○
帆足委員 この数字に私はちょっと疑問を持っておりますけれ
ども、これは国際収支全体、すなわち
貿易収支及び
貿易外収支合わせて論ずべき問題でありまして、単に遊びに行ったお客さまと、それから百ドル使ったけれ
ども千ドルももうけてきたお客さまの問題との
関係もありますから、実はその観点から見まして、私が先日自分で調べましたのでは、この
程度の
海外旅行はまだ奨励してもよくて、ストップすべき段階でない、そういう結論でありました。それで、
政府側のほうとしてどういう数字をお持ちかと思ってお尋ねしたわけで、他意はございませんから、この問題は総合的に御調査を願いまして、そして軽率に
日本国民の
海外旅行はレジャーである、ぜいたくであるとのみお
考えにならないようにお願いしたいと思います。
よく地方の議員などが
外国に参ります。世論の攻撃を浴びますけれ
ども、あのいなか議員さんの赤ゲット旅行でも、品よく、
日本国民の品位を低下させないように旅行してくださるならば、やはり帰りましてから何ほどか益するところがあると思っておるのでございます。特に私はざっくばらんな人間ですから、むしろアメリカタイプでありますけれ
ども、
イギリスに参りまして英国が非常に好きになりました。
イギリスに三カ月もおりますと、私
どものような粗暴な人間でも曽祢さんのように多少品よくなってまいります。ほんとうに
イギリスはそういう国でございます。私は、
外国に参りまして視野を広くしてくることは非常に大切なことだと思いますから、
旅券法の審議にあたりまして、
旅券を出すとお金が要る、そのお金の支出というものの統計のつくり方には、政治的、経済学的考慮をいつも含めていただきたいということをまず申しておきます。
それから、直ちに本論として、前半はよろしいけれ
ども、今度は何をたくらんだかということを申し上げましょう。古い
旅券法のことを先に申し上げます。
古い
旅券法には重大な欠陥がありました。しかし、
運用によりまして、従来その欠陥は救われてまいったのでございます。古い
旅券法にどういう欠陥があったかといいますと、
政府が多少過大な権限を持っておりまして、
海外旅行者のうち、
政府が行かせたくないと思うときには、
生命、財産を
保護するため必要なときには
旅券を
発給しなくてよろしいという項目が第一です。第二には、著しくかつ直接に国益を阻害するおそれある者。者というのは人物のことです。土地ではありませんし、砂でも石でもありません。鉱物ではなくて、生物でございます。著しくかつ直接国益を阻害するおそれある者、これが第二でございます。第三、第四は簡単でありまして、犯罪を犯し刑を受け、または訴追されておる者並びに過去において
旅券法違反をして罰せられた者、これには
旅券をやらなくてもいい。あとの二つは自明の理でありますから、たいした問題ではありません。最初の二つに問題がありまして、この二つに対する
旅券法が通りましたときの速記録を見ますと、著しくかつ直接に国益を阻害する者とは、それでは当時の常識では、まず共産党員などはその
一つの例ではあるまいか、こういうふうに論ぜられました。すると、
政府当局は、いやしくも公党として認めておるものを、思想の相違によって赤ときめつけて国益阻害人物ということはよくない、そういうこととは絶対にいたしません。それでは国益阻害人物とは何であるかといいますと、それはここに書いてありますが、おおむねギャング、婦女誘拐者、アヘン密売者、密出入国常習犯、いわばピストル売買の密輸出入のたぐい、こういう連中を著しくかつ直接に国益を阻害する人物、こういうふうに定義いたしまして、これには思想の問題は入れない、あるいはカントであろうと、へーゲルであろうと、ジャン・ジャック・ルソーの思想を持っていようと、あるいはそれと正反対のフイフイ教であろうと、キリスト教であろうと、またはサド候爵のような思想を持っておろうと、これは差しつかえない、そういう
答弁でありました。
〔
委員長退席、田中(榮)
委員長代理着席〕
つくりましたときは、そういうことで、これは人物をさす。人物をさすとなると、それは
審査をせねばなりませんから、いかなる
審査委員会でそれが不適当な人物であるかを
審査するのか、これは人の名誉に関する問題であるから慎重にせねばならぬという
質問に対しまして、とりあえず法務
大臣と
外務大臣が協議してその認定をする、一応そうなっておりました。しかし、その後の経験に徴しまして、パスポートを出さなかった例において、両
大臣が協議せずして出さなかった例がたくさんあることが見つかりまして、裁所判からたびたび警告を受けたことは、すでに御承知のとおりであります。
