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1969-06-17 第61回国会 衆議院 大蔵委員会 第38号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十四年六月十七日(火曜日)     午前十時十分開議  出席委員    委員長 田中 正巳君    理事 金子 一平君 理事 倉成  正君    理事 毛利 松平君 理事 山下 元利君    理事 渡辺美智雄君 理事 只松 祐治君    理事 村山 喜一君       伊藤宗一郎君    大村 襄治君       奧野 誠亮君    木野 晴夫君       河野 洋平君    笹山茂太郎君       正示啓次郎君    田村  元君       地崎宇三郎君    辻  寛一君       中村 寅太君    西岡 武夫君       坊  秀男君    村上信二郎君       山中 貞則君    吉田 重延君       阿部 助哉君    佐藤觀次郎君       多賀谷真稔君    平林  剛君       広沢 賢一君    広瀬 秀吉君       堀  昌雄君    春日 一幸君       河村  勝君    田中 昭二君       広沢 直樹君  出席国務大臣         大 蔵 大 臣 福田 赳夫君  出席政府委員         内閣法制局第三         部長      荒井  勇君         大蔵政務次官  上村千一郎君         大蔵省主税局長 吉國 二郎君         大蔵省銀行局長 澄田  智君         国税庁長官   亀徳 正之君         食糧庁次長   馬場 二葉君  委員外出席者         法務省民事局第         三課長     枇杷田泰助君         郵政省貯金局次         長       田所 文雄君         専  門  員 抜井 光三君     ————————————— 六月十七日  委員中嶋英夫君及び広瀬秀吉辞任につき、そ  の補欠として堀昌雄君及び八木昇君が議長の指  名で委員に選任された。 同日  委員堀昌雄君及び八木昇辞任につき、その補  欠として中嶋英夫君及び広瀬秀吉君が議長の指  名で委員に選任された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  国税通則法の一部を改正する法律案内閣提出  第三〇号)  国税審判法案広瀬秀吉君外十一名提出衆法  第四号)      ————◇—————
  2. 田中正巳

    田中委員長 これより会議を開きます。  内閣提出国税通則法の一部を改正する法律案及び広瀬秀吉君外十一名提出国税審判法案を議題といたします。  質疑の通告がありますので、順次これを許します。田中昭二君。
  3. 田中昭二

    田中(昭)委員 提案されました法案につきましては、先輩並びに各党の委員からいろいろ重要な問題の質疑等が行なわれたわけでありますが、私も公明党を代表しまして、幾ぶんか重複する点もあるかと思いますが、何せこの問題は根本問題が明確にならなければいけない、こう考えますから、再度の答弁になりましてもひとつ丁寧にお答え願いたい、かようにお願いします。  問題は、現体制協議団から不服審判所に移行するという問題が、どうしてもその理由が浅いんではないか。いろいろな納税者権利救済改正事項等もございますけれども、それはしいて言えば、現協議団においても、その程度のものであるならば、当然協議団制度を育成していくことが、納税者に対する信頼並びに義務ではないか、このようにも考えるわけですが、いろんな納税者の有利になる改正点もあわせて、その根本である改正するおもなる理由等を御説明願いたい。
  4. 吉國二郎

    吉國(二)政府委員 ただいまお尋ねがございました現在の協議団を含む審査処理体系を新しい国税不服審判所による審査体系に直すことについてのメリットは何かというお話でございます。もちろん、こまかい点はいろいろございますけれども、基本的な問題といたしましては、従来の協議団はいわゆる裁決機関ではないのでございまして、国税局長に対する補助機関の形をとっております。国税局長は御案内のとおり直接税務署の調査決定を指揮監督いたしておりますし、また、調査課所管の法人につきましてみずから調査決定を行なうたてまえになっております。その仕事はそれぞれ直税部調査査察部あるいは調査部というような補助機関によって行なわれるわけでございますけれども協議団もその一つ補助機関として活動しておるわけでございます。もちろん、協議団ができるだけ客観的な立場審査決定するように、現在の規定におきましても、国税局長協議団協議に基づいて審査裁決を下さなければならないというたてまえにはいたしておりますが、何と申しましても、いわば国税局長の所部の部局でございます。かつ、国税局長としては、みずから判断をする場合には、課税当局である直税部あるいは調査査察部意見も当然これは聞くことになると思います。そういう点から、協議団が非常に努力をして実績をあげておるという評価もございます反面に、どうも協議団がせっかくきめてもなかなか直税部との折衝が折り合いがつかない、そのために決定がおくれておるというようなことがしばしば耳にされるということでございます。  そういう意味では、たくさんの審査事案をかかえておる現状で納税者の十分な権利救済になお足らざるところがあるのではないか。したがいまして、今後は国税庁付属機関として独立審査機能をつくろう、つまり、国税庁長官課税に関しましてはすべての権限大蔵大臣から委任を受けておりますから、事前の課税決定、事後の訂正、つまり審査処分その他についてすべて権限を持っておりますけれども、それらをできるだけ分割をいたしまして、審査機能につきましては、国税庁長官付属機関である国税不服審判所長に専決させるというたてまえをとっていこうというわけでございます。したがいまして、今回は審判所所属審判官、あるいは場合によって副審判官協議をして決定した事項は、国税不服審判所長裁決決定として結論を出すわけでございます。その段階では、もはや国税局の各部の意見が入らないというのは当然でございますし、同時に、国税庁の直税部調査部審査決定には参画しないということになるわけでございます。  ただ一つ、従来のわが国の実定法上の体系といたしましては、行政不服審査最高機関というのは、やはり行政権限のある機関最高のものと一致しなければならぬという形をとってきておりますので、そういう意味で、国税庁長官所属機関という形をとりますけれども、その場合においても国税庁長官が発した既応通達等に対して、具体的事案への適用が適切でないという判定をした場合には、通達と異なる決定ができる権限を与えております。ただし、その場合に、全体の国税解釈というものが区々にわたるのを防ぐ意味におきまして、そういう通達と異なる決定をする場合には、国税不服審判所長国税庁長官意見申し出をする。国税庁長官は、その場合に意見申し出があって、それを認めるべき、つまり行政としても再反省をして、そこを直すべきであると思えば直す、そのまま承認すればそれはどうしても解釈がおかしいと思えば、それについてはそれを聞かない場合があるわけでございますが、それを聞かないという決定を下す場合には、必ず別に設けられました国税不服審査会の議を尊重してこれをきめなければならぬ。国税不服審査会は純粋の税務関係第三者大蔵大臣の承認を得て任命されまする第三者でございます。この学識経験者機関を通じて意見を調整をして、最終的な決定をするということになるわけでございます。この間、参考人から意見がございましたように、こういう規定がある反面解釈といたしまして、国税庁通達をくつがえすような、あるいは今後の重要な先例となるような事件でない限りは、すべて国税不服審判所長国税庁の他の機関との何らの関係なしに、また、国税庁長官意見を聞く必要もなしに専決できるという非常に強い権限を持っておるわけでございます。実際上、審査の九五%までは事実認定に関する問題が多いわけでございますから、実際上不服審判所長が全く課税当局と別個の立場で、国税庁長官審査機能を代表して決定を下すという制度になるわけでございますから、その意味では従来の協議団とは質的な差が生じてまいったと思うわけでございます。  こういう形をとりますと、従来の協議団と違いまして、審判官はそれぞれ独自の見解決定をいたしまして、それに対しては直税部なり調査部意見を聞くことが全然必要でなくなります。課税当局は、単に答弁書として意見を述べるだけにとどまるわけでございます。審査決定も迅速化するでございましょうし、また、きわめて客観的な判断ができるという意味で、納税者審査請求としては非常な大きな変化が生じるものであると私どもは考えておるわけでございます。
  5. 田中昭二

    田中(昭)委員 現場最高責任者として、国税庁長官のほうから、協議団から今後審判所に変わることについて率直な意見をお聞かせ願いたい。
  6. 亀徳正之

    亀徳政府委員 大体主税局長がいま説明いたしたとおりでございますが、私のほうの立場から若干つけ加えさせていただきますならば、前回の協議団につきましてもやはりいろいろな批判があったわけでございます。その中で、特に国税局の直税部がなかなか言うことを聞かないでなかなか思いどおりの審査決定に至らないというようなことがあって、簡易なものはその協議団で調べたとおりを尊重するようにという、実施面で極力非難にこたえるべく実は努力してまいったわけでございます。  しかし、それにいたしましてもおのずからやはり限界がございまして、先ほど主税局長が申し述べましたように、やはり裁決者国税局長であるわけでございますので、今回の改正によりまして、思い切りましてこの見直しといいますか、こういう救済関係国税庁長官付属機関としての不服審判所長に一任するという形で、その点は実は現在考えられ得る範囲内では思い切った措置ではないか。また、現在の通達に対しておかしいと思った場合にも、やはりそういう裁決をできるという体制にされたということは、相当大きな改善策ではないか。  私たちとしては、単に機構がそうなったというだけではなしに、その中身をそれに即応するように人事、それから具体的な運営、それらを含めまして今後この趣旨に合うように、もしこの法案が通過いたしました暁には、この線に沿ってこの精神が十分生きるように一そうこれの運営に努力してまいりたい、かように考えております。
  7. 田中昭二

    田中(昭)委員 いまそれぞれ述べてもらいましたが、いままでの答弁と変わったことがないように私は聞き取ったわけでございます。大臣に、せっかくお見えになっておりますし、何か時間の都合もあるようでございますから、もう少しよくこの問題を根回しをして、そしてお聞きしたいと思っております。  大体いままで何回もお聞きになってわかると思いますから、単刀直入に入っていきますが、いわゆる納税者の不服に対していま現場からと主税局側からと述べてもらいましたが、その答えの中で、先日から参考人意見も聞きましたが、この不服に対する裁決権責任者といいますか、最高機関が、一応いままでの協議団の場合は国税局長並びに長官というそういう段階があった。ところが、今度はこの審判所をつくることによって国税庁長官——裁決権についていろいろな問題が起こった場合、たとえば長の発する通達に異なった裁決を下そうとする場合には、いわゆる審査会国税庁諮問機関みたいなものであるならば、最終的には国税庁長官のいわゆる責任において裁決が行なわれると思いますが、この点は間違いないでしょう。
  8. 吉國二郎

    吉國(二)政府委員 表現のしかただと思いますけれども国税庁長官付属機関である国税不服審判所長裁決を行なうということが、最終国税庁長官権限委任を受けてやるという意味では、国税庁長官裁決権を行使しているとも言えますし、実質的にはみずから裁決を行なっておるという形では不服審判所長裁決とも言えると思います。事実問題としては不服審判所長法律的に申せばやはり国税庁長官裁決権から生まれた独立委任による裁決権の行使である、かように考えるわけであります。  ただ・その場合に通達に異なる決定をする場合で、国税庁長官がそれを容認しない、国税審査会もそれを認めたという場合だけが例外として国税庁長官の意による裁決が行なわれる。かような実質的な意味裁決と、形式上はやはり審判所長裁決でございますけれども、実質を申しますとそのときには国税庁長官意見による裁決が行なわれる。これは例外でございます。
  9. 田中昭二

    田中(昭)委員 そういうことで、いま主税局長の御答弁を要約しますと、最終的には委任を受けた長官権限においてやるということでございますが、大臣、この現場に起こってくる問題の原因といいますか、その原因解決というものが、いまのそれぞれの長官並びに主税局長のおっしゃったようなことによって問題が紛争した場合に、私は国税庁長官裁決最高なものであるとは考えたくないのです、いままでの実例から。といいますのは、国税庁長官という立場におけるこの紛争解決が、やはりどうしても第三者並びにその上級監督者といいますか、そういうものの立場から私はもう一回見直さなければならないというのが今度のこの改正のいわゆる根本にあるものだ、こう思うのです。  大蔵省の出しておりますこの中にも、こういうような書き方をしているのですね。「国税庁長官の発した通達と異る解釈により裁決を行なうことも可能とすることを主たる狙いとするものである。」私は、これは率直に、長官の発した通達と異なる解釈による裁決をすることを主たるねらいとする機関でなければ、いわゆる起こってきたところの原因紛争解決責任者としては不適当である、こう思うのですから、社会党案にもありますように、大臣のもとに置くとか、ほんとうは理想的には純粋な第三者機関として総理大臣監督のもとに置くとかいう問題が結局投げかけられておるわけですが、そういうことを考えてみますと、私は、この点については大臣からも、ひとつそれを避けるというような意味でなくて、積極的にいわゆる国税庁長官裁決最高のものではないということのいわゆる姿勢といいますか、そういうものだけでもお伺いしておきたい、こう思うのです。
  10. 福田赳夫

    福田国務大臣 先ほどから主税局長から申し上げておりますが、実際上はこれは不服審判所最終的な決定をするということになるわけなのです。これはもう申し上げるまでもございませんけれども不服審判所国税庁長官とは独立性を保ち得るような機構、また、その内容等備えておるわけでございます。これが事実上最終決定をした。しかし、これは法規典礼等に徴しまして国税庁長官がどうしても従いにくいんだという場合もなきにしもあらず。そういう際に国税庁長官不服審判所とまた違った判断を下す。しかもその場合には国税審査会の議を経なければならぬと、非常に手かせ足かせといいますか、そういう制約もついておるわけであります。したがいまして、私はこれはあくまでも行政争訟の問題である。行政争訟範疇に属するこの不服審査の手続としては、これは実際的また妥当な線をいっておる構想ではないか、きょうに考えておるわけでございます。  さらに、国税庁長官の最後的な決定に不服があるという際に対しましては、これは司法裁判への道も開かれておるわけでありまして、これに司法的な見解を求めるということになるわけでありますが、しかし、あくまでもこれはわれわれが頭に置かなければならぬ問題は、行政的段階なんだ、行政的段階救済措置である、こういうことなんです。その範疇においては、私は、これはこの納税者の不服を救済する仕組みとしては、実際的な実務という面から見まして、まあ公正を期し得る仕組みになっておる、かように考えておる次第でございます。
  11. 渡辺美智雄

    渡辺(美)委員 関連。ちょっといま、われわれも大臣のような考え方を持っておったわけですよ。ところが、大臣の言っていることと主税局長の言っていることと違うと思うのです。大臣の言っていることは、要するに国税庁長官がその審判所長意見をどうものめないというようなときには審査会にかけて、審査会の議決に基づいてきめるんだ、こういうふうに解釈をしたのですがね。先ほどの吉國さんの答弁は、ここの九十九条の二項ですか、ここには「国税不服審判所長意見審査請求人主張を認容するものであり、かつ、国税庁長官当該意見を相当と認める場合を除き、国税審査会の議に付し、その意見を尊重してこれをしなければならない。」ということは、「除き、」というんだから、除かない場合はこれは審査会の議に付さないということですか。
  12. 吉國二郎

    吉國(二)政府委員 まさにその審査請求人主張を容認するものであって、つまり処分を取り消すとか、要するに審査請求人の言うとおりにするという場合であり、しかも国税庁長官がそれがやはり正しいわいと考えるときを除いて、「意見を」という意味は、国税庁長官がこの当該意見を相当と認めないとき、あるいは逆に、審査請求人よりも強いことをきめたという場合、その場合には必ず審査会に付さなければいかぬというわけでありまして、つまり国税庁長官が、不服審判所長の言うことが正しい、または審査請求人の要求にも合致していると思えばその場合は審査会にかけなくていい。長官がどうしても理論的にこれは承服できないというときにだけかける。そうしてそれは審査会の議に付するという意味でございます。そういう意味では大臣の言われたことと私の言ったことと矛盾はないと思います。
  13. 渡辺美智雄

    渡辺(美)委員 長官当該意見を相当と認めない場合はかけないのでしょう、「認める場合を除き、」というのは。
  14. 吉國二郎

    吉國(二)政府委員 認める場合はかけないのでございまして、「認める場合を除き、」でございますから、認めない場合、つまり不相当と認めたときにかける、こういうわけでございます。だから、長官審判所長意見が一致すればそれはもういい。長官がそこでわしが悪かったと思うわけでございます。しかし、どうもこれは承服できぬ、不服審判所長行き過ぎだと思ったときだけかける、こういうことでございますから、かける場合は非常に制約されてくるわけでございます。
  15. 田中昭二

    田中(昭)委員 いま大臣のお答えを聞いたわけですけれども、どうも何か不服審判所長でやるんだというふうなそのことだけだったんですが、それは技術的な問題もあると思いますが、いわゆる長官と異なった解釈で異なった裁決を行なうことも可能であるということは、結局「行なうことも」——もですね、「可能とすることを主たる狙いとする」ということは、私はどうも「主たる狙い」であるということが気にかかるのです。それよりも、不服審判所ならば進んで長官と異なった解釈裁決を行なうことを、そういうことが出てきたならばそれを解決するためのものでなければならない、こういうようにならなければいけないと思うのです。それはいろいろ言いましても水かけ論になるような気持ちがするわけです。  そこで、この税務につきますいろんな不服、苦情の問題、これがいままでのいわゆる協議団並び審判所設立というものであくまでも行政権範囲内において処理したい、そういうことのようでございますが、行政権の間違ったいわゆる乱用というものの結果も、進んで行政庁がやる場合と、国民が法律に無知なためにその権利並びに不服の申し立て等が黙殺されるような場合も多々ある。また事例の中にもたくさん出てきます。それはあとで一々問題をあげて申し上げたいと思うのです。そういうことを考えますと、税務につきますいろんな問題を、行政権範囲内といえども、私はこの不服審判所で第一義的に解決していこうという姿勢はちょっと行き過ぎじゃないか。いわゆる通則法規定といまの協議団不服審判所設立等も、この問題について不服申し立てのいわゆる前置主義というようなことになっておりますが、これはあくまでも憲法三十二条でいうところの「何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪はれない。」というような憲法精神と合わないじゃないか。不服申し立てをそういう審判所等においてやるということが納税者出訴権を制約する、こういう意見もあるようですが、この点どうでしょうか。
  16. 吉國二郎

    吉國(二)政府委員 憲法規定は、御承知のように従来の明治憲法と違いまして、わが国においては紛争処理はすべて司法機関専決権限であるということを論じたものだと思います。そういう意味では、従来行政裁判所最終審として行政事件については最終決定を下しておったものを、行政権による最終決定というものを認めない、最後の法律上の紛争はすべて司法権のもとにおいて行なわなければならないということを宣明した規定だと思います。そういう意味では、行政段階におきまして行政不服処理というものを前置させましても、その前置によって司法権救済が受けられなくなれば、それは憲法精神に反すると思います、しかし、その行政不服の手段を経て最終的に司法処理を受けられるということであれば、憲法に違反するものではないし、憲法精神に反するものでもないと思います。行政不服審査法も、行政の質によりまして行政段階不服審査を前置することを認めておるわけでございまして、わが国制度としては最終的な司法優位の原則をうたったものである、かように考えるわけでございます。ことに、御承知のとおり行政不服審査法ができましてからも、大量的な行政処分につきましてはほとんどが訴願前置の姿をとっております。私どもで調べたところでは、件数の多い順に調べますと、ほとんどが訴願置主義にいたしておりますのは、やはりいきなり司法救済を受けるということは一般の人民にはとうてい望み得ないことでございます。そういう意味では一応簡易な行政救済というものをまず得さしめたほうが、より全体の不服審査の公正迅速な処理がはかられるという判断によるものであろうかと思います。  税務に関する不服は、圧倒的に件数が多い点では、他の行政行為と特に質的にも違っておると思います。ほかにこれほど大きな件数のある行政分野はないわけでございます。そういう意味では前置主義ということは、それ自体は憲法精神に反するものではない、かように考えておるわけでございます。
  17. 田中昭二

    田中(昭)委員 この問題は根本問題ですからもう少し詰めていかなければならないと思いますが、いまのその税務行政のそういう問題について迅速に処理をする、それだけでしょうか。そういうことが、いまの前置主義憲法のあれに違反しないということだったのですが、もう少し何か解釈はないのですか。
  18. 吉國二郎

    吉國(二)政府委員 ただいま申し上げましたように、わが国の新憲法のたてまえでは、最終的な司法判断を受け得る体制であるということが根本原則であると思います。その場合に、行政段階でも当然見直しあるいは行政監督的機能とあわせて権利救済目的とする判断ができ得ることは行政として当然でございます。行政というものも本来合法的、合目的的なる処分をすることが目的でございますから、処分が間違っている場合に、それを合法的に直すということは行政機能として当然のことでございます。その行政機能を発揮することは何ら憲法に違反しているわけではございませんが、いま御指摘がございましたように、それを強制的に前置するためにそれが憲法精神に違反するのではないかという御指摘でございましたので、それはその前置された結果として司法処分が受けられなくなるということであれば憲法精神に反すると思いますけれども、そうでない限りは憲法精神には反しない。そうなれば、行政不服処理能力というものをどの程度不服審査に取り入れるかという問題は、その対象である不服の内容あるいはそれの量的な問題を参酌して、いわば行政組織的に考えるべきものではないか。  そう考えますと、税務争訟のうち九割をこえるものが事実認定でございまして、そういう意味ではむしろ行政段階の再審査のほうがより適合し、迅速に処理ができ得るという判断がございます。件数から申しましても年間数万件もある異議を直ちに司法処理に持ち込むことは適当でないのではないか。そういう意味では他の大量処分の例にならいまして、国税に関しては訴願置主義——訴願ということばは古くなってまいりましたが、一応訴願前置ということばが使われておりますから、訴願置主義をとるという形になったかと思います。
  19. 田中昭二

    田中(昭)委員 いまのお答えを聞いていますと、具体的には、たとえば不服のある人がこの審査機関を経ずして直接出訴したい、訴訟を起こしたい、こういうことをはっきり言いまして、そういうことができるということになるわけでしょうか、その点どうですか。
  20. 吉國二郎

    吉國(二)政府委員 訴願前置の規定を置く限り、その訴願を経ない訴訟というものは訴訟条件を欠くものでございますから、これは却下をされるということにならざるを得ない。やはり審査を行なって、その決定に対して出訴するというのが法律のたてまえになるわけでございますが、それがいわば訴願前置でございます。
  21. 田中昭二

    田中(昭)委員 いま訴願置主義の説明みたいなことになったわけてすが、そうしますと審査機関を経なければ訴訟を起こせない、こういうことですね。
  22. 吉國二郎

    吉國(二)政府委員 さようでございます。
  23. 田中昭二

    田中(昭)委員 そうしますと、どうしても国の行政に対してそのようないわゆる課税処分に対する司法の審理を回避するような形になると私は思うのです。ということは、結局納税者権利救済を制約するということになるのではありませんか。
  24. 吉國二郎

    吉國(二)政府委員 司法処分を受けることを回避するということは、逆に司法処分よりもより迅速に解決がはかられるということを意味すると思います。司法処分をどうしても受けたい人は審査を受けてさらに司法処分を受けようとするわけでございますから、この前置があるために司法処分を避けることになるという結果にはならない、そのように考えるわけでございます。  また、従来裁判所に出訴した者で判決を得た者につきまして、それが一体何年かかっているかというケースを調べてみましたが、大体二年半以上かかっております。その審査の前置がございましても、三カ月を経過すれば当然に出訴権を得るわけでございます。そういう意味では、審査決定でいま九割八分くらいは満足すべき結果を得て出訴しないわけでございますから、そういう意味では、むしろ審査の簡潔な処分というものが納税者の利益に合致をしておると率直に認めるのが私ども立場であるわけでございます。審査の前置があるから出訴権が制限されてしまうということは客観的な事実としてはあり得ない、かように考えるわけでございます。
  25. 田中昭二

    田中(昭)委員 それでは法制局の第三部長来ておられますか。——政務次官、聞いておいてください。  いまいろいろ質問申し上げましたが、それでは具体的に納税者が、自分の納税について誠意ある証拠をそろえておる者は、直ちに行政庁の誤りということも予測できますから、ですから訴訟に持っていこうとしましても一応形だけ審査裁決を受けなければならない。私はすぐ訴訟に持っていきたいのだけれども、そういうことができないとするならば、審査裁決機関のどういう結果をもって、その結果によって出訴するのか。本人は初めから訴訟を起こしたいという希望がある、それに対してもこの不服審判の規定があるために、そういう形式的なことだけを要求するのがこの不服審判所設立された意味ではない、こう解釈するのですが、その点いかがでしょう。
  26. 吉國二郎

    吉國(二)政府委員 お説のとおり形式的な手続を経させるのが目的でないことは明らかでございます。現在、御指摘のように、納税者裁判所判断を受けようという場合には、納税者に確信があるわけだと思います。確信がある限り税務署あるいは審査段階で簡易にそれが正しいと認められるほうが、より結論としてはいいと思います。裁判所に、その審査機関があなたのおっしゃることは正しいといって認めた場合に、さらに訴訟を起こす実益はないわけです。納税者は訴訟を起こしたいのではなくて、問題は、自分の正しい意見どおり解決してほしいというところに希望があるわけであります。どうでもこうでも訴訟を起こしてやらなければいかぬということではないと思います。そういう意味ではそういう正しい確実な証拠を持った納税者の場合は、行政段階でも問題は早急に解決すべきものである、かように考えるわけであります。そこに主観の相違があって認められないときに初めて裁判所判断を仰げるということになるかと思います。
  27. 上村千一郎

    ○上村政府委員 実は田中先生、十分御存じかと思うのでございまするが、たとえば憲法上国民が裁判を受ける権利を奪われることがないという規定は、過去におきましてもいろいろな学説、意見が出てまいりましたが、現在のところ、たとえば最終的にその司法裁判官ですね、司法裁判所において裁判を受けるその権利を阻害されないということで、前置主義というものにつきましては違法ではないということになっております。たとえば準司法の中でも家庭裁判所事件、たとえば離婚だとかその他家庭裁判所事件などが一応すぐ、争いがあって、もうとてももとへ戻るようなものではない、こんなものは訴訟でいかなければだめだといいましても、家事調停を一回やらないと訴訟ができないたてまえになっております。これが要するに前置主義で、たとえば行政関係におきましても訴願置主義をとっておりますし、また、今回の不服審判の関係におきましても、一つの前置主義であることは間違いないと思います。この前の各参考人が述べておりまする点からいいましても、前置主義をはっきり認めておるわけでございます。でございますので、田中先生も十分御承知のことであると思いますが、前置主義をとりましたからといってこれが憲法違反にはなっていない。ただし、いつまでも司法上の救済が求められないということではいけませんので、できるだけ早くやるとか、あるいは一定の期間を切るとかいうようなことで憲法上の救済を認めていく、こういうようなたてまえになっておるわけでございます。  そんなわけでございますので、結局現在の不服審判所というものにつきまして一つの前置主義をとっておるわけでございますが、憲法上は違反でないであろう、こういうようなわけでございますが、先ほど先生も御指摘のように、法制局の第三部長きょう出ておるといいわけでございますが、それからもきっと答弁するかと思うわけでございます。
  28. 田中昭二

    田中(昭)委員 いま私が具体的なことを申し上げたことに対して、私は主税局長の話の中から、あくまでもこの法律をつくったほうの立場だけからおっしゃったように思ったのです。というのは、申し立て人は問題解決のために出訴するのではないか、それはもちろんそうでございますけれども審査庁を経なくて私は訴訟を起こしますという人もいないじゃないと思うのですよ。そういう人に対しては、それでは憲法上の規定からも考えて国民の権利を制約することになりはしないか、こう言っているわけですよ。ですから審査庁の審査を受けることを希望する人は、それはもちろんそれを通っていくのがあたりまえだ。しかし、それを通したくない。明らかに行政上の間違いもあって、やはりそれをいえば、いわゆる審査庁の段階においてこまかい調査を受けたりいろいろなことがあるわけですね。その結果、それじゃ審査庁の決定はもう絶対正しいかというと、そうばかりもいえない問題もあるということを考えていくと、そういうような行政といわゆる納税者出訴権の制約というような問題は、法理論的にも納税者権利救済に結びつかないという意見もあるのです。もう一回。
  29. 吉國二郎

    吉國(二)政府委員 学者の意見の中に、この間の北野参考人のような意見もあることは事実でございます。憲法解釈を極端にきびしく考える学者の中には、確かに訴願前置はできるだけ廃止すべきであるという考え方もございます。結局この問題は、憲法の総体の解釈としては、もちろん憲法違反ではないわけでございますが、まさに御指摘のように具体的な行政事件の案件の性質から見て、訴願前置するほうが納税者の便宜その他にもよろしいという考え方をとるかとらないかの問題であると思います。  御指摘のように、どうしても直ちに出訴したいという納税者ももちろんあると思いますが、そういう意味では、訴願前置をとればそういう人がややつまらない手数をかけたという結果になりかねないというごとは事実だと思います。ただその場合も、私が申し上げましたように、審査機関というものは決して行政の誤りをおおい隠すためにあるわけではございませんので、そういう明確なる不服に対しては、訴訟という費用と日時のかかることをやらなくとも、おそらく問題は解決するであろうということにおいて、具体的な場合に納税者が非常に不便を感ずるということはまず考えられないのじゃないかという判断を申し上げたわけで、これは主観的にはいろいろ考え得る問題だとは思いますが、先生のおっしゃることも決して私否定するわけではございませんが、制度として立てた場合にはやはりそういう制約はどうしてもできる。その制約自体が憲法違反ではないとすれば、全体の不服審査の動きがそれで最も合理的であればそれをとらざるを得ないのではないか、かような意味で申し上げたのでございます。
  30. 広沢直樹

