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水野参考人 水野肇であります。私も
小山先生と同様に、これに賛成か反対かというふうに聞かれますと、賛成でもあるし、反対でもあるという、きわめて微妙な言い方しかできないわけであります。
まあ結論的に申し上げましたならば、やはり二年前に時限立法として成立いたしましたものが、その二年間の間に約束しておった抜本対策というものが出なかったということについての改政治の怠慢というものは、やはり指摘せざるを得ないのではないかと私は思います。約束というものを重んじなければ何もやれないという
国会の場で、簡単に約束がほごにされたということにつきましては、重大な問題であることは申すまでもないと思います。しかし、だからといって、このまま時限立法が時間切れになるということを放置しておいてよいのかということになりますと、それもまた簡単に、それが、それでいいのだ、つまりそこで、あとはあなた方が悪いのだからちゃんとやりなさいということだけでおさまるものではないのではないか、そんなふうに私は考えておるわけであります。いますぐに、ここにおいでの皆さん方が各党からこれぞ抜本対策案であるということをお出しになるのなら、それが一番いいと私は思うのでありますけれども、今日ジャーナリズムを通じて得ました情報では、それはまず実現不可能な話のようでありますので、そうといたしましたならば、やはり
赤字が増大するし、かつまた、これがやがては食管特別会計のようになる様相というものがないではないという点から見まして、いわばあきらめられねとあきらめたというような形でこの法案が通ることはやむを得ないのではないか、そんなふうに思うわけであります。しかし、だからといって、この法案がそのまま通るということでは、やはりそれでは困る、少なくとも
国民はそう思うのではないかと私は思うわけであります。それにはやはりこの次の二年間、あるいはもしほんとうに二年ができないとおっしゃるのなら、私は三年でもいいと思うのでありますが、確実に
抜本改正案というものをお出しになる必要がどうしてもあると思うのであります。
それは、いままで費やされました各党のエネルギー、それをさらに何十倍も上回るエネルギーを費やさなければ、ほんとうの意味の
抜本改正案というものはできないのではないか。むしろ今
国会の
審議の場というものは、それをつくるための場とするということがやはり
国民の要望ではないか、私はそういうふうに思っておる一人であります。世間では、今日の
医療問題を評して応仁の乱だというふうなことがいわれております。麻の乱れるがごとく乱れてどうしようもないではないか、解決の端諸があるのかということに対しては、これが解決の端諸だということを、明確に指摘できる方はきわめて少ないというより、ほとんどいらっしゃらないのではないかと私は思うのであります。そういう場合に、非常にむずかしいことは、まず基本から考えるという姿勢というものが何よりも必要なのではないかと私は思うのであります。多少失礼な言い方かもしれませんが、
抜本改正案ということば
一つにいたしましても、一体抜本の本のほうは何か、そうして何を抜くのかということになりますと、はたと当惑したということになるのが今日の
健康保険ではないか、そう思うわけであります。
さて、こういうふうになってきましたことは、やはり
医療問題がきわめて複雑な様相を持っていて、専門家以外にはきわめてわかりにくいという要素があったということも事実ではないかと思いますけれども、そのためにいたずらに、端的に申しまして
診療側と支払い側とがまっこうからぶつかるだけで、それから先へ進まないということが、本来ならば行政のベースではからるべき問題が、往々にして政治のテーマになったのではないかというケースが、かなりあったのではないかと私は思うのであります。これは何も政治家の責任とか、あるいはだれがよいとか悪いとかということではなくて、そういう世の中の社会機構になっておる、そこをどう改革していくかということも本
委員会に課せられた
一つの使命ではないか、私はさように思うわけであります。
さて、いろいろこの法案についての問題は諸先生方から出ましたし、私は、そのそれぞれについて、部分的にはきわめて賛成の個所も多いので、むしろそれよりも前向きの姿勢で取り組むための私
たちの考えというものを二、三述べさせていただきたいと思うわけであります。