第二には、
生命、財産を
保護するために行くことをとめる。
生命、財産を
保護するためと書いてありまして、無
条約国とは当時書いてありませんでした。社会主義国とも書いてありませんでした。そこで、当時は社会主義国との交流を鬼のごとくおそれておりました。いまはモスクワに参ることも普通のことでありまして、ニクソン大統領でもルーマニアに参り、アメリカの高位高官の方でもモスクワを訪れる今日、また経団連の会長、
理事長でもモスクワ、東欧諸国を旅行する、また、自民党の幹部諸兄でもモスクワ、北京を訪れる時代でございますから、いま
考えると、隔世の感があるのでございます。私はモスクワ、北京に民間の一
日本人として参りました第一号でありまして、そのときにこの
旅券法を身をもって体験いたしまして、その機会にこの
旅券法のことを徹底的に研究いたしまして、その後は
外務委員会でミスター
旅券というあだ名がつきまして、
旅券法に関する限りはちょっとした博士論文ぐらいは書ける
程度の学識経験を持っておるつもりでございます。そこで、第二の問題として、
生命、財産の
保護、これを悪知恵をもって
外務省当局は解釈をいたしまして、苦しまぎれにこういうふうに解釈しました。未
承認国であるから、
条約関係がない、したがって、直接
日本政府が交渉するチャンスがない、だから、
日本国民がその国で不幸な目にあったときに、直接話し合い、交渉し、救う機会がない、そういうことで、
生命、財産の
保護ということは、多少未
承認国、無
条約国とも
関係がある、こういう理屈をつけたのでございます。
そこで、私がモスクワへ参ろうといたしましたときに、当時モスクワで
世界経済
会議が開催されまして、経済学者として招待を受けたのでありますが、なんぼたっても私に
旅券をくれません。
旅券を
申請いたしますと、一定の常識的期間内にイエスとかノーを言わなければならないのを、イエス、ノーを第一言わないのです。これが今後の非常に大切な問題であると思います。期限が書いてありませんから、イエス、ノーを言わない。そのうちに
会議は済んでしまう。結局、船は出ていく、
会議は終わる、終わる
会議はしゃくの種……。(笑声)こういうことをねらって、そして何を言っても答えないのです。そこで、私は一計を案じて、こちらもさる者ですから、モスクワの国際経済
会議は済んでも、お産にあと産というものがあるように、
会議に行った人は、モスクワが珍しいから、あと一カ月ぐらいは各地を旅行し、また
貿易の問題について、今度は実務についての
会議があと非公式に行なわれますから、
会議におくれても行きさえすればよいのではないか。敵が悪知恵でくるならば、こっちは聡明な知恵をもってこれと戦う、敵が熊となってくれば、こちらは虎となって戦うというのが私の主義でございますから、長いものに巻かれろなどという教育は子供のときから受けておりません。長いものは適当な寸法に切って整理整とんすればよろしい、また適当な長さのものならばかば焼きにして食べてもよろしい、泣く子と地頭にはかなわぬなどという腐敗した精神は私の親から受けておりません。泣く子は多少甘やかしてもよろしいが、地頭は断じてまかりならぬ。こういう精神の哲学の上に立脚いたしまして、この問題を分析いたしまして、まず、著しくかり直接に国益を害する人物という項目がありますが、私は当時
外務大臣に会い――当時
外務大臣は通称オニゴン、岡崎という名前でありました。しかし、たいした人物でありませんから、これは記憶するに足るほどの人間ではありません。次官は井口という名前であったことだけを覚えております。この二人に会いましたところが、なんぼ
考えても私を著しくかつ直接に国益を害する人物とは言いにくい。確かにそうでしょう。面と向かってそういうことを言えば、だれだっておこってしまいます。私が著しくかつ直接に国益を害する人物であるならば、参議院議員になるはずもないし、また私を当選せしめた市民に対する侮辱でもあるし、私は直ちに弁護士にお願いして、侮辱罪として損害賠償一億円ぐらいを要求したいと思っておりましたが、残念ながら、君はそういう人物ではない、まず上院議員にふさわしい人物と思う、こう言いますから、なんのことはない、第二の理由は消えてしまったのでございます。消えてしまうと、
外務省当局は困ってしまいまして、それでは私にパスポートを出さねばならぬというので、思いついたのが、
生命、財産を
保護するという悪知恵を思い出したのでございます。君の
生命、財産を
保護するために、君をモスクワに行かすわけにいかないと言いますから、講和
条約はまだできていないけれ
