君。
  56. 大石八治

    ○大石(八)委員 行政部長にちょっとお伺いしたいのですが、復興計画を実施するのは東京都及び小笠原村というのでしょうか、そうなるように法律も書いてありますけれども、またそうだろうと思うのですが、現にいままでもやってきたことと思うのですが、いまの法律でいえば、いまというのは自治法でいえば、市町村の固有の事務と都の事務と、二つに分かれると思うのですね。いまの小笠原村というのは御承知のとおりやや変態的な状態ですし、また財政力という問題も実際問題としてはないし、したがって法律では、かさ上げをした補助金を国が地方公共団体にやると、こう書いてあるけれども、実際問題はいまはどういうふうにやられておるのでしょうか。たとえば私去年行ったときに、中学校でしたかね、少し山の高いところにつくるということで、大体できたというお話でしたけれども、普通でいえばあれは市町村の業務になる。しかし今度の場合はあの仕事はどういう形式でやられておるのでしょうか。
  57. 佐藤八次

    佐藤参考人 丘の上につくりましたのは小笠原高校のことではなかろうかと思うわけでございまして、高校は東京都でございます。  それから、一般的には先ほどお話がございましたように、小笠原村は特殊な環境下に置かれております。支庁長が村長及び収入役を兼務し、議決事項に該当する項目につきましては五人の村政審議会の方々に一応おはかりして議決をいたしておる、こういう実態でございます。それから村の業務の実態につきましては、小笠原支庁の職員並びに東京行政部の一部の小笠原対策関係に取り組んでおります職員が、あるいは診療業務ということになりますと、部分的に衛生関係の職員が業務の委託を受けたという形で代行するという変則措置を現在はとっております。
  58. 大石八治

    ○大石(八)委員 この間行ったときに、そういうことまで詳しく聞かなかったのだけれども、そうすると普通の自治体と東京都と同じような形で、東京都から補助金を小笠原村へやって、そして小笠原村が建設事業なり自分の事務としてその業務をやっておるのですか。
  59. 佐藤八次

    佐藤参考人 村の歳入等につきましてはきわめてわずかな税収入及び手数料その他でございまして、ほとんど国からの支出金でございますとか、特別交付金でございますとか、あるいは起債あるいは東京都の支出金等でまかなっておるのでございまして、そういう年間の予算相当いたしますのを村政審議会におはかりいたしまして、おきめいただいて、それを執行する過程におきましては、先ほども申し上げましたように実行する力を持っておる機関に委任と申しますか、代行をしていただくという方法で現在処理いたしております。
  60. 大石八治

    ○大石(八)委員 そうすると、たとえば府県が市町村から委託を受けて仕事をやっているような、ああいうやり方をやっておるわけですか。
  61. 佐藤八次

    佐藤参考人 大体そういうやり方でございます。
  62. 大石八治

    ○大石(八)委員 いまのところは初歩的な準備段階のことをやっておられて、たとえば道路の開設なんかも、都道になるものもあるだろうし、いわゆる小笠原村道という部分もあるのだろうと思いますが、いまのところやったのは都道としてそういうことをやったのか、あるいは町村道としてやったのか、そういう方面もわかりませんが、いまの場合はそんなあまりはっきりした分野ではやっておらないんじゃないかと思うのですけれども先ほど知事のお話のとおり人間が入るのは四十六年ごろから入ることになるかと思うのです。その間の仕事というのはほんとうに東京都の固有の業務と、普通ならば市町村の業務になるのだけれども、実際の場合は小笠原村というものが固有の業務としてやれる部分というのは非常に限られているのではないか。それにやらせても無理であるということになれば、そういうことをやるについては何人かの村政審議会の人たちと相談をして、こういうふうにしましょうという考え方をまとめて、結局東京都がそれから委任を受けてやるようなことが、おそらく四十六年だけでなしにしばらく続くというふうな感じ方ができるような感じがするわけです。それには東京都で何かそういう事務の条例、それは一つには会計制度の問題もあるだろうし、条例なんかつくってこの問題を処理していくというようなお考えは予想されるのでしょうか。ちょっとその点を……。
  63. 佐藤八次

