○佐野(憲)
委員 私の言っているのは、十年前にこの神通大橋が国に移管されたときに、なぜそういう移管を記録とともにしないのか。
建設省のやったのは十年前です。空襲のあとです。それをやられていない。ですから、そういう関係に対して、いまになってから、
設計者はだれだった、何はだれだったと大騒ぎをしなければ、応急対策も講じられないというようなことを考えますときに、やはり道路法なり河川法に特に
土地台帳制度というものを強く私たちが要求いたしましたのも、こういうことを未然に防ぎたい——違法建築に対しましても、やはり
敷地台帳を設けなければならないのだといっている私たちの主張が——案外、
法律はできましたけれ
ども、簡単に考えられるところに、やりは私はその真相を追及していくために妨げとなる
一つの
問題点だ、かようにも考えますので、一応言ったわけですが、治水大会におきましても、これらに関連いたしましてやはり指摘されているのは、たとえば河川法は
昭和三十九年に通過して、河川管理に対する構造令を定めることになっている。この構造令が現在もなおできていない。もう五年たちますけれ
ども、五
年間たってなお構造令ができていない。道路の構造令は、不完全でありますけれ
ども、できているわけです。しかしながら、河川の場合におきましては構造令もできていないじゃないか。
政府は治水に対して——水を治めるものは国を治めるのだ、こういうけれ
ども、一体どうなんだ、こういう質疑が治水大会に出席された皆さんから出てまいるわけであります。政党の責任も追及されるわけです。皆さんは
法律をつくる、なかなかりっぱな目的がうたわれておるが、実際はどうか、構造令もまだできてないじゃないか、こう言われて、私たち非常に責任を痛感をしてまいったわけでございます。だから触れさせていただいたわけでございます。
最後に、こういう状態に対しまして、一体復旧
工事はどのようにして進められるか。八トン車の重量にしか耐えられない神通大橋、これを単なる原形復旧という形において
処理されていくのか。今日の交通は二十トンをこす、そして一日三万台の自動車が通っている。しかも電車は、さっきも言いましたように、へし折れてしまっている。全くもうたいへんな事態がここに起こっておるわけでございます。しかしながら、そういう事態は事態といたしまして、一体この復旧
工事というものはどういうような形でなされるかということ、いつごろまでにこれを完成される準備を進められるか。現在の原形復旧の形だけでも半年はかかるんじゃないか。半
年間——多くの人が工場に通勤する幹線的な電車、この路面電車がへし折れてしまっている。しかも自動車も通ることができない。下流、上流でようやくやっている。しかもここで問題になってまいりますのは、すでにもはや四キロも自動車が連ならなければならないという、全く混乱した状況に対しまして、
昭和四十二年に国道八号線のバイパスが採択されてこの
工事に着手いたしておるわけでありますが、わずか
程度しか進捗していない。ここにもやはり
地域住民から見れば
建設行政に対する非難の声が出てくるわけです。
昭和四十二年に決定しながら、一体どれだけの
工事が進んでおるのだろうか。ほとんどやっと始まったばかりというこの現況に対しまして、怠慢だという声が非常に起こっておるわけです。現在ですらも交通が渋滞しておるところへ持ってきて、ここでこういう中枢の神経ともいうべき唯一の神通大橋がこのような形になってしまう。たいへんな事態だ。この事態を六カ月かからなければ復旧することができないんだ、これではたいへんではないかと考えるのですけれ
ども、この御報告を受けて、しかも私のほうが質問しないうちから、すでに、復旧に対しましては誠意をもって当たるという、非常に力強いことばもいただいておるわけですけれ
ども、しかし現実は一体どうなのかということを考えますと、やはり今日における
最大の技術を動員されてこういう問題に対して早急な対策を立てる、それに対する大臣の所信を聞かしていただきたいのと、やはり八トン車
程度の原形復旧にとどまるのか。今日における道路の事情、並びに今度の災害の
原因となりましたところの神通川が持っておる諸問題——
原因追及の中から明らかにされてまいるでありましょうけれ
ども、そういう
原因追及の中から、再び惨事を引き起こさないための
措置として、原形復旧にとどまるのか、改良復旧という段階においてこの問題を
処理しようとしていくのか、この点に対してお聞きをしておきたいと思います。