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岡本(隆)
委員 公共団体がやる
事業については、防災拠点だとか、あるいは避難拠点というふうな
考え方に立って進めていきたい、こういうことでありますと、たとえて言えば、
東京のゼロメートル地帯というところで、台風でも起こったときには困るだろうから、みんなが逃げられる場所を一つつくっておこう、あるいは火事のときには、大震災のようなことが起こったときには、とにかくそこへ避難できるような場所を一部つくっておこう、だが、そのほかの周囲の広い範囲のところのものは従来の悪い住
環境でしんぼうしてくれ、万一のときはここへ逃げてきたらいいんですよ、そんなことでは、
大臣、
都市の再
開発とはいえないのじゃないですか。やはりわれわれが
都市の再
開発という限り、庶民がほんとうに人間性を取り戻すような再
開発ということを心がけねばならぬ。だから、公営
住宅法の改正の問題のときにも、とにかく
政府は
住宅対策に対する金のつぎ方が少な過ぎる、
道路にどんどん金を投じて、そのために自動車ブームに追いまくられて、なるほど国民はマイカーでは走っておるが、そのために交通事故はふえる、スモッグはふえる、
都心がより一そう住みにくいものになっていく、こういうふうに自動車産業で日本の経済をささえるよりも、
住宅産業で日本の経済をささえたほうが賢いのだ、そしてその
住宅産業にどんどんと資金をつぎ込むことによって国民の住
環境をよくしなさい、こういうようなことを私は言っておるのです。だから、
政府がそういう心がまえでやったら、それがよし高いものにつきましても、公営
住宅形式で、あるいは公団
住宅の
市街地団地形式でどんどん
都心の再
開発が進められるのです。ところが、そのような公営
住宅や公団
住宅として
市街地再
開発をやろうといたしましても、片一方で民間
開発の
組合の
開発が進んでいく。その
組合の
開発は、
処分床を非常に高い値で処分しますから、したがって非常に有利な条件で
土地の
開発をしていきます。そうすると、公団や
公共団体といったようないわゆる公的な機関はとても勝負できないのですよ。
市街地の
土地を買って再
開発を進めようと思っても、勝負にならないのですよ。みんな民間
開発のほうに流れていってしまうんです。結局、民間の
開発事業というものが非常に高いマンションペースでもって進められていくというところに問題があると思うのです。この
法律の持っておる欠陥を私は強く指摘をいたしておきます。だから、今後の運用について
——成立してないのにさきからそんなことを言う必要もないのですが、しかしながら、多勢に無勢ですから、いずれはあなた方のほうが強引に、われわれが何ぼ反対だといっても、押し切って成立させられるのだから、そういうことになったときには、やはりその運用について、十分この
法律の持っておるところの欠陥というものを認識して、その上に立った運用をしていただくことを強く要望しておきたいと思います。
それからもう一つ、
委員長さっきからもういいかげんにやめぬかというような顔ばかりしておられますし、
委員会前に
委員長も私にくぎをさしておられますから、もう一点重要なことを確かめておきたいと思うのです。それは権利変換
計画の問題です。
この権利変換
計画の中に、八十八条第五項に、
事業の施行
地区の中に借家権を持っておった者は、新たに建て直された家の中にも借家権を取得するということをはっきり書いてございます。ところが、借家権はなるほど保障されておりますが、しかしながら、借家の条件というものは保障されておらないのです。たとえて申しますならば、私、赤坂の宿舎におりますから、日常よく歩いてきます。そうすると、赤坂の溜池かいわいは、近くに霞が関ビルができましたし、また小松の大きなビルもできました。また、あそこには公団
住宅も建っております。公団の
市街地団地も建っております。
都市開発が
相当どんどん進んでまいっております。だから、やがてはあのかいわいは再
開発がされていくだろうと思うのです。ところが、あそこには、小さな、間口二間かそこらくらいの荒物屋さんもありますし、文具屋さんもあり、あるいはそこの横にうどん屋さんもあり、写真屋さんもある、散髪屋さんもあるというような、いわゆる全くダウンタウンの庶民というべき人たちが住んでおるわけです。ところが、そこに再
開発が入ってまいりますと
——それらの人は、おそらく戦中もしくは戦前からあそこに住んでおるに違いないんですね。また、昭和三十年に私が初めて出てまいりました当時の溜池かいわいというものは、全くの場末でした。溜池という地名はどういうところから出たのか知りませんが、とにかくあのかいわいは、自動車の修理屋なんかがたくさんあって、全く場末のところでありました。ところが、今日ではもう
都心的な性格を持ってくるほど変貌いたしてまいっております。しかし、そこには従前どおりのささやかな商売をやって生活しておる人たちが住んでおるのです。それらの人は安い家賃で住んでおると思うのです。戦前からの家でありますから、あるいは戦災を受けたとしても直後に建てられたバラックでありますから、安い家賃で住んでおると思うのです。ところが、今度新たにできたととろに権利床としてかりに家主によって確保された
スペースでありましても、そこに入っていく場合には一体どうなるのか。そうすると、この第百二条によって「借家条件の協議及び裁定」ということで、所有者と借家権者はその条件について協議しなければならぬ。協議が成立しないときには、
施行者が裁定するということになっているわけですね。だから、たとえば、いままで三千円か四千円の家賃で住んでおりました。しかし、それは十五坪か二十坪の二階建ての小さい
建物です。そこで四、五千円払ってささやかな商売をやっておりました。ところが、今度権利床として獲得するのは、坪二十万くらいの金のいったところの
建物の同じ面積が割り当てられるとするなれば、かりにそれが約三十坪として、六百万円ということになります。そうすると、その六百万円に対する適正な利潤を保証しなければならぬというようなことがここに書いてございますが、その裁定をする場合に、そういうふうな形で裁定をするのか、あるいは従来の家賃というものを勘案し、従来の家賃が大体四、五千円で済んでおったのだ、だから、それにほぼ近い、できるならばそれと同じ条件で住めるようにしてやるのか、その辺のことをはっきり具体的にお答えを願いたいと思うのです。新しく権利床として、べらぼうに上がってきたところの地価というものが織り込まれてべらぼうにその財産の価値が増しておるわけですね。それに対するところの適正な利潤という
考え方なのか。あるいは、従来持っておった
建物、それについては借家権もあり、所有権、借家権というふうなある区分があると思うんですね。だから、そういうふうな比率において大体従来の生活条件と変わらない条件でその新たなるところへ入ることができるのか、その辺のところをひとつ御説明願いたいと思うのです。