    広沢(直)委員 関連。いまのお答え、両方の利点があると思うのです。憲法上の純然たる意味からとった場合においては、やはり直接出訴したいという者もあるわけですから、そういう制度ではなくて——一応はこの前置主義でそこを通らなければならないその利点もあると思うのです。いま上村政務次官のお答えをいただいたように、納税者は早く解決したいのだ、これはそのとおりだと思うのです。争いのための争いではないわけですから、早急に解決したい。しかしながら、こういう不服審査のところまで通過して、やはりこれで解決できないから出訴するということになれば、一応悪い面から考えていけば、そこをろ過していくわけです。裁判所においてもその主張というものが取り上げられる結果になる。純然たる意味においてその事案を初めから考え直すというたてまえから考えていくと、直接出訴できるという制度を設けてもいいじゃないか。両者があるわけですから、何もそこを一ぺん通っていかなければ出訴できないという規定にしてしまう必要はないじゃないか、こういうように考えられるわけです。  ですから、早くという場合は、それは原処分庁でも異議申し立てで処理できる場合もたくさんある、あるいは不服審査機関に持っていかなければならないものもあるし、あるいは国税審査会できちっとしなければならないものもある。いろいろな段階があるけれども、それは納税者の自主性にまかせて、どちらでもいける方法を考えていくことが、納税者の不服の問題に対する救済という根本から考えたらいいことではないのか。こういう点についてはどうですか。   〔委員長退席、倉成委員長代理着席〕
  31. 上村千一郎

    ○上村政府委員 実は、いま先生御指摘のような考え方も考えられるわけですね。けれども、大体前置主義をとるような場合におきましては、その制度において一応そこをろ過させようという考えが前置主義の考え方です。いま先生のお考えは、もちろん考え方によって何も不可能、不合理というわけじゃないですけれども、しかし、そこで基本的に違いますのは、それをろ過させるのを、その判断を申請者本人がやるのか、それとも第三者機関が一回仲介しておいてろ過させるかという考え方です。たとえば一番わかりやすい点を考えますと、夫婦関係の離婚の問題が起きる、ところがそれがもとへ戻るのか、全然だめなのかというのは夫婦ですから本人でようわかるわけですよ。わかるわけですけれども、しかし、わかるのだったら何もそこで調停制度をとって、仮調停で一回ろ過して、その後だめだったら本訴に持っていくというようなことを考えぬでもいいのじゃないか。それは実際自分が一番ようわかるのだ。しかし、どっちみち一回は、戻るか戻らぬかわからぬけれども、一応第三者が、調停者が入ってやって、そうしてだめだったら出訴するというような考え方で、結局一回調停なら調停を前置して、それから本訴へ持っていくという制度を準司法機関の中でもとっておるわけです。  本件の税務紛争関係につきましては、本人でようわかるわけであろうけれどもが、しかし、とにかく一回、非常にたくさんの事件税務関係にはございますので、これを直ちに司法機関にストレートに持っていったのでは、現在司法機関内部におきましても、処理能力その他いろいろな点においても真の急速な処理ができぬだろう、なお税務関係につきましては法律判断よりも事実判断が非常にたくさんあるだろう、こういうことで一回前置主義をとって行政機関内部において解決し得るものは解決していこう、こういう思想のようでございます。これが結局、この前の参考人の東大の金子教授などもその点をはっきり言っておりましたと思います。先生のおっしゃるようなものの考え方もございますが、いま政府が出しておりますものの考え方並びに調査会などの答申の線も、いま政府が考えているような考え方に相なっておるわけでございます。
  32. 広沢直樹

    広沢(直)委員 いま例をとられましたけれども、そういった離婚問題の場合においては、やはり感情問題とか性格問題が入ってきているわけですね。調停裁判というのは、一応片方は別れたいと言うし、片方は別れたくないと言う、だから両方の意見を聞いて、別れないという立場に立つのが一番いい。円満に解決してやろうというところの調停であって、初めから両者が別れようと思ったら何もそんなところに行く必要はないのです、協議離婚になるのですから。こういう場合と税の不服の場合とおのずと利害関係が違ってきていると思うのですね。  ですから、それを前置主義の中に当てはめてしまって、これをどうしてもろ過しなければいけないのだ。そうしたら徴税行政の違憲というのはもちろん出てまいりますね。純然たる出訴をして、そこの場できちんとしたいという形を制約するような形をとることは、憲法に書いてある、そういう裁判を受けるということができるという権利を制約することになるのじゃないか、それもできるという制度はどうして設けられないのか、こういうことなんです。何もいまの前置制度が悪いと言っているわけじゃないのですよ。それで解決できるものはたくさんあるのですから、また、スピーディーに解決してもらいたいというのが不服審査を申し立てる人の心情ですからね。しかし、この問題は重大であるし、どうしてもこういった事例は、いろいろな例を聞いてもどうしようもない。どうあってもその主張を通したい、こういった場合にはやはり裁判所に直接出訴できるという道を設けておくのも当然じゃないか、こういうわけなんです。どうですか。
  33. 上村千一郎

    ○上村政府委員 実は私、例が、何も直接に関係のある例じゃございません。ただ、私がそういう例を出しましたのは、準司法制度事件ですでに調停前置主義をとらぬ先はストレートに全部訴訟を起こし得る事件なんですね。そういう事件でも、要するに調停前置主義をとって、そして一回ろ過作用をさせようとするわけです。まして純然たる行政事件におきましては訴願置主義も従来からありますし、純然たる司法事件においてすらそういう事例があるのだから、私はいま言ったように、直ちにストレートで出訴するというのをセーブしていく、ろ過をさせるというのはむしろ行政事件、特に租税事件においてはより適するのであって、ストレートにその人々の判断によって、一部は直ちに出訴し、一部はろ過させるというよりも、むしろ選択権を個々に与えずに一括してろ過させるほうがより適すると、こういう事例で申し上げたわけでございます。
  34. 広沢直樹

    広沢(直)委員 それでは時間の制約がありますからこれでやめますが、これは選択の問題を自由に与えるべきだという考えを私は持っておるわけです。ですから、明日質問がありますので、明日また突っ込んでお話ししていきます。
  35. 田中昭二

    田中(昭)委員 法制局の見解はどうですか、いまの前置主義の問題。
  36. 荒井勇

    ○荒井政府委員 法制局の立場から見ますと、それが憲法上どうかという問題になろうかと思いますけれども憲法で国民の権利保障として裁判を受ける権利を第三十二条に書いてありますが、それは「何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪はれない。」ということでございまして、裁判を受ける権利を奪うということであるならばそれは憲法違反であるということになりますが、訴願前置というのは、御承知のように、その訴願というか、行政不服審査というものを前提として、その手続を経なければならないということをいっているだけでございまして、裁判を受ける権利を取り上げているというわけではないという意味で、それ自体が、たとえば行政事件訴訟法の第八条で書いておりますような原則が、それがストレートに憲法違反であるということにはならないというふうに存じます。  それから行政事件訴訟法の第八条の場合におきましてもただし書きがあり、そのただし書きの場合においても、「次の各号の一に該当するときは、裁決を経ないで、処分の取消しの訴えを提起することができる。」ということで、不服審査前置ということを書きましても、「審査請求があった日から三箇月を経過しても裁決がないとき。」あるいは「処分処分の執行又は手続の続行により生ずる著しい損害を避けるため緊急の必要があるとき。」それから第三番目には「その他裁決を経ないことにつき正当な理由があるとき。」という場合には裁決を経ないでストレートに訴訟を提起できるということが書いてありまして、これは国税通則法におきましてもそういう行政不服審査前置の原則に対する例外として、そういう緊急な必要性があるとか、一定の期間経過しても裁決がないという場合には行政不服審査手続における裁決を待たないで訴訟を提起できるということに現になっているわけでございます。
  37. 田中昭二

    田中(昭)委員 その前置主義が違法であるかどうかという、そういうことを言うのじゃなくて、憲法できめておるのはそういう国民の権利を取り上げてはならない、こういう個条だろうと思うのです。ですから、いま具体的に訴訟を望んでおる者がなぜ訴訟に持っていけないか。政府のほうとしてはそのような前置主義を通すことがいいということでしょうけれども、いまのように行政の誤りというのはそういう手を経なければ改まらないですよ。それどころか、それをやってもまだ法の執行者は法というものに立てこもってそれを通そうとするのです。そういう事実があるのです。  これはいまからまたずっと問題に入っていきますが、いまの法制局の荒井さんの話では私はまだ納得できない。いま言いましたように、不服があるのに審査上の形式的なそういうものを経なければ裁判に持っていけない。政府側も訴訟にすぐ持っていってもらうということを望んでいるのじゃないですか、現況をよく見たならば。そういうことを私は聞きます。それはなぜかというと、問題に入っていくわけですが、税に対する訴訟問題がふえているということはどういうところに原因がありますか。現場意見とそれから主税局の立場と、法制局はそれをどうしていくかということについてお伺いしたい。
  38. 亀徳正之

    亀徳政府委員 前回、河村先生の御質問にもその点お答えしたのですが、この件数の増加の中にはいわゆる集団的な訴訟がやはり若干あるということと、それから全体の中から見ますと現在の、たとえば不服申し立ての事案が三万件をこえる、それから審査決定の事案が一万件をこえるという事態を考えますと、まだまだ何といいますか、先ほどの議論にまた触れることになりますが、やはりある程度行政段階でこなしていくという体制がいいのではないか。御存じのように、訴訟というのは期間が非常に長くかかります。やはりある程度しぼって訴訟ができるというほうが結局納税者やまたお互いの問題の解決の上においては便利ではないか、かように考えております。  それで、先ほどの訴訟の件数は確かにふえておりますが、これはむしろ原因は集団的な訴訟の件数の分が多いのでございまして、絶対的にいまわれわれの処理に対する問題が急激にふえたというふうには、私、考えておらないのです。
  39. 吉國二郎

    吉國(二)政府委員 ただいまのお尋ねは、税務決定に対して不服が多い理由ということを聞かれたと思ったのですが、訴訟でございますか。——訴訟が多くなった理由というのは、いま国税庁長官が申しましたとおりだと思います。一つは全体の件数が多くなっているということ、それから一部に集団的な訴訟をするという動きがあるということから最近ややふえておりますが、それにいたしましても千件以内という状況だと思います。  いままで問題になっておりました点を申し上げたいと思うのでございますけれども、前置主義につきましては、これは従来が前置主義であった。これをどうするかというのは、実は税制調査会でもずいぶん審議をした問題でございます。たとえばアメリカのように、納税者がきめられた税金を全部払ってしまいますと直接司法裁判所に出られる。もし税金を払わないなら、いわばタックス・コートに行かなければならないという制度一つの考え方ではないか。納税者がとにかく税金を払ってそのかわり正々堂々と戦うぞというときには、直接出訴ということも考えられるのではないかということも意見が出たわけでございます。アメリカの制度でも司法救済を、税金を全部納めていないと受けられないというところに非常に問題があって、そこで行政司法の中間のようなタックス・コートというものをつくった経緯があるわけです。このタックス・コートがまた六千件ばかり出訴がございますけれども、実際に決定を下すのは六百件くらいであって、あとは全部時間がかかるというので、結局税務署との間で話をつけて取り下げてしまうという結果になっておる。これは、アメリカのタックス・コートというのは、裁判官が十四人で巡回裁判をしておるということで、本質的には無理な問題であります。  そういうことで、いろいろ検討いたしましたが、結局この間金子参考人が申しましたように、確かに訴願前置というものを取りはずした場合にどれくらいの訴訟が起こるかということはまだはっきり言えない。けれども、もしも相当数のものがいった場合には、いまの体制ではかえって裁判所自体が件数をかかえて動きがとれなくなる。納税者のほんとうの意味救済というものがおくれる。さらに他の裁判までにも影響を及ぼすかもしれない。そういう意味からいうと、いまの訴願前置の姿を、一応内容を改善することによって存置するほうが現実的ではないか。一ぺん制度を直すと、あと戻りということはできないということを申しましたが、実際そういうところにあると思います。訴願前置をどうしてもやらなければならぬのだというよりは、いままでの制度訴願前置ということで動いてきたいまの制度を、にわかにここで変革するにはそれだけの準備がまだ十分ないということも言えるだろうと思います。そういう意味では、この不服審判所というものが機能をいたしまして、相当にその行政の不服に対する審判というものが客観的に、法律的にだんだんと整備されるような段階になってまいりますし、不服そのもののあり方も進歩してくるかと思います。いまは進歩していないという意味ではありませんが、法律的に整備されてくる。そういう段階が来ると、またこの問題も新しく考え直されてしかるべき問題かと思いますけれども、いまの段階で、従来続けてきた前置主義をここで撤廃するのは、時期尚早であるというのが、この間の金子先生の意見でございます。私どもはもう少し強くは考えておりますが、似たような考え方であるということを申し上げておきたいと思うのです。
  40. 荒井勇

    ○荒井政府委員 最近、税務に関する訴訟事件がふえてきたではないかということでございますが、まだ件数としてはともかく百件台であるということで、それが法律制度として顕著な異常性というところまでに至っていないのではないかというふうに考えます。  それから、その訴訟の処理の状況でございますけれども、五百件台なりあるいはそれからもう少し四十二年度においてふえておりますけれども、毎年処理されておるというのが、最近の三年度間で見ますと、取り下げを含めまして二百九件、二百五十九件、二百六十八件ということで、取り下げを除きますと、実質裁判で結審をしたというものは、あげていきますと百七件、百五十一件、百三十五件という件数にしかすぎないといいますか、そのような件数にとどまっておるというような状況から見まして、裁判による処理の能力というものは、現在の体制で急激に拡大を望むことは、どうも実情として無理ではないのかということを、一応この統計的な数字のほうから考えるわけでございます。
  41. 田中昭二

    田中(昭)委員 それは裁判をどんどんやればいいのであって、いろいろな事情でできないといえばそれはそれまででありますけれども、問題は、私がいま聞いたのは、訴訟件数がふえておるが、もちろんその処理も早く処理していかなければならない、そういう姿勢が必要ではないか、こういう意味で私はお尋ねしたわけです。それ以外のお答えが多かったようでありますけれども、そういうふうにこの課税に対する不服の申し立ては原因まで突き進んでいきますと、明らかに課税庁のほうの間違いと、それから納税者の知識が足りないことと、そのほかの理由がいろいろあると思うのです。ですからそうするならば、当然それに応ずる措置をとっていくのが、第三者機関なり並びに訴訟関係者の立場でなければいけない、こういうように私は思うわけです。そういう点についてのお答えがあまりないようでございますが、時間も制約されておりますから、次に移ります。  納税者が不服を言った中で、審査庁においていろんな決定があるわけですが、その中で課税庁の処分を全部取り消した、それから一部取り消した、それから裁判においても、取り下げ以外の判決を言い渡したというようなもの、これは年々どういうふうになっておりますか。
  42. 亀徳正之

    亀徳政府委員 とりあえずいまの御質問、全部取り消し、二部取り消しのこまかい数字までの話、いま手元に四十二年度の分を持っておるわけでありますが、取り下げ、却下、棄却の数字はこの間申し上げました。一応パーセンテージを申し上げたほうが感じが出るんじゃないかと思いますので、これは異議申し立て、審査請求双方申し上げます。  異議申し立てのほうから申し上げますと、四十二年度で発生件数が総体で三万四千七百七十八件でございますが、その中で納税者の方も勘違いしておったとか、いろいろなことで取り下げられたものが一七・三%、却下が四・八%、それから棄却が三〇・三%、それから一われわれのほうのあれが間違っていたではないか、原処分庁のほうを取り消しその他いたしましたのが四七・二%でございますが、それを分けまして、全部取り消したものと一部取り消したものに分けますと、全部取り消したものが一八・九%、それから一部取り消しが二八・三%、その他が〇・四%、かようなことになっております。  それから審査請求のほうを申し上げますと、四十二年度で発生件数が全体で一万二千四百二十件でございますが、そのうち取り下げが一四・八%、それから却下が九・七%、棄却が三六・八%、それから全部取り消しが一四・二%、一部取り消しが二三・九%、したがいまして、何らかの形で納税者側の主張が認められましたものが合計三八・一%、それからその他が〇・六%、かような数字になっております。
  43. 田中昭二

    田中(昭)委員 その全部取り消し、一部取り消しということは国側が間違っておったということですね。それじゃ、そういうものが約半分近くある。四〇%以上ある。   〔倉成委員長代理退席、委員長着席〕 これに対して主税局長並びに政務次官のお考えを聞いておきたいと思います。もう件数はいいから、私が聞いたときはそのことだけ言ってください。全部取り消しは幾らか、一部取り消しは幾らか、こう言ったわけですから、もう余分なことを言うとそれだけ時間がもったいないですから。
  44. 吉國二郎

    吉國(二)政府委員 ただいまの御指摘のとおり、四〇%程度のものが全部または一部取り消しになっておるという点は、税務署の決定に対する不服が出た場合、やはりその不服には相当の理由があるということを示しているものだと思います。税務署が決定した件数はこれよりはるかに多いわけでございますが、それに対して不服があって、その不服がいいかげんなことで出てきたわけではない。したがって、半分くらいはやはり税務署がその不服が出た範囲では間違っているということはあり得ることだと思います。また、それを率直に認めていくというのが不服審査の本来の姿であろうかと思います。
  45. 上村千一郎

    ○上村政府委員 従来の不服審査制度におきまして相当の成果があがっておったという一つの証左であろうと思います。ただ今回の改正につきましては、どうも同じ穴のムジナじゃないかというような批判が出ておりまして、それをできる限りそういうことにつきましてそうでないようなことを考えていきたい、こういうようなこと、それからもう一つ、従来述べておりますように、全体の制度の点をも考えながら今回のような原案をつくったわけでございます。
  46. 田中昭二

    田中(昭)委員 実行機関じゃないほうはそう簡単に結果だけを論じておっしゃいますけれども、それじゃ税務署の決定した、不服を申し立てなかったものは全部正当な決定か、そこまで考えてやらなければいけないと思うのですよ。ほんとうは不服申し立てなんかしても、それはでき得れば、それは間違いについて訂正することは役所の中で誤謬訂正でも何でもあります。進んでやるならばそういう形でなければならない。わざわざ納税者から不服申し立てをさせて、それをぎょうぎょうしく審査機関を経て、そうして更正した国のほうが全面的に間違い——全面的というとなんですが、全部取り消し、一部取り消しということで、全面的な間違いが半分近くありました。そんなことは、逆の見方から見れば、だらしがないじゃないか、そういう行政こそ直していかなければならない。ですから問題は、そのような全部取り消し、一部取り消しがそれじゃどういうふうに決定されたか、そこの原因の追及なり反省なりが行政官庁になければ、裁判所もたくさんかかえて処理し切れません、そういう問題になってくる。  先ほど、特殊団体がふえたから件数が多くなったということですけれども、それじゃ特殊団体に対してどのような前向きな方法を講じておるか。そういう点を突っ込んでいったら、足りないところはたくさんありますよ。私はそれに触れなくて、それはそっとして話を進めておるわけです。ですから、第一線の現場最高機関である亀徳長官は、そのことについてはたいへん悩んでお疲れのことだと思います。やはりしらがもふえるようにお疲れになっておる。私も前から知っておりまして、長官はほんとうに人が好く人格者であるということも十分知っておるわけです。だけれども現場でそのような国が間違いであるというようなことが、何でぎょうぎょうしく国家の権力において更正決定されて税金を徴収されるか。  もう一ぺん前置きに話しておきますが、先ほど裁判訴訟に持っていけば時間が長くかかる。長くかかっても、法律でちゃんと納税者の言い分を認めれば納税者はけっこうですよ。更正決定しても強制徴収なんかやらない。そういうような法的な裏づけが納税者に有利に働いておるならば、何も何年かかろうとそっちのほうを望んでおるはずなんです。ただ、審査という機関を経ていくと、何べんも調査をされたり、そしていろんなめんどうを見ることを納税者の側に立って考えれば、それのほうがめんどくさい。そういうこともございますが、ちょっとその問題は過ぎましたから、どうか法制局のほうも、そういう問題はただ法律をつくるということだけにこだわらずに、現場の実情というものを見ながら、それがどのように国民に納得のいく処理方法と努力がなされたか、そして悪いものに対しては悪いという確固たる措置をとってもらうことが国の当然の義務である、こういうふうに私は思うのです。  そういうことで、この問題についてはもう少し掘り下げて、それじゃ全部取り消しされた件数の中、または一部取り消しになった件数について国税庁はどのように——私はこのことについて前もって資料の提出を要求した。ところが、何だかんだといって間に合わない。間に合わないならばいいですから、期間をかけてもそういうことを解決しなければ、どんなにこれが協議団不服審判所になっても問題の解決にならないでしょう。原因をよく見なくて結果だけを、やれ件数がふえたの減ったの、どうのこうのというだけでは問題の解決にならない。その国側が間違った更正をしたということについて、大いなる反省とそういうことはやらないということにすれば、それだけもうこの不服の苦情は出ないわけです。それをやらずしてこれをどんなに審議してみても、私は審議することをいけないとは言いませんけれども、問題の解決にならない。この提案理由には、納税者権利救済を整備充実するためだ。そんなこと、ことばだけじゃないですか。ですから私は、有能なる長官でございますから、その点に立っていわゆる全部取り消し、一部取り消しの中から実例を言って、それに対してどのような考え、また主税局もそれを受けて、この精神に立ってもう少し——審判所のいままでの項目の中にもいろいろな規定があります。審判所だけが都合のいいような、納税者がその点を明らかにしなかった場合にはどうのこうのという問題もございます。あとで触れますけれども意見をお伺いしておきたいと思うのです。
  47. 亀徳正之

    亀徳政府委員 個々のケースの調整でございますが、私は、やはりこういった異議の申し立てなり不服なりその個別の案件の中に非常に一般的な、やはりわれわれが反省しなければならない事案がいろいろ多いということは先生おっしゃるとおりでございます。そういった意味でも従来こういった不服申し立て事案、審査決定事案というものを地方の国税局長がいろいろ見て、同時に、それを行政段階でもいろいろ反省材料にするということは非常に多いわけでございます。われわれも今後一そう——こういった単に制度をこういたしましたからそれでけっこうですということではなくして、やはり個々の事案にあらわれたその中に、われわれ行政庁として反省しなければならない一般性を持った点が発見されますので、そういう点をむしろ具体的にとらえ、整理して、今後のわれわれの税務行政の改善に資していきたい、かように考えております。  個々の全部取り消し、一部取り消し、いろいろな事案をいま精査しておりますが、なかなかこれを系統的に申し上げることは困難かと思います。いろいろ調査の段階で、納税者の方の説明が不備だということで逆に推計をして課税をしてしまう。しかし、後ほど異議の申し立てあるいは審査の請求が出て、実はかくかくの状況であったということの状況が的確にわかれば、やはり原処分をすなおにわれわれとしても取り消す、そういったケース、まあ多種多様にわたっております。しかし、私が申し上げたいのは、個々の話もございますが、そういう個々の話を通じてわれわれの税務行政段階のいろいろな問題を発見して改めていくというその心がまえがこういった問題を解決するときに非常に大切なことではなかろうか、かように考えておる次第でございます。
  48. 田中昭二

    田中(昭)委員 いま私、具体的な例をあげて説明いただけると思っておったのですが、それがありません。このことについては資料要求もしておりましたので、それから取り上げて明らかにすることが——私は先ほども言いましたし、主税局長も言われましたが、課税処分庁が決定したものは、不服申し立てした以外のやつは全部正しいのか、正しいです、不服申し立ての中でこれだけでございます、そういう説明がございました。課税処分庁が課税したものが、極端な言い方をすれば全部正しくないかもしれませんよ。そういう実例がある。過去三年前に調査したものが、その後調査に行ったところが課税漏れということがわかってきた。大体いまの税務行政の実際の実態から推しはかってごらんなさい。極端にいえば全部間違いかもしれない。しかし、人間には能力がありますから、そういう段階で正しいとして決定されておりますが、いま決定したものでもまた別人が見たならば違ってくるのです。そういう実情をわきまえておるならば、私がいま要求したことに対して答弁ももう少し前向きでなければならないと思いますが、長官がおっしゃらないから私のほうから言っておきます。これを参考にして私はもう少し詰めていきたいと思うのです。  全部取り消しした中に、三百十万三千円の譲渡所得があるといったものを、異議申し立ての結果、審査請求までいっていますが、全部取り消ししている。この内容を見てみますと、保証債務があったものを譲渡所得として簡単にいえば課税しておりた、こういう例なんです。これはいろいろございます。それが全国では一万何千件あるわけです。一部取り消しは一万五千件ある。その中の一つです。もう一つは、会社がリベートをやる。そのリベートを、リベートじゃない、それはその出荷団体に対する寄付なんだ、そんないいかげんなことをして認定書をきめている、超過部分は。ところが再調査の結果、これも全部、それは寄付行為じゃない、明らかなリベートなんだ、こういう決定になっておる。これはもう中にはほんとうにとほうもないような決定内容があるのです。ですから、そういうことに対して、私は一番初めから言っておりますように、政府側、国側のそういう更正に対する調査がどのようになされたか。ほんとうはそこまでしなければこの問題の真の解決にならない。それは実際自分が更正決定を受けた身になってみなさい、何十万という税金です。特にサラリーマンなんか譲渡所得があり得ることです。中には二億というような金を全部取り消ししたり一部取り消ししたものもありますよ。これは家が建つのに入居予約金として入れておった、ところがそれは貸し付け金だ。それはそういう見方をすればそういう見方もできるでしょうけれども、現実に家を建てる予約金として入れておったものが貸し付け金であるといって、更正したものがまた取り消された。その取り消しの方法も、双方の妥協によるような取り消しのしかたです。こういうのが審判所裁決に残っていくならば、これは大きな納税者権利の侵害になっていくのです。  どうですか、主税局長、政務次官、そのような国の間違いを、間違いがありましたから訂正しました。それも税務署という第一線の機関を経て調査の上更正して審査庁に持っていって、その議を経てそういうふうなことが行なわれておる。その間納税者は、いま言うたように精神的にも金銭的にも——法律をつくる人はそういう被害のといいますか、明らかな被害、損害の度合いがわからないのじゃないですか。しかし、その問題を処理するとするならば、そういうことがわかった上でなければ救済方法にならないじゃないですか。そういうものがここで開陳されて、そうしてなるほどこういう問題がありますから、こういう問題については納税者の今後の問題も含めて、行政庁の間違いは間違いだということを何らか示さなければ、私は苦情、不服が解決しないと思うのですが、いかがでしょう。
  49. 吉國二郎

    吉國(二)政府委員 御指摘のように、税務署の調査が非常にずさんであったために、それが行政不服で直されるということであれば、これは相当な問題だと思います。やはり行政不服等につきましては、税務署も相当なる確信を持って、しかも納税者も相当な確信を持っておる、そこで争いがあって、それが直されるということが本質だと思います。単なる粗略な間違いがそのまま上がってくるということは、第一線としてはできるだけ努力して直していかなければいかぬことだと私も思います。  ただ、御承知のとおり、国税庁長官は言いにくいと思いますので、私が申し上げますと、国税庁は五万人の職員を持っておりますが、いつも申しておりますように、所得税の係員というのは一人で千人を担当しておるというような状況であります。一方においては、世間では九・六・四というようなことがいわれ、税務調査の不十分がいわれております。また、先生御指摘のように調べてみても、たいてい間違っているというのは少ないほうに間違って——多過ぎて間違っているケースもあれば、少な過ぎて間違っているケースもあるというのが実情だろうと思います。そういう意味では第一線が非常な努力をし、誠意をもってやってもかなりなミスもあり得ることはお認め願いたい。これは、そういう言い方はいかぬとは思いますけれども国税庁にかわって申し上げればそういう感じがするわけであります。ただ、そういうミスをできるだけ少なくして、更正決定の際には十分に納税者立場を聞いて、そこで間違いのないように個別の事情をよく聞くということを国税庁としては常に努力しているわけでございます。それを続けていってこういう点であまり見落としのない決定をするべきであるということは、私も今後の努力にかかっていると思います。  先ほど御指摘のございました譲渡事案などは、確かに譲渡所得はあったけれども、保証債務があって、それを履行して、その所得が消えた場合には課税しないという法律が御承知のとおりございます。ただ、その場合におそらくこの事案は、私も聞いたことがあると思いますが、課税をした際には、保証債務は履行をしたけれども、相手方からまたさらに求償権が得られるという見込みがあった事案だったかと思います。その後当事者としてはもうつぶれておると思っておったけれども、客観的には被保証者がまだ健在であって求償権が残っているために、譲渡所得をオフセットできない問題だという解釈課税をしたところが、その後この会社がつぶれ、さかのぼってみるとそのときにすでに求償権の履行不能という状態があったということで取り消した例だったと思います。そういう客観的に判断の不能な場合もあり得ると思いますけれども、もしその保証債務があれば、そしてそれを履行し、相手が求償権にこたえ得ないという状況ならば、譲渡所得はそこで控除されますということを相手が知らなかった。それを税務署がそこまで調べてやれば、そこで課税しないで済んだというような実情であった。それはもう一歩深く税務署としては努力すべきだったと思いますが、そのケースは、そのときに相手方が健在の状況を示したために、保証債務が履行はされたけれども、結果においては求償権でまた回復される債権が依然成立をしておるという判断でやったケースだと思います。  しかし、それは間違ってないからほかも間違ってないと申し上げるわけではございません。それは確かにそういう実情等、法律が相手にわかっていないときには、その法律の問題の点まで調べるのが理想だと思います。ただ、人員その他の点もございまして、今後ますます改善を尽くすべく努力するといたしまして、御指摘のようにできるだけ——不服が全然ないということは、今度は不服審査機構があるだけに矛盾になりますけれども、正当なといいますか、あってしかるべき不服に限定するように第一線は努力すべきものだと私は思っております。
  50. 田中昭二

