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1968-12-18 第60回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第3号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十三年十二月十八日(水曜日)    午後一時十五分開議  出席委員    委員長 中村 寅太君    理事 宇野 宗佑君 理事 臼井 莊一君    理事 小渕 恵三君 理事 本名  武君    理事 八木 徹雄君 理事 川崎 寛治君    理事 美濃 政市君 理事 永末 英一君       大村 襄治君    中川 一郎君       古屋  亨君    箕輪  登君       山田 久就君    中谷 鉄也君       西風  勲君    穗積 七郎君       伊藤惣助丸君  出席国務大臣         外 務 大 臣 愛知 揆一君  出席政府委員         総理府特別地域         連絡局長    山野 幸吉君         外務省アメリカ         局長      東郷 文彦君         外務省条約局長 佐藤 正二君  委員外出席者         参  考  人         (生命を守る県         民共闘会議副議         長)      仲吉 良新君         参  考  人         (嘉手納総務         課長)     津波古行徳君         参  考  人         (嘉手納中学校         長)      山田 朝良君     ――――――――――――― 十二月十八日  委員渡部一郎君辞任につき、その補欠として伊  藤惣助丸君が議長の指名で委員に選任された。     ――――――――――――― 十二月十六日  南樺太対策及び南樺太引揚者の処遇に関する請  願(篠田弘作君紹介)(第五一号) は本委員会に付託された。     ――――――――――――― 十二月十四日  沖繩在住原子爆弾被爆者の援護に関する陳情書  (第七二号) 同月十七日  嘉手納基地のB五二爆撃機即時撤去等に関する  陳情書外一件  (第二二四号)  同外二件  (第二八五号)  沖繩即時返還に関する陳情書外二件  (第二二五号)  北方領土日本復帰促進に関する陳情書外一件  (第二二六号) は本委員会に参考送付された。     ――――――――――――― 本日の会議に付した案件  参考人出頭要求に関する件  沖繩及び北方問題に関する件(沖繩及び北方問  題並びに沖繩基地等に関する問題)      ――――◇―――――
  2. 中村寅太

    中村委員長 これより会議を開きます。  沖繩及び北方問題に関する件について調査を進めます。  外務大臣から発言の申し出がありますので、これを許します。愛知外務大臣
  3. 愛知揆一

    愛知国務大臣 開会にあたりまして一言ごあいさつを申し上げます。  過般の内閣改造によりまして、はからずも不肖外務大臣を仰せつかりました。まことに微力で、顧みて何とも粛然たるものを感ずるわけでございます。どうかひとつ委員皆さま方に格別の御指導とお取り回しをお願いいたしたい。どうぞよろしくお願い申し上げます。
  4. 中村寅太

    中村委員長 質疑申し出がありますので、これを許します。大村襄治君。
  5. 大村襄治

    大村委員 私は、沖繩及び北方領土問題について、若干の質疑外務大臣総務長官に行ないたいと思います。  まず、沖繩本土復帰の問題についてでありますが、この点につきましては、過般行なわれました本会議における総理大臣所信表明演説におきましても、最重点的に進めるという所信表明があったのであります。この趣旨を体して、このたび外務大臣就任されました愛知大臣は、この問題について、いついかなる方法によりその推進をはかるお考えであるか、御方針を承りたいと思います。
  6. 愛知揆一

    愛知国務大臣 ただいまお尋ねの問題でございますが、まず順序ということを一つ、それから内容の点を一つと、二つに分けて申し上げたいと思います。  順序といたしましては、佐藤総理が言明いたしておりますように、当方の希望としては来年の秋に訪米をして佐藤ニクソン会談を持ちたい、そしてそこで昨年の佐藤ジョンソン会談に盛られました沖繩返還問題を煮詰めて、できるだけ早期返還ということに努力を集中したい、こういうことに考えております。何ぶんニクソン氏の新政権もこれから発足するわけでございますし、その日取りその他につきましてはまだ確たる取りきめはできておりませんが、われわれとしてはそれを一つの目標の時期といたしまして、それまでに私どもとしていわばできるだけレールを敷いて、実りのある総理大統領会談が行なわれるようにいたしたいと思っておるわけでございます。その間、先般予算委員会等でも申し上げましたように、佐藤ジョンソン会談共同声明によりまして、返還を前提とした日米間の協議というものがすでに一回は行なわれたわけでございます。それから私も一、就任直後に駐日大使との間に、今後の話し合いをどういうふうに進めていくかというようなことについても話し合いましたが、必ずしも形式ばった会談だけでなく、コミュニケにもありますように、いわゆるディプロマティックチャンネルを通じて随時話し合い機会をつくっていきたい、こういうふうに考えておるわけであります。  内容につきましては、これもしばしば申し上げておりますように、早期返還ということが国民沖繩県民の熱願である。これを胸に体して取り組んでいきたい。同時に、日本及び沖繩の安全を確保するということは、返還後におきましても国家存立基礎条件というふうな大きな問題でございますから、それらの関連も十分考慮して、よく問題にされますが、基地問題等についてはどういうふうなかっこうになったらば日本側として最も適当であるかというようなことで、いろいろと現に検討を進めておるわけでございます。これについては——これもしばしば申し上げておりますように、世論の動向、国際情勢推移、それから科学技術の進歩というようなことを十分洞察しながら、一方アメリカとの間にも交渉を展開したい、そしてこの問題は、基本的な姿勢としてはあくまで日米双方相互理解の上に立脚した話し合いで処理をしたい、いわゆる対決とか闘争とかいうかまえ方ではない。  まあごく概略でございますが、そういうふうな考え方で立ち向かいたいと思っております。
  7. 大村襄治

    大村委員 お考えはよくわかりました。ディプロマティックチャンネルを通じて折衝を進める、これは当然なことだと思います。それにつきまして、新外務大臣が新年早々でも渡米をされて、レールを敷くための交渉をいろいろされるのではないかというふうな報道も一部耳にしておるのでありますが、そのようなことをお考えであるかどうか、お尋ねいたします。
  8. 愛知揆一

    愛知国務大臣 実は先方も、新しい政権が一月の二十日に発足するわけであります。それまではニクソンさんの態度として、外国関係の仕事についてはいろいろ考えると申しますか、検討をし、直接には就任前には交渉事とか懇談とかいうことはどこの国との間にもやらないたてまえということでございますから、一月早々に私なり何なりが直接接触を持つということはまずないと考えております。ただ、最近の状況どもつまびらかにいたしたので、駐米大使下田君に一月早々に一時帰国してもらいまして、下田大使を通しての情勢報告や分析も一つの手段としてやってみたいと思っております。
  9. 大村襄治

    大村委員 次に、沖繩基地状況についてお尋ね申し上げます。沖繩基地が、わが国及びわが国を含めての極東の安全保障上重要な役割りを演じておることは申すまでもないところでございます。そこで外務大臣は、沖繩基地状況について概要をどうお考えであるか、どう承知しておられるか、その点をお尋ねいたします。あわせて、ただいま問題になっておりますB52の撤去の問題について、外務大臣の御方針、お見通しを承りたいと思います。
  10. 愛知揆一

    愛知国務大臣 沖繩は現に、残念なことでありますが、アメリカ施政権下にある、そして本土と違いまして基地を自由使用しているというような関係から、その基地の中でどういう装備をやっているかというようなことについては、私としては現在知り得ざる立場にありますことを御了承願いたいと思います。しかしながら、B52の問題につきましては、特に緊急な大切な問題であると考えておりますので、就任早々日大使を招きましていろいろの問題について話し合いましたときにも、特に緊急な当面する問題として、沖繩県民の方々がこの問題についていかに心からの不安、不満を持っているか、これは私も、自分自身がはだに触れるような気持ちがいたします。非常に大切な問題であると思いましたので、これを取り上げまして申し入れをいろいろいたしました。米国大使といたしましては、一つは、沖繩を恒久的にB52の発着の土地として使うという考えはございません、これはアメリカ政府の見解であり、態度であります。このことは、御承知のとおりに私の就任前にも申し入れ、あるいは向こうからの回答にも接しておったわけでございまして、これだけのことならば新しいことではないのでありますけれども、ただ私としては、いわば大臣大使レベルで公式に取り上げ、そして私としても、とりあえずのところ心証をはっきり得たいと思いましたのでそういう運びにしたのでございますが、それだけで私、満足しているつもりは毛頭ございませんので、さらに今後とも現地の情勢その他をできる限り注視しながら今後の推移を見ていきたい、必要に応じてまたいろいろと考えてみたいと思っております。  それから同時に、駐日大使としては、こうしたこと、つまりB52が沖繩から発進するというような必要な情勢がすみやかになくなるように大いに努力をしたいと思っておる。これもまた従来の態度を確認したということにとどまっておるといえばおるわけでございますけれども、しかし、先ほど申し上げましたような考え方でございますから、私としても、はっきりした態度就任早々示したつもりでございます。B52につきましては一応そういう措置をとりましたが、なお先般予算委員会で申したと思いますけれども、十分今後の状況を注視してまいりたいと思っております。
  11. 大村襄治

    大村委員 B52の問題については、引き続いてひとつしっかり交渉していただきたいと思います。  次に、国政参加の問題について外務大臣お尋ねいたします。  すでにアメリカ側の了解を得て、総理から国会の問題として書簡が出されたという御報告を受けているのであります。大臣の御就任前でございますが、アメリカとの折衝の経緯、また何か条件のようなものがあるのかないのか。表面上はもちろんないと思います。もちろん国会が自主的に検討すべき問題であると思いますけれども、この辺につきまして何かお気づきの点があれば、お話しを願いたいと思います。
  12. 愛知揆一

    愛知国務大臣 ただいまお話しのように、国政参加の問題について日米協議委員会で、合意いたしましたのは、私が就任いたす前の十月九日のことでございます。日米双方合意ができましたからには、これは国政参加の問題であり、日本国としては国会で十分御審議をいただく問題でもあると考えましたので、十二月十日、私就任しましてからあとでございますが、閣議を経まして、この合意のできましたことを国会に御通知申し上げるとともに、必要な立法上の措置につき御検討方お願いいたします、こういう文言で十二月十日をもちまして内閣総理大臣から衆参両院議長に書面を御送付申し上げておる、こういうことでございます。  これについて何か裏話等がないかというお話でございますが、それはございません。ただ、これは日本国憲法上の問題でも、ございましょうし、また、現にアメリカ施政権下にあって、立法、司法、行政三権アメリカの手にあるところの住民と申しますか、県民のことでございますから、いろいろ法制上その他ずいぶんむずかしい問題もあろうかと思いますが、政府としてももちろんいろいろと御協力しなければならないと思いますけれども、主として国会におきましていろいろ御検討いただきたい、こういうふうに考えております。
  13. 大村襄治

    大村委員 次に、沖繩本土との一体化の問題につきまして総務長官お尋ねしますが、長官出席になっておりませんので、局長さんから御答弁を願いたいと思います。  予算編成期が近づいてまいりまして、沖繩援助費の問題は早急にきめなければいけない問題になってきております。申すまでもなく、沖繩県民福祉向上、また行政水準向上をはかるためには、本土からの援助を大いに強化しなければいけない、そういう時期になってきていると思うのであります。総理府としては、この問題についてどのような方針で進めておられるのか、その点をお尋ねしたいのであります。  なお、本年度予算におきまして新たに計上されました地方財政援助費本土の町村の交付税に当たるものを本年度から新たに、たしか十億円でございましたか計上したのでありますが、これを積極的に増額する用意があるかどうか。  また、これも同じく本年度から援助予算の項目に取り上げられておりますいわゆる財投の関係、これも沖繩の民生の向上、また農業、中小企業の振興のために欠くべからざる要素であると思うのでありますが、そういった問題も引き続いて増強をはかる考えであるかどうか、あわせてお尋ねいたします。
  14. 山野幸吉

    山野政府委員 私からお答え申し上げます。  いま御指摘。こざいましたように、目下、沖繩明年度援助費につきましては総理府大蔵省で具体的にいろいろ検討を進めておるわけでございます。私も過般沖繩へ参りまして新しい琉球政府の幹部の皆さん方とも十分話し合いまして、いろいろ新しい政府のお考え等も聞いてまいりましたし、これらに基づきまして、従来米側から非公式な提案も行なわれておりますし、また、私どものほうからも概算要求を出しております。それから新しい政府意向等も参酌いたしまして、過般十一月の五日に決定を見ました閣議決定の線に沿いまして、当面、教育、社会福祉産業基盤整備市町村行財政整備等中心とします一体化を推進するために、明年度沖繩援助費は拡充するという決定がございます。したがいまして、この趣旨に沿いまして、ひとつできるだけの努力をいたしまして明年度沖繩援助費の充実をはかってまいりたい、かように考えておるわけであります。  ただいま具体的に御指摘いただきました市町村行財政の強化のための援助費十億円につきましては、明年度は特に重点的にこれを拡大するように努力いたしたいと思います。  また、財政投融資、本年度の二十八億円につきましては、これも沖繩長期資金の不足の実情にかんがみまして、産業基盤整備その他につきまして十分努力を重ねてひとつ拡大してまいりたい、こういうぐあいに考えておる次第でございます。
  15. 大村襄治

    大村委員 大体わかったのでありますが、この間上京された屋良主席は、帰る前の記者会見か何かで、援助費が二百数十億になるのではないかと言ってだいぶ喜んでおられたようでありますけれども、そこまで、実現する見通しがあるのか、あるいはもっとふやす必要もありはしないかと思うのですが、その点、まだ交渉の途上でありますが、屋良さんはどういうことでそういうふうに受け取られたのか。まだ途中でお尋ねしにくいけれども、そういう新聞記事もありましたので、重ねてお尋ねいたします。
  16. 山野幸吉

    山野政府委員 屋良主席本土へ参られましたときには、すでに琉球政府のほうから非公式に要望されております三百億の要請に対しまして、これを改定する方向で新たにいろんな点について要望をされております。これは非公式ですが、一部公に出ておりますので申し上げたいと思いますが、米側から非公式には二百六十二億円の援助要請がありますし、総理府からは二百七十億の概算要求大蔵省にしております。しかし、これはあくまで非公式な要請であり、大蔵省に対する概算要求でございますから、最終的にどこへきまるのかは今後の折衝にまつほかはない、こう申し上げておきます。
  17. 大村襄治