    佐藤参考人 その問題につきましては、基本協定的なものを村と東京都で自治省の指導をいただきまして取りかわしてございまして、その協定に基づきまして個々の業務をさらに契約するというような形でございます。
  64. 鹿野彦吉

    鹿野委員長 林百郎君。
  65. 林百郎

    ○林委員 藤田さん、先ほど社会党の山口さんが質問されたのですが、昭和三十五年にアメリカから旧小笠原島民に見舞金と称して支出された六百万ドル、これはどういう性格の金で、アメリカのどこから日本のどこへ来た金なんですか。
  66. 藤田鳳全

    藤田参考人 お答えいたします。  これはアメリカから日本政府に対して交付された金でございます。そしてこれは小笠原島民その他小笠原関係者に対して配分する、いわゆるこれは見舞い金の性格を持っておりまして、小笠原人たちの間でもって一時、これは土地に対して出たものである、あるいは全部の島民に見舞金として等分に配分すべきものだ、こういうようにいろいろの意見がございました。先ほどちょっと申し述べましたのですが、これは日本政府に対して、日本政府の方針に基づいて小笠原関係者に配分する、そういう性質の金でございます。
  67. 林百郎

    ○林委員 簡単でけっこうですが、これは日本の金にして二十一億以上の金になると思う。相当の金ですからこれははっきりさせておく必要があると思うのですが、それでは日本政府小笠原島民にそれを全部分けたのですか。
  68. 藤田鳳全

    藤田参考人 そうでございます。
  69. 林百郎

    ○林委員 そうすると、あなたの関係された当時は小笠原島帰郷促進連盟ですね、これは全然関係ないのですか。直接政府島民を調べてそれを支給したのですか。
  70. 藤田鳳全

    藤田参考人 政府といたしましては、これは総理府が担当いたしまして、島民意見相当参考にしまして配分計画というものを立てまして、閣議決定に基づいて総理府はそれぞれ土地所有者は幾ら、あるいは漁業者は幾ら、あるいは世帯員は幾らというぐあいに配分比率というものをきめまして国がこれを配分したということになっております。
  71. 林百郎

    ○林委員 そうすると、その配分は全部資料は政府が持っておると見ていいですか。
  72. 藤田鳳全

    藤田参考人 はい、持っております。
  73. 林百郎

    ○林委員 そうしますと、二十一億をかりに島民七千人で分けると一人三十万くらいになるわけですね。それは政府がきちっと払っておるのですか。あなたは先ほど、二十一億のうち全部は払っておられないような話をされたのですが、それはどうなんですか。
  74. 藤田鳳全

    藤田参考人 二十一億六千万の見舞い金が出まして、その以前に小笠原島に対しまして政府が昭和三十年と三十一年の二回にわたりまして一億三千九百万円というものを見舞金として交付したのです。ただしこれはアメリカからもらうのが本来の筋である、島民を帰島させないことによって生じた損害は、これは帰さないのはアメリカの責任である、払わないならば島民を帰せばいいではないか、したがってこれはアメリカに向かって要求するのが筋だということでありまして、私どもはアメリカに対して要求しました。これは日本政府の支援を得まして要求したのでございます。その結果これが出たのでございます。アメリカとしてはこれを出す場合、原則というものはやはり必要でございまして、土地を標準としまして、大体沖繩の例を勘案して二十一億六千万というふうにきめたわけでございまして、最初は五百万ドルだという線が出たのでございますが、五百万ドルでは少ない、もう百万ドルふやせということで、約半年ほどかかりまして外務省を通じましてアメリカに交渉しましたら、それを認めてくれまして、それで六百万ドルになったものでございます。しかしこれは配分にあたっては、旧島民の財産権に重点を置いて配分するという形になりまして、これが配分が行なわれたようなわけでございます。
  75. 林百郎

