○山崎心月君 私、四日市市
公害認定患者の会を代表しております山崎心月でございます。
四日市
公害は、諸先生方も御承知のとおり、先ごろの週刊誌に取り上げられて、日本で一番住みにくい都市はどこかというアンケートに、四日市が一番住みたくない都市だ、こういうことが書かれてございました。そのとおりでございます。四日市は、ただいま
認定患者の実数は四百十七名、その中で三十三名
入院しておるのでございます。昭和四十年に
認定患者制度ができましてから、すでに死亡いたしましたのが二十六名、その中で二名自殺者が出ておるわけでございます。私も昭和三十六年の五月四日の深夜に突然発作を起こしまして、自来今日まで一日も欠かすことなく、注射の打ち続けでございます。ところが今月の初め、私、北海道の十勝へ参りました。一週間余り参ったのですが、薬を
用意してまいったのに、ほとんどその薬も飲まないで済んできたという事実。先ほどSO2、亜硫酸ガスと病気との因果
関係ということをおっしゃった先生がございましたが、確かに四日市の
公害患者は亜硫酸ガスの影響によるものであるということは、九年間私自身が身をもって体験してきたわけでございます。それは亜硫酸ガスの発生しない
地域については苦痛をさらに感じないということなんであります。
昨年まで四日市にはそうした
患者の組織というものがありませんでした。ところが、磯津地区という漁業の部落ですが、そこの
患者たちが九名、
入院しております
患者の中で訴訟を起こしましてちょうど二年になるのでございます。そうしたことから、ようやく四日市の
公害病というものが多少世間のうわさにあがってきたような
状態であります。ところが、水俣あるいは富山の
公害患者のように、形の上にあらわれていないというのが四日市の
患者の特色なんであります。私、昼はこうしてものも言えております。動けるのです。しかし深夜になりますと、ほとんど苦痛で、トイレに行くことすらも苦痛で、まことに恥ずかしいことですが、いつもベッドの横にはその用を足す器具を置かなければならないというような
現状なんであります。きょうもこういうものを持って歩きまして話をいたしております。私は御承知のとおり僧侶でございますからお経も読みます、説教もいたしますが、こういうものを絶えず飲みながら、お話の間にも、これでようやく気管支を押えながらお話を続けているという
現状であります。家の中には空気清浄機もまた酸素吸入器も
用意してございまして、苦痛が起きますと、そうしてじっとすわりながらその苦痛に耐えておらなければならない。そして皮下注射でございますが、これはもうすでにお医者さんを呼ばなければならぬような事態になりますと、来ていただくまで待っておれないので、自分で注射をしております。そういうことでようやく押えておるのであります。昨年までそうした
患者が取り上げられなかったのは、市民運動というものも全然なかったのでございますが、昭和三十六年までに気管支炎の
患者というのは一名しかなかったわけであります。ところが三十六年に十四、さらに三十七年に十六、三十八年に二十一、三十九年に二十九、そして一日に発作の起きるのが一、二回というのが二十四名、十回以上発作が起きるというのがかなり多くありました。そして発作ごとに注射を絶えず打たなければならないというのが九十二名ございました。一カ月に六十一本以上打っているというような
患者もおるわけでございます。それらは
入院患者ではないのであります。
通院患者なのであります。
そうしたことで、昨年たまたま、私あちらこちらの信者先でいろいろな
患者に会って話をしておるとき、これはだれかをたよっていてもどうもならぬのだ、自分が立ち上がるより方法がないのだということで、昨年の十月四日に、数人の
患者を誘いまして、
認定患者の会というものを発足したのでございます。自来今日まで約半年間、私は四百名の
患者の家庭を、広くは約八キロほどのところをてくてくてくてくと訪問して歩きまして、一軒さがすのに一日かかったようなときもあります。あるいは夜間しか見えないから、一晩かかって一軒さがして面会するというようなことで、そうした
患者の方々に一人一人会ってまいりまして、その中で多くの
患者の者は、下層といいますか、中以下の
生活をしている家庭が一番多いということであります。そして現在の
患者は、五月三十一日現在で四百十七名ですが、三月までの四百六名の中で、乳幼児九歳という子が一人おりますが、それまでの子供が百五十八名、それから五十五歳以上の
患者が百三十五名、その他が壮年者であります。ほとんど老幼者でありまして、死んでいったのも老人がほとんど、中学三年生という女の子もございます。
これは昼はわからないが、夜になると、お隣の家まで私どものうめき声が聞こえるのです。ちょうど笛をくわえたような形で、ひゅう、ひゅう、ひゅうっという声が数軒先まで聞こえるのが、四日市の
公害患者の
現状でございます。お隣また苦しみ出したな、こういうことでございます。
