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1969-07-01 第61回国会 衆議院 地方行政委員会 第46号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十四年七月一日(火曜日)     午前十時三十四分開議  出席委員    委員長代理 理事 細田 吉藏君    理事 大石 八治君 理事 塩川正十郎君    理事 古屋  亨君 理事 保岡 武久君    理事 山本弥之助君 理事 折小野良一君       青木 正久君    桂木 鉄夫君       亀山 孝一君    吉川 久衛君       渡海元三郎君    永山 忠則君       水野  清君    山村新治郎君       井岡 大治君    太田 一夫君       河上 民雄君    野口 忠夫君       細谷 治嘉君    門司  亮君       小川新一郎君    小濱 新次君       林  百郎君  出席政府委員         自治政務次官  砂田 重民君         自治大臣官房長 宮澤  弘君         消防庁長官   松島 五郎君  委員外出席者         警察庁警備局警         備調査官    山田 英雄君         法務省民事局付         検事      清水  湛君         大蔵省主計局主         計官      秋吉 良雄君         農林省農政局開         発課長     福島 嘉弥君         水産庁漁政部長 安福 数夫君         通商産業省企業         局商務第一課長 小山  実君         通商産業省公益         事業局計画課長 中村 泰男君         運輸省海運局定         期船課長    富田 長治君         運輸省港湾局臨         海工業地帯課長 吉村 眞事君         運輸省航空局飛         行場部計画課長 鮫島 泰佑君         建設省計画局技         術調査官    南部 三郎君         自治大臣官房調         査官      本江 滋二君     ————————————— 七月一日  委員山口シヅエ君及び大野潔君辞任につき、そ  の補欠として桂木鉄夫君及び小川新一郎君が議  長の指名委員に選任された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  小笠原諸島復興特別措置法案内閣提出第五六  号)  警察及び消防に関する件(梅雨前線大雨による  被害状況に関する問題)      ————◇—————
  2. 細田吉藏

    細田委員長代理 これより会議を開きます。  本日は、委員長が所用のため御出席されませんので、委員長指名によりまして理事の私が委員長の職務を行ないます。  小笠原諸島復興特別措置法案を議題とし、質疑を行ないます。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。山本弥之助君。
  3. 山本弥之助

    山本(弥)委員 二十二日に、委員長中心に、小笠原諸島のうち父島だけを短期間でございましたが視察をしたわけでありますが、短期間視察の結果から見ましても、小笠原復興ということにつきましては非常に大きな困難があるように私ども見てまいったのでございます。  そこで、小笠原諸島復興につきましては、前の状態に返すということではなくて、新しい総合的な観点に立ちまして計画的に新しい村づくりをするという構想東京都におきましても自治省におかれましてもお考えのようでありますが、これはごもっともなことだと思っております。それと同時に、十九年に強制疎開をされました旧島民の帰島ということにつきましても重要な問題であるわけであります。この小笠原諸島復興と旧島民の帰島の促進ということはきわめて相関連し、密接な関係があるわけでありますが、これらをどう調整しながらこの二つの問題を解決していかれるのか、自治省のお考えをお聞かせ願いたいと思います。
  4. 砂田重民

    砂田政府委員 先生承知のように、小笠原復興の問題につきましてはまだ事業内容が煮詰まってないと申しますか、こういう例を引いて、いかどうか、適切でないかもしれませんが、この法案と並行して御審議を願っておりますような空港公団関係する事業、こっちのほうは御承知のようにああいうふうにだんだん固まっていっておりますけれども小笠原のほうは何さまああいう事情状態にありますので、一切がこれからの問題と申してもよかろうと思います。  そこで、復興計画と帰島の計画の問題をからめての御質問でごさいましたが、復興計画の中の帰島に関する事項がやはり一つ要件でございます。この法案に書いてあります帰島計画、端的に申しますと、御承知のように本法では帰島計画ということばが税制の問題のところに書かれておりますが、私ども復興計画作成の一要件であります復興計画の中に含まれます帰島に関する事項をまず固めてまいりまして、これを受けて帰島計画自治大臣がつくっていきたい。うらはらになると申しますか、むしろ復興計画の中の帰島に関する事項のほうの決定を先にしていきたい。それに基づきましてそれぞれの年度の具体的な帰島者の数、帰島の援護措置等のきまり方、こういうものを勘案しながら帰島計画のほうを詰めていきたい、こういうふうに考えております。
  5. 山本弥之助

    山本(弥)委員 この法案が通りますと直ちに東京都が復興計画を作成して、自治省のほうでそれについて審議をし、あるいは審議会にはかりましてこれを承認するというかっこうになろうかと思います。すでに昨年復帰いたしましてから早急に応急措置を講ぜられ、また基礎的な調査が進められたと思うのですが、その結果に基づきまして、東京都から正式な復興計画が出ないまでも、自治省とは緊密な連絡をとりながら、基本的な構想というものはある程度までお話し合いが進んでおるのではないか。ことに本年度は五カ年計画初年度に相なるということにもなりますので、そこで従来の調査の結果、骨幹としてどの程度までの復興基礎計画をお持ちになっておるのか、それをお伺いいたしたいと思います。
  6. 宮澤弘

    宮澤(弘)政府委員 復帰以来、ただいま山本委員お示しのように、東京都及び関係各省いろいろ調査をいたしているわけでございますが、何ぶんにも期間もまだ十分でございませんので、なお現在調査継続中でございます。現段階におきまして、これまでの調査に基づいた何か基本的な構想のようなものを、あれば言えというお話でございますけれども、現段階におきましては、まだそういう基本的な構想というようなものをここで申し上げられるような段階ではない、なお調査継続しておりますし、今後東京都その他と密接な連絡をとりまして、復興計画策定段階までにはそういう構想を打ち出したい、こういうふうに考えております。
  7. 山本弥之助

    山本(弥)委員 本年度初年度になっておるわけでありますが、まだ調査段階だということになりますと、一応この法案考えておられる五年間の期間の基礎的な調査その他について、五年間の全段階といいますか、いわゆるマスタープランを固められるという期間はどうなるのでございますか。そうすると、当面出てまいります復興計画というのは、いままでの調査に基づく、何といいますか、暫定的な一応の構想ということになるのか、あるいは五年間の相当まとまった将来に引き続く計画になるのか、その辺のことはどういうことになりましょうか。
  8. 宮澤弘

    宮澤(弘)政府委員 私の申し上げ方が少し不十分であったかと思うのでございますが、現在調査継続をしておりまして、復興計画策定に至るまでには一応調査も完了をいたしまして、基本的な構想のもとに復興計画策定をいたす、こういうことになろうと思うのであります。したがいまして、調査継続をしておりますということは、復興計画策定いたします資料を収集をし検討をする段階がかなり進んでいる、こういうふうに御理解をいただきたいと思うのでございます。しかしながら、御承知のように、復帰以来まだ日もそうだっておりませんので、復興計画を一応策定をいたしまして、もちろん基本的な構想に基づきまして復興計画策定をするわけでございますけれども、なおその後におきましても必要な調査検討を続けるということは、これは申し上げるまでもなかろうかと思います。
  9. 山本弥之助

    山本(弥)委員 官房長さんの答弁、少しはっきりしないのでございますけれども、そういたしますと、復興計画は、この法案が通りますと、二カ月くらいの間に出てまいることになっておるのじゃないでしょうか。
  10. 宮澤弘

    宮澤(弘)政府委員 私ども予定をいたしておりますのは、大体本年度の秋か、あるいは多少おくれるかもしれませんが、大体そのくらいにはそういう時期に至るであろうということを予定を立てております。
  11. 山本弥之助

    山本(弥)委員 そういたしますと、秋までにさらに足らざる調査を進めまして、計画東京都で作成されるということになるわけであろうかと思うのでありますが、どういうふうな基本的な考え方に基づいてその計画を立てるかということについても、まだ東京都の計画が出てまいらないうちは自治省としてのお考えも固まっていないというふうなことになっておるのでございましょうか。
  12. 砂田重民

    砂田政府委員 復興計画基本的な考え方といたしましては、審議会調査審議を経て慎重に検討しなければなりませんけれども、私ども持っております基本的な考え方といたしましては、やはり帰島を希望されます旧島民が一応新生活に入られ、農業、漁業その他の職業定着をするような状況まで持っていく、こういう目標を実は立てているわけでございます。たいへん、どう申しますか、基本と申しますか、一般論的なことを申しますけれども、一応そういう目標でこの五カ年の計画と取り組んでいきたい。内容につきましては、いま官房長がお答えをいたしましたような、まだそういう段階でございますが、東京都から計画を出していただいて、大体この秋をめど決定をいたしたいと存じております。  さらに一つつけ加えますが、そういうことで初年度がいま残念ながらまだそういう段階でございますので、復興計画の中に緊急な事態、緊急に対処しなければならないような問題も出てくると思います。それを考慮をいたしまして、この法律附則の四項で、とりあえず緊急を要するものは復興計画決定するまで、この法案が通過をさせていただきましたあと、この法律に規定しておりますところに準拠をして、復興計画が正式に決定をしませんでも、たとえば水の問題などにつきましては、この法律に規定されているところに準拠をして、復興計画決定以前でも事業に着手ができるように、そういうようなことで実は附則で書いたわけでございます。
  13. 山本弥之助

    山本(弥)委員 この法案の趣旨に従いまして、小笠原復興を新しい村づくりという観点計画を立てるといたしますと、当然小笠原諸島における生産条件をいかに活用するか、この観点に立っての理想的な村づくり、そのためにはその生産条件関連いたしまして、住民の生活環境整備しながら本土と同じような生活水準生活を営まれるという観点で私は復興計画がつくられるべきである、かように考えるわけであります。したがってその調査は、私ども視察した結果からいくと、生業中心をなすところの農業にいたしましても、あるいは林業、畜産あるいは水産業にいたしましても、かつて島民が八千人近く住んでおった状況とは非常に変わっておるのじゃないか。これを新しい村づくりの上にそれらの復興計画をどう立てるかということが相当綿密に調査がなされなければならないということが一つ。それからもう一つ理想的なそういう生産条件あるいは生活条件整備する中で、どのくらいが適正な規模の人口であるかどうかということが考慮せられるべき問題になってくると思うのですが、しかし一方、強制疎開をしたということに対して、帰島を希望する者は、そういう条件に合いながら帰島の要望を達成をさせるという問題が私出てまいると思うのです。その調整というのが、今後の計画を立て、あるいは計画を実施してまいる上において重要な関連を持ってくる。それともう一つは、本土疎開をいたしました者に対する条件整備するまでにもなかなか容易ならぬ状態にあるというふうに見てまいったわけであります。ある程度まで条件整備するということによって、それから帰島というものが始まるのか。そうなりますと、復興に要する労働力というものは非常に私不足しているような、将来との関連において、どういうように労働力の確保ということを考えるのかということも、今後むずかしい問題だというふうに見てまいったわけであります。したがってこの法案がかりに成立いたしました場合に、その辺の関連、本年度初年度として実行されるということになりますと、その帰島計画復興計画、いわゆる新しい村づくりという観点に立っての生産条件整備する、それに関連する旧島民生活の保障という問題との関連、これは東京都から出てまいりませんでも、私はその辺の関連を、ある程度まで基本的な考えをお持ちにならぬと中途はんぱなものになるんじゃなかろうか、かように考えるわけでありまして、今後おそらく復興計画が出てまいるでしょうけれども、すでに調査期間、あるいはこの法律を御提案になる段階において、その辺のかね合いとしての考え方というか、いわば計画を進めてまいる基礎的な概念というものは、お持ちになっていなければならぬものだ、こう思っておるのですが、その辺のところをお聞かせ願いたいと思います。
  14. 砂田重民

    砂田政府委員 山本先生の御意見、私も全くそのとおりだという気持ちでいま拝聴をいたしておりましたが、非常にむずかしい問題でございます。やはり一番大きな問題は産業の問題だろうと思うのです。戦争前に旧島民があちらにおられたときの生活の、産業中心であった冬野菜というようなものが、今日の経済情勢の中で通用するかどうか、非常にむずかしい問題だろうと思う。そこで帰島を希望なさる方、何が何でも帰りたいというお気持ちの方がたくさんおられると思うのですけれども、そういうお気持ち、感情に、すぐに簡単に受け答えるのが、そういうお気の毒な、強制送還のような目にあわれた旧島民に対するほんとうの親切かどうか、ここらがむずかしいところだと思うのです。やはりまだ現地でのいろいろな生活環境整備産業基盤整備ができていないということもお話をして、お帰りになりたいという気持ちにこたえなければならない。一方それにブレーキをかける、そういう理解をいただく、そのほうがほんとうの親切じゃないかという感じがする。そこで一応のめどを立てると申しますか、農業関係に従事したいといわれる方は、まだ現地がこうだから早いですよということを理解していただかなければなりませんし、そうかといって、そういう農業基盤整備のための労働力というものは、もう直ちに必要でありましょうし、ある程度飲食店でありますとか、散髪屋さんでありましょうとか、こういう方はすでに現地で足りない。すぐにお帰りいただいてもいいんじゃないか。相当きめのこまかい帰島相談に応じていかなければならないんじゃないか。そこで東京都を窓口にいたします帰島相談業務と申しますか、帰島指導業務と申しますか、ここでやはり当面、強制送還のような特異な事態にぶつかられた気の毒な旧島民の方に十分相談に乗っていかなければなりませんし、現地事情の御理解もそういう窓口を通じてしていかなければなりませんし、ただ私ども基本的に考えておりますことは、先ほどもお話し申し上げましたように、旧島民の方があちらへ帰られて新生活定着をなさる、そのための生活基盤整備、そういう目標基本的に持っておりますので、そういう目標を実現するための調査のいま段階でございます。審議会にはいま私が申し上げたような相当きめのこまかいことを御相談をいたしまして、審議会の御意見を伺って、東京都から出てまいります計画というものを、旧島民の方がお帰りになっての新生活定着をしていただくということに基盤を置いての計画立てをやりたい、こういうふうに考えておるわけであります。  なお、委員会先生方現地を御視察いただきまして、十分事情を御承知でございますので、私どもといたしましても、先生方の御意見も私どもを通じて当然審議会に反映いたしまして、審議会意見の取りまとめをお願いをしていきたい、このように考えております。
  15. 山本弥之助

    山本(弥)委員 現在の旧島民団体等を通じて、帰島の希望等をおとりになっておるようでありまして、疎開当時に引き続き、終戦の混乱期非常に御苦労だったと私は思うのでありますけれども、それにいたしましても、二十数年経過いたしておりまして、ある程度世代も変わっておりましょうし、本土における生活定着しておる。そういう状態の中で、旧島民がそっくりそのまま帰島を希望しておるかどうか。すでに希望していない回答も出ておるようでありまして、しかも小笠原諸島に居住しておったときの生業等も変わっておるのではなかろうか。農業から他の職業に転換しておる者が、帰って農業をやりたいというのは、小笠原諸島に生まれた人の相当年配になった方の郷愁という点もあると思う。ほんとう小笠原に骨を埋めるという気持ちから、若い層はだいぶ変わっ七おるのじゃないかと私ども思うのであります。それで、帰るか帰らないかという希望だけではなくて、ほんとうに現在の生業状況、あるいはどういうふうに向こうに行って生活をする、あるいは将来の生業につくというようなことの調査、これは十分できておるのでございましょうか、どうでございましょうか。
  16. 砂田重民

    砂田政府委員 その問題、事務当局からお答えいたします。
  17. 本江滋二

    本江説明員 昨年の四月、五月、六月ころにかけまして、総理府が帰島意識調査というものを行なったのでございますが、この調査によりますと、大体未定、ぜひ帰りたい、それから一帰りたい、未定を含めまして約四千人ということになっておるわけでありますが、その年齢別構成も、これは個票でございますが出ております。これはちょっとこまかいそれぞれの経緯になっておりますので、それぞれの年齢別構成については、後刻集計をいたしましてお答えさしていただきます。
  18. 山本弥之助

    山本(弥)委員 私の聞いておるのは、このアンケートに対することよりも、もっと一歩突っ込んで、先ほど私が申し上げましたように、小笠原諸島国土として、どう資源の活用をして小笠原振興をはかるかという観点と、それから帰島する希望者要望を、犠牲を払わしたので、帰島を希望する者に対しては、小笠原においての本土並み生活水準を営み得るような体制にまで考えてまいろうという二つ考え方があると思うのです。そうすると、帰島者が希望すれば、希望するだけの小笠原復興ということをどうしても考えなければいかぬし、帰島者の希望が少なければ、一応理想的な小笠原復興、ここは三千人でいいとか、四千人でいいとかいう計画考えていくことになろうと思いますので、ほんとうに帰島者の希望実態把握ということが重要ではなかろうか。中には相当本土よりいい生活が営み得るという期待に基づく希望、あるいはいろいろ土地の権利関係に基づく解決、そういうことに期待しての希望、いろいろあるわけでありますが、相当突っ込んでの調査がなされなければ——復興計画重点を置けば、帰島者が少なければ当然資源を活用するということに必要な人的資源、それは旧島民以外の人から小笠原に行ってもらうというような対策になろうかと思うのであります。その辺のかね合いもございますので、帰島者の意向というものも十分把握しておかなければ、計画は理想的な計画にならぬじゃないか、いわば帰島者に重点を置いた復興計画なのか、小笠原国土振興させるという意味復興計画なのか、その辺の重点の置き方が変わってきやしないか、こう思うのですが、その辺は私は計画を樹立する前に一つ基本構想がなければいかぬ、かように思うのですけれども、そのことによって無理しても飛行場をつくるとか、相当港湾をつくるとか、いわば国の助成にしても、東京都の配慮にしても、ちょっと行き過ぎだと思われるような配慮をしなければならぬという計画が打ち出されてくる。もし島民との関連において、小笠原諸島というものはこの程度復興であればいいのだということになりますれば、飛行場建設等、切実な問題になるのかどうなのか。ばく大な本土における飛行場整備等も、一県に一つ飛行場をつくるにしても、県だとか地元が相当無理をして、協力しながら飛行場をつくっておる。しかし、その飛行場すら十分活用されない地域もまた出てきておる。これは将来交通機関整備によりましてどういうふうな趨勢になるかわかりませんけれどもローカル線の問題は、いろいろな高速道路ができることによってまた変わってくるという国内にも問題があるわけでありますが、それによってこの際思い切ってりっぱな飛行場をつくるのだ、それは小笠原を開発しなければならぬという見地に立てば、あるいは新しい観光というような見地からの要素が加わってまいれば、無理しても飛行場をつくる。しかし島民自体希望が少なくて、こじんまりとああいう暖地において生活が営まれるということであれば、そのほかの開発資源というものが乏しいということであれば、それなりの計画に相なろうかと私は思う。そういう意味で帰島者の動向、帰島を希望する人の把握復興計画との関連がきわめて大事な問題になろうかと思うのでありますが、計画を樹立し実施をされる初年度において、一方調査関連において考えていくものなのかどうかという問題があろうかと思うのであります。もう一つ、帰島者がある程度整備段階まで待ってもいいのだということになれば、私は、りっぱな誤りのない計画を慎重にやって計画を立て、とりあえず必要な応急対策重点を置いてやるべきではなかろうか、かようにも考えておるわけでありますが、くどく何回も繰り返しお聞きするのは、ほんとう小笠原諸島復興なり振興と、法案にもうたってありますような、過去の経緯にかんがみての島民の帰島の促進をはかるという二つ要素、このかみ合わせをどうやっていくかということによって私は将来の考え方が変わってくるというふうに思うのでありますが、それを自治省ではどう把握せられておるかということを、東京都から復興計画が出てからということではなしに、もっと調査をやってから島民の帰島ということに手をつけるのか、そういう点をもう少し具体的にお聞かせ願いたいと思うのです。
  19. 砂田重民

    砂田政府委員 旧島民の方のもう一つ突っ込んだ意識調査の御議論だと思います。旧島民のこっちへ帰っておられる方でも、現地事情に非常に暗い方も中にはおられるわけであります。そこで旧島民で、先生のおっしゃるような、農業戦前はやっていて、強制送還内地へ来てからほかの仕事、ほかの商売をやっでおられる方で、また戦争前と同じような早出しキュウリ等を帰ってやりたいというふうな気持ちを持っておられる方もありますし、そういう戦前農業中心でありました冬出し野菜等がすぐにはとても取りかかれるものではないという現地事情をこういった旧島民の方にも理解をしていただいた上でなければ、旧島民の方の決心もまた最終的につかない。そこで実は東京都を窓口にいたします帰島相談業務で、いまそのコミュニケーションをやっているところでございます。御承知のように強制送還内地へ引き揚げてこられた方は、東京都ばかりにおられるわけではありません。静岡その他におられるわけですけれども東京都以外に住んでおられる方々にも東京都からただいま呼びかけておりまして、農業関係の問題について、いまこれらの旧島民の方のコミュニケーションをやっているところでございます。東京都のほうからは現地事情を話をし、たとえば戦争前のような冬出し野菜中心農業ではないと思う、いまの段階考えられるのはたとえば野菜類ではなくて観葉植物ではなかろうか、果樹ではなかろうか、そういうふうなことをお話をし、都からお話をしましたその現地事情について旧島民の方がいろいろ考えておられる、ちょうどそういう時期でございます。  そこで自治省といたしましては、東京都のこの相談業務を、東京都のほうもそういう意向をお持ちのようでございますが、もう少し拡充をしていく。いまは農業問題に取り組んでもらって、こういう農業問題以外のことにも拡充をしていただく、この東京都と旧島民の方々の対話と申しますか、これをもうしばらく自治省としては待ってみたい、そうでなければ先生のおっしゃるほんとうの旧島民の意識というものが明確になってまいりませんので、もうしばらく時間をおかしいただきたい、こう考えます。
  20. 山本弥之助

    山本(弥)委員 そうしますと、現段階におきましては旧島民の帰島についての早く帰りたいとかという大体の趨勢といいますか、そういうものは感ぜられないわけで、ある程度まで小笠原諸島整備して、少なくとも戦前の姿で、直ちにあそこで居住ができる体制になるまでは待ってもいいという空気なんでしょうか。大体の旧島民の意向の大勢というようなものもつかんでおられないのでございますか。
  21. 砂田重民

    砂田政府委員 これは先生、いろいろなんです。強制送還内地へ来られて、こちらでのお仕事がもうすっかり定着してしまって、帰りたくないという方も相当数おられます。それから何が何何でも帰りたいのだといって東京都に申し入れてこられた方、そういう方々の中で、現地事情はこういう状態に今日ありますという話を東京都から聞かれて、それでは考え直そうといって帰られた方もまたあります。何が何でも帰りたいから、早く帰って仕事ができるように国も東京都もひとつ現地整備をやってくれといって、非常に熱意を示される方もあります。いろいろでございまして、いまのお仕事の環境なりそういうことにも影響するのでございましょう、いまの段階ではいろいろだと申し上げるよりほかちょっとしかたがないかと思うのですが……。
  22. 山本弥之助

    山本(弥)委員 そうすると、旧島民の意向というのは、いまのところはまだ十分把握ができていないというのが現状なわけでございましょうね。そういうことなんでしょうか。
  23. 砂田重民

    砂田政府委員 先ほども申しましたが、いま東京都の窓口でその相談業務をやっている時点なものですから、最終的にこうだという結論はまだ出しておりません。ただ旧島民の方のお気持ち状態は、いま申し上げたようにいろいろの気持ちがあるようでございます。
  24. 山本弥之助

    山本(弥)委員 そうしますと、いまのところでは小笠原諸島における基礎的な問題ですね、現に住んでおられる方も百数十人おられるわけですから、それらがふえてまいるという最小限度の予想のもとに、基礎調査も十分進めてまいり、あるいは港湾整備あるいは土地利用関係整備等促進して、ある段階において帰島という問題がそれに伴っていくというふうなことで計画を進めることができるという段階でございましょうか。
  25. 砂田重民

    砂田政府委員 おっしゃるとおりでございまして、そういうふうに、やはりある程度慎重にいくことが、強制送還というような特異な、気の毒な状態に遭遇された旧島民の方へのほんとうのわれわれとしてこたえる道ではないか、やはり慎重に、帰りたいという感情だけで帰られてお困りになるような事態は避けたい、あちらへお帰りになっても一つのお仕事を持たれ職業を持たれて、それが定着できるような環境整備ができる見通しがついてからお帰りいただく、またその整備をできるだけ早くやっていく、こういうふうに対処してまいるのが私どもほんとうの責務ではなかろうか、かように考えております。
  26. 山本弥之助

    山本(弥)委員 大体旧島民の意向というものを推測できるような御答弁があったわけでありますが、そういたしますと、当面急がなければならない問題は旧島民権利関係でございますね。所有権関係あるいは借地権関係あるいは境界の不明になっておる点、こういった権利関係を当面促進せられまして、そういう基礎の上に立っての措置といいますか、私は極端な考え方を持っておるのでございますけれども、現在小笠原諸島の七七%でございましたかは国有地であるわけでありまして、宅地とそれから農地が民有地になっておると思うのであります。しかもその宅地の大部分は、現地を見てまいりました印象からいいますと、いろいろ、相当思い切った新しい町づくりという観点に立ってのいわば都市計画を実施しなければならぬ、かように考えるわけであります。したがって、極端なことを申し上げれば、そのわずかな宅地、農地を一括、私は、理想からいいますと新しい小笠原村で買い取るべきだと思うのでありますけれども、それが不可能な場合は東京都、これに対しまして国も配慮をするというふうな英断的な措置というものは考えられないものでしょうか。
  27. 砂田重民

