○仲吉参考人 ただいま御指名を受けました仲吉でございます。本日は貴重なお時間を私
どもの陳述のためにおさきいただきまして、心からお礼申し上げます。
私
ども今回
B52
撤去と原潜寄港阻止のための県
民共闘会議、別名生命を守る県
民共闘会議から十名の代表団が派遣をされまして、本日まであるいはまたこれから数日間にわたって、各政党あるいは
政府あるいはその他の団体に対して
沖繩の現状を
お話し申し上げ、御
理解をいただく
立場で上京いたしてまいりました。
沖繩の現状につきましては、先ほどまでの
委員会の中でもいろいろ論議なされておられましたし、いろいろ御
理解をいただいておると思いますが、特に
B52が本年二月五日に
沖繩に常駐しまして以来、私
どもは数回にわたって集会を開いたり、あるいは
立法院の全会一致の決議を得てその
撤去を
要求したり、あるいは
立法院代表を上京せしめて
日本政府にお願いをしたり、いろいろな形での
B52
撤去についての
要請行動を続けてまいったことは、すでに御
承知のことだと思います。
そういった中で、市町村各議会も、ほとんどすべての市町村がこの
B52
撤去についての決議を積み重ねてまいりました。しかしながら、非常に残念なことではございますけれ
ども、
B52はあれ以来ずっと常駐を続け、ベトナムに向けて出撃を毎日いたしております。そういう中で私
どもが非常に懸念をしておりました
B52の墜落事故が、ついに先月十九日に勃発いたしましたこともすでに報道されておりますので、御存じのことかと思います。実はこの
B52の墜落事故の現地であります
嘉手納村からきょうは一緒に参っております、
嘉手納村の
総務課長であります津波古と、それからさらに、現地の中学の校長であります
山田がここに列席をしておりますので、後ほど当日の
状況あるいはその後の村民あるいは学童、生徒の反応などについても若干申し述べさせていただきたいと思います。私は、今回団の副団長として参りましたその
立場で、
基本的なことについて若干述べさせていただきたいと思います。
私
どもがこの
B52墜落事故がありました当日一番気にし、一番心配をいたしましたのは、そしてまた、
県民全体がほんとうに身の危険を感じたと言いました一番大きな理由は、
B52が落ちた、あるいは
B52が常駐しているということよりも、この
B52が落ちたその現場でとても大きな爆発事故が起こった。これは爆弾を積んでいたからです。同時に、そのことよりももっと恐怖のどん底に落とされましたのは、この
B52の墜落現場からわずか百五十メートルほどの距離に知花弾薬貯蔵庫がございまして、そこには地下にも地上にもベトナムに向けて積み出されております爆弾が、あるいは野積みされ、あるいは格納されているということは公然たる事実になっております。さらにまた、その翌日の新聞報道によりますと、その貯蔵庫には核爆弾も貯蔵されているということが報道されております。このことは、すでに前から
沖繩に核爆弾があるんじゃないかといわれ、そしてまたほんど
アメリカ当局も否定をしない形で、認められた形になっておりましただけに、大きなショックを
県民に与えております。もし、万一にも飛行機が
あと一秒あるいはその何分の一かの違いで墜落をしていたならば、現在の原爆の威力あるいは水爆の威力を
考えますときには、
嘉手納村はもちろんのこと、中部どころじゃなく、那覇あるいは
沖繩全体が吹っ飛んだんじゃないかといった、非常にせっぱ詰まった恐怖におののいたわけでございます。そのことは、
嘉手納の現地に住んでいる者だけではなくて、
沖繩全体の
県民を非常に大きな恐怖にたたき込んで、その後の行動に立ち上がらしております。にもかかわらず、現地空軍のマレク司令官は、この事故に対しまして、特に
嘉手納の村長がこの事故についての
要請をしに参りましたときに、こういった事故はいわゆる交通事故と同じようなものじゃないか、飛行機だって事故はあるんだというようなことを言われました。それだけではありません。米軍当局もいろいろ赤い羽根募金などで
県民に
協力しているじゃないかといったようなことさえも、平然と口走ったのでございます。そうして、さらにスナイダー
日本部長は、これもまた同じように、旅客機にだって墜落事故はある、交通事故みたいなものだという形で受けとめて、そういう発言をいたしております。このことは、全く
県民の現在置かれている
状況や気持ちを
理解せずに、ただひたすらに自分たちの
基地の機能を守っていく、その
立場だけしかあらわしていないとわれわれは受けとめております。
しかしながら、そういったことはありますけれ
ども、
県民はそれにくじけずに、いま私
どもが派遣をされました
B52
撤去、原潜寄港阻止のための共闘
会議を結成いたしました。これはいままで
沖繩で民間団体として結成されましたどの団体よりも広範な組織になっております。あらゆる宗教団体あるいはPTAの組織あるいは地域の婦人団体あるいは市町村の組織、いろいろな形のものが、従来ありました
沖繩県祖国復帰
協議会の組織を上回って、非常に幅広い百四十数団体が加盟をし、さらにこれからふえ続けて、おそらく二百近い団体が加盟をするだろうというめどのもとにつくられました組織でございます。その中に、いま自分たちの命を守るためには何といっても自分たちの力にたよらなければしかたがないという