ども――これは後に鳩山さんの御努力によってできたのですが、しかし、いまは戦争も済んでおるし、国際
会議に来賓として招待されたのであるから、今日の常識をもってすれば
生命、財産に危険のあるはずがないのに、どうしてそういうことを言うのですかと言いますと、現に漁船が拿捕されている例がある、したがって、君も拿捕されないとは言えないではないか、こう言うのです。私は軽格のさむらいの家で、残念ながら漁師と
関係はありませんといって履歴書を出しました。ところが、カニをつかまえている船が近ごろ拿捕されておると言いますから、私は、カニを食べるとじんましんができて、カニかん詰めには絶対に近づかないことにしておりますから、拿捕される心配はありません、こう言いましたら、困ってしまいまして、それでも君が拿捕されたときに、
国交が断絶しているから、何としても救う方法はないと言いますから、私は、去年の秋肺炎をわずらったときに、
外務省当局は一度もお見舞いの花束もくれなかった、私の家内はつきっきりで介抱してくれたけれ
ども、
外務省からはお見舞いも来なかった、そのお見舞いも来なかった
外務省が、急に私の
生命、財産の
保護に対してかくも熱心になったのは、不正な動機があるに違いない、それは私をモスクワに行かせまいと思って、
生命、財産を
保護するというこじつけをこれにつけようとしておるに違いないと思うが、どう思いますかと言いましたら、うつむいて答えません。そこで、松尾
渡航課長さんがこの不幸な仕事を引き受けておりましたが、松尾君ちょっと来い。これは大学の後輩ですから、十年も後輩だと先輩に頭が上がりません。何だ君、君はそれで
日本の官吏といえるか。君はこじつけをして、私の
生命、財産を
保護しようとしておるわけじゃなくて、彼をモスクワにやるなという厳重な命令を受けて、あらゆる悪知恵をしぼったあげくの果てが、
生命、財産を
保護するというへ理屈をつけたにすぎないではないか。もしほんとうに
生命、財産を
保護するならば、まず、私自身が喜んでやはり行かないほうがいいということになるし、私の家内もそれに賛成するし、娘も賛成するはずである。そこで証人として私の家内を呼んでくれ。私の妻は、うちの主人はときどき新宿ではしご酒して深酒をする癖がありますが、当時の新一宿は非常に危険でありましたから、
生命、財産に危険がありますから、新宿行きのパスポートはあまり出さないでください、しかし、モスクワならば今日何の心配もないから、出していただいてけっこうでございます。こういうふうに家内は証言いたしました。その証言には、さすがに
外務省も困ってしまいまして、結局、
外務省は私に、あぶない、あぶないと言いますけれ
ども、あぶないならば、徳川義親公がマレーにトラ狩りに行ったときに、パスポートを出したのはなぜであるか。
生命、財産に危険があるならば、北極探険にも行けないではないか。アルプスの雪山に登ることも控えたほうがいいということになるではないか。そういうことを選ぶのは、個人の
人権において、自己の危険負担において選ぶのであって、
生命、財産を
保護するに緊急な必要がある場合というのは、たとえば急にペストが流行して、一定の場所に対してパスポートを出さないとか、コレラが流行する、または内乱が起こって非常に危険であって、流れだまが当たる危険がある、そういうところから大量に引き揚げている移民などが何一人といるというようなところは、それは
政府として注意をせねばなりませんから、そうすると、
政府の言うことと、パスポートを出されない人との
立場は、利害が一致しておりますから、何の矛盾もありません。これがすなおな
法律の
運用というものでございます。しかるに、私をモスクワにやりたくないために、
生命、財産を
保護するというようなこじつけでパスポートを出さなかったのでございますから、どうしても当人は納得しないわけです。
生命、財産の
保護は自分で
考えるから、何もこのときにあたって突如として
外務省のお世話になろうとは思わぬ。
後に、このことは
裁判所に提訴いたしまして、裁判官もとうとう笑い出しまして、私の家内が証人になりまして、その
ことばを申しましたところが、それはこじつけである。
生命財産の
保護を口実にして、
帆足計君にパスポートを出さなかったのは、
外務省のこじつけである。この項目は、
外務省の敗訴となって終わったのでございまして、よく当時、私の友人から、君がモスクワに行ったという事実はいまとしては大きな仕事であるけれ
ども、とにかく
法律を破ったのであるから、謙虚にしておらねばいけないよと、先輩は私に忠告しました。それで私は、大先輩の言うことですけれ