    砂田政府委員 いま先生の御意見の最後のところの決心までまだつける段階まで至っておりません。四十三年度で父島の大村地区の一部の土地の調査をやりました。四十四年度で父島の他の一部を実施いたしております。それから母島につきましては四十四年度で予備調査を、今年実施中でございます。今後の計画といたしましては、復興計画が定められまして復興事業実施のための土地の境界確認が必要となる場合に、その当該土地を優先して調査をしたい、そういうスケジュールを立てております。なお現在この原則に該当するであろうと考えられますものは、当面、旧村落及びその周辺農地を予定をいたしております。この調査は法務省が担当してその調査をいたしておりますが、こういった復興事業実施のための土地の境界確認等、そういうことの整備をやりつつ、先生おっしゃるように八〇%までの国有地があるわけでございますから、こういった土地利用計画というものも法律で定められておりまして、実はこれからの検討事項でございます。まだ先生おっしゃるようなところまで明確に踏み切る段階に至っておりません。
  28. 山本弥之助

    山本(弥)委員 この復興計画の中で一番先に掲げておられます「土地の利用に関する事項」ですね、これはどの程度までのことをお考えになっておるんでございましょうか。
  29. 宮澤弘

    宮澤(弘)政府委員 御承知のように新しいところに新しい村づくりをする、こういうことでございますので、その村づくりが整然と行なわれるように考える必要があるわけでございます。したがいまして、土地の利用につきましてどの程度まで計画的にやっていくかということでございますけれども、大まかに土地の利用が合理的に行なわれるように、こういうような考え方で土地の利用の区分について復興計画の中で定めるようにいたしているわけでございますので、いわばまあ一つは市街地と申しますか、市街地のような区域と、それから農業地域、それからレクリエーション地域あるいは港湾区域、漁港区域、そういうような基本になりますような土地利用の大まかな地域区分、こういうものを定めてまいりまして、現地にふさわしい町づくり村づくりができるようにいたしたい、こういうふうに考えているわけでございます。
  30. 山本弥之助

    山本(弥)委員 宮澤官房長はこの土地利用についてはなかなか研究もしておられるし、相当意見も持っておられると思うのであります。この小笠原諸島における土地の利用に関する事項というのは、いまお話しになりました土地利用区分といいますか、それだけの問題でございましょうか。もっと深くお考えになった問題もあるんでしょうか。
  31. 宮澤弘

    宮澤(弘)政府委員 法律の第三条で「土地の利用に関する事項」というのがございますが、ここに書いております趣旨は、いま申し上げましたような土地の利用区分、こういうことで書いてあるわけでございます。ただ、小笠原自身の自然を生かした復興計画を樹立をして促進をしていく、もしそれが土地利用の基本の問題であるということにいたしますれば、それはこの法律のいわば基本的な精神、考え方、その一番底に横たわっていることでございます。第三条に書いてございます「土地の利用に関する事項」と申しますのは、ただいま申し上げましたような土地の利用区分、こういうような趣旨で掲げているわけでございます。
  32. 山本弥之助

    山本(弥)委員 先ほど申し上げましたように、民有地は強制疎開以前は従来の宅地とそれから農地であったと思うのであります。そして現況を見ますと、相当住民が居住しておった、宅地として利用しておったところをある程度まで公共用地その他でやらなければ新しい町づくりはできないというふうに、私、父島だけですが、見て参ったわけです。そうなりますと、単に土地利用区分というものでそういうふうなことをやりますと、いわば権利を持っておった旧島民というのはほとんど相当の面積を公共用地あるいは緑地帯というものに規制をされるという印象を受けたわけであります。そういたしますと、私はこの際英断的にそういうものを公共団体の所有あるいは国の助成による東京都の所有ということによって、旧島民の宅地その他につきましてはこれはある程度まで無償で貸与するとか、あるいは生業が十分安定をする段階においては地代を取るとか、そういったことをやらないと、この土地利用区分というものを決定し推進していく場合に、なかなか権利関係というものが関連をいたしまして、帰島の意思のない者もやはりその点についての帰島の希望を捨てない。いつまでも正確な帰島の希望者の数も把握できないし、あるいは小笠原諸島復興ということについても、意欲ある人を島民として迎えるということもなかなか至難になりはしないかという感じもするのですが、その辺は新しい町づくりの一つのモデルとして土地利用の区分が相当強化された観点でいきますと、所有権というものは制約を受ける。そういう関連において買い上げるというような措置も、私は新しく居住する旧島民のためにも、あるいは小笠原復興のためにも非常に効果があるんではないか、かように考えるわけですが、英断的にその辺のことをお考えになれないものでしょうか。
  33. 宮澤弘

    宮澤(弘)政府委員 根本的に小笠原村なりあるいは東京都で私有地を買い上げて理想的な村づくりをやったらどうかという御趣旨でございましたけれども、その根本問題につきましては、先ほど政務次官から、まだそこまで決心はつきかねるという御答弁を申し上げたとおりでございます。土地の利用区分の計画を定めました場合に、現在公共用地になっており、将来も公共的に使用される土地について実はその土地が旧島民の所有であった、こういうような場合についての御質問があったわけでございますが、そういう場合には当然その土地を公共に買い上げるということは私は必要であろうと思います。それから、あるいは買い上げて、さらに代替地のあっせんをする、あるいはお世話をするとかいうことは当然に必要だろうと思うのでございます。したがいまして、土地の利用区分を定めます場合には、当然ただいま山本委員おっしゃいますように、土地の所有権についての制限がかかってくるわけでございますけれども、その限りにおきましては、公共の手でそれを買い上げるということによりまして理想的な町づくりをやっていくという措置は必要であろうと思うのでございます。ただ、繰り返して申し上げますが、山本委員のお示しのような根本的に村なり都なりで多くの土地を買い上げて理想的な町づくりをやったらどうかというところまでは、先ほど政務次官御答弁を申し上げましたように、現段階ではまだ決心がつきかねているというところではなかろうかと思われます。
  34. 山本弥之助

    山本(弥)委員 お約束した時間が参りましたので、農林省にお伺いいたしたいと思いますが、いままでの調査の結果、今後の小笠原諸島における農林業といたしましてどういうふうな基本的な考え方でお進めになるか。また段階的にどういうふうに進めていかれることが適切な振興計画につながるものだというふうにお考えになりますか。そのお考えをお聞かせ願いたいと思います。
  35. 福島嘉弥

    ○福島説明員 農林省といたしましては、先生ごらんになって御存じのように、小笠原諸島では、二十数年間放置されていたために農業の経験というのがその間途絶しているといっていい状態になっておるかと思います。したがいまして、旧農地が荒廃している、それから本土に未発生の病害虫が非常にある、それからもう一つ本土からの距離が非常に遠いということ、さらに台風常襲地帯の中にあるというような点、かなり不利な条件があるが、一方熱帯的な気象条件があるものですから、本土で見られないような作物をつくる可能性があるという条件にあるかというふうに理解しておるわけでございます。  農業関係につきまして今後われわれ考えておりますのは、帰島希望者の御意見というものがもちろん一つの大きなファクターになるわけでございますが、そういう御意見を勘案しながら現在荒廃している旧農地を整備する。そのためには、土地の権利関係の確定がはかられた上で農用地の造成事業を行なうとともに、片方においては病害虫の防除に努力していくということを考えておるわけです。そういう態勢をとりながら、小笠原諸島の気象条件と、それから内地との距離が遠いというようなことを勘案しながら、積極的にそれに適応できる作物を選定して、これについてのいろんな共同利用施設その他のものについての設置についても努力してまいりたいというふうに考えております。  それからその場合に、帰島につきましては計画的また集団的に帰島していったほうがよりよい農業をつくり得るのではないかというふうに考えておりますし、現状の状態から見まして、いろんな事業をやる場合の補助は相当積極的に考えていかなければならないのではなかろうかというふうに考えております。こういう考え方に基づきまして、復興計画の過程の協議その他の点で十分配慮してまいりたいというふうに考えております。
  36. 山本弥之助

    山本(弥)委員 父島には農業試験場がありますね。あそこで一応のそういう試験研究をおやりになっておるようでありますが、あの状況をさらに強化されると思うのでありますけれども、その試験研究の結果、いわば農業に従事することを希望する人が入っていって、そしていまお話しの集団的な農業を始めるという時期はいつごろが適当だというふうに、過去一年間の試験研究の結果お考えになっておられましょうか。
  37. 福島嘉弥

    ○福島説明員 たいへんむずかしい質問でございます。現在、東京都の試験地でいろいろな試験をやっておるわけでございますし、東京都の試験体制自体も整備しつつある過程でございます。そういうような過程でございますので、いま、いつということを断定することはなかなかむずかしいという状況にあるかと思います。これもまあ復帰のしかたその他いろんなものと関連してまいりますので、復興計画全般の策定の過程で考えてまいりたいというふうに思っております。
  38. 山本弥之助

    山本(弥)委員 本土におきましてもすでに、終戦のときに入りました開拓地というものは安定しておるところもありますけれども、都市近郊の開拓地はもうこれは農業としての生業ではなくて、いわゆる不動産所有というかっこうに変わりつつある。奥地は放棄する傾向が出てきておると私は思うのであります。したがって、非常に開拓者的な農業小笠原農業が緒につくとは考えられないのですが、そうなりますと、もしあそこに農業を興すとするならば、いまの試験研究農場といったものを経営農場的な考え方に立って、現在も従業員はたしか二人と、私の聞き間違いかもわかりませんが、聞いたのであります。仕事を進めてまいる上においても非常に支障を来たしておるということであります。いわば経営農場的な要素を加味して、農業の意欲に燃えている者を従業員として拡大をしていく、そしてある程度の見通しがつけば、試験場は専門の試験研究になる、大部分の農場は農民に、農業協同組合等の結成のもとに移譲していく、そういうことになりますと、生活も安定することによって農業としての定着がはかり得るのではないか、かような印象を私は受けてまいったのであります。いまのお話ですと、帰島の促進というのは法案に盛り込まれておりますが、農業すら、一体いつになったらあの島に渡って農業をやるかという人が、事実、計画を樹立し実施をする側においても見通しがつかぬということでは、計画を立てましても、農業はことしは緒につきませんでしょうし、来年入れるのか、再来年入れるのか、そういう見通しはさっぱりつかぬのじゃないか、ある程度まで農業をやる農民を定着さして、せめて自給自足もさせるということであるならば、これまた先ほど申し上げたような農民を定着させるという意味におきましても、英断的な措置をおとりにならないと見通しが全然つかぬままに推移するのではないか、こういうふうに私は考えるのですが、過去一年のあそこの実態調査その他から考えて、いままでどおりやはり試験研究の結果、これならだいじょうぶだという時期を現段階の試験研究の推移できめるということにされるのか、多少そういった思い切った措置をおとりになるのか、私はあまり農業に詳しくございませんけれども現地を見た結果そういう印象を受けたのでございますが、その辺のお考えをさらにお聞かせ願いたいと思います。
  39. 福島嘉弥

    ○福島説明員 私のことばが足らなかったかと思いますが、現在東京都の試験地を拡大しつつあるわけでございますが、われわれのほうもそういうテストを兼ねた一つの訓練の過程を含めまして、東京都の試験地が大いに活用されていくということが、この農業関係に関する一つの足がかりであるというふうに理解しておる次第でございます。その経験の積み重ねが結局農業の大きな復興へのつながりになるという意味で、東京都のほうも若干そういうことをお考えのようでございますが、われわれもそういうことが入り口になるという理解をしておりますので、その点は御了解願いたいと思います。
  40. 山本弥之助

    山本(弥)委員 それでは、時間の関係もございますので水産庁にお尋ねをいたしますが、すでに漁港ができまして、漁業その他に従事をしておるようでありますが、聞くところによりますと、必ずしも順調にいってないというふうな見方ができると思うのでありますが、今後小笠原諸島の漁業につきまして、あの辺の沿岸漁業というものが有望なものであるのか、あるいは中継基地的な考え方に立っていかれるのか、あるいは漁港等も避難港として整備をされるのか、一応の見通しというものをお聞きいたしたいと思います。
  41. 安福数夫

    ○安福説明員 お答えいたします。  小笠原の漁業を考える場合に、小笠原諸島の立地条件というものをやはり考慮に入れなければいかぬだろうと思います。それと、片方強制送還されました旧島民の方々の意向、この両面をあわせて考えていかなければならぬだろうと思います。旧島民の中で、現在私どものほうで把握している人数は、百七十一名は帰りたい、こういうふうな希望がかなり強いようでございます。現在そのうちの六十一名が帰島いたしておりますけれども、その百七十一名が帰った場合に、小笠原の周辺でやはり戦前に営んでおりました漁業、と申しますと、やはり沿岸漁業という規定のしかたをしていいのじゃないかと思います。もちろん戦前にはその周辺に基地もございました。沿岸捕鯨漁業のものでございますが、これについては資源的な問題もあって無理でございますが、やはり帰ってまいります旧島民の百七十一名の方々には沿岸漁業で、そこで生業を営んでいただく、こういう考え方基本的に考えております。そういう考え方に立ちまして、一応いろいろな漁業資源がございますけれども、沿岸性の漁業資源の中で、私どもとしまして資源的にはこれはだいじょうぶだろうと思いますのは、浮魚を中心とした漁業だろうと思います。これは現在のところ鋭意出先なんかを督励いたしまして、一元的な漁況、海況等の事情なり、そういったものを調査いたしておりますけれども、そういう範囲のことであれば何とか生業を営める、そういう立地にあるのじゃないだろうかというふうに考えております。したがいまして、その百七十一名の方がやはり帰るということになりますれば、そういう角度の漁業の振興対策を立てたい、これが沿岸漁業等に対する対策だろうと思います。先ほど申し上げました小笠原諸島の立地条件の問題、さらに漁業は遠洋性のものがあるわけでございますが、戦前におきましても、小笠原諸島はちょうど前進基地的な立地条件にあったわけであります。そういう意味で前向きの、カツオ・マグロ漁業がさらに南方へ出ておりますから、そういったものの前進基地としての性格、一面やはりそういう規定をしていいだろう、こう考えております。これらを前提といたしまして、やはり水の問題あるいは電力の問題、こういう関連の基礎条件が整いませんとできませんけれども、それとの関連において、そういう前進基地的な性格を持たすべきだろうと思います。  もう一点、先ほどもお話に出ておりましたように、ちょうど台風の常襲地帯でございますし、やはり旧南洋群島を中心にかなりカツオ船の遭難もあるわけでありますので、そういう意味の避難港的な性格もあわせ持たせたい、こういう面で、漁港の整備もそういうものを織り込んだ形でやっていくべきだろう、こういう観点からやっていく、こういうふうに考えております。
  42. 山本弥之助

    山本(弥)委員 お話を承りますと、小笠原諸島における漁業については、過去において漁業に従事しておった島民が全員、百七十名でございますか、帰島を希望いたしましても、現在の立地上からいくと、沿岸漁業あるいは前進基地的な漁業をやることによって、それに関連事業の漁港を初めとして諸施設ですか、冷蔵庫だとかその他所要の施設を整備することによって、希望する島民の漁業従事者は十分収容できる可能性があるという明るい見通しが立っておるわけでございますね。
  43. 安福数夫

    ○安福説明員 それで必ずだいじょうぶだということをいま言えと言われても困りますけれども、そういう見通しなり、そういう前提で私どもはやっておるということでございます。  参考までに申しますと、第一回目に帰島しておりますのが現在六十一名ございますが、どういう方々が帰島されているかという問題と、漁船の装備なり技術の習得量、そういったものが若干問題になっております。それと海況の条件というのが、戦後でも毎年毎年違うわけでございます。二十年前の漁場、ここでとれたんだ、ここで必ずとれるのだ、そういう考えで出漁した結果、そこに見当たらなかった、こういう事情もあるわけでございますから、そういった海況、漁況に対する調査、PR、そういった問題をあわせてやっていくことによって、何とかそういう方々に所を得るよう措置してまいりたい、このように考えております。
  44. 山本弥之助

    山本(弥)委員 時間ですからこれで……。
  45. 細田吉藏

    細田委員長代理 小濱新次君。
  46. 小濱新次

    ○小濱委員 小笠原諸島復興法について若干質問を続けていきたいと思います。  まず自治省にお尋ねしたいのでございますが、基本的な問題といたしまして、小笠原の開発にあたりましては復興計画の基準はどこに置くのか、たとえば戦前並みにするとかあるいは戦後の日本の経済状況にかんがみて行なうのか、そういう点での基本的な考え方、この点について伺っておきたいと思います。
  47. 砂田重民

    砂田政府委員 復興計画内容基本的な考え方といたしましては、もちろんこれは都から計画が出てまいりまして、審議会調査審議を経て慎重に検討をいたさなければなりませんが、基本的には帰島を希望しておられます旧島民が一応新生活に入って農業、漁業その他の職業定着するような状況まで持っていく、これを目標といたしまして、これに応ずるような農林水産業等の産業基盤施設の整備生活環境施設の整備、これをはかっていく、こういうことでございます。
  48. 小濱新次

    ○小濱委員 復興法と言うのでありますから、その目標の基準をどこに置くかということがこの内容を進めていくのに最も大事な観点じゃないか、私はこういうふうに考えるわけでございますが、いまのような御答弁の趣旨でいきますと、とうていあの引き揚げ当時のペースにはならないであろう、こう思うわけでございますが、開発なのか復興なのか、それ以上にしようとされるのか、その点はやはり明確になっていかなければこれからの方針も立てにくかろう、こう思うわけでありますが、先ほどからいろいろと伺っておりまして、まだ煮詰まってない段階だというお説もありましたけれども、戦後非常に長い期間もたっておりますし、ここで、復帰されてから一年も経過いたしましたし、その基本的な問題、これはどうしても自治省が財政的援助をしなければならない立場にございますので、その点を明確にお示し願ったほうがいいのじゃないか、こういうように思いますが、いかがでございましょう。
  49. 砂田重民

    砂田政府委員 先ほど非常に抽象的に申しましたが、旧島民の方々が一応新生活に入ってそれぞれのお仕事、御職業定着をする体制ということでございます。その新生活に入ってお仕事に定着するという意味は、その生活戦前並みの生活よりはむしろもっと、今日の内地考えてみましても、より高度の生活であるということを当然私ども考えております。基本的な復興計画目標というお話でございましたので、こまかい具体的な問題を御答弁いたしませんでしたけれども、旧島民の方の新生活定着するように、この基本的な考え方は貫いてまいります。  それから先生のおっしゃいました開発か復興かという問題でございますが、これは復興計画がだんだん固まってまいりますその中にも、復興か開発かというそのことばで簡単に割り切れないものも出てくるのではないかと思います。ただ、私どもといたしましては、基本的な考え方復興でございます。ただ、復興させるためにはある程度の開発的な事業がなければ復興もできない、こういう問題も出てまいりましょう。そういったことを基本的な目標として、旧島民の方が新生活定着ができるような環境整備産業基盤整備生活環境整備、このように考えております。
  50. 小濱新次

    ○小濱委員 戦前小笠原開発、これは当時の政府としての考え方、これはどこにあったのでありましょうか、その点お考えをひとつ聞かせていただきたいと思います。
  51. 宮澤弘

    宮澤(弘)政府委員 御承知のように、戦前小笠原諸島につきまして格別の法律措置、法律制度というようなもので、ある目標を定めてそういう振興をはかるという制度はなかったわけでございます。わが国におきますああいう亜熱帯、あるいは熱帯に近いような土地の特殊性を生かした農林水産業振興というようなことに重点がございましたけれども、格別に一つ目標を定めて小笠原諸島計画をつくっていくというような措置はなされていなかったというふうに存じております。
  52. 小濱新次

    ○小濱委員 私、今度視察をさせていただきまして、実は昭和の十三年、十四年に私は小笠原島に行ったことがあります。思い出深い、今度三十年ぶりに行ってきたわけでございますけれども、当時は御存じのように海軍寄港地あるいはまた船舶の避難所、それからいろいろなそういう軍略の施設がたくさんできておりまして非常に緊迫感を感じた、そういう当時の模様が私の思い出になったわけでありますが、あの戦争の血なまぐさいああしたにおいのする小笠原島を、今後はそういう姿には何としてでもさせたくはないし、方向づけとしては南の楽園、そういう小笠原諸島にしていきたいという考え方を私どもは持っておるわけであります。そういう点で、平和な小笠原諸島にするためのそういう開発でなくちゃならないと思いますが、その点は自治省としてはどういう御計画をお持ちになっておられますか。
  53. 砂田重民

    砂田政府委員 先生おっしゃるとおりであろうと思います。こういうことを申し上げていいかどうかわかりませんが、わが国の外交の基本ももちろん世界永遠の平和を目ざしておるところでございます。小笠原が太平洋戦争のような悲惨な目に絶対にあわないように、これは小笠原だけの問題ではございません。日本国全体の問題でございます。私が先ほど、旧島民が新生活定着するようにというお答えを申し上げましたのも、もちろん先生お話しのような方向は言わずもがなのことであります。これは全く同感でございます。
  54. 小濱新次

    ○小濱委員 いろいろとまたあとで出てまいりますけれども、旧島民の方々は戦争犠牲者であります。そうした島民が今度帰島できましても、国民として楽しい生活ができるような、そういう水準まで引き上げてやらなくちゃならないと思います。そして自治省の使命は非常に大きいと思うのです。どうしてもこれからは財政的な問題が出てまいりましょうけれども、まず、自治省として、基本的な考え方として土地利用計画は何かお持ちになっておられますか。いかがでございましょうか。
  55. 宮澤弘

    宮澤(弘)政府委員 先ほど山本委員の御質問の中にも土地利用の問題があったわけでございますが、復興法の第三条の復興計画に定めます事項の中には、土地の利用に関する事項一つ重点事項として取り上げているわけでございます。先ほども御答弁を申し上げましたように、整然とした島の開発復興をはかりますためには、土地利用が基本でございます。あの島の特性に合ったような、自然を生かした、ただいまお示しのような平和な島になりますような、そういう考え方のもとに、土地利用を基本にして復興を定めていきたい、こういうふうに考えておるわけでございます。土地利用につきましては、先ほども御答弁をいたしましたように、大まかに市街地なりあるいは農用地なりあるいはそのほかの区分というものを定めてまいりまして、整然とした町づくりができますように、こういうふうな考え方を持っているわけでございます。
  56. 小濱新次

    ○小濱委員 その所有権という問題は、これは当然国自体で何らかの規制をしていかなければならない、そういう問題が起こってこようかと思います。いまの模様でまいりますと、非常に問題が残っておりますね。その土地利用計画についての、それを進捗させるための障害としての問題点として所有権の問題が起こってまいりましょうが、こういうことの対策は、これは当然考えていかなければならない。また自治省としての一つの仕事でもあるように思うわけでありますけれども、この問題については、どういうふうにお考えになっておられましょうか。
  57. 宮澤弘

    宮澤(弘)政府委員 基本的には、先ほど来お話も出ておりましたけれども、個々の個人が持っております土地の現況を確認いたし、作業の進展をいたすことが、まず最初に必要なことでございます。その上で、土地利用区分に従いました整然とした町づくりができますような計画を定め、それに従ってやっていくことが必要であろうと思うのでございます。ただ一つ、幸いなことには、先ほどもお話が出ておりましたけれども、七、八〇%が国有地でございますので、そういう意味合いにおきましては、土地利用の合理化を今後はかっていくという場合におきましては、国有地が非常に多いということは、一つの大きなメリットであろう、こういうふうに考えております。何と申しましても、各個人の土地の所有区分というものをはっきりいたしました上で、それに立脚をいたしながら整然とした町づくりをやっていく、そのための土地利用区分をはっきりさせていくということを復興計画一つ重点として取り上げてまいりたい、ただいまお説のとおりであろうというふうに考えております。
  58. 細田吉藏

    細田委員長代理 関連して、小川君の発言を許します。小川新一郎君。
  59. 小川新一郎

    ○小川(新)委員 宮澤さんにお尋ねいたしますが、宮澤さんは、私、尊敬しておりますが、土地問題でいろいろと勉強させていただいております。そういう観点から、国土総合開発計画というものは国でプランされますが、小笠原群島というものの国土総合開発計画の中から見た位置づけと申しますか、そういうものが、まだまだ国土総合開発計画の中に織り込まれていない。これは、宮澤さんは国土利用の非常なベテランの方なんですから、こういった立場に立って、国土総合開発計画におけるところの小笠原の位置づけというものを、一体日本の国の土地利用区分の中でどういうところへ持っていくのか、これは農業にしても、漁業の前進基地にしても、また観光にしても、日本の国益全体のメリットということを考えたときに、総合開発計画の中から見て、小笠原というのはどういう位置づけをしたらいいのか、これを御専門のあなたの立場から、ひとつ見解を承りたいのでございますが、その点いかがでございましょうか。
  60. 宮澤弘

    宮澤(弘)政府委員 あるいは私の私見にわたることもあるのではなかろうかと思うのでございますが、私は、ただいまの小川委員のお説に全く賛成でございます。小笠原復興考えます場合には、先ほど来いろいろ御議論が出ておりましたけれども、旧島民が安定した生活を営めるようにというような見地はもちろん必要でございますけれども、同時に、やはりわが国に小笠原群島が復帰をいたしまして、その場合に、日本の中において小笠原群島をどう位置づけるかということが、より大きな観点から申しまして、最も必要なことであろうと思います。そういう見地からいたしますと、やはりわが国の中におきましては、小笠原群島は気象条件その他から申しましても非常に特異な立場にあるわけでございますので、やはりああいう特異な気象条件のもとにある島の特質を生かすような復興ということを基本考えなければなりませんし、やはり国土総合開発計画の中に小笠原群島が特異な地位を占めなければならないと思います。そういう点から申しますならば、やはりあの恵まれた自然を生かすということが基本でなければならないわけでございます。農業考える場合においても、もちろんでございましょうけれども、観光事業につきましても、いろいろ意見がございます。観光開発をいたします場合にも、あの自然を生かす観光、特に最近、日本内地その他で散見いたしますような俗悪な観光地ではなしに、ああいう特異な自然を生かした平和で穏やかな自然の中における落ちついた観光というようなことが、やはり観光を考えます場合にも、その基本的な考え方でなければならないと思います。わが国全般の国土総合開発計画という観点から考えました場合に、やはりそういう考慮を払って小笠原復興考えていかなければならぬ、こういうふうに考えます。
  61. 小川新一郎