    大村委員 最後に、外務大臣北方領土問題についてお尋ねいたします。  昨年の夏、三木前外務大臣が訪ソの際にコスイギン首相と会談されましていろいろ話をされたときに、いわゆる中間方式云々という点が表ざたにされたわけであります。その後一年有余をけみしておりますが、新外務大臣はこの問題についてどのようにお進めになる考えであるか、御所信を承りたいと思うのです。
  18. 愛知揆一

    愛知国務大臣 昨年の末からモスクワで中川大使を通じていわゆる中間交渉が始められたのであります。この中間交渉というのは、日ソ間の諸懸案を総ざらいする、こういう立場から現在もなお続けられております。そこで、わがほうが一番強く要求している問題は、いまお話しの領土の問題でありますが、ただいままでのところソ連側としましては、領土問題は解決したんだ、解決済みであるという態度を変えていないのでありまして、したがって、現段階におきまして北方領土返還の問題にめどをつけますことは相当困難であるように見受けられるのでありますが、今後とも領土問題につきましては、わがほうの主張を堅持して、あらゆる機会を通じてこれが解決のために努力する方針でございます。  なお、本件につきましても、中川ソ大使に一月早々一時帰国を命じまして、私も直接このいわゆる中間交渉における雰囲気や先方態度等につきまして詳細に報告を求めて、それからの措置についてなお一そう検討いたしたい、こういうふうに考えております。
  19. 大村襄治

    大村委員 重要な問題でありますので、新外務大臣におかれましても、き然たる態度でこの問題に臨んでいただくことを強く要望いたしまして、私の質問を終わらせていただきます。
  20. 中村寅太

  21. 中谷鉄也

    中谷委員 冒頭に外務大臣お尋ねをいたしますが、沖繩県民国政参加というのは、全面参加以外にはあり得ないということを私は考えます。そうしていま一つ国会国権最高機関である、その国会において全面参加立法をしたという場合、外務大臣としてアメリカに対して、たとえばどのような交渉をされるか。特に、現に沖繩において施行されている布令布告に若干の改廃を要するものがあると思うが、それらについてひとつお答えいただきたい。
  22. 愛知揆一

    愛知国務大臣 この問題に対する私の考え方といたしましては、先ほども申し上げましたように、日米双方合意いたしました点を国会に御通報申し上げると同時に、所要の措置について御検討をお願いいたしておるわけでございますから、これは私は、もっぱらというか主としてと申しますか、国会で慎重に御審議をいただきたい、かように考えておりますから、それができ上がりましたならば、私としてなすべき努力、御協力は十分にいたすつもりでございます。ただ、先ほど申し上げましたように、裏話というようなものはございませんけれども法律論その他からいいますと、日本側にも一これは私からいま外務大臣として申し上げるわけじゃございませんが、いろいろむずかしい問題もございましょうし、また、アメリカ側といたしましても、非常に残念なことではありますが、現状が施政権者であるというようなことからいいまして、ある種の考え方なり期待なりは持っているのではなかろうかと推測もされるわけでございます。その辺のところは、国会政府との関係でございますから、随時必要に応じてお手伝いをさせていただきたいと思っております。
  23. 中谷鉄也

    中谷委員 では、念のためにいま一度その点について。  要するに、国会国権最高機関である。若干の、国政参加方式について、法律問題があることは私も承知をしています。ただしかし、そういう問題はあるけれども国会国政全面参加、そういうものを立法化したとき、当然そのことによって外務大臣としては対米交渉をしなければならない、またおやりになる、こういうことでございますね。
  24. 愛知揆一

    愛知国務大臣 ただいま申しましたように、これから国会で慎重に御審議をいただくことになると思いますので、いまその結果を予想しまして私云々することはいかがかと思います。どうかひとついろいろの方面から御検討いただきまして、それに必要な御協力は辞さない、こういうふうに御理解をいただきたいと思います。
  25. 中谷鉄也

    中谷委員 当然のことをひとつ確認的にお尋ねをしておきたいと思います。  総理あるいは外務大臣予算委員会等における、あるいは本会議における答弁から、施政権については全面返還であるということ、そうすると、施政権全面返還されるということについて確認的にお尋ねをするわけでありますけれども、まず相互防衛条約関係においては米韓、そうして米華この二つ条約適用区域からは当然沖繩は抜ける、これはあたりまえのことだと思いますが、その点を一点、確認的にお尋ねをいたしたい。  いま一つは、施政権全面返還されるということは、現に沖繩において施行されておる布令布告は当然全部廃止になる、あたりまえのことだと思います。けれども確認的にお尋ねをしておきます。
  26. 愛知揆一

    愛知国務大臣 まず最初のお尋ねでございますけれども、これは法理上、条約上から申しますれば、沖繩施政権日本に返りますれば当然自動的に適用地域外になる、かように考えます。  それから第二の点は、お話しのとおり当然のことであると思います。布令布告の問題は。
  27. 中谷鉄也

    中谷委員 基地態様あり方について白紙だ、こういうふうに従前から御答弁がある。そして、その白紙だということの内容については、基地態様あり方については核つきだとか核抜きだとか、あるいはまた本土並みだとか、あるいは事前協議条項があるのだとかないのだとかいうことで論議されているわけです。ただ、そうすると、その他の基地のありようについて、要するに布令布告というものが基地の機能について関与する部分があるとするならば、これは全部布令布告が廃止されて本土法が適用されるわけですから、その部分については、基地態様というのは施政権返還されたときにおいては確定をする、要するに、その関係においては少なくとも本土並みにする、こういうふうにお伺いしてよろしいでしょうか。御答弁を待ちましてもう少し詳しく質問してもよろしいのですが、お答えをいただきたいと思います。
  28. 愛知揆一

    愛知国務大臣 法律論のこまかいことは条約局長からお聞き取りいただきたいと思いますけれども一つは、何と申しますかいまお答えするべき範囲以外に出るかと思いますけれども、私どもは、施政権早期返還ということ、これは沖繩及び日本国民の非常な願望でありますから、何とか早期に実現したい。ところで、日本国沖繩の安全をはかる、維持する、確立するということは、いわば国家存立基本条件でございますから、そういう点からいって、私どもとしては安保条約というものの抑止力にたよっていく、これを基本姿勢にいたしております。したがいまして、その通用あるいは条約上から乗るところのものについては別だと思いますけれども、それ以外のところにつきましては、先ほど申し上げたとおりと考えます。
  29. 中谷鉄也

    中谷委員 あとでその質問をもう少し詰めますが、念のために、その質問関連において次のようなことをお尋ねいたします。  布令布告の中で改廃を要すべきものがずいぶんあります。特に布令百十六号、これらについては沖繩現地におけるところの軍労働者の諸君のたいへんな反発があります。さらにまた、合衆国土地収用令中心とするところの土地に関する布令布告、あるいは刑事訴訟手続に関するような問題、これらの問題については、施政権全面返還を目途として、現にそのような布令布告については日米協議委員会等において当然改廃要求交渉、これらをされることが私はぜひとも必要だと思いまするけれども、この点いかがでしょうか。
  30. 愛知揆一

    愛知国務大臣 そういう場合が予想されると思いますけれども、同時に、たとえば地位協定その他に関連するものにつきましては、必ずしも全部が全部そうなるかどうかまだわからない点があるのではないかと思いますが、法律論につきましては政府委員から答弁いたさせます。
  31. 中谷鉄也

    中谷委員 けっこうです。外務大臣に対する質問を続けたいと思います。  もう一度お尋ねをいたします。そうすると、いずれにいたしましても基地態様あり方について、基地と住民との関係あるいは基地軍労働者関係において、少なくとも施政権全面返還されたというその状態は、手錠をはめて働かせる、要するに軍労働者の場合はストライキをやった場合には刑罰を科せられますね、そんなばかげたことはあり得ない。それから現に電気、水道等においては、電力公社あるいは水道に関する布令がある。そういうふうなものは、たとえば本土の場合、要するに日米安保条約に基づく地位協定によるところの施設の提供と同じものになるというふうに私は理解をしているわけなんです。  さらにまた、刑特法という法律がございますけれども、治安維持等の問題について、沖繩における基地態様あり方について刑特法以上のようなものというようなことは、施政権全面返還されるということにおいてはそんなことは考えもつかないことだと私は思いますけれども、念のためにお尋ねをしておきたい。要するに、基地態様あり方というのは、施政権全面返還されるという限りにおいては事前協議の問題、核の問題、それ以外にはないのだというふうに私は考えておりますが、いかがでしょうか。
  32. 愛知揆一

    愛知国務大臣 なかなかこまかい問題で私も御満足な御答弁ができないかもしれませんが、そのときは補足してもらうことにいたします。  必ずしも一がいにそう言い切れないのではないかと思うのです。たとえば返還後の基地態様等に関連いたしまして新しい協定が結ばれる、あるいはまた、駐留軍労務者との間にどういう雇用契約関係を結ぶかということにつきましては、返還後において、場合によったならば新しい協約ということも考えられるのではないかと思いますが、その点はちょっと私もはっきりしたことを申し上げかねます。
  33. 中谷鉄也

    中谷委員 きょうは時間がありませんので私も荒っぽい議論をいたしますが、施政権全面返還ということだとすると、そういうふうな軍労働者基本的人権である地位の問題、あるいはまたその他の、基地そのもののあり方でなしに基地に付随をする、基地をささえているものについて本土と異なるというふうなことは、施政権返還だとおっしゃるけれども全面返還にならないじゃないかという疑問を私は持ちますが、いかがでしょうか。
  34. 愛知揆一

    愛知国務大臣 私も少し荒っぽいお答えになるかもしれませんけれども、私は常識的に考えますと、そういう点は、現に日本本土におきましても軍の労務者もおりますし、地位協定もあるわけでございます。原則的には大体それと同じようなかっこうになるのじゃなかろうか、こういうふうに考えます。
  35. 中谷鉄也

    中谷委員 では、いまのところ整理をいたします。要するに、施政権全面返還されて、布令布告が当然のことではあるけれども廃止をされ、したがって本土法の適用を受ける。土地については土地収用法、電気については電気事業法等々の法律の適用を受けることが施政権全面返還なんだから、原則として、事前協議の問題と基地核つき核抜きという問題を除いては本土法が適用される。それが施政権返還内容なんだから、本土と同様だというふうに理解してよろしいんですね、原則としては。
  36. 愛知揆一

    愛知国務大臣 私はそのとおりだと思います。そのとおりだと思いますが、かりに、先ほど私が常識的にお答えした何かの新たなる取りきめその他が必要であるとしましても、それは現存の布令布告が生き残るというものではございません。
  37. 中谷鉄也

    中谷委員 質問を変えます。  B52の墜落に伴うところの損害補償あるいは原潜寄港に伴うところの海水汚染による損害の補償及び損害額算定に関する調査、こういうふうなことが、日米琉諮問委員会において琉球政府のほうから議題として提案されたときの日本政府の御方針は一体どうかということをひとつお答えいただきたい。
  38. 愛知揆一

    愛知国務大臣 これは諮問委員会の性格の問題になるわけでございまして、諮問委員会日米琉の三つの代表者から成り立っておりますが、これはたとえば経済問題であるとか、あるいは社会福祉の問題とかいうように、目的が限定されておることは御承知のとおりであります。それから、そこできめられましたものは、高等弁務官に対する勧告という形に結論づけられるわけでございます。もちろん、その他これに関連する事項という字句はございますが、これは私が就任後調べたところによりますと、これは掲げられている目的に関連する事項でございますから、いまおあげになりましたような問題は諮問委員会の問題にはならない、こういう解釈で運営されているようでございます。  ところで、そこからが私の意見と態度になるのでありますけれども、諮問委員会はなるほどそういう性格のものでございます。しかし、わが方といたしましても、たとえば高瀬委員という人が出ておりますが、これは同時に外務省の顧問という肩書きを持っております。それから琉球政府側が推薦しておる委員もりっぱな方でございます。こういう方々がそういったような事項について話し合う、あるいはまた、いま申しましたように高瀬委員といいますか、そういう人が本国政府、われわれに対してそういう事態をよくインフォームしてくれるというような事実上の活動、しかもそれが有用である活動を期待することは差しつかえない。こういう意味合いにおきまして、この諮問委員会委員たる人たちの活躍、活用と申しますか、これは期待してしかるべきである、これは私の考えでございます。
  39. 中谷鉄也

    中谷委員 原潜寄港による那覇港の汚染について、かつて前官房長官は、琉球政府のほうから要請があればその調査について協力をする、こういう趣旨の談話を発表されたことがあります。外務大臣としても当然そのようなことであろうかと思いますが、これもひとつあらためてお答えをいただきたいと思います。
  40. 愛知揆一

    愛知国務大臣 先ほど大村委員お尋ねB52について私はお答えいたしましたが、同様に、那覇港における原潜の問題は非常に重大な問題だと私も考えます。  そこで、私も就任直後に駐日米大使に話をいたしましたときにも、これを一つの緊急の案件として取り上げました。なるほどこれは、アメリカ側の言い分を申せば安全審査といいますか、こういうことについては十分の措置をしている。しかも米琉合同の調査であって、たとえば採取した海底のどろとかその他のものは、世界の最高の権威であると思われるアラバマ州の研究所に送って、そこで十分検査をして結果を公表しているのだからだいじょうぶなんですよと、こういう態度であるわけです。しかし、これについては沖繩県民の人たちが納得しておらぬのです。だから、それだけ自信がある最高の結果が出るものならば、それをもっと沖繩の人たちにわかるように、納得のできるような方法をきめこまかくあなたのほうも考えなさいよ。それについてはいま前の官房長官の話も御引用になりましたが、そういうことも考えられる一つでございましょうし、あるいはまた、ほかにもっといい方法があるかもしれない。もう少しこれはきめこまかくやっていく必要があるように私考えますから、そういうことの申し入れもいたしまして、先方も私の心配並びに私の趣旨とするところは理解しているようでございます。何とかひとつよい方法があったならばということで、検討を約しておるというのが今日の状態であります。  なお、先ほどB52についても申しましたけれども、私は今後とも、それだけのことでは不十分であり、私自身も不満足でございますから、なお十二分の努力をしたいと思っております。
  41. 中谷鉄也