    田中(昭)委員 問題をいろいろ出していけばきりがないから私はやめたのですが、この中に、もう一つ申し上げておきますが、法人が譲渡所得があった、その場合の時価の見積もりがなされたときに、税務署側にその法人に対する調査で時価を間違えて、そうして二百万からの譲渡所得を全部取り消さなければならぬという、いわゆる基本金額の問題、こういう間違いが、ただミスでありましたというようなことでは通りませんよ。それでは全部一万五千件のあれを正確に検討してやってみてください。私は、いまそういうことを要求しておるわけではありません。  そこで、いまあなたが、所得税は一人で千件くらい担当しておる、こうおっしゃった。こういう問題のときにはそういうふうにおっしゃる。それ以外の、いままでここの委員会でいろいろ言われたときには、一人当たり五、六百人で誠意をもってやっております。そういうことを税務職員の第一線の者にだけ責任を負わしてはだめですよ。そういうことをするからこういう問題が直らない、逆です。それは私本第一線のたいへんなことは何ベんもここで言ってきたけれども会議録を調べてごらんなさい、それに対してお答えがあるときには、大体一人当たり四、五百人から六百人も担当する人員しかいないというお答えになっておる。こういう問題になると一人千件くらい担当しておる、こうおっしゃる。そういう問題がどこから来たかといえば、あくまでも現場の実情がわからないからそういういいかげんなことが言われる、はっきり言えばそうですよ。  ですから、ここでそういうことをまた討議しておりますとなんでございますから、ひとつ実行機関主税局側と——大臣がいらっしゃるならばもう少し深く入ったのですが、いらしっしゃらないから、政務次官から簡単でいいです。国の間違いに対してどう反省し、それが今後の税務行政の上にどういうふうにならなければならないか、こういうことだけお聞きしたい。
  51. 上村千一郎

    ○上村政府委員 とにかく国が間違いをおかすということにつきましては、今後も十分気をつけて間違いのないようにいたしていかなければならない。それで、自分は間違いしたというつもりではないけれども間違いが起きてくる。だから不服の申し立てが出てくる、そういうことになって、多くの他のいろいろな努力によりましてその間違いが訂正されるということになりますれば、先生も御指摘のように、その事案を通じて自分らの今後の反省にしなければならぬ。  こういうふうに思っておりますので、十分従来の事件内容その他を検討し、そうして将来間違いのないように十分努力する、その資料にいたしたい、こう思うわけでございます。
  52. 田中昭二

    田中(昭)委員 お二人の方から簡単に。
  53. 亀徳正之

    亀徳政府委員 先ほども申したことでございますが、こういう機構をつくったからそれでいいということでは決してございません。やはり一つ一つのこういう納税者の不服の中に非常に一般性を持った問題がございます。また、われわれも行政面で反省しなければならぬ面が多々あろうかと思います。そういう点も率直に反省しながら行政の改善に資していきたい、かように考えております
  54. 吉國二郎

    吉國(二)政府委員 御指摘のとおり、この制度運営というものは実態の改善に即応してなされなければならないわけでございまして、ことに不服審判所ができれば、従来と違いまして税務署側もほんとうに第三者判断されるという点で、より慎重に決定をせざるを得なくなると思います。しかし、さらに進んでそれが圧迫になってということでなく、本来の決定を正確にするという努力を基礎に置いて、不服審判所運営が行なわれていくことが望ましいと思います。私ども立案当局といたしましても、実態というものを十分把握いたしまして、この法案を通していただければ、これの実行を通じてさらに改善を考えていきたい、かように考えます。
  55. 田中昭二

    田中(昭)委員 どうも法律を通してもらうことだけに、そうして政務次官からは、ミスは直します。この際、なぜそういうことではまだ足りないかということを、私、いろいろ思索もしてみました。一つは、先ほどから私が言っておりますように、簡単にいってしまえば、すべての税関係法律にきめてあるものが、現場の実情においてはそのとおりいっていない。だから、そういうことではこの法案の審議もただ不毛の論議になってしまう、こういうことを心配して与党の理事にも、現場責任者を呼んでここで意見を聞いてみたらどうだ、こういうお願いをしたのですれけれども委員長もひとつ聞いておいてもらいたいのですが、そういう現場の実際の実務に当たっている人を呼ぶということも、そういうことは慣例がないと言って拒否されました。ですから、このことについての問題の追及は、大臣が来られてからいたしますが、話の順序としていまそういうことを言ったわけですが、そういう私の心配しておることも考えていただくならば、ここで全部取り消しの、いわゆる国側が間違いでございましたというそういう納税者に対しましては、私はミスをおかしませんということでは何にもならないじゃないか。ミスをおかしません、よく審査していきますというのは、それ以外の人に対してはそれは有効かもしれません。しかし、更正決定という課税処分によって、先ほどから言いますように、物的損害、精神的損害を受けた。そして最終的には自分の申し立てが正しいと認定された人に対しては、何らかの前進ある方向を政府側は見つけ出していかなければいけない、私はこう思うのです。時間がありませんから、それでは私から、これは一つの私見として申し上げます。  どうでしょうか、政務次官、そういう納税者に対しては——大体税金というのは反対給付がないですね。取るばっかりで反対給付がないのです。ですから、納税者はそういう面でもいろいろ問題があると思うのですが、反対給付がないような財産権の侵害ですから、それに誤りがあって、国側が全部誤りを認めたのですから、そういう納税者に対しては、今後正確な記帳が行なわれ、正確な誠意のある納税者に対しては三年、五年は調査もいたしません。これは当然だと思うのですよ。いま譲渡所得の問題を取り上げましたけれども、そのほかの中小企業のいろいろな売り上げ、所得、経費等の問題でも、全部取り消しのものを出しなさいと言っても出さない——出さないというより間に合わないということもあるのかもしれません。そういう問題を考えてみたならば、そのくらいのことをするのは当然だ、納税者の言い分が正しいのですから。これは納税者の身になってみますと、税務署の調査というのは、これは調査を受けてみないと、私どもはその心境はわからないと思うのですよ。いい、悪いにしろ、税金がどうであろうと、調査を受けることがものすごく不安であり、泣く子も黙るというような、税務官吏はそういう極端な非難を受けているのですけれども、そういうことを考えるならば、その納税者の誠意ある姿を伸ばしていく上においても、政府側の間違いであった、そういう納税者に対しては、今後三年でも五年でも調査をしない——というとなんですが、調査をしないというような方針でいくとか、特別なことがある場合は別とか、私はそれは当然だと思うのですよ。正確な記帳をしておれば、途中でそれをごまかすなんというようなことはできないのが正確な記帳ですから、かりにそういうことがあっても、また三年後に調べれば、そういうものは正確に記帳がなされておるならば当然発見されるわけです。聞くところによると、法人でも個人でも三年に一回くらいの調査しかしてないということでもあるならば——政務次官もそこはよく聞いておいてくださいよ。そういう問題が全然ない人も三年に一回ぐらいしか調査をしないという現況であるならば、そのような損害を受けた、そして自分の言うことが正しかったというような善良な納税者に対しては、三年を五年に延ばすとか、調査する場合には、それこそ不服審判所の所長とか長官に、こういう政府が間違いをおかした納税者に対しては調査をしないという方向でいきますけれども、こういう状況が起こりましたから調査をさしてくださいというような、そういう手続をとらせるというようなことでもして、納税者を擁護してやるのがあたりまえじゃないか、こういうように私は思うのですが、その考え方についての大蔵省意見をお聞きしておきたい、こう思うのです。
  56. 上村千一郎

    ○上村政府委員 田中先生がおっしゃるようなお心持ちはわかるわけです。けれども、その方法という問題については、先生自身御質問されておる際にもその片鱗がうかがわれるように、その方法につきましてはいろいろ考え方があると思うのであります。端的に一般論を言いますれば、その間違いを起こすという場合におきまして、それがすべて国の責任であるということ、そういうふうにはなかなか取り計らえないと思うのです。だからこそ別な不服の申し立て、それでそれによって間違いを是正するという制度がずっとあるという、そういう基本的な点を考えますれば、すべて間違いが起きたときに国が責任を負うというふうになっていないと思うのです。道義的な責任、反省をする、そういうようなことはもちろんです。ただ、先生がいま言おうとするのは、一つの慰謝と申しましょうか、物的と申しましょうか、そういうようなものにおいて国が責任を負担するかどうかということに相なるのじゃないかと思います。それから故意もしくは重大な過失によってやったという場合にどうするか、故意でやったというような場合におきましては、これは国が責任を負担するということにはもちろんなると思います。また、重大な過失のときはどうするかというようなことは、先生おっしゃるように、現に国におきましても責任を負担をしてやっておる事例もございます。また、刑事事件などにおいて、最初から否認しておりまして、最後に無罪になった場合には、補償制度によりまして、これは金額とかいろいろな点は別でございますが、国がこれに対して金銭的な補償をしていることは先生も御承知のとおりです。  でございますので、いま先生がおっしゃるようなお考えということはよくわかりますが、それでは三年か五年調査をやめておくとかどうとかいうことになってまいりますと、これは課税権もございますし、また、憲法上納税の義務があるわけです。納税の義務があるということは、要するに適正な各方法によって納税の義務があるということにもなるでありましょうから、さあちょっと間違いが起きたからといって、その方について今後三年、四年、調査しないということはちょっとできぬのじゃないかと思うのです。ただし、そういう方について、税務署は間違いをおかしたのだから、要するにその方々は真実のことを言っておりたのだ、真実のことを言っておったところが、それを信用しなかった、そのために間違いが起きたというような点を反省するならば、その方はまじめにやっておられるであろうと、見る見方を変えなければならないという点は、人間としまして反省しなければならぬと思いますが、制度的にまた通達的に、そういうととがあったら三年調査をやめておけとか五年やめておけ、そんなことはいま、先生のお心持ちもわかるわけでございますが、ちょっとむずかしかろう、こういうように思うわけでございます。
  57. 田中昭二

    田中(昭)委員 それでは全然私の言うことがわかってもらっていないような気がするのですよ。国側が明らかに間違いを起こしたということは、先ほどからはっきりしているのです。それでは、その国が間違いを起こしたことについてそのままでは問題の解決にならないじゃないか、こう言っているのです。それならば、国だから間違いを起こしても、間違いは訂正します。これは人間同士のつき合いでも、間違いを起こして財産権の侵害などしたならばお礼ぐらいはしますよ、気分的にも。国ならば間違いを起こして、そういう損害を与えておりながら、それに対してこういう不服の問題が起こらないようにという措置だけでもとれないのですか。そういうところに明治以来の行政の問題点があるのじゃないですか。個人でもそうあるのに、個人が政府からそのような損害を受けた場合に、間違いがありました、訂正しました、そういう通り一ぺんのことでは問題の解決——たとえば不服の申し立てが少ないほうがいいし、訴訟も少ないほうがいい。税務の第一線にいて納税者と話してみてください。納税者がそういうことを要求しておるならば、当然、誠実な記帳によって納税されておる者は表彰すべきじゃないですか。国税庁長官、お願いします。
  58. 亀徳正之

    亀徳政府委員 ただいま政務次官がおっしゃったこと、若干先生誤解されておられるかと思うのですが、政務次官がおっしゃったのは、やはりいろいろケースがあって、全部取り消し、一部取り消し案件を一々見ますと、納税者が当然証明すべきものを証明してこなかったとか、双方のいろいろな事由があって、一がいに言うわけにいかないので、全部取り消しになったものについては、今後何年か調査しないというような機械的なことはできないということをおっしゃったかと思います。  それで、先生の一番の御質問のポイントは、やはりまじめに記帳して、それでそれがもしも税務署の間違いで更正をする、それを直す。よく気がついてみればそれは非常にまじめな納税者だというような感じは、やはり税務署としては大切にしなければいけない。それから、一番大切なことは、やはり間違いを早く直す。直すということは、もしも納めておられたらそれをすぐ還付する。還付するにはちゃんと還付加算金というものをつけてお返しする。そういう形をすみやかにやる。  それからまた同時に、これは私はいつも先生の御質問に対しても御答弁しておるのですが、やはりまじめな納税者とそうでない者は、非常にむずかしいと思うのですけれども、いかにまじめな納税者をもり育てていくかということが一つのポイントではないか。したがいまして、やはりわれわれ、青色申告者の数をふやすとか、あるいは優良法人というような考え方を打ち出すとかというようなことは、全部取り消しを受けた人とかそういうことではなしに、やはり基本は、まじめに納税しようという意欲を持っておられる方を一人でもふやす。それからまた、たまたま税法がうっかりしてわからぬというような方は進んで教えるように親切にしなければいかぬじゃないかという態度、考え方というものを、税務の一線の行政の中に生かしていくということがたいへん大切なことではないか、かように考えておる次第であります。
  59. 田中昭二

    田中(昭)委員 そういう国側の間違いに対して、どうそれを生かしていこうか、いま還付金なんかの話がありましたが、それは別問題ですよ。それは、そういうことがあることは一つの方法をあらわしていると思いますけれども、それではいまあなたが言ったように、国側が間違って、そして全部取り消しをして、納税者の言い分を認めたという人と、何も不服言わなくて、誠実な記帳が行なわれていたという人、それに対しては何の差もないわけですね。国は国の権限によって、問題の発生の原因がどんな間違いであろうとも、とにかくやればいいのだ、間違っておれば訂正すればいいのだ、そういうことになりはしませんか。
  60. 亀徳正之

    亀徳政府委員 私が申し上げたのは、還付加算金ということは、間違って納めていた税金には、当然必ず還付加算金をつけるということを申し上げたので、そこに言わんとした趣旨は、誤りは一刻も早く直すということが第一大切ではないかということ。  それからもう一つは、いろいろな仮定の議論ですから、かりに全部訂正したというケースがあって、そういう人が基本的にまじめな方である場合とそうでない場合といろいろなことがあり得るので、やはり記帳を、まじめに申告しようという納税者を大切にするという基本的なかまえが一番大切ではないか、私はかように考えます。したがって、当然そういう方が、まじめにやっておりながら更正を受けるというようなことであれば、それは反省すべきでございましょうし、また、今後そういう人たちがまじめに記帳しておられれば、特段の調査を省略というか、調査の必要がないという事態がむしろ自然なんであろうか、こう考えております。と申しますのを、まじめあるいはふまじめといいますか、そういうことと、この全部取り消しという話が必然的に結びつく話ではないということを私としてを申し上げたい。もしもそれが結びつくのなら当然、それを言ったために、かりにあとで意図してそういう大きい脱税をしようとしておられる人もほっておけ、機械的な割り切り方になりますとそういうことにも相なるので、それは困るのではないかということを申し上げておるだけでございまして、基本は、やはりまじめな納税者をいかにもり育てていくかということが基調でなければならない、かように私は考える次第でございます。
  61. 田中昭二

    田中(昭)委員 何べんも繰り返すようですが、政務次官、いま言うたように、更正決定されたことによって精神的、物質的にもいろいろな損害を受けた、そうして自分の言うことが正しかった、そういう人に対しては、何にもその後、こういう問題が起こらないという努力は、私は、いまの制度のままじゃなされていないと思うのです、問題の解決が。そういうような間違いがあったのは、先ほど言いましたように、税務署が更正したときのその原因のところまでいくと、これはいずれにしろ、税務署側の、国側の間違いであったということははっきりしておるのです。何らかの前進させるものはないのでしょうかね。  それから、先ほどちょっと私、長官に、事業所得者の全部取り消しのものは出さなかったと言いましたね。いまここにそのあともらいましたから申し上げておきますが、これから見ると、キャバレーのホステスやバーテンの雇い人費を、税務署側が二百十万円の雇い人費であったとして更正したというのですね。それから、そうじゃない、六百万円ぐらい経費は要っているんですよ、こうやって申し立て人のほうは申し立てしたところが、それが全部認められて、全部取り消しになった。もちろん、税務署が雇い人費が二百十万円と言ったのが正しいとか、申し立て人が六百万円ぐらいありますと言うのが正しいという、そういうことのいろいろな論議はあります。しかし、いずれにしろ、そういう当然要った経費を低く見積もって更正決定した。国家の権力によって税金を徴収するという方法までとってきたんです。それが全部くつがえされて、本人の申し立てどおりになったというようなこともあるんです。まあそのほか、一、二件出ておりますけれども、大体同じようなことなんです。どうですかね。そういう精神的、物質的損害を受けた人に対する何らかの前進の方法はないんでしょうかね。
  62. 上村千一郎

    ○上村政府委員 いま大臣がお見えになりましたが、いまの先生の御質問につきましてまだ大臣はお耳に入っておりませんので、私からお答えいたしたいと思います。  実は、国が間違いをおかした場合に、何らかの一つの物的あるいは精神的な損害が生ずるんだから、これを何らか救済する方法はないだろうか、こういう先生のお考え、私は、その先生のお考えにつきましてはよくわかるのです。ただし、要するに税務署において一つの所得決定をした。ところが、それが不服の申し立ての過程において是正されたが、それがあやまちであったということに間違いがない。だから、税務署はその段階においてあやまちをしたのだ、だから何らかの損害を生じさしている、だから国がこれに対して何らかの処置をしたらどうか、こういうことになるかと思いますが、このあやまちがあったことは間違いないわけですね、是正されたのですから。けれども、現在の法制あるいはものの考え方からいいますれば、もちろん申しわけがなかった、行政官庁としてあやまちをおかせば今後反省してこれを直さなければならぬ、このことは先生がおっしゃるとおりだ。ただ、これをどういうふうに補償するかという問題につきましては、これはなかなかむずかしい問題であって、そのあやまちをおかした過程というものが、故意とかあるいは重大な過失とかいうような問題が起きてまいりますれば、これは従来の他の法律分野におきましても国が責任を負うという一つ制度ができておる。けれどもが、あやまちがあったからといって全部これを補償していくという心持ちなり態度なり考え方というものは、先生のおっしゃるとおりですが、現実にこれを補償していくという制度には現在の法制下ではなっていないわけです。  ですから、その具体的事案を検討しながら、ぜひあやまちのないように今後十分その執行上におきましても、行政措置の状態におきましても反省し、やっていかなければならぬ。また、不服の過程におきまして是正されたということになりますれば、その事案をよく検討いたしまして、どういう点で間違いを起こすだろうかという参考資料にしていく。それとともに、その過程において一つの故意犯、故意に相手を傷つけようということでやったあやまちであったとか、重大な過失によってやったというものにつきましては、これは何らかの国が責任を負うというものを考えていく余地があるだろう、こういうふうに考えられるわけでございます。
  63. 田中昭二

    田中(昭)委員 私、大臣が十一時半からお見えになるということで、四十分だけ質問できると思ってずっと問題をあれしてきたわけですが、もう大体制限時間だということになっていますから、いままでのこの問題に対する質問はずっと行なわれてきましたが、私は実際問題としていまお聞きしたいということの一〇%も進んでいない。それかといって私は無制限にやろうとは思いませんけれども大臣もお見えになったし、四十分くらいの時間はいただいて、そして詰めていきたいと思います。
  64. 田中正巳

    田中委員長 ちょっと速記をとめて。   〔速記中止〕
  65. 田中正巳

    田中委員長 速記を始めて。
  66. 田中昭二

    田中(昭)委員 いま大臣、いろいろお留守のうちに話してきたことの結論は、税務に対するいわゆる不服の処理機関として一歩前進したといわれておる今度のこの法律案ですね。これに関連して、それでは税務に対する不服というものがどういうふうにして起こってきて、それがどういう形で解決していくならば納税者の不服も少なくなって、そうして目的のとおり進んでいくかということを主眼にして話をずっとしてきたわけです。そして具体的には税務署が、政府側が、いわゆる更正決定という納税者主張を間違いだといって課税処分をした中に、ということは、納税者側がこれは国側の間違いですよといって不服を申し立てた中に、逆に政府側が全面的に間違いでありましたというものが、半分までいきませんけれども四〇何%あるというのです。税務署は、国側は納税者に対して、おまえの計算は間違いだといって決定した。しかし納税者は、それは国側の間違いですよというように言った中の約半分近い納税者については逆に国が間違いでした。だから、間違いでしただけでは問題の解決にならないじゃないですか。この間違いの決定をした更正の原因というものまで見ていかなければ、問題の解決にはならない。ですから、国側が行なった更正の原因に間違いがある、いわゆる納税者の言い分が正しかった。その納税者はいずれにしろ更正を受けたことによって精神的にも物質的にも当事者でないとわからないような不安もあったでしょう。心配もしたでしょう。また、いまのような損害もあったでしょう。その金額が、いまここでいろいろ実例を取り上げましたけれども、二億円間違いがあったのを全部取り消した。金額はいろいろございますけれども、常識では考えられないような間違いもある。それからまた、当然これは間違い——税務署のほうも一つ解釈によってこうだろうと思ってやったのが間違っておったというのはあります。しかし、いずれにしろそういう納税者に損害——損害というのはどうかと思いますが、いわゆる正しいものを認めなかった処分をして、その結果、納税者の言い分が正しかったという人に対しては、ほかの申し立てをしなかった普通の納税者、正しい納税者といわれている納税者と、国が全部間違いだったというような納税者と何らかそこに差を設けて、国が間違って処分をした人に対しては何か救済——救済といわなくても便宜を与えるような方法はないでしょうか。そういう便宜を与えることが、納税者から見れば税務官庁のいわゆる徴税ということに対して信頼感も増すでしょう。また、今後の不服申し立て等についての紛争も起こらなくなるでしょう。そのためには、そういう損害を与えた納税者に対しては、納税者の言い分が正しいのですから、調査をできるだけ控えたらどうだろうか、調査を控えるということは、いわゆる一般の、何もない納税者でも、いま税務署員が足らぬために法人の場合も個人の場合でも三年に一ぺんくらいしか調査しないのですね。そうなると、そのような損害を与えた人に対しては五年間ぐらい調査を差し控えるような、調査をしないのでなくて、そういう人に対しては何か国税庁長官の稟議を経るようなことで優遇措置を考えたらどうでしょうか、こういうことです。  それに対してひとつ大臣から——それはほかに税務官庁として納税者に何か与えるということはできないのですよ。税金というものは反対給付もありませんし、それかといって来年は税金を安くしてやるというわけにいかぬでしょう。ですから、安くしてやる、そういうことはできないから、それじゃ納税者が一番きらっておる——きらっておるというと語弊がありますけれども税務署の調査というのはいやなんです。税金を取られることよりもいやなんです。そういうこともいろいろ議論しましたけれども、だから何かそういう、一般の納税者でも三年に一ぺんぐらいしか調査しないならば、五年に一ぺんぐらい調査する方向ではいけないのか、こういうことなんです。どうでしょう。
  67. 福田赳夫

    福田国務大臣 審査請求案件、異議申し立て案件で非常に多数のケースが全面取り消しでありますとかあるいは一部取り消しでありますとか、そういう事態があることは非常に残念ですが、さあそういう案件に対しましての救済措置、こういうことについて、いま田中さんから、そういう者については五年間くらい調査をしないでというような御提案でございますが、これは実行上はなかなかむずかしい、いろいろまた弊害面も出てくる、こういうことは田中さんもお気づきにならないはずはないんじゃあるまいか、そういうふうに思います。ことにこれを統一的に五年は調査しなくてもいいというような通牒でも出先ら、これはかなりの悪影響がある問題であります。そういうようなことを考えますと、やはり税務運営の妙味というか、そういうところで解決されなければならぬ問題である。表面上、制度上、そういう問題としてはやはりそれはいつでも調査できるという体制であるべきだと思います。ただ、税務運営の妙というか、その辺に田中さんの御提案、これは考えていく余地があると思いますが、制度的にあるいは通牒を出してというようなことは、これは非常に大きな弊害のある問題である、かように考えます。
  68. 田中昭二

    田中(昭)委員 もう根本的に違いますね。それじゃ、たとえばそのような官庁側の間違った処分を受けたその人の身になってみると、その人とそういうことのない一般の人と比較してみると、そういう課税処分庁によって冷酷な処置を受けた人は何もないですね。行政というのは冷たい冷たい、人間の個人的な感情、そういう常識も何も認めない処置だとさつき私申し上げたのです。個人でも隣の人に迷惑をかけたならば、お礼ぐらい言いますよ。物質的なお礼をするかもしれない。そういうことを私は官庁に望んでおるのではありません。その後の税務行政が信頼されるようなそういう方向にいくことが、税務署の第一線なりまた上は国税庁長官まで、なるほど税務署は課税にあたってはこういう方向でいっておるがということだけでも多大なる私は税務行政の進歩だ、こう思っておるのです。ところが、行政というのはそんなものは何も考えない、冷たい、冷たいものである、こういう感じしか受けません。  この問題はなぜこういうふうにしか終わらないかといいますと、私さっきから現場の——この法律というのはりっぱかもしれません。答弁をいろいろ聞いても、いろいろな状況を加味してできております。しかし、それが第一線にいって納税者に与える権利、義務、心配、不安というものの解決には何もなっていないじゃないですか。その証拠に訴訟事件もふえておる。ふえて処理能力がないから、さっき百件くらいしかないと言うが、何百件もふえておる。六百件もふえておる。そして処理できないでおる。どういうわけかというと、特殊団体の問題があるからだ、そんなことの結果になってしまう。  私は、この問題は、一応いま大臣答弁の中にそういう方向でいくというお話もございましたから、それを一つの望みとして、もう少し大臣には、この前からずっとたださなければならぬことがございますから、一般質問のときと思っておりました。私は、東淀川の問題とかこの特殊団体の問題とか、それからあなたが予算委員会で答弁したこと、その後のこの大蔵委員会の一般質問でお答えになったこと、全部ひっくるめてお尋ねしたいことがあるわけです。ですから、またそのことと時間がなければからみ合わせてお尋ねするわけでございますが、最後にもう一つ。  こういう不服があった事例に対しては明らかに国民にもそれを公表していく。いろいろな手違いがありましたね。そういうものについては新しい通達改正にもなりますし、いわゆる納税者が同じ問題に当たった場合に参考になりますし、そういう問題は、いわゆる不服申し立てに対して処理された事案については公表すべきであるという税制調査会の意見等もあり、また政府のほうもそういうことはやっていきたい、こういう考えもあると聞いておりますが、そういう考えがあるならば、それをこの法案にはっきり公表といいますか、何ということばを使ったらいいかわかりませんが、明らかにしていくというふうにこの法案に入れるわけにはいかないのでしょうか。それともそれを入れないとするならば、どういうふうにそれを政令等できめていくかわかっておりますならばお尋ねしておきたい。
  69. 福田赳夫

    福田国務大臣 訴訟案件についてその結果を発表する、そういう原則をとることは、これは非常に考えものだ、そういうふうに思います。つまり、多くの納税者は自分の経理、そういうようなことについてこれを公表されることを好まないのじゃないか、あるいは多くでなくても少しの人が好まないのじゃないかという場合においても問題かと思いますが、もし公表原則をとるということになると、不服審判所に異議の申し立てをする、こういう傾向をディスカレッジするようなことになりはしないか、そういうふうに考えられるのであります。したがって、原則としてそういう訴訟案件についてこれを公表をするという主義はとるべきものではあるまい、こういうふうに考えます。  ただ私は、その訴訟案件のうちこれは国民に知っておいていただいたほうがよかろうという考え方、ルールというようなものがこの審判所の審判を通じて出てくると思うのです。いままではこういうふうに見られておったけれども、この審判の結果こういう行き方のほうが正しいのだというような結論が出てくるケースもかなりあると思うのであります。そういうものは、個人の名前等はこれを明らかにしないで、抽象的な案件というか、抽象的な言い回し、そういうことによって、考え方はこういうふうにすることが妥当であるという裁決が下った、審判が下ったという、こういうことを国民に周知徹底させることは、これは非常に大事なことである、こういうふうに考えますので、審判が大事なプリンシプルをきめた、またこれを国税庁長官が取り入れた、こういうものにつきましては、できる限りこれを国民に周知させるような方法を考えていきたい、かように考えます。
  70. 田中昭二

    田中(昭)委員 もうこれて時間が来ましたから、ひとつ法務局を呼んであるので、このことをちょっと十分もかかりませんから、ついでに聞かしていただきたいと思います。十分くらいで終わりますから……。  実はこの課税の問題につきまして、土地の売買の段階において、改正になりました不動産登記法によって現場の地図を法務局に見せてもらいに行ったのですね。ところが見せられない、そういうことで見せてもらえなかったという事例があるのですが、これはそういうふうになっているのでしょうか。
  71. 枇杷田泰助