    ○小川(新)委員 非常に高邁な大所高所からのお話を承ったわけですが、土地利用基本計画ということは、もう宮澤さんのお説はいろいろありますが、国土の土地利用基本計画の中からいって、いま産業内地ではどんどん進んでいるけれども、公害が発生している。そこで、働いている国民のレジャー地帯がない。湘南の海岸では、もうし尿の中で泳いでいるような状態です。私は小笠原に行って、あのブルーライトの海を見て、これこそ国民のための観光地として、休養地として——観光地というよりも休養地ですね。観光地というのではなしに、もっともっと健全な東京都民または日本国民の休養地帯である。それが、わずか一時間か二時間の飛行機の便によって、一週間のうち一日か二日そういうところで休養でき得るようなことにしていったら、どれほどパラダイスになるかわからないという考えを持ったのですが、そういう中から見まして、土地利用計画というものは、まだ非常にあいまいですね。このままでいきますと、たとえば観光地にしても休養地にしても、ここで必ず民間プロパーの開発が投入されてくる。そうなりますと、あたら観光地帯というものが、または休養地帯というものが荒らされてしまうおそれがある。いまもお話がありましたように、俗悪な観光地帯になっては困る。また旧島民のお金になるものが、一部独占資本、そういった連中に吸収、収奪されても困る。そこで、この土地利用の基本計画に立って、民間に払い下げる考え方というものをもう一ぺん考え直してもらえないだろうか。国土利用の立場においては、土地というものは日本の国のものである。ただし、そこに権利というものが生ずるから、島民のものであるという考え方は必要であるが、そのための補償であるとか、あるいはそういう人たちの生活の権利を守るのは当然であるが、あくまでも宮澤構想なら宮澤構想から出た国土総合開発計画の立場を貫き通すためには、無計画な——ここが一番大事なところだと思うのですが、日本内地であらゆる点で議論されてきた点はそこなんですから、ここで国有地、公有地、これをあたら民間に払い下げるということは、ひとつ考えてもらわなければならぬ。こういう点は、宮澤さんとしては、今後土地利用の基本計画の姿勢というものを貫き通していくのには、いま言ったような開発だ、開発だということに先がけて——東京都や政府による公共社会資本の投資が薄ければ、それにかわって当然民間資本が入ってくる、こういう点で、美濃部都知事も、二、三日前小笠原に行ってまいりましたよね。美濃部さんの考え方と国または東京都の考え方というものはどうなのか。こういう開発というものは国や東京都がもちろん一体になってやらなければならぬけれども、そういう点、宮澤さんの御見解を承りたいと思います。
  62. 宮澤弘

    宮澤(弘)政府委員 これは私の個人の見解がだいぶ入るかもしれないのでございますけれども、私は、ただいま小川委員のおっしゃったことに全く賛成でございます。それで、先ほども御答弁を申し上げましたけれども、ただいまも御指摘もございましたが、やはり小笠原というのは、都民なり国民なりの観光地なり休養地である、こうおっしゃいましたけれども、私もまたそういう意味の休養地というような性格を持ったやはり観光地というようなことを、観光開発を考えます場合には当然中心考え方でいかなければならないと思います。その場合におきましては、基本は土地の問題であるということも御指摘のとおりでございます。先ほども国有地が多いということを申し上げたのでありますが、これは、そういう国民の休養地として小笠原考えていくという場合には非常に大きなメリットであろうと思うのでございます。したがいまして、国有地の今後のそういうような使用なり処分というようなものにつきましては、十分慎重な考慮を払っていく必要があろうと思うのでございます。  同時に、私有地の問題でございますが、これは先ほど山本委員の御質問に対しまして政務次官も御答弁を申し上げたわけでございますが、私有地をすべて公有地として買収なり何なりをするというようなところまではまだ決心がつきかねているという御答弁を申し上げたわけでございますけれども、もし私有地を処分するというようなものが出ました場合には、私はやはりなるべく村なり都なり国なり、公有のところでそれを確保するような努力を今後していくべきである、こういうふうに思っております。  それからなお、これは御承知でもあろうかと思うのでございますが、この法律の前、昨年国会で御審議を願いました暫定措置法でございますが、暫定措置法の三十五条におきましては、小笠原諸島におきます土地の形質の変更でございます。土地の形質の変更がいろいろ土地問題を混乱させる一つ基本でございますが、土地の形質の変更につきましては制限の規定を置いておりまして、一定の期間は、小笠原諸島におきましては土地の形質の変更なり、あるいは施設なり工作物の新設というものにつきましては、制限規定を置いておるわけでございます。私は、やはりおっしゃいますような趣旨を貫徹いたしますためにも、この土地の形質の変更というような制限の措置というものを十分慎重にかつ厳重に行なっていくということが必要であるし、これがまた御質問のような御趣旨を実現する一つの有力な手段である、こういうふうに考えております。
  63. 小川新一郎

    ○小川(新)委員 土地の問題ですが、この土地の値段を早くきめてくれというのが現地の声なんです。一体、一坪、三・三平方メートル幾らの価値があるのか。今度の内地の、建設省から出ている地価公示制度、こういった問題が、まあ土地の問題として試みられるわけなんですが、新都市計画法できめる市街化区域、市街化調整区域、これは内地の問題ですが、これが小笠原に当てはまるかどうかわかりませんが、いま旧島民が一番心配しているところは、自分の権利を持っていた土地を一体政府は幾らで買い上げてくれるのか。大体、小笠原という、公共資本がどんどん開発投下されてくれば、これはまあ市街化区域、調整区域の関係のように、どんどんこれは土地のメリットがふえてきますから上がってきますわね。五年先の小笠原の坪単価評価と現時点の土地の評価というものは、土地収用法の場合は相当の開きが出てくる。だから、土地収用法の場合の事業計画決定時なのか、裁決時なのか。またそれが問題になって、今度の新都市計画法が出てきたように、これはどんどん開発投下がされて価値が出てくる。港も開発されました、あそこもできました、そうなってきたときに、土地の値段は上がってくる。これは当然だと思うわけです。そうなったときの値段というものは、これは非常に大きな国に対する財源の問題にも関係してくる。当然ここに殺到してくると思う。そこで私は、一体この小笠原現地の方々と旧島民とが、これは当然トラブルが、いろいろな問題で、いろいろなメリットの問題で起きてくると思うのです。  そこで私は一番聞きたいのは、地価というものは現時点において払い下げる値段をきめるのは、一体これはどこで算定するのか、現在のような日本内地で行なわれているような不動産鑑定士というようなものが二人、三人いて、土地鑑定委員会にかけまして、そうしてこの小笠原諸島の父島、母島、硫黄島という、それぞれの時点に合わせて土地の値段というものを算定するのか、あるいは、これはやはり建設省に設けられるところの土地鑑定委員会にかけるのか、不動産鑑定士を小笠原に派遣して土地を鑑定させるのか、一体この点はいかがですか。
  64. 宮澤弘

    宮澤(弘)政府委員 私どもそういう方面についての知識、まだ十分でございませんので、あるいは建設省が小笠原諸島におきまして、ただいまの御質問の点についてどういう考え方をとっておりますか十分存じておりませんけれども、これは私の想像、推定になるかもしれませんが、現段階ではまだ建設省のほうも、小笠原諸島につきまして地価の公示をするというようなところまではいっていないと思います。したがって現在のところは、小笠原諸島における地価のあるべき姿と申しますか、基準というようなものは、ほかの日本の内地におきますようなものはない。したがいまして、そこには需要と供給の関係から一定の地価ができておるかどうかということであろうかと思うのでございまして、その辺、いま父島で坪どのくらいであるかというようなことにつきましては、たいへん残念でございますが、私自身知識をまだ持っておりません。
  65. 小川新一郎

    ○小川(新)委員 これは私は非常に政府の怠慢だと思いますよ。もし基本方針がはっきりしなかったら、これはいたずらに混乱を巻き起こしますよ。事実は、小笠原の帰島者の中で、権利を放棄して、第三者に権利を譲渡している姿さえあるじゃないですか。そうすると、一体どこを基準に権利を譲渡しているのですか。たとえば、おそらく不動産業者だって介入しようとねらっているわけですよ。それで、現在の小笠原復帰、この問題において歯どめがあるから、いますぐに入ってこれない。入ってこれないけれども、権利の譲渡というものは、ちゃんと法律によって権利が譲渡された場合、そうなったときに、坪二万円とか五千円とかいううわさが飛んでいる。これは一体どこを基準にしてうわさが飛んでいるか。八丈島あたりが基準になるのか、それとも大島あたりが基準になるのか、島嶼、諸島ですから私はわかりませんけれども、こういう点は建設省のほうとしても、地価というものを一体どこで定めるか。そのための不動産鑑定士というもの、地価公示というものが、法律が国会で通ったわけでしょう。この間参議院を通過した。こういう問題が小笠原に適用されないとなれば、それじゃ新都市計画法だって適用されない。建築基準法だってこれは採用されなかったら、ゾーニングの問題だって出てきます。これは宮澤さんは専門家ですから、そう逃げられちゃ困るんで、どなたにお聞きしていいかわかりません。宮澤さんのように土地の神さまといわれている方が、わからないということで建設省に責任転嫁しちゃう。それは小笠原問題の一番の問題じゃないですか。一番ネックじゃないですか。これははっきりしてもらわなければ、私は、小笠原問題は手がつけられない。いままで言った議論は全部空論ですよ。まず第一に土地の値段というものがはっきりと出てこなければ困る。そうしなければ、一体、建設省だ、自治省だ、いや東京都——だから私は、現地で質問したって、一体どこが中心になってやってくれるか。自治省中心になってやっていく。建設省であろうと農林省であろうとどこであろうと、土地問題は自治省中心になってこの地価というものは研究しますとかなんとかいう、その辺の答弁をいただかなければ、子供の使いじゃあるまいし、小笠原まで行って何にもわかりませんじゃこれは困る。どうぞひとつ宮澤さんの御見識のあるところ——私見私見じゃ困りますね。その辺は政府のはっきりした答弁というものをいただかなければ、これは委員会ですから、ここではっきりわれわれの方向というものを議事録に載せて、そうしていま四千とも六千とも言われている方々の一番生活権の問題、土地の問題、これは自分の不動産ですから、この財産が一体戦後からどのくらい上がっているか、何倍になったか——だから、現在、小笠原復興資金という政府からもらっておる、米軍から助成金、補助金をもらっておる、そんなものは使い果たして、食いつぶしているんですよ。小笠原諸島の持っている土地の財産をこれは一体どのくらい政府としては見込んでくれるか、これが一番大きな関心事。これに対して、どこで算定してくれるかということがはっきりしなければ、これは困っちゃうと思いますね。
  66. 宮澤弘

    宮澤(弘)政府委員 私見と申し上げましたのは、私は個人的に土地問題に関心を持っておりますけれども、ただいま御議論がございますような土地の評価なり鑑定なりあるいは都市計画法の適用なりというような問題は、申し上げるまでもなく建設省の所管の問題でございます。そういう意味合いで私は私見ということで申し上げたわけでございます。ただ、おっしゃいますように土地の問題は、小笠原復興考える場合に基本でありますので、これはそのとおりでございます。したがいまして、ただいまの御質問の小笠原諸島についての土地の鑑定評価の問題がどうなるか、あるいは都市計画区域としての指定の問題をどう考えるかということにつきましては、後ほど建設省と連絡をとりました上で御答弁を申し上げたいと思います。
  67. 小川新一郎

    ○小川(新)委員 そうすると、これは責任ある自治省としての見解が出せると思うのですが、一番私が聞きたいことは、いま建設省と話し合いをしなければ、そういった土地の問題、土地の値段というものは定められないし、また土地利用というものははっきりしない、であるから、それは建設省とはっきりした上で発表する、こう理解してよろしいのですか。
  68. 宮澤弘

    宮澤(弘)政府委員 あるいは私が多少誤解を申し上げているかもしれないのでございますが、土地の値段自身は、申し上げるまでもなく別に政府がきめるわけでもございません。ただ、新しい不動産鑑定士が土地の基準値につきまして価格を評価いたしまして、それが今後一般の国民の取引になる際のめどにいたしたい、これは小川委員十分御承知のとおりでございます。したがいまして、そういう基準につきまして、小笠原諸島について政府の主管当局である建設省がどう考えているか、今後どういうふうに取り扱おうとしているかということにつきましては、後刻建設省のほうと連絡をいたしました上でお答えを申し上げたい、こういうことでございます。
  69. 小川新一郎

    ○小川(新)委員 そこが私、一年たって、いろいろな面で少しおくれているんじゃないかと思う点なんですが、責めてもいたしかたありません。  それじゃ、あくまで小笠原の土地というものは建設省の地価公示の——不動産鑑定士二人以上によって鑑定をして、そして土地鑑定委員会にかけて審議して、それをたとえば小笠原の大村地区においては地価を公示するんですね。こういうふうに理解していいんですか。そういうところを相談するというのですか。
  70. 宮澤弘

    宮澤(弘)政府委員 主管省は建設省でございますので、御承知のように建設省は全国的にそういう作業を進めてまいるわけでございますから、一体小笠原の問題についてどういう考え方をとっているだろうかということを中心に建設省と協議をいたしましてお答え申し上げたい、こういうことでございます。
  71. 小川新一郎

    ○小川(新)委員 わかりました。宮澤さんならそのくらいのことは、私が言わんとすることは、あなたたちはよくわかっているはずなんです。私どころじゃない。あなたは一番よく土地のことをわかっている。ぼくが言っていることなんか、一つ聞けば百ぐらいのことを頭の中ではわかっている。一番私が心配していることは、小笠原の土地の地価の表示は大事なことです。ここで値段がはっきりすれば、いろいろな開発のメリットがその基準に合わさっていくんです。これは御存じのとおりです。あんなに高かったら、こんな高い土地に投資しないという人も出てくるでしょうから、これは公有地としてやっていかなければならない。だから一番大事なことは、はっきりいうとあそこがいいかげんな値段をつけられても困る。めちゃくちゃな値段がつけられたら大問題だ。だからといって、極端に安く評価されても帰島者にとってはかわいそうなんです。だから権威ある不動産鑑定士——不動産鑑定士だって小笠原の人じゃないんだから、これは建設委員会でも問題になった。たとえば千葉県なら千葉県の不動産鑑定士が東京の鑑定なんかできませんよ。そこの所属にいる不動産鑑定士を選ぶということは附帯決議についたんですよ。ところが小笠原には不動産鑑定士がいない。でありますから、東京から派遣されてくると思う。そうなってくると、このつけ方というものは非常な議論が出てくる。これはひとつ建設省と自治省中心になって、はっきりと不動産鑑定士または鑑定委員会、こういう権威あるところで定めた値段にしてもらいたい。ただちまたで論じられているような、あそこの観光は、あの島はこうだから、この島はこうだから坪二万円ぐらいが妥当であろう、六千円が妥当であろうというような評価によったのでは困る。われわれはあくまでもそこのところをはっきりしていただきたい、こういうふうに思っているのですが、いかがですか。
  72. 宮澤弘

    宮澤(弘)政府委員 御趣旨はわかりました。建設省のほうともよく相談をいたしたいと思います。
  73. 小川新一郎

    ○小川(新)委員 そうすると、これは政務次官にお尋ねしますが、小笠原島の父島と母島の開発はどっちを主力にしていかれますか。美濃部さんの意見では、新聞によりますと、母島の開発を主力にしていく、父島よりも非常に条件が恵まれている、でありますから飛行場も母島につくりたいと言っている。ところが細田さんの説によると、私も一緒に行ったのですが、父島に飛行場をつくったほうがいい。これは私ども見た目ではそう感じた。これは非常に大きな議論が出てくると思います。何といっても足、土地の次に足ですよ。その次には水産、私の持論としては。そして観光というものになるか、どっちの方向か定まってくる。こう思いますが、いま言ったとおり、父島と母島の開発、これはいろいろなデータが出ていると思いますが、政府としては美濃部さんの意見に引きずられるということはないと思うのですけれども、その辺のところの調整、また地元民とのトラブルが出てきますが、そういうところはどういう方針でいかれますか。
  74. 砂田重民

    砂田政府委員 先生も御承知のように、復興計画東京都知事さんから出していただきまして自治大臣決定することになっております。いま飛行場の問題を具体的にお示しになったのですが、父島に飛行場をつくるのか母島に飛行場をつくるのか、これはまだ私どもではきめておりません。まだその段階ではございません。美濃部さんの、母島に飛行場をつくったほうがいいではないかということを新聞記事で私もちょっと拝見いたしましたけれども計画を出してこられます東京都知事さんでございますから、自治省としては十分東京都の知事さんと話し合いまして、だんだん考え方を煮詰めていきたいと思いますが、必ずしも美濃部さんと自治大臣だけできめていいかどうか、飛行場建設の技術的な問題もございます。当然運輸省の、飛行場建設のその道の専門家の意見も聞かなければなりません。十分協議した上できめなければなりませんから、いま、飛行場を父島に先つくるのか母島に先つくるのかとおっしゃっても、ちょっとまだお答えする段階に至っていないわけでございます。
  75. 小川新一郎

    ○小川(新)委員 私が聞いているのは、それも一つですが、どっちの開発を主力にしているのかということをいま方針を聞いたのですが、お答えをいただけなかった。  土地利用区分の件ですが、まず最初に、土地利用区分をきめる場合には、国及び公共団体の施設をつくる。そういった土地利用区分というものをはっきり定めておいた上で、たとえば大村地区の緑地地帯のようにどうしても民間所有地を買収しなければならぬという地域、これは総合開発の立場から民間が入ってきては困る、どうしても国や公共団体の公有地としてここを活用していきたいという利用区分というものを、まず色を定めていかなければならぬと思いますが、各省からどれくらい要求があるのですか。
  76. 砂田重民

    砂田政府委員 土地利用区分のきめ方の段取りは先生おっしゃるとおりでございますけれども、まだ各省から要求というふうな形では伺っておりません。
  77. 小川新一郎

    ○小川(新)委員 これがやはり主体となってまいりますね。まず自治省と建設省関係、ダムをつくるんだからここは買収しておかなければならぬ。ここは道路にしなければならぬから建設省サイドとして土地を確保しなければならない。ここは農林試験場をつくるから農林省としてとっておかなければならない。ここは文部省として学校敷地をとっておかなければならない。こういうふうな大きな国の利用区分というものがあります。そこに民間の持っていた土地は買い上げなければならぬ。これはさっきから私が言っている、要するに国土総合開発の見地からいえば、小笠原島民といえども、大きな三十七万平方キロの日本列島の中の小笠原としての目標を立てていくということは、宮澤さんも私見でおっしゃった。ただ単に小笠原のサイドからのみの開発というものはナンセンスだ。全体の中からやっていかなければ戦略体制としては無意味です。  そこで私が聞きたいのは、いまの飛行場の設置にしても、こういうところは公有地としてどうしても青写真としてとっておかなければならないという、これは各省、東京都、どれくらいの面積があるのか、それは吸い上げていないのかという質問です。
  78. 砂田重民

    砂田政府委員 まだ具体的にそういうふうな問題について吸い上げておりません。ただ、これからやってまいる段取りといたしましては、小川先生おっしゃるようなそういう段取りでやっていくわけであります。そういう順番でやっていくわけであります。
  79. 小川新一郎

    ○小川(新)委員 そうしますと、そこのところをもしも売らないと言った場合には、土地収用法にかけるのですか。
  80. 砂田重民

    砂田政府委員 たとえば飛行場の場所の位置が決定する、その飛行場敷地の中に民有地があった場合にはということの仮定を前提にしてのお話だろうと思いますけれども、全く仮定を前提にしてのお答えでございますが、東京都の考え方を十分検討いたしまして、また運輸省の技術的な意見も考慮に入れて、この場所が一番望ましい飛行場の建設場所であるということが決定されて、他にかわるようなかっこうな場所がないというような場合、いずれも小川先生、みんな仮定を前提にしてのお答えしか私はできないわけですが、そういった場合に、その敷地の中に民有地がまたあった場合、これは当然強制収用というのは、建設行政のオーソリティーの小川先生のことですから、十分御承知だろうと思いますが、いきなり強制収用なんというものはかけるわけではございません。十分なお話し合いの上で、どうしても話がつかない場合というまた仮定をもう一つ前提にいたしまして、あるいはそういった土地利用法というような問題も出てくるかもしれない、そういうことでございます。
  81. 小川新一郎

    ○小川(新)委員 私が心配していることは、結局島民との話し合いはおそらくうまくつくのです。ところが島民が第三者に権利を譲渡した場合、たとえば小濱さんが持っていたのを小川新一郎が買った。その私がその土地の所有者になった場合に、公有地がかかった場合になってくると、これは非常なトラブルが起きるのですね、また生活権に困って売るんじゃないですから、そういう連中は。それは、いまの日本の内地の、宮澤さんあたりが非常によく、いやになるほど知っていらっしゃる。だから土地利用基本計画をつくれ、つくれ、つくれと口やかましくなるほど宮澤先生はおっしゃっている。私はそのこと賛成なんです。だから、荒らされてない楽園であるところの小笠原が、私はそういう仮定を言っているけれども、そういうことになったのでは、これはもう内地の二の舞いです。食い荒らされちゃう。楽園だ、パラダイスだなんていったって、修羅場ですよ。利権錯綜の人間の醜い欲望の上に成り立ったところの繁栄なんというものは、現在の日本の内地を見ればよくわかるのです。そこで私がいま言ったとおり、土地の利用区分というものをまずはっきり、ここはこうしなければいかぬ、ここはこうなるのだからいかぬ。そのためには、土地の資金プールをつくって、土地基金制度をつくって、政府が小笠原の土地の買い上げ基金制度をつくっちゃって、民間ディベロッパーが入れないようにして、まず私の私見ですが、土地開発公団のようなものをつくって、国が出した、または島民の資金と合わせて、この何億か何十億かの金をプールして、それで小笠原の土地の取得の資金とするような構想というものがなければ、いつまでも放置しておいたならば、いま言ったようになってしまう。いまのところ復興計画等で三年間の歯どめがあるので入れない。その間に裏工作というものを着々とされた場合に困る。それで私がいま心配していることは、そういった土地の利用区分というものを明確にはっきりし、なおかつそういった土地の問題という点においては、いま言ったような民間の大資本が入らないようにしたい、不動産業者が入らないようにしたい、こういうふうに言っているわけなんです。その点がちっとも明快にされてないから私は不安でたまらない。その点お答え願いたい。
  82. 砂田重民

    砂田政府委員 いまの小川先生お話の中にもありましたように、暫定措置法で建造物等の歯どめをしているわけでございます。先生がおっしゃるような心配をした上で、こういう歯どめをしているわけでございます。土地利用区分等、これからやってまいらなければならない問題ですけれども、私も先生と同じような心配を持ちます。そういう事態になることは絶対に避けてまいらなければならない。先生の御心配の点、私どもも持っている心配でございますから、十分に気をつけまして、土地利用区分等、復興計画の中で定めてまいりますにつれて、そういった心配が出てまいりますが、暫定措置法にきめておりますいろいろな規制が三年間有効でございます。十分にこういった規制を利用しながら、そういう無秩序な、どう申しますか、土地の思惑買い、こういうものを何とか規制をして、私どもが理想としているような小笠原復興計画をつくっていきたい、かように考えております。
  83. 小濱新次

    ○小濱委員 建設省にお尋ねいたします。小笠原諸島復興計画、道路問題、この問題についてはやはりいつまでに策定するのか、特に島別の復興の方向というものが問題になるだろうと思うのですが、大きく分けて父、母、硫黄島、この考え方について伺っておきたいと思います。
  84. 南部三郎

    ○南部説明員 先ほど来自治省のほうからお答えがございましたように、小笠原復興につきましては、その一番基本になります復興基本構想、あるいはそれに基づきます各種の土地利用、そうしたものが現在まだ未定でございまして、道路について申し上げますと、やはりこうした土地利用との関連で具体的な計画がきまっていくというふうに私ども考えております。したがいまして、現段階におきましては、建設省として持っておる道路計画というものはまだございません。
  85. 小濱新次

    ○小濱委員 そうすると、道路、下水までも当然手が回っていない、こういうことですか。
  86. 南部三郎

    ○南部説明員 道路につきましてはいま申し上げたとおりでございますが、下水の問題にいたしましても、やはり帰島する人間の数、そうしたものもまだ現在はっきりいたしておりませんし、そうした方々の集落の結成の場所、規模、そうしたものについても現在まだ具体的な像になっておりません。私どもといたしましては、今後東京都がいろいろと基本的な案をお考えになる、それを自治省中心になって、私どもの所管につきましては私どものほうがそれに関与いたしまして、そうしたもろもろのものがきめられていく段階で、所管の道路であるとかあるいは下水であるとか、そうしたものにつきまして必要な措置をしていきたい、こういうふうに考えております。
  87. 小濱新次

    ○小濱委員 復興法では、おおむむね五カ年以内で帰島実現をはかっていくんだ、こういうことになっておりますが、この間二見港に海上自衛艦が二隻入港いたしました。気がついた方もいるかと思いますけれども、停泊してから船からたいへん汚物が流されました。陸上でも当然そういう問題は、今後復興してくれば起こってくる問題ですね。ところが海水が非常に透き通っておりますので目立つわけです。私もいつまでもその成り行きを見ておったわけでありますけれども、よく黄金の海なんて言われることも思い出しながら見ておったわけですけれども、やはりこういう計画も、五カ年というわずかな期間の中にあのジャングル地帯化された諸島を復興させていくからには、急速に計画を立てていかなければならないと思うのです。何か自治省まだ煮詰まっていないというお考え方のようでありますし、各省庁ともそういうような考え方のようです。まあ二十三年も放置されてきたのだからしかたがないんだという考え方があるのじゃないか、こういうふうに思うわけでありますけれどもほんとうにやはり関係省庁が真剣になってそういう問題の解決に努力していかなければ、これは何というか、依存主義というのですか他力本願、どこかがやるだろう、そういうような考え方はいけないと思うのです。そういう姿のあらわれが、一年たってもまだ生活基盤、生産基盤、そういう計画が全然できていない。形だけ。しかも島民は言っておりました。内地からの視察団は四十回以上にわたっております。四十回以上も視察団が来てくれた。もう島民はどのくらいその結果を待ちあぐんでいるかわからないわけですけれども、結果は出ない。私もいやみを言われました。国会議員さんが来ても同じことなんでしょうね、こう言われました。私もその人の住所を書いてまいりました。これからもいろいろとこの諸島の復興問題についてはまた状況を知らしてあげたい、こういうように考えておるわけですけれども、建設省がやはりいまのような基本的な考え方基盤をちっとも持っておりませんと、どうにもならなかろうと思うのですね。あそこの道路を見てください。私どもはジープだからよかったけれども、私どもよりか高いくらいな草ぼうぼうの中をジープが走っていくわけです。そこは道路です。全部おおわれたジャングルの中をジープが走っていくわけです。写真をとってまいりました。そういう姿の中ですから、思い切った施策を講じていかなければどうにもならない。もう五十年、百年たったって復興しないのじゃないか、こういうふうに思われるような状況なんですから、建設省、もう一ぺんひとつお答えいただきたいと思う。
  88. 南部三郎

