○枝村
委員 いまの答弁はきわめて官僚的な答弁としか受け取れませんが、それは
あとから法案をいろいろ審議していく中で、それぞれ明らかにしていかなければならぬと思うのですが、やはりもう少し高度な立場からこれを見ていかなければならぬと私
ども思うのです。単に、労働力全体が不足しているその一環として技能
労働者が不足しておるというようなものの見方だったり、それから、労働条件が非常に悪いから魅力がなくなっておるとか、職業訓練そのものが、先ほどから論議しましたような、あのようなお粗末なことであるから結局訓練の受け手がなし、こういうふうなことだという一面的な見方だけではやはりいけないと私は思います。それは確かにその面もわれわれは否定はいたしませんけれ
ども、それだけではいかぬ、やはりもう少し高次な立場で、大きな観点、視点でものを見詰めて、そしてその中から活路を見出していくという、抜本的な
方向を見出していかなければならぬ、それがやはり
政府の立場であろうというように考えます。
そういう
意味で、私、若干意見を述べますが、現在の職業訓練は、最初も言いましたように、いわば資本の要求する職業訓練であって、
労働者が必要とし要求している職訓ではないというふうに思います。戦後わが国の職訓は、労働基準法に基づく技能者養成と職業安定法に基づく職業補導との二つの系統のもとに発足したということは、御案内のとおりであります。技能者養成は、主として経営者によって行なわれる職訓について規定したものでありまして、何よりもまず年少
労働者の労働保護をたてまえとしておりましたし、それから職業補導は、主として都道府県及び公共団体によって行なわれる職訓について規定したものであって、そこでは、失業対策と
労働者需給
調整の二つの役割りを兼ね果たそうとしていたということであります。
そこで、技能者養成は初め、いわゆる輸出産業の振興に見込みがあると思われた中小企業向きの工業
関係ですかの十五職種に限られていたのでありますが、昭和二十六、七年ごろから、大企業でもこの技能者養成規定を受けて職訓を行なうようになったのでございます。しかし、時代がたつに従いまして、いろいろ部分的ないじくりをやって
改善してみても、いわゆる資本の要求が満されなくなってきた。
〔
委員長退席、
竹内委員長代理着席〕
そこで、総資本の要求として体系的に提起してきたのが、例のいわゆる新時代の要請に対応する技術教育に関する意見であります。これは御承知のように、昭和三十一年十一月、日経連が
政府に
提出したものであります。この意見が
提出されてから以後、
政府はこの意見に基づいて、いわゆる
政府の政策というものが行なわれだした。早くいえば、この意見に忠実に従ってきておる。これはいろいろ例があります。これは歴史的に明らかにすることができますけれ
ども、そういうふうにすべてがなっておる。
その第一が昭和三十三年五月に今日の職訓法が制定された。そして、職業に必要な技能と腕の訓練に限定しておって、知識と頭という問題については副次的なものとみなして、この職訓法の本質というものが貫かれておるのであります。特に技能検定の問題でありますけれ
ども、職訓とはかかわりなくこれは実施されて、一年後に強行しておる。そして技能労働力の不足を補うために間に合わせの技能検定を行なったということは、職訓そのものに対する等閑視の傾向が当時からすでに持たれておる。これは先ほど言いましたように、資本の要請にこたえる
政府の労働行政の
一つとしてまず手始めに行なわれておる。そればかりでなく、これは国内のいわゆる人的資源のうちから、使いものになる技能者を残らず引き出して、そして国家総動員的に安く利用するという、そういう意図が今日のこの職訓法の中の底を流れておる、このようにその後の経過から見えるのではないかと思うのです。
また教育の面についても、そのことがはっきり言えます。これは一々は省きますけれ
ども、そういうやり方をしておる一面、いわゆる技術革新によって当然資本とすれば
合理化を進めてまいります。
合理化によって資本の側から職業技術教育訓練が必要とされるのはあたりまえのことなんですが、
合理化を進めるにあたって、資本は
労働者には必要最小限度の職業技術教育の訓練を与えておりますが、残りの
労働者にはそれは与える必要がない。職業技術教育訓練の問題は、資本が意識するかしないか、あるいは好むと好まざるとにかかわらず、そういう資本の差別的なやり方というものが一面に出てきておるというように私
どもは見るのであります。このようないわゆる資本の要求が今日職訓法の基本を流れておるのでありまして、今回の
改正も、そういうことを打ち破ってしまって、そして新しい時代、新しい感覚、新しい思想の上に立ってこの法が
改正されておるのではないと思います。依然として、先ほど言ったような
方針が今回の法
改正の中にも貫かれておるというように、私
どもは見るのであります。
それに対して
労働者の基本的な態度は、これはもう皆さんも知っていらっしゃいますように、すべての
労働者は、年齢、性別にかかわりなく、公共的な職業技術教育、いわゆる技術教育を受ける権利がある。国はそれを保障しなければならない。特に若い
労働者の権利は尊重しなければならないという、そういう原則をわれわれは持っております。それから職業技術教育の
内容は、体系的で完全な基礎教育を含んで、そして永続的な社会的技術進歩に対応するものでなければならない、そういうふうにわれわれは見ております。そこにやはり大きな相違点、基本的には
考え方の相違があるわけなんですね。しかし、
政府が
労働者の側の
考え方を全部取り入れて、そして職訓法を完全なものにする。それは今日の政治情勢の中では無理でしょう。無理でしょうが、しかし、何とかして
労働者の要求するこの権利としての職業訓練を取り入れる努力をすべきであるにもかかわらず、していない。総資本の要求のみを満たすために職訓法を依然として生かそうとする、そういうところに、最初私が
質問いたしましたように、今日の技能
労働者の不足があるし、職訓に対する魅力というものが失われておる、このように思うのであります。
ですから、これをいまさらどう言ってもしょうがありませんが、労働省は、単に資本の側だけでなくして、資本主義の世の中であるから、社会主義的なものを加味しながら入れるとか入れぬということは別にして、当然やはり行政官庁としてどうしたらいいかというのを、一面的な現象面だけにとらわれず、基本的な観点に立って、われわれの主張することも十分受け入れながら、いまからの職訓の問題に取り組まなければ、ものの解決にはならぬというように私は考えるのでありますが、その点について
お答えを願いますと言ったって、これはたいした答えにはならぬでしょうけれ
ども、ひとつ述べてもらいたいと思います。