○小濱
委員 そういう
内容の人たちは、非常に多いわけです。ぼくも十年間兵隊に行ってまいりました。終戦後帰ってきて、そして昔の兵隊仲間に会いますけれ
ども、まともに生活の道に入っていった人は少ない。あの当時の経済状態がどうであったか、社会状態がどうであったかということは、皆さん方よく
御存じのとおりです。そういう中で、私もずいぶんすすめられて、
公務員になろうか、あるいはまた会社に入ろうかと
考えてみました。ところが、家族を多くかかえて、そういうこともできません。食べられない。そういう立場から、私はまた新しい道を
自分で切り開いたわけですけれ
ども、恵まれてそういう立場にあった人はいいのです。そうでない人は、非常な苦境に立ちながら転々と職場をかえ、そしてかろうじて家族のために生涯をささげてきた、そういう人たちが多いわけです。戦争というのは国の
責任です。その犠牲になった人たちのその後の老後保障、生活保障は、やはりあたたかい気持ちで
考えてやらなければならないだろう、こういうように
考えるわけです。お心はよくわかりますので、どうかこれからの行政指導の面でこういう点にも大いにひとつ意を用いていっていただきたいと思います。
私、ある本に出ておった
内容を写してみたのですが、少しく聞いていただきたいと思います。
「人生五十年といわれた時代の五十五歳は、心身ともに老境の入り口にあり、社会の第一線を引退するのに
かっこうの年齢であった。いまや人生七十年の時代であってみれば、五十五歳は壮年であり、人生の花盛りである。」と書いてある。五十五歳は人生の花盛りというように書いてある。昨日も六十三歳、六十四歳という県庁の
職員の人とお会いいたしました。それはもうほんとうに元気でありました。こんなに元気なんですよ、これで私はこの
定年制がしかれればやめなければならぬのですよ、いかがでしょうか。もうほんとうに心情がよくわかるのです。「戦後の生活水準は、わが国の平均寿命を欧米並みに引き上げた。これは主として食生活の向上といわれているが、確かに戦前の人との肉体と精神面との相違は目立ってきている。特に家庭的に見た姿もまた大きく変わったと思う。戦前の五十五歳では、すでに長子は三十歳に達し、ほかの子もほとんど成人していたし、また物価の安定は老後に備える貯蓄も可能であった。」私
どもも思い出すわけでありますが、昔はほんとうに家庭的な、なごやかな雰囲気がありました。私はつくづくと私の小さいときのことをゆうべはおそくまで思い起こしながら、これを写しておったわけであります。こういう時代があったかと思うと、今度は「今日の五十五歳は結婚年齢が高くなった上に、子の教育期間が延長されてきたため、ほとんどの人がまだ子を扶養している。」五十五歳では当然そうでしょうね。私もまだ中学三年の子供がおります。この子を一人前に育てていくには、まだまだたいへんであります。昔といまとの相違が、ここにはっきり出ているわけです。特に八年に及ぶ戦争であります。シナ事変から大東亜戦争、八年間、そういうことから結婚期を著しくおくらせるという結果にもなっていったわけであります。現在、長子がやっと高校に入学したという人も少なくないわけです。「またかりに独立した子を持つ人であっても、子の収入が」
——この雑誌には「彼」と書いてありますが、「彼自身の妻子を扶養するのがやっとである以上、老後を子に託し得る可能性はきわめて少ない。」こういうふうに書いてあるのですね。「さらに彼ら多くは戦後無一物で出発し、生命を維持し得るだけの生活の中に世帯を持ち、子を育てた。ようやく経済も復興し、収入も安定したときには、いやおうなく消費ブームの中に投げ込まれた。相次ぐ耐乏生活はレジャーを楽しみ、家を建てるどころか、ささやかな貯蓄すら意のままになっていない現状である。だからといって、老後に備える心がまえのなさを責めるのは彼らに対して酷である。」さらに「後顧の憂いなく悠々の自適生活に入り得た戦前の五十五歳」
——戦前は五十五歳でこういう境涯が得られたのですね。「子を扶養しつつ、貯蓄もない現在の五十五歳、同じ年齢ながらその相違はまことに対照的であると思う。しかし定年と呼ばれる強制退職
制度の年齢は、今も昔も変わることなく五十五歳」と書いてある。今も昔も変わることなく五十五歳が定年である。「今日五十五歳で第一線を引退できるほどの経済的基盤を持てるのはごく少数の恵まれた人に限られている。ほとんどの人に待ち受けるものは、乏しい貯蓄、限られた退職金、そして見かけだけの老齢年金である。勢い、家族を扶養し生きていくために、新しい職を求めて働かざるを得ない」、このように書かれておりました。私はこれを読みながら、偽りのない実相であろう、こういうふうに感じておったわけであります。
こういういろいろな書物を読んで感ずることは、どおしても今回のこの
定年制の問題については、やはり問題が起こってくるわけです。昨日のこの
委員会で法制局長官の話を私聞いておったわけでありますが、二十一年の東京の例、あるいは三十九年の大阪での判例を読み上げておったようです。私はその中で、ふっと気がついたことは、職を欲する者は国は与えなければならない、このように
説明しておったように記憶しております。こういう立場から、どうしても今度のこの
定年制の問題については、もっともっと
内容の示されたものが出てこなければ、われわれは納得できない、こういわざるを得ないわけであります。しかも当
委員会のいままでの長い期間における質疑の
内容からも、この
法律を
施行することにおいては、非常な危険を感ずるわけです。まあ地方議会で云々の問題がありました。それからまた労働権の問題も出ておりました。あらゆる事例、そういう過去の
内容等も示されてまいりましたが、そういう立場からも非常な危険を感ずるわけですね。こういう立場からわれわれは憂えるわけでありますが、こういう危険性はないように今後
自治省としては行政指導を強く行なっていくことをわれわれは信じておりますけれ
ども、もしかこの問題が通った暁の話でありますが、こういう問題については行政局長はどのようにお
考えになっておられましょうか、
お答えいただきたいと思います。