    ○枇杷田説明員 現在登記所に地図が備えつけられておりますけれども、これは大部分は昭和二十五年に税務署から移管をされましたいわゆる台帳付属地図といわれるものでございまして、この精度が実はあまりよろしくございませんで、不動産登記法十七条、十八条に規定されております地図の内容ではございませんものですから、したがいまして、現在登記所に翻ります地図の大部分はいわゆる法定の地図というわけにはまいりません。したがいまして、これの閲覧請求ということは法律上は当然にはできないという仕組みになっております。  しかし、そうかと申しまして、正規の地図がまだ完備いたしておりません段階で、何も地図を閲覧に供しないということは、取引をされます方の不便でもありますし、また、登記申請の手続の際にも御不便でございますので、できる限りこれは事実上閲覧に供することにいたしております。しかし、精度があまり高くないというばかりでございませんで、その地図自身が紙でつくられておりますために、かなり損耗摩滅いたしております地図が多うございますので、非常にそのいたみが激しいものについては、その修理ができるまでの期間、閲覧を御遠慮いただくというふうな措置がはかられております。したがいまして、たまたまそういう俗なことばで申しますとぼろになりました地図に関しましては閲覧をお断わりすることがあろうかと思いますが、そうでない場合には閲覧に応ずるようにいたしております。
  72. 田中昭二

    田中(昭)委員 この問題については、まだ全然答弁になっておりませんから、保留いたしまして、次の機会に聞きたいと思います。  以上で終わります。
  73. 田中正巳

  74. 堀昌雄

    ○堀委員 最初に、大臣にたいへん初歩的なことを伺いますが、国が国民から税金を徴収をしておる、これは一体なぜ国は国民から税金を取るのでしょうか。
  75. 福田赳夫

    福田国務大臣 われわれの生活というものはわれわれ家庭の生活もありますが、それだけでは十分な効果を発揮できないのであります。   〔委員長退席、山下(元)委員長代理着席〕 そこでわれわれは、われわれの所得のうち何がしかをさいて拠出をする、そして共同の生計を営む、これが社会であり国である、こういうふうに思います。税はその共同の生活、共同の家計を営むための強制拠出金である、さような認識であります。
  76. 堀昌雄

    ○堀委員 そうすると、いまの税法というものが憲法で法定主義ということになっておりますのは、そういうふうに確かに強制的拠出金であるけれども、少なくとも国民が納得をした形で取られるということが、私は憲法の租税法定主義の考えだと思うのですが、その点はいかがでございましょう。
  77. 福田赳夫

    福田国務大臣 そのとおりです。
  78. 堀昌雄

    ○堀委員 そうすると、国民が納得をして税を納めるという問題は二つの問題があるだろうと思うのです。それは、一つは税という制度のルールを納得するという問題、それからもう一つは、そのルールに基づいて徴収をするというその間における納得の問題、この二つに分かれてくる、こう思います。  そこで、その前段のルールに従うというそのルール、これが税法だろうと思いますが、この税法というものの原則は、大臣、大体どういうものが税法の原則として立てられるべきだという点についてお答えをいただきたいと思います。
  79. 福田赳夫

    福田国務大臣 税の原則というものは、学問的にいろいろなことがありますが、私が当面頭にありますのは、まず第一に公平であります。それから第二は負担能力に応ずる、こういう税制。それから第三は国民の負担感というものが考慮されておる税制。こういうことを特に重視しておるわけであります。
  80. 堀昌雄

    ○堀委員 いまお答えになりました、一番最初に公平という原則をお出しになった、次に負担能力、それからもう一つ負担感もあわせて考える、このお答えは私も全く同感でございます。そこで、実はこの公平という問題がいろいろと税制の中で重要な問題になってくると思うのでございますが、きょうはこの公平の問題に関連をして、最初に問題を一つ提起いたしたいと思います。貯金局次長、入っていますね。  実は、私のおります兵庫県の神戸中央郵便局というところから配布をされた文書がございます。これに赤い字で上に書いてございますのは「あなたにだけそっとお知らせします!!」それが赤い字で大きく書いてある。そして「郵便局で、定額貯金(最高年七分二厘)をお出しになったときの支払明細書には、税金は差し引いておりませんね。しかし、郵便局以外の金融機関でお出しになったときは、非課税貯蓄以外は、ガッチリと税金を差し引かれておりますことは、あなたさまにもご経験がおありのことと思います。」その次は赤字で大きく「それは……なぜでしょうか?」「貯金の利子に税金をかけることは、所得税法で定められていますが、同法第九条で、郵便貯金は、税金をかけないことと定められているからです。」その次は赤い大きい字で「では……どれほどの税金がかかるのでしょうか?」「一割五分の税金がかかります。(たとえば元金一〇〇万円で、年五分五厘の利子は五五、〇〇〇円ですが、八、二五〇円の税金を引かれます)ところが本来は二割の税金なのです。所得税法第一八二条では、二割と定められております。ただ、昭和四十五年三月三十一日までに支払われる利子は、一割五分に軽減しようという別の法律(租税特別措置法第三条)があるためです。この法律も、」今度は赤字で「本年三月三十一日」と書いて、「で効力がなくなるので、それらかは所得税法第一八二条が適用され、」そして「二割の税金」と赤字になっているわけですが、「になると考えられます。」その次はまた大きい赤字で「だから……いまが一番大切なときですす!」と書いて、「もし、二割の税金が、かかるようになりますと、例えば、年五分五厘の定期預金でも、実際の利廻りは、四分四厘になってしまいます。その点、郵便貯金には、一さい税金が、かかりません。」そして赤字で大きく「今こそ……郵便貯金をする絶好のチャンスです。」そして「郵便局の定額貯金は、(最高年、七分二厘)六カ月すえ置、」赤字で「あとは毎日が満期日で、」そして「一〇年間は書換えがなく、かりに、定額貯金に二年すえ置いたとしますと、一年の利子は、五分七厘三毛一糸と大変有利になります。」赤字で大きく「さあ!税金のかからない定額貯金をご利用ください。」「お問い合せは、三越前、神戸中央郵便局貯金課へ…でんわ(35)2291」一番下に「おかげさまで郵便貯金の現在高は五兆円を突破いたしました。」   〔山下(元)委員長代理退席、委員長着席〕  私がいまなぜこれを取り上げてこう言っているかといいますと、実は税の公平というものが、いま大臣のお答えになったように、われわれもたいへん重要な原則だと思っておるわけです。ところが、確かに郵便貯金は過去の沿革、いろいろな歴史的な関係から——実はここで私が特に非常に重要に感じますことは、利子に対する税金というものが何か利回りに関係があるように一般に理解をされておる問題が一つある。ここにもそういうふうに引例されておるわけです。「例えば、年五分五厘の定期預金でも、実際の利廻りは、四分四厘になってしまいます。」実は税金の性格というものは、その支払われた金利そのものに対して払うということに、私は本来税法ではなっていないと思うのです。これは所得であるから所得税の一部として支払われておるわけです。資産税ならば話は別だと思うのです。資産税で、そこから税金を取る、その結果利回りが下がるというのならこういう表現が適当なんでありますけれども、残念ながらいま源泉徴収という制度がある。そこで利子を渡すときに先取りをするものですから、受け取る側は誤った感覚によって税法を理解することになる。要するに、実質利回りというものが下がるんだという理解になっておる。これは理解のしかたが実は間違いなんですが、そのことのもとはどこにあるかというと、利子の源泉徴収という制度の中に問題が実はある、私はこう考えているのです。第一点、その点大臣どうお考えになりますか。
  81. 福田赳夫

    福田国務大臣 私は、その点深く考えたことはありませんが、いま話を聞いているとそんな感じもいたします。
  82. 堀昌雄

    ○堀委員 そこで私は、いまのこの問題はいまの公平の問題と見まして、実は幾つかのファクターがあるんじゃないか。たとえば普通の金融機関に、まあ所得の非常に少ない方、昔ずっと働いておられて定年になって収入はほとんどない、しかし、過去における退職金その他が預金をしてあるから、現実には所得税が払えない状態であるにもかかわらず、実は普通の金融機関で受け取るときには、源泉徴収という制度がありますから、三百万円なり五百万円なりの預金をしておれば税金を取られるのですね。ところが、片や一億円の年収のある方が郵便貯金をすれば、そのほうは無税になる。税の公平の問題から見ますと、ここらにやはり税法というもののあり方をもう一ぺんずっと根っこのところに返って考えてみる必要のある問題があるんじゃないか。権利救済の問題をきょうは取り上げるわけですが、権利救済という問題は、私は、税法の結果で起きておる問題の前に、国民全体の権利救済ですね、要するに、ここで異議申し立てだとかなんだとかいうもっと前の段階における国民の権利救済しなければならぬ問題があるんじゃないか、こう考えるのですが、大蔵大臣いかがですか。
  83. 福田赳夫

    福田国務大臣 まあ理屈の上ではそういうことでしょうが、さてこれをどういうふうに実現をしていくかということになると、いろいろ問題がある、そういう考え方で割り切れないところが多々ある、こういうふうに考えます。
  84. 堀昌雄

    ○堀委員 私は、最近福田さんがいろいろとおっしゃっておる中で、日本経済は今後も相当な成長が続くだろう、しかしその成長の問題もさることながら、もう少し考えなければならぬ問題もあるんだと提起をしておられるように、新聞その他で承っておるわけです。私は、いまの日本の税制の問題を考えますときに、確かに今度のこの権利救済制度は、現在よりも一部前進、一部改悪の法案だと思っておりますが、しかし、考え方としては、前進をさせようという考え方が今回の法案提起の根底にあることを私は否定するものではありません。しかし、そういう場合に、そういう非常に部分的なところで権利救済を考える前に、今日置かれておる日本というものがこれまでとは私はだいぶ様子が変わってきておると思うのです。少なくとも現行の所得税法その他がつくられ、あるいは特別措置なりいろいろなものがつくられました背景というものは、戦後の荒廃の中から、ほんとうに蓄積のない時代における発想が土台であったと思うんです。今日は、もちろん十分ではないにしても、その時代に比べると著しく条件が違っておる段階に来ておる。  ここで私は、ひとつ大蔵大臣として、やはり税のあり方についての基本問題について、いま私の申し上げたような国民全体の権利救済する公平の原則、いまお話しになった公平の原則、負担能力の問題、ここらがさつき私がちょっと提起を申し上げたように、長年働いておって退職金はなるほどもらったけれども一今日収入はない、負担能力がじゃその人にあるかというと、実は負担能力は十分にないわけですね、現実にはない。その人たちは、しかし必ずしもいまの資金の運用の中では所得税は納めてないけれども、取られるものは取られるということが一つ片一方ではある。片一方では、非常に資産があっても、無税の制度を利用しようと思えば利用できる道があるなどということは、ここらで一ぺんやはり再検討してみる余地のある問題じゃないだろうか、こう思いますが、大臣もう少しはっきりお答えをいただきたいと思います。
  85. 福田赳夫

    福田国務大臣 それは御説のとおりだと思います。税法は社会の変化に応じて常にこれを考え直していく、そういう態度で臨まなければならぬというふうに考えます。いまわが国の国民の所得は非常に向上しつつあるわけです。今後とも向上するであろう。ただ問題は、蓄積という点ですね、これが非常に少ない。いま貯蓄率からいいますと、先進諸国よりはわが国のほうは貯蓄率は多いです。多いけれども、なかなか先進諸国のような蓄積状態までいくには容易なことじゃあるまい、こういうふうに考えます。  蓄積というのは、一つはやはりわれわれの家庭における蓄積もあります。しかし、共同の家計である社会資本の蓄積、こういうものも非常に立ちおくれておる。それらの点も考慮しながら考えなければならぬ問題であるから、常に流動し発展する経済、社会の情勢に即応した税制ということは、これは念頭に置いていかなければならぬ、さように考えております。
  86. 堀昌雄

    ○堀委員 まあ方向としては、ひとつそういうことでお考え願いたいのですが、ちょっとここで触れましたから……。  貯金局のほうで、これは私どもだいぶひっかかるところがたくさんあるんです。おそらく皆さん聞かれた方は、事大蔵委員ならひっかかる感じをされると思うんですね。少なくとも国の機関ですからね、郵便局というのは。国の機関がこういう表現手段と方法をもって預金を集めるということは、残念ながら民間金融機関を刺激し過ぎる。第一点。第二点は、こういうことをやられるから、われわれは利子の分離課税を残してもらわなければならぬというような——ここにあなた方のほうでは「来年三月三十一日で効力がなくなるので、」と断定的に書いてある。なくなるかどうかは国会のきめることなんですからね。一応これはこういうことになっておるというならわかるけれども、「なくなるので、」と書いてある。なくなると書いてあるのを読めば、これはなくなるものだと理解する。そういうような、一般的に見ると非常に誤解を招くような文章が非常に多い。これは郵政省として、私はちょいちょいこのごろ見るが、郵便貯金、下に大きく無税と書いております。その程度は私はいいと思いますよ。それは国民にそういう点の理解をしてもらうことはいいと思いますが、これはちょっと行き過ぎだと思うのですが、郵政省、どうですか。
  87. 田所文雄

    ○田所説明員 御指摘のとおり、これは非常に行き過ぎでございまして、御指摘のこの点につきましては、大阪郵政局にもさっそく調製を中止させまして、今後も国営事業の品位をそこなうことのないような文案をつくるように指導したいと考えております。  さらに、その期限におきましても、不確定な要素をあたかも確定的なように書きましたり、あるいは郵便貯金の高額制限百万円のことがはっきり出されていないといったような不備の点が多々ございますので、今後、従来もやってまいりましたが、周知方にあたりましては行き過ぎのないように十分に配意をしたい、かように考えます。
  88. 堀昌雄

    ○堀委員 大蔵大臣、いま貯金局の次長がそうお答えになっていますが、やはりこれは一ぺん閣議で郵政大臣にちょっとお話しをしておいていただいたほうが適切だと思います。  私は、なぜこれにこだわっているかといいますと、税制の問題が非常にここに入っていますからね。郵便貯金そのもの、プロパーのことが書かれているなら私が何もここで言う必要はないのですが、これほど税金のことを書かれて、そしていま私が触れたような実際の利回りなどというかっこうで問題が提起されますことは、私は、非常にマイナスがあってプラスはないという判断をしますので、ひとつそういう取り扱いをお願いしたい、いかがでしょう。
  89. 福田赳夫

    福田国務大臣 私もきょう初めて堀さんからこういう話を承って驚いておるわけなんです。郵政大臣にもとくと申し入れをいたしまします。   〔坊委員「やめたらいい」と呼ぶ〕
  90. 堀昌雄

    ○堀委員 そうなんだ。考え方としてはいまちょっと坊さんがそういうことを言っておりますよ、うに、はたして郵便貯金が非課税であるということが今日の時点でどうしても必要かどうかという問題は検討の余地のある問題じゃないかと思うんですね、そうなってくると。なぜかといいますと、国ですからね。要するに利子はちゃんと払って——もうちょっとたくさんでもいいですよ。他の金融機関並みの利子を払って、課税で取ったっていいんですよ。そのほうも国なんですから、それは同じことなんです。郵便貯金特別会計か一般会計に入るかどうかは別として、あとの調整はできることですから。ですから私は、この問題についてはまあいろいろ沿革もありますから簡単にいかないことでございましょうが、ただ、税という側面だけからものを言わしてもらうならば、かえってそういうものがないほうが、実はいまの利子その他の貯蓄の関係についての税制をすっきりさせるためにも、そのほうが簡明なのではないか、こういう感じがするわけでありますけれども、沿革その他もありますししますから慎重な検討をひとつしていただきたいと思います。ちょっといま坊さんの発言に触れて、その一言申し上げておきます。  その次に、いまちょっと利子と課税の問題に触れてきましたので、この前私、委員会で議論をさしていただいた架空名義預金の問題をちょっともう一ぺんここで触れさしておいていただきたいと思うのです。  前回は年度の途中でありましたから不十分でありましたが、架空名義預金について、この前当委員会で私、質問をさしていただきました。それについてひとつその後の四十三年度における状況と金融機関別の実際の状況、都市銀行その他ですね、それについてちょっとひとつ国税庁長官から御報告をいただきたいと思います。
  91. 亀徳正之

    亀徳政府委員 これは査察事件で告発処理したものにつきまして調査したものでございますが、それらの該当者が銀行に預金した場合にどういう形で預金していたかという姿でございます。  まず大きく分けまして、帳簿に載っけておりました公表預金と別口にいたしております別口預金、それから同じ別口預金の中で実名になっておりますもの、それから無記名のもの、仮装名義になっておりますもの、この比率でお答え申し上げます。  まず、総体の金額が百二十二億五百万円になっておりますが、そのうち公表預金が三十七億八千五百万、パーセンテージで申しますと全体の三一%が公表預金、したがいまして、別口預金が残りの六九%という数字に相なっております。それで、パーセンテージのほうが感じがわかると思いますが、実名が六九%のうちの二・五%、それから無記名が三五・五%、それから仮装名義が三一%、かように相なっております。  なおちなみに、前回四十二年分を申し上げましたので、その対比での傾向を若干申し上げますと、四十二年度の場合の預金合計が一〇〇%のうちで公表預金が三二・九%、大体公表、別口の関係はあまり大きく変わっておりません。別口預金が四十二年度の場合には六七・一%でございますが、実名が一・七%、無記名が二二・七%、仮装名義が四二・七%と相なっております。したがいまして、傾向的には公表と別口の関係は変わっておりませんが、仮装名義が少なくなってそれが無記名になっているという傾向がうかがわれます。ちなみに、これは査察でございますので、全体の傾向等は言えませんので、査察立件した場合はこういう姿になっているということを御報告申し上げます。
  92. 堀昌雄

    ○堀委員 それを今度は金融機関別に見たらどうなるのかもちょっとあわせてお答えを願いたい。
  93. 亀徳正之

    亀徳政府委員 店舗数で申しますと、大体全体を一〇〇といたしまして都市銀行が四十三年度で見ますと三九%、地方銀行が二一%、相互銀行が一六%、信用金庫が八%。その他が一六%、こういう比率に相なっております。
  94. 堀昌雄

    ○堀委員 実は私、昨年もこのような調査をお願いをして、私は架空名義預金などということは、やはりさっきお話しになった公平の原則を阻害することでありますから、できるだけすみやかにやめてもらいたい。自分の資産を別口預金にして架空名義にするということは、これはやはり税法上から見て非常に適正でないと考えるので、これを取り除いていただくようにお願いをしてきたわけですが、大臣、これについてのお考えをひとつ承りたいのです。
  95. 福田赳夫

    福田国務大臣 架空名義預金はこれを全廃するという方向でやらなければいかぬと思います。いろいろな弊害が出てくる、そういうようなことで、銀行局当局もたいへん努力はいたしておるのですが、しかし、いま国税庁長官指摘しておるように、これを脱税の具に供する、こういうような傾向がまだかなりある。こういうふうに考えますので、この上とも金融機関の協力を得まして、これがなくなるように努力をいたしていきたい、これが私の基本的な考えであります。
  96. 堀昌雄

    ○堀委員 銀行局長、その後にとられた処置についてちょっと御報告をいただきたい。
  97. 澄田智

    ○澄田政府委員 前回この問題の御指摘を受けましたあと、本年四月十四日でありますが、都内の信用金庫以上の金融機関、全体で都内で千四百七十九店がございますが、そのうちの三分の一強の五百三十六カ店について一斉に検査をいたしました。検査の目的は、架空名義預金を金融機関に自粛させる、その旨をお客に対して周知徹底せしめるというようなポスターを協会を通じて各金融機関に展示するようにしてあるわけでございます。その厳守状況というものを調べたわけでございます。遺憾ながら必ずしもりっぱな成績とは申せなかったわけでございます。掲示が全然ない店が七十六カ店、十四%ございます。それから掲示が不適当、ほかの広告と重ねてあったり、お客からよく見えなかったりというようなものがございます。これは一七%、合わせますと三一%は良好でない、こういうことであります。  そういう結果も出ましたので、各金融機関の団体の代表を呼びまして、各団体を通じまして厳重に注意をすると同時に、それぞれの協会傘下の金融機関にもう一度自粛のポスターの店頭掲示を徹底させるようにという指示をいたしました。なお、各財務局等にもその旨を徹底をさせまして、財務局を通じての監督、並びに今後さらに、今回実施しましたような検査もそれぞれ地方においても行ない、趣旨の徹底をはかりたい、現在かように思っております。
  98. 堀昌雄

    ○堀委員 実は、私がこの問題を取り上げて周知をされるようになりましたのは、昨年の一月からでございますから、いよいよ本年ぐらいから査察案件は四十三年度分の問題が出てくるのじゃないかと私は思うのですが、四十四年ですと、来年のいまごろになります。そうすると、私がいま触れましたように、皆さんのほうでは、金融機関別に名前も店舗もちゃんとわかっているわけでしょうから、少なくともいまの名前なり店舗なり金融機関のあれは、銀行局に十分ひとつ連絡をしていただいて、これは銀行行政の上にも反映をしてもらわないと、ただ単に統一経理基準だとか計数上の問題だけがそろっておればそれでいいなどということにはならないのじゃないか。金融機関はやはり節度のある、公共性のあるものでなければなりませんので、その点については十分国税庁、銀行局にも連絡をとって、いま大臣が基本的なお考えを示されたように、架空名義預金はやめたい、なくしたい、こういうお考えでもありますから、十分ひとつ処置をとってもらいたいと思いますが、国税庁長官いかがですか。
  99. 亀徳正之

    亀徳政府委員 おっしゃるように、私のほうも極力こういう架空名義がなくなることを強く望んでおるわけでございます。ただ、いろいろどうしても査察案件は残念ながら多いわけでございます。しかし、全体のそういう雰囲気が極力少なくなるように、したがって、非常に極端な事例その他につきましては、個々にも、銀行局にも御連絡して、またいろいろ銀行局の御援助を得まして、一そう大臣がいまおっしゃいました方向を一歩一歩実現できるように、私のほうも側面からいろいろお願いしたい、かように考えております。
  100. 堀昌雄

    ○堀委員 そこで、本案の救済制度の問題に入るわけでありますけれども、私はこれをずっと拝見しておって、さっきもちょっと触れましたように、確かに一歩前進の問題もあるけれども、一歩後退の部分がある。これは私はどうも納得ができないのです。そこで、前進の部分はあとに回して、先に後退の部分から少し論議をさせてもらいたいと思うのです。  そこで、昭和四十三年七月に「税制簡素化についての第三次答申」というのが税制調査会から出されております。この税制調査会から出されております第三次答申の中にはこういうふうなところがあるのです。二〇ページに「その他」と書いてございまして「上記の調査権の実効を確保するため、次の措置を講ずる。」として、「a 審査請求人(その特殊関係者を含む。)又は処分庁が上記(イ)aの質問やbの提出の求めに応じないため、その主張についての調査等ができず、そのために当該事案の実態を明確にすることが著しく困難となった場合には、その点に関しての請求人又は処分庁の主張を採用しないことができるものとする。」ここはいいのです。その次に「審査請求人(その特殊関係者を含む。)以外の者が調査の妨げ等を行なった場合については、各税法等の質問検査権を参考として罰則を設ける。」こういうふうに答申をしているわけです。この中で表現されておりますのは、「以外の者が調査の妨げ等を行なった」こう書いてあるのです。  大臣、普通に日本語で妨げるということは積極的な意思をもってある行為をさせないようにするということを、日本語では妨げないと、こういうのじゃないかと私は思うのですが、どういうふうに大臣は御理解になりますか。
  101. 福田赳夫

    福田国務大臣 御意見のとおりと思いますが、いま私、条文を持っておりませんので、条文ではどういうことをさしておりますかは、これはまた別の問題かと思います。
  102. 堀昌雄

    ○堀委員 私が、特にまず最初に答申から入っておりますのは、この法律というものはかなり答申が尊重されておることだと実は理解しておるわけです。そこで、この答申のほうでは「妨げ等」、となっておるわけですが、法律のほうにくると、これがどうなっておるかといいますと、すでに質問されておるかもわかりませんけれども、九十七条のところに「担当審判官は、審理を行なうため必要があるときは、審査請求人の申立てにより、又は職権で、次に掲げる行為をすることができる。」こうなっておりまして、その一番目に「審査請求人若しくは原処分庁(以下「審査請求人等」という。)又は関係人その他の参考人に質問すること。」こういうふうに質問することができることにいたしまして、そして今度は、それに対して罰則をくっつけてきて、百二十六条で「第九十七条第一項第一号若しくは第二項(審理のための質問、検査等)の規定による質問に対して答弁せず、若しくは偽りの答弁をし、又は同条第一項第三号若しくは第二項の規定による検査を拒み、妨げ、若しくは忌避し、」こうあるのです。  私は、この中で一番気になるのは「質問に対して答弁せず、」の答弁をしなかったとき、私にあるAという関係者がいた。私の租税上の問題で私が異議申し立てをした。これは私と関係のあるAという本人には何ら関係がない。そうしたときに、審判官が私との間にしか関係のない人間Aに、この人の税金のことについてちょっと調査をしたいという場合に、その調査をすること自体が本人に不利益になる場合も私は十分あると思うのです。この不利益になること自体について、それはちょっとお答えできませんと言ったら、次の罰則が適用される、要するに「三万円以下の罰金に処する。」こういうことになると、これはこれまでの国税通則法になかった新し、い規定なんですけれども、そうして、これは審査請求人が拒んだときにはかまわないんだ、それは本人に対しては不利益処分しない。審査請求人は非常にきちんと守られて、その飛ばっちりを受ける者が、答弁しなかったから罰則の適用を受けるというのでは、これはまさに審査請求人権利救済を重視するのあまり、その他の関係人の権利救済されないことになってくるんじゃないか、これは今度の改正の中ではきわめて重大な規定と思うのです。大臣、どうお考えですか。
  103. 吉國二郎

    吉國(二)政府委員 これは御承知のとおり、各税法の質問検査権に同様な規定があるわけであります。行政不服審査法におきましては、審査請求の際に質問、検査を行なう場合には、当該基本の法律の質問、検査をあわせ行なうことができるということになっております。したがいまして、行政不服審査法では、一般法であるだけに一般的な罰則は設けておりませんが、各基本法における質問検査権の発動に基づく罰則が適用になるという構成をとっておるわけでございます。従来、税法におきましても、そういう意味国税通則法におきましては、質問検査権並びにその罰則は各税法の規定を適用するということで、特に設けていなかったわけであります。したがいまして、協議団等質問、検査を行ないましたときには、一般の税法の規定が適用になり、その質問、検査に応じなかった場合には、その罰則が適用になってきたわけでございます。税制調査会は、その点で、それが審査請求の場合には、いまの税法をそのまま使ってしまうことになると、私はこれだけ不服がありますということで申し出てきた審査請求人自身が罰則を受ける結果にもなりかねない。本来税務署の決定に対して不服があるといって持ってきた人が、その税務署の調査に対して協力しないならば、その主張したことがだめになるということで十分ではないか、それにさらに罰則をつける理由はない。そういう意味では、各税法の規定を直ちに適用することは過酷である。したがって国税通則法は、従来は独自の質問検査権、罰則を設けなかったのでございますが、今度の不服審判所を設けるについては、従来の各税法の規定を別にして、審査請求人については罰則の適用をしないようなそういう形の質問検査権を置こうという趣旨でございまして、そういう意味では、第三者に対しましては従来どおり税法上の質問、検査並びにそれに対する罰則というものを置きますけれども審査請求人並びにその特殊関係者につきましては罰則を適用しない新しい形の質問検査権を置くのが適当であろうという趣旨をいったわけでございます。  そういう意味で、今度の規定は、国税通則法固有の質問検査権という形にいたしまして、審判所の職員が質問検査権を行使するときには、条文による各税法の規定の適用はないというようにいたしたわけでございます。なお罰則が、各税法に比べますと軽くなっておりますのは、これは御承知のとおり、何と申しましても一般法でございます。ほかの各税法は、それぞれ軽重によって若干ずつ罰則の程度が違っておりますが、共通の罰則ということになると、やはり低きにつかざるを得ないために、他の税法、所得税法、法人税法に比べれば罰金の金額は安くなっておりますが、間接税その他を通じてここに罰則を置くために、その最大公約数、共通の最低のところに設けたという趣旨にいたしたわけでございます。
  104. 堀昌雄

    ○堀委員 大臣、いまお聞きになってどうお考えになりますか。審査請求人権利救済するために、今度は、その者についてはそういう答弁その他をしなくてもよろしいのだ。その本人、その審査を請求した者がいろいろ聞かれても、それは答えなくてもいいし、いろいろしなくてもいいのだ。しかし、直接その人ではなくて、その人と関係がある先の者が聞かれたときに、虚偽を言ったり、妨げたりということについては、これは私も罰則があってもやむを得ないと思います、それは作為があるから。しかし、「答弁せず、」というところまでこんなところに入れるというのは、これは審査請求人権利救済を重く見るのあまり、その他の一般の国民の権利を、これは相対的に低く見ることになるんじゃないか。だから、罰金が軽いか重いかのことではなくて、罰するかどうかというそこに実は問題があるので、私は罰金が多いとか少ないとか、そんなことを言っているのではない。要するに、「答弁せず、」というのは、これは国民の固有の権利として当然認めるべきであって、妨げたり、虚偽を言ったりすることは問題があると思いますが、その点、大臣いかがですか。私は、ここは非常にひっかかるのです。
  105. 福田赳夫

    福田国務大臣 堀さんが、先ほどから今度の不服審判法は、どうも進歩もあるが後退したところもある、その後退の一点としてあげられておるような感じがしりますが、しかし、いま主税局長に聞いてみますと、「答弁せず、」とかそういう事例は、いままでといえどもこういう仕組みになっておる、こういうことで、これは前進もなく、また後退もないわけなんです。ただ、これは不服審判を受けようという国民の権利、これの救済につきましては、かなり前進した考え方をとっておる。そういうようなことで、審判を受けんとする納税者、これは今回は大いにその立場を見られておる、こういうことになるわけなんです。その点は非常に前進だと思うのです。ですから、前進は前進でありますが、後退した部面は、この点についてはない、こういうのが当局の見解でございます。
  106. 堀昌雄