    中谷委員 最後に、外務大臣は先ほどの御答弁の中で、来秋の対米交渉に備えて現地の情勢も十分に注視しながらというお話がありましたが、これは当然B52の問題、原潜寄港による汚染の問題その他基地の現状、山積している現地のいろいろな問題、あるいはまた沖繩県民のそのような問題に対する気持ち、心情、そういうようなものを、ひとつ外務大臣として、来秋訪米されるまでに沖繩に行かれてごらんになって、そうして対米交渉に備えられる、こういうことであるべきだと私は思いますが、いかがでしょう。
  42. 愛知揆一

    愛知国務大臣 いまにわかにお答えはできませんけれども、そういう御提案のありましたことを十分私も胸に入れておきたいと思います。
  43. 中谷鉄也

    中谷委員 終わります。
  44. 中村寅太

    中村委員長 西風勲君。
  45. 西風勲

    ○西風委員 沖繩B52の駐留を必要とするアジアの情勢というのはどういうことですか。
  46. 愛知揆一

    愛知国務大臣 私はこういうふうに思うのでありますけれども、ベトナムが幸いにしてパリ会談——これは直接当事者がいわばフルメンバーで会談ができることになれば、休戦といいますか、戦争停止の見込みというものが相当明るくなってくるということが期待される。こういうふうに情勢が緩和し、穏やかになってくれば、ほかにもまだ警戒を要することがあるかもしれませんけれども、このことに限定してみればそういう必要性というものが漸次なくなる、こういうふうに私は期待いたしております。
  47. 西風勲

    ○西風委員 外務省はB52の問題で対米折衝をやっておるわけですね。B52に関して対米折衝をやっている基本的な態度というのは何ですか。
  48. 愛知揆一

    愛知国務大臣 基本的な態度としては、まず第一に、われわれの同胞である沖繩県民の気持ちをわれわれの気持ちとして、緊急に不安を解消することに全力をあげることだと思います。第二には、B52はアメリカも現に恒久——恒久といってもそんなに長い時期を言っているわけでは、ございませんけれども、少なくとも沖繩基地が利用されている時期ができるだけ短くなるように、そういう気持で私は折衝といいますか何といいますか、そういう心組みで対処していきたいと思っております。
  49. 西風勲

    ○西風委員 ベトナム情勢については、あなたと私どもとは、時間的な見方には差があるかもわからぬけれども、質的な点においては違いがないと思うのです。ベトナム和平には幾多の困難があろうとも、最終的にはベトナム戦争が停止されるというふうに見るべきだと思うのです。そのあと、新しいアジアの緊張の問題については、巷間、国際情勢に通じている人あるいは評論家というような人の間に、朝鮮で新しい緊張が起こっている、したがって朝鮮でここ短い時間の間に、ベトナム戦争にかわるような軍事紛争が起こるのではないかといううわさがあります。私どもは、幾らアメリカといえども、あれだけベトナムで非常な経験をして、朝鮮戦争をもう一回やり直すというようなことはあり得ないという考え方に立っているわけです。朝鮮がそういう情勢であれば、ラオス、カンボジアあるいはタイというような部分的な条件というのはあるでしょうけれども、全体としてアジアの情勢は暗い方向ではなくて非常に明るい方向に向いている、総括的にいってそう見ることができるのではないかというふうに思うわけです。そういうふうに情勢を見ることができるわけですから、こういう情勢認識に立つならば、B52について即時撤去してもらいたいというくらいの要求はすべきではないか。問題は、いまのままB52が駐留を続けていきますと、県民との間にB52の問題をめぐって、従来予想することのできなかったトラブルも起こる可能性はあるわけです。私はだんだんそうなってくると思うのです、危険にさらされているわけですから。そういう危険にさらされてから問題を解決するよりも、むしろ政府が強腰で対米折衝をやって、そういうことが起こらないように、事前に沖繩県民要求を体して、この程度の問題については強い態度でやはり撤去交渉をするということが必要ではないかと思うのです。不安を取り除けなんということを言ったって、これが駐留している限り、またあなた方の御意見では、これは常時駐留ではなくて部分的、暫定的な駐留なのだといいますけれども、だれもそういうふうに保証できる人はいないわけです。いまやB52は相当長期にわたって駐留するいうのが現地の常識になっているわけです。だから、そういう点でB52の問題については、即時撤去せよという交渉をすることによって——私ども日米間において紛争が起こることがいいとは考えていないわけです。特に沖繩の問題をめぐっては、むしろ日米間において和解の方向が見えるいうことを私どもは期待しているわけです。そういう点で、あなた方の目ざす外交路線からいっても、B52を撤去させるほうが正しいのではないかというふうに思うのですけれども、対米折衝の中でもっと態度を鮮明にして交渉rる御意思がないかどうか、お尋ねしたいと思う。
  50. 愛知揆一

    愛知国務大臣 お述べになっておりますお気持ちは、私もよく理解できるわけでございます。私といたしましては、同時に極東の情勢、いわゆる国際情勢推移ということにつきまして、私も就任早々でまだそこまで手が及びませんけれども、こちらが主体的な認識を持ち、主張を持つことも絶対に必要ではないかと思いますので、一生懸命いま努力をし、情報を集めておるところでございます。
  51. 西風勲

    ○西風委員 この間も、あのあとまた事故が起こりかけたわけですね。まだあの程度の事故で済んでよかったわけですね。この前の石川市で落ちたような状態になっていたら、これはもうとんでもない状態が生まれているわけですよ。そういう点ではこれはもっと強腰で——強腰でというよりも、沖繩県民が全体としてこの間やりましたB5撤去の大会でも、自民党としてメッセージは送っていないけれども立法議長という名前で自民党の人もメッセージを送らなければならないほど、B52の問題については県民一体になって盛り上がっているわけです。ふくれ上がっているわけですね。だから、そういう点ではやはりこういう世論を背景にして、とりあえずB52の問題くらいは、優等生新外務大臣の成果としてやられる必要があるのではないか。優等生もたまには勇気を持たなければいかぬと思うのです。勇気を持たない優等生というものは、これは何にもならぬわけですから、そういう意味でもっと勇気を持ってB52の問題について当たってもらいたい。  次に、先ほど問題になっておりました国政参加の問題について、日米両国にとって、沖繩国政参加で望ましい姿というものはどういう姿ですか。
  52. 愛知揆一

    愛知国務大臣 この問題について根本的に申しますれば、やはり施政権を一日も早く返してもらうということ、これによって非常に問題はクリアになると思います。
  53. 西風勲

    ○西風委員 私が聞いているのは、沖繩県民国政参加の問題について、日米両国がこれなら問題がないというように考え国政参加方式というものはどういうことかということを聞いているわけです。
  54. 愛知揆一

    愛知国務大臣 これは先ほど申しましたように、この国政参加の形態あるいは参加した人の権限、地位というようなことは、私どもとしては、主として国会におきましても大いに御検討いただきたいことである、かように考えているわけでございまして、それは沖繩の方々からいえば、日本国国会議員と同格の待遇なり権限ということがマキシマムの要請として考えておられるのではないかと思います。それをマキシマムの要請として、そしてこれを現状の沖繩の置かれている地位あるいは日本憲法の規定に従う限度というようなところをかみ合わせて、なるべくその願望に近い線に持ってくるということが望ましい姿ではないか、かように考えております。
  55. 西風勲

    ○西風委員 では、時間がありませんから次の問題に移りますけれども、臨時国会の中で本会議あるいは衆参両院の予算委員会というようなものを通じて、政府は、ことばにはしなかったけれども沖繩返還については核つきかないしは核抜き自由使用というふうに、これはもうわれわれが主観的に受け取っているだけではなくて、あらゆる報道機関、沖繩問題に関心を持っている人の間でそういうふうな受け取り方をしている向きが多いと思うのです。また政府は、大体その辺の点で沖繩問題に対する解決のめどをつけているのではないか。この間、衆議院の外務委員会で、社会党の戸叶委員質問に答えて外務大臣から見解の表明があったわけですけれども、やはりこれから対米交渉が煮詰められていく中で、これはたびたび議論されたことですけれども白紙でなくて、われわれが一定の足場をかまえて、アメリカ要求も明瞭に把握して、その中でお互いに討論し合っていく、お互いに交渉し合っていくということが必要だと思うのです。同時に、外交交渉というものは、言うまでもなく、国民的な世論というものを当然背景にしてやることが重要なわけですから、そういう点では、できるだけ早い機会沖繩返還の対応のしかたについて、態度を明確にするというプログラムはありませんか。
  56. 愛知揆一

    愛知国務大臣 これは昨日も外務委員会で申し上げたのでありますけれども返還問題につきましては、これに関連するいろいろな問題を総体的に考え、組み立てて、われわれの腹がまえをつくっていかなければならない、こういうふうに考えておりますが、それをどうやって——結局最終的な処理はいわゆるトップ会談できめていかざるを得ないわけでありますが、どういうふうなかっこうで、どういうふうなタイミングで、どうやったならばいいだろうかということを同時に考えていかなければならない。いま、どういうアプローチをどうするかというようなことについては、何しろこちらのわれわれの腹がまえもまだいわゆる白紙でございますから、そこまで具体的に日程的に考えるところまではまだまだいっていないわけでございます。そういう点につきましては、考え、かつ検討しなければならない本質的な問題や、それから関係する部面も非常に多いし、そしてただいま御指摘のとおり、国民世論ということはもちろん非常に大事なことであります。結局、こうやって現状の私どもの気持ちを率直に表明すれば、やはり国際情勢の稚移とか科学技術の進歩とかあるいは世論の動向ということを十分掌握しながら、アメリカとの間のまたいろいろの形の話し合いをしていく。そういう中でだんだんと白紙が星雲状態から何か出てくるというようなことをおぼろげながら現在考えて、一生懸命の腹がまえをつくることに努力をしている、これが私どもの現状の態度でございます。
  57. 西風勲

    ○西風委員 来年早々から、どういうクラスか別にして、秋の佐藤総理の訪米を目ざして事前の折衝をするわけでしょう。交渉を始めるわけでしょう。交渉を始めるときに、われわれのほうがどういう原則で折衝するかということがきまっていなければ、交渉できない。情報というものは大体出尽くしていますから、ましてや沖繩の対応のしかたというものは、もう幾つかの種類に分類されて、世間ではもう幾つかの種類のブループリントはそういう意味では明らかになっていると思うのです。そういうことが明らかになっているわけですから、政府はやはりこの際勇気を持って、沖繩返還については、われわれはこういう考え方で対米折衝をやりたいというふうにされるのが必要ではないかというふうに思うわけです。それなら、どういうふうに接触するわけですか。
  58. 愛知揆一

    愛知国務大臣 先ほど申し上げましたように、たとえば佐藤ジョンソン会談のその後のいわゆる継続協議ということも、前大臣のときにも公表されておるようでございますけれども、随時いろいろのことで懇談をするということも、一つのこれからの日程になっておるわけでございますから、それらのところを通しても、またいろいろとこちらが主体的に考えるべき資料を心証として得ることも可能ではないかと思います。要するに、私はいま一つの方法を固定的に考える、そしてとり進めていくというのにはまだまだ時期尚早である、こういうふうに考えているわけでございます。
  59. 西風勲

    ○西風委員 両三年から一両年まで進んだわけでありますから、そういう点ではもう時間が来ていると思うのですけれども、しかし、あなたと押し問答していてもしようがないからあれですけれども沖繩返還は、政府のいままでの言明によりますと、極東の安全保障考えていく上で沖繩返還の方法が根本的に変わってくるのだというような発言があったけれども、これからのアジアの情勢考えてみる場合、沖繩がだれを危険なものとして、だれに対して安全保障のために必要なのか、日本の国という意味だけではなく、アメリカの全体の戦略まで含めて、私どもとしては、沖繩基地状況をすみやかに解放するということが、アジアの安全保障条件を強めることであって、むしろ平和の状況をつくることがそういうことに役立つような条件をそろえることになるのではないかと思うのですけれども、極東の安全保障沖繩との関係というのは、具体的に言えばどういうことですか。
  60. 愛知揆一

    愛知国務大臣 その点につきましては、私はこういうふうに考えるのです。沖繩返還問題というものが、今日の世論の中でも一つの線が出てきているのは、いわゆる安保体制のもとにおける返還、これはやはり私から言えば国民的に、さてどこが仮想敵だなどというばかなことはございませんけれども、われわれが常に平和であり、安全であり、自由を享受し得る、こういうことを確立していくためには、やはり国の安全ということが確保されていかなければならぬ。それにはやはり、一つには、徴兵なきいわゆる自主防衛、それを補完する安保の抑止力というものが、国を安全に守っていくのには必要である、こういう認識が国民的に支持されているのじゃないかと私は考えるわけでございまして、その考え方の中で沖繩返還問題を考える、そこまでは皆さんの考え方がほぼ同じ線に乗ってきているのではないか、こういうふうな認識で私は進んでまいりたいと考えております。
  61. 西風勲

    ○西風委員 沖繩返還と核兵器の問題を考える場合に、核兵器の取り扱いについて戦略的な核兵器——通常使われているわけですから実際そんなことはないと思うのですけれども、戦略的な核兵器と戦術的な核兵器を分けて基地態様の際に考慮するなんということはありますか。
  62. 愛知揆一

    愛知国務大臣 その辺のところは、先ほど来申し上げておりますように、まだまだ私どもは、ほんとうに真剣に検討しなければ何とも申し上げられない状態でございます。
  63. 西風勲

