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石田(忠)参考人 私は大学で
社会調査の講座を担当いたしております。そして私自身
社会調査家であるというふうに考えております。そういう
社会調査家としての
立場から見まするというと、
原爆被爆者の問題、またはその
対策をめぐっての争点の多くは、事実を確かめることによって解決することができるのではないかというふうに考えます。したがって、事実を確かめることによって解決をするというふうにしなければならないというふうにも考えます。たとえば五十八回
国会で
特別措置法が
審議されました。その
法律案の提案理由の中にこういうことが述べてあります。「原子爆弾の傷害作用の影響を受けた者の中には、
身体的、精神的、経済的あるいは
社会的に
生活能力が劣っている者や、現に
疾病に罹患しているため他の一般
国民には見られない特別の支出を余儀なくされている者等、特別の
状態に置かれている者が数多く見られる」というふうにございます。
このことは
被爆ということと、それから
被爆者の方の今日置かれている特別の状況ということの中に、離すことのできない関係があるということを認めたものであるというふうに考えます。そうして私は、私の経験からいたしましてもこの認識は正しいのではないかというふうに思っております。
しかし問題は、そういうふうな
関連、
被爆ということと今日の特別の
状態との間の結びつきが、はたして
特別措置法の
対象になっている
被爆者に限って見られることであろうかどうかということであります。すなわちその他の
被爆者については、そういう関係が成立しているということは認められないことであろうかどうかということであります。これは事実の問題ではありましても、決して単に考え方の問題ではないというふうに考えております。それでは他の
被爆者には、このような
関連が成立していないということが事実によって確かめられたものであるかどうかということについては、私の知らないところであります。
一般に
被爆者は、自分らの多くの現在の苦悩、苦しみが、
原爆のせいであって自分のせいではないんだというふうに考えておられます。そして、そういうことが公に認められるということを求めておられるというふうに考えます。
被爆者対策の基底が
国家補償の原理に置かれるべきだというような主張は、ここから生まれてきておるというふうに思います。
しかるに
特別措置法は、いわゆる所得
制限の条項を設けることによりまして、せっかく提案理由に述べられておりますようなこの
原爆のせいという点を不明確にしておるのではないかというふうに考えられます。すなわち
特別措置法による各種手当の受給資格を、一定の所得以下の者にしぼるということによって、
救済原理を導入するということになっておると考えます。このことは、
原爆被害による労働能力の喪失、減退ということなどによって、今日全く
生活に困窮しておられる
被爆者について考えてみれば、さらに明瞭になるのではないかというふうに思います。このような
被爆者の方は
生活保護法による保護を受けるしかほかに方法はないわけでございますが、それはそのような
状態におちいった
原因が
原爆被害によるからではなくて、その人が現に貧困にあるというふうになる。これではこの
原爆のせいということを認めたことにはならないのではないかというふうに思います。私は、
被爆者の方がほんとうに求めておられ、そして認めてほしいと考えておられるのは、単にいま貧乏しているということだけではなくて、それが
原爆のせいだということではなかろうか、
原爆のせいでこういうふうに苦しんでいるのだということを認めてほしいというのがほんとうの
気持ちではないだろうかというふうに思うわけであります。したがって、この
原爆のせいということを認めるというこの
特別措置法のせっかくの
立場というものが、決して制度化されてはいない。それは確かに提案理由の中にはそのことが述べてありますが、現在の
被爆者対策を全体としてながめてみます場合に、そのせっかくの見地が
一つの制度にされておるということは言えないように考えるわけであります。しかるに
被爆者対策として、ある
一つの
対策が完結しますためには、こういう
原爆のせいを認めるという
立場を制度化することが必要ではなかろうかというふうに考えるわけであります。
私
どもが
調査にまいりまして感ずる
一つのことに、この
被爆者の中には自分の
被爆体験について語ることをためらう方がいらっしゃいます。そういう方は、ちもろんそんなに数は多くございませんが、ある
統計調査によりますと、大体一〇%ということがあげられております。多くはございませんけれ
ども、しかしこういうことは、一般