    ○堀委員 実は私、いま国税通則法の話をしたわけですが、そこで国税通則法として一般法規がなくて——現在あるものはあるもので援用すればいいので、それを事新しくここにこういうこれまでなかったものまで設定してやるということは、私はどう考えても、これはやはり審査請求人権利救済のほうに比重がかかり過ぎて問題がある、実はこういうふうに考えるわけです。  それから、今度こういう形でこれをお出しになったのについては、要するにこれまでの協議団法というものが不十分であるという前提だろうと思うのです、改正をされるわけですからね。そこで事務当局から現行の協議団法の不十分な点を答えてもらいたい。
  107. 吉國二郎

    吉國(二)政府委員 御承知のように、現行協議団規定は、「国税局協議団を置く。」という法律規定に基づきまして、協議団令でその他をきめておりますが、協議団権限は、国税局長協議団協議に基づいて審査裁決をしなければならないということが法律上きめられているだけでございます。したがいまして、協議団というものは、審査案件を調べまして、協議の結果、意見をまとめますけれども、それの最終裁決国税局長の行為ということになるわけであります。私どもは、これが非常に厳格に実施されていると考えてはいるわけでございますが、世間一般では、国税局長協議団意見をいれる場合に、その補佐機関である課税官庁、つまり直税部とか調査部どいうところの意見というものをやはり参考に聞くことになる、とかく課税官庁のほうが実体的に勢力があるというふうにいわれておりますので、その関係から、どうも協議団が思ったとおりの解決がつけられないという面があるのではないか、それを称して世間では同じ穴のムジナではないかということを言っておったわけであります。  これは考えようでございますが、従来の法律体系から申しますと、審査請求というものについては、上級機関が直ちに裁決するというのが従来の慣行でございますから、それから見ると、協議団のように第三者的な立場をいれて、その意見に基づいて国税局長審査決定をするという点は非常に前進だとは思いますが、もう少しそれを徹底すれば、同じ国税庁の中の所掌事務をきめる場合に、審査機能というものを一つ大きく切り離して、ほんとうに第三者機関にしてしまうというほうがより審査の適正という国民の要望にこたえ得るのではないかということで、その点を主として改める、国税不服審判所裁決権を与えてしまう。それによって課税当局は、一応その裁決に従うという体制をとったほうがいいのではないかということが今回の改正の一番の眼目だと思います。そういう意味で、従来の協議団は、確かに進んだ制度ではあったと思いますが、他の法制から見ると、ある意味では若干不徹底なところがあって、本来の目的が達せられないという欠点が内在しているのではないか、それをこの際改めるということであります。
  108. 堀昌雄

    ○堀委員 大臣、いまお聞きになったこと、私もそういうことだろうと思いますが、いみじくも主税局長が同じ穴のムジナということばを引用したわけですね。そうしますと、私、今度のこの法律を拝見しておりましても、国税庁長官が任命した国税不服審判所長がものをきめるわけですから、どうもやっぱり同じ穴のムジナという感じをぬぐい切れないというのが、実は私の率直な意見なんです、確かにいろいろなところに書かれておりますし。  ちょっともう一つお伺いをしておきたいと思うのは、これまでは協議団は、長官通達に拘束される、こうなっておりますから、そうすると、要するに事実認定の問題だけしかこれまでは協議団は扱えなかった。要するに法令通達解釈上の問題については、通達に拘束される以上、それのワクは出られなかった、こういうことだっただろうと思うのです。今度はそのワクも出得るということになってきたようですね。私はその点は、独立という意味では一歩前進があると思うのですが、どうもやっぱり大臣、その同じ穴のムジナという感じがぬぐい切れないのですよ。私は、そういう意味では一つの考え方を持っておるわけです。せっかくここまで一つ不服審判所というものを、独立した権限機構にしようという発想の上に問題が組み立てられておるならば、これはひとつ大蔵大臣のもとに国税不服審判所を置き、所長は大蔵大臣が任命をするということになりますと、それでもなお同じ穴のムジナだといえばいえないこともないですが、国税徴収の権限のワク内から出るということについては、やや私はいまの発想に基づいて忠実な考え方のような気がいたします。どちらにしたって、国税庁といえども大蔵大臣の指導監督のもとにあるわけですから、その大蔵大臣の指導監督のもとにあるものの下に置くという必要はなくて、大蔵大臣に直属をして置いても差しつかえないんじゃないか、こう思いますけれども大臣のこれに対する感じをひとつ言ってもらいたいと思います。
  109. 福田赳夫

    福田国務大臣 その点は、税制調査会でも非常に議論をされたところだと聞いております。同じ穴のというような感触が、あるいはあるかもしれない。しかし、これはどこまでも行政段階における権利救済の問題なんです。この行政段階権利救済の問題としますと、迅速に結論というものが得られる、これが私は最大の納税者権利救済ということになってくるんじゃないか。そういうことを考えますと、徴税当局と全然かけ離れたところにおって、慎重審査する、根っこから勉強して判断を行なう、こういう仕組みでありますと、迅速性に欠くるところが出てくるのではあるまいか、そういうふうに思うのです。税制調査会でもいろいろそういう点を考慮いたしまして、独立機構たることを要する、自主性をどこまでも貫かなくちゃならぬ、しかしその置かれる場所は、これは国税庁長官のもとにという、そういう結論に到達した、こういうふうに考えておるわけであります。そういう理屈からいうと、どうも国税庁から切り離したらどうだ、一見よさそうな感じもしますが、これは実務という面から見まするときに、どうもそれじゃあ理論倒れになるのじゃないかというような感じがいたします。私は、いま御提案を申し上げておるこの行き方のところが妥当なところではあるまいか、さように考えております。
  110. 堀昌雄

    ○堀委員 実はいまおっしゃたことは、この法律から見ると、そういうふうになってないのですね。この法律のほうには、国税不服審判所として第七十八条「国税不服審判所は、国税に関する法律に基づく処分についての審査請求に対する裁決を行なう機関とする。」二項、「国税不服審判所の長は、国税不服審判所長とし、国税庁長官大蔵大臣の承認を受けて、任命する。」これだけなんですね、実は法律としてのところは。あと国税不服審査会の問題もありますけれども、ここのところの「国税庁長官大蔵大臣の承認を受けて、任命する。」というのが、大蔵大臣がただ任命するということになればそれだけのことで、あとの仕組みとしては、いま大臣がおっしゃったように、国税庁の中に置くということにはなっていないのです、これを読みますと。ですから要するに、国税庁長官が任命できるものは、当然それは中に入るということになるのでしょうが、中にあろうがなかろうが、大蔵省機構の中のものが必要な場合に、いろいろなあれができないんじゃ省としての能力に欠けるんじゃないか、こういう感じもしますので、いまの迅速という問題は、何も国税不服審判所長も、大蔵大臣が直接任命をされないで、迅速に関係があるわけでもないだろうし、これは一つの問題ですけれども、あまり大きな問題ではないんじゃないか、実はこういう感じがしておるのです。主税局長何か言いたそうにしているから……。
  111. 吉國二郎

    吉國(二)政府委員 法律的には設置法のほうを直しまして、設置法に「国税庁国税不服審判所を置く。」「国税不服審判所の組織、所審事務及び権限は、国税通則法の定めるところによる。」ということで、付則で設置法を改めまして、設置法と国税通則法両方で明らかにしております。
  112. 堀昌雄

    ○堀委員 それは事務的なことですからたいしたことはありません。  そこで、独立の問題に関連してもう一つの問題がありますのは、実は大蔵大臣のもとに置こうが置くまいが、中身の問題に関係があるのですね。要するに、審判官そのものかどうかということがもう一つ重要な問題になる。審判官かどうかということにつきましては、答申のほうでは、「国税審判官の資格等 上記の国税不服審判所には、所長のほか、国税審判官、その補佐機関たる国税審判官、その他の職員を配置するものとする。この国税審判官については、任用資格を法定し、民間からの任用の道も開くものとする。さらにその待遇についても、職務にふさわしい処遇を考慮する必要があり、この意味では、一般職員の給与体系とは異なる特別の給与体系を設けることについても検討すべきであろう。また、国税審判官については、これに準じた取扱いを考慮する必要があろう。」こうなっておりますね。  そして、それについて皆さんのほうで、政令の案を当委員会に提出をしておられるのを拝見をすると、政令の案、私は一応けっこうだと思うのですが、この法律を見たときに、そういう一般職員と違う特別の給与規程が設けられるのかどうか。やはりこれはいまの大蔵大臣に直属をするという問題と、私の提案は、同時にその中身の審判官が、少なくとも国税に通暁しておることは必要だと思いますけれども、やはりどちらかといえば、本来国税庁の職員である者よりもそうでない者が、私に言わせれば過半数くらいいるというような条件になったときに、やはりこれは同じ穴のムジナという批判がだいぶ避けられることになるのではないか。やはり裁決、審判というようなものは、少なくとも第三者的な公平な立場処理がされるということがいわれておると思いますから、この身分、処遇、待遇といいますか、そういう問題について、もう少しこれがはっきりしていなければ、私は、仏つくって魂入れずということになるのじゃないかと思うのです。大臣、いかがでございましょう。
  113. 福田赳夫

    福田国務大臣 そういう気持ちで人事、給与その他はやっていきたいという考えです。ただ、民間人といいましても、なかなか実際問題とすると適任者を物色することは相当困難があるだろうと思います。しかし、そういう方向で最善を尽くす、こういう方針で実施したい、かように考えます。
  114. 堀昌雄

    ○堀委員 そうすると、国税不服審判所長の俸給は一体幾らを考えておりますか。
  115. 亀徳正之

    亀徳政府委員 実は、先ほどの先生の御質問の中の特別の給与体系を設けることも実際検討いたしてみました。ただ人数が必ずしも多くはないし、むしろ実質的に処遇を高めるというほうがいいのではないかということで特別の給与体系にすることは避けましたが、実はこれは予算書をごらんいただけばわかるわけでございますが、審判所長それから首席審判官一名、これは指定職とするということになっております。具体的にどういう人を持ってくるかによりまして、指定の甲にするか指定の乙にとどまるかという問題はあろうかと思います。ただ、気持ちの上で指定職をお願いしましたのは、少なくともこういう制度のたてまえの上で不服審判所長国税庁長官とほぼ匹敵するような格で、それから首席審判官は特に東京あたりが一番問題が多いかと思いますが、現在東京国税局長は最近指定職の乙をもらうようになったわけでございますが、少なくとも東京の国税局長に匹敵するような格にしたいということで指定職にし、指定の甲にするか乙にするかはいわゆる具体的にどういう人を持ってくるかによってきまるかと思います。指定甲といいますのは大蔵省では次官、私、主計局長それから財務官、実は四名しかいただいておりませんので、そういう格にまで持っていける仕組みにしておるということで、月給は、私のを申し上げてもいいのですが……(堀委員「言ってください」と呼ぶ)私の月給は、いろいろなものがつきまして、この間の月給袋を見ましたが、二十五万、手取りは十八万という状況でございます。
  116. 堀昌雄

    ○堀委員 実は私がいま問題を提起していますのは、まさにそういうところに関係があるわけです。なぜかといいますと、裁判官であるとか公認会計士であるとか、いろいろと政令の中に案が書かれておるわけですね。ところが、もし民間の方に審判所長に来ていただくのに、一体それじゃそういう国税庁長官並みでいいかどうかというと、このごろ皆さん御承知のように官吏天下り、こういう表現を使っていますけれども、私は、官吏天上がり、こう言っておるのです。たいてい民間に出ていったら給与が倍になるぐらいざらで、公社、公団はこの間から決算委員会でも問題になっておりますが、私もこの大蔵委員会で退職金その他を取り上げたことがありますけれども、全く天上がりになっておるわけですね。そういう状態から見ますと、私は、やはり本気で国民の期待にこたえるためには、身分としてはそういう国税庁長官なり主計局長なりと対等の身分、これは言うなれば大蔵省としては一番高いところでしょうから、それはいいと思うのですけれども、中身の処遇については指定職甲なんというようなことにこだわらないで一やはりこれはいまの順序からいきますと、審判官というのはだいぶ下のほうになりますね。指定職乙にもなっていない。首席が乙だ、こういう話だから、普通の審判官ということになるとだいぶ下のほうになるのではないか。ちょっと最初それを答えてください。
  117. 亀徳正之

    亀徳政府委員 各首席審判官が全体で十一名ございまして、一人を指定職、その余は行政職(一)の一等級でございます。これはやはり国税局長と同じ格にするというぐあいにいたしております。それはそういう体制にしております。また税の仕事でもございますので、やはり下のほう——下というか、審判官のところは、やはり税務職というほうが一般職より高いものですから、税務職にいたしまして、税務職の一等級十五名、それから二等級が六十九名。大体その実際の感じを申し上げますと、税務署長というのは一等、二等それから特三等、この範囲に散らばっております。したがって、芝とかああいう大きい署長は一等級にいっておりますが、中庸あるいはそれ以上というのが税務二等級でございます。中庸の税務署長と同等の月給を差し上げる体制、かように予算上認められております。
  118. 堀昌雄

    ○堀委員 大臣、この点は、ことしはすでに予算要求がされたりいろいろしておると思うのですが、一番肝心なところは待遇と身分ですね。要するに一ぺん審判官になれば何年間かは身分が一体保障されるのかどうか。御承知のように、裁判官は身分が保障されておりますしするのですが、やはりある程度そういう独立した権限になるためには、そういう身分上の保障もこれは非常に重要になるのじゃないかと思います。そうすると身分上の保障、それからいまの経済的な待遇、ここらを総合的にある程度高いものにしておかなければ、ここで答申が述べておるような、民間の人に来てくださいといっても来てもらえないと思うのですね。税に通暁しておるような民間の人というのはそんなに私は数がないと思うのです。大学の教授だとか助教授も書かれております。公認会計士なりそういう人たちのことも書かれております。弁護士なんかも書かれている。たいへんけっこうです。政令の書いておる中身はけっこうです。ただ紙に書かれただけではたいへん困るのです。そういう人が現実に審判官になるかどうかということが実は問題なのであって、政令の中身に書いたからといったって、どうせ来ないと思って安心して書いたなんというのじゃ困るのですから、その点をひとつ大臣としてはこれは積極的に、少なくとも半数くらいは民間の人を起用できるような待遇と身分の保障、そういうことを考えてもらいたいと思うのですが、大臣、いかがでしょうか。
  119. 福田赳夫

    福田国務大臣 身分保障の点は、行政体系上なかなかこれは議論のあるところであろうかと思います。しかし、運用上身分保障的な考え方で努力してまいります。  それから、給与につきましては、行政職員の体系の中では最高のことを考えておるわけです。これで全力を尽くしてみます。みて不都合がある、実施できない、こういうことであれば、またあらためて考え直す、かように御了承願います。
  120. 堀昌雄

    ○堀委員 その点それでいいのですが、不都合があるということは、要するにいまの審判官に民間の人たちをせめて半分くらい入れるという——副審判官はいいですよ、審判官はそのくらい入れるというくらいのお考えですか。
  121. 福田赳夫

    福田国務大臣 できる限り多数の人、そういういままで税務行政関係のない人でやっていこう、こういうふうに思います。ただ、現実の問題となると、そういう人が、給与をいかに厚くいたしましても得られるかどうか、その辺は私どもは若干心配をしておるのです。しかし、そういう方向で最善を尽くす、かようにひとつ御了承を願います。
  122. 堀昌雄

    ○堀委員 まあひとつ大臣、お約束をいただきましたから、その方向で御努力をいただきたいと思います。  そこで、実は私は、これまでの異議申し立てなり、それからそれの審査請求なり、それから訴訟事件なりをずっと資料で見てみますと、これはやはり現在の国税決定がかなりミステークが多いという感じがするのですね。もちろん、それは人間のやることですからミステークもあると思うのですが、大体私の感じ。四十二年度のこの資料で見ますと、最初の異議申し立ての中で、全部取り消しと一部取り消しとそれからこうあるわけですけれども、その中で全部取り消しと一部取り消しというのを合わせますと一万五千七百六件、こういうふうに四十二年のはなるのですね。全体が三万四千七百八十一件でありますから、四十二年の異議申し立てについては四六%はともかく全部か一部を取り消した。要するに税務署の決定が間違っておりましたと頭を下げたかっこうに実はなっていますね、まず第一段階で。そこで、ここで残ったものが今度は審査請求をいたしているのですね。今度は審査請求をした中でまた全部の取り消しと一部の取り消しを合わせますと三千九百五十三件、そして処分にかかるものが約一万でありまして、四〇%くらいがまたここで頭を下げていらっしゃる、一ぺん頭を下げて。異議申し立てのときは、いや私のほうが正しいんだ、こう言って突っぱねておいて、突っぱねたものの中からまた四〇%頭を下げる、審査請求で。これは二段階頭を下げるものがあるわけですね。そこへもってきて、その次にまたここを通り抜けていよいよ訴訟とこうなりますね。訴訟となって一審でどういう状況になっているかというと、国側が全部勝訴というのと国側が一部勝訴というのと敗訴というのとあるのですね。国側が一部勝訴ということは、国側の言い分が一部は通ったけれども全部通らなかったということは、これは国税庁の資料だから書き方が国の側だけがいいように書いてあるわけだけれども、私はこれを国側一部勝訴じゃなくて国側一部敗訴だと思うのです。一部は勝訴かもしらぬけれども一部敗訴。一部敗訴と全部敗訴とを加えますと実は三十件あるのですね。そうして国側の勝訴が四十七件、こうなっている。ここでは取り下げというのはちょっと別です。却下が十一件、それで国側勝訴が四十七件ですから五十八対三十、和解が六というこれはちょっと別にしまして。ですから、第一審の状態で見ても、だいぶまたいかれるわけですね。これを見ますと、さっき私が主税局長にこれまでの制度が問題があるのじゃないですかと言ったときに、それは問題がないことはないけれどもと、だいぶけっこうな答弁をされたけれども、どうもこれでは協議団というものはあまり権利救済の役を果たしていなかったような感じがいたすのですね。大臣、どうですか、私のいまの問題提起は。
  123. 福田赳夫

    福田国務大臣 さあ、その読み方、見方でございますが、それだけ国のほうが処分の更正を命ぜられるようになったことは、協議団がいかに機能をよく発揮したかというふうにも受け取られるわけでございまして、これがさらに強化されるという不服審判所はさらにさらに偉大なる権利保護の役目を尽くすであろう、かように考えます。
  124. 堀昌雄

    ○堀委員 大臣、いまのお話で、裏側からいえばそうですけれども、国民はこういうことをあまりよく知らないと思うのです。国民がこれを詳しく知ったら、何とまあ税務署の決定というものも案外じゃないかなという感じを持つのじゃないかと思うのですね。まずやはり原処分庁がそういうことのないようにする必要があるのじゃないか。国税庁長官どうですか、そこは。
  125. 亀徳正之

    亀徳政府委員 最初に、先生のおことばを返して申しわけないのですが、この件数がかりに少ないと、おまえみんなけとばしてとこう言われ、認めるとまたでたらめじゃないかと、まあその点はどこからいってもどうもつらいことばかりおっしゃって非常につらいことをまず申し上げたいと思います。  それから私、今度の改正点で一番強調して——  一番というのはちょっと言い過ぎですけれども、まさにちょうど先生がおっしゃった気持ちを実は内部で言っておるので、今度の制度ができるのは、こういう審判所ができるということばかりじゃない、この際に不服審判所がりっぱな成果をあげるためにはやはり異議申し立て、その前の段階のこれは直税部の問題だぞと言っておるわけです。むしろ異議申し立ての処理をきっちり正しくするということが、ほんとうに問題をしぼって上へ持っていくということになるのではないか。そういう点もいままで若干、反省いたしますと期限徒過が三カ月とか、ほっておいても三カ月すれば審査請求に、意識してそうやったとは思いませんけれども、移るじゃないかということで、うっちゃらかされる例が全くなかったとはいえないのではないか。だからやはり税務署の段階でも異議のあれをつける。  それから、もう一つこの機会にやりたいと思っておりますことは、別な人の目で不服を見直す、場合によれば、大きい署だとその専門官をつくるようなことを考えたらどうだ。かりに専門官をつくらないまでも、いままではやはりやった人がまた見るとそれこそ自分のやったことにどうしたって拘泥しますから、それはいかぬのじゃないか、だからそういうときはもう少し上席の力のある人に別な目で見てもらうということがいいのではないか。  したがって、私は今度の、これは何でもそうですけれども制度というものはできたからそれでいいというものでは決してない、それをほんとうに生かして運営するということが一番大切じゃないか。そういう意味で、今度の話はこの不服審判所だけの問題ではない、こういう納税者の方々の不服を処理する全国の税務署のあり方の問題を含めてこれは反省しなければいかぬ、改善しなければいかぬ、かように考えておる次第であります。
  126. 堀昌雄

    ○堀委員 大臣、実はいまの話で私はおそらくこれがされていないのじゃないかと思うのですけれども、異議申し立ての件数一万五千七百六件も全部取り消したり一部取り消したわけですね。これを全部原処分者のところに返して、そこでもう一ペん、彼らが間違っていたのは一体どこにあったかということが、それは単にその当事者だけでなく、税務署において一つの公開討論会といいますか、いままではずんずん上がってはおろされてきたということがあった、それはこういうところに事実認定の誤りがあったとか、法令解釈上の問題があったとか、やっていますか。全部があとで完全にトレースをしながら、その反省の上に処理がされていれば、私はもっとこれが減ってしかるべきじゃないかと思う。どうもそれがされていないのじゃないかと思う。どうでしょうか。
  127. 亀徳正之

    亀徳政府委員 私、先ほど午前の、もういま午後になりましたが、田中先生がちょうど同じような御質問をなさいまして、やはり私は、こういう異議申し立ての話は個別の中に一般がひそんでいる、だからその中から類型的にわれわれ反省すべき点を特に税務署の幹部というか、署員を指導する立場の人は見直さなければいかぬ。そういう点でやはり税務の執行の全般をこういう個別の不服の事案を通じて反省すべきではないか、また同時にそういう方向でわれわれも指導いたしておりますが、なお不十分な点があるのではないかということもおそれております。今後おっしゃるような方向で一そう努力してまいりたい、かように考えております。
  128. 堀昌雄

    ○堀委員 最後にちょっと、これもやはり酒税に関係のあることで、今年度非常に重要な問題だと思いますことは、酒造米が今度は自主流通米によって処理をされる、こういうことになりますね。ところが、時間がありませんから簡単にはしょって申し上げますけれども、一体自主流通米となったときには価格が上がるおそれのほうがあるのじゃないか。ことしは国の買い上げる生産者米価は引き上げないということにこの間決定をなさったから、その点は問題はないけれども、自主流通米のほうは、値段がもし上がってくれば、これはもう昨年、一昨年と引き続き問題になった酒の値上げという問題にまたはね返ってくる。せっかく政府が消費者米価を固定し生産者米価を固定して、物価対策でかなり思い切った政策をとろうとしておるにもかかわらず、結果としてそういうことになったということでは、これは非常に問題があると思うのですね。  そこで、ちょっと大蔵大臣にお伺いをしたいのは、少なくとも片方には政府が買い上げておる米があるわけですね。だからもし自主流通米のほうの価格が上がって——その基準は少なくとも私は、政府の買い上げ価格のコストを上回らない範囲になればよろしいけれども、上回った場合には、当然その政府管理米を酒造業者が希望したときは、政府管理米をコスト価格で引き渡すということをすべきではないか、それでなければ、せっかくの物価対策は、実際に酒類の問題については徹底しないのじゃないか、私はこう思うのですが、その点だけ、ちょっと大臣ひとつお答えをいただいておきたいと思います。
  129. 福田赳夫

    福田国務大臣 自主流通米は、消費者の選考に従いまして、政府売り渡し米と別にその品質に応じた価格で売り渡そう、こういうのです。勢い、実際問題とすると、うまい米を求めたいという人に対してうまい米が売られる、こういうことになるだろうと思うのです。したがって、自主流通米の価格は一般の政府管理米の価格よりは多少上になる傾向を持つのじゃないかと思います。しかし、上になる傾向がどういうふうになっておるかというと、一方においてそれほど品質の違わない政府売り渡し米というものが多量に一定の価格で放出されるということでございますから、この自主流通米の価格も、大勢としては政府管理米の価格に連動する、これに相当影響される、かように見るのです。したがって、自主流通米の価格は上がる傾向は持つけれども、上がり幅というものは、政府売り渡し価格にかなり引きずられる、そう大きな上がりはあるまいというふうに見ておるのです。  その際に、酒米がどうなるかということは、国税庁とすると重大関心事なんでありますが、これは農業団体との間で話し合いで、なるべくそう上がらないような価格で取引がされるというふうにあっせんしようということにしておるのです。しかし、万一うまくこのあっせん工作がいかぬという際には、最後の最後の手段として、政府管理米も売却するといことも考えておるわけです。
  130. 堀昌雄

    ○堀委員 私は、どちらの米がどうなるかということよりも、酒の原料米が上がったから、またひとつ値上げという問題が起こらないように、これは大蔵大臣としては考えていただきたい。それでないと、物価政策としてせっかく米の価格を据え置きながら——それは消費者がうまい米を高く買って食う、このことは自由意思ですからいいのですけれども、中間段階で高いものでいったために、消費者が高いものをいやおうなしに買わされれるということは困りますから、いま最後にお触れになった点ははっきり承りましたから、その線に沿って瑕疵のない行政上の処置をとっていただきたいと思います。  終わります。
  131. 田中正巳

    田中委員長 暫時休憩いたします。    午後一時五十五分休憩     —————————————    午後二時五十六分開議
  132. 田中正巳

    田中委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  質疑を続行いたします。春日一幸君。
  133. 春日一幸

    ○春日委員 先般来、野党各委員の質問を拝聴しておりましたが、大臣が三十分しかとどまれないというので、それに合わしてまず大臣からそれぞれの意見を拝聴いたしたいと思います。  午前中、田中君の質問にも堀君の質問にも、いままでの制度にはいろいろと欠陥がある、そのような反省の上に立ってこのような改正を行なわんとするものであると述べられておりました。しかし、現実にはその反省というものは非常に不徹底ではないか。また、この改正案の中には矛盾が多い。そうして結果的にずさんなものである。顧みまするならば、一たび法律が制定されますると、おそらくはその法律に基づいて将来相当の期間にまたがって、これによって国民の権利あるいは義務というようなものが制約されてまいると思うのでございます。したがって、その反省の上に立って改正をここに行なわんとするならば、それは望むらくは徹底した反省でなければならず、それを受けて立った法の改正でなければならぬと思うのです。しかるに、すでにしばしば指摘されておるように、随所に欠陥があると思われる。一口に言うならば、不徹底のそしりは免れない。税制調査会の指摘にもありまするように、望むらくは、準司法機関としてそのような救済制度を設けることが考慮されておるが、そのことはいずれ将来司法行政全般にまたがっての改革が行なわれるときに云々と、こう述べて、将来にそれを期待しておるという体系のものでございます。  私は、この際、福田大蔵大臣にお伺いをしたいと思うのですが、過去の制度、現在の制度にそのような欠陥があったとするならば、また、それは何らかの形で改正を必要とするという認識がありとするならば、なぜ徹底的な根本的なその救済制度を考えないか。すなわち、これを準司法機関として、たとえば公正取引委員会のような制度も考えられるであろうし、あるいは人事院のような法的機能を付与する救済機関も考えられるであろうし、私は、その他いろいろと考え方があり得ると思う。この間吉國君の答弁の中に、それに対して法制的に不可能であるというような答弁があったようでございまするけれども、他にいろいろと調べてみますると、行政行為を批判する独立行政機関というものは現行制度の中においていろいろ設定されております。すなわち、人事院規則がそうでもありましょうし、土地調整委員会の設置法もそうでありましょうし、あるいは公取の制度それ自体も準司法機関としてそのような機能が与えられておると思う。  私は、憲法に保障されておりまする生命、財産の保障という点から考えますると、国家権力による財産権の侵害というようなものは、私はこの徴税行政以外にはそうはないと思う。だといたしますると、この生命に次ぐ財産権の保障、しかもそれが不法にかつ不当に侵害されたものを救済する手段、こういうようなものが生命に次ぐ財産でありまするだけに、やはり私はなし得るところの最高限度の措置が講じられてしかるべきであると思うが、あえてそのことを避けて、そしてこのような従来の国税庁付属機関の限界にその機能権限をとどめたということはいかなる理由であるか、この点を大臣から御答弁を願いたい。
  134. 福田赳夫