    ○林委員 そうすると、いま財団法人小笠原協会というのは、この財団法人というのは何が財団になっておるのですか。
  76. 藤田鳳全

    藤田参考人 先ほども申し述べましたけれども、当時この配分金をめぐりまして島民間のいろいろな対立がございました。これは土地に出た、いや土地に出たのじゃない、全部の島民に出たのだ、そういう見舞金であるか補償金であるか、その性格は一体何であるか、こういう問題が非常に活発に論議されまして、その結果、いろいろ島民間の対立が激しくなって、三つも四つも団体ができたような状態でございます。これをどうしてもまとめなければ小笠原問題というのは将来発展しない、何はさておいても、まず施政権の返還である、旧島民帰島であるということから、昭和四十年に常識経験者をまじえまして財団法人をつくりました。その財団の基礎になったものは七百万円でございます。これは農業漁業、そういう方面の組合に出た金を寄付してもらう、そして七百万円という財源をつくりまして、これを基本財産として、あとは寄付金によってつくりました。そして今日に至っておるようなわけでございます。
  77. 林百郎

    ○林委員 そうすると、その二十一億の配分は、土地そのほかの権利に対して配分された、島民という個人よりも、その島民が持っていた権利が、いまだれに帰属しているか、そしてその権利に対して支払われた、こういう性格のものですか。
  78. 藤田鳳全

    藤田参考人 これは権利と申しますか、どう申しますか、とにかく土地を十町歩をもっていた者、それから百坪持っていた者、それぞれやはり財産権の比重が違いますので、これはやはり土地に対しては、財産権の多い者に対してはそれなりに、少ない者にはそれなりに、また船の問題につきましては、二十トンの船を持っていた者、カヌーを一隻持っていた者、やはりそれぞれ収入が違いますので、財産権を中心とした配分を行ないましたために、それぞれの支出が違っております。ただ、同じのは家族割りとか世帯割りとか、そういったものは一律平等でございます。あとのものは、すべて財産権を主としまして配分の基礎をつくった、こういうわけでございます。
  79. 林百郎

    ○林委員 もうあまり長くなるのは恐縮ですが、そうすると、島民で、その権利が他人に譲渡されていて、旧島民でない権利者が登記されていたりしていた場合には、その人のところへいったわけですか。
  80. 藤田鳳全

    藤田参考人 そういう場合もあったかもしれませんが、これはやはり土地の場合は、土地台帳というものがございまして、その当時は登記も何もできませんでしたので、その土地台帳に基づいてすべての土地の確認を得た。それから船の問題等につきましては、その当時の船の所有者状態を、全部島民の間において調べまして、そしてその基本的な数字をあらわした、そして配分した、こういうわけでございます。よそに財産権が移転しておったというようなことは、その当時の状態としましては、あまりなかったものではないかと思っております。
  81. 林百郎

    ○林委員 そうすると、その配分の方法については、土地なら土地台帳を調べて、その土地台帳の人に対して政府が直接支給をしたのですか。そうすると、あなたがそのころ関係されていた帰郷促進連盟は、別に関係がないわけですか。
  82. 藤田鳳全

    藤田参考人 これは、関係がないというふうに言われますと——私どもはやはり政府に協力しまして、いろいろ調査し、また意見を出しましてやりましたけれども、結局配分権というものは国にあるものでして、これはやはり国の方針に基づいて閣議決定で配分した、こういうのが実情でございます。
  83. 林百郎

    ○林委員 それでは、いろいろ金の配分については、帰郷促進連盟も一応調査をしたり、協力をした、意見も具申した、こう聞いておいていいですか。
  84. 藤田鳳全

    藤田参考人 国としましても、配分にあたっていろいろ島民意見を聞く、たとえば土地の等級でございますが、これは国にはわかりません。土地が、一等地もあれば二等地もあり、三等地もある。大体六等地まできめたと思いますが、やはりそれぞれの財産権に適応した配分を国が行なったというのが事実でございます。
  85. 林百郎