    ○西風委員 いままでの政府態度では、沖繩問題に対して十分な国民的な合意をつくり出すということが非常に困難になるのではないかと思うのです。  そこで、最後にお伺いしたいのですが、屋良主席が生まれたわけですけれども、いままで選挙その他を通じて、自民党や政府はたくさんの公約をしているわけです。時間がありませんから一々言いませんけれども、そういう公約については、これはだれが知事になってもやるのが当然だ。だから、そういう点で自民党の閣僚や政府のさまざまな機関の人たちが沖繩で約束したり発言したことについては、屋良氏が知事になった今日の時点においても、やはり従来どおり実現のために積極的に努力するというふうに受け取っていいわけですね。
  64. 愛知揆一

    愛知国務大臣 この点は御心配ないようにお願いしたいと思うのですが、先ほど他の委員会におきましても、たとえば一定の年限を画して本土との一体化をはかるという閣議決定もございますが、こういうことはほんとうに誠意を尽くして実現をしていきたい。それからまた、こまかいもので残ることはあろうかもしれませんけれども基本的にはいままで公約しましたことをそのまま実行する、この点については、どうかひとつ御心配なく政府の誠意に御信頼をいただきたいと思います。
  65. 西風勲

    ○西風委員 最後ですから二、三まとめて質問したいと思うのです。要望も申し上げたいと思うのです。  一つは、沖繩返還の方法について、すみやかに内外に政府態度を明らかにしていただきたい、その作業を急いでもらいたいということがまず第一であります。  それから第二は、国政参加については、本土沖繩との間にできた不自然な差別をなくすために国政参加をやるのです。ところが、その差別をなくすためにやる国政参加が新しい差別をつくり出すというようなことは、沖繩本土との間に新しい連帯関係というのができないことはもちろん、沖繩に多年にわたって私どもは迷惑をかけているわけですから、本土政府が多年にわたって沖繩にさまざまなあやまちをおかしておるわけですから、そういうものを改めていくためにも、やはり国政参加の問題については本土と同じような方法で、差別のない国政参加ということで努力をしていただきたいというふうに思うわけであります。  第三には、B52の問題については差し迫った問題になっているわけです。そういう点で、おそらくあとで現地から来られた方からなまなましい実情その他が訴えられると思うのですけれども本土にいるわれわれこそ安閑としておられるけれども沖繩の現地におる皆さんにとっては、B52の問題はたいへんなんです。もう一回事故があったら、そのとき政府考えるというようなことでは間に合わないわけです。寸秒を争っている問題なんですよ、B52の問題は。そういう点でB52の問題については、いままでのような、どちらかというと、県民がうるさいから形式的にやっているととらざるを得ないような政府の消極的な姿勢ではなしに、もっと積極的にからだごとアメリカにぶつかって、B52をすみやかに撤去させるというような点で、政府がもっと積極的な努力をしてもらいたい。  それから第四番目は、屋良主席が誕生したわけですが、この屋良主席沖繩におけるさまざまな差別をなくしていく政治が成功するように、財政的にはもちろんのこと、すべての分野にわたって積極的な本土政府援助が望まれると思うのです。これは沖繩要求するのじゃなくて、われわれが当然しなければならぬ義務を負っているんですから、そういう点で政府は従来にも増して積極的な熱意を持って沖繩問題に取り組まれることを要望して、私の質問を終わらしてもらいます。
  66. 中村寅太

    中村委員長 永末英一君。
  67. 永末英一

    ○永末委員 愛知さんは、この前ジョンソン駐日大使と会われたときに、B肥の嘉手納飛行場からの撤去を申し入れられましたか。
  68. 愛知揆一

    愛知国務大臣 一般的な所見は申しましたが、先ほど申しましたように、とりあえずの措置が緊急と思いましたから、私の所見を申し述べて、先方の意見や回答をとりあえず聞いたわけであります。
  69. 永末英一

    ○永末委員 嘉手納飛行場の近所に嘉手納中学がございますが、その中学の一年生の島袋さんというお嬢さんが作文を書きました。その作文の中で、あの十一月十九日の墜落爆発事故のときに、私はもう死ぬんではないかと思った、こういう思い詰めたことを書いておられます。そしてその作文の最後に、私たちも同じ人間です、それなのになぜ沖繩の人たちだけ苦しまなければならないのですか、これを全国の人たちに言いたいのです。これほど思い詰めてお嬢さんが書いておられる。このお嬢さん一人が言っておられるのではございません。全部の子供たちが同じ気持ちだ。子供たちだけではない、おとなたちも同じ気持ちだと思います。この人々は、愛知さん、B52の撤去をしてほしいと思っておると私は思いますが、あなたはどうお感じですか。
  70. 愛知揆一

    愛知国務大臣 そのお子さんのお気持ちあるいはそれに象徴されている気持ちはそうだと思います。
  71. 永末英一

    ○永末委員 そうだといたしますと、外務大臣としてB52の撤去アメリカ側要求するおつもりがございますか。
  72. 愛知揆一

    愛知国務大臣 撤去といいますか、沖繩をこういうものに活用しない情勢をまずつくり上げることに、基本的な努力を傾注したいと思います。
  73. 永末英一

    ○永末委員 話が、愛知さん、ぼけてくるのでございますが、状況をつくるといいましても、現在の沖繩におけるB52がベトナム爆撃に行っておること、これはそのように外務大臣としては承知しておられますか。
  74. 愛知揆一

    愛知国務大臣 大体そのような情報とか説明とかは、そのとおりじゃないかと思っております。
  75. 永末英一

    ○永末委員 ベトナム戦争の終結等については、残念ながら日本政府としてなし得る点はきわめて少ないと思うのです。そこで、いまのような状態がなくなるような条件をつくりたいとおっしゃったけれども、そういうことではなくて、端的に嘉手納飛行場におけるB52、この駐留をやめさせる、やめてほしい、こういうことを日本政府の主張としてアメリカ政府に申し入れるということ、これが条件をつくる一番大きな道ではないか、ストレートな道ではないかと私は思いますが、大臣はどうお考えですか。
  76. 愛知揆一

    愛知国務大臣 たとえばベトナムがおさまらなくとも、ほかのところを利用するということも考えられることでございますね。そういうことをも含めまして、私としては今後できるだけの努力をいたしたいと思います。
  77. 永末英一

    ○永末委員 B52は何機ぐらいあそこにおるとお考えですか。
  78. 愛知揆一

    愛知国務大臣 十五機前後と聞いております。
  79. 永末英一

    ○永末委員 外務大臣、ひとつ外務省にお命じいただいて、もっと詳しく実態を見ていただきたい。私が行きましたときでも、もっとたくさんの飛行機がおったと私の目には映りました。  そこで、B52というのは、最初、なぜ、何の目的で嘉手納に来たとお考えですか。
  80. 愛知揆一

    愛知国務大臣 この点は、私も就任前のことで詳しいことは知りませんけれども、やはりベトナムとの関係ではなかろうかと想像いたします。
  81. 永末英一

    ○永末委員 プエブロが北朝鮮に拿捕された直後、アメリカは、B52の嘉手納に行くということを発表いたしました。そのときには、いわゆるテト攻勢はまだ始まっていなかった。だといたしますと、その時間的な流れから考えますと、私は、B52の最初の嘉手納にやってきた目的は、朝鮮半島を向いておると思いますが、いかがですか。
  82. 愛知揆一

    愛知国務大臣 そういうことであったかもしれません。
  83. 永末英一

    ○永末委員 そこで、問題は、恒久的ではないと言いつつもすでに一年近くになっておる。そこで、あなながジョンソン大使と話し合われたときに、恒久的ではないというのは、一体、両三年ということばが佐藤・ジョンソン声明で使われましたが、時間的にはどれくらいと、あなたは印象を受けられましたか、アメリカ側があれを自発的に引き揚げるとしてですよ。
  84. 愛知揆一

    愛知国務大臣 これはまず、そのお答えの前に申し上げたいのは、先ほど申し上げたつもりなんですが、私は決して満足しておりません。ただ、とにかくまず再確認してもらうことから始まって、今後も注視しながら私も次の態度をきめていきたい、決して一片の話で済むものではない、こういうふうに考えております。  それから、恒久的というのは、私の印象では、まあ暫定的と申しましょうか、そんなに長い時期というふうには、私の受けた印象では考えておりません。
  85. 永末英一

    ○永末委員 B52がこの前爆発事故を起こしましたが、その爆発事故の原因は、日本政府としてはわかっておりますか。
  86. 愛知揆一

    愛知国務大臣 これは、こちらが直接調査するわけにもまいりませんけれども、かなり詳細に当時、米国側から説明があったようでございます。
  87. 永末英一

    ○永末委員 今後起こらないという安心感を日本政府は持っておられますか。
  88. 愛知揆一

    愛知国務大臣 その点は、私の心証としましては、そういう点について米軍当局が、とにかく非常に細心の注意を払っているということだけは、私は私の心証として受けました。なぜかならば、これはアメリカ側の説明、あるいは間接に米空軍当局からの説明でございますから、私は、それを全面的にどうということは。ございませんけれども、     〔委員長退席、本名委員長代理着席〕 この事故を起こしましたときにも、もしあのとき、二人のパイロットが命がけでああいう措置をしなかったならば、もっと重大な損害を沖繩県民に与えたであろう。それがかねがねの訓令、あるいは当のパイロット等にしみ込んでおって、そうして命を投げ出して措置をすることによって、とにかく被害があの程度にとまった、こういう説明の中にも、私は掬すべきところがあるんじゃないかと思います。そういう点も含めまして、これは向こうの言うことではあるけれども、相当に、私の心証としては、こういう事故が再々起こらないようにするということについては、細心の注意を払っておるように私は受け取ったわけであります。
  89. 永末英一

    ○永末委員 アメリカ側が何も事故を起こそうなんて考えていると私は思いません。そんなことは普通あり得ないことです。しかし、B52が今後事故を起こさないという安心感を日本政府が持たなければ、これはそのままB52の滞留を認めるわけにいきませんね、どうでしょう。
  90. 愛知揆一

    愛知国務大臣 それですから、この点は、だからもう退去と言うと、ことばといたしましては、私が使うのにはちょっと語弊があるかもしれません。とにかく沖繩を利用する度合いをできるだけ少なくする、そうして使わないで済むようになってもらいたいということが一番基本である。それから、その間、暫定的にも利用が続くようならば、その間に最善の注意を払ってもらいたいということ。それから、これは今後そういうことを私はもちろん予想したくない。しかし、過去に起こった損害の補償、賠償等については、これもかなりスピーディーに事を運んでいるようではございますが、さらに細心の注意を払って、県民の納得ずくで補償金の支払いその他を能率的にどんどんやってもらいたい。こういうふうに、二段、三段のかまえ方で処理を期待しておるわけです。     〔本名委員長代理退席、委員長着席〕
  91. 永末英一

    ○永末委員 望ましくないことではありますけれども、もしこの次に同様の事故が起こった場合には、日本政府は責任を感じますね。何も撤去せしめ得ずして同様の事故が起こった。そうしますと、すでにこの問題で、撤去してくれ、こういう沖繩県民の意思が、主席を通じ、あるいはまたその他の人々を通じて表明せられておる。それは政府の御承知のところである。しかるにもかかわらず、撤去せしめ得ないままに再び事故が起こったという場合には、日本政府沖繩県民の命の安全について責任を感じるはずだと思いますが、いかがですか。
  92. 愛知揆一

    愛知国務大臣 私といたしましては、そういう事故が起こらざることをこれ期待しておるわけでございます。それから、不幸にして、そういうことを予想したくはもう万々ないのですけれども、起こりますれば、まことにこれは残念なことでございますが、責任とおっしゃいますとなかなか、何と言いますかな、責任でございますと言うことは、それこそ施政権という問題がまたそこへひっかかったり何かいたしまして、政府を代表してそういう場合を予想してその場合には責任を感ずるということは、あるいは言えないかと思いますが、少なくとも私の人間としての責任ということは十分に感ぜざるを得ないと思います。
  93. 永末英一

    ○永末委員 これは十分ひとつ責任を感じて処置を願いたい、強く要望しておきます。  さて、B52というのは、もともとが核弾頭を積んで常時警戒するというのが主たるB52の任務であると私は承知しております。外務大臣もそのように承知しておられますか。
  94. 愛知揆一

    愛知国務大臣 核弾頭を搭載し得るというふうに伝えられていることは承知しております。
  95. 永末英一

    ○永末委員 沖繩に核弾頭の倉庫があるとお考えですか。
  96. 愛知揆一

    愛知国務大臣 これは外務大臣としては、たいへん遺憾でございますが、お答えできないのです。  それからなお、お答えにならぬかもしれませんが、事故の際に、そうしたものを積んでいなかったということは信用できると思います。それは、何も申し上げるまでもございませんが、インドシナ半島、ベトナム戦争におきましても核戦力は発揮されていないように承知いたしております。それらの関係もあって、あのときにはそういうものは積んでいなかった、こういうふうに理解いたしております。
  97. 永末英一

    ○永末委員 沖繩には現在F105という戦闘爆撃機があります。それからナイキハーキュリーズという地対空ミサイルがある。これらはすべて核弾頭を使用し得る兵器であります。それはそのように御認識ですか。
  98. 愛知揆一

    愛知国務大臣 これは、ただいま申しましたとおり、外務大臣としてどうだと言われると、私はいまの立場では知らないと申さざるを得ません。どうかその点は、賢明なる永末さんに御了察願いたいと思います。
  99. 永末英一

    ○永末委員 私がこれを伺っておるのは、いままで沖繩返還の問題について、基地態様だとか、核つきとか核抜きとかいうことが実際に国会の論議の場で言われておる。ところが一体日本政府は、そこに核はあるのかないのか、この判断をはっきり国民にしていただかなければならない。いままで答えられないという前提——あるかないかわからないですね、五分五分でしょうね。しかし、それならば核つきとか核抜きとかいう議論をすることがどだいおかしいではないか、こういうことになりますが、日本政府国民に、知り得る限りの情報で、こうだということをおっしゃる用意はございませんか。
  100. 愛知揆一