    ○南部説明員 先ほどお答え申し上げましたように、小笠原復興基本構想あるいはこれに基づきます土地利用の計画ということになりますと、一建設省がこれをきめていくという立場ではないと私ども考えております。こういう点につきましては、現在御審議をいただいております復興法案の中にもございますように、東京都の知事の計画をもとにいたしまして自治省審議会の議を経、各省庁と協議をしてきめるというふうになっておるように記憶しておりますが、私どもといたしましては、先ほど自治省官房長のお答えがありましたように、今後そういう手だてで早急に自治省中心になって具体的な構想がきめられていくということに、もちろん私どもの省の関係いたします分野につきましては、やはり誠心誠意できるだけ早くそうした計画がまとまるように努力をいたしていきたい、こういうように考えております。  それから、いま先生事例としてお話しになりました道路でございますが、もちろん、現在そういうものがきまらない段階で、したがって道路を放置しておいていいということじゃないと思います。そこらにつきましてはすでに今年度自治省のほうで一括計上されました予算の中で、当面必要な伐開等のことは自治省東京都と十分協議をされた上で予算を計上して措置されておるように私ども伺っておりますが、そうした暫定的な措置等につきましては、おそらくこの復興計画がきまるまでにおきましても、東京都が十分現地の実態を踏まえた上で、自治省当局と御協議の上で行なわれるものである。その間におきまして私ども建設省として果たすべき役割りがございましたら、また自治省あるいは東京都とよく協議をいたしながらそれらの措置を進めてまいりたい、こういうふうに考えております。
  89. 小濱新次

    ○小濱委員 自治省、いまの御意見をひとつよく聞いていただきたいと思います。  それから、東京都とよく話し合ってということですけれども、建設省としても強いそういう行政指導のもとに、やはり熱意ある態度を示していかなくちゃいけないと思うのですね。そうでなければなかなか進まないでしょう。東京都に、千百万人口といわれる世界第一の大都市の中にああいう離島がある。犠牲的精神を発揮して東京都は小笠原諸島をかかえたのでしょう。えらい持ち出しでしょう。そのときに積極的にこちらから呼びかけなければ、行政指導していかなければ、この復興はとうていできなかろう、こういうふうにわれわれは考えるわけです。これは事例が、奄美群島援助も十年間続き、それからまた五年の振興援助についての延びがある。今回また法案審議した。こういうことから見ても、非常に問題が残っておりますし、振興がおくれております。こういう二の舞いを小笠原はさせたくないな、こう私ども考えるわけです。小笠原復興がおくれれば、あとにくる問題がまたあるでしょう。これは沖繩だってそうでしょう。せっかく返してあげた奄美も小笠原も、ほんとう希望どおり復興してないじゃありませんか、こういう理由づけとなって沖繩返還の問題も起こってくるんじゃないかという危険性もあるわけです。ですからもっともっと、私はそうならないように対策を講じていくべきである、こう思うわけですね。  建設省関係についてはだいぶいま小川さんのほうからお話がございましたのでこれで終わりまして、あとやはり関連して法務省関係にお尋ねしたいのですが、この復興計画の一番の基礎になるもの、これはやはり土地利用、現況確認、すなわちこの境界査定という問題ですね。この問題であると思いますが、土地測量は法務省で予算を取っておるという話を聞いたのですが、その内容、経過について法務省の清水検事さんにお願いしたいと思います。
  90. 清水湛

    ○清水説明員 民事局長がよんどころない用事で出席することができませんので、私がかわってお答えいたします。  小笠原関係の地図につきましては、昭和四十三年度に約三百万円、正確に申しますと三百十一万六千円の予算によりまして、大村地区、現在の島民が居住している地区の約〇・六平方キロメートルの範囲にわたりまして地図を作製いたしております。それから本年度におきましては約二百八十万円の予算によりまして、本年の五月下旬から六月下旬にかけまして父島の扇村、双児、小曲地区の一部につきまして約〇・四平方キロメートルの範囲にわたりまして地図を作製いたしております。
  91. 小濱新次

    ○小濱委員 こういう予算規模で、そのような調査内容で、でき上がるのは何年ぐらいかかる予定ですか。
  92. 清水湛

    ○清水説明員 小笠原諸島の全部の面積が約百平方キロメートルですか、そのうち八〇%近くが国有地でございまして、残り二十平方キロが民有地でございます。その民有地の全部にわたりましてこのような地図を作製するということになりますと相当の年数がかかる。これは毎年一平方キロあたりとしましても二十年ということになるわけでございます。しかしながら、地図を作製する地域といたしましては、大体これから復興開発が予想されて、しかも現場がブルドーザーその他の工事によって急激に変わるというような地域を重点的に考えておりますので、必ずしも民有地の二十平方キロメートルのすべてにわたって地図を作製しなければならないということにはならないのではないかと思います。幸いなことに、東京都が戦前につくりました土地台帳付属地図に類似する地図がありまして、そういうようなものも土地の境界確認のための有力な資料になるというふうに考えております。したがいまして、二十平方キロメートルの全部にわたって地図をつくる必要があるかどうかということも、現在の段階では必ずしもそれが必要であるというふうには断言できない状況であるというふうに考えております。
  93. 小濱新次

    ○小濱委員 二十平方キロメートルというと、父島が若干大きいというわけでしょう。硫黄島が大体二十くらいじゃないですか。そういう父、母あるいは硫黄島の一つの島が二十平方キロメートルくらいになるわけですね。それが四十四年度では二百八十万円、これで測量をいまやっておるというのでしょう。さて、これができなければ土地利用計画国土利用計画も、これはもうできないわけでしょう。これが基礎でしょう。たとえば、あなたの言うようなその測量をやっていただいて、そうして一人一人の面積が出た。ところが、どこの基点から、ここのここから、あなたの土地はこれだけなんですよ、こうきちっとしてやらなければ、あとで問題が起こりましょう。その計画がきちっと完成していかなければ、いまわれわれが幾ら声を大にして叫んでも、復興対策は進んでいかないと思うのですね。これは法務省では、この二百八十万というのはどういうようなものに使っておるのですか。
  94. 清水湛

    ○清水説明員 御承知のように、小笠原諸島の地域は二十数年間放置されていたということのためにジャングル化している部分が非常に多い。本年度の測量の実績を見ましても、技術者が六名、それから樹木を伐採する作業員が五名、それに法務省側の職員が常時一名ないしはときによっては二名という形で指導監督に当たっているわけですけれども相当の測量上の困難を伴うような状況にあるわけでありまして、費用の点あるいは時間、それから人員の点、相当、われわれが予想する以上の金がかかるというような実情になっております。これから必要な地域を測量するということになりますと、さらに巨額の予算と人員と時間を必要とするであろうというふうに考えております。
  95. 小濱新次

    ○小濱委員 どうもわからないのですがね。あの島の測量が二百八十万円。法務省の要求額は幾らだったのですか。
  96. 清水湛

    ○清水説明員 本年度は約九百四十五万円ばかりでございますか、その程度の金額を要求しております。
  97. 小濱新次

    ○小濱委員 大蔵省来ていませんな。——政務次官、いま言うように九百四十五万円法務省では測量のための地図作製のために要求したけれども、カットされて二百八十万円、これであの島全体を、父島全体が大体約二十ちょっとでございますか、それを測量しなければならない。人員配置のことは、いま説明があったような内容でしょう。進むわけないですよ、これは。こういうところに何か形式的に、形だけやっているんだという姿のようにしかとれないのですね。もっと私は、その内容内容でありますので、積極的にやるべきだ、こういうふうに思うわけですが、ひとつお帰りになりましたならば、こんなことで何ができるんだ、この予算で十分と言われるのか、こういうことで非常に私どもは真意を疑っていた、こういうふうにお伝え願いたいと思います。  その点は終わります。たいへん御苦労さまでした。  あと、先ほど不動産業者の話がありました。この点は省略さしていただきます。  あとは運輸省関係。最初に飛行場部鮫島計画課長さんにお尋ねしたいのですが、交通の現状及び将来の見通し、あるいは特に空港についていろいろと話が出ておりますけれども、行政指導というのか、たしかこれは、ああいう飛行場については三種になるかと思いますが、そういう立場で、ローカル的飛行場、小さい規模のもの、こういうふうになるわけですけれども、この計画について、あるいは行政指導はどういうふうに行なっておられるか、そういう点についてお答えいただきたいと思います。
  98. 鮫島泰佑

    ○鮫島説明員 ただいまお話のありましたことでございますが、先生のおっしゃるとおり、これは性格上三種空港に属するかと思います。したがいまして、これの計画の主体となりますのは当然管理者となる東京都ということになります。しかしながら、私どもといたしましては昨年の四月と十二月と、二回にわたりまして航空局の職員を四名ほど派遣いたしまして、現地調査をしております。なお、この現地調査に前後いたしまして、五万分の一の地形図によりまして、小笠原群島全面にわたりまして、どこに飛行場が得られるかという検討はいたしておるわけであります。その二回の調査の結果に基づきまして、現在のところ父島にも母島にもそれぞれ一カ所建設可能の地点はあるというふうに判断をしております。しかしながら、いずれも、御承知のとおり非常に山でございまして、工費が非常にかかるであろうということも明白でございます。したがいまして、その後建設省でおやりになりました五千分の一の地形図、さらに詳細な地形図によりまして、現在さらに詳細の検討を進めている状況でございます。  なお、別途東京都におきまして近く詳細な縦断及び横断測量をその候補地点についてなされます。その結果に基づきまして、さらに詳細な検討を加え、また航空機を、これも東京都でございますが、飛ばしましての飛行調査をされますときに、私どもの専門家を同時に派遣いたしまして、いろいろ技術的な御指導をしていきたいと思っております。
  99. 小濱新次

    ○小濱委員 二回調査団を派遣されたということですが、父島、母島の候補地の地名とか概況について、おわかりになっているでしょう、お答えいただきたいと思います。
  100. 鮫島泰佑

    ○鮫島説明員 父島につきましては、夜明山というところがございます。それが大体標高三百メートルをこすような山でございますが、その付近の山をならしまして、大体千五百メートル程度の滑走路が建設可能だと考えております。母島につきましては、南崎というみさきがございます。それから中の平というところにかけまして、百メートルをこえる山がございますが、これをならしまして、この場合は二千メートルグラスまでの滑走路は可能かと考えております。
  101. 小濱新次

    ○小濱委員 父島が千五百、母島が二千、その滑走路の長さでよろしいのですか。
  102. 鮫島泰佑

    ○鮫島説明員 千五百メートルの場合にはYS11を運航させることが可能でございます。二千メートルとなると727が運航可能であります。
  103. 小濱新次

    ○小濱委員 たしか内地からハワイまで民間航空のジェット機が直行するコースもございますね。私も、一ぺんウェーク島へ上陸しながら向こうへ渡ったこともありますが、直行したこともある。そうしますと、途中で不時着するような問題が起こったときには、太平洋ではどこへ着陸をするのか……。
  104. 鮫島泰佑

    ○鮫島説明員 航空機を運航いたします場合には、目的地の飛行場に着けない場合がございます。そのような場合に備えまして、必ず代替の飛行場というものを設定してから運航いたします。この場合にYS11でございますと、父島を目標といたしまして飛ぶ場合には硫黄島を代替にとることになっております。それから727の場合には硫黄島をとることもできますし、折り返しまして東京飛行場にとることも、両方可能でございます。
  105. 小濱新次

    ○小濱委員 戦時中使われた硫黄島のあの滑走路の長さは三千と聞いておりますが、よろしいですか。
  106. 鮫島泰佑

    ○鮫島説明員 私の承知しておりますところでは、全長二千六百メートルと聞いております。
  107. 小濱新次

    ○小濱委員 ここに三千と書いてあります。まあ三千とか二千六百になれば、羽田にも一つの滑走路がございます。ですから、相当有効に使えるわけですけれども、とにかく膨大な金がかかるわけです。しかしその計画を何とかして早く立てませんと、またいろいろ計画に支障が起こってくるわけですね。これは運輸省、あなたのほうではいろいろな話し合いの中から、やることには決定されているのですか。
  108. 鮫島泰佑

    ○鮫島説明員 ちょっと御質問の意味がわかりません点がありますけれども、話し合いとおっしゃいますのは運輸省内でございますか。——これは当然のことでございます。省といたしましても、そういう調査並びに計画に指導あるいは援助をしていくということは当然のことだと一致しているかと思います。
  109. 小濱新次

    ○小濱委員 これはやはり相当大がかりな内容になると思いますので、ひとつ自治省も財政的援助の面で検討のほどをお願いしたいと思います。  それから船舶ですが、船舶は海運局の富田課長さん、いま都のチャーター船の五百あるいは千トンくらいの船が交互に必要に応じて就航しているようでありますけれども、これはいままでは無料だったけれども、今度有料になりましたね。これがやはり人員に制限がありまして、なかなか希望しても行けない。そういうことで来月回し、再来月回し、こういうような状態にいまなっておるようですね。こういうことで、やはりこの定期便の計画も早く立てなければならないなというぐあいに——これはいま日本郵船のほうでやってくれているようであります。いろいろごめんどうをかけているようでありますけれども、国としても相当の決意を持ってこれが就航に踏み切っていかなくちゃならなかろうと思っておりますが、どういうふうな考えを持っておりますか。
  110. 富田長治

    ○富田説明員 いま先生のおっしゃいましたとおり、ただいま現在では東京都のチャーターによりまして東海汽船の船が就航いたしております。それを定期航路にしろという要求が私どものほうに早くから向こうからございました。ただ、御承知のとおり、定期航路にいたしますと、だれでも乗れるということになれば、島にどっと大ぜいの人が押しかけて参りますと、村には水がない、医者がいないということで大問題になるわけであります。したがいまして、具体的に四月二十八日に定期航路の免許申請が出たわけでありますけれども、直ちにこれを免許していいかどうか、東京都と自治省連絡をとりまして、そちらの計画とあわせて免許していきたいと考えております。将来的にはこの航路を免許しまして、この航路をできるだけりっぱにしていきたいということは十分考えておるつもりでございます。
  111. 小濱新次

    ○小濱委員 どっと上陸をする、いいですね。私どもも二見湾に停泊中に船内で休ませていただきました。やはり客船であろうと思いますから、そういう点の心配はなかろうと思うのですね。とにかくいまの不自由な航路の中では発展策も考えられない。この点も復興法を効果あらしめるためにはひとつ大いに強調していかなくちゃならない問題だろうと思うわけであります。この間私どもが行きまして、あれは二千五十トンですか、海上自衛艦でも相当がぶりました。艦長に聞きましたところが、このコースでは低気圏の中にはたいがい一回は入りますよ、こう言っておりました。ですから、小さい船では危険も感じられるわけですね。この点の運輸省のほうでの考え方もひとつまとめて、そうして大いに努力をしていただきたいと思います。  時間もありませんので、もう一つお伺いしたいのですが、港湾関係来ておりますか。吉村課長さんですか。——二見港の整備はやはり東京都でやるのだと思いますけれども、この点についての運輸省での行政指導というか、その内容、規模についてはおわかりになりますか。
  112. 吉村眞事

    ○吉村説明員 いまお尋ねの二見港でございますが、現在東京都知事が港湾の区域を公告いたしまして、港湾法でいいますと五十六条港湾ということになっております。そのうちに地方港湾港湾区域の指定をしたいという希望だというふうに聞いておりますが、いずれにいたしましても、東京都知事が計画をされて港湾整備をされるというのがたてまえになっておりますが、小笠原の唯一の港湾でございますので、小笠原復興計画全体と十分な関連をとりまして、時期的にも規模におきましても十分な計画をなされる必要があろうかと思います。そういう観点から、東京都と私どものほうとで共同して、それぞれ調査員を一緒に派遣いたしまして、技術的な検討を行なっておるのでございます。その結果、当面の必要な港の施設というような点を考えまして、現在今年度から予算措置をなされておるというふうに聞いております。
  113. 小濱新次

    ○小濱委員 港湾設備は非常に大事だと思うのです。あそこの二見港の場合、私が感じたことは、湾口の幅が広いのですね。そうしますと、ちょうど風の方向が西にある、そうするとあのうねりは湾内にまともに入ってまいりますね。そうすると、かつては避難船が三百以上もあの二見港に入った例もあるそうですけれども、そういう緊急時に備えて二見港の湾内整備もしなければならないであろう、こういうわけです。それから西風が吹いて湾内がおかされる場合には、小さな避難船はどこに——陸上に揚げられればけっこうですけれども、鉄船等で揚げられない場合にはどこに避難をするのか。母島にもこう囲まれておるような湾はあるけれども、その波風を逃げるところはない。父島にも、二見港を除いては、裏のほうに非常に湾口の広い巽湾があるようですけれども、ずっと見て歩いても避難場所がない。復興計画とあわせてこの港湾整備もしっかりしなくちゃならないと思うのですが、あの奥のほうに浅瀬がずっとありまして、あの浅瀬も私なりに考えて、これはしゅんせつをすべきである。埋め立てをやっておりますが、あれはとんでもない間違いだと私は見てまいりました。しゅんせつをして、突堤を出して、あそこに小さな漁船等の避難場所がつくられるとかしないと逃げられない。しかも、ちょっと聞いてみたら、湾港は四十メートル、五十メートルの深さがある。つくりようがない。そうすると、あそこで防御する以外にはないなという感じを私は持ってきたわけですけれども、それはどうですか。
  114. 吉村眞事

    ○吉村説明員 二見港につきましては、いま先生御指摘のとおり、西風に対しては非常に弱い港だと思います。ただ西風というのが、父島におきましては、わりあい頻度が少ないということで、ある程度は救われておる点はありますけれども、確かに西風が入りますと、小さい船につきましては、かなり危険を感ずる場合があろうかと思います。それで、いまお話がございました一番奥の部分でございますが、この部分につきましては、これは運輸省ではございませんで、農林省のほうで漁港としての整備をしたいというお考えがあるやに聞いておりますが、それによりますと、いまの埋め立て地、昔海軍の基地がありましたあと、ああいうところに小さい船の船だまりをつくるという計画になるのかと存じます。  それから港湾のほうといたしましては、漁船よりもう少し大きくなるかもしれませんが、ある程度小さい船のためには、現在使っております船だまりのところをもう少し深くするということで避難個所をつくる必要があろうかというふうに技術的には考えておるわけでございます。
  115. 小濱新次

    ○小濱委員 西風の被害が、どうも軽微なようだという話があったのですが、現地へ私行ってみて驚いたのですが、小さな家屋には全部ワイヤーで四、五本のバンドが巻いてありますね。あれは、あの二見港の周辺は回りが全部山ですから、盆地のようになっているわけでしょう。それで、あそこの住宅には全部ワイヤーで飛ばないようにきちっと締めてあります。対策が練られているわけでしょう。あの姿を見て、私は、これはたいへんな地域だな、こういうふうに感じたのですよ。だから、避難場所ということも考えたわけですけれども、そういう点、あなたは現地を見ておられるかどうかわかりませんけれども、とにかく内地から千二百キロ離れて、そしていまは非常に通信技術が発達しておりますから、船等でも台風のキャッチは早いでしょう。その場合に、逃げますけれども、硫黄島には逃げ場がない。母島にも逃げられない。船が全部二見港に入ってくるわけでしょう。そうじゃないですか。その場合に湾港が広い、西風がまともに入ってくる。うねりもくる。高潮がきたらどうなりますか。あの辺の平地の家は、みんなもぐってしまいますよ。そういう状態の中で、やはり港湾整備は急速に完全体制をつくり上げておかなければならないな、こういうふうに感ずるわけですよ。事があったら、船は一発がちゃんとやれば、それでもう使い物にならない。岸壁で船同士でがちゃんがちゃんやれば、それでもう船は終わりでしょう。そういうことも、あとで泣きをみることのないよううに、事前に対策を講ずるべきだ、こういうふうに思うわけですが、もう一ぺん、ひとつお考えを聞かしてください。
  116. 吉村眞事

    ○吉村説明員 先生のおっしゃるとおりだと思います。先ほど私、西風の被害が少ないと申し上げたのではなくて、あそこの気象条件を見ますと、わりあいに西風の分布頻度が少ないので救われておるということを申し上げたので、決して西風の被害が少ないということを考えておるわけではございません。小型船につきましては、船だまりのあの部分の整備ということで処理をしたいし、あるいはもう少し大きい船の避難の場所をさらに広げる必要があるということになりますと、現在のあの区域では狭いというような問題も将来起ころうかと思いますが、そのときは、それに応じた対策を当然講ずべきだというように考えます。
  117. 小濱新次

    ○小濱委員 電力関係で通産省の中村課長さんにお尋ねしたいのですが、米軍が使用していた火力発電機三基が非常に古くなって、効力が少なくなっている、こういうことで、もう現在の使用量で一ぱいだ、どうにもならない、こういう状態のようでありましたが、この電力供給体制といいますか、これはどういうふうに考えておりますか。
  118. 中村泰男

    ○中村説明員 お答え申し上げます。  先生御案内のとおり、小笠原につきましては東京電力が供給に当たっておりますが、返還時に米軍から東京都が引き渡しを受けまして、東京電力が無償で譲り受けて、貸し付けを受けているわけでございますが、この設備はディーゼル発電機三基ございまして、公称と申しますか、米軍のときは一基が二百五十キロワット、あとの二基が二百キロワットということでございましたが、電力がもうかなり落ちておりまして、認可電力といたしましては、百八十キロワットが二つと二百二十キロワットが一つということになります。したがいまして、都合五百八十キロワットの電力が現在あるわけでございます。この発電機につきましては、ディーゼル発電機でございますから、三台全部フルに稼働を見込むということはできません。そういうことになりますと、三百五十キロワットくらいが限度かと思いますが、現在の父島の需要では、せんだっての返還一周年のときでございますが、そのとき最も多くの需要が出まして、約二百キロワットちょっとでありました。そういうことで、現在の供給力としましては、発電設備と需要との関係はまだ余裕があるというところかと思います。しかしながら配電設備の関係がかなりもう古くなっておりまして、これの増強をしなければならぬわけでございますが、何分先生承知のとおり、工事力の点でも限界がございますし、それから米軍から引き継ぎました設備が向こうの設備でございますので、一々特殊機材を要するというようなこともございまして、必ずしも順調に設備の改善が進んでいないというのが現状かと思います。なおかつ父島の今後の需要につきましては、よほど困難な面がございます。したがいまして、今後の復興計画の固まり、あるいは本土におります方の帰島という問題を見込み、こういったものがはっきりいたしまして、需要の度合いというものがはっきりいたしませんと、なかなか本格的な供給体制の整備というものはむずかしい面があろうかと思います。
  119. 小濱新次

    ○小濱委員 それから学校が六教室あったのですが、そこではクーラーを使えないので扇風機があった。それも四台以上は使ってはならぬ、こういう電力事情、それから私どもが行って懇談会をやったその会議室の片方にりっぱなクーラーが備えてありましたが、言いわけをしておりました。申しわけございません、電力不足のために使用できませんのでよろしくと、こういう話であった。こういう状態で、いま東京電力株式会社が犠牲的に努力はしてくださっているようでありますけれども、こういう状態の中でこれからの計画を進めていくとするならば、これもまた先ほどの測量の問題あるいはまた水の問題、こういう電力の問題、これはなくてはならない問題ですよ。しかも御承知のように、あそこはテレビも見えない。ラジオだってがあがあ言って聞こえませんよ。ほんとうにみなが耐乏生活をしている、そんな感じでわれわれはよく見てきたわけですが、そういう点でひとつ大いに現況を把握しながら努力してもらいたいと思いますので、お願いしておきます。  それから水の問題について一つだけお伺いしておきますが、どなたかおいでになっておりますか。——来ておりませんか。それではこの問題についてはあとで……。  小笠原諸島復興法の問題ですから、当然硫黄島の開発計画も入っているかと思うのですが、硫黄島のことについては官房長からひとつこの計画内容、硫黄島がどういうような内容でこの法案の中に含まれているかということについてお伺いしたい。
  120. 宮澤弘

    宮澤(弘)政府委員 硫黄島につきましては、もう十分御承知であろうかと思うのでございますが、まだ激戦が行なわれました当時の事情がそのまま残っております面がございまして、遺骨につきましても今後収集をしなければならない面が非常に多いわけでございます。同時に、不発弾がまだかなり島内に残っているということでございまして、不発弾の処理の問題もあるわけでございます。なお硫黄島の特別な事情といたしまして、水の問題でございますとか、あるいは港湾施設の問題、こういうような問題もございます。そういう点におきまして、父島なり母島なりとはかなり異なった状況にございます。したがいまして、ただいま申し上げましたようなまだ戦後の処理をしなければならない大きな問題が二つ残っておりますので、そういう処理の状況をも見ながら将来の復興について考えていかなければならない、こういう事情でございまして、父島、母島とはそういう点において違った事情にあるわけでございます。
  121. 小濱新次

