○山田(耻)
委員 わかりました。結局、従事者扶助令で救済をするワクと、その後できました
法律、
遺家族援護法、これの中で救済されていくものと、新しいものの発生としてそこに吸収されるべきものと区別されるということは、私はあり得ていいと思います。問題は、
国民のことですから、公平で、しかもより有利にという
立場をそこの中で見つけ出すことがいいと思います。ただ問題は、この防空従事者扶助令、そこの中で、常勤であって国から給与をもらっていたとかいうものが入っていくのは当然だと思いますけれ
ども、いわゆる非常勤で、問題が起こったとき出動して、空襲といえばずきんをかぶって飛び出す隣組、こういうふうな、全く常勤でなくて非常勤で、しかもこの命令系統、
法律的根拠に基づいていただく団体組織、こういうものは当然この第五項に入っておるものだと私は思っておるのです。それを裏づけていきますのに、
昭和十五年九月十一日に内務大臣安井英二さんから内務省訓令第十七号というものが出ているわけです。この内務省訓令第十七号は隣組組織の制度化であります。内務省から内務省令が出ておりますから、こういうものに基づいて組織されていく。それを防空従事者扶助令できちっと統制をされていく。市町村単位に市長さん、町長さん、村長さんが団長になられて統括をされる。そして隣組班には班長を置く、こういう形になってくるわけですね。ですから、ここまで考えてまいりますと、私はあまりにも死者が多かっただけに、もちろんこうした組織に入れない、いま申し上げたような、小さい子供だとか、病人だとか、あるいは囚人だとか、こういう人たちは除外されても、ほとんど救済される対象になる。その救済は防空従事者扶助令に基づく以外にはないだろうと私は思うのですよ。この
立場から見ていきますと、私は、それでなくなった
方々には、葬祭料的な性格を加味したものであったろうと思うのですよ。だから、いま大臣のおっしゃったように、いわゆる
援護法で救済されていくものは救済する、救済されないものは、この防空従事者扶助令に該当するものをまず救済をしていきたい。こういう中には、いま私が申し上げましたような、省令、政令でたくさんしばられておりますから、その点が第五項の中に入っておるものと私も理解するし、
法律の正しい解釈はそうだと思いますから、そういうふうにひとつ理解をして瞬時死亡について扱っていただきたいと思うのです。来
国会に精査をして出したいとおっしゃいますから、私はそれでけっこうだと思います。
それからまた問題は、ここから葬祭料のほうに入っていくわけですが、さっき大臣の提案
理由を聞いておりますと、いわゆる強度な熱線、そうして後遺症、いわゆる家族という単位の破壊、労働力の喪失、こういうものが重なり合っていて、今日の原爆被爆者というものは、後遺症の不安におののき、生活の不安におののいておるという二重の責め苦を受けておる。だからこの人たちに葬祭料を出してやりたい、こういう提案の説明だったと思います。本来そうであったら、提案の趣旨どおりであったら、特別手当なりあるいは健康管理手当なりを、ワクをはずして今日生きている人に対してあげるのが、行政としては正しかろうと思うのです。おまえ、そんなに不安だったから、死んだから一万円をやろう、これは提案の趣旨と、出されておる葬祭料との関連から見たらおかしいですよ。葬祭料は、気の毒であった、原爆にかからなければもっと生き長らえていけるであろうに気の毒であった、しかも、原爆孤老になって身寄りはいない、こういう人たちに、原爆被爆者全体から見て葬祭料を出すというなら私はわかるのです。大臣の趣旨説明だったら、早く死んではいけませんよ——原爆症というものは総合栄養をつけてやらなければいけないと、いま言われているのでしょう。だから、特別手当なり健康管理手当なりを全体の人が受けられるようにしむけてあげるのが、私は行政のあり方として正しいと思う。しかし、私が本
会議で総理に
質問をしたときの、当時の議場の中で取りかわされた
ことばと、いま出ておる葬祭料と違うと私が言ったのは、そこなんです。衆議院であの話を本
会議でやったときには、なくなった人たちに対して、しかも一気に大量の殺人をして、しかもそのあとには、家族をこわされ働く道を奪われ、そうして生活困窮に落ち込んでいっておる人たち、この人たちを国がめんどうを見てあげる。それが社会保障原理に基づくものか、国家補償原理に基づくものかは別としてめんどうを見てあげる。お気の毒な方たち、なくなったときには線香の一本でもあげましょう、こういう
気持ちで葬祭料というものを私は要求したのですからね。そのとき私は、御存じのように金額は五万円を要求しました。五万円が適当なのか二十万円が適当なのか、三万円が適当なのか、一万円が適当なのか、これはわかりません。わかりませんけれ
ども、総理はその話に乗ってこられて、
措置をしようと言われたんです。その出てきた
措置というものが、原爆症にかかって気の毒な、不安で生きておる間たいへんだったでしょうから、死んでしもうたら一万円出しましょう、こういう葬祭料になったのでは、葬祭料自身が生きていない、こういうことを私はさっきから申し上げておるのです。ですから具体的にこの論拠を押し進めていきますと、四十四年以後の死没者にやる、こういう
立場もほんとうにおかしくなってくるのです。それなら去年の人には何もしなくてもいいのか。去年の人も不安におののいて死んでいったんですよ。私は遡及していく法則というものは、大臣がおっしゃっているようなもので断ち切られるものであってはならぬと思うのです。社会保障の原理だから、こういうもので断ち切られていくべきものじゃない。少なくとも支給の対象の
氏名確認なり数の
把握がむずかしいとおっしゃるならば、三十二年以後ならきわめて可能じゃないか。もちろん最初から、おなくなりになった人たちみんな不安におののかれたでしょうが、原爆医療法が制定されて被爆者手帳が交付をされて、そして三十土年以後の人たちも、今日の人たちも、原爆被爆者はみんな不安におののいていますよ。なぜそれがさかのぼれないのか。的確な
数字の
把握ができる三十二年までなぜさかのぼれないのか、私はどうしても納得できませんよ。一ぺん納得できるように
お答えいただきたいと思います。