自殺されました一人の木平さんという方は、これは経済的な面もございまして、苦痛と家庭の経済と、そうした両面から、やむを得ず縊死をいたしました。首をつって死んだんであります。その家庭も、月に五、六千円、お医者さんのほかに臨時にいわゆる補助薬を買わなければならぬ。それを子供に
負担をかけるのがかわいそうだといって、首をつったわけであります。
次に、一昨年首をつりました大谷さんという方は、これは岡女堂という甘なっとうをつくっている会社の社長さんでございますが、御自分が車を持っていらっしやるので、夜中にえらくなりかけると、その車をもって風上に向かっていつも逃げられた。この方の日記を見ましても、また空気が悪くなってきた。苦痛がだんだん起きてきた。やはり私は逃げなければならない。さみしい、世界にただ一人逃げていかなければならない、というような日記を書いております。最後になくなります日も、ちようど六月でございました。深夜に苦しんで、ようやく夜が明ける――五時過ぎになってくると私ども楽になってくるのです。深夜に苦しんでようやく五時ころに起きて、二階に休んでおられる方ですが、下の工場へ行かれて、その工場の中でとうとう首をつってしもうたのです。それで目をさまして、奥さんが一緒におられて、その奥さんに、きょうもまた空気が悪いなと一言残したまま、工場へ行って首をつったのです。首をつるような心当たりはないと
家族の人は言われますけれども、私自身が
患者の立場から考えますと、この方は工場へ入って、そこでまた発作が起きてきたから、無意識に首をつったのであろう、私はそう思います。
こうした
患者が四百数十人です。これは国民
保険だけが四百十七名でございまして、健康
保険の方は入っておらないのでございます。そしてまことに矛盾しておることは、市内に、そのコンビナートの
周辺の
地域に三年以上いた者でなければ
認定しないということなんです。そうしたことが相当距離が離れたところに非常に増加しつつあるのに――この間も市長に会いまして申し入れたけれども、
地域拡大する
意思はないということを言っておりました。
この苦痛は、一軒一軒訪問して感じますことは、母は苦痛に耐えかねて死にたい、殺してくれ、こう叫べば、子供がおかあさん死んじゃだめだと、親も泣き子も泣き、ともどもに泣いている
現状なんです。
私は昨年の十一月にある一軒を訪問いたしましたが、子供が三人、妻と夫、その夫はさしもの職人であります。ところがこれがちょうど八年わずらっておるのであります。そして私に、一ペん上がってみてくださいと言うので、引きずり上げられて上がってみたら、まことにあなた方では御想像もできないような、ミノムシのようなふとん、綿はちぎれてしもうてどこにあるのかわからないようなその綿を引きずり出して、これを見てください先生、私はこの寒空に親子五人がこの中で冬を越すのですよと、泣いて訴えたのであります。こうした
現状を聞きまして、ほんとうにここに国の政治というものがあるのだろうかということを心から感じたのです。どうか先生方がこうした国民の上にあたたかい救いの手を差し伸べられ、
一つの法というものをつくり出していただきたい。
また、ある家庭に伺いますと、これは
入院しておられるということになっておりまして、病院に参りましたら、退院をしたということであります。そこへ参りましたら、四十歳ほどの主人がうつぶせに伏さってじっとしておる。いま病院へ行ったら、あなた退院したということですが、そのような
状態でなぜ退院したのか、こう言いましたら、この人は、いや私は
入院しておりたいのです。先生もまだ退院しちゃいけないとおっしゃったのです。けれども子供があるんです。家内があるんです。私のかわりに家内が労働に出ているんです。働きに行っているんです。そして夕方帰ってきた子供が締め出されて入ることもできない
現状を見て、私は病院の屋上からしばしば飛びおりて自殺をしようと覚悟したことが幾回かありました。けれども何とかしてやはり子供のために生き延びてやらなければと考えて、今日は先生に無理にお願いをして、通院をさせていただいております、こう言って家庭の中で苦しんでおられる。
あるいはまた、ある一軒の家へ参りますと、薄暗い小さな小屋というような家の中で、老婆が一人――四日市は万古という陶器のできる町でありますが、その内職をやっております。薄暗いんです。そこで万古の仕上げの仕事をやっておる。暗がりをじっと見ておると、そのはたでうめき声が聞こえる。その母の向こうに伏さってうめいておる。そのたった一人の二十三歳の青年が、ひゅうひゅういいながら伏さっている。なぜ病院へ入れてもらわないのか、病院へ入れてもらえるようにできているんだ、こう言いましたら、この青年が、おじさん、この間まで入れてもらっていたんです、けれどももう病院に置いてもらえないのです。