    ○小濱委員 悲劇の島硫黄島については、これはもう忘れることはできません。この島にいまなお遺骨というか、遺体が一万以上あるのではないか、こういうふうにいわれておりますね。いまの不発弾処理についても、これは米国でも何か調査団が来て、そして誤って不発弾にはねられて死傷者を出した、こういうことも私、聞いておりますけれども、硫黄島のそういう不発弾の処理問題、それから厚生省でもやっておるようですけれども、さっぱり進んでいない遺骨の収集の問題、こういう問題の責任、その所管というのはどこになるのでしょうか、自治省じゃありませんか。
  122. 宮澤弘

    宮澤(弘)政府委員 遺骨の収集につきましては厚生省が責任を持ってやることになっております。予算も厚生省が持っております。しかし、現地事情からなかなか進んでいないようでございますが、責任は厚生省の所管でございます。それから不発弾の処理はおそらく防衛庁が主管をすることになるのではないかと思っております。
  123. 小濱新次

    ○小濱委員 それは私もわかるわけですけれども、さっぱり進んでいない。現況から見て、やはり地方自治をあずかる立場から、その最終責任は自治省にあるのではなかろうか、こういうふうに私は感じておるわけですが、こういう点で自治省としては国に対して強力なこれが対策のための要請、こういうものはどうですか、行なってまいったのでしょうか、お聞かせいただきたいと思います。
  124. 宮澤弘

    宮澤(弘)政府委員 先ほど来申し上げておりますように、硫黄島を今後どういうふうに復興振興していくかということのいわば基本になりますのが、ただいまお示しのように遺骨の収集、不発弾の処理、こういう戦後の処理がまだ済んでいない、これを早く処理しませんと、次の硫黄島についてどういうふうに振興をはかっていくかということには移れないわけでございます。従前からも特に遺骨の収集等につきましては厚生省のほうとも連絡をとってやってまいりましたけれども、この問題が解決いたしませんと硫黄島の将来の振興もはかり得ないわけでございますから、この法律を主管いたします私どもといたしましては、今後とも関係省のほうに積極的に連絡をいたしまして、この処理がすみやかに進むように格別の努力をいたしたいと思います。
  125. 小濱新次

    ○小濱委員 御存じのように、太平洋戦争中にこの小笠原本土防衛の最前線基地、こういう形で、要塞もつくられ、そして基地の施設の整備あるいは食糧その他物資の補給等、完全な臨戦体制が常時行なわれておったわけでありますけれども、このことについて島民は総力をあげて軍に協力をしてきたわけですね。戦況が緊迫いたしまして、十九年に御存じのように大部分の島民は命令によって横浜港にみな上陸したわけです。言うならば強制引き揚げという形をとられて、本土疎開となった。そういう住民があの硫黄島には二千人弱ですかおって、そういう人たちが引き揚げをしたわけですね。この島民の自由意思によって引き揚げをしたのではなかったわけです。やはり軍に協力をした、こういう形の旧島民は、今後の復興対策について大きな期待を寄せておられるわけですね。こうした事情をそんたくするならば、いま出されました不発弾処理問題あるいは遺骨収集の問題、遺品収集の問題等がたくさんあって、なかなか手がつかない、やってはいるのですけれども、いつかという見通しが立っていない、こういう状態下にあって、やはり私どもも地方行政委員会委員の一人として非常に責任を感じているわけです。こういう立場から、この硫黄島の復興対策についてはやはり真剣に考えていかなくちゃならないであろう、こういうふうに考えているわけです。硫黄島についてはどうですか、やはり小笠原諸島といえば母島、父島だけですか、硫黄島は入りませんか、私はそういう事情内容からもぜひ大きく取り上げるべきだと思うのですが、自治省考え方はいかがでございましょうか。
  126. 宮澤弘

    宮澤(弘)政府委員 もちろんおっしゃいますように硫黄島は小笠原諸島の中できわめて大きな地位を占めておりますので、硫黄島をないがしろにするというわけにはまいらないわけでございますが、先ほど来るる申し上げておりますように、遺骨の収集と不発弾の処理、これについての処置をいたしまして、その後に硫黄島をどういうふうに発展をさせ、振興させていくかということを考えていかなければならないと思うわけでございます。ただその場合に、先ほどもちょっと触れたわけでございますが、硫黄島は御承知のような地形でございますので、水を確保するということにつきまして、ほかの島と違いました困難性を持っております。それからさらにあの地形から、港湾の施設につきましてもかなり難点があるように聞いているわけでございますので、したがいまして、そういう点も十分見通しを持ちました上で硫黄島の復興というものを考えていくべきであるというふうに考えておるわけでございます。
  127. 小濱新次

    ○小濱委員 硫黄島の激戦で、勇戦敢闘して壮烈なる戦死を遂げていった陸海軍将兵及び軍属の数は約二万九百三十三名と出ておる。そうすると、あの島にこれだけの人が住んでいた、こういうふうになるわけですね。二万名以上の人が住んでいた。日本側の戦死傷者、この人たちはこれだけの数字。しかもここでアメリカ軍のほうが二万八千六百八十六名という戦死傷者が出たという。両方では五万人ですね。水の問題を言われましたけれども、これだけの人が住んでおって水がないということは考えられないのですね。何か対策はある。井戸水なのか、スコールの天水を利用するのか、あるいはまた、いまは淡水化方式等も完成しているようでありますけれども、こういうことから、この五万人の人のとうとい生命が奪われていった激戦の地あの硫黄島に、いま復興計画の中で帰島されると見込まれている人たちが帰っても、水の対策は何とかなるように私は思っているわけです。玉砕していったこういう人たちが今度——一年前に日本に復帰をされた小笠原諸島ですね、こういうことからも、われわれはどうしてもその英霊に対しても、あるいはまた引き揚げてきた家族に対しても、一日も早くこの硫黄島も小笠原諸島の全体の計画の上に置いて、一日も早くこれが楽しい南の楽園都市になるようにしてあげなくちゃならない、こういうようにわれわれは考えているわけです。この硫黄島の問題については、いまのお話わかりますが、私もこれからまたその不発弾の処理についてはどうするべきか、遺骨の収集等についても大いに努力をしていきたいと思いますけれども自治省としてもこの問題については積極的に、これが完全処理を一日も早く行なっていかなければならない役目がやはりあると思うんですが、この硫黄島について、もう少しお考えをお聞かせいただきたいと思います。
  128. 砂田重民

    砂田政府委員 硫黄島の長期的な展望に立っての将来をどうするかという問題ももちろんございます。ただいま先生おっしゃった遺族の方々の感情の問題もあろうと思います。他の父島、母島のような、観光のためというような性格のものであっていいような気が実は私はいたしません。やはり厳粛な戦跡の保存の問題等も将来の問題としてはあろうかと思うのです。ただ当面どういう計画を立てるにいたしましても、どういう復興考えるにいたしましても、その前提になるものが、先ほどから御議論にあります遺骨の問題、不発弾の処理の問題でございます。したがって、当面自治省といたしましては、それぞれの所管関係機関に積極的に遺骨の問題、不発弾の問題の処理を働きかけていく、またその努力を自治省としてもしてまいりたい、かように考えております。
  129. 小濱新次

    ○小濱委員 硫黄島の激戦は世界三大激戦地の一つといわれているわけですね。御存じのように、あそこには座礁した船の残骸もまだまだたくさん残っているわけです。あそこには一万八千の将兵が眠っているわけです。そういう点での復興計画を一日も早く、情的にいうならば、硫黄島を先に解決してあげて、それから母島、父島となるというふうになるのではないかとも考えているわけであります。いろいろな事情でそうなりませんけれども、そういう硫黄島の対策考え方でなければならない、こういうふうに考えております。この点については、また今後ともひとつ一生懸命に努力していただきたい、このようにお願いしておきます。  簡単にもう一問だけお許しいただきたいと思います。  これは自治省にひとつお答えいただきたいと思いますが、あの六百万ドルの見舞い金についてですが、この問題について、こちらの報告の数字と、それから協会のほうでいっている数字とにだいぶ違いがあるのですね。そしてどうも、まだまだ納得していないような感じがあるわけです。アメリカからも見舞い金として六百万ドルが出たわけですね。これは膨大な二十数億の金でありましたけれども、日本政府は一人当たりどれだけこの見舞い金というか、そういうものをやられたのか、あるいはまたもう一つは、都ではどういうふうに分けられたのか、あるいはまた外国の引き揚げ者と比べて、この小笠原問題の補償率はどうなっているのか、この三つについて、ひとつ知っているところをお答えいただきたいと思います。
  130. 本江滋二

    本江説明員 お答えいたします。  六百万ドルの補償の問題は総理府のほうで行ないましたので、私どもが総理府のほうから聞いております範囲内でお答えいたしたいと思います。  六百万ドルの受領金は、小笠原諸島の旧島民が同諸島にあります有形無形の財産権や、利益を享受し得ないことから生じておる損失に対します見舞い金として日本政府が受領いたしまして、関係の人に配分をしたのでございます。そこでこの受領金でございますけれども、配分方法は、公正的確な配分をするため、関係各省庁の職員をもって構成する連絡協議会を事務次官会議申し合わせで決定し、旧島民の配分に関する意見も十分聴取いたしまして配分方法を明らかにし、閣議決定を経て、島民に対し配分決定通知書を交付いたしまして、島民の三団体の代表者の銀行口座により支給をいたしたということになっております。  その内訳といたしましては、六百万ドルは日本円に換算いたしますと二十一億六千六百万に相なるわけでございますが、これに配分までの間市中銀行に預託いたしました預託利子、これが一億四千六百二十万五千七百八十六円を加えまして、合計二十三億一千二百二十万五千七百八十六円を配分をいたしたわけでございます。このうち政府に返還金が、これはそのもっと前に政府のほうが見舞い金を出しまして、将来米国から補償がありました場合には返還をしていただくという前提があったようでございまして、その関係の返還金が一億三千八百九十八万余に相なっております。したがいまして、配分いたしましたものは二十一億六千五百万円余でございます。その内訳といたしましては、土地関係の配分金が八百十六件で九億三千五百万円、ちょっと端数がついております。それから漁業関係の配分金が四百三十一件で二億八千八百八十万円余、それから、鉱業関係が一件で約十一万円、それから、所得関係配分金が千九百七十八件、三億五千八百万円余、それから世帯人頭関係配分金が七千七百八十五件でございまして、これが五億八千三百万円余、残金が七百八十五万円余あるようでございまして、この残金は、未配分のものといたしまして、土地所有権確認係争中のものと、それから沖繩関係の方々で、どなたに配分したらいいかわからないという未確認のもの、そういう方々のために、残金が四十三年三月末で七百八十五万円ほど残っておるというふうに総理府のほうから聞いておるわけでございます。
  131. 小濱新次

    ○小濱委員 向こうから出ている書類を見まするというと、「小笠原島民は昭和十九年に強制疎開命令を受け、着のみ着のままで本土に引き揚げてきたのであるが、以来二十三年余にもわたって帰島を認められなかった。これに対し米国政府は見舞金として六百万ドルを小笠原島民及びその関係者に支出し、東京都も更生資金として三千五百万円を小笠原島民に交付したが、政府は昭和二十九年に平和条約発効前の見舞金として千七百六十五万円を交付したのみである。」この「のみである。」ですから、ここにどうも政府に対する不平不満があるようですね。で、米国からは六百万ドル出た、東京都の更生資金もこれだけ出た、政府でもこれだけ出た、こういう内容について非常に問題が残っておるようですが、この内容を読んでみまするというと、それはそれとして、まあ過去のことであるからやむを得ない、あきらめましょう。「したがって旧島民の帰島者に対しては、思いやりを持って十分の援護措置を講じてほしい。」こういうふうに要望している。こういう本がございます。どうかひとつ、こういう問題もございますし、それから硫黄島のそういうなまなましい思い出のお話もございますし、あるいはまた戦前小笠原諸島振興状況から見て、今日やはり国の犠牲を喜んで受けたこの諸島の島民に対する対策は、当然の私どもに課せられた使命であろう、こういうふうに思うわけでありまして、いろいろ申し上げましたけれども、こういう問題をよく勘案していただいて、これからこの復興対策については十分なる御配慮をいただきますことを心からお願いいたしまして、私の質問を終わりたいと思います。
  132. 細田吉藏

    細田委員長代理 本会議散会後再開することとし、この際、暫時休憩いたします。    午後一時三十四分休憩      ————◇—————    午後二時三十九分開議
  133. 細田吉藏

    細田委員長代理 休憩前に引き続き会議を開きます。  警察及び消防に関する件について調査を進めます。  この際、今次梅雨前線大雨による本日までの被害状況について、政府から発言を求められておりますので、この際、これを許します。警察庁警備局山田警備調査官
  134. 山田英雄

    ○山田説明員 それでは、梅雨前線の大雨による被害発生状況について御報告申し上げます。  資料はおくれておりましてたいへん恐縮でございますが、即刻お手元にお届けいたしますよう手配しておりますので、口頭で申し上げることを御了解いただきたいと思います。  死者につきましては七月一日十一時現在で五十三人、行くえ不明者六名、負傷者八十三名の人身被害を見ております。  また、建物につきましては、全壊百二十戸、半壊七十六戸、流失三戸、それから床上浸水七千三百四戸、床下浸水一万三百三十三戸、一部破損百六十戸を見ておる次第でございます。  なお、田畑につきましては、流失いたしました田畑百四十一ヘクタール、冠水一万六千二百三ヘクタールの被災を見ておるわけでございます。  なお、道路損壊につきましては六百五十二カ所、それから橋の流失は三十八カ所、堤防決壊は六十二カ所、がけくずれは千百七十カ所、鉄道軌道の被害二十七カ所、通信施設被害二百五十七カ所を見ております。  罹災世帯数につきましては、七千九百二十二世帯、罹災者数、十一時現在で把握しておりますのは二万九千三百七人を見ておるわけでございます。  この被害は、鹿児島、熊本、宮崎、大分、佐賀、長崎、福岡、九州各県を含めまして、香川、徳島、高知、愛媛、四国各県、さらには島根、岡山、広島、山口、兵庫、和歌山、京都、大阪、奈良、滋賀、岐阜、長野、静岡の各県にわたっております。  中でも多くの被害を見ておりますのは鹿児島県でございまして、死者五十三名のうち四十一名、鹿児島県内において痛ましい犠牲者を見ておるわけでございます。その他、建物被害、田畑の被害につきましても、鹿児島県内が最も多い状況でございます。  死者につきましては、五十三名の方々のうち、がけくすれが原因でおなくなりになられた方は五十人、大部分でございます。その他のお三人の方は、雨のため住居が倒れた、これによってお一人、それから、増水した川に転落した方がお二人でございます。なお、行くえ不明六人の方々は、がけくずれによる方が三人、増水した川に転落した方が三人という状況でございます。  これにつきましては、警察といたしまして、二十九日の夕方から関係各県において災害警備対策本部を設置しまして、現在までに出動警察官延べ七千二百五十八名を動員いたしまして避難誘導、人命救助など所要の災害警備活動に従事いたしました。  ただ、現在、本日の午後からあすの朝にかけまして、西日本から九州にかけて再び大雨が降るおそれがございます。現在九州にも雨が降っております。したがいまして、現在なお関係県において所要の警備体制をとりまして、被害発生予防のためのパトロール活動を中心にしまして、警察活動を続けておるところでございます。  以上、はなはだ簡単でございますが、被害発生状況の概要を御報告申し上げる次第であります。
  135. 細田吉藏

    細田委員長代理 質疑の申し出がありますので、これを許します。太田一夫君。
  136. 太田一夫

    ○太田委員 ほんとうは国家公安委員長にお尋ねをしたいところです。私はいまの状態を客観してみますと、梅雨前線の異常な刺激によって豪雨禍が全国的に広がりつつあるときにおいて、一体警察は何をし、各地方の自治体は何を行なったかが重大問題だと思う。いまのお話にありますように、全体で死者五十三名という御報告がありましたけれども、一番多いのは鹿児島県。それで私は特にこの際聞きたいことは、警官延べ七千何百人とかを動員したということもさることながら、一体豪雨の最中においていかなる目ざましい活動がなされたか。警察官として何か人命救助一つぐらいなさったかどうか、あなたは、災害警備活動は現在行なわれておるというのでありますが、その後各地において、特に鹿児島県において四十一名の死者が出た中において、これはあなたのほうの災害警備活動を行なった結果その程度に食いとめたのかどうだったのかという点を明らかにしてほしいと思うのです。
  137. 山田英雄

    ○山田説明員 鹿児島県警察におきましては、六月二十九日の五時に県警本部外勤課に災害連絡対策室を設置いたしまして、六月三十日六時その体制を強化しまして、県警本部長を警備本部長とする災害警備本部を設置いたしまして、最大限の避難誘導、人命救助の措置を講じたわけでございます。  御質問にございました、警察官が救助したことがあるかどうか、その点につきましては、報告を受けております限りでは、二、三の例を——ここにも資料を持ってきておりますので、御報告申し上げたいと思います。  具体的な個々の点にわたって恐縮でございますが、一つは二十八日、夕方から降り出した雨で、二十九日、鹿児島県内の川内川が二十九日の午後十時ごろ増水したわけでございます。そこで川内市小倉町三百五十三番地、鹿越興業株式会社社宅付近が浸水し始めまして、同社宅内の方が三名ほど孤立されました。直ちに所轄署長以下二十名が現場に急行しまして、船外機付きの折りたたみ舟艇に署員六名が乗りまして、その三名の方をお乗せして安全地帯に誘導申し上げたわけでございます。その後、六月三十日に至りまして川内川が増水をし始めまして、その沿岸周辺の危険が予想されましたので、署員百一名によりまして、孤立し出しておる市民の方々を舟艇二隻を利用して救助活動を開始いたしました。県合同庁舎あるいは川内小学校、警察署、川内高校というところに、安全地帯に避難していただいたわけでございます。  三十日の午後二時には川内川が六メートルの危険水位を越えたようでございます。さらに十分後の午後二時十分には六・四八メートルになった。したがいまして、県警機動隊員、隊長以下十八名が折りたたみ舟艇二隻を続けて午後六時から八時までの間に、消防団と協力しまして、七千人の方を、先ほど申し上げました安全地帯に避難していただいたわけでございます。  それから、非常に個別的な例かもしれませんけれども、午後八時ごろ避難しておられた中学生の方が、避難したボートが転覆したという事故もありまして、署員が現場に急行しまして人工呼吸を一時間行なったという事例もございます。あるいは、いままで申し上げましたのは川内署における救助活動でございますが、他の鹿児島南警察署等におきましても、六月三十日の朝、がけくずれで生き埋めになったという方のところに警察官が急行しまして救助に当たったということもございますし、また、永田川のはんらんで孤立しておる鹿児島市中山町の大園部落の十二世帯約四十人の住民の方々を救出するために、署員七名を派遣して、ロープ等を使用しまして、百メートル離れた中山農業協同組合まで避難していただくことを誘導して、無事収容した、こういう例もございます。さらには、同じ永田川のはんらんで孤立した部落の二世帯の方々を機動隊員及び署員が救命ボートで救出した、こういう例もございます。  やや具体的例にわたって恐縮でございますが、救助事例の例として、以上御報告申し上げる次第でございます。
  138. 太田一夫

    ○太田委員 御苦労さんであったと思いますけれども、常時警戒体制をとり得られるのは、これは警察官が第一であります。したがって、いまお話しになりました鹿児島市内で、第一次のシラスの山土が崩壊いたしまして、五名生き埋めになったときに、かけつけた六名の方がさらに生き埋めになりまして二重遭難になっているわけでありますが、その六名の中には警察官は何名含まれておるのですか。
  139. 山田英雄

    ○山田説明員 報告を受けております限りでは、一名入っておるというふうに承知しております。
  140. 太田一夫

    ○太田委員 それではもう一つ聞きますが、シラスの土というものは火山灰、いわば非常に水を含むとくずれやすいというので、非常に警戒をされていたようでありますが、そういう危険区域に対して、雨が降り出してからすぐにパトロールは始まっていたのでありますか。そして、その地区住民に対して警報が出ておったのでありますか。そういうことはいかがでありますか。
  141. 山田英雄

    ○山田説明員 鹿児島県警察におきましては、先ほど申し上げました六月二十九日、県本部に初動措置といたしまして災害連絡対策室を設置するとともに部隊を招集しまして、午後六時以降、それぞれの住民の方々に避難の警告措置をとっておると報告を聞いております。
  142. 太田一夫

    ○太田委員 そうすると、避難の警告を出してあくる朝遭難したというのは、その警告に従わなかったためにそれだけの事故が起きたのですか。
  143. 山田英雄

    ○山田説明員 警察といたしましては、災害警備の場合、事前に危険場所も調査してございますので、そういう個所にお住まいになっておる住民の方々に対しまして警告措置をとるわけでございまして、鹿児島県警察においてもとったわけでございます。その際、避難誘導を直ちに準備された方もあると承知しておりますし、災難におあいになるまで避難されずに残られた方もある、こういうふうに承知しております。
  144. 太田一夫

    ○太田委員 私は、山田さん、こう思うんですよ。いまの数字というのは結果であります。それはいまはお聞きしなくてもよろしい。聞いたからといって、死んだ人は生き返ってくるわけではありません。だから私は、その数字というのは少々違っていようが何だろうがかまわぬと思いますけれども対策に手抜かりがあったかどうかということについては重大問題だと思うのです。現在は、雨が降ってきてから、いやたいへんだぞというので空を見て、これは非常にあぶないと判断するような時代じゃないわけです。警報が出るわけです。およそ想像ができるというときに、警察官の人命保護と救助の活動というのは慎重で敏速であるべきだと私は思うのです。たとえば宮崎県で起きた女学生の四人の生き埋め事故でも、なぜそこのところは民間の人によって気がついたのであろうか。学校の先生が早く帰したのがあだになった。おそければよかった。ですから私は、人命救助というそのために警察なり消防なり、特にこの場合は警察活動でありますが、なすべき適切な活動というのは、これはいまあなたがおっしゃる場合、各県警察本部ともにほんとうに手抜かりなかったということをおっしゃっていただきたいと思うし、かつまた、その活動の中におのずから美談が生まれてくるはずです。世間でいう美談ですよ。世間でいう美談が生まれなければならないと思う。かつて数年前に、淡路島に集中豪雨があり、大きな地すべりになったときに、これは非常に大きな人命の死傷事故になりそうなときがありましたが、その際に、これを事前に察知して、全員を避難させて一人も死傷事故を起こさなかったのは、その地の駐在所の警察官の活動です。私は、警察というのはそこに常駐しておる限りにおいて、あるいは人命保護に任ずる限りにおいては、あらかじめそういう研究と訓練というものがなくちゃならぬと思う。私は淡路島のある警察官のことを思い出して、今度の鹿児島や宮崎の集中豪雨によって多数の人が死んだという事故を顧みながら、警察官に今度そういう美談はなかったのであろうか、世間からほめられるようなりっぱな行動はなかったのであろうかという点を、実はいま考えておるわけです。それを御報告をしてもらいたい。水中に孤立したというのは、これはもう水が出たあとの対策でございます。事前にがけくずれを予測し、それで避難をすすめ、確かに家はつぶれたけれども一人も死ななかったというようなことがあってほしかったと思うのです。山田さん、どうですか。
  145. 山田英雄

    ○山田説明員 ただいま御指摘のありました災害に際します避難誘導に関しましては、常々危険個所の調査、警告の伝達のしかた、市町村の警察、消防団等との連携について研究させておるところでございます。ただ、御指摘のように、結果的にがけくずれによる多数の痛ましい死者が出ましたことについては、ただいまも行ない続けております災害警備活動の教訓を取りまとめて、今後の対策に資したいと考えております。  ただ、川内市内におきましては、比較的人的被害が生じておらなかったという点につきましては、私ども報告を受けまして、警察署における必要な誘導措置に相当の努力をいたしたのではないか、かように考えております。  それから、警察官の活動につきまして、一つの例でございますが、都城警察署の外勤巡査長が、集中豪雨のために大淀川がはんらんして、自分の受け持ち区内の部落の七戸が孤立するおそれがある。この場合、事後においては百三十戸結果的に床上浸水があったわけでございますが、その避難誘導のために橋を渡ってその部落に行こうとしたときに、突然橋の中央部が落下して、橋もろとも濁流の中に転落して負傷した、こういう事故も生じておりますが、こういった巡査長の行動に見られますように、それぞれの受け持ち区域内において、自分の危険を顧みず最善の努力をいたしておる。これは現地の各警察官いずれもその気持ちで活動してもらっておるものだと私ども考えておる次第でございます。  先ほど御指摘のように、宮崎県におきます女子学生四人の遭難でございますが、これは私ども報告を受けております限りでは、中学校から帰宅する途中、現場近くで市町村の役場職員の方から危険だからということで阻止された。その注意を聞かずにあえて通行してがけくずれにあい、生き埋めになったというように聞いておるわけでございます。
  146. 太田一夫

    ○太田委員 先ほどの都城の駐在警官の方は、部落の七戸が水中に孤立して、あるいは流されるだろうという危険を事前に察知して、濁流の渦巻く川の橋を渡っていた途中で橋がくずれて濁流の中へ投げ出された。そしてその警官はどうなったのですか。
  147. 山田英雄

    ○山田説明員 これは五十メートル下流まで懸命に泳ぎながら流されまして、その際に、同所付近を警戒中の支部の消防団の方が岸を走りながら激励し続けられ、上着を投げていただいたのでこれにつかまり、自力でかろうじて岸にはい上がった。結果的には右下くちびる裂傷、両足ひざ打撲擦過傷、二週間のけがで済んでおるわけでございます。
  148. 太田一夫

    ○太田委員 そして、その目ざす落部の七戸の民家は、その事故があってどうなったのですか。
  149. 山田英雄

    ○山田説明員 ここで当該部落のほうに被害は生じておりません。その警察官のその後における避難警告により、先ほど申し上げましたように、床上浸水が百三十戸にのぼったにもかかわらず、人身被害はなかったと承知しております。
  150. 太田一夫