    愛知国務大臣 私は、これは率直に言わしていただきたいと思いますが、今後の問題だと思うのです。施政権返還になった場合、沖繩及び日本の安全をどうして確保するかということを、ほんとうに積極的に考えていかなければならぬ。そういう場合のわれわれの考え方というものを固めてまいりますためには、現在の安全を守る責任者であるところの米国あるいは米軍当局が、どういう考え方で、どういう装備をしていたんだろうかということがそこで一つの問題になってくる。こういうふうに考えますと、いままで知り得なかったのはけしからぬともおっしゃいますまい。というのは、何といっても施政権がないのですから、そして、ことに軍事行動のことでございますから。しかし、これから返還に向かう。返還について、これを前提として継続協議をするということに今後私も全力をあげてやってまいりたいと思いますから、ひとつ今後のこととして——私もおっしゃることはよくわかりますから、そういうことに対して真剣に対処してまいりたいと思います。
  101. 永末英一

    ○永末委員 私が接触しました限りでは、アメリカ側一つの意見は、現状、つまりアメリカ沖繩における軍事基地の現状、これはあまり変えたくないという意見が非常に強い面がございます。したがって、いま大臣が言われるように、これからの問題ではなく、いまある状態についてどうするかということが、私は議論の焦点ではないかと思います。たとえばメースBにつきましても、これはアメリカの国防長官が一九七一年までは少なくとも置いておくということを議会で言明しておるわけですね。しかもそれを見た人もあります。だとしますと、核弾頭をつけなければ意味がない兵器でございますから、あるといわざるを得ない。したがって、あなたがおっしゃったように、これからの問題ではなく、いまの認識を一体どう持つか、それを国民に訴えなければ、核抜きとか核つきとかいうことを議論することができないじゃありませんか。どうでしょう、もう一度。
  102. 愛知揆一

    愛知国務大臣 そこが問題のあるところでございまして、したがって私も、核つき核抜きというようなことについて意見を申し上げるまだ段階ではない。要するに、私自身の心証あるいは情報が足りないものですから、こういう点もひとつこれからよく勉強してまいりたいと思っております。
  103. 永末英一

    ○永末委員 総理の諮問機関である沖繩問題懇談会ですか、その中に基地に関するグループができて、その中のある委員が、戦略核兵器、これは何とか沖繩から撤去するようにできると思うが、戦術核兵器はあぶないだろう、あるいはこれを撤去せしめることはむずかしいだろうというような意見を述べた。このことが外にちゃんと発表されていますね。したがって、いま外務大臣として情報が少ないとおっしゃるけれども、それらのことは、当然政府部内の行為ですから御承知だと思う。それはいまやはり現存しているという認識に立って、議論が展開されておると思うのです。そこで一体アメリカ側が、実はこれこれ、これこれの核がございますと言うときまで待つのですか。それとも日本政府が自主的にこれを調査して、こちら側の基地態様に対する意見を出すのですか、この点をひとつ承っておきたい。
  104. 愛知揆一

    愛知国務大臣 最初に、その情報が足りないと申しましたのは、要するにまだ私が勉強が足りないというので、私の情報の分析が足りないという意味ですから、さように御了解をいただきたいと思います。まずそういうことで、いま私自身も、自分自身で星雲状態の中におりますものですから、それ以上の問題についてはちょっとお答えができかねます。
  105. 永末英一

    ○永末委員 それは外務大臣としては、まだ就任早々で非常に短いと思います。しかし、外務省は情報を持っておるはずですね、外務大臣。もし外務省がその情報を持たずして、そうして大臣をして日米交渉をせしめるということになりますれば、おかしなことになりはしないか。したがって、いま星雲状態とおっしゃったが、あなたのお気持ちとしては、この問題をやはり日本側で調査をして、こういう基地が一いま核だけにしぼっておきますが、核基地についてこういう状況なんだということを国民に発表して、あるいは国民に知ってもらって、その上で交渉をする、そういうお気持ちはございますか。
  106. 愛知揆一

    愛知国務大臣 まあそこのところまでは、いま確たる御返事ができないということは、いまも申し上げたとおりでございますが、調査ということも、その中には情報もございましょうし、調査の方法にもいろいろございましょう。とにかく外務省にも、あるいはその他の方面にも相当の情報はあろうかもしれませんけれども、私自身としましても非常に責任を感ずる重大な問題ですから、私自身といたしましても、もう少しじっくり勉強の時間を与えていただきたいと思います。
  107. 永末英一

    ○永末委員 しかし、この二十三日には、またこれらの問題に関してアメリカ側と会談になる。さらにまた年が明ければ、いろいろなことで、外務大臣の御方針としてはしょっちゅう会おうではないか、こういうぐあいに申し合わせをされておると聞いております。一体いつごろ腹固めをされますか。何もなしに何となく返してくださいよということだけでは、これは交渉でも何でもこざいませんね。こういうぐあいにして返してくださいということを言わなくちゃならない時期が来ておると思います。したがって、いまの星雲状態を固められて、大体こういうことだということをおっしゃろうと考えておられる時期は一体いつごろでしょうか。
  108. 愛知揆一

    愛知国務大臣 これはいろいろ考えなければならぬ点もございますが、しかし、ある意味からいえば、昨年の秋の佐藤ジョンソン会談で、もう返還ということを前提にしてということまで来ているわけでございますから、そういう情報交換とかあるいは意見の交換とか、とにかく返せ、そういう返すについてはどういうふうなことが考えられるかということが、アメリカとの関係におきましても、だんだんと双方の意見打診とでも申しましょうか、こういうことはある程度進むし、また進めなければいけない、それを腹に入れながら、いつものきまり文句とおしかりを受けるかもしれませんが、同時に、わがほうが主体的な立場で自主的に、国際情勢の判断やあるいは沖繩基地の現状はこうであるのだけれども科学技術の進歩その他がどういうふうにそこに当てはめられるであろうか、あるいは世論の動向ということを煮詰め、また国会でも、この臨時国会中でも沖繩問題ぐらい長い時間がかけられていることはございません。こういう御審議を通じてもいろいろの方々の御意見や御期待はいろいろ出ておりますから、そういうことも一面十分頭に入れまして、誤りなきを期していきたい。いつ何日を目標にしてどう、またその次、何日を目標にしてどうというところまでは、私はまだ考えておりません。
  109. 永末英一

    ○永末委員 いま大臣新しいことを言われたのですよ。つまり科学技術の進歩ということばの前に、沖繩における軍事基地はこうこうであるが、こう言われた。これは確認しておいていいですね。その判断はやはりされる、伺っておる私にとってはそのように聞き取られる、よろしいですか。
  110. 愛知揆一

    愛知国務大臣 いままで政府側の言っておりますことの中にも、安全保障上占めてきた現に沖繩の地位が非常に大事であるということをしばしば申しております。その現状に対する認識、それからこれからの考え方というものを主体的、自主的に考えた場合にどう評価し、どういうふうに考えなければならぬかということも勉強の対象になる、こういう意味で申し上げたわけでございます。
  111. 永末英一

    ○永末委員 これで終わりたいと思いますが、愛知さん、同じ御態度で通常国会を迎えていただいて、同じように沖繩の問題について論議しましても私は意味がないと思うのです。したがって、いまはなるほど御就任早々でございますから星雲状態かもしれません。そこで、ひとつお約束願いたいのは、通常国会において沖繩の問題を論議する、相当日取りがございますから、そのときは、いま私が伺ってまだ星雲状態だとお答えになった点について、やはりお考えをまとめて一緒にひとつこの問題は考えていく、このようなお心組みはございますか、それを最後に伺いたい。
  112. 愛知揆一

    愛知国務大臣 何ぶんにも、再々申し上げておりますように、総理が来年の秋に渡米したいということを言っております。これが一つのターゲットでございます。ですから、それから逆算いたしましても、私としては、むずかしいまたいろんな要素のある問題でございますけれども総理ともとくと協議をし、だんだんに考え方を固めていく必要がある、かように考えております。先ほど申しましたように、いつ幾日それじゃ約束をして話をするかと言われても、ちょっといまそこまで具体的なお約束はできませんけれども、おっしゃることは、私は御要望としてとくと承っておきたいと思います。
  113. 永末英一

    ○永末委員 終わります。
  114. 中村寅太

    中村委員長 伊藤惣助丸君。
  115. 伊藤惣助丸

    ○伊藤(惣)委員 沖繩に入る前に、北方領土問題について二、三お聞きしたいと思います。  先ほど同僚議員から北方問題について質問がございました。愛知外務大臣は、この北方問題については国民がどの程度の熱意と、対ソ折衝についてはどんな姿勢を持っているのかということで、非常に関心があると思うわけです。愛知外務大臣のその対ソ交渉姿勢と具体的な交渉のプログラム等を簡単に伺いたいと思います。
  116. 愛知揆一

    愛知国務大臣 先ほども申し上げましたように、いわゆる中間提案というものについては、昨年来、わがほうとしては中川ソ大使を通じての折衝が今日ずっと続けられておるわけでございます。率直に申しまして、他の諸懸案等については、合意を見るに至らなくとも相当の話し合いが行なわれておりますが、領土問題については、先方態度解決済みであり、これ以上話はしたくないという非常にかたい態度を示しておる。しかし、われわれとしては、何としてもこれを打ち破って、ことばは悪いですけれども話し合いに引きずり込みたい、こういう姿勢で大いに努力をいたしておるつもりでありますが、さらに私自身といたしましても、今後強力に交渉を展開するためには、この衝に当たっておる中川大使を呼びまして、とっくりひとつ、電信その他では意を尽くし得ないようなバックグラウンドその他も十分把握いたしまして、これからの作戦を考えてまいりたい、こう思っております。これはお断わりするまでもなく、今回の総理大臣所信表明にも、特に北方領土返還について引き続きできる限りの努力をするということを明らかにいたしておりますので、私のみならず、現内閣の姿勢として、北方領土問題について非常な熱意を持っているということはおくみ取りいただきたいと思います。
  117. 伊藤惣助丸

    ○伊藤(惣)委員 過日、北方問題については、調査団の一員として行ってまいりました。現地から数多くの要望、さらに悲痛な叫びを聞いてまいったわけでありますが、特に北方領土に住んでおった旧島民の方は、現在日本の外交は平和外交である、他国はいまだに武力を背景にした外交が多いけれども、平和憲法のもとにあっては、何といっても外務省、いわゆる政治的な強力な折衝以外に望めない。したがって、われわれは、この外務省の窓口をただ一つのたよりにし、外務大臣はじめ総理の強力な対ソ交渉について期待はしているのだけれども沖繩については非常に熱意があるけれども対ソ関係については非常に薄いのではないか、考えようによっては一ローカルの問題としてしか考えていないような面もある。たとえば財政措置の問題にしても、沖繩と同時に扱ってもらいたい。もちろん、安全操業等についても具体的に折衝してほしいけれども、われわれは、あくまでも領土問題を沖繩と同じレベルで扱って、早期にその返還の実現に強力に努力してほしい。こういう意見があったわけであります。われわれが行ったその翌日、また行っている最中に拿捕事件が発生したわけであります。そういったことから考えてみましても、新しい外務大臣になって新たな外交をいま展開しようとするときに、いままでより以上に積極的に、そういうまた島民の声を背景にして、強力な外交を推進する必要がある。先ほど来のお話によりますと、来年の一月ごろ中川ソ大使が戻る、このようなお話を聞きました。私は、ここで外務大臣が積極的に、中川ソ大使は帰すけれども私も行くのだ、できれば来年行きたい、そして積極的にその問題について検討したい、こういうことを国民は望んでいるのではないかと思うわけです。外務大臣所信を伺いたいわけです。
  118. 愛知揆一

    愛知国務大臣 私が出かけていくかどうかということについては、もちろんまだきめておりませんけれども、まず国民的な支持を背景にしてこの問題に積極的、前向きに取り組んでいくというこの姿勢を確立することが第一であり、またいままでの経緯あるいは最近における中川大使折衝ぶりなどをよく承知いたしまして、先ほど申しましたようにこれからの対策、作戦を練ってこれを実行に移したい、こういうふうに考えております。
  119. 伊藤惣助丸

    ○伊藤(惣)委員 一月に中川ソ大使が戻るわけです。その後の具体的交渉ですか、そういう考えがあったら伺っておきたいと思います。
  120. 愛知揆一

    愛知国務大臣 この問題は、とにかくこちらとしては固有の領土であるという、この根拠に基づいて一本やりにいくよりほかないと私は思うのでございます。しかし、それにしてもいろいろ従来のやりとり、あるいは先ほど申しましたような先方の環境、バックグラウンドということも十分見きわめなければなりません。とにかくこれは返還をしてくれということに徹した交渉でいかなければならぬ。非常な勇気も要りますし、同時に周到な用意も必要ではないか、こう考えております。
  121. 伊藤惣助丸

    ○伊藤(惣)委員 今後の問題でございますが、沖繩と同じレベルで財政措置をしてほしい、または同じような熱意で前向きで解決してほしい、こういうことがその要望でありますが、その点について外務大臣所信をお聞きしたい。
  122. 愛知揆一

    愛知国務大臣 この点は、もちろんそういう趣旨でまいりたいと思います。ただ、両方はそれぞれいろいろの条件が違いますから、同じような気持ちで財政上の措置その他を考えるということにはもちろん賛成でございますが、個々の具体的なあらわれ方についてはおのずから違ってくる面もあろうかと思います。
  123. 伊藤惣助丸

    ○伊藤(惣)委員 いままでの対米折衝というのは、非常に緩慢であるということは有名であります。どうかその点について、いままでよりも事務処理上の問題についてもスピード化してほしい、こう思いますが、その点についての所信を簡単にお伺いしたい。
  124. 愛知揆一