    ○林委員 けっこうです。この問題は、また政府はあらためて聞きたいと思います。  佐藤さんにお尋ねしたいのですけれども、これももう質問が出ていますが、今度の法案によりますと、復興計画は一応知事がつくるけれども復興計画の決定権は自治大臣が持っている。それから毎年毎年の具体的な事業についての計画知事が作成するけれども自治大臣の認可を受けなければならない。御承知のようにそうなっているわけですね。それから道路、港湾産業施設、教育施設、衛生等についての補助は、一部を国が負担をし、また補助するけれども、それは先ほど質問で繰り返されたように政令にまかされた、こういうことになっているわけですね。そこで御承知のとおり、ああいう荒廃し切った島を、人間らしい生活が享受できるような、しかも相当人数の帰島者を、人間らしい生活が享受できるような島にするということは容易ならぬことだと思います。計画と具体的な事業の問題については、自治大臣が認可するけれども、具体的にやるのは、やはり都が具体的に実施の責任を負っていかなければならないと思うんですね。そういう中から、将来の財政需要額の基準をどう置かれ、それがどう計算されていくかということとからんで、ことにああいう離島でもありますし、相当公の資本を投下しなければならない島だということを考えますと、都に超過負担がかかってくるのではないかということをわれわれは憂えているわけなんですけれども法律的に行政の帰属は都に属しても、計画は国がきめる、しかし今度は、また戻って実際の事業の施行は都の責任においてやるということになりますと、相当の超過負担が将来発生するのではないかということが心配になるわけですが、そういうことについて都はどう考えているか、この際、希望も兼ねて率直な意見を聞かせておいてもらいたい。
  86. 佐藤八次

    佐藤参考人 いわゆる超過負担の問題は、単に小笠原の問題だけに限りません、財政全般の問題でございますので、そういう方向づけの中で、都がかねてから主張しておりますような超過負担の解消についての国の特別の配慮をお願いしたい、このように思っておりますが、特に小笠原島においては、事業執行の困難性、いま御指摘のございましたような具体的な問題もあろうかと思いますので、その辺につきまして、この問題でも超過負担のないように国の特別の配慮をお願いしたい、このように思っております。
  87. 林百郎

    ○林委員 わかりました。  そこで、いま東京都が一般的に超過負担になることは、われわれも知っております。ことに富裕団体だということで、交付税の交付金の下がるべきものも下がらぬでいるわけですから、特に小笠原島として、これから事業を執行する上において、基準財政需要額の計算において、どういう点を特に配慮してもらいたいか、これは小笠原に関する法令ですから、特にその点に何か希望があるか、一般的な超過負担ではなくて、小笠原というああいう特殊な遠いところにある島、しかも、いままで日本行政から離れていた島、非常に荒廃している島、ここへ東京都が新しく行政責任を持っていろいろな施設をする場合に、特別にこういう点を財政需要として配慮してもらいたいという点があったら、この際聞かせておいてもらいたい。
  88. 佐藤八次

    佐藤参考人 まだ具体的にいろいろな問題がございますので、総括的にこれということは、お答え申し上げにくいのでございますが、先ほども問題がございました基準単価等の積算の基礎等につきましても、自治省のほうにも、いろいろ特別な配慮を願っているわけでございますが、たとえば先ほど久保田参考人からもお話がございましたように、労務費等が内地の倍、これは輸送手段等の問題もありまして、かかるというようなことになりますと、基準単価の基礎というものが、従来の基礎ではなかなかむずかしい。それから病害虫の防除一つをとりましても、他に例のないほどいろいろな問題がある、そういう実情を十二分に考慮していただきたい、このように思うわけでございます。
  89. 林百郎

    ○林委員 私の質問を終わりますが、委員長先ほどの見舞金の問題、これは参考人に聞くのもなんですが、政府にただしたいと思いますので、当該の、これは総理府になるのか、だれになりますか、あしたの私の質問の機会に呼んでおいていただきたいと思います。
  90. 鹿野彦吉

    鹿野委員長 承知しました。  参考人方々には、長時間にわたりまして貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。厚く御礼を申し上げます。  次回は明三日午前十時から理事会、十時三十分から委員会を開会することとし、本日はこれにて散会いたします。    午後零時五十一分散会