    ○太田委員 山田さん、そのいまの話は、かりに、はい上がった、そうすると若干時間を費やしたので、その部落の被害はますます大きくなって何とかなりつつあったのが、危機一髪その部落民を救ったと相なれば、ここに一つの美談として歴史に残るのだが、何事もなくてけっこうだったけれども、自分だけけがをしたというのはどうもこれは不注意というのですか、その橋の落ちそうなところに——何かいささかほめていいのかどうか問題があるような気がします。私は美談を期待してきょうは報告を求めたし、お尋ねをいたしたいと思っておったわけです。  消防庁長官いらっしゃいましたから、鹿児島県あるいは宮崎県等を中心とする被害県の水防活動はどんなふうでございましたか。消防活動はどんなふうでございましたか。何か特殊な報告が入っておりましたら、この際御報告をいただきたい。
  151. 松島五郎

    ○松島政府委員 御承知のとおり、消防団員は大部分が水防団員も兼ねておりますので、この災害につきましては消防団員が多数出動して災害対策に当たっているものと承知をいたしております。消防団員の現在までの活動状況、具体的にどこでどういうことをやっておるかという具体的の場所についての報告はまだ受け取っておりませんが、現在まで得たところでは、情報の収集伝達、危険個所の警戒巡視、水防作業、避難の指示誘導、人命救助、土砂落石の除去、行くえ不明者の捜索というようなことについて消防団員が多数活動しておるという状況でございます。
  152. 太田一夫

    ○太田委員 それでは長官、この問の国道四十一号線における事故、いわば飛騨川事故といわれておりますが、あのときも非常に大きな雨がございましたね。今度の雨もたしかえびの付近では七百ミリをこしたというような新聞記事があります。これはほんとうかうそかわかりません。七百ミリというのはすごい雨だと思いますけれども、そういう雨が降ったときに、警察の行なうところのパトロールないしは通行路の規制、通行どめですね。消防団の行なう交通の規制、これはそれぞれの任務においては若干問題はあるけれども、それをやらないと、どこでがけくすれが起き、どこでどのような事故が起きるかわからないから、今後は県知事の指揮下に入って、すみやかに警察官も消防団員も協力して必要な個所において交通どめをする、あるいはその中に入って行ってしまった者に対しては、すみやかに安全なところに避難するように誘導するということが、当時の事故の際に言われておったのですが、今回も的確にそのような措置はとられておりましょうか。
  153. 松島五郎

    ○松島政府委員 私ども現在までの報告は、いま申し上げましたように、概括的な報告をいただいている段階でございまして、御指摘のありましたようなことは十分注意をしてやっていることと考えてはおりますけれども、それを確認して具体的にここでお答え申し上げるほどの情報はまだ得ておりません。
  154. 太田一夫

    ○太田委員 大臣にかわって政務次官からお答えをいただきたいのであります。  次官、今度の災害対策本部長というような意味において各県知事は陣頭に立って指揮されているのでありますが、特にそういう場合の主要道路等の交通の規制、これはとめなければならぬものがたくさん出てくると思うのですけれども、交通規制というものについて手技かりなく行なわれているというような、そういう確認が行なわれておりますか。それとも、そのような情報とかそのような確認はございませんか、どうですか。
  155. 砂田重民

    砂田政府委員 まだ先生のおっしゃるようなこまかい点の報告は伺っておりません。
  156. 太田一夫

    ○太田委員 警察のほうでは何か交通規制について的確な対策がとられているような情報は入手されておりますか。
  157. 山田英雄

    ○山田説明員 関係府県警察におきましては、災害対策基本法に基づき交通規制を実施していると報告を受けております。
  158. 太田一夫

    ○太田委員 そうすると次官、どうですか。いま規制されているとするならば、宮崎県の場合は町道でございますが、町道に対して役場の吏員が来て規制しておったにかかわらず、あえて四人の女学生が振り切って行ったということでございますけれども、これは警戒体制をしき、交通を遮断しておったというふうには聞こえない。しかも、これは午後ですから、早朝、深夜等とは若干場合が違う。何かそういう異常の際の対策というものは、災害対策基本法に基づいてもう少し的確にやらなければならぬと思うのですが、どうしてそんな警戒線を突破されるのですか。
  159. 砂田重民

    砂田政府委員 いまお話を伺っておりまして、何か先生と同じように私も感じております。交通遮断とかそういう措置がとられて、そういう阻止をした線を突破してというふうにはちょっと聞こえなかった。役場の吏員が危険だからとめたというふうにここで聞いたのでありますが、何ぷんともまだ詳報をとっておりませんので、詳報を受け取り次第委員会にも御報告もいたしましょう。また、それに対する措置も善処していきたい、かように考えます。
  160. 太田一夫

    ○太田委員 公安委員長はいらっしゃらないし、自治大臣もいらっしゃらないし、警察庁長官もいらっしゃるわけではないから、私はあまり皆さんだけをとやかく言うことは本意ではありません。しかし、これだけの大きな雨が連続して降っていて、現在なお危険があるというときに——いろいろな数字を集めることはけっこうですけれども、私はそんなむだなことはあとでもよろしいと思うのです。大ざっぱな話でけっこうだ。人命の被害がこれ以上ないように、その防災上の活動というものをすみやかに徹底的にやってほしいと思う。とにかく、デモ隊が来るというときには何時間も前からちゃんと武装した警察官を配置しておいて、左に行ってはいかぬの、右に行ってはいかぬのとやっておるのに、この猛烈な低気圧の梅雨前線に対する刺激によるところの七百ミリに近い雨が降るという際に、警戒線を突破させて女学生四人を危険区域に追い込んでしまって、殺してしまいましたでは、幾ら何でも私は、現在の災害対策というのは魂が抜けておるような気がするのです。人命保護、人命救助という点に全力をあげて、そのあとにデモがあったときに、自主規制じゃあぶないから、われわれも規制しようというならいいけれども、正々堂々、粛々と進むデモ隊に対して、多くの警官隊をさいて護衛しながら、四人の女学生の命を救えなかった、あるいはまた、現在のところ五十三名、六名の行くえ不明を入れて五十九名の命を救えなかったということは、私は遺憾千万だと思うのです。これは総ざんげしてもらわなければならぬ。
  161. 砂田重民

    砂田政府委員 太田先生がおっしゃるような事態そのものでございましたら、全く遺憾千万でございます。緊急特異な事態の場合でございますから、そういう交通の規制その他、県知事が法令上どこまでどういう権限を持っているとか、私はそういうものを超越してでもやるだけのことはやらなければならぬことだと思う。ただ、何ぷんともまだ詳報を受け取っておりませんので、どうも想像を前提にして私どもちょっとお答えしにくいわけでございますが、詳報を受け取り次第、また委員会のほうへも御報告申し上げたい、かように考えます。
  162. 太田一夫

    ○太田委員 中央防災会議の中においても、私はそういう点について今後注意を促してほしいと思うのですよ。そうしないと、六十名近い人の命が二、三日の間になくなってしまった。そして多くの財貨が失われた。現に泣いている人がある。しかし、これは集中豪雨だからしかたがない、そういうことではあり得ないと思うのです。私は先ほど、数年前の淡路島の集中豪雨の際に、多くの部落の人たちを救った一警官の非常にすぐれた判断力というものを例に引いてほめたものでありますが、今後ともそういう地道な活動に従う警察官をほめてもらいたい。デモ隊をなぐった警官を表彰したり、昇進させるのじゃなくて、そういう地道な駐在所の警察官というものに重点を置いて、そして有能な人たちを部落部落に配置するということでなければいかぬと私は思うのです。  もう一つついでに申し上げます。山田さん、この間千葉県においてろくろく成規の教育も行なわないで自動車学校が免許証を出してしまった。そうしたら、その後、この六月になってから、館山において、通学の子供たちの列にそういう学校の卒業生の運転であると思いますが、突っ込んで多くの人をなぎ倒して死傷させたというような事故もあったのです。そういう人命に対する損傷というのが日常茶飯事のような感じになってしまって、あまり大きく扱われなかったり関心を呼ばぬという風潮を生み出しているのでありますけれども、少なくとも警察、消防、それからもう一つは自治体の長である自治省、各都道府県、全市町村に至るまで、その住民、国民の命を守るということについては徹底してほしいと思うのです。まだ雨は降るでしょう、あれで終わったんじゃないでしょう、終了通告はないと思うから。さらに一そう地域、地方において事故の続発のないように心がけていただきたいと思います。次官、いいですか。
  163. 砂田重民

    砂田政府委員 いま、きょうあすの天気予報を警察当局から伺いましても、相当の集中豪雨が予測をされるようであります。十分の警戒体制を自治省といたしましてもとってまいりたいと思います。
  164. 細田吉藏

    細田委員長代理 門司亮君。
  165. 門司亮

    ○門司委員 私、ごく簡単なことを一つだけ聞いておきますが、新聞の報ずるところによりますと、今度の鹿児島のがけくずれ等は、天災ではなくて人災だということが書かれております。それは土壌がシラスで非常に脆弱である。そこに、無計画と言うと悪いかもしれないが、堅固であるべき宅地造成が行なわれていなかった、こういう報道がなされているのですけれども、建設省はこの宅地造成に対する問題は、これはここだけではありません、最近の宅地造成からくる被害というのは非常に大きいのであります。建設省のこれに対する基準を、もしここで示されるなら示していただきたい。建設省は見えていませんか。
  166. 南部三郎

    ○南部説明員 所管をしておりませんので、いまお答えができません。
  167. 細田吉藏

    細田委員長代理 門司君に申し上げますが、今度の災害につきましては、また次の機会に、まだこれからもありそうですし、次回の機会に続けてやっていただきたい。よろしゅうございますか。      ————◇—————
  168. 細田吉藏

    細田委員長代理 次に、小笠原諸島復興特別措置法案を議題といたします。  質疑を続行いたします。太田一夫君。
  169. 太田一夫

    ○太田委員 それでは小笠原復興特別措置法案に戻りましてお尋ねをいたします。  これは、昨年暫定措置法ができました際に、両院においてそれぞれ附帯決議をつけておるのであります。衆議院におきましては、沖繩対策特別委員会において御審議いただいて、地方行政にはかからなかったのでありますけれども、その両方の附帯決議の中にこういうのが一つあります。「復興法の立案及び復興計画策定については、小笠原諸島の現状を十分に掌握し、国、東京都が緊密に連繋し合うとともに、現島民及び旧島民の意向をも尊重して、速やかに成案を得るよう努めること。」これは昨年五月二十二日の決議でありますが、この趣旨というのは——この表現というか、この附帯決議の条項というのは、私、今日非常に意味があるような気がいたします。先ほど来いろいろと質疑された中に、それぞれ関係当局者のお答えがありました。これを承っておりますと、復興計画策定について、国と東京都が緊密に連係し合うことによってというような、こういう感じがあまり出てこない。それは、東京都が、この法案ができれば復興計画をつくり、審議会にかけて決定をし、こういうふうにすべてこれから先の問題だというふうに逃げてしまっていらっしゃる。私はそんなものじゃないと思うのです。幾多の調査を繰り返し、一年過ぎてしまったじゃありませんか。一年間の調査の間に、すみやかになすべき何か目標なり具体案というものが関係各省に生まれてこなければならない。私は、そういう点が発表にならなかったのは実に残念だ。そうでしょう。今度の六億二千四百万円という、暫定復興事業費の予算でございましょうけれども、この復興事業についても一応の題目はある。これは本年度は予算を先に取っておいて、復興計画があとになっているから、本年度だけは第一年度として六億二千四百万円というものがなされたわけです。国の予算六億二千四百万円、私は、この考え方の中には、昨年の返還以来一年間にとりあえずしなければならぬことはこういうものであるとか、将来必ずこれだけはやらなければならぬものだという緊急な事業というものは、すでに目算がついておる、だからここに四十四年度予算というのが盛られてきめられておると思うのですよ。そうでしょう。だからここで聞きたいのだ。  具体的なことを少し聞いていきますが、将来の産業は一体何が有望であるという御所見でございましょうか。調査結果に基づいて、この際国と都が力を合わせるといった意味から言うと、国の当局者に意見がないはずはない。将来の産業は何が有望であるか、関係者の御答弁をお願いしたい。
  170. 砂田重民

    砂田政府委員 御承知のように、戦前小笠原農業においては、冬物のいろいろな蔬菜類でありますとか、薬用植物でありますとか、そういったものが中心でございましたけれども、戦後二十数年の空白のため、戦前のこれらの小笠原の冬物野菜の市場を失っているという事態がございます。そういう社会経済事情の変動した現在でございますので、再び戦前と同じようなところに重点を置いて産業考えていいかどうか疑問でございます。したがって、同諸島が持っております特殊な亜熱帯的な風土、気候、地域の特性、こういうものを生かすことは当然でございますが、いま太田先生がおっしゃいました、何を中心考えているか、ただいま東京都といろいろ話し合いをしながら、調査をいたしました現段階では、私どもといたしましては、小笠原農業中心といたしましては、観葉植物、果樹等を主体にした農業、さらに、先ほども水産庁のほうからお話がありましたような水産業、さらに、ある程度の長期的な展望の上に立っての観光、こういったところが重点になってまいるもの、かように考えております。
  171. 太田一夫

    ○太田委員 農林省の福島開発課長さん、あなたは、この前たしか、わりあいにはっきりした御答弁をどなたかになさっておるのを議事録で拝見しましたが、この際もはっきりおっしゃっていただいて、農業関係者の不安を解消してほしいと思うのですが、自治省は、農業と漁業と観光の三本柱というお話で、その農業の中においては、観葉植物に果樹、こういうお話でございますが、農業というものに対しては、どういう見通しを立てていらっしゃいますか。
  172. 福島嘉弥

    ○福島説明員 農業につきましては、先ほど来いろいろお話がございましたように、あの地域の気象条件の特殊性を大いに活用していきたいという考え方を持っておるわけでございます。お話がございました観葉植物でございますが、これは植物防疫関係が最も少ない作物として当面考える場合に一番有望ではなかろうかというふうに考えます。それから、柑橘類につきましては、御存じのようにミカンコミバエがおりまして、ほとんど未発生でございますので、これはかなり警戒を要する、その防疫のためのいろいろな手段を現在検討中でございます。当面、柑橘類をやる場合に、もう一つ台風というものに対して比較的弱いという問題がございます。この辺のところは、東京都の試験場でいろいろ検討してもらっておりますので、そういう成果も含めまして考えていかなければならないというふうに思っております。なお当面、柑橘は、島内の自給、あるいはもし観光客がたくさん行くような条件ができれば、観光客用の農産物というような面に、初期の段階ではウエートを置いていくという考え方にならざるを得ないというふうなことを考えて、検討中でございます。
  173. 太田一夫

    ○太田委員 戦前、三百七十世帯の農業関係従事者があった。したがって、この際において、やはり帰ろうとする人が相当多いのでありまして、漁業と農業とは帰島を願う数の中にあっては双璧でございます。そうなれば、農業というものに対しては、この一年間の調査研究によりまして、この際、新たなる指標を打ち立てて、こういうものが適作だ、これは有望だ、これなら食っていけるからいらっしゃいということにならなければいかぬ。少なくとも東京都はもちろん試験場をつくっているわけですから、東京都の試験場は東京都のほうにいろいろ連絡もしておると思うのでありますけれども、それと協力して、農林省は、さらに別の立場から従来の農業を顧み、将来の農業施策に対処していかれるべきだと思う。  そこで、観葉植物、果樹ということについて、いろいろお話がありましたが、適作物は、農林省としては何と何だというふうに考えていらっしゃいますか。
  174. 福島嘉弥

    ○福島説明員 農林省といたしましては、いまのところ、まだそれをきめるというところにまいりませんし、現実問題として、農業をやりたいということで帰島を希望している人の意思も、何をやりたいかという点が現在はっきりつかめておらない次第でございます。御存じのように、東京都の試験場で現在いろいろな作物のテストをやっておりますので、そのテストと合わせながら、この作物なら経営としてどのくらいいき得るかという問題と、もう一つは、商品としてどういう売り方ができるか、特に本土をねらうといたしますと、相当の輸送距離があります。それを考えますと、時間もかかりますし、鮮度等の関係、その他諸般の事情も含めて考えなければならないという問題がありますので、東京都の試験場を中心にいろいろ試算などはやっておりますが、まだこれならというようなはっきりしたきめ手になる段階には至っておらない次第でございます。
  175. 太田一夫

    ○太田委員 私が最初に不満だと言ったのは、一年間調査研究をしたのですからすみやかに——国と都は協力して十分な連携をとって復興計画の具体的な策定に当たらなければならない、こういうことが、この前の暫定法のときから言われ、すでに一年有余が過ぎてしまったのです。この際において、まだきまらないなんていったところで、土地の原形を変えないのは三年間でございましょうが、もうその第一年度復興計画の実施年に入っているでしょう、昭和四十四年度は。事業費は十億をこえている、その中の六億幾らは国費だ。輸旅費がかかるというのですが、たとえばトマトの例を引いた資料があるじゃありませんか。「最近ビニール栽培の発達によって各地で冬季蔬菜の栽培が盛んとなったので、小笠原農業は割高輸送費のため採算上見込薄だという説もあるが、そのような疑問を有する方々のため、ビニール栽培の最も盛んな高知県と小笠原をトマトで対比してみると次のようになる。」十アール当たり、高知の場合、輸送経費を一切含めて四十四万三千円、小笠原の場合は、二十八万一千円、これなら十分可能になるじゃありませんか。そんなことはわかっているでしょう。輸送費がどうだこうだなんていうことは、ビニール温室を必要としない小笠原とビニール温室を必要とする内地とではだいぶ違うじゃありませんか。そんなことはすぐわかるでしょう。小学校の三年生か四年生ですぐわかることでしょう。そんなことがどうして農林省はまだ比較検討ができないのですか。
  176. 福島嘉弥

    ○福島説明員 ただいまの計算は、小笠原協会でおやりになった計算かと思いますが、私ども現在いろいろテストはやってみておりますが、現実にやってみますと、いろいろな問題が出てまいります。比較の計算といいますか、一つの机上計算ですと、いろいろ比較はできますが、現実にはたしてそういくかどうかというような重要な問題があります。そういう意味で慎重に検討しているわけでございます。
  177. 太田一夫

    ○太田委員 慎重に検討しているなんて、復興計画第何年度まで慎重に検討ですか。あなたの説で言うなら、慎重に検討しておる、検討しておるということは答えにならぬじゃないですか。一年間の検討は何にもならなかったのですか。何らかあなたは予算を使っておるわけです。自己をむなしゅうして、そうして検討中だと言うけれども検討中だという答弁だけだったら、その調査研究は必要ないじゃないですか。
  178. 福島嘉弥

    ○福島説明員 検討しておりますといいますのは、たとえば病害虫の問題で、どういうふうにその病害虫を排除していくかということが、本土のほうに農産物を持ってくる場合の大きな問題でございます。そういう病害虫の排除、それと、現実に気象条件に対応して農業生産、いろいろな作物をどういうふうな形でどういう技術でやっていけば最もうまくいけるかというようなテストは、相手が生物でございます、また気象もいろいろ変化しますので、簡単に、短期間やってすぐ結論は出せないという面もありますので検討しているわけですが、ただ、お説のように、そう長期間かけるわけにもまいりませんから、現実問題は、午前中の話にも若干出ましたが、試験地でひとつ帰島の足がかりになる経営試験的な形で暫時少数の方に行っていただいてやっていただく。労働提供という形も含めてテスト的にやって、漸次それを足がかりにして拡大していくという行き方も一つの行き方ではなかろうかというふうには考えておりますが、大量生産という形に持っていきます場合には、帰った方の生活をかけた仕事でございますので、その点はいろいろな面から検討して、生活が成り立つことを考えなければならないのではなかろうか、そういう観点からいろいろ検討しておるわけでございます。
  179. 太田一夫

    ○太田委員 あなたは六月十三日の当委員会において、農林省は、今後機械化をざれた農業、生産性の高い農業を成立させていきたいと思う、そのために集団的な耕地を造成して近代的農業基盤を造成したい、こういうようなことをおっしゃっていらっしゃる。即それは個人農業から集団機械化農業というふうに考え方が変わっているのだから、その基礎があるでしょう。基礎がなければそういうことは言えない。その基礎は何ですか。
  180. 福島嘉弥

    ○福島説明員 ただいまの集団的という話でございますが、われわれの考え方といたしまして、戦前は多数の農家がかなりばらついて農業をやっておられた。これは主として手労働を主体とする農業をやっておられたのではないかというふうに考えられるわけでございます。われわれ、今回農業復興をはかる場合に、戦前と同じような形では現在の社会情勢に合わないのではなかろうかという観点から、むしろ現地がジャングル化しておる状態でもありますので、ここで農用地を造成する場合は、集団的に適地を求めて集団的な開墾をやり、その上に近代的農業を展開する、かなり機械力も使えるような形でやっていきたいという方向を考えたことを申し上げたわけでございまして、そのやり方自体どういうふうに具体的にやればいいかという点については、まだ確信を持ってこうやるのですということをこの段階で申し上げるところにはいっておらないということで申し上げている次第です。
  181. 太田一夫

    ○太田委員 手でつくらなければつくれない農作物の場合は、機械化云々とかということばは出てこない。したがってあなたは、ジャングル化したところを、何ということなしに開拓するためには大規模な造成費が要るであろう、こう考える、したがって、こまかい区画でなくして集団農場をつくってそこで集団的な農業をやったらどうだろうか、中のことはまだわからない、何をつくるかはわからない、こういうことであるかもしれませんけれども、ジャングルの開拓ということは——開墾ですか開拓ですか、ジャングル、ジャングルというが、小笠原のジャングルは何ですか。あんなところにライオンでも住んでいますか、ゴリラが住んでいますか、何も住んでいないじゃありませんか。へび一匹いないじゃないですか。ネムの木がはえているようなのがジャングルですか。それは子供の遊び場所ですよ。開墾するのに幾らかかるのですか。
  182. 福島嘉弥

    ○福島説明員 開墾費用についてはまだそうはっきりテストしておりませんので、ここではっきり申し上げるわけにはまいりません。
  183. 太田一夫

    ○太田委員 では、この中でそういうことを答えてもらえる人はだれですか。東京都が復興計画をつくり、その予算をつけるのは大蔵省。それじゃ大蔵省ですか。秋吉さん答えてください。
  184. 秋吉良雄

    ○秋吉説明員 先生承知のように大蔵省は答弁しにくいわけでございますが、関係各省が専門的な調査研究を進めまして、また東京都もまず調査をし、案も立てますし、それから審議会でいろいろ審議を願うと同時に、予算上どの程度財政事情が許すかということをこれから検討することになるわけでございます。
  185. 太田一夫

    ○太田委員 ぼくは秋吉さん、大蔵省が金を出し惜しんでおって、農林省のほうは実は大型トラクターを入れてばあっとやって、十万か十五万で一反歩くらいの開墾をしようと思っておったけれども、それはいかぬ、どうも農民にくわでやれというふうになってしまいそうだから、いまうっかり予算のことも言えないし、まあ箝口令をしかれているようなものだから、黙っているか検討中、検討中であるということであろうという、どうもそんな気がした。だからあなたのほうに答えてもらおうと思ったが、どうもあなたのほうにも具体的な線はなさそうだ。そうすると、これは自治省法案を出したのだから自治省ですね。自治省の行政局長どうお考えか。
  186. 宮澤弘

    宮澤(弘)政府委員 先ほど関係のほうからお答えを申し上げたとおりでございます。関係の専門のほうの現地からの検討が終わりました段階で、私どものほうといたしましても最終的な案を確定をいたす、こういうことでございます。
  187. 太田一夫

    ○太田委員 それじゃ宮澤さん、いつごろになったらそういうことにもうちょっと具体的な話が出てくるのですか。
  188. 宮澤弘

    宮澤(弘)政府委員 先ほども御答弁を申し上げましたが、この計画自身一体いつできるかということとただいまの御質問とは関連をいたすわけでございます。計画は、私どものほうは、できればことしの秋口くらいには確定をいたしたい、こういうふうに思っておりますので、しばらくの間検討する時期を与えていただきたい。
  189. 太田一夫

    ○太田委員 三月かかるかかからないかで答えの出る対策であるならば、いま全然星雲状態ということないでしょう。大八州の国が生まれるのやら、小笠原がはたして花咲く国になるやら、星雲状態じゃないでしょう。その復興計画はあるんでしょう。あるのだが、いまこの委員会で答えられぬというなら、私はあと何を聞いたってしようがない。だれか答える人ないのか。メンバーが足らなければもっと大挙来てもらったらどうですか。
  190. 宮澤弘

    宮澤(弘)政府委員 星雲状態ではもちろんございませんで、現在固まりつつある段階だと思うのでございます。先ほど政務次官も御答弁申し上げましたように、農業といたしましては観葉植物なり果樹なりということがおそらく適当なる作物であろうという方向は、おそらく関係者の間で一致をいたしておると思うのでございます。したがいまして、果樹でありますればどういうものをどういうふうにつくるのがいいかということを、目下関係の当局で研究調査をいたしておる、こういうことであろうと思います。
  191. 太田一夫

    ○太田委員 観葉植物というと根があるわけですね。   〔細田委員長代理退席、古屋委員長代理着席〕 根があるということは即小笠原の先ほどの害虫という問題に直接つながるのであって、果物より、トマトの議論よりはもっとあなた複雑じゃありませんか。ビニールハウスの中で外界と遮断して観葉植物をつくるわけじゃないでしょう。露地でつくるわけでしょう。そうすればそれに幾多の害虫の卵が生みつけられるとか、いろいろなことが起きるような気がするのですが、観葉植物というところまであなた踏み切っていらっしゃったら、農業の展望は開けているじゃありませんか。
  192. 福島嘉弥