    福田国務大臣 いま春口さんから公正取引委員会、人事院の制度、さようなものとの比較において飛躍的な制度改正が今回できなかったのか、こういうような御意見を交えてのお尋ねでございますが、いま納税者は所得税を見ましても二千万人をこえる状態であります。また、間接税を入れれば全国民が納税者なんだ。そういうような状態でありまするから、やはりこの争訟案件というものはかなりたくさんにのぼるであろう、こういうふうに考えられるわけでございますが、そういう問題を一々迅速にさばかなければならぬ。迅速なさばきということが非常に重大な権利擁護につながる、こういうふうに思うのであります。  そういうようなことを考えまするときに、ただ単に形の上だけがどうも準司法的に整ったというだけで真に権利救済というものが実行できるか、こういうことを考えまするときに、それはもう理論倒れというか、理はかないましてもその実をあげ得ない、こういうことになることをおそれるわけであります。協議団制度というものがあった。それを反省してみますと、協議団は結局徴税官庁そのものがまた見直しをするというのにすぎない、また、徴税官庁は国税庁長官通達等の指示に従わなければならぬ、こういうことからいろいろの批判があったわけでありまするが、これらを調整し、かつ十分な独立性を与えた機関というものを設定いたしまして、そして迅速にその国民の不服とするところを解決していく、ことが一番国民の要請にこたえるゆえんではあるまいか。もしそれでも不十分だという場合におきましては、司法機関というものがあるわけですから、これに提訴することを妨げておるわけではございません。あくまでも非常に広範にわたる税務行政というそのワクの中におきまして権利救済を最大限に全うしたい、こういう考え方がいま御提案の中に盛られておる。私どもはこれが現実的な行き方である、いたずらに理論に走ってはならぬ、かように考えておるのであります。
  135. 春日一幸

    ○春日委員 私は、その点があなたのような相当な頭の切れる男にしては、依然として認識と判断、そういうものがマンネリズムの中を低迷しておると思うのですよ。私は行政審判制度の方向を考えますると、大体それには二つあると思う。それは行政不服審判制度であり、他は行政審判制度と、この二つのものに分けられてくる。一方が準司法的な権限を持ち、一方が行政機関範疇にとどまる、こういうことであろうと思います。ところが、この行政不服審判制度というものは、一口に言うならば、実際は行政体それ自体の自己統制というかまた行政監督範囲内のものでしかないと思う。私はそのような自己統制だとか行政監督というような範囲内で、はたして国民の侵害された財産権というものが回復ができ得るかどうかということなんでございます。行政審判制度というものでありますと、これは第三者機関でございますから、したがいまして、この場合国税庁というものの特にその通達などのごときものには全然顧慮することなく、法律に基づいて、厳正なる判断に基づいて、自主的な裁決を行なっていくことができると思う。よってもって国民の人権保障というものはここで一応完ぺきを期し得ることにはならないか。  私は、いままで協議団がいろいろとその苦情の処理をしてきたその結果にかんがみて、実に数多くの再更正の決定がなされておる。このことは、国民の財産権がそのように数多く法律に違反をして、かつ不当に侵害されておる事実を物語るものである。したがってそのような事実を踏まえて国民の財産権、これを確保する、擁護するためには、この際やはり行政審判制度に踏み切って、そして第三者立場において厳正なる判断を下していく。これが私は、すなわちいままでの協議団制度というものに対する反省の上に立って初めて現在の欠陥とかあるいは矛盾とかいうものを是正することになるのではないかと思う。この点はいかがですか。結局反省するといったところで、ほんとうに反省したかっこうを見せるだけのことであって、実際の効果というものは、それは従来のそれにかんがみれば若干の進歩ではあるが、国民は若干の進歩を求めておるのではない。生命と同じように、それに次ぐ財産権が行政機関によって、国家権力によって侵害されたときにはそれを回復すること、これを救済することを求めておる。徹底的に回復、徹底的に救済できるという、こういう制度を考えるのが当然の事柄ではないか。  私は、この改正案というものはしょせんは吉國君と亀徳君との研さんによるものであると思うけれども、われわれ過去二十年間振り返ってみると、両君はやはり相当の人材としてわれわれは将来を嘱望しておった。本日、国税庁長官として、主税局長として国政の任務をになわれるに至ったこと、まことに祝着に存ずるが、しかし、このようなずさんな、そしてまた、このような中途はんぱな法案をもって、さらに将来わが国行政司法制度根本的改革を見るまでこれによって押し通していくというその魂胆、いわゆるセクト主義、権力主義——私は依然としてあなた方こそは午前中にも言われておったように、同じ穴の毒蛇にしかすぎない。猛烈な反省を求めてやまぬ。いずれ大臣が行かれてからあなた方にほこ先を転ずるとしても、この問題は、福田さんのような知性の政治家が過去の反省の上に立って将来の改革をはかるとするならば、徹底的なことをやるべきである。それが行政責任にある者の責務ではないかと思う。もう一ぺんすなおに反省をして、そのような吉國君や亀徳君のこのような粗雑な案に拘泥することなく、あなたの政治家的良心に基づいて、あなたの政治家的政策をひとつ述べていただいたらいかがであろうか。
  136. 福田赳夫

    福田国務大臣 どうも口の穏やかな春日先生にしては非常に激しい言い回しのお話でございますが、私は、主税局長国税庁長官も、その事務的能力において最大の信頼をいたしております。私も非常なしさいなまだ検討というわけでございませんけれども、大綱において、この制度は非常に画期的なものである、かように考えるわけです。  先ほどから申し上げましておるとおり、協議団のあり方というものを反省し、その欠陥とするところをことごとく払拭いたしまして、そうして国民の税に対する権利救済のための現実的な提案をいたしておるわけなんです。これは理屈をいえば幾らでも理想案は書かれます。しかし、それは書かれるだけであって、実効をおさめるかということになりますると、私はここでいま提案をしておるこの構想、これが最も実際的な考え方をあらわしておるものである、かように考えておるのであります。  お説はお説として承って、理解も届きます。届きますけれども、実際問題としてこの衝に当たる者とすると、そう理論に走るわけにはまいらぬというのが私の心境でございます。
  137. 春日一幸

    ○春日委員 現状になずんではいけないと思うのですよ。現状の困難性を克服していくというところに議会主義の政治というものの権威と意義があるのであって、現状になずんで、困難だからとりあえずなし得る限界にとどめていくというようなことでは、民主政治というものの真髄は発揮されないのである。現状にいかぬところは、いかなる困難があろうともそれを排除して、理論のとおりにいかないにしてもあとう限り理論に近づけていく、これでなければならぬと思う。  私の理論は現実をはなはだしく遊離したものではないのであって、公正取引委員会が、あるいはまたただいま申し上げました土地の紛争処理のその機関が、半ば司法権をもって他の行政機関の執行を拘束していくのである。そういうようなことがなし得るのに、少なくとも国民の財産権というものに至大な関係を持ち、過去の実績、すなわち協議団の過去二十カ年間の実績におもんみるときには、そのようにも数多くの法律違反の侵害、不当なる侵害、財産権の侵害、こういうものがあったんだ。かくてはならぬというところに反省があって改正をしようと思うのであるならば、公取がやっておるような、あるいはまた土地調査委員会が国家からその権限を付与されてその機能を発揮しておるようなそういう体制を考える、そこに踏み切るということが、私は、これは必要不可欠の要件ではないか、当然の事柄ではないか。  たとえば、これはどういうことになりますか。まあ、ここの中には随所にいろんな問題があると思うけれども、この異議申請とか不服審判を受けるにあらざれば裁判所に提訴することができないということになっておる。だから、これを裁判所に提訴をして、前置二審の経過を経ていないからこれは受理できない、却下された。その不服申請者が、これは憲法三十二条にいうておるところの、日本国民は裁判所において裁判を受ける権利があるというこの基本的人権が侵害されているといって、その救済を、憲法違反の行政としてこれを提訴して、そこでもしも最高裁が、そのとおりだ、このような前置制度を設けるということは憲法三十二条に違反するというような判決がおりたら、結局はこの法律というものは無効になってくるではないか。だから私は、そういうような一つ二つの問題を取り上げてこの法体系全部を論ずるわけではないけれども国税庁長官から任命された者が国税庁長官の意思に反した裁決を行なうということの可能性ですね、法の条章では、そのような可能性をここに文言にあらわしておるけれども、実際的にそういうようなことはむずかしいのではないか、実際問題として。だから、実際にその侵害されたる財産権の回復だとか保障だとかいうものが、この改正によってその法目的を達し得るかどうか、大きな危惧を抱かざるを得ないと思う。  大臣、この点はいかがですか。あなたは次期総裁争いのほうに気がいってしまって、こういうようなデリケートな、専門的な問題については全然研究が至っていないのではないかと思いますが……。
  138. 福田赳夫

    福田国務大臣 先ほどから申し上げておりますとおり、理論に走ってはならぬと思うのです。これはもう理論に近づけるという努力はしなければならぬが、しかし、あくまでも大蔵省は徴税の実際の衝に当たるのです。その衝に当たるものとして考えますときに、やはり理論にばかり拘泥するわけにいかぬ。実際の税務行政運営ということを考えなければならぬ。一番大事なことは、この案件が迅速に処理されるということである、こういうふうに思うわけです。  そういうことを考えますときに、いまの御提案は、最大限に実際と理論とを調整し得た結論でないか、こういうふうに考える次第でございます。
  139. 春日一幸

    ○春日委員 私は、最もタイミングに問題の処理がなされることが望ましいと思いまするけれども、早ければいいというものではないのですね。また、もとより早く問題の処理解決をせなければならぬという、そのような政策上の要請にこたえるとするならば、その手段はこのような方法によるのでなければ他に方法はないのかどうか、この点も考えられてしかるべきではないであろうか。たとえば交通裁判というものが非常に頻発をしておる。だとすれば、これについて早期に問題を処理するということのためのいろいろな政策なんかも考慮されておるところでございますね。だから私は、必要に基づいて行政機関というものはあるのでございますから、したがって、そのような司法機関といえどもそのような国民の財産権をこれを擁護する、その侵害からこれを救済することが必要であり、かつ、その事案が多いということが事実関係としてあらわれてくれば、裁判所をふやし裁判官をふやせばよろしい。裁判官はふやされないということはないのでございましょう。われわれ国会において、そういう問題について必要とあらば、男を女に変える以外のことは何でも変えられる。われわれ、オールマイティである。富士山をこわして琵琶湖を埋めることだってできる。何でもできる。裁判所をふやし裁判官の数をふやすくらいのことは唯々諾々たるものである。国民のそのような財産権を確保することのために裁判所の手が足らぬ、だから税務署員の恣意によるところの苛斂誅求を見のがしておくということ、そういうことがいけないから、このようなずさんな方法によって現実をごまかしていく、あいまいもこにおとしいれていく。許されることではないではないか。その点、どうですか。タイミング、タイミング、もとよりタイミングだ。けれども、その手段はこれ以外にないということではないのですから、そのような方法を講ずるということが当然国会に課せられておる使命であると思いますね。どうです。
  140. 福田赳夫

    福田国務大臣 どうも抽象論とすると先ほど申し上げたとおりでございますが、具体的にどういうことをお考えになっておられるのか、それをお聞かせ願えぬと、お答えのしようもございませんでございます。
  141. 春日一幸

    ○春日委員 あなたは何という男ですか。私が言っておるのは行政審判制度の方向には二つある。その一つ行政不服審判制度であり、他の一つは、すなわち行政審判制度である。すなわち行政審判制度ならば、独立行政機関として準司法的な性格を持ってきて、国税庁決定というものを拘束することができる。公正なる第三者立場に立って、厳正、公正なる判断を行なうことによって、すなわち人権保障の趣旨にも適合しまするし、そうして現実にはそのような侵害された権利の回復というものがより多く期待できる。ところが、現在の国税庁付属機関というようなことになれば、しかもその審判所長なるものは亀徳さんによって任命されたのでございましょう。言うならば子分である。子分と親分との関係で、子分が親分にさからってそのような裁決ができますか。私の言っておることは、具体的に言うてもらいたいと言うが、初めから具体的に言っているじゃないか。そういうものを国税庁から切り離して内閣に設けるとかなんとかいうようなことは行政例に幾つかあることなんだが、そういうことをおやりになるべかりしものであったと思うが、この亀徳君と吉國君のサル知恵でこんなことでごまかそうということはけしからぬということを言っておるのですよ。
  142. 吉國二郎

    吉國(二)政府委員 私から……
  143. 春日一幸

    ○春日委員 あなたが答弁するのはどういうわけですか。私は、具体的に言ってくれと言ったから、具体的に言った以上は大臣から答えてもらいたい。
  144. 吉國二郎

    吉國(二)政府委員 技術的な点を私から申し上げたいと思います。  春日先生のおことばでございますので、私ども大いに傾聴しなければならぬと思いますが、春日委員の仰せられます行政不服審判、行政審判の差異でございますが、これは先生が長らく国会で御経験になったとおり、行政審判の制度はアメリカの行政委員会の制度を戦後導入したものでございます。戦後たくさんの行政委員会ができました。この行政委員会の任務と申しますのは、主として行政行為司法的な立場において行なう。たとえば公正取引委員会において、公正取引の独禁法違反の行為について審決を下すとかいうことでございまして、アメリカにおきましては、なるほど準司法機関の中に、抗告訴訟的なものとそういう行政行為司法的な慎重な手続をもってやるのと、二つの系統がございます。わが国の実定法において掲示いたしましたものは主として後者でございます。私人間の関係行政的に確定するという手続を準司法的に確定をするという方法で準司法機関が設けられたことは、先生よく御承知のとおりでございます。抗告訴訟については行政訴訟としては実定法上はいまはない。おっしゃるとおり、それを一歩進めて第三者機関を通じて準司法機関を抗告訴訟の中に取り入れるべきであるという御意見は私もよくわかりますけれども、現在の実定法を基礎として考える場合には、抗告争訟的なものを、この際従来の最大限のところで国税庁の中に、いわば国税に関する賦課決定最高機関である国税庁の中に、しかし第三者機関的な制度をもって取り入れることが、私どものぎりぎりの限界であったわけでございます。  もちろん現行制度全体を攻変するという点について、税制調査会が将来といっておりますのは、やはり春日先生御指摘のような形をとりますと、当然準司法機関から上訴する場合には跳躍上訴という形で高裁に直接上訴をするという形で、司法段階を省略するということが国民権利保護のためには必要になってくると思います。これも進歩としては私はわかるのでございますが、いま直ちにそのような形が、日本の行政司法秩序の中でとれるかという点から申しますと、なかなかこれはむずかしい問題もございます。また、大臣が申しておられますように、実際的に考えてまいりますと、人的な組織その他から考えまして、やはり時日をかしていただかなければならぬのではないか。税制調査会が考えておりますのは、将来その方向というものを生み出すためには、その第一段階が生まれていなければならないということから出てまいった今回の考え方であると思うのであります。  ですから、将来先生のおっしゃったようなことが不可能であると私どもは考えているわけではございません。ただ現段階として考える場合には、少なくとも現行法の秩序体系の中で考えていくよりしかたがないのではないか、これがいまの早急な改善として考えられる限界ではなかろうか、かように考えたわけでございます。
  145. 春日一幸

    ○春日委員 これは、私はただ議論のために議論を展開するのではなくて、実質上の問題としてこれは大いに考えてもらいたいと思うのです。あなたはそのような立法論を展開されているけれども、いわゆる独仏流の自己統制方式といいますか、それが日本の国情に合致するものであって、英米流のそのような人権尊重の準司法的色彩を加味していくという方式が日本の実情に沿わないという、そのことはただあなただけの断定にしかすぎないものである。ひとりよがりの早合点である。われわれはそうは考えない。現実の問題として命に次ぐ財産権というものは、最高度にその保障は完ぺきを期せられなければならないとするならば、協議団がやってきたことは、そのような軽微な調査権限ですね。きわめて軽微な権限を行使してすら、なおかつあのような膨大なるところの法律違反、膨大なるところの不当という課税がなされていたことを発見したのである。協議団というようなものは、言うならば金魚酒だ。そのようなきわめて希簿な自己反省をもってしても、間違っておったものが山ほど出たのですよ。だとすれば、これは大いにひとつ洗い直してみなければならぬ。納税者のほうに不満不服というものはそれぞれあるであろうから、それを救済しなければ憲法の宣告に行政機関がこたえることにならないから、だからいままでの協議団制度を改めようじゃないか、こういうところに来たとすれば、いまあなたの言われたように、独仏方式というようなワクの中で足踏みをしていないで、進んで、すなわち英米方式による準司法機関第三者救済を考慮する。そこに踏み切るということは、何も現実をはなはだしく遊離したものでも何でもない。私は可能であり、論理においてもぴったりと筋が通っていると思う。  この点、どうですか。ただわれわれが質問をしてあなた方がいままでの考え方だけで答えているというようなことであるならば、ほんとうにお互いががやがやと音を立てているだけにすぎないことであるから、真剣にわれわれの言うことを胸襟を開いて聞いて、いいと思ったことは直していったらどうだろう、現実の問題として。かつて池田さんが大蔵大臣のときには、福田さんは反対だったけれども、現実にここで論議して、いいと思ったことはどんどん直していったですね。ここで論議して、なるほどなということは、吉國さんもよく知っているけれども、お知らせ制度のシャウプ勧告について、これは法律精神に違反をする、これはやめようじゃないかということで、即日長官に指令を発して、電報を打ってお知らせ制度を取りやめたことなどもある。幾多の改善勧告をこの委員会の論議を通じてやってきた。ところがあなた方は、法案はこれなんだから、野党が何と言おうとも、貴重な正論がどのように出てこようとも、わしの考え方はこれだというようなことでは、この国会論議の意味をなさぬと思うのです。  だから、そういうような反省の上に立って、私の申し上げたように、ひとつ何とか過去の実績にかんがみて、国民の財産権の侵害がおびただしい、そのような認識の上に立つならば、その救済、補償というものは、この際改めるならば完ぺきを期そうじゃないか。いいころかげんならば、ずさんなものならば、なまじっか角をためて牛を殺すというようなことにならないように、これはしばらく、半年や一年先に延ばしても完ぺきなものにこれを改めていってはどうか、こういうことなんですよ。いかがですか。
  146. 福田赳夫

    福田国務大臣 御意見等お伺いいたしまして、これはそのとおりだ、これは直したほうがいいという場合におきまして、これを直すのに別に何らのちゅうちょもいたしません。ただ、私が申し上げておりますのは、どうも春日理論は理論にとらわれ過ぎておるのじゃあるまいか。これはやはり実際の税制にあてはめ、また、実際の納税者立場というものを踏んまえて考えるときに、あまりこれが理論的に過ぎて動きが鈍い、時間もよけいかかる、こういうようなことであっては、これが権利救済というねらいと背反する結果になるのではあるまいか、そういうことをおそれるわけなんであります。お話は十分承ります。よく考えますが、いま私が言い得ることはそういうことじゃないか、さように考えます。
  147. 春日一幸

    ○春日委員 私はそんなむずかしいことを言っておるのではございません。さて私どもが言っておる意見を実施に移そうと思えば非常な困難を伴ってくる、そういうことを言っておるのではございません。たとえば四百数十名ありまするところの協議団、これを今度は不服審判所の定員にしていく。けれども審判所長長官の任命を受けるというそのような付属機関であるから、結局は、その上官の命にさからって、あるいは意見を相異にした裁決を下すというのは非常に困難性が予測される。したがって、公正を期しがたい。だから、これを公正を期し得るにはどうしたらいいか。すなわち、この審判所制度そのものを国税庁から抜いてしまって内閣に設ける。大蔵大臣が任命する不服審判所長たる者、これを内閣総理大臣が任命する。そうして、それが法律に基づいて公正なる判断をし、独自の裁決をしていく。そういうようなことは何もむずかしいことじゃございません。任命権者があなたから佐藤さんに移るだけのことであって、人員は同じことでもいいじゃないか。構成メンバーは同様のものでいいじゃないか。ただその徴税当局の間違いを解剖、分析して、間違っておるものなら間違っておる、間違ってないものなら間違っていない、間違っておったらかく改めるべし、こういう国家的な行政権限を行使して国民の権利を守っていく、こういうことを何をかためらうか。どこが悪い。どこに困難性がありますか。きょうでもあしたでもやれることじゃありませんか。だから、そういうふうになさるべしということを申し上げている。だから、現実を私が無視して観念論をここでうそぶいているわけのものでは絶対ありません。きわめて現実の上に立って、そうして正しい論理を展開しておるだけのことなんですよ。どうですか。
  148. 福田赳夫

    福田国務大臣 まあ仕組みの上からいいまして、国税庁所属する審判所を内閣に移す、これは簡単なことです。しかしながら、その利害得失というものを言っておるのです。そういう方法がいいのか、あるいは国税庁と相並んで机を並べて仕事をするというかっこうのほうがほんとうの意味権利救済になるのか、この得失を考えておるわけなんです。理論としてあなたのおっしゃることがわからないことはない。しかし、そういうことにしてはたしてこれが国民の福祉につながるかというと、そうは考えないということを申し上げておるわけです。
  149. 春日一幸

    ○春日委員 あなた、民法でいう双方代理禁止の原則というこの法意を御承知だと思うのです。たとえば国税庁長官は徴税官吏の総元締めである。同時に、国税庁長官は徴税官吏のやった間違いを正す任務を持っておるものである。すなわち、相異なる性格を持っておる。このことは民法でいっておるところの双方代理禁止の原則そのものに反する。利害相異なるところの二つの機能を持つものの総元締めが一つのものであるということはおかしいじゃないですか。この点どうですか。
  150. 福田赳夫

    福田国務大臣 厳格に言いますと、そういう考え方もあり得ると思うのです。
  151. 春日一幸

    ○春日委員 どうして厳格に言わないの、こんな重大な問題を。
  152. 福田赳夫

    福田国務大臣 ところが全国民が納税者なんだ。この納税者の不服というのはずいぶん無数にあるだろうと思う。それを的確かつ迅速にさばいていかなければならぬというのが、この審判所の使命になると思うのです。そういう際に、内閣だと国税庁とずいぶんかけ離れております。そういう空なところでこれのさばきに当たる、これは実際やってみていろいろの不都合というものが出てくるだろう、そういうことをおそれておる。とくと御理解のほどをお願い申し上げます。
  153. 春日一幸

    ○春日委員 この男には何を言うても通じない。委員長大蔵大臣の退場を命じてください。(笑声)  ぼくがどんな正論を述べてもその心が全然通じないということはあきれ返った話なんだが、それではひとつ政務次官相手にやることとなると思うが、政務次官いかがですか、いま私の申し上げたことは。あなたも私と同じ県の代議士だが、現実の問題として私が申し上げておることは。早く早くと言われるけれども、早ければ何でもいいというものではない。これはマラソン競走をやっておるわけのものではないのですからね。間違いのないようにきちっと国民の権利をどう守っていくかか、すなわち法律違反の執行がずいぶんあったという実証にかんがみて、すみやかに救済措置を講じなければならぬ。今後このようなあやまちを繰り返すことのないように、法そのものを直していかなければならぬというその反省の上に立ってこれをやろうとするならば、あとう限り完ぺきを期していく。そのためには、いま申し上げましたような双方代理禁止の原則というのが民法にあるだろう、その法意をさらにこの判断の中に取り入れまして、そのような苛斂誅求を行なっていくと見られるところの税務職員と、それを救済する任務を負うところの不服審判所の職員と、その両方を統率する最高責任者が同一人格の国税庁長官、これは何と考えてもおかしい。おかしいからそれぞれの機能というものが発揮できないのではないか。税務署の顔を立てれば審判所の顔が立たぬ、審判所の顔を立てれば税務所の顔が立たぬ、両方立てれば長官の顔が立たぬということになってくる。ほんとうにそうなんだ。この点は上村君、君はどう思われるか。君は若くてなかなか誠実な人のように見受けられるが、どうですか。
  154. 上村千一郎

    ○上村政府委員 私は、春日先生のおっしゃっている理論とかたてまえということは決して筋の通らぬものじゃない、そういうことは思っておるのです。ただこの問題は、この前の参考人の諸先生もいろいろ言われておりますが、現段階をどういうふうに見ていくかという高度の政治的判断というものが、伏在してくるだろうと私は思うのであります。最終的には春日先生おっしゃったような線へいくことであろう、けれども、いまの段階としてどうかということの判断になるかと思うのであります。  先生十分御承知かと思いますが、結局争いが生ずる、権利救済をするという場合のやり方について、二色あるわけでございます。   〔委員長退席、倉成委員長代理着席〕 と申しますのは、まず第一に、当事者に争いがある場合に、それは争いが解決しさえすればいいんだ、こういうものの考え方と、当事者に争いがなくなっても真実が発見されなければいけないという場合と二つあると思うのであります。と申しますのは、民事訴訟や何かにおきまして権利救済という場合に、自己によって処分ができる権利、要するに私権の関係にあるものにつきましては、当事者に争いがあってもまあまあ当事者で和解が成立すればよかろうというのが、たとえば貸し金請求だとかいろいろな場合において、必ずしも真実を発見しなくても当事者で争いがなくなればよろしい、これが当事者処分権主義でやっておる。ところが、刑事事件の刑罰権の行使とかそういうようなものになりますと、まあいいわというようなわけにいきませんで、結局当事者間に争いがなくなっても、国家が介入いたしまして事実関係をはっきりさせてやる。こういう二色。要するに、争いが起きた場合の解決のしかたで、当事者にまかしていい場合と、そうでなくて国家権力が介入してそうして事実を発見して解決させる、こういう二色があると思うのであります。  徴税権の場合はどうかと申しますと、これはむしろ刑罰権みたように一つの国家権力、個人でその権利処分する私権の対象に適しない権利であろうと私は思うのであります。そういう場合におきまして、真実の発見を期していく、要するにそういう状態に入りますというと、むしろ当事者にその真実を発見をさせるということになってまいる。春日先生の理論、お説は、結局終局的にはそういくほうが正しいだろうと思うのであります。けれども、現状の場合どうするかといいますと、先生も御案内だと思いますが、たとえば司法裁判所へこの租税事件がいった場合、事実関係認定、そういうところに争いがあったりいたしまして訴訟が非常に遅延してしまう、こういうことはこの前東大の金子教授がここで参考人として多少触れておったとおりであると思うのです。現状において、いますぐ司法裁判所のほうへこれがいくという場合に、いま春日先生おっしゃったように、それは裁判官をふやせばいいじゃないか、また、それに相応する処置を講ずればいいじゃないか、こういうお説ごもっともでございますが、裁判官の増員ということは、先生も御案内のように非常にむずかしい……。
  155. 春日一幸

    ○春日委員 ちょっと、ぼくは時間があるのだけれども、あなたのほうはとんでもないことばかり言っておる。全然関係ない。
  156. 上村千一郎

    ○上村政府委員 要するにそういうようなことで前置主義をとって、ひとつ行政的に、争いといいますか私権関係の不服をその程度において整理し得るものはそこでやって、そしてその後争いがあるという場合におきましては憲法規定によって司法裁判所の救済を求める、こういうほうが現実においてはよかろう、こういうふうに考えられて政府原案を出しているわけであります。
  157. 春日一幸

    ○春日委員 お聞きをいただきたいのは、福田大臣にも申し上げておりますように、私はいきなり裁判所に、裁判を受ける権利があるから裁判官をふやせというようなことだけを言っておるのじゃございません。問題は、実際、公正的確に処理しようと思えば、そういうことをも念頭に置いて対策を立てるべきである。しかし、そのことは事実上不可能であるから、したがって、便宜の措置としてここにこの不服審判所が設けられた。不服審判所の所長は、これはやはり救済機関なんだから、そのような徴収機関とは別の使命と性格を持つものなんだから、したがって、これを内閣に設置して、徴税機関とは別個の機能が、使命に基づいて果たし得るような体制でこの不服審判所を設けるべきではないか。むずかしいことではない、人員も四百何十名そっくり持っていけばよろしいですね。そういう機関を設けていけば——何にもないものをやるのじゃない、ここでただ設けようと思うものの資格とか権限とか機能とかいうものを国税庁長官から切り離していけ、こういうことを言っておるだけなのでございますから。私はそういうことを言っておるが、あなたに質問すると時間が長くなってしまいますから、この点について吉國君はどういうふうに考えておりますか。
  158. 吉國二郎

    吉國(二)政府委員 春日先生のお話しになっております点は、この救済行政で考えるか司法で考えるかという一つのポイントに来ていると思います。準司法機関を設ける、つまり、内閣に特別な機関を設けるということは、行政庁がやった行為に対して第三者判断を下す、法律的な判断を下すという意味でその機能司法機能だと思います。したがって、税制調査会でもこの救済問題を行政救済として構成するか、司法救済として構成するかという点はずいぶん議論になった点でございます。ただ、司法救済としてやる場合には、すでに三審制によるほんとうの意味司法機関があるわけでございますから、その重複をいかにすべきか。司法機関がありながら行政府内にそれと別系列の司法機能ができるということは、これは重複があまりはなはだしい。したがって、行政救済という従来の形をとるべきだという考え方をとったわけであります。  行政救済という考え方をとりますと、これは先生御案内のとおり、行政というものは合法的かつ合目的的なる行為を実現することにあるわけでございますから、徴税で申しますと賦課決定という行為は、当然にそれが間違っていればそれを訂正する行為を含むわけでございます。したがって、従来考えられておりました異議申し立てに対する処理審査に対する処理というのは、さような賦課決定権限の是正機能として考えられていたわけでございます。それを第三者に渡してしまうということは、いわば行政機能をはずれて司法解決をはかるという第一歩だと思います。したがって、もしも将来アメリカ式に、行政段階にも司法解決を大幅に導入をするという考え方が成り立つならば、私は、これは一つの考えだと思いますけれども、御案内のとおりに、戦後日本はアメリカの行政委員制度を取り入れながら、実はその後行政委員会はわが国の国情に適しないというので、行政委員会の証券取引委員会を証券課に改めた、そういうことですべて縮小をしてきております。しかも行政委員会を取り入れる場合にも、準司法機関としての立場行政行為に対する抗告争訟的なものには一つも認めていない。そういう実定法秩序を考えますと、税制だけここで準司法機関を設けるということがはたして妥当であるかどうか、そういう観点から税制調査会ではやはり行政不服審査機能として構成する場合には、現在大蔵大臣のもとにおいて国税庁長官が賦課徴収の機能を一括委任されているという立場をとれば、ここの一つ機能としてこれを第三者的に分離するという考え方が正当ではなかろうかという結論を出したわけです。たとえば大蔵大臣のもとに関税不服審査会というものがございますけれども、その関税行政については、御承知のとおり関税局は内局でございまして、大蔵大臣の専権となっているわけでございますから、大蔵大臣のもとに関税不服審査会ができておりますが、国税庁の租税行政というものは大蔵大臣から一括委任を受けておるという立場から申しますと、関税不服審査会が大蔵大臣のもとに置かれると同じ意味において国税不服審判所国税庁の管轄下に置かれるのがいまの行政組織としては常識である、かような観点からできたわけでございます。  ただ、それが春日先生の言われるように、将来わが国においてもあらゆる行政機関の行為に対して第三者の批判機関行政の部内に取り入れるという大きな制度ができ、それに対応して行政事件に対しては司法審判は二審級でいく、第一審は省略するというような制度ができてくれば、これは私は一つ解決であると思うのです。しかし、いますぐにそれをやるということは、客観的に見て不可能であろうというのが、税制調査会の結論であったわけでございます。
  159. 春日一幸