    愛知国務大臣 御趣旨のように気がまえてまいりたいと思います。
  125. 伊藤惣助丸

    ○伊藤(惣)委員 沖繩の問題について伺います。  いままでいろいろ質問がございましたが、先ほどの大臣答弁によりますと、基地の問題については早期返還がその第一の条件である、また、日本及び沖繩の安全が大事である、こうおっしゃいました。しかし、もう一つ大事なことに日米関係の安定化ということがあるのではないかと思うわけです。したがって、そういったことをわきまえながら沖繩返還については取り組まなければいけない、このように思うわけであります。ところで、その沖繩の住民がいま何を望んでいるか。もちろん、この間の屋良主席当選を考えてみましても、たとえどんな思いをしても基地撤去してほしい、早く帰りたい、これがその結果としてあらわれた姿ではないかと思うわけです。  そこで、その基地の問題でありますが、その態様はいまだに明らかでないわけであります。そしてまた、B52の常駐の問題もありますし、さらに原子力潜水艦の放射能汚染の問題等々ございます。その点について一つずついままで質問がありましたが、その質問に重複しないように伺っていきたいわけであります。  まず、B52の問題でありますが、大臣とジョンソン大使との間にいろいろな話が一時間半にわたって行なわれた、これは新聞で拝見いたしました。その中でジョンソン大使は、B52の基地を恒久化しない、国際情勢の環境を見きわめながら撤去するということであります。そこで、その国際情勢を見きわめる、また緩和すればということなんですが、大臣はこの点具体的にどのような考え方といいますか、どういう面で了承されたのか、また、常駐ではない、暫定的である、こうおっしゃっておりますけれども、その暫定的というのは日数にしてどのくらいのことを考えているのかということ、 その点を伺っておきたいと思います。
  126. 愛知揆一

    愛知国務大臣 たとえば先ほども申し上げましたように、ベトナムの情勢の好転というようなことは一つの大きな要素であろうかと思います。しかし、それだけでもないかもしれない。これは国際情勢、特に極東の清勢、いろいろのところを考えてみまして、ほかにももっと情勢が好転してくることを期待される面もあろうかと思いますけれども、とにかくそういう情勢をつくり上げることについてはできるだけの努力をする、基本的に沖繩基地を利用しなくても済むような状態をつくるということについての積極的な願望あるいは努力のあらわれは、私は見取ることができたと思います。  それから恒久的ということは、これは外交交渉といいますか話し合いのことでありますから、去る十一日の場合におきまして、書いたものの取りかわしというようなことはいたしておりませんが、先ほども沖繩の問題を考えるにしても、日米の相互信頼ということも大事だからこれをわきまえよというお話がございましたが、それもそのとおりでございまして、私はしたがって恒久的ではないというのが一体何日間か、これはこちらの受けた印象としてはそう長いことを考えているわけではない、こういう心証を得たということでございまして、それ以上は何日というようなことを具体的に申し上げることは、私はできないと申しますか、そこまで詰めてあるわけではございません。
  127. 伊藤惣助丸

    ○伊藤(惣)委員 先ほどの周辺の国際の情勢が緩和すればだんだんに撤去する、その中には朝鮮の三十八度線の動乱等も入るのじゃないかと思うわけです。しかし、実際問題ベトナムでは北爆が停止されておりますし、三十八度線の緊張もいま緩和されつつありますし、また中国においても文化大革命ももうそろそろ終わりに近づいておる。非常に極東の情勢というのは安定してきているわけです。しかしながら、それでもまだ緩和していないという見方、だからB52は置くんだというのでは、どの時点まで緩和すればということが非常に大きな心配になっている、また、非常にその点が問題になると思うわけです。たとえば沖繩の住民の方は、B52は常駐しているじゃないか、こう言うわけです。ところが米軍並びに政府のほうでは、常駐じゃない、一時的移駐である、こう言っているわけでありますけれども、それじゃ常駐ということとそれから暫定的にいる、一時的移駐ということは、期間的、時間的にどのぐらいの差があるのか、それがあいまいだ。国際情勢の緊張が緩和すれば徐々に撤去する。緩和しているじゃないか。極東は緩和されつつあります。さらに沖繩がむしろ緊張を高めている方向にいまあります。そういうことから言いまして、非常にその判断の基礎があいまいなわけですね。その点を明確にしていただきたい、こう思うわけです。
  128. 愛知揆一

    愛知国務大臣 判断を明確にするということが必要でございましょうが、同時に、これは相関関係ということもございましょう。私はB52についてそれを言っているわけじゃ、こざいませんが、極東の緊張が緩和するかどうかということにつきましては、またそれに相対処するような体制がかたいということがこれを緩和させるということもあり得ようかと思いますので、判断の根拠というものはなかなかむずかしいところではないかと思います。ことにB52を含めてアメリカ考え方や行動ということについては、私どもとしても自分が指揮下にあるわけではございませんから、やはり話し合い交渉によって向こうに納得させ、それが行動の上にあらわれてくるようにしなければなりません。ですから、お話のような点は私も十分胸に入れ、また沖繩県民の方々の、私もほんとうにやりきれないような感じがするのですけれども、その心を心としてなし得る限りのことをする、こういうふうな決意で誠意を尽くしてやっておるつもりでございます。
  129. 伊藤惣助丸

    ○伊藤(惣)委員 総理は来年の秋に訪来して、いままでの再確認と返還のめどをつける交渉をする、こういわれております。それに前後してあるいは政府においてはその態様を示すかもしれない、このようにいわれておるわけでありますけれども、その返還交渉についてはすべて総理におまかせになっていくお考えでございますか。
  130. 愛知揆一

    愛知国務大臣 私、就任のときにも申しましたのでありますが、沖繩返還問題につきましては、佐藤ジョンソン会談に示されておりますように、総理として非常な熱意と努力を重ねてきているわけでありまして、そういう面についていえば、特に私は総理外交とでもいうことばが合うのではないかと思います。私といたしましては、その願望というものは全国民の願望を象徴しているものだと思いますから、どうかしてその不退転の総理の決意というものが実りができるように、私どもとしてもあらゆる努力をして路線を敷いていきたい、こういうふうに考えておるわけでございます。あくまで一体の路線でこの仕事に当たってまいりたいと思います。
  131. 伊藤惣助丸

    ○伊藤(惣)委員 それでは、来年の秋まで担当の外務省としては全然訪米もしなければ、または総理以外にあなたがアメリカに渡るなりまたは折衝しない、こういうことに考えてよろしいのですか。
  132. 愛知揆一

    愛知国務大臣 いま申しましたことをそういうふうにお受け取りになりますと私は非常に困るわけでございまして、これは一体といたしまして、結局九月ですかに行なわれた当時の三木、アレグス・ジョンソンのいわゆる第一回会合のときの公表されたものにもございますとおりに、最終的に返還の決着をつけるというか、めどをつけるのは大統領と総理の間のことである。しかし、その決着をつけるに至るようにわれわれとしては最大の努力を傾注していくのでありますということは、前大臣の三木君からも表明されているとおりでございます。私はそういうやり方を踏襲していくのは当然過ぎるぐらい当然であって、何もしないでほっちゃらかしておいて、総理大臣が渡米して一騎打ちをしてそれで解決できる、それまでは外務省は何もしないでいるのか、こういうふうにお考えいただくというのは、私としてはきわめて心外でございます。
  133. 伊藤惣助丸

    ○伊藤(惣)委員 最大の努力をなされるというのであれば、総理が行く前に何回かの対米折衝を、もちろん日本だけではなくてアメリカにも行ってやるべきではないかと思うのですが、その点についての外務大臣のお考えを伺いたいわけです。
  134. 愛知揆一

    愛知国務大臣 日米間の交渉に限らず、相手国に出かけていくのももちろん必要でございましょうが、しかし、日本においてアメリカ交渉するということもきわあて可能であり、容易なことでもございます。その辺は効果があるように考えていかなければならない。アメリカへ行くばかりが私は能ではないと思います。もちろん行くことも考えてえておりますし、そういうこともあり得ると思います。要するにどうやったら一番効果があるかということで、一種の戦術と言うと語弊があるかもしれませんけれども、そういう点で考えてまいりたいと思います。
  135. 伊藤惣助丸

    ○伊藤(惣)委員 行くことも考えていらっしゃるということでありますが、戦術的にいつごろというお考えがあるのか伺いたいと思うわけです。  また、時間がありませんので最後に、有事に戦術核兵器を持ち込むということは非核三原則に反するか反しないか、その点について条約局長から、また外務大臣所信を伺いたいと思います。
  136. 愛知揆一

    愛知国務大臣 いつごろ行くかということの問題は、もう一つ問題がございますのは、当方におきましても大切な国会というものがございます。国会の会期中という場合には、おのずから行動の制約もあろうかと思います。そういう場合におきましては国会の御承認ということが前提要件になりますので、こういう点も含めまして、いまいつごろどうこうということはちょっと申し上げかねるわけでございまして、もしそういうことも考えられるかというお尋ねならば、そういうこともあり得ようかというふうにお答えする以外になかろうかと思います。  それから非核三原則というのは、私どもとしては一つの国策の基本的な考え方である、かように考えておるわけでございまして、それ以上にはお答えができないと思います。
  137. 伊藤惣助丸

    ○伊藤(惣)委員 条約局長から法的に……。
  138. 佐藤正二

    佐藤(正二)政府委員 非核三原則ということはむしろ条約の問題ではございませんで、御案内のとおり政策の問題でございます。したがって、法律的にどうというふうなことにはならないものと思います。日本政府の政策の問題だと私観念しております。
  139. 伊藤惣助丸

    ○伊藤(惣)委員 ちょっとわからないのですがね。確かにこれは国策の問題であって、政治的にこれはすでに自民党の政策にもあるように、抑止核兵器を持つことは憲法違反ではないし、また持てるんだ、こういう考え方があることは知っております。ただ、沖繩の問題については、本土並みが最終目標ではあるが、その前に、その過渡的な段階においてはいろいろなことが考えられる。そこで一つの問題として、いままでの本土並みと同じような基地を向こうにもつくるということは、政府としては最終目標でありましょうけれども、それに現在のような姿を認めるからには、いま外務省でいろいろと考えているわけでございますね。そうしますと、有事のときに核を持ち込むことがそういった政策面で、あるいは総理が言う核はつくらない、持ち込まない、持ち込ませないということからそれはまずいのか、また総理のおっしゃったことは、そこまでは制限はないのだというのかということであります。その点をはっきり伺っておきたいと思います。
  140. 佐藤正二

    佐藤(正二)政府委員 ことばが足りませんでまことに失礼いたしました。有事に核を入れるかどうかという問題はむしろ条約上きめられる問題でございますし、それが条約上きまれば、それは法律的な面に乗ってくると思います。しかし、非核三原則と申しますのはむしろ日本政府の政策上の問題でございまして、法律の問題ではございませんので、法律上にその抵触が起こるというような問題ではないと私観念しております。先ほど御答弁いたしましたのもそういう意味でございます。
  141. 愛知揆一

    愛知国務大臣 これは政策的な問題でございますから、私からも念のため申し上げておきますけれども沖繩基地態様等につきましては、たいへんどうも恐縮でございますが、随時申し上げておりますように、私ども総理はじめまだ白紙でございまして、まだ何とも意見を申し上げることはできない状態でありますことを御了承いただきたいと思います。
  142. 伊藤惣助丸

    ○伊藤(惣)委員 終わります。
  143. 中村寅太

    中村委員長 これにて外務大臣に対する質疑は終了いたしました。
  144. 中村寅太

    中村委員長 この際、おはかりいたします。  本日、沖繩基地等に関する問題について、沖繩の生命を守る県民共闘会議議長仲吉良新君、嘉手納総務課長律波古行徳君及び嘉手納中学校山田朝良君の三名の方を参考人として御出席を願い、意見を聴取することにいたしたいと存じますが、御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  145. 中村寅太

    中村委員長 御異議なしと認めます。よって、さよう決しました。
  146. 中村寅太

    中村委員長 この際、参考人に一言ごあいさつ申し上げます。  本日は、本特別委員会に参考人として御出席いただきまして、まことにありがとうございました。  これより順次御意見の御開陳をお願いすることにいたします。  なお、念のため申しますが、参考人の発言は一人おおむね十分程度にお願いいたします。  まず、仲吉参考人から御意見を承ることにいたします。仲吉参考人。
  147. 仲吉良新