    ○福島説明員 観葉植物の場合は、害虫の基地としての植物でないために、要するに、移動する場合に、たまたまくっついていないかどうかという点をチェックすれば移動ができる。たとえば果実類になりますと、ミカンコミバエ自体がその果実につくということになりますので、これは非常に重大な問題でございますが、観葉植物の場合は、移動の際にこの虫がたまたまついていないかどうかということをはっきりさして、ついてなければだいじょうぶというふうにいえるわけでございます。
  193. 太田一夫

    ○太田委員 それは五十歩百歩の議論じゃありませんか。五十歩百歩の議論であって、いま小笠原に行けば、絶対に植物を持ち出してもらっちゃいかぬと書いてあります。それはそのとおりだ。それは一番大事なことなんで、一匹持ってきましたアフリカマイマイが今日全島に繁殖しておるのでしょう。そのアフリカマイマイ一匹を本土に持ち込んだらたいへんじゃありませんか。だから徹底した害虫駆除が行なわれる。これは鳥類保護というものと矛盾するそうでありますが、そういうことも一つの見通しを立てて、それから農作物をつくって、島内の自給野菜だけじゃなくして、あるいは果実ではなくして、いわば移出してもうかる商売としての農業にしていくということになるでしょう。そういうことをするためには、害虫対策というのは一応結論を得ておらなければいかぬのですね。農業の問題は進んでおるじゃありませんか。しかし、東京都の試験場を見ると、どうも心もとないですね。植えた苗はこんなに小さい。枯れたり枯れなかったり、元気がよかったり悪かったり、あちら向いたりこちら向いたり、スイカ畑のスイカが大きいな、うまそうだなといって、スイカをいただいてきました。あと成田空港の芝山地区、三里塚に行きましてスイカをいただいてきました。それ以上大きくてもっとうまかった。黄色い何とかいうウリは、一度の雨によって枯れてしまっておりまして、十分実らない実がそのままごろごろしておりました。新聞記者諸君は、カラーがよく出るといって、それを写していらっしゃった。写真にはきれいに出る。いわば一年間にいろいろなことを経験してきた。これから何が適作であり、何が問題だということはわかってきていると私は思うのです。しかし、それにしても、それはそれとして、いままで農業に従事していた旧島民というのは、農業でなければ身を立て得られないと思うのですね。そうすると、農業について、新たなる農業を創造されることだと思う。その結論が出ておらなければならぬということを私は言っておるのです。事は急ぐのであるが、あまり急ぎ過ぎて失敗してもいかぬことですから、私どもはそう無理なことは言いませんがね。   〔古屋委員長代理退席、細田委員長代理着席〕  福島さん、古い話で恐縮だが、奄美大島でつむぎをつくるためにまず蚕を飼う。そのために桑ということで、桑を一生懸命つくらせておったのですね。これは地区一貫作業の奄美大島つむぎの生産奨励ということを将来の島経済の発展のために考えた。その桑園が、調子が悪くてどんどん減ってきまして、最初は二千何がしかの戸数があったのですが、それがだんだん減っちゃって、いまでは八百戸ぐらい、桑園そのものも百八十七ヘクタールから百四十七ヘクタールへと、四十ヘクタールも作付面積が減っておるというわけで、復興計画振興計画をやればやるほど減っていってしまうものがある。だからそれは国のかまえが大事ですよ。私は、奄美では桑をつくるべきだとここでやったのだ。やったけれども、桑なんというものはどうもお蚕しか——食べた人はいないらしいから、みんななかなかわからないから、そんなものはどうでもいいことだと、力を入れる人がいなかった。しかし、それはそれとして、そういうようなことも一つの前例にあることだから、小笠原農業は何をやるといったって、たまたまスイカとウリだと言っておったのでは、私は試験場の指導だってあぶないと思う。それから旧島民に聞きましょう——これは無責任ですよ、だれかそういう話だったが、旧島民希望も聞くという。旧島民に聞けば、カボチャをつくっていたのだから、カボチャをつくると言いますよ。どうですか、何かひとつ斬新な指導的農業経営方針というのは農林省の中にありませんか。
  194. 福島嘉弥

    ○福島説明員 いろいろお説伺いました。旧島民の意向を聞くという観点、これはいろんなそれぞれの心づもりがあるだろうということとの関連でございますが、われわれ帰られる方については、一つ東京都の試験地を母体にして、そこでこれからやろうとする農業に対する一つの技術研修の場というようなことを考えてやっていったらという感じを持っておりますし、もう一つは、もし若い人で内地で少し技術を習って行きたいというような人がございますれば、国内の研修施設にあっせんをして、そういう技術の習得をしてもらうというようなことも考えております。ただ、先ほど来いろいろお話がございますように、つくってみたものがうまくいくかどうかという点についての結論が、現段階ではなかなか簡単につけられないという問題がございます。そういう点をもうちょっとはっきり詰めていきたいということで検討しているわけでございます。
  195. 太田一夫

    ○太田委員 それではちょっと話題を変えましょう、押し問答をしておってもしようがないから。  適作物については、これはまだ態度がきまらない。しかしいまの砂田次官のお話で、観葉植物、果樹等が有望であるというお話は聞きましたが、具体的にいかなる作目がいいかということについてはまだ未定だということにしておきましょう。  それではどうなんですか、いまジャングル化しておるところをあのままほうってあるのだが、もちろんこれは開墾するといった場合、いろいろな話があったのですが、旧島民が帰ったときにはちゃんとやれるように国が全額費用を負担して畑にしておく。これは田ではありませんからね。畑ばかりですね。全額国の負担によって、あるいは東京都も出すかもしれませんが、原則として国の負担によってちゃんと耕作できるようにして来ていただくという方針には変わりはない、こう思ってよろしゅうございますか。
  196. 福島嘉弥

    ○福島説明員 国と都の両者の負担でやりたいというふうに思っております。
  197. 太田一夫

    ○太田委員 それから、先ほど畜産のことに対してもちょっと触れられた方があったと思うのですが、畜産は結論が出ているかどうか。
  198. 福島嘉弥

    ○福島説明員 戦前を調べてみますと、あまり畜産といわれるようなものはないようでございますし、現段階でわれわれのほうで検討した結果では、畜産について特に有利な条件はないようでございます。それで、やるといたしましても、島内の消費者に対する供給程度にとどまらざるを得ないかというような感じを持っております。
  199. 太田一夫

    ○太田委員 そうしたら、病虫害を退治するめどというのはついたか、つかないとしても、何%ぐらい病虫害防除対策というのは確立したか、どの程度めどがついたか。
  200. 福島嘉弥

    ○福島説明員 パーセントでと言われてもちょっと申しかねるのですが、ただわれわれのほうで考えておりますのは、撲滅ということは、島も大きいし、広いし、実際上なかなか困難であるということから、農業地域を画定した場合、その周辺の発生密度をできるだけ下げて、生産に障害のないようにするのが第一目標というふうに考えて、現在そのやり方等について現地でいろんなテストをやっておる状態でございます。
  201. 太田一夫

    ○太田委員 そこで、現地の方がいろいろ心配をしておりましたことは、何か私有地というものに対する所有権の問題等非常に心配をしておりましたが、農地というものを今後旧島民のそれぞれの所有権者に返すという場合のやり方については、これはどういう形にやるかというのは、現在の位置でやるとか、総合的に損得のないようにするとか、旧位置にはこだわらないとか、こだわるとか、そういう何か結論が出ておりますか。
  202. 福島嘉弥

    ○福島説明員 ただいまのお話、ちょっと意味がとりにくかったのですが、旧農地の問題でございましょうか。旧農地の問題だといたしますと、先ほど申し上げましたように、集団的な農用地をつくっていったほうが効率的であろうというふうに考えますと、やはり従来の土地所有あるいは特別賃借権との関係で集団的にできるかどうかというのは、帰島者がどういう状態になっているかということとからんでまいります。その辺のところによってはあるいは交換分合というような問題があり得るのではなかろうかというふうに思います。
  203. 太田一夫

    ○太田委員 そういうことでしょうね。  では、次に漁業関係。これは農林省ついでにやっていきますが、漁業関係は、自治省によれば非常に有望だということでありますが、現地のほうの人たちは心配をしておりましたね。どうなんですかね、これは。東京都の試験船が行っておるようですが、魚の宝庫と見てきたのか、いや魚というのはあまりおらぬよというような報告になっておるのか、資源的に見てどうなんですか。
  204. 安福数夫

    ○安福説明員 水産の資源の問題でございますけれども、水産資源というのは開発という観点と増殖という観点とあると思いますが、小笠原周辺につきましては、戦前から増殖を目的とした区画漁業権漁業はそれほど盛んではございません。大部分が自然発生的な資源を対象とした漁業だ、こういうふうに御理解願っていいと思います。そうなりますと、あすこで帰ります島民が従事いたします漁業ということになりますと、沿岸性の漁業、採捕漁業になろうかと思います。したがいまして、そういった資源がさらに豊富であるかどうかという問題でございますけれども戦前からの一つの統計もございます。  さらに、漁場の条件が年々変化がございます。しかし長期的になりますと、やはり資源としてはある程度資源があるわけでございますから、したがいまして、そういった資源を前提といたしまして、現在旧島民小笠原諸島に帰って漁業をしたいという希望者百七十一名ぐらいあるようでございます。それを戦前に従事しました数なんかと比較しますと、そういう沿岸漁業に従事するというような考えであれば、資源的な面においてはこれは安定性があるのではないかというふうに考えております。大体、資源的には沖魚が対象になってくるだろうと思います。底ひき漁業あるいはエビとかカニあるいは貝類、こういった底棲性の魚になりますと、これは乱獲いたしますと資源的に回復が非常に困難でおくれますので、そういった漁業はそれほど期待できないと思いますけれども、沖魚を対象とします漁業というものは、ある程度の規模が前提として置かれれば、産業として、生業として成り立つ、こういうふうな見通しを持っておるわけです。
  205. 太田一夫

    ○太田委員 やはり漁業はなかなかいいですね。砂田政務次官、あなたの見通しは当たりましたね。  そこで、沿海三海里の問題です。許可制になっているはずですが、それでもだいぶ侵されているようなぐあいで、どうもはっきりと許可制によって漁場が守られておるという確証がない。いま海上保安庁はいらっしゃらないと思うのでありますが、いまの農林省の方、お答えいただけばいいのですが、監視体制とか漁場保護ということは、ここ一年間十分行なわれているのでしょう。
  206. 安福数夫

    ○安福説明員 御承知のとおり、帰ってまいります漁民のために、これまで二十年間とっていなかった資源を確保しておこう、こういう趣旨で各諸島の周辺に三海里の一応の制限区域的なものを引いておるわけでございます。それに対しまして、水産庁もそうでございますけれども、都ともタイアップいたしまして監視船や取り締まり船を出してその確保につとめております。一〇〇%それが確保できているかという御質問に対して、自信をもって一〇〇%確保できているということは、どうも断言できないと思います。ただ、取り締まり船というのは数が限定されてまいりますから、やはりある程度の規模の漁民がその地元に入ることにより、これら地元の漁民の組織との共同作業によりまして、そういう違反漁業が行なえないような秩序を早く打ち立てる必要があるだろう。そのためには、現在入っている漁民の数は、漁業をやってまいります面においても労力的に不足であり、そういった違反漁業を防ぐ体制を確保する面においても必ずしも十分でない、こういわざるを得ないということであります。御趣旨はよくわかりますので、取り締まりその他は今後さらにきびしくやってまいりたいと考えております。
  207. 太田一夫

    ○太田委員 なかなか荒されているようでありますから、イセエビ等の資源保護については十分配慮されることが必要だと思いますね。漁民が帰っていってとる魚がなかったというようなことになると悲劇ですから。  ここでちょっと方角を変えて砂田政務次官、あなたさっきおっしゃった観葉植物とか観光という問題に関連するのですが、魚の中にピンク色の魚、紫色、バイオレット、いろいろの色の入っているエンゼルフィッシュのような魚とか極彩色の魚が二、三百種類あるというのです。これはうそかほんとうか知りませんが、何百種類というような魚がいる。しかも二見湾の裏は何という湾ですか、あの辺などは全くすべてが透明度が高いものですから三十メートルぐらいは透けて見えるというのです。そういう魚をつかまえてこちらに持ってきて、東京の皆さんに観賞魚として売り出すということは全然だめなんでしょうかね。研究されたことがあるでしょうか。
  208. 砂田重民

    砂田政府委員 小笠原にそういう非常にきれいな熱帯魚がたくさんいることは私も聞いたことがあります。ただいま太田先生、それをつかまえて東京へ持ってきて売ったらいいというお話しでございますが、それがいいか、それとも、そういう珍しいきれいな魚は保護をして、将来海底公園とかが実現いたします場合には、当然海底観賞用の船等も現地で予想されることでございますから、東京まで魚を持ってきて売るのがいいか、また午前中のお話にあったように、東京の方を対象の、休暇に使えるような観光地として小笠原が伸びた場合に、たいへんな大きな魚の観光資源になるのではないか、どちらがいいかはもう少し検討させていただきたいと思います。
  209. 太田一夫

    ○太田委員 そういうことでしょうから、あらゆる資源というものは調査が行き届いておらなければいかぬわけでありまして、もう一年たったのだから、土地の人たちとすれば、さおをおろすが早いか魚は食いついているのですよ。その魚は食用にはならないきれいな魚なんですね。ものすごく透明な海の中にいるきれいな魚、原色の魚というものは、これは資源として保護されることもいいでしょう、観光資源として保護されていくべきでありましょうね。  それから、ついでに漁港の問題をお尋ねいたしますが、先ほど来小濱先生お話に、二見湾の奥のほうに漁港をつくるというお話があるのですが、漁業組合の面から見れば、自分の近いところに港がほしいということでしょうが、総合開発計画といっては何ですけれども復興計画の中において、漁港の位置づけというものはA案、B案、C案というものができていないのでしょうか。具体的にどこということは私は聞きたくないが、A案、B案、C案ぐらいつくってやっていかないと間に合わないと思うのですがね。
  210. 安福数夫

    ○安福説明員 一応私のほうで、現段階におきまして漁港についてこういうふうな考えを持っているというのはございます。ただ、現地でどのくらいの漁業で——やはり漁港の立地なり施設なり考えていく必要があるわけでございまして、現在東京都と鋭意それについて、いま御指摘の各種の案を検討している、こういうことでございます。  ただ、私どもの予算なり、そういった関係で、漁業基地的な、午前中ちょっと申し上げたかと思いますけれども、ただいま申し上げました沿岸漁業として漁民の生業が成り立つ、そういう漁業の観点が一点と、この小笠原基地を南方の漁場に対する前進基地である、そういう観点と、さらに避難港的な漁港としてそういったものを立地してまいる、こういう考え方がございます。そういった観点に立ちますと、二見港を中心とした、そこに重点を置いたほうがいいだろう、こういうふうな判断をわれわれとしては現在持っておりますけれども、具体的には帰ってきます漁民の方なりあるいは東京都の考え方も十分参酌しながら、今後そういった点について検討してまいりたいと考えております。
  211. 太田一夫

    ○太田委員 そこで、自治省にお尋ねしますけれども自治省は二見港そのものを漁港として位置づけて、もうすでに事業費一億三千百八十万円というものを計上し、十分の十補助を含め国庫負担一億一千四百四十万円、四十四年度こうなっておりますが、二見港を漁港にするということは、いささか早計じゃありませんか。こういうことは、もうちょっと全体復興計画がきまってからきめることじゃありませんか。
  212. 宮澤弘

    宮澤(弘)政府委員 漁港につきましては、ただいま水産庁のほうから御答弁があったとおりでございます。ただ、ただいまお示しの数字は、本年度の予算折衝の過程におきまして、本年中に復興計画ができることを前提にいたしまして、そういう予算折衝の過程で一応の積み上げをいたしたわけでございまして、調査検討の結果その予算をどういうふうに使うかということは、今後の問題であろうと思います。
  213. 太田一夫

    ○太田委員 それでは、漁港の話に入りましたから、この際港の問題についてお尋ねしますが、とにかく千トンぐらいの船が接岸できる、しかも一隻しかつかないなんというような岸壁ですから、何とも処置ありませんが、将来ここには何トンぐらいの船を実際につけるつもりであるか。特に日本郵船と東海汽船の合弁会社が免許申請をいたしておって、先ほどの御答弁では、しばらく待ってもらいたいということで待たしてある、保留されておるということでありましたが、そういう僻地航路でありますが、僻地航路といえども、千トンや二千トンの船じゃ行くものがたいへんでございます。何トンぐらいの船を接岸させるのであるか、これは二見港であると思う。何隻ぐらい同時に接岸できるような計画であるのが望ましいとお考えになるか、その際に、現在の水深では間に合わないと私は思うのですが、相当しゅんせつもしなければならぬでございましょうね。そういうことについて、何か素案がまとまっておるでしょうか。調査結果のお答えできます範囲においてお答えいただきたい。
  214. 富田長治

    ○富田説明員 お答え申し上げます。  現在のところ、御承知のとおり、こういう定期航路事業は全部免許の申請主義でございまして、申請に応じた免許をするかどうかということでございます。現在は、先ほど申し上げましたように、五百トンの船を一応使うということでございますが、将来計画といたしましては、これはもちろん行政指導その他もあるわけでございますが、どういうふうな形でこの航路を開発していくかということは、観光的にこの航路をどのように見ていくかということとも関連してくるかと思います。たとえば非常にお客さんがあるようでございましたら、非常に豪華な船をここに就航させることも可能でございますけれども、その辺のところはちょっと見通しが立ちませんので、現在の段階では、どの程度の船がいいかということは、ちょっとお答えできかねる次第でございます。
  215. 太田一夫

    ○太田委員 自治省に、ついでに港のほうのことについて。自治省調査結果はいかがですか。
  216. 宮澤弘

    宮澤(弘)政府委員 これはまだ最終的な結論ではないと思うのでございますが、長期的観点に立った場合には、運輸省のほうの一応の調査でございますが、その結果といたしましては、三千トンの船二バースぐらいのことを考えたらどうだろうか、こういういわば途中結果でございますが、報告を聞いたことがございます。
  217. 太田一夫

    ○太田委員 三千トン二バース、それぐらいなら何とか観光用となるでしょうね。いまの運輸省のほうでおっしゃりた五百トンというのははしけですか。それで荒波を乗り切れるでしょうか。
  218. 富田長治

    ○富田説明員 五百トンと申し上げましたのは、現在東京都がチャーターいたしております黒潮丸でございます。五百トンといってもかなり大きな船でございますが、確かに外海に出ますと荒れますので、お客さんにとってはあまり快適な船旅とは申せないと思います。将来的にはおそらく三千トン程度のものは要求されると思いますけれども、いまここで三千トンをつくりますというふうにちょっとまだ申し上げる段階でございませんので、御了解願いたいと思います。
  219. 太田一夫

    ○太田委員 運輸省のほうも、五百トンぐらいの免許申請だったら、そんなものは却下してもらいたいと思う。生きるか死ぬか、死ぬか生きるかわからないというような状態のままに父島に着いて、さてそこで何が楽しいんでしょうね。そうしたら、さっそく病院をつくらなければいかぬでしょう。五百トンなんて、人をばかにしている。僻地航路でうんと補助すればいいじゃないですか。
  220. 富田長治

    ○富田説明員 仰せのとおりでございますが、五百トンでもちゃんと検査をとっておりまして、あぶない船ではございません。ただ、お説のとおり、将来的には離島航路整備法に基づきまして、この航路の整備をはかっていく所存でございますが、当面考えていますのは、ともかく最小限度必要な定期航路をまず開設するということを念頭に置いておりますので、こういう計画でございます。将来的な構想としてはいろいろ考えたいと思っております。
  221. 太田一夫

    ○太田委員 自治省にお尋ねしますが、運輸省のほうでは、いわば営業用の航路の設定の問題としての免許申請が出ておるから、それは日本郵船と東海汽船の合弁会社らしいけれども、そこに対して五百トンの船を使うという計画のもとに、これを免許するかしないかを現在御検討中だという。将来お客さんがふえれば三千トンぐらいになるだろうということですが、五百トンの船というのは現在使っておる黒潮丸、これは五十時間か六十時間かかるそうじゃありませんか。非常に長くかかって、たいへんつらいそうであります。だから、今月ですか墓参団が行きますが、一万トンの船を借りて行くという話であります。一万トンということはいささか問題がありましょうけれども、せめて商船ならば三千トンぐらいのものは使ってもらうようにしなければならぬと私は思う。それが、そろばんの上において、どうしても小さな船しかできないということなら、自治省は都と協力して——うしろに秋吉主計官もいらっしゃって、小笠原について御理解のあるようなお顔でありますから、この際全額補助して、都の直営の定期航路ということにしてもいいじゃありませんか。港も十分の十ですから。たいへん金がかかりますけれども船もそうしたらどうか。せっかく港は三千トンの二バースだったが、船は五百トンのヨットでございましたじゃ、小笠原に行く人たちがかわいそうじゃないか。小笠原は死ねということですか。小笠原に船で行くなということですか。
  222. 砂田重民

    砂田政府委員 いま運輸省の海運局のほうから五百トンの船での定期航路という話が出ておりますが、これはいま三千トンの船をつける岸壁ももちろんありませんし、私ども、運輸省の港湾局等の調査の結果を伺いましたところでは、ただいま官房長がお答えしたような、三千トン級の二バース、こういう計画を持っているわけでございます。運輸省自体も、長期的な展望に立ってはそういう考えを持っているわけでございますが、ただ、いま海運局に現実問題として定期航路の認可申請が出ているのが五百トンの船、これはいまある船です。ですから、おそらく運輸省は、この定期航路の許可はきわめて最近のうちにおろすのではないかと思います。定期航路がないのは困るわけですから。当面はそういうことでいいのではなかろうか。ただ、三千トンの二バースというのも審議会決定されていくことでございますから、もうしばらく時間をかしていただきましたならば、いろいろな面からの問題が具体化されてくるであろう。おっしゃるように五百トンの船で観光客を誘致するという事態現地がまだなっておりませんから、そういったいろいろな現地での環境整備とテンポを合わせると申しますか、三千トンの船も着ける二バース、また三千トンの船そのもの、こういうものがだんだん具体化してくるのではないだろうか。うしろのほうも当然それを理解していることではなかろうかと思います。
  223. 太田一夫

    ○太田委員 政務次官、私は三千トンの船をすぐにつくることがなかなか困難であろうということはわかる。しかし、あなたのおっしゃったのは、農業と漁業と観光の三本柱を最初御答弁になった。いまは観光ということに関連するお話になっておるわけだけれども、五百トンの船に乗っていくということは死ぬ思いをせよということなんです。もしこの中で五百トンの船に乗ったことのある人がおりますか。五百トンの船に乗るような方はよほど船になれた方でございます。ですから、五百トンの船なんということで免許申請をするその新しい会社なるものは、航路権を設定しようとするだけのことじゃありませんか。小笠原開発に対して貢献しようとする理想がない。私はそう思う。そんなことを断定すると、また航路ができないとか船ができないなんということでも困りますけれども、少なくとももう少し僻地航路としての補助助成等については、ひとつ大幅にこの際特例を設けること等によって大きな船が就航できるようにすべきだと思う。  そこで、それじゃ港はそういうふうにりっぱになっても、船ができぬということになったら三千トンの接岸できる岸壁は宝の持ちぐされになりますから、何かほかのことをお考えになると思いますが、それは何にお使いになってもいいでしょう。いいですが、それじゃ観光客を運ぶのは飛行機ですか。将来観光産業というのが島経済の中心をなすものであるならば、その観光客は飛行機ということになるわけですね。この船が五百トンということになればおそらく船に乗る人はない。そんな銭のない人が小笠原に行くはずがない。そうすると、飛行場計画については、先ほど母島につけて、父島まで別の道を考えるか、それとも父島のほうの夜明山のほうにつくるかというような話がありましたが、夜明山といったって、山には違いないから、高いところ、しかもその向こうは海でしょう。しかもYS11なんというのは、この間どこかの山にぶつかったのだが、いいのですかね。これは運輸省にお尋ねしますが、運輸省の航空局計画課長の鮫島さんいらっしゃいますね。そういう山の高いところに千五百メートルの滑走路ができ、YS11なら発着可能だとおっしゃったのですが、これは危険はないのですか。
  224. 鮫島泰佑

    ○鮫島説明員 非常に鋭い御指摘でございまして、こういう山の上の飛行場というのは実はあまり経験を持っておりません。一般論といたしましては、普通に申しますような意味での危険はないともちろん確信しておりますけれども、私どもといたしましては、ごく局部的な気流が機体にどのような影響を与えるかということを、小笠原の問題だけでございません、一般論といたしまして調査をしたいという考えでございます。
  225. 太田一夫

    ○太田委員 それからボーイング727、これは二千メートルあればいいというのですから、二千メートルくらいのものなら父島にできないでしょうか。これは何といったって父島にできることが一番望ましいことであり、願わくば727の着陸ができるというものがいい。少なくとも二千メートル、こういうわけであります。洲崎の飛行場が御承知のようにあんなふうになって、六百メートルかそこらじゃ使いものにならないわけですから、どこか景観をそこねない程度に山を若干切って平たん地にすることができれば父島にやるべきだ、私はこう思うが、どうも先ほど来のお話では、母島のほうなら二千メートル、父島の夜明山なら千五百メートル。父島に飛行場をつくる場合においてはYS11ではあぶない、母島のほうならジェット機によっても安全だ、こういうことでございますね。そうなると、一つの見通しとして、母島飛行場説というのが可能性を帯びてくるわけです。これ以上方法がないということは残念だと思いますが、どうしても二千メートル滑走路というのは父島にはできないでしょうか。
  226. 鮫島泰佑

    ○鮫島説明員 もちろん、不可能ということではございませんけれども、現在考えております母島及び父島の両地点ともに山の非常に険しいところでございます。したがいまして、非常に大きな土を起こさなければいけません。おそらく数百万立方メートルというオーダーのものを両地点とも動かさざるを得ないことになるだろうと思います。この際父島のほうで二千メートルということを考えますと、これは飛行場そのものではございませんで、その周辺にあります山が全部ひっかかってまいりまして、ただいまの数百万という土工量が一けた上のものになるということで、現在の常識からは不可能であるという結論になっておるわけでございます。  なお、YS11であぶないということでは全然ございません。念には念を入れたこまかい調査をしてみたいということでございます。
  227. 太田一夫

