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臼井委員 すでに
愛知外務大臣が、今回の
アメリカ訪問の件につきましては本
会議において御
報告もせられ、また、あるいは
外務委員会等々においてもそれぞれお答えがあったわけでございますが、当
沖繩委員会においては初めての
外務大臣訪米後の
委員会でございますから、私も簡単にこの問題について一言御
質問を申し上げたいと思います。
すでに各方面でも知られておるように、
領土問題ということになると、過去の
世界の
歴史を見ても、
戦争によって失われた
領土の
返還を受けるということは、なかなか容易でないことは過去の
歴史が示すわけでございます。しかし、先般の太平洋
戦争においては、第二次大戦の
処理方法の一環として、
大西洋憲章から
カイロ宣言、また
ポツダム宣言、一貫して
固有の
領土は
戦勝国といえ
どもこれを取らないという、こういうむしろいままでの過去の
戦争から見ると画期的な
一つの
宣言に基づいておりますので、したがってこれを
連合国も忠実に守って、
日本からも
固有の
領土は割譲を求めないという。しかし、終戦当時のことを考えてみると、
日本に対してもやはり
アメリカは、将来一体どういう
方向に行くかという
占領政策遂行の
意味においての考えが、多少の疑いというか、疑惑を持っている点もあったでありましょうし、その後
極東の非常な
米ソの
対立から、中共と
ソ連との
日本を目標としての
相互援助条約、
朝鮮戦争、一貫して非常な激変に際して、
日本ばかりでなく
極東のいわゆる
かなめ位置としての
沖繩の
重要性、
基地の
重要性ということになってまいりまして、したがって
信託委任統治にもしないで返すには返すけれ
ども、
基地の問題というのが一番大きな
一つの
ガンになったわけです。ここ五年ばかりのうちに、私
ども振り返ってみますと非常に
アメリカ側でも
理解が進んでき、また
日本側でも非常に明るい
希望というものが持ててきたように思うのです。
私
ども、
沖繩へ五年ほど前
総務長官として参りました際にも、この
基地は容易に、地理的からいってもこれだけの
基地というものを、
アメリカはそう率直には返し得ないであろうから、しかし憲法だけでも早く
沖繩の人に
適用できるようにというので、
基地と
施政権の分離というような問題も出したのです。当時、
沖繩の社大党でも、それをむしろ言っていたというぐらいであったのでありますけれ
ども、しかし、今日においてはそれが非帯に急激に進展し、
日本の
援助においても画期的に進んで、あらゆる面で幸いにして進んできて、いよいよ
返還ということになりましたが、それにしても一番
ガンは
沖繩の
基地ということで、今度
愛知外務大臣がいらっしゃって、
日本の
国民の
希望というもの、それから
世論といいますか、こういうことを率直にお述べになられて、そして
アメリカ側の
理解を強く求められた。この点においては、私は率直に言って非常な成果があった、こう私
どもこちらにおいて見ておるわけです。
アメリカにおいては、一部ではやはり
戦勝国という、また激しく
日米戦ったというあれが抜け切っておるということも私は言えない面があったようにも感ぜられるのでありますが、この点は、
ソ連へ十三年前に参りました際にも、
与野党各党三十八名が行ったときに、
クレムリン宮殿におきましてフルシチョフが、北方
領土問題というと、君らの国は
わが国と戦って負けたことを忘れてもらっては困るということを言ったので、騒然とした問題があるくらいでありますが、それほどになかなか
戦争というものの禍根が
——しかし、われわれは
ソ連に
戦争したんじゃない、君たちのほうがかってに来たんじゃないかということで、ごたごたしたのですが、この点
日米間では非常に違い、
沖繩の問題も違うわけでございますけれ
ども、やはりさすがに
アメリカはその点は十分
理解して、私
ども承知した
範囲内では、とにかく
核抜きということについては大体了解をしつつあるように見えるわけです。もちろん、それでよろしいと言ったわけではないようですけれ
ども、
ニューヨーク・タイムズ等でもそういうようなあれがあるようでございますが、その点どの程度に
国務省、また特に
国防省関係で感触を得られたか、その点をまずひとつお伺いしたいと思うのでございます。