○高辻
政府委員 最初に、はっきりいたしますためだけの
意味でございますが、
日本国
憲法は二十一年に制定されましたが、施行されたのは二十二年の五月三日からでございます。
そこで、むろん御存じのことでございますが、法律論をやります場合には、きわめて何といいますか、
理論の問題でございますから、
理論と感情を一緒にしないで
考えていかなければならぬと私は思っております。むろんその社会を支配するのは法律だけではなくて——法律というのは、私は法律を長いことやっておりますけれ
ども、これは最後の頼みとするところぐらいに思っておりまして、やたらに法律を振り回すのは実はどうかというような気がほんとうはしております。しかし、法律論としてのお尋ねでございますから、その面でお答えをしなければなりません。
確かに
憲法が制定されましたのは二十一年、二十二年から施行されました。当時、
沖繩はすでに実はもう行政的には離れておりましたし、
日本国領域
自身がマッカーサーという連合国
最高司令官によって全権を握られておった。つまり、
日本国
憲法は確かに二十二年五月三日に施行されたとはいいますものの、実は
憲法の上の実効性というものは、そのときはまだあがっておりませんで、ほんとうは、
昭和二十七年でございましたが、平和条約が発効したときに実はほんとうに
憲法が施行されたというのが、これまたことばじりをとらえるようでございますけれ
ども、ほんとうに真面目を発揮したのはそのときからであるということになると思います。
そこで、その発効した平和条約によって、実は
日本の旧来の領域というものはそれぞれ処理をされた。それと同時に、
日本は、何と書いてありましたか、ちょっと正確には覚えておりませんが、平和条約によって主権を回復する、そういう
意味で独立性を復活した。そうして
憲法がそのままの姿を発揮するに至ったということでございますので、平和条約の三条によって
沖繩は同時に
日本の領域から離れたわけでございますから、
日本の
憲法がそこに施行されているということは、
現実に有効性を持って施行されているということは、どうしても私は言えないと思うわけです。この
考え方として、現に潜在主権があるのだから、そこには潜在的に
日本国
憲法が施行されているのだ、それが
本土に返ってきたらそれは浮かび上がるのだ、そういう説明はむろんしてよろしゅうございますけれ
ども、大事なことは——その中身をどういうふうに言って説明するかということよりも、大事なことは、じかにわれわれが直視をしなければならぬのは、
日本国
憲法が
沖繩において実効性を持って適用されていないという事実そのものだと私は思います。これは遺憾なことであるには違いありませんけれ
ども、いままでのいろいろな事実の推移あるいは法的措置の変遷等によってそうなっているということは、冷厳たる事実としてわれわれはそれを直視しなければいかぬと思うわけです。
ところで、いま
お話がありますように、
返還運動をする、これは実は
憲法が適用されているからするというよりも、むしろわれわれの国籍法上の
日本国民である、われわれの同胞である、そういう法律なんかにしがみつかなければいかぬような問題ではなしに、もっとわれわれの精神的つながりといいますか、もっと深いところに根ざした自然の声といいますか、そういうものだと見ていいのじゃないか。むしろそれに法律的根拠を求めなければならぬというような
考え方は、何もそんなことを言わなくても、心情あふれる気持ちの発露として、当然これは法律の根拠などを求めずして出てくるものであって、わざわざ法律との関係を説明することもないのではないか、率直に申してそういうふうに思うわけでございます。