    ○太田委員 将来は、日本の航空産業の発達というのはYS11なんというものではなくて、同じYSであってももっと新しい型ができて、おそらく父島を往復するくらい何でもないという飛行機ができてくると思うのですが、そういうときが来れば、また滑走路の長さを必要としないときが来れば、千五百メートルでも十分ということもあり得ると思いますが、現状ではなかなかそれはむずかしい。むずかしいという段階ならそれはわかりますが、先ほど第三種空港ということをおっしゃったのですが、そうすると、この飛行場をつくる場合は十分の十の国の御負担で、いわば全額国庫負担でつくっていただける、こういうことですか。
  228. 鮫島泰佑

    ○鮫島説明員 それは今度の法律に基づきまして、そのとおりになるかと思います。なお、一般的に離島の場合に十分の十ということでやっておりますから、問題はないと思います。
  229. 太田一夫

    ○太田委員 どうせ十分の十なら、秋吉さん、けちることはないから、この際大きなものをつくろうじゃありませんか。  それで硫黄島の話をちょっと聞いておきますが、硫黄島にジェット機が着くと硫黄の成分というものがジェット機の中に吸い込まれて非常に故障を起こすとか危険だというような欠点があるのでございますか。だからジェット機の硫黄島着陸ということはなるべく避けたほうがいい、こういう説があるように聞いたのですが、そんなことがございますか。
  230. 鮫島泰佑

    ○鮫島説明員 ちょっと技術的にはそこをはっきりつかんでまいっておりませんけれども……。
  231. 太田一夫

    ○太田委員 そうですか、私、硫黄島のことを伺いたいと思ったのですが、まあわからなければしかたがありませんね。硫黄島に大きな飛行場があっても、ジェット機が着陸することを非常にきらう。故障になってしまう。硫黄分をジェット機の中に吸引することによって非常に危険だという話がありまして、私もどうかなと思ったのですが、それは後日またお尋ねしましょう。  その次には、島民生活のことでございますが、牛肉が高いという話。これはちょっと自治省にお尋ねいたしますが、牛肉が高くてしようがないのですね。アメリカ軍がおったときにはたいへん安いものをいただいてよかったのだが、日本になってからどうも肉はまずくて高いわ、それからビールは百三十五円だそうでありますから、東京とたいして変わりないそうだけれども、びん代はとってくれないから、結果としてびん代だけ高いわということで、島民の食料品に対する不満が非常に多いということなんです。エンゲル係数そのものを聞いてみますと、そうすばらしく高いわけではない。そういう生活協同組合の育成方針というのはどんなふうになっておるのですか。
  232. 本江滋二

    本江説明員 生活協同組合は、従前のアメリカ時代におきましてはBITCと称しておったものでございますが、これが消費生活協同組合に改組をしたものでございまして、改組の際に資本金を非常に大きくしたわけでございます。それで復帰直後からしばらくの間は資本金を大きくいたしましたために、その経営が必ずしも楽だということにはならなかったようでございますけれども、最近、物資の取り扱い量が非常にふえてまいりました。販売数量がふえましたので、ことしの四月以降の経営におきましては、おそらくその経営は非常に好転するであろうということが見込まれておる段階でございます。
  233. 太田一夫

    ○太田委員 今年度の予算の中に、復興計画の中、六百十四万円の流通施設整備事業というのがあるのですね。流通施設整備事業があるなら、肉などはいい肉を買っていってその中に冷蔵しておいて、じゃんじゃんと安く売るとかいう方法も、この六百十四万円の中でできるじゃありませんか。六百十四万円というのは国庫負担でございますね。これはどういうことでございますか。
  234. 本江滋二

    本江説明員 この流通関係の施設の設置補助金は、これは実は精米所でございまして、あそこは気温が非常に高うございますので、精米したものを内地から持って行きますと非常に腐りやすいということで、現地で精米をしたいということのために精米工場の補助金をつけておるわけでございます。  それから、肉が高いということでございますが、これは従前のアメリカ時代にはニュージーランドあたりから肉が入っておったような関係もございまして、肉は確かにBITC時代に比べまして非常に高くなっておりますけれども、これは東京の肉の販売価格と実は同じくらいなわけでございます。と申しますのは、東京から小笠原までの消費生活協同組合の物資についての輸送費は現在無料で運搬いたしております。したがいまして、東京の小売りとほぼ同じ値段になっておるわけでございますけれども、米軍時代にはニュージーランドあたりから軍用物資が入っておったというような関係もございますので、それに比べると高くなっておるということでございまして、現在の段階におきましては運賃も取っておらぬわけでございますので、この点は高くはなっておりますけれども、これはある程度やむを得ないのじゃないか、かように考えておるわけでございます。
  235. 太田一夫

    ○太田委員 やむを得ないけれども、政策はあると思うのですね。島民の中の百何十人という非常に肉食生活になれた方々にさもしい思いをさせぬでもいいと私は思うのですよ。だから大型冷蔵庫をつくって肉ぐらいどうですか、ポケットマネーでもいいからたくさん出しておいて何とかするぐらいの男気を出さなかったら島民はなついてきませんよ。  それから、あそこの子供の作文によりますと、いわゆる協同マーケットでかん詰めを買った。あけてみたら中は腐っていたというのがあるのですね。そういう作文が発表されたのがあるのですよ。島のいささか目の青い人たちの悲痛なというか、ほんとうにやり切れない気持ちというものは子供の気持ちの中にも率直にあらわれている。これは思いやらないといけないと思うのです。  ついでに、商売の関係を通産省にお尋ねしますが、宮の浜付近のことですが、あの宮の浜付近というのは海岸付近は民有地だそうですね。三年間原形変更できないというのですが、やがてそこに所有者が帰ってまいりますと、おそらく観光資源という点からあの海の宝庫を生かし、あの海の景観を生かし、あの地の利を生かしたところの何かサービス的な施設ができるような気がしてしようがない。そういうことになると、観光資源の生かし方というのは大問題でありますが、いま島の中には特別の何かみやげもの的な特産物というものは開発されておりませんか。これは通産省いかがですか。何かそういうようなものが開発された場合に、これは島民のしあわせですか、島民生活の繁栄と安定のために資するという方向にこれを持っていくことはできないか。日本の本土においていろいろな小笠原の名を入れたこけし人形をつくらして向こうに持っていって、その利益は全部こちらに持ってきてしまおうというようなことでは島民は不幸になると思う。ですから、いまからそういうことを考えなければいけませんが、何かみやげもの開発というと俗なことばではなはだ恐縮ですが、そういう意味の御研究をなさったことがあるでしょうか。
  236. 小山実

    ○小山説明員 お答え申し上げます。  ただいままだ具体的に検討いたしたことはございません。これはおことばを返すようでございますけれども、みやげものと申しますのは、よく御存じかと思いますけれども、独立して動き出すものではございませんので、一つは、観光の一環として客が来ることによって売れるものと、それからまた、原産といたしましては、そこにある生産業というものが興って、その結果としてみやげものが出てくる。一つの機能的につかまえた面でございますので、これは特産物としてどういうものを活用するかということは、先ほど来いろいろお話もありましたように、植物なり漁業なり、農林水産物としてどういうものが開発できるかという関連もございますので、今後よく勉強いたしたいと思っておりますが、特にまだ成案を持っておりません。
  237. 太田一夫

    ○太田委員 いまのところは生活協同組合だけでありますけれども島民がふえる、即スーパーマーケットである、何だかんだいろいろなことが出てくると思うのでありますが、第一年度計画の中にも、予備的な暫定措置の中にも、通産関係の予算が全然ない。  今度は自治省にお尋ねしますが、通産省関係の仕事というのは、小笠原復興開発にはあまり片棒をかついでいただくような仕事はありませんですか。
  238. 宮澤弘

    宮澤(弘)政府委員 午前中お話が出ました電気の問題は、通産省の所管でございますけれども、ただいま御指摘のようなみやげものと申しますか、そういうものにつきましては、とりあえずのところ、復興計画の中で一つの項目としてあげていくような考えをいまのところまだ持っておりません。
  239. 太田一夫

    ○太田委員 やがて大消費地となると考えられるその際に、とにかく一切のあそこのいろいろな許可なりあるいは規制なりあるいは指導なりは、島民中心とし、島の開発、復興という点を中心として行なわるべきだ。だから、本土の中のある地域のどこかにニュータウンができる。そのニュータウンの開発ということとは違うという観点から見ていかなければならぬと思うのです。ですから、全政府機構すべて全力をあげて、あそこの復興のために一切集中してほしいという気がするわけです。それでスーパーマーケットなんか規制しなければいかぬ。かってに島以外の資本によってスーパーなどつくられることを規制しなければならぬ。それで島民自身の協同組合的なものを大きくしていかなければならぬと思うのですが、そういうこともやはり通産省は関係があるでしょう。中小企業育成とか、あるいは資金的な面とか、いろいろあると思うのですね。そういうことに対して、何ら予算がないから私は心配しているのですが、いいのでしょうか。電力だけではちょっと薄いような気がするのですね。通産行政が島に及ぼす影響はどうですか。
  240. 小山実

    ○小山説明員 私、全部を存じておるわけではありませんので、ピントはずれになるかもしれませんが、スーパーを規制しろという御意見、これは小笠原に特別にそういう制度をつくるかどうかという問題で、いま直ちにお答えできないわけでございます。ただ、ほんとうに地元の皆さんのためにお役に立つような、そういうものの流通組織というものが必要であるとすれば、それは、そういうものを押えるということよりも、現在ある消費生活協同組合とかそういうものがしっかりしたものになっていくことによって、ある程度解決できるのではないか、こういうふうに考えておるわけでございます。
  241. 太田一夫

    ○太田委員 ぜひ新しい天地としての小笠原復興という意味において、あなたのほうのできる限りの能力を注いでいただきたいと思います。  その次にお尋ねしたいのは、診療所のことですが、診療所はどうなんですか。自治省のほうにお尋ねしますが、診療所の計画はこの予算の中にはあまりたくさんないですね。第一年度はそうなんですが、近き将来あそこに総合病院をつくるというふうになるのですか、ならないのですか。
  242. 本江滋二

    本江説明員 病院につきましては、さしあたりの問題といたしましては、日本に復帰後、米軍時代に持っておりました病院を直ちに利用いたしまして、しかも、それを若干拡充をして、機械なんかも入れていくという方向でさしあたり対処いたしておりますけれども、将来の問題といたしましては、先日の新聞にも出ておりましたように、交通事故なんかがあった場合に、自衛隊のやっかいにならなければいかぬというような問題、しかも距離が非常に遠いという問題もございますので、将来はこれをもっと総合的な病院として、現地である程度の医療ができるというところまで拡充をしていきたい、かように考えて、都ともその相談をいたしておる段階でございます。
  243. 太田一夫

    ○太田委員 拡充をしていきたいというその方針でよろしいけれども、どうも長く居つかない。居つかないじゃない、非常に短い期間に交代されるような傾向になっておるから、落ちつく条件をつくらなければいかぬ。その落ちつく条件というのは、復興計画も私は島民中心復興計画を立てなければいかぬと思うのです。なれてしまえばそれでいいのですが、こちらから行った人たちには刺激がなさ過ぎるんですね。この中で刺激のないところが好きな人はだれか知りませんが、ああいうところで、東京にいて、いいところに来た、十年でも二十年でも住みたいという人はないですよ。ですから、消費生活などの充実のためにスーパーマーケット等がやがてできてくるだろうという。それは島民によってやってもらいたいし、場合によっては生活協同組合の拡充という方針で新しい一つの型をつくってもらいたいということをお願いしたわけですが、診療所というのは、そう病人はないようですけれども、総合病院化していくということは必要であります。それから内地から——内地からというと語弊があるかもしれませんが、本土から派遣される医者にはりっぱな住宅を供与いたしまして、家族を連れてある程度定着されるようなぐあいのサービスも必要だと思うのです。診療所というのは非常に不十分だという声が強いようでありますが、これはひとつ十分めんどうを見てもらいたいと思う。  先ほど来いろんな住宅の問題も出ておりましたが、住宅などというのは、今度たしか公営住宅を六十戸つくるのでしょう。六十戸つくるのですが、住宅が不足するから困る、一体どのくらいあったらこの一年間の需要は満たされるという見通しですか。公営住宅はどれだけつくったらいいのか、六十戸でいいのですか。
  244. 宮澤弘

    宮澤(弘)政府委員 とりあえず六十戸というふうに一応予定をいたしておりますのは、御承知のように、旧島民のうちで漁業関係者で島に帰った者がおります。とりあえずそういう人たちの住宅という意味計画予定いたしているわけでございます。将来どのくらいのものが必要かということは、もっぱら旧島民の帰島の人数なり時期なりその進行ぐあいによってこれから判断をしていかなければならないと思います。
  245. 太田一夫

    ○太田委員 それは予算もとにかく二億六百八十八万円の事業費がありますから、住宅には力を入れてあるようでありますが、ひとつ家族ともども住める島にしてほしいと思います。また、住みたい島にしてほしいと思います。そのためには、各種の施設は一切自然発生的に民間の自分の資本で新しいサービス的ないろんな事業を始めるということでなくして、計画的にひとつ持っていっていただきたいと思います。電力などは、先ほど小山さんからも話があったが、電力そのものはいま余っておるんです。余っておるけれども、熱い国だから、やがて全部クーラーを入れるでしょう。全部がクーラーを入れたら、いまの容量じゃ足らなくなる。そうすると、新しい設備をすると建物だ機械だということになって、電力のコストが上がってくると、電力料金が奄美と同じように高いということになってくる。九州電力と同じ料金にしようと奄美のときに話があったが、今度も同じように東京と同じあれにしようというようなぐあいに、非常に高いと向こうで言うような電力の使用料ということになっては私は困ると思うのです。ですから、こういうものの増強なども東京電力に全部やらせるということじゃなくして、大いにこれは都なり国なりでめんどうを見てもらいたいと思うのです。この電力の関係についてはどこか補助があるのですか。どこかに載っておるのですか。
  246. 宮澤弘

    宮澤(弘)政府委員 電力につきましては、補助はございません。御承知のように、東京電力が全部の一環としてやっておりますので、格別にあの島について現在補助の対象にしなければならないという事情ではなかろうと思います。
  247. 太田一夫

    ○太田委員 島はテレビはどうなんですか。見えますか。
  248. 本江滋二

    本江説明員 非常に離れておる島でございますので、例の宇宙に打ち上げております宇宙衛星を利用しない限りは、現在の技術ではテレビは小笠原には放送はできないというふうに、担当の省庁のほうから技術的な話を聞いております。
  249. 太田一夫

    ○太田委員 だから、電気というのも、ディーゼル発電をやっておるのだが、やがてこれが設備が拡大されてくる。そうすると、島民の需要を増大さしていくわけです。それクーラーだ、それ電化だということにどんどんなる。それから、各種の産業が起こるということになれば、電力というのは相当必要になってくると思いますが、その際に、足らないものというのは、その電力を使ってみても、クーラーは動くが、テレビは持っていても映らないということになる。では八丈島からでも送ってくる方法でも考えられるのですか。それは全然ないのですか。
  250. 本江滋二

    本江説明員 私もその点非常に心配になりまして、関係の筋にいろいろ聞いてみたのでございますが、やはり八丈あたりからでは中継ができないようでございまして、宇宙衛星を使わないと、あそこにはテレビを放送することは現在の技術では困難であるというふうに申しております。
  251. 太田一夫

    ○太田委員 かりに、それではホテルをつくりたいという人ができました場合には、自治省としては民有地にホテルをつくることは認めますか、三年先くらいに。
  252. 宮澤弘

    宮澤(弘)政府委員 いま三年先くらいにとおっしゃいましたけれども、三年先くらいの旧島民復帰状況なり、現地の開発の事情なり、そのときの事情によると思うのでございますけれども、ただ、午前中からいろいろ御議論がございましたように、小笠原はやはりあの特殊な自然というものを生かした国民の休養地というような感覚で振興整備をすべきものであろうと思います。そういう都民なり国民なりの宿泊施設をつくります場合にも、いま内地で行なわれておりますような俗悪な観光地にならないような配慮を十分した上で検討をすべきことであろうと思います。
  253. 太田一夫

    ○太田委員 いわば俗悪化を拒否するとおっしゃったのですが、俗悪化と断絶する小笠原ということを考えてみても、住むのは欲望のかたまりである人間が住むのでしょう。欲望のかたまりである人間が住んでいて俗悪と縁を切れといっても、仙人さまのお住みになる島じゃないのでしょうから、私はそれは信じません。信じませんけれども、制度としては的確にしておかなければいかぬと思うのです。たとえば、いま国民宿舎の計画があるでしょう。国民宿舎の計画があるなら、国民宿舎で徹底的にやるんだ、こういうことでいいと思うのですがね。これはもっと本腰を入れたらどうですか。国民宿舎はこれをどんどん大きくしていけば、ホテルにもなっていくようなものですから、国民宿舎で徹底的に宿泊施設というものは完備していくんだ、こういう方針ではなかろうかと思いますが、宮澤さんいかがですか。
  254. 宮澤弘

    宮澤(弘)政府委員 ただいま国民宿舎の一例をおっしゃいましたけれども、確かにそういうものを中心考えていくということは傾聴に値すべき御意見であろうと思います。
  255. 太田一夫

    ○太田委員 それでは、この第一次復興計画というものは、第一次の五カ年計画の中の初年度計画というのは、ここにいろいろ資料をお出しになり、予算関係まで明らかにされておりますから、これは芽としてわれわれは見る。しかし、この中には、一応はとってあるけれども、すぐ着工するものでもないものもあるようでありますから、さらに二年、三年、四年、五年といくわけです。そうすると、第一次五カ年計画をやる、次に第二次五カ年計画になると、復興は終わってその次には第一次振興計画になる。その次の五カ年間は第二次振興計画となって、前後合わせて二十年というのがこれはまあ奄美の例でございます。  この間大臣はここでだれの質問だかに対して答えられまして、いや、とにかく五カ年で何でもかんでもやるという気がまえでやるのだ、こうおっしゃった。しかし、五カ年ではちょっとできそうもない。いま調査中、調査中、検討中、検討中、そんな検討復興法ではとてもできるものじゃない。  それで、ちょっと聞きますが、復興計画というものに対しては金はじゃんじゃん出しますよ、それは心配要りませんよ、そういうことが言えるかどうか。大臣にかわって次官と大蔵省と二人の所信を聞いておきます。
  256. 砂田重民

    砂田政府委員 午前中からいろいろ御議論がございましたのですが、復興計画目標というものが、旧島民が一応新生活に入って新たに農業、漁業等に定着する、そういう状況まで持っていくのがこの五カ年の目標でございます。したがって、この法律に基づきまして策定されます復興計画は、四十四年度から四十八年度までの五カ年間で達成されるものを内容とすることになってくるのでございます。したがって、復興計画に盛られた事業を四十九年度以降に持ち越すことは制度のたてまえとしては予想しておりません。ただ、予想できない事情の発生によりまして、四十八年度に終わり切れなかったという問題が出てまいりましたときには、その時点で考えてみたい。  さらにもう一つ、いま先生がおっしゃいました復興だけにとどまらないで振興まで走っていけというお話意味でございますが、これはやはり先ほどお答えをいたしましたように、この復興計画の一応の目標、この目標を目ざして五年間をやってみる。その最終年度あたりで小笠原がどういう事態になっているか、奄美的に振興計画のようなものであとを追っていくかどうかということは、その時点で考えてみるべきことではないか、このように考えております。
  257. 秋吉良雄

    ○秋吉説明員 ただいま政務次官から御答弁なされましたのと大体私ども同じ考え方を持っております。ただ、お金をじゃんじゃん出せばいいじゃないかということにつきましては、せっかく国民の税金がむだにならないようにという配慮は、やはり十分考えなくてはならぬと思っております。
  258. 太田一夫

    ○太田委員 りっぱな御答弁だと思いますね。  そこで、自治省がお出しになりました措置法関係の資料の二ページを見ますと、「復興計画は、次に掲げる事項について定めるものとする」という中に、イは「道路、港湾等の産業基盤施設の整備に関する事項」、これを見ますと全く道路予算というものがないのですね。この道路予算四千三百万円。建設省もいらっしゃいますが、あれは将来村道で全部やっていただきたいというお気持ちでございますか。村道か都道ですか。道路の格付。将来の道路というのはどういう道路にするのか、何かお見通しかお考えがありましたら、この際発表していただきたい。
  259. 南部三郎

    ○南部説明員 小笠原諸島の道路計画につきましては、今後早急に検討されるであろう小笠原復興基本計画に基づきますいろいろな土地利用計画というふうなものが具体化してまいるのとあわせまして、それに対応した必要な道路網として当然計画考えていくべきである。その中には私どものほうの所管しております道路法上の道路、あるいはそうでない農道というふうなものも入ってくるかもしれません。いずれにいたしましても、そういう考え方計画されます道路網につきましては、私ども段階では、建設省としてこれを村道でやるべきであるとか、あるいは都道でやるべきであるという、そういう具体的な腹案は持っておりません。今後具体的な復興計画検討される段階で直接管理の衝に当たる者、たとえば都道にいたしますと都知事ということになりましょうし、村道でありますと村長ということになりましょうし、そうした方々との十分な協議の上で処理していきたい、そういうふうに考えております。
  260. 太田一夫

    ○太田委員 自治省にお尋ねしますが、自治省はいま向こうの道はどうするつもりでいらっしゃいますか。事業費五千八百万円、そのうち国庫補助四千三百万円、その補助率四分の三でありますが、これはどういうつもりでございますか。主要道だけを四分の三の改良補助して、あとは村にまかせっきりというのですか。
  261. 本江滋二

    本江説明員 お答えいたします。  現在計上いたしております予算は、当面基幹道路の維持補修と、それから従前道路だったものがギンネムなり、それから琉球松がはえ茂っておりますものを伐開するという予算でございまして、このあと引き続きまして、この法律が国会を通過し成立いたしました場合におきましては、復興事業策定段階におきまして、道路を、都が管理するものと、それから村が管理するものとに分けまして、都道、村道というふうに区分をいたしまして、改良なり舗装なりということに着手していかなければならないものと考えております。  それで、戦前小笠原の道路は一部都道、それから一部村道という形態になっておりました。現在東京都におきましても、道路の検討をいたします場合には、一部都道とし一部村道とするということで将来の方向を定めなければならないと考えておるようでございます。
  262. 太田一夫

    ○太田委員 道路予算が少ないということを私は指摘するのであって、復興計画の中にはもうちょっと思い切った道路改良計画と増設計画が出されなければいけないのであって、わずか五千八百万円というのはいささか人をばかにしておる。この間行きましても、小笠原まで行って私はほこりだらけになって帰るとは知らなんだ。おそれ入りました。首の中までほこりが入りまして、ほこり高き視察になったのですが、全くそんなばかなことはないですよ、一年たって。だから道路予算、足らないです。建設省、ひとつ四分の三を全部——いまの話もありますけれども、建設省としても、都道として見ればひとつ何とか主要地方道として考えてください。四分の三でも四分の四でもいいですが、この予算全体が少ないということを私は指摘しておきたい。  それから最後に、きょうは委員が少ないので、これをやると理事さんが、成立しないからやめろということでありますから、私これでやめます。ただ、一つだけ、これは大蔵省ですか、お尋ねしておきたいのは、国有地を賃貸をしていらっしゃる。賃貸権を得ております原島民の方が、私有地だけはいまだに一向契約はできないが、国有地については契約ができましたというようなことを言っていらっしゃる。国有地は坪、一体幾らで賃貸契約をなさったのですか。大体内定しておるなら、わかっていたらお答えいただきたいと思うのです。
  263. 秋吉良雄

    ○秋吉説明員 実は私の担当でございませんから責任ある御答弁はできかねますが、この問題につきましては、御視察になられました先生方から、異口同音に問題として指摘されたように、私のほうの主査が同行いたしましてその報告を受けております。さっそく国有財産の係のほうに連絡をいたしましていろいろ聞きましたところ、何せ近傍類地価格といいますか売買実例がないというような事情で、苦慮しておるようでございますが、遠からず妥当な結論を出すべく鋭意作業中のように聞いております。
  264. 太田一夫

    ○太田委員 瀬堀さんという村政審議会の代表の方が、国有地は借地契約は済んだとおっしゃって、私有地のほうがまだ一向にそれができないために不安であるから、早く頼みます。私は坪当たり六十円か六十五円のようなふうに聞いてきたのですけれども、違うのですか。それは間違いだったら間違いだとおっしゃってください。六十円か六十五円くらいで借地契約は済みそうだとか済んだとか、瀬堀さんのお話でありました。全然不明なら不明でよろしい。
  265. 本江滋二

    本江説明員 私らが現地で聞きましたときは、契約はできたけれども、評価ができないためにまだ賃貸料がきまってないというふうにたしか聞いたように記憶いたしております。それで、私どものほう、同行されました大蔵省の主査の方からも急いでいただいたと思うのでございますが、たしか先週の終わりに、関東財務局のほうから、坪一年間の賃貸料は大体六十一円にすることにしたという連絡を受けております。ただこれが現地にいきまして、その個別の契約事項にこれが入ったかどうか。まだかと思いますけれども、関東財務局では六十一円というふうにきめたという連絡を受けております。
  266. 太田一夫

    ○太田委員 いささか安心をいたしました。六十一円程度というのは、民有地の関係もそれを基準として早く賃貸契約をすることができますように、この際自治省において配慮してほしいと思います。委員長、これで終わりますが、私はもう少し聞きたいことがあるけれども、これじゃちょっとまずいと思いますので、きょうはこれで終わらしていただきます。
  267. 細田吉藏

    細田委員長代理 次回は明二日午前十時から委員会を開会し、本法案について参考人から意見を聴取することといたします。  本日はこれにて散会いたします。    午後四時五十三分散会