    ○春日委員 あなたは税制調査会、税制調査会といってえらいこだわっておられるけれども、われわれはそんな関係ないですよ、実際問題として。のみならず、あなたはそれだけ読んでおられるようだが、いまからたしか七、八年前だと思いまするけれども、元の平田国税庁長官長官時代アメリカへ行って、そうしてこの不服審判制度についていろいろ勉強してきて、何か浩瀚な文書を出しております。私も、六、七年前にそれを読んだことがあるが、あなたお読みになりましたか。要するに、アメリカにおける租税審判制度、タックス・コートの制度ですね。これは私の言う理論そっくりのことを、これがアメリカにおける制度であり、日本においてもかくあるべきであると彼は報告しておる。だから、あなた方の先輩のいうたこともよく学ばなければいかぬ。国費をかけてアメリカへ行って、ずいぶん苦労して勉強してきた。ただ、税制調査会が二、三のチェックをしておるからといって、いきなりそっちへ乗りかえってしまって、自分たちの権限というものを、セクト主義で一生懸命に抱いておろうという魂胆こそ、官僚独善の最も忌まわしい傾向であると思うのだ。あなたは平田レポートをお読みになりましたか。私は七、八年前に読んだんだけれども、わが党はこの制度をいささか研究してわが党案をここに、その当時一個の議員立法の形で要綱を出したことがありますが、これはもっぱら平田案そのもの、平田レポートにのっとってやっておるものである。当時の国税庁長官がかくあるべしというたこと、それはやはり税制調査会の意見と加味して、そして私は新しい制度の中に取り入れられてしかるべきであると思うが、平田レポートは全然サイレントになっちゃっていますが、どういうわけですか。
  160. 吉國二郎

    吉國(二)政府委員 平田さんが「欧米における税務行政」というものを書かれて、その中でこの点に触れておられます。ただ、アメリカにおけるタックス・コートの制度を直ちに日本に導入できるかという点になりますと、アメリカの司法制度、いわゆる普通法国における司法制度わが国司法制度とではかなり違いがあると思います。もちろんわが国の……  〔春日委員司法制度は違っておるが、税務行政はシャウプ勧告に基づいてわが国はアメリカ方式をとっておるじゃないか」と呼ぶ〕
  161. 吉國二郎

    吉國(二)政府委員 税制はかなり似ておると思います。   〔春日委員「がなり似ておるやつに対してかなり似ておるやつができないはずがない。それはだめだよ、シャウプ勧告によって日本の税制が……」と呼ぶ〕
  162. 倉成正

    ○倉成委員長代理 春日君、不規則発言を禁じます。
  163. 吉國二郎

    吉國(二)政府委員 税制と行政組織とそれはまた違うと思いますし、司法組織、行政組織はやはりその国の伝統があると思います。もちろんわが国は御指摘のように大陸法的な立場をとっておりましたが、戦後英米系的な色彩が強くなっております。その強くなったのも、先ほど来申し上げておりますように、準司法機関の取り扱いについては一つの考え方が貫かれているように思います。これをさらに思い切って、各行政行為に対して第三者機関を置くかどうかというのは非常にたいへんな問題だと思うのです。いまの不服審査法にしても、これは基本的には行政行為をした当局並びにその上級機関がこの行政不服を審判するというのがたてまえでございます。これに対して、第三者機関を前提とするということは、わが国行政行為としては非常に飛躍をすることになるのではないか。その点で、タックス・コートというものを置くとすれば、わが国では、行政の組織から申しますと、国税庁長官のもとにタックス・コートを置くという構成をとるのが一番妥当だということになると思うのであります。その意味で、不服審判所はまさにタックス・コートの機能を果たすものだと思います。もし純粋の第三者機関をつくるとすれば、あるいは御指摘だと思いますけれども裁判所の第一審機能を省略する、つまり、準司法機能というものはそれだけ行為価値のあるものであり、第一審のかわりをするものでなければならぬはずであります。そこまで踏み切れるということがいま確実に考えられるかと申しますと、これはまだ日本の行政司法組織としては未成熟であるということは先生一番御承知だと思います。そこのところを打開するというためには、やはり時日をかけなければならない。  この国税審判所第三者機関に準ずる成果をあげてくれば、おのずからそこに第一審省略も可能であるという風潮が出てくると私は思うのであります。いわばここで事実をもって積み重ねて、先生のおっしゃるような機能を日本に取り入れれば、日本の行政機構の大改革ができる、かように考えるのでありますが、それを直ちにいまやれということは私どもとしてはどうも不可能である、かように考えております。
  164. 春日一幸

    ○春日委員 あなたにやれというのではない。やるのは国会でやるのであって、一片々たる主税局長がそんな大きな改革ができる筋合いのものではない。ただ、私は悪口雑言を言うておるわけではないが、公取は勧告をする、審問、審決をする。そしてそれに対して異議があった場合は、これを裁判所に持っていくことができる。そういうような風潮が成熟してないと言うけれども、独占禁止法が戦後二十数年実施されたことによって、もはやそのような風潮は成熟しておるのです。成熟してないと思うのはあなただけなんです、現実の問題として。すなわち、内閣に設けられたところの公取が準司法機関的な色彩をも加味して、同時に、一方に行政権を持ちながら、そのような公正なる処理ができ得るという、しかもそのことが普通の裁判所との間のつながりがきわめて合憲的に、合法的にできておる。そうすれば、この審判所制度だってできないわけはないじゃございませんか。同じ経済法律で同様のことができておるものを、この問題で、しかも国民の財産権に対して大きな被害を与えてきた実績にかんがみて、これを救済するために、まさにその使命、性格は公取と同然のものといっても私は過言ではないと思う。(只松委員「それ以上だ。」と呼ぶ)それ以上だと言っておるのです。只松君の言はまことに当を得ておる。私は、だから、機運が成熟してないとかいるとかいうことは、あなたと亀徳君二人の単なる独断でしかないと言っている。そしてそのような改革が必要であるとするならば、それは国会がやるのであって、あなた方がやるのではない。またやれるものでもない。くやしかったら代議士になってみろというんだ。(笑声)
  165. 吉國二郎

    吉國(二)政府委員 公取の審決その他は私人間の法律関係について第一審的に公取が判断を下すわけでございます。そういう意味においては、公取は行政機関であると同時に、その効果が準司法的な効果を持つ判決を下しているわけであります。公取はそういう意味では準司法機関でございますが、一定の官庁が行政行為をやったものに対する判断をしているわけではないのであります。そういう形の準司法機関は日本ではまだ未成熟だと申し上げているのであります。準司法機関としての行政委員会的なものは、日本では確かにこなしてまいりました。しかし、抗告争訟的な形で行政行為に対する批判をする第三者機関というものはまだ成熟していないということを申し上げたわけでございます。準司法機関としてはもちろん日本でも着々と成熟しつつあるのがございますことは、私ども確かに認めているところでございます。
  166. 春日一幸

    ○春日委員 私は、新しい制度、改善改革というものは何びとかが初めに踏み切らなければならぬと思います。だれも踏み切れぬからおれも踏み切れぬというようなことは、理論として説得力を持たないと思うのです。ただ問題はわれわれが——いつも理論が堂々回りしておって恐縮ですけれども、改善改革を必要とする、このような認識の上に立つならば、決意は一体何であるか。思い切って徹底的にやるべきである。そのような前例がないとするならば、その前例がとっぴな前例ならいけませんけれども、準司法機関として第二審に直ちに提訴できるという準司法機関司法機関とのつながりがすでにここに一つの例として開かれておるのだから、百尺竿頭一歩を進めるだけのことだ。何もむずかしいことじゃないのです。しかも平田報告はそのことを示唆しておる。どうです。
  167. 亀徳正之

    亀徳政府委員 私に対する質問ではございませんが、一言私からも申し上げたい点があるわけです。  私もかつて所得税課長時代以来、春日委員とたいへん長いおつき合いで、委員が現実的に問題を割り切っておられることにたいへん敬意を表しておる者の一人でございます。  一番の問題は、四百四十九名がそっくり移るからいいではないかということではなくして、たとえばこういう点を申し上げたほうがおわかり願えると思うのですが、先ほど先生、顔とおっしゃいましたが、私もつまらぬ顔を立てるとかそういうことはどうでもいいのでございますが、一番の問題は第三者が——というのはほかの例を引けばいいのですが、税法学会がこの間来いろいろ議論しております。税法学会も同じように、内閣にこういう制度を移せということを言っておられる。それとともに税法学会で言っておるのは、これは論理の必然性だと思うのですが、その決定がおかしければ、国税庁長官が直ちに出訴する権限国税庁長官に与えるべしということを税法学会は主張しております。これは当然の論理で、国税庁長官一つ措置に対して、第三の機関がそれは違う、私はそれはどうしても納得できないということになれば、やはりどこかに救済を求めなければいかぬ。それはいまのたてまえでは裁判所に、たとえば納税者の方も訴える、同時に私も今度は裁判所に、そういう決定はおかしいということを訴える権限が与えられなければいかぬ。ということになりますと、長官が、どうもそれはおかしい、こう思えば、こちらもまた訴訟を起こす。そういうことを繰り返すということは、いまの体制の中ではかえってたいへん迷惑ではないか。それで先ほど先生は、長官が任命したら子分だ、それはたまたま任命いたしますけれども、やはり独立的な運営をするときには、まあしょせん立場上任命するだけで、決して子分とは思うわけではございません。それからまた同時に、やはりその通達に対して一つ裁決をされようとするときには、すなおにお考え直す、行政段階でそういう反省をし得るチャンスを与えたほうがより効果的ではないかというのが今回の考え方で、立てるべき顔は長官の顔でも何でもないので、やはり国民の顔を立てるべきだ。  そうして、そのための組織は現実的にはどういうことが一番いまの日本の現状に合っておるか、それと違ったときに、長官がまた出訴するというようなことをぎしぎしやるような体制がいいのかどうか。しかも、決定になりましたら、同時に裁判所に持っていく道を閉ざしているわけではないのでございますから、やはりこういうのがいまの与えられた日本の現実のもとではいいのではないかというのがわれわれのほんとうの、これは主税局長範囲でございますが、感じを率直に申し上げまして、私の気持ちを……。
  168. 春日一幸

    ○春日委員 いまのあなたの理論というものは的はずれだと思う。ということは、税法学会が、望むらくはかくあるべし、しかし、その決定に対して長官が異議のある場合は裁判所へ提訴することができる、こういうようにしたら調整がはかり得るではないか、こういうことを言っておるのは、これはわれわれが言っておるのじゃないのですよ。その税法学会ですか、そういうものが言っておるのであって、あるいはまた、そのような精神に基づいて社会党案もそういうふうになってきておると思う、実際問題は。それはわれわれが言っておるのじゃないのですよ。われわれはそんなことは否定しておる。社会党への質問の時間があるそうだから、これは村山君をやっつけなければならぬと言っておるのだけれども、実際はこの審判所制度というものが救済にその目的がありとするならば、長官が一々、審判所決定について不服がある場合だけれども裁判所に提起するということになれば、救済の実は大いなる妨げを受けるではないか。まさに首尾一貫せざるところの意見と言うべきであって、それは社会党案も適当でないと思うし、税法学会の学術的な知識というもの、見解というものも実際まことに愚かしきものであると評価せざるを得ない。だから、そんな要らぬこと言わないでほしい、何もそういうことは問題になっていないのだから。そんな税法学会がどう言うたとかこう言うたとか関係ないのだから。だからそのようなことを幾らあなたが奇特な人間だからといって、(笑声)よそさまのことまで実際は言う必要はないと思うのです。私の質問の範囲にとどめてもらわないと、やぶ道に入っていってしまう。あいつがこう言った、こいつがこう言ったということは要らぬことじゃないですか。
  169. 亀徳正之

    亀徳政府委員 私は、税法学会が言ったからということよりも、税法学会がたまたま言っておるということを引用して客観性を主張したかったのです。ということは、やはり……(春日委員「民主社会党の政策は客観性がないのかね」と呼ぶ)ちょっとお聞き願いたいと思うのですが、もしも国税庁長官意見といまの第三者的な——これは内閣に置いた場合に、その意見が違ったときにそれは一体どういう調整をするかという問題が残るではないかということを私は申し上げたい。それはもう賢明な春日委員のよくおわかりなことだと思っております。
  170. 春日一幸

    ○春日委員 その調整はどういうぐあいにはかるのか、そのことが公序良俗を著しく乱るような場合とか公共の福祉を阻害するとかいろいろな場合があるだろうが、少なくとも公取だとかあるいはそれと同じようなベースに置かれるところの租税審判所の所長ですね、あなたと身分が一緒だそうだけれども。そんなえらい者が途方もない裁決を下すというようなことは実際問題としてあり得ないのじゃないか。だから、紛争があるとか意見が対立するときの調整ということは、それはいろいろと合議するとか、合議ととのわざる場合はどうするとかというような制度を設けるのが立法令であって、そうしてあなたのほうがオールマイティとして、あなたの意見が通らぬときは裁判所に一々持ち込むのだ、こういうことでは救済機関としての機能を確保できない。そういうようなことが学会の御意見だそうだけれども、適当なものではないとわれわれは考えておる。やはり一つの法意あるいは法の目的というものが純粋に確立されるような法体系を組んでいかなければいけないと思うのだ。それにしてもそんなことは要らぬことじゃないか。
  171. 亀徳正之

    亀徳政府委員 先生は私の真意を大体わかっていただいておると思うのでありますが、私は逆に裏から申し上げておるだけで、そんなに本質的に対立があるわけじゃない。だから私の通達を、たとえば不服審判所長が批判したからここでどうこうという筋合いではない。だから、そこでやはり国税庁長官は反省して直すというこのいまの仕組みがやはり現実に合っているのじゃないかということをむしろ私は申し上げたい。私は何もここで、裁判したいしたいと言っておるのじゃなくて、ここで意見対立がほんとうにあったときに、何らか行政機構的にどう調整するのかということを適当にやればいいじゃないかというわけにまいらないから、逆にいま言ったような解決方法、またこれがいまの日本の実情に合っているのではないか、私はかように信じます。
  172. 春日一幸

    ○春日委員 それでは前に進みます。やぶ道に入ってしまうと前に進みませんから。  そこで、九十七条の第一項との関係で、いま堀君も質問をされましたが、これはおかしいと思うのです。その関係者がその問題について審判官、副審判官、職員の調査に対して協力しないというような場合は罰金に処すということになっておりますね。当事者の場合はみずからの権利を放棄すれば不問に付す、こういうことであって、当事者以外の場合には、その審判所の職員あるいは審判官がその調査に臨んでそれぞれの要求をした場合、それに応諾するにあらざればこれを罰金に処すというのだけれども、私はこれはちょっと筋違いではないかと思うのですね。  なるほど、真相を究明するためには全国民の協力を求める、こういう法意ではあろうと思うけれども、これは罰則を科して協力を求めるというのでなければ、協力が求められませんか。問題はそこだと思うんだ。申請した本人は、帳簿を見せろ、三年前にさかのぼって見せろ、わしゃいやだ、こう言う。そうすると、おまえの申し立ては却下した。ああそれでよろしい、見せるよりも権利放棄したほうがよろしい。これでそれは免責されますね。ところが、それに関係のある者は、ノーと言えば罰金ということですね。私はこの辺が均衡を失すると思うのです。真実を究明する、それでなければ公正なる裁決ができない。全国民の協力を求めるということは、これはよろしい。けれども、その協力は、本人の場合はそれを見せないといえば、権利放棄すれば、それでとがめを受けないのだ、何にも責任は問われない。そんなものなんだ。だから協力を求めるにしても、単に協力を求めればいいじゃないか。協力をしないやつは罰則だなんて、そんなものは、本人よりも飛ばっちりのほうが大きいなんておかしいじゃないか。
  173. 吉國二郎

    吉國(二)政府委員 この協力義務と申しますのは、やはり国民の納税義務に発しておると思います。国民の納税義務を履行するためには、国民はみずからの所得なり課税標準を証明する責任を負っておるというのが前提だと思います。同時に、その取引に相互に関係のある者は、それぞれ税務調査に対して協力する義務を課して初めて納税義務の完遂ができるという理論構成で、各税法に質問検査権の規定が設けられているものだと思います。  しかし、御承知のとおり行政不服審査法におきましては、各行政不服審査にあたっては各基本法、税の事案であれば各税法——所得税法、法人税法の質問検査権を適用することができるという規定になっておりますから、したがって、従来の協議団方式の場合には所得税法、法人税法の規定がそのまま適用になったわけでございます。そうしますと、いまここで第三者の質問検査権に対する罰則は、罰則の程度は違いますが、全くそのまま適用になっておったわけであります。その上に審査請求をして、私は税務署が百万円ときめたのが不服で五十万円でござるとやっておる人間が、もうその調査には服しないといえば、それじゃおまえは百万円で、五十万円の権利は放棄したなということになると、いわば審査請求をしなかったと同じ結果になるわけです。審査請求においては、今回もはっきり書きましたように、不利益変更するものではないというたてまえをとっておりますから、審査請求における調査を拒否したということは、即審査請求を放棄したという意味以外に何ものもない。その意味で本人をはずさなければならい。ところが、いまのこの規定を置きませんと、いまの税法はみんな適用になりますから、そうしますと本人も違反で罰則を科するという結果になります。そこでその本人ははずしまして、従来税法で書いてあるその他の人間だけをここに書いてある。そういうことによって、いわば各税法の質問検査に関する規定並びに罰則を排除いたしまして、本人についての罰則のない、そしてその他は従来の税法と同じ規定である質問検査権並びに罰則を新たにここに入れたということでございまして、そういう意味では従来の規定を一部減らして入れた、こういうことでございます。
  174. 春日一幸

    ○春日委員 それにしても、実際の不服審判所の審判職員が関係者に向かって調査質問をするということは、すなわち徴税当局としては、言うならば監督行為であり、自己反省行為ですね。自己反省すべきか、すべからざるがよかったのか、国税庁が自己反省をやるから君たちは協力しろ、協力しないと処罰するぞ。おかしいじゃないか、どろぼうが自分の罪を後悔して大いにひとつこれから反省をしたいと思う、協力しないやつはぶんなぐるというようなものじゃないですか。すなわら、そこで新しく当事者は権利を放棄する。さすればそれは免責になる。これに合わして第一項を「協力するものとす」とか、宣言規定か訓示規定にとどめるべきであって、本人自体が拒否権があるのに、第三者である一般国民が拒否権がない、こういう法の立て方は私はアンバランスになってくると思うのですね。真相を究明する、それは必要だと思う。けれども、罰則を科せなければ究明できないかどうか、問題はここにあると思うのですね。本人自体が権利を放棄すればエクスキューズされるが、その次の者がエクスキューズされないということは、これはすべての国民を国税庁の手下のごとくに見ておるものじゃないですか。国税庁なんかと一般国民とは関係ないですよ、主権者なんだから。その辺のバランス、調整をはかる必要はありませんか。
  175. 吉國二郎

    吉國(二)政府委員 御説の点もよくわかるのでございますが、一般の課税決定をする場合にも、これは第三者の協力なくしてはできないわけであります。その点で第三者に対して罰則が適用になるという構成をとっております。不服審判におきましても、もしもある人が自分はこれだけの支払いをしておると主張します。その相手方がそれに対して答弁をしない、その資料を提供しないということになりますと、それはやはり審査請求としてはその本人は非常な不利をこうむるわけであります。その点、課税決定を受ける場合の調査と何ら差がないわけでございます。ただ、本人に罰則が適用にならぬという点は、この審査請求というものが本来不利益変更は認めない。本人がもし審査請求理由さえ取り下げてしまえば、本来なくなってしまう性質のものであります。真実追及とはいいながら、不利益変更はしないという限界のついた処分でございますから、本人が課税の面で不利益を受けるという点だけで、特に罰則を設けないということにいたしたわけなんでございまして、そういう意味ではバランスがとれておるということになるわけだと思います。
  176. 春日一幸

    ○春日委員 私は、この問題は不利益処分は絶対しないということがその柱であるならば、それを柱にしてそれに従属する処理をしていかなければならぬと思う。何のためにそんなに真相をとことんまで究明していく必要があるのかという問題になってくると思うのだが、いろいろのものが出てくれば、そのような国家権力を行使していろいろなものをそこから引っぱり出してくる。その結果本人の申し立てが不実な申し立てであるのみならず、さらにより大きな脱税が発見されたというような場合、そういう場合が心底にひそめられておるのではないか、こういう疑惑がここからわいてこざるを得ないものである。一方においては、本人が見せなければ権利放棄とみなすぞ、そして何ら処罰を受けられないぞということなんで、そのことは不利益処分はしてはならない、こういうたてまえに立つのでございますからね。  だからこれは私は、与党の理事諸君にも社会党にも申し上げたいと思うのだけれども、こういうぐあいに直らないものですか。たとえばそのような関係者に向かってしかじかの要求をして当事者たちがそれに応じないという場合には、その審判員は申し立て人に対してそれらの者に協力する旨国税庁はこれを勧告する。それで当事者がその関係者に向かって要請し、なおその関係者が不服申し立て人の要請にもかかわらず応諾しない場合はどうこう。どうこうということは、すなわち真実を究明することができないからその権利放棄、すなわち不服申し立てというものはそこで却下されるものというふうにしていって、むやみに国民に向かって罰則を科すというようなことは——特にこの場合、国税庁が侵害された権利を回復することのために働くのでございますから、真相を究明しなければ、そのとおり租税法定主義に基づいて、租税実体主義に基づいて、これが公正かあるいは違法かということがわからないから念のために調べるわけですね。念のために調べるんだから協力してくれいという、その協力要請とかあるいは訓示宣言の心理的影響を与えるということはいい。それで足らないとするならば、すなわち不服申し立て人が関係者に向かってその調査に協力するように働きかけて、その働きかけにもかかわらず関係者がなお協力しない場合はどうこう。こういうふうにして、その不服申し立て人と関係なく関係者があるいは罰処を受けるかもしれない。しかもその処罰の意義は何であるか、結局は不利益処分をしないという大前提のあることにかんがみて、そんな強制調査なんかやったって意味ないんじゃないか。その辺はどうです。
  177. 吉國二郎

    吉國(二)政府委員 第一に、これはいま再々申し上げておりますように、この規定を置かなければ現行法が動いてしまうということでございます。  それから不服審査法においても、あらゆる分野において同じことがきめられておるということ、それから不服審査をする場合に、これは国民の納税義務の実現ということが一つの主眼であることは、申告納税においても明らかでございます。したがって、当該不服審査をした人間の所得を的確に反映するということは、課税決定をすると同じ重要な意義を持つものでありまして、ことにこの場合には、もしその証明が成り立てば権利救済が行なわれるというときに、第三者が、自己の利益かどうか知りませんが、協力を拒むという場合は、課税決定に際して協力を拒む以上の問題であると思います。そういう意味では第三者に対して協力義務を課するという以上、やはり強制、ツワングが必要であるということは、いまの不服審査法一般の原則でございますので、これ自身は私は新しい制度ではない、むしろこれが当然の制度であると思うのであります。  ちなみに、社会党案におきましても、罰則は過料ではございますが、明らかに罰則をもって強制をいたしております。これは同じ考え方であろうと思います。
  178. 春日一幸

    ○春日委員 審判所の職員というものは徴税官吏じゃないんでございましょう。
  179. 吉國二郎

    吉國(二)政府委員 この審判所審判官と申す者は、徴税の是正を行なう、課税裁決を行なうという意味においては徴税官吏になるわけでございます。収税官吏に属する、従来の規定からいえば。ほうっておけば一般法の規定が適用になるべきものであります。
  180. 春日一幸

    ○春日委員 そうすると、この審判官も副審判官も、身分名称は収税官吏ですか。
  181. 吉國二郎

    吉國(二)政府委員 税法で収税官吏といっている場合には、それが該当するという性格のものでございます。
  182. 春日一幸

    ○春日委員 この問題は、私はなお長官並びに局長においてもっと精密な検討をしてもらいたいと思うのです。よろしいか。要するに不利益処分はしないということを大前提にして、その調査機能というものを効率的に確保しよう、ここに法意はあるんでございますから、したがって、不利益処分をしないということが大前提ならば、現実の問題としてそんなに強権をこれに付与する必要はないではないか。  〔倉成委員長代理退席、委員長着席〕 真実を究明しなければ公正なる判断というものは出てこないでしょう。このことはわかる。だから、真実を明確に把握するためにはあまねく調査をしなければならぬと思うが、その場合、私は個別の事案として具体的に判断を加うるならば、有利な条件というものをみんな出してくるんでございましょう。有利な条件だものだから、不利益な条件なんてものは出てこないのでございますよ。よろしいか。不利益処分はしないのだから不利益条件は出してくるはずはないし、また出してそれをさがし求めてはいけないのである。この辺の論理は非常にデリケートだからよほど頭がよくなければわからぬかもわからないが、不利益処分はしないのだから不利益条件をさがし求めてはいけないのである。そうだとするならば、このような主張に基づくところの証拠物件をお出しくださいというて審判員が関係者に求めたとき、よろしいといって協力するだろうし、あるいは協力しないとしてもそれは宣言規定として——まあ取引が浅くなってしまったとかけんかして別れてしまったとかいうことで、不服申し立て人と疎隔しておるような場合は進んで協力しないかもしれない。そのときは法の宣言規定で、協力しなければならないとしておけばそれでいいじゃございませんか。すなわち、不利益条件をさがし求めてはいけないということですよ。有利条件ならば、そんなものは協力の宣言規定で当然出てくるんじゃないか。  国税庁長官、その点どうですか。あなたは徴税責任者現場にあって不利益処分はしていけないのだ。ならば、不利益条件はさがし出してはいけないということになってくると思う。当然そのような拘束を受けるなら、そんなものは罰金だなんて大げさなことを言わなくても、有利条件というようなものならばどんどん出てくるんじゃないか。
  183. 吉國二郎

    吉國(二)政府委員 それは春日先生よく御承知ながら裏から言っておいでになりますが、利益条件というものは、本人に利益な条件は場合によって第三者に不利益であるわけであります。たとえば当該事件について、おれはこれだけ売り上げがない、あれには売っておらぬ、こう言っておる。あるいは自分はあれに仕入れをこれだけしておると言っておるといたします。相手方は、その仕入をしておるとすれば売り上げになるわけであります。相手方が売り上げがあると言えばこちらでは仕入れになるはずであります。そこで相手方の所得決定をする場合には、取引というものが経済界のいわば相対者の取引である限り、ある人間に取引について有利な決定をしようと思えば相手方に不利な場合があることは、これはむしろ当然であります。したがって、不利益条件をさがす場合には、むしろ相手方は利益条件を出すかもしれません。利益条件をさがそうとすれば相手方は不利益条件なのでありますから、第三者はむしろ協力しにくい立場に立つということになるわけであります。
  184. 春日一幸

    ○春日委員 だから私は、審判所員というものの職務権限をお尋ねしたわけなんです。これはやはソその不服申し立て人に対する権利の回復、ここにその職責はあるんでございましょう。だから、しいて言うならば、収税吏とは言うけれども、それは徴税の任に当たる者ではないんでございましょう。その職責というものは救済的な任務に当たるのであって、専従するのであって、その職務執行中に、だれであろうとかれであろうと脱税を発見したる場合はそれをもあわせて摘発していく。すなわち、イモづる的にそのとたんに救済官吏が徴税官吏としての職務を兼ねていくという、こういう体系にはなっていないのでございましょう。すなわち、ここが肝心なところだと思うのだ。不利益処分をせざるものとすということは、異議申し立てにもこのような審判のところにも両方書いてありますが、そのことは、すなわち本人、申し立て人の不利益処分をせざるのみならず、救済のことにのみ専従するということなんだ。したがって、その救済の調査の過程において、関係者において、脱税を発見したるものはこれを摘発していくという、そういう任務をこれには与えていないものと断ずべきである。そうしなければ、この救済の職務というものが、そしてまたこの不利益処分をせざるものとするというこの条文というものが、まやかしものになってくる、厳然たる宣言的効果を持ってこない。その点どうですか。
  185. 吉國二郎