立場に立った
県民が続々と加盟をし、組織されつつあります。このことは、先ほど申し上げましたように、いままで長い間、
県民が
日本政府に対し
要請を続け、あるいは
立法院で決議をし、
アメリカ政府に対し抗議をしてきたこれまでの行動の上に立って、これだけではどうにもならない、こういうことを幾ら繰り返してもだれも何ともしてくれない。結局たよりになるのは自分らだけなのだということの
県民の決意のあらわれなのだと御
理解をいただきたいと思います。そして、このことは、同時に那覇港に寄港を続けております原子力潜水艦の放射能汚染問題、そこにコバルト六〇が
日本学術
会議のシンポジウムで四千二百七十五キューリーあると発表がなされて以来、ほとんど沿岸漁業も含めて魚介類の売り上げがばったりとまりました。そして漁業を営んでおりましたところは船を出すことさえももうやめた、かえって赤字になるという形で、大きな生活の問題にまで及びつつあります。こういう中で、私たちはこの際、いままで、いろいろ御労力をいただきましたけれ
ども、なお一そう
日本政府に御
努力をいただき、そしてこの
B52の
撤去についての
アメリカに対する申し入れ、
要請をしていただきたいということを心からお願いを申し上げたいと思いますし、同時に
国会におきましても、
県民百分の命を守るという
立場から、
政府に対する対
米交渉の申し入れなどについての決議、あるいは申し入れなどをぜひやっていただきたいということを心からお願いを申し上げます。
今月の七日に
嘉手納現地の学校の先生方、あるいは村役所の職員が八時間のストライキを打ちました。これは
沖繩ではいまだかつてないことでございます。
B52を
撤去させるという決意のもとにストライキをやるなんということは、いままでかつてないことでございます。しかし、そのストライキを
県民全体がささえ、PTAもささえて、一緒にすわり込みをやりました。わずか千人足らずの皆さんでございましたけれ
ども、それを支援するために、全島からかけつけた
県民は四千名をこえたのでございます。そして、そういった戦いの中で共闘
会議が結成をされて、十四日にはさらに四万人を結集して
嘉手納現地での大
県民大会が行なわれました。そして、その四万人の
県民は二時間にわたって
嘉手納基地を包囲し、秩序正しいデモを行なって、われわれの抗議行動の決意を
表明いたしております。しかし、これだけでわれわれは満足な行動ができたとはまだ思っておりません。さらにこれから来年の一月中旬、あるいは下旬に向けてほんとうに
県民が総立ち上がりをする第二次の行動をかまえなければならないというふうに
考えます。いま、各労働組合は全一日、二十四時間のストライキをかけてでも
B52の
撤去要求の決意を内外に
表明する決意を固めて、その態勢を整えつつありますが、命を守るということを、政治の場では何よりもまつ先に
考えていただかなければならないとわれわれは確信をいたしております。非常に申し上げにくいことでございますけれ
ども、いままでの
日本政府の
沖繩に対するいろいろな
援助はございましたが、一番
基本的な、
基地の問題、あるいは
B52の問題、原潜の問題については
施政権という
一つの大きな壁を理由として、なかなか思うように
日本国内のようには取り扱っていただけませんでした。万一あの九大に起きた事故が、
沖繩の
B52が九大に落ちたような形で起こっていたとしますならば、おそらく板付
基地はとうの昔にどこかに移転をするということの結論が出ていたに違いないと私は思います。
沖繩県民がいままで二十三年余り長い間差別をされ、そうして同じ
国民でありながら、
国民としての教育も受けられず、同じ
国民でありながら同じ水準の生活もできなかった。その上に、なぜそれ以上に私たちは自分らの命までも心配しなければ生きていけないのかということを
考えますときに、どうか
県民の心をほんとうにじかに感じていただいて、これからの政治の場での
皆さま方の御
協力と御
理解をいただきたいと思います。
最後に申し上げておきたいことは、
日本政府がそれをやっていただかなければ、どこもやっていただけるところはないということでございます。
日本政府こそが、
施政権がなくても
日本国民である百万人の
国民を守る
立場にあるのだということをぜひひとつ御
理解をいただきたいと思います。もし万一住民が、自分の力で
基地を
撤去さす、あるいは
B52を
撤去させなければならないということをほんとうに真剣に
考えて行動に移りましたときに、その声を受けとめて
日本政府が動かなかった場合には一体どういうことになるのか、それは私から申し上げるまでもございません。ぜひ、
日本政府が
施政権がないということなどおっしゃらずに、百万
県民の命を守っていくという
立場を貫いていただいて、これからの
B52の
撤去、原潜寄港についての十分なお取り組みを心から
要請をしたいと思います。
あと嘉手納現地の実情につきまして、津波古及び
山田から簡単に補足陳述をさしていただきます。
御清聴ありがとうございました。