戦災者には決して見られないことであるわけであります。これは一体なぜなのだろうか、そのことがわからなくては、
被爆者について
理解をしたということにはならないのではないだろうかというふうに、
社会調査家としての
立場からは考えられるわけでございます。
私は、
長崎市の
被爆者の方に多くお目にかかることをしてきておりますが、試みに八月九日――八月九日というのは
長崎に
原爆が投下された日でございますが、八月九日というのはあなたにとってどういう日ですかということを尋ねてみました。それについて返ってきた回答に、
二つのタイプがあることに気がつきました。
ある人は、この方は娘時代にたんぼに出ていて、
原爆が投下されたときにそこへ伏せて、背から足のほうにかけてけがをされ、かかとが溶けてなくなったというようなけがをされた方ですが、その方にお目にかかって聞きましたときに、八月九日いうのは、私は花をいけて一人で静かに花に見入っていたい日です、その日は私はだれにも会いたくない日ですというふうに答えていました。
ところが、いま一人の女の人、この人は女学生時代にけがをされ、私に見せていただきましたが、片方の耳が溶けてなくなっている方でございます。この方は、八月九日というのは、私が一年じゅうで一番胸を張って歩ける日ですというふうに答えられました。この人はプラカードを掲げてデモに出ますというふうに言っておられたわけです。
これらはいずれもこの日に、自分が
被爆者であるということを、あらためて強く意識するということには違いありませんが、自分が
被爆者であるという事実を受けとめる
姿勢が全く異なっております。そして先ほど申しました
被爆体験について語ることをためらうというのは、前者の型に属する人々であるわけです。私は、この
二つの型のうちの前者のほうを漂流型、後者を抵抗型というふうに名づけております。
社会科学者の努力の
一つは、
被爆者の苦悩、苦しみというものを全体としてとらえようとすることであります。これらの苦悩がどういう要因、連関のもとに相互に結びつけられて、ついには
被爆者をどのような人間類型につくり上げていくか、その
過程を析出することによって
被爆の、あるいは
原爆の人間的な
意味を突きとめようというのでありますが、そういう努力の中で、
原爆被害というものが、ついに
被爆者の精神的な荒廃につながっていくという人間破壊の
過程があるということが突きとめられております。
たとえば
調査に尋ねていきまして、近所の方に問いますと、さあ、その方が会われるかどうかということなんです。その
意味はわからなかったんですが、そのお宅を尋ねていってみますと、小さな六畳の間
一つくらいのお宅でございましたが、戸を全部締め切ってしまって、日中でもほとんどあかりも入らないような部屋の中で、壁のほうへ向かってすわっておられる。私が入っていきましても、こちらに向いて話をしていただくことができないというような、言ってみれば人間ぎらい、あるいは私
どものことばで言えば、人間不信というものの
一つの極限を見たような経験がありますが、そしてまた、そういう方
たちは、あなた方非
被爆者に話をしてみても、どうせわかってはもらえないんだという態度をとられるわけでございます。そういうふうに、人との結びつきをみずから拒否していくというような精神的な荒廃というものがあるわけでございますが、一人の
被爆者においてそういう精神的荒廃が現出するとしますというと、それはその人が荒廃への
過程に身をゆだね、漂流するからでなければならないし、そうであるからこそ、その人に荒廃の論理が貫徹するということになるわけでございまして、そのような方を私は漂流型というふうに呼んでおるわけであります。
これに対しまして抵抗型といいますのは、この荒廃の論理の貫徹を許すまいとする
人たちであります。そういうような人間の精神的な荒廃の
過程を探求します中で、私は、ことばは必ずしも適当でないかもしれませんが、いわば
原爆差別、そういうふうにも言えるようなものが形成されておるのではないかということに気がついたわけでございます。先ほど伊東参考人のほうからも
お話がございましたが、
被爆者の方の苦悩、苦しみとして、まず取り上げなければならないのは、言うまでもなく
原爆症であります。そしてその
原爆症の解明というものが、まだ必ずしも十分に行なわれているとは言えないだけに、それが発病の場合の
生活保障がないということと相まちまして、
被爆者の方にまことに言い知れない不安を与えておるわけであります。私は、先ほど申しました
原爆差別というようなもののよってきたるところは、この不安にあるのではないだろうかというふうに思います。もちろん現実に、就職、結婚等において差別を受けた経験を持っておられる方は少ないわけでございますけれ
