○松本(忠)
委員 やはり現在の
時点においては、私は
走行キロというものに関心を持たせるようにして、そういうふうな行政指導をしていって、走った
走行キロに応じたところの手入れをしていくというような指導をされるべきであって、やはり
期間というものに限られたやり方では不合理だと思います。この点をひとつ
検討してみてもらいたいと思います。
それから次に問題がかわりますので、運輸省のほうはけっこうでございます。
建設省の方に伺っておきたいと思うのです。
三十一日から
供用開始されました首都
高速一号線、上野線でございます。このことについて伺いたいわけでございますけれ
ども、下り線の出口が台東区の北上野の日光街道の交差点の手前に設けられております。私も一日に見てまいりましたが、非常に渋滞をしておりまして信号待ちのために車が詰まっておりまして、
高速道路のその役を足していないのが実情でございます。その後、私見てまいりました
あとに、また新聞に出ましたので事実だなと思っておりました。そこでその新聞を見ましたところが、六月三日付の朝日の記事でございますが、
昭和三十四年に事業決定をして首都
高速道路公団が四十年に着工した。そしてこのたび竣工した。そこで首都
高速道路公団の企画課のお話が載っておりましたが、それを引用いたしますと「交差点の手前でおろさずに立体交差にすべきだったという意見もあると思いますが、当初の設計者がいないので、よくわかりません。ただ、
計画、事業決定がされたのは十年も前のことなので、現在のこの車はんらんは予想できなかったかも知れません。」こういうふうなことが新聞記事に載っております。この事業決定が十年前の三十四年になっているけれ
ども、四十年に着工したわけです。この
状況は、四年前ですから、私は
予測できなかったはずはないと思うのです。先にもう少し延ばして立体交差にすればいいことがわかっておる。これが常識的だと思う。それが三十四年に事業決定されたからそのままで着工されてしまう、四十年度に着工されてしまう、そういう
考え方がどうも私は納得できないのでございます。これと同じ
条件下にあるのが、まだ完成されませんが、近々完成されて供用される川越街道。これも池袋の五つ又から川越街道に入ってまいります。そうして環状六号線の手前でおりるようになっています。これはやはり上野線と同じような結果になってきて下りが詰まってしまうのではなかろうか、こういうふうに思うわけでございます。この点については、私は一昨年になりますか、あすこを着工したと同時に運輸
委員会でこの点について
指摘したことがございますけれ
ども、やはり常識的には環状六号を越えたところで川越街道におりるというのが当然だと思うのですけれ
ども、これもやはり私
どもが言っただけではそのままで、とうとう着工されて、近々
供用開始に川越街道のほうもなります。要するにその事業決定と着工までの間に時期があるわけです。上野線でございますと、三十四年と四十年というと六年間の差があるわけです。そして四十年になりますと相当に、
交通の状態が三十四年と違って大きな変化を来たしているわけです。こういう事態になったときに、なぜ事業決定を
変更しないのか、もう少し先まで延ばすとか方法は
考えられないのか、こういう点を私、非常に疑問に思いますので、この点について
答弁を願いたいと思います。