ども、告訴しているのは私であって、原告は私、悪人の被告は
外務省であるから、あなた間違わないでください、こう申しましたが、一カ月後に判決が下りまして、そして
外務省は負けということになったのでございます。
その後、
生命、財産の
保護という口実を使うことはやめてしまいまして、結局、著しくかつ直接に国益を阻害するものというのを、今度は又悪知恵を出しまして、
ことばをこっそり変えまして、著しくかつ直接に国益を阻害するおそれある場合、こういうふうに解釈し得るというふうに
政府は
答弁いたしました。この第一の理由に対しては、ものというのは人物でございます。ものが人物である以上は、両
大臣が協議してその人物の当否を
審査する、こういうことになっておるのでございます。速記録もそのとおり書いてあります。ところが、ものでは都合が悪いので、おそれある場合というふうに拡大解釈する、こういうことでまた抗告をいたしました。
裁判所は、この問題についても、もう事態は明らかでありますから、これに対して否定的
態度をとりましたけれ
ども、当時まだ駐留軍が
日本におりましたときでございますから、駐留軍の意向や政策をも考慮に置いて、そしてこの問題はけんか両成敗ということにして、もう両方が取り下げることにしたらどうであろう、慰謝料の問題については、
帆足計君は「ソ連、
中国紀行」という本を書いて印税もだいぶ入ったようであるから、もうこの辺のところで折り合ってくれないかということで、示談のような形で私の事件は済んだのでございます。
この苦い経験の中にこのたびの
旅券法の問題点が含まっておるのでありまして、第一にお尋ねしたいことは、未
承認国を例外にしたということです。未
承認国をまず例外にするならば、その未
承認国の中で、行っていい国と行って悪い国がある。また、行っていい場合と行って悪い場合がある。今日未
承認国でありましても、歴史の過渡期におきましては膨脹拡大いたしますために、やっぱり行かねばならぬ場合がたくさんあるのでございます。それを国益を阻害するという理由であるいはとどめ、あるいは行っていいということになると、時の
外務大臣並びに法務
大臣の主観と趣味によって、そのごきげんのいいときは行ってもいいというし、ごきげんの悪いときは行っては悪いということになるから、客観的基準がないわけでございます。そこで、国益並びに
公共福祉というものについて一体どのように
考えるかということが、当時の裁判で問題になりました。
結論は、もはや問題の核心に近づきましたから、法制局にお尋ねいたしますが、国益並びに
公共福祉とは何を基準にしていわれるのか。当時の
政府の政策、一内閣の趣味、一内閣の好みによっていうのか、あるいは野党、与党を通じて
国民の大多数を占める良識によってきめるのか。
もっとお答えをしやすくしまするために申しますと、たとえば軽犯罪法における
公共福祉の定義がございまして、昔ならばミニスカートを着て歩きますと、荒木将軍ならば、風俗壊乱であるといって電車からおりることを命令するでしょう。あるいは女学校をやめさせたかもしれません。しかし、今日ではミニスカートを着ているお嬢ちゃんは案外かわいらしいなということになっております。しかし、越中ふんどしのままラッシュアワーに乗り込んだといたしますならば、さすがに共産党の諸君から社会党に至るまで、もう与野党とも満場一致でございましょう。それはちょっと無理だ。人類として無理である。たってしたいならば、それはゴリラのたぐいで、おりのほうへ入ってもらおう、こういうことになります。したがって、
公共福祉というのは、与党、野党の政見の相違または趣味の相違でなくて、社会的、政治的人間としての共通の場かすなわち
公共福祉でございます。国益もまたそうでありまして、単に
中国に渡る、または朝鮮民主主義人民共和国に重要な
貿易の用事、また文化の用事等持って参る、その問題が国益に当たるか当たらないかというのは、そのときの
政府がたまたま台湾政権から文句を言われたとか、または朴政権から文句を言われたとか、こういうことで、すなわち一政党、一内閣の政策できめるべきものではないと思うのでございます。このことは、すでに先日の裁判におきましても、
公共福祉または国益というものの定義は慎重でなくてはならぬという判決が下りまして、一
政府の政策、一政党の政策、一内閣の趣味、一内閣総理
大臣のツルの一声、それによって国益または
公共福祉はきまるものではないという有名な判決が出まして、これは有名な最近出た判決でございます。したがいまして、法制局は国益及び
公共福祉をどのような基準で理解しておりますか、簡単にして明確な御返答を願いたいと思います。