やはり医寮問題というのもは、医寮問題全体のビジョンを打ち立てて、そこからどういうふうにしていくかということを考えない限り、解決はむずかしいのではないかと私は思うのであります。
健康保険というもの
一つを直すにいたしましても、やはり全体にかかわることは非常に多いと私は思うのであります。
保険の
制度だけをいじってみても、今日ほとんど解決がつかないのではないか。やはり支払い体系というものも考えてみなければならないし、そんなふうに考えていきました場合には、私は、やはりまず各党でビジョンというものを出されて、それをたたき台にして、新しいビジョンづくりをして、それに何カ年計画で到達していくか、それを
厚生省事務当局にお願いするという形でやる以外には、私は、
医療問題の解決はできないのではないかと思うわけであります。
次に、この
保険の問題についての
一つの基本的な問題としまして、私は、日本の現行の
健康保険というのが、
保険か保障かというところの論議が、きわめて明確ではないということを申し上げたいわけであります。なるほど
厚生省では、いまの
医療政策は
保険である、したがって、
経済のワクというものがあるし、ものによっては、自己
負担もかかるのである。そして、もう
一つ別のものとしまして、社会保障的なものとしては、生活保護法というものがあるし、それに中間的なものとして公費
負担という、つまり結核、あるいは精神病、そういったものがあって、それらを並行的に行なっているのが、今日の行政である、こういうふうに御説明になっておられます。
しかし、
国民はどういうふうに見ているかと申しますと、やはり私は、単純にそれらを全部引っくるめて保障だと考えておるところに
一つの
問題点があるのではないかと思うのであります。
次に、
保険であるといたしましたならば、一体
保険で何をめんどうを見、何は自己
負担になるのかということについての論議も、やはり私は要ると思うのであります。もう少しシビアに言えば、何を保障すべきであり、何を保障すべきではないというところまで私は考えるべきではないかと思うのであります。何でもただということは、確かに理想の姿ではあると思います。しかし、何でもただということが、人間にとってほんとうにしあわせなことかどうかという、そういう高級な論議を私は
委員会でも、ぜひ承りたい、さように思っておるわけであります。
そこで、よく言われますことは、保障する場合にどうだ、
保険の場合にはどうだという場合に、必ず問題になるのは財源であります。しかし、財源というものが、一体どこから出てくるのかということを考えました場合に、やはりこれは
国民の税金から出てくる以外には
方法がないと思うのであります。その点において、私は、よく言われております――先ほども、ほかの
参考人の
方々から御
意見がございましたけれども、欧米先進国、アメリカは別でありますが、ヨーロッパの先進国といわれます国でも、やはり自己
負担というものは、幾らかはある国が多いわけであります。あるいは月給の四〇%は、とにかく税金等々について天引きされるという、それがスエーデンあたりの実態であります。そういう場合に、私
たちは、どこまで保障し、どこからは保障の外とするかということの明確な概念というものがやはり要るのではないかと思うのであります。ほかのことは、ともかくといたしまして、事、
医療保険について、何を一番保障しなければならないのか。一番重要なことは、まず
長期療養を要する方については、全部
保険がめんどうをみるということにしていただけないかと思うわけであります。今日かぜ引き、腹痛とか、あるいは二日酔いなどについては、きわめて簡単に
健康保険で薬をいただけますが、
長期療養を要する病気になった場合には、それは自己
負担というものがついて回るわけであります。それでなくても、雑費というものを必要とする日本の病院生活におきまして、やはり少なくとも
医療費については、全部
長期療養の人については見ていただきたいと思うのであります。それから順番に下っていって、そしてかぜ引き、腹痛はどうするかというところまできたときに、ほんとうに財源がないとおっしゃるのならば、私は、それを
国民が
負担することについて、とやかく
異議を申し立てるものではございません。ただ、明確な理由、説明がないと、それはいろいろのところでいろいろな議論が出るとは思いますけれども、かぜ引き、腹痛が保障されて、重病が保障されてないのと、かぜ引き、腹痛は保障をされませんが、重病は全部保障します、入院
患者は全部持ちます、