    吉國(二)政府委員 審判官が脱税を摘発する任務などは持っていないことは、これはもちろんであります。ただ、不利益処分をやらないというのは、審査請求に対しては原決定額以上の決定をしないということでありますから、これは本人についての話でございます。で、収税官吏と申しますものは課税官吏だけではないことは、これは御承知のとおりであります。徴収官吏も、管理課に所属する内部事務の職員も収税官吏、そういう意味では、これは収税官吏になりますけれども、この任務はあくまでも救済が主たるものであります。したがって、この官吏が出かけていくときには、相手方は不利益でも事実を開示すべきものだと私は思っております。それをあえて秘匿するならば、これは救済を妨げるものでございまして、それはやはり罰則を適用しなければならない。それはもう当然の事理である、かように考えます。
  186. 春日一幸

    ○春日委員 私は、この問題は、この審判所法というものは、この機関が不利益処分を受けたる者の救済、このことに専従するものだ、こう断定して、もう割り切ってしまう。だとすれば、それが、その申し立てに基づいて真実を究明するために関係者を調査する。そうすると、関係者の中に脱税があったということを発見する、しないという問題があるのだが、そんなものは発見する必要は全然ないのである。それは管轄外であるから、職責外であるから、郵便局員がどろぼうをとらまえていかぬようなものだ、全然違うのだから。だとすれば、ことごとくが、関係者の調査は、その有利な証拠をかき集めるところにあるのだろうと思う。そうでしょう。不利益な証拠をかき集める必要は全然ない。だったら、有利な証拠を集めれば足る任務ですから、有利な証拠というようなものは、ここへこれだけ売っているそうだが、そうかといって聞けば、不服申し立て人は当然のこと、それに対してそう言うにきまっておると思うのです。これは、こういうふうに申告しておいたらこうだと言うだろうと思うし、その事実に基づいてそういう申請をするでしょうから、現実の問題として、強制調査の必要はないのじゃないか。すなわち、収税官吏——税務職員というものが全部収税官吏だというたところで、この法律は、その法意は救済の任務だ、その他の任務ははっきりと管轄外だ。だから、その関係者の不利益とか、その関係者の他の取引だとか、そんなことを調べる必要はない。その申請に基づく案件について有利な条件にのみこれを調べる必要があるのであって、それ以上の必要はない。それ以上の必要がないものを処罰する必要はない。
  187. 吉國二郎

    吉國(二)政府委員 その有利な証拠を集めることに専念すべきであるという点は、私も同意でございます。その有利な資料というのが、調べられる関係人にとっては不利な資料である。しかもこの際、春日先生の言われるように、それを取り立てて脱税、脱税と言わないということになっておれば、何でそれを拒否する理由があろうか。その協力義務を課するとすれば、罰則をもって担保するよりほかないということになると思います。その有利な資料を集めるということになれば、関係人にとっては不利な資料であるということも前提にお考えにならなければならないと思います。
  188. 春日一幸

    ○春日委員 そのような場合もごくまれにあるであろう。お互いに自分の説だけを言っておってはだめなんですよ。あなたの言う説も現実にはある。けれども、その他の場合があり得るではないか、現実の場合。そして、どちらがより多いかといえば、私が指摘する場合のほうが多いのである。それは、すべてのものが、取引がなされておって、そこの間で不当な決定をされておる不服申請なんでございますから、だから正常なる記帳がなされておるものと事実上見るべきであろう。したがって、それを見せてくれと言ったときに、おお見せると言う。しかも、その取引関係にあるならば、税務署から調べに行くであろうから、あのとおり見せてくれ、おお見せると言う。そうしないと、私はえらい税金をかけられてたいへんなんだから、おお協力しましょう、当然のことなんだ。すなわち、その申し立て人のために有利なことが、取引者、第三者にとって不利であるという断定は、そのような場合もごくまれにはあり得ると思う。けれども、それは現場において調べてもらいたいと思うが、大部分の場合は、申し立て人のその主張を裏づける協力的な立場にあるものであろうと思うのだ、取引関係にある以上はですね。だから、あなたが言われるように、申し立て人の有利な問題は取引者によって不利なものであるということにきめてしまうということは、これは法律事犯についていろいろと調べてもらえばよくわかるが、そういうようなきめ方は、現実に相反する認識のしかただと思うのです。
  189. 吉國二郎

    吉國(二)政府委員 御指摘のように、必ず相手が利益が相反するとは私も思いません。私が国税局長をしておりました経験でも、審査の際に一番問題になりますのは、ここでお聞き流しをいただきたいと思いますが、別口の勘定をつくっておる。ところが、実際に調べてみると、なるほど別口売り上げはあった。しかし、リベートとして出しておる。そうして、そのリベートが証明できない。相手方に行ってリベートをもらったかと言ったら、必ず否定をいたします。こういうケースは非常に多いのであります。なぜかといえば、相手方はリベートをもらったと言えば、これがまた別口にしておるわけです。こっちの別口はリベートを払うための別口でありますから、実質的に所得がないのであります。相手の別口は、もらったリベートをそのまま別にしておるわけであります。これはそのまま所得であります。そうなりますと、審査を申し立てている人間から見れば、有利な事実というのは相手方がリベートをもらいましたという証言でなければならない。ところが、相手方がそれを言ってしまえば、自分のほうが抜かしておるのがわかってしまう。紛争が多いことは、これは春日先生よく御承知だと思います、実際問題として。
  190. 春日一幸

    ○春日委員 では、そのような不服申し立て人の取引関係者はことごとく脱税をしておる連中ばかりですか。
  191. 吉國二郎

    吉國(二)政府委員 私が申しますのは、ことごとく脱税者であるとは申しておりませんが、もしも有利なる証言を好んでやる人に対しては、この罰則は何ら関係がないわけであります。答えればいいわけです。ところが、たまたま私の場合三〇%くらいあったと思いますが、不利であるがために言わない連中がいれば、これは権利救済の実をあげ得ないことになるわけでございますから、やはりここに強制が必要である。これはやはり税法としてはやむを得ざるところではなかろうか、かように思うわけであります。
  192. 春日一幸

    ○春日委員 その人の権利救済するために、管轄外の人から、現実の問題として、本人の不利益になるようなことを強制されて、それに応諾せなければならぬ責務がありますか。
  193. 吉國二郎

    吉國(二)政府委員 それは先ほど申し上げましたように、いまの税法の質問検査権と申しますものは、困難なる個々人の所得を推定して課税をするという課税官庁に対して、国民の協力義務をきめたものであると思いますし、それに対する罰則は、結局一種の公務執行に対する違反であるというたてまえで設けられておるものと思います。
  194. 春日一幸

    ○春日委員 すなわちその罰則は、徴税の目的によって国家権力を行使する場合、国民が協力しなければならない、こういう立場から出ておる。よろしいか。ところが、今回の場合は徴税の目的ではない、取った税金を返す目的なんだ。取り過ぎたかもしれない、法律に違反な執行、不当な執行があったかもしれない自己反省、これに基づいて救済の行為を行なうのであって、税金徴収の行為を行なうのではない。しかるに、徴収行為に与えられておるところの権力を救済行為にも与えなければならぬ、そういう必要性は出てこないではないか。真実を究明する場合はごく少数異例の場合があるであろうから、その被害者の権利を回復するためには全国民の協力を求めなければならぬ。したがって、小数異例のそういうような拒否を行なわんとする者について、何らかの強制権を考慮するということはあり得ると私は思うけれども、だからといって、そういう者に対して罰金を科していかなければできないかどうか、私は現実の問題としてこの限界が非常に疑務があると思う。  それでは、この問題は堂々回りしますからもう一つ伺っておきますが、こういうことですね。審判所の職員は税務職員ではあるが、その審判の事案の調査の過程において知ったこと、これはその徴税当局には連絡をしないもの、してはならないと思います。なぜかならば、不利益処分を誘発するのおそれがございますから。その点の関係はどういうふうに指導していかれますか。
  195. 吉國二郎

    吉國(二)政府委員 たてまえといたしましては、一般の守秘義務の規定は当然適用になるわけでございます。一般の守秘義務、ただし、この守秘義務は外部に対する守秘義務でございますから、形式論から申しますと、審判官が知り得た秘密を徴税関係で通知をすることも可能ではあります。しかし、運用としては、私は、そういう意味第三者を調べてそれが脱税をしておるということを通報すべきかどうかについては、今後まさに国税庁一つの職務運営として考えていくべき問題だと思います。
  196. 春日一幸

    ○春日委員 救済目的である、しかも不利益処分をしてはならないと書いてあるけれども、この法律からそのまま読むと、不利益処分をしてならないものはすなわち審判所だけである。ところが、その調査したものが不利益処分はなさないけれども、その過程において調査したその種を徴税当局に連絡をすれば、すなわち、審判所自体は不利益処分をしないけれども、五年間さかのぼるこの制度にかんがみて、原庁があらためて再調査をして、それを追及するというような結果もあらわれてくるのであって、さすれば不利益処分をせざるものとするというこの法の規定はそこで空文になってしまう。すなわち、審判所は不利益裁決はしない、当然のことですよ。救済を求めたやつをさらにやっつけるということはおかしい。けれども、材料を提供していけばほかの人格で、すなわち税務署で、国税局で不利益処分に至ることもこれはあり得ると思うが、その点の関係を遮断するためにこの際どういうふうにしていくのか、この審議の過程で方針を明らかにしてもらいたい。
  197. 亀徳正之

    亀徳政府委員 今度の法律でも、審判官が審理の過程で課税漏れの発見をいたしますと——審判官自身が不利益処分はできないということは法律に明記されたとおりでございます。ただ、これは実際の運営といいますか、心がまえの問題に先生触れておられると思います。一番問題は、やはりいろんな筋論としてはいま主税局長がるる申し上げたことでございますが、何もわれわれは罰則があるぞ、罰則があるぞと言ってやるかどうかはまた別問題で、やはり実際の事務の運営ということは、かりにそれはいざという場合の話で、やはり基本的には、先生いまおっしゃいましたように、納税者権利救済ということが眼目なんで、一番いけないことは、ちょっとでもいざとなったら罰則をかけるぞ、いざとなったらまた摘発するぞというかっこうで納税者主張を押えるとかいうようなことがあっては決していけませんし、また、そういう指導をいたすつもりはさらさらございません。ただ、たてまえ論として、審査請求されたがたまたまその結果猛烈な脱税が実はあったというときに、一体それを黙っておるかどうか、それをやはり通知して課税庁が新たなる処分としてやるということは全然だめだというのかどうか、こういった問題はやはりまた国民に批判さるべき筋合いではないか。ただ基本的に運営の心がまえとしては、やはりこれはあくまでも権利救済というものが主眼でありますから、そういうことを中心に運営すべきことは当然ではなかろうか、かように私は考えます。
  198. 春日一幸

    ○春日委員 私は、その点が全くあいまいだと思うんですね。租税審判所救済に専従専念する機関である、そうでしょう。そのために法律改正までしてこういう制度を設けようとしておるのであります。調査の過程において不利益な材料が出てきたとする、むろん審判所法律があるから不利益処分はできない。租税法定主義だからできない。けれども、それを今度は租税実体主義でその材料を徴税当局に移譲する、こういうようなこともあり得るということになれば、これも救済機関なるものが調査機関とか、あるいは悪く言うならば摘発機関だとか、そういうような性向もあわせて帯びてくるのおそれが実際はあると思う。私は、脱税者に目をつぶれと言うわけではない。みなが気楽に救済を求めろ、救済を求めることが、救済が通らざるときがありといえども、これによってさらにひどい目にあうという心配はないぞ、ここにその法意があるから法意に基づいて執行されなければだめではないか。
  199. 亀徳正之

    亀徳政府委員 まさに先生のおっしゃるとおりでございまして、しかし役人というものは、万が一の話をたまたまいたしますけれども、誤解を与えることが多いわけであります。やはり基本的に——基本的にというとまた例外ができるかもしれませんが、あくまでも納税者の——要するにこういう機関にみんなが進んで持っていこうという気分をつくらなければいかぬということで、もちろん職員は性格的に何だといわれれば収税官吏だということはございますけれども、やはりこの機構納税者権利救済を主眼とする役所でございますから、やはり全力をあげてそういうところに努力するというのが、この機関の職員の心がまえであり、また、おそらく新しくできる不服審判所長はそういうことで指導することと思っております。
  200. 春日一幸

    ○春日委員 問題はそういうことにも関連してくる。やはりこれは国税庁付属機関として置く場合は、ともすれば、それに対して審判官だとか副審判官だとかいうような資格や名前を与えたところで、その正体は収税官吏だということになれば、調べていって、変なところを見れば、われわれは法律によって不利益処分権限は与えられていない、だから、これを原庁に移牒することによって、他の徴税機関によって不利益処分をなさしめていく、こういうことになる。不服申し立て人にしてみれば、再調査を当然されるであろう、その中でまたぼろが出るかもしれない、だから、うっかりこれは不服申し立てはできないぞ、こういうことになってくると思う。だからこの制度というものは、過去の実績にかんがみてがく然たるものがあった。一万何千件というような膨大な法律違反の執行があった。これではいかぬということでこの制度を設けるものだとするならば、この不服審判機関というものは、不服審判そのものに限定して不利益処分をなさざるのみならず、他に不利益処分の累を及ぼすがごときそういうような職務権限はここに封殺しておくべきである、遮断しておくべきである。こうなればこの機能というものは、私は十分活用できないと思うし、脱税を摘発する機関は、査察機関もあるし、そこには徴税機関が山ほどあるのだから、このような審判機関にそのような権限をも、そのような機能をも与える必要は全然ない。査察もあるし、五年間さかのぼって徴税当局はいつでも調査ができる権限が国家によって付与されておるのだから、このような救済機関の中に、そのようなアルバイトを期待する必要はないじゃないか。やはり明確にしなければいかぬと思うのです。この点は欲をかけてはいかぬ。実際ものごとの考え方がけちくさい。
  201. 吉國二郎

    吉國(二)政府委員 お説のとおり、実定法として考える場合に、やはり同様に解すべきだと思いますが、ただ問題は……
  202. 春日一幸

    ○春日委員 ただというのがいかぬ。二億あろうと何億あろうと、それは権限の問題だから……。
  203. 吉國二郎

    吉國(二)政府委員 国税庁から分離をいたしたといたしましても、もしいわゆる犯罪ありと思量すれば、やはり公務員としては問題があるということは事実だと思うのです。私は、この程度にはやはり考えなければいかぬのじゃないかと思います。
  204. 春日一幸

    ○春日委員 公務員に対する刑事訴訟法の職務遂行上、告発の義務云々ということは、それは一般公務員に付せられておる義務、そういう程度にしておく。すなわちその職務に対する義務、これは要するに懲戒処分の対象にはなるであろうけれども、そういう限界にとどめておいたらよろしい。そういうことでこの法律の運用にあたっては、すなわち審判所の職員は、その本人に不利益になる材料を発見したる場合といえども、これはすなわち内部に対しても秘匿義務——内部ということは、審判所内部でよろしいが、すなわち徴税当局もこれを外部とみなす、こういうふうにして、その秘密厳守の義務をそこに課していく、そういうことによってこの救済機能というものをせめて補完をしていったらどうですか、長官
  205. 亀徳正之

    亀徳政府委員 これは法律問題というよりも、運用していく心がまえの問題だ。心がまえとしては、先ほどはっきり申し上げたように、これは権利救済機関として、先生おっしゃるようなけちくさい、これまで使って脱税をさがせなんて、そんなばかなけちくさい気持ちは、私は絶対持っておらぬことをはっきり申し上げます。
  206. 春日一幸

    ○春日委員 心がまえ、私の説に同感をいただいて、不服が心やすく申し立てられることと思いますが、それにしては、なおかつ不利益処分をせざるものとすということと、この九十七条の第一項の規定というものは、現実に相克があると思う。どうか今晩、御両所もう一ぺん御検討を願いたいと思う。(正示委員「賛成」と呼ぶ)大蔵省出身の山下君どうだ。正示君も賛成しておる。この問題については、訓示規定というものがあって、公取でも勧告に応ぜざる場合はどうこうというような刑事罰はないのですよ、公取の規定の中にも。公正取引委員会が、これこれを勧告することができる、その勧告に応ぜざる場合はどうなるか。——いや、それはあなた方は税法しか知らぬでしょうが、こちらは武芸百般に通じているのだから。勧告に応ぜざる場合は、これは審問、審決というふうにエスカレートしていくだけのことでで、刑事罰は何もない。法制局長官代理、いかがですか。公正取引委員会の勧告に応ぜざる場合は、刑事罰があるかどうか。
  207. 荒井勇

    ○荒井政府委員 もとが勧告ということでありましたら、それ自身一つの拘束力というようなものを持つものでもないし、行政処分というものでもないという意味で、そういう勧告に従わない場合、罰則というものがないわけでございますが、ただ独禁法の第九十四条等を見ますと、やはり罰則はあるわけでございます。
  208. 春日一幸

    ○春日委員 そんな質問せぬことは言わぬでもよろしい。そういうことを言っておられるけれども、公取の勧告というものは、一個の法権力を持っておるのですよ、現実の問題としては。そのような勧告をする場合には、いろいろな調査、審問をする、そういうものについて応ぜざる場合は云々、それは当然だけれども、しかし、その結果に基づいた勧告にすら応ぜざる場合でも、刑事罰はないのですから、したがって、九十七条第一項の規定というものは、いま申し上げた不利益処分のないというこの法上の機能を確保する、そのためには再検討を要する。この点は、ぼくは与党の理事諸君、社会党の理事の諸君においても、ひとつ御検討願って、願わくばこの罰則というものは削除してもらいたい、そのことを要望しておきたいと思います。  それから次にお伺いしたいのは、国税審査会意見を尊重して国税庁長官審判所長に指示するとありますね。すなわち、審判所長がかくあるべしと言うて、そうしてそのことが申し立て人の申し立てに合致するものであり、そうして長官は、それに対して意見が相反する場合は審査会に諮問する、「その意見を尊重して」指示するということになっておりますが、この場合どうなりますか、尊重しない場合に許されるかどうか。
  209. 亀徳正之

    亀徳政府委員 文字どおり尊重いたすわけでございます。
  210. 春日一幸

    ○春日委員 その尊重ということは非常にあいまいだと思う。大学管理法などでは何々に基づいてということがありますね。そういうような答申がなされても、自主的判断長官がやるわけでございましょう。だから、尊重しない場合だってあると思う。尊重しないことを法律は禁止しているわけではないですね。その点はどうですか。
  211. 吉國二郎

    吉國(二)政府委員 この規定は、「審査の議に基づいて」という書き方よりも、もっと強い意味で考えているわけでございます。「基づいて」ということは、それによらなくてもいいという前提がありますが、「尊重して」ということは、基づいて、かつそれを尊重するという趣旨だと思います。ただ問題は、なぜこういう書き方をしているかと申しますと、審査会決定するということになれば一番簡単でございますが、審査会決定するということになると、責任を持たなければならぬ。訴訟が起こったということを考えますと、当事者は常に国税庁でございます。審査会が当事者になるわけではない。したがって、実質的には審査会意見を尊重いたしますが、最終責任者としての国税庁長官は、国税庁長官決定によって事が決するというたてまえをとらなければならぬということから、「尊重して」ということばを入れたわけでございまして、非常に強い拘束力を持っているとお考え願いたいと思うのでございます。
  212. 春日一幸

    ○春日委員 だから、その拘束力が問題だと思うんですよ。要するに、審判所長意見国税庁長官意見が相異なるときだから、そうしてそれを審査会に諮問をしてその意見が出てくる。その場合に、審査会というものは第三者機関でございますから、その意見を尊重するということは、望むらくは、これは基づいて処理すべきである。要するに、長官審判所長意見が相反する、だから第三者の裁定を求める、そうしたら、この意見に基づいてやれば、裁定を求める意義があるし、審判所長意見というものが権威がありますね。けれども、なおかつその段階においても、国税庁長官の恣意的判断というものが、その審査会の答申を越えてなし得るという余地が残されている、この法律の文言では。それではだめではないか。救済の実というもの並びにこれは法体系としても救済機関というものの機能が、この点において大きくチェックされてくるじゃないか、こういうことを伺っておるわけです。
  213. 吉國二郎

    吉國(二)政府委員 ただいま申し上げましたように、「基づいて」よりももっと強いと私どもは考えておるわけであります。「基づいて」というのは基礎としてということでございますから、それを基礎にして決定を下すという場合には必ずしもそのとおりにならないという前提があるわけです。基づいてかつ尊重してきめて、初めて尊重の意味があるわけでございますから、非常に強い拘束力を持たしているというつもりであるわけでございます。
  214. 春日一幸

    ○春日委員 それはぼくの勉強が未熟かもしれませんけれども、この間うち大学制度なかんずっと調べておるのですよ。そうすると、大学の運営管理は教授会あるいは評議会あるいは理事会の決定に基づいて学長がやる。文部大臣は学長の申請に基づいて発令するということになっておる。この間学者の批判を聞いてみたら、基づかねばならない、そのとおりでなければならない。だから大臣権限というものは要するに辞令交付のロボット的事務の範囲にとどまるものであって、それに相反する処理はすることができないのだ、こういう見解が発表されておりました。さればこそ九大の井上正治学長代行の発令も拒否権はないのだとか。「基づいて」ということは基礎としてということではなくて、基礎として裁量権がそこになお上に残っておるということではなくして、「基づいて」ということはそのとおりということに解し得る余地があると思うのだが、どうだ。——君、あまりおれに有利なことを言わないから、吉國君の兄貴に薫陶を受けておるからいかぬ。——まあいいわい。
  215. 荒井勇

    ○荒井政府委員 法令用語でございますから一応お答えいたしますと、「議に基づき」というのはその議をよりどころとして、根拠としてという意味でございます。一番強いものは「議により」でございます。たとえば「皇室会議の議により、」というのは、まさにその議そのものでやらなければいかぬ、こういう意味でございます。ところが「議に基づき」というのは、「議により」に比べると、議そのものの内容と一〇〇%ぴしゃりと同じということに必ずしもならなくて、そこに根拠を置くということで、現行の国税通則法等で協議団の議に基づきというのは、まさにいろいろ批判を受けているのはその理由によるものと考えられます。その以前の、国税通則法ができる前は「議を経て」であったのです。「議を経て」よりは「議に基づき」のほうが強い。しかし「議により」というほど強くはないというのが法令用語でございます。
  216. 春日一幸

    ○春日委員 それでは「尊重して」というのはそのランクの中でどの辺に置かれますか。
  217. 荒井勇

    ○荒井政府委員 それはまさにその「議に付し、その意見を尊重して」でございますから、その意見を尊重しないで、先ほど春日委員おっしゃいましたような恣意的にやるということを許さないという趣旨でございます。
  218. 春日一幸

    ○春日委員 そうすると、恣意的の裁量は認めないということですか。
  219. 荒井勇

    ○荒井政府委員 そうでございます。
  220. 春日一幸

    ○春日委員 そうすると、国税審査会の答申意見のとおりになるということですね。そして国税庁長官国税審査会意見に反する決定はなすことができない、こういうぐあいに理解してよろしいか。
  221. 荒井勇

    ○荒井政府委員 そこはちょうど「議により」と書いていないというところで、決定的にその議が一〇〇%国家意思を形成するというところまでいかないという意味でございます。
  222. 春日一幸

    ○春日委員 やはり君は吉國君の兄貴の薫陶を受けておる。私的関係を離れて公正な答弁をしなければだめだよ。実際問題としてここに一つの疑義があると思うのですね。すなわち、所長というものの権威を高からしめていく。しかし、それが国税庁長官の権威も同じように高い。次官待遇で、その位も同じ身分らしいじゃないですか。そのような立場において意見が合致しない場合は第三者意見を聞く、そしてその意見が出されたらそのとおりに決定がされれば、私は審判所長の権威というものは、償われると思う。ところが、その場合といえども、なおいささかたりといえどもその優位は立ってその長官の権威というものがそこに残されておるということは、私はこの法体系全体から判断をして、すなわち、国税庁長官の依然として下僚であり下部機関である、こういうそしりを免れない。かくてその権威の失堕、機能の損壊というようなものがここへあらわれてくる、そういう心配があると思うわけだ。この点ももう一ぺん研究してみたらどうですか。「議により」というふうに直すような方向へ持っていったところで、私はたいしたことばないと思う。せっかくその審判所を設けるというならば、やはり司法機関にしようというような意見すら強い。前々国税庁長官だったかの平田君の意見も大体そういうようなところにあったと思う、実際問題として。アメリカでもやっておる。現在の日本の税制はシャゥプ勧告に基づいてアメリカパターンである。だから、救済制度もアメリカパターンでやってどこが悪い。けれども、それがなし得ないとするならば、あらゆる条章をこの段階においてできるだけそれに近づけていくというようなことは当然の事柄ではないか。その点についても再検討願いたい。いかがです。——まあいいや。それでは政務次官にひとつ再検討してもらって、願わくは私は各党の理事もこの問題についてひとつ虚心たんかいに頼みます。一晩考えようじゃないか。  それから、その審判所長裁決権長官委任に基づくものですね。
  223. 吉國二郎

    吉國(二)政府委員 これは法律上の委任でございます。任意の委任ではございません。
  224. 春日一幸

    ○春日委員 法律上の委任である。そこで、その長官通達に相反する所長の裁決は、なお長官委任といえるかどうか。
  225. 吉國二郎

    吉國(二)政府委員 長官通達に基づいて賦課決定が行なわれ、それに対する救済が行なわれているときに、長官通達と異なった決定をすることが長官委任の趣旨に反するかどうかという問題だと思いますが、長官自身は当然に、もしみずからの通達が誤りであるとすればこれは改める権限があるわけでございます。そういう意味では長官通達と異なる裁決をするという権限を含めて委任したと考えるべきでございますけれども、その場合には長官と意思分裂が生じるというところで、そこが一つの接点となって申し出主義をとったということでございますから、委任範囲としてはそこに制限を受けた委任を受けた、かようにお考えを願うべきだと思います。
  226. 春日一幸

    ○春日委員 それじゃ法律上の委任の内容は、長官通達に反した決定をしてもよろしいということが含蓄されて一括委任ということになっておるわけですね。
  227. 吉國二郎

    吉國(二)政府委員 そういう意味委任であるけれども、その場合に長官通達と異なる決定をする場合に、長官に対して申し出をしてその結果を持つべきであるというものを包含した法律委任である。実定法としてはそう解すべきだと思います。
  228. 春日一幸

    ○春日委員 そこで、問題になってくるのはその通達行政ですね。現在租税法定主義ということになって、法律で執行されなければならない。ところがその法律というたって、これはわかりはしない、なかなか千差万別なんで。したがって、実際わが国の徴税行政通達行政といわれておると思うんです。  そこで、その通達に相反する決定審判所長が行なわんとする場合、長官がこれに合意する場合が私は相当あると思うんだ、個別の問題なんだから。それで長官通達というものに反するところの決定が容易に行なわれ得るように、そして行なわれても変でないように、やはりこの辺をあらかじめ処理しておく必要があると思うが、この点どうですか、長官
  229. 亀徳正之

    亀徳政府委員 おっしゃるとおりで、先ほど尊重論がいろいろ出ましたが、たえまえ上、賦課徴収に関連する審査請求救済の問題を含めて、権限長官にあるためにそういうことばを使っているだけで、実質的には私は、ほとんどのケース、尊重というか、審査会決定どおりにやる。それからそのときに、これは実行問題としては、通達の中身と違うそういう決定があるならば、たとえばほかの似たようなケースがあってほかに適用ある場合に、同じようにやはり適用しなければいかぬという問題でありますので、やはりその通達を直ちに改めるという慣行を確立すべきである。したがって、そういう決定がなされる場合には、他方直ちに長官はその通達改正をやるということで裏づけるべきだ、私はかように考えております。
  230. 春日一幸

    ○春日委員 時間がだいぶ過ぎたようなんですけれども、ぼくの質問は約半分ばかりやったんだけれども、どうしますか、続いてやらしてもらうか、それとも日を改めるか……。
  231. 田中正巳

    田中委員長 速記をとめて。   〔速記中止〕
  232. 田中正巳

    田中委員長 速記をとって。
  233. 春日一幸

    ○春日委員 それではだいぶ時間も経過しまして、皆さんに御迷惑かけるようですから、私の質問はこの程度にとどめまして、残余の問題並びに本日ずっと述べました二、三の疑義、これはせっかくの機会ですから、ぜひともひとつ——一ぺん成立してしまうと、あと全然手直しできません。ずっとそれが慣習で、実施されますと、直すたって容易なことではございませんから、最初が大事ですから、こだわらないで、名委員長の手元で委員会修正とかなんとかいうことをぜひ考慮願いたい。われわれの研究もこれはもとより完全なものではございませんが、われわれの申し上げたその趣旨はおわかりいただいたと思うので、それをひとつ両権威で十分御検討願って——ほんとうに国民の権利、その権利たるや生命の次の財産権ですから、その侵害されたものを救済するのに、ほんとうに完全に救済できる体制を、後日のため、全国民のためにひとつやろう、こういうのだから、虚心たんかいに御両所もう一ぺん再検討いただいて、そして残余の質問はあらためて行なうということにいたしまして、本日はこれにて終わります。
  234. 田中正巳

    田中委員長 次回は、明十八日水曜日、十時三十分委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。    午後五時十六分散会