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吉國(二)政府
委員 私が、行政行為一般を批判する第三者機関的なものは日本の実例法ではあり得ない
——あり得ないじゃなくて、異例であると申し上げたのは、人事院の場合は、国家公務員という特殊な、特別な
権力関係の中で、しかも人事院というものが総理府の中で内閣の人事というものについて幾つかの権限を持っているわけであります。国家公務員
制度の中で実は内閣全体の権限の配分として人事院が権利を持っている。私が申したのは、最終の権限を持っているものの範囲内においてはいろいろ行政的な批判行為というものがあり得る、しかし、行政行為について最終の権限を持っているものを越えて、他の第三者が批判をするというのは異例ではないかということを申し上げたわけであります。
土地
調査委員会にいたしましても、これは土地に関する権利
関係を調整するということでございまして、行政庁と個人の間の行政行為に対する争いを裁定するという性格のものではない。これはもちろんそういう
考え方で行政行為に対して常に第三者機関を置いて監視をするという
制度も、これは不可能なことだと私は思わない。ただ、日本の
実態はそういうものをとっていない。それを最も典型的にあらわすものとしては、行政裁判所というようなものができて、不当な行政行為について常に第三者機関がその最終権限を持つ行政庁の上に立って判断をするという
制度は、戦前ではとっておったわけでありますし、大陸法系の国ではそういうものがあるわけでありますけれども、現在の日本のあり方としてはそういう行政裁判的なものはやめて、そういういわば行政行為の権限ある当局のやったことに対する
法律的な批判は、司法
制度にゆだねるというのがいまの
立場だと思います。
そういう意味で、その中間的に準司法機関を設けるかどうかということにつきましては、税制
調査会も大いに検討はしたわけでございます。今度の社会党案もそういう意味では私は不可能だと言っておるわけではないのでございますが、そこまで徹底をするとすれば、日本の行政組織の中で
一つの行政行為が行なわれた場合に、その最高の権限を持っているものから完全に離れた第三者が批判をするということになると、行政部内に
一つの行政行為に対する解釈が二つあり得るということ、もっと詰めていえば、行政行為についての行政判断は行政の
段階でも最終的であり得ないというあり方、これはまた
一つ考えられると思いますが、それがはたしていいのかどうか。そこまで行けば、社会党案にありますように、
国税庁長官が解釈権として譲れないという場合に裁判所に出訴するというのは不徹底である。むしろ行政機関は、
法律的判断で第三者との間で紛争を起こしたならば、第三者的機関で必ず裁定してしまう、それには絶対に服さなければならぬという
制度が必要になるかと思います。そうなると準司法機関と申しましても、完全な司法判断になってまいりますから、そこでその場合にはその手続は司法手続に非常に接近してくる。したがって、司法裁判所のような第一審級は省略して第二審級に直接つなぐというような法制がとられてくるのが当然じゃないだろうか。そこまで日本の
制度を大きく転回することがいまの
段階でできるだろうかどうかということがいろいろ問題になりまして、税制
調査会としては、いまの実定法全体の体系としてはそこまでまだなかなか行き得ないのではないか。準司法機関
自身も、そういう行政行為に対する第三者の批判機関としての意味でなくて、公正取引
委員会とかああいうような行政機能を準司法的な方法によって
執行する、そしてそれを直接高等裁判所に結びつけるというような意味の準司法機関的なものも、証券取引
委員会にしろ証券処理調整協議会にしろ、戦後むしろ縮小されておるのが実情であります。そういう実定法の秩序の中では異例であるという判断を下し、またそれを乗り越えて、いますぐそういう準司法機関からさらに思い切って第一審省略の
制度をとれるかということは、
現実的には非常にむずかしいというのが税制
調査会の判断であります。そういう意味で私は異例と申し上げたのでありまして、
制度として不可能だということでは決してないのでございます。
ただ、
制度としてこれが日本の行政全体に対する救済
制度、行政部内においても第三者的なもので最終権限を越えてすべて批判するという
制度ができるとなると、これは理論的にいえば昔の行政裁判所のようなものが
一つ出現してくるのではないか。そしてその場合に、それが最終審でなくてさらに司法審につながれるということであれば、それは憲法にも違反しないと思います。それにはやはりかなり長い改革といいますか、行政
制度全体の大問題であるのではないか。確かにそれは行政
執行者とそれに対する救済者と全部分けてしまうという
考え方も将来あり得るかもしれない。ただ、
現実にはそれはあまりにも離れ過ぎているのではないか、そういう意味で申し上げたのでございます。