    ○仲吉参考人 ただいま御指名を受けました仲吉でございます。本日は貴重なお時間を私どもの陳述のためにおさきいただきまして、心からお礼申し上げます。  私ども今回B5撤去と原潜寄港阻止のための県民共闘会議、別名生命を守る県民共闘会議から十名の代表団が派遣をされまして、本日まであるいはまたこれから数日間にわたって、各政党あるいは政府あるいはその他の団体に対して沖繩の現状をお話し申し上げ、御理解をいただく立場で上京いたしてまいりました。  沖繩の現状につきましては、先ほどまでの委員会の中でもいろいろ論議なされておられましたし、いろいろ御理解をいただいておると思いますが、特にB52が本年二月五日に沖繩に常駐しまして以来、私どもは数回にわたって集会を開いたり、あるいは立法院の全会一致の決議を得てその撤去要求したり、あるいは立法院代表を上京せしめて日本政府にお願いをしたり、いろいろな形でのB5撤去についての要請行動を続けてまいったことは、すでに御承知のことだと思います。  そういった中で、市町村各議会も、ほとんどすべての市町村がこのB5撤去についての決議を積み重ねてまいりました。しかしながら、非常に残念なことではございますけれどもB52はあれ以来ずっと常駐を続け、ベトナムに向けて出撃を毎日いたしております。そういう中で私どもが非常に懸念をしておりましたB52の墜落事故が、ついに先月十九日に勃発いたしましたこともすでに報道されておりますので、御存じのことかと思います。実はこのB52の墜落事故の現地であります嘉手納村からきょうは一緒に参っております、嘉手納村の総務課長であります津波古と、それからさらに、現地の中学の校長であります山田がここに列席をしておりますので、後ほど当日の状況あるいはその後の村民あるいは学童、生徒の反応などについても若干申し述べさせていただきたいと思います。私は、今回団の副団長として参りましたその立場で、基本的なことについて若干述べさせていただきたいと思います。  私どもがこのB52墜落事故がありました当日一番気にし、一番心配をいたしましたのは、そしてまた、県民全体がほんとうに身の危険を感じたと言いました一番大きな理由は、B52が落ちた、あるいはB52が常駐しているということよりも、このB52が落ちたその現場でとても大きな爆発事故が起こった。これは爆弾を積んでいたからです。同時に、そのことよりももっと恐怖のどん底に落とされましたのは、このB52の墜落現場からわずか百五十メートルほどの距離に知花弾薬貯蔵庫がございまして、そこには地下にも地上にもベトナムに向けて積み出されております爆弾が、あるいは野積みされ、あるいは格納されているということは公然たる事実になっております。さらにまた、その翌日の新聞報道によりますと、その貯蔵庫には核爆弾も貯蔵されているということが報道されております。このことは、すでに前から沖繩に核爆弾があるんじゃないかといわれ、そしてまたほんどアメリカ当局も否定をしない形で、認められた形になっておりましただけに、大きなショックを県民に与えております。もし、万一にも飛行機があと一秒あるいはその何分の一かの違いで墜落をしていたならば、現在の原爆の威力あるいは水爆の威力を考えますときには、嘉手納村はもちろんのこと、中部どころじゃなく、那覇あるいは沖繩全体が吹っ飛んだんじゃないかといった、非常にせっぱ詰まった恐怖におののいたわけでございます。そのことは、嘉手納の現地に住んでいる者だけではなくて、沖繩全体の県民を非常に大きな恐怖にたたき込んで、その後の行動に立ち上がらしております。にもかかわらず、現地空軍のマレク司令官は、この事故に対しまして、特に嘉手納の村長がこの事故についての要請をしに参りましたときに、こういった事故はいわゆる交通事故と同じようなものじゃないか、飛行機だって事故はあるんだというようなことを言われました。それだけではありません。米軍当局もいろいろ赤い羽根募金などで県民協力しているじゃないかといったようなことさえも、平然と口走ったのでございます。そうして、さらにスナイダー日本部長は、これもまた同じように、旅客機にだって墜落事故はある、交通事故みたいなものだという形で受けとめて、そういう発言をいたしております。このことは、全く県民の現在置かれている状況や気持ちを理解せずに、ただひたすらに自分たちの基地の機能を守っていく、その立場だけしかあらわしていないとわれわれは受けとめております。  しかしながら、そういったことはありますけれども県民はそれにくじけずに、いま私どもが派遣をされましたB5撤去、原潜寄港阻止のための共闘会議を結成いたしました。これはいままで沖繩で民間団体として結成されましたどの団体よりも広範な組織になっております。あらゆる宗教団体あるいはPTAの組織あるいは地域の婦人団体あるいは市町村の組織、いろいろな形のものが、従来ありました沖繩県祖国復帰協議会の組織を上回って、非常に幅広い百四十数団体が加盟をし、さらにこれからふえ続けて、おそらく二百近い団体が加盟をするだろうというめどのもとにつくられました組織でございます。その中に、いま自分たちの命を守るためには何といっても自分たちの力にたよらなければしかたがないという立場に立った県民が続々と加盟をし、組織されつつあります。このことは、先ほど申し上げましたように、いままで長い間、県民日本政府に対し要請を続け、あるいは立法院で決議をし、アメリカ政府に対し抗議をしてきたこれまでの行動の上に立って、これだけではどうにもならない、こういうことを幾ら繰り返してもだれも何ともしてくれない。結局たよりになるのは自分らだけなのだということの県民の決意のあらわれなのだと御理解をいただきたいと思います。そして、このことは、同時に那覇港に寄港を続けております原子力潜水艦の放射能汚染問題、そこにコバルト六〇が日本学術会議のシンポジウムで四千二百七十五キューリーあると発表がなされて以来、ほとんど沿岸漁業も含めて魚介類の売り上げがばったりとまりました。そして漁業を営んでおりましたところは船を出すことさえももうやめた、かえって赤字になるという形で、大きな生活の問題にまで及びつつあります。こういう中で、私たちはこの際、いままで、いろいろ御労力をいただきましたけれども、なお一そう日本政府に御努力をいただき、そしてこのB52の撤去についてのアメリカに対する申し入れ、要請をしていただきたいということを心からお願いを申し上げたいと思いますし、同時に国会におきましても、県民百分の命を守るという立場から、政府に対する対米交渉の申し入れなどについての決議、あるいは申し入れなどをぜひやっていただきたいということを心からお願いを申し上げます。  今月の七日に嘉手納現地の学校の先生方、あるいは村役所の職員が八時間のストライキを打ちました。これは沖繩ではいまだかつてないことでございます。B52を撤去させるという決意のもとにストライキをやるなんということは、いままでかつてないことでございます。しかし、そのストライキを県民全体がささえ、PTAもささえて、一緒にすわり込みをやりました。わずか千人足らずの皆さんでございましたけれども、それを支援するために、全島からかけつけた県民は四千名をこえたのでございます。そして、そういった戦いの中で共闘会議が結成をされて、十四日にはさらに四万人を結集して嘉手納現地での大県民大会が行なわれました。そして、その四万人の県民は二時間にわたって嘉手納基地を包囲し、秩序正しいデモを行なって、われわれの抗議行動の決意を表明いたしております。しかし、これだけでわれわれは満足な行動ができたとはまだ思っておりません。さらにこれから来年の一月中旬、あるいは下旬に向けてほんとうに県民が総立ち上がりをする第二次の行動をかまえなければならないというふうに考えます。いま、各労働組合は全一日、二十四時間のストライキをかけてでもB52の撤去要求の決意を内外に表明する決意を固めて、その態勢を整えつつありますが、命を守るということを、政治の場では何よりもまつ先に考えていただかなければならないとわれわれは確信をいたしております。非常に申し上げにくいことでございますけれども、いままでの日本政府沖繩に対するいろいろな援助はございましたが、一番基本的な、基地の問題、あるいはB52の問題、原潜の問題については施政権という一つの大きな壁を理由として、なかなか思うように日本国内のようには取り扱っていただけませんでした。万一あの九大に起きた事故が、沖繩B52が九大に落ちたような形で起こっていたとしますならば、おそらく板付基地はとうの昔にどこかに移転をするということの結論が出ていたに違いないと私は思います。沖繩県民がいままで二十三年余り長い間差別をされ、そうして同じ国民でありながら、国民としての教育も受けられず、同じ国民でありながら同じ水準の生活もできなかった。その上に、なぜそれ以上に私たちは自分らの命までも心配しなければ生きていけないのかということを考えますときに、どうか県民の心をほんとうにじかに感じていただいて、これからの政治の場での皆さま方の御協力と御理解をいただきたいと思います。  最後に申し上げておきたいことは、日本政府がそれをやっていただかなければ、どこもやっていただけるところはないということでございます。日本政府こそが、施政権がなくても日本国民である百万人の国民を守る立場にあるのだということをぜひひとつ御理解をいただきたいと思います。もし万一住民が、自分の力で基地撤去さす、あるいはB52を撤去させなければならないということをほんとうに真剣に考えて行動に移りましたときに、その声を受けとめて日本政府が動かなかった場合には一体どういうことになるのか、それは私から申し上げるまでもございません。ぜひ、日本政府施政権がないということなどおっしゃらずに、百万県民の命を守っていくという立場を貫いていただいて、これからのB52の撤去、原潜寄港についての十分なお取り組みを心から要請をしたいと思います。  あと嘉手納現地の実情につきまして、津波古及び山田から簡単に補足陳述をさしていただきます。  御清聴ありがとうございました。
  148. 中村寅太

    中村委員長 津波古参考人。
  149. 津波古行徳

    ○津波古参考人 嘉手納村役所の総務課の津波古でございます。  沖繩におけるいろいろな対軍関係の事故等は相当あるわけでございますが、沖繩を知るには嘉手納を知れと普通言われているわけでございます。嘉手納に起こったおもな事件を一応申し上げまして、沖繩に対して御理解をいただきたいと思います。  嘉手納村は、総面積の八八%が軍用地に接収されまして、残りの一二%の土地に一万六千余の村民が住んでいるわけでございます。そうして嘉手納村の周辺は、飛行場さらには弾薬庫によって囲まれて、陸の孤島の観を呈しておるわけでございます。そういった中において年がら年じゅう基地被害が起こっているわけでございますので、おもなるものを一応申し上げてみたいと思っております。  ベトナム戦争激化に伴いまして嘉手納にKC135その他の戦闘機、さらにはB52の常駐に伴い、われわれは爆音の測定器によって基地から発生するその音を一応データにとったわけでございます。そのデータといたしまして、一日平均百四回ということになっておるわけでございます。それから一月にしまして三千百二十回、一カ年にしますと三万七千九百六十回、これはおもに百ホンでございます。いま私が申し上げております声が普通七十五ホンぐらいでございます。それから察しますと、百ホンさらに百三十ホンという音はどういった音かおわかりになるかと思います。そういったことで絶えず爆音によって悩まされているということでございます。  それからさらに、六二年の十二月二十日にKB50という給油機が落ちたわけでございます。その飛行機はわれわれの部落のまん中に落ちまして、住民二人死亡、そうして七名の重軽傷者を出した事件があるわけでございます。  それからさらに、六五年の九月二十五日KC135、これはB52に空中給油をする飛行機でございます。その飛行機のエンジン調整によって部落に排気ガスをまき散らしまして、その排気ガスによって住民が顔面に皮膚炎症を起こしたという事件があるわけでございます。この件については、軍は、われわれの責任ではないということで、その補償すら却下しているようなかっこうでございます。  それから、一九六六年の五月二十九日に砂じん問題。御承知かと思いますが、基地拡張に伴うところの工事によって、砂じんが二十七日間にわたって嘉手納村全域に充満したわけでございます。当時嘉手納村民はその砂じんによって息もできないほど、さらにはめしも食えない、それから洗たくものを干すこともできないという、そういったことが一カ月近くも続いたということでございます。  さらに、一九六六年五月十九日に、KC135、これは先ほど申し上げましたように、B52に空中給油をする飛行機でございますが、その飛行機がうちの村のはずれのほうに落ちまして、たまたまそこを通行しておりましたうちの村民一人を押しつぶしたという事件があるわけでございます。  さらに、一九六七年五月四日以降——これは去年でございます。千貫田、いわゆる嘉手納村の村の東側でございますが、 そこの部落一帯の井戸が、空軍より流れ込みました油によって十七の井戸が汚染したわけでございます。それで、十七の井戸は三十三世帯でもって使っておりまして、人員にしますと百五十六人で使っておったわけでございます。  そういったことがあるし、さらには、六八年六月二十八日に、同じく基地から発した油によってふろ屋の水が燃え出したということで、ございます。そしてこの嘉手納村の地下はそういった油でもって汚染され、飲料に供すべき水が油で汚染されて燃える。おそろしいことで、ございます。また、許さるべき問題ではないわけでございます。  こういった一連の事故について、われわれは軍当局に対して強く抗議をし、また善処方も行なってきたわけでございますが、基地司令官等におきましても、のらりくらりとその改善策は全然示されていないということでございます。  それで本論に入りますが、十一月十九日未明四時十五分でございます。そのときにB52が爆弾をかかえて——爆弾は二十七トンほど積んでおると普通いわれております。百何発か積んでいるようでございますが、その飛行機が爆弾をかかえて離陸に失敗し、うちの村のはずれで一はずれと申しましても五百メートル離れたところで、爆弾をかかえたまま爆発をしまして、大惨事を起こしたわけでございますが、そのB52が落ちました現場から百五十メートル離れたところに、通常爆弾さらには核爆弾が貯蔵されておるというふうにいわれておる、その手前で落ちたわけでございます。私がここで核兵器と申し上げましたのは、現地のマスコミあたりで、そこには核が貯蔵されておる、そしてそこにはヤギさらにはウサギ等を放し飼いしまして、放射能の実験をしているというマスコミの記事が出たわけでございます。それに対して軍は別にあえて否定をしなかったわけでございます。これは公然の秘密というふうなかっこうになっておりまして、そういった手前で落ちたわけでございます。落ちまして、ものすごい炸裂音とともに、嘉手納村全域の建物、さらにはすべてをゆるがしたわけでございます。嘉手納村には三百十七の世帯があるわけでございますが、その建物が全部ゆれ動き、二キロほど離れたところまでも建物の雨戸、窓ガラス、ふすま、建物に亀裂を生じまして、三百十七戸の家屋に被害を生じたという件があるわけであります。そうしてさらに十四名の重軽傷者を出したということでございます。その中には爆弾の破裂の音によって、そのショックによって喉頭神経がおかされまして一週間ほど声が出なかったということ、さらには左顔面に傷を負いましてそれが四週間ほどの治療を要したという件、子供がそのあまりに大きな爆発音によって恐怖症を起こしまして、三日ほど学校に行かなかったという件があるわけでございます。そして村民はそのとき、ものすごい爆音とともに飛び起こされまして、何事か二十三年前の、あの戦争がまた来たんじゃないか、さらにはあそこで、普通われわれは弾薬庫には原爆が貯蔵されておるものと考えておりますので、それが爆発したんじゃないか、そういう恐怖感で絶えずなにしておりますので、住民は原爆が爆発したんだということで右往左往したわけであります。その右往左往しているところに——いまからお見せしますが、こういった爆弾、それから飛行機の機体のこういったもの。また一キロ離れたところのショウウインドーのガラスが割れたわけですが、こういった機体が一キロ、さらには一キロ半のところにばらばらと落ちてきたわけであります。これは二十三年前のあのおそろしい戦争を味わったわけであります。  そういった恐怖の中でわれわれ村民は生活しているわけでございますが、その件についてその当日さっそく議会を招集したわけでございます。われわれの村に自民党系の村長がおるわけでございまして、さっそく議会を招集いたしまして、この問題についてどう取っ組むかということについて検討しましたところ、与野党を問わず、この問題について積極的に取っ組もうということで議決をしたわけでございます。この文書については議長あてに郵送してございますが、B52核戦略爆撃機の墜落爆発事件に対する抗議と軍事基地の即時撤去要求する決議というのを、与野党を問わず、自由民主党、社会党、人民党、社大党、公明、そういう五者が超党派的にしたわけであります。そしてこの議決をすると同時に、その足で基地司令官のほうに抗議を申し込んだわけでございます。そうしますと基地司令官のいわく——新聞でも御承知かと思いますが、これは単なる交通事故、旅客機のなにのようなものだと、安易な気持ちで受け取っておるようなかっこうでございます。  さらに、この問題について村民総ぐるみで今度抗議村民大会を開いたわけでございます。そのときにも、さらにB52核戦略爆撃機の墜落爆発事件に対する抗議と即時撤去要求する決議ということを、B52核戦略爆撃機の墜落爆発事件に対する抗議村民大会の名のもとにこういった議決がされたということ。さらに十一月三十日に、嘉手納村婦人会がこういった問題に盛り上がったのはこれは沖繩で初めてでございまして、婦人会におきましても、いままで申し上げたような、こういった内容の議決を行なったというわけでございます。  そりしてさらに、住民はそのときはものすごい爆発音とともに右往左往しまして、逃げ場所がなかったわけでございます。それでおとうさん、おかあさんたちは子供たちをふとんや毛布にくるんで、どうせ死ぬんだ、死ぬくらいなら寝巻きを新しい服にかえて死にぎわを相当にしてやろうということで、おとうさん、おかあさんたちは子供たちをかかえてその事件の当日を暮らしたということがあるわけでございます。そうして爆発地点から八百メートルほど離れたところに屋良小学校があるわけでございますが、そこの幼稚園——普通、小学校の場合には防音教室になっておりますので、少々のなにではこわれませんが、幼稚園の場合には普通ガラスが使用されてございますので、ガラスがめちゃくちゃに園舎の中に飛び散ったというわけでございます。そこに私は自分の子供を預けておる関係上その現場を見まして、もしこれが昼であったらどうであっただろうと胸が冷たくなるような感じもしたわけでございます。そういった中で、さらに村といたしましては、先ほど申し上げましたように、当村は自由民主党の村長ではございますが、村民が超党派的にこの問題に取り組もうということで嘉手納基地対策協議会というのを結成して、これを村ぐるみでやっていこうということを考えておるわけでございます。  それで、いままでのことにつきまして一応まとめていきたいと思っておりますが、いままで再三にわたって日本政府考え方等を見てみますと、われわれのこの問題に対する取り組み方に対してあまり切実感を抱かれないのじゃないかという感がするわけでございます。この機会を通じまして、ひとっこれは——われわれも日本国民でございますし、沖繩の百万同胞がこういった危険の中にさらされているのだという気持ちをおくみ取りいただきまして、この善処方をお願いしたいわけでございます。これから佐藤総理のほうにもわれわれはこの問題についてじかにお話ししたいと考えておりますので、何とぞそういった面についてわれわれが面会できますようなお取り計らい等もお願いいたしまして、われわれのこの訴えをおくみ取りいただきまして、沖繩からB52、原潜等を撤去させるべく超党派的にこの問題について取り組んでいただきたいことをお願いいたしまして、陳述にかえたいと思います。どうもありがとうございました。
  150. 中村寅太

