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中嶋委員 海外に
日本の伝統芸能を持っていく、確かに成功しているのですよ。しかし、これはやはり珍しさがまだ多いのです。たとえば、この前
文楽がヨーロッパをずっと公演して回りましたが、行く前から切符が売れているのです。なぜかというと、へたな宣伝をしなかったのです。
ただ、ヨーロッパに昔からある
人形があるのですが、それなんか問題にならないたいへんなものだというこの一言だけで、見てみようということで切符が前売りでどんどん売れていた。成功しました。しかし、これは
日本でもそうでしょう、初めは珍しいから何でも見たものです。しかし、だんだん二度目、三度目になると、その中のじょうずなものとへたなものの区分けがつきます。これは成長しなければ
歌舞伎にしてもだめになるのです。底辺をささえるところが、たとえば
文楽の場合でも、
芸術を行なう者が切符を売って歩いているのです。新劇でもそうです。劇団から何枚売ってこいといって切符を何枚も割り当てられるのです。売れなければそれを自分で
負担しなければならない。それで月に満足な給料をもらわない。それは昔から、
芸術の道は険しいといって、食うものも食わない中で辛酸をなめて
一つの成長を見るという見方もあるでしょう。しかし、そういうことで成長する大スターもあるでしょうが、一生涯スターの座に立たない、わきで暮らす人がいなければ、スターだけでは成り立ちませんからね。そういうところに私は案外
——あなたが見れば何とかなっているのじゃなかろうかと思うかもしれないが、
実態は何とかなってない。むしろ非常にあぶない。現に
歌舞伎が非常にあぶないです。国立
劇場では補助金をい
ただいているから興行が成り立っていますよ。しかし、国立
劇場以外はだめだ。大体昔は
歌舞伎なんていなかの町で見られたものです。私が子供のころには来たものですよ。いま地方都市に行ったら、
歌舞伎なんか接する
機会はほとんどないでしょう。そういうような
実態からいって、大衆から離れて衰微していくという現象を救うのに、営業収入の一割というのは大きいですよ。絶対かかる仕込み費その他を取ってしまった残りに比べると、ほとんど利益になるかならぬかのボーダーライン、給料を払えるかどうかのボーダーラインがその一割です。かりにとんとんのところに一割が入ったら、これは大きな役割りをするでしょうね。ですから、低率であったらということではないと思うのです。
その点で、私は次の問題で一番それがはっきりしてきますから申し上げますが、
映画関係です。
映画関係は、十年前の
昭和三十三年には入場者の数が十一億二千七百四十五万人あったのです。それが四十三年になりますと三億二千三百万人。たいへん少なくなってきた。四分の一と言っていいこの激減ぶりです。この激しい、著しい減少というものは、もちろんテレビの影響が最たるものです。しかし、この中に
一つ問題があるのは、これほど入場者数が減っておるにかかわらず、成人向けの
映画あるいはエロダクション、こういうものが年々ふえているのです。たとえば、三十六年に成人指定の
映画は十三であったものが、歴年ふえまして現在は二百六十五、エロダクションものが、三十六年に五つしがなかったものが、四十三年には二百四十四という爆発的な
伸び方をしているのですね。こうなると、よけいに健全な
映画というものが大衆から隔絶されてくる、こういう非常に危機的な現象がいま起きているわけです。
ですから、こういうような
状態は、テレビの影響は確かにそうでしょう。しかし、その影響を受けた
映画界が、テレビが
伸びたからやめるというわけにはいかない。同時に、これは今さんからも伺いたいのですが、
映画文化というものが、いまここではテレビが
伸びたから否定されていいかというと、そうではなくて、テレビ自体がやはり
映画文化を下地にしていま成長しているのですから、
映画文化がだめになればやはりテレビもだめになる。これは否定できないと思う。今後好転して
伸びていかなければならないというようなものが、いま言ったような現象の中にあえいでおる。とするならば、
入場税の圧力が苦しい、その苦しみに耐えかねて、やむを得ず成人指定とかエロダクションとか、そういうようなもので何とか生き続けようとしておる。本来的な発展の運動というものがなされない
状態を起こしておるのは、私は、
入場税の問題が非常に大きいと思うのです。こういう面で、私は、
入場税の問題を一〇%の低率云々ということで片づけてはいかぬと思うのです。この点はひとつ
大臣からも、
吉國さんからもあるいは今
文化庁長官からも御意見を承りたいところです。時間もないようですから、その点お答えい
ただきたいと思います。