入院費は市が払ってくれるんですよ。それはありがたいのだ。けれども私は、朝起きて顔を洗って、一枚の手ぬぐいがなくても、顔はほっておけばかわいてきます。口を洗うブラシ一本なくても、それはしんぼうができます。けれどもおじさん、私たち一日に一度は欠かすことのできないトイレヘ行ったときのちり紙一枚ないのです。それを同じ病室の中の
患者が、かわいそうがって私に恵んでくださいます。けれども幾月も幾月もそうしたお恵みを受けてじっとはしておれないのです。だから私はたとえ三百円でも五百円でもいい、昼雑役に使ってもらって、その金が少しでもできたらまた
入院さしてもらうのだと、泣いて訴えておるのです。これが四日市の
公害患者の
現状でございます。
ところが、昼は人が見てもさほどに苦痛らしく感じられないものが、夜間にまいりますと、みなそうであります。特に一時半から二時、朝の五時にかけてが一番の苦痛なんであります。これは昨年大阪のお医者さんと会いまして、そのお話をしておりましたら、山崎さん、夜は自然現象で気温は下がるんですが、気温が下がってくるから病人はみなつらいんです、そうおっしゃった。けれどもそれは一般論です。私ども四日市の
公害患者はそうじゃないのです。夜は、あの百万ドルの夜景といわれている排気ガスがどんどんどんどんたかれ、そこから濃度の硫黄がどんどんどんどん出てくるということなんです。あれがあのまま放置されたら、もしもここに一塊の硫黄を持ってきて私がこれをたいたら、あなた方はみな死んでしまうのです。そうしたら私は殺人罪という罪をしょわなければならない。国の発展のために産業ということを非常に重要視しなければならない。けれども人間の生命が断たれながら産業がいかに発展しても、これはだめだということでございます。そうしたことを考えますときに、何とかしてこれを、発生源
対策というものを十分に考慮していただきたい。
こうしたことが、私は、昨年と一昨年と、これは三十歳と二十八歳の若い奥さんであります。これも一日おきに注射を打ちに病院に通っておられるのです。ところが、妊娠をしたのです。まだ二十八歳の若い奥さん、三十歳の若い奥さんが、子供がほしいんで、専門医のところへたずねていって御相談なさったら、専門医が、保証できません、あなたのように一日おきに注射を打っている人が子供をもうけて、もしも奇形児ができたらどうなさる、私は専門医として保証ができないから中絶より方法がない。合法的に中絶はされたけれども、ほしくてたまらない、産みたい子供が産めなくて、中絶させるということは、間接的に完全な殺人
行為なのであります。この殺人
行為は一体どこから来るのか。いわゆる
公害、国の発展のために、高度成長のためにというような、ああした
公害発生源であるところの工場から出てくるいわゆるSO2、亜硫酸ガスのために、こうしたことに会わなければならないのが、私ども四日市の
現状でございます。おそらく数千名潜在
患者があります。それから、
患者と
認定していいか悪いかという、いわゆるボーダーラインにあるところの
患者がたくさんおります。これらを救うためには、どうやっても発生源
対策をもう少し十分にしていただきたい。そうして、先ほどからいろいろな先生方もおっしゃいましたが、あの
紛争処理法というようなこともでありますが、ああいうことが、会社が断われば――両方の
合意の上で訴えなければならないというようなことをこの前新聞で見たのでありますが、そのようなものでは何にもなりません。やはり
一つのはっきりとした権力のある裁断法によってそれをはっきりしていく。工場内に働いている従業員の話を聞きますと、どんなに衆議院から参議院から議員の方々が
調査にいらっしゃっても、その日は、私どもが工場に行ったら、きょうは操業中止、こうなるのです。操業が中止されたところを議員の方々が
調査します。そうして、会社もそれぞれの専門の人が御案内しておるのです。その方々が四日市を離れると同時に、われわれは深夜にフル運転にかかるのですと、従業員はこう申しております。これが、夜間に非常に亜硫酸ガスが発生するという事実、明らかであります。でありますから、四日市に青空が見えて晴天になりますと、きようはきっと東京から偉い人が来てござるだろう、みなこう言っておるのです。それは明らかなんです。まことに――きのう私参りますのに、あの霞が関ビルが汽車の中から見えませんでした。この
状態が四日市は毎日続いておるのであります。ただ夜だけしか四日市らしい姿が見えない。深夜の中に電灯がつき、そうして炎を上げて廃ガスが燃えておる。それだけが四日市らしい
状態であるということ。こういうような
患者が非常に苦しんでいる。
どうか先生方がいろいろ御苦労していただいて、そうしてわれわれ四日市市民、また
全国いろいろなところにありますこの
公害によって
被害を受けている者たちの、特にわれわれ下層社会の者ほど
被害が大であるという事実を御承知いただきまして、どうぞりっぱな
法律をつくって、国民にしあわせを与えていただきたいということをお願い申し上げます。(拍手)