国民の皆さんはどちらがよいでしょうかという
国民投票を行なえば、私は結論はきまっておると思うのであります。そういうようなことを、私はいまの
保険について、基本的
立場として非常にやっていただきたいと思うわけであります。
先ほどもちょっと触れましたが、もう一点申し上げたいことは、
医療問題はきわめて複雑で、むずかしいものですけれども、私は、これの解決
方法というのが、ただ政治だけに持ち込まれていいものだろうかということについては、きわめて疑問に思うわけであります。もちろん、こういう問題については、プロフェッションと申しますか、専門家の
立場なり、
意見なりというものを尊重しなければならないのは申すまでもありません。しかし、イギリスのロイアルコミッションというふうなものも片方にはございますし、私はほんとうに
診療側と支払い側とが話し合いのつかない点についてのみは、その点だけについては、何か裁定権というふうなものを設けるという考え方もあるのではないかと思うのであります。そうしない限りは、いつでも
診療側と支払い側とが対立する、その渦の中で、とかく
国民は不在になるおそれがあるのではないか、それを私は心配をいたしているわけであります。
それからもう一点申し上げたいのは、
抜本改正を御
審議いただく場合に、私がぜひ考えていただきたいと思いますのは、先ほど来薬の使い過ぎというふうな表現もございましたけれども、私は、やはり
医療というものは、本来技術を評価すべきものであって、物に重点を置いた
健康保険の支払い体系というものについては、やはり邪道ではないかと思うわけであります。今日の
医療の混乱の何割かは、そういうところから出ております。たとえば、
医師という職業を見ましても、これは統計によりますと、サラリーマンよりも七年も寿命が短いということになっております。そういうことは、どうしてそういうことになるのかと申しますと、やはり忙し過ぎる、そうしてそれは、やはりそれだけかせがなければならないという悪循環からきている。もともと
医師という職業は、非常に忙しいにもかかわらず、さらに忙しくなるということ、それが精神的にも肉体的にもそうであるというところに問題があるのではないかと思うのであります。したがいまして、
抜本改正・案においては、ある程度の
患者の
診療をすることによって、十分に
収入を得られるという
制度というものも考えていいのではないか。そのかわり、午後は先生方にも勉強していただくというふうなことが、やはりあってもいいのではないかと思うのであります。そのためには、今日のあの複雑な点数単価
方式を、
診療所、つまり開業医の先生のところからは切り離して、一人について幾ら払うというふうな、いわばどんぶり的な考え方というものも、ときにはあってもいいのではないか、私はそんなふうに思うわけであります。とにかく、そういうことを通じていろいろ言われております病院と
診療所の機能の分化というふうなことについても、十分にうまくまとめられることをぜひお願いしたいわけであります。
いろいろ申し上げたいこともたくさんあるのでありますけれども、時間のほうは、あと一分ばかりとなりましたので、最後に一言だけ、私は、きょうここにいらっしゃる
委員会の先生方に陳情申し上げたいことが
一つございます。
それは、どうか今
国会では、できるだけ前向きの
審議をしていただきたいということであります。強行採決と
審議拒否の繰り返しというものについては、
国民はもはやあきたという
気持ちを持っているわけであります。
国民がそういうことの中において、
医療問題というものはもうどうにも解決がつかないのだという印象を持ったといたしましたならば、それこそ
国民にとって、これが最大の不幸ではないか、私は、さように思うわけであります。私は決して、先生方がそういうふうな
審議ばかりをしておられるということを申しているのではないのであります。そういうふうに私
たちの目に映るようなことが、しばしばあるということを申しておるのであります。皆さん方の
審議というものについて、それがどうこうということを、私はここで批判する意図は毛頭ないのでありますけれども、もしも、そういうふうに
国民が受け取ったといたしましたならば、たいへんであるということだけを一言申し上げたいわけであります。
多少失礼にわたったかも存じませんけれども、私の
意見にかえさせていただきます。(拍手)
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