    中村委員長 山田参考人。
  151. 山田朝良

    山田参考人 私、嘉手納中学校長の山田で、ございます。私、嘉手納中学に参りましたのが昨年の四月でございました。いままでは、どちらかというと静かな、ほんとうに落ちついた学校経営をしておりました。突然嘉手納に参ったわけでありますが、嘉手納に来てみますと、ほんとうにものすごい爆音で授業なんかも非常に阻害されるというなにがありまして、たいへん私心配しておりました。私が最初に赴任しましたときに朝札に立ちまして子供にあいさつをしようとしますとものすごい爆音が、そのときにはKC価だと思いますが、私いままでのなんで、そういった騒音の中では話ができないので一時中断したのでありますが、子供いわく、校長先生だめですよ、話はやめないでください、どうせこの音は続きますから、ひとつ負けないように続けてください、ボリュームを上げましょうといってボリュームを上げて私の話を続けさせたのですが、しょっぱなから私こういうおそろしい気持ちを持たされたわけであります。  それから子供の身体検査をしましたところ、何と百八十名が近視なんです。私の学校の生徒千百七十五名おりますが、その一割半はいま言った近視におかされている。もちろん中学の生徒は近視が多いのでありますが、特によその学校よりもうちの学校は多い。そしてその中でも〇・二、〇・三といった強度の近視がおるということ、私はこれに対して非常に心配いたしまして、どういうわけでそうなったのだろうかといろいろなにをしましたところ、いままで長い間そういう爆音の中で生活してきております。家庭においては無防備であります。したがいまして、爆音が激しいので戸を締め切って少しでも音をさえぎろうとする。したがいまして部屋は暗くなる、そのために近視はふえる。またさらに、勉強してもがやがや騒がれて頭に入らぬから、テレビでも見ようじゃないかということでテレビにかじりつく状態がずいぶん続いていたようであります。音が聞こえないから、したがって聞こえるところまで目を接近させる。これが仮性近視の原因になって、それからだんだんそういう状態が長引いて〇・二とか〇・三度という強度の近視になっているというような実態であります。  さらにもう一つは、音に対する感覚が非常に鈍っているようであります。平均して一、二度程度はよその子供たちよりも難聴じゃないかと私考えております。先ほど総務課長からもお話がありましたように、四六時中九十から百ホンという爆音が絶えずなにしている、そういう中での生活ですから、精神的に子供たちに与える影響も非常に大きい。うちの学校は——変なことを言うようでありますが、爆音のために絶えずいらいらする、そのいらいらのはけ口をどこかへ見出そうとしてあばれる、それを私は運動のほうに向けておりますが、うちの学校は野球もバレーも沖繩を代表して本土に何回も来ております。ことしも野球を連れて鹿児島に来ましたし、昨年はバレーの女子チームを連れて大分に来ております。そういったいらいらした気持ちのはけ口を子供たちはどこかで見出そうとする。家庭でも普通の話はできないものですから、つい腹が立って手が出るということを親は言うております。  そういった状態の中での子供たちの生活で、よその子供たちより非常に気の毒だなと思っていたときに、先ほどもありましたように、B52が二月五日以来すわり続けました。B52は異様な機体なんです。黒くてハゲタカみたいな感じを受ける機体です。それが爆弾を積んで毎日のように出ていく。もしあの爆弾が落ちたら一体嘉手納村民はどうなるだろうか、子供たちはどうなるだろうかということを考えましたときに、嘉手納の教員は——父兄全部でありますが、特に教育に携わる教員は一日として休まらないというような現状でございました。そういった不安を私たち持っていたやさきに、先ほどもありました、十九日の未明に落ちて、村民を恐怖のどん底におとしいれた。子供たちはその朝登校してまいりましてもおびえて、口々にその当時の話をしていました。それを聞きますと——私は嘉手納村に住んでいません。コザというところにおりまして、そこから通っているわけでありますから、そのときの実態はよくわかりませんが、子供たちの話を聞きますと、おとなは戦争の経験をしているので再び戦争が起こったのではないかと右往左往した。私たちは戦争という経験はないが、ああいったおそろしいことがあるのかなということを口々に訴えておりました。授業だってろくにできませんでした。私はそのとき職員を集めまして、きょうは一日子供たちを落ちつかせるためにもひとつそういう話し合いをしてみてくれ、まともな授業はできないと思うから、しっかりやってくれ、感想文でも書かしてみようというので感想文を書かしたわけでありますが、その中からいろいろ教えさせられることがありました。  そういう恐怖がまださめやらないやさきに、今度は十二月五日に同じB52が滑走路をはずしてしまって芝生の中に脚を突っ込んで、あわやという惨事も起こりかけたわけでありますが、そのときに屋良小学校の子供たちはもうおびえてしまって、先ほども話がありましたように、屋良小学校はすぐ近くで滑走路から百五十メートルしか離れておりません。そういう中で絶えずおびやかされておりますが、十九日の日も未明でありましたので、子供はほとんど父兄が抱き取っていました。ところが先生方はこういうことを言う。もしもあれが昼だったらどうなっただろうか、たいへんなことになっておった、四十四、五名の子供をみんな一人一人かかえてああいう惨事にあったら、私たちはどうしていただろう。幼稚園の生徒だから、ショック死でもあっただろうし、また、爆風でガラスが全部教室の中に飛び込んでおりますから、その破片で相当なけがをさしたのではないか。それを思うとぞっとする。ところが、あれは明け方でよかった、こう思っていたとき、今度は真昼に落ちております。真昼に、そういう事故は起こしませんでしたが、非常におそろしいことにはあいませんでしたが、やはり一つの事故として取り上げられております。  そういったことで、先生方は、もうこれじゃたまらない、私たちはいろいろな手を使って、あれやこれやで軍にもいろいろお願いもし、また立法院、政府にもそういった問題を要請してデモもやった、そういうふうにやったけれども、何ら効果がない。居すわり続けておる。こういうことではどうにもならない。もうこれ以上がまんができないので、最後の手段に訴えるしかないのじゃないか。私、出張中でありましたが、先生方は、三校ございますが、・各三校で職場討議を持って、もう、少し強い行動に訴えてでもアメリカの良心をゆさぶろうじゃないかということで、ストをやろうということになった。私はそれを聞きまして、管理者の立場からもう少し考慮しようと言うて、職員を集めましていろいろ話をしましたが、校長、そう言うけれども、私たちはどうしますか。先生は管理者の立場でそう言われるけれども、冷静になっておられるけれども、私たちは子供を預かっておる、その子供たちの問題を考えた場合にはどうすることもできません。だから、すみませんが、もうやらしてください、やりますということで、それじゃしかたがない、君たちがそういう立場ならば校長がまつ先になろう。君たちだけではなく、校長が子供の命を守るためにも責任を持とうじゃないかということで、三校長話し合いました。しかし、これはみんなの了解を得なければならない、みんなの理解を得なければいけないというので、校長三名で——小学校が三校ありますが、三名で村長に会いました。こういうことになりました。議長に会って同じように訴えました。それから教育委員会にも訴えましたら、しかたがないでしょう、ここまで追い込められたのだから、立つ以外にないだろう。私たちも先生方とともに行動しましょう。そういった意味で、村民全体の問題として強く立ち上がろうじゃありませんかという激励のことばを受けました。その足でさっそくPTA会長を訪問しましたら、PTA会・長も、十分に先生方、気をつけていただきたい。子供たちの補習の問題、それから危険の問題があるから、デモに巻き込まれるようなことがあっても困るから、そういうことも十分考慮して、ひとつ思い切ってやってくださいという力強いことばを受けまして、それから前例のないストをやったわけであります。  そのときに、私たちはもう非常に心苦しかったのでありますが、父兄にも訴えるというのでチラシを全部配りました。こういう事情で立ち上がりましたので、どうかひとつ御了解をいただきたい。それから子供にも了解をしてもらわなければいけないというので、小学校のほうは朝会で、私の中学校は午後、帰るまぎわに全生徒を校庭に集めまして、先生方はいままでいろんな問題でいろんな方法で訴えてきたんだが、いまだに居続けてああいう事態に追い込んでしまった。ああいう問題を惹起してしまった。もう先生方もがまんができない。先生方の使命はほんとうに授業を大事にすることだけれども、それを乗り越えて、よりあなた方の命を守るもっと大きな観点から、先生方はやむを得なく授業を一時中止して——土曜日でありましたが、一日授業を中止して大会を持ち、それからデモをし、それからすわり込みを夜の八時までやったわけであります。私はそのときに、どうか先生方の気持ちも十分にくんでいただきたい。君たちが先生の気持ちをくむことは、外に出ないこと、家庭でしっかり学習すること。しかし、国語とかあるいは数学とかいうことになると落ちついてできないかもしれないが、ひとつあの当時のことを頭に浮かべて、B52の問題について、あるいは、基地の問題について感想をみんな出してくれぬか。千百七十五名に全部私は訴えて書かしたわけであります。  それで、その中からつづったものを持ってきておりますが、これも、私は持ってくる余裕はなかったのでございますが、子供たちが、校長が行くというのでみんな手分けして、自分たちでこれを全部原紙を切って私のうちに届けております。私は五時ごろ出なれけばなりませんでしたので、二時ごろ子供たちがつづって私のところに持ってきた。先生どうか訴えてください、ほんとうに強く訴えていただきたいという激励のことばを私は子供からもらったわけであります。  そういった意味で、私、ここにあがっておるわけでございますが、子供たちの気持ちを考えました場合に、小学校の子供は表現が非常に十分でありませんので、端的に言います。アメリカが憎いとはっきり言っております。あの殺し屋のB52が早く出ていかないか、こういう気持ちが非常にあらわれまして、私は責任として、反米感情に持っていかれるのではないかというある程度の不安を感じておりますが、中学の場合には多少表現もじょうずで、こういうことを言っております。本土の子供たちと同じように日本人だというのに、なぜ私たちだけ苦しまねばならないのか、どんなに苦しくても、貧しくても、たとえイモを食べても私は平和がほしい、早く日本に返りたい、こういうことが切実な子供の文章の中にあらわれております。  そういった気持ちも、私、皆さん方に直接訴えるつもりで参りましたが、どうかひとつこういったことも十分にお含みくださいまして、皆さん方のこの委員会のお力によって、総理にも、ぜひ会ってやってくれ、こういう訴えをしてきているのだから、ひとつ十分に現地の模様を聞いてくれ、こういうことで、ぜひ私たちをお会わせいただければ、私たちのここに参りました目的も十分に果たせるのではないか。どうぞひとつ御協力のほどをお願いいたします。  失礼いたしました。
  152. 中村寅太

    中村委員長 これにて参考人からの意見聴取は終了いたしました。  参考人各位から沖繩の現状についてるる御発言がありましたが、本特別委員会といたしましても、今後の沖繩問題の調査に多大の参考となったことと存じます。  参考人の諸君には、まことに御苦労さまで、ございました。  次回は公報をもってお知らせすることとし、本日はこれにて散会いたします。     午後四時八分散会