ども、そういうふうな経験は、自分は決してすることはないというふうに確信できる人はま
だいないというところにこの問題があろうかと思うわけでございます。
そういう不安というものが、これは差別する人のほうにも、差別される人のほうにもそれがあるわけでございまして、それだけに、そういう差別が
被爆者によってすぐそれが内面化されてしまう。自分の
気持ちの中に取り入れられてしまうということがあるわけでございます。それだけに、根拠がないとは言えないだけに、この問題は差別する人あるいは差別される人の心がまえの問題というふうには言えないわけです。こういう差別は、戦後二十数年の間に
社会的に形成され、それが
一つの
社会制度化されてきているのではないだろうかというふうに見受けるわけでございます。こういう差別の制度をこわしていく、それにはこの制度を形成しております
原因となっているものを、政策によってこわしていくよりほかに方法はあるまいかというふうに思います。
考えられますことは、一方においてはもちろん
医療あるいは医学の充実、
原爆症が出ても決して必配はない、必ずなおるというほどに
原爆症に関する医学が発展していく、そういうふうなことが保障されていくということが
一つ必要ではないだろうかというふうに思います。
他方においては、
生活保障ということが問題になろうかと思いますが、それはいままで申し上げましたところからも言えますように、貧困になってから
救済するというんではなくて、貧困にならないで済む。たとえ
原爆症が出ても、そのために
生活に困るようなことはないというようにすることが肝要ではなかろうかというふうに思うわけでございます。
こういうような
原爆差別というようなものを、なくするということができるかできないか、あるいはできたかいなかということが、およそ
原爆被爆者、
被害者に対する
対策の、効果測定の基準にならなければならないものではないだろうかというふうに考えるわけでございます。
また所得
制限条項によりますと、これは配偶者または扶養義務者の所得というものが当然の
前提になっておりますが、そのことが
被爆者の方を、一家のやっかい者にするということもあるわけでございます。およそ
家族がやっかいな者になるということは、それだけその
家族内における人間関係が、破壊されていっているということの証左ではないだろうかというふうに思います。
救済原理を入れていく、あるいは
救貧原理を入れていくということが、
原爆差別をなくすることに貢献しないというだけではなくて、それがまたいま言いましたような人間関係をこわしていくというような役割りを果たしていはしないかどうかということは、これはやはり事実によって、
調査によって確かめて、この問題に決着をつけるというのが筋道ではないだろうかというふうに考えます。
また、これも先ほど伊東参考人のほうから出ましたが、各種手当の金額についても、やはり事実でもって決着をつけるよりほかに方法はあるまいと思います。たとえば言明されておりますところの政策目的、すなわち、特別ニードの充足というような政策目的が、はたして果たされているかどうかということ、これは常にその点検が行なわれているということが必要だというふうに思いますが、私
どもはこのことにつきましては、次のような仮説を立てることが可能ではないだろうかというふうに考えております。それはすなわち、
被爆者の方の
生活構造というものを見て、その
生活構造から見ますると、せっかく保健薬なりあるいは栄養に回しなさいとされるこの手当というものが、実はそれが一般の
生活費、あるいは
家族の
生活費に回されてしまっているということがないだろうかということ、何か特別のニードを充足をするということでありますから、そういうことにはたして役立ち得るように、そのためにはそれだけの
生活構造に関する分析の上に立って金額が定められているのかどうか、あるいはこのことは、単に
特別措置法の範囲内では解決がつかない問題であろうかとも思いますけれ
ども、そういうような問題についての考慮が必要ではないだろうかというふうに考えるわけでございます。
要するに、
原爆被害者の方
たちの
立場を十分に認めた上でありませんと、いろいろな今日起きておりますような争点は、いつまでも争点として残らざるを得ないのじゃないだろうか。いろいろな努力が行なわれましても、絶えずこの争いのポイントというものが残らざるを得ないのではないだろうかというふうに考えておるわけでございます。
社会調査家としての
立場から見ますと、こういう面での
調査資料不足というものを痛感せざるを得ないわけでございまして、このような面での
調査研究には、もっと公の力が投入されてしかべきではないだろうかというのが私の偽